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田村祐一郎

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Academic year: 2021

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(1)

保険史学の方法

保険史学の方法

−池野重男氏の論稿に関連して−

田村祐一郎

81

一 近年,保険史研究への関心が高まり,いくつかの注目すべき研究が発 表されていることは,保険史を主たる研究分野として選んできた筆者にはま ことに慶賀すべきことだと思われる。とりわけ,池野重男氏による精力的な 研究は,常日頃敬服している次第である。それというのも,歴史への関心の 乏しさという点では,いわゆるマルクス経済学に立脚する保険研究者も,い わゆる伝統的保険学の研究者に劣るところがなかったように見受けられるか

らであり,その意味で,池野氏の諸論稿は,歴史科学を自認するこの系譜に っらなる研究者としては初めての本格的な労作であり,それ故画期的な意義

をもつとみられるからである。

二 ところで池野氏は,最近の論稿「三つの保険史の総合化試論」(『大阪 経大論集』第135号,昭和55年5月)において,保険史を三つのタイプに集 約した。すなわち,「保険経済史」−「保険(制度)の歴史的な展開を,

それを規定する主体=資本・そしてそれを展開させる経済の歴史を某底にし

° ° ° °

て,つまり経済史のなかに保険史を埋め込んでいく,というもの」−「保 険企業経営史」,そして「保険系譜史」がそれである。第二のタイプ「保険 企業経営史」については,「代表的な保険企業の企業経営史的考察が中心に なる」との水島教授の言葉が引用されるだけで,氏自身による規定はない。

そして第三のタイプ「保険系譜史」は「木村教授の前掲労作1)を通読して」

「私流に命名したもの」で,「それはより適切には『現行ロイズ保険証券の 系譜の歴史』と命名すべきなのかもしれないが,『保険系譜史』という命名 でも通用しえる」とされる。

さて,筆者のこれまでの研究は,氏のいわゆる「第二のタイプ」,すなわ

ち「保険企業経営史」に含まれるとされた。池野氏の批判は,近接筆者へ向

(2)

82 

経 営 と 経 済

けられたものではないが,しかし

i

第二のタイプ」の代表者として水島一 也教授を取りあげている乙とからして,おそらく,筆者の立場‑を水島教授と 同ーの線上にあるものとして捉え,その意味において,氏による水島教授批 判がそのまま筆者についても妥当すると考えておられるものと推測する

O

本 稿は,こうした「保険企栄経営史」への批判に対して直接に答えることも,

また池野氏の方法論を批判することも,怠図していない。筆者は,もとも と「方法論」そのものに対しては現在のところ余り大きな関心を抱いていな いし,保険史研究の現状からして「方法論」そのものをことさらに論じたて てもさして有益でないと考えている

D

もとより

i

方法」の芯義なり重要性 を否定するわけではないし,筆者なり

ω

ものをもっているつもりではある が , しかし,その類の論争が生産的である程に保険史研究の苔私:が大きいと は思しえない。

試みに,アメリカ生保史に関する従来の記述を参照されたい。そこには方 法とか法日Ij性どころか,

i

事実」の正確な記述さえ中々に見出し難い現状で ある

o

これは,わが国のアメリカ生保史についてのみいえることではない。

むしろ,アメリカの多くのテキスト類に苦かれている生保史についてもいえ ることである

O

というよりも,わが国のアメリカ生保史が,こうしたアメリ

ω

テキスト類を底本にしている以上,粗雑さがそのまま「輸入」されたと いえるであろう。筆者としては,まず様々の現象を正確に捉え,それらを整 理し,問題点を抽出することから出発しなければならなかった。多くの史料 に埋没し,汗を流すことが,少なくともアメリカ生保史研究にとっては,第 一歩となるのである。

一方,例えば,海上保険発生史については,木村教授の大作はもとより,

多くの先駆的業績が,わが国はもとより諸外国においても蓄積されている。

それは,氏のいわゆる「保険系譜史」を含むだけではない。谷山,水島両教

授はもとより,塗氏のユニークな労作もある

o

このように先駆的業績が存在

する分野では,従来の説を検討し,解釈をあらためるという作業が可能であ

る臼つまり,保険史の現状は,それぞれの伝統的な研究分野に応じて精粗を

もっといえるが, しかし,卒直な感想をいえば,圧倒的に「粗」の方に比重

(3)

