法然における善禅への信仰と五祖相承説は︑門弟にとっては当然の祖師観であり相承観であるとみられており︑本
地を背景とする化身信仰において法然は捉えられていたと言える︒法然滅後︑法然弥陀・勢至化身観というものが専
修念仏教団の間で形成されていったのである︒しかし︑親壼においては︑そのような祖師観︑相承観という視点とは
別の見方としての法然信仰というものが窺えるのである︒従来︑諸氏において親鸞における法然信仰の原理を論理的
( 1 )
に捉えようとする見方がみられるわけであるが︑そのような論理では説明されえない祖師信仰を親鸞のうえにみるの
である︒現代においても御開山信仰として真宗門徒の中に生きているのは︑このような祖師侶仰であると言えよう︒
それは︑真宗教義や宗学に関わるところには現われていないものである︒中村元博士が﹃日本人の思惟方法﹄の中で︑
( 2 )
日本人の特定個人に対する絶対帰依の姿勢について詳述しているように︑このような祖師信仰とは純粋な教学として
は取り扱われない日本的思惟形態であると見倣すことがでぎるのである︒
は じ め に
真宗における祖師侶仰の展開
真宗における祖師信仰の展開
龍谷大学部〖
倉
ロ日 一
四
紀
いたと理解できるであろう︒ り ﹂
聖人︑月輪殿に参上︑退出の時︑地より上高く蓮花を踏みて歩みたまふ︒頭光赫突たり︒
と記
され
︑
いくつかの事跡を通して権化の人として法然を表すことによって直人ではない法然像を描いているのであ
る︒また︑最後のところに園城寺公胤の夢告を記した後︑﹁弥陀勢至動かして済度の使と為たまへり︑善尊聖人を遣
わして順縁の機を整へたまへり︒﹂︵真聖全四・ニハニー一六一二頁︶と記し︑弥陀及び善導の遣いとして法然が位置付けら
れており︑その後に﹁末代悪世の衆生︑弥陀称名の一行に依て︑悉く往生の素懐を遂げむ︑源空上人伝説興行の故な
︵真聖全四・一六三頁︶と記されていることより考えて︑﹁源空上人私日記﹂の作者の主観的な見方における法然
讃嘆としての祖師信仰というものがみられるのである︒これらの表現より窺えば︑素直に直人ではない法然を認めて
真宗における祖師信仰の展開 の中には例えば まず︑祖師信仰といえるものが窺えるものとして︑ て考察していきたい︒ 従来から︑教義には明確に現われていない民俗的信仰に関わるところは︑る︒そこで今回は︑今まで理解されている祖師観とは異なる視点において祖師信仰を問題にしていこうと考えるものである︒故に︑ここで問題とする祖師信仰とは︑民俗信仰的意味合を持つ祖師信仰のことである︒真宗教学を明らかにするためにも︑このような祖師信仰について解明する必要があると考えるのである︒この祖師信仰が︑真宗においてどのように展開していったかについて考察することにより︑祖師が如何に庶民信仰の対象となっていったかについ
親鸞における祖師信仰
﹃西
方指
南抄
﹄
一五
︵真
聖全
四・
一六
一頁
︶
﹁源空上人私日記﹂を挙げることができる︒こ ほとんど問題にされてこなかったと言え
阿弥陀如来化してこそ べからずさふらう︒ と記しており︑法然を釈尊と同格とみているのであるが︑やはりこれも﹁私日記﹂にみられるほど明確に祖師信仰が
法然門下の中で︑特に徹底した法然信仰がみられるのが親鸞である︒まず︑
き二年壬申寅月の下旬第五日午のときに入滅したまふ︒奇瑞称計すべからず︒﹂
また︑その後に﹃選択集﹄の書写や真影の図画が許された自らが入滅するときに奇瑞が多く見られたと述べている︒
の体験を語り︑それは往生が決定した徴であるとして﹃選択集﹄に示される念仏往生への確信を述べるのである︒念
仏往生についてのことが論理を抜きにして︑法然を通して語られているのである︒また﹃歎異抄﹄一一条には
ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと︑よきひとのおほせをかふむりて信ずるほかに︑親鸞におきては︑
別の子細なきなり︒⁝・:たとひ︑法然上人にすかされまひらせて︑念仏して地獄におちたりとも︑さらに後悔す
︵真
聖全
ニ・
七七
四頁
︶
と述べ︑法然への伯仰と受け取れるものである︒
特に祖師信仰が明確に表されているのが﹃高僧和讃﹄である︒ 現われているものとは言えない︒
奉る
突︒
学的立場とは別に 真宗における祖師信仰の展開
﹁源空讃﹂には ﹁化巻﹂後序には﹁同じ ところで︑法然門下においては善導信仰がやがて法然信仰へと集約されていったことは確かなことであるが︑
空上人私日記﹂にみられるような祖師信仰はほとんどみられない︒その中で弁長は﹃末代念仏授手印﹄において︑教
吾朝において善禅の御義を勘出したまへるはただこれ法然上人なり︒弟子弁阿添も上人の御義をば御在生の時こ
の一宗の始末において具さにこれを聞くこと幾度ぞ乎︑初て弟子弁阿が為には法然上人をもって大師釈尊と仰ぎ
︵浄
土宗
全書
十・
十頁
︶
﹃教
行信
証﹄
︵真
聖全
ニ・
二頁︶と記され︑法然ニ0 一
六
﹁ 源
命終その期ちかづきて 本師源空のおはりには 金色の光明はなたしむ あるひは善導としめしけり 本師源空の本地をば 浄土にかへりたまひにき 化縁すでにつきぬれば 本師源空としめしけれ世俗のひとびとあひったヘ綽和尚と称せしめ
と記し︑法然が阿弥陀如来の化身であり︑道綽︑善導の化身であると捉えている︒
源空存在せしときに
禅定博陸まのあたり
拝見せしめたまひけり
光明紫雲のごとくなり
音楽哀婉雅亮にて
異香みぎりに瑛芳す
︵真 聖全 ニ・ 五一 四頁
︶
︵真 聖全 ニ・ 五︱
︱︱ 一頁
︶
︵真 聖全 ニ・ 五一 三頁
︶
︵真 聖全 ニ・ 五一 四頁
︶
真宗における祖師信仰の展開
また
一七
と記されていることにより考えれば︑親鸞が法然にまつわる奇瑞を信じ︑法然の優れた法験を認めていたと言えよう︒
更に
真宗における祖師信仰の展開
往生みたびになりぬるに
このたびことにとげやすし
霊山会上にありしとき
︵真
聖全
ニ・
五一
四頁
︶
︵真
聖全
ニ・
五一
四頁
︶
と述べ︑伝説を受け入れていることがわかる︒これらは﹁源空上人私日記﹂にみられる話を受容してのものであり︑
教義に現われてこない徹底した法然讃嘆としての祖師信仰をみることができるのである︒このような親鸞の法然の捉
え方は︑惑性の立場にたってのものと言えよう︒
覚如・存覚の祖師観
次に︑祖師信仰がその後どのように展開していったかを︑覚如︑存覚の上に窺っていきたい︒まず︑覚如において
は﹃拾遺古徳伝﹄において祖師観がみられる︒これには︑法然が類漿した祖師として曇鸞︑道綽︑善導︑懐感︑少康
表現がいくつかみられるが︑これは﹃選択集﹄や﹃西方指南抄﹄の文を承けてのものであろう︒
﹃同伝﹄に また法然については
その形容にむかへば源空上人智慧高妙なり︒その述義をきけば弥陀如来応現したまふかとおぼゆ︒︵真聖全三・七 の五祖が挙げられている︒その中で善導については﹁和尚はまさしく弥陀の化身なり﹂
︵真
聖全
三・
七︱
︱一
五頁
︶と
いう
頭陀を行じて化度せしむ 声聞僧にまじはりて 源空みづからのたまはく 本師源空のたまはく
一八
と示されているのである︒これらの見方というのは︑他人の夢を通して覚如自身の祖師観を明かすものであるが︑夢
を介するということによって第三者的立場において祖師を捉え︑他人がみたということによって客観性を持たせよう
