スファラド︵スペイン︶において中傷があった︒あるユダヤ人の家で少年が殺され︑心臓のところを裂かれて いた︒人々は︑彼らが儀式のために彼の心臓を取り出したのだと言った︒すると︑ドン・シュロモ・ハレヴィがやってきた︒彼は賢者であり︑カバラーの師であった︒彼は少年の舌の下にひとつの名前 000000を置いた︒する
と︑少年は目を覚まし︑憐れなユダヤ人を中傷するために誰が自分を殺したのか︑誰が心臓を取り出したのか
を語った 1︒︵強調は引用者︒以下同様︶ 論文要旨 中世キリスト教世界のユダヤ教文学では︑キリスト教文化に対抗する言説がみられる︒本論文では︑そのなかで中世ユダヤ教の民間伝承に注目する︒まず︑﹃トルドート・イェシュ﹄というユダヤ版イエス伝では︑﹁神の名前の使い手﹂としてのイエスの姿が描かれる︒その物語は︑福音書のイエス物語を題材とし︑メシアとしてのイエスというキリスト教正典における描写を転覆させることによって︑イエスをラビ・ユダヤ教の規範を逸脱する魔術師として語りなおすものである︒次に︑イエスの弟子たちの物語や中世ユダヤ教の指導者ナフマニデスの聖人伝を取り上げる︒これらの民話は︑中世ヨーロッパのユダヤ人が直面したキリスト教への改宗という問題と結びついている︒そして︑ユダヤ人の強制改宗者に対して宗教的な使命を見出し︑その改宗を意味づけることや︑改宗の歴史を逆転させたもうひとつの﹁歴史﹂を語ることをその特徴とする︒キーワード ユダヤ教︑キリスト教︑民話︑改宗
中 世 ユ ダ ヤ 教 民 間 伝 承 に お け る キ リ ス ト 教 世 界 へ の 対 抗 物 語
││
改宗を語ることをめぐって
││
志 田 雅 宏
右の引用は︑十六世紀のユダヤ人歴史家︑シュロモ・イブン・ヴェルガがユダヤ民衆のあいだで耳にした話であ
る︒これは︑キリスト教徒たちが騒ぎ立てる﹁血の中傷﹂の真相をユダヤ神秘家が暴くという興味深いエピソードである︒血の中傷とは︑ユダヤ教の過ぎ越しの祭りの儀式のために︑ユダヤ人がキリスト教徒の子供を誘拐し︑殺
害してその血を神に捧げる﹁儀式殺人﹂をしているという︑中世キリスト教世界で広まった中傷である︒それが最
初にみられたのはイギリス 2やドイツ・ライン地方だが︑スペインでも十四世紀半ばから広まり︑ユダヤ人への迫害を誘発した 3︒血の中傷をはじめ︑ユダヤ人によるキリスト教の冒瀆に対するさまざまな非難は︑ユダヤ人が冒瀆を
密かにおこなっているというキリスト教徒の民衆の思い込みによる︒その意味では︑右の民話はもしかするとその
ユダヤ人の秘密主義というステレオタイプへの巧妙な皮肉なのかもしれない︒儀式殺人の疑惑が持ち上がったと
き︑それを解決するのが他ならぬ秘匿的な知恵の持ち主︵﹁カバラーの師﹂︶だからである︒ドン・シュロモが︑殺された少年の遺体の口を開け︑そこに置いた﹁ひとつの名前﹂とは神の名前である︒神名には魔術とも奇跡とも呼
べるような︑超自然的な現象を引き起こす力があるとユダヤ民衆は信じていた︒その神の名前の使い手が︑儀式殺
人に偽装した殺人の真犯人︵おそらくキリスト教徒︶が誰であるかを白日の下にさらすのである︒
したがって︑右の民話は﹁神の名前の力による奇跡﹂という︑ユダヤ民衆の信仰心を反映した物語といえる︒そ
して︑こうした奇跡譚そのものが︑同時代のキリスト教文化からの影響︑およびそれへの対抗としての性格をそな
えている︒この論点にかかわるものとして︑ドイツ・ライン地方の血の中傷を事例とするイスラエル・J・ユヴァルの考察を取り上げたい︒ユヴァルは︑同地方における中傷の広がりと︑一〇九六年の第一回十字軍による大規模
なユダヤ人迫害から生み出された数々の物語との関連性に注目する 4︒キリスト教への改宗よりもユダヤ教徒として
の死を選ぶアシュケナズィのユダヤ人たちの殉教精神は︑キリスト教徒の文書にも記された︒そしてそれは︑殉教を選んだユダヤ人が自分の子供すら殺したことへの強烈な非難だけでなく︑子殺しがおこなわれた川の水で目を洗 ったキリスト教徒の 0000000盲人の女性の目が見えるようになったというような奇跡譚をも含むものであった︒ユヴァルに
よれば︑このような物語の存在がキリスト教社会において︑﹁儀式において子供を殺すユダヤ人﹂というイメージを生み出し︑血の中傷が広く浸透する要因となった︒だとすれば︑ドン・シュロモの奇跡譚は︑まさにそうしたキ
リスト教世界の反ユダヤ的物語に対抗する︑ユダヤ人のための物語であるといえよう︒
一 ユダヤ教文化における対抗物語の伝統 キリスト教世界に対するユダヤ教の対抗物語は長い伝統を持つ︒ラビ・ユダヤ教の教典であるバビロニア・タル
ムードにはいくつかのイエス伝承がみられるが︑ペーター・シェーファーはこれらを﹁福音書におけるイエスの生
涯と死の物語に正対する物語︑注意深く考慮された極めて洗練された対抗物語 5﹂と説明する︒バビロニアのユダヤ賢者によるイエス描写は︑新約聖書のイエス物語を題材に︑処女懐胎やイエスの神性およびメシア性をパロディ化
する手法をその特徴とする︒それは︑イエスについてのキリスト教の教義を批判するためだけでなく︑ユダヤ法で
死罪に相当する﹁偶像崇拝者﹂としてのイエスが処刑されることは正当であったと主張するためでもあった 6︒ 中世になると︑より緻密な福音書解釈にもとづくイエス批判もみられるようになる︒その一例がヤコブ・ベン・
ルーベンの﹃主の戦い﹄︵一一七〇年頃︶である︒ヤコブは新約聖書ラテン語訳︵ウルガータ︶のマタイ福音書をヘ
