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Vol.36 , No.1(1987)041宮城 洋一郎「叡尊の文殊信仰について」

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叡 尊 ( 三 一〇 一-一 二 九 〇) の 救 済 事 業 に つ い て は、 よ く 知 ら れ て い る よ う に、 鎌 倉 時 代 の 南 都 仏 教 の 復 興 を 特 色 づ け る も の で あ る。 そ の 中 に あ っ て、 文 殊 菩 薩 像 を 造 り、 文 殊 供 養 を 行 な う な ど の 文 殊 信 仰 は、 救 済 事 業 の 展 開 と 歩 を 同 じ く し て 深 め ら れ て き た。 叡 尊 の 救 済 事 業 と 文 殊 信 仰 と の 関 係 は、 以 前 か ら も い く つ か の 研 究 が あ っ た。 こ こ で、 こ の 二 つ の 問 題 を 設 定 し た こ と は、 救 済 事 業 の 仏 教 的 基 盤 と し て の 文 殊 信 仰 の 意 義 を 明 ら か に す る こ と、 お よ び、 仏 教 を 媒 介 と し た 社 会 的 活 動 と し て の 救 済 事 業 の 歴 史 的 意 義 に つ い て 検 討 し て い く た め で あ る。 こ の 二 つ の 問 題 点 か ら、 文 殊 信 仰 を 考 え る と、 こ れ は、 た ん な る 仏 教 の 中 の ひ と つ の 信 仰 形 態 で は な く、 仏 教 と 社 会 と の 接 点 の 役 割 を、 叡 尊 の 実 践 を 通 じ て は た し て き た と い え る の で は な い だ ろ う か。 そ れ は、 仏 教 に 思 想 的、 実 践 的 基 盤 を お く 救 済 事 業 と し て は、 き わ め て 特 異 な 形 態 で あ る と も い え よ う。 す で に、 よ く 知 ら れ て い る よ う に、 叡 尊 の 仏 教 思 想 に は、 文 殊 信 仰 だ け で は な く、 戒 律 復 興 や 光 明 真 言 会 な ど も 重 要 な 柱 と し て 注 目 さ れ て き て い る。 し か も、 そ れ ら は い ず れ も、 救 済 事 業 や 社 会 的 活 動 と も 深 い つ な が り を も っ て い る。 し た が っ て、 文 殊 信 仰 に よ っ て の み、 救 済 事 業 の 仏 教 的 基 盤 と す る こ と は で き な い の で あ る。 し か し、 そ れ に も か か わ ら ず、 文 殊 信 仰 が 救 済 事 業 に と っ て 重 要 な 役 割 を も つ の は、 そ れ が、 救 済 事 業 の 中 心 で あ る 非 人 救 済 と 密 接 に か か わ っ て い る た め で あ る。 こ の 非 人 救 済 に つ い て は、 鎌 倉 時 代 の 仏 教 興 隆 の 社 会 的 実 践 に お い て も、 他 に 類 例 の な い、 き わ め て ユ ニ ー ク な 実 践 で あ り、 叡 尊 の 救 済 事 業 の 中 核 的 な 意 味 を も っ て い る。 か か る 点 で、 叡 尊 の 社 会 的 活 動 と し て の 救 済 事 業 と、 そ れ を 支 え る 仏 教 的 基 盤 と し て の 文 殊 信 仰 と い う 構 図 を 描 く こ と 印 度 學 佛 敏 學 研 究 第 三 十 六 巻 第 一 號 昭 和 六 十 二 年 十 二 月

