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福井県若狭地方における言語分布相 : 主に語の伝 播の観点から

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(1)

福井県若狭地方における言語分布相 : 主に語の伝 播の観点から

著者 加藤 和夫

雑誌名 都大論究

巻 17

ページ (1)‑(24)

発行年 1980‑04‑10

URL http://hdl.handle.net/2297/29729

(2)

福井県若狭地方における言語分布相

主に語の伝播の観点から-

加藤和夫

1はじめに

言語地理学(方言地理学)の目的は,ある一定の意味を表わす語形の地理的 分布をもとに,各語形間の歴史的序列を再構成することにある。そして,言語 地図はまた一方で,ある地域への,あるいはある地域内での語の伝播経路を明らか にする場合が少なくない。後者,つまり伝播経路を明らかにするという点では,

特に微細言語地図(注、たとえば全集落の網羅的調査にもとづくようなものほど,

その有効な手がかりとなるはずである。(注2)

筆者は1976年から1978年にかけて福井県若狭地方で言語地理学的調査を 行なった。小論の目的は,そこで得た言語地図資料をもとに主に語の伝播とい う観点から考察をすすめ,若狭地方における言語分布相を明らかにしようとす るものである。

また,かつての中央語地域京都を南にひかえる若狭地方に,中央語が果して どのような経路でどの程度影響を与えているのかという点を少しでも明らかに することで,今後の若狭地方方言研究の足がかりとしたいと考える。

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(3)

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若狭地方方言地図

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(4)

2.2調査地点・方法

調査地点は1976年に129,1978年に111(うち58の再調査地点を含

む)の計240地点,異なりにして182地点(注3)である。1976年の調査

では国土地理院発行の五万分の一地形図に載る集落のほとんどを目標とした が,1978年の調査ではやや網の目を粗くして,2~3集落に1つの割合で

臨地調査を実施している。

話者の条件,質問方法等は国立国語研究所の日本言語地図方式に概ね拠っ

ている。

小論では紙数の関係で,調査地点名および調査地点番号,話者の生年・性

別等を割愛した。

3.若狭地方の言語分布相

3.1分布パターンから伝播パターンへ

個々の言語地図は,そのままある一定の意味を表わす語形の共時的分布を 示すものである。ところが我々は,その共時態のうちに同時に通時的変化の 跡をもたどることができる。小論の目的も,つまりは分布パターンという共 時態から通時的に語の伝播の道筋を追おうというものである。

ただこれも,調査対象とした地域が,たとえば1本の川や道路に沿った谷 あいで,かつ周辺からの影響をあまり受けないような所であった場合には意 味のないこととなる。若狭地方はその意味で,後述するようないくつかの伝 播経路が複雑にからハ合った地域であり,かつ京都を中心としたかつての中 央語が周辺に及ぼした影響を探る上でも大変興味深いところである。

3.2若狭地方における語の伝播パターン

若狭地方への,あるいは若狭地方内での語の伝播経路として,当初,図3 のa~fのようなものを予想した。これらは,この地域の地理的条件および 歴史的・社会文化的条件から予想されたもので,結果的にこれらの予想がほ ぼ妥当であることが確かめられた。ただし,fのような海を介しての広域の

伝播(注4)は,特殊なもの-風位名の分布など-を除いてまず考えなくてよい

ようである。

では,若狭地方における語の伝播パターンを整理・分類,大きく3つに分

け,以下にそれぞれ~型と名付けて示す。

「伝播パターンによる分類〕

・小浜を中心とした波状伝播型

・西部侵入伝播型

(5)

fc

(二麗壷飯型

・東部侵入伝播型

(壼鷺三方型

なお,ここで言う伝播パターンによる分類は,多くの場合分布パターンそ のものの反映であることが多い。しかし注意しなければならないのは,同様 の分布パターンを示すものが全て同様の伝播過程を経ているとは限らないと いう点である。同一の表層構造から常に同一の深層構造は導びけないのであ る。従来ややもすると,分布パターンと伝播パターンは明確に区別されない まま述べられていた観もある。よって小論では,分布パターンとは明確に区 別して「伝播パターン」という術語を用いる。

では以後,各伝播パターンごとに代表的な言語地図をも示しながら述べて

ゆくことにする。

3.2.1小浜を中心とした波状伝播型

先に大きく3つに分けて示した伝播パターンのうち,若狭地方における最 も代表的な伝播パターンである。図3のaがこれに相当する。若狭地方の政

(4)

