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田村祐一郎

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19世紀末のアメリカ生保経営者

田村祐一郎

I 序

Ⅱ19世紀末の生保業と経営組織

Ⅱ 経営者支配

Ⅳ 「セールスマン型」経営者からの脱皮

Ⅴ 結  論 引 用 文 献

I 序

19世紀中葉から20世紀初頭へ至るアメリカ生保業は,ともすれば保守的色 彩を帯びやすい保険業では珍しく経営者が積極的姿勢をみせ,しかも積極性

° °

が劇的帰結を迎えた,きわめて興味深い一時期であり,保険における企業・

行政との関連,投資活動等に関し多くの問題を提起する。本稿の課題は,主 としてM.Kellerに依拠して,19世紀末の生保経営者の性格把握1)を試み ることである。紙幅の制約から19世紀末の生保業と経営組織をごく簡単に説 明したのち,経営者支配と,経営者の役割・関心領域の変化とについて述べ ることにする。

1)ここで「経営者」とは,大手生保会社のトップに位置し,類稀れな個性と強 力な指導力をもった,例えばHenry B・Hyde,RichardMcCurdy,JohnC・

MaCall,GeorgeW.Perkins等を指す。

Ⅱ19世紀末の生保業と経営組織

この時期の生保業は,MutualLife,New York LifeそしてEquitable の,いわゆるビッグ・スリーを中心に転回していた。重要な傾向を指摘して みると,まず海外事業が本格的となり,あの「アメリカの侵略」の一貫を担

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った。第二に,投資活動の重要性が一段と増大した。これは, Richard Mc  Curdyが「経営の一部門として貸付・信託部門をもっ生保会社でありつづ けるのでなしに,生命保険部をもっ貸付・信託会社へと次第に変っていたの だ」と嘆いてみせたことに示されている (Keller,p.  162;以下,邦訳書の 頁数を示す)0 第三に,州の保険規制に対して,また連邦政府による保険監 督を求めて,影響力を行使するため多額の経費が支出され,巧妙な組織が作 られた。第四に,激しい競争を続けてきた各社聞に協調の勤きが芽生えてき た。これらの諸傾向は, 1890年代以前にも多少なりと徴候が見出されたもの であるが,しかし新しい要素も含まれていた。一方,外野手数料の上昇と事 業費率の漸増,販売面での不正な慣行,業界紙の買収など, 1860年代に発生

し,一段とその強度を増した傾向も存在していたのである。

ところで,生保会社の組織は,外野,すなわち販売部門と,内野,すなわ ち本社組織とに分けられるD 前者は, 1860年代に GeneralAgency System  として成立し, 90年代には BranchOffice Systemも 発 生 し て き た 。 一 方,本社組織は,概して遅れて発展したo1840年代の生保会社は,ごく少数 の職員によって本社業務が処理された。例えば Mutualでは,社長を含め 僅か6名のスタッフがいたにすぎない。この数は, 1868年には55 1906 には645名に増加した (Clough,pp. 109, 205)。職員数の増加と業務内容 の複雑化に対応し「部門制」が発生し,拡充された (Cf.Clough pp: 108,  204の組織図〕。それに伴い,販売,数理,法規といった各部を統括し,経 営者を補佐する「部門経営居J(Holden,邦訳, p.  36)が出現した。これ は,大規模化に伴う当然の経過であるが,しかし,経営者の行動に少なから ぬ影響を及ぼしたのであるo

一方,生保会社の組織には,通常の会社と同じく,業務執行部門の外に全 般的経営方針の決定や業務執行の監督評価に当る「受託層J(Holden, pp.  212)があるoMutual Lifeの創立定款によれば I当社の法人としての 権限は全て,取締役会ならびにそれによって指名される役員と代理人により 行使される」と規定されていた〔第4条 一Clough,p. 344) 0 また 6 の常置委員会が設けられていた。このような形式的に整備された企業構造