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叡 尊 の 文 殊 信 仰 に つ い て ( 宮 城) が 可 能 で あ る。 こ う し た 方 向 を 見 通 し た う え で、 叡 尊 の 救 済 事 業 を 形 成 さ せ て き た 文 殊 信 仰 の 内 容 ・ 意 義 を 明 ら か に し て い き た い。 二 文 殊 信 仰 が 社 会 的 活 動、 ひ い て は 救 済 事 業 と 結 び つ く こ と は、 一 般 的 に は、 ﹁ 仏 説 文 殊 師 利 般 浬 葉 経 ﹂ に い う、 若 欲 供 養 修 福 業 者、 即 自 化 身、 作 貧 窮 孤 独 苦 悩 衆 生、 至 行 者 前、 ( 1) 若 有 人 念 文 殊 師 利 者、 常 行 慈 心 者 即 是 得 見 文 殊 師 利。 と に よ っ て、 文 殊 と ﹁ 貧 窮 孤 独 苦 悩 衆 生 ﹂ と が 一 体 と な っ て 捉 え ら れ た ゆ え に、 救 済 事 業 の ひ と つ の 根 拠 と な り え た も の と 考 え ら れ る。 と も あ れ、 こ の 経 典 は す で に 奈 良 時 代 の ﹁ 光 明 皇 后 御 願 一 切 経 ﹂ の 中 で、 書 写 さ れ て い る こ と か ら、 玄 肪 将 来 の ﹁ 開 元 ( 2) 釈 経 目 録 ﹂ と し て 舶 載 さ れ た と み ら れ て い る。 文 殊 信 仰 が 具 体 的 に 救 済 と 結 び つ い た の は、 天 長 五 年 ( 八 二 八) 二 月 の ﹁ 太 政 官 符 ﹂ で、 元 興 寺 泰 善 に よ っ て 文 殊 会 の 設 置 が 提 唱 さ れ、 そ の 会 料 を も っ て ﹁ 救 急 料 利 稲 ﹂ に あ て、 ( 3) 貧 窮 者 へ の 施 給 を 明 示 し た こ と に よ る。 ﹁ 救 急 料 利 稲 ﹂ と は、 普 通、 救 急 稲 と よ ば れ、 出 挙 稲 の 一 種 と し て 設 け ら れ た も の で あ り、 そ の 後、 ﹃ 延 喜 交 替 式 ﹄ に も 定 め ら れ る と こ ろ と な っ た。 九 世 紀 初 頭 に あ ら わ れ た 文 殊 会 が、 救 急 稲 と し て、 国 家 の 行 事 と し て 展 開 さ れ て い く こ と に な る の だ が、 天 長 五 年 二 月 の 太 政 官 符 の 述 べ る と こ ろ は、 あ く ま で も、 泰 善 と こ の 年 の 前 年 に 遷 化 し た 勤 操 と に よ っ て 提 唱 さ れ、 ﹁ 弁 二 備 飯 食 等 ↓ 施 二 給 貧 者 こ す る こ と を 目 的 と し、 そ の 根 拠 に、 先 に あ げ た ﹁ 仏 説 文 殊 師 利 般 浬 繋 経 ﹂ の 一 節 を 記 し て い る。 国 家 的 行 事 化 し て い く 方 向 と、 文 殊 会 と の 間 を ど の よ う に 意 味 づ け て い く べ き か は、 別 稿 に て 論 じ な け れ ば な ら な い が、 文 殊 会 が 毎 年 七 月 八 日 に 開 か れ、 そ の 会 料 を 救 急 稲 と し、 そ れ が、 そ の 後 の ﹃ 延 喜 式 ﹄ の 左 右 式 に ﹁ 東 寺 文 殊 会 ﹂ が 記 さ れ る な ど、 広 く 普 及 し て い っ て い る こ と を 考 え る と、 ﹃ 延 喜 式 ﹄ 成 立 の 十 世 紀 に は、 文 殊 会 は す で に 一 般 的 な 国 家 行 事 と し て 位 置 づ け ら れ て い た と み る こ と が で き る。 一 方、 文 殊 菩 薩 の 霊 山 と さ れ る 中 国、 五 台 山 に 登 っ た 円 仁 の ﹃ 入 唐 求 法 巡 礼 行 記 ﹄ 巻 三 に、 五 台 山 に お け る 文 殊 菩 薩 の 示 現 を 記 し、 ﹁ 不 レ 論 二 僧 俗 男 女 大 小 貴 賎 尊 卑 貧 富 ↓ 皆 須 二 平 等 供 養 ↓ 山 中 風 法、 因 レ 斯 置 二 平 等 之 式 こ と 述 べ、 ﹁ 平 等 之 式 ﹂ と し て 文 殊 供 養 が な さ れ た こ と を 紹 介 し て い る。 こ の よ う に、 文 殊 信 仰 は 九 世 紀 か ら 十 世 紀 の 平 安 朝 に お い て、 確 か な 広 が り を み せ、 ひ と つ の 救 済 観 と し て、 国 家 的 行 事 と な っ て 定 着 化 し て い っ た の で あ る。 さ て、 鎌 倉 幕 府 に お い て、 文 殊 信 仰 は ど の よ う に、 受 容 さ

