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駒澤短期大學佛教論集 3 014池田 道浩「依他起性,雑染,清浄」

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(1)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 駒 澤 短期 大 學佛教 論 集 第

3

號 

1997

10

月 (

19

依 他

雑 染

清 浄

1

  は じめ に

 

史以

思 想 ・

宗教

・文

とい っ た人 間の あ らゆ る 自 己表 現の 営み に お い て 何 らか の ー ゼ が一

して

継続 的

張され

けた とい

こ とが も し

在す るな らば, そ れ は ほ とん ど

な出

来事

では ない か と

筆者

えてい る。 一 人 間 が 手 を替 え品 を替 え, 自分 自身の 見解 を繰 り返 し表明するこ とは珍 しくはない 。 しか

, 人 間 を超 えた

史の

で は, た とえ 同 一

使

用 され て も,

がたつ につ て, 残 念 なが らその 内

は大 き く異 なるこ との 方が

い よ

に思わ れ るの である。

 

三性 説は

派の

代 表的思想

の一つ 。 こ の 三性 説 とい

う見解

も瑜伽行 派の

に おい て は

し も貫 し

され て お

変化 を遂

げて い るの で は ない か とい

のが

者の基

本的見解

る。

 

本 稿は, 三性 説の構 造 的 変化につ い て,

雑染

と清 浄 とい

観 点か ら若 干考

を行

もの である。

II

  問題の 所 在

 

以下 の 二 つ は い

れ も

清 浄 とが

さ れ る を根 拠依 他 起 性

論証

し よ

述である。

 

は 『

辺分

別論

』,

 

は 『顕 揚

教 論 』 で

る。

  

  artha −satvatma ・vijfiapti ・

pratibhasam

 

prajayate

  

vijfianapa  nasti  casyftrthas  

tad

−abhavat  

tad

 apy  asat //

1

3

abhutaparikalpatva siddham  asya  

bhavaty

 atah

na 

tatha

 sarvvatha

bhav

t

(2)

20

) 依 他 起 性, 雑染, 清 浄

池田)

yasman

 na  

tatha

’sya  

bhavo

 

yath

亘 

pratibhasa

 utpadyate /na  ca sarvvatha  

bhavo

bhranti

matrasy6tptidat

kim

artha

punas

 

tasyabhava

 eva  ne $

yate

yas

mat /

  

tat

k

爭ayan  muktir  

iSyate

//

1

4

anyatha  na  

bandho

 na  mok 爭ah  

prasidhyed

 

iti

 sa卑

kle

§a−vyavadanapavada −

do

§asyat /(

Madhya

’ntavibhtrga −

bha

ya

, 

N

 agao  ed . 

pp

18

19

   

対象と して有情と して我 と して識 別 と して顕現 した識が生 じ る。 しか し, そ

  

四つ の

対象は存 在 しない つ の 対 象)が存在 しない か     ら そ れ (識)も存在 しない

1

3

   

そ れ故に, そ れ (識 )が虚妄分別で あ るこ と が成立す る。 なぜ な ら,

識 は]

  

その ま ま であるの で はな く, まっ た く存在 し ない の で もない か らで ある。

 

なぜ な ら, そ れ (識)は顕現 し て い るその 通 りに は存 在 し ない か らで あ る。 ま た, (識 は)まっ た く存在し ない わけで はな く, 単な る迷 乱だけは生 じて い か らで あ る。  では なぜ 「 それは存在 しない に他な ら ない 」 と認め ない の か。 な ぜ な ら,

   

そ れ

識)の に よっ て解 脱が あ ると認め られ る。 (

1

4

) そうで ない な ら, 束縛 も無 く, 解脱 も成立 し ない で あ ろう。 即 ち, 雑 染 と清浄と を損減 する過失 となる であ ろう。 1)

 

prajfiapteh

 sanimittatvad  anyatha  

dvayana

§atah /

samkle §asy6palabdhe § ca  

paratantrfistita

 mata //

      

(『顕 揚 聖 教 論 』 「成 無 生 品」 第十偈2 ))

 

仮設は因相 を もつ か ら, こ れ と異なっ て は二 3) か ら , 雑染が得 ら れ るか  ら, 依 他起 は存 在する と 認 め られる。

 

