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技術科教育に関する創造性陶治とその方法

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

技術科教育に関する創造性陶治とその方法

著者 奥谷 多作

雑誌名 奈良学芸大学教育研究所紀要

巻 1

ページ 63‑69

発行年 1965‑03‑30

URL http://hdl.handle.net/10105/6099

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技術科教育に関する創造性陶冶とその方法 典 谷 多 作

I 技術科教育の位置づけ

技術科教育の出発点でまず確認しておかなけれぱならないことは、一体、技術科教育一(い わゆる科学教育、技術教育、技能教育と呼ばれるものから区別する意味で中学校の教科目に基い       ①

て論じ、アメリカにおける醐鵬廿iaユ価t8科等に例を求めることができるもので、実際には従 来の教科目工作と、㎜一、。。航、⑪蜘納品おい÷職業の_郡が現在の技術科学習指導要由

に示されている)一一に哲学的論選牲が存在するかという素朴な貧聞でありましょう。

 しか」すでに我々は技術科教育の発展吏を貫いてその基礎に興味ある哲学を見出していまし た9「我々は常に技術科教育の基礎的な論理をもっていた、技術科教育は新しい分室であると考 えがちで赤るがそうではない、技術科教育は、すでに幾千年ものアカデミックな教育に先立って いたのであるが、後に学校教育(時㎜ユs曲。oユ前uo航i㎝〕と一呼ばれるものの一部にならなか

ったまでである」と確固た一る見透しに立ってこれに答えられるので赤る。こうして、幾世紀にわ たって、学校教育の片すみで着々と実縷をつみ重ねて衆た技術科教育は、いかなる教育観の展開 のなかに求めたらよいで糸ろうか、私は人間形成における技術的創造個性σ)教育の哲学的実践の 出発点を求め、主婁な哲学の類形について次のような視点をおいて考察してみました票

 11〕「経験の哲掌」に指導一さ切ご教育観、技術科教育の中核を生命的存在としての人間の育成にも   とめる教育観で、具体的には成長する児童の先験的技術内容から出発した指導方法をとり、

  レディネス、材料・用具の低航等を成長者の発達段階に応じた指導をしようとする教育観で

  ある。

 ② 「体験の哲学」に指導さオ次教育観、技術科教育の中核を精神的存在としての人間の陶治に   もとめる教育観で、実践的な教材内容からの効果を精神陶治の方向で期待するものであり、

       ⑤

  新しい意味での「クラフトマンシップ」が現代の技術創造において重要であり、昔通教育の   場にそれを 精神陶冶として導こうとする教育観である。

 13〕「実存の哲学」に指導された教育観、技術科教育の中核を人間的存在としての人間の覚醒に   もとめる教育観で、人間が本来rホモ・ファーベル」⑥(工俵入)としての資質を持つもの

  である所を学校教書の坤で自覚させ、調和のとれた人聞椌を期待 しつつ人格形成に児童自ら   意識させようとする教育観である。

       一53一

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 14ジ「新しい哲学」を期待した教奇観・技術教育の本質を、人間の社会的、文化的形成としてと   らえる教育観で、この教科の歴史が過去幾度も歪められて来た苦い経験から、それらを乗り   越えて行ける哲学が新らたに求められている。それは・入間の歴史的形成の哲掌が技術的創   造個性の教育になんらかの秩序を規っけだそうとする方向で努力がされている。

 ここで、はい2い31の教育観を見るとき、それぞれの視点から技術科教育の重婁な一面をとら えている。また、それらはお互にちがった面をもっているが、.次の点で共通すると考えられる。

(刈 この教育観において指導され、陶治され、目覚めさせられるのは、自分で経験し、体験し、

  内面的に働きかける人間個々であり、そこでは、このような「入間的主体」の他者による働   きかけを介しての「自己教育」が、技術科教育の軸とされている。

悼)しかし、この教育観を原理づけている。経験 体験一実存の教育哲学だけでは、人間的圭   体の自己教育の媒介となる。他者による教育が実践される窒間と時間が十分につかまえられ   .ない、勅…ある。そ土で第4の教育観はこの、正に「歴史的社会」を本質的につかまえた上に   成立するのである。そこには、文明論、技術論、技術史的方法が教育観に影響をあたえて行   く分野であることが想像され、新しい哲学に指導された技術科教育観のイメージを見ること       ⑦