ブライ語に逐語訳したうえで︑山上の垂訓における﹁あなた方を憎む者たちを愛しなさい﹂︵マタ五 7
44︶というイエ
スの教えを検証する︒そして︑この教えは旧約聖書の隣人愛の規定︵レビ十九
18︶にまったく書かれていないことを 指摘し︑イエスはモーセの律法の完成者を自称しながら︑律法に存在しない教えを勝手に加えていると批判する 8︒ また︑近代のユダヤ教科学︵ヴィッセンシャフト・デス・ユーデントゥムス︶におけるヒエロニュムス研究につ
いての加藤哲平の指摘も興味深い︒十九世紀のユダヤ人学者たちは︑ウルガータを完成させたヒエロニュムスが同
時代のユダヤ人から深い知的影響を受けていたことを実証することで︑﹁キリスト教がいかにユダヤ教の影響下にあるものかを示 9﹂そうとした︒そして︑キリスト教文書を使って古典教父随一の偉人の権威を掘り崩す︵とキリス
ト教徒の教父学者たちの目に映る︶彼らの手法を︑加藤は﹁カウンター・ヒストリー﹂と特徴づけている︒
これらの事例に共通するのは︑新約聖書やウルガータといったキリスト教文学を題材に︑キリスト教世界で語ら
れる物語や歴史とは大きく異なる物語を構築することである︒それは︑イエスやヒエロニュムスへのキリスト教的な価値づけを逆転させる意図を具現化することである︒本論文はこうした対抗物語の伝統を中世ユダヤ教文学から
考察するものだが︑上記の三つの事例にはない視点も含む︒それは︑タルムードや中世の聖書解釈︑ユダヤ教科学
といった知識人たちの言説ではなく︑民間伝承に注目することである︒
そこでまず︑民間伝承と歴史意識について︑近年のユダヤ研究において示された論点をごく簡潔に整理し︑本論
文で取り組む課題を明確にしておきたい︒ユダヤ教文学では︑十六世紀にいたるまで本格的な歴史書がほとんど現
れず︑歴史を﹁記述する﹂ことへの関心が低かったと言われる︒これを指摘したヨセフ・H・イェルシャルミやアモス・フンケンシュタインは︑歴史記述ではなく︑ユダヤ教の儀礼や聖書朗読を通じて過去を想起し︑意味づける
仕方で︑ユダヤ人が歴史意識を形成してきたと主張する A︒また︑ユダヤ教の民間伝承研究の第一人者であるエリ・
ヤスィフも︑あらゆる階層の人々のあいだで口承によって伝えられるさまざまな伝承が︑ユダヤ人共同体の歴史意識を形成したと主張する B︒ユダヤ世界の偉人や重要な出来事についての伝説に史実の核心を想定するのではなく︑
むしろその伝説を語り伝える人々のあいだで共有される歴史意識に注目すべきだというのである︒
ただ︑ヤスィフは中世のユダヤ伝承を事例とする考察で︑それらの伝承が持つ︑キリスト教の聖人伝への対抗性を指摘する一方 C︑キリスト教世界の歴史への対抗性については必ずしも明確に論じていない︒そこで︑本論文で
は︑中世ユダヤ教民間伝承における﹁対抗歴史﹂を考察の課題とする︒中世のユダヤ民話には︑キリスト教文学で
描かれる人物や自分たちが体験した出来事を想像力豊かに語りなおすことを通じて︑キリスト教世界で語られる歴
史とは大きく異なる︑自分たちの﹁歴史﹂を創出する営みがみられる︒そして︑右の先行研究の論点をふまえるな
ら︑自分たちのために過去を意味づけるそうした物語行為が︑ユダヤ民衆の歴史意識を形づくっていたと考えるこ
とができる︒以下では︑中世のユダヤ人社会が直面したある深刻な問題││改宗││を事例として︑改宗をめぐる
いくつかの興味深いユダヤ民話を取り上げ︑考察を進める︒
二
﹃
トルドート・
イェシュ﹄
││ ユダヤ版イエス伝 ││ 中世ユダヤ教世界で最も広く知られたイエス物語に﹃トルドート・イェシュ﹄︵﹁イエスの生涯﹂︶がある︒成立の年代︵三〜五世紀︶や地域︵パレスチナかバビロニアか︶については諸説あるが︑このユダヤ版イエス伝はユダヤ民衆の﹁迷信﹂としてリヨンの大司教アゴバルドゥス︵九世紀︶が言及して以来︑キリスト教徒の論争家や神学
者たちのあいだでもしばしば注目を集めた︒﹃トルドート・イェシュ﹄には︑イエスがパンデラというローマ兵士
と母マリアとの不義によって生まれた私生児であったとか︑イエスは当時のユダヤ教指導者に反抗的な魔術師であ
ったといった︑タルムードで描かれる反福音書的性格の顕著なイエス像が取り込まれている︒その一方で︑タルムードにはない独自の新要素も加えられている︒
﹃トルドート・イェシュ﹄における福音書の転覆的な読みとパロディ化は︑たとえばイエスの復活の﹁真相﹂に 見ることができる D︒磔刑に処せられ︑息絶えたイエスの遺体は︑﹁死体を木に吊るしたままにしてはならない﹂︵申
二一
23︶という律法の規定にしたがって︑つまりユダヤ法の正当な手続きによって埋められる︒すると︑ただちに
イエスの信奉者たちが彼を裁いたユダヤ賢者たちのもとにやってきて︑墓を開けろと要求する︒そして︑驚くべき
︵?︶事態が明るみに出る︒確かに埋めたはずのイエスの遺体が消えていたのである︒当時︑エルサレムはある女王
が支配していたが︑彼女は事態を聞きつけるとユダヤ賢者を呼び出し︑イエスの遺体を発見できなければメシア殺しの罪でユダヤ人たちを皆殺しにすると脅す︒賢者は懸命に遺体を捜すが︑どうしても見つけることができない︒
ユダヤ人たちはイエスの信奉者たちに襲われることを怖れ︑各地を転々とする︒そして︑女王が捜索のために設け