保険史学の方法 83 

がかかるといってよいだろう

D

さらに,この分野で「保険系譜史」が霊視さ れるのは理由があることであって,海上保険論になじんだものにとっては,

常識にすぎない

2)

ところで,池野氏は,木村教授の著作をきわめて高く評価されるようであ り,その理由の一つにその大著が「保険史研究が従来,ともすれば第二次的 な史料に基づいていたことへの疑いから生じたもの」に求められる

D

つま り,木村教授の研究が専ら,一次史料 l こ依拠しているということである。乙 の点,筆者も全く同感であり,歴史学が一次史料の収集と分析にまず依拠し なければならない乙とを痛感させられた。その怠味で拙著

3)

には尚多くの改 めるべき点があると反省した次第である

o

経済史学は知らず,

r

経営史学」

は,一次史料を重視する点で r 保険系譜史」と全く同じだからである。

例えば,中世イタリアにおける海上保険発生史のJ e}合乙うした一次史料の 分析が不可欠の段階に達しているといえる

o

乙こでは,既述のように,社会 経済史的観点にたったすでに有力な歴史研究があり r 仮説」が用;なされて

いる。あとに続くものとしては,個々の保険取引なり,個々の商人の 活動の 記録を丹念に漁り,分析するという作業を積み重ね当時の海上保険業の精微 な実証的分析を行う乙とが可能である

O

そして,その結果をもとに,社会経 済史的基礎構造との連関があらためて云々される

o

少なくとも,海上保険発 生史の場合には,池野氏がいうように

r

経済史を欠く経営史」が成立しえ ないのではなくして

r

経営史を欠く経済史」がその有効性の限界に達して いるのではないだろうか。もとより,パイオニア的に道を切り拓くものにと っては一次史料への埋没よりむしろ全体の筋道を見出す乙との方が大事であ ろう。研究は,粗からねーへと進むべきものと考えるからである

D

しかし,そ れへ続くものが二次文献にのみ頼り,一次史料の収集分析をしないことは台、

恨のそしりを逸れないであろう

o

海上保険発生史は,乙の段階に達している と考える

o

三 本 稿 で 筆 者 は ,

Jk

日教授に代って池野氏の批判に答えるつもりはな

い。また水

j

司教授と同ーの線上にあると捉えられたことについても,もと

より異議

ω

申し立てをするとともないだろう

o

J k日教授は,わが国の保険史

(4)

8 4   経 営 と 経 済

研究においてパイオニア的役割を果たされており,その説くところを摂取 し,継承し,そして発展させてゆくことこそ,保険史研究の現段階からし て,筆者の一つの課題だと考えている。

いうまでもなく,ある分野の歴史的研究を始めるときに,何らかの理論を 導きの糸とすることなく入ってゆく乙とはできないだろう

o

しかし,同時 に,誰にせよ最初から完全な理論体系などもちうる筈はない。そこで,一般 的には,先人の業績を検討し,その中から自分の史的研究にとって最も有用 と思える部分を借用し,事実の多様な森の中へ分けいってゆくしかないだろ う

D

研究が進むにつれて,そうした先人の理論を事実にあわせて検証し,そ の結果をたえず自らの思考の中で一つの体系へとまとめあげてゆくことにな ろう。歴史研究と理論研究は,相互に因となり果となって進行するのであ り,最初から完全な理論体系があり,方法論があるというのであれば,何も 歴史研究など必要ないであろう

D

筆者が水島教授の「保険研究の方法を継承 した」というのは,その意味である。現に,いくつかの点で両者の考えには 違いが出ているだろう。将来は,その差が大きくなり,あるいは論争すら生 ずる乙とも考えられないわけではない。互にその研究を自らの責任において 進める以上,そして現に進んでいるとすれば,可能性としては十分にありう る乙とである。拙著の「はしがき」で「理論的基礎づけの作業は,不足して いる」と書いたのも,この意味においてである

O

むしろ,最初から完全な理 論体系をもち,方法論があるというのも,他人からそっくりかりてくるので でもなければむしろ面妖な乙とである

o

四 池 野 氏 に よ れ ば

I

第二のタイプ」すなわち「保険企業経営史」で

は,生保史中心に研究が進められることが一大特色だとされる。こうした認

識がどこから出てくるのか,甚だ理解に苦しむ。いうまでもなく

I

保険企

業経営史」が生保中心でなければならないという理由は全く存在しない

D

とより,筆者の研究がアメリカ生保史であり,また現在インド生保史に関心

を拡めていることは確かである

o

筆者と同じく「第二のタイプ」に一括され

た塗氏の場合も,アメリカ生保業の国際進出の問題が歴史的に論じられてい

O

水島教授の場合にも,生保の比重が高いのかもしれない。しかしなが

(5)

