行政上の義務の司法的執行
︑ 村松 勲
一 はじめに
二 司法的執行積極的肯定説
三 基本的論拠の検討
四 履行請求権の法的構成
五 おわりに .
行政上の義務の司法的執行 ︵都法四十五ー二︶ 五九
六〇
一 はじめに
行政法規により又は行政法規に基づく行政処分により行政の相手方に課された義務が任意に履行されない場合に︑
行政が当該義務の履行確保のために裁判所に民事上の強制執行を求めて訴えを起こすこと︵行政上の義務の司法的執
行ないし民事的執行︶が許されるかどうかは︑現行憲法下における行政的執行の制度を前提に︑とくに行政的執行が
利用可能な場合︑および︑義務の性質上現行制度においては行政的執行が認められない場合をめぐって︑これまで学
説判例の一定の議論の蓄積が見られたところである︒
議論の焦点は︑建築規制や営業規制のごとく︑通常の私法上の関係に見られる財産的性質の義務ないし対等な私的
当事者関係における義務とは異なる︑その意味での﹁行政上の義務﹂が問題となっている場合である︒法律により行
政的執行手段が認められている場合については︑行政的執行の排他性ないし原則的な優先的選択の法理がほぼ確立さ
れ︑さらに︑行政的執行が認められていない場合について︑これを積極的に肯定する若干の下級審裁判例があり︑学
説もまた︑基本的には司法国家における行政上の義務履行の原則的なあり方の問題として司法的執行の利用可能性を ︵1︶ 肯定する見解が大勢となりつつあった︒もっとも︑司法的執行の利用可能な範囲・程度等の問題について必ずしも議
論の一致があったとはいえないが︑本来的にそうした問題は︑学説と実務における一層の議論の深化・発展に委ねら
れているというのが共通の理解であったように思われる︒
こうした中で︑最高裁平成一四年七月九日判決︵民集五六巻六号一一三四頁︶は︑条例に基づく建築工事中止命令
に従わない者を被告として市が提起した工事続行禁止を求める民事訴訟につき︑次のように述べて訴えを不適法却下
した︒すなわち︑﹁国または地方公共団体が提起した訴訟であって︑財産権の主体として自己の財産上の権利利益の
保護救済を求めるような場合には︑法律上の争訟に当たるというべきであるが︑国または地方公共団体が専ら行政権
の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は︑法規の適用の適正ないし一般的公益の保護を目的と
するものであって︑自己の権利利益の保護救済を目的とするものということはできないから︑法律上の争訟として当
然に裁判所の審判の対象となるものではなく︑法律に特別の規定がある場合に限り︑提起することが許されるものと
解される︒﹂
この最高裁判決に対しては︑﹁法律上の争訟﹂概念の理解及びそれに基づく概括的な法律上の争訟性の否定︑そこ
で前提とされる﹁法律上の争訟﹂を公益保護に対する私権保護に狭く限定するかのごとき理解︑さらには旧式の国庫
理論を髪髭とさせる﹁財産権の主体﹂と﹁行政権の主体﹂の概括的二元論等をめぐって︑さまざまな疑問と批判が投 ︵2︶ げかけられている︒そして︑論者によれば︑わが国における行政上の司法的執行は本判決により﹁死に体となってし ︵3︶ まった﹂とも評されている︒
本稿は︑すでに数多くの論評が加えられているこの最高裁判決そのものについての判例評釈を行おうとするもので
もないし︑判決のいう﹁法律上の争訟﹂論に関わる憲法上の議論に立ち入った検討を試みようとするものでもない︒
むしろ︑本稿は︑最高裁判決を契機として︑従来の学説・判例において有力な司法的執行の積極的肯定説の議論を改
めて見直してみるとともに︑それを通じて︑従来から理論上の重要な検討課題の一つとして意識され︑また上記の最
高裁判決にも通じることとなったと思われる履行請求権の法的構成の問題をとくに取り上げて︑本テーマの今後の発
展可能性を探ることを課題とするものである︒
行政上の義務の司法的執行 ︑ ︵都法四十五ー二︶ 六一
六二
二 司法的執行積極的肯定説
行政上の義務の実効性確保のために司法的執行手段を利用しうるとすることそれ自体については︑従来︑ほとんど
の学説・判例がこれを肯定してきた︒
裁判例にはさほど詳しくこの点について論及するものはないが︑たとえば︑大阪高裁昭和六〇年=月二五日決定
︵判例時報一一八九号三九頁︶は︑伊丹市教育環境保全のための建築等の規制条例に反し︑市長の同意を得ることな
く条例規制区域内でパチンコ店の建築を行った者に対し市長が建築中止命令を発したが︑相手方がこれを無視して建
築工事を続行したために︑市が工事続行禁止を求める仮処分申請をした事案において︑次のように説示した︒すなわ
ち︑﹁本件条例には︑建築中止命令に従わない場合に行政上これを強制的に履行させるための定めがなく︑又その性
質上行政代執行法上の代執行によって強制的に履行させることもできない︒このような場合においては︑行政主体
は︑裁判所にその履行を求める訴えを提起することができるものと解する︒けだし︑本件のように行政庁の処分に
よって私人に行政上の義務が課せられた以上私人はこれを遵守すべきであり︑私人がこれを遵守しない場合において
行政上右義務の履行確保の手段がないからといってこれを放置することは行政上弊害が生じ又公益に反する結果とな
り︑又何らの措置をとりえないとすることは不合理であり︑その義務の履行を求める訴えを提起しうるとするのが法
治主義の理念にもかなうものである︒﹂
また︑盛岡地裁平成九年一月二四日決定︵判例時報一六三八号一四一頁︶は︑町の制定したモーテル類似施設建築
規制条例に違反する建築工事の中止を求める町長の命令の義務の履行を求める建築工事続行禁止仮処分申立事件にお
