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恋人 とな る前 の呼称

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(1)

路遥 『人生』 にお け る呼称(菱 沼)35

路 遥r人 生 』 にお け る呼 称

呼 び か けの こ とば を 中心 に

菱 沼

12Qe∠4只)67

目的 、方法

作 者 と作 品 にっ い て 背景 と登場 人物

親 族 関係 におけ る呼称 社 会 関係 におけ る呼称

"好""我"を 伴 う呼 びか け語 主人公 高加 林 をめ ぐる呼称

1目 的 、 方 法

本 稿 の 目的 は 、 特 定 の 作 品(路 遥 『人 生 』)に お け る 呼 称 、 特 に 聞 き手 に

{エ ラ

呼 び か け る場 合 の 呼 称(呼 び か け の こ とば)に つ い て調 べ る こ と で あ る。

小 説r人 生 』 に は 、 人 間 関係 や 話 し手 の 感 情 ・思 惑 に基 づ い て発 せ られ る さ ま ざ ま な形 の 呼 称 の こ と ば が 使 わ れ て い る。 これ らの 呼 称 は 、 そ の 表 現 自 体 興 味 を 引 か れ る も の が あ る。 ま た そ れ だ け で な く、 呼 称 の こ と ば にっ い て 知 る こ とは 、話 し手 の感 情 ・考 え を読 み取 った り、 中 国語 に よ る コ ミュニ ケ ー シ ョンの 規 則 ・習 慣 を理 解 す る上 で 、 更 に は 作 品 を 味 わ う上 で も必 要 な事 項 で あ る と思 わ れ る。 作 品 の 主 人 公 を 中 心 に 、 以 下 の い くっ か の 点 を 考 慮 し な が ら これ ら呼 称 に っ い て 調 べ て み る。

調 査 に あ た って は 、 こ の小 説 の 登 場 人 物 の 言 語 生 活 を そ の 人 間 関 係 を も と

(2)

に 、 家 族 関 係 と社 会 関 係 に分 け て考 え る。 生 活 の場 と して は 、 家 族 関 係 ・社 会 関係 と も村 と県 城 の 生 活 に 分 か れ る。 また 、 言 語 コ ミ ュニ ケ ー シ ョンの い くっ か の要 素 、 す なわ ち 話 題 、機 能 、 話 し手 の 感 情 、 状 況 な ど と の 関 連 を あ

(2)

わ せ て 考 え る。

「呼 び か け の こ とば 」 の 範 囲や 定 義 に っ い て は 、 さ しあ た り次 の よ う に考 え て お く。 内 容 と して は 人 を指 して使 う こ と ば の 内 、 聞 き手 を 指 してそ の 人 物 に 向 か っ て注 意 を 喚 起 した り感 情 を伝 え るた め の こ と ば で あ る。 この 場 合 、 声 の届 く範 囲 に い る 聞 き手 に対 して 直接 呼 び か け る の が 普 通 で あ るが 、 そ の 場 に存 在 しな い仮 想 の 聞 き 手 に対 して 呼 び か け る場 合 も含 まれ る。 仮 想 の 聞 き手 は 、 独 り言 の 中 や 「農 民 咽 、 … … 」 「荘 稼 人"N"J!… … 」 の よ う に 抽 象 的

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な聞 き 手 を設 定 す る場 合 に現 わ る。 形 式 的 に は 、感 嘆 符 号 を 加 え て 独 立 した 文 と な った り、読 点 に よ って 文 の他 の部 分 か ら分離 され る こ と ば で 、 い ず れ

く4}

の 場 合 も語 気 助 詞 が 加 え られ る こ とが あ る な どの特 徴 を 持 っ 。

小 説 『人 生 』 は 日本 で は よ く知 られ た 作 品 と は 言 え な い の で 、 また そ こで 使 わ れ て い る言 語 と も 関係 が あ る の で 、 まず 簡 単 に そ の 作 者 、 内容 、 背 景 な どに っ い て 述 べ る。 また 、4以 下 の 記 述 と の関 連 で 、 登 場 人 物 につ い て も概 略 を 説 明 す る。

2作 者 と作 品 に つ い て

2‑1作 者 路 遥 に つ い て

路 遥 は1949年12月 、 陳 西 省 清 澗 県 下 の農…村 に生 まれ た 。 家 は代 々農 民 で あ る。 自分 の 村 の 小 学 校 を卒 業 した の ち 、 県 城 の 中 学 に入 学 し、 さ らに高 校 に 進 み1969年 に 卒 業 した 。 高 校 卒 業 後 は 村 に も ど り農 業 に 従 事 し、 の ち村 の 小 学 校 の教 師 と な るが 、 や が て職 を 辞 し県城 に 出 て さ ま ざ ま な仕 事 に就 い た 。1973年 延 安 大 学 中 文 系 に 入 学 、 小 説 を 発 表 し始 め る。1976年 に大 学 を

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路 遥 『人生』 におけ る呼称(菱 沼)37

卒 業 、 陳 西 省 の 文 学 関 係 の組 織 に 勤 務 しな が ら作 品 を 発 表 し、1982年 以 降 専 業 作 家 と な った(路 遥1998、 王 慶 生1998)。

1980年 『収 穫 』 第3期 に 発 表 した 中 編 『驚 心 動 塊 的 一 幕 』 が 第 一 回 の 全 国 優 秀 中 編 小 説 賞 を 受 賞 し、82年 『収 穫 』 第3期 に発 表 した 『人 生 』 も 第 二 回 全 国優 秀 中編 小 説 賞 を 受 賞 した 。 特 に 『人 生 』 は 路 遥 の 生 活 を0変 さ せ る ほ どの反 響 が あ り、 彼 の代 表 作 の一 つ に な った 。 が 、 評 価 は 分 か れ 批 判 も 少 な くな か った。 小 説 『人 生 』 は 呉 天 明 に よ って 映 画 化 され(脚 本 は 路 遥)、

映 画 も ま た 多 く の議 論 を 引 き起 こ した 。5年 の 準 備 期 間 を 置 い て 、1986年 か ら1989年 に か け て発 表 され た 長 編 『平 凡 的 世 界 』 は 、 再 度 大 き な反 響 を 呼 び 、 そ の完 成 を 見 る前 か らラ ジ オ の 朗 読 番 組 で 放 送 され た 。(路 遥1992)

大 学 卒 業 後 あ る い は 作 家 生 活 に 入 って の ち の 路 遥 の 活 動 は 極 め て順 調 の よ う に 見 え る。 だ が 、飢 え に 苦 しみ っ っ 過 ご した 学 校 生 活(路 遥 の 作 品 に繰 り 返 しそ の苦 しみ が 描 写 され て い る)と 創 作 活 動 へ の 異 常 な集 中 が 彼 の 体 を蝕 ん で い た の で あ ろ う 、1992年11月 わ ず か42歳 で 急 逝 した 。

2‑2路 遥 の作 品 につ いて

陳忠 実 が追悼 文(陳 忠実1992)の 中 で も っぱ ら 『人生 』 と 『平 凡 的世 界』

に言及 した よ うに、路遥 の代 表作 は間違 い な くこの二つ の作 品で あ る。路 遥 は リア リズ ムを標 榜す る作 家で あ る。 この2作 は恐 らく、彼 も高 く評 価 した

『創業 史』 に連 なる作 品 と して文学 史 に記録 され るで あろ う。

文 学 史上 の評価 は別 と して も、 これ らの作 品 がわれ われ にと って持 っ意 味 も小 さ くない と思 う。 中国陳北 の農 村 と農 民 の状況 、特 に若者 た ちの世界 観 と感 情 、改 革開放 後 の変化 、引 い ては中 国の農村 や 中 国人 な どにつ い て理 解 す るた めの豊 か な手 がか りを提供 して くれ るか らで ある。

『人 生』 と 『平 凡 的世 界』 は 「改 革 開放 とい う大 きな流れ の中 にあ る北 方 農 民(特 に農村 の若 者た ち)の 理想 、欲 求、奮闘 とそれ に伴 う価 値観 、感情 、

