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断章の詩学 ミシェル・レリスがその主著『ゲームの規則』を締めくくる第四巻『囁音』の末尾近くで展開した「驚異」をめぐる考察は、この書物のやや特殊な性格と無縁ではないだろう((
(。『囁音』は、もしかすると流産の憂き目に会っていた
かもしれない書物なのである。第二巻『軍装』の時点で、『ゲームの規則』が全四巻になることは著者自身によって宣言されていた。しかし、第三巻に取りかかるあたりから第四巻の必要性に対する疑義が彼のうちに生じ、第三巻
『綴糸』の末尾ではむしろ続刊の可能性に対する否定的な見解が述べられていたのである。
だがその一方で、第四巻を書くという選択肢を完全に棄て去ったわけでもなかった。『綴糸』が刊行された一九六
六年九月に、この第三巻で『ゲームの規則』は完結するのかとレーモン・ベルールから問われたレリスは、「数年後、あるいは数ヶ月後、少し距離を取ってみたときに、まだはっきりさせたいことがあるという気持が生じてくるよ
うな場合のために、扉はやや半開きになった状態にしてある
((
(」と答えている。さらに、同年十月二日付けの日記では、「『ゲームの規則』以後も書き続ける場合にわたしが冒すことになる大きな危険は、他の作家と同じような存在と
なり、もはや『周辺的』な作家ではなくなってしまうことだ
((
(」と不安を吐露している。『成熟の年齢』から『ゲーム
断章の詩学
ミシェル・レリス『囁音』について
谷 昌 親
断章の詩学
の規則』へと独特の自伝的エッセの書き手として自己の作家性を確立してきたレリスにとって、『ゲームの規則』に終止符を打った場合、どのような方向に進むべきか、まだ手探りの状態にあったのだ。
そうしたなか、翌一九六七年一月には第四巻執筆に向けて舵取りがおこなわれたことが、草稿に残された日付からわかっている。だが、いったんは執筆中止も視野に入れることになった模索期間を経て、その内容や形式に変更 が加えられていったのである。そもそも、第二巻『軍装』の末尾で予告されていた第四巻の書名は、『フィブラ』(
Fibules
(とされていた。「フィブラ」とは装飾を施された留め具のことだが、原語のFibules
は第二巻『軍装』と第三巻『綴糸』の原題である
Fourbis
およびFibrilles
と音のうえで響き合い、それだけにあくまで第二巻、第三巻の延長として構想されていたことがわかる。一方、この「フィブラ」は、妻ゼットから贈られた品を指しており、若い頃のレリスはそれをネクタイの下でワイシャツのカラーを留めるのに使い、さらにこのころではネクタイ代わりの
スカーフをまとめるのに使うなどしていて、彼にとっては非常に愛着のあるものだった。実際、この「フィブラ」は『囁音』にも登場し、原著では、文字のあいだの間隔を通常より取った特別なタイポグラフィーで印字されているの
である。
レリスがこの「フィブラ」の意の
Fibules
を第四巻のタイトルにしようとしたのは、彼に取って愛着のある品を指 し、第二巻、第三巻との音声的な響き合いがあるからだけではなく、「分岐」(bifur
(の意もはらんだ語Biffure
をタイトルとする第一巻『抹消』で『ゲームの規則』の幕を開け、収斂的なニュアンスを想起させる留め具を意味する「フィブラ」で締めくくるという構想があったからである。ところが、『囁音』の解説しおりに記されるとおり、この「フィブラ」は書物の内実に比して「あまりに野心的
((
(」な語となってしまったのである。
第四巻の書名として
Fibules
を諦めた段階でレリスが次に考えた語はFariboles
で、これは「たわごと」「取るに91
断章の詩学足らぬこと」といった意味合いを持つ語である。著書の執筆に際して、レリスは自身の記憶にとどめておくべきさまざまな項目についての事柄をカードに記入したものを一種の素材として使っていた。これは民族誌学のフィールド
ワークで用いる方法を応用したもので、さまざまなカードを組み合わせて執筆の内容を練り上げる一方、一度使ったカードは二度と使わないのをルールとしていた。『囁音』の執筆の際に使ったカードのなかでも初期のものと思わ
れる一枚で、レリスは
Fariboles
という語を掲げ、これはparalipomènes
すなわち「付加事項」だとしたうえで、さらに、「使用しなかったカードのことであり、これは わたしの歩みのなかで連環の一部となれず いわば異 0物 0として残っている考えや事実に関係している
((
(」と説明していた。一方、日記にもこの語についての記述があり、一
九六六年九月二十六日に、
Fariboles
を「『ゲームの規則』に対する補足という意味を示しうる語と見なしていた」としたうえで、「書名としてもおかしくない」と述べ、「使われなかったカード、つまり、わたしが取りかかっていた『実験証明』の類いにおいて、無用とされて傍に除けられた素材を基にしたような
((
(」本になる可能性を示唆しているのである。つまりレリスは、同じカードは二度と使わない一方で、使われないままのカードを残すこともしないのを
ゲームの規則にしようとしていたのである。
しかし、それがゲームの規則だとはいえ、これまでの三巻で使い道を見いだされなかったカードばかりを集めて、
どのように一冊の書物を編めるのか。むろん、実際に『囁音』に盛り込まれた内容から判断しても、この書物の執筆時に起きた出来事がかなりのウエイトを占めているわけで、使われないままだったカードだけが素材となっているわ
