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憲法解釈における二つのアプローチ( 3)

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(1)

原意主義の展 開を中心 に

は じめに

グレイ教授の解釈 的審査 と非解釈的審査

ブレス ト教授の原意主義 と非原意主義 (以上本誌47

1

号) ボーク元判事の原意主義 (以上本誌47

2 ・3

号) ペ リー教授の原意主義 (以上本号)

むすび

ペ リー教授の原意主義

ノース ウ ェス タ ン大 学 ロー ・ス クー ルのペ リー教 授 は,1994年 ,先 に紹 介 した, ボー ク元 判 事 の

THE TEMPTI NG OF A MERI CA

の 出版 に も触 発 され て

1)

,

THE CONSTI TUTI ON I N THE CoURTS

を著 し

2)

,原 意 主 義 の立 場 を公 に してい る

3

)。ま た,この書 は,そ の

a c kno wl e dge me nt s

にお い てふ れ られ てい る よ うに ,ペ リー

1) R BoRK,THE TEMPTⅡ寸 G OF AMERI CA ( 1 990)

.猪股弘貴 「憲法解釈 における二つ

のアプローチ

(2)」商学討究47

2‑3

号207頁以下参照。

2) M. PERRY,THE CoNSTI TUTI ON N THE CoURTS ( 1 99 4).

3)

ペ リー教授 の,本書以前の見解 について,猪股弘貴 「司法 と憲法上の政策形成 (‑)・(二 ・完)」早稲 田法学61

2

1 23

頁以下

・6 8

3‑4

1 33

頁以下参照。

ペ リ ー教授 の著書

THE CoNSTI TUTI ON,THE CouRTS,AND HuMAN RI GHTS ( 1 982)

は芦部教授 によって監訳 され, この書 を中心 としたペ リー教授 の理論 についての 邦語文献 もい くつか発表 されている。本稿 において取 り上げている書 をも含めて, ペ リー教授の理論 を検討 しているもの として,例 えば,松井茂記 「討議的で転換 的な政治の一形態 としての司法審査」・現代違憲審査論

( 1 996

)86

頁以下参照。

〔 9

1

(2)

9 2

4 7

4

教授が

1 9 91

年秋 に,わが国を訪れた際に準備中であったことで もあ り

4)

, 日本 国憲法 (と推測 される)の解釈 に言及 している箇所が随所 に見 られ,アメリカ の意法学者 による日本国憲法理解 とい う,わが国で 日本国憲法の解釈 に取 り組 んでいる者 にとって,大変興味深い書で もある

さて,ペ リー教授 によると,本書の 目的には二つあるという すなわち,一 つは,憲法解釈 において,裁判所, とりわけ連邦最高裁判所 は, どのようなア プローチを採用すべ きなのか ということである もう一つは,憲法問題 を解決 するについて,連邦最高裁判所 は, どのような役割 を演ずべ きなのか とい うこ

とである。そこで,これ らの問題を考 えるについて,ボーク元判事の見解 を批 判的に検討 し, 自己の立場 を確立 しようとしている。ボーク元判事の主張 をこ

こで繰 り返す ことは しないが,要す るに,「法」 と 「政治」 は明確 に区別 され なければな らず,憲法裁判は,注過程

( l ega lpr oc e s s )

であるにもかかわ らず,

1 9 5 4

年のブラウン事件判決 を晴夫 として

5)

,近時の連邦最高裁判所 において は,それが政治過程

( po l i t i c a lpr oc es s )

とされて きている, と論難す るので ある 詳細 については後 に検討することにするが,ペ リー教授 は,ボーク元判 事のこのような見解 について,半分は真実 を言い当ててお り,半分 には重大 な 誤 りがあると評 している。憲法は 「法」か 「政治」か という問いに(ペ リー教授

THECoNS TI TUTI ON Ⅱ 寸THECoURTS

の副題は

La w orPo l i t i c s ?

である),ボー ク元判事は 「法」であると答えるのに対 して (ボーク元判事の

THETEMPTI NG oFAMER I CAの副題 は ThePol i t i ca lSeduc t i onoft heLaw

である),ペ リー教 授 は 「法」であるとともに 「政治」で もあると答 えるのである (ペ リー教授の 書の最終章 は

Cons t i t ut i ona l Adj udi cat i o n:La w a nd Po l i t i cs

である)。 なお, ペ リー教授 は,憲法裁判 をめ ぐる今 日の論争が,実社会の政治問題 を取 り扱 う 以上止むを得 ない面 もあるとはいえ,過度に挑戦的になっていることを遺憾 と している ペ リー教授 によると,その典型がボーク元判事であるが,その他あ

4)紙谷雅子 ・長谷川晃 ・吉田邦彦 「アメ リカ憲法訴訟基礎論

ペリー教授北大 講演リポー ト」ジュリス ト

9 9 2

1 1 6

( 1 9 9 1

年)以下参照。

5) Br o wnv. Boa r do fEduc a t i o n , 3 4 7U. S. 4 8 3( 1 9 5 4 ト

(3)

また存在 し, この ような傾向 は,政治的 に右 の側

( po l i t i c a lr i ght )

か らだけ ではな く,政治的 に左 の側

( po l i t i c a ll e f t )

か らも (アメ リカにおいては,舵 判的法学研究の立場がそれに当たる)生 じているとい うペ リー教授 は,右か らの ものであれ左か らの ものであれ,憲法裁判 についての論戦的な書は,物事 をほとんど明 らかにせず,多 くの事 を暖味にするだけである,と述べている

6

)

ペ リー教授 は,持論 を展開するにあたって,相互に関連する,一群の区別 さ れなければな らない概念 について説明 している

それ らは,(1)法文

( t e xt )

規範

( no r m)

, (2)法文 の不確 定性 と規範 の不確 定性, お よび(3)法 文 の解釈

( i nt e r pr e t a t i o n)

と規範の特定

( s pe c i 五c a t i o n)

である 憲法規定のような成 文法の規範的意味は,必ず しも明確 なわけではない。解釈的検討

( i nt e r pr e t i ve i nqui r y)

の 目的は,法文 を翻訳 ない しは解読す ること,法文の意味 を確定す

ることによって法文 を理解可能なものにすること,すなわち法文によって示 さ れている規範 を確定することである。法文が不確定であることは,あ らゆる利 用可能な関連資料 に基づいた としても,政治共同体のメンバーは,法文の規範 的意味について一致 していないことを意味す る。 また,た とえ法文の規範的意 味を確定で きるとして も,規範 自体,特定の文脈 においては不確定なのである すなわち,(1)関連する事実は何か,(2)その他の関連する法規範は何か,(3)事件