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道 徳 な どの 面 にお け る 矛 盾 ・相 克 を 描 い た 」 も の で あ る(張 学 正1997)。 た 、 主 人 公 の 生 活 の 場 の 変 化 に応 じて 、農 村 と都 市 両 方 の 生 活 を描 い た 点 が 彼 の 作 品 の特 徴 と され て い る。 平 凡 な人 生 哲 学 を述 べ た部 分 が 多 す ぎ て 退 屈 な作 品 だ と い う批 判 が あ る一 方 、 「重 厚 な人 生 の教 科 書 」 と い う評 価 も 見 ら れ る。

『人 生 』 は 主 人 公 高 加 林 が 、 「走 後 門 」 に よ っ て農 村 を脱 出 し、 都 市 の文 化 的 な生 活 を 求 め る 「個 人 奮 闘 」(こ の こ とば は 個 人 主 義 思 想 に基 づ く行 動 方 式 と して 、 マ イ ナ ス の 評 価 を表 す)と そ の失 敗 の 物 語 で あ る。 主 人 公 高 加 林 は 物 議 を か も した 人 物 で あ り、 改 革 開放 初 期 を代 表 す る人 物 の典 型 と見 な さ れ て い る。 『平 凡 的 世 界 』 は 孫 少 安 、 孫 少 平 兄 弟 を 主 人 公 に 、1975年 か ら 1985年 の農…村 の 変 化 を描 い た 小 説 で あ る。 主 人 公 孫 少 平 に は 作 者 の 体 験 が 強 く反 映 され 、 ま た 『人生 』 の 高 加 林 の 姿 が 重 な る部 分 が 多 い。

これ らの 作 品 は作 者 路 遥 の故 郷 陳 西 省 清 澗 県 の 農 村 を 主 要 な舞 台 と して い る。 こ の 点 が 作 品 の 内容 を理 解 す る 上 で も、 そ の こ とば を 考 え る上 で も 重 要 で あ る と 思 う。 清 澗 県 は 西 安 の北 約330キ ロ、 延 安 か ら さ ら に80キ ロ ほ ど 北 に あ る。 黄 河 の 支 流 清 澗 河 に沿 って位 置 し、 河 南 省 と の省 境 と な って い る 黄 河 か ら約30キ ロ の 距 離 に あ る 。 人 口は13万 人 く らい の 小 さ な 県 で あ る (路 遥1982)。 っ ま り陳 西 省 北 部 と い う貧 困 地 帯 の 中 の 小 さ な 県 下 の村 が 舞 台 で あ る。 住 居 は 窯 洞 で 、 農 地 はす べ て 山 の斜 面 に あ り畑 に 働 き に 出 る こ と は 常 に 「出 山 労 動 」 と表 現 され て い る。 一 般 の 農 民 は こ う した 土 地 で 自分 の 体 を 元 手 に働 く以 外 手 立 て が な く、 現 金 収 入 は ほ とん ど な い 。 県 城 に立 っ 市 が 彼 らの唯 一 の 現 金 収 入 の 道 で あ る ら しい(映 画 『人 生 』 は こ う した 背 景 を よ く映 像 化 して い る)。 産 業 ら しい 産 業 は な く、 『平 凡 的 世 界 』 の 中 で 企 業 家 を め ざす 農 民 が 手 が け る事 業 は 、 レ ンガ焼 工 場 や 養 魚 場 の 経 営 で あ る。 路 遥 の家 は特 に貧 しか った 。 「青 少 年 時 代 、 私 は ほ と ん どい っ も飢 え に苦 しん で いた 」 と彼 は 書 い て い る(路 遥1992)。

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路遥 『人生』 にお け る呼 称(菱 沼)39

こ う した 土 地 を舞 台 と した 小 説 で あ るか ら、 路 遥 の作 品 に は 当 然 この 地 方 の 方 言 が 混 じる。 特 に会 話 の 部 分 に多 く、 呼 称 に も方 言 が 多 い。 路 遥 の 作 品 の魅 力 の 一 つ は 、 登 場 人 物 の 会 話 の 部 分 に も あ る と思 う。 多 くの 会 話(初 の作 品 に は会 話 部 分 が 少 な い よ うだ が)と 呼 称 は 、 場 面 、 人 間 関 係 、 話 し手 の感 情 を 彷 彿 させ 、 現 実 感 を添 え る の に 効 果 を発 揮 して い る。 『在 困 難 的 日 子 里 一一一一 九 六 一 年 紀 事 』(1981)か ら、 例 を 一 っ あ げ て お く。 飢 え て食 べ 物 を 捜 しに来 た 中学 生 が 、 元 党 幹 部 の 夫 と死 別 し今 は 乞 食 を せ ざ る を え な く な って い る 子連 れ の 女 性 に 出 会 い 、 食 べ 物 分 け 与 え る場 面 で あ る。

"我 娃 娃 遇 上 了 好 人 了!親 蛋 蛋

,快 醒 来!給 称 這 個 好 乾 大 磧 上 一 頭!"

"好 大 捜 哩

,快 不 要 這 様 了,我 這 磨 小,恋 能 当乾 大 哩?我 也 還 是 個 娃 娃 啄!"

下 線 を 付 した 部 分 が 呼 び か け の こ と ば で あ る。"好 大 艘"と い う形 に っ い て は6で 触 れ る。"乾 大"と い う こ とば に っ い て は 、4‑2で 触 れ る。

『人 生 』 を 調 査 の 対 象 と した の は 、 作 品 に 会 話 の 表 現 が 多 く、 ま た 豊 富 な 呼 称 の用 例 が 見 られ る か らで あ る。 ま た 、 これ らの点 が 作 品 の 内 容 と効 果 的 に結 びっ い て い る と思 わ れ る か らで あ る。 さ らに こ の 作 品 が 多 くの人 に読 ま れ 、 多 くの 議 論 を 呼 んだ 点 も考 慮 した 。 方 言 を あ る程 度 含 む とは い え 、 そ れ は作 品 理 解 の 障 害 に な っ て い る と い う よ り、 地 方 色 と い う魅 力 を 加 え て い る と 言 った ほ う が よ い程 度 か と思 う 。

3背 景 と登場 人 物

3‑1時 代 と地 理的 背景

『人 生』 の背景 と な る時代 は、 改革 開放 が始 ま り農村 の集 団化路 線 が各 農 家 の 請 負 制 に変 わ りつ つ あ った1980年 前 後 で あ る。 初 稿 が完 成 した の が 1981年 で あ るか ら、 ほ ぼ執筆 時期 を背 景 と して描 い て い る。 この点 が 多 く

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の議 論 を 引 き起 こ した 原 因 の 一 つ に な った と思 わ れ る。

舞 台 と な る村(高 家 村)で は 、 請 負 制 は まだ 実 施 され て い ない 。 人 民公 社 は ま だ 存 在 し、 村 は 戸 数 が 少 ない た め 生 産 大 隊 単 位 の 集 団 労 働 と統 一 分 配 が 実 施 され て い る。 た だ 、政 策 の 変 化 に と も な い 、 生 産 大 隊 が 二 つ の 「生 産 責 任 組 」 に分 割 され た 。 しか し実 質 は二 つ の生 産 隊 で あ り、請 負 の実 態 は なか っ

た 。 請 負 制 へ の 移 行 を 要 求 す る声 も 出 て い るが 、 村 の 幹 部 は保 身 を考 え て 新 政 策 に は 消 極 的 で 、 農 民 の 要 求 を 抑 え る の に腐 心 して い る。"走 後 門"は る所 に あ り、 同 時 に"反 走 後 門"の 政 策 も行 わ れ て い る。

高 家 村 は 県 城(清 澗 県)か ら10キ ロ程 度 と思 わ れ る 距 離 に あ り、 県 城 の 市 に は 徒 歩 で 出か け る農 民 も多 い 。 戸 数40余 、 どの 家 も川 筋 に 沿 った 山 の 斜 面 に散 在 して お り、農 地 はす べ て 山 の 斜 面 に あ る。

農 民 の 多 くは 、 幹 部 を含 め 文 盲 が 多 い。 小 学 校 の教 師 は 村 最 高 の 「文 化 人 」 で あ り、 服 装 だ け で も農 民 と区 別 で き る 。教 師 は"老 百姓"に 対 して"先 生"

