三
十
帖
策
子
の
経
緯
に
関
す
る
一
試
論
高
木
許
元
一、 大 師 請 来 の 策 子 弘 法 大 師 請 来 の 経 論 章 疏 あ る い は 儀 軌 類 の な か で、 確 実 に 現 存 す る も の に 所 謂 ﹁ 三 十 帖 策 子 ﹂ が あ る。 す で に 指 摘 さ れ (1) て い る ご と く、 桝 形 本 と い わ れ る こ の 小 冊 子 に、 し か も 極 細 字 で 経 軌 類 の 縮 少 書 写 を な さ れ た の は、 限 ら れ た 留 学 費 用 と、 ま た 一 つ に は 随 身 携 行 の 便 を も 考 慮 さ れ て の 新 工 夫 で あ っ た と 言 わ れ る。 大 師 以 降 の 入 唐 留 学 僧 も ま た、 か な り の 分 量 忙 の ぼ る 策 ( 冊) 子 本 に よ っ て、 経 軌 類 を 将 来 し た こ と は、 (2) そ れ ぞ れ の 請 来 法 文 の 目 録 を 一 瞥 す れ ば 明 ら か で あ る。 し か し な が ら、 大 師 請 来 の 経 軌 が す べ て 策 子 本 で あ っ た と 断 定 で き る 根 拠 は 存 し な い。 学 者 に よ っ て は、 公 的 な も の は こ れ を 巻 子 本 で 将 来 し、 策 子 本 は 手 許 の 備 え と し て の 私 的 な (3) も の で あ っ た と す る け れ ど も、 も し そ う な ら、 ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ と 現 存 策 子 な い し は 所 謂 ﹃ 延 喜 勘 合 目 録 ﹄ と の 両 方 に 記 載 さ れ て い る 経 軌 類 は、 す べ て 巻 子 本 と 策 子 本 と の 二 部 つ つ が 将 来 せ ら れ た こ と に な る で あ ろ う。 し か し、 逼 迫 し た 費 用 と 限 ら れ た 時 間 の 範 囲 内 で、 は た し て そ の よ う な 二 重 の 書 写 が 可 能 で あ っ た か ど う か 疑 念 な き を 得 な い。 同 じ 策 子 本 の な か に、 た と え ば ﹃ 十 入 会 指 帰 ﹄ ( 第 二 十 帖 と 第 二 十 七 帖)、 ﹃ 大 教 王 金 翅 鳥 王 品 ﹄ (第 二 十 二 帖 と 第 二 十 六 帖)、 ﹃ 十 七 尊 釈 ﹄ ( 第 二 十 帖 と 第 二 十 七 帖) な ど の よ う に、 大 師 自 身 と 写 経 生 と に よ っ て 誤 っ て 重 複 書 写 し た も の が あ る。 ま た、 或 る 経 軌 に つ い て は、 請 来 策 子 本 の 他 に も 同 じ 経 軌 の 別 本 が 存 在 し た こ と が 知 ら れ る 場 合 も あ る。 た と え ば、 ﹃ 十 一 面 儀 軌 ﹄ 三 巻 は 現 存 策 子 の 第 十 三 帖 の 原 型 で は、 三 巻 が 不 可 分 に 書 写 せ ら れ て 一 帖 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論密 教 文 化 に 製 本 さ れ て い る。 し か る に、 同 じ ﹃ 十 一 面 儀 軌 ﹄ 三 巻 を 大 師 か ら 請 借 し た 最 澄 は、 ま ず 最 初 に 中 巻 の み を 写 し 取 っ て、 こ の 巻 を 先 に 返 還 し て い る の で あ る。 す な わ ち、 お そ ら く は 弘 (4) 仁 元 年 ( 八 一 〇) と 思 わ れ る 二 月 十 七 日 付 の 消 息 の 追 伸 に は、 次 の よ う に 書 か れ て い る。 ﹁ 華 厳 経 奉 爲 首 未 レ 了、 計 以 二 来 月 下 旬 一 可 レ 絶 レ 筆、 十 一 面 中 巻 爲 了、 差 二 専 使 一将 二 請 還 一、 所 レ 恵 名 香 頂 戴 奉 レ 献 二 常 住 三 宝 一、 十 一 面 所 残 上 下 井 千 手 儀 軌、 妙 澄 仏 子、 若 上 レ 山 (5) 付 ( 以 下 略) ﹂ ( 傍 点 筆 者) 同 じ く 弘 仁 元 年 と 目 さ れ る 三 月 五 目 付 の 消 息 に は、 ﹁ 奉 送 十 一 面 儀 軌 中 巻 一 巻 右 経 蒙 レ 恩 奉 覧 既 畢、 恰 似 レ 奉ニ 謁 観 音 一、 伏 乞、 大 阿 閣 梨、 莫 レ 隔 二 有 情 機 一、 謹 啓 三 月 五 目 下 資 最 澄 状 上 (6) 遍 照 阿 闇 梨 法 前 ﹂ と あ る。 