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東亜協会の中の「井ノ哲式」(1) ――1906~1929 年――

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(1)

東亜協会の中の「井ノ哲式」(1)

――1906~1929 年――

杉山 亮

はじめに

1

章 進歩的個別主義  第

1

節 加藤弘之   第

1

項 愛国心   第

2

項 功利主義  第

2

節 加藤弘之との論争   第

1

項 功利主義   第

2

項 普遍的宗教   第

3

項 進化論

 第

3

節 国体論への道-『東亜の光』以後の論争   第

1

項 国体と宗教―加藤弘之

  第

2

項 国体と宗教―井上哲次郎   第

3

項 道徳教育を支える宗教   第

4

項 進化と実在を巡って  第

4

節 小括

はじめに

 1924年

11

5

日華族会館。かつて鹿鳴館が置かれたこの地で男たちが万歳 の声を上げている。発声の音頭を取るは伯爵徳川達孝。声を上げている人々は みな、各界に名を馳せる知識人・華族・官僚たち。万歳を受けているのは、東

(2)

京帝国大学名誉教授にして貴族院議員、そして東亜協会会長を務める井上哲次 郎その人である。男たちはこの日、彼の古希を祝うべく参集したのだ。

 祝宴では服部宇之吉・林博太郎・穂積陳重が祝辞を送り、井上の謝辞がそれ に続き、古希の挨拶に相応しく長生法を語った。そして、単に長生きするだけ でなく社会国家に貢献するという目標に向けて努力することで初めてその意義 が生まれるのであり、自身もまた天寿を全うするべくより一層奮励するとの決 意を表明し、以下の様に謝辞を締めくくった。

   私も九十迄は健全にして日夜筆研に親み、主として力を著述文芸に用ひ、

多少なりとも、社会国家の進展に貢献するやうに心掛け、聊か諸君の御厚意 に負かざらんことを期したいと思うて居る次第であります。是れが私の諸君 に対するお約束であります1)

 100年近く前の謝辞の内容を我々が知ることが出来るのは、この祝宴の模様 が弟子たちによって書籍に纏められているからである。しかしそれが出版され た頃、井上は公職をすべて辞していた。さらには同年、自ら誇った健康すらも 失ってしまったのである。彼は何故に帝国日本の高みへと昇り、そして、何故 にそれを喪ったのか。問いを解き明かすカギは「国体」にある。

 日本政治思想史研究において井上哲次郎は『勅語衍義』を執筆したことから、

国体によって言論を抑圧し、近代日本における自由主義の発達を阻害した人物 と位置付けられている。しかし、井上が単なる「国体論のイデオローグ2)」に 留まらない、西洋哲学に根差した普遍的原理を包蔵した思想家であったことは 既に指摘されている3)。その思想的展開の研究は宗教学と教育史学においてな

1) 小柳司氣太・尾上八郎編『井上博士杖国集』(私家版、1929)10頁

2) 松本三之介『明治思想史―近代国家の創設から個の覚醒―まで』(新曜社、1996)

121頁

(3)

されてきた。例えば、森川輝紀4)は、井上の国体言説を分析し、顕教としての 伝統的国体論に主観的動機付けを付与する試み、いわば密教と位置付けた。ま た、宗教学では磯前順一5)が代表的である。磯前は明治

20

年代からの井上の 思想的展開を同時代の日本の思想状況の中に位置づけ、普遍的原理に依拠した 井上の「倫理」構想が日本主義的な「道徳」に取って代わられ、国民道徳論が 提唱されるに至る過程を明らかにした。

 これらの研究は井上に内包された合理的精神を浮き彫りにするとともに、そ の思想的展開のアウトラインの概略を明らかにしている点に研究史的価値があ る。しかし、その分析は概して『勅語衍義』執筆から国民道徳論提唱までの期 間に限られ、国民道徳論以後の井上の思想的変容にまでは分析が行き届いてい ない。

 国民道徳論以降の井上の言説を考察したものとしては前田理子6)の研究が挙 げられよう。前田は井上の道徳に対する内的な動機付けに焦点をあて、自身の 普遍的理想への志向に矛盾する特殊な歴史的事実に根差した道徳教育の実践に 迫られた井上が、両者の両立のため日本の特殊性の淵源である国体に外来思想 を摂取して進歩する「同化」性を読み込む戦術を取るに至った過程を分析した。

これらの研究はいずれも井上に内在する普遍性と特殊性の相克を浮き彫りにし、

後者の拡大によって前者が変質を余儀なくされる過程を明らかにしている。

 しかし、これらの井上の国体論の分析は『国民道徳概論』などの著作の分析 に留まっており、彼がおかれていた言説空間に視線が届いていないのではない だろうか。山口輝臣は国体とは何かを語る形で参画した人間が自由に発話する 言説空間―「国体論的公共性」の存在を示唆している7)。山口によれば、近代

4) 森川輝紀『国民道徳論の道』(三元社、2003)

5) 磯前順一『近代日本の宗教言説とその系譜』(岩波書店、2003)

6) 前田理子『近代日本の宗教論と国家-宗教学の思想と国民教育の交錯』(東京大学 出版会、2015)

7) 山口輝臣「なぜ国体だったのか?」(酒井哲哉『日本の外交』第3巻(岩波書店、

2013)

(4)

日本の国体論者たちは「国体という語により適切な説明を施すことを通じて、

それを少しでも適切な方向へと導こうとする希望を込めた一種の国家=国民構 想の提出」した8)。この点で、井上の言説を彼がおかれていた国体を巡る言説 空間との関係から読み解く必要が生じるのである。

 本稿は上記のような問題意識の下、以下のような作業を行う。まず、第

1

章 では加藤弘之との論争を考察する。加藤は自他共に認める国体論者でありなが ら、井上と相容れない唯物論と功利主義の信奉者だった。井上は加藤との論争 を経て、自己の国体論を形成したのである。しかし、井上の国体論は時代の移 り変わりとともに、その話法、帰結を変化させた。その材料を集め、自身の支 持者に提示する場が『東亜の光』だったのである。『東亜の光』誌上の井上の 国体の話法には「同化」と「復古」のモーメントがあり、両者がグラデーショ ン状に変化する点にその国体論の変化を読み取ることが出来る。また井上の国 体論はさらにその帰結の変化もまた読み取ることができる。すなわち、大我小 我論的な修養論による国体への服従を要求する全体主義的な秩序像から、普通 選挙の実施などによって公民としての自覚を与える個別主義的な秩序像への転 換を来しているのだ。第

2

章以降では『東亜の光』誌上での井上の言説の分析 を通じて、「同化」から「復古」、「全体主義」から「個別主義」への転換を明 らかにする。そして、井上の国体論の変遷を明らかにすることで、国体論を解 析する座標軸を提示することが本稿の目的である。

第 1 章 進歩的個別主義

 東亜協会の結成以前、そして結成後にいたるまで井上は加藤弘之と論争を繰 り広げた。その過程で、協会結成後の中心軸となる井上の言説が形成されたの である。本章ではまず、井上の論争相手である加藤弘之に着目し、井上が対峙 した論理を分析するとともに、論争を通じて到達した国体像を明らかにする。

(5)

第 1 節 加藤弘之

 井上はその生涯で多くの論争を繰り広げた。最も著名な論争であろう「教育 と宗教の衝突」論争を始め、「第二次教育と宗教の衝突」論争など枚挙に暇が ない。その井上をして「論戦好き」9)と言わしめ、最も激しい論争を繰り広げ た相手が加藤弘之である10)