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れ て い っ た の で あ ろ う か。 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ に は、 三 代 将 軍 実 朝 の 文 殊 信 仰 が 何 度 か 記 さ れ て い る。 そ の 中 の 承 元 四 年 ( 三 三 〇) 九 月 二 十 五 日 条 に は、 御 本 尊 五 字 文 殊 像 更 被 レ 逐 二 供 養 州 導 師 寿 福 寺 方 丈、 此 儀 五 十 度 可 レ 被 レ 行 之 由、 有 二 御 願 一 云 々 と あ り、 か な り 熱 心 な 文 殊 信 仰 で あ っ た こ と が 記 さ れ て い る。 さ ら に、 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ 建 保 三 年 ( 三 三 三) 四 月 二 十 日 条 に、 於 二 南 京 十 五 大 寺 軸 供 二養 衆 僧 画 可 レ 有 二 非 人 施 行 一之 由、 将 軍 家 年 来 御 素 願 也、 今 日 被 レ仰 三 尽 畿 内 御 家 人 等 一云 々、 広 元 朝 臣 奉 二 行 之 幻 と あ り、 文 殊 信 仰 を 具 体 的 に 記 し て い な い が、 こ れ ま で の 実 朝 の 文 殊 信 仰 と、 ﹁ 将 軍 家 年 来 御 素 願 ﹂ と し て の ﹁ 非 人 施 行 ﹂ は、 文 殊 信 仰 か ら 発 し た も の と み る こ と が で き る。 文 殊 信 仰 が、 右 の よ う に 展 開 さ れ て き た こ と を み る と き、 そ こ に は、 伝 統 化 さ れ た 様 相 と い う べ き も の を 看 取 す る こ と が で き る だ ろ う。 そ し て、 そ れ ら が、 救 済 を 基 底 に 有 し て い る こ と で、 社 会 的 活 動 な り、 国 家 的 行 事 な ど を 成 り た た し め て き た と い え る で あ ろ う。 こ の 点 で、 九 世 紀 か ら 十 三 世 紀 に 至 る ま で の 文 殊 信 仰 は、 き わ め て 一 般 化 さ れ た な か で 展 開 さ れ て き た と み な け れ ば な ら な い。 三 前 節 で み た よ う に、 叡 尊 の 登 場 に 至 る ま で の 文 殊 信 仰 は、 す で に 広 く 一 般 化 さ れ て い た。 そ れ ゆ え に、 叡 尊 が 文 殊 信 仰 を 標 榜 し、 そ の 実 践 化 を は か っ た こ と 自 体 は、 必 ず し も 独 創 的 で あ っ た わ け で は な い。 そ の 意 味 で、 叡 尊 に と っ て の 文 殊 信 仰 の 契 機 そ の も の を 問 う こ と は、 こ れ ま で 種 々 論 議 さ れ て き て い る が、 そ れ ほ ど 重 要 で あ る と は 思 わ れ な い。 む し ろ、 こ こ で 問 題 と す べ き は、 文 殊 信 仰 が 救 済 事 業 の 中 で、 ど の よ う に 意 義 づ け ら れ て い る か に あ る の で は な い だ ろ う か。 こ の 点 を ふ ま え て 叡 尊 の 文 殊 信 仰 と 救 済 事 業 と の 関 わ り を み て い く こ と に し よ う。 叡 尊 の 伝 記 史 料 で あ る ﹃ 金 剛 仏 子 叡 尊 感 身 学 正 記 ﹄ ( 以 下 ﹃ 学 正 記 ﹄ と 略 す) に は、 延 応 一 年 ( 三 一三 九) の 条 に、 忍 性 と の 出 会 い の 中 で、 文 殊 信 仰 と の 契 機 が 記 さ れ て い る。 