いて︑簡潔に﹁行政上の義務の履行に民事手続を利用できるかどうかについては︑行政法上これを履行するための定
めがなく︑また︑その性質上行政代執行法上の代執行によって強制的に履行することができない場合は︑行政主体
は︑裁判所にその履行を求める訴えを提起するできるものと解される⁝⁝﹂と述べ︑特段の理由づけなくいわば当然 ユ のごとくこれを肯定しているのが注目される︒
以上とは異なり︑行政上の強制執行が可能である場合について︑かつて最高裁昭和四一年二月二三日大法廷判決
︵民集二〇巻二号三二頁︶は︑農業共済組合連合会が︑会員たる農業共済組合に代位して︑当該組合の組合員に対す
る共済掛金等請求権の実現のため︑農業災害補償法に明示的に認められた強制徴収の方法によらず︑民事訴訟法によ
る強制執行を求めた事案において︑法律がとくに強制徴収の手段を認めた立法趣旨に鑑みて許されないものとした︒
この判決が︑その説示自体から窺われるように具体的な農業災害補償法の立法趣旨の解釈を基礎としている点で︑厳
格なバイパス理論を採用したものかどうかは明らかではないが︑いずれにしても︑それが民事訴訟を提起する場合の
訴えの利益の問題と解される限り︑行政上の強制執行が可能な場合には司法的執行手段の利用が原理的に排除さるべ ︵5︶ きものとしたとまでいうことはできないであろう︒
さちにバ行政代執行法上の代執行が可能な場合についても民事上の強制執行の手段によりうることを肯定した裁判
例がある︒そこでは︑行政代執行法上の代執行を﹁非常の場合の救済手段﹂と捉え︑あるいは︑行政代執行によらず
に民事上の手続によることが﹁債務者に対し特に不利益を与えるものではないし︑行政代執行法もこれを許さない趣 旨であるとは解されない﹂としていた︒この後者の点では︑横浜地裁昭和五三年九月二七日判決︵判例時報九二〇号
九五頁︶もまた︑﹁行政代執行等の行政上の強制執行は︑行政客体に義務を賦課した行政庁自らが︑一方的にその要
件の存在を認定して執行を行う︑いわば行政権内部での自力救済の制度であるところ︑他面行政庁が裁判所によって
請求権の存在についての確認を受け︑権利の強制的実現を図ろうとすることに国民の権利保護という観点から見れ
行政上の義務の司法的執行 ︵都法四十五ー二︶ 六三 ・
六四
ば︑不都合はない﹂というべきであると判示している︒
以上のように︑主としてこれらの下級審裁判例により蓄積されてきた判例法理は︑この間大方の学説の支持すると ころでもあった︒これら学説判例の説く司法的執行利用肯定説の論拠は概ね次のように要約されうる︒
①行政法規に基づき行政庁により私人に命じられた義務は誠実に遵守されなければならず︑その義務履行の確保が
図られなければならない︒
②限定され断片化した戦後の法制の下で行政的執行手段がそもそも又は有効な義務履行確保の手段として利用され
えない場合︑相手方の義務の不遵守をそのまま放置するしかないというのは不合理である︒
③現憲法下においては︑従前の公法と私法の厳格な区別に対応した強制執行の場面における行政上の義務の行政執
行法による包括的排他的な履行確保の制度はもはや維持されてはいない︒
④現行法に維持された縮減された行政的執行手段は︑一般の民事関係における自力救済禁止原則の例外として法律
によりとくに認められた特権的制度というべきものであり︑そうした行政的執行手段が利用し得ない場合には︑一般
原則に立ち返って︑行政主体もまた相手方私人と対等な立場に立って裁判所の協力を得て義務の履行確保を図ること
ができるものというべきである︒
⑤また︑一方的な行政庁の認定判断に基づく行政強制に対比して︑民事上の強制執行による場合︑公正な第三者と
しての裁判所による審理判断を得られることからすれば︑むしろ相手方私人の権利保護に資するものといえる︒
以上のうち司法的執行手段利用の基本的考え方に関わるのが③④である︒そして︑この点に関わって︑現行憲法下
において果たして司法的執行原則が採用されたものといえるのかどうかには議論のあるところであった︒
学説には﹁戦後日本は︑憲法原理上︑行政国家制から司法国家制に裁判システムが転換したことに基づき︑行政上
の義務履行確保の手段としても︑英米およびフランス型の司法的強制の原則を︵そのものとしてではないまでも︶基 ︵8︶ 本的考え方として採用した﹂のであると明快に唱えるものがあり︑また︑そうではないにしても︑行政的執行を一般
市民法秩序における例外的特権的制度とみなし︑当事者対等の原則に立った民事上の強制執行を一般原則的制度と捉 ︵9︶ えて広く後者の利用可能性を肯定する見解は︑結果的にはこれに近いものといえる︒
ただ︑行政執行法を廃止し︑一般法たる行政代執行法の制定により代執行のみを一般的手段として認めたほかは個
別の法律の定めるところによるものとして︑直接強制及び執行罰を一般的制度としては廃止した戦後の立法の沿革に ︵10︶ ついて︑そこで英米流の司法的執行原則が採用されたとはいえないとするのが︑ほぼ共通した認識であろう︒そこで
はただ従前行政執行法の下での人権侵害が甚だしかったことから︑行政権による自力執行を大幅に縮減しようとした
までであって︑﹁縮小された形ではあるが︑明治憲法の下における行政的執行制度は残存しているということができ︐ ︵11︶ る﹂と評ざれている︒また︑﹁憲法が︑行政事件の審理をも含めたアメリヵ的な司法権概念を採用したことによって︑
そういう含合︒芭9♂﹁8日9⇔﹀についてのオリエンテーションまで与えているといえるかどうか︑少し疑問﹂では
あるとする慎重な見方があるように︑司法権概念の採用が必然的に具体的な強制執行制度における司法的執行原則の︑ ︵12︶ 採用に結びつくわけではないであろう︒