た期間の終わりが来てしまう︒自分たちが皆殺しにされると確信し︑途方に暮れた賢者は野に出て涙を流す︒するとそこに︑自宅に広い庭を持つひとりのユダヤ人がひょっこり現れる︒そして︑賢者から嘆きの理由を聞かされた
その庭の主は事も無げにこう言う︒﹁今日こそ︑イスラエルに安らぎと喜びがあらんことを︒なぜなら︑私が彼を
盗み出したのだから︒あの悪党たちが彼を連れ出さないようにするためだ︒そして︑彼らが世々にわたって口を開くことがないように﹂︵ II, p. 92︶││︒
イエスの遺体が消えた﹁真相﹂とは︑ユダヤ人の庭の主がそれを運び出したというものだったのである︒これは
福音書のイエス復活の物語のパロディであり︑同時に福音書に対する﹁悪意的な﹂解釈でもある︒なぜなら︑福音書ではイエスの弟子たちが遺体を盗み出し︑﹁イエスは復活した﹂と民衆に言いふらすことを祭司長とファリサイ
派の人々が懸念し︑総督ピラトに頼んで番兵にイエスの墓を三日間見守らせた︑と書かれているからである︵マタ
二七
62︱ はなかった︒それどころか︑イエスの信奉者たちに先回りして遺体を運び出し︑﹁復活﹂を偽装してみせるのであ 66︶︒庭の主の言葉は︑明らかにこの福音書の記述を念頭に置いたものである︒だが︑彼は墓を見張るので
る︒
また︑﹃トルドート・イェシュ﹄には︑タルムードのイエス伝承にはなかった︑中世のユダヤ民衆にとってポピ
ュラーなモチーフも含まれている︒本論文冒頭の﹁血の中傷﹂の物語に出てきた﹁ひとつの名前﹂である︒この
﹁名前﹂とは神の名前のことであり︑具体的にはヘブライ語で﹁シェム・ハ‑メフォラシュ﹂と表現される聖四文字
の神名︵テトラグラマトン︑YHWH︒日本語では﹁ヤハウェ﹂と表記される︶をさす︒中世の民衆世界では︑ユ
ダヤ教神秘主義︵カバラー︶とは︑その主流をなす神智学的な思索や秘義的な聖書解釈よりも︑神の名前を唱える方法を習得し︑それによって奇跡/魔術を起こすという秘匿的な知恵の実践としてイメージされていた E︒後で見る
カタルーニャの偉大な指導者にしてカバラー︵ただし神智学的思索や秘義的聖書解釈としてのカバラー︶の学者で
あったナフマニデスも︑それどころかアリストテレス主義哲学の完成者であるマイモニデスも︑彼らの知的言説に触れることのない民衆の目には﹁神の名前の使い手﹂として映ったのである︒
﹃トルドート・イェシュ﹄では︑イエスがこの﹁神の名前の使い手﹂として描かれる︒イエスを魔術師とする描
写はタルムードにもあるが︑その力の源泉を神の名前に見出すのは﹃トルドート・イェシュ﹄ならではの特徴であ
る︒この民間伝承の世界では︑聖なる神名はエルサレムの神殿の最奥部にある礎石に刻みつけられている︒その礎 石はヤコブが天への梯子の夢を見たときに枕にしていた石であったという F︒この石に刻まれた神の名前を﹁学ぶ﹂││具体的にはその発音を習得することを意味する││者は︑自分の望むすべてをおこなうことができる︒そのた
め︑力の悪用を恐れたユダヤ賢者たちは︑神殿の出口に結界を張ることにした︒彼らは柱に銅製の犬を吊るしてお
いた︒内部に侵入して神名を学んだ者が外に出ようとすると︑この犬が吠え︑その瞬間にその者は自分が学んだことを忘れてしまうようにしたのである︒しかし︑イエスはこの賢者たちの結界を狡猾な仕方で突破する︒イエスは
神殿に入り込んで神名を学ぶと︑その場で即座にそれを唱えてから︑自分の腿をナイフで裂き││神名の力のおか
げで︑その深い傷にも痛みを感じない││︑腿の内側に神名を記した羊皮紙をしまい込んでから再び神名を唱えて
傷を治し︑神殿の出口に向かう︒すると結界が作動し︑彼は犬に吠えられて記憶を失うが︑忘れさせられるのは神名を﹁学んだ﹂ことだけであり︑紙を体内にしまったことは忘れなかった︒そして︑帰宅後再び腿を裂き︵この
ときだけは激痛に苦しんだだろう︶︑紙を取り出してまんまとその習得に成功するのである︵ II, pp. 84‑85︶︒
﹃トルドート・イェシュ﹄では︑福音書におけるイエスの病の治癒や死者の復活は︑まさにこの神名の力によるものだと語られる︒イエスが盗み出した神名とは︑血の中傷の話における神名に他ならない︒それは本質的には神聖
で︑誰でもその超自然的な力を引き出せるが︑イエスはユダヤ賢者たちが作った結界を破ってそれを﹁悪用﹂し
た︒神の名前の魔術師としてのイエス像は︑彼がユダヤ教の規範に反抗する者︑ゆえにユダヤ教の法によって死刑に処されるにふさわしい悪人であったことを強調するものである︒そして︑そのイメージは福音書のイエス物語を
利用し︑転覆させたイエスのアナザー・ストーリーにおいて形成されるのである︒
三 エリヤフとシモン
・
ケファ││ 改宗するユダヤ賢者 ││ さて︑﹃トルドート・イェシュ﹄のいくつかの写本には︑イエスだけでなくその弟子たちの物語も収録されてい る︒その弟子とはエリヤフとシモン・ケファである G︒彼らはいったい何者なのか︒まずはそのストーリーを紹介しよう︒
エリヤフは︑﹁あの悪人﹂︵イエス︶が磔刑になってから三〇年後に現れた﹁偉大な賢者﹂︵ II, p. 93︶であ
る︒当時︑ユダヤ賢者たちはイエスをメシアと信じる人々との争いに疲弊していた︒信奉者たちは安息日を冒瀆
し︑ときにその争いは殺し合いとなるほどであった︒この状況を憂慮する賢者たちは言った︒﹁これらのさまよえる者たちをイスラエルの共同体︵クラル・イスラエル︶から追い出す賢者が現れなければならない︒今日までの三
〇年間︑我々は彼らに警告してきたが︑彼らは主のもとに戻ることはない︒彼らの心にはイエスがメシアであった