一 方、 江 戸 時 代 の 成 立 で あ る ﹃ 西 大 寺 勅 誰 興 正 菩 薩 行 実 年 説 旧 ﹄ ( 以 下 ﹃ 行 実 年 譜 ﹄ と 略 す) に は、 雌見 元 二二 年 ( 三 一四 五) の 条 に、 ﹁ 夜 忽 感 三 文 殊 出 現 親 授 二 仏 性 三 摩 耶 妙 戒 灌 頂 こ と あ っ て、 ﹃ 学 正 記 ﹄ と は 別 の 観 点 に た っ て、 文 殊 信 仰 の 契 機 を 記 し て い る。 し か し、 ﹃ 学 正 記 ﹄ の 記 載 か ら 文 殊 信 仰 の 経 過 を み て い く と、 ﹃ 行 実 年 譜 ﹄ に 述 べ る よ う な 灌 頂 を 授 け る と い っ た 方 向 で は な く、 あ く ま で も、 救 済 事 業 か ら の 観 点 が 示 さ れ て い る。 ま た ﹃ 行 実 年 譜 ﹄ に お い て も、 宝 治 元 年 ( 三 一四 七) 五 月 叡 尊 の 文 殊 信 仰 に つ い て ( 宮 城)

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叡 尊 の 文 殊 信 仰 に つ い て ( 宮 城) 廿 五 日 の 願 文 の 中 で、 ﹁ 興 二 隆 三 宝 ↓ 利 二 益 有 情 ↓ 学 二 行 文 殊 ↓ 憐 二 慰 一 切、 貧 窮 孤 独、 受 苦 衆 生 こ と あ る よ う に、 叡 尊 に と っ て の 文 殊 信 仰 は、 そ の 救 済 事 業 の 展 開 に お い て、 明 確 化 さ れ て い く も の で あ っ た と い え よ う。 な お、 ﹃ 行 実 年 譜 ﹄ 寛 元 三 年 の 条 に み る 文 殊 信 仰 に つ い て、 追 塩 千 尋 氏 は、 こ れ を 密 教 的 な 理 解 で あ る と し て、 ﹁ 初 期 の ( 4) 叡 尊 の 文 殊 観 ﹂ で あ る と 述 べ ら れ て い る。 と も あ れ、 叡 尊 の 文 殊 信 仰 に は、 こ れ ま で の さ ま ざ ま な 形 態 を も つ 文 殊 観 の 影 響 を 受 け て い た と し て も、 そ の 実 践 の 中 で 示 さ れ た も の は、 救 済 事 業 の 根 拠 と し て、 伝 統 化 さ れ た 文 殊 信 仰 で あ っ た と い え よ う。 そ れ で は、 こ の 文 殊 信 仰 が 叡 尊 の 実 践 の 中 で、 ど の よ う に 展 開 さ れ た か を、 ﹃ 学 正 記 ﹄ の 記 述 に よ り な が ら み て い く こ と に し た い。 先 に も 述 べ た よ う に、 叡 尊 の 文 殊 信 仰 は 強 く 救 済 事 業 と 結 び つ い て い る。 そ の 中 で も、 次 に み て い く よ う に、 非 人 救 済 と の 関 わ り が 深 い。 こ の こ と に つ い て、 ﹃ 学 正 記 ﹄ 仁 治 元 年 ( 三 一四 〇) の 条 に、 此 春 奉 図 絵 文 殊 尊 像 一 浦、 安 置 額 安 寺 之 西 辺 之 宿。 と あ り、 宿 に 文 殊 を 安 置 す る と い う 形 態 を と っ て い る。 以 後、 宿 と 文 殊 供 養 と の 関 連 が、 次 々 と み ら れ て い く こ と に な る。 そ の 主 な 例 を あ げ る と 次 の と お り で あ る。 仁 治 二 年 ( 三 二四 一) ﹁ 毎 非 人 宿 安 置 文 殊 之 願 ( 中 略) 奉 図 絵 一 浦 文 殊、 於 悲 母 墓 所 辺 和 爾 宿、 安 置 供 養 ﹂ 仁 治 三 年 ( 三 二 四 二) ﹁ 遂 北 山 宿 文 殊 供 養 畢 ﹂ 寛 元 元 年 ( 三 二四 三) ﹁ 此 間 重 逐 当 寺 ( 額 安 寺) 西 宿 文 殊 供 養 ﹂ 寛 元 二 年 ( 三 一四 四) ﹁ 奉 請 諸 宿 文 殊、 調 儲 斎 粥 等、 供 一 千 余 非 人 ﹂ こ の よ う に、 宿 と 文 殊 供 養 と が 結 び つ き、 ﹁ 斉 粥 ﹂ を 非 人 に 供 す る に 至 っ て い る。 