もちろん︑以上のようにいうことは︑沿革上も︑行政上の義務について司法的執行が許されないとされたものでは ・ 一
ないし︑裁判制度の変革とともに行政上の義務︵公法上の義務︶の包括的な行政強制制度の廃止により公法と私法の
峻別論の基盤が否定されたことからすれば︑解釈論的にも行政上の義務についての司法的執行手段の利用可能性を肯
定しうる余地が生まれたということができる︒つまり︑基本的には行政上の義務について司法的執行を認めうること
に原理的な障害があるわけではない︒
行政上の義務の司法的執行 ︵都法四十五ー二︶ 六五 で
六六
しかし︑問題はその先である︒以上のような戦後の制度的基盤の変化とともに︑上記のような論拠をもって︑解釈
論的に行政上の義務の民事執行を広く肯定し︑事実上司法的執行原則を採用したに等しい帰結を導きうるのかどうか
である︒伝統的な行政強制システムを引き継ぎながら︑司法的執行を認めることについて﹁木に竹をついだという ︵13︶ か︑﹃雄鶏にロバを乗せた﹄感じがしないではない﹂という違和感を指摘する向きもあるが︑いずれにせよ︑一般的
にはわが国において実務的に行政上の義務の司法的執行が定着した慣行となっているわけではないというのは客観的
事実として認めざるを得ないであろう︒それはこの問題に対する立法者の態度並びに行政実務における法の解釈運用
を推測させるものである︒さらに︑上記積極説の論拠そのものについても議論の余地がないわけではない︒司法的執 ・
行を求める場合の実体法上の権利ないし履行請求権の問題は第四章で取り上げることとして︑次章では積極的肯定説
の基本的論拠に関わるいくつかの重要な論点を取り上げて検討することとしたい︒
三 基本的論拠の検討
行政上の義務について原則的にいえば司法的執行が認められてよいとしても︑事実上司法的執行原則の採用に等し
いほどの広範な承認までが肯定されうるかどうかにはいくつかの疑問がある︒
ω第一に︑行政上の義務の不履行に対する権力的な強制執行による義務の履行確保の任務と責任を行政と司法の間
でどのように分担するのかは︑現行憲法下において必ずしも一義的に定まってくるものではない︒むしろ縮減された
とはいえ伝統的な行政的執行システムを維持した現行法において︑個別に行政的執行手段を新たに創設し又は強制執
行の権限分配を通じて行政と司法との間での具体的な権力分立の内容形成を行う任務は︑基本的には立法者に委ねら
︵14︶ れた問題である︒
行政上の義務の履行確保に係る戦後の法制度は︑一般的手段として承認された行政代執行法に基づく代執行のほ
か︑従前の制度を引き継いだ租税債権等の金銭債権に係る強制徴収を別とすれば︑限定された直接強制の個別立法例
を持つにとどまり︑権力抑制的に大幅に縮減された行政的執行システムをもつほかは︑広く義務違反者に対する行政
罰を導入し︑間接的に義務者の任意の履行を促す制度を採用してきた︒ここには包括的かつ実効的な義務履行のため
の強制執行制度形成の志向︑さらにはその場合の権限分配を通じた行政的執行と司法的執行の相互の明確な位置づけ ︵15︶ を図ろうとする積極的な姿勢は窺われない︒ ︑
そうした制度的な前提に立った場合︑たしかに︑にもかかわらず司法の本来的な任務と権限に基づき︑一定の場合
に行政主体の訴えに基づいて行政上の義務の司法的執行を行いうることは否定されない︒しかしながら︑自力救済禁
止原則に立つ民事上の強制執行が一般原則的制度であるとして︑本来的に特権的制度として理解される行政的執行手
段に欠ける場合には︑当然にかつ広く司法的執行が受け皿的に利用されうるとまでいうことはできないであな弛︒
︑②第二に︑行政的執行は一般の民事関係における自力救済禁止原則の例外として行政庁の一方的認定判断に基づい
て行われるのに対し︑民事訴訟・民事執行においては自力救済禁止原則の下に当事者対等の立場で中立公正な第三者
としての裁判所の審理判断を経てなされることからすれば︑行政的執行手段を欠く場合はもとより︑適切有効な行政
的執行手段の利用が困難な場合に︑司法的執行手段によりうるとすることは︑一般原則に立ち返ることであって特段
の支障はなく︑相手方私人の権利保護の観点からも望ましいものとさ袈・この議論についてさしあたりは次のよう
な点が問題となりえよう︒
まず︑この議論は︑現行の行政的執行制度における行政側の義務履行確保の不備を是正しようとする実践的必要
行政上の義務の司法的執行 ︵都法四十五ー二︶ 六七
六八
に︑相手方私人の権利保護及び履行強制を求められる義務賦課決定の司法によるチェック機能の保障という観点を重
ね合わせたものであって︑それ自体としては異論を唱えがたいとしても︑結果的には第一点として指摘した司法的執
行の一般的利用肯定論を帰結するものであって︑当然には肯定されがたい︒現行の縮減された行政的執行制度から結
果的に生じる強制的な義務履行確保手段の不備を可及的に解消すべきことが当然の法的要請であり︑それには民事関
係における一般原則である自力救済禁止原則にたつ民事上の強制執行に一般的に依拠して応えられるべきであるとす
るのは︑解釈論的に司法的執行原則の採用を唱えるに等しいのではないかと思われる︒
次に︑当事者の対等性に関わる一つの論点として︑この民事執行を求める訴訟における義務賦課決定に対する裁判
所の審査範囲の問題がある︒一方で︑相手方私人が義務を命じる処分に対して取消訴訟を提起せず出訴期間が経過し
・ た後に行政主体の側から当該義務の履行を求める民事訴訟において︑公定力によって裁判所は当該処分の有効無効の みを審査しうるにとどまる︵相手方は違法の抗弁を封じられる︶とする見解が唱えられている︒取消訴訟の排他的管
轄の当然の帰結と解するものである︒
