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駒澤大学佛教学部論集 18 030遠藤 康「Yogasutrabhasyavivarana第四章及びBrhadaranyaka-Upanisad-Sankharabhasya IV,3,7.の仏教批判について」

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(1)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty

駒澤大 學佛教學 部 論 集第

18

號 昭和

62

10

Yogastzt

γ

abh

sy

α η

iv

α

7arpa

BThadar

α

uyaka

UPani

aa

Sainkharabhtzsya

 

W

3

7

仏 教

遠  藤

1

 

所 謂

Yogasdrtr

α

bha

−s 

yavivaragea

Viv

.)1)  

Yogasditra

YS

.) の 註 釈

y

go

4

σ (

YBh

.)へ の 復 註で あ り

1952

年 に単一 の 写 本に 基づ き出 版 され た。

従 来

VacaspatimiSra

TattvavaiSia

’radi を中心 に な され て

YBh

解 釈 研 究は ,

§

ahkarabhagavat の

にな る と

奥 書

された こ の

出現

に よ り 新 局面 を 迎 えた の で あ り, 当 然の こ と な が ら 同

に そ れ は

Brahmastitrabha

“ S 

ya

BSBh

.) の 著 者で ある

Sahkara

研 究

しい

波 紋

投 げ

か けた。 

Viv

. が

5ahkara

るな らぽ , 我々 は

な くと も

Vacaspati

の 註 釈 よ りも古い 形 態の

YBh

.解 釈を知 る こ と がで きる の で あ り, そ して ,

§

ahkara

身の

思 想

解 明の

その

は決 して

な くはあ る まい 2)。 出

者は コ ロ フ オ ン に基づ き

Viv

著 者

BSBh

.の 著 者 と 同一視 する。 し か し, い か に

典 文

の 著

者決

定に お い て コ ロ フ ォ ソ が 重要 とはい え,

300

以 上 の 作 品が そ の 人に 帰さ れ し か も ほ とん どが 偽 作 と言われ る3)

Sahkara

真 作 リス トに

たに 一

を加え る こ と は容 易で は な い 。

 

P

Hacker

は, こ の

資 料を

BSBh

.作 者

Sahkara

の 初 期の 真 作 とみな し, 他の

と み される諸 著

に散 見され

YS

., 

YBh

. と

類似す

々 の

用語概 念

討 しっ っ ,

Sa

fikara

が ヨ ー学 徒 ら不ェ ーダ ー ン タ 学 徒へ

思想

遷 を 辿 っ た とい う

見解

を表 明し た4)。 同 時 期に 前田専 学

士 も

Sahkara

認 識 論考 察 を 通 て そ こ に見 られ る

YS

., 

YBh

. の

影 響

を 指 摘 され, もっ て

Viv

.を

§

aftkara の 真 作 と みなす 積 極 的 証 拠 と され た5)。 これ は 明 らか に

afi −

kara

Yoga

思 想

ん だ こ とを

 

し か し,

Hacker

力 的 な

見解

士 の

指摘

に もか かわ ら

, 中村 元

一 506 一

(2)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty

102

Yogasti

 trabh a’

S

avivara a

4

(遠 藤 )

士 は,

Viv

.に お けるい くつ かの 不ニ ー 論 的 表 現

しこ の

Saflkara

に 帰 さ れ る可能性 を認め なが らも, 次の よ うに 慎 重に

べ て お られ る。 「た だ , こ の

が シ ャ ソ カ ラの

真作

で ある と

断 定

する た め に は , な お 今 後の 研究を 要 す る。 あ る い は , 証明不 可

な こ と か も知れ ない 。

6)

 

こ の よ うな状 況の も とで

Viv

研 究は進め られ ,中 村 博士 に よ る 日本 語 訳7)

T

Leggett

に よ る英訳の 刊 行s) 行な わ れ て い る。 著 者 問題 に 関 する

Hacker

説, す なわ ち

§

ahkara

に つ い て, 根 拠 に欠 ける とし たの は

A

. 

Wezlar

W

Halbfass

る9)。 両 者 共に

Hacker

の 基 本 論 拠は コ ロ フ ォ ン に基づ くの みで あ り,

Viv

. の 著 者 問題 は更な る研 究を 必要とする と 主張す る。 注 目 され るの は, 新 しい 資 料 を用両 者が, そ れ ぞれ

後の 研 究の 方 向性を示 峻 する 点で ある。

くべ に 出版 され た

Text

使用 さ れ ない 写 本1°〉を 入手 した

Wezlar

は ,

Viv

. の み な らず 現 在に 流

して い る

YBh

. 

text

に つ い て も文 献 学

考 察

を行い ,

Viv

.が

Vacaspatimi

≦ra 以

の もの で ある可 能 性を示 し た

lt)

。 そ

して , もし

Viv

者を

BSBh

.の

と同定せ ん とする な らば, 

Viv

.作 者 と

BSBh

.作 者の ‘ ‘言

遣い

diction

” そ れ も哲 学 的 専 問 的 用 語 (

philosophical

and  

technical

 

terminology

) に 直 接関 わ ら ない ‘‘

の 表現 法 (

idiosyn

− crasy

わ ぽ そ表 現せ の

如 き

の に つ い て の

慎重

検 討

み重ね が必 要で ある とする12)。

Halbfass

は , 現 在

々 が手に する

Text

の 出 版

以 前に

Viv

.の 一部 を 出版 し た

S

. 

K

. 

