鹿 児 島 女 子 短 期 大 学 紀 要
1993年版第28号 145~1 5 3 頁
E . D i c k i n s o n : T h e r e ' s α c e r t α i n S l α n t o f l i g h ι
における絶望の意味
1 4 5
後 藤 康 文
2ラ
8
T h e r e ' s a c e r t a i n S l a n t o f l i g h t , Winter Afternoons‑
That o p p r e s s e s , l i k e t h e H e f t Of C a t h e d r a l T u n e s
H e a v e n l y Hurt , i t g i v e s u s We c a n f i n d n o s c a r , But i n t e r n a l d i f f e r e n c e , Where t h e Meanings , are‑
None may t e a c h it‑Any ' T i s t h e S e a l Despair‑
An i m p e r i a l a f f l i c t i o n S e n t u s o f t h e A i r
When i t comes , t h e L a n d s c a p e l i s t e n s ‑ Shadows ‑h o l d t h e i r breath‑
When i t g o e s , ' t i s l i k e t h e D i s t a n c e On t h e l o o k o f Death‑
I
この詩は,意味の強調された大文字の語のみに限定してみても,三重母音,長母音が多用されており,
暗く重い感じを与える詩だが,これが不規則な意味のまとまりと,第 3 連に見られる韻律の乱れと重なっ
て,話者の心の動揺と絶望を浮き彫りにする。一般的に意味のまとまりは,連とか,あるいは,全体と
してバランスのとれた行で成されるものだが この詩では第 1 連と第 2 連 1 行目が 1 つのまとまった意
味を構成している。この不規則性は,話者の意識の内にある自然と,現実の自然とのずれによって引き
起こされる話者の驚き,心の動揺を強調するものである。この詩は,強弱調で,基本的には,奇数行が
擬似押韻を踏み 4 詩脚,偶数行が 3 詩脚であり,第 1 ・ 2 連は強音節で終るが,第 3 ・ 4 連の奇数行が
弱音節で終り暗いリズムとなりこの詩の絶望の内容を支えている。第 3 連は 4 行共に 3 詩脚で,奇数行
の擬似押韻もなく,特に,第 3行は 8音節で余剰が 2つあって韻律が乱れ,しかも,いずれも単母音で
ある。これは,追いつめられた話者の絶望の深まりと緊密な関係にあり,意図的に成されたものである。
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鹿 児 島 女 子 短 期 大 学 紀 要 第2 8 号 ( 1 9 9 3 )
こういっ リズム
三うく
仁し一され
あり を「斜めの光」と 具体的には,
κ
,、
ιyくなること
まってヲ;況の m
叶 只n h n r , 1 ‑ た
Zろの?あふ
f タζの午後の ‑ t :
除J 土ぽれのが単ぐ
やプ)ぜγ
立方言'1, ; ろ ; y 一 息 1 ‑ " 1
調イ コ
えるという
る。「天の傷」は死と されないまま,話者はそ
も教えられない」という
ろう。キリスト教信仰者にとっては,死 2 行に見られるように,
けらオしないj と を表 l ,その具体的
x :
乙‑
L第
なのであるが,それ る。また,第 3
てしまい,
中に封じ込められてしまい,絶望に陥るの
スト は?
