経営と経済第71巻第2号1991年9月
ドラッカーの理論と「経営者支配」(3)
立山杣彦
目 次 はじめに
1 . ドラッカーの産業社会論〔以上第 6 0 巻 4 号 〕 2 . ドラッカーの大企業論(その 1)
3 . ドラッカーの大企業論(その 2) [以上第 7 1 巻 l 号 〕 4 . ドラッカーの大企業論(その 3)
5 . ドラッカーの企業管理論 むすび 〔以上本号〕
4 ドラッカーの大企業論(その 3)
ドラッカーは, 1 企業体それ自体にとっても社会にとっても,われわれの 中心的な経済的制度としての企業体の機能は,常にもっとも重要な機能であ り,他の諸機能よりも優先しなければならなし、」として,大企業の経済的機 能をもっとも重視しているが,その理由について次のように述べている。「企 業体にとって経済的機能がもっとも重要な機能でなければならないのは,企 業体の存続 ( s u r v i v a l)がその経済的責務 ( e c o n o m i cr e s p o n s i b i l i t y ) の効 果的達成に依存しているからである。社会にとってそれがもっとも重要な機 能でなければならないのは,社会という観点からすると,企業の目的 ( p u r ‑ p o s e ) でありかつ企業を正当化するもの(j u s t i f i c a t i o n ) が経済的成果 ( e c o n o m i c p e r f o r m a n c e ) であるという理由からである」。ここでは,以上のような観 点に立脚するドラッカーの企業経済原則論,利潤の位置づけにかんする論議,
さらには企業目的論などを, w 新しい社会一産業秩序の分析(1 9 5 0 年)jと
『管理の実践(1 9 5 5 年 ) j を中心に取上げる。
C 1 J ドラッカーは, w 新しい社会』において,経済的機能を最重要な機 能とする大企業の第 1 原則として, 1 損失回避の原則 ( t h el a w o f a v o i d i n g l o s s ) J を挙げている。まず,ここでは,この原則の中核概念を形成している
「未来費用 ( f u t u r ec o s t s ) J を中心に見ていこう。
ドラッカーによれば, 1 近代的な産業経済(i n d u s t r i a leconomy) J には次
のような 1 2 つの根本的革新 ( t h etwo b a s i c i n n o v a t i o n ) J があると L 、 ぅ 。
1 3 8 経 営 と 経 済
( 1 ) r 産業経済の経済単位は,個々人ではなく,非常に多くの人々からなる機 構 ( o r g a n i z a t i o n ) と大量の固定資本投下を意味する企業体である J; ( 2 ) r 産
業経済の経済活動は,ほとんど絶え間のない交換において生ずる「交易 ( t r a d e ) J ではなく,非常に長期にわたる生産である。機構(人的資源)も 資本投下(物的資源)も,現在「この場ですぐ」生産には役立たない。機構 もしくは投資が生産を開始するまでには何年もかかり,そしてそれらが回収 されるまでにはさらに何年もかかる」。彼によれば,ごの r 2 つの根本的革 新」のために, r 産業組織体 ( i n d u s t r i a ls y s t e m ) は 2 種の費用,すなわ
ち当期費用 ( c u r r e n tc o s t s ) 一一「事業を運営する費用 ( c o s t so f doing b u s i n e s s ) J と未来費用 ( f u t u r ec o s t s ) 一「事業を継続する費用 ( c o s t so f s t a y i n g i n b u s i n e s s ) J を持つ」のであるが, r 会計学者の費用概念は,概し て,企業体を生産的にさせ続けておくために将来必要とされる物的・人的な 資本資源の費用を含んでいない。しかし,産業組織体においては,未来費用 すなわち「事業を継続させる費用」が決定的なのである」。
彼は「未来費用」を次のようなものと把えている。「産業経済においては,