という意図があるように思えるのである︒このような祖師観は︑覚如が親鸞の地位を積極的に示し︑正しい相承を明
真宗における祖師信仰の展開 おそらくは弥陀の直説といひつべし︒(真聖全一――•六四七頁) しまします事﹂と﹁聖人本地観音の事﹂の条にはそれぞれ これよりしてほぽ大勢至菩薩の化身といふことをしりぬ︒たれか現身に頭光をはなつや、たれか現身に三昧を発得するや。これみな聖人一身の徳なり。(真聖全一―-•七六八頁)
などと示されており︑法然が弥陀︑勢至の化身であるという見方や︑﹃高僧和讃﹄にみられたような乎生や臨終にお
ける奇瑞についても述べられているのである︒親鸞については弥陀の化身︑観世音菩藷の垂迩︑曇鸞の再誕などと示
され︑表面的には親鸞における法然観と相違しないようにもみえる︒しかし︑
わたくしにいはく︑つらつらこの事を案ずるに︑
を御弘通あること掲焉なり︒
︵真
聖全
一︳
一・
ニ0
頁 ︶
ひとの夢想のつげのごとく︑観音の垂迩として一向専念の一義
わたくしにいはく︑源空上人︑勢至菩薩の化現として本師弥陀の教文を和国に弘興しまします︒親鸞聖人︑観世
音菩薩の垂迩として︑ともにおなじく無碍光如来の智恒を本朝にかがやかさんために師弟となりて︑口決相承し
ましますこと︑あきらかなり︒︵真聖全三・ニ︱頁︶
と述べられており︑これらの文は﹃恵信尼消息﹄に対応しているものであるが︑
他人の夢を介して覚如自らが解釈を加えるものである︒また﹃御伝紗﹄には︑定禅法橋がみた夢によって
つらつらこの奇瑞をおもふに︑聖人弥陀如来の来現といふこと柄焉なり︒しかればすなわち︑弘通したまふ教行︑ 〇
六頁
︶
一 九
﹁わたくしにいはく﹂とあるように︑ ﹃口伝紗﹄の﹁助業をなほかたはらに
︵真
聖全
一ニ
・七
一四
頁︶
とひまた源空・親鸞世にいでたまふとも
︵真
聖全
すでに血脈あり︑末代にいたりなんぞ相承なからんや︒
︵真
聖全
三・
一八
二頁
︶
真宗における祖師信仰の展開
らかにしようとする立場に基くものと考えられる︒例えば︑覚如は﹃執持紗﹄において親鸞が正しい伝統者であるこ
﹁四箇条問答﹂と親鶯の﹃教行信証﹄ とを示すために︑善導・法然・親鸞の三祖同轍なることを示している︒それは第四条においてみられるのであり︑光明と名号の因縁によって救われるということは一二祖同轍の宗義であるとして︑菩導の﹃往生礼讃﹄と法然の﹃西方指
﹁行巻﹂を連引することによって︑親鸞の立場は法然や善導の正意を受
また︑覚如においてはその伝統を伝える人︑すなわち苦知識の必要性が強調されているのであるが︑覚如の善知識
に対する捉え方と︑親鸞の苦知識の見方とは軌を一にするものとは言えないであろう︒覚如においては︑歴史的・社
会的・教団的な立場によって信仰を伝えるためとして善知識が捉えられている6故に︑覚如においては自らの求道を
通した感性の立場にたつ祖師信仰というものは見られず︑善知識信仰を積極的に打ち出していったのである︒
次に︑存覚における祖師観について窺えば︑
という謗難に対して ﹃破邪顕正抄﹄第十六条において念仏の行には師資相承が不要である
黒谷の源空上人︑浄土宗において師資相承の義あるべぎことを判じて五祖等の血脈をひかれたり︒上古において
と述べ︑法然が浄土宗の師資相承に五祖を挙げて血脈を示されていると反論していることから考えれば︑存覚におい
ても祖師は五祖観として把握されている︒しかし︑存覚は善濁については﹁三昧発得の人師﹂﹁唐土の高祖﹂などと
示し︑法然を﹁明師﹂などと示しているが︑それ以前においてみられた祖師を化身と捉える見方は明確に表されてい
ない︒その代わりに覚如同様に︑善知識としての祖師観が強調されているのである︒例えは﹃浄土真要紗﹄には