とい う 階 層 に 入 る。

3‑2人

主 人 公 高 加 林 は24歳 、 男 、 父 母 と3人 家 族 で 暮 らす 一 人 息 子 。 県 城 の 高 校 を卒 業 後 、 大 学 入 学 試 験 に落 ち村 の 民営 小 学 校 の教 師 と な るが 、生 産 大 隊 の書 記 で あ り村 の最 高 幹 部 で あ る高 明楼 に辞 め させ られ 、農 民 に も ど る。 の ち 、"走 後 門"に よ って 県 の 通 信 幹 事(新 聞 記 者)と な るが 、 告 発 され 再 度 農 民 に も どされ る。

高 加 林 と接 触 を 持 ち、 登 場 す る機 会 の 比 較 的 多 い 人物 は 、 以 下 の十 人 で あ る。

農 村 関係 の 人 物 は 次 の7人

高 玉 徳:60余 歳 。 高 加 林 の 父 。 母 も登 場 す る が 、 姓 名 は 示 され な い 。 高 玉 智:高 玉 徳 の 弟 。 軍 人 。 退 役 して 、 県 の 労 働 局 長 と な る。

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路 遥 『人生 』 にお け る呼称(菱 沼)41

順:村 の長 老 、70歳 前 後 、独 身Q

高 明 楼:高 家 村 生 産 大 隊 の 書 記 。50余 歳 、 男 、 文 盲 。"郷 覇"、"大 能 人"

と あ だ な され て い る。 長 男 を 同 じ村 の"二 能 人"劉 立 本 の 長 女 ・劉 巧 英 と結 婚 させ 、 高 校 を 卒 業 した 次 男 を 小 学 校 の教 師 に就 け るた め に 、 高 加 林 を辞 め

させ る。

劉 立 本:馬 の 売 買 な どの 商 売 に長 じ、役 職 に は っ い て い な い が 、 村 民 か ら

"二 能 人"と 呼 ば れ て い る

。 功 英 、功 珍 、 功 玲 の3人 の娘 を持 っ が 、 金 を 惜 しみ 長 女 と次 女 は 学 校 に や ら なか った 。

劉 功 珍:劉 立 本 の次 女 、 二 十 歳 前 後 、 文 盲 。

栓:隣 村 の 生 産 隊 長 。 文 盲 だ が 、 高 家 村 と共 同 で 運 営 して い る小 学 校 の 管 理 委 員 。 誠 実 で働 き者 の 若 者 と して描 か れ て い る。

県城 で の 交 際 が 多 い 人 物 は 次 の3人

馬 占勝:生 産 大 隊 の 幹 部 か ら県 の職 員 に抜 擢 され た 人 物 で 、 悪 徳 幹 部 の 典 型 と して描 か れ て い る。 高 明楼 と結 び っ い て い る。 高 玉 智 が 県 の 労 働 局 長 と

して赴 任 す る と と も に 、 労働 局 の 副 局 長 と な る。

黄 亜 薄:高 加 林 の学 友 。 高 校 卒 業 後 、放 送 局 に勤 務 。

張 克 南:高 加 林 の学 友 。 高 校 卒 業 後 、 県 の 流 通 部 門 に勤 務 。

4親 族i関係 に お け る呼 称

ここでは家庭 におけ る家族 間 の呼称 につ いて、呼びか けの ことばを 中心 に、

次 ぎの三つ の場合 にっ いて調べ る。小 説 『人生』 か らの 引用例 の場合 は資料 名 を挙 げず 、他 の作 品か らの 引用 例 のみ資 料名 を挙 げ る。

1.高 加 林 、劉 巧珍 、黄亜 薄 、張克 南 の家庭 にお け る親 か ら子へ の呼 称。 前2者 は村 の家庭 、後2者 は県城 の家 庭で あ る。彼 らとそ の 兄 弟姉妹 はす べ て複 音名 なので 、単 音名 につ いては他 の資料 か ら

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補 う。

2.上 と 同 じ家 庭 に お け る 子 か ら親 へ の 呼 称 。

3.劉 巧 珍 とそ の姉 妹 の問 で 用 い られ る呼 称 。 また 、 他 の3人 は0人 子 な の で 、 『人 生 』 以 外 の 作 品 か ら兄 弟 姉 妹 間 の 呼 称 に つ い て 補 充 す る 。

4‑1親 か ら子 へ の 呼 称

一 般 的 に 、 親 族 関 係 に お い て 上 の世 代 が 下 の世 代 に呼 び か け る場 合 、 親 族 呼 称 は 使 わ れ ず 、 名(正 式 名)あ る い は乳 名(小 名)を 用 い るか 、 排 行 が 用 い られ る(YuanRenChao1956,馬 宏 基 ・常慶 豊1998)。

名 を そ の ま ま用 い る形 の 呼 び か け は 、 聞 き手 の 注 目を喚 起 す るた め の 単 純 な呼 び か け か ら、 聞 き手 に感 情 的 に 訴 え た い場 合 の表 現 まで 、 そ の使 用 場 面 の 幅 は 広 い 。 ま た 、 農 民 の 家 庭 で も都 市 の 政 府 職 員 の 家 庭 で も 同 様 に用 い ら れ 、 生 活 環 境 に よ る違 い は 見 られ な い 。

(1)"加 林!加 林!快 回 去 吃 飯 嚇 ノ脳 在 這 児 幹 嗜 哩?"他 聴 見 父 親 在 上 地 畔 上 叫他 。

(2)"加 林,称 是 不 是 身 上 不 醤 服?"母 親 用 額 音 問他,一 只 手掌 着 謡面 瓢 。 (3)他(高 玉 徳)一 問:"加 林,倒 究 出 了 什 ム 事 嘘?弥 給 我 個 説 説

嚇!称 看 把 称 婿 都 急 成 嗜 嚇!"

(4)劉 立 本,説="巧 珍,過 去 了 的 傷 心 事 再 不 提 官 了,称 也 就 不 要 再 難 過 了 。

(5)他 釜 側 過 頭,眼 晴 従 鏡 権 上 面 鰍 着 地 説:"亜 捧,我 看 弥 最 近 好 像 精 神 不 大 対,像 有 什 磨 心 事?"

名 を そ の ま ま呼 ぶ 形 と平 行 して使 わ れ て い るの が 、 乳 名 で あ る。 乳 名 の う ち一 番 多 く現 れ る形 は 、複 音 名 の う しろ の1字 を重 ね る方 法 で 作 られ る も の で 、"張 克 南"が"南 南"、"黄 亜 薄"は"捧 捧"と 呼 ば れ る よ う な場 合 で あ

(9)

路遥 『人生』 にお け る呼称(菱 沼)43

る。

現 在 も中 国 の 子 ど も は一 般 に 、 幼 年 期 に は 正 式 名 の ほ か に乳 名 を 持 っ 。 乳 名 は 家 庭 ・親 戚 以 外 で は使 わ れ ず 、学 校 で は 名 の み で 呼 ば れ るか(複 音 の 場 合)、 姓 名 で 呼 ば れ る(単 音 の場 合)の が 普 通 で あ る。 家 庭 で は成 人 後 も 、 特 に祖 父 母 の世 代 は 乳 名 を 使 い続 け る こ とが 多 い よ うで あ る。

乳 名 の 命 名 法 はわ か り に くい が 、 少 な くと も二 つ の パ ター ンが あ る。 一つ は 、 正 式 名 とは 形 式 上 何 の 関 係 も な く作 られ る も の 。 農 村 の場 合 は 動 物 名 を 用 い る こ と も多 い。 路 遥 『平 凡 的 世 界 』 の 主 人 公 の 一 人 孫 少 平 の 姉 の 子供 た ち は"猫 蛋(女)""狗 蛋(男)"と 呼 ぼ れ て い る。 陳 西 省 関 中 の作 家 陳 忠 実 の 『白鹿 原 』 の 主 人公 の一 人 白嘉 軒 の 乳 名 は"栓 狗"で あ り、 息 子 た ち に は

"馬 駒""螺 駒"と い う乳 名 を与 え て い る

。 や が て彼 らは私 塾 に 入 り、"孝 文"