中辺 分 別 論 』 と

 

『顕 揚聖

論』 とを比 較 す る と

 

に は 「清浄」 の 言葉は な い が, こ こ で はあ ま り問題で は な い れ る なぜ な ら同 じく無

4)の 『摂

乗 論』

II

25

に も同

の 議 論が

り, そこ で は 「清 浄 」 の 言 葉 も使わ れ てい るか らで ある。 も し, 顕 現 して い る通 りに存在 しない とする な ら, 依他起性は あ らゆ る場合 に存 在 しない とい うこ とに どう してな らない の か。 そ れ

依 他起 性)が存在 しない な ら ば, 円 成 実 性は存在せ ず, 一 存在 て しま 。 ど うして その よ うに な らない のか とい え ば, 依他起 性 と円成 実 性 とが 存在 しない こ と になれ ば,

241

(3)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty

      

依 他 起 性, 雑染, 清 浄

池 田

染 と清 浄 とが 存 在 し ない う過 失 て し ま 。 (

21

) し か し, 雑染 と清

 

浄 と は把 握 さ れ る。 そ れ故に, 一切 が存 在 しな の で 。 こ の こ とに つ い て 偈  が あ る。      依 他 起 と円成 実 と が あ らゆ る場 合 に存在 し ない の な ら ば, 雑染 と清 浄 もい か な       る場 合に も存 在 しない こ と に な る5) 。

 

こ の

 

 

記述

は両

も依他起

性の 存 在 を

証 しよ

と して い だ が 私見に よれ ば, この 二つ の 記述 の 内容は大 き く異 なっ て い る と思われるの で あ る6) 。

III

三 性 説の 構 造  三性 説の構 造 を判 断す る場 合, 何 よ り も重 要 なの は依 他 起 性 と円成 実 性 との 関 係で はない か と筆 者は考 える。 つ ま り 「

起性が どの よ

な状態の と きが円成 実 性 なの か」 とい

点 を

考察 す

べ きだ と

わ れる。

 

こ の 二つ の 記 述に は依

起 性 と円成

性 との

関係

につ い て 以 下の よ

な相 違が ある と筆

は考 える。

  

で は虚 妄 分 別の 消 滅が

脱である と述べ れ てい る。 『

辺 分

論』 で は

依他

起 性は虚

と規 定さ れ るこ とは周 知の とお りである7) 。 そ して勝

におい て依 他 起

は存在 し ない と述べ られ てい るの であるか ら,

 

の三性 説は 「 依 他 起 世

俗有

説」 e), 即 ち 「依 他 起 消 滅 型 」 とい

構 造 をとっ てい る と判 断される。   図示す れば以 下の よ うに なる であろ う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

tg

il

i

1

空性 また, 三性 説の 用 語に置 き換 え れば以下 の よ

に な るで あろ う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

i

L

l

円成

性 一

240

(4)

22

) 依 他起 性, 雑 染, 清 浄 (池田) 一

 

の 『顕 揚聖 教 論 』 で あるが, 注 釈 部分 に は 三性 説 を規 定 する記述 は あ る もの の 1°), 偈の部 分に は三性 説 をは っ き りと規

定 す

る個

は ない よ

われ る。 こ こ では以下の 『摂 大 乗 論 の 三性 説の 規 定 を参 照 した い 。  知 られ るべ 特 質は ど に理解 すべ 。 それは簡単に い えば 三 種 類で あ り, 依他起の 特 質 と遍計所執の 特質と円 成 実の 特質 と で ある。

 

その う ち, 依 他 起の 特質 とは何か 。 お よ そ何で あれ, ア ー 識 を種 子 し虚 妄 分 別に よっ て包括 され る識別 で ある。 [中略]こ れ らの 識別に よっ て 一 界 と 生 と雑染 と が包 括 さ れ, 依他起 の 特質で ある虚 妄 分 別が 示 され る。これ らの 識 別の 唯識 性 は虚妄分 別によっ て包括 さ れ, お よそ何で あれ存 在 しない 迷妄の 対象が顕 現 す る基体であるもの , こ の こ と が依他 起の 特質なの であ る。