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は,全ての生保会社に共通していた。問題は,近代的経営組織の成立の中で 経営者がどのような位置を占めたかということであるD

E  経営者支配

経営者支配の問題ば,所有形態の如何を問わないが,しかし民主制を標拐 する相互会社においてとくに顕著であるD 以下では主としてこの形態を扱 o さて, 1840年代の相互会社の創立者は,利他心や自己犠牲の精神に駆ら れて慈善事業を興したのではない。そこには企業家的欲望の充足という動機 が貫かれていた。このことは,相互会社の中に揺ぎない地位を占める乙とが 是非とも必要であった乙とを意味するo初期の経営者は,支配権を求めて互 に争ったのち,委任状 (proxy)の助けをかりて最終的に経営者支配体制を 確立した〈拙稿, 1972)。規模の拡大は, とくに外部からの支配権争奪の 企てを殆ど不可能とするから,成長は,支配権強化の意味でも有効であっ 7o

経営者支配の成立は,窓思決定機関たる取締役会の形骸化に対応する現象 であるo1840年代では,生保業に対する一般の関心の低さを反映して取締役 会は,立派な顔触れを揃えることで新奇な企業の安全度を保証する役を負っ たにすぎない。 MutualLife M.Robinsonは,定足数不足のまま取締役 会を聞かねばならなかった程である (Stalson.126) 50年代以降の発展 により関心が高まると,相互会社の支配権争奪の坊として取締役会は,重要 性を帯びるに至った。 F. Winstonは,委任状収集によって支配権を奪う と,今度はその委任状によって自己の地位を揺ぎないものとした。 1871 最も高名なアクチュアリー, Sheppard Homansの追放劇にみられるよう (Wright.pp. 194‑204) ,取締役会は,すでに Winstonの支配下に 収まっていた。したがって,経営者の専断的支配と取締役会の形骸化は,

1860年代後半には定着していたとみなければならない。実際 idummy directors"は,今日の意味における慣用語」であった (Hendrickp. 83) 

経営者支配は,時を追ってますます強固なものとなった。その結果は,

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Kuhn‑Loeb商 会 の パ ー ト ナ ー で Equitableの取締役を兼ねた Jacob Schiffの証言によって示されるo但し, Equitableは株式会社であるが,し かし相互会社でも大差ない有様が見出された筈であるo

「ニューヨーク市の大会社の取締役制度とは,取締役が何の権限ももたな いことです。…もし,現行制度のもとで,経営者が不正を働き,取締役か ら何かを穏し,あるいは違法行為を犯したいと思うなら,取締役は全く無 力ですJ (Armstrong Investigation, p.  1299) 

取締役会の形骸化をもたらした原因は,まず,成長に伴う業務内容の複 雑化が,生保および生保業についてアマチュアに等しい多くの取締役にと

り判断不能な領域を増したことであろうo これは, Metropolitanの社長 Hegemanさえ次の証言を行ったことから明らかである。

「われわれの事業は,大変に複雑です。数年前までは私も,行なわれてい る乙とを全て知っていたし,何にでも関与していました。しかし,この事 業は,暫く前から私の手に押えなくなり,委員諸氏の言っている事柄は全 てうっちゃるようになりましたJ (Armstrong Investigation, p.2531) Mutual Lifeの取締役, George S.  Havenは,自分が給与委員会に所属す ることも,社長の年俸がいくらであるかも知らなかった (Kellerp.  45) この証言は,取締役が生保業l乙疎いだけでなく,関心をもたなかったことを 示唆する心。第二に,激しい市場競争は,また他の金融機関との連繋やシン ジケートへの参加といった,迅速な意思決定を要する領域の増大は,取締役 会や委員会の悠長な審議を待つてはいられない状況を創出した。そのため,