"孝 武"と い う正 式 名(官 名)を 与 え られ る

。 友 人 の 池 田夢 先 生(明 治 学 院 大 学)の 場 合 、 乳 名 は"福,・"で あ る とい う。 い ず れ の場 合 も乳 名 と正 式 名

との 関連 は考 え に くい。

も う一 っ は 、 正 式 名 か ら1字 を取 る もの で 、 そ れ を 重 ね る場 合 と"小"を 加 え て 呼 ぶ 場 合 と が あ る。 重 ね て 用 い る場 合 、 複 音 名 は 後 ろ の1字 を と る

(前 の1字 は世 代 共 通 の字)。 白嘉 軒 の 娘"白 霊"は"霊 霊"(『 白鹿 原 』)と な り、"孫 少 安 、 孫 少 平 、 孫 蘭 香"は"安 安""平 平""香 香"と 呼 ば れ る。

同僚 の李 燕 先 生 の 乳 名 は"小 燕"で あ る と い う。

た だ し、"霊 霊""安 安"の よ う な形 が 常 に正 式 名 に 基 づ くとは 限 ら な い。

正 式 名 と は 関係 な く これ らの形 が 乳 名 と して命 名 さ れ る こ と もあ るか らで 、 友 人 の呉 川 先 生(日 本 大 学)の 場 合 、 乳 名 は"明 明"で あ る。 っ ま り、 乳 名 は か な り 自由 に命 名 され て い る と い う こ とで あ る。

趙 元 任1956に よ れ ば 、 幼 少 期 に は ほ か に"宝 宝""宝 貝""小 宝(貝)"の よ う な形(睨 称petname)、 干 支 に基 づ く名 前("竜 竜""小 竜")な どで 呼 ばれ る場 合 も あ る。

(10)

『創 業 史 』 の 主 人 公 梁 生 宝 の乳 名 は"宝 娃"で あ るが 、 童 養 姐 を迎 え た 際 に"生 宝"と い う正 式 名(官 名)を 与 え られ る。"生"は 父 梁 三 の 兄 の 子 供 た ち と共 通 の 世 代 を表 す 字 で あ る。 この よ う に乳 名 を も と に 正 式 名 が 作 られ る と い う命 名 法 は 、 上 述 の2番 目の 例 の 逆 だ が 、例 外 的 な もの と考 え て よ い で あ ろ う。

『人 生 』 に 現 れ る乳 名 は す べ て 正 式 名 の う しろ の1字 を 重 ね た形 で あ る 。 実 際 の用 例 は 県 城 の 家 庭 に お け る2例 で あ るが 、 農 民 の 家 庭 の 例 と して は姉 が 妹 に"珍 珍"と 呼 び か け る例 が あ る。 『平 凡 的 世 界 』 『白鹿 原 』 の 例 を 見 れ ば 、 農 村 で も一 般 に 使 わ れ る形 と考 え て よ い 。 次 の2例 は 、 主 人 公 高加 林 の 学 友"張 克 南""黄 亜 薄"に 対 して、 家 庭 で 親 が 呼 び か け た も の で あ る。

(6)他 母 親 進 来 了 。 這 次 地 開 了 口:"南 南,弥 起 来!"

(7)"不,....!別 説 了!我 忽 能 去 戎 他 断 決 関 係 咤?一""捧 捧,這 事 再 不 能 任 性 了!這 種 事 也 不 允 許 人任 性 了!一"

主 人 公 高 加 林 の乳 名 は 現 れ な い。 普 通 の 状 況 で 、 両 親 が 高 加 林 に 対 して 直 接 呼 び か け る と き は"加 林"を 使 用 す る。 例 外 と して"二 秤 子(無 茶 な 男 、 無 鉄 砲 な 男)"と い う性 格 を表 す 普 通 名 詞(孫1991の 言 う 「戯 称 」)が 使 わ れ た例 が0っ あ る。 父親 同様 加 林 を気 づ か う徳 順 が 、"加 林"の ほ か 、"小 子"

"娃 娃"な ど を使

っ て い る こ と を考 え る と(表1参 照)、 そ こ に何 か し らの 意 味 が あ りそ うで あ る。

特 別 の 状 況 で 現 れ る形 に、 擁嗅,好 娃 娃 哩!""好 我 的 娃 娃 哩,""好 我 的 小 老 子 哩!""我 的 懲 娃 娃 啄,"な どの"好""我 的"を 加 え た も のが あ る。 こ れ らに っ い て は 、他 の人 物 の例 と あ わ せ て の ち に検 討 す る。

高 加 林 に対 して 父 母 が 乳 名 を使 って 呼 び か け る例 が 出 現 しな い の は 、 偶 然 とは 考 え られ な い。 加 林 は 父 玉 徳 が40歳 を過 ぎ て得 た 一 人 息 子 で あ り 、 両 親 が 特 別 の 思 い を懐 く一 人 息 子 で あ る。 加 林 の 友 人 の 場 合 を考 え る と、 乳 名 が使 わ れ て も不 自然 で は な い。 そ れ で も使 わ れ な い の は 、 両 親 に何 らか の 事

(11)

路遥 『人生 』 におけ る呼称(菱 沼)45

情 が あ って 、 意 図 的 に使 わ な い と考 え て よ い 。 そ の事 情 と は両 親 の 息 子 に対 す る遠 慮 ・尊 重 で あ ろ う。 息 子 は 村 で 最 高 の知 識 人 で あ り、教 師 で あ る。 村 の最 高 幹 部 が 内 心 最 も恐 れ る能 力 の 持 ち 主 で あ り、 プ ラ イ ドも高 い 。 お と な し くう だ つ の あ が ら な い 両 親 が 遠 慮 す るだ け の 事 情 は あ るわ け で あ る。r人 生 』 は 、 教 師 を 辞 め させ られ た 高 加 林 が 自宅 に 帰 る場 面 か ら始 ま る。 い き さ っ を知 らぬ 両 親 は い そ い そ と笑 顔 で 迎 え(老 両 口見 児 子 回 来 、 両 張 核 桃 皮 搬 瞼 立 刻 笑 得 像 両 朶 花)、 父 は ラ ン プ の 芯 を弾 き部 屋 を 明 る く し、 母 は 食 事 の 仕 度 に掛 か る。 だ が 息 子 は 食 事 は い らな い と不 機 嫌 に 言 う。 両親 は 口 ご も り 顔 を 見 合 わ せ る(老 両 口的 瞼 頓 時 又 都 恢 復 了 核 桃 皮 状 、不 由得 相 互 交 換 了 一一 下 眼 色,都 在 心 里 説:娃 娃 今 児 箇 不 知 出 了 什 麿 事,心 里 不 暢 快?)。 こ う し た 関係 の親 子 で あ り、 そ の言 語 行 動 へ の反 映 が 乳 名 の不 使 用 と な った と考 え

られ る。 なお 、 用 例(43)も こ の 父 と子 の 関 係 を知 る上 で 参 考 に な る。

こ の よ う に考 え る傍 証 と して 、 『平 凡 的 世 界 』 の 次 の 部 分 を 挙 げ る こ とが で き る。 こ の場 合 も親 は お と な し く、 子 供 た ちは 有 能 で 自立 心 が 強 い と い う 設 定 に な って い る。 こ こで は親 が 子供 の 成 長 に伴 っ て 、 呼 び か け の形 式 を意 識 的 に変 え た こ とが 述 べ られ て い る。 こ う した 感 慨 が 述 べ られ る契 機 は 、 子 供 か ら家 の 改 築 費 用 の 提 供 が な され た こ とで あ る。

(8)児 子 已経 大 了,倣 老 人 的 就 応 該 尊 重 他 椚 。 他 和 老 伴 這 両 年 対 弦 子 的 称 呼 也 変 了;再 不 叫"安 安"、"平 平"或"香 香"這 些 泥 称,当 面 時 改

叫他 椚 為"虎 子 他 二 釜"和"虎 子 他 二 姑"這 些 対 大 人 的 尊 称 … …(平 凡)