Ramanatha

 

Sastri

, すな わ ち彼は

14

15

世 紀

に ケ ラ ラ

え た

 

PayyUr

 

VacaspatimiSra

 

の ハ

4y

α々σ

航 に 註釈 を書い た

Parame6vara

 

1

の 師で あ り父方の 親 類た る

Sahkara

とい う名の

Viv

作 者 定する , を挙 げ, そ れ を 承 認 しない と

はい え

Viv

. とそれ を

承 し て きた ケ ラ ラ 地

の 深い 関 係

注意

を 向 ける13)。 し

か し ま た,

Halbfass

viv

. に 見え る仏 教 批 判 と

B

プ加

44m

鰐 o々θ・

UPansad

8

励 肱 7σ肋

4

α (

BUBh

.)

 

tl

現 れ そ れ との 様々 な

似を も

指 摘

す る。 これ は

BSBh

., 

BUBh

. の 著 者

§

ahkara と

Viv

.作 者 との 同

味 す

わけ で ある14 )。

  実

に ,

Halbfass

が挙 げる以 上 に, 

Viv

.第四

の 仏 教 批

BUBh

. 

IV

3

7

にみ られ る

§

ahkara の そ れ に は 顕 著な類 似が存 す る。 両 者を比 較 して み れ ぽ そ

れ は 一 目

然で あ ろ う15 )。 従 っ て , 言及 され ず と も既 に多 くの 先 学 に よ り

注意

れ て い る は ず で ある。 逆 の 言 い 方をす るな らぽ, その 事 実に よ っ て も 

Viv

. と

(3)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty

Yogasatrabha

5

丿aviVararpa 第

4

章 (遠 藤 ) (

103

BUBh

.の 作 者 を 同一 視 する こ は早 計で だ ろ うか。

 

ある思 想が異 な っ た 表 現で 語 られ る こ となどは 思

の 長い

史に お い て しぽ し ば 見られ る こ とで あ り, 全 く異な っ た学 派に属 し な が らも 他派 の 学説 を 自派 の 言

に よ り再

成 し て し ま うこ と さえ もある だ ろ う 当 面

考察

対 象

BSBh

Sa

kara

そ の な ども, あま りの 仏 教 説 との

類似

に ,

代 ‘‘

面の 仏 教

” と呼ばれた こ は周 知の

事実

した事 情を前にす れ ぽ,

村 博

士 ,

Wezlar

, 

Halbfass

Hacker

Sahkara

転 向説に

同 し

な い こ と も当

然と 言 え よ う。 二 著

の 部 分 的な思 想の 類 似を も っ て それ ら を 同 一

者に

すこ と はで な い

iahkara

の 場 合に は コ ロ フ ォ ソ さ え も

確実

な権 証 とは な り

な い 16)。 そ れ 故に ,

Wezlar

は 作 者の ‘ ‘

idiosyncrasy

” の

考察

を 主 張 す の で あろ う。

 

Viv

.第四

と :

BUBh

. 

W

3

7

. に お ける類 似は決 して 思 想 的 類 似に と ど ま る もの で は ない そ れ は, 議 論の

似, 表 現の 類 似で ある。 それ とて も両

者の 同一 を確 定す るに 足 る もの で は な い 。 しか し, その 類 似は 少な くともどち ら か が他 方に 依 拠 して い と を 示

。 一 人 間 が

っ た 二 つ の 著 作 中で

類似

議 論記 す

えれば, すな わ ち全 く同 じ

間に 両者を書 くの で は な い 限 り, 一

を 下 る は 。 況んや両 者が異な っ た人

に よ る著

な らばそれ は確

で あろ う。 従っ て , そ れ らを

観 す る こ とも,

しい 結 論を もた らすわけで はない が

して

無意 味

で は

る まい 。

稿で は ,

者の 気 付 い た範 囲 内で 両 書の 類 似 点を挙 げ, 若干 の

察を 試 み たい 。 しか し,

Sahkara

の 真 作 と認め られ る 書 すべ 参 照 す と は 現 在 筆 者 能 力

て お り, ま た

Viv

.全

に わ たっ て

精 査

するの で は な く, 

Viv

.第四

BUBh

W

3

7

 

の 仏 教 批 判 の 部 分に つ い て 考 察 し得たの み で ある。 もと よ り本

稿

は,

Wezlar

の 主張 す る ‘ ‘

idiosyncrasy

” の

philological

検 討を 目 した も の で は な い

考察

され る

各 部分

Viv

. と

BUBh

。の

類 似

べ てを 尽 くして い る の で は な い をお断わ り して お きた い

 

ま ず ,

Viv

.の 文

げ, そ れに

対 応

する

BUBh

.の 文

を 示 し, 両 者に

訳を付 し た後 対 応 関係 につ い て

考察

したい 。

BUBh

. の 仏

説 批 判

部分

に は

金 倉

円照

士 に よ る和 訳及 び研 究 が

す る。

BUBh

.試 訳の 後に は その 頁 数を参 照の 一 

504

 一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(4)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 University

104

YogasUtrabha

5

アavivararpa 第

4

章 (遠藤)

ため に 付 す (金 倉 と表示 )。 また

V

Viv

.を

B

BUBh

.を

意 味

す る。

1V

1

: nanu   ca   nasty   evasau   ekapratyayaviSayab  

Sabdadih

etat  

tu

     

 

sarvam   vij 溢

anaparijrmbhitarp

 

eva

,  vij 

fianabhavabhavitvat

 

1

.._ .!

 

tasmad

 artho  vijfianavyatirekerPa  nastlti  

pratijanimahe

Viv

 

IV

   

 14

p

340

, 

II

6

9

B

1

nanu  nasty  eva  

bahyo

 

rtho  

ghatadih

 

Pradipo

 va  vijfianavyatiri 一

            

 

ktah

 

1

_ _ .