取締役会が保持した権限のあるものは,経営者へ委譲され,あるいは事後的 報告ですむような措置が取られた (Cf.North, p.  147) 0 かくして,乙れ までは資金面,営業面,さらにはその他の意思決定をすべて担当していた取 締役会は,単なる事後承認機関としての地位へ低下したのである (Keller p. 45) 0 第三に,専門事項に関しすぐれた能力をもっ部門経営者の出現 は,他の分野のエキスパートを含む取締役会の助言機能を殆ど無効と化した (Cf. Keller, p.  46) 0 最後に,経営者自身の権力志向は,取締役会によ る抑制を最小佑し,また可能な限り「秘密保持J (Keller, ibid.)  に努め

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る方向へ導いたと思われる。

1)  もっとも,当時の目標は,明らかに「成長Jであり,そしてそれを達成しつつあ る以上,取締役会が詳細な監督を実施する必要はなかっともいえる (Northp.  160) 

さて,取締役会の形骸化は,相互会社の場合,次のことを意味するoすな わち,相互会社では制度上保険加入者の投票により取締役が選挙され,そし て取締役会が業務執行者を選任するとの所有・支配構造が明確に規定されて いる (MutualLife定款第34条参照〉。これは,取締役が民主政治形態に おける代表者に似た地位を与えられ,意思決定と経営監査の機能を果すべく 期待されていることを意味するo しかし,取締役会の形骸化は,一方では,

保険加入者による投票が制度上期待される効果をあげえない乙と, という より「選挙手続が純粋に形式化している」こと (North,p. 144)に対応 し,他方では取締役が経営者によって選ばれることに対応するo換言すれ ば,取締役会を経由して保険加入者の総意により選ばれるべき経営者は,一 つには加入者と取締役とを連結する線を断ち切り,また一つには自己に好都 合な取締役を選ぶことによって,実は自分で自分を選ぷという,逆転した支 配構造の確立に成功したのである2) D のみならず,加入者が経営者に託した 委任状の威力は絶大で, i奇跡でも起らぬ限りJ (Wright, p. 2) ,経営者 の椅子は,微動だにすることはない3)

2)  4050万人の加入者がいたMutualLifeの選挙では,同社や子会社の使用人,

それに役員の知人など約200票前後が投じられ,取締役会が用意した候補者がその まま承認された。 contestedelection'の例はない (ArmstrongInvestigation,  p.  22f .fp.  82ff., Report, pp. 910など〉。

3)  Mutualの場合,有効期間10年の委任状約2万通が常時社長と副社長により保管 されていた。しかし,行使された例はない(ibid.)。完全に儀式化された総会で は,その必要がなかったからである。

1905年初頭の Equitableの内紛時に, Alexanderは,取締役定数の3 lについては加入者の投票により選ぷとの提案を行った (Keller,p. 373 ;  Buley, vol.l  pp.  616"''7)。しかし,これは,相互制,つまり民主制の理

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念を訴えたのではない。 Kel1erによれば (p.60), i経営者に対するコン トローノレの強化を意味する投票参加制を説いた人々は,ほかでもなく経営者 支配体制に最も密着していたか,またはそれを望んでいた人々であったJ

Alexander提案の真意は,同社株の過半数を制する JamesHydeへの挑戦 であった。この事例は,経営者が加入者投票制をどのようにみていたかを示

している心。

4)  Equitableの定款の中に,取締役四分の三の賛成を条件l乙 保 険 金 額5000 以上の加入者に投票権を与える旨の条項があった (Buleyvol.  1 p.  10) Henry B.Hydeは,同社の「相互性」を強く主張する一方,株式の取得に精を出