と こ ろ が、 こ れ 以 降 の 文 殊 信 仰 の 形 態 は、 文 殊 の 図 絵 を 奉 ず る こ と、 あ る い は、 文 殊 像 の 造 顕 な ど が 主 と な っ て く る。 一 方、 非 人 救 済 に つ い て は、 次 の よ う な 展 開 を 示 し て い る。 文 永 五 年 ( 三 一六 八) ﹁普 集 非 人、 設 元 遮 大 会、 欲 擬 供 養 生 身 文 殊 云 云 ﹂ 文 永 六 年 ( 三 一六 九) ﹁ 課 北 山 非 人、 令 正 地 形 之 高 下、 又 兼 仰 長 吏、 召 諸 宿 非 人 交 名 ﹂ 文 永 十 二 年 ( 三 一七 五) ﹁受 斎 戒 非 人 八 百 七 十 三 人、 (中 略) 向 後 可 令 停 止 過 分 義 条 条 事 ﹂ 弘 安 五 年 ( 三 一八 二) ﹁道 有 非 人 宿、 号 取 石、 捧 起 請 文 ﹂ 右 の 展 開 は、 叡 尊 の こ れ ま で の 非 人 救 済 の 実 績 の 上 に た っ て、 つ く ら れ た 非 人 と の 新 た な 関 わ り を 示 す も の で あ り、 そ れ だ け に、 論 議 の 多 い と こ ろ で も あ る。 叡 尊 と 文 殊 信 仰 と の 関 わ り か ら 生 れ て き た 非 人 救 済 が、 元

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遮 大 会 や、 斉 戒 な ど こ れ ま で の 文 殊 信 仰 に み ら れ な い 新 た な レ ベ ル を 生 み だ し た こ と、 あ る い は 四 か 条 の ﹁ 停 止 過 分 義 条 条 事 ﹂ や ﹁ 捧 起 請 文 ﹂ な ど、 単 な る 救 済 に と ど ま ら ず、 非 人 階 層 の 社 会 的 関 係 に 一 石 を 投 ず る 方 向 な ど は、 叡 尊 の 救 済 事 業 が 宗 教 的 レ ベ ル か ら 社 会 的 意 義 を も っ た も の へ と、 転 換 し え た こ と を 意 味 づ け て い る と い え る だ ろ う。 こ こ に、 文 殊 信 仰 が 生 み だ し て い っ た 第 二 の 特 色 と し て の 非 人 救 済 の 意 義 が あ る と い え よ う。 そ し て、 ま た、 か か る 意 義 を も つ ゆ え に、 い く つ か の 疑 義 も 提 起 さ れ て い る。 ま ず、 文 永 六 年 に み る 北 山 の 非 人 に 課 し て 地 形 の 高 下 を 正 さ せ た こ と、 あ る い は 長 吏 に 対 し て 非 人 交 名 を 提 出 さ せ こ と 等 は、 西 大 寺 流 に よ る 非 人 支 配 で あ っ た と、 松 尾 剛 次 氏 は 提 ( 5) 起 さ れ て い る。 ま た、 先 に あ げ た ﹁ 停 止 過 分 義 条 条 事 ﹂ や ﹁ 捧 起 請 文 ﹂ 等 は、 非 人 身 分 の も つ 権 限 に 及 ぶ も の で も あ り、 そ れ と 叡 尊 と ( 6) が ど の よ う に 関 わ る か は、 非 人 身 分 を め ぐ る 論 争 に も 関 連 し、 容 易 に 論 ず る こ と は 困 難 で あ る。 し か し、 い か な る 評 価 が 下 さ れ よ う と も、 非 人 を 対 象 と し た 宗 教 的、 社 会 的 活 動 を な し え た の は、 叡 尊 と そ の 弟 子 忍 性 に お い て 外 に な い の で あ っ て、 社 会 的 な 救 済 事 業 へ と 高 め た 叡 尊 の 文 殊 信 仰 の 意 味 も そ こ に あ る。 こ の よ う な 社 会 性 を 獲 得 し た と こ ろ に、 そ の 文 殊 信 仰 の 示 現 形 態 が あ っ た と も さ れ ( 7) る。 ま た、 第 二 の 特 色 と し て、 叡 尊 の 文 殊 信 仰 に は、 文 殊 像 の 図 絵 を 奉 り、 そ の 造 像 を は か る こ と が あ げ ら れ よ う。 