乳 名 に は呼 ば れ る者 の 成 長 に伴 い 、 家 族 ・親 戚 に よ る使 用 の 継 続 ・停 止 の 選 択 が 生 じ,そ こ に呼 称 者 と被 呼 称 者 の 間 の感 情 ・関 係 の 変 化 を見 る こ とが で き る。 会 話 ・文 章 の 理 解 に 関 して 注 意 す べ き事 柄 の 一 っ で あ ろ う。

(12)

4‑2子 か ら親 へ の 呼 称

中 国 語 で は 親 お よ び そ の 他 上 の世 代 の 親 族 に対 して名 で 呼 び か け る こ と は で きず 、 親 族 呼 称 を用 い る。 『人 生 』 で は 、 子 が親 に呼 び か け る場 合 、"釜 琶"

と"釜"、"婿 嬬"と"嬬"の そ れ ぞ れ 二 つ の 形 が 現 れ る。 一般 的 に は家 庭 で は 普 通"釜""嬬"で あ ろ う。 『人 生 』 に お い て も"釜 釜""婿 婿"は や や 改 ま った 場 合 と言 え そ う で あ る。 親 が 子 に呼 び か け る場 合 に比 べ 、語 形 は 単 純 で あ る。

日本 語 と異 な る点 は、"釜 釜""嬬 婿"あ る い は"琶""婿"と 呼 び か け た あ と、 さ らに 二 人 称 代 名 詞"称"を 用 い る場 合 が 多 い こ とで あ る。

(9)高 加 林 看 完 信,一 大 声 城:"釜!婿!快 醒 一 醒 … …"

(10)高 加 林 一 説:"誰 高 墓 誰 泥?釜,称 一 輩 子 真 没 出 息!称 爾 伯!這 事 我 倣 的,由 我 作 主!"

(11)(高 加 林)"嬬,称 去 把 書 樟 里 我 的 鋼 筆 掌 来!"

(12)巧 珍 一 説"琶,称 為 嗜 罵 人 哩?"

(13)張 克 南 一 閃 身 爬 起 来,眼 瞠 着 他.,,城:"嬬!称 急 能 倣 這 事 咤?"

(14)"不,釜 釜!別 説 了!我 恕 能 去 我 他 断 決 関 係 泥?我 愛 他!一"

(15)巧 珍 一 説:rr,祢 不 要 罵 他!不 要 呪 他!不 要 … …"

(16)"琶 琶,高 加 林 的 事 称 知 道 不 知 道?""我 忽 不 知 道?常 委 会 我 都 参 加 了 … …"

(17)"雀i釜,佑 先 不 要 給 我 上 政 治 課!弥 知 道,我 現 在 有 多 磨 痛 苦 … …"

(18)"釜 琶,我 想 不 到 称 一 下 子 変 得 対 我 這 様 冷 酷!我 恨 称!"

(19)巧 英 拮 着 両 箇 面 手,堵 在 門 口説:";...,我 都 把 面 和 上 了,称 就 在 這 里 吃!"

(20)地 敲 了 敲 父 母 親 的 門,叫 道:"雀i釜,嬌 婿,称 個 起 来,過 我 這 辺 来 一一下!"

(21)克 南 手 模 着 被 母 親 打 過 的 瞼,眼 涙 直 消,説:"婿 嬬!称 知 道,我 非 常

(13)

路遥 『人生 』 におけ る呼称(菱 沼)47

喜 歓 亜 薄 … … 。 婿 婿!我 這 人 称 了解,又 不 完 全 了解!一"

父 の 兄 弟(お じ)に 言 及 な い し呼 び か け る場 合 に は 、"大 伯""二 伯""三 叔""四 叔"の よ う に 、 排 行 の番 号(排 号)が 加 わ る。 『人 生 』 で は共 通 語 で 一般 に用 い られ る この 形 の代 わ り に、"二 釜"と い う形 が 使 わ れ て い る。 高 加 林 に と って 、 父 玉 徳 の 弟 玉 智 が"二 釜"に 相 当す る。 こ の形 は 『平 凡 的 世 界 』 で も使 わ れ て い る。

(22)明 楼 笑 着 説:"加 林,称 還 不 回 家 招 呼 弥 二i去?"

(23)潤 叶 挿 喀 説:"二 釜,称 能 不 能 給 白叔 叔 和 徐 叔 叔 写 箇 信,譲 他 個 把 少 安 的 姐 夫 放 了?"(平 凡)

4‑3兄 弟 姉 妹 の 間 の 呼 称

馬 宏 基 ・常 慶 豊1998に よ れ ば 、 同世 代 の 間 で は 、 年 少 者 は 年 長 者 の名 を 呼 ば ず 、"大 姐 、 二 寄"の よ う に親 族 呼 称 で 呼 ぶ の が 普 通 で あ る。 年 少 者 に 対 して は名 あ る い は 乳名 を用 い 、 親 族 呼 称 は使 う場 合 も使 わ ない場 合 もあ る。

同 書 に 引 用 され た あ る調 査(陳 月 明1990)に よれ ば 、 年 少 者 に 対 す る親 族 呼 称 と名 ・乳 名 の使 用 の割 合 は 大 体1対3で 、 名 ・乳 名 の使 用 が優 勢 で あ る。

高 加 林 の 父 玉 徳 の 弟 玉 智 は 、 兄 に直 接 呼 び か け る と き は"寄"の 形 を 用 い 、 手 紙 で の 呼 び か け は"寄 寄"で あ る。 兄玉 徳 が 弟 玉 智 に 呼 び か け る例 は見 ら れ ない 。

『平 凡 的 世 界 』 の 主 人 公 た ち の 家 庭 に は4人 の 子 供 が い る。 妹 は 二 人 の 兄 を"大 寄""二 寄"と 呼 び 分 け る。 弟 は 姉 を"姐"と 呼 ぶ 。 た だ し言 及 す る 場 合 は"RA""姐 姐"を 用 い て い る。

劉 立 本 の3人 の娘 た ち(上 か ら巧 英 、巧 珍 、巧 玲)の 場 合 、姉 に 対 して は

"姐 姐""二 姐"

、 妹 に対 して は"妹 子""妹 妹"お よ び 名 と乳 名 が 出現 す る。

上 で 触 れ た 調 査 結 果 と は 反 対 に 、 こ の3姉 妹 の 間 で は 親 族 名 称 が 優 勢 で あ る (4例 中3例 は"妹 妹"ま た は"妹 子"、 正 式 名1、 乳 名1、 重 複 す る も の

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1)。 た だ し、 会 話 時 の 状 況 は い ず れ も感 情 の 高 揚 した 特 別 の 場 面 で あ り、

状 況 が 作 用 した も の と考 え るべ き で あ ろ う。

(24)巧 珍 一 下 子 脆 在 巧 英 面 前,把 頭 抵 在 姐 姐 的 懐 里,硬 咽 着 説:"我 称 脆 下 了!姐 姐!我 央 告 侮!… …"

(25)巧 玲 眼 里 転 着 涙 花 子,説:"二 姐,我 知 道 称 現 在 心 里 根 苦 … …"

(26)巧 珍 看 見 勉 妹 妹,便 伸 出 自己 的 一 只 手,拠 住 了巧 玲 的 手,非 常 動 情 地 説:"巧 玲,好 妹 妹,称 不 要 忘 了 二 姐 … … 称 要 常 来 看 我 。"

(27)巧 珍 説:"妹 妹 称 放 心,不 管 急 様,我 還 得 活 人 。 我 要 和 馬 栓.':.労 動,生 児 育 女,過 一 輩 子 光 景 … …"

(28)"那 哨椚 回!妹 子,称 可 真 有 一 幅 菩 薩 心 腸 … …"

(29)"珍 珍,称 不 要 突 了!姐 姐 知 道 弥 的 心!姐 姐 不 了 … …"

(26)に 見 え る"好 妹 妹"の よ う に"好"を 加 え た形 に っ い て は 、 の ち に 触 れ る。

5社 会 関係 にお け る呼称

こ こで は 、 次 ぎ の 三 つ の場 合 に っ い て調 べ る。

1.高 加 林 と友 人 と の 間 に お け る 呼 び か け 語 を 主 とす る 呼 称 。 交 際 の相 手 は 高 校 時 代 の 友 人 二 人 と恋 人 二 人 で あ る。