保険史学の方法

85 

ら,乙の「事実」そのものは1"保険企業経営史」が生保中心である乙と,

あるいは,そうでなければならないことを示すのではない。1"保険企業」経 営史であれば,いわゆる損保を合むことは当然である

D

たまたま筆者の関心 が現在のところ,生保にのみ向けられ,損保にまで手を伸ばす余裕がなかっ ただけの話である

O

もし余力があれば,それについても業績をあげえたで あろうし,また「保険企業」経営史を志向するのであれば,両者を合めた 一般的な保険企業経営史を志向しなければならないだろう

D

経営史が生保を 中心としなければならぬ理論的必然性は,何もないのである。筆者の関心が 生保に向けられてきたとの,むしろ偶然的な事実を1"方法論」を論ずるさ いに;志味ありげに指摘されることは「保険企業経営史」の今後の発展にとっ てマイナスにこそなれ,何ら建設的意義をもちえないであろう

o

五 池野氏のこうした立論は,多分1"文化構造」を論ずるのが経営史だ との理解にたっているのであろう1"経営史」なるものが「文化構造」の問 題の究明に留まるのでないことは,今更ここで

i

命ずるまでもない。テキスト 類をーべつすればすむことである

O

ところで問題は,企業保険については

「文化構造」を論ずる必要がないかどうか,ということである。氏によれ ば,企業保険の場合1"保険需要は,資本により無媒介的に生ずる」とさ れ1"剰余価値の最大取得を志向する資本は,そのいわばメダノレ

ω

哀田から みれば,自己にとってマイナス的障害を可能なかぎり完全に,かつより安価 な資用で,除去ないし軽減することを余儀なくされる。……

(lt

略)……乙 うした論理の理解が得られるならば企業保険の市要が資本にとってなんらの

「文化栴造」要因により影特されずに直抜的に生ずること明白なはずであ る 」 。

しかし,本当に「明白」なのであろうか。例えば筆者はかつて, 1"身元信

4)

用保険について」 と題する論

h

の中で,わが国の企業が身元信用保険でな く,身元保証契約を専ら用いているとの

D

工夫に注目し, そ れ が わ が 国 企 業 の特殊性に由来するのではなし功ュと論じたことがある

O

これは,企業保険

「史」ではない。しかし,わが国の企栄保険の r j l には欧米とはちがった形の

「保険市要」があることを指摘しており,そしてそれが「日本的経営」と称

(6)

86 

経 営 と 経 済 される現象に関連するのではないかとの示唆を行・っている

O

おそらく, こう した特殊な保険需要は,そのいくつかの例を見出すことができるだろう。も とより r 日本的経営」については数多くの議論があることは承知してい る

O

それは,社会的・文化的現象ではなく, ~IJ.ら経済的だともいえるかもし れない。しかし,保険なる現象が,経済的であると共に社会的,法的等々の な味をもっとすれば,企業保険 ωJ

5]

合も,また損害保険企業の場合も,経済

(史)的研究でことたりるとはいえないだろう。

企業保険における保険市裂が「なんらの『文化構造』要因により影響され ずに直接的に生ずる」かどうかは,それ程単純な問題ではない。上に引用し た池野氏の言葉を筆者のそれにおきかえて表現すれば r 近代企業は,本来 合理的経済計算に基づいて志思決定を行うと考えられるから,危険処理の領 域においても,そうした合理性が貫徹される」ということになろう。あるい は,近代企業は,何らかの「危険」状況に直面した場合,その危険の及ぼす 経済的インパクトを評価し,適切な処理手段を,コストとベネフィットの比 較という視点から,選択するだろう,といいかえてもよい。こういうとき集 者は,第二次大戦後のアメリカにおいて広く見出され,今や「危険管理」の 名でよばれるに至った現象を念頭においている。仮にこれが企業保険需要の 合理化志向を~味しているとすれば,それは,高々第二次大戦後に生じたに すぎないし,一方,例えばわが国の

j

括合,森宮康教授の実態調査が示すよう に,これとはちがった型が見出されること,いいかえれば,危険管理論的立 味での合理性は,わが国の企業保険領域には見出されないことは,明らかで あろう。