(6)

治・文化の中心地小浜を核として周辺に波状的に伝播するということは,分 布パターンとしては結局,小浜を中心としたいわゆるABA型分布あるいは

ABCBA型分布といった周圏的分布(注5)を示すことになる。

この伝播パターンが若狭地方における語の伝播パターンの代表的なもので あるということは,若狭地方への(若狭地方での)新語の伝播が,多くはこ の地方の中心地たる小浜をその拠点としているということを明らかにするも のである。そしてさらにそこでは,小浜を中心に伝播を開始する新語の性格 により2つの場合がある。1つは,それが京都地方およびその近辺に分布し ていたと考えられるもので,この場合,京都というかつての中央語地域の言 語勢力であっても,必ずしも近隣地域一若狭地方のような-に街道沿いに連 続的に伝播するものではないということを示している。中央語の影響による 新語が,一旦若狭地方の中心地小浜に飛火して後,そこを新たな語の伝播源 として周囲に分布し始めるというパターンである。またいま1つは,新語が 小浜で独自に発生したと考えられるものである。しかしこの例はそう多くは 確認できていない。

なお,この伝播パターンを示すもののうちにも,波状伝播が若狭地方全域 に及ぶ範囲で繰り返されていると見られるものと,それが若狭地方の中央部 にとどまっているものとがある。後者については,若狭地方周辺部に周囲か らの侵入伝播による語が分布していたりする場合が多く,伝播パターンの観 点からは複数の伝播パターンの複合形態ということになってくる。従ってこ こでは,前者の場合についてまず具体的な言語地図を見ることにしたい。

図4は「真綿」の地図である。これを見ると,若狭地方の中央部にmawata,

そしてその周囲にtsuIriwata類(tsulriwata・tsuJruJwata)が

分布し,小浜を中心にまずts唾riwata類が周囲に波状伝播し,さらに新

しくmawataがやはり小浜を中心に伝播し始めた歴史を読入とることがで きる。ABA型分布の典型といえよう。

また図5「氷」の地図でも,「真綿」の場合同様,kaOami以下tsul-

raraまでの孤例的なものを除いて,小浜を中心としたiteOane類>ko

:riの波状伝播の歴史が再構される。併用地点の話者の新古関係に関する意 識もiteOane類が古いことで一致している。

図6は,調査項目中,指定・断定の助動詞「だ」に相当するものの現われ

を見ようとした6つの調査〕iJ注。で,全てに「W」の現われた地点に6点,

5つに「ジャ」が現われ1つが「ヤ」であった地点に5点,というふうにし て描いた総合図である。「ジャ」の使用が根強い地域,「ジャ」とともに

「ヤ」が使用され始めている地域,「ヤ」の専用地域が小浜を中心に周圏的 に分布していることが確かめられる。

(7)

蔓三鑛蕊篝

琴!=臺臺i蕊蕊/(三

(6)

(8)

では,紙数の関係で具体的に言語地図は示せないが,「小浜を中心とした 波状伝播型」と解釈したもののうち,分布パターンとしてABA型分布を示 すものを図7-1,図7-2にまとめて載せる。このうち図7-1には若狭 地方全域に及ぶ範囲でABA型分布を示すものを,図7-2には若狭中央部 の限られた範囲でABA型分布を示すものを載せた。

図7

蟷螂(かまきり)

おたまじゃくし

項目 語形

蟷螂(かまきり) oOami類 kamakiri類 oDami類 おたまじゃくし kaeruJko類 otamad5akuJJi類 kaerulko類 赤とんぼ jo:raitombo類 akatombo類 Jo:raitombo類 やんま jamatombo類 jamba類 jamatombo類 旋毛(つむじ) tsuJd5i類 girigiri類 tsuld5i類 氷柱(つらら) nanrJo:類 nanzo類 nanrJo:類 糧(うるち) tadaUome類 uurmOome類 tadaOome類 籾殻(も八がら) nulka suJrinuJka nmka

(9)