2.高 加 林 と高 家 村 お よ び 隣 村 の 農 民 と の交 際 に お け る 呼 称 。 また 、 そ の 背 景 を知 る た め に 、 農 民 間 の 交 際 に お け る 呼 称 に っ い て も触 れ る。

3.高 加 林 の 県 城 で の 仕 事 を 中 心 とす る交 際 に お け る呼 称 。

5‑1友 人 ・恋人 との 間の呼 称

高加 林 と張 克南(男)、 黄亜 捧(女)は 中学 ・高 校時 代 の友 人 で あ るが 、 いず れ も大学 入学試 験 に落 ちそれ ぞれ就職 してい る。黄 、張 の両親 は 県城 に

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路遥 『人 生』 にお け る呼 称(菱 沼)49

仕事 を持 ち、父親 は高級 幹部 で あ る ら しい。 高加 林が教 師 を辞 め させ られ た あ とこの二人 と出会 った とき、二 人はす で に婚 約 していた。 高加 林 と彼 らは 互 い に名 のみ で呼 び合 う。

孫 維張(1991)に よれ ば 同僚 、学 友 の間で は姓名 呼称 が普通 で 、姓 を省 く ことはで き ない。馬 宏 基 ・常慶 豊1998に よれ ば 、姓 名 呼称 は関係 が親 密 で は ない場 合 に も親密 で あ る場合 に も使 われ 、名 のみ の呼称 は きわ め て親 密 な 場合 にのみ使 われ る。

彼 ら3人 は卒 業後 交流 の機会 は ほ とん どなか った。 したが ってわ れわれ か ら見 る と、それ ほ ど親 しい間柄 とは言 え ない。 それ なの に彼 らが名 のみ で呼 び合 うのは、 この地 域 の呼称 のル ール が上 に示 した0般 のルー ル と異 なるの で は な く、交流 の機 会 の少 な さにかかわ らず 、そ の使 用す る呼び かけ語 が示 す よ うに、実 際彼 らは に互 いに きわ め て親 密 な気持 ちを抱 いて いた と考 え る べ きで あ ろ う。

それ は呼称 のル ール を作 り出す 背 景要 素 の一 つ で あ る、彼 らに共通 す る生 活環 境 と生活感 情 を考 えれ ば 、 この よう な呼称 法 が生 まれ る事 情 が理 解 で き るか らで あ る。前 に述べ た よ うに、小説 の舞 台 と な って い るの は陳西省 北部 とい う経済 的 、文化 的 に遅れ た地 域 で あ る。 県 には一っ か二っ しか中学 が な い。 彼 らの間 の親密 な感 情 は この よ うな県城 の 中学 に学 んだ者 の一体感 で あ ろ う。 また、作 者路 遥が こう した 一体感 を 自 ら体験 し、 これ を貴重 な もの と 考 え て いたた めで あ ろ う。路 遥 は 『平 凡的 世界 』 『在 困難 的 日子 里』 な どの 作 品で 、繰 り返 し中学 ・高校生 活 を題 材 と して取 り上 げ友 情 の物 語 を描 い て い る。路遥 はけ して快適 な中学 ・高校 生活 を送 ったわ けで は ないのだが。

婚 約者 同士 の亜 捧 と克 南 も名 で 呼び合 い 、呼称 の上 で友 人 関係 と変わ りは ない。加 林が 県城 に職 を得 た の ち、彼 ら3人 の間 に は三角 関係 が生 じるが 、 恋人 の関係 に な った亜 捧 と加林 の間 に も呼称 に は変 化が ない。

高加林 と文盲 の村 の娘劉 巧珍 との間 では 、恋人 にな る前 と後 で は、巧珍 の

(16)

側 に 変 化 が 生 じる(高 林 の 側 か らは変 化 が な い)。 巧 珍 が 積 極 的 に 加 林 に 近 づ くが 、 そ の と き の 呼 び か け は"加 林"で あ る。 恋 人 の 関 係 に な って か らは 、 そ れ が"加 林 寄"、 っ ま り 「名+"寄"=転 用 さ れ た 親 族 呼 称 」 に 変 わ る。

"寄"が 使 わ れ る の は基 本 的 に は 年 齢 差 に よ るが

、 都 市 で は 少 な く農 村 に 多 い 習 慣 で あ ろ う。

教 師 を 辞 め させ られ 農 民 に も ど った 高 加 林 は 、 父 に 言 わ れ て 県 城 の 市 に饅 頭 を 売 りに 出 か け るが 、 プ ラ イ ドが 邪 魔 を して売 る こ とが で き な い。 劉 巧 珍 が 代 わ りに売 りに行 って や り、 そ の あ と村 の 近 くで 落 ち 合 う。 帰 り道 、 巧 珍 の 呼 び か け の こ とば は"加 林"か ら"加 林 寄"に 変 わ り、 二 人 の 関 係 も変 わ る。

(30)巧 珍 看 見他,主 動 走 過 来 了 、 並 且1在 了他 的 面 前 実 際 上 等 於 把 他 堵 在 了 路 上 。"加 林,称 是 不 是r‑r去 了?"地 瞼 紅 撲 撲 的,不 知 為 什 麿,看 来 精 神 有 点 緊 張,

(31)巧 珍 一 下 子 停 住 了 脚 歩,憤 憤 地 説:"加 林!他 活 動 得 把 称 的 教 師 下 了,譲 他 児 子 上!"

(32)巧 珍 推 車 遅 上 来,大 胆 地 集 近 他,和 他 並 排 走 着,親 切 地 説:"加 寄,休 不 要 太 然 煎,称 這 幾 天 痩 了 。"

(33)加 林 寄!称 如 果 不 嫌 我,喧 椚 両 個 一 搭 里 過!

5‑2農 民 に 対 す る呼 称

高 家 村 一 番 の 実 力 者 は 、 生 産 大 隊 書 記 の 高 明 楼 で あ る。 年 齢 は50歳 を 少 し出 た 程 度 、 姓 は 同 じだ が 高 加 林 一 家 と姻 戚 関 係 は な い 。 彼 は わ れ わ れ に は 想 像 で き な い ほ どの権 力 を持 ち、 た や す く村 民 の生 活 を 左 右 す る こ とが で き る。 自分 の 無 能 な次 男 を教 師 に就 け る た め に 、 高 加 林 か ら小 学 校 教 師 の職 を 奪 った の は そ の 一 例 で あ る。 村 民 た ち は 陰 で"郷 覇"と 呼 び 、 そ の 不 法 な行 為 を 恐 れ か っ あ き らめ て い る("郷 覇"は 共 通 語 の"土 皇 帝"に 相 当 す る)。

(17)

路遥 『人生 』 におけ る呼称(菱 沼)51

"大 能 人"と も 呼 ば れ て い るが

、 これ は 褒 め こ と ば 。 この 書 記 は実 は 、 高 加 林 の 能 力 を 高 く評 価 して い る。 高 家 村 に お け る近 い将 来 の 最 大 の ラ イバ ル 、 彼 の 地 位 を脅 か す 存 在 と考 え 、 で きれ ば対 立 した くは ない 、村 を 出 て 県城 で 働 い て くれ れ ば そ れ が 一 番 と思 っ て い る。

小 説 で は 、 農 民 が 彼 に 直 接"高 書 記"と 呼 び か け る例 は0度 も 出 て こ な い が 、 実 際 に は そ う呼 ばれ る こ と は あ った で あ ろ う。 年 上 の 農 民(高 玉 徳 、 徳 順 な ど)は 名 で 呼 び か け る。 高 玉 徳 は 息 子 が 職 を辞 め させ られ た に も か か わ らず 、加 林 に"高 叔 叔"と 呼 ぶ よ う に忠 告 す る。 高加 林 は も ち ろ ん そ うは 呼 ば な い 。 加 林 が 高 明楼 に言 及 す る例 が1例 出 て くるが"高 書 記"を 用 い て お

り、 呼 び か け る必 要 が あ る場 合 もお そ ら く"高 書 記"と 呼 ぶ で あ ろ う。

次 の例 は 、 仕 事 の 打 ち 合 わ せ に尋 ね て きた 高 明楼 を前 に 、加 林 の 父 母 が 息 子 に 向 って 言 う こ と ば で あ る。

(34)"弥 到 郷 里 去 了?称 明楼 叔 等 了 弥 半 天!"