釈尊・善導この法をときあらはしたまふとも︑椋空・親鸞出世したまはずばわれらいかでか浄土をねがはん︒
次第相承の善知識ましまさずば真実の信心をつたへがたし︒ け継いだ伝統であることが示されているのである︒ 南
抄﹄
二0
た
必要があろう︒
三・
︱ニ
︱
i‑
︱三
頁︶
と述べ︑次第相承の善知識が最も強調されており︑親鸞以後の次第相承の善知識とは︑如信︑覚如などを指すものと
考えられる︒存覚は︑本願念仏を伝える釈諄︑苦導︑法然︑親鸞更に次第相承の人々を善知識とみているのであり︑
苦知識を広く解釈していると言えよう︒﹃浄土真要紗﹄末巻にも真の善知識といふは諸仏菩薩なり、別していふときはわれに法をあたへたまへるひとなり:…•仏菩藷のほかにも
衆生のために法をきかしめんひとをば善知識といふべしときこへたり︑まさしくみづから法をときてきかするひ
とならねども︑法をぎかする縁となるひとをも善知識となづく︵真聖全一=・‑五一!一五二頁︶
と述べ︑真の善知識は諸仏・菩薩であり︑その他にも衆生に法をぎかしめん人や法をきかする緑となる人をも善知識
と名づけると示される如くである︒故に︑存覚においては祖師それぞれを化身と捉える表現はみられないが︑善知識
が諸仏・諸菩藤の化身であると示し︑覚如の立場を承けながら善知識を広げて解釈し強調しているのである︒
以上のことから考えれば︑覚如︑存覚における祖師︵親鸞︶観とは教団を意識して捉えられているものであり︑こ
こで問題としている祖師信仰という側面は狭められていったと言えるであろう︒
蓮 如 の 祖 師 観
蓮如は親鸞について﹁開山聖人﹂などと表現し呼称について注意を払い︑崇敬の念が窺える︒祖師を化身と捉える
見方については﹃正信傷大意﹄や﹃御俗姓﹄において法然を化身とみる見方が多少あるが︑全体的にみれば蓮如にお
いては化身観が希薄であると言える︒蓮如の祖師観を考察するには︑
﹃御
文章
﹄
1一帖目十一通には
真宗における祖師信仰の展開 まず善知識についての捉え方について考察する
要素となっていったのではないかと考える︒
︑ ↓
O
ぅカ
されば善知識といふは︑阿弥陀仏に帰命せよといへるつかひなり︒宿善開発して善知識にあはずば往生はかなふ
べからざるなり︒しかれども帰するところの弥陀をすてて︑
やまりなりとこころうべきものなり︒
とあり︑弥陀をすてて善知識を本とすることを誡めて︑弥陀と菩知識を分けて捉えるのである︒存覚においては前述
した如く﹁真の善知識といふは諸仏・菩薩なり﹂と示しているが︑蓮如においては諸仏・菩薩を善知識とする表現は
みられないのである︒しかし︑それは善知識自体の存在を否定するものではなく︑知識帰命の異計を破するために善
知識と如来・諸菩藷との混同を避けるところに重点が置かれているのである︒当時の知識の動向としては︑
徒に対して絶対服従を要求するものもおり︑教団が知識を自認するような人によって支配されていく状況があったと
( 4 )
考えられる︒真宗教団における知識の動向は覚如の頃から注目されていたのであるが︑蓮如の時代において特に強く
なったと考えられる︒蓮如がその中で知識帰命を積極的に批判しえたのは︑結局は祖師︵親鸞︶との結び付きを根拠
としていたからであり︑それは﹁聖人一流の御勧化﹂や﹁開山聖人の御門徒﹂などの表現からも窺えるのではなかろ
故に︑蓮如における祖師観とは︑従来のような化身観としてではなく知識帰命を批判していく姿勢を通して善知
識
1 1
親鸞という形に転換していったのである︒このような蓮如の教説は︑民衆の中に深く浸透していったと推測され
るのである︒このように蓮如が親鸞と血緑させたことが︑近世以降において庶民の間で受け入れられた祖師伯仰の一