ただ︑この説に対しては︑もしそうであるとすれば︑結局のところ﹁民事訴訟︑民事保全手続においても行政に特
権が認められている﹂ことになり︑﹁裁判所は︑通常︑単に行政上の義務履行確保のために行政の下請機関として利
用されるだけのことになってしまい︑実態としては︑行政権の自力執行を認めるのと大差がない﹂であろうと評され
て嘉・
そこで︑他方では︑民事執行訴訟において裁判所は義務賦課処分の適法性を審査しうるとする見解がある︒つま
り︑かかる訴訟においては行政庁が義務の履行確保のために行政的執行手段を利用できない場合に︑私人と同様に︑
裁判所に処分の適否の判断してもらい︑その判断に基づいて裁判所を通じて義務の履行を求めようとするものである
、
︵20︶ 以上︑この訴訟に﹁当事者対等の原則を崩すような特権を認められるべきではない﹂ということである︒あるいは︑
一つの考慮としては︑この場合に公定力が及ぶとすれば︑その他の場合と異なり︑裁判所自らが私人に対して違法な
処分の強制執行を行うという不合理を容認せざるを得なくなるということも留意されよう︒さらに︑行政主体の義務
履行確保の必要に基づいて提起された民事訴訟において適法性の審査を認めることは︑不可争力と結びついて処分の
.効力を前提として形成された法律関係ないし法状態の早期安定化の目的を阻害するものともいえない︒以上の点から
見て︑議論はなお十分に尽くされているとはいえないが︑ひとまずこの後者の見解が妥当であると考えたい︒
かくして︑公定力を承認する前者の説について指摘されるような当事者の対等性の喪失や義務履行を求める行政の
ための司法の下請機関化の疑念は回避されうるであろう︒ただ︑そうではあるとしても︑現実に行政上の義務の履行
を求めて訴訟が提起される状況を考えた場合︑通常は義務賦課処分がなされる以前に重大なまたは悪質とも言えるよ
うな違法行為がなされ︑度重なる行政指導に関わらず事態が改善されないことからその是正措置が命じられるといっ
た場合が想定されるのであり︑さらには︑意識的な命令の無視により違法状態が放置されまたは既成事実化されてい
るような事態において訴えが起こされるのであるとすれば︑裁判所が処分を違法として民事執行・民事保全を拒否す︑ ︵21︶ ︑ るということは一般には想定しがたいであろう︒ ・
結果としていえば︑行政は︑多くの場合に︵というよりはむしろ適法な処分に基づく義務について一般に︶︑行政
的執行手段を欠く場合︑民事手続を利用することで裁判所を通じて義務の履行確保を図りうるということになろう︒ り 行政上の義務は︑契約に基づく場合はともかくとして︑行政法規により一方的に形成され︑かつ︑通常行政庁のイニ
シャチブにより一方的な処分により具体化される︒そうした義務について︑行政は一般的に司法的執行手段に依拠す
ることができ︑かつ一般に適法な義務の履行強制を図りうるというのは︑個別のケしスについてというよりも︑全体
行政上の義務の司法的執行 ︵都法四十五ー二︶ 六九
七〇
としてみて︑現行の意識的に限定された行政的執行システムを前提としてみた場合︑形態を変えた形で実質的に行政 カ の権能を強化していることになるのではないかという懸念がある︒この点について︑単に私人と同じ立場で民事強制 ︵23︶ を求めるというだけのことであり︑いわば私人並みの立場に立つだけのことにすぎない︑という反論でこの懸念を払
拭することができるであろうか︒
③第三に︑積極的肯定説にいう当事者の対等性の議論は︑さしあたりは行政主体が民事執行訴訟を私人と同様の立︑
場で提起しうることを意味するが︑その場合の履行請求権の構成とも関わって︑義務の履行を求める︵民事執行にお
いて保護されるべき︶実体法的な権利ないし地位の対等性を前提としている︒自力救済特権が認められていない限
り︑行政主体と義務主体である相手方私人との関係は私人相互間の関係と異ならず︑相手方の義務の不履行の場合に ム は︑その履行強制を求めて民事執行訴訟を起こしうることは当然というべきであるとされる︒
しかし︑建築規制や営業規制のような場合を想定した場合︑もとより違反者に対する罰則による制裁を含む当該規
制システムの下での行政と私人との実体法的関係が私人相互間におけるのと同様であるということではない︒法令に
より又は法令に基づく処分により課された義務は遵守されなければならない︒相手方が当該義務を遵守しない場合︑
性質上行政代執行ができないか又はその他の適切な行政上の強制執行手段の定めがない場合でも︑戦後の法制度にお
いては︑立法者は一般には罰則により間接的に義務の履行を促しまたは違反者に対する制裁を課すことで対処しよう
としてきた︒いうまでもなくまた︑立法者は適切かつ必要な行政上の強制執行手段を新たに導入すべきかどうかの政 お 策判断を随時行いうる立場にある︒さらに︑すでによく知られたように︑必ずしも一般的に利用可能な手段ではない
が︑許認可等利益付与処分の取消等︑違反者氏名・事実の公表︑公的サービスの停止措置等の義務履行の確保に資す るその他の手段が認められている例もある︒実体的な権力的規制システムの中での義務の強制的実現のしくみの一部
として司法的執行が位置づけられるということである︒
・ こうした見地から見て︑権力的規制システムを採用する現行法が︑義務の不履行の場合に︑つねにその強制的実現
のために民事執行訴訟を利用しうるし︑またすべきであるとしていると認識されうるかどうかは︑疑問である︒つま
り・立法者はひとまず十分に合理的な範囲で義務の遵守を期待しうる制度設計の下に権力的規制システムを創設して
おり︑違反がある場合にも常にその是正を強制的に図ることを必要とはせず︑したがって︑︑当該義務の強制的実現の