していたのである。

形骸化した取締役会は,経営者の専断をチェックする能力を失う。 19世 紀 末は,これが一段と進展した時期であった。経営者の行動の抑制要因として 取締役会が無力化した場合,残るものは,まず業界内外からの批判であろ 1891年 の NewYork Timesのスキャンダノレ暴露により経営者が交替 した NewYork Lifeの例がある (Kel1erp. 24)  しかし, Connecticut  Mutual J.Greeneによる執助かつ厳しい批判さえ,実効の点で疑わし かったし,また業界紙による批判も,実はライバノレ会社に買収されてそうし たというにすぎなかった (Kel1erp. 80f.) 0 また,最も有効に規制しう る筈の監督当局は,むしろ「政略の具に供され,生保会社に対する追従的規 制の道具」でしかなく,何回か実施された検査も,茶番劇にすぎなかった (Kel1er, xl1) 0 同様に州議会も i秘密情報部」に擬せられる程の巧妙な ロピイング組織の活動により,効果的な立法を妨げられた (Kel1erx111)  かくして残された唯一の要因は,経営者の自制以外lこなし1。もしそれが期待

しえないとすれば,経営者の専制を阻止しうるものは何もなかったのであ

実際,経営者による私利の追求は,殆ど無制約であった。他に例をみない 高給が支払われた。自分の会社の投資に便乗して多額の利益を得た。果実を 縁者や友人に分け与えた。この程の例は,枚挙に逗がない程であるし,また

「放縦かつ無責任な管理の典型J (Kel1er, p. 32) James Hyde に集

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中的に現われている。不当な私利の追求一一「経営者側の乙のような無責任 J (Kel1er, p.  51)ーーは,支配構造に組み込ま!れた抑制装置が全く作 動せず,また外部からコントローノレすべき行政当局が殆ど機能しえなかった

ことによるO

部門経営者の出現も I支配者」の力を弱める効果はなかった。相互会社 の経営者は,実質的に所有者に等しく,また19世紀後半は一般的に強烈な個 性のもとにリーダーシップが集中した時代であった。経営者の独裁的権力に 逆えるものはいなかったのである的。むしろ,部門経営者の出現は r基礎

的技術的諸問題の解決」という職責から経営者を解放した (Cloughp.  200) 0 例えば, Mutual McCurdy r外野経営について私がとく に関心をもたなくなってから長い期間がたっています」とか,外野の細か な事項について「聞いたことがありませんJ rそのことを考えたこともな いのです」と証言している (ArmstrongInvestigation, p. 1806) Kel1er  r専門的知識の欠如の告白」としてこれを引用している (p.28)。しか し,それと共に,経営者が些細な問題に全く関心を示さなかった乙と,むし ろ「右腕たちJ(Kel1er, ibid)に任せておけばよかったことをも示してい McCurdyは,事業に無知な装飾的社長としていたわけではない。かつ ては「積極的に拡張を追い求めるその執念においてJHydeのライバノレと 目された (Kel1erp.  22) 0 いまや,彼の関心が全く別の方向へ逸れたの であって r独裁者」であったことに変りなかった。部門経営者の出現によ り,彼は,投資や政治など別の活動舞台へ登場し,その野心を満たすためエ ネノレギーの大半を注げるようになったのであるo

5)  トンチン・ポリシーの予想、収益に関するアクチュアリーの態度がその一例である

〈拙稿, 197 1 p.  77)

IV  rセーノレスマン型」経営者からの脱皮

1840年以降の生保経営者は,販売活動に最大の主点をおいたロそれは,経 営基礎のいち早い確立に迫られていたことによる一方,大規模化を志向する

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アメリカ企業一般の行動様式に沿うものでもあった。乙うしたアメリカ生保 経営者をわれわれは,イギリスの「アクチュアリー型」経営に対比して,

「セーノレスマン型」経営と仮称してみた〔拙稿, 1977)。ところが, 19世紀 末に至ると,三大生保の経営者の聞に価値観と役割の変化が生じてきたので ある。

Kel1er によれば (p.27)  il890年代の聞に,競争のエートスに共通す るものとはかなり異なったいろいろの価値観と抱負が……現われ始めた。こ れらの変化の形跡は,随所に見受けられるが,とりわけ経営者のリーダーシ ップにはその変化の具合がとくにはっきりと反映されているo……19世紀後 半の拡張期における偉大な面々一一ハイド,マッカーディ, ドライデンーー でさえも, 1890年代になると,その関心はすでに規模の大きさを競うこと だけに限られていなかったoJこうした変化を典型的に体現した人物は,