次に︑蓮如滅後の展開について一言すれば︑蓮如においてほとんどみられなかった化身観が︑
などには多くみられるのである︒例えば蓮如がどのように捉えられているかと言えば︑ そもそも善知識の能といふは︑ 真宗における祖師信仰の展開
一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと︑
(真聖全一―-•四四二頁)
﹃空
善記
﹄六
一一
条に
は 一部に門 ひとをすすむべきばかりなり︒⁝⁝
ただ善知識ばかりを本とすべぎこと︑おほきなるあ
その後の蓮如言行録
られ
る︒
旧記﹄に
四
さては開山聖人上様に現じましまして︑御一流を御再興にて御座候とまうしいだすべきかと存ずるところに⁝・:
( 5 )
夢さめて候き︒さては開山聖人の御再誕と︑それより侶仰中事にて候き︒
とあり︑蓮如が親鸞の再誕であると実感したことが示されている︒また﹃実悟旧記﹄には
( 6 )
蓮如上人権化の再誕といふことその証多し︑別にこれをしるせり︑⁝⁝弥陀の化身と知られ候こそ歴然なり︒
とあり︑蓮如を化身と捉えており︑その意図するところは蓮如の絶対性を示すところにあると言える︒これは﹃実悟
( 7 )
御文をば如来の直説と存ずべき由に候︒かたちをみれば法然︑詞をきけば弥陀の直説といへり︒
と示し︑御文を弥陀の直説として絶対化していることからも窺える︒
蓮如滅後︑蓮如は権化の再誕として荘厳されることによって﹁蓮如
11
善知識と門徒の関係は︑如来と人間の関係に
( 8 )
アナロジーされ︑本来信仰の次元での如来への絶対信順が現実の教団体制にもちこまれてい﹂ったのである︒ここに︑
蓮如滅後の教団内において新たな祖師像が形成されていったのであるが︑このような蓮如像は︑宗教的権威者として
法主を位骰付けようとする意図によって生み出されたものであろう︒故に︑教団における構想のもとで形成された蓮
如像は︑ここで問題とするところの祖師信仰とは明らかに異なるものであると言える︒
庶民への祖師信仰の展開
最後に︑庶民の中で祖師はどのような形で信仰されていったかについて考えてみれば︑祖師像が﹃親鸞伝絵﹄とそ
れ以外の談義本的親鸞伝が混ざり合いながら庶民の中に浸透していき︑それが御開山信仰へと展開していったと考え
﹃親鸞伝絵﹄とは系統を異にすると考えられる親鸞伝としては﹃親鸞聖人御因縁﹄や﹃親鸞聖人由来﹄など
真宗における祖師信仰の展開
次に蓮如信仰についてみれば︑前述した教団的意図とは異なる形で︑カリスマ性を期待する庶民信仰の中に潜在し
ていたものと結び付き︑蓮如信仰を生んだと考えられる︒権化の再誕として荘厳されたことにより︑庶民の期待に合
致して広がっていったものと言えよう︒そして近世以降︑門徒の間で語り継がれてきた蓮如伝承は︑具体的な事柄に の教化の影薯も見落としてはならないところであろう︒ 真宗における祖師侶仰の展開
があるが︑例えば﹃親鸞聖人由来﹄に関しては宮崎円遵氏が
文中に﹁上人もとより権化なれば﹂とか︑﹁生身の如来なれば﹂とかあるいは﹁不思議の上人さま﹂
はみえず﹂とかいうように︑要するに親鸞について不思議・奇瑞を談じて︑神格化することにつとめたもので︑
( 9 )
中世談義本の親鸞観が強く現われている︒
﹁た
だ人
と
と指摘するように︑それは不思議や奇瑞を述べて親鷺を神格化する親鸞伝であって︑このような伝記が談義僧によっ
て広められていくことにより祖師が庶民信仰の対象となっていったのであろう︒このような親鸞像が︑後世において
著された﹃親鸞聖人正明伝﹄や﹃親鸞聖人正統伝﹄などに現われている民俗的御開山像の源流となっているとみるこ
( 1 0 )
とができる︒
庶民レベルで考えれば︑親隠についての不思議や奇瑞を表す祖師像が求められていたのであり︑談義本的親鸞伝は︑