t :ロマン ら
はある ということは,冬の南
問みに,上 になり,そ
たものでヲ
も拒否されてヲ
も る。かっ としてあったピュ」リタニズム られるであろう。こ
ると言えよう
oR . W. Emerson え方を第 1 連及び、第 2 連 l る拒否となり,これ 日 W.Emerson
L ,ここにも, E . D i c k i n s o n の現代性を見ることができる。
1 I
ること 人 自の中に を合め
る J (T h e r e ' s a c e r t a i n S l a n t o f / Winter A f t e r n o o n s ‑")
カ宝人の心
る物影の長さによって具体的に実感される。これは l つの I~
て,冒頭 2 行には死の くのしかかる( Thato p p r e s s e s , ' 1 . 3 ) の
自然の中
ゐ。
ること
る。故に,
1 4 7 文
慶 f
長 藤D i c k i n s o n : T h e r e ' s a c e r t a i n S l a n t o f における絶禁の意味
というごとになる
o' H e f t '
1 よって
r び)しさを表す。
この死を知らせる「大聖堂の調べ」
されている。つまり, T h e r e ' sa c e r t a i n S l a n t o f の ' t h eH
日f t/ 0 ' 1 C a t h e d r a l T u n e s '
ら は「重さ J
下 予
/ Winter Aft
合r n o o n s . . として
しみカ
ft h eHeft o f C a t h e d r a l T u n e s ' という 1 つの自
えない自 中に人間の このように
自方
ゐ。
る が人の心に重くのしかかる
していると言えよう。また ると そ
的に示さ
i こロマン
、 , . られる。和主はE. Dick
(1)
L M同
つまり、
されたもの。
に反映されていること 当 る
別 人 Em
自r s o n える付!の代理人だと mson
受益
だけでな〈
h p
‑
L入
霊的な
♂は lつの自
えると,冒頭 l行自の L s J
られていると考えられる。
' S l a n t o f 当然のことながら 殺してヲ
J うるわ
いゐ。その上に,
が[ごの上な だという この霊的な
よっても証明される。
このよう
されている。 oxymoronという
これが ' H u r t'という ることになるに W j
れれい同
︑/ 一
下ず
るものごはない。
となり,
い J という oxymoron
ることがで いて聞いること l : しかし
なる。この解釈はキワスト きる。
人れられない解釈となろう。
ることとなり,
のものの衰退
じよし、。
ように地上にいる り立っと思われる。これについては盟
いているということを ことになる。つまりヲ
と,神は人間に死という
したものなのである。死 死の を
でもある。
一られるように,死を知ろうとし,死と格闘し ということになる。しかし,死はキリスト
あり, られる
死は正 オ
し i f ,
もあるという ambivalentな関
さ
jしていることになる。 って,
そ
点である
oると
H u r t ' という oxymoron
られていることになり, H u r t 'に
第
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号( 1 9 9 3 )
鹿児島女子短期大学紀要1 4 8
わされるの ' S l a n t ' という
その準備として
り
えれ と
であるのこ
に見えな ことになる。こ I で述べたように,
3
・4 て ,
となって,
でもある。しかし,こ
る
o 'Slant' ぷ~)' H u r t'に れ ,
ことができょう。また,第 ことができない J という表現の中
たよ与に.
と をつけることになるの
そのもの ってもいいよう
うt
自 る。しかしフ しみを
この i 傷口を で述べた人間と自
L
えるとヲ じているというよう
/ 抗 告
t h e
きるこ ある自
Where t h e J V I e a n 行の 'Wec a n f i n d no s c a r , ' えで
逆に,自然の中に永遠を見ることができなし じるのである。ところで, ' d i f f e r e n c e ' という語は「違い,
t h e r e i s no て 'Wheret h e
できょう。つまり,
いこと にな
あり嗣
されることになる。
からー
る。てコまり,
らくなるの
ミマーし、
る 。
川:)を距離をおい しさへの ' i nt e r n a l d i f お r e n c
記'よ ゐ
ものになってしまってい とっ
自然、の中に いた
1ミ
自 したのに,
中 のも
'Wh
日r e る異和感,あるい
される。 しかし,それでも尚,
に託す話者の a r n b i v a l e n t としてそこにあるという
させてくオ
La r e ‑
T
l 内 凸しJ﹁ し
るかもし;れないという
の中 されて
mいるの治、もしれ
Jない。こ
comma
~ごの間にあ
じられない話者は,
人れる。さでヲ 自然と
こされたものでもある
Q死と
l き によっ ょうとしたキリスト
の中 r :
る。つまり,死 ることはできな した
もそ を
自の 死と
1 は人知の及ぶところではないということ
唯一人キリスト にある
シ
K D i c k i n s o n : T h e r e ' s a c e r t a i n S l a n t o f l i g h t ,における絶望の意味
後 藤 康 文い J ('Nonernay t e a c h i t ')で表される
o" i t ' は霊的な光の代名詞であり, ここで、は死後の永 を示唆する。この行と次行の ζ 8 e a ] 'という語には , The Reuelation John (ヨハネの黙示録
j第 4
ら第 8 章 氏 。 ft h e 8
日a l e d のさき物に施された 7 つの封印の a J l u 8 i o n があると えられる。)
T h e l l 1 saw i n t h e hand o f t h e One who s a t on t h e t h r o n e a i n s i d
日ando u t , and i t was s e a l e d up with s e v e n s e a l s . And I saw a
i n 1 3 l o u d 'Who i s t o open t h e s c r o l l and t o b r e a k i t s s e a l s つ ' T h e r e W 1 3 8 no o n e i n h e a v e n o r on e a r t h o r u n d e r t h e e a r t h a b l e t o open t h e s c r o l l
01'l o o k i n s i d e i t . . (1‑ 節)
8)る部分であり
9その !この巻物を開いて,ぞれを昆ることのできる者は ' N o n e r n a y t e a c h i t と産接関
は,キリストの生涯における 7 つの
と説明している。つまり,上の引用からわかるように,
夫にも地にも地のドにも一人もいなかった j
に Wec a n f i n d no 8 c a r :
を「イメージーシン
昇天,聖霊の降臨を この 7 つ
ところではないということが宇 ' N o n emay t e a c h i t は ' t e a c h 'の 日 それとも, N o n e 'と
‑(誰も
, 1
司Nonemay t e a
じhi t
2 . None may t e a c h i t ‑ ‑
することが』がきる。ヨ A 径の
として入あるいは, 3 . None may t e a c h it‑
いかなるものも)が考えられる。しかし, 3 . の
ヤ コ
られない,
HU
られない ) J という
られないということの繰り返し こ と に な る 。 ま た , を 副 詞 と 考 え 司
6に関しではその他の解釈も可能であろうが, φ 1 となり,強調として
さかも)とするとともできる。
れの人間 を表し, 2 ,は人間はいかなる人であっても教えられないこと ることになる。従ってヲ 2 . の解釈が正しいとすることもできるが,
事それぞれの人間が死生観を自信
の a 1 1 u
吋810
日と 1@ の 戸 , , .