に関係するこれ らその他の法規範が何 を意味 しているかについて,一致 してい るとしても,規範 を前提 として,事件がいかに解決 されるべ きかについては, 一致 していないのである。争いに適用 され, しか し争いの中において不確定な 親範ば,特定 されなければならないのである ペ リー教授が使用する用語法 と しての特別な意味において,不確定な規範 を 「特定す る」 とは,争いの文脈 に おいて,関連 しているが不確定な規範 を明確 にすることである7)。

ところで,ペ リー教授 は,後 に検討す るように,意法解釈 をす るについて, 原意主義を正当 とす るのであるが,上に述べた区別 との関係で, 自身が支持す る「原意主義」は,解釈的検討に対 しての適切 な司法のアプローチなのであって,

6) Se e M. PERRY

,S

u Pr an o t e 2 a t 3 ‑ 7.

7) Se ei d. a t 7 ‑ 8.

(4)

94

47

4

規範的検討

( no r ma t i vei nqui r y)

に対 しての適切 な司法のアプローチではない, と述べていることに注意 しか ナればな らない.従って,ペ リー教授の原意主義 は,ボーク元判事 によって代表 される,近時の連邦最高裁 に対する 「保守主義」

の立場か らの攻撃 としての原意主義 とは,異 なるものである 確かに,傑守主 義 の 憲 法 学

( c o ns t i t ut io na l c o ns e r va t i ve s )

と プ ロ グ レッ シ ブ の 憲 法 学

( c o ns t i t ut i o na lpr ogr e s s i ve s )

との問には,現実的かつ重大 な相違が存在す るが,意法解釈 に対する原意主義のアプローチが,必然的に保守主義か らの も のであると捉 えるのは重大 な誤 りである,とペ リー教授 は述べ る (なお,ペ リー 教授 自身の立場 は,プログレッシブであるとしている)。ここで,ペ リー教授は,

しば しば混同されている,二つの基本的な争点 を区別する必要性 を指摘 してい る。すなわち,第一は,司法審査 の実践 を形成すべ き,意法解釈 憲法の 法文についての解釈 に対す るアプローチの問題であ り,第二は,憲法 を め ぐる争いを解決するために,解釈 された憲法の法文 を持ち出す につ き,連邦 最高裁判所が演ずべ き役割 第一次的か第二次的か,大 きいか小 さいか, 積極的か消庵的か の問題である ペ リー教授は,後 にふれるように,司 法 「最小主義

( mi ni ma l i s m) 」

について論 じているが,これには次の二つの立 場が含 まれ る とい う。す なわち,一つ は 「解釈最小 主義

( i nt e r pr e t i vemi ni ‑ ma l i s m) 」

であ り,解釈的検討 に対する適切 な司法のアプローチに関わるもの である。 もう一つの最小 主義の立場 は,「規範最小主義

( no r ma t i vemi ni ma l ‑ i s m) 」

であ り,規範的検討,す なわち憲法の法文 によって示 され る不確定 な 規範の特定についての,適切 な司法のアプローチに関わるものである 多 くの 憲法学者 は,ボーク元判事 にみ られるように,原意主義は司法最小主義 を伴 う ことを前提 にしている

しか し,解釈最小主義であれ,規範最小主義であれ, 原意主義は最小主義 を伴 うものではない。 もちろん, このことは,原意主義で あるとともに最小主義であることを否定するものではない, とペ リー教授 は述 べ るのである

8)

8) Se ei d. a t8 1 1 0.

(5)

ペ リー教 授 は,

THECoNS TI TUTI ONI NTHECoURTS

において設定 した二つ の課題,す なわち,最高裁判所 は憲法解釈 において どの ようなアプローチを採 用すべ きなのか とい う問題 と,最高裁判所の役割はいかにあるべ きか とい う問 題 に取 り組 むに先立って,司法審査

( j udi ci a lr evi ew) 9)

その ものの正 当性 に ついて検討 を加 えている (しか も, ここで力点が置かれているのは,憲法上正 当化 で きるか否か とい う,法的正当性の問題ではな く,善か悪か とい う,政治 的 ・道徳的正当性 の問題 であ る)。 なお, この間題 を考察す るのは,司法審査 の正 当性がアメ リカ合衆国において,今 日問題 となっているか らではない。司 法審査 は,現代 アメ リカ社会 において, コンセ ンサスが得 られている制度であ る。 この間題が重要なのは,先 にペ リー教授 によって提示 された課題の一つで ある,憲法解釈のアプローチに密接 に関係 して くるか らである。司法審査 の正 当性 を考 える際の出発点 は, ピッケル教授が

THELEAS TDANGEROUSBRANCH

において指摘 した ように,司法審査 が 「反多数決主義 とい う乗 り越 え難い壁

( count er

ma j or i t a ri andi f f icul t y)

」の問題 を抱 えていることである

10)

。ペ リー 教授 は,司法審査が反多数決主義であることを前涯 にして も,支持 されるべ き ものなのかが問題 なのである とい うす なわち,「われわれの支持 を得 ている 司法審査 は,われわれの支持 に値す るものなのか

」 ll)

とい うことが問題 なの である

1 2) 。

ペ リー教 授が

THECoNS TI TUTI ONI NTHECouRTS

において検討 しようとし ているのは,上 に述べた ように,司法審査 の政治的 ・道徳的正当性であるが, 司法審査 の合憲性 とい う法的問題 にもふれているので, まず この点か らみてい くことにしよう。ペ リー教授 は,アメ リカ合衆国憲法が司法審査 を確立 してい

9

)なお,ペ リー教授は

, 1 9 8 9

年出版のクリントン教授の著書 を引用 しなが ら(

Se e

R.

CL mTON,MAR BURYV.MADI S ONANDJ UDI C I ALREVI EW. )

,いわゆる違憲法令審査権 という意味での

j udi c i a lr e vi e w

という用語法の起原は,故コ‑ウイン教授に遡 るとの興味深い指摘をしている

( Se e Cor wi n ,TheEs t ab l i s hme nto fJudi c i alRe ‑ v i e u 7 ,9MI CHI G ANL.REV.1 02( 1 91 0) ) 。 Se e M.PE RRY

,S

u P7 1 a not e2at2 08.