その要求に応じたものであったと言えよう︒島薗進氏は︑宗教の重要な構成要素として人物崇拝を捉える視点と宗教
( 1 1 )
的物語に注目する視点があることを指摘するのであるが︑談義本的親鸞伝は二つの視点を充足させるものであり︑そ
れは民衆を喚起させる働きを持っていたのであろう︒当然ながら︑談義本においてみられる民俗的御開山像というも
のは︑親鸞が自らの体験を通して捉えた法然讃嘆としての祖師信仰と全く同じと見ることはで誉ないかもしれないが︑
その根底にある感性的信仰というものは同じであると言えよう︒
また︑祖師信仰が庶民の中に浸透し展開していったという側面から言えば︑祖師︵親鸞︶と血縁させていった蓮如
ニ四
その蓮如とは不思議な能力を備えた高僧として捉えられているのである︒
二五
結び付けられて蓮如が語られていったのであり︑
ムラは真宗化していった﹂のである︒例えば︑石川県加賀地方には蓮如をめぐる多くの伝説が残っているのであるが︑
また︑江戸時代中期以降︑民問の町絵師に
よって私的な立場において蓮如絵伝が描かれたのであるが︑そこにも歴史的事実とは到底認めることができない事柄
( 1 3 )
や伝説的な話が多く描かれているのである︒
これらのことより考えれば︑庶民においてはカリスマ信仰とも言える特有の民俗化された親鸞像︑蓮如像というも
のが形成され︑それが伝承されていったのであり︑庶民層における祖師信仰の展開が窺えるのである︒
以上︑従来捉えられている視点とは別の見方において祖師信仰の展開を考察してみた︒親鷺においては︑教学レベ
ルを超えた︑感性の立場にたった徹底した法然讃嘆としての祖師信仰がみられた︒親鸞自身は師という自覚は持って
いな
かっ
た︒
しかし︑その後の展開からみれば︑祖師信仰とは庶民の中に潜在していたものであり︑談義本が流布さ
れていたことや︑善知識を親鸞に転換させていった蓮如の教化などによって︑庶民の中に根づいていったと考えられ
る︒故に︑教団レベルとは別なものとして真宗が庶民に根づいたのは︑御開山信仰や蓮如侶仰と言えるものによって
導ぎ出されたものと言えよう︒近世以降において定着したと考えられる民俗的祖師信仰というものは︑
期待する門徒にとっては必然性をもった信仰であったのであろう︒極言するならば︑門徒にとっては阿弥陀仏信仰と
いうよりも︑御開山信仰︑蓮如信仰といわれるものの方が意味を持っていたと言えよう︒
これらのことより考えれば︑祖師信仰とは教学には明確に現われてこないものであるが︑ある意味では︑人間の無
真宗における祖師信仰の展開 結
び
カリスマ性を ﹁まわりにある雑然とした信仰をみんな蓮如に包みこませておいて
分 野 で あ り
︑ 諸 賢 の 御 教 示 を 願 え れ ば 幸 い で あ る
︒
け れ ば な ら な い 問 題 が 残 さ れ て い る よ う に 思 わ れ る
︒
真宗における祖師信仰の展開
意 識 に 至 る 深 層 を 支 配 す る も の で あ る か ら
︑ 庶 民 信 仰 に つ い て 考 察 す る 上 で は 勿 論 で あ る が
︑ 真 宗 教 学 に つ い て 明 ら か に す る 上 で も 無 視 で き な い 問 題 で は な い か と 考 え る
︒ 即 ち
︑ こ の 分 野 の 研 究 は 現 代 人 の 信 仰 意 識 と も 結 び 付 く も の な の で あ る
︒ そ れ ゆ え
︑ 真 宗 教 学 と 教 学 に は 現 わ れ て こ な い 感 性 的 信 仰 と の 関 わ り に つ い て は
︑ 今 後 更 に 研 究 さ れ な 以
上