費用は現在に属するものと同じ程度で未来にも属する(しかも,費用は決し て過去には属さな L 、)。しかしながら,未来は,常に未知で予見不能で不確 実である。未来費用は危険負担 ( r i s k s ) である。当期費用と当期生産との 差 一 交 易 経 済 ( at r a d i n g economy) の「剰余 ( s u r p l u s ) J 一ーは,産業経 済においては,これら未来への危険負担,すなわちこれら「事業を継続させ る費用」に対する「掛金 (premium) J を構成する」);「これらの危険負担 を十分に賄うという問題が産業経済の中心的問題とならねばならないことは 明白である……・…・・未来の損失が生産資源に食い込んで経済を貧困化し,経 済的成果を減少させないようにする唯一の方法は,明日の危険に対して今日 十分な積立て一一これに明らかに当期費用と当期生産との差だけから生ずる
一ーをしておくことによってである」。
それでは, ドラッカーは, r 未来費用」はどのようなものから構成されて いると把えているのであろうか。彼によれば, i ) r 取替 ( r e p l a c e m e n t ) J ;
i i ) r 陳腐化 ( o b s o l e s c e n c e ) J ; i i i ) r 本来の危険 ( r i s kp r o p e r ) J ; i v ) r 不確
実性 ( u n c e r t a i n t y ) J という「主要な 4 つ」があり, I 企業体が存続してその これら 4 つがすべて当期費用から賄われねばな
4 4
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的 い 会 な 社 ら
. i i ) は「社会が欲する財を生産する能力」に関る i )は機械設備および人的資源の消耗に備えるため ものである。すなわち,
i i ) は機械設備の旧式化に備えるための費用である。 i i i ) の費用であり,
i v ) は「製品の市場性に関わる」ものである。 i i i ) は製品・サービスが市場 に受容れられるかどうかにかんするものであり, i v ) は新製品・サービス・
新工程を成功裡に導くにはどれ程の時間が必要か分らないという点にかんす るものである。 i) . i i ) に備えない大企業は企業そのものの維持が困難に
︑ ︑ . ︐ ノ
・ ・ ・ 且 ・ 唱
EA
なり,またこれらの多くは通常,費用概念に含められているので, •
しかし,
のための費用を個別企業の費用として把えるのは一応納得がし、く。
と性格を異にしている。利潤は,本来資本主義企業
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. i v ) は i) •
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がこうした危険や不確実性をあえておかすところに発生の大きな根拠をもっ を個別企業の費用と把えるのは誤まってい . i v )
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・ 1
且・ 1・1
したがって,
ている。
る 。
ドラッカーの「未来費用」にかんする主張は以上に止まらず,他の企業の 危険に対しても備えなければならないと言うのである。彼はこの点を次のよ うに述べている。 1 1 孤立した企業体 ( i s o l a t e de n t e r p r i s e ) J の経済学にとっ
企業体は当期生産から…… 4 つの主な未来損失 ( f u t u r el o s s ) の危険 ては,
に対して備えなければならないと述べるだけで十分であろう。しかしながら,
そ
の企業体自体の未来費用に備えるだけでなく,成功していない他の企業体の 危険にも寄与することを,換言すれば他の企業体が被る恐れがある損失を分 担することを要求しなければならな L 、 J I 社会は,成功している企業体に 対し,その企業体の危険に備えるために必要とされるものを超える当期生産 剰余 ( s u ゆ l u s0 1 c u r r e n t p r o d u c t i o n ) を要求しなければならない。
企業体は,孤立しておらず,非常に数多くの企業体から構成される経済の l である。〔段落〕社会は,成功している企業体に対して,