  ができる。

       皿 人間的主体と歴史的社会の展開

 教育観の形成にさいしこの人間的主体と、歴史的社会のいずれかを主とするか、二つの見方が 考えられるが、今日の技術科教書を念頭に置く限り、両者は二者択一の開係にあるのでなく、】

元的、有機的に綜合されたものでなくてはたらない。人間的主体性の確立が創造的個性の陶治を 必要とするとき、技術的創造への人間的主体の時間・空間的位置は、歴史的社会においていかな る方法で規定されてくるかを考察するとき、次のような論理で二者が綜合された形での「技術文 明」と想定するところから出発するのが妥当であろう。

 広い生物学的水準におかれて眺められるならぱ、人間は動物の一種属であるにすぎず、停かの

どの動物たちもその生活活動は自然のなかにはめこまれており、自然から脱出してしまうことは

ない。これに対して人間は、自分達の環境を、自分達のために、自分達のカで作りだして、自然

そのものから生活空間を区劃している。つきつめれば、その生活も地表の物質的諸条件に制約さ

れ、自然の法則の支配を受けているが、それにもかかわらず長い歴史的進歩のなかで巨然に相い

対し、働きかけ、それを改造しながら新しい生活を築きあげるにいたり、二の新しい独自の環境

      ⑥ をここで技術的文明の創造とよぷことにしよう。文明とは、技術や、科学や、計画化を支える人

間の合理的思考の発展と結びついている概念であり、比較的にいって、外面的な形象や様式を作

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り出してゆく面での生活活動の過程であって、これは普遍的な入間精神の働きをなかだちとする ものであるから、出生の時と、所を異にする値々の文明もついは、人類文明という一元的な過程 へ流れ込み、必然的に統合されてゆくことに欣る。ここで教育の場における人間と社会との関係 が、文明論の方法を借りて示されてくるわけで、普遍的人間牲という言葉に当る人間的主体が、

人類文明という歴史的社会への一元化の模式的な例を見出すことができる。人類文明は、また技 術文明の創造という発展過程に属して現に進行中であり、技術科教育というしぽられた次元で考 えるならば、それは、人間的主体が、技術的文明という他者による環境を乗り越えて、自己教育 を実践し、その媒介である技術明文明をも殴収してしまう課程と似ているといえる。技術を手段 として自己教育を実践し、手段である技術内容をも終局白句には目的であったかのように綜合しよ うとするものである。人類文明にまで綜合された人間的主体と準史的社会は、一陣とのように進        ⑨

歩・発達の課程をとるので赤ろうか。マンハイムは、入間の知能的活動の歴史を三つの基太的撃 階に分けている。第】に、人間の思考の原始的形式は動物にも芽生えている察践的知能につなが るもので、試行錯誤からみちびきだされた偶然的「発見」(曲釦CθaiSC◎鴨町)で在って、あ る個人や集団が多くの一可能惟のうもから、与えられた反応形式を偶然に発見することであり、こ の場合に思考の仕事といえば、そこで発見された正しい解決法を「言己憶」することだけであり、

食料の拾集、狩猟、漁瀞の原始的段階での社会生活の水準を表わしている。

 人間の発達でいえば幼児期から小年前期の段躍に相当する。こ舳こ対してそうした単純な社会 生活の中で、それまで無意識に作り出されていた素朴な遺臭や制度、方法を意図的に変化させ、