10)

Se eA. BI CKE L ,Tf I ELEAS TDANGEROUSBRANCH( 1 96 2) . ll) M.PE RRY

,S

u Pr a not e2a t1 7 .

1 2 )Se ei d. a t1 5 ‑ 1 7 .

(6)

96

47

4

るか どうかについて,次の四つ に分 けて検討 している すなわち,(1)州政府 の 行為 に対する州裁判所 による審査

,( 2)

州政府の行為 に対す る連邦裁判所, とり

わけ連邦最高裁判所 による審査,(3)連邦政府の行為 に対す る州裁判所 による審 ,(4)連邦政府 の行為 に対す る連邦裁判所, とりわけ連邦最高裁判所 による審 査 である これ らの うちの後二者 について,特 に議論が存在す る, とペ リー教 授 は述べ ているが,順次検討 を加 えてい くことに しよう まず

( 1 )

について,ペ リー教授 は, これは合衆国憲法第

6

条の最高法規条項 によって,す なわち 「こ の憲法 は ・・・・・・国の最高法親 である。各州の裁判官は,各州の憲法 また は法律 中に反対 の定めある場合 といえども, これに拘束 され る

」 1 3)

とい う規 定 によって命 じられているとい う。(2)は, これを禁ずる文言が憲法 に兄い出さ れず,最初の連邦議会 によって制定 された,

J ud i c i a r yAc t

以来認め られて き た ものであ り,少 な くとも修正第1

4

条が成立 した1

868

年の時点で, このような 審査 を,当然の前提 に していたのである。一方,(3)(4)については,法文上明 らかではな く,合衆国憲法 を批准 した者達が どの ように理解 していたか,歴史 家 の評価 も分かれるところである。とはいえ,ペ リー教授 は,合衆国憲法 によっ て成立 した中央政府の性質や構造か ら,司法審査 は十分かつ必然的な もの とし て推論 し得 るとい う さらに1

788

年 に出版 された 『ザ ・フェデラリス ト』第78 篇 におけるハ ミル トンの見解や

14)

,合衆 国憲法 に権利章典 を導入 した第一議 会 におけるマデ イソ ンの宣言 にみ られ るように

15)

,1791年 に権利章典が合衆 国憲法の一部 となった時,憲法が司法審査 を確立 したのは自明のことである, とほとん どの者 によって考 え られていたのである

いずれにせ よ,合衆国憲法 が司法審査 を確立 したか どうかの問題 は,今 日比重が落ちている。とい うのは, 司法審査 の存在 自体 に異 を唱 える者 は存在せず,それはアメ リカの統治 におい て不可欠 な ものであ り,世界 の模範 として提示 し得 るものだか らである

1 3 )樋口陽一 ・吉田善明 ・解説世界憲法集

3

( 1 9 9 4

年)

5 5

頁参照。

1 4 )A

ノーミル トン, ∫.ジェィ, ∫.マデイソン (斎藤真 ・武則忠見訳)ザ ・フェデラ リス ト

( 1 99 1

年)

3 76

頁以下参照。

1 5 ) Se eJ .CHOPPER,JUDI CI AL REVI EW AND THE NATI ONAL PoLI TI CAL PROCESS 66

( 1 9 80 ).

(7)

法審査 は,今 日,アメリカの統治 にとって欠 くべか らざる特質一 本質的な 特徴‑ である とい う意味 において,司法審査 は合憲法的である」

16)

, と ペ リ⊥教授は述べるのである

17)

さて,ペ リー教授が司法審査の正当性 の問題 において取 り組みたい課題,す なわち政治的 ・道徳的正当性の問題 を検討するにつ き,次のような議論か ら出 発するすなわち,政治共同体が,権利や 自由を確立する手段 には,二つの方 法 が 存 在 す る。 一 つ は, 制 定 法 に よっ て 保 護 す る とい う制 定 法 戟 略

( s t a t ut o r ys t r a t e gy)

であ り, もう一つ は,憲法 によって保護す るとい う憲 法戦略

( c o ns 山ut i o na ls t r a t egy)

である 民主的共同体が, これ らの うちの 憲法戦略を採用するのは,その権利 に特別な重要性 を認めているか らであるが, その権利 に優先性 を与えるとい うことであるな らば,それは制定法の定め方に よってその 目的を十分達成することがで きる。 この両者の戦略の決定的な相違 は,む しろ,改正手続の困難 さに存在する。すなわち,制定法戦略の場合 には, 立法部の多数によって修正 し,廃止することが可能であるのに対 して,憲法戦 略の場合 には,合衆国憲法第

5

条や 日本国憲法第

9 6

条 にみ られるように,改正 するためには立法部の特別多数や国民投票が必要 とされるのである ペ リー教 授 によると,民主的政治共同体が権利 ・自由を保護す るために憲法戦略 による のは,将来 をも含 めて,通常の政治

( o r d i na r ypo l i t i c s )

に対す る不信や懐疑 が存在 す るか らで あ る そ して,憲 法戦 略 に は,権 利 を強行 す る仕 組 み

( e nf わ r c e me ntme c ha ni s m)

が必要 とされ,それが司法審査 なのである

だ し注意 しなければならないのは,ペ リー教授 は,権利 を保護する仕組み とし て,憲法裁判 を適切 だ としているのではないことであるただ比較の問題 とし て,憲法戦略によって権利 を保護 しようとする者は,相対的に,憲法裁判 より も通常の政治 に, より懐疑的なのである。 しか し,これで司法審査 を正当化す ることに成功 したとはいえない。残 された問題がある,とペ リー教授 は述べる

すなわち,それは,過去の決定がなぜ に今 を拘束するのか ということ,言い換

1 6 )M. PERRY , S u P7 1 a no t e 2 a t 26.

1 7 )Se ei d. a t 241 7.