 加藤は東京大学総理まで務めた大学知識人、明六社の同人として『明六雑 誌』に健筆を振るった生粋のインテリゲンチャであり、東京帝国大学の直属の 上司であったこともある11)。井上にとって加藤は同じ路線を行く格上の存在で あり、井上は挑戦者として論争に臨んだのである。それ故に、1900年から加 藤が没する

1916

年に至るまで断続的に繰り広げられた論争の中で、自身の理 論を精緻化する必要に迫られた。井上は加藤弘之の全く異質な論理との対決に よって自身の国体観を形成したのである。

 以下では加藤弘之の国体観を概観した後、井上と加藤の論争を分析する。井 上の『東亜之光』誌上での議論を把握するグリッドラインを引くことが本章の 目的である。

 加藤弘之(1836-

1916)は出石藩の藩士加藤正照の子として産まれた。佐

9) 「加藤博士は論戦が好きであって、加藤博士の学説を批評する者があれば必ずこれ に対して弁駁するといふやうな態度を取られ、論戦を以て無上の楽しみとせられた やうに思はれる」井上哲次郎『懐旧録』(1943)(島園進・磯前順一編『シリーズ日 本の宗教学② 井上哲次郎集』第8巻、クレス出版、1973、収録)39頁

10) 井上哲次郎「明治哲学界の回顧」(『岩波講座哲学』第10巻(岩波書店、1931))

72頁

11) 井上は論争しつつも加藤への敬意を失わなかった。井上は晩年、留学から帰り、

帝国大学教授となった際の加藤との親交を回顧している。

 「時の総長加藤弘之博士は、自分に対して「余も暫く大学を去つてゐたが(元老院議 官に就任したため)、再び戻つた。君も留学から帰つて、又講義を持つことになつた のは結構である。」と親しく挨拶された。加藤博士と自分とは留学前から哲学研究の 上その他いろいろと親しくなつてゐたので、かやうに言はれたのであるが、自分と しては、加藤博士のこの時の挨拶を忘れることは出来ない」(井上(1942)30頁)

(6)

久間象山に師事するなど洋学を学び、1860年幕臣に取り立てられる。西周・

津田真道の指導下で英学・ドイツ学を学び政治学・哲学・道徳学に開眼し、西 洋の政治システムの導入を主張するに至る。明治維新後は政府に登用され教 育・法制官僚として活躍する一方で数々の著述を物した。1875年には東京大 学総理となり

12

年間にわたり草創期の東京大学を統率した。

 当時哲学科の学生だった井上は総理時代の加藤の功績として

1882

年の古典 講習科の設置、大学における仏教研究の推進を挙げている12)。また、古典講習 科設置の前年

1881

年は加藤にとって大きな転機となった。加藤はこの年、天 賦人権思想を否定し、それに基づく自著を絶版とし社会進化論に基づいた議論 を展開し始めた。新な思想の下、執筆されたのが天賦人権思想を批判した『人 権新説』(1882)である。小冊子に留まっていた『人権新説』の理論をさらに 敷衍し、一冊の著作としたのが『強者の権利の競争』(1893)であり、井上も 添削に携わった13)。さらに筆を進め道徳と法律について論じたのが『道徳法律 進化の理』(1894)である14)。井上が直接に批判したのは同書に現れた進化論と それを基盤とした個人主義的な政治秩序論だった。そして、その論争の中で井 上の国体論における立場も鮮明になっていくのである。以下では、『法律道徳 進化の理』を題材に加藤の国体論を考える。

第 1 項 愛国心

 1900年

4

14

日に出版された『法律道徳進化の理』は上下編、全

13

章に 分かれている。上編は「愛己心及び愛他心」と題され、個人の利己心が自然淘 汰と生存競争によって利他心へと変化し、集団を形成する過程を論じ、下編

「道徳及び法律」は最大の生存単位である国家の中で道徳と法律が進化する過 程を明らかにしている。加藤は自身と対立する東西洋の思想家を挙げてその著

12) 井上(1943)、30-32頁

13) 加藤弘之『経歴談』(初出『太陽』第2巻1号~9号,1896)(植手通有編『日本 の名著34 西周 加藤弘之』(中央公論社,1972)464―501頁収録)496頁

(7)

述に逐一反論する形で自己の議論を展開している。

 道徳の成立を論じる上で、加藤はまず人間は動物と異なる所のない存在であ ることを強調する。人間といえども動物に過ぎず、その能力は「応化と遺伝」

によって獲得したものである。人間が動物以上の存在として神聖視される根拠 などどこにもない。ではなぜ、人間は秩序を形成し、利他心を持って他者に尽 くすのだろうか。その答えが「進化」である。利他心(愛他心)は動物も持っ ている利己心(愛己心)が進化の過程で変化したものなのだ。すなわち、利己 心が進歩による知力の増進、社会形態の変化によって別種の利己心、すなわち 利他心へと変化するのである15)

 その利他心には、その動機によって三つの段階がある。すなわち、共同生活 を送る中で自己と他者を同一視し、他者の境遇を自分のものとして受け止める 感情的利他心。共同生活での生存と幸福のために生存戦略として利他的行為を 行う知略的利他心。宗教・徳教の教育によって道徳的責務に過ぎないはずの利 他行為を自己の義務とする教養的利他心である。これら

3

種の内、現代では感 情的、教養的利他心を経て知略的利他心のみが進化し続けている16)

 このような利己心の進歩の行き着く先が愛国心である。加藤は人類の歴史を 三段階に整理する。まず、人類の遠祖は利他心(愛他心)を持たない。動物の 遺伝的要素が強く残っているからだ。しかし、伴侶や家族との生活を通じて利 他心(感情的利他心)を身に付ける17)。この利他心は未開社会では薄弱なもので ある。非社会的動物だった頃の遺伝が色濃く残っているためだ。しかし、開明 社会へと進歩し、家族から村落・部族と共同生活の母体が拡大するにつれて利 他心の範囲と性質が変化していく。また、開明社会では宗教・徳教によって教 養的愛他心が生まれと共に、自己の愛己心を抑制することが逆説的に自己の生 存と幸福に有利であると学習し知略的愛他心が生まれる。加藤の議論の独自性 は、個人の利己心が文明の進歩を媒介とすることで愛国心へと直接に接続する

15) 同、2-3頁 16) 同、29頁 17) 同、4頁

(8)

点にあった。

 では、社会・国家にいかなる道徳的規準が適用されるべきなのか。加藤が提 示する答えは功利主義である。先に述べたように、進化論の立場から道徳と法 律の普遍性は否定される。各々の社会には先祖から受け継いできた「遺伝と応 化」によって形成された風俗習慣が存在し、それに応じた社会的生存に有利な 条件が存在する。道徳と法律はその条件を満たすために作り出されたものに過 ぎない。したがって、道徳と法律は各々の社会、時代ごとの社会的生存の条件 に合わせて変化する。道徳・法律もまた自然淘汰にさらされるのだ。このよう な観点から加藤は道徳の普遍性を否定する。加藤にとって、道徳の普遍性を前 提とする自然法思想や道徳的直観説などは特定の社会に生まれた道徳と法律を 習慣風俗の異なる他の社会に強制する行為に他ならない。