ための行政的執行手段を欠く場合に民事的強制によるべきことを想定しているとはいえないという見方も十分に成り び 立ちうるであろう︒ . ︑
もっとも︑立法者がそのように積極的に意図しているということではないし︑また立法者の意図に反して放置しが
︑ たい義務不履行による重大な違法状態が惹起されるような場合に︑その是正のためにおよそ民事的強制手段を利用し
得ないということになるわけでもない︒民事上の義務の一般的な制度としての民事執行制度が利用されうる限り︑権
力的規制システムについても立法者の意図いかんに関わらず行政上の義務の履行確保のために民事的強制によりうる
ことは別問題ともいえるであ墨・違反に対する罰則等の措置が予定されていることは︑もちろん民事的強制手段の
利用を排除する意味を持つわけでは蕊・しかし・そのことは︑権力的規制システムにおける行政上の霧の不履行
の場合に︑一般的につねに民事的な強制執行が可能でありかつ強制的な義務の実現が図られるべきであるということ
まで是認されてよいということにはならないであろう︒
ゴたしかに︑行政法上の関係において︑適法に課された義務である限りは︑原則的にはその不遵守をそのまま放置す ・
ることは許されず︑当該義務の履行確保のための強制手段が利用されてよいしまたされるべきである︒ただ︑︑裁判所
による義務賦課処分の適法性の審査のうえで強制執行が行われるとしても︑違反是正の義務を命じるとともに可能な
行政上の義務の司法的執行 . ︵都法四十五−二︶ 七一
七二
限り自発的な義務の履行を促すことと当該義務の強制的実現を図ることとは相手方の権利自由に及ぼす影響の性質は
異なるというべきであろう︒行政代執行法に基づく代執行可能な場合においても必ずしも果断な代執行権の行使が行
われていないという事情には︑さまざまな要因が指摘されているが︑そこには︑たとえば違法な建築行為に係る相手 ︵30︶ 方の財産権のごとく︑相手方私人の権利自由への謙抑的な配慮が働いていることも否定し得ないであろう︒ −
さらに︑おそらくは積極的肯定説に立つ論者も︑軽微な法令違反の場合や当該違反行為から生ずる事態が公益的に
とくに重要とはいえない場合でも︑違法行為がある限り︑その是正を命じた処分に基づく義務に従わない場合につね
にその強制的実現が図られなければならないと主張するものではないであろう︒また︑これまでの裁判例において
は︑公物ないし行政財産の管理に関わるものや︑地方自治体における地域の生活環境保全のための独自条例に基づく
建築規制に関わるものが見られたが︑理論上︑行政上の義務の司法的執行が多様な個別法に関わる行政法関係全般に
わたり︑かつ︑それぞれの行政上の義務の種類性質の多様性に関わらず︑およそ一般的に肯定されうるとしてきたの
かどうかも︑必ずしも明らかではない︒こうして仮に必ずしもすべての義務違反の場合に常に民事的強制が可能でも
必要でもないとした場合に︑実際の利用︵民事執行訴訟・保全訴訟の提起︶が行政主体の裁量的判断に任されてよい ︵31︶ のかどうかという問題も考えられなければならないであろう︒議論は十分に尽くされてきたとはいえない︒
︐また︑観点を異にするが︑違法行為の是正に関わる行政上の義務が遵守されない場合に︑行政的執行手段を欠く場
合には一般に司法的執行手段によりその履行確保が図られるべきであるとする主張に対しては︑次のような点でも留
保が必要であろう︒すなわち︑﹁違反が続出する場合︑確かに︑市民の側の順法意識が低い︑行政にやる気がない︑
業界の圧力が強い︑必要な情報が不足している︑罰金が安すぎるなどの問題もあるが︑逆に︑規制が厳しすぎる︑制
度が複雑すぎて理解しにくい︑市民の側に法を遵守するための大きなコストがかかる︑執行手続が複雑すぎるなど行
政コストが大きい︑そもそも不必要な規制であるなど︑強制手段よりも規制自体に問題がある場合が少なくない﹂と
する指摘があるように︑︑前提となる規制システム自体に法の遵守のための入念な考慮が欠けている結果として違法行 ︵32︶ 為を生じるという場合があることも看過されてはならない︒そうした場合に︑違法是正の命令を発し︑これに従わな
い場合には民事的強制によりその実現を図るということは︑必ずしも合理的とは思われないのである︵ちなみに︑指
・摘されるような規制システム自体の問題は︑民事執行訴訟の中で必ずしも違法と評されるものではないであろう︶︒
︑
四 履行請求権の法的構成
ω現行法制度において理論上行政上の義務の司法的執行を原則的に肯定しうるとしても︑その具体的な利用の範囲
は民事執行法・保全法の解釈問題として行政主体の側の履行請求権ないし被保全権利をいかに法的に構成するのかに
一 ︵33︶
よって異なりうる︒この点については次のような見解が唱えられてきた︒ ︑ ︑
①ある者は︑公法と私法との区別を超えて︑当事者間の法律関係において一方が他方に対し一定の作為または不作
為を求めるという法的な要求内容をもつ権利としての債権の概念に依拠して︑行政主体と私人との関係も﹁私人が国
に対して一定の義務を履行する債務を負い︑公権力の側から私人に対して一定の義務の履行を求める債権を有すると 一︵34︶ いう債権債務関係である﹂と主張する︒ ②また︑別の論者は︑公法法規により課された私人の義務は行政庁との関係における公法上の関係であって民事上
のものではないとい・γ見方は公法と私法の峻別論に立ったものであり︑そのような﹁公法私法二元論を廃止した今日 ︵35︶ では行政法規により課された義務は私法上のそれとなるという見方もありえないではないであろう﹂という︒
行政上の義務の司法的執行 ︐ ︵都法四十五−二︶ 七三
七四