けではないのは明らかだが、それにしても、もともと関連性の薄いカードの集合をどう利用するかは、ひとつの難題であったにちがいない。
断章の詩学
*
ーた筆執』音囁『に、かしう。のろだとこるいてっな中レくビュビタンイのルーュンリラド・イ・ル=ンャジがス異 『ゲけ』音囁が『者読たきて続繙み読を』則規のムーをい大式と巻三のでまれそが形てのそは、のくづ気に初最き
で述べているように、「書き進めていくうちに本の形式自体も変化してきた」のであり、「『抹消』では章に分かれていたものが『軍装』ではしかるべく名付けられたいくつかの《部》になり、『綴糸』ではそれがただ番号をつけただ
けになった
((
(」わけで、『囁音』が断章形式なのはその延長だとも言えるだろう。だが、『抹消』から『綴糸』にかけて
のゆるやかな変化に較べると、『囁音』とそれまでの三巻の落差ははるかに大きい。そもそも、『軍装』でも『綴糸』でも、必ず前の巻についての言及があり、そこで必要な訂正などもおこなわれていたのだが、『囁音』にはそのよう
な箇所は一切ない。レリスのなかでは、やはり『綴糸』で一区切りが付き、『囁音』はいわば拾遺集的な性格の書物となっていて、そのことがかなり作用していたということなのだろう。
これまでとは性格の異なる第四巻にふさわしい形式を模索するなかで、一種の断章形式が採用されたのは、レリスがもともと簡素な形式に惹かれていたからでもある。レリス自身がランビュールに対して述べているように、息の長
い文章を綴ることで知られている作家としては逆説的に思えるものの、彼が「ある単語を変えるとき、それはふつうはより短い単語を選ぶため」なのであり、「ひとつの文章を書き直す場合は、それをいくつかの文に分けるため
((
(」な
のである。まだ『ゲームの規則』がようやく形になりつつあった戦後まもない時期、彼はすでにシャール、シャザル、ポンジュの名前を出しつつ、「『箴言的』な傾向
((
(」を示す同時代の詩作品に興味を示していた。また、『囁音』の
執筆に先立つ時期は、ドゥニ・オリエが指摘するように
((1
(、シャールの『群島をなす言葉』(一九六二(、ジャベスの
93
断章の詩学『問いの書』(一九六三(、ブランショの『期待 忘却』(一九六二(など、断章形式や箴言風の形式の重要な書物が相次いで出版されており、それらに刺激された部分は当然あるだろう。
しかしながら、そうした断章形式へのもともとの好みに加え、この時期にレリスがマラルメの構想した大文字の〈書物〉に惹かれていた事実を忘れるわけにはいかない。自殺未遂後の回復期にジャック・シェレールの著作『マラ
ルメの〈書物〉』を読んで深く感化されたレリスは、『囁音』の構想を練る時期にこの著作を再読している。レリスがマラルメの追及する〈書物〉のいかなる側面に感化されたのかは必ずしも明らかではない。だが、シェレールの著作
では、〈書物〉が実現不可能な一種の理想形にとどまらずに、その具体的なあり方がマラルメによってを模索されて
いたと説明されており、これがレリスにとって一種の天啓になったと考えられる。実際、レリスは一九六六年六月十四日の日記に次のように記している。
ジャック・シェレール編の『マラルメの〈書物〉』を 数日前にムージャンで 再読。
マラルメの主要な関心、それは〈書物〉が自律的な(=絶対的な(全体となるということだ。だからこそ、「操作主」(すなわちSM〔ステファン・マラルメ〕(は同時に作者であり、解釈者〔演奏者〕であり、プロデュー
サー(そしてまた編集者(でなければならない。この事業は、よく言われるように、「採算がとれる」ものでなければならず、操作主に妥当な利益がもたらされるべきだ
(((
(。
「のは、実現不可能な一種理た想形という従来の考りあ自全律的な(=絶対的な(体う」としての〈書物〉といえ
方を思わせるが、それに続くくだりは、おそらくシェレールの著作から受けた感化を表わしており、具体的な発表形
断章の詩学
式についての考察となっている。そうした意味では、シェレールの著作における説明のなかでも、とりわけ、マラルメが独特の朗読形式によって〈書物〉を実現させようとしていたという点が重要だ。これは、あらかじめ人数の定め
られた朗読者を集め、文章の記された数枚の紙を閉じられていないファイルのかたちでまとめ、一種の舞台上の棚に一定の規則に従って配置しておき、朗読者たちが順番にそのファイルを手に取り、しかもファイルのなかの紙を交換
して朗読するという形式だ
(((
(。朗読される文章がどのようなものになるかの指定はないのだが、このようなかたちでの朗読に付されるとき、文章は必然的に断章化するだろう。完全には固定化されず、読者の読み方次第では文章の順序
が変わる〈書物〉、それは『囁音』につながる形式であることは明らかだ。そしてそうした形式については、『囁音』
の冒頭で説明がなされている。
論理的または年代的な一貫性を成すというよりも、以下の文章は それが完成するか、外部の事情で中断されたとき 、群島か星座、血のほとばしりのイメージ、灰白質の爆発、最後の吐瀉物となり、わたしが倒れこ
むときに(それをこうした突然の破局というかたちでしかわたしは想像できない(架空の境界線を空に描くだろう。
文章を並べ、移動し、配置し、トランプのゲームで勝ちを目指すのと同じこと。付け加えもするが、モザイク画を続けるためのこともあり、隙間を埋めるためのこともある。削除するのは、切り詰めるのが唯一の処方と