こうした企業保険需要

ω

タイプのちがいをどのように評価するかは,決し

て容易な問題ではない。との課題を究明するためには,森宮氏が試みている

ように,経済的・社会的・法的等々の諸要因の絡まりを丹念にときほぐして

ゆく努力が必要である。筆者が前掲拙稿で試みたのも,上の如き危険管理論

的合理性を作業仮説として設定し,それを一つの「事実」と関連させて検証

してゆくととであった。それが成功しているかどうかは,世人の評をまた

ねばならないし,何よりも筆者の同極の研究が続行されねばならない。しか

(7)

保険史学の方法

87 

し,いえるととは,

I

論理」なるものを予めもち出し,それでもってあらゆ る事実を切ってゆくことが一一この場合「文化構造」の影響がないとの命題 一一大事なのではなくして

I

理論」をたえず「事実」でもって検証してゆ くことではないだろうか。筆者がいわゆる伝統的保険学に対してもつ疑問の 一つは

I

保険本

l'U

J

の上に構築された壮大な「理論体系」が,上でのべ たような作業によってどこまで検証されつつあるのか,ごく粗雑ないい方を すれば,伝統的に保険研究においては「理論」が先行する一方,多様な現実 への配慮が足りなかったのではないか,そうした態度が歴史研究の軽視に如 実に現われているのではないか,ということである。現在必要なことは,ケ ース・スタディーの積み重ねであり,それをもって「理論」をたえず検証し てゆく乙とであろう。

企業保険需要における「文化構造」の問題と同じく

I

家計保険」につい ても,乙の要因が「本

l1f(]:JJ

であるかどうか,にわかに断定するわけにはゆ かない。保険がまずもって経済的現象である以上,経済理論及び経済史的考 察が必要であろうし,それと同時に,社会的・文化的等々の研究もまた重要 である

D

筆者はこの問題をケース・スタディーに先立って断定しようとは思 わないだけである

D

筆者が水島教授の著作から学んだ乙とは,こうした場合 の柔軟な思考と謙虚な態度である。とすれば池野氏とのちがいは,まずもっ て研究者としての姿勢にあり,結局,只体的な!と的研究の成果を世人の評価 に委ねる以外にない。

I

方法論」をいかに厳密に論じたとしても,それを使 用しなければ意味がないし,いかに厳密な方法論も,それによる具体的な成 果が貧弱であれば,そ

ω

方法自体の有効性について疑問が生ずるだろう

o

~望 者は,アメリカ生保の生成史について成果をHtに問うた。池野氏が同じ土依 に登ることを願っておく。

池野氏は,論稿の

IJs

i1己」においてわざわざ拙稿「インド生保史の概

J5

〉にふれる。「私のいう第二のタイプに属される田村

J

と規定したのち

に ,

1

!1l稿が「第二のタイフ。の一大特色である生命保険中心であることをあら

ためて確認させてくれるものであるので乙こにとくに記した次第である」と

指摘される。池野氏が 1 1 1 ¥ 引を参照されていないことは明白であり,それにも

(8)

88 

経 営 と 経 済 かかわらず,拙稿が「第二のタイプ」に属すると見抜かれた畑眼には恐れい る他ない。光栄にも拙杭は,氏の重要な論点である

r

第二のタイプ」が生 保中心であるとの命題の証拠として採用されたのである

D

しかし,参照すれば明白なように,

i1U

稿は氏の

3

つの「タイプ」のどれに も入りえない程度の,文字通りの概観であり,当時入手しえた唯一の文献,

Desai

を要約的に紹介したものにすぎない

6)

唯,わが国ではインド生保史 についての文献が皆無に近いことから,多少とも資料的価値をもちうると信 じたし,また筆者のインド生保史研究への出発点としての意味をもたせるた めに書いたまでである

O

付言すれば,筆者のインド生保史は,次の

3

つの部 分から成るだろう

O

第ーに,インド社会経済史の中へ生保史を位置ずけるこ と,第三に,国営化 l 乙関して成長と経営効率の問題を論ずること,そして第 三に,投資問題を分析すること,これである

O

資料の点から第二の問題から 入らざるをえないが,仮に氏の r 3 つのタイプ」をかりるとすれば,多分こ れが「第 2 のタイプ」に入るだろう

o

しかし他の 2 つは,むろん第二のタ イプには入らない口いずれにせよ,インド生保業の国営化というきわめてユ ニークなケースを分析すること乙そ筆者の関心事である。

いずれにせよ,他の研究者を「何々のタイプに属する」と規定すること は,徒らに先入観を抱いて他人の研究をみることに他ならないし,ひいて は,正当な評価を阻害することになるだろう