 

その ち, 遍計所 執の特質と は何か 。お よそ何 で あれ, 対象が 存在せ ず, ただ 識 別の み で ある に もか か わ らず, 対象 と して 顕 現 す るこ とで ある。  その ち, 円成実の 特質 とは何か。 お よそ何であれ, その 依他起の 特 質に お い て その 対象の 特質 (= 遍計所 執 性)が ま っ た く存 在 しない こ とであ る。 ( 『摂 大 乗

 II

1

4

11〕

 

ここ に は 『菩薩 』 「真 実 義 品」 以 来の実 在 論 的な 「依

起勝

義 有

説」 ’2), つ ま り「

依他

続 型」の 三性 説が 述べ られてい るこ とが 理

される13》。 これ を図示

れば

下の

に なる であろ

。 遍

所 執 性

依他

起 性 世俗

 

i

 

   

T 円成 実性

依 他 起 性

 

さらに,

染 と清浄 とを三性 説に配 当すれ ば,

 

 

との相 違は より

明 であ る。

 

では,依

他起

性で ある

妄分

存在す

る ときに

染が得 ら礼 虚 妄 分

が 存

在 しな

得 られ る つ ま り,

雑 染

依他起性

滅 す

る ときに

清浄

られ る と説かれてい

 

しか し,

 

では, 依

起 性に

遍計所 執性

設 さ れ てい る ときに

雑 染

起性に遍

所 執 性が存 在 しない

られる。 こ こ では,

遍計所執 性

239

(5)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty

              

依 他 起 性, 雑 染, 清浄

池田

         

23

) が

染であ り, その 遍

計所

執性が

在 しない と きに清 浄が得 られるの である。

に まとめれば以 下の よ

に なるで

 

辺 分

 

『聖 揚聖

教論

起 性の 存在 依

起 性に おける遍計 所 執 性の

清 浄 依

起 性の

起性における遍

計所執性

 

この よ うに, ある。 こ の 二 つ の 文献の 三性説は大 き く異 なっ て い る と

えら れ るの で

IV

 

依 他 起 世 俗

説」= 「依 他起消 滅 型 」 とは何か

 

 

だけで 「依 他 起世

俗有

説」 とか 「依

起 消 滅 型」 など と断定 する

筆者

は やや 唐 突か も しれ ない か し,

で に

学会

に は 「瑜 伽 行派 で は

して 依

起性の 消 滅,

依他

起 性の

除遣

かれた

る阿理生 氏の 所 説 14) や, い わゆ る弥 勒論 書につ い て, そこ に 説 か れ る 三性 説の 内容に よっ て

作者

と編

者 と 注釈

とを

区別

しよ

る菅 原泰 典 氏の

15}存 在

 

筆老

も「勝

に おい て は

依他

円 成 実性 み が

存在 す

る チベ ト仏 教 チ

Jo

 nang  

pa

ゥ ル プパ

Dol

 

bu

 

pa

 

Shes

 rab

rgyal  mtshan , 

1292

1361

介 した こ と が 16〕 。 こ の 厂 依

起性の滅・ 非 存 在」とい

説の

有効性

はい ま

っ て

定 した とはい い が たい が 瑜 伽行 派の 三 性 説の 歴 史 を考

察す

に は極め て重要で は ない か と

者は

える。

 

性説

依他 起

や 円成 実 性 を議 論す る と き, 抽

象 的

な用

だ け が飛び交い, そ の 厂

依他起性

実 性

言葉

具体 的

何 を意味 しか が忘 れられ る

合が あ る。 依

起性に つ い て

えば, かつ て 厂認 識 基 体 」と して

界に実在 して い た依 他 起 性が, 唯識

入に よっ て 「認 識基 体 」だけで はな く「認 識

体」の

加される とい

質 的変 化の た め, 必

然的

に 「 虚 妄な認 識

体の 滅」 とい

う結末

に なっ たの ではない か と

筆者

想像

してい る

V

 

雑染

か ら清 浄へ

構造

確か に, こ の 二 つ の

記述

が示

三性 説は 異 なっ てい るが, しか し 一 , 雑 染か ら清

こ とを 目

るこ の 二 記 述

構 造

た く

238

(6)