1tasman

 nasti  

bahyo

’rtho  

ghatapradipadir

 vijfianama −

 

tram

 eva  

tu

 sarvam

p

571

, 

ll

5

11

V

P

し か しな が ら , こ の 音 声 等 単 一 観 念 対 境 全 く存 在 。 しか し              

 

て こ の 〔世 界 〕 す べ て は 拡 大 し た の に す ぎな い , 必

識の 状 態に な る

 

こ との に 。 … …そ れ 故 , 対 象は識を

れて は

在 しない と

々 〔

〕                一                     一 t

 

は 主張

る。

B

1

’ ; し か しなが ら, 瓶 等あ るい は灯 火 等の 外 界の 対 象は

れ ては 全 く存            一一              

 

在 しない 。 … …それ 故, 瓶や灯 火 等の 外 界の 対 象は

在しない 。 し か し て

 

〔世 界 〕 すべ て は

の み で ある。 (cf.金 倉

p

138

.)   これ らは仏 教, 特に 唯 識 派が 自らの 学 説を主 張 し始め る 部 分で ある。 一 見す とさ ほ ど顕

な表 現の

は な い 。 しい て 言 え ぽ

 

部 分で ある。

Wezlar

に よれ

ば 「nanu  ca

Viv

の ‘‘

idiosyncrasy

” の 一 と さ れる 17 )。 

BUBh

.に

それ は 用い れ てい な い 。 こ の 両 文 章に は 次の 文 章を も対 照させ た い 。

na  vijftanavyatirikto  

bahyo

tho

’stlti (

BSBh

. 

II

2

28

. 

p

468

1

. 

2

   

外 界 の 対 象は識 を 離 れて は

存 在

しない 18)。

             rr

 

  部 分

vijfianavyatireka ,

− e

 rikta

YBh

. に な い 表 現で あ り, 

Viv

.は

BUBh

., 

BSBh

. と同じ くそ れを用い て い る。 

Viv

.で は

V

1

唯識

証式

が 示 され るが , これ は

BUBh

.に は 見 られ な い もの である エ9) 。 一

503

(5)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University

Yogastitrabha

syavivara4a

 第

4

章  (遠藤 ) (105 )

2

V

2

: sukhajflanalanlbanlbhntal ロ

putradivastu

 na  

tajj

anaparikalpitam

 

tadviruddhanekacittoparafijakatvat

 

vadiprativadipratijfiagupado $a一

       

 

tadabhasavat

!vadiprativadiprabhrtinam  api vij昼

analnatratve

 

sadhyasadhanadivyavaharavilopah  syat  

1

Viv

IV

15

. 

p

343

, 

Il

8

10

                      

B

2

vijfianavad   arthantaram   vastu   na  ced  abhyupagamyate

_ _ _

 

tatha

 sadhananam

 

phalasya

 

caikatve

 

sadhyasadhanabhedopade6a6a 一

 

stranarthakyaprasa 血

gah

tatkartur

 aj丘

anaprasahgo

 va

kim

 canyat

 

vij 五

anavyatireke

a

 

vadiprativadivadado

abhyupagamat

 

 

na

 

hy

       

atmavijfianamatram

 eva  vadiprativadivadas  

taddo

o va ’

bhyupaga

myate  nirakartavyatvat  

prativadyAdinam

na  

hy

 

atmiya

vil葩 na 恥

nirakartavyam  abhyupagamyate

tatha

 ca sati sarvasalpvyavahara −

10paprasahgah

 

1

 

P

571

1

22

P

572

1

5

.)

V

2

’ : 楽 とい う知の 対 象 と な っ た

子等の

物は, そ の 知に よ り構 想さ れ た も

 

の で は ない , それ と

な っ た

くの 心 に 影 響を

え る もの である こ との

に 。

 

論者 と対 論者の 主 張の 徳 と過失 と 〔知 に お ける〕そ れの 顕 現如 く。 論

者対

  論 者を 始め とする者 達に とっ て は , 唯 識 性の 場 合 , 所 証 証明等の 言 語 表 現が                

 

そこ な わだ ろ う。

B

2

’ : 識 とは別

事 物

承 認 され ない な らぽ … … 〔識 , 瓶,

な どは 同

 

一の 事 物名 称の み 異な る こ とにな り〕 同様 に 明の が 同一 で る場         合, 種々 の 所 証と証 明を説 く

論典

が無 意 味にな っ て し ま う。 あるい は そ れの

 

作 者

無知

る こ に な っ て し ま う。 さ らに 次の こ とがある。 識 と

な っ

 

てい るか ら論 者と対 論 者の 言 明と過失 が承 認 さ れ る故に ,

 

〔識 と異な っ た

       

在 す る〕。

とな れ ば,

己の 識の み と し て 論 老 対 論 者の 言 明 あるい は その 過 失が 承 されるの で はな い か らで る。 対 論 者

の 所 破 性の 故に。

と なれば,

らの

否定

さ れ る べ きで ある とは承 認 され ない か ら。 そ して そ の よ うな 場 合は すべ て の 言 語 裹 現 っ て し ま う。       ゆ (cf .金 倉

pp

139

140

502

一 N工 工一Eleotronio  Library  

(6)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (

106

Yogastitrabha

’savivara a 第 4 (遠藤)

 

V

2

に お い て

 

は ,

事 物

数の 人に 異な っ た知を生 じ させ る故に

識で は ない

にお け る喩 例 とし て 示 され てい 。 そ し て,

唯 識

で ある な ら

証, 証 明 (

 

) な どの 言 語 表 現が成 立 しな くな る (  ) と

の 過 失が

か れ る。

B

2

い て は , ま

識で あるな らどの よ うな

明 もそ の

, つ ま り所 証の

確 認

も単一 の を異な っ て 表 現 し た もの に す ぎな い か ら, 種々 の 教 典が無 意 味 となる と導か れ , 次に , 教 典の み な らず 対 論に お い て も,

唯識

で ある な らば

手 を 否 定 する こ

らを 否

す る

愚行

す ぎ

論争

な どの 言語 表 現が 成立 し な い , とい うよ うに

識 説 の

失が導かれ る と

釈し

る。

 