ということが入り込んでしまっている︒彼らが滅びに向かい︑我々に休息が訪れんことを﹂︵ibid., p. 93︶︒そして︑この願いを果たすべく立ち上がったのがユダヤ賢者エリヤフであった︒
エリヤフは自分がイエスの遣わした使者であると名乗り︑イエスの信奉者たちのなかに入り込んでいく︒人々が 彼にその証拠を示せと求めると︑彼はイエスと同じように人々の病気を治癒してみせる︒実はエリヤフもまた︑ただし賢者たちの同意を得て︑神聖な神の名前﹁シェム・ハ‑ メフォラシュ﹂を習得していたのである︒だが︑そう
とは知らない人々は︑﹁奇跡﹂を起こしたエリヤフがイエス││人々はイエスが神の名前を盗んだことも知らない
││の使者であると信じ込む︒こうしてまんまとイエスに代わる指導者となったエリヤフは︑イエスが彼らに﹁イ
スラエルの共同体﹂︵クラル・イスラエル︶を出ていくことを望んでいると告げる︒﹁彼ら︵ユダヤ人︶との結びつ きがあってはならない︒天にまします我が父はすでに彼らを厭っておられる﹂︵ibid., p. 94︶というイエスの言葉を伝えるのである︒エリヤフはユダヤ教の過ぎ越しの祭り︵ペサハ︶に代わって︑主の復活祭︵パスハ︶を定め︑新
しい暦と祝祭を画定し︑﹁割礼をする者は割礼をせよ︒望まぬ者は割礼をするな﹂︵ibid., p. 94︶││これは明らかに
新約聖書の一節︵一コリ七
明かされる︒ 18︶を意識したものである││と命じる︒そして︑エピソードの最後でエリヤフの正体が
ついに彼は彼らをイスラエルから切り離した︒これがエリヤフである︒彼は彼らにこれらのよからぬ掟を示し
た︒彼はイスラエルの規則のためにこれをおこなった︒キリスト教徒たちは彼をパウロと呼ぶ︒パウロが彼ら
のためにこれらの掟と命令を定めた後︑さまよえる者たちはイスラエルから分かれた︒そして︑対立は止んだのである︒︵ibid., p. 94︶
次に︑シモン・ケファの物語も見てみよう︒最初にエリヤフという正体不明のユダヤ名が表記されている前例と
は違い︑こちらは﹁シモン・ケファ﹂という名前によって彼がペトロのことであると最初から判明している︵ヨハ
一
42参照︶︒さて︑物語のなかではシモン・ケファもまた︑ユダヤ教法廷の長を務めるユダヤ賢者であった︒あると
き︑彼は仮庵の祭りを祝うためにエルサレムへ巡礼せよと神に命じられる︒だが︑その召命にしたがって巡礼した
ところ︑彼は自分を待ち構えていたキリスト教徒たちに捕らわれてしまう︒彼らはシモン・ケファの深い知恵に嫉妬していたのである︒キリスト教徒たちは彼を脅し︑﹁もしおまえが我々の教え︵ダト︶に戻らなければ︵改宗し
なければ︶︑我々はお前を殺す︒そして︑神殿に入るイスラエルの者を誰ひとり残さない﹂︵ibid., p. 95︶と迫る︒
シモン・ケファは改宗に同意する︒それは︑同胞のユダヤ人たちを守るための強制的な改宗であった︒そのさいに彼は二つの条件を提示する︒ひとつは同胞たちを殺さないこと︑もうひとつは自分のために高い塔を建てること
である︒キリスト教徒たちはそれに同意し︑迫害をやめ︑塔を建てる︒シモン・ケファは塔に入ると︑下から籠で
運ばれてくるパンと水のみを食し︑禁欲的な修道の生活に入る︒それは︑キリスト教徒たちの目には︑彼がイエスのために服喪していると映った︒そびえたつ高い塔と︑孤高な賢者としてのシモン・ケファのイメージが︑ペトロ
を初代教皇とするローマ・カトリックの伝統に対する当てつけであることは容易に想像できよう︒だが︑誰とも交
わることのない塔のなかで︑彼は密かに驚くべき行動をとっていた︒なんと︑ユダヤ教の礼拝で唱える典礼詩を書
き︑こっそりユダヤ人の長老たちに送っていたのである︒シモン・ケファの典礼詩はやがてすべてのユダヤ人共同 体に広がる︒そして︑﹁その詩によってラビ・シムオン 0000000︵シモン 000︶の名を 000記憶にとどめることを望む者はみな︑そ れを唱え祈っ﹂︵ibid., p. 95︶たのである︒彼の願いは︑自分の名前が﹁ペトロ﹂ではなく﹁ラビ・シモン﹂として︑
つまりキリスト教の教皇ではなくユダヤ教の指導者として︑キリスト教徒ではなくユダヤ人の記憶にとどめられることであった︒ユダヤ人たちは日々の祈りを通じて︑自分たちを滅亡から救うために改宗を選んだ英雄︑シモン・
ケファの名を決して忘れないのである││︒
こうしたイエスの弟子たちの物語は︑新約聖書の記述の字義的な検討は言うまでもなく︑タルムードおよび﹃トルドート・イェシュ﹄のイエス伝承/物語の基礎にある福音書の転覆的な読み込みとも違い︑そもそも新約聖書の 物語にほとんど依拠していない H︒むしろ︑聖書の登場人物の名を借りた創作としての性格が強い︒だが︑やはりそ
こにも強烈な対抗性がうかがえる︒それは新約聖書に描かれたキリスト教の正典的物語への対抗ではなく︑むしろ
キリスト教世界の歴史への対抗である︒ユダヤ教とキリスト教を切り離すことを意図したのはユダヤ人の側に他な
らず︑まさにそのことによってキリスト教徒による迫害からユダヤ人が守られるのである︒それは︑キリスト教の真理を証言する者としてキリスト教世界にユダヤ人が存在することが不可欠であるという︑中世カトリック世界の
伝統的なアウグスティヌスの教理とまったく異なるだけでなく I︑ユダヤ人の存在理由についてのキリスト教的な理
解に対する明確な対抗でもある︒