 加藤は、道徳普遍論者の議論を欧州社会の習慣風俗を絶対視した狭隘な見方 であると批判する18)。開化文明社会は野蛮未開社会に比べて道徳的に優越して いるのではない。また、未開野蛮社会に道徳が存在しないのでもない。ただ開 化文明社会には「進歩的道徳法律」が、野蛮未開社会には「未進的道徳法律」

が使用されているに過ぎないのである19)

 加藤はあらゆる道徳・法律の相対化し、普遍的原理の存在を否定した。しか し、普遍的な善として尊重されるべきものが一つだけあると加藤は述べる。そ れが「愛国の大義」である。どれほど利己的な人間であろうともの生存の基盤 である社会を破壊することはできない。社会がなくては個人の幸福追求はおろ か生存すら覚束ないためである20)。また、嘘をつかない、人を殺さないなどの 原則は一見すると普遍的な善・悪に思える。しかし、仏教やキリスト教は信徒

18) 同、70頁 19) 同、71頁

20) 同、92頁。このように述べつつも加藤はしかし、愛国心が否定される可能性に

も言及している。世界主義の立場をとる宗教と世界統一国家の可能性である。仏教 やキリスト教のような人類愛を重んじる宗教は国家を超越し、愛国心を否定する。

また、全人類が一つの国家に統合されるならば、愛国心はさらに拡大し「愛世心」

(9)

を教化する方便として嘘をつき、社会の安寧秩序を守るために殺人を肯定する 場合もある。これらのケーススタディを通じて加藤は善悪曲直の基準、ひいて は道徳・法律が社会的生存の利害に資するか否かによって決定されるとの立場

―功利主義―を鮮明にしている。

第 2 項 功利主義

 では、加藤の功利主義とはどのようなものなのだろうか。それは利己心と利 他心の区別を認めず、その前提となる普遍的実在を否定する唯物論的功利主義 である。加藤は、道徳的行為の動機によって功利主義を「愛他的功利主義」と

「愛己的功利主義」とに分類し21)、利他心を利己心が進化したものみなす立場か ら「愛己的功利主義」の立場を是とした22)。さらに、ベンサム以降の功利主義 者にとって最大の道徳的基準となった「最大多数の最大幸福」を、個人の安寧 の集積に過ぎないと批判する。すなわち、道徳・法律の究極の目的は国家その ものの生存にあり、個人の安寧の実現にはない。国家は単なる個人の集積物で はなく有機体である23)。確かに、社会が進歩していくにつれて、国家間の戦争 は減少し個人が犠牲になるようなケースは減少し、その頻度によって社会の進 化の度合いを計ることができると加藤は考えていた24)。しかし、国家の安寧の ために個人を犠牲にしなくてはならないケースが生じ得るのである。

 このような国家観・道徳観に基づいて、加藤は功利主義と愛国心を結び付け る。すなわち、道徳・法律が国家の安寧幸福を獲得する手段だとするならば、

個人が持つ道徳もまた、間接的直接的に国家の安寧幸福に資するものであるべ きだ。その目的を最も直截に達成するものは個人の愛国的行為である。そして、

日本では愛国心と忠君が不可分の関係にある25)

21) 同、107頁 22) 同、109-110頁 23) 同、114-117頁 24) 同、118頁 25) 同、123頁

(10)

 ここまでで加藤の主張を纏めてみよう。まず、個人の生存競争と自然淘汰か ら国家の成り立ちを説明し、国家内の道徳規範として功利主義を採用した。さ らに、功利主義を前提として愛国心を最高の道徳とする規範を作り出して見せ た。最後に「万世一系の皇統」を持ち出すことで功利主義から忠君愛国を絶対 化したのだ。すなわち、加藤は井上が批判するもの(個人本位の思想・功利主 義・唯物論)から非の打ちどころのない国体論を作り出したのである。井上に とって、加藤が如何に厄介な相手だったかが想像できるだろう。

 以上では、『道徳法律進化の理』を参考に加藤の国体論を観てきた。既述の 通り、加藤は進化論と唯物論を前提にし、功利主義的な道徳進化の歴史を論じ た。加藤の「国体」は個人が進化の中で作り出していく〈進歩的個別主義〉的 国体論と位置付けられよう。

第 2 節 加藤弘之との論争

 では、井上は上記の〈進歩的個別主義〉的な国体論にどのような批判を加え たのだろうか。本項では、井上と加藤が繰り広げた論争を概観し、井上と加藤 の対立点を明らかにする。井上の加藤批判を通して井上の国体論の諸前提の析 出を目指す

 加藤と井上の論争は、井上が『道徳法律進化の理』を論難する形で始まり、

加藤が没する

1916

年まで断続的に続いた。その論点の移り変わりを概観する ならば、まず功利主義の評価から始まり、次いで道徳教育における宗教の位置 づけ、キリスト教と国体(日本文明)の関係へと遷移し、道徳の淵源としての 形而上的実在の有無が取り上げられるに至った。両者は共通点を見出しつつ、

根本部分では対立し続けた。以下では、論争を時系列的に分析する。

第 1 項 功利主義

 両者の火ぶたは井上が加藤の提示する、功利主義的な道徳観・社会観を批判 したことで切られた。井上は近年「進化論に本いて利己主義を唱道するもの」

(11)

が現れ、世上の人々を迷わせていると暗に加藤を批判する26)。一方で、人類と いえども動物の一種であり、進化の観点からと利己心の発達を客観的に説明し ている点で、加藤の議論は有益であるとの評価を下す27)。この点において井上 は道徳の進化を前提とする点で加藤と一致している。そのうえで、まず利己主 義に対して以下のような疑問を投げかけた。

 第一 一切の道徳的事実を利己によりて解釈し得べしや否や  第二 利己を以て直に道徳なりとすべしや否や

 第三 利己の己は果して何等の旨趣を有するや28)

 ここでの井上の議論の眼目は、利他的行為が利己心によって説明できない、

利己主義が前提とする「我」の観念は哲学的に成立しない、の二点である。そ の前提にあるのは、行為の道徳性は結果ではなく動機によって判断されなくて ならないとする井上のカント的な道徳観である。その観点から見れば、利己主 義・功利主義は行為の結果のみを判断の対象とする点で道徳的規準になりえな い。道徳は行為の動機によって判断されなければならない。そこに道徳教育―

個人の動機の陶冶―の必要性が生じるのだ。

 では、井上の加藤批判を観ていこう。まず井上は、第一・第二の疑問に関し て、利他心と利己心が異なる出自を持つものであると主張する。利他心は利己 心の派生物ではない。人間の原初状態から家族・部族などの共存関係が存在し、

相互に対する同情が存在する。井上はこの点に利他心の出自を見た29)。人間は

26) 井上哲次郎「利己主義と功利主義を論ず」(『巽軒論文 二集』(冨山房、1902)

1-48頁)2頁 27) 同、4頁 28) 同、3-4頁

29) 井上はこのほかにも母子間の関係について加藤の議論を直接引用して批判してい る。

 

 母体の或る部分の減耗の如きは全く生殖作用に属するものなれば、決して自己の減

(12)

社会的生類であり、有機的団体を形成することで発達してきた。同時に同族に 対する「同類意識」を発達させてきたのである30)。この同類意識こそが人間の 利他的行為の動機となる。先述の通り、井上は動機を伴わない行為を道徳的行 為とはみなさない。道徳的行為とは「かくあるべし」という理想を目的として それを実現しようとする意志に生じるものなのだ31)