(36)"哨 村 里 的 事 就 看 他 明楼 叔 掌 哩!"

村 の 長 老 徳 順(70余 歳)と 書 記 高 明楼 と は 特 殊 な関 係 に あ る。 明楼 の 父 親 は生 前 徳 順 と親 し く、 義 兄 弟 の 関 係 を 結 ん で い た 。 彼 らは 義 理 の 息 子 と義 理 の 父 親 の 関 係 に な る。 高 明 楼 は こ の 関係 を 尊 重 し、 徳 順 を"乾 大"と 呼 ぶ

(大 は 共 通 語 の釜 、 参 に相 当 す る)。

(36)"明 楼,弥 回 来 了?""乾 大,弥 今 年 自留 地 的 荘 稼 還 不 錯 噺!能 打 不 少 糧 哩!""多 給 我 一 点 地,我 還 能 打 更 多 的 糧 哩!明 楼,人 家 労 的 村 都 往 開 分 哩,哨 個 村 忽 還 不 見 動 静?這 多 少 年 衆 人 交 混 在 一 起,一"

"乾 大

,不 要急 嚇!一"

徳 順 と 高 玉 徳(60余 歳)と は 特 に親 し く、年 齢 の 差 を越 え て 互 い に名 で 呼 び 合 う。 徳 順 は 加 林 を 息 子 同様 に見 な し見守 って い る。 小 説 中 の 加 林 と徳 順 の 会 話 は多 いが 、 加 林 は も っぱ ら"徳 順 爺"と 呼 び 、徳 順 は 場 面 ・内 容 に 応 じて"加 林""娃 娃""小 子"の3っ を使 い 分 け て い る("娃 娃"は 共 通 語

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の"骸 子"に 相 当す る)。 これ らの 例 を 見 る と 、"小 子"は 椰 楡 を含 む よ う な 軽 い 内 容 の 場 合 、"加 林"は 忠 告 や 非 難 、"娃 娃"は 激 励 の よ う に 区別 され る

か と 思 うが 、 用 例 が 少 な い の で 使 用 の 基 準 を 明確 にす る の は む ず か しい。

(37)"黄 土 是 止 血 的 … … 加 林!弥 再 不 敢 要 二 秤 子 了 。一"

(38)"佑 把 良心 責 了!加 林"N"J……"徳 順 老 漢 先 開 口説 。"巧 珍 那 麿 個 好 娃 娃,称 把 人 家 揖 在 了 半 路 上!称 作 肇 哩!加 林"N"J,我 従 小 親 称,看 着 称 長 大 的,我 掬 出心 給 弥 説 句 実 話 咀!帰 根 結 底 … …"

(39)"徳 順 爺 爺,我 連 想 也 没 想 。""小 子,甫 咲 我,我 老 漢 看 出来 了!"加 林 向 他 努 了 努 蜻,説:"好 爺 爺 哩,称 千 万 不 敢 膳 説!"

(40)"娃 娃,称 不 要 灰 心!一 個 男 子 漢,不 伯 跣 絞,一"

(41)"娃 娃 冴,回 来 労 動 這 不 伯,労 動 不 下 賎!可 称 把.・=..金子 去 了!巧 珍,那 可 是 一 塊 金 子 呵!"

馬 栓 は 隣 村 の生 産 隊 長 だ が 文 盲 で あ る。 しか し人 望 が あ るか らで あ ろ う、

学 校 管 理 把 員 会 の 委 員 を して い る。 この 学 校 は い くっ か の村 で 運 営 して い る 小 学 校 で 、 高 加 林 が 勤 務 して い た学 校 で あ る。 彼 は 役 割 上 加 林 がす で に辞 め さ せ られ た こ と を知 って い るの で あ るが 、 や は り"高 老 師"で 呼 び か け る。

この よ う に過 去 の職 称 を用 い る呼 び か け は職 称 用 法 の 一 般 的 習 慣 で あ るが 、 馬 の 人 柄 を も表 して い る。

(42)"高 老 師,称 在 家 哩?""称 打 扮 得 像 新 女 婿 一様,干 嗜 去 了?""看 嬉 婦 去 了!人 家 正 給 我 説 称 椚 村 劉 立 本 的 二 女 子 哩!""是 巧 珍 鳴?"

"就 是 的

。"

5‑3県 城 にお け る呼 称

"走後 門"に よ

って、高加 林 は県委員 会 の通 訊幹 事 の職 を得 る。職場 には 十数 歳年 上 の景若虹 とい う職員 が い るだけ であ る。 景 は省 の師範大 学 を卒 業 して い るが 、何 の役職 に もっ い てい ない。高加 林 は この人物 に好意 と敬 意 を

(19)

路遥 『人生』 にお け る呼称(菱 沼)53

持 ち"景 老 師"と 呼 ぶ こ と にす る。 しば しば加 林 を尋 ね て来 る黄 亜 葬 は"老 景"と 呼 ぶ が 、 この ほ う が 普 通 の 呼 び か け で あ ろ う。 高 加 林 の 景 若 虹 に対 す

る この 呼 び か け は 、 実 際 の 職 歴 ・職 種 と は 関 係 な く用 い られ た職 称 の 拡 大 用 法 で 、 相 手 の年 齢 ・知 識 ・経 験 に対 す る敬 意 を も と に個 人 的 に使 わ れ た 例 で

あ る。

6"好""我"を 伴 う 呼 び か け 語

『人 生 』 に は"好""我"お よ び そ の 両方 を伴 う呼 び か け の こ と ば が 相 当 数 使 わ れ て い る。 以 下 にそ の す べ て の例 を挙 げ る。

6‑1"我"を 伴 う呼 び か け語

「我 的+形 容 詞+娃 娃 」 の 形1例 を 見 るの み で あ る。6‑2以 下 で 述 べ る

"好"を 伴 う場 合 との 明 らか な違 い は

、 懇願 、 説 得 の 働 きか け を伴 わ ない 点 で あ る。 話 し手 が 親 近 感 を 強 調 して い る か 、 慨 嘆 を表 して い るか の いず れ か で あ ろ う と思 わ れ るが 、 こ の例 だ け で は 断 定 で き ない 。

前 に述 べ た よ う に 、 両 親 が 息 子 加 林 に 向 か っ て普 通 呼 び か け る と き は"加 林"で あ り、 こ の よ う な特 別 の 状 況 で 現 れ る形 の 中 に お い て の み̀̀娃 娃"が 使 わ れ る。 逆 に 、6‑2(50)お よ び6‑3の 例 を加 え て 判 断す る と、"好"

を 伴 う形 の 中 で は 正 式 名 は 使 わ れ な い と 言 って よ い で あ ろ う(た だ し、 言 及 の 場 合 に は"哨 加 林""我 加 林"な どが 使 わ れ て い る)。 こ の ル ー ル は 高 玉 徳 夫 婦 の み の も の で あ って 、 他 の 家 庭 や 加 林 の社 会 的 交 際 に ま で及 ぶ も の で は

な い。 用 例(51)〜(54)を 参 照 され た い 。

(43)高 加 林 一 説:"誰 高 墓 誰 唱?釜,弥 一・輩 子 真 没 出 息!弥 甫 伯!這 事 我 倣 的,由 我 作 主!"高 徳 玉 〜,痛 苦 地 叫 道:"我 的 慈 娃 娃 啄, 弥 総 有 一 天...r的 … …"

(20)

6‑2"好"を 伴 う呼 び か け語

"好"と と も に使 わ れ る呼 称 は

、 親 族 呼称 が 最 い 。親 族 呼称 は"寄""寄 寄"

"姐 姐""妹 妹""爺 爺"な どで あ るが

、 ほ か に"親 家""娃 娃"が そ れ ぞ れ 1例 あ る。

(44)高 玉 智 沈 黙 了 一 会,対 他a説:"好 寄 哩,i按 説,称 提 出什p」.=.求, 我 都 要 遵 哩!但 這 件 事 称 千 万 不 要 為 難 我!一 寄,称 要 理 解 我 的 心 情 哩 ・・"

