日本および日本人 : 外からのまなざし
著者 金 禹昌, モネ リヴィア, モスク カール, シコ ラ ヤン, 鶴田 欣也
会議概要(会議名, 開催地, 会期, 主催 者等)
会議名: 日文研フォーラム, 開催地: 国際日本文化 研究センター 日文研ホール, 会期: 1997年11月11 日, 主催者: 国際日本文化研究センター
ページ 1‑75
発行年 1998‑03‑31
シリーズ 日文研フォーラム ; 101
URL http://doi.org/10.15055/00005702
第101回 日 文 研 フ ォ ー ラ ム
■
パ ネ ル デ ィ ス カ ッ シ ョン
日本 および日本人 一 外か らのまなざ し
■
国 際 日本 文 化 研 究 セ ン タ ー
日文研フォーラムは︑国際日本文化研究センターの創設にあたり︑
一九八七年に開設された事業の一つであります︒その主な目的は海外
の日本研究者と日本の研究者との交流を促進することにあります︒
研究という人間の営みは︑フォーマルな活動のみで成り立っている
わけではなく︑たまたま顔を出した会や︑お茶を飲みながらの議論や
情報交換などが貴重な契機になることがしばしばあります︒このフォー
ラムはそのような契機を生み出すことを願い︑様々な研究者が自由な
テーマで話が出来るように︑文字どおりインフォーマルな﹁広場﹂を
提供しようとするものです︒
このフォーラムの報告書の公刊を機として︑皆様の日文研フォーラ
ムへのご理解が深まりますことを祈念いたしております︒
国際日本文化研究センター
所長河合隼雄
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● パ ネ ル デ ィ ス カ ッ シ ョ ン ●
「日本 および 日本 人 一外 か らの まな ざ し」
● 発 表 者 ●
金 禹 昌 (驪 大 学KimUchan.鰓)
リヴ ィ ァ モ ネ LiviaMonnet
(モ ン トリオ ー ル大 学 準 教 授 ・ス イ ス) カ ー ル モ ス ク
CarlMosk
(ヴ ィク トリア大 学 教 授 ・ア メ リカ) ヤ ン シ コ ラ
JanSykora
(カ レル大 学 助 教 授 ・チ ェ コ) 鶴 田 欣 也 KinyaTsuruta
(ブ リテ ィ ッシ ュ コロ ン ビア大 学 教 授 ・カ ナ ダ) コー デ ィネ ー タ:井 上 章 一 助 教 授 コメ ンテ ー ター:稲 賀 繁 美 助 教 授
司 会:千 田 稔 教 授
1997年11月11日(火)
○司会:千田稔教授
ようこそお越し頂きました︒秋も深まって参りましたが︑今日︑第一〇一回の
日文研フォーラムを開くことになりましたが︑実は︑国際日本文化研究センター
が開設されて以来︑大体月に一回ずつ日文研フォーラムというものを続けて参り
ましたが︑先月でちょうど一〇〇回を迎えました︒で︑今日一〇一回記念のフォー
ラムを開きたいということで︑会場を日文研に移して行うことに致しました︒い
ままでずっと京都の市内にございます国際交流基金の施設を利用させて頂いてい
たわけですが︑今回︑記念ということで︑どういうことをやろうかということで︑
我々︑色々と相談したわけですが︑日文研にお見えになっていらっしゃいます外
国からの客員の先生方をパネラーとしてパネルディスカッションを開こうじゃな
いか︑ということで︑今日︑﹃日本及び日本人1外からのまなざし﹄という︑こう
いうテーマで先生方から忌憚のないご意見を頂こうということになりました︒ど
うぞだいたい四時頃まででございますが︑お楽しみ頂きたいと思います︒
時間もあまりございませんので︑さっそく始めたいと思いますが︑最初に私か
ら今日のパネリストの先生方或いは︑日文研のコーディネーター・コメンテーター
をやって頂く先生方をご紹介したいと思います︒まず︑パネリストの先生からご
紹介したいとおもいますので︑先生方順番に上にお上り頂きたいと思います︒高
麗大学校文科大学教授の金禹昌先生です︑どうぞ︒続きましてモントリオール大
学準教授のリヴィア・モネ先生です︑どうぞ︒続きましてヴィクトリァ大学教授
のカール・モスク先生です︒続きましてカレル大学助教授のヤン・シコラ先生で
す︒続きましてブリティッシュコロンビア大学教授の鶴田欣也先生です︒宜しく︒
今日のパネルディスカッションのコ!ディネーターを勤めて頂きます国際日本
文化研究センター助教授の井上先生です︒それから今日のコメンテーターをやっ
て頂きます国際日本文化研究センター助教授の稲賀先生です︒以上ご紹介させて
頂きました先生方によってこれからパネルディスカッションが行われますが︑ど
のような結末になるか私すら予想できないのでありますが︑その結末を皆さんと
ご一緒に楽しみたいと思います︑じゃ井上先生︑どうぞ宜しくお願いします︒
○井上章一助教授
では︑いまから四時頃までおつきあい下さいませ︒外からのまなざしというこ
となのですが︑まず︑自分のことを話さして頂きます︒若い頃に宮方の霊柩車の
研究ということを心がけたことがありました︒和風のお御輿になっている霊柩車
です︒なぜそんなことを始めたかといいますと︑留学生の方からあれは一体何だ
というふうに尋ねられた時に︑ああ外国の方にはこれは珍しいんだな︑それで気
になって聞くと︑あんな車世界中で見た事がないというふうに言わはる方が多く