こ の

筆 者

B

2

解釈

は,

V

2

に お い て

 

と  が連 続 して い る 点を

V

2

 

et

 

B

2

に おい て説か れる 「種々 の

明 を 説 く経

無意 味

」 (

  )

論 争

立 しない よ うに 言

語表 現

立しな い

」 (

  )

を ま とめ てい

え た 上で の

解釈

る。

V

2

よ う え は だ ろ う

 

実 際

B

2

’ に 示 し た よ うに ,

B

2

 

の 「

tatha 」

は ,

識 説 に お い て は

べ てが 同 義

に な る とい う

批 判

続 き述

られた もの で ある。 それ 故 「同様に (

ta

tha

)」 と 言 わ れ る。

 

の 「

tatha

以 下 「

prasahgo

 va 」 まで は 同義 異 語に関

前の

論の 一で ある。 し た が っ て , それ に

く 「さ らに

の こ と が あ る (

kim

 canyat )」

以下

べ て が 同

で ある とい ら

批 判

か ら派 生 し て ,

な らぽ 論 争 する こ とがで きず, 論

の み な らず 「すべ て の (sarva )」 言 語 表 言 が 成立 しない 批 判に な るの で ある。 必ずし も  と  が 結びつ い て い るわ けでは ない。

 

Viv

.におい て も

v

2

よ り前の

Iv

14

で 同 義 異 語の 批 難がな されて い る 20) 。 し た がっ て

B

2

周 辺の

論は 一

Viv

に 対 応 個 所 を 見い 出されるの だが, し か し,

者に は 何 や ら

微 妙

なズ レ が ある よ うに 思えて し か たがな い 。

を承

の 上 で 告 白すれぽ, そ れ は

老が最 初に

V

辺 を

ん だ際に 良 く理解で きな かっ た とい うこ とに

因 する。 筆 者は

V

2

 

の 喩例 「論 者 と対 論 者の 主張の 徳 と過 失 とその

し」が,

何 故

こ こ に挙

られるか を理

なか っ たの で

る。 一 喩 例に は周 知

を用い るが,

理 的 議 論に おい て は しば しば その

例 自体 に つ い て の 議 論を知 らなけれ ば 理 解され な い 場 合 もあろ う。 筆 者は こ の よ う に

えて

。 その

B

2

参照す

る に ん で 疑 問解 消 , その 単

意 味

を知るに至 っ たの で ある。

B

2

vadiprativadivadado

abhyu

pagamat

は議 論 中の

因 的

割を

つ 。 そ し て それ は直

論か ら派

一 501 一

(7)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service KomazawaUniversity

Ybgastitrabhds.yavivarana

M4$

(inkee)

(107)

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na

hi

vastunah svaruparp vijnnyanasahabhavi,

tad

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1

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tad

evedam

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na

hi

tad

evado me vijnNanam

iti

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punas

tad

evedam

iti

pratyabhijfiayate1

...1 napi sadrSyat

pt

pratyabhijfianam

!

grahyagrahakayor

yugapadutpattivinaSavatvat

(--"vattvat)

1

vyavasthite

hi

vastvantaradrgye

anyatatsadrgavastu-darganena

sadrSyapratyayah

1

evaTp

tat

sadrgam va

drak$yamity

uttalabhila$ah

/

na

hi

tadaharniScitamararpasyaparedyur

arthadarsia-nakamk$a

jayate

/

napi matsadrSa

ik$i$yata

ity

abhila$ati

!

na cai-vam

dr$tam

/

sarvo

hi

svartham

ihate

1

bhinnasantatisv

adarSanat

!1

(Viv.

IV,

15.

p.

344,

IL

6-4.)

B-3:

yat

takt/arp

saloko 'nyasi ca

ghato

jayata

iti

1

tad

asat

!

k$anan-tare

'pi

sa evayam

ghato

iti

pratyabhijfianat1sadrsyat

pt

jfianam

krttotthitakeSanakhadisv

eveti cet

1

na

f

tatrapi

@

syasiddhatvat

1

jatyekatvac

ca

f

...

!

ghatadisu

punar

bhavati

sa

eveti

pratyak$ah

!

tasman

na samo

drstantah

/pratyak$ena

hi

pra-tyabhijnnyayal]e

vastuni

tad

eveti ...

f

sad;SyapratyayanupapatteS

ca

1

jfianasya

k$arpikatvat

!

ekasya

hi

vastudarSino

vastvantarada-rSane sadrsiyapratyayah syat

1

na

tu

vastudargy eko vastvantarada-・ rSanaya

k$aoantaram

avati$thate

l

vijfianasya

k$arpikatvat

sakrtadba-stu

(-sakrt

tadvastu)

darSaneneva

k$ayopapatteh

1

(p.

573,

1.

11.-p.

574,

L6.)

-

500

(8)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (

108

) }’ogasUtrabha −

syavivara4a

4

(遠藤)

V

3

’ : それ 故, 事 物の 自体は識 と ともに あるの で は ない , これ は ま さ し くそれ        

 

る とい う再 認

に 。

時に 生 滅 する時, これ は まさ し くそ れ で

 

と再認 識 されな い だ ろ う。 識の

く。 何 とな れ ば, そ れ こ そ が私の こ の 識で

 

ある とい う

認識

〕 は な い か で ある。 し か る に , 事

は これ は ま さ し くそ

 

れ で あ る と 再認 識 され る。 … … …

き再 認 識 。 認        

 

象と認 識 主 体が 同 時の生 滅を持つ こ との に 。 ある別の

認識

さ れ る

事 物

 

存 続

して い る時, 他の そ れ と類 似 した

事物

の 知

に よ り

類 似

とい う

観 念

 