24

) 依 他 起 性, 雑 染, 清浄 (池 田) 一

筆者

 

その 「論理

構 造

」と は, まず何 らかの 基体

A

が存在 し, その 基体に その 基体 と は別 な もの

B

在 す る状 態 を雑 染 とい い,

の 基体

A

に その基

と は

の もの

B

在 しない 状

を清 浄 とい

, とい

うも

の である。 つ ま

D

, 基体

A

だ けが

浄であ り, 非 基

体 [

B

染 なの で ある。 これ を表に ま とめ れ ば以 下の よ

に な る であろ う。

 

辺 分 別 論』

 

『聖 揚 聖

論』

B

起 性 遍 計 所

執性

清 浄 基

体 [

A

空性

依他

起性17〕

 

こ の よ うに, 基 体

A

B

と が具 体 的に何 を指 すか は異 なる もの の,

染か ら

浄に向か う論理 は まっ た く同一 で は ない か と

わ れ る。

VI

 

 

本 稿の

考察

は次の よ

に まとめ られ る。

 

辺 分 別 』 と 『聖 揚 聖教 論』 と に おい て, 雑 染か ら清 浄へ 移

行す

構 造

は同一 で ある が, そこ に示され る三

性説

の 構 造は大 き く異なっ て い る。

       

1997

7

10

1

)長 尾 雅 人博士 に よる和 訳 『大乗 仏典

15

, 世親論 集』

pp

. 

221

224

参 照

 

こ の個所は後に触 れ る 「他起 」 を説 くもの であるこ と は, 阿理生 「瑜伽

 

派の 仏 道体 系の 基軸をめ ぐっ て (

1

『日本 仏教 学会年報』

54

1989

p

33

参 照。

2

)こ の

Bhaviveka

に よっ て

Madhyamahahrdayakan

ha

−, 

V

, 

k

. 

6

と して 引 用 さ れ

 

る。

Skt

.は

Chr

. 

Lindtner

, 

Bhavya

s 

Madyamakahrdaya

Pariccheda

 

Five

 

Yogacaratattvavini

§cayavatara , 

The

 

Adyar

 

Libra2

 

Bulletin

, voL  

59

1995

, 

p

 

57

, 漢訳

揚 聖

』 は 厂仮 有 所 依 因

 

若 異壊二 性

 

雑 染 可 得 故

 

当知 依 他有」

 

大正

31

, p .

558c25

, 

Tib

.訳は

btags

 pa rgyu  mtshan  

bcas

 

phyir

 

dang//

gzhan  

du

 

gnyis

 

po

 med  

phyir

 

dang

//

kun

 nas  nyon  mongs  

dmigs

 

pa

i

 

phyir

//

gzhan

 

dbang

 

yod

 

pa

 nyid  

du

dod

〃 ,山口益 『仏 教 に お

1941

年, repr .

1975

 

年, 巻 末 チ ベ ト訳 ス ト

p

4

訳は同 本 pp .

136

137

, 

Prain

− diPradiPa, 

D

. ed . 一

237

(7)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty

依 他 起 性, 雑 染, 清浄 (池田) (

25

No

. 

3853

, 

Tsha

, 

242b7

243al

, 

P

. ed. 

No

5253

, 

Tsha

, 

304b2

3

,安 井広 済

中観 思

研 究

1961

年,

p

319

  

Bhaviveka

の 名称 につ い ては江 島恵教 「

Bhavaviveka

  

Bhavya

  

Bhaviveka

 

印仏

38

2

1990

年,

pp

846

838

参照。

3

)こ の 「二」 が何 を意 味 して い るの か, 筆 者に は わ か ら ない。

  

こ の 偈に対する 注 釈は 「論 日, 不 応 宣 説 諸 法 唯 是 仮 有 。何以 故 。仮法 必有所 依 因 故, 非 無実物仮法 成立。 若異此 者, 無 実物 故仮亦 是 無, 即 応破壊二法。 二 法壊 故,

染 之法応不可 得。 由雑染 法 現 可得 故, 当知 必 有依 他 起 自性。 」

 

竹 村 牧 男 厂依他起 性の 存 在 論 的 性 格にっ い ・無 南 都 仏 教

35

1975

年,

p

14

, 上 段, 及 び, 同 『唯 識 性 説 研 究

1995

年, pp .