分子 ( p a r t i c 1 e )
この「剰 他の企業体の危険に対する掛 金である。……経済的に見ればそれは純然たる費用である。 というのは,
にー余 ( s u r p l u s ) J は「利潤 ( p r o f i t ) J ではなく,
経 営 と 経 済 1 4 0
の剰余が準備されなければ,経済は収縮せざるをえないからである」)。さら に,彼の主張は,次のように,社会的費用の負担の問題にまで及ぶのである。
その当期生産から社会の社会的費用 ( s o c i a lb u r d e n ) 一 政 府 によって供給されるか個人自身によって供給されるかを問わず,経済過程と は関係ないあらゆる用役一ーを負わなければならない J 。以上が彼の主張で
「企業体は,
ある。他企業の「未来費用」および社会的費用を,資本主義企業における個 別経済計算の基準としての費用概念に含めることには無理がある。このよう
一 フ
ロ ﹄
な論理は,資本主義企業の経済原則を無視した観念的要請にすぎない。
ッカーの主張においては,個別資本独自の運動法則が無視されており,個別 資本次元の問題が総資本次元の問題と混同されている。大企業の利潤のこと ごとくが費用の袋に投込まれてしまうことになる。
以上のように,ドラッカーの費用概念はきわめて問題のあるものであるが,
「成功していない企業体の未来費用」
「未来費用」
彼は, I 当期費用」
これらの費用と危険負担 をすべて十分に賄うことができる場合にのみ,企業体それ自身と社会の生産 資源を無傷のままにしておくことができる」と述べている。
「社会的費用」のすべてについて, I 企業体は,
一
ロ ' フ こうして,
したがって「損失回避」こそが大 ッカーにおいては,莫大な諸費用の回収,
企業の第 1の経済原則とならざるをえないのである。
ドラッカーの主張する大企業の莫大な諸費用の大半は通常,利潤に属する。
それらは最終的には価格機構を通じて国民によって負担されなければならな したがって, I 損失回避の原則」の実体は,大企業による最大限の利潤 L 。 、
しかし,彼は, I 企業体は,
体が目的ではなく社会の用具 ( at o o l o f s o c i e t y ) である」との把握を前提と して,次のように主張している。「社会が企業体に要求する経済的成果は,
損失の回避……と L 、ぅ企業体が要求する自己の利益と一致する。社会の目的 と企業体の存続利益との間に対立はない。双方は,相調和しており同ーの原 理の下にあり,同じ尺度で同時に測定される」。大企業は社会の経済的手段 それ自 国民収奪の原則にほかならない。
取得,
であるから,大企業が自己存続のために莫大な諸費用の回収を行うことは社
会の利益と一致するというのである。大企業による最大限の利潤追及に対す
る徹底した弁護論であると言わざるをえない。)
つぎに, ドラッカーが大企業の第 2 原則として掲げている「産出高増大の 原則 ( t h el a w o f h i g h e r o u t p u t ) J について簡単に見ておこう。「拡大 ( e x ‑ p a n s i o n ) が産業経済の目的でもありその絶対的要件 ( i m p e r a t i v en e e d ) で
もあるから,社会は,産業企業体に対して収縮 ( c o n t r a c t i o n ) を防止し拡 大を図ることを要求しなければならない。企業体は,その生産性を増大しな ければならない。というのは,生産性の増大こそが拡大の唯一の基礎だから である。同時に,生産性の増大は,企業体自体の存続と安定を混乱させると いう脅威に対する主要な保護手段である(非競争経済においてすらそうであ る ) J 。社会および大企業,双方の観点から,大企業における「拡大」ない しその唯一の基礎をなす生産性の増大が至上命題であるということである。
彼は,また, i 拡大」の内容としては,新資源・新製品・新市場の開発を挙 げている。)この第 2 原則は,第 1 原則を補完している。)すなわち,生産性の 増大により,大企業における莫大な費用の回収,最大限の利潤追求がより容 易になるからである。彼は,大企業は主産性の増大により最大限の利潤を取 得し,高蓄積を推進し,これにより新資源・新製品・新市場の開発を行ない,