糖(ぬ刀〕 konuJka類 nIuka類 konuIka類 nambankibi類 nambaN類 nambankibi類 namba toUaraji類 nambaN類

korIU koOorm類 korul

煮ここりになる

kobiruJ類 tJanoko kobiruJ類 什事の合間の間食

oOa oOamuJJi

かめ虫llo0ammji

面子(めんこ)paN頚meDko類PaN類 凧(えこ)Ikanoborl類takO Ikanoborl類 父親の呼称tjaN類otottsaN類tjaN類 母親の呼称kakaN類okaN類kakaN類 祖父の呼称d51JaN類od51JaN類d51JaN類 祖母の呼称babaN類obaN類babaN類

兄の呼称a7D71a類a77DaN類a7za類

ikanobori類 凧(たこ) ikanobori類 tako

kakaN類 okaN二 祖父の呼称 d5ijaN類 od5ijaN類

babaN類

ane:類

図7

】Inr

CizamadzuJkIu otJisuJruJ類 CizamadzuJkuJ あぐら(胡座)かくsuuwaruIgittokakuJ類suJwaruu

d5aOataraimo d5aOataraimo類 d5aOaimo

電鈴薯(じゃも)

(8)

糖(ぬか) konLuka類 nluka類 konuJka類 もろこし nambankibi類 nambaN類 nambankibi類 とうがらし nambaN to:Daraji類 nambaN類 囲炉裏の座名

-主人の座一 jokoza類 otokoza類 okoza類 煮こごりになる ko:ruJ k oOorluko:rul 仕事の合間の間食 kobirul類 tjanoko kobiruu類 はまる(泥や雪に)足が

guJwarlu gulirln guIwarul

〈さかめ虫 oDamulji oOa oDamuIJi 螢取り歌

-第一節一

ho:taruIko:i koikoikoi類

ho:tarulko:i tottotto類

ho:taruuko:i koikoikoi類 面子(めんと) PaN類 meOko類 PaN類

凧(たこ) ikanobori類 takO ikanobori類 父親の呼称 tjaN類 otottsaNtjaN類 母親の呼称 kakaN類 okaN類 kakaN類 祖父の呼称 d5ijaN類 od5ijaN類 d5ijaN類 祖母の呼称 babaN類 obaN'類 babaN類

兄の呼称 a7D71a類 a柳aN類 a”a類

姉の呼称 ne:類 ane:類 、e:類

kedo類 kendo kedo類

行く 法一

ikinasaruI類 ikaJjarul

ikinaruI類 ikansIu

ikinasaruI類

ニーーーー,■■---_--■

ikaJjarul

項目 語形

蝸牛(かたつむり) kaits【ubuJri類 dendenmLuJi

katatsulmuJri kaitsIubIuri類 正座する CizamadzIukuJ OtJiN suuruJizamadzuJkuJ あぐら(胡座)かく sIuwarul gittokakul類 suJwarul 馬鈴薯(じゃがいい d5aOataraimo類 d5aOaimo d5aOataraimo

(10)

図7-1,7-2に載る項目のうち,「旋毛(つむじ)」「梗(うるち)」

「とうもろこし」については,地点数がその時点で少なかったものの,加藤和

夫(19785)P16~18の地図を参照されたい。

さて,「小浜を中心とした波状伝播型」のうち,稀ではあるが分布パター ンとしてABCBA型分布を示すものも見られる。例えば「こおろぎ」「菜 切り包丁」の地図がこれにあたる。図8「こおろぎ」の地図をこの伝播パタ ーンとしたのは,以下のような解釈にもとづくものである。

i鑿菫i墨篝篝il(

弓Rn;召HP JC

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分布を概観すると,美浜町の3地点に分布するkmrototQkluroto-

tome,および小浜市韮寝業(6513.5138)のtJiitjiitotoを除いて,

ko:ro9i,totJiOera,tetetojiの3つの埋言がそれぞれまとまった分 布域をもって分布している。そしてその分布相は,小浜中心部にtetetoJi

(ただし東部の美浜町海岸部4地点にも分布する)が,その周囲にtotji-

Oera,さらにその周辺部にko:roOiという姿である。ko:ro9iが現在の 共通語形と一致することから,totJi9eraやtetetoJiの分布域に併用 の形で現われるko:roOiが最も新しい共通語勢力であることは当然予想さ れるものの,totjiOeraの分布域をおおって最周辺部に分布するko:roOi をも共通語の影響による新しい分布とは片付けられない。この分布からはや はり,ko:roOiが最も古く,その後小浜を中心にtotJiOeraが新しく周 囲に伝播を開始し,さらに新しくtetetoJiが分布を拡げていると解釈でき る。