そして︑その使命を果たすために決定的な役割を担うのが改宗者である︒エリヤフ︵パウロ︶とシモン・ケファ
︵ペトロ︶は︑キリスト教徒にその目的を気づかれない仕方で彼らのもとに入り込むユダヤ教の賢者である︒ふた
りには共通の使命がある︒それは︑キリスト教への改宗という自己犠牲と引き換えに︑ユダヤ人の共同体︵クラ
ル・イスラエル︶を守ることである︒両宗教の分離は︑ユダヤ人を守るためのユダヤ教側の意志であり︑それはユダヤ賢者による密かな/強制的な改宗によって実現するのである︒そして︑この対抗的な﹁歴史﹂のシナリオの創
出には強烈な皮肉が付随する︒なぜシモン・ケファは高い塔にこもったのか︒それは︑彼がイエスの死に対する服
喪のために苦行しているとキリスト教徒たちに思い込ませ︑実際には彼らとの接触を拒絶し︑彼らから穢れを受けないようにするためであった︒また︑神の名前の力を使った魔術によって︑自分がイエスの使者であるとキリスト
教徒たちに信じ込ませることに成功したエリヤフは︑その新たな同胞にこう言う︒﹁もしユダヤ人が 00000あなた方の左 側︵左頬︶を叩いてきたら︑彼に向かって右側も差し出しなさい﹂︵ibid., p. 94︶︒もちろんこれは︑イエスの山上の垂訓︵マタ五
39︶をふまえたものだが︑そこに皮肉を込めた修正がこっそり加えられている︒主語が﹁ユダヤ人﹂
になっているのである︒
四 中世ユダヤ教の聖人伝
││ ナフマニデスの奇跡 ││ このイエスの弟子たちの物語は︑間違いなく﹁改宗﹂をそのテーマとするものである︒キリスト教への改宗は︑
中世キリスト教世界を生きるユダヤ人たちが直面した深刻な現実であった︒これらの物語は︑その改宗に﹁ユダヤ人共同体を救うための犠牲行為﹂という新たな意味づけをする意図を含むのではないか︒そしてそこでは︑隠され
た使命を持つ改宗者がユダヤ教とキリスト教の分離を実現したという︑キリスト教世界の歴史に対抗するもうひと
つの﹁歴史﹂が語られているのではないか︒
改宗をめぐるこうした歴史的な対抗物語については︑中世ユダヤ教世界の聖人伝にも興味深い事例を見ることができる︒ユダヤ教世界では︑十六世紀にユダヤ民族の歴史を描いた歴史書が相次いで出現し︑このとき初めて﹁真 の歴史記述としてためらうことなく認めることのできるひとつの文化現象﹂︵イェルシャルミ︶が現れた J︒そして︑
こうした歴史書には著者自身が見聞きした中世の偉人についての民話もしばしば収録された︒十三世紀のアラゴン・カタルーニャのラビ︑ナフマニデスの奇跡譚もそのひとつである︒ナフマニデスはユダヤ教の多様な知的潮流
を総合的に学習し︑またカバラーの師としての隠された一面も持ち︑加えてキリスト教徒との公開討論会でも活躍
した︑キリスト教圏のイベリア半島において最も影響力のあったユダヤ人指導者であった K︒そして︑彼について後代のユダヤ民衆が語る民話では︑しばしばその歴史的な人物像から大きく逸脱する仕方で︑奇跡をおこなう聖人と
してのナフマニデス像が描かれたのである︒
十六世紀のイタリアのラビ︑ゲダルヤ・イブン・ヤフヤによる歴史書﹃シャルシェレト・ハ‑カバラー﹄には︑
ナフマニデスについてのいくつかの短い民話が収録されている︒たとえば︑一二六七年にナフマニデスは故郷カタ ルーニャを離れ︑イスラエルの地︵パレスチナ︶へ移住したことで知られているが︑イブン・ヤフヤはそのときの様子を描いた民話を古い小冊子で見つけたという︵, p. 128︶︒ナフマニデスは当時︑すでに七〇歳を過ぎており︑
聖地でその生涯を終えるつもりであった︒そのため︑これが最後の別れとなることを悟っていた弟子たちは︑ある
ことを師に求める︒彼がイスラエルの地でこの世を去るとき︑それが遠く離れたカタルーニャでもわかるようにしてほしいと懇願したのである︒ナフマニデスは必ずそのしるしを見せると約束し︑聖地へと去る︒それから三年の
月日が流れたある日︑カタルーニャで彼の母親が眠る墓石に深い亀裂が走り︑地中に神殿の燭台︵メノラー︶が描
かれているのを弟子が発見する︒それは︑まさに師が弟子たちに予告したとおりの奇跡であった︒そして︑カタル
ーニャのすべての人々が彼のために喪に服した││︒
また︑次の民話も興味深い︵ibid., pp. 127‑128︶︒バルセロナの海岸を歩いていたナフマニデスは︑陸で組み立てた
船を海に運ぶのに難儀する職人たちに出くわして︑﹁かの唇の風︵イザ十一4︶がそれを海へ導かんことを﹂と高慢
な様子で呟く︒ところが︑口は禍の元というべきか︑その一部始終を見ていた町人が国王に密告する︒ナフマニデスは国王の前に呼び出され︑海岸で呟いたことを実践してみせよと命じられる︒逃げ場はないと確信した彼は︑そ
こで小舟と水夫を用意させる︒そして︑舟を海に浮かべ︑﹁道を飛ばす名前﹂︵シェム・クフィツァト・ハ‑デレフ︶
という神の名前を紙に書いて︑舟の先端に置く︒すると︑舟があっという間にバルセロナから遠く離れた場所に移動したのである︒水夫は舟のなかで眠っていたが︑目を覚ますと自分が見たこともない場所に連れてこられたと察
知し︑もう二度と帰ることはできないと落胆する︒水夫にすがりつかれたナフマニデスは︵伝承でははっきりしな
いが︑彼も舟に同乗していたようである︶︑もう一度神の名前を紙に書いてやると答える︒ただし︑今度は起きていて︑バルセロナの港に着いたら紙を海に捨てなさいと水夫に念を押す︒ところが︑彼が神の名前を書いた紙を再