(8)

98

第47

4

えるなら,過去か らの遺産‑ 司法審査‑ を,現在のわれわれが維持する, 十分 な理由が存在す るのか とい うことである。父祖達が制定 した憲法上の人権 が今 日においても重要であることは,誰 しもが認めていることであるとして ( の点の例証 として,ペ リー教授 は,

1 9 9 0

1

1月

2 0

日,パ リで調印 された

The Cha r t e ro fPa r i sf わ raNe wEur o pe

と合衆国憲法の人権条項 との類似性 を挙 げ

る),これ らを丸 ごと司法審査 によって保護すべ きかは,また別の問題である。

ペ リー教授 は,これ も比較の問題であるとい う すなわち,例 えば,保護 され る権利 とそ うでない もの とが,最高裁 によって一方的に選別 されるよ りは,丸 ごと保護 されることにした方が,問題性 はよ り緩和 されるのである

1 8)。

司法審査 を擁護する議論は‑ 政治 を司 どったわれわれの祖先 によって憲 法 に取 り入れ られた様 々な条項が保護に値するとい うことを前提 に‑ , こ れ らの条項 を保護するための仕組み として,司法審査が有効であるというこ とに尽 きるのであって, より有効な仕組みを確立することによって,司法審 査 を改めるのでなければ,そ してそれまでは,司法審査 を是認 し続けるべ き

なのである。」

19)

それでは, この ように して正当化 される,司法審査の行使 において,最高裁 判所 はどの ような意法解釈 のアプローチを採用すべ きなのであろうか。ペ リー 教授 は,ここで,二つの異 なる問題 を混同すべ きではない という すなわち, 憲法典の条項が示 している指令

( di r e c t i veo rdi r e c t i ve s )

は何かを検討する憲 法の解釈

( i nt e r pr e t a t i o n)

と,意法典の個々の条項 によって示 される不確定 な指令 に,個別の文脈 において内容 を与 える憲法の特定

( s pe c i 五 c a t i o n)

である

原意主義は,憲法解釈 についての一つの立場であって,憲法特定についての立 場 なのではない。最高裁判所が憲法指令 国の最高法規であ り,修正第

5

条に定め られている手続 によるのでなければ改め得 ない もの として何 を 正当なもの とすべ きかについて,二つの解答が存在するという。一つは,法典 主義 (

t e xt ua l i s m)

原意主義はこの一つの形態である であって,

1 8 )Se ei d. a t 1 7 1 2 4.

1 9 )〟. a t 2 4.

(9)

これによると,最高裁判所 は,合衆国憲法のテキス トによって示 される指令の みを憲法上の もの として強行 し得 るのである。 もう一つ は,非法典主義

( non‑

t e xt ua l i s m)

であって, これによると,最高裁判所 は,意法典 によって示 され る指令だけではな く,それ以外の ものをも,憲法上の もの として強行 し得 るこ とになる。 これ らについて,ペ リー教授 は,近代 アメリカの政治 ・法文化 にお いて,非法典主義 を受け入れることはで きない という。 ここで想起すべ きなの は,マ‑ベ リー対マデイソン事件

20)

において,マーシャル最高裁長官が司法 審査 を正 当化す るにつ き,合衆国憲法の成文性 (

wr i t t ennes s )

に言及 してい ることである

21)

。合衆国憲法 によって示 されていない指令 を憲法上正 当な も の とする理由は,兄い出す ことがで きないのである。成文の合衆国憲法は,最 高裁判所が強行 し,保護する,あ らゆる憲法上の条件や制度を完全 に示 し,具 体化 しているのである。ただ し,非法典主義 を拒絶することは,憲法典によっ て示 される不確定 な指令 を強行する‑ 特定する‑ につ き,裁判官が,意法 典 によって示 されていない諸前程 によることを否定するものではないことに, ペ リー教授 は注意 を喚起 している

22)

このように,意法典 によって示 される指令 のみを,最高裁判所 は,憲法上の もの として強行すべ きであるが,意法典の条項 によって示 される内容 は,必ず しも明確 なわけではない。そこで,誰 によって理解 された もの としての憲法条 項が,権威 をもつべ きかが問題 となるまさにこの点において,原意主義 と非 原意主義が,それぞれ見解 を異 にするのである。原意主義 によると,条項が憲 法化 された時点での 「人民」 による憲法条項の理解 に,特別な重みが与 えられ ることになるペ リー教授 は,次のように述べている。

合 衆 国 憲 法 は 次 の よ う に始 ま る す な わ ち 『わ れ ら合 衆 国 人 民 は ・・・・・・アメ リカ合衆 国のために, この憲法 を制定 し確立す る。』原 意主義によると,捷案 された憲法条項の人民の代表による批准が,人民‑

20 ) Ma r bur yv. Madi s o n,5U. S. ( 1 Cr a nc b) 1 37( 1 8 03).

21 )Se eMo o r e ,Do WeHav ea n Unu ) r i t t e n Co ns t i i ui i o n ,63 S.CA L .L REV. 1 07 ( 1 9 8 9 ).

2 2 )Se e M. PERRY

,S

u P7 1 a no t e2a t2 9 ‑ 31 .

(10)

100

第47

4

代表 を通 じて条項 を制定 し確立 した人民 の条項理解の前提 をなす と考 えられているのである

。」 23)

憲法制定過程 における人民の代表者達,すなわち批准者達の理解が重要である のは,人民が条項 をどのように理解 していたかについての,すなわち,人民が 十分な注意を払い,すべての関連情報にアクセスで きていたならば,それ らの 条項が人民 によって どの ように理解 されていたか につ いての近似値

( c l o s e a ppr o xi ma t i o n)

だか らである これに対 して,非原意主義 による と,条項が 憲法化 された時点での人民 による理解以外の,誰かあるいはある集団の理解が 条項理解 において特別な意味を持たされることになる

しか し,それは誰ある いはどの集団の ものになるのであろうか。スカリア最高裁判事 も述べているよ うに, この点に答 えることがで きないことが,非原意主義の致命的な欠陥なの である

24)

。結局,原意 に代 わるべ きものについて, コンセ ンサスは存在 して いない, とペ リー教授は述べ るのである

25)

ペ リー教授が提唱する原意主義 によると,憲法解釈の対象 は,人民,ない し はその代表者 によって憲法化 された指令であるとい うことになる

これに対 し ては, まず,単一の指令や理解 というものは存在 しない, との異論が存在 して いる ペ リー教授 によれば,この ような主張は全 くの空論であるという。 とい うのは,憲法条項 は無か ら生ずるものではないか らである。それ らは現実の問 題に対処 しようとした,努力の現れなのである。従 って,指令 は利用可能な限 りの歴史資料 を精査することによって,検証することが可能 となるのである。

これに類 した異議 として,憲法条項 によって示 される指令 の一般化 の レベル

( 1 e ve lo fge ne r a l i t y)

を決定することはで きない, というのがある ここで, ペ リー教授 は,例 として,合衆国憲法修正第

14

条を挙 げる

すなわち, この条 項 は,人種差別を禁止 した ものなのか,それ以上に,差別一般 を禁止 している のか,はたまた差別の禁止 に止 まらない指令 なのか ということである

ペ リー

2 3 )7 才 . a t3 2.