あ る。 同様に , そ れ と類 似 し た もの を 私は見 よ う とい う欲 望が あ る。 何 と な

 

れ ば, その 日に確 実に 死ん だ者に は 後の 日に もの を 見る欲 求な ど生 じない か   らで る。 私 と類 似 し た人が 見る だ ろ う と望むの で もない 。 こ の よ うな こ と

 

は経験され ない は 自己 の を考える か らで ある 。 異な っ た 〔人

 

〕 相 続につ い て は 経

しない か らで る。

B

−−

3

’ : しか る に 〔汝に よ り〕

を 伴 う 〔つ ま り顕

して い る〕 別の が生 じ る

 

と言わ れ た。 そ れ は正 し くな い 。 別の 刹 那に もまた こ の 瓶は ま さ し くそ れ で         ある とい う再 認 識 が ある故に 。 類 似 に 基づ ぎ再 認 識が ある, ち ょ う ど切 られ       ふ       て 長 くな っ た

や 爪

に お い て 〔の よ うに 〕とい うな ら ば, そ うで は ない 。 そ         の

に も

滅性

が 不

立で あるか ら。 そ して

じで

る こ との 故に 。 … … … が 同 と どり に と 同 じ もの に え る が, 切る前 と同じ もの で は な い しか るに , 瓶 等に つ い て は , まさ し くそ れで あ る とい う直

が 〔再 認 識の に〕 ある。 そ れ 故 〔

は 〕 等 しい

例 で は ない 。何 と なれば事

につ い て は直 接 知 覚に よ る再 認 識がある, ま さ し く そ れで あ る と。… … … そ し て, 〔汝の 説で は 〕直 接 知 覚が 生 じ な い 故に 。

の 刹 那

性に よっ て であ る。 何 となれば, 事

を見る人 に は

事 物

を見る場 合 に 類 似の 観 念が あ るだ ろ うが , しか し 〔汝の 説で は 〕一 人の 事 物 認 識 者が他 の 事 物知 見の た め に , 他の 刹 那に は

続して い な い 。 識の 刹那滅 性に よ り, その

事 物

るや い なや

して し ま うか らで

る 。 (cf .金 倉

PP

141

143

 

Viv

.は こ の 議 論を

界対 象を認め る 仏 教 徒 に向ける よ うで

る21)。 

BUBh

.に お い て は 唯 識 派に

する もの と思われ る。

BSBh

. 

ll

2

25

に も同

議 論

し, そ こ で は 小 乗 仏 教の 刹 那

論 批 判

され る2!)。

 

V

3

 

で は ,

事物

と と もに 生

する な ら ば, 同 一 事 物 再 認

499

(9)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University

Yogasa

 

trabha

’s 

yavivaropa

4

章 (遠

109

が生 じな い とされ,

刹那滅

が その

喩 例

と され る。

B

3

 

は こ の点に

して は 簡 略で る。 次に 再 認は

類 似

に 基づ い て 生 じる とい う仏 教 者の 反 論を予 想 し て

 

V

3

で は , 類 似 とい う

念は

続す る ある

事 物

と そ れ と似 た他の

事 物

に起 こ る と

べ ,

同 様に (evam )」 と記 した後, 死ん だ人 間が

ぬ 前に

物 と類 似の 事 物を 認 識 する こ は あ り得 ず,

分の 死 後に 自分 と似 た人 間が事 物を認 識 する と考 える者 もい な い 言 う

Viv

.は い っ た い 何を

わ ん し て い の か。

 

B

3

は  の

, 再 認 識は 同 一

を異な っ た時 期 に 直

覚す

に 生じ, 種が等 し く見か けが 類 似 して い る 二 事 物 して生 じるの で はな い , と類 似と再

認識

区 別 を

示 し, 次に 刹 那

で は二 事 物に 対 する 二 回の 認

に お い ての 主

が 異 なる か ら , そ れ ら二 認 識

く類 似

さ え じな い とする。  

B

3

. と対 比 させ る と,

V

3

「evam 」 以下は認 識 主 体の 断 絶 に よ り類 似が生 じ な い とい う批 判

せ る 。 「evam 」 以 前は

B

3

同様 , 類 似は二 事 物 間に 生 じ る

観 念

る こ と を 示 して い る の で ,再 認 識 との 区 別

くもの

せ よ う。

 

BSBh

.に お ける再 認 識 と類 似の議 論は, 認 識主体 の 刹 那 滅性 に よ る

失の 追 及を 記して い

Viv

., 

BUBh

., 

BSBh

. と もに 議 論の 運び方は 似て い る。 し か し,

Viv

. に お い ての 要 領を

な い

議 論

 

特 に  以 下は い っ た い ど うい うこ と な の か 。 要 す る に批 判の 要 点が 主 張され て い な い の で あ る。 これ は

Hacker

が言 う よ うに

Viv

.が

Sahkara

初 期作 品る か らだ ろ うか 。 それ と も他 書にす で に

い た か らだ ろ うか 。 い

れに して も,

BUBh

., 

BSBh

. を

照 するな ら ば,

Viv

.の 議 論 もよ り良 く理解 され よ う

4

V

4

nanu  ca agnivad  eva  svabhasatvarp  vi

$ayabhasatva 叩 ca 

bhavatu

 

yathaiva

 

ghatadayah

 

praka

yah

 svarUpopalambhanartham  

alokantara

   

mapek ante , na  

tatha

 

pradipah

 / 

yatha

 

pradipah

 svabhaso  vi §

yabha

saS ca /

tatha

 mano ’

py

 avabhasakatvad  evaM  

bhavatu

 

kim

 

atmana

 

na  

hi

 

pradipapratipattaye

 

pradipantaram

 

adadate

 

laukikah

yadi

 

 

copadiyeran  anavasthaiva  syat !(

Viv

. 