(しぶしぶながら(自分で認めるような場合。逆に、闖入してきたものをそのままにしたり、それが他の部分とどう結びつくのか発見して説明するだけの時間がわたしには足りなくなり、どうにも韻を踏んでいないように見
えるものを受け入れてしまったりもする
(((
(。
95
断章の詩学一方で、すでに見たように、彼の手許に残っているのは使い道のなかったカードばかりであり、新たにカードを作
るにしても、「思い出のストック」を「汲み尽くした」と感じているだけに、「折にふれて日常生活のなかから拾い上げた、どうということのない事柄を利用するだけで満足するようになった
(((
(」のである。そうしたなか、マラルメの
〈書物〉を参考にした形式のなかに置いてやることで、見捨てられたカードや日常的な事柄の記入されたカードに輝きをもたらせないかとレリスは考えていた。一九六六年九月二十六日付けの日記には、次のような記述が見られるの
である。
内的な日記でも、形式を備えた作品でもなく、自伝的物語でも想像によって書かれた作品でもなく、散文でも
詩でもなく、同時にこれらすべてであるような書物。どのような時期に(つまりは死によって(中断されようと、自律的な全体を形成できているように構想された書物。したがって、場合によって死後刊行となるかもしれ
ず、永遠にワーク・イン・プログレスの状態にあるように意図的に設定された書物
(((
(。
てにもてれさ断中てっよ死立の者著えとたり、なく成すえる。いおに』音囁『際、実あるでらかため求を式形なを 「状求が物書るあに」態のらスレグロプン・イク・ーめワるのざえ考を性能可の死分た自が、身自スリレは、のれ
は、ピカソや兄ピエールの死について語る断章が見出されるが、それこそ櫛の歯が抜けるようにして、彼の周囲から知己の人々が姿を消すようになった時期であったのだ。だが、当初はむしろ中断のおそれから選ばれたにしても、こ
のような形式が、それ以外では使い道がなかったかもしれないカードに活躍の場をもたらしたことも忘れてはなるま
断章の詩学
い。
*
すでに見てきたように、『囁音』以前からレリスはカードを利用して執筆をおこなってきた。それが民族誌学者と
しての方法を応用したものであることは周知の事実だが、肝腎なのは、カードに記録することで、カードどうしを突き合わせ、いろいろな組み合わせを考えることができるという点だ。晩年にジャン・ジャマンおよびサリー・プライ
スとの対談で、レリスは次のように述べている。「もし民族誌学者でなかったら、カードを作ることなど考えつかな
かっただろう。メモは取っただろうが、違うかたちになっていただろう、つまり、いろいろな使い方をしたり、順序を入れ替えたりできるああしたカードとは違うものになっていただろう
(((
(」。
だが、こうしたカードの使用を促した要因として、ドゥニ・オリエはさらに三つの可能性を挙げている。そしてここでも、まずはマラルメの名前が挙がってくるのだ。『囁音』には、実際にはヴィリエ・ド・リラダンの口から出た
ものの、マラルメが好んで引用したことで、マラルメ自身の発言と見なされることの多い、「無限という語がふさわしいのは、ルイ十三世様式風に毛皮を着た金髪の若き貴族から発せられるときのみだ」という一文が引かれている箇
所があるが
(((
(、これは、一九二五年に死後刊行されたマラルメの『イジチュール』の序文において編者のエドモン・ボニオが紹介した言葉である。一九三四年十月、『日記』に「詩法」についての覚書を記すなかで、レリスは、頌歌の
役割を重んじつつ、いわゆる〈ドラマ〉についてのマラルメ独特の見解を引用しているが、これもボニオの序文に紹介されていたものである。レリスは、一九三六年一月八日に、さらに次のように記している。「カタルシスが作用す
るためには、言葉にするだけでは不充分だ、言葉による表明が歌にならなければならない。歌=主観と客観の接点
97
断章の詩学(『イジチュール』において、頌歌=演劇と英雄的主人公が一致し、同一化する場、となるのと同じように
(((
((」。ところで、オリエが指摘するように、この序文でボニオはマラルメの創作方法を次のように紹介しているのだ。「これは知
られていることだが、マラルメは、最初に浮かんだ考え、仕事の最初の輪郭を、学習ノートのページを半分に切り、さらにそれを八分の一の大きさにしたものに走り書きするのが習慣だった 中国の木製の大きなお茶箱に詰め込ま
れたメモ
(((
(」。そのようにしてとったメモをどのように使うのかという問題は残るものの、民族誌学においてカードにメモをとるという方法を学んだ際、それを文学に応用することを促す契機としてマラルメの方法の紹介が思い起こさ
れたという可能性はたしかにあるだろう。
マラルメに続き、オリエはマルセル・デュシャンの名前も挙げている。レリスは、デュシャンが一九三四年に発表した《グリーン・ボックス》に魅せられていた。この《グリーン・ボックス》には、未完成におわった絵画《独身者
たちによって裸にされた花嫁、さえも》に関する九十四種類の資料の複写が入れてあった。この場合、資料は文章だけでなく、写真や図面のようなものも含まれているが、いずれにせよ、ノートなどに固定した形でまとめられている
わけではなく、断片化し、自由に組み合わせができるかたちで入れられているのである。雑誌『NRF』の一九三六年十二月号に発表した文章でレリスは、「最初はその全体を眺めたり読んだりしてから、そこに最低限の分類を導入