、t h e 8 e a l
を ( ζ ' T j
,s
的
あ
ではどうすることもできないという
すことになる
o' 8 1 1 3 n t '
や' H e a r t ' に内包された生きること
ることになり,話者の生の意味すらも否定されかねないことになる。こ 重いも
たこと
る。この絶望が話者の内面にしっかりと 2 行の「空から送ら
L ,いやしようも
('An a f f l i c t i o n /品目 t1 1 8 o f t h e . A i r ‑ ' )
される。 'には[至高の j とし寸意味があり, ' a f f l i c t i o n ' ( 1苦悩 1 . )を る語であ
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鹿児島女子短期大学紀要i
らo
る もあ 二. o f t h e rank o f . . . supreme r u l e r :…'の意味もあり,
n , L 1 )と同様の意味が内包されており,
と , a f f l i c t i o n ' は oxymoron である。
る神 には と
って,
' [ ‑ I
Uft'がそう る 。
a f f l i c t i o n ' ったようにヲ
して
P既に述べたように,
という
人間o r mi nd ( a s i l l n e s s
01 '
0
' 1 d i s t r e s s o f
6日
f f l i c t i o n 'f
こ‑7‑<..
, ( に よ る
きないという話者の絶望と られて
1
土で 、 き つけ ' i n t e r n a l d i f f
世 間n c e ' I I , 1 . 3 )
つまり,苦悩を りまそれを取り いることになる。こ
なかったという る 。 しい
り出さない限り,
こすしが ' a f f l i c t i o n ' のもう 1 つの意味 i l l n e s s るの
hH ソ
だけでな る。自
る。話者、はヲ
みと同質のものである。
ことになるの く ,
r i a l ' 上に述べたように,神
られている。自らの力で さな
い7 こようしこも
ょうらオし
ヲ ム 凶 円 何
とうながって行くのである。ま f ム
' S e n t u s o f t h e A i r ‑ 'と表現されるの訟である。(空気」は白
に, t h eA i r ' という語を使うことによって,
,それでも れがやって来る
自然への けるのカ τ ' t h
日A i r ' なので
9の媒体 を てくれるかもしれないという
l:!c'
ここでは霊的な
い り
f
と
中る。ワまり"
る。さて,
('When i t com
日s , t h e されている。これは,
をそば立て,
/ Shadows'‑h o l d t h e i r b r e a t h ‑ ')では,白 l i s t
白死と 一切のも
となって,つまり,
る。もっとも,自 え方が基本にあるからである。
る
されるのは,
と,詩ーをそば立て,
と同じで しかし,自然は,ここでは,
されてはいない。ところで, Wheni t comes , られなければならない はこの詩の冒頭程
a c e r t a i n S l a n t o f ありヲ村!
の ' i t ' は
は , 'We c a n f i n d no 8 c a 1 ' , ' I T , Ll)
狂
u r t
Jられる。
しなければならないのに,
刊 日
ことのできない白 その としての ' s c a r
喝をそれ
ら な く な っ て し ま っ て い と同じように, I 耳をそ
苦 ? て
自
ことになる。つま L
,
L ,羽見 r l . していること をそば立てる J という
し
ζ一一
,g()
、
ら として開き
よる,
生を
L 〆かなく,
る為 と る 。
れる。ま t:~t
たいという
hリ