IV

19

. 

p

349

11

22

26

B

4

nanu  

pradipab

 svatman  evavabhasayan  

dr

ta

 

iti

na  

ghatadivat

       

 

pradipadar6a 璽

a 

pradipantaram

 upadadate  

laukikah

tasmat

 

pra

一 498 一

(10)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

110

      Yogaszatrabha

’5yaviVaraPta 第

4

章 (遠 藤 )

  dipah

 svatmanam  

praka

≦ayati  

1

B

5

1

nanu  

yatha

 

ghataS

       

  

caitanyavabhasyatve

 

pi

  vyatiriktam  

Elokantaram

  apek $ate   nanu

eva  

pradipo

nyam  

alokantaram

 apek §ate

tasmat

 

pradipo

,nyava 一

bhasyo

pi

 sann  

atmanam

 

ghatam

 cavabhasayati

p

568

. 

Il

10

18

V

4

’ : しか しな が ら 〔心に は 〕 火 と同様 に

己 を顕 現 する こ と と

対 境

を顕 現 す

 

る こ と がある はずで ある。 瓶

の 照 明され る もの が 自体の 認 識の た め に は 他         の

るの と全 く同様に は , その よ うに は

灯 火

は ない 。 灯 火が 自己 を 顕 現 す る よ うに, そ の よ うに

もまた

性の 故に 〔灯 火 と〕 同 様なは

る 。 い っ た い ア ー な わ

Yoga

説 く 心 を 顕 現 せ る もの た る プ ル シ ャ 〕な ど何で 必要だ ろ うか。 何 とな れば, 世 間の 人 々 は         灯 火の 知 覚の ため に 別 の 火 を 用 い は しな い か らで ある。 もし用い られ るな

 

らば 不

定 に な ろ う。

B

4

’ : し か しなが ら 灯 火は ま さに

自身

を顕

して い る と

経 験

さ れ る。 世 間の 々 は 灯 火の 知 見の ため に は 瓶の 〔知 見の ため の 〕 場 合の よ うに灯 火   を 用い は しな い 。 そ れ故 に灯 火は 自己 自身を照 明する 。 … … …

答論

灯火

とい え ど も人 間に よ り

認 識

され る

りは, 自己と異な る

精 神

的 な もの に よ り 顕 現 される点で は瓶 と異 な ら ない 。

B

5

1

し か しな が ら , 瓶は精 神 的         な もの に よ り 顕 現され る もの で る 場合に も 〔そ れが 知覚 さ れ る た め に は

な っ た光 に依

する が, そ の よ うに

灯 火

知覚

されるた め に 〕

に 依 存 するの で は ない 。 そ れ 故,

火 は 他の もの 〔認 識 者 〕 に よ り顕 現 され る もの で っ て も, 自己 と瓶 と を顕 現 させ る。 (cf .金倉

p

134

.)

 

と もに仏 教 者の 主 張で あ る。

V

4

は唯 識 派で ろ うか。 

B

4

外 界 対 象

る仏 教

と され る。

Viv

.の 「nanu  ca 」 と

BUBh

.の 「nanu 」に 注

して お き

たい

 

こ の 部 分は仏 教 者が灯 火の 比 愉を用い て , 識が 認 識 対 象 と 主

との 二 つ の 顕 現 を

主 張 す くだ りで る 。

V

4

svabhasam , vi$ayabhasam の 二

は,

YBh

. を継 承 した もの で ある。 こ れ らの 両

合 語を , 

Karmadharaya

Bahuvrihi

に読むの か , 

Tatpuru

$a の

Bahuvrihi

むの か ,

Tat

puru

§a で

分 を 形 容 詞 的に 読 むの か ,

者とし て は

定で きな い 。

有形象

(11)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

Yogas

trabhds

丿avivaragea 第

4

章 (遠 藤 ) (

111

論に お い て は

対 象 と しての 顕 現 と主体 として の 顕 現が存 す る, つ ま り

Kar

− madharaya ・

Bahuvrihi

と す だ が , 灯 火に関し て 言え ぽ,

灯 火

が 見 られる は

は な い か ら,

最後

釈 に な ろ う。 本 稿 に お い て

一 ゜

abhasa 」

とい う語に

え られ る訳 は

定 的な もの で あ る と理解 して い た だ ぎ た い 。

 

さて

V

4

,   前半 と

B

4

 

の 類 似は 著 しい 。 尚,

Viv

.の 現 行

Text

で は,

V

4

 

部 分

laukikah

」で 段

区切

られ,

yadi 」

以 下は

の 段 落の 冒頭と さ れ る。 これ は 明らか に 誤 ま りで あ り,

syat 」の

に 段 落の 区切 りが くるべ きで あ る。 こ の 理 由は次 節で 明 らか に な ろ う。   も内 容 表 現 ともに か な り類 似 する 。

B

4

略 部 分に は , 灯 火 も瓶 もそ れら と異 なっ た 認 識 者に 見 られ る こ とは

わ ら な い とい う反 論,すなわ ち次 節

B

5

−!が入 る。

Viv

.で も上掲

V

4

直 前 (manas ) も音 声 等と同じ く認 識

象 とな るの で , 「svabhasa

で はない と い う

YBh

.に

する註 釈が述べ こ の

議論

内 容に つ い て は 次 節に

げ る記

と ともに

考 察

した い 。

5

 