経済を成長させることができると,考えている。独占資本の論理に沿った高 蓄積第一主義,成長第一主義の考え方である。
(2J ここでは, ドラッカーが利潤をどのように把え,また何を企業目的 と考えているのかについて見ておこう。
( 1 ) ドラッカーは,企業経済原則論の展開 ( W 新しい社会』第 4 ・5章) においては, i i 利潤 ( p r o f i t ) J というわれわれの先入観ほど,われわれが未 だどれほど深く前産業的な思考 ( p r e i n d u s t r i a lt h i n k i n g ) に陥っているかを,
明瞭に示すものはない。産業経済学上の中心的事実は, i 利潤」ではなく「損 失」である」として,利潤そのものに積極的な位置づけを与えていなかった。
しかし,われわれは,既に, i 損失回避の原則」の実体が最大限の利潤追求 の原則にほかならないことを指摘した。
『新しい社会』第 6 章「収益性と成果」においても, i 生産性増大によっ
て,資金の剰余 ( as u r p l u s o f r e s o u r c e s ) は創り出されるが,言葉の厳密な
1 4 2 経 営 と 経 済 意味における「利潤 ( p r o f i t ) J (たとえ財務諸表に利潤として記載されようと
も)は創り出されない。さらに,未来の危険に対する準備金は,通常利潤で あるかのように表わされるが,実際には正真正銘の費用なのである」として,
利潤そのものに積極的位置づけを与えていない。しかし,彼は,次のように,
「収益性 ( p r o f i t a b i l i t y ) J の役割を重視している。 r r 収益性」は,産業経済
においては意味深長な概念である。それは,確かに産業経済の中心的概念で ある。というのは,収益性は,われわれが有する唯一の経済的成果の尺度だ からである J r 収益性は,企業体の至高の基準・原理でなければならない。
収益性は,企業体の自己および社会に対する責任を表わす J 0 r 収益性」は,
大企業の自己および社会に対する責任である経済的成果の尺度なのである。
なお,彼が次のように述べていることからも明らかなように, r 収益性」は
「慣習的な J 利潤に関係した概念なのである。「慣習的に「利潤」として表 わされているものは, r 事業を継続させる」未来費用に対する掛金 ( r i s k premium) と生産性増大によって可能とされた資本償還 ( c a p i t a lr e p a y ‑ m e n t s )
v i o n s )
との混合物である」
の大きさと妥当性,
r 収益性は,未来費用に対する準備金 ( p r o ‑ および生産性増大を測定する」。岡本康雄氏が 指摘するように, I 未来費用に対する掛金」は損失の回避に, I 生産性増大に よって可能とされた資本償還」は生産力の拡大という社会的要請につながり,
「こうして彼(ドラッカ一一立山)にあっては,収益性は,社会的規範と して他律的に与えられた企業の「目標」を遂行する程度を測定する尺度とな った」のである。
『管理の実践』では, ドラッカーは,次のように,利潤に明確な位置づけ を与えている。「企業にとって,利潤 ( p r o f i t ) は存続のための必要物 ( a n e c e s s i t y o f s u r v i v a l)である」 「企業は相応の利潤をえて運営されなけ ればならない。 これは,第 lの社会的責任であるばかりでなく, 企業自体お よびその労働者に対するその第 lの義務である」。 とくに,彼は,企業の社 会的責任との関連で次のように述べている。「社会に対する第 lの責任は,
利潤を得て運営することであり,ついで、重要な責任は成長への必要性である。
企業 ( t h eb u s i n e s s ) は , われわれの社会における富の創造‑生産の機関
( t h e wea 1 t h ‑ c r e a t i n g and w e a l t h ‑ p r o d u c i n g o r g a n ) である。経営者 ( m a n g e ‑ ment) は,経済活動の危険を相殺するために,相応の利潤を形成すること