2 4 )Se e Sc a l i a ,Or i gi nal i s mI TheLe s s e yEv i l ,57

cm.L.REV.

8 49( 1 989) .

25 )Se e M. PERRY

S

u P7 1 a no t e 2 a t 31 ‑ 4.

(11)

教授 は,修正第

1 4

条の原意 について,一般化の レベルを決定す ることは,確か に困難な作業であるとはいえ,関連資料 を駆使す ることによ り,いわば過去 と の対話 によって可能 となると結論付 ける。ここで注意 しなければな らないのは, 憲法制定者達 は,彼 らの生活 にもっ とも関わ りのある問題 に焦点 を当てていた

とはい え,類 似 の 問題 をす べ て カバ ーす る よ うに 目論 まれ た, 一 般 原 理

( ge ne r a lpr i nc i pl e s )

を憲法化 してい る とい うこ とであ る。 いずれ にせ よ, 原意主義 を信奉す る裁判官は,で きるだけ正確 に,憲法規定 についての原意 を 再生すべ く努力すべ きであ り,原意 を過大 に∵般化 した り,過少 に一般化 した

りすべ きではない, とペ リー教授 は述べ るのである

26)

0

ここでペ リー教授 は, 自己の提唱する原意主義 と, これ まで しば しば批判 の 矢面 に立た されて きた原意主義,バスハ ム教授が言 うところの,厳格 な意図主 義 の原意主義

( s t r i c ti nt e nt i o na li s m o r ig ina li s m) 27)

とを区別 して考 えか ナれ ばな らない ことを強調 している。例 えば,修正第

1 4

条の批准者達 は,人種 によっ て分離 された公立学校 を禁止 しようとは考 えていなかったが故 に, この ような 分離教育 は本条項 に違反 しない とい う見解が存在す る。しか し,ペ リー教授 は,

この ように考 えるべ きではない とい う。 とい うのは,分離 された公立学校が こ の条項 に導反す るか否かの問題 は,過去 に照 らし合 わせ るのではな く,現在 の 問題 として考 えるべ きだか らである

原意主義 に とって決定的に重要 なのは,批准者達が憲法条項 によって伝 え ようとした指令,彼 らが発 している指令 なのである。批准者達が馴染 んでい たあれや これやの もの (法律等々) を,彼 らが発 している憲法上の指令 に反 しているとは考 えなかった こと 彼 らがその行為 は指令 に反 していない と信 じていた ことで さえ‑ は,決定的ではないのである

。」 28)

もし裁判所が ,その行為 を批准者達 によって発せ られた憲法上の指令 に反 して い る と考 えるな らば ,その行為 を批准者達が知 っていた ,あるい は予測可能で

26 )Se ei d. a t 39 1 42.

27 )Se e G. BASSHAM,ORI GI NAL I NTENT AND THE CoNSTI TUTI ON : A PHI LOSOPI i I CAL

STUDY ( 1 992).

28 ) M. PERRY

,S

u Pr a n o t e 2 a t 43.

(12)

10 2

第47巻 第 4号

あったか どうかに関わ りな く,無効 にすべ きなのである。この点で,ペ リー教授 は,ボーク元判事が,憲法原理の発展 を承認 しなが ら

29)

,批准者達が死刑 を禁 止 しようとしていなかった とはいえ,批准者達が死刑 を憲法化 しようとした証 拠が存在 しないにもかかわ らず,死刑 は残虐で異常な刑罰ではな く,憲法 に反

しない とすることは,理解 しがたい として非難するのである

30)

原意主義か非原意主義か。ペ リー教授 は,意法解釈 のアプローチ として,ア メリカの政治 ・法文化の文脈 において, どちらが より擁護 し得 る立場なのかに ついて,以下のように続ける原意主義 に賛同する議論の出発点は,合衆国憲 法 は成文法典 とすることによって,様々な指令 を伝達 しようとする努力の成果 であるとい うことである

先 に論 じた,司法審査 を行使することの正当性の問 題 と,憲法解釈のアプローチの問題 とは,密接不可分の関係 にあ り,前者の問 題 に対す る解答 は,後者の問題 に対する解答 を決定付 ける。 というのは,原意 主義を支持する議論 は,先 に述べた司法審査の根底 にある観点,すなわち,そ れは政治的に活躍 した先人達

( po l i t i c a la nc e s t o r s )

によって憲法 に定め られ た様々な指令 憲法典作成時,人民 によって,すなわち批准者 によって伝 達すべ く理解 された指令 を保護す ることにあるか らである。ただ し,個々 の憲法条項が どのような指令 を発 しようとしているのか,常 に明 らかなわけで はない ことか ら,そ こに最高裁判所 による解釈が必要 とされるのである。「 衆国憲法」 は,単に言語 を配置 しているに過 ぎない ものではな く,意図的な政 治的活動であ り,言語の配置 によって伝達 しようとしている指令 なのである 憲法が批准 された塀本的な理由は,特定の指令 を発す ることを欲 したか らであ

従 って,憲法条項 について,最高裁判所 に原意以外 の何 らかの意味付 けを する特権が与 えられる,いかなる正当な理由をも兄い出す ことは困難なのであ

また,建 国の父祖達の法解釈のアプローチ も,厳格 な意図主義の原意主義 ではないが,ある種 の原意主義であった ことに,ほ とん ど疑いはない

31)。

29 )Se e R.BoRK ,S

u

P7 1 a no t e 1 a t 1 6 2 ‑ 63.

3 0 )Se eM. PERRY

,Su

P7 1 a no t e 2 a t 4 2 1 7.