文 殊 の 図 像 を も っ て 供 養 を 行 な う こ と、 あ る い は、 文 殊 の 図 像 作 成 は、 十 三 世 紀 に お い て、 叡 尊 以 外 に も し ば し ば 見 う け ら れ る ( 7) と こ ろ で あ る。 そ れ は、 文 殊 信 仰 の 具 体 的 な 教 化 の 手 段 と し て、 有 効 で あ っ た と 同 時 に、 叡 尊 を 通 じ て、 活 発 に 広 が っ て い っ た 側 面 も あ っ た と 思 わ れ る。 こ の こ と は、 先 に あ げ た 非 人 救 済 を 中 核 と す る 救 済 事 業 に 新 た な 根 拠 を 与 え た の で あ り、 そ れ に と も な っ て、 文 殊 の 図 像 を 多 く 作 成 す る こ と で、 重 な る 広 が り を 示 す こ と に な っ た の で あ る。 し た が っ て、 文 殊 の 図 像 作 成 も、 叡 尊 の 社 会 的 活 動 を 基 礎 づ け る 要 因 の ひ と つ で あ っ た と み な け れ ば な る ま い。 こ の 点 に つ い て、 ﹁ 般 若 寺 文 殊 菩 薩 像 造 立 願 文 ﹂ に、 そ の 造 像 の 意 図 す る と こ ろ を 次 の よ う に 記 し て い る。 矧 於 業 二 漁 猟 ↓ 鎮 殺 二 山 水 之 生 ↓ 衝 二 艶 色 ↓ 常 迷 中 衆 庶 之 心 上 乎。 加 之、 或 有 下受 盲 聾 報 一之 者 ね 或 有 下 嬰 二 折 癩 病 之 者 鉛 謂 二彼 前 業 ↓ 則 誹 諺 大 乗 之 罪。 錐 ・ 歴 二 泥 梨 ↓ 猶 未 レ 尽 見 二 其 現 報 ↓ 亦 乞 飼 孤 独 之 苦。 但 望 二 衣 食 ↓ 無 二 他 念 ↓ 解 脱 何 日。 流 転 之 絆、 弥 纒、 出 離 何 期、 牢 獄 之 捷 竪 錬。 悲 哉 悲 哉、 為 何 為 何、 不 レ 如 下 偏 仰 二 文 殊 之 威 神 ↓ 以 為 中 済 度 之 導 師 加 因 レ 蝕、 深 発 二 丹 棘 無 弐 之 願 殉 奉 レ 造 白 檀 丈 叡 尊 の 文 殊 信 仰 に つ い て ( 宮 城)

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叡 尊 の 文 殊 信 仰 に つ い て ( 宮 城) 六 之 像 ↓ 其 造 営 之 儀 更 絶 二 常 篇 ↓ 従 二 奇 肱 之 下 7 斧、 迄 二 画 工 之 閣 7 筆、 一 々 之 巧 匠、 皆 受 二 持 八 支 之 斎 戒 ↓ 面 々 之 助 成 悉 起 二 於 自 然 之 ( 9) 信 心 殉 こ の 願 文 に み る よ う に、 叡 尊 の 文 殊 信 仰 の 真 髄 が こ こ に あ ら わ れ て い る と い え よ う。 ﹁ 貧 窮 孤 独 苦 悩 衆 ﹂ の 現 実 的 姿 を み つ め、 か れ ら 対 し 仏 教 者 と し て の 慈 悲 の 念 を 実 践 し よ う と し た こ と が、 文 殊 菩 薩 の 造 像 の 願 文 と な っ た の で あ る。 い わ ば、 文 殊 信 仰 と 非 人 救 済 を 核 と す る 救 済 事 業 と を 結 合 せ し む る も の と し て、 こ の 般 若 寺 の 願 文 成 立 の 由 来 が あ っ た と み る こ と が で き よ う。 こ の 般 若 寺 は、 ﹁ 南 有 二 死 屍 之 墳 墓 こ ま た ﹁ 北 有 二 疵 癩 之 屋 舎 こ と い う 地 で あ っ た が、 こ れ を 叡 尊 は ﹁ 伍 択 二 此 勝 地 一﹂ (10) と 述 べ て、 文 殊 像 の 造 像 と 安 置 を 決 意 し た の で あ っ た。 こ う し た 叡 尊 の 実 践 か ら、 般 若 寺 が 再 興 さ れ、 こ こ を 救 済 事 業 の (11) 拠 点 な ら し め よ う と す る 叡 尊 の 意 向 を く み と る こ と が で き る。 こ の よ う に、 文 殊 像 の 造 像 と 般 若 寺 再 興 の 中 か ら、 そ れ ら を 通 し て、 救 済 事 業 の 仏 教 的 基 盤 を 求 め、 実 践 的 根 拠 を 確 立 し よ う と し て き た と い え よ う。 