︑ 粗 雑 で は あ る が 祖 師 信 仰 の 展 開 に つ い て 論 じ て み た
︒ 祖 師 信 仰 に つ い て は 従 来 ほ と ん ど 問 題 に さ れ て い な い
註
( 1 )
例えば寺川俊昭氏は﹁真仏弟子論﹂︵﹃真宗学66号﹄所収︶において﹁﹁大悲を行ずる人﹂と仰ぐ他はない法然上人の現在
前は﹁十方恒沙の諸仏如来︑皆共に無鼠寿仏の威神功徳︑不可思議なるを讃嘆したまふ﹂と説かれる︒第十七願成就の出来
事そのものであると仰がれていったのではありませんか︒そのように︑法然上人を十方恒沙の諸仏如来の随一として︑もっ
と言えば︑法然上人こそ無量寿仏の威神功徳の不可思議なることを讃嘆したもう恒沙の諸仏と仰がれるべきだというような
知見を持たれた時に︑いかにもインド風の表現で︑即ちガンジス河の砂の数というような表現で︑一見神話風に語られてい
る第十七願成就文の教説が︑その神話的表現を一挙に破ったのです︒諸仏とは︑無量寿仏の不可思議なることを讃嘆する人
であり︑親鷺が目の当りに値遇した︑念仏往生の一道を語り続ける法然上人の持っている根源的な意味であると︑頷かれた
に違いないと思います︒﹂と述べ︑法然を第十七願諸仏の具現態と位置付けているのである︒また龍袈章雄氏は﹁真宗にお
ける聖と俗﹂︵﹃仏教における聖と俗﹄所収︶において︑親鸞における祖師信仰は祖師諸仏観へ展開するものとされ︑それ
は親鸞独自の仏身観を根拠とするものであるとして﹁﹁於安簑浄刹入聖証果﹂というその﹁聖﹂
1 1 涅槃界の来生示現態とし
ての応化身
1 1 諸仏
1 1 祖師の教説との値遇において︑衆生︵俗︶は﹁哲願﹂に出遇う︒その応化身
1 1 諸仏
1 1 祖師の存在こそ︑
﹁無量のやみをはら﹂うために﹁微塵世界﹂
( 1 1
俗︶に放たれた﹁智慧光﹂
( 1 1
聖︶の具体相︵﹁かたち﹂︶に他ならない︒親
鸞において祖師信仰・祖師諸仏観は本願力廻向の論理に基づいて︑救済論的に基礎づけられていたのである︒﹂と述べ︑論
理的に祖師信仰を捉えているのである︒
( 2 )
中村元博士は︑このような傾向が日本人に顕著であるのは︑日本人が狭い範囲に形成された共同生活において人格と人格
の緊密な結びつぎを要請し︑人々の問に親和結合惑が顕著であることによると指摘している︒
二六
( 3 )
川添泰信著﹁真宗歴代における祖師観形成の問題﹂︵﹃真宗研究
3 5 号﹄所収五四真︶参照︒
( 4 )
北西弘著﹁真宗教団の中世的変貌﹂︵﹃大谷学報
47
│1
﹄所収一八頁︶参照︒
( 5 )
稲葉昌丸編﹃蓮如上人行実﹄二五頁︒
( 6 )
同 一︱ ︱
︱ ︱︱ 一
頁 ︒
( 7 )
同八 五頁
︒
( 8 )
大桑斉著﹁中世末期における蓮如像の形成﹄︵﹃大谷大学年報
2 8 号
﹄所 収一 六七 頁︶
︒
( 9 )
宮崎円遵著作集第七巻﹃仏教文化史の研究﹄一六0
頁 ︒
( 1 0 )
例えば﹃親鸞堅人正明伝﹄には︑生荊の業によって大蛇となった者を親鸞が済度した話︑筑波山で餓鬼道に落ちた者を済
度した話︑親鸞が絹川の渡しで童子に川を渡してもらった話などが載っており︑﹃親鸞聖人正統伝﹄には︑鹿島の女鬼を親
鸞が済度した話︑鹿島の亡霊を済度した話などが載っており︑通俗的な親鸞伝と言える︒この﹃正統伝﹄などは︑江戸時代
の親鸞伝のベスト七ラーとして広く流布したと言われている︒
( 1 1 )
島菌進著﹁宗教思想と言葉﹂︵﹃現代宗教学2﹄所収二0ーニ︱頁︶参照︒
( 1 2 )
西山郷史著﹃蓮如と真宗行事﹄六四頁︒
( 1 3 )
蒲池勢至著﹁蓮如絵伝にみる聖と俗﹂︵﹃仏教における聖と俗﹄所収一九八頁︶参照︒
真宗における祖師信仰の展開
二七