31 )Se eG. BAS S HAM ,S Z ゆr a no t e 27 a t 6 7 1 71

(13)

の ように して,ペ リー教授 は,原意主義 を支持す るのである

32)

0

さて,ペ リー教授 による と,司法最小主義

( j ud i c i a lmi ni ma l i s m)

と呼ぶべ き立場が存在 し, これには二つの区別 された,相互補完的な立場が含 まれる と い う。す なわち,一つ は,解釈最小主義

( i nt e r pr e t i vemi ni ma l i s m)

であ り, これは憲法典 を解釈す るについての,裁判所の適切 な役割 に着 目しての立場 で あ る。 もう一つ は,規範最小 主義

( no r ma t i vemi ni ma l i s m)

であ り, これ は テキス トによって示 される不確定な指令 を特定す るについての,裁判所 の適切 な役割 に着 目した立場である。ボーク元判事 をその典型 として,原意主義 を支 持す る者 の多 くは,原意主義 は,司法の役割 について,最小主義 を伴 うとして いる これに対 して,ペ リー教授 は,原意主義は,必然的に司法の役割 を小 さ な,受動的なものに止めるものではない とい う なぜ な らば,(1)憲法規定につ いての原意の検討 において,しば しば,あ り得べ き結論 は複数存在 し,従 って, 原意主義者 のアプローチを構成する歴史的検討 は, しば しば不確定だか らであ

る。 さらに,(2)これ らの うちの一つの結論 に従 った として も,原意 として理解 された規定によって示 される指令 は,争いの文脈 において, しば しば不確定だ か らである それでは,憲法の規定 についての歴史が不確定である とき,原意 主義者である裁判官は,どのような行動 をとる傾向があるのであろうか。ペ リー 教授 は,裁判官が司法の役割 をどの ように考 えるかが,重要 な要素の一つであ る とい う 原意主義のアプローチは,不確定な原意についての歴史的検討 を, よ り確定的な解釈 に従 って解決 しなければな らない とい うものではない。 もち ろん,原意主義の裁判官が, より確定的であれ, より不確定的であれ,歴史的 に可能性 のある解釈 を無視す るのは,原意主義 に反す ることになる。最小主義 の原意主義 においては,原意 について二つ,あるいはそれ以上の選択 の余地が あ り, しか もそれぞれの解釈が,同等の歴史的存在可能性があるな らば,裁判 官 はよ り確定的な解釈 を選択することになる とい うのは,確定的な指令 は, 不確定な指令 よ りも,裁判官の裁量の余地 を狭めるか らである 解釈最小主義

3 2 )Se e M. PERRY

,S

u Pr a no t e 2 a t 4 7 ‑ 5 0.

(14)

10 4

第47 第 4

と原意主義は競い合 うものではな く,相互補完的なものであるが,原意主義が 解釈最小主義のアプローチを前提 とした り,その帰結 となるものではない。解 釈最小主義は,憲法裁判において,政治責任のない司法の裁量 を狭 めることの 重要性 に着 目した立場 なのである。一方,原意主義は,憲法 を守る責任がある すべての機関 裁判所だけではな く,連邦議会,大統領,州議会 を含 む‑

に とって,「合衆国憲法」 とは何 か,それが意味す るものは何 かに着 日し た立場なのである 結局,原意主義者であるとともに解釈最小主義者で あるこ とは可能であるが

33)

,原意主義 を受け入れなが ら,解釈最小主義 を拒絶する ことも可能なのである 従 って,原意主義のアプローチは,ウオー レン ・コー トの信奉者達 と同様 に,大 きな,態動的な役割 を裁判所が担 うべ きことを主張 す ることと,必ず しも矛盾す るわけではないのである

34)

0

このように,原意主義は,原意の歴史的不確定性故 に,最」、主義 を伴 うもの ではない。憲法条項等の法文

( l e ga lt e xt )

は,不確定なのであるすなわち, 政治共同体のメ ンバーは,法文が示す指令 は何かについて一致 しない (合理的 に) ことがあ り得 るのであ り,テキス トが示す指令 について複数の結論が存在 し得 るのである。さらに,ペ リー教授は,法指令

( l e ga ldi r e c t i ve )

の不確定性, すなわち規範的不確定性

( no r ma t i vei nde t e r mi na c y)

に目を向ける。すなわち, 関連する事実は何かについて,関連する法規範 は何かについて,さらにこれ ら の規範が争いにとって どのような意味を持つかについて,一致 をみている者の 間においてさえ,指令の下で争いがいかに解決 されるべ きかについて,複数の 結論が存在するのである。 この不確定な親範が,個別の文脈 において何 を意味 す るのかを決定する過程が「特定」なのである。権利や 自由に関す る憲法指令 は, 指令 を憲法化 した者達 による,ある政治 ・道徳的価値 に特別な重みを与 えたこ

との決定の表象 なのである。すなわち,憲法指令 は,人間にとっての善

( huma n go o d)

について‑ とりわけ,共同生活 を送 や政治共同体のメンバーにとっ

33 )

そのような例 として,ペ リー教授はスカリア最高裁判事を挙げる

。Se e Sc a li a

,

S u Pr a no t e 24.

3 4 )Se e M. PERRY , S u P7 1 a no t e2a t5 4 ‑ 9.

(15)

て好 ましい,適 した方法について‑ の概念の,ある不確定な面 に,特別な 重みを与 えることの決定である。そのような価値 あるもの として,例 えば,令 衆国憲法の権利章典 においては,宗教活動の 自由 (修正第 1条),表現の自由 ( 正第

1

条),プレスの 自由 (修正第

1

条),お よびデュー ・プロセス (修正第

5

条) 等が挙げ られている。従 って,不確定な憲法指令 を特定する試みは,指令 に組 み込 まれている政治 ・道徳的価値 人間にとっての善 を,個々の文 脈 において,いかに最 も良 く達成す ることがで きるかを決定する試みなのであ 言い換 えると,文脈 において問題 となっている,政治共同体の様 々な,そ して しば しば競合する諸利益 に,最 も良 く仕 える方法 において,政府が,いか に政治 ・道徳的価値 を達成すべ きかを決定する試みなのである。 しか し,個々 の文脈 に関 して,政府が,一つのあるいは複数の政治 ・道徳的価値 を達成する 試みは, この文脈 において特定 される不確定な指令 によって特別な重みが与え られている価値 を達成する試み と, しば しば衝突するのである それ故 に,拷 令 を特定 しようとする試みは, しばしば非常に困難なのである, とペ リー教授

は述べ る

35)。

なお,ペ リー教授は,原意主義の裁判官が,不確定な憲法指令 を 「不合理で はない」仕方で特定す るについて,限界が存在す るとい う

これについては, 次の三つ に分けて説明するのが便宜である すなわち,(1)指令 を発 した者が指 令 によって特 に禁止す ることを意図 した特別な行為

,( 2)

指令 によって禁止 され ると理解 されなかった,あるいは理解 されなかった と推測 される特別な行為, お よび(3)指令 によって特 に禁止 しないことを意図 した特別な行為である まず (1)の場合 について,指令 を発 した者が特 に禁止 しようとした特別な行為 (法律 等々)が,指令 を侵害 しない との特定がなされたなら,連邦最高裁判所 は,塞 法指令 についての立法部の特定を許容すべ きではない し,ましてや最高裁 自身 の もの として採用すべ きではない。従 って,修正第

1 4

条の差別禁止指令 は,あ るグループのメンバーが,人種故 に道徳的に劣 るとい う見解 に基づいて,政治

3 5 )Se ei d. a t 721 6.