まず

viv

. と

BuBh

.を

照させ る

に , 

v

4

続 く

viv

.の

記 述

し, その

を 理解 した 後に

Viv

。 と

BUBh

.の類 似 部 分を挙 げたい

V

5

1

eva

叩 vijfi 

anasyapi

 vyatiriktena  

grahyatve

 

tasya

 canyena  

gra

ha

ロa阻

tasya

 canyenety  evam  

prasajyeta

kirp

 ca  vij 丘

anasyavabha

       

satmakatvat  

grahyasyapy

 avabhasarUpatvat  na  

parasparopakaryopa

karakabhavah

tadyatha

 

pradipayor

 

dvayoh

!tasmat

 

kalpito

pi

 vi

jftanasya

 

grahita

 anarthaka  

iti

 

bhavatu

 

jfianam

 

svabhasarp

 

para

bhasa

卑 ceti 〃 (

Viv

, 

IV

19

. 

p

349

11

. −

26

30

V

5

1

’ : 同様に , 識 も異な っ た もの に よ り 認識さ れ る 場 合 そ 〔の 後 者 〕に も          

 

別 な もの に よる 認 識が あ り そ してそ 〔の 別 な もの 〕に 〔さ らに〕 別な もの に よ る

認識

が ある〕 とい う よ うに

限遡 及に〕な っ て し ま うだ ろ う。 さ ら に , 識が 顕 現 を 本

とす る もの で ある こ との 故に , 相互 に作 用 し合 う関 係は     な い ,二 つ の

如 く

。 そ れ 故, 識に関す る認 識者 を

想して も無 意

で 一

496

一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(12)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 University (

112

)      

Yogastitrabha

syavivaro

解a 第

4

章 (遠藤)

   

ある。 だか ら, 知が 自己 と しての 顕 現を持ち他 とし て の 顕 現を

たね ば な ら     な い 。

  

こ の,

v

4

, 

v

5

1

続 く仏 教 徒 主 張 し て

Viv

.は

開 する。

   

 

か っ た

己 を

る く

るの で は な い , と して

己 を照 らす もの に

     

す る灯 火の え を否 定 す 。 (

p

350

ll

5

12

23)

   

◎ :灯 火の 知

の 為に他の 灯 火が 不必

る こ と は ,

灯火

自身

     

に よ り認 識され な い こ と を意

しない , と し て前 節

V

4

 

の 主

を否 定

     

す る 。 (

p

350

ll

.  

13

15

 

  

 

灯 火 と

に は 相互 に 〔照 らし

う〕

用は ない

dvayob

 

prad1

     

payor

 nasti  

parasparopakara

V

5

1

 

の 仏 教

の 主

は承

     

認 する。 二

火間に

用が な い の で あれ ぽ, い わ ん や灯 火が 一つ し か

     

な い場 合に他の 灯 火へ の 依 存な どある は ず がな い , と。 (

p

. 

350

11

16

19

  こ れ に 続 く

Viv

.に は

BUBh

.を 対 照さ せ よ う。

V

5

2

na  

tu

 vyat riktagrahyatva

卑 vyabhicarati , 

pradipayor

 

dr

yatvat

     

ghatadivat

!etena  vyatiriktagrahyatvalp  

j

 

fianasya

 

drSyatvat

 

pradi

pavat

 siddhalp  

bhavati

pradipavac

 ca 

jfianasya

 

prakaSasvarapatvat

karanantaranapek

api

 siddha

!tatha

 

ca

 

anavasthado agandho

 

na                          

 

vidyate

〃 yad

 

apy   ucyate  

j

 

fianasyavabhasatmakatvat

 

tadgrahaka

 

syapy  avabh 盈sarapatvat  na

 

parasparopakaryopakarakabhavah

 

Pradi

 

payor

 

iva

 

dvayor

 

iti

nasau  

do

ab

cak §uhpradipavad  

atmajfiana

              

 

jatyantaratvat

〃 (

Viv

. 

IV

19

. 

p

350

 

U

20

26

B

5

1

:na !avabhasyatvaviSe

at

yady

 api 

pradipo

’nyasyavabhasakah

 

svayam   avabhasatmakatvat  

tatha

 

pi

  vyatiriktacaitanyavabhasya 一

         

 

tvar

ロ na  vyabhicarati  

ghatadivad

 eva

!yada

 caiva

tada

 vyatirikta

 

vabhasyatva 耳1 

tavad

 ava6yar

bhavi

 

p

568

 

II

12

15

.)

B

5

2

tada

navastheti  cet

na  

grahyatvamatra

 

hi

 

tadgrahakasya

       

 

vastvantaratve  

li

gam

 uktam  nyayatah /na  

tv

 ekantato  

grahakatve

 

tadgrahakantarastitve

 

v巨

 

kadacit

 

a

i

〔→ api 〕

 

1ihgarp

 

sambhavati !

(13)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University

y

9

{z3配〃αδんσ5yα加1丿ara a 第

4

章 (遠 藤 ) (113)

tasman

 na 

tadanavasthaprasaflgah

vijfianasya

 

vyatiriktagrahyatve                                        

karanantarapek

ayam

 avanastheti 〔→ anavastheti 〕cet

na

niyama 一

bhavat

 

l

 na 

hi

 sarvatraya niyamo  

bhavati

!_ .._ ,

1ghatas

 

tavat

svatmavyatiriktena ”

tmana

 

grhyante

 

tatra

 

pradipadir

 

aloko

 

grahya

grahakavyatiriktam

 

karapam

na  

hi

 

pradipadyaloko

 

gha

6aca

k

§urarp60  va !

ghatavac

 cak §urgahyatve

 

〔→ 一 ゜

grahyatve

 

pi

 

pradi

pasya

 cak uh  

pradipavyatirekepa

 na  

bahyam

 

alokasthaniya

ki

卑 cit

kara

antaram

 a$ek $ate → apek ate 〕

!tasm2n

 naiva  niyatum §akyate

!yatra

 

yatra

 

vyatiriktagrahyatvarp  

tatra

 

tatra

 

kara

antararn

 

syad

eveti !

tasm

d

  vij 負

anasya

  vyatiriktagrahakagrahyatve 照 . 