PerkinsであろうD 彼は,まず外野の第一線においてすぐれた実績をあげ,

1892年,外野担当の第三副社長に抜擢された。そ乙でも支庖制への転換や Nylicの創設などで腕を振っているD やがて活動範囲は,投資部門に及び,

1900年には NewYork Ufeの財務委員長, 1901年にはモノレガン商会のパー トナーとなった。のみならず,政治家との幅広い交友関係を保ち,大統領選 挙にまで関与したのである (Garraty; Kel1er, pp. 32'"''3, 235, 307, 312f.) 

一方,役割の変化は,生保業をリードしてきた経営者に現われただけでな く,最初から販売よりむしろ他の面での手腕を期待された経営者の登場と しても現象した。保険監督官の経歴をもち iパブリック・リレーション ズ上の効果と政治手腕」を見込まれた JohnMaCal1がその典型であった (Keller, p. 25) 0 一方,既述のように, )レーティン化された業務は,部 門経営層に委譲することができた。かくして「今では,会社の業務機構を統 轄する勤勉な片腕たちと,ハイ・ファイナンス,パブリック・リレーション ズおよび、政治面に一層の関心をもっ社長たちとの間で一種の機能分化が生 J i保険の専門家ならびにセールスマンとしての最高幹部は,余り必要 でなくなった」のである (Kel1er,pp. 30, 41)

価値観と役割の変化は,どのような原因で発生したのか。 i部分的には,

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生命保険が次第に複雑さを増した乙とによるJ (Keller, p. 27)。いいか えれば,経営者が直面した状況は,保険という商品を売ればすむという単純 なものから規模と影響力の増大により複雑な要素を含むようになった乙 とであるO 例えば,行政や議会との対応は,それらへの影響力の行使だけ でなく,人民党運動に誘発された「新 しい型の保険監督官」の出現を含み (Keller, p. 283f.) ,さらには連邦段階の政治権力との融合を望むまでに 至っていた。国内に限らず,海外事業がひき起す様々な問題の処理のため にも,政治的縁故を用いざるをえず,膨大な支出と複雑な組織とが必要に なった。この過程において経営者は「しばしば政治家になった」のである (Keller, p. 40)。また,生保資金の巨額の集積は r伝統的投資方法」

によっては,しかも全般的な金利低下傾向のもとでは,効率的運用が困難と なっていた。経営者の役割と価値観の変化は,成長に伴い投資や政治など 新たに重要性を獲得した問題の発生に対応していた。したがって r生保 事業を営んでゆくうえで避け難いことであった」ともいえよう (Keller p. 184)

しかしそれと共に,これら経営者が「積極果敢な自信家で偉業を達成する 欲望に満ちていた」乙と,例えば Hydeのように rまさしくアンドリュ ー・カーネギーやジェームズ・J.ヒノレ,ジョン・ D.ロックフエラーなどと 共に, 19世紀後期の代表的な企業者のひとりに数えられる人物であった」こ (Kellerp. 20)を忘れるべきでない。つまり,かれらは,自ら築きあ げた巨大な規模と巨額の資産を誇る大生保会社のトップに安住するつもりな どなかったのであるo販売問題からの解放と同時に,別の方向へ目を転じ,

そこで存分に手腕をふるい,企業家としての野心の満足につとめたとして も,不思議でなかった。投資活動は,とりわけ魅力的であった。けだし,巨 額の資金量を背景に r乙れら首脳は,金融界の最高段階へ加わる乙とに よって,会社にとっても個人にとっても大きな利得が見込まれること,そし てそれが成功と地位を求めるかれらにとり絶好の機会にほかならないことを 悟った」からである (Kellerp. 179)。確かに,かれらは,すぐれた生保 経営者であった。その行動には,往々にして私利の追求が隠されていたとし