び舟の先に置くと︑だらしのない水夫はまたも眠りこけてしまう︒凄まじい速度でバルセロナに戻ってきた舟は海
岸で止まらず︑そのまま街のなかを突き進んでしまう︒そして︑人々の悲鳴で慌てて起きた水夫が紙を破ると︑ようやく舟は街の中心で止まる︒この奇跡を目撃した人々は︑﹁この日を記念し︑その場所に塔を建てた﹂︵ibid., p. 128︶のであった││︒
この舟の瞬間移動の民話で描かれるナフマニデスは神の名前の使い手である︒すでに述べたが︑この人物像は︑ 歴史上のカバラー学者としてのナフマニデス︑つまり主著﹃トーラー註解﹄における神的世界と戒律の隠された意
味についての探究者としてのナフマニデスとはまったく異なる︒むしろ︑中世の偉人たちは神に祝福された奇跡の
力の持ち主である││哲学者マイモニデスもそうした神の名前のカバラーの師である││という民衆的イメージを
その源泉とする︒そして︑十六世紀のクレタ島出身のラビ︑エリヤフ・カプサリの歴史書﹃セデル・エリヤフ・ズータ﹄には︑その神の名前の使い手であるナフマニデスが︑どのようにしてその秘匿的知恵を学んだかを語った伝
承がある︵, pp. 166‑1 L69︶︒ 伝承によれば︑ナフマニデスの学識は当時広く知れ渡っていたが︑哲学を好む彼は神の名前の知恵を拒絶していた︒そしてそこに︑なんとしても彼にこの知恵を伝授したいと望むアシュケナズィ︵ドイツ・ライン地方︶のユダ
ヤ人長老がやってくる M︒長老は素性を隠して︑ナフマニデスが裁判官を務めるユダヤ教法廷を訪れ︑その豊かな知
恵に感銘を受ける︒そして︑彼の注意を引くために異教徒の娼館を訪れる︒当時の法律では売春は死刑とされてお
り︑長老はあえなく捕まり︑安息日の礼拝の時間に火あぶりにするという判決が下される︒処刑執行の前日︑ナフ
マニデスは牢獄の長老のもとを訪れ︑自分が国王に執りなしてやるから︑罪を告白して悔い改めなさいと忠告する︒しかし︑長老は何食わぬ顔で︑安息日になったらあなたの家に行くから︑私の分の食事も用意しておいてくれ
と頼む︒あきれ果てたナフマニデスは︑長老の頭がおかしくなってしまったと嘆き︑弟子たちに怒りをぶちまけ
る︒
だが︑すべては長老の計画どおりであった︒翌日︑彼は脱獄に成功する︒それは﹁カバラーの賢者たちの方法に よる聖なる神名﹂︵ibid., p. 167︶によるものであった︒その神名の業により︑彼は牢獄の看守長を眠らせて︑まんま
と逃げだしたのである︒王は激怒し︑身の潔白を主張する看守長に耳を貸さず︑彼を拷問する︒自分のせいで拷問
を受ける看守長を哀れに思った長老は︑今度は彼を救うべく︑再び﹁カバラーの知恵による業﹂︵ibid., p. 167︶をおこなう︒すると︑街中に突如激しい火の手が上がった︒人々が混乱に陥るなか︑長老はナフマニデスを呼びつけ︑
王への謁見を取り次がせる︒ナフマニデスの仲介でふたりは面会し︑火を消してほしいという王の懇願を聞き入れ
た長老は﹁名前によるおこない﹂︵ibid., p. 167︶をし︑何事もなかったかのように火事を消してみせる︒すべてが終わった後︑ふたりのユダヤ人は安息日の食事を楽しみ︑長老はカバラーの秘密が書かれた書物をナフマニデスに見 せる︒そして︑自分のすべての行動は﹁カバラーの力をあなたに示すためだった﹂︵ibid., p. 168︶と真相を告白する︒ ナフマニデスは長老がおこなった神の名前の奇跡を目撃し︑その知恵を学んで賢き者となる︒そして﹁トーラーについての優れた註解を書き︑そのなかにカバラーの知恵にかんするあらゆる果実をつけた樹を植えた﹂︵ibid., p. 169︶︑すなわちカバラー││ただし実際には︑神の名前の実践としてのカバラーではなく︑神の世界についての聖
書解釈としてのカバラーだが││を主題のひとつとする﹃トーラー註解﹄を完成させた││︒ カプサリ版の上記のナフマニデス伝承を分析したラム・ベン‑ シャロームは︑そこにナフマニデスと国王の親密 な関係性が強調されていると主張する N︒カプサリにその伝承を語ったのは︑一四九二年のスペインからの追放によ
って故郷を追われたイベリア半島出身のユダヤ人たちであった︒彼らは︑かつてのスペインではユダヤ人とキリスト教徒の共生︵コンビベンシア︶が実現していたという歴史意識を持っており︑伝承において描かれるラビ・ナフ
マニデスと国王の良好な関係はそれを象徴するとベン‑シャロームは指摘する︒ 実際︑ここに挙げたナフマニデスの物語内の世界は︑どこかのどかで︑平和的な雰囲気に包まれている︒舟の瞬 間移動にせよ︑長老が起こした火事にせよ︑街はユダヤ人の魔術的行為によって甚大な被害を受けているが︑その
せいでキリスト教徒が同じ街に住むユダヤ人を迫害する様子はまったくない︒それどころか︑舟の伝承では街を壊
して進む舟が止まったところに記念の塔すら建てているのである︒その点では︑ベン‑シャロームが言うとおり︑
伝承の取り巻く記憶の世界そのものが︑﹁共生﹂と呼ぶにふさわしい両信徒の友好的な関係性を表していることに異論はない︒
しかし︑こうした共生社会の歴史意識の根底にも︑実はキリスト教世界への対抗的な意識が垣間見える︑という
のが私の見解である︒それを示すのが︑カプサリ版における以下の記述である︒長老が街の火事を消し︑それを見た王が彼を祝福する︒そして︑次の記述が続く︒
それから王は看守長を解放し︑彼を釈放した︒彼の手による裏切りではなかったことが︑彼の目に明らかとな