そ の 意 味 で、 非 人 救 済 そ れ 自 体 の 現 実 化 を は か ろ う と し た と も い え よ う。 以 上、 叡 尊 の 文 殊 信 仰 に つ い て、 救 済 事 業 の 展 開 の 中 か ら、 限 ら れ た 範 囲 で あ る が、 検 討 し て き た。 文 殊 信 仰 と そ れ に も と つ く 救 済 と い う こ と 自 体 は、 決 し て 独 自 の も の と は い え な い が、 現 実 的 救 済 の 対 象 を 非 人 に 求 め、 文 殊 の 図 像 作 成 等 を と お し た 具 体 的 な 実 践 等 に は、 叡 尊 の 文 殊 信 仰 の 特 異 な 意 義 を も つ も の で あ っ た と い え よ う。 し か し、 二 方 で、 こ の 非 人 救 済 に つ い て の 問 題 点 も あ げ ら れ よ う。 と く に、 文 殊 信 仰 に 基 づ く 非 人 救 済 に は、 文 殊 の 顕 現 を 求 め る 信 仰 が 基 本 に あ る ゆ え に、 生 身 の 文 殊 と し て の 非 人 が 強 調 さ れ、 非 人 へ の 施 与 に の み 終 る 側 面 が あ っ た と い え な い だ ろ う か。 ま た、 非 人 身 分 に 関 す る 論 議、 叡 尊 と 非 人 と の 関 わ り に つ い て、 あ る い は、 西 大 寺 流 の 発 展 と 非 人 と の 問 題 な ど、 残 さ れ た 問 題 も 多 い。 し か し、 文 殊 信 仰 か ら 捉 え て い く に は、 こ れ ら の 問 題 は、 余 り に 課 題 が 重 す ぎ る と い え よ う。 こ れ ら に つ い て は、 別 稿 に て 検 討 す る こ と と し て、 大 方 の ご 教 示 を え た い。 1 大 正 大 蔵 経、 一 四 -四 八 一 上-中。 2 堀 池 春 峰 氏 ﹁ 南 都 仏 教 と 文 殊 信 仰 ﹂ ( ﹃ 南 都 仏 教 史 の 研 究 ﹄ 下 所 収)。 3 ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 二、 五 三-五 四 頁。 4 追 塩 千 尋 氏 ﹁ 叡 尊 の 諸 信 仰 と 慈 善 救 済 事 業 ﹂ ( ﹃ 南 都 仏 教 ﹄ 四 〇)。 5 松 尾 剛 次 氏 ﹁ 中 世 非 人 に 関 す る 一 考 察-西 大 寺 流 に よ る 非

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人 支 配 l L ( ﹃ 史 学 雑 誌 ﹄ 八 九 ー 二)。 6 こ こ で は 次 の 三 つ の 代 表 的 な 論 を あ げ る に と ど め た い。 黒 田 俊 雄 氏 ﹃ 日 本 中 世 の 国 家 と 宗 教 ﹄ 大 山 喬 平 氏 ﹃ 日 本 中 世 農 村 史 の 研 究 ﹄ 網 野 善 彦 氏 ﹃ 日 本 中 世 の 非 農 業 民 と 天 皇 ﹄ 7 吉 田 文 夫 氏 ﹁ 忍 性 の 社 会 事 業 に つ い て ﹂ ( ﹃ 日 本 に お け る 社 会 と 宗 教 ﹄ 所 収)。 8 小 林 剛 氏 ﹁ 興 正 菩 薩 叡 尊 の 文 殊 信 仰 と そ の 造 像 ﹂ ( ﹃ 大 和 文 化 研 究 ﹄ 七 -五)。 9 ﹁ 般 若 寺 文 殊 菩 薩 造 立 願 文 ﹂ ( ﹃ 西 大 寺 叡 尊 伝 記 集 成 ﹄ 一 五 六 頁)。 10 同 右、 一 五 七 頁。 11 和 島 芳 男 氏 ﹃ 叡 尊 ・ 忍 性 ﹄ 五 六 頁。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 叡 尊、 文 殊 信 仰 (種 智 院 大 学 助 教 授) 叡 尊 の 文 殊 信 仰 に つ い て ( 宮 城)

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