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ても,大規模化を目指してあらゆるビジネス・テクニックを駆使し,目標達 成に成功したことは否めない。しかも r保有する資金の大きさと生保業の

イデオロギーによりはぐくまれた自己のもつ力への意識」があった (Keller p.  176) Equitableの FrickCommitteeの指摘は,関心領域の変化と行 動の性格を示唆しているo r大規模化への野望は,当然投資活動に及ぶ。生 保会社の投資を律する法のもとではまことにじれったい。保険会社に許され ている投資活動のもとでは得られない成功を当社のためにかちとろうとの狙 いから,他の金融機関との同盟が図られるロ秩序だってはいるが, しかし退 屈な仕事をこつこつと片ずける乙とは軽視される一方, 、大きな成功グを目 指して全精力が注がれるJ (Keller, p.  183より引用)

19世紀末から20世紀初頭へかけて,大生保会社は,金融界に独自の地位を 占めたロそれは rはるかにずる賢い金融業者の手中に無力な姿で握られた 駒」であったのではない (Keller,p.  190) 0 当時広くa認めれたように,ハ イ・ファイナンスにおいて強力な役を演じ,それ故に乙そ恐れられる存在で あった (Keller. pp.  174'"''6, 178'"''9) 0 生保会社は,銀行や信託業者との 間に密接な連繋網を築きあげ,多くの場合,これらの金融機関を支配下に収 めていた。また, rシンジケート」への参加にも積極的であった。乙のよう に金融界において積極的役割を演ずるに当って,もとより絶えず増加し続け る巨大な資産の運用という課題があったにせよ,生保経営者の性格も,重要 な要素であった。 rかれら自身の積極果敢な性格から,その手元にある巨額 の投資資金を一層自由に使いたいという気持にも逆えなくなっていた」から である (Keller,p.  189) 

このようにして生保経営者は, rセーノレスマン」から「金融家」へ変身し た。かれらは,投資活動における自由裁量の余地を拡大するため,必要な権 限を,つまり「有価証券の売買,株式保有の決定,そして取引先の銀行の指 定に関する権限」を公式に掌握していった。同時に,取締役会の下部機構た る財務委員会は, r政策形成への参加者の地位から単なる傍観者」へと変わ っていった (Keller,pp.  168'"''9) Jacob Schiffは Equitableの財務委 員会について次のように証言しているo

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「財務委員会は,月に一回会合を聞いた。その席上,すでに実施された件 について報告をうけたが,しかし,実施されようとしていることについて は何も報告されなかった。……つまり,財務委員会の活動は,形だけのも のでしかなかったJ (Armstrong Investigation, p.  1304)

生保経営者が投資活動に関する権限を掌握し,自ら金融連繋網の形成に乗 り出す場合,その行動を規制する要因は,財務委員会の形骸化に対応して,

乙乙でも経営者の自制以外になかった。そしてこ乙でも,経営者の自己規制 は,全く作動しなかったのであるoその結果,例えばMutualの「金融機構 は広範囲にわたっていたが,しかしその実態は,多くの場合マッカーディ

自身の欲望や野心を満たすための,すぐれて私物化された方便」となった (Keller, p.  200) 0 つまり,かれの「行為は,本質的に個人としてのそ れ」であり, r自分自身の利害とミューチュアノレの利害とを全くといってよ い程に区別しなかったJ CKel1er, p. 199) 0 乙の程の公私混同は,大手生 保会社l乙共通して現われ,そのため投資に関して様々な弊害が発生した。甚 だしい例は,経営者が外部の金融業者と手を組み r非公式の仲間集団」

一一典型は, Equitable JamesHazen Hyde and Assocciates"ーーを 形成し CNorthp.  150) ,自社の資金を利用して莫大な私利をあげた事例 であるD そうでなくとも,投資に関する意思決定に「多元化」がみられた,