ったからである︒なぜなら︑そのユダヤ人が彼の手の力によって︑起こったことをおこなったのであり︑主が
このすべてを働かせたからである︒これらのことはスファラドの地の異教徒たちに伝わり 000000000000000000000000︑彼らはイスラエル 00000000
の神 00︑主を信仰するようになった 000000000000︒彼らは主への奉仕を隠れておこない 0000000000000000︑表立ってすることはなかった 0000000000000︒それからスファラドではパリサイ人が増え︑彼らはますます増えていった︒︵ibid., p. 168︶
この物語では︑ユダヤ人の長老による神の名前の奇跡が人々を改宗させる︒ここで注目すべきは︑誰が改宗したの
かである︒それは奇跡を目撃した﹁異教徒﹂︑すなわちキリスト教徒であり︑彼らがユダヤ教︵﹁パリサイ人﹂︶に改宗したのである︒だが︑彼らはその改宗を公言しない︒彼らは新たな宗教の実践を隠れておこなう︒つまり︑
﹁隠れユダヤ教徒﹂となったのである︒ただし︑それはキリスト教に改宗したユダヤ人が︑改宗後も密かにユダヤ
教を実践するという意味ではない︒改宗はキリスト教徒によるユダヤ教への改宗 00000000000000000なのである︒ もちろん︑そのような改宗が実際に起きたという報告はなく︑スペインを含む中世キリスト教世界では︑キリスト教徒によるユダヤ教への改宗は法律で禁止されていた O︒では︑この改宗物語はいったい何を示唆しているのか︒
私の考えでは︑これは十四世紀末以降︑スペインのユダヤ人社会を揺るがした強制改宗の問題と結びついている︒
スペインでは一三九一年にセビリアから大規模なユダヤ人迫害が勃発し︑この迫害と前後するように︑多くのユダヤ人がキリスト教に強制的に改宗させられた P︒歴史的には十三世紀のナフマニデスの時代からだいぶ後になるが︑
民間伝承ではこうした跳躍はごく一般的である︒実際︑イブン・ヤフヤの作品には︑ナフマニデスの架空の弟子と
して︑キリスト教に改宗する﹁アブネル﹂という弟子が登場する民話があるが︑そのモデルは十四世紀前半の改宗ユダヤ人︑ブルゴスのアブネルである︵, p. 128︶︒そして︑アブネルの著作は︑その後スペインでユダヤ人の強制 改宗が起こるとき︑ユダヤ人の論争家たちが最も強い懸念を示したもののひとつであった Q︒ナフマニデス当時の共
生社会についての民衆の記憶は︑その後の強制改宗の出来事と結びつき︑混ざり合っているのである︒ 同じことは︑カプサリ版のユダヤ長老の伝承にもいえる︒つまり右の引用は︑ナフマニデスの時代からは隔たっ
た︑後のユダヤ人の強制改宗の記憶を同時にそこに存在させているのではないかということである︒ただし︑この
伝承ではその主体が歴史的現実のそれとは対照的である︒つまり︑改宗したのはユダヤ人ではなく︑キリスト教徒なのである︒スペインの改宗ユダヤ人︵コンベルソ︶は︑﹁マラーノ︵豚︶﹂という言葉で蔑まれ︑キリスト教への
改宗後も密かにユダヤ教を実践し続けているという猜疑の目をキリスト教社会から向けられた︒このナフマニデス
の民話は︑そうした歴史的現実の大胆な語りなおしに他ならない︒その新しい﹁歴史﹂においては︑改宗し︑密か
にユダヤ教を実践しているのはユダヤ人ではなく︑ユダヤ教の神の名前のカバラーの奇跡を目の当たりにしたキリ
スト教徒なのである︒
ナフマニデスの民話は確かに彼自身の偉大さと︑アラゴン・カタルーニャにおける国王と彼との親密さを称え︑
そこに当時の﹁スファラドの地﹂におけるユダヤ人とキリスト教徒の良き共生の記憶をうかがわせるものである︒だが︑民間伝承に特有の︑ある種の自由な時間的跳躍により︑十四世紀後半から追放までのおよそ一〇〇年にわた
る︑スペイン・ユダヤ人社会の直面する深刻な問題への意識も同居している︒その問題とは︑ナフマニデスの時代
にはまだなかった︑キリスト教への強制改宗である︒そして︑この民衆的な物語においては︑コンベルソの逆転的な描写によって︑もうひとつの﹁歴史﹂が語られているのである︒
五 結論 タルムードには︑福音書のイエス物語を題材とし︑その読みかえによってイエス・キリストの価値を転覆するラ
ビたちの対抗物語が残されている︒そうしたラビ・ユダヤ教形成期の知的言説におけるキリスト教への対抗物語
は︑中世において民衆世界にも広く浸透していき︑﹁神の名前﹂という新たなモチーフを加えたユダヤ版イエス伝
﹃トルドート・イェシュ﹄を生み出した︒その意味で︑﹃トルドート・イェシュ﹄もまた︑福音書というキリスト教
の正典的物語に対する強烈な対抗的性格をそなえている︒
だが︑中世ユダヤ教世界における対抗物語は︑キリスト教のいわば聖なる物語に対峙するものにとどまらなかっ
た︒それはキリスト教世界の歴史︑なかでもユダヤ教とキリスト教の接触のひとつである﹁改宗﹂という歴史的現実に対する︑大胆な語りなおしの試みを含んでいる︒キリスト教の形成期において︑ユダヤ教からの分離が進むと
いう歴史は︑むしろそれがユダヤ教側からの働きかけであったと語りなおされる︒そして︑その使命を密かに抱
き︑キリスト教徒の共同体に入っていくべく︑ユダヤ人の賢者であるエリヤフとシモン・ケファが改宗するのである︒また︑中世における改宗の問題にも新たな物語が与えられる︒ナフマニデスの伝承にみられる神の名前のカバ
ラーの奇跡の物語では︑改宗し︑隠れてユダヤ教を実践する人々が描かれる︒ただし︑それはユダヤ人ではなく︑