339

340

に も 検 討 さ れ るもの の 明確 に は さ れ てい ない

 

P

短 腕砂鵤

4

に は明 はない が, そ の

tika

で は 厂雑 染 清浄 」 と解釈 されて い

 

る。

Praiha

Pradipa

, 

D

. 

Tsha

, 

242b7

243al

, 

P

. 

Tsha

304b2

3

, 

P

薙砂箔α

4

躍》α一顕肱 , 

D

ed . 

No

3859

, 

Za

278b5

6

, 

P

. ed . 

No

5259

, 

Za

330b8

331al

井 前掲 本, 

p

320

乃 π物 肱 茲 で は 「遍計所執 性 円成 実性の 二つ 釈 さ れて い

D

, ed . 

No

3856

Dza

202a3

, 

P

. ed . 

No

3856

, 

Dza

222a6

. 

Tarkaiva

la

一で は この 偈 を心心所 と結 び 付 け て 解 釈 して い る、 前 掲 山 ロ 本,

pp

136

137

参 照。 た だ し, 

Tarha

一 ノ罐 彪 と

Madhyamaleahrdayaha

riha

’の 三 性 説 に 関 す る思 想 的 落差に つ い て

拙 稿

 

8

θ α3 ん短 〃’鹹 皰 を 引 用 す る

Bhaviveka

の 意 図 『曹 洞 宗研 究員 紀要

26

1995

年,

pp

.(

1

)・(

18

)参 照の こ と。

4

)『顕 揚 聖 教 論 』の 作者につ い て は, 偈 を無着, 注釈を世親 とする説が 宇 井伯寿 博士 に よっ て 提出されて い る。 宇井伯 寿 「無 性 論 究」 『印哲研』第六,

1930

年, repr .

1965

年,

pp

293

294

,結城令 聞 『 唯 識の研 究』上 巻,

1956

年, repr .

1986

年, 

pp

49

60

。 一 , 偈 と注 釈 ともに無 着 とす る説 も ある。 向井 亮 「 『 』と『瑜 伽 師 地 論s

 

仏 教 学

8

1979

年 ,

pp

52

59

参 照 。

5

)長尾雅入 『摂 大乗 論 』 巻末テ キス ト,

II

25

,和訳 は

pp

339

360

6

竹村牧男 「依他起性の 存在 論 的性格につ い て一 その と仮・実一」 『南都仏教』

35

1975

年 ,

pp

12

15

,同 『唯 識性 説

1995

年,

pp

337

342

に もこ の三 っ の 記 述に関する考

が存在 す る が, 三つ の 記述 は同列に扱わ れて い る よ うに思われ る。

7

 

kalpitab

 

paratantraS

 ca  

parini

panna  eva  ca /

 

arthad  abhtttakalp 亘c ca 

dvay

bhavac

 ca  

de

§

itah

//

      

(福α翊

y

砌 瓰加

6

  α.

6

伽 π

1

5

Nagao

 ed . 

p

19

  

妄 想 , 他に依 る もの , 完成さ れ た もの が 説かれたの は, 対象である か ら, 虚 妄な分 別で あ るか ら, 二 が存 在 し ない か らで ある。」

8

依他 起俗 有説 」 「依他 起勝 義有 説」 とい う用語は筆者が 暫定的に使用 し て い る 一

236

(8)

26

) 依他起 性, 雑染, 清 浄 (池田〉  もの で ある。 拙稿 「依 他起 性 は実 在 す る か」 「駒 沢 大学仏 教 学 部論集』

27

1996

年,

pp

.(

47

)一(

59

)参照 の こ と。

9

)こ の 図は前 掲 拙 稿 の 「依 他 起 世 俗 有 説 」 の 図 とは 異 なっ て い る。 筆者の 図は, 唯 識 説 を前提に し ない 「基体で あ る依他起 性に対し て 遍計所執性が仮 説さ れ る」 とい  う実在 論 的 な三性 説の 構 造 を示す ときに は少 なか ら ず有 効で あ ろう思わ れ る (後に 示 す 『菩 薩 』 「真 実義品」 の 図 を参 照の こ と)。 しか し, 唯 識 説 と結びつ い た 三性 説 を表 現する場合に は, は た して 「 虚妄分別 とい 依他起性 を基体 として, そ こに 遍計所執 性が仮 説さ れ る」 とい