あるいは腐敗した投資技術がまぎれこみ,のみならず逃げ口上や秘密協定を 必要とする事態まで招いていた。これは,確かに公的責任を負う経営者に は許されないことであり,ーそう大きな批判ーを招く一因であった〔例えば Lawson)

ところで,経営者の価値観と役割の変化は,確かに生保業の成長に伴って 必然的であったかもしれないし,また企業家としての能力と抱負を存分に発 揮したいと願うことも当然であろうo しかし,かれらがとるべき道は,そ れだけではなかった。例えば Hydeは,その目標を「世界最大の生保会社 へ,しかるのちに最善の会社」とすることにおいていた。世界最大という目 標を達したのち,最善の会社たるべき方向へ転進することもできたであろ う。しかし,そうしなかった理由は,生保経営の把握にあった。この点は,

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Connecticut Mutual J.Greeneとの対比により明瞭となる。 Greene 生保経営は,まず生保の理想像を描き,次にその理念が経営を規定するとの 構造を有していた。かれは,端的にいえば r企業家よりむしろ慈善家」

(Veblen,邦訳 p.3'1)に属していたとみるべきであろう。一方, Hyde 場合,企業家としての野心を充足する「機会」として生保を捉えるから,企 業目標の方が生保を規定することになるD かれにとっては売れる商品こそ必 要であり,その商品自体が理想的であるかどうかは,問う必要のない問題で あった。実際生保業の崇高な役割をいかに熱心に説こうとそれは r成長へ

のイデオロギー的没入と競争の圧力に直面したときにはほとんど無効になっ J (Keller, p.  36)ロ乙のように, HydeGreeneでは生保と経営ない し企業との規定関係は,逆転した構造をもっていた。したがって, Hyde 経営が拡張主義を基調とするのに対し, Greene にとっては,成長は目標で なく結果にすぎない。一方, Hydeの場合,投資活動への転進は,企業発展 の当然の帰結であると共に,新たな目標でもあった。

さて,企業家的野心に満ちていたとしても,それが直ちに公私混同に連結 するのではないだろう。両者を結びつけた要因は,何であったか。おそらく は,経営者の自制こそ行動を律する唯一の要因だとの支配構造や,あるいは 拡張主義経営がもたらした結果であるともいえるO 乙の点,生保業のもつ特 殊な性格を強調する Kel1erの所説は,示唆に富む。例えば相互会社の経営 者の場合,いかに委任状を集め,確固たる所有者の地位につ乙うと r株式

所有がもたらす満足感さえ得られなかった」ために r水増しされたサラリ ー,親類縁者の抜てき,および会社の投資業務に便乗した個人的な投資が,

利殖を妨げる諸困難に対する代償となったJ (p. 49) 0 一方,株式会社に も同様の事情があった。例えば r生保業特有の性格によって株式資本の増 加にさえも限度があることが明らかとなったJ (p. 54) 0 つまり,内部 留保の組入れによる増資には限界があるD また,株式配当も制限されるo

Hyde Equitableの過半数株式を保有したことによって得る配当は,

3000ドル余にすぎなかったロ他の株式会社も同じであった。他産業に比 べ,またその成功の大きさに比較して,経営者が得た報酬は,ごく僅かでし

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かなった。乙のように「生保業特有の利潤追求の抑制J (p.  51)が,所有 形態の如何を問わず,作用しており,その結果が法外な俸給や投資業務の私 物化として現象したのであるo

Kellerが指摘するいま一つの要因ば,保険業にまつわる,いわばイメージ の作用であるo これが最も強く実体化したのは,投資分野であろう。ここで は当初から保険会社投資について明確な理念が存在し i保守的な伝統」