によりその富の生産資源を無傷のまま維持しなければならない。さらにその うえ,経営者は,これらの資源による富の創造‑生産能力を高め,それによ って社会の富を増加させねばならなし、 J r 相応の利潤を形成するという経 営者の責任は,絶対的であり,回避することはできない。…・・…・社会は,企 業とつねに切離すことのできない密接な関係を有している。企業が相応の利 潤を生産しなければ社会は損失を被り,企業が革新Ci n n o v a t i o n ) や成長に 成功しなければ社会は貧困化せざるをえなし、」。
ドラッカーは,利潤の機能として, r 企業活動の成果を測定できる唯一の 尺度」のほかに,次の 4 項目の補償・支出を賄なうことを指摘している。 i) 企業存続の費用; i i ) 他 企 業 の 損 失 ( i i i ) 社会的費用のための税金; i v )
「将来の発展のための資本 J 0 i ) ' " ' ‑ ' i v ) は,同時に利潤の構成要素でもあ る 。 i v ) は,同書の別の箇所では, r 革新と拡大 ( i n n o v a t i o nand e x p a n s i o n ) のために将来必要となる資本」と表現されている。 i v ) は『新しい社会』で は明確な形では位置づけられておらず,したがって利潤の内容が拡張された と考えるごとができる。( i ) ' " ' ‑ ' ( i v ) にかんする記述に続いて,彼は次の ように述べている。「しかし企業は,まず第 lに自己の危険を補償するの に十分な利益を取得しなければならない。〔段落〕…絶対に必要なことは,
企業 ( t h eb u s i n e s s e n t e r p r i s e ) が,最小限,それ自体の将来の危険を補償 し,事業の存続を保証し,自らの資源が富を生産する能力を無傷のまま維持 するために必要な利潤を形成することである。〔段落〕この「必要最小限の 利潤 ( r e q u i r e dminimum p r o f i t ) J は,企業 ( b u s i n e s s ) の行動や意思決定 に,厳格な枠を設定するとともにそれらの妥当性を検証することにより,影 響を与える」。したがって, ドラッカーは,ここでは i)すなわち上述の当 該企業の企業存続のための費用を「必要最小限の利潤」と把えている。とこ ろが, w 経営の実践』の別の箇所では,異なった考え方が見られる。彼は,
利潤の構成要素として,先の i )と i v ) を示しながら, r 企業の存続と繁栄
のために必要とされる最小限の利潤」としている。いずれにしてもこれらは
経 営 と 経 済 1 4 4
それ以上の利潤 大企業に必要な「最小限」の利潤を意味しているのであり,
ドラッカーの論理に従えば大企業は無制限の を否定しているものではなく,
利潤追求を許されることになろう。
以上のように, w 管理の実践 J においては利潤に明確 ドラッカーは,
( 2 )
一方で利潤が企 しかし,
その意義を高く評価している。
な位置づけを与え,
業目的ではないことを強く主張している。まず, w 新しい社会』における彼 の見解を見てみよう。彼は, r 収益性」が「利潤動機」とは関係ないとして,
次のように述べている。「収益性が産業生産上の最終的・決定的な基準であ ることは,企業者の利潤欲求 ( t h ee n t r e p r e n e u e r ' s d e s i r e f o r p n 併 t ) とは関係 がない。それは,まったくいかなる個人的動機(初 d i v i d u a lm o t i v e ) とも関係 がない。われわれは, r 利潤動機 ( t h ep r o f i t m o t i v e ) J が存在するか否か,そ れがどこに見出されるであろうかを論議する必要すらもない。収益性は,産 業生産と産業経済の客観的な必要性と目的とに基づいている」。こうして,
彼においては, 1"企業体の原理・行動・政策・意志決定は「利潤動機」と何 らの関係もなし、」のであり, r 収益性は企業体の至高の基準・原理でなけれ ばならない。収益性は企業体の自己および社会に対する責任を表わす」とい
うことになる。
次のように,彼の見解はいっそう明確となる。「…
『管理の実践』では,
もしく 企業というもの ( ab u s i n e s s ) を定義したり,
利潤という観点から,
..