して、なんとか全体像を組み立てられるようにする一種のパズル
((1
(」と形容している。
マラルメやデュシャンの場合、メモをカード状のものにするという点でレリスがおこなった方法の源泉になってい
るわけだが、そのカードをどのように使うかという段階についての示唆を与えているのはレーモン・ルーセルだとオリエは指摘している。実はルーセルは、その小説『アフリカの印象』を舞台用に翻案した劇によってデュシャンに強
い印象を与え、それが《独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》の誕生に結びついたとされているのだが、
断章の詩学
その『アフリカの印象』をはじめとする小説や戯曲などで奇妙なイメージを紡ぎだす際にルーセルが用いたいわゆる「手法」は、まさにカードとカードを突き合わせるのにも似た方法だったのである。ミシェル・フーコーは、その
著書『レーモン・ルーセル』で、ルーセルの小説『アフリカの印象』や『ロクス・ソルス』とレリスの『ゲームの規則』のあいだに深い親縁性を見出そうとしていたわけだが
(((
(、そうしたフーコーの見方を肯定するかとピエール・バザ
ンテから訊かれたレリスは、「部分的にはそうだ」と認めたうえで、次のように述べていた。
ルーセルは、言葉遊びによってもたらされた要素を物語にするという問題がいかにむずかしくても、その解決
に努めた。わたしの場合は、自分の人生に起きた出来事や自分が抱いた考えに関係するカードをもとに仕事をした。そうしたカードどうしを結合させるのがわたしにとって書くという作業だったのです。ルーセルの場合もそ
うですが、「事実の方程式」だったわけで、それを解こうとしていたわけです
(((
(。
もちろんレリス自身は、ルーセルの模倣をしようと思ったことはないといった趣旨のことを言明してもいるが、ルーセルの「手法」とレリスのカード使用のあいだに一種の相同性が見られるのは確かで、ルーセル死後刊行の『わ
たしはいかにしていくつかの本を書いたか』を読んだレリスが、カードの使い方の点でヒントを得たか、そこまではいかなくとも、自分の考える方法を後押しする実例とみなしたことは充分に考えられる。そして、それが『ゲームの
規則』の執筆として結実していくわけだ。
しかしながら、その一方で、こうしたルーセル的方法からの、少なくとも部分的な脱却が図られたのが、ほかなら
ぬ『囁音』なのである。それまでの三巻と違い、『ゲームの規則』第四巻は断章形式で、断章間の架橋が必ずしもさ
99
断章の詩学れないまま並置されているのだ。もちろんそれは、そもそも拾遺集的な書物であり、使われるべきカードの共通の性格も、それまでの三巻に居場所を見いだせなかったというものであって、カードどうしの関係性がもともと希薄で
あったことに由来する部分が大きく、必ずしもレリスの意図ではなかったとも言える。しかし、マラルメの〈書物〉あるいはデュシャンの《グリーン・ボックス》をその理想形として考えるなら、レリスは図らずも『囁音』で、カー
ドを使った執筆法の極限に一歩近づいたと言えるのではないだろうか。
*
いずれにしろ、レリスが『囁音』でどのようにカードを使っているかを示す具体例を少し見ておくことにしよう。最初から六番目の断章の執筆に使われたと思われるカードは二枚ある。プレイヤッド版の『ゲームの規則』の末尾に
カードが収録され、番号が付されているが、その二七七番と二七八番がそれに相当する。以下にそれぞれを訳出しておく。
〔二七七〕「異教徒」(
païen
(のï 、
堅ビど「うょちる、す起喚をか何いにそらさとこく、鋭にらさとこはれス カイ銃」(biscayen*
(のように。/〔驚異的な異教徒と驚異的なキリスト教徒。それがはらむさまざまな道徳性によって中性化された「聖人」の対極にあり、純粋な威厳を示す「聖なるもの」。聖書に記された驚異が、どの ようにして、わたしにとって、一度聞けばそれで充分というものになってしまっていたのか したがって、妖精潭的な驚異と古典神話の驚異がそれとは別のもの、たとえば、虚構の世界、美しく、超 自然的な生といったものを表わしていたのに対し、日常と同様にあまり魅力がないものになってしまっていたのか。新約聖書以上に
断章の詩学
古典神話に近い、より「聖なる」旧約聖書。〕/その階層に(おそらくは(従ってわたしが列挙してみる、異なる三つのレベル。聖なるもの 00000(聖書中の人物、天使、聖人(/超自然 000(妖精(/虚構 00(神および古典神話の英
雄(。/→
(。辛辣さ、つまり発芽に対する墓穴のごときもの 『者/『きな金管楽器(。春すの祭典』(その言大出』喉の『祝典の行進』(かをら出したような予音 *
書著の『汎神論者の愛読(カザルス博士、つまりマラルメの友人
panthéisme ï の
あオ→のジャン・ラー語(ル(別名別たい(」(る当いはそれに相す論るもの(、つ汎神「(((
(』。
〔二七八〕わたしの父が歌っていた歌『異教徒のクリスマス』、/「クリスマス! 星の輝く空のもとで……」/「異教徒の」聖なるもの(すなわち、「キリスト教的な」聖なるもの(それは「聖人」であり、「聖書」の聖な
るもの(のかたわらで(さらにはその対極に(、キリスト教徒の視点からするとなんとも「俗なる」もの、異教徒のダンス、音楽、裸(。/「異教徒的」なものすべてがからむ石(大理石、古代の遺跡(あるいは「偶像的」
なものがどれもこれも関連する石(偶像の石膏(の堅さ。腐敗しない身体