キリスト教徒なのである︒
改宗をめぐるキリスト教への対抗的な言説は︑それを語るユダヤ民衆が︑ユダヤ教を離れた改宗者たちとのあい
だになおも絆があることを意識していることをうかがわせる︒改宗者たちは﹁クラル・イスラエル﹂と呼ばれるユ
ダヤ教の宗教共同体を離れてしまったかもしれない︒だが︑そうであってもユダヤ人を守るという使命が彼らにはあり︑典礼詩において﹁ラビ・シモン﹂の名が記憶されることを望んだシモン・ケファのように︑改宗者の物語を
創出することで彼らを忘れまいとする願いが込められている︒こうしたユダヤ教の対抗物語はユダヤ人によって語
られ︑そしてユダヤ人が聞くものである︒ペトロやパウロの密かな使命や︑隠れてユダヤ教を実践するキリスト教徒たちの姿は︑ユダヤ人が面白おかしくキリスト教徒に向かって語り︑彼らを攻撃し︑侮蔑することを意図して描
かれたものではない︒その皮肉めいた笑いの要素も含めて︑これらはユダヤ人のなかで語り継がれるものである︒
改宗の歴史に対抗する中世ユダヤ教世界の民間伝承は︑その深刻な現実を自分たちのために意味づけなおそうとす
るユダヤ民衆の願いと心性をあらわすものといえるのである︒
略号 II Toledot Yeshu: , eds. by M. Meerson and P. Schäfer, 2 vols. (Tübingen: Mohr Siebeck, 2014), . Gedalyah ibn Yahya (Gedaliah ibn Yahia), (Jerusalem: Ha-Dorot ha-Rishonim ve-Qorotam, 1962, in Hebrew). Eliyahu Capsali, (Jerusalem: Ben Zvi Institute, 1976, in Hebrew).
注︵
ty Press, 1999), pp. 299‑301. Eli Yassif, tr. by J. S. Teitelbaum, (Bloomington: Indiana Universi-参照︒ Shlomo ibn Verga, ed. by Y. Baer, (Jerusalem: Mossad Bialik, 1947), p. 126 (in Hebrew).1︶以下も
︵
︵ 大学出版局︑二〇一〇年︑八五︱一〇五頁︒ 2︶最初の明確な事例はイギリスのノリッジ︵一一四四年︶である︒以下を参照︒渡会好一﹃ヨーロッパの覇権とユダヤ人﹄法政
︵ ヤ人一四九二年の追放とその後﹄平凡社︑一九九五年︶︑七二︱七三頁︒ 3︶アンガス・マッケイ﹁中世スペインのユダヤ人﹂︵エリー・ケドゥリー編︑関哲行・立石博高・宮前安子訳﹃スペインのユダ
︵ 203 (in Hebrew). Israel J. Yuval, “” (Tel Aviv: Am Oved, 2000), pp. 178‑4︶
︵ 5︶ペーター・シェーファー︵上村静・三浦望訳︶﹃タルムードの中のイエス﹄岩波書店︑二〇一〇年︑一二頁︒
︵ (Princeton: Princeton University Press, 1994), pp. 141‑144, 176. Mark R. Cohen, 側からの両宗教に対する見解の相違が︑宗教論争の多寡と関係しているという指摘もある︒ 方︑イスラームは﹁偶像崇拝﹂とはみなされず︑ユダヤ教と同じ一神教としてのとらえ方が一般的であった︒こうしたユダヤ教 6︶キリスト教を﹁偶像崇拝﹂︵アヴォダー・ザラー︶にカテゴライズする宗教観は︑その後中世ユダヤ教世界で定着していく︒一
︵ 7︶文中の聖書の書名の略語はすべて﹃聖書新共同訳﹄に準拠する︒章は漢数字︑節はアラビア数字で表記する︒
︵ Jacob ben Reuben, ed. by J. Rosenthal, (Jerusalem: Mossad Harav Kook, 1963), p. 146 (in Hebrew).8︶
︵ 二号︑二〇一二年︶︑五二頁︒ 9︶加藤哲平﹁カウンター・ヒストリーとしての教父研究││ヒエロニュムスと十九世紀のユダヤ教科学﹂︵﹃京都ユダヤ思想﹄第
︵ Amos Funkenstein, (Berkely: University of California Press, 1993), pp. 10‑11.七九︱九五頁︒ 10 ︶ヨセフ・ハイーム・イェルシャルミ︵木村光二訳︶﹃ユダヤ人の記憶ユダヤ人の歴史﹄晶文社︑一九九六年︑五七︱五八頁︑
︵ 11 Yassif, , p. 298.︶
︵ 12 Ibid., p. 326.︶
︵ ), eds. by P. Schäfer (Tübingen: Mohr Siebeck, 2011), pp. 50‑53. William Horbury, “The Strasbourg Text of the ,” in Toledot Yeshu (イ派によって書かれた︒ り︑ユダヤ教文学を研究した中世キリスト教の論争家たちが参照したのもこれである︒同写本は十八世紀に東欧でユダヤ教カラ II, pp. 82‑95使用する︵︶︒ストラスブール写本三九七四は中世西欧キリスト教世界で広まった代表的なバージョンであ 13 ︶﹃トルドート・イェシュ﹄にはさまざまなバージョンがあるが︑以下では原則としてストラスブール写本三九七四の校訂版を 14 Yassif, , pp. 321‑342.︶