 井上はさらに、利己主義が前提とする個人の観念を批判する。自己利益の拡 大を目指す利己心のみが人間の本性であるとするのが利己主義者の主張である が、その「己」とは何かと問うた32)。井上は個人を「継続体」と捉えた33)。  井上は家族と社会有機体論を用いて個人の観念が家族と社会という縦と横の 有機体の一部であると定義した。つまり、個人の自我とは、家族と社会が持つ 巨大な自我の一部分に過ぎないのだ。井上は、後述するように

1910

年以降、

国民道徳論を展開していく。その中で家族概念は皇室の不可侵と個人の道徳を 結び付ける要石となった。その家族への服従をどのように正当化するかは井上 にとって頭の痛い問題であり続けた。1900年時点では有機体論的な言説によ って問題の解決を試みていたことが、上記の記述から窺えよう。

 完全に独立した個人が存在しない以上、完全な利己も存在しえない。先にも 述べたように、個人は家族・社会にある大我の一部-小我-であり、自己利益 の追求も直接的・間接的に他者の権利を侵害してなされなくてはならないから

耗にあらずして寧ろ自己の増殖なり(加藤(1900)38頁)

 

 上記は『道徳法律進化の理』中で、スペンサーの母性と利他心の連環を批判した一 節であるが、加藤はスペンサーの母子間の愛情から利他心を説明する議論に異を唱 え、出産とは自己の増殖であって、母子間の愛情もまた利己心が拡大したものに過 ぎないと述べた。井上は、上記の議論を引用し、出産は同類の増殖であっても母体 そのものの増殖でないため、加藤の議論は成立しないとしてスペンサーに同意して いる。(井上(1902)5-9頁)

30) 同、10頁 31) 同、14頁 32) 同、15頁

(13)

だ。利己主義者の標榜する「利己」は成立する余地がないのである。

 こうした井上の社会観は加藤のそれと対照的である。すなわち、加藤が社会 を個人が完全に独立した原初状態から生存の必要から共同生活を送る中で形成 されるもの捉えているのに対し、井上はまず有機体としての集団―社会・家族

―が存在し、それらに存在する自我を分有する形で個人が存在すると主張して いるのである。そして、加藤は利他心を個人の利益計算が高度化するに連れて 生じる利己心の一部と捉えるが故に、完全なる利他的行為を認めないのに対し、

井上は個人の存在を有機体論的に分解することで、完全なる利己的行為は存在 しないと主張するのだ34)。道徳は利他的な動機に基づかねばならず、動機を生 み出すのは現象を超越した精神である。ここに徳教を始めとする道徳教育の余 地が存在するのである35)

 次いで井上は、功利主義を批判の俎上に挙げる。功利主義に対する井上の立 場は両義的で、国家社会を運営する際の規範としては適切だが、個人の道徳律 としては不適切とする36)。すなわち、功利主義が前提とする帰結論的な道徳的 判断の瑕疵を主張する。まず、行為の目的を快楽とするなら他者を自身の手段 として利用する点で個人の徳化には資さない。また、ベンサムのように「最大 多数の最大幸福」を目的とする見方には、社会を構成する個人の多様性を看過 し、「開明人も野蛮人も、聖人も小人も、智者も白痴も、悉く同一視して単に 数量によりて人生の目的を立て」37)てしまう点で道徳律としては不適当だ。さ らに、帰結論には幸福を客観的に判断しようとする点に価値を認めつつも、先 述した個人の多様性のために、幸福を決定するために多大な時間を費やしてし まうため、個人の道徳的判断には間に合わないと批判する。ここで井上が問題 視しているのは功利主義の行為の道徳性を、結果を客観的に分析することで判 断する帰結論的な道徳律と、個人の多様性とが背馳する点である。多様な個人

34) 同、19頁 35) 同、18頁 36) 同、21頁 37) 同、26頁

(14)

にふさわしい幸福・道徳は個人の主観、すなわち動機から導き出されなくては ならない。それが井上の確信であり、功利主義批判の焦点があった。

 しかし、先述の通り井上は功利主義を全面的に否定していたわけではない。

井上は功利主義の人間・道徳の洞察には幾らか的中する部分があると述べてい る。すなわち、①人類は快不快の感覚によって陶冶される、②人類は知識によ って行為を決定する、③人間の目的は公衆の利益にある、の三点である38)。功 利主義は道徳的知識の一環としては有益だが、道徳全てを運営する「根本主 義」としては有害だと井上は判断していた。功利主義を始めとする帰結論には 道徳を実践する動機への洞察が欠けているからだ39)

 道徳的実践の動機の淵源は知識ではなく感情である。この感情を陶冶する方 法として道徳教育が存在し、倫理学が主導する領野が生まれる。井上は仏教と 当時最新の学術だった宗教学の語彙を用いて道徳的感情を定義する。道徳の淵 源となる道徳的感情は、井上によればまず「天眞自然の情」である。この感情 は自身と他者の境界を融かしてしまう同情であり、それ自体は盲目的で何らか の行為を要求するものではないが、同類間に相互的感情を惹起することで人類 の共同体を形成させる。道徳的行為はこの共同体を基盤として成立する40)。こ の道徳的感情の発達の結果、個人は「小我」の境遇を脱して「大我」へと至る ことができる。個人の道徳的完成とは「大我」へと合一することであり、道徳 心とは「大我」の意思の現れなのだ41)。この道徳的感情を理路付け、発達させ る点に知識の役割が存在する。井上は功利主義を知的道徳と位置づけ一定の評 価を与えつつも、内容の動機―道徳心―を度外視しては如何なる道徳も成立し ないと主張する。知的道徳によって道徳心を陶冶することが井上の捉える道徳 の発達である。この点で、社会の進化に伴う各階級間の競争によって道徳の発 達を論じた加藤との対照的だ。

38) 同、34-35頁 39) 同、31-32頁 40) 同、40頁

(15)

 井上は、結論において道徳を知的道徳と情的道徳に区別した。井上によれば、

利己主義・功利主義は処世のための便宜法であり、知的道徳に分類される。し かし、道徳の淵源は情的道徳―人間の道徳心の充足―に存在する。知的道徳は 現象面にのみ限られる。その目的は社会公衆の幸福であるが、幸福の追求は快 楽の追求へと必然的に結びつく。結果として、「一切の罪悪に導くべき陥穽」

に陥ってしまう。一方情的道徳の目的は大我との完全なる合一であり、そうし た陥穽とは無縁である。道徳教育は実在に根差した情的道徳の陶冶でなくては らないのだ42)。そして、この点に宗教の必要性が生じる。

第 2 項 普遍的宗教

 如上の議論には井上の道徳教育観・宗教観が表れている。すなわち、古今社 会上に感化力を持っていたのは情的道徳の陶冶を目指すものであり、宗教がそ の役割を担ってきた。そして、儒学・仏教・キリスト教は、個々の教義に差は あれど共通性を持っている43)。次代の道徳教育はこの通宗教性に基づいて行わ れなくてはならない。ここに井上が宗教の合一を説く必要が生じた。井上の利 己主義・功利主義批判は、大我小我論的な人間観を介して宗教論へと結びつい ていたのである。