(((
(。
この二枚のカードが使われた六番目の断章は、「金管楽器の出すしゃがれ声のようなサンブル 0000、シンバルの震えのようなエ=ムーズ 00000」と始まり、サンブル=エ=ムーズ連隊の行進曲から、そのレパートリーのひとつである『予言者
の祝典の行進』へと話題が移り、さらにその曲がもともと使われていたオペラにも触れつつ、この曲を演奏する共和国衛兵楽団について、「美しい制服と革装備の豪華さがそれと対をなすかのような金管楽器の朝顔の豪華さをいっそ
う輝かせていた」と記される。さらに、戴冠式を表現するために用いられた「しゃがれたような大きな調べ」が印
101
断章の詩学象的だと述べ、同時に使われた「野獣のような調べ」の記憶という回路を経て『春の祭典』に話が移る。その後、『春の祭典』からの連想で、「聖なる春」が想起され、春が「戦いの季節」なのではないかという問いかけから、春も
戦いも「異教徒的」だという信念が自分のなかでは揺るぎないものになっているという説明になる。そして、「異教徒」(
païen
(のï の
話となり、ï が「
どんなに鋭く、堅く、引き締まった感じを喚起することか」、として、ビスカイ
銃、矢の先端、水晶のような星がそこから引き出され、レリスの父親がテノールの声で『異教徒のクリスマス』の冒頭の「クリスマス! 星空の下……」という箇所を歌ったとき、「そうしたもののどれかがわたしの前に現われた気
がした」のだが、ガリア人が出てくる話だろうと思っていたレリスの予想とは裏腹に、「現われてきたのは、伸びて
くる植物の芽のようなものでもあって、ファイファ〔小さなフルート〕かクラリネットの甲高い音さながら、容赦なく道を切り開いていくのだ」として締めくくられる。
これを見てもわかるように、みごとにカード二七七番と二七八番が組み合わされた断章となっているが、もともとこれらの二つのカードは親近性がかなりあるもので、そういう意味では滑らかにつながるカードが選ばれている。そ
の一方で、個々のカードの記述の順番どおりにこの断章が構成されているわけではなく、かなり複雑な過程を経て文章が組み立てられているのがわかる。つまり、カードの記述はいったん分解され、それから再構成されているのであ
る。さらに、二七七番のカードについては、『囁音』の中盤あたりに出てくる『マリココ』という一種の絵本についての断章、さらに終盤の「驚異」についての長い断章にもその影を投げかけている。
だがその一方で、すでに指摘したとおり、二つのカードのあいだの親和性はもともと高いため、異なる要素のあいだに橋渡しをするといった働きはほとんど生じていない。さらに、それぞれの断章の独立性も保たれているため、異
なる話題のあいだをことさらにつなぐ試みもされていない。もちろん、この六番目の断章の前はゴチック文字につい
断章の詩学
ての断章で、あとに来るのは古代ローマの元老院議員の話題から始まる断章であり、ゆるやかな関連性はあるが、その関連性を追求して記述を続けるといった側面は最初から回避されている。つまり、ルーセルが言葉遊びをもとに、
本来はあまり関係のない要素どうしのあいだに架橋をおこない、奇抜なエピソードを考え出すために用いた「手法」に準ずるような執筆方法は、ここではほとんど実践されていないということだ。もちろん、ときにはまさにルーセル
の「手法」を髣髴とさせるがごとく、言葉の多義性を契機に断章どうしの接続がなされている場合もある。たとえば、
« révolution
» と
断命」についての章「が天体の「回転」に革て、い味う語の二つの意をし橋渡しするようについての断章へとつながっていくといった場合がそうだ。しかし、そのように断章どうしが関係づけられているにして
も、断章と断章のあいだの空白がその関係性を切断していることを忘れてはなるまい。断章と断章は、なめらかにつながり、その継ぎ目が見えなくされるのではなく、あくまでも異なる文章の集合体として継起していく。要するに、
ルーセル的な「手法」の応用とでも言うべき間隙の埋め込みから、デュシャンの《グリーン・ボックス》のごとき断片の並置にレリスは移行したのだ。しかしそれは、レリス本人の思惑とは別のところで、その作家活動の初期に彼が
思い描いていた作品のあり方に回帰する実践ともなっていたのである。一九二九年五月にレリスは日記に次のように記していた。
わたしはいつもそうした印象を抱いてきたのだが、きわめて出自の異なる二つの文章を近づけてやると た とえこの二つの文章がそれ自体はあまり価値のないものであっても 一種の爆発を起こすのではないか。(自分のノートを作る際に、ただひとつの対象のなかに、自分が気に入ったありとあらゆるものを集めてしまうと いった、子供が有している 少なくとも子供だったときのわたしが有していた 好みのおそらくは正当化
(((
((。
103
断章の詩学これはレリスがダカール=ジブチ調査団に参加し、民族誌学に傾倒する以前の時期の記述であり、まだシュレアリ
スムの影響が強かったことを窺わせる。実際、二つの文章が一種の爆発を起こすという発想は、ブルトンがルヴェルディの言葉を借りつつ語ったシュルレアリスム的イメージのもたらす閃光、すなわち、「二つの項のいわば偶然の接
近から、ある特殊な光、イメージの光がほとばしった
(((
(」という現象を彷彿とさせるのだ。民族誌学の方法を応用した自伝文学を経て、『ゲームの規則』最終巻の『囁音』における断章形式に至り、レリスは、少なくとも部分的には、