構図は あ りえ るの か とい

疑 問が生 じて くる。 外 界 実在論の場 合には依他起 性は 厂 基体 とな る 」 であっ たの であ る が, 唯 識説にな る と, 依他 起性 は虚妄分別 とい う 「認 識主 体」 を も含 む もの に な っ て し まい, 単純に 「基 体 」 とはい えな くなっ て しま うの で は ない か と考 えてい る。 試 行 錯 誤の 最 中で ある。 こ の 『辺 分 別 論 」 の 三性 説は以 下の ように も考え ら れる。 対 象 虚 妄 分 別 世 俗

 

i

 

勝義

   十

   

1

空 性

10

顕揚 聖

」 大正

31

p

507b

557b

.竹村牧 男 『唯識性説 の 研 究』

p

78

79

に扱   わ れ てい る。

11

) 長 尾 雅 人 『大 乗 論 」 巻末テ キス ト,

II

1

4

,和訳 は pp .

272

283

12

三性 説の 構造 を最 も明確に, しか も素直に表現 して い るの は 『菩薩 』「真 実義品」

 

の い わ ゆる 「空性の型句」 だ と思 わ れ る。 「 」 の vastu が 三性 説の依 他起  性に該 当するこ と は論証 する まで もない であ ろう。     厂 更にまた, どの よ うに 空性 は正 し く理 解されるの か。 そこ [

A

]にそ れ [

B

]が 存

 

在 しない な ち , そ れ

A

は そ れ

[B ]

に っ い て 空で ある と 正 し く観 察 し, 更に そこ に

 

余れ る もの

C

が あ れば, そ れはこ こ に 存在 する と如実に知る。 こ の こ とが如実で  あ り不 倒 顛 な 空 性に 入 るこ とだ と言わ れ る。 例えば そ れ は, 既に 説かれた よ うな,  色等 と名付け ら れ る事 物 (vastu ) [

A

]に は, 「 で ある」 云々 とい う仮 設さ れ た 言

は存在 しない 。 そ れ 故 , その 色等 と名 付 け ちれ る事 物

A

は, その 「 で あ る」 云々 とい う仮設 さ れ た言葉を本 質 とする 一

235

(9)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty                  依 他 起 性, 雑 染, 清 浄 (池 田)              (

27

) こ と

B

につ い て空で あ る。 更に, その 色等と

付け ら れ る事物に お い て 余 れ るも

Q

±

S2C

とは何 か 。 す なわ ち, まさに その 「 」 云々 とい う仮 設された 言 葉の

で ある。 そ して, その 二 つ , すなわ ち, 「 た だ事 物の み が存在 してい るこ と」 と 「た だ事 物の みに 対 して た だ仮 設の み があるこ と」

とを 如実に 知 る。 (

Bodhisattvabhu

’mi , 

Dutt

 ed. 

p

32

11

12

19

, 

Wogihara

 ed. 

p

47

1

16

p

48

1

2

)」 こ の記 述 を図 示すれば 以 下の ようにな る と思 われ る。

prajhapti

B

vastu [

A

] 世 俗

 

1

 

勝 義

   

l

    

i

      

vastu

A

C

13

確か に記 述 だけか ら言え ば 『摂大乗 論』 と 「真実義品ll との 三 性 説の 構 造は似通  っ て い る。 しか し , 『摂 大 乗 論 』で は唯 識 説が採用 さ れ依 他 起 性は質的に変貌 し てい  る た め, 外界実在 論を説 く 「真 実義 」 の 論理 をその ま ま使用する とその論 理 は破

 