(11)

ko:roUi>totJiOera>tetetoJi(>ko:roOi)

東部美浜町4地点に分布するtetetoJiは,小浜を中心とした最新勢力 tetetoJi-共通語のko:roOiを除いて-が海を介して飛火したとも考え

られるが,むしろ東の敦賀市にも分布するらしい(注7)tetetojiの別途の伝

播と八た方がよいと思われる。

『日本言語地図』(以後LAJと略記する)に「こおろぎ」の地図がない こともあり,その全国分布を詳しく知ることはできないが,管見による限り tetetoJiについてはこの若狭以外に分布が確かめられない。若狭地方で独 自に発生した埋言形である可能性が高い。これにはかなり多くの話者から,

「昔は,こおろぎの鳴き声について“父さんいとし(テテトシ)母さんいと し(ハハトシ),'と鳴いていると教えられた。だからtetetoJiと言う」

というような内容の説明を聞いた。

なお,klurototo,kuIrototomeおよびtjiitJiitotoはともに

-toto-という共通形態を含むことから,過去に連続した分布をもってい たものの名残とも考えられる。「物類称呼』には,「こおろぎ」の一種であ るという「竜馬(かまどうま)=いとど」に「京にて。くるM中略)西国

にてユろつgo又いかご゜近江にて。<ろと云う。これ古「こほろぎ」とい

ひし物也。今いふ「こほろき」の種類にして小なる物也。竈のあたりにすむ。l

(下線筆者)との説明がある。また広戸惇(19659)『中国地方五県言語地

図』Fig.24「こおろぎ」によれば,兵庫県に接する鳥取県東部にkIuroto,

離れてko:roOi類の分布域に接する島根県西部と山口県にkIurotsultsm,

kuIrotsuIzulの分布が見える。

「菜切り包丁」は地図は示せないが,その分布から小浜中心部でnaOa- tana(菜刀)>naOataN>naOataと解釈できるABCBA型分布であ

る。

3.2.2西部侵入伝播型

若狭地方においては,前節で述べた「小浜を中心とした波状伝播型」と異 なり,周辺からの連続的な侵入伝播もまた見られる。特に若狭地方西部では,

京都北部の分布勢力が直接侵入伝播している場合が少なくない。京都がかつ ての中央語地域であったことから考えてむしろ当然の事実と言えるのである が,言語地図の上でそれがはっきりと確かめられたわけである。小論では,

この種の伝播パターンを「西部侵入伝播型」と名付け,その侵入伝播経路の 別によりさらに「高浜・大飯型」「名田庄型」の2つに分けて述べることに する。

(12)

高浜。大飯型

この伝播M-ンは,高浜町の西に隣接する京都府曇驫市から丹後街道沿

いに,高浜町および大飯町の範囲に語が侵入伝播したと解釈されるものであ る。図9「買物圏(昔の大きな買物)」にも現われているように,若狭地方 西部の大飯郡-特に高浜町一は古くから舞鶴市とのつながりが深く,したが

って言語面で受けた影響もかなり大きかったと考えられる。図3でいえばe がこの伝播パターンに相当する。

では,以下に具体的に数枚の地図を示しながら,この型に入る項目を挙げ,

(召Z

;Ji藝霊鍵讓i菫F1!

侵入伝播したと解釈する埋言形をく>内に示す。ただこれらのうちには,今 後舞鶴市方面の分布が明らかにされた段階で解釈の変更をせまられるものも

出てくるであろうことは考えておかなければいけない。

(1)「里芋(さといも)」

<dzulikiimo類(dzulikiimo・dzLukuJimo)>

ただし,小浜中心部に近い北の半島部にもdzulikiimoの分布が見え,

これが大飯郡に影響を与えた可能性も残す。

(2)「くさかめ虫」

<kaide類(kaide・kaede・kaida)>

図10を参照。

(13)

(3)「仕事の合間の間食」

<aiso類(aiso・aeso)>

(4)「面子(めんこ)」

<itameN類(itameN・itameOko)>

(5)「お手玉」

図11を参照。

墓|F鋒;iiiiiil

それでは図,,「お手玉」の地図(注8)を簡単に解釈しておく。

od5amiは「里芋(さといも)」におけるdzuェikiimo同様,小浜の中心 部にも分布が見えるが,LAJ145図の分布から推して舞鶴方面からの侵入 伝播であることはまず疑いない。また名田庄村の西部4地点に分布 するod5amiは,名田庄村の南つまり京都府北桑田郡美山町はnanakoの 分布域一LAJ145図参照一であり,かつ名田庄村の最も美山町寄り2地点 にそのnanakoの侵入伝播があることから,大飯町を経由して名田庄村に伝 播したものと考えられる。