特歓な目標に向けて活用するにいたったとき人問は歴史上の新しく段階に踏ふ入っ牟ことになる。

第二に、それは偶然の発.見に対して「発明」(i卿㎝ti口g)の時代と名づけられる。

 三の水準では、人問は「一定の目標」を想定し、その目標の立場から一定の方法で一定の期間 にわたり自己の港動幸配分する。あるいはそうい方法を前もって案出するのである。ただし、こ の段階では自分が直接に着手した仕事だけ没頭し、その仕事を 晋贋分として、含んでいる全体は 考慮のなかに入ってこない。あらゆる技術の発展はこの思考型によって作り出されてきたし、こ れまで史上に現われた翻度や結社もこの思考形式によって案出され設立されてきたといえる。こ の「発明」という発展段階における歴史的諸事件は自然淘汰と意識的に形成された諸制度との特 殊な混合物である。マンハイムによれば、今日なを我々はだいたいまだ「発明jの段階に低楓し

ている。しかし同時に、きわめて複雑な社会過程のためひき起されて・いる大規模な緊張は我々と してしだいに他の段階に移行させつつある。それは単一な事物や徽愛を熟慮的に「発明」する段 階から、これらの事物間の関係を意図的に規制し、知的に支配する段階へ進んで行くことになる。

第三に、新しく開かれてきた段階は「喬十画」(P1鋤姐昭〕の時代とよぱれるもので、これまで

       一65一

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の多くの無意図な因果作用によって支配されて、あっれきや競争や淘汰にまかされていたそれら の既存の関係を、はっきりした「全体的統合」の見地から規制し、複雑な1き士:会過程の全有機体を 鄭こ有効な決定的立場から制御できる。そういう新しい思考方法とそれを繁現する行動方式とが 最近になって開発されてきたのである。自然淘汰の競争過程で非合埋に働いていたカは、規制的 干渉によって意識的に統制され、将1宋への正しい予見に基づく計画が実施されてゆくことになる。

単なる技術の進歩でなく、その成果を綜合的に結び合わせて生かし、生かされた業績に基づいて さらに次の段階へ技術の進歩が許られていくとい㌔この手続きこそ「計画」の時代における技 術や生活の特娃で、技術科教育の内容としての技術においてもこの点を主張したい。思考史的に 見て、未来を正しく先取し、その実現の合理的方法を案出できるような効力が開発されてきたと き、技術釣文明の合理的な腸コ足である創造も可能になってきたのである。こうしたマンハイムの 解釈こそ、私が主題として論じている新しい技術科教育の成立する歴史的社会の本質を、思考更 からの接近により実証的に把握したものであると信じているわけである。次に、こうした外なる 歴史的社会での技術的文明社会の灘造課程と、内なる人間的主体での創造の課程との収欽として 技術科教育が成立するという立場で考察しよう。

皿 再構成される創造課程としての技術科教育

 ここで人間的主体における自己教育の方法について、それが今日我々をつつむ「計爾」の時代 への突入という方向で考えるとき、技術科教育の内容での人間的主体慌は創造性とまったく同義 のものであり、創造能力の陶冶として歴史的社会すなわも技術的文明の見透しの上に立脚しなけれ ばならないことも当然である。この創造能力、構想力とはいかなる課程をもって我々人間として        ⑩ の成長発達のうえにかかわりあってくるかを見きわめるとき、三木清の「構想カの論理」」では つぎのようにいわれている。「構想力の論理によって、私が考えようとするのは、行為の哲学で ある。構想カといえば・…従来、観想の立場において考えられた、今、私は、その制限から解放 して、構想カを行為一般に関係づける。その場合、大切なことは、行為を従来の主観主義的観念 論における如く、抽象的に意志のこととしてでなく、ものを作ることとして理解するということ

.である。すべての行為は、広い意味においてものを作るという、すなわち制作の意味を有してい る。構想力の論理は、そのような制作の論埋である」と、構想カにおける表現性に論及している。

そこでは、構想カは制作という創造的行為を含み、この言葉は、その結果出来たもの、つまり所 産を外面的にいうのでなく、課程の性質をいうものとされる。さら1と、所産を一応度外祝してか