綻 す る場 合が あ る。 拙 稿 「 性 説の 構造 的 変 化 (

2

)」 『曹 洞 宗 研 究 貝 紀 要』

27

1996

 年,

pp

.(

47

)・(

62

)参 照 。

14

) 阿理 生「瑜 伽 行 派仏 道 体 系 基 軸 を め ぐっ て (

1

)」 『日本仏 教学 会年 報』

54

1989

年,

pp

29

42

, 「同 (

2

」 『伊原 照蓮古希 記念 論 文集』

1991

年, 

pp

227

250

参 照 。 筆

 

者は 氏の 論 旨展開に は面的に 同する わ けで はない が , 「依 他 起 性 消 滅 」とい う

 

発想は極め て優れ た もの だ と思わ れ る。 氏の所 説の 問 題 点につ い て は拙 稿 「 性 説

 

の 構 造 的 変 化 (

1

)」 『駒 沢 大 学 大学院 仏 教 学 研 究 会 年 報』

1996

年 , pp .(

1

)・(

15

15

)菅原 泰 典 「初 期 唯 識 思 想に於 ける 三 性 説の 展 開 (

1

」 『東北印度学宗 教 学会論集』

 

10

1983

年,

pp

128

130

洞 「弥 勒 原 意 と世親の 改 変印仏研

33

1

1984

66

68

,  同厂初 期 唯 識 思 想 に於 ける三 性 説の 展開 (

2

)−

Mala

tattva

に関し て 一」『東北印度学

 

宗教 学 会 論集』

11

1984

年,

pp

164

165

,同 「 初 期 唯 識 思 想に於 け る三 性 説の 開」

 

60

1

2

1985

年,

pp

37

60

. 氏の 一 論 文 は 三性 説 を研 究 す る と き恐   く最 も重 要 な もの の 一つ で あ る。

16

)前 掲拙稿 「依 他 起 性実 在 す 」 『駒沢大学仏教学部論 集』

27

1996

年,

pp

.  (

47

)一{

59

)参照の こ と。 一

234

(10)

28

         

依他起 性, 雑 染, 清 浄 (池田)

17

)依

起性 が存在 し続 け る三性 説では, 清浄は即ち 円成 実性 とも考え ら れ るが, 円  成実 性 と は あ く まで 「依他起 性に 遍 計所執性 が存在 し ない   あり, 基体で はない 。 依他 起性は それが 単独 で 存在 する場合に は 「 依 他 起性」 とも  言 われない 。 遍計 所執 性が そ こに 存在 す る と きだけ雑染な依他 起性 とよば れ るの で  あ る。 遍計所 執 性 が そこ に存 在 しな い状 態 を円成実 性 と呼ぶ わけで ある が, その 場

 

合, そこ に は,

 

依 他起 性 に遍

所 執 性が 存在 しない こ と」 とい う 「概 念」 と,   か つ て依 他 起 性 と呼 ばれて い た 基 体が 存 在 する。 従 っ て その 基 体 は 厂 依 他 起 性」 としか 表 現 で き ない 厳 密に 言 えば , 『菩 薩 』 「真 実義品」の 「nirabhilapya −vastu 」 とい うこ と になるで あろう。 従 っ てこ こ で は 基体 を 「依他 起 性」 として お く。

 

こ の ような 見解はす で に 『解 深 密 経』 の三性 説に対 して 兵 藤一夫 氏に よっ て指 摘 さ れ てい る。 「以 上 と か ら , 『 』 に 説か れ る 三 性 説は次の ように言 える で あろ う。 本 性 と し て 無 自性 ・不 可 言 説 な 縁起 す 法 が 遍計 所 執 相 言 語 表 現の 依 と さ れ る こ と に よっ て雑染 な依 他起 相に変 貌 する。 しか し, この 依他起 相 に対 して遍 計所 執 相 と して 執 着 しない , 即 ち言語表現 を離れ るな らば, 円成 実相, 即 ち本来の 法の 本 性 である無 自性 ・不 可 言 説の 法 相が現 れる。」 兵藤一夫 「三性 説 に お ける唯 識無 境の 意 義 (

1

」 『大 谷学報』

69

4

1990

年,

p

33

。 一 

233

 一

参照

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   ︵大阪讐學會雑誌第十五巻第七號︶