③さらに︑﹁私法上の権原とのアナロジーをみいだせない公益目的に出でた義務履行請求権を被保全権利﹂とみな
しうるかどうかにつき︑そうした私法上の権原に比定される法益を必要とするというのは︑﹁民事執行法上の強制的
実現方法を私法上の法律関係に限定して考えようとする公法私法二元論に捕われた考え方であり︑戦後憲法下におけ
る司法的強制の原則性を認めない誤った考え方である﹂と批判し︑﹁端的に︑法律・条例に基づく行政上の権限と︑ この権限に由来する義務履行請求権を被保全権利とみなしていくべきであろう﹂とする見解がある︒
以上のうち︑②は論者自らが﹁少なくとも︑立法論としては︑それは可能であると思われ句⇔﹂と付記しているよ
うに︑必ずしも解釈学説として提唱されたものとはいえないが︑公法私法二元論の否定からただちに行政法規によっ
て課された義務を実体法的な私法上の義務と同一視することには無理があろう︒①説は︑上記の説明によれば︑請求
権の実体法的な根拠に関する議論を述べたものではなく︑相手方に一定の作為・不作為を求めるという権利内容を捉
えて債権及びこれに対する相手方の債務という法律関係があるとしているもので︑理論的には行政法規によって課さ
れた義務について行政主体がその履行を求める請求権が当然に肯定されていることを前提とするものと理解される︒
その点では③説と異ならないといえるかもしれない︒
③説は︑少なくとも結論的には大阪高裁昭和六〇年=月二五日決定等のいくつかの下級審裁判例がとる立場でも
ある︒同決定が︑﹁このように行政主体が私人を被告として行政上の義務の履行を求める訴えを提起することができ る場合においては︑右請求権を被保全権利として仮処分を求めることができるものと解する︒﹂という場合︑それは︑
行政法規に基づき相手方私人に義務を賦課しその履行を求める権限とそれに基づく履行請求権が︑つまり︑行政法規
により行政主体に付与された権限自体がいわばストレートに民事執行・保全法上の保護利益として肯定されうること
をいうものであろう︒
しかし︑この説が現行法において司法的執行原則が採用されているとする理論的前提に立つとすれば︑前述のよう
に︑現行法の解釈論としては無理があろうし︑また︑仮に司法的執行が原則的に肯定されるとしても︑③説の議論に
窺われるように︑行政法規に基づく行政権限それ自体を無限定に民事執行訴訟における履行請求権の実体法上の根拠 ︵39︶ とみなしうるのかどうかは疑問である︒また︑民事上の強制執行の履行請求権を民事実体法上の権利義務関係を前提 ︵40︶ ︐としたものであるという一般の理解を基礎に考えた場合︑行政法規に基づき私人に一定の行為義務を課す行政庁の権
限をただちに民事実体法上の権利と同一視してよいとはいえないであろう︒
②ただし︑このようにいうことは︑二方でバ伝統的な公法私法二元論の下におけるのと同様に︑結局のところ民事
執行を求めうる履行請求権はもっぱら私法上の権利にのみ根拠づけられうるということではないし︑他方︑行政上の
権限がおよそ民事執行・保全を求める履行請求権・被保全権利の根拠たりえないということを意味しない︒
すなわち︑前者の点では︑前提とされる公法私法二元論自体がもはや維持されていない以上︑問題は民事執行・保
全法上の保護利益たりうるような当事者の権利利益ないし法的地位を肯定しうるかどうかが重要なのであって︑そこ
に行政法上の法律関係に基づくものが含まれうることは何ら異とするにあたらない︒また︑後者の点では︑たどえば
課税処分のごとく︑行政法規に基づき一定の要件事実が満たされる場合には行政主体と私人との間に直接にまたは少
なくとも抽象的には実体的権利義務関係が形成されることとされている場合で︑具体的に相手方に義務を賦課する処
分権限については︑︵現実に行政上の強制徴収によって担保されていることを別とすれば︶民事執行を求める履行請
求権の十分な実体法上の根拠たりうると考えられるものが想定されるであろう︒こうして︑行政上の権限そのものを
ただちに民事実体法上の権利と呼ぶことはできないにしても︑このような行政主体のそれ自体として法的に保護さる
べき実体法上の権利利益ないし法的地位を前提としてこれを具体化する行政上の権限を履行請求権・被保全権利の根
行政上の義務の司法的執行 . ︵都法四十五i二︶ 七五
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拠とみなすことに特別な支障があるわけではない︒
以上のような見地からみて︑これまで問題となった事例のうち︑公物法に基づく公物管理権の行使として発せられ
た原状回復命令や明渡命令等による義務の不履行について︑その履行を求める民事訴訟または仮処分命令の申立てが
認容されてきたのは正当であろう︒法律に基づく公物管理権者の権限はそれ自体としては所有権等の私的権利とは異
なるとしても︑利用者︑第三者等との関係で︑当該公物の供用目的に即した状態が維持されうるよう管理する権能が
機能的には所有権等に類似した主観的な実体法上の法的地位として考えられうる限り︑これを背景とする行政上の権 ︵41︶ 限を履行請求権・被保全権利の根拠となるといいうるからである︒
これに対して︑建築規制や営業規制のような行政上の権限が問題となっている場合には︑行政主体にそうした実体
法上の権利利益ないし法的地位を想定することは必ずしも容易ではない︒公共の安全と秩序の維持を目的とした一般
的な統治権に基づく私的自由に対する行為規制が問題となっているからである︒本稿の見地からすれば︑冒頭に触れ
た条例によるパチンコ店建築規制の事案に関わる最高裁平成一四年七月九日の判決もこのような意味において理解さ