 上記のような井上の批判のほかに元良勇次郎44)・中島力造45)・中島徳蔵46)等 が加藤に対抗する論陣を張った。加藤はこれらの批判に対して

1904

10

月 の丁酉倫理会の講演「倫理学上の一大疑点」47)において反論を行った。加藤は この反論の中で井上等が触れなかった世界主義に言及し、改めて普遍的実在を

42) 同、42-43頁 43) 同、48頁

44) 「 快 楽 は 倫 理 の 標 準 と な り 得 べ き や 」(『 哲 学 雑 誌 』 第18巻191号、1903-1、

16-43頁)

45) 「加藤博士の新著「道徳法律進化の理」を読む」(『哲学雑誌』第15巻161号、

1900-7、561-579頁)

46) 「加藤博士の新著を読む」(『教育学術界』第1巻10号、1900-8-3、9-18頁)

47) 加藤弘之『学説乞丐袋』(弘道館、1911) 87-123頁所収

(16)

否定した。

 人類の社会は有機体である点で他の生物と異なる点はない。加藤はこの有機 体を三段階に分けている。生物は単細胞的有機体である第一段階から、個体と しての植物・動物である複細胞的有機体を第二段階へと至る。これら複細胞的 有機体が生存のために第三段階である複々細胞的有機体を構成する。この複々 細胞的有機体こそが国家である。加藤はそれ以外の例として植物群体や動物群 体、真正社会生物を挙げている。つまり、国家はクラゲや蟻、蜂と同類の存在 なのだ48)。この有機体内では、その生存・維持のため道徳が生まれる49)。この点 で加藤は『道徳法律進化の理』と同様の論理を展開している。しかし、国家間 には相互関係はあっても、有機体を構成するに至っていない。したがって、国 際道徳は存在しない。というのが加藤の主張である。そして、自身と対極の立 場に立つ「形而上学派」、「直覚学派」を批判する。加藤によれば、これらの学 派は利他的感情や道徳を人間が本然的に備えるものとし、それを根拠に人間を 他の動物から区別している50)。しかし、こうした主張は「心形上の進化」を看 過している。すなわち、利他的感情は人間が進化の過程で「遺伝と応化」によ って備えた感情に過ぎないからだ。加藤は更に井上を批判する。進化論を信じ ない「万物特造説」を取る学者は議論するに値しないが、井上は「進化の真理 なることは多少信じて居」り、加藤と前提を共有しているにも関わらず道徳の 本然性を提唱しているからだ51)。井上は既述の通り大我小我論によって道徳の 淵源を説明している。しかし、道徳が大我―実在から生じ悪徳が別の源泉から 生じるとするならば、その実在は絶対的ではなく相対的なものとなり井上の主 張は矛盾しているではないか52)。また、井上は宇宙が一つの目的から生じると する目的論的宇宙観を採っている。加藤は万象を原因結果の因果関係から説明

48) 同、94頁 49) 同、96頁 50) 同、117頁 51) 同、118頁

(17)

する因果論的宇宙観の立場を採る。しかし、井上の述べるところの万物特造説 は進化論と矛盾するにも関わらず、井上は進化を否認しているわけではない53)。 加藤によれば、この点に井上の矛盾がある。

 同講演で加藤は、井上を批判する一環で目的論そのものを批判した。すなわ ち、井上が標榜する目的論的宇宙観は道徳が人間に本然的に備わっているとす る点に特徴がある。しかし、歴史上人類社会に戦争・争奪の生存競争が止むこ とはなかったではないか。生存競争がなければ人間の進歩はあり得なかったが、

目的論に基づく人類の道徳的調和からは進歩そのものが起こり得ない。井上の 宇宙観と進化論は根本的に矛盾しているのである54)。進化論と現今の道徳的状 況を共に説明しうるのは因果論的宇宙観なのだ。加藤の批判は、井上に難題を 突き付けた。井上は以後目的論的宇宙観と進化論を両立する理論を構築する必 要に駆られたのである。

 加藤の挑戦に対して、井上はすぐさま応戦した。加藤の講演の直後の講演55)

で、加藤と自身の話法を比較しながら加藤を批判したのである。まず井上によ れば、加藤は事象の解釈と理想とを混同している。

 自然科学は説明学であり、事象の解釈を目指すものである。井上によればし かし、この事象の善悪を判断する認識の淵源が存在する。それが実在である。

そしてその実在から派生する道徳を研究するのが「理想の学、目的の学」であ る倫理学なのだ56)。井上は自然科学などの説明学から倫理学など規範学を峻別 することで、加藤の批判を躱そうとした57)

 さらに井上は、加藤の議論の中心である利己的功利主義と、それを前提とし た国際関係観に切り込んでいく。井上によれば、加藤が細胞・下等動物の利己

53) 同、20頁 54) 同、122-123頁

55) 井上哲次郎「加藤博士の一大疑点に就て」(井上哲次郎『倫理と教育』(弘道館、

1908-5)545-550頁所収、初出『丁酉倫理会倫理講演集』25輯, 1904-10)

56) 同、555-546頁 57) 同、550頁

(18)

性を無条件に人間にも適用するのは誤りである。

 すなわち、道徳的判断には意識が不可欠であって、意識を伴わない行為は物 理現象と変わるところのない、雲や風と変わらない自然現象なのだ。したがっ て、行為の道徳性を判断する基準は動機の善悪であり、動機を生み出す意識を 伴わない行為は道徳的判断の対象となり得ないのである58)。人間は「論理的反 省力」を持つ点で他の動物と区別されるのであり、加藤の利己的功利主義は意 識を持たない細胞・下等生物の行動を人間に当てはめている点で独断に過ぎな いのだ59)

 さらに加藤が唯物論的立場を取り国際道徳の存在を否定したのに対して、井 上は理想主義の観点から反論する60)。加藤は国家間に道徳は存在しないとする。

なるほど租税や兵役といった国家に対する義務は国家内でのみ有効であろう。

井上はしかし、他の国民に対して適用されるべき道徳は存在するとする。加藤 はこうした国際道徳は、国家間の場合は自国の利益追求上の必要性から生じ61)、 個人間の場合は国家のように競争関係にないため協同と義務が生じた結果生ま れるとした62)。加藤によれば、人が人として行うべき道である人道は国家内で は存在し、国家間では存在しない63)。一方井上によれば、こうした国家相互の 道徳こそ道徳の普遍性の証左である64)。道徳が普遍的である以上、井上ら哲学 者の任務は古今東西の道徳思想を統合し、世界に通用する道徳理論を作り出す

58) 同、546頁 59) 同、547-548頁 60) 同、548頁

61) 加藤(1911-11)100頁 62) 同、98頁

63) 同、103頁

64) 上記のような井上の主張に対して加藤は再反論を加えた。「真善美を論じて倫理 学上の迷見に及ぶ」(『丁酉倫理会倫理講演集』第36輯、1905)である。同論で加藤 は真と美が自然界に先天的に存在しているが、善は社会の共同生活の中で後天的に 決定されるものとし、実在から導き出そうとする「直覚派」を批判した。また、道 徳が本然的に内在するならば、先史時代以来の人類の進化を説明できず、生存競争

(19)

ことである。その手掛かりとなるのが、各国の道徳の淵源となっている宗教の 統合だった。一方、加藤は唯物論的功利主義の立場から井上の構想に論駁して いく。以下では両者の宗教論を検討する。