また,若狭地方中部から東部にかけて広い分布域を持つkommeは,LAJ M5図によれば滋賀県全域にも分布しており,この分布勢力が若狭街道を介 して若狭地方へ,西近江路・塩津街道を介して敦賀市へ伝播したものであろ う。若狭地方に関する限り,特に小浜中心部への伝播はod5amiよりkomme

が早かったとゐられるが,敦賀市より北の福井県嶺北地方(注9)にod5amiが為

えkommeがみえないこととLAJ145図の分布とを併わせ考えると,中央語の語史と

(14)

職巨図

若 狭地方方言地図

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(15)

してはod5amiの方が古いものと判断される。

ikkulの分布する7地点はかつての尋常小学校の学区域と一致している。

名田庄型

「高浜・大飯型」に対し,名田庄村の南に接する美山町から名田庄村に語 が侵入伝播した場合をこう名付ける。図3のoがこれに相当するが,ただ単 に美山町から名田庄村への侵入伝播のハ見られる地図は,今回の調査項目に 限ってはあまり多くない。このことはつまり次のようなこととも関係がある と思われる。京都北部に広い分布域を持つ優勢な偲言が若狭地方に連続的に 伝播する場合,一方で美山町から名田庄村へ伝播するとともに,舞鶴市から 高浜・大飯町へも伝播し,結果的に「高浜・大飯型」「名田庄型」2つの伝 播パターンの複合形態をとることが多いということである。この複合形態に ついては後述する。

では,以下「名田庄型」の具体例を示すが,いずれの項目も,京都を中心 に分布する優勢な哩言を持つものではなく,農具の名称のようなやや特殊な ものとなっている。やはりく>内が侵入伝播したと解釈する埋言形である。

(1)「お手玉」

<nanako>

図11(先掲)およびその解釈を参照。

(2)「木製の背負子(しよいこ)」

<oiko類(oiko・jeoiko・jeoi)>

侵入伝播したoiko類は名田庄村にとどまらず大飯町および小浜市の一 部にまで分布を拡大している。図12を参照。

(3)「(ぼろ布に火をつけた)虫よけ」

<Cinto類(Cinto・CidzuJto・Gibmto)>

小浜中心部における分布の歴史は,kabi>kuJslube類(kulsulbe・

kakuIsmbe・bultokmsuJbe)>kaOko類(kaDko・kakko・makko)

と解釈する。

ではここで,伝播パターンとしては「西部侵入伝播型」に入り,かつ「高 浜・大飯型」「名田庄型」2つの伝播パターンの複合形態と解されるものを 見てハよう。同一の偲言が2つの異なった伝播経路をとって若狭地方西部に 侵入し,やがてそれらが連続した分布域を形成一一部には,侵入伝播した浬 言が小浜中心部にも飛火したり,ついにはそれをも含究若狭地方西半に広く 分布を達成したものもある一するという場合である。

以下,これにあたるものを具体的に示す。<>内が塙浜・大飯型」「名田 庄型」の両伝播パターンをとったと解釈できる偲言形である。

(16)

第1 劃走

i穰

(1)「恐ろしい」

<kjo:toi>

図13を参照。

(2)「蝶(くるぶし)」

<uImeboJi>

図14を参照。

(8)「あぐら(胡座)かく」

<d5orokokakuI類>

(4)「囲炉裏の座名一主人・主婦および士間に面した座を除く残りの座一」

<kid5iri>

(5)「囲炉裏のある部屋」

<oma>

(6)「結(ゆい)」

<teOOori類(teODori・temaDori・temoDori・teDOLIm・teO-

ulri)>

図15を参照。「手繰り」の意か。

(7)「稔りの悪い籾」

<ikaJi>

ikajiは小浜中心部を含盈小浜市東端まで分布。それ以東はmjo:ji

(17)

髄雷因

5593

 ̄”こげ ̄

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(18)