(16)

106

商 学

47

4

的な選択 をす ることを禁止 しているとの結論に至 るのである次に,(2)の場合 について,最高裁判所が どのように考 えるべ きかは,微妙な問題である。なぜ な らば,指令 を発 した者が禁止 しようと考えていなかった特別な行為 について, 特定によって,指令 を侵害 していると考 えることも可能であるし,あるいは指 令 を固定的に捉 え,そのような行為 は指令 を侵害 していない と考 えることも可 能だか らである それでは,(3)の行為 を許容す ることを明確 に意図 していた場 合 はどうであろうか。ペ リー教授 は,権利や 自由について述べている憲法規定 に関 して,禁止するという特別な意図のみならず,許容するという特別な意図 を,歴史的主張 として認めることは,困難なことであるとい うとはいえ, ち しその ような,行為 を許容するという特別な意図の主張が支持 されるな らば, 原意主義者である裁判官は,その ような行為 を指令は許容 していると考えるの が妥当なアプローチである, とペ リー教授 は述べ る

36)

0

繰 り返 しになるが,ペ リー教授 によると,憲法裁判のプロセスは,次の二つ か らなる すなわち,一つは解釈的検討であ り,それは,あいまい不確定な憲 法規定 を対象 とし,それを翻訳 ・解読 し,テキス トによって示 される指令 を確 認することである。 もう一つは,規範的検討であ り,そこでの対象 は不確定な 指令であ り,指令 を特定す ることによって,個別の文脈 における,指令の具体 的な意味を確定することである。 このような解釈 的検討および規範的検討 をす るについて,裁判官に多大 な影響 を与えるのが,司法の役割 についての裁判官 の考え方 と政治的道徳観である。 もし憲法についての歴史 と,憲法が有する道 徳性が,一定不変 に確定的であるならば,原意主義のアプローチは,司法の役 割 について,最小主義 を伴 うか もしれない。 しか し,憲法についての歴史 も, 憲法が有する道徳性 も,確定的ではないのであ り,従 って,原意主義は最小主 義 を伴 うものではない。原意主義 に最小主義が伴 う必然性 はないのである, と ペ リー教授は述べ る。む しろ,司法最小主義が,解釈的検討および規範的検討

に重大 な影響力 を行使するといえるのである。今 日の憲法理論 をめ ぐる論争に

36 )Se ei d. a t 79 1 81.

(17)

とって,最 も重要な争点は,原意主義対非原意主義で も,ましてやテキス ト主 義対非テキス ト主義で もない。原意主義が決定的な力 を持っていることを前提 にするな ら,また,憲法についての歴史 と憲法が有する道徳性が不確定である ことを前碇 にす るなら,最 も重要なことは,憲法 についての歴史の不確定性, 憲法が有する道徳性の不確定性,あるいはこの両者 に直面 した時に,連邦最高 裁判所が演ずべ き役割 はいかにあるべ きか ということである。そこで,次の課 題 は,解釈最小主義あるいは規範最小主義 をどのように考えるか とい うことで

ある

37) 0

まず,解釈最小主義 についてである。解釈最小主義によって補われた原意主 義 (最小主義者の原意主義) に従 うと,憲法規定について,実質的に同等な歴 史的存在可能性 を有する原意が複数存在す る場合,規定 によって示 される指令 が,より固定的になる読み方 によるべ きことになる。最小主義者のアプローチ においては,憲法規定の原意 として,判事 自身の政治 ・道徳的価値が,個々の 事件 にで きるだけ影響 を与えない結果 となる指令 を好むことになるのである

なぜ な らば, このようなアプローチを採用することによって,「反多数決主義 とい う乗 り越 え難い壁」の問題に応 えることがで きるか らである。つ ま り,権 威のある主観性 (価値,選好等々)の主なものは,主権者である人民の主観性 でなければならないことか ら,裁判過程 において裁判官の主観が働 く余地を最 小 にしようとい うのである。そ して,徹底 した司法最小主義は,解釈最小主義 と規範最小主義の両者 を含むことになる。 もし歴史が比較的固定 されない指令 を生ずるなら,司法最/)主義者 は,規範的検討において,最小主義者のアプロー チを追求することになる。 このように,解釈最小主義 と規範最小主義は,互い に補い合 うものなのである

38)

0

今 日,憲法理論に関わる業績 において,規範的検討における最小主義を遭示 し,擁護 している文献 を捜 しても,それは徒労に終わることであろう (なお, スカリア最高裁判事 は,解釈的検討における最小主義を支持するものである)。

37 )Se ei d. a t81 ‑ 2,

3 8 )Se ei d. a t

84‑6.

(18)

108

第47

4

というのは,原意主義は最小主義であると誤解 される傾向にあ 吐,原意主義を 支持す ることは即最小主義 を擁護す ることであると捉 えられているか らであ しか し,原意主義は即最小主義ではない。原意主義は解釈的検討 における 立場であるのに対 して,規範最小主義は,憲法の特定における裁判所の役割の 問題 に対する一つの解答なのである。 この間題 について,過去の文献に目を向 けるな ら, とりわけ今か ら

1 00

年前 に著 されたセイヤー論文か ら

39)

,有益 な示 唆が得 られる, とペ リー教授 は述べる。故セイヤー教授の論文は,不確定な憲 法指令 を特定するについて,裁判所が演ずべ き役割の問題 に対する,最小主義 者の模範解答 といえるものである。それによると,憲法指令 を特定するについ て,最高裁判所それ 自体の見解 に基づ くのではな く,道理 に適 う

( r e a s o na bl e )

セイヤー教授の言葉 によると 「合理的である

( r a t i o na l ) 」

限 り, 合憲性が問われている立法府の活動に含 まれている特定に基づ くべ きである, とい うことになる 規範最小主義のアプローチにおいては,争いを解決するの に影響 を与 える判事 自身の価値観 (趣味,選好等々)が働 く余地 を,相対的に 少な くしようということになる。 もちろん,余地 を相対的に少な くしようとい うことは,余地 を与 えないことではな く,最小主義のアプローチにおいてさえ, 審査 しようとする判事の間における,合理的な差異が生ず る余地 を残 している のである