ら、「創造のポテンシャル」という考又をふくめて創造性といっている。こうした考えは、たと       ⑪

えばローエンフェルトのようにすぺての入間は創造のポテンシャルを持つといい、また、絵画な

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ら絵を描く経験は、人格の形成、科学の発展のような他の創造の分野においても貢献するといっ て、一般的な創造性を主張するときにきわめてふさわしい創造桂の概念を提供している。創造の 過程から、技術的文明の発展はいわゆる発明の時代から、言十画の時代へ必然的に指向する時点に たっことがわかってきた川その創革の過程は、技術的文明の中に生きている人間的主体にどの ような役割をはたし、また、人間的主体は技術的文明いかなる期待をよせているだろうかが問題 そある。その前に次あ点に注目してみ・よう。人間の知能活動の発展が、発見の時代から発明の時 代へ進む過程で、人が表現の合理的な使用法を学びとったことである。表現能力は人間に、現実 から離れて過去と未来とへ働きかけるカを獲得させたがp始めのうち人間はそのカを意識的に現 実へ再構成することができなかった、表現の神話的で詩的な機能は、表現の合理的で実用的な使 用より先んじて行なわれたのである。つまり、ここに鼓撤こ先立つ芸術の位置が想起されてくる のである。近代に入ってからの人聞活動は合理化の不断の推進という蹴こ方向づけられていたが、

科学と技術との急激な発達はr芸術がもっている人間的主体性に根ざした機能を忘却させ、芸術 を文化の消極的な一部門へ遣い落とそうとしている。我々がこうした技術主義そマシニズム)の 過度に進行をただすため回復しなければならない人間約主体の教育とは、もちろん現在の技術的 文明の他の諸機能と緊密に溶けあって、時代的に限られた意味を担わされている実践的活動でな

くてはたらない。その基底に横たわっているものは人間性の源となる思考活動であり、それは、

表現化と入間愛を可能にする創造的構想カである。表現化からは人間特有の精神的理解への橋が かけられるし、人間愛は寛容と全体的展望への通路を開くことになる。創造的構想カはこうして 人間性の柔かさを保証する唯一の能力なのである。この論議は必然鉤に、このカを時代的所産と

しての新しい領域へ向けることにたる。構想カの実践的表現であるデザインのうも、プロダクト・

デザイン(榊。舳。・、。)の頷轟想起されペロダクト.デザインはその制作課程を引

き合いに出されて技術科教育の内容に含まれるが、実際にはその真の意味が理解されていないき らいがある。デザインとはその制作課程を一表わしている言葉であって、その結果である外面的評 価に理由ずけられた緒論を出されることがあるが、それは正しくない。スタイリングや、オーナ メントとしてその結果だけからデザインは問題にならないはずである。プロダクト・デザインの 制作過愚、①目的、条件を確認する。②目的、条件,こ関する猟脱⑥資料牧集一④新ら

しい組合せr⑤問題の発酵、⑥しほられた中から一つを選ぶ、⑦形鯉の最終的実成、・⑧表示する、

という段階であり、またこの課程は掌習指導におけるプロジェクト法に類似し、技術科教育の内 容としての各プロジェクトもこの課程を経て、考案設計されたブロダク、・デザインを、木材、

金属等素材の上に転化して行く課程において、素材の加工技術と機能・機構の綜合された実践と

して、現代技術的文明を理解し、参加して行く教育に再構成されるべきであると信じます。現在

       一 一

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の技術科教育のものを作ることによって考えるという領域が、単なる材料加工、材料を削る、切 断する、細かくする等の材料を変形させればよい。材料を加工することだけが目的とされ、そこ には材料を組立て、あるいは再構賦し人間的目的、人間生活へ向って完成して行二うとするもの がない、人間の玉体性たる、創造的構想力の発露たる実践活動からはなれて行くことを指適でき る。そこには「発見」と「記憶」だけが存在している。「一定の目標」を想定してそれに設頭し