類(mjo:Ji・mjo:saomijoji)の連続的分布。

(8)「お前のかわりに行っても旦些」

<joi>

小浜中心部を含み若狭地方東部はi:が分布。

(9)「あの人の体はエー室_L」

<o:ki:>

小浜中心部を含八若狭地方東部はikai類(ikai・ikkai・ikaE)が分

ここでは(2)「腺(くるぶし)」(図14)の概観をしておく。

布。

LAJ128図によれば,Iumebojiは近畿を中心に連続的にまとまった分 布を示し,近畿地方における最新勢力であることがわかる。そこでは若狭地 方西部に接する京都北部でもuJmebojiの分布が確かめられ,図14は,京 都北部のIumeboliが2つの伝播経路により若狭地方に侵入伝播したことを はっきり示している。そして今や,新興勢力ulmeboJiは小浜中心部をも

占拠している。

なお,kuIrulbuIji類とkobuI類の新古については,やや問題は残るが,

小浜中心部に分布の多いkobuI類を新しいと考えるべきだろう。

3.2.3東部侵入伝播型

前節で述べた「西部侵入伝播型」に対し,若狭地方東部で周辺から語が連 続的に侵入伝播しているものをこの様に名付ける。図3のbおよびdのパタ

ーンがここに含まれる。

歴史的に若狭地方と京都を結ぶ最重要路であったという若狭街道の存在を 重く見て,図3のb,つまり滋賀県高島郡今津町側から上中町への侵入伝播一 小論では「上中型」とする-が多いことをはじめは予想したが,結果的には,

後述するように,わずかに「恐ろしい」の地図(先掲図13)にその可能性

を見るだけである。

一方,図3のdに相当する伝播パターンはまだ幾分多く見られ,これを

「美浜・三方型」と名付ける。

美浜・三方型

この伝播パターンは,若狭地方の東に接する越前の敦賀市の分布勢力が,

美浜町あるいは三カ町にまで侵入伝播しているものを言う。敦賀市の分布が 美浜町そしてさらには三ヵ町にまで影響を及ぼしていることの背景には,

「西部侵入伝播型」で触れた図9「買物圏」にあるようなこの地方の社会・

文化圏が要因としてあると考えられる。そして,この伝播パターソがそうした外

(19)

08

(20)

的要因の反映であるが故に,敦賀市から侵入伝播した埋言が三ヵ町を越え上 中町以西にまで及んでいる例は今のところ確認できない。ましてや,「西部 侵入伝播型」のいくつかの地図で見られたように,小浜中心部にまで及ぶこ

とはまず考えられない。

では,この伝播パターンを示す項目を2枚の地図とともに挙げる。このう ち(1)~(3)は,敦賀市からの侵入伝播が美浜町の範囲にとどまっているもの,

(4)以下はそれが三カ町にまで及んでいるものである。これまでと同じくく>

内が侵入伝播したと解釈する偲言形である。

(1)「旋毛(つむじ)」

<id5i>

美浜町佐田(6503.2935)1地点の八であるが,敦賀市Iこまとまって

サクI

分布しているid5i(注'0)が丹後街道沿いに侵入伝播している。

(2)「あぐら(胡座)かく」

<d5orokokaklu>

(3)「分家」

<ad5itji>

(4)「雪かき具」

<goidzuIki類(goidzuIki・goisuJki・goid5iki)>

(5)「桑の実」

<tsulmame類(tsmmame・tsmmami・tjimame)>

図16を参照。柳田国男(19503)によれば,「桑の実」の偲言で tsulmame類と同系と思われる語頭がtsIn-のものは,敦賀市に続 く福井県嶺北地方・石川県・滋賀県湖東・岐阜県そして長野県の一部に

のみ分布するらしい。近畿以西では,広戸惇(19659)Fig.78「桑

の実」も含めて分布は確認できない。

(6)「蜷(にな)」

<d5ine類(d5ine・d5imi)>

(7)「田螺(たにし)」

<tsmbuI類(tsmbul・tsulmul)>

tsmbulの分布域の西はtaniJi類(taniJi・tanoji・tanulji・

tanoiji)が分布する。東條操編『全国方言辞典』によれば,、田蝿 の意の「つぶ」は,福井県敦賀のほか青森・岩手・宮城・秋田.山形.