 論争に先立つ

1899

12

月、井上は『哲学雑誌』上で「宗教の将来に関す る意見」を発表した。同論で井上は、既成の宗教を抽象化し「倫理的宗教」を 構築すべきと主張した65)。すなわち、現行の宗教は固有の迷信・儀式に拘泥し 道徳教育に適用できない。その共通性である「小我を捨てゝ、大我に従ふの倫 理」66)を抽出し、既成宗教の歴史的特殊性を脱却した道徳教育を下支えする普 遍的宗教を構築することを今後の宗教の課題としたのだ。こうした主張の背景 には、現行の教育が次代の統治エリートである学生に訴求力を持たない、とい う知識人層の共通理解があった。井上の議論は各宗教の改革派との間に激しい 論争を惹起し、宗教性を帯びた人格陶冶のカテゴリーである「修養」の誕生へ と帰結した67)。井上と加藤の論説に絞って、両者の論稿を整理してみよう。井 上が倫理的宗教の必要を訴えた翌

1900

5

2

日、加藤は帝国教育会議堂で 開かれた社会学研究会で「所謂将来の宗教に就て」と題した講演を行った68)。 井上は

1902

1

月、加藤以外の論者への反論も含めた「倫理と宗教との関 係」69)及び「余が宗教論に関する批評を読む」70)を発表した。一方、加藤は同年

65) 井上哲次郎「宗教の将来に関する意見」(『巽軒論文 初集』(冨山房、1900)所 収(初出『哲学雑誌』14巻154号、1899、901-933頁)

66) 同243頁

67) 栗田英彦「明治30年代における「修養」概念と将来の宗教の構想」(『宗教研究』

第89巻3輯、2015、51-74頁)

68) 秋山悟庵編『巽軒博士倫理的宗教論批評集 第1輯』(金港堂、1902)189-200頁 所収(初出『社会』2巻15号(冨山房、1900-6)1-16頁)。なお、井上は1901年12 月に本論文を読んだことが確認できる。(『巽軒日記-自明治三三年至明治三九年』

(東京大学史史料室、2012)28頁、12月26日付)

69) 初出『東洋学芸雑誌』(東京社)19巻244号(1902-1)29-44頁・245号(1902-2)

65-78頁

70) 『哲学雑誌』第17巻179号(1902-1)1-15頁・182号(1902-4)1-16頁

(20)

5

月東京学士会院で「井上博士の『倫理と宗教』を読む」71)と題した講演を行 った。同年

6

8

日東京学士会院で「再び倫理と宗教とに就いて―加藤博士 に答ふ」72)によって加藤に反論した。加藤の講演の内、「所謂将来の宗教に就て」

は井上の宗教論と主だった反論を集めた『井上博士倫理的宗教論批評』に収め られている。以下ではこの講演を中心に加藤の主張の要諦を検討する。

 同講演で加藤は井上の構想に全面的に反対した。加藤はまず、宗教と当世の 自然科学は相反するものだと主張する。すなわち、宗教が信仰によって安心立 命を与えるものであるのに対し、自然科学は真理のアップデートによる知識の 進歩を目指すものである。宗教が必要とされるのは未開世界や児童など「未開 社会又は無智識な階級若しくは子供」を迷信や方便を用いて道徳的に教化する ためである。一方、自然科学が目的とするところは知識の進歩である。そのた め真理は絶えず更新され続けなくてはならない。「安心立命は真理研究の敵」

なのだ。自然科学の発達が宗教の革新を促すことはあり得ず、迷信を脱却した 真理的宗教を生み出すこともない73)

 しかし、今日の開化社会にも宗教が必要とされる場所はある。いかに開けた 社会にも教育が行き届かず「開けない階級の人民」は存在する、また子供は常 に存在する。これらの知識を備えず、物の道理も弁えない者たちは「方便的の 迷信を以て導く」必要があり、その点に宗教の存在理由がある。宗教がそのよ うなものである以上、迷信から脱却した真理的宗教など必要ない。むしろ迷信 を取り除いた結果、人民を教化する力を失ってしまう可能性もありうる74)。で は、真理追求に従事し知識を持つ上流社会はどのようにして安心立命を得るの

71) 『学説乞丐袋』(弘道館、1910)50-80頁所収(初出『東洋学芸雑誌』19巻248号

(1902-5)199-218頁)

72) 『巽軒講話集 第二編』(博文館、1903)377-430頁所収(初出『東洋学芸雑誌』

19巻250号(1902-7)302-310頁・251号(1902-8)343-354頁・252号(1902-9)391- 405頁)

73) 同、195頁

74) 加藤は求心力を失った例として、「ユニテリアン」を挙げている。 (同、196-197

(21)

だろうか。加藤はそもそもそんなものは必要ないと主張する。

 つまり、真理を更新し続けることが学問であり進歩なのだから、安心立命な ど得られないし必要もないと喝破したのである75)。「安心してしまつたら、智識 を琢くことは出来」ないのだから。宗教は「社会のため又真理の為めに労する 人間」には不要どころか有害。宗教を必要とするのが下流社会である以上、既 存の宗教で事足りる。倫理的宗教など実現できないしその必要もない。以上が 加藤の結論だった。

 上記のような加藤の批判に対する井上の反論は、加藤の哲学的立場を批判す るもので功利主義批判と異なる所はない76)。たしかに、普遍的実在を認めるか 否かがこの論争においても両者の議論の展開の背景にある。しかし、両者は道 徳教育における宗教の位置づけもまた異なっていた。両者の国体観の差異はそ の点に起因する。

 井上の宗教に対するスタンスを知る手がかりとして丁酉倫理会での講演「倫 理と宗教」77)を検討しよう。井上によれば、宗教と道徳教育の分離は現今世界 の潮流である78)。当然道徳教育は「宗教から離れた倫理」によって実施されな くてはならないが、「倫理の知識丈けで以て宗教家のやうな熱心を生ずるこ と」79)は難しい。そこに歴史的宗教とは異なる倫理的宗教の必要が生じる80)。  さらに井上は宗教と倫理の差異点と共通点を論じていく。井上によれば、宗 教と倫理の違いは超自然的現象を認めるか、特殊な歴史的過程を持つかの二点 に存在する。すなわち、宗教が超自然的な現象を信仰するのに対して倫理は科 学的な知識のみで構築される81)。また、各宗教は個別の歴史的過程を経て形成

75) 同、198頁 76) 井上(1903)379頁

77) 井上哲次郎「倫理と宗教」(『倫理と教育』(弘道館、1908)1-48頁)

78) 同、12-13頁 79) 同、15頁 80) 同、15頁 81) 同、18頁

(22)

されたため特殊な形態を持ち82)、信仰するか否かは各人の自由に委ねられてい る83)。加藤やヘッケルのように無宗教でも差し支えない。一方、倫理は万人に 不可欠な普遍性を持つものである。

 しかし、宗教と倫理の間には共通点の方が多い。まず、倫理も宗教も個人を 安心立命に導くものである84)。両者は人生の目的を規定し、自分はそこに向か って進んでいると確信させることで精神の慰安を与えることができるのだ。ま た、宗教が現世を超えた永遠の安心を与えるように倫理もまた死後の子孫・朋 友との関係を考慮に入れなくてはならない点で永遠性を持っている85)。さらに、

倫理は「理想」の実現を目的に据えているが、その理想とは経験を超えた宇宙 の実在から生じるものである86)

 この点においても、倫理と宗教には類似性がある。井上によれば、倫理と宗 教の間の根本的な違いは「フォルマ―ル」にある。すなわち、宗教は特殊な儀 礼・信条を信仰させる点で迷信とは根本的には異なる所はない。今後の課題は