れるものである︒いささか過大に一般定式化されている点には疑問があるが︑同判決が﹁国又は地方公共団体が専ら
行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は︑法規の適用の適正ないし一般公益の保護を目
的とするものであって︑自己の権利利益の保護救済を目的とするものということはできない﹂として法律上の争訟性
を否定するのは︑当該事案についてみれば︑要するに︑条例による建築規制権限には前提とされうる自治体の実体法
上の権利利益ないし法的地位が認められえないとしたものであり︑それゆえ︑主観訴訟としての意義を欠くとしたも ︵42︶ のと解されるのである︒
③しかしながら︑こうした建築規制のごとき私人に対して一定の行為規制を命じる義務の履行を求める訴えがおよ
︵43︶ そ主観訴訟たりえない︑つまり︑行政主体の主観的保護法益を欠くと断定するのは性急にすぎよう︒最後にパ抽象的
試論的にではあるが︑この行政上の規制権限に関わる行政主体の保護法益の構成について考えうるさしあたりの可能
性に簡単に触れておきたい︒
まず︑右の事案においては地域住民の支持のもとに地域の良好な居住環境ないし良好な教育環境の保全を目的とし
たパチンコ店等の風俗営業の立地規制が行われていたものであるが︑この点に即して︑そのような地域住民の利益代
表的側面とともに︑それに実質的に裏付けられた地方自治体の存立目的・固有事務についての当該自治体固有の利益 ︵44︶ を肯定しうる余地があるとする議論があり︑また︑こうした場合の訴えを行政当局にょる﹁住民代位訴訟的実質﹂を ︵45︶ もつものと特徴づける指摘がある︒ ・ ︑
基本的な議論の枠組みとしては有意義なものと思われるが︑ただ︑﹁良好な地域の居住環境ないし教育環境の保
全﹂はそれ自体条例による規制において保護さるべき﹁公益﹂に他ならないであろうし︑その﹁公益﹂の実質が代表
された地域住民の利益︵私益またはその総和︶であるとする論理も︑およそ民主的代表政体をとる自治体のすべての
任務・権限に妥当しうる点で十分な限定性を欠くように思われるとともに︑地域住民の利益それ自体の要保護性の内 ︵46︶ 容・程度が問題とならざるを得ないであろう︒また︑自治体の﹁固有の利益﹂も統治団体としての権能と有意味に区
別されうるものかどうか︑私人の自由を規制し︑さらに違反者に課せられた義務の強制執行を求めうるような主観的 ︵47︶ な保護法益といえるのかどうかには︑なお疑問が残る︒
ただ︑そのような疑問があるにせよ︑以上の議論をベースにして考えた場合︑たとえば︑十分に特定され客観的に
も保護にふさわしい地域特性をもった地域︵たとえば︑歴史的に形成され保持されてきた町並みや価値ある伝統的建
造物周辺に形成された落ち着きのある商店街や住宅街など︶であって︑当該地区住民に広くその保全の必要が共有さ
行政上の義務の司法的執行 ︵都法四十五ー二︶ 七七
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れているような場合︑したがってまた︑他ならぬ当該自治体自身にとっても重要な保全の利益が考えられ︑そのため
の法規制を行っているような場合には︑主張されるような自治体の主観的に保護されるべき利益を想定しうる余地は
ありえよう︒また︑良好な居住環境等の保全のために︑やはり十分に特定された地域の住民の大多数の支持の下に土
地利用協定が結ばれ︑まちづくりの観点から協働当事者として自治体自身が加わり︑あわせてその実現のための条例
による規制が図られているような場合にも︑同様の可能性を語りうるであろう︒
さらに︑自治体の﹁固有の利益﹂として︑﹁まちづくり権﹂﹁地域環境管理権﹂などをそのまま保護法益として構成
する可能性も理論的には否定し得ないが︑上記のような疑問があるほか︑それらはいまだ私人の権利自由を制約する
意味での主観的権利性の意義までももったものとして考えられるものではないであろう︒しかし︑基礎自治体レベル
に包括的な地域における土地の計画的利用の規制権能が付与され︑それに基づく具体的な建築的利用の規制の下では
じめて具体的な私人の土地利用が承認されるような実定法制度を考えるとすれば︑まさに私人との関係における自治
体の実体法的に意味ある土地の﹁空間的利用管理権﹂のごときものを想定することもできないわけではない︒その意
味では︑自治体の主観的な保護利益ないし法的地位の構成は︑実定法制度のあり方に応じて相対的に考えられるべき
問題であるといえよう︒
また︑地方自治体は各種の事業主体としての地位をもつが︑たとえば︑水道事業や私人が法律または条例の規制に
反して水源地付近に汚染施設を建設しようとし︑かつその行為によって事業主体としての活動に重大な支障を生じる
ような場合︵水道供給への重大な支障︑莫大な浄化費用の発生や新たな水源確保のための費用の発生等︶には︑当該
事業主体としての地位に直接に基づく差止訴訟の提起の可能性のほかに︑そうした事業主体としてもつ固有の利益を ︵48︶ 背景とした私人に対する行為規制権限により賦課した義務の履行を求める訴えを考えることもことができよう︒
最後に︑﹁住民利益の代表﹂および﹁住民代位訴訟的実質﹂をもった訴訟という観点とは異なり︑行政的規制に反
する私人の行為によって第三者の権利利益が侵害されまたは具体的にそのおそれがある場合に︑︑そのような侵害行為
を防止しまたはその危険を除去すべき行政の法的責任を基礎として︑義務履行請求の根拠たりうる行政主体の保護に ︵49︶ 値すべき権利利益ないし法的地位を構成することが考えられるであろう︒
行政的規制の根拠法規︵これに基づく義務の履行確保︶が単に﹁法規の適用の適正ない︑し一般公益の保護﹂を目的