福島.群馬・千葉・長野・新潟・石川・滋賀(栗太郡)・三重(鈴鹿郡)

兵庫に分布するらしい。『物類称呼』には「田螺たにし。畿内及西国東 武其外国々にて・たにしと云。(中略)。北国及房総又駿河相模伊勢路

にて。田づほといふ。叉「つぶ」と斗も云」とある。

(21)

一一=第16図

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(8)「(脱穀の際出る)藁かす」

<jata類(jata・jatakasluojatasulbe)>

図17を参照。jataの分布は敦賀市から福井県嶺北地方へと連続する

ものである。

上中型

既述のとおり,東部侵入伝播型のうちで滋賀県高島郡今津町側から上中町 に,連続的に語が侵入伝播したとみられるものがこれである。しかし,今回 の調査項目中この伝播パターンにあたると考えられる分布事象は殆ど見い出 すことができなかった。強いて挙げるとするならば,先に「西部侵入伝播型」

のところで触れた「恐ろしい」の地図(図13)に孔えるozoiの分布が,こ

の「上中型」によるものという解釈をしそ注'1)、る。もっとも,その分布状態か

ら推して,ozoiの分布全てが,「上中型」という1つの伝播パターンで説

明されるかというと難しい問題である。つまり,ozoiの現在の分布は,今

津町側から上中町への侵入伝播の流れ-「上中型」-と,それとは別に,小

浜中心部が滋賀湖西の影響で取り入れたものを周囲に拡げる流れ-「小浜を

中心とした波状伝播型」-の2つが合わさってできたものとも考えられるか

らである。ただ,たとえ後者の立場をとったとしてもozoiを「上中型」の

(23)

一例として示すことに不都合はないだろう。

一般に,ある地域とある地域の交流の歴史において最も重要な役割を果た した陸上交通路が明らかになっている時,我々は,語の伝播においてもやは りそれが大きな力を持ち,ややもすると,それが語を乗せて移動させるベル トコンベアーであるかのように思いがちである。しかし,「上中型」があま り存在しないという事実は,若狭と京を結ぶ最重要路であったといわれる若 狭街道も,新語を小浜中心部に飛火させることには少なからず関与したであ ろうが,ベルトコンベアー的役割は殆どなさなかったということを明らかに

している。

語の伝播に関する限り,若狭地方の人々の中央(京都)志向は,この地方の政 治・文化の中心地小浜を媒介として成り立っていたのであって,一部「西部 侵入伝播型」に見られるものも,近江の言葉より丹波・丹後の言葉に,より 京都的なものを求めた若狭地方の人々の意識の現われではなかったのか。

「上中型」と関連してそんなことを思うのである。

4.おわりに

以上,言語地図を資料として福井県若狭地方における言語分布相を,主に 語の伝播経路という観点からながめてきた。伝播経路そのものは調査前の予 想とあまり異ならなかったが,伝播パターンの大きな3つの型,すなわち

「小浜を中心とした波状伝播型」「西部侵入伝播型」「東部侵入伝播型」の 現われは,かなり予想とは違うものであった。若狭地方のように,かつての 中央語地域京都をすぐ南に控えた地域でも,語の伝播の中心はやはりこの地 域の中心地小浜であることが確かめられたことは大変興味深い。小論の内容 は,より多くの言語地図資料から帰納されたものとして,若狭地方への語の 一般的伝播傾向をほぼ明らかにし得たと考えている。

なお小論では,語の伝播パターンに特に焦点をあてたがために触れること のなかった言語地図資料も多い。また紙数の関係から,個との言語地図に対 する解釈も十分とは言えないものがある。取り上げることのできなかった言 語地図も含めての詳しい解釈等は別の機会に譲ることとする。

(注1)WAグロータース(1970)「鳥鰍的広域言語地図と微細言語地図」

(平山輝男博士還暦記念会『方言研究の問題点」所収)参照。

(注2)最近盛んになりつつあるグロットグラム調査は特にこの種の研究

には有効であると思われる。

(注3)1978年の調査にあたっては,1976年調査の項目を幾分減 らし,逆に新しく加えた項目がある。したがって言語地図には,項目によ

(24)