「宗教のエッセンス」を生かして普遍的な倫理を生み出すこととなるのだ87)。  上記のような議論からは、倫理をより普遍的なものと位置付けることで、宗 教よりも上位に置く井上の戦略が覗えよう。

 では、なぜ道徳教育は宗教ではなく倫理によって行われなくてはならないの か。井上は宗教による道徳教育の弊害を鳴らす。

   今迄の様なゼクテン即ち宗派といふ者が成立ち得るや否やを疑う。ゼクテ ンといふ者は有害であると思ふ。なか

〵 〳

強い頑固な党派的の感情を拡げて 往くので有害である88)

82) 同、18-19頁 83) 同、19頁 84) 同、21頁 85) 同、24頁 86) 同、25頁 87) 同、27頁

(23)

 たしかに、宗教に基づく道徳教育は、各人の宗教心を育むことができる。し かし、他宗派に対する敵愾心もまた養ってしまうことで、各宗派が互いに排斥 し合う党派争いを生じるおそれがある。井上は教育における派閥の弊害を危惧 していた89)。宗教もまた教育上における党派の性格を持っているため90)、教育家 は既成の宗教に傾倒してはならないと戒めていている91)。井上は党派性を持つ 宗教ではなく、普遍的な倫理こそが道徳教育の中心に相応しいと考えていたの である。

第 3 項 進化論

 井上の倫理教構想は彼の進化理解と深く結びついている。宗教論争後の論争 には両者の進化理解の相違が如実に表われている。

 まず井上によれば、人間の意志の遂行である活動は程度によって二様に分か れる。意識の程度が低い「動向」は「世界全体の合目的性」が個々の事物に顕 れたものであり、人間以外の動物にも存在するものである92)。この動向が理性 によって認識を高度化し、正確に充足する方法を見つけ出すことで行為の指針 を生み出すに至る。これが人間のみに備わった高度な意志である。動向に従っ て道徳を構築する自然主義は快楽主義に陥る恐れがあり、動向を情欲として撲 滅すべきものと捉える克己派は自然性を無視している点でそれぞれ誤っている。

人間の意志によって目的を定め、その実現に邁進して初めて自由意志が成立す る。したがって、意志本位こそが正しい人間理解となる93)

 上記のような意志本位の立場から見れば、唯物論的な進化理解の誤りは明ら かであろう。

89) 井上哲次郎「教育上における党派の害」『巽軒講話集』博文館、1902)365頁

90) 井上哲次郎「宗教家の党派心」『巽軒講話集』博文館、1902)369-370頁 91) 同、373頁

92) 井上(1908)36頁 93) 同、38-39頁

(24)

 井上は生存競争の本質を意志の衝突と捉えた94)。つまり、各生物の自己保存 の本能によって機械論的に生存競争が起こるのではなく、「存続しやうといふ」

動向によって存続のための資源・力量を獲得する意志が相互に衝突するために 起こるのだ。そして、競争に勝利するためには自己の健全性を養おうとするよ り高度化した意志が生じる。さらに、このような生存競争は民族間・国家間に も適用される。井上によれば、明治維新以後の日本の改革は全て生存競争に勝 利するための「日本民族の意志的活動の結果」であり95)、日本民族の進化の結 果が日露戦争の勝利である。上記のような井上の進化観は加藤のそれとほとん ど異なる所はない96)。加藤との違いは、進化の原動力とその帰結に対する理解 にある。

 では、進化は何に起因するのか。加藤は生物が先天的に保有する自己愛によ って生存競争が発生し、弱者が淘汰されることで進化が起こるとした。このプ ロセスはあくまで機械的に展開し終わりを迎えることはない。人類はこの進化 の過程の中で、あくまで個別的生物の生存のために家族・社会・国家へと忠誠 を尽くすのである。

 一方、井上は進化を「宇宙全体の統一目的を達する為め」の活動と捉えてい る。すなわち、進化とは不完全な状態から完全な状態へ、単純から複雑へと向 かおうとする「宇宙の大意志」による合目的的な意志活動なのだ。人間はその 中にあって理性と認識によって構築された高度の意志を持つが、それは宇宙の 大意志の最も高度な部分が人間の肉体を借りて顕現したものである97)。  こうして進化の目的が設定される。それは宇宙の大意志への自己の意志を合 一化することである。すなわち、当世において個々人の意志は合一化し「集合 意志」を構成している。この集合意志から宗教・道徳そして文明が生まれる。

94) 同、42頁 95) 同、41頁

96) 日露戦争に対する加藤の意見は『進化学より見たる日露の運命』(博文館、1904)

に詳述されている。

(25)

各民族、文明毎に存在する集合意志を統一することで世界文明―「世界全体の 集合意志―を作り出すことである98)

 意志の統一が進化である以上、宗教の統一もまた進化である。宗教もまた各 民族の集合意志が現れた形式に過ぎないのだから。そして、統一された普遍的 宗教を基盤にした普遍的倫理もまた当然生じ得る。井上にとって宗教を統一す ることは集合意志を統一することであり、絶対意志すなわち実在に接近する手 段だった99)

 井上と加藤の論点を整理してみよう。まず、両者の世界観は共に進化論を前 提としていた。文明の進歩は生存競争によってもたらされ、世界の諸民族は進 化の階梯の下、垂直に順序付けられる。その頂点にあるのは欧米諸国であり、

非欧米諸国はその下にいる。そして、日本はその半ばに位置している。

 一方で、両者の違いは、進化における宗教の位置づけにあった。加藤は宗教 を前文明・非文明社会に有益だが、文明化による知識の進歩に伴って淘汰され る存在とみていた。文明社会の道徳は功利主義的な快楽計算以外にあり得ず、

宗教は社会の下層あるいは幼児など知識に劣る者たちを導くある種の詐術とし てのみ存続を許される。文明の最先鋒たる知的エリートには不安に耐えて真理 を探究する胆力が求められる。しかし、井上は宗教を民族の集合意志が具現化 したものと捉えていた。文明の進歩とは各民族の集合意志が統一され人類全体 の集合意志を形成することである。また、既存の宗教を道徳教育に用いれば教 育現場に宗派争いを惹起し国民統合に支障を来す。学術の面からも実際面から も宗教の統一は不可避である。知的エリートの使命はこの進化を促進し、道徳 教育を下支えする普遍的宗教を構築することで文明を統一することである。そ のとき始めて知的エリートの「安心立命」もまた達成されるのである。

98) 同、45頁 99) 同、47頁

(26)

第 3 節 国体論への道-『東亜の光』以後の論争

 両者はかくも対極の立場にあった。しかし、加藤は老境に差し掛かりその理 論が、特に実践道徳に関してはほぼ完成されていたのに対し、少壮の井上のそ れは未完成の部分が多かった。加藤は社会の諸領域に対して独自の理論と認識 によって言説を展開したのに対して、井上はそれを追いかけるように反論し、

自己の理論を確実なものにしていったのである。その舞台となったのが刊行間 もない『東亜の光』であった。以下では国体とキリスト教を巡る加藤と井上の 応酬を検討しよう。

第 1 項 国体と宗教―加藤弘之

 1907年

7

12

日、加藤は帝国学士院にて「吾国体と基督教」と題した講演 を行った。その目的は「基督教が吾が国体に害ある所以の理由を科学的に説 明」したものであった。講演は後日、同名の書籍として出版された100)。同書で 加藤はまず、宗教一般が科学と相容れないものと位置付ける。科学は自然法に 基づいて明らかになったものを信じる。しかし、宗教は超自然的で不確実なも のをまず信じる101)。すなわち、宗教は迷信によって知識の進歩を阻害する102)。 宗教の効用は安心立命などの精神面ではなく、慈善事情などの物質面のみに限 られる103)。第