て︑それでは世界に類例を見ないあの自動車は誰がどんなふうにして考えたのか
というのが日本文化論になると思った事がありました︒外からのまなざしが研究
の材料になったというのが私の実感です︒今日もなんかそんなヒントが沢山転がっ
ているんではないかと期待しております︒私の長話はここら辺でよします︒それ
ぞれの方に手短に日本について︑私達が多分気がつかないようなことを色々ご報
告頂けると思います︒先ず金先生からお願いします︒有難うございました︒
★金禹昌先生
私はこんなに公の場所で日本語で話すのはこれが初めてでどうも恐れ入ります︒
日本語がどうも下手でこれではどうか私の話す事が理解出来るかちょっと恐れ入
りますが︑我慢して下さるようお願いします︒
アメリカの日本文学者でトーマス・ライマーという人がおりますが︑彼が日本
語を知る方法についてあるビジネスマンの話を引用してこう言っているところが
あります︒日本のビジネスの働きを知りたいなら︑企業運営の秘訣に対するいろ
んな本を読むよりは︑むしろ俳句や︑現代小説や︑源氏物語を読むのが良い︒そ
んなことを言っています︒さあ︑そうでしょうかね︒なんかの国に一番多くのこ
とを教えてくれるのは︑私の考えでは︑経済指標じゃないかと思います︒私の体
験では私の国︑韓国と同じ経済的水準を持っている国は︑その生活の質において
ほぼ韓国と同じではないかという経験をしました︒多くの社会学者は日本がナン
バーワンと言っていますが︑これは日本に対する最も重要な事実であります︒
社会学者︑科学者でなく人文学者は何を知ることが出来ましょうか︒彼らは観
光客のようにただ︑目と耳を持っているだけですから︑さあ︑何を知ることが出
来ますでしょうかね︒昔のフランスにフォントネールという人がおりますが︑そ
の人は目に見えるのを疑い始あるのが科学の始めと言いました︒それで観光客が
目で見るのを︑それをそのまま受け取っていいかどうか知りませんが︑日本でもっ
とも目立つのは︑日本が綺麗で美しい国ということです︒随分前のことですが日
本語を勉強する韓国の学生らの修学旅行の面倒を見ていた私の大学のある教授に︑
学生らが日本で持って帰る印象はどんなものですかと聞いたことがあります︒彼
の答えは簡単です︒それは︑親切・清潔・正直の三つのことだと言っていました︒
この学生らが受けていた反日教育を考えてみれば︑これは驚くべき答えと思いま
す︒旅人は幼児と同じですから地元の人の親切な案内︑衛生的な環境︑正直な情
報と商品の取引︒こんなものが必要です︒これは今は随分と違ってきたんですが︑
昔は道行く人に︑旅人に対する人情の厚さが最も重要であったと言えましょう︒
また︑人間は皆旅をする人たち︑フランスの哲学者マルセールの言葉でホモビワ
トールですから︑これは不変的な人間意識そんなものにも関わっていると思いま
す︒親切と正直は道徳の問題であるし︑社会秩序の問題であります︒日本は秩序
がある社会です︒
これが日本の特徴でないかと思いますが︑それはこの秩序がかくばった形でな
く優しい形で実施されていることではないかと私は思っています︒それで︑礼儀
とマナーが最も大事なことになります︒丁寧な礼儀が日本で人との関係を調整す
る基本的なメカニズムになっているのではないかと思っています︒礼儀正しい社
会は気持ちよい社会ですが︑でも礼儀は社会を狭苦しくする所も有ると思います︒
最近私はアメリカの哲学者フィンガレットという人がハンドシェイキングについ
て何か書いたのを読んだことがありますが︑これは極めて単純な日常的な事なが
ら︑バレエのパ・ディ・ドゥ︑二人で踊る踊りのようにどうも細かい感覚を必要
とするものであると彼は言っています︒例えば︑二人の手が同時に前に出てこな
ければならないですから︑それは絶妙なタイミングが必要です︒礼儀の外面的表
現としてのマナーは︑地元の人には自然的でも︑よその人には学びにくいもので
す︒この礼儀がどの社会でも重要ですが︑この日本では最も重要なものではない
かと考えます︒ついでながら日本人は例えば韓国人に比べて︑余り握手をしない
人たちのようですね︒礼儀は自然で美しい物ですが︑それなりの規律と緊張を伴
うものです︒
その優しい真ん中に何か秩序と規律が隠れている︒そんなものと思います︒礼
儀が秩序の一部というのは日本の綺麗な所でも見えますが︑汚い所でももっとはっ
きりするのではないかと思います︒大阪関西空港から京都に来るには︑大阪周辺
の都市地帯を通じて来なければならないですが︑そこには汚いとしか話が出来な
いそんな家がありますね︒これが先進国の日本としてはちょっとふさわしくない
と見えるところです︒この狭い︑汚いと見える︑そんな家は先進国の腐敗した都
心というよりは︑第三世界のスラムの様な印象を与えるのですが︑注意して見た
らこの狭い家も狭い通りもみんな真っ直ぐに揃っているのを見いだす事が出来ま
す︒町の中に入ってみたら確かに丁寧な生活が営まれていると思います︒狭いと
ころ大勢の人が群がる場所こそ︑秩序が必要で礼儀が必要であるんじゃないかと
思います︒
自分の境界をよく知って︑他人の領分を侵さないこと︑これが狭いところで一
番大事と思います︒礼儀はこの狭いところの生き方のメカニズムでありながら︑
これを美しいものにアウフヘベン︑ドイッ語で言ってアウフヘベンしたそんなも
のじゃないかと思っています︒日本では大体自分の領分を守るのが重要に思われ