シュルレアリスムの美学に回帰したのである。
*
すでに見たように、『囁音』で採用されたこうした断章形式は、半ばは状況のもたらしたものだった。いわば残りもののカードの処理のなかで考え出された苦肉の策であったとさえ言える。しかし、その後の『オランピアの頸のリ
ボン』、『角笛と叫び』でもこの形式が踏襲されるのを見るなら、『ゲームの規則』の三巻である程度までそれまでの自分の作家として目標を達成したレリスが、断章形式に新たな可能性を見出したことは明らかだろう。
そうだとするなら、レリスはこの新しい形式のどこを評価したのだろうか。まず第一には、彼が「詩」と見なすものにこの形式がはからずも接近させてくれたことを挙げねばなるまい。一種の爆発を起こし、それゆえ閃光を放つと
もいえるこの断章形式は、いわゆるシュルレアリスム的イメージほどの衝撃力はないにしても、言語をその日常的な使用法から逸脱させ、「詩」に近づけていく。それを凝縮した形で示すのが、ときおり挿入される、原文ではイタ
リック体で表示され、行分けがされた断章だろう。行分けがされているものの、多くの場合、事項の羅列に終始した
断章の詩学
この種の文章を通常の意味での詩とは呼びがたい。しかし、行と行のあいだの連結をあえて放置したかのようなこうした言葉の扱いに注目し、その行と行の関係を断章と断章の関係に比較したとき、両者は同種の働きを示していると
いうことに気づく。連結符を欠いた異質な要素の並置、それがこの時期のレリスにとっての「詩」となったのではないだろうか。
もっとも、こうした並置形式についての関心は、すでに『抹消』のころから現われていた。「ペルセフォネ」という名前から生じた連想を記す際、下書きの時点では通常のひとつながりの文として書いていたものを、行分けにし
て、その並置としてのあり方を強調しているのである
(((
(。そして、『軍装』でこの箇所の表記の変更にふれたレリス
は、「一種の詩の形式
(((
(」と述べている。そのようなひとつの文章のなかでの並置を、さらに文章と文章の並置にまで発展させたのが『囁音』なのである。初版に挿入された解説しおりで、おそらくレリス自身のものと思われる言葉
で、「論理的連関よりも詩を優先させた
(((
(」とされているし、晩年のレリスにとってよき理解者であったジャン・ジャマンも、『囁音』のうちに「断章としての文章、すなわち散文による詩
((1
(」を見出しているのだ。
ところで、レリス自身が記した「一種の爆発」という表現に引きずられるようにして、それをシュルレアリスム的イメージに結びつけたわけだが、レリスがおこなう改行による並置や断章の並置において生じる各項のあいだの落差
が、シュルレアリスム的イメージの場合ほど大きくないのは、あらためてブルトンの説明を読んでみるまでもなく明らかだろう。むしろレリスの場合は、通常は絵画に用いられるデペイズマンという言い方のほうがふさわしいかもし
れない。各項のあいだにはゆるやかな関連性があっても、並置によりその文脈が少しずつずらされていくのだから。そして、そうしたデペイズマン的作用は、レリスがこだわった日常性のなかに生じる「驚異」につながっていく。天
文台、森、湖、スキー・ジャンプ台、記念建造物、港の乾ドックなど、いずれもそれだけを個別に取り上げればこと
105
断章の詩学さらに奇異なものではないが、たとえばスキー・ジャンプ台がウィンタースポーツとはかけ離れた季節のなかで眺められるとき、そこに生じる違和感が「驚異」を生み出す。つまり『囁音』は、内容的にもデペイズマン的なずれに
よって生じる「驚異」を扱う一方で、その形式面においても、文章と文章をデペイズマンの関係に置くことになる断章の並置、すなわちレリスにとっての「詩」によって成り立っていたのである。そして、すでに別の機会に指摘して
おいたとおり、「驚異」と名づけられているものは、実は「詩」とも呼べるのだとレリス自身が述べているのだ
(((
(。
だが一方で、そうしたデペイズマン、そしてそれによって成り立つ「詩」も、そのようなものとして受けとめら
れ、定着してしまうなら、その価値を失ってしまうだろう。もはや「爆発」は生じず、それを押しとどめる防御幕の
ごときものとして文章はむしろ機能してしまう。そこで注目されるのが、すでに見たように一九六六年九月二十六日付けの日記で触れられていた、断章形式のもたらす「ワーク・イン・プログレス」的な性質である。むろんその背後
には、高齢に至ったレリスが、未完に終わる可能性を危惧し、自分の仕事をあえて完成形に向かわせないという執筆方法を採用したという事情がある。しかし、おそらくはそれだけでなく、「詩」を求めるレリスの性向が、おのずか
ら彼をそうした断章形式の徹底化に導いたとも考えられるのだ。『囁音』のなかには、断章形式に関する以下のような省察も見られる。
わたしがここに集めている断章は、短くて簡単に切り離せてしまえるものであり、本になるのは、わたしに働
きかけた外的あるいは内的な出来事とそれらの断章のあいだに、極端なまでの距離が穿たれてしまってからかもしれない。それでもかなりの成果だ。しかし、こうして形成されつつあるモザイクのひとつひとつの要素はひど
くゆっくりと作られるので、途中で活力をすっかり失ってしまう。こうしたあまりに凝りすぎたやり方に代わる
断章の詩学
もっと鋭角的なやり方があり、たとえば警句を次々に爆発させるように放つやり方がそうで、ごく短い言葉で表明され、使われる素材を真っ赤に熱くしたままに保てる文ないしいくつかの文の集まりだが、もしかすると、文