40)0

それでは,憲法の不確定性 を特定するについて,裁判官は大幅な裁量 を行使 すべ きではない との結論に至 る理由は, どこに見出されるのであろうか。 この 点について,セイヤー教授の最小主義は,究極の主権者である 「われわれ人民」

が,憲法問題 を解決するにつ き最終的責任 をとらなければな らない との,民主 的な確信 に根差す ものである。セイヤー教授の狙いを要約 している,カー ン教 授 の表現 を借 りる と,「最高裁が人民 を代表 しようとすればするほ ど,人民は 主権在 民 としての機能 を停 止す るのであ る。」

41)

今 日,新 セイヤー主義者

3 9 )Se e Tha ye r ,TheOr i gi na ndS c o peo ft heAme r i c anDo c t r i neo fCo ns t i t ut i o nal La u 7 ,7 HARV.L REV. 1 2 9( 1 8 93 ).

40 )Se e M. PERRY

,S

u Pr a no t e2a t8 6 ‑ 9

1

.

41 )P. KAHN,LEGI TI MACYANDHI S TORY 87( 1 99 2 ).

(19)

( ne o ‑ Tha ye r i a n)

の間での議論 において,高度 に複雑 な,高度 に官僚制的に 発達 した産業社会 において,「われわれ人民」が憲法問題 について真撃な省察 を加 えることがで きることについては懐疑的である。従 って,憲法問題 につい て実勢な省察 をする可能性のある者 として,通常の政治の場の外 において集団 的に活動する人民 自身 とい うよりは,通常の政治の場 において活動する,選挙 責任のある人民の代表者 を考 えることになる。そこで,権利や 自由に関わる指 令 を含む諸事件 において,憲法の不確定性の特定に対する,最小主義のアプロー

チを評価するについての中心課題 は,次のようになる

「・不確定な憲法指令 を特定す るプロセスは 『合理的な

( r a t i o na

l)』 ものな のか。不確定な憲法指令がいかに特定 されるべ きかの問題に対する道理に 適 う解答の間において,道理 に通 う解答の中か ら合理的に選び得 るような,

より良い, より悪い解答が存在するのか。あるいは,このような選択 は, 単なる 『趣味』.ない しは 『選好』の問題 にす ぎないのか。

・ (道理 に適 う解答の間に)た とえより良い,よ り悪い解答が存在すると して も,一般的に,最高裁判所が,人民 に選挙責任 を負 う代表者 より,よ り良い解答 を発見する理由が存在す るのか。

・一般的に,た とえ最高裁判所が, より良い解答 を発見するという理由が 存在するとして も,多数決主義 による政策形成‑のわれわれの信奉 は,あ れや これやの道理 に適 う特定 をするにつ き,人民 に選挙責任 を負 う代表者 が,主要な責任 を負 うべ きことを要求するのか。関連 して,憲法裁判では な く,通常の政治が,不確定な憲法指令 を特定す る主要 な基盤であるなら ば,憲法問題について十分 に議論 し,次にうまく選択す る,通常の政治の 能力が次第に助長 されると信ず る理由が存在するのか。」

42)

これ らが, これか ら検討 される中心課題 であるが,ペ リー教授 は,「反多数決 主義 とい う乗 り越 え難い壁」の問題 をめ ぐる,憲法指令 と制定法指令 との差異 についてふれているので, まず この点について一言 してお くことにしよう

42 )M. PERRY

,S

u Pr a no t e 2 a t 93.

(20)

110

商 学 討 究 第

47

巻 第

4

常の政治ではな く,憲法裁判が不確定な憲法指令 を特定す る主要 な基盤である べ きか どうかは,裁判官が不確定な制定法指令 を特定する主要な責任 を負 うべ きか否か より,よ り難 しい問題である。 とい うのは, もし選挙で選ばれた人民 の代表者が,裁判所 による制定法規範の特定 に問題があると結論付 けたならば, 彼 らは多数決政治の通常のプロセスに従 って,裁判所が したことを,ひっ くり 返る点 にまで,修正 を加 えることがで きるか らである この点において,裁判 所 は,選挙責任のある人民の代表者 よ り,政治的に劣位 に置かれているのであ る。それ故に,「反多数決主義 とい う乗 り越 え難い壁」の問題 は,制定法 をめ ぐ る裁判の文脈 においてではな く,憲法裁判の文脈 において生ずるのである

43)

0 さて,最小主義のアプローチを評価するについての第一の課題,すなわち, 不確定な憲法指令 を 「特定」するプロセスは合理的なのか否かの問題に,ペ リー 教授 は,まず以下の ような形での問いを発す ることか ら検討 を始める。すなわ ち,不確定な憲法指令の 「特定」 は,政治 ・道徳的判断の一種であ り,政治 ・ 道徳 的判 断 は道徳判 断の一つ であ るが,道徳 判 断 は,最終 的 に, 「正 当性

( j us t i

c a t i o n)

」や 「合理性

( r e a s o na bl e ne s s )

」の問題ではな く,「趣味」や 「 好」の問題 にす ぎないのか否かである。 この点について, もし正当性 について の全体論的説明

( ho l i s t i ca c c o unto fj us 雌 c a t i o n)

を受け入れるな ら

44)

,憲法 の不確定性 を 「特定」することを含む,政治 ・道徳的判断は,正当性の問題で あることになる,とペ リー教授 は述べ る。憲法の不確定性 を「特定」することは, より道理に適った, より道理に適 っていない とい う領域内の問題 とな り,窓意 的,主観的,故意的にす ぎない領域の外 に位置することになる。第一に,正当 性 についての全体論的説明を,第二に,政治共同体 についての道徳多元主義を 前提 に,規範的検討 における非最小主義のアプローチを受け入れるとす ると, 次のような疑問が生 じる。憲法指令 を 「特定」する裁判官は, どのような基準

( ba s i s )

に基づ くべ きか, とい うことである 裁判官の責務 の強心 は,法的

4 3 )Se ei d ̲ a t 91 1 95.

4 4) Se e M. PERRY,LovEAND PowER 52‑ 65( 1 991 )

.全体論的説明ないしは整合説につ いて,例えば,門脇俊介 ・現代哲学

( 1996

年)50頁以下参照。

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