2

章以降では日本の宗教状況と展望についてのいわば各論が展開 される。その前に加藤は宗教を「民族教」と「世界教」に分類する。民族教は

100) 加藤弘之『吾国体と基督教』(金港堂、1907-8)。なお、井上が同書を手にしたの は同年9月3日のこと。加藤から送られている(『巽軒日記-明治二六~二九、四〇、

四一年』(『東京大学史紀要』第31号、東京大学史料室、2013)97頁、9月3日付)

101) 同、9頁

102) 「余は独り基督教に限らず凡そ宗教と云へば宗派の如何を問はず全く好まぬので ある、如何なる宗教といへども悉く吾人に迷信を与へるもので大に知識進歩の妨害 をなすからである」(同、1頁)、井上は知識人が超自然的な信仰に被れている悪例と して、禅定と催眠術の流行を挙げている。

(27)

各民族固有の神を崇拝する「野蛮未開の時代」の宗教である。一方、世界教と は民族教から生まれ、人類全体の救済を目指して人類普遍の神を信仰する宗教 であり、仏教とキリスト教がそれに該当する。文明の進歩によって民族教が世 界教によって淘汰される、というのが加藤の見る宗教の進化であった。問題は 世界教が国家の至尊の地位を脅かす点にある。つまり、古代の野蛮未開社会で は祭政一致社会が一般的であり、政体の君主が民族教の首長を兼ねていた。し かし、世界教が民族教を駆逐すると教権と政権が分離し、一国内に二つの中心 が生じてしまうからだ104)。このような前提の下、加藤は日本の国体と世界教の 関係を考察する。既述の通り、加藤が定義する日本の国体とは立憲的族父統治 である。これは古代未開の時代の族父統治と西洋の立憲制の混合体である。こ の内、族父統治は日本でのみ存続している、日本の特殊性の根源である105)。す なわち、加藤の見る所、日本の国体とは

2500

年以上に渡って続く族父統治で あり、その具現化としての祖先崇拝なのだ106)。上記のような国体観をもって加 藤は世界教がいかに国体を害するかを論じていく。

 加藤はまず、仏教を俎上に挙げた。加藤によれば仏教は流入以来、日本の開 明化に貢献したことは事実である107)。しかし、その崇仏思想は祖先崇拝と矛盾 し、奈良・平安時代の大伽藍の建造で国費の浪費を招くなど現実的な弊害を齎 した。こうした政策にも関わらず、一般人民は仏教に帰依せず固有の神を信仰 していた。業を煮やした仏教側が編み出した術策が「本地垂迹」である。

 すなわち、加藤は本地垂迹を仏教の日本化ではなく、そう唱えることで祖先 崇拝と日本固有の神話を利用して栄える仏教側の戦略と定義した108)。上記のよ うな本地垂迹の定義の根底にあるのは国体に外部の思想・宗教を「同化」させ ることは不可能であるとの認識である。本地垂迹の結果、日本には仏教が蔓延

104) 同、24-25頁 105) 同、44頁 106) 同、45頁 107) 同、46-47頁 108) 同、49頁

(28)

し、日本人は「皆此篭絡策に陥て全く仏法三昧」109)となってしまったのだから。

一方で加藤は、日本化したことで仏教が国体を害するには至らなかったとも述 べている。すなわち、加藤における国体とは皇祖皇宗を頂点とした祖先崇拝と それを基礎にした族父統治であり、本地垂迹によって仏教は日本の国体を破壊 することなしに人心の掌握に成功したのである110)

 こうした仏教の隆盛に歯止めをかけたのが江戸期に流行した儒学である。加 藤は儒学を外国由来のものでありながら仏教のような迷信が少ないため、日本 における仏教の排斥と知識進歩に大きく貢献した111)。そして、仏教は当世では 社会の下層にのみ残存しており教育の浸透によって消滅していくだろう。とい うのが加藤の見立てである。

 一方、キリスト教はどうか。加藤の見立ては悲観的である。キリスト教もま た仏教と同様、国家を無味し祖先崇拝を軽んずる。しかも、仏教が日本に同化 して与えたものよりも遥かに大きな害悪をもたらしうる。キリスト教は唯一神 に対する信仰以外認めない。キリスト者は族父統治が前提とする皇祖皇宗と天 皇に対する崇敬を認めることが出来ないのである。国体と同化することはでき ない。すなわち、族父統治と祖先崇拝から成る国体とキリスト教に同化の余地 など存在しないのだ112)。加藤は以下のようにキリスト者が天皇と国体を蔑ろに している例を列挙している。日露戦争の勝利にも繋がった日本の長所とは「族 父統治の国体」であり、日本人が忠愛心に富むことである。キリスト教の唯一 神信仰・コスモポリタニズムはこの国体を破壊する。そして仏教のように棲み 分けることもできない、というのが加藤のキリスト教観である。そもそも、神 なるものは存在が証明されていない。神の科学的証明など「爪の垢ほど」も存 在しないのだから。証明を要しない事実はただ二つ。すなわち、宇宙を支配す る自然法は原因結果の連鎖である因果法であり、日本が有史以来皇室を族父と

109) 同、54頁 110) 同、68頁 111) 同、47頁

(29)

した国体が持続してきた事実である113)。キリスト教はこの国体に対する最強の 敵対者なのだ。加藤の国体は変化することはない静態的なものであり、仏教・

キリスト教などの世界教は国体の破壊要因でしかない。儒学ですら国体に与え る害悪の相対的な低さによって評価されているに過ぎない。

 上述の通り加藤の国体論は国体に対する静態的な定義を伴っていた。国体と は万世一系の族父である天皇が族子である臣民を支配する習俗であり、臣民が 皇室に対して忠愛の感情を持っていることである。このような定義は、皇室に 対する忠君思想と国家に対する愛国心を家族的擬制によって結び付ける「家族 国家」の一種とみなされ、国民道徳論などが前提とするところである114)。しか し、加藤の国体観の特異性にも目を向けるべきであろう。それは、こうした忠 愛の感情が個人の利己心に起因するものであるとした点、115)日本の国体の在り 方が加藤の「進化の階梯」において頂点に位置付けられているわけではない点 である。加藤は歴史主義の立場を取り、各国の国体の相対性を認めていた116)。 その中にあって日本の国体は野蛮未開社会の習俗である族父統治が存続してい る点にその特殊性があった。世界教、中でも今日最大の勢力を誇るキリスト教 はその習俗を破壊するおそれがある。しかし、帝国憲法によって信教の自由は 認められており、布教を妨げることはできない。それ故に加藤は『吾国体と基 督教』の執筆という社会上の手段に訴えたのである117)。『吾国体と基督教』と は加藤による宗教を にした国体論であり、国体擁護のための提言だったので ある。

113) 同、89-90頁

114) 石田雄は「唯物論」と井上らの「観念論」が共に儒学的自然秩序思想を前提と した進化論を抱懐し、「家族国家」的秩序を構築した点に両者の共通点を見出した

(石田雄『明治政治思想史研究』(未來社、1954)78-80頁)

115) 加藤(1906)99頁 116) 同、92頁 117) 同、94-95頁

参照

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