そのものが破裂する(ほかの人が何人もやってみせたように(ことだってありうるのではないか? 机上の錬金術であるが、それに向けて 万が一わたしが成し遂げられたらの話だが 、世界的な規模の錬金術、すなわ
ち、人びとや事物がそこで変貌をとげる火を燃え立たせる革命が、わたしを後押ししてくれるのだ
(((
(。
素材を真っ赤に熱くしたままに保ち、ことによるとそのために破裂すらしかねない文が作り上げるもの、それは
完成形に到達しないままの作品、まさにワーク・イン・プログレス的な作品であり、すでに挙げた例でいえば、ルーセル的な「手法」を使いつつも、あえて二つの要素のあいだに物語を紡がない状態とも言えよう。そしてそ
れこそが究極の「驚異」でもあるのだ。若き日のレリスが『日記』に記した言葉遊び、すなわち「扇 ヴァンティラテール風機」を「人 ローズ=デ=ヴァン=アルティフィシェル工的な方位盤」と読み替える作業がまさにそうだが、「扇風機」という語を分解して複数の語の並置に変化
させ、しかもその並置の要素間の空隙をあえて埋めないことが「驚異」を生じさせる
(((
(。それはまた、デュシャンの《グリーン・ボックス》につながる断片の並置であろう。決して論理的なつながりを補填されない断片を前にして、
その関係性を探っていくのは、読者であり観る者であるのだ。そしてだからこそ、断章は枠組みのなかに落ち着いて凝固することなく、つねに過程としてのあり方を更新しつづける。レリスは絵画としての《花嫁は独身者たちによっ
て裸にされて、さえも》と《グリーン・ボックス》のあいだの違いについて、次のように書いていた。
絵画としての《花嫁》から一連の資料としての《花嫁》のあいだには、意味深いずれがあり、それはデュシャ
107
断章の詩学ンが死んだものとしての絵画との対比で、生きたものとしての遊戯に認めた優越性によって生じている
(((
(…。
そう記すレリスは、「事物を殺したくなければ、それをなまの状態で提示すべきで、着飾らせたり、挑発したりしてはならない
(((
(」とも述べている。粗野にもみえる並置というあり方のなかで、個々の存在はむしろ生き生きとしてく
るのだ。
美術に深い造詣を抱き、すぐれた美術作品に通じる性質を自分の書物にも求め続けたレリスは、もしかすると、
デュシャンをはじめとする現代アーティストの作品がもたらす影響を受け、知らず知らずのうちに断章の並置形式を
選んだのかもしれない。そしてそれゆえにこそ、レリスの書物は、それこそ彼が理想としたマラルメの〈書物〉にも似て、完結して過去に封印されることなく、永遠の現在を生きているのである。
注(
( で、やはりこれらを各巻の書名として用いる。 FibrillesBiffuresFourbis定一』、消抹が『行巻予の第題第の巻の他邦は、二糸巻のなずはなと』る綴が『巻三第』、装軍が『 Frêle Bruit定使う予で、なのこれを巻こてしと名題訳邦の四でこに、は『使刊くじ同みなちる。す囁用てしと名書の巻同を』音 の第』則規ム照しお、ない。たきだたいてー囁参を(月二年六一〇「音号、くゲの『定予るれさ行刊な」もまが、るあで語造は二 (( 拙めを念概の』異驚『論「リスていつに論」異驚の「ぐは、レっ橋四十第』集論文人『」(架てのへスリレらかントルブ五
( Pléiade,.(((( (((1 p. Appendices, BibliothèqueEntretien Gallimard, in Règle du jeu, repris Leiris, Michel avec((
Michel Leiris, Journal, 1922 1989, Gallimard, ((((, p. (((((
. (『ミシェル・レリス日記
(』(千葉文夫訳
(、みすず書房、二〇〇二年、一九四 一九五頁((
. du (((( cit., op. Règle du jeu, in jeu » », RègleMichel « La de d « Prières Leiris,(( ’insérer
断章の詩学
(
( Michel Leiris, « Fiche de « Frêle Bruit » », La Règle du jeu, op. cit., p. ((((.((
Michel Leiris, Journal, 1922 1989, op. cit., p. (((((
. (『ミシェル・レリス日記
(』、一九三頁
((
Interview par Jean-Louis de Rambures, « Comment((
j ’ai
écrit ces quatre livres », Le Monde, (1 janvier (((( ; repris sous le titre « Michel Leiris : Une partie du livre se fait pendant la promenade du chien », dans Jean-Louis de Rambures, Comment travaillent les écrivains, Flammarion, ((((, p. (1( (1(
. (ジャン=ルイ・ド・ランビュール編『作家の仕事部屋』
(岩崎力訳(、中央公論社、一九七九年、一五九 一六〇頁((
p.Ibid., (1(((
. (同書、一五九頁
((