り182地点の資料の載るものと111地点のものがある。異なり地点数 182のうち9地点は調査協力者である三好真理氏(当時福井大学学生),

他は全て筆者の臨地調査による。

(注4)若狭地方海岸部の地点どうしによる小規模な海上伝播はわずかな

がら確認できる。

(注5)周圏的分布を示すものが必ずしもここに含まれるとは言えない。

解釈により方言周圏論の適用できないものも少なからず見られる。その一 部は既に『都立大学方言学会会報第87号』で報告してある。

(注6)①「これは鳥型,②「ここは静かだ」,③「あの人は明日ここ に来る重ろう」,④「たぶん行くころう」,⑤「たぶん行かないだろう」,

⑥「あの人は役場に行くのだろう」の6つである。このうち⑥において

「ジャ」の現われが最も顕著であった。

(注7)『全国方言辞典』(P、567)には「ててとし蟠蝉。こおろぎ。

福井県敦賀Jの記述がある。totJiOeraについては,同書(R590)

に「とちげら蟠蝉。こおろぎ。福井県大飯郡・京都府何鹿郡。とちけら

兵庫県養父郡。」とある。

(注8)図11には筆者の調査地域の東に接する敦賀市の資料が加えてあ る。敦賀市の資料は,大崎恭子・西田美知子・松浦教子三氏の調査(昭和 47年度福井大学卒業論文)によるものである。これ以外の言語地図で敦 賀市の資料が載るものも同様である。

キノ〆

(注9)敦賀市と南条郡の境Iこある木之芽峠から北を一般Iこ嶺北地方,敦 賀市から若狭地方全域を嶺南地方と呼んでいる。

(注10)(注8)で述べた大崎・西田・松浦三氏の調査資料による。

(注11)LAJ42図その他の資料によれば,滋賀県に「恐しし、」の意の

「おぞい」が分布しており,その勢力が若狭にも及んだものと解される。

「恐ろしい」の意の「おぞい」は,ここ数年来福井大学教育学部国語研究 室が行なっている越前地方の言語地理学的調査結果でも,北の敦賀市や南 条郡に連続的に侵入伝播していることが確かめられる。ただ「おぞい」に

ついては,その意味の違いを考えなければ語そのものの分布は全国に及ん でおり,語そのものの分布と,いろいろに変化した意味の分布の両面から

考察する必要がありそうである。

〔主要参考文献〕

井之口有一・堀井令以知(19752)『京都語辞典』東京堂出版 楳垣実編(19623)『近畿方言の総合的研究』三省堂

奥村三雄(19687)「関西弁の地理的範囲」(『言語生活』2.2号)

(25)

加藤和夫(19785)「京都周辺地域にみる語の分布パターンー福井県若狭地 方の調査から ̄」(『日本方言研究会第26回発表原稿集」)

加藤和夫(19796)「言語地図解釈における方言周圏論の限界一福井県若狭 地方の分布事象を例に ̄」(『都立大学方言学会会報第87号』)

京都大学文学部国語学国文学研究室編(M3皿)『雪雲物類称呼本文.

釈文・索引』

wAグロータース(197611)『日本の方言地理学のために』平凡社 W、A・Grootaers(’97711)THELINGUIST,CROLEOF

APROV’NCIALClTYINJApAN(SOPHIALIN-

GUISTICAm)

国立国語研究所(’966-74)「日本言語地図,-V,』大蔵省印刷局

柴田武(’9588)「方言の古い層と新しい層」(『言語生活』83号)

柴田武(19698)『言語地理学の方法』筑摩書房

柴田武司会(19753)『シンポジウム日本語5日本語の方言』学生社 東條操編(195112)『全国方言辞典」東京堂出版

徳川宗賢(19723)「ことばの地理的伝播速度など」(『現代言語学」

平山輝男博士還暦記念会(19708)『方言研究の問題点」明治書院

三省堂)

広戸惇(19657)『中国地方五県言語地図』風間書房

,馬瀬良雄(’9779)「方言周圏論再考」(『言語生活』3,2号)

柳田国男(19503)『西はどっち国語変遷の一つの例』甲文社

〔付記〕

小論は,1979年1月に提出した修士論文の一部と,1978年5月 26日の日本方言研究会第26回研究発表会における発表原稿をもとに書き 改めたものである。口頭発表の席上,多くの御教示をたまわった御出席各位 に御礼申し上げます。なお初稿の後,編集委員の方念から助言を得,再稿の 後は馬瀬良雄先生に通読していただき有益な御教示をいただいた。また,話 者として御協力下さった多くの方々に,あらためて深く感謝いたします。

(1979.11.6初稿)

(1979.12.24再稿)

参照

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