とするというわけではなく︑同時に特定人の権利利益を保護する趣旨のものである場合があることは︑抗告訴訟にお
ける第三者の原告適格や国家賠償訴訟における規制権限不作為の違法をめぐるこの間の学説判例の議論において広く
承認された認識といってよい︒そして︑この場合の行政の置かれた地位は︑第三者たる当該私人との関係でまさに主
観的な意味で法的な保護義務を果たすべき地位にあるということができるであろう︒具体の場合に違法行為の是正を
命じる措置は︑そうした行政主体の主観的な法的地位を前提とする自らの保護義務の履行措置でもある︒いかなる範
囲で︑また具体的いかなる要件の下で︑この関係を肯定しうるかには議論の余地がありうるにしても︑そのような法
的地位に基づく行政上の規制権限をめぐる行政主体と相手方私人との関係を主観化された法律関係と考えることには
本質的な障害はないと考えられるのである ・
五 おわりに
行政上の義務の司法的執行というテーマは︑我が国の現行法を前提としでみる限り︑理論的に明快に割り切れた解
答を導き出すことは︑もともと困難な問題であるように思われる︒本文に追いて縷々述べてぎたように︑現行法が司
行政上の義務の司法的執行 ︑ ︵都法四十五ー二︶ 七九
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法的執行原則を採用したと解しうる根拠はないし︑他面で︑戦後の縮小された行政上の強制執行制度が伝統的な行政
的執行システムを引き継いだものであるにしても︑およそ行政上︵公法上︶の義務は行政的執行システムによらねば
ならず︑裁判所にその履行を求めることは許されないというリジッドな原則を保持していると見る根拠もないからで
ある︒
ただ︑この間の学説及び下級審裁判例においては︑あたかも司法的執行原則を実質的に採用したかのごとく︑制度
的には行政的執行を法律がとくに認めた特権と解し︑裁判所を通じた民事執行が一般原則である以上︑そのような特
権が認められずまたは有効ではない場合に︑広く民事執行による義務の履行強制を肯定してよいとする見解が有力に
展開されてきていた︒これに対しては慎重な懐疑的見解も表明されていたが︑いずれにしても︑そのような有力な積
極的な司法的執行肯定説の理論上の問題点が十分に検討されてきたとはいえない状況であった︒
平成一四年の最高裁判決は︑こうした従来の議論に大きな制約を加えるものであって︑まさにこれまでの議論の発
展の流れの中で驚きと失望の感をもって迎えられたのである︒しかし︑当該事案の具体的処理に関してはともかく︑
民事訴訟の利用に履行請求権・被保全利益を根拠づける保護さるべき実体法的な権利利益を必要とすることそれ自体
は︑当然のことであろう︒従来の積極的肯定説では︑自明なことのごとく義務を賦課する行政上の権限をもって当然
に履行請求権が認められうるとされてきたが︑そうした行政上の権限を民事上の実体法的権利と同等のものと考える
ことには︑かなりの無理があったように思われる︒最高裁判決で問題とされたのはまさにその点であったといえよ
う︒
しかし︑また︑そのように理解される限りでは︑問題は︑行政上の義務を課す規制権限について︑民事執行・保全
法上保護に値すべき実体的な権利利益ないし法的地位を肯定しうる余地があるかどうかであり︑そして︑それは︵限
定されるとはいえ︶例示したいくつかの場合にみるように︑十分に可能であると思われる︒私見によれば︑最高裁判
決が従来の議論の発展可能性をまったく遮断してしまったものとはいえない︒適切な立法論的な対応策が講じられる・
必要があることは従来から指摘されていたことであるが︑ある部分で最高裁判決によっていっそうその要請が高まb
たといえる場合があることは否定し得ないであろう︒しかしながら︑指摘したような履行請求権の実体的保護利益を
行政的規制についての法的構成可能性を吟味し︑現行法の下での柔軟で創造的な司法的執行の利用可能性を開いてい
く解釈論的な努力が︑これまで同様︑引き続き学説判例に期待されているといえるのではないだろ︑つか︒
︵注︶
︵1︶ 裁判例を含めて従来の議論状況の概観として︑さしあたり︑高田裕成&宇賀克也﹁行政上の義務履行確保﹂宇賀克也・大
橋洋一・高橋滋﹃対話で学ぶ行政法﹄有斐閣︵二〇〇三年︶七一頁以下を参照︒
︵2︶ 網羅的ではないが︑本判決についての判例評釈として︑阿部泰隆﹃行政訴訟要件論﹄弘文堂︵二〇〇三年︶一四三頁以下︑
高木光﹃平成14年度重要判例解説﹄ジュリスト一二四六号四五頁︑斉藤誠﹁自治体の法政策における実効性確保﹂地方自治
六六〇号二頁︑原島良成﹁裁判を通じた行政上の義務の履行強制﹂上智法学論集四七巻二号六一頁︑福井章代・ジュリストも
増刊﹃最高裁時の判例− 公法編﹄二一五頁曽和俊文﹃地方自治判例百選︵第三版︶﹄八三頁︑人見剛﹃環境法判例百選﹄
﹁一=八頁︑村上裕章・民商法雑誌=一八巻二号三二頁︑田村泰俊・自治研究八〇巻二号一二六頁︑金子正史い法令解説資料 総覧二五〇号八八頁︑南川諦弘︐・判例評論五三号一七三頁などがある︒
︵3︶ 阿部・前掲書一五六頁参照︒なお︑最高裁判決を受けた後の自治体における法政策的対応につき︑阿部泰隆・自治実務セ
ミナー四二巻一〇号四頁以下を参照︒
︵4︶ 宝塚市パチンコ店建築規制事件に係る工事続行禁止仮処分命令申立事件を扱った神戸地裁伊丹支部平成六年六月九日決定
︵判例地方自治一二八号六八頁︶︑もこれと同一の判断を示し︑続けて本文にあげた大阪高裁決定と同趣旨の理由づけをあげ
ており︑これらの裁判例にほぼ共通した理解をみることができる︒︑
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