Michel Leiris, Journal, 1922 1989, ((janvier, ((((, op. cit, p. (((((
. (『ミシェル・レリス日記
(』(千葉文夫訳
(、みすず書房、二〇〇一年、三三頁((
( (1( Denis Hollier, Notice de Frêle Bruit, in Rêgle du jeu, op. cit., p. ((((.
((( Michel Leiris, Journal 1922 1989, op.cit., p. (((
. (『ミシェル・レリス日記
(』、一八九頁
((
( ((( Jacques Scherer, Le « Livre » de Mallarmé, Gallimard, ((((; ((((, p. (( sq.
( ((( Michel Leiris, La Règle du jeu IV : Frêle Bruit, Gallimard, ((((, p. (.
((( J-L de Rambures, op. cit., p. (1(
. (『作家の仕事部屋』
、一五七頁((
((( Michel Leiris, Journal, 1922 1989, op. cit., p. (((
. (『ミシェル・レリス日記
(』、一九二頁
((
( (((Michel Jean-Michel. ((, p. (((( Place, C Leiris, « Entretien Sally et Jamin Jean avec Price »,’est-à-dire,
( ((( Michel Leiris, Frêle Bruit, op. cit., p. (((.
((( Michel Leiris, Journal 1922 1989, op. cit., p. (((
. (『ミシェル・レリス日記
(』、二八三頁
((
( Pléiade,. (((, p. (((( ((( Bonniot Bibliothèque« Préface du Dr Edmond la decomplètes, d Œuvre Mallarmé, » indédits documents desin’après
( Éditions,. (((, p. (1(( (1(, «rredition établie par Pie Vrt ilar, CNRS riseil LcheMi; écr À Ma propos dne œuvre dercer ll Duchamp », É its su’u’a
((( Michel Foucault, Raymond Roussel, Gallimard, ((((, p. ((1
. (ミシェル・フーコー『レーモン・ルーセル』
(豊崎光一訳(、法
109
断章の詩学政大学出版局、一九七五年、二三三頁((
( ((( Michel Leiris, « Entretien sur Raymond Roussel », Roussel L Fata Morgana, ((((, p. ((’ingénu,
((( Michel Leiris, « Fiche de « Frêle Bruit » », p. ((((
. なお、
〔 〕で括られた部分は赤ペンで囲まれ、余白に「間違い」と記されている。(
( ((( Ibid., p. (((( ((((.
((( Michel Leiris, Journal 1922 1989, op. cit., p. (((
. (『ミシェル・レリス日記
(』、一三一頁
((
(((complètes (((, p. (((( Gallimard,I, Œuvres insurréalisme,du Manifeste Breton,André(((
. (アンドレ・ブルトン『シュル
レアリスム宣言・溶ける魚』(巌谷國士訳(、岩波文庫、六六頁((
((( Michel Leiris, La Règle du jeu I : Biffures, Gallimard, ((((, p. ((
. なお、草稿からの変化については、ドゥニ・オリエが指摘
している。Denis Hollier, op. cit., p. ((((.(
( ((( Michel Leiris, Fourbis, Gallimard, ((((, p. ((.
( (((Michel Leiris, « Prières d de Règle du jeu » », op. cit., ((((. « La’insérer
(1( Jean Jamin, « Présentation », in : Michel Leiris, Journal 1922 1989, op. cit., p. ((
. (『ミシェル・レリス日記
(』、一五頁
((
((( Frêle Bruit, op. cit., p. ((1 (((
. 拙論「
『驚異』の概念をめぐって」、三四頁。(
( ((( Frêle Bruit, op. cit., p. ((( (((.
((( Journal 1922 1989, op. cit., p. ((
. (『ミシェル・レリス日記
(』、二五頁
((
( (((Michel Leiris,. ((( p. cit., op. Écirts sur l Duchamp », de œuvre d propos « À Marcel’art,’une
((( Ibid., p. (((.