D

けだし,拙稿の存在を池野氏 の文献でのみ知り,拙稿に,あるいは続編に直接当たることをしない人々に は,池野氏の無造作な規定がそのまま通用してしまうだろうからである。ま た,可能なかぎり「原典

J

~乙当たり,それを十分に批判的に検討した上で 史料として採用するかどうかを決めるのが,歴史学の常識ではなかったの か 。

も っ と も , 筆 者 も 保 険 本 質 論 と 生 保 史 に お け る 保 険 加 入 者 l ) なる拙

稿において

r

伝統的保険学」なる「タイプ」を設定してみた。筆者の;志図

r

方法」を批判することよりもむしろ,伝統的な保険学に見出される特

有の思考様式を抽出すること,つまりは「文化枯造」を明らかにすること

であった。乙の「タイプ」の設定は,むしろ絞かなものであり,氏の「タイ

(9)

保険史学の方法

89 

プ」論のように厳密なものではない。しかしながら,注意すべきことは,

「伝統的保険学」は,すでに完成されたといってよい程に壮大な休系をもっ ていることである口一方,筆者の研究は,ごく狭い範囲を耕しつつある段階 である

O

もとより,筆者なりのプランはもっており,もし可能であれば,保 険理論の構築まで辿りっきたいところである

O

しかし,それはあくまでもプ ランであって,筆者の研究が完成されたものでないことは,いうまでもな い。そうした,いわば発展途上にある研究をつかまえて「タイプ」なるもの の中へ入れ,そして今度は,そのタイプでもってその後の全ての研究を,参 照する労すら惜しんで,一言のもとに性格づけることは,正当な評価といえ るのだろうか。他人の評価に当って守るべき最小限のノレーノレをすら無視して よいのだろうか。わが日本民族の悪弊の一つに,他人にラベノレを貼りつけ以 後はそれでもって全てを裁く,というのがある

D

氏の「タイプ」論が,そう

した「ラベノレ貼り」にならないことを切に望むものである。

七 「保険史方法論」をめぐる論争へ分けいっていく程,現在の筆者には

十分な時間があるわけではない。また,池野氏による「家計保険資本」の位

置づけの問題とか

r

人間と資本」という視点についても,若干の疑問を抱

いているが, しかし,それをまとめるだけの余力はない口本稿は,氏の最近

の論稿にみられるこ,三の論点について筆者の考えを大急ぎでまとめたもの

にすぎない。いずれにせよ,歴史研究の成果は,方法論ではなくして,具体

的な作業とその結果について判断されるべきである

D

現在筆者の前にある

こ,三の主要な問題の解明こそ急務であって

r

方法論」なるものは,その

過程で,また一段落したときに反省の意味を乙めて考えればよいと思ってい

O

そういったからとて,筆者が「方法」を軽視しているということでは

ない

D

本稿を

r

保険経営史学

J

は「方法」または「方法論」を一一「方法

論」論ではない/一一軽視している証拠だといった形で引用しないでいただ

き た い 。 念 の た め 申 し そ え て お く 。 ( 1

2/7/1980)

(10)

90 

経 営 と 経 済

( 注 〉

1 )   木村栄一『ロイズ保険証券生成史.ll (昭和

54

年)

2)  r

保険系譜史」の概念は,池野氏の論稿の中で最も理解し難い部分である。乙れは,

例えば「保険法制史」とは追うのであろうか。また,生保史では,

r

アクチュアリ ー学」の発展史はきわめて

E

要だが,とれば,氏の「三つの保険史」にほ包摂され ないのであろうか。

3) 

[f近代生命保険業の成立.ll (昭和

54)

4) 

[f現代保険業の諸問題.ll (相応勝犬 Ir,~士古稀記念論文集,昭和 53年)所収。

5) 

長崎大学京市アジア研究所『研究年報』第20m (昭和

53

年)所収。

6) 

いうまでもなく,

r

経営史」的展開のためには,個別企業の実態が把握されねばな らないが,しかし当時~作者の手許には,その類の史料など何もなく, したがっ て ,

r

経営史」的研究など不可能であった。

7) 

[f保険学雑誌』第4

85

号(昭和5

4

午)所収。

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