kara

         

dvara

 

navastha

 

napi

 

grahakadvara

 

kadacid

 a§

y

 

→ apy 〕

 

upapadayi 一

      一        一

turp

 

Sakyate

tasmat

 siddharp  vijhanavyatitiktam  

atma

yotlr

 antaram

iti

 

1

 

p

570

11

3

25

V

5

2

’ : 〔灯 火認 識 に別の

は 必

な い が〕 し か し, 異な っ た もの に よ り                                                          皿

 

認 識 され る こ とを 逸脱す るの で は ない , 二 つ の 灯 火は見 られ る もの で あ る か ら.瓶. く。 こ の に , 知に は 異な っ た もの に よ り認 識 さ れ る こ とがあ る , 灯 火の 如 く, 〔とい うこ とが〕 成 立 す る。 そして , 明 を 自体 とす る こ との 故 に 他 の 器 官へ の 無 依 存 もま た成                                                                   が他の に認 識 さ れ そ れ カミま た 別の に とい う〕 不確 定の 過 失は 少し もな い 。 ↑

灯火 等

く,

 立 す る。 同様に 〔知 次の こ も 〔に よ り〕 言.われた, 知 が 顕

本 質

とす る もの で ある か ら, また そ れ の 認 識 者 も 顕 現 とい う

姿

で ある こ とか ら, 相 互に 作 用 し合 う関 係は な い 二 つ の 灯 火に とっ て の

く, と。

々 に 〕そ の 過 失は 無い 。 眼と灯 火         の

, ア ー マ ン と知 とは 種 が 別で

る こ との 故に。

B

5

P

〔灯 火 自身 る と が 〕 そ う は な 。 顕現

  

させ られる こ と.に 差異は な い か ら。 た と え灯 火が

か らが 顕 現を本

とする

  

もの である こ と,の 故 に他に とっ て は

現者

っ て も, それで

も 〔自身

 

は〕 異な っ た精 神 的な もの に よ り顕現 させ ら れ る こ とを逸 脱 す る の で は な い ,       瓶 等 と全 く同様 に で ある。 そ し て こ の よ うで ある な らばと もか く異な っ た も の に よ り顕 現 させ られ る こ は 疑い い 。

B

5

2

’ : 認 識 す の が ア ー トマ ン で あるな らば ,

cf .金 倉

P

134

         そ れ を認 識 する別 の 一

494

一 N工 工一Eleotronio  Library  

(14)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (

114

Yogasatrabha

−s 

yavivaragea

4

章 (藤 ) もの が さ らに 必要 とな るの で その 場合は 不

確定

で あ る, と 〔汝が 〕 言 うな         らば, そ うで はな い 。 何 となれ ぽ, そ 〔の識 〕を認 識 する もの が 〔それ と は〕 別の

事 物

場 合に は 認 識 対 象 性の み が 〕 あ 〕 証 因が 正 理 に 基づ き

られ たか らで あ る。 し か る に, 絶

的に , 〔別の もの に

認識

され る場 合の 〕 認 識 主 体 性 あい は そ 〔の 別の

を 〔さ らに〕

認識

する

の の

存在

に つ い て は , い か なる時に も

因が あ り

ない。 それ        一 故そ れ が 不

確 定

ち 入 るはない 。

ま た,

が 〕

が 異な っ た もの に         よ り認 識 さ れ る場 合 他の 器 官へ 依 存につ い て の 不 確定 が ある, とい うな ら ぱ, そ うで は ない 。 決 定が な い か ら。 すべ て の場 合に こ の 決 定があるわ けで はな い か らで あ る。 … … …

に限っ て み れ ば 〔光に 照 らされ てい る時〕 自己 自

とは 異な っ た ア ー トマ ン に よ

認識

され る 。 その 場

は認 識 対 象 と認 識主体 とは異な っ た 器

〔つ ま り道具 〕 で ある

と な れば 灯 火 等の 光は 瓶の 一

も眼の 一 部 分な い か ら。 瓶の 如 く灯 火が眼の 認 識 対 象であ る場 合に は ま た , 眼は 〔そ の

火の 〕光に

わ る

外 界

の い か なる器 官 〔つ ま り道 具 〕に も依 存 し な い そ れ して 決 定す る こ はで きない , どん な場 合であ れ 異な っ た もの に よ り認 識 され るすべ て の 場 合に, 必ず 〔

とは〕別 の 器 官があるべ と は 。 故 に, 識が異な っ た もの に認 識 さ れ る         場 合に, 器 官を と うし ての 不 確 定が ある と も, 認 識主体を と うして 〔の 不確 定〕 がある とも, い か なる場

に も帰 結す る ことは で きな い 。 そ れ 故, 識 とは 異 なっ た他の もの で ある ア ー トマ ン の 輝 き が

立 す る 。 (cf .金倉

PP

136

138

.)

 

大 分

用 が 長 くな っ て しまっ た。

B

5

1

B

4

略 部 分

§

a 一

kara

答論

で ある。 

Anandagiri

に よれ ば

B

5

2

外界対象

を認め る

教 者 へ の 答 論 と され るの で ,

B

4

, 

B

5

1

, 

2

と もにそ れ らの 人々 との 議 論 とい うこと に な る。

Viv

.で は, 

V

4

, 

V

5

1

2

ともに 明 記は されない が

識 派 との

論で あ る と思 わ れ る。

V

5

2

,   を少 し説 明 して

Viv

. 

IV

19

は 終わ る。

 

これ ら一連の 議 論は 仏 教

の 主張 と そ れに対 する 答 論 とか ら な る。 そ こ で , ま ず

Viv

.に お け る

仏 教徒

張 (

V

4

 

V

5

1

)を ま とめ て み よ う。 そ して その 場 所を示 し た下 線 部の 記 号を付 す こ とにする。 一

493

参照

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