(Keller, p. 162)を形成すると共に,法文として規制力を与えられでもい た。生保経営者も,こうした伝統を遵守する姿勢を保ったが,やがて上述の ように,乙れに逆い始めた。しかし,かれらの目標と行動は,保険投資に附 着する伝統ないしイメージに絶えず抵触し,摩擦を生じないわけにいかなか った。確かに,現実の必要性がそれを強いたという面はあるとしても,乙う した「生保業に組み込まれている独特の制約から保険首脳の間に欲求不満が 生じJ,生保経営者は i投資環境のこれまで以上の支配とより大きな利 益をもたらすかもしれない金融同盟に」導かれていったといえるのである

(Keller, p. 184) 

利潤追求の抑制や保守的伝統は,保険それ自体の性格に派生するo様々な 問題の露呈は,こうした性格と企業家的野心や拡張主義との低触を示すもの であった。同じ乙とが,海外事業にも発生していた。海外への進出は,紛れ もなく拡張主義の現われであったが,しかし,生保業にその必然性は之し い。けだし,原材料の供給源を掌握する必要も,商品の販路を確保する意味 も,殆どないからであるo生保経営者が様々な大義名分を唱えたとしても (Kel1er, p. 117f.) ,それは, 乙じつけでしかないだろうo一方,家計の 安定が社会の安定に寄与し,また資金集積機関としての生保会社が重要であ るとすれば,各国とも自国会社の育成につとめるであろうo実際,進出企業 は,やがて「ナショナリズム」の洗礼をもろにあびた。一方, トラブノレの解 決を,密接な関係、を樹立していた国家権力に求めたが,しかし,海外進出の 必然性に乏しい以上,その効果は期待に程遠いものであった (ex.Keller,  p. 139f.) 1)

1)  生保業それ自体の性格がもたらす特異な結果の一例として,壮麗な建物の建設が

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ある。けだし, r実体性のない事業にはありえない具体的表現J(Keller, p. 47)  の意味があるからである。

さて,以上は保険業に特有の条件に派生するものであった。乙れと別に,

経営者自身が作りあげていったイメージがあるo もともと生保がイギリスか ら輸入され,アメリカ人にとって乙の新奇な仕組みを広めるために,初期の 経営者は,その慈善性や倫理的側面を説いた。 19世紀末の経営者もこれを引 き継ぎ,例えば Perkinsは,会社資産を「信託基金」に,幹部を「受託者」

にみたてた。 McCurdy i偉大にして神聖な信託」とのべ,宗教への類 比すら行われた (Kellerpp. 35.  37) 0 また,生保業の準公共的役割も 訴えられた。確かに「準公共的役割には積極的な営業上の価値があった」

(Keller, p, 34)からである。しかし,こうした努力によって作り出され たイメージは,経営者の意図とは別に一人歩きを始め,自己増殖をとげ,や がて経営者の行動を批判する有力な論拠としてはねかえるo i生保会社の有 力者たちは,それらの企業の社会的意義を唱える乙とによって,準公共的 地位のもたらすさまざまな利点を獲得した。しかし,それと同時にかれら は,その見返りとしての制約の受け入れを保証したことになるJ (Keller,  p. 43)。経営者が作りあげたイメージと,その行動とが最も遠く離れたと

き,その反動は,殊のほか厳しいものとならざるをえなかったのであるo

V 日間A

19世紀後半のアメリカ生保業は,比類ない成長をとげたo1843年にスター トして以来,僅か30年足らずで先進国イギリスを抜き, 20世紀初頭には,世 界全体の保有契約高の約60%を占めるまでになった。急速な発展は,もとよ り人口増や工業化の進展といった社会経済的条件により可能となったには違 いないが,それと共に,生保経営者の資質や性格,とくに販売面でみせたす ぐれた能力に負うところが大きかった口しかし,成長の結果,経営者支配が 確立し,また経営者の役割と価値観の変化が生じた。一方,保険業特有の制 約条件および保険にまつわるイメージと,かれらの企業家的行動とが絶えず 緊張関係を生み出し,増大させていった。しかも,公的責任を負うものには

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