「発明」である新しい組立て、構成方法を見出そうとする態度や、完成へ向い「全体的統合」を

「計画」し、完成後の処置へも配慮していく能度からほど遠くなって行く。他者からの働きかけ 一先生の講述、材料の変形・刀口工で発見したことを単に言己憶にとどめればよいことにもなる。し

かし、この不毛の加工主義教育が含まれている技術科教育は、現在という時点で行なわれている のであって、前に述べたように「発明」の時代から「言十圃」の時代へ指向している現代技術的文 明との閥に大きな隔たりがあること季 、我々技術科教育に携わるものとして太いに反省してみる 必要がある。この間際を埋めずに、技術科教育が、今世紀の二つの世界的危機を契機として、一 甑強制的に変革を鮒まま琳晶、雛(それは王点在も急速手こ進行している)で進めて池

くことしたら、その目前には人間的主体を失った、加工機械人形、ロボットが立ちはだかること

になるであろう。

1V   結 語

 ◎技術科教育において陶治されるのは、自分で経験し、体験し、内面的に働きかける入間個々 の表理,を通じて構想カが再構成されて行く課程である。◎この課程は、それを実践する人間的主 体の発達段階と並行しなければ布らない。◎この課程は、それが実践される歴史的社会の発展段 階と並行しなければならない。◎現在という歴史的社会における人間的主体牲は、創造的構想カ であり、いつも全体を準拠枠としながら部分へ判断を加える能力であり、過去の経験と未来への 洞察をたえず補正要因としてとり入れながら現在を表現してゆく態度である。◎この態度は、プ ロジェクト法の課程、プロダク トデザインの制作課程に二合まれるものであり、人間的主体性で ある創造的構成力が表現され、人類文明の中での技術的文明への接近が計られる。◎技術科教育 は、ものを作ることを媒介として、先験的技術個性を再構成し、人類を見通した人間愛を培うも

のである。

 (証〕

①小林達夫:インダストリアル・アーツ教育の方法」(教商学研究、第25巻第4号)

 奥谷多作:アメリカにおける技術科教育の動向(秦良学芸人事.教育研究所報 1964.5)

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②佐藤三郎:コナント報告と技術教育(大阪市立大学入文研究 第11巻第I号)

③跡d加・具A:α evoユVi㎎典ユ。o皿yofI楓流tiaユ航s(工.へ&.叉旦賜y工950)

④森  昭:試案としての教育哲学(教育学研究 第2倦第2号)

⑤山田圭一:現代技術論一現代技術と人間的状況一(朝倉書店 1964)

⑥フエルトハイマー:生産的思考(岩波現代叢書 矢田部達郎訳)

⑦奥谷多作:技術科教育におけるプロダクトデザインの硫究(デザイン学会第10回大会薇突発表・

      梗概集 1963年)

⑥マンプオード・L:変貌する人聞(柔術出版社瀬木慎一訳  1957)

⑨瓦M鋤血θ並 :・変革期における人間と社会(胞n触SOciθtyin㎜招θOf臨。O鵬帆。tiOへ   福武 直訳  1940)みすず書房)

⑳三木清:構想カの論理(岩波警店 1946)

⑬功岨馳fθユむY:児童美術と角蛤性(美術出版社水沢考策訳 1960・吐θ帥iuθaoti抗ty          1938 )

⑫松原郁二:造形創造港動におけるプロダクトデザインの特質(東京教育大事教育掌部紀要第9       巻 1963)

⑬同前:耳 197

⑭山脇巖:バウハウス三遷の言己録とその文献(思想、署波書店κ476.1964.2)

⑮章谷晴夫:スミス・ヒューズ法の史的考察(教育学研究第27巻第I号)

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参照

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(3)学習目標 ・ 課題について興味・関心を持ち,意欲的に学習に 取り組むことができる。 【関心・意欲・態度】

微粒子化をいくつか視点からこうして、整理し、

2

こうした時代背景の中で,1917

11)文部省(1997)中学校才支術・家庭指導嚢料 問題解決能力の育成を目指す学習指導の展開

著書「創造性の開発12)(Professional Creativity)」の中