(45)"姐 姐,快 回!祢 千 人 家 笑 話 冴!""什 麿 事 笑 話 我 哩?""好 姐 姐 哩!巧 玲 早 昨 晩 上 鞄 到 我 那 里,把 什 麿 事 都 給 我 説 了 。 我 昨 晩 上 急 得 一 夜 没 睡 着 。一"

(46)"好 姐 姐 哩!他 現 在 也 句多可憐 了 ド 要 是 塙 倒 衆 人 推,他 往 後 可 恋 様 活 下 去 冴 … …"巧 珍 説 着,涙 水 已経 在 眼 目匡里 旋 転 起 来 。

(47)巧 珍 看 見 地 妹 妹,便 伸 出 自己 的 一 只 手,911住 了 巧 玲 的 手,非 常 動 情 地 説:"巧 玲,好 妹 妹,祢 不 要 忘 了 二 姐 … 称 要 常 来 看 我 。 二 姐 没 有 念 過 書,但 心 里 喜 歓 有 文 化 的 人 … 我 現 在 只 有 看 見 弥,心 里 才 暢 快 一 点 …"

(48)徳 順 爺 爺 笑 昧 昧 地 説:"我 看 称 椚 両 個 最 合 適!巧 珍 又 俊,人 品 又 好;

称 椚 両 個 天 生 的 一 対!加 林,称 這 小 子 有 眼 光 哩!""徳 順 爺 爺,我 想 也 没 想 。""小 子,甫 咲 我,我 老 漢 看 出来 了!"加 林 向他 努 了 努Q, 説:"好 爺 爺 哩,称 千 万 不 敢 膳 説!"

(49)"我 没 弁 法?我 把 他 亀 子 孫 的腿 往 断 打 啄!""嘆 冴?看 把 称 能 的!…

好 親 家 哩 ,称 這 陣 在 氣 頭 上,我 没 弁 法 説 服 称 。 … …"

(50)他 釜i接着 也 開 了 口:"… …喚,好 娃 娃 哩!甫 看 称 浮 高 了,為1ホ 這 没 良心 事,現 在 一・川 道 的 人 低 看 称 哩!"

次 に 多 い の が 名 あ る い は 乳 名 と と も に使 用 す る例 で あ る。

(51)這 事 難 然 是 我 在 会 上 宣 布 的,可 這 不 是 我 決 定 的Q!我 馬 占勝 螂 有 這

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路遥 『人生』 にお け る呼 称(菱 沼)55

磨 大 的 牛 皮!因 此,好 加 林,弥 千 万 不 要 恨 我!

(52)黄 亜 藩 一,幾 乎 是 央 告 着 説:"好 克 南 哩,称 不 要 祉 這 些 了,我 煩 得 要 命,弥 不 要 再 折 磨 我 了!LL

(53)"牛 屍 股 都 不 会 織!"高 明 楼 身 子 往 立 本 労 辺 梛 了 梛,開 始 苦 口婆 心 勧 解 起 親 家 来:"好 立 本 哩,称 的 目光 太 短 浅 了 。 称 根 本 不 能 小 看 加

林 。"

(54)勉 母 親 揉 了 揉 眼 晴,也 着 急 地 対 地 説:"咬 冴,好 捧 捧 哩!有 什 麿 事 弥 就 快 説!称 把 人 急 死 了!"

代 名 詞"称"は 単 独 で は 呼 び か け に は 使 え な い(YuanRenChao1956) が 、"好 称"の 形 に な る と、 呼 び か け と して の 使 用 が 可 能 と な る 。

(55)"好 称 哩,別 説 証 話 了!立 本 剛 剛 来 給 我 発 了 一 頓 凶,還 説 要 把 我 加 林 的 腿 打 断 哩!"

(56)"好 称 哩,不 要 控 苦 我 了 。 我 現在 漠 油 澆 心 哩!"

"好"を 伴 う これ らの 呼 び か け 語 は

、 相 手 に 対 す る懇 願 、 説 得 、 忠 告 な ど の 働 きか け の 機 能 を持 っ 点 で 共 通 して い る。

6‑3"好 我 的"を 伴 う呼 び か け 語

"好 我 的"を 伴 う例 は3っ あ るが

、 い ず れ も 父 母 か ら高 加 林 に 対 して 呼 び か け た例 で あ る。 用 例 か ら判 断 す る と、 これ らは6‑2の"好"を 伴 う 呼 び か け 語 の 強 調 形 で あ る。 この 形 の 中 で は̀̀加 林"は 使 わ れ な い。

(57)他 母 親 揺 揺 晃 晃 的,幾 乎 要 捧 倒 了,嗜 里 一 股 勤 央 告 説:"好 我 的 娃 娃 哩,称 再 強,嬬 就 給 称 下 脆q牙… …"

(58)他 婿 也 過 来 祉 着 他 的 男 一 条 賂 脾,拉 着 他 釜 的 話,也 央 告 他 説:"好 我 的 娃 娃 哩,称 釜 説 得 対 対 的!高 明楼 心 眼 子 不 対,一"

(59)他 死 死 按 着 児 子 的 光 賂 脾,央 告 他 説="好 我 的 小 老 子 哩!弥 可 千 万 不 要 闊 這 乱 子 啄!人 家 通 天 着 哩!公 社,県 上 都 採 得 地 皮 響 。"

(22)

共 通 語 に は 、"我 的 好+親 族 呼 称"と い う形 が あ る。

(60)弟 弟,我 的 好 弟 弟,伯 て若 愛 我 個 的祖 国,称 若 要 勉 繁 栄 富 強,称 急 能 継 続 這 般 消 極 地 生 活?!(劉 心 武 『醒 来 ロ巴,弟 弟 』)

比 較 す る と、 「我 的 好 」 の 形 に は親 愛 ・近 しさ の 感 情 は あ る が 、 懇 願 ・説 得 の機 能 は な い よ う で あ る 。

7主 人公高 加林 をめ ぐる呼称

主 人 公 高 加 林 に 対 して どの よ う な呼 称 が 使 わ れ て い るか 、 呼 び か け の こ と ば(表1)と 言 及 の こ と ば(表2)に 分 け て表 に した 。

高 加 林 に対 す る呼 び か け語 は 、普 通 の 状 況 にお い て は 、 名 の 使 用 が 家 庭 ・ 社 会 を通 して 優 勢 で あ る。 父 は 面 と 向 か って は"加 林"と しか 呼 ば な い ル ー ル を守 り通 して い るが 、 本 人 の い な い所 で は 、"娃 娃""我 那 苦 命 的 娃 娃"

"独 苗"な どよ り情 を込 め た表 現 を 用 い て お り

、 呼 称 も こ の 父 と子 の 関係 を 知 る手 掛 か り と な って い る。 父 の友 人 徳 順 は よ り 自 由 な 立 場 に い る た め 、場 面 ・内 容 に応 じて最 も 自 由 に 呼 び か け 語 を用 い て い る。 表2に は 、巧 珍 の 父 劉 立 本 の 加 林 に対 す る 呼 び か け ・言 及 が 多 く、 そ れ らは ほ と ん どが 悪 意 の も の で あ る。 これ は娘 巧 珍 と加 林 の結 婚 に反 対 して い る と い う事 情 に よ る。

『人 生 』 には 、"好"を 伴 う 呼 び か け 語 が や や 多 く使 わ れ て い る よ う に 思 う が 、 陳 西 省 の 作 家 陳 忠 実 や 柳 青 の 作 品 に も 出現 す る形 で あ り、 路 遥 の み が 特 に好 ん だ 形 で は な い で あ ろ う。

呼 び か け の こ と ば に は 中 国語 一 般 に共 通 す る規 則 が あ り、 そ う した規 則 を 明 らか にす る こ と は 当 然 の 課 題 で あ る。 た だ し本 稿 は 、 個 別 の作 品 の具 体 的 な人 間 関 係 、 発 話 者 の 感 情 、 場 面 ・状 況 、 会 話 の 内容 な ど と の 関 連 か ら呼 称 の 実 際 の用 法 の 一 部 を 考 察 した もの で あ る。

な お 、 この 調 査 の過 程 で 気 づ い た こ とで あ る が 、 作 者 が 登 場 人物 に対 して

参照

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