こ れ ら 二 通 の 消 息 か ら み て、 こ の と き 最 澄 の 借 覧 し た ﹃ 十 一 面 儀 軌 ﹄ は 三 巻 が 各 々 分 巻 し て い た も の で あ っ て、 大 師 請 来 の 策 子 本 と は 別 の 本 で あ っ た こ と が わ か る。 し か し、 だ か ら と 言 っ て、 こ れ が 巻 子 本 で あ っ た と い う 確 証 は な い し、 さ ら に は ま た、 こ れ が 大 師 帰 朝 後 の 復 写 本 で あ っ た 可 能 性 も あ る の で あ る。 さ ら に、 同 様 の こ と は 新 訳 の ﹃ 四 十 華 厳 ﹄ な ど に つ い て も 認 め ら れ る。 年 次 も 宛 名 も と も に 不 明 で は あ る が、 お そ ら く (7) 東 大 寺 の 某 阿 閣 梨 に さ し 出 さ れ た と 思 え る 大 師 の 尺 陵 に、 次 の よ う な 文 章 が 見 ら れ る。 ﹁ ( 前 略) 空 海 従 二 大 唐 一所 二 将 来 一新 訳 華 厳 経 及 疏 儀 軌 等、 (8) 切 思 二 奉 呈 一、 彼 此 相 隔、 心 未 二 極 憾 一 ( 後 略) ﹂ こ こ で 新 訳 華 厳 経 と い う の は 般 若 三 蔵 訳 の ﹁ 新 訳 華 厳 経 二 部 四 十 巻 ﹂ (﹃ 御 請 来 目 録 ﹄) を 指 し、 ﹁ 疏 ﹂ は 澄 観 撰 の ﹁ 華 厳 経 疏 一 部 三 十 巻 ﹂ (﹃ 御 請 来 目 録 ﹄) を、 さ ら に ﹁ 儀 軌 ﹂ と は ﹁ 華 厳 経 入 法 界 品 頓 証 毘 盧 遮 那 字 輪 玲 伽 儀 軌 一 巻 ﹂ (﹃ 御 請 来 目 録 ﹄) を そ れ ぞ れ 指 し て い る。 こ の 中、 澄 観 の ﹃ 華 厳 経 疏 ﹄ 三 十 巻 を 除 い て は、 す べ て 三 十 帖 策 子 の な か に 含 ま れ て い る の で あ る。 し か も、 そ の ﹁ 儀 軌 ﹂ は 治 安 二 年 ( 一 〇 二 二) 十 一 月 十 六 日 の ﹃ 去 延 喜 十 入 年 勘 定 目 録 以 後 紛 失 日 記 ﹄ に よ れ (9) ば、 治 安 二 年 以 前 に す で に 散 失 し て い た こ と が 知 ら れ る。 し か る に 所 謂 ﹃ 延 喜 勘 合 目 録 ﹄ に は 記 載 せ ら れ て い る か ら、 遅
く と も 延 喜 十 入 年 ( 九 一 八) ま で は 実 在 し て い た の で あ る。 さ ら に、 よ く 知 ら れ て い る よ う に、 ﹃ 四 十 華 厳 ﹄ は 現 存 策 子 第 一 帖 か ら 第 四 帖 に 収 め ら れ て い る。 し た が っ て、 大 師 が 東 大 寺 の 某 阿 闊 梨 に 進 呈 し た 四 十 華 厳 お よ び 華 厳 儀 軌 は 請 来 策 子 本 と は 別 の も の で あ っ た こ と に な る。 現 在、 東 大 寺 の 所 蔵 に か か る 四 十 華 厳 の 唐 本 零 巻 (楮 遂 良 風 の 書 法 に よ る 巻 子 本) が そ れ に 該 当 す る か ど う か は、 も と よ り 定 か で な い。 と こ ろ で、 四 十 華 厳 の 経 軌 は 最 澄 に よ っ て も 請 借 せ ら れ て い る。 最 澄 は ま ず ﹁ 華 厳 経 一 部 四 十 巻 ﹂ を ﹁ 大 日 経 略 摂 念 諦 随 行 法 一 巻 ﹂ な ど と 共 に、 大 同 四 年 ( 八 〇 九) 入 月 二 十 四 日 に (10) 借 り 受 け、 翌 年 正 月 十 五 日 付 の 消 息 の 追 伸 で は、 ﹁ 華 厳 経 本、 冬 節 雪 寒、 爲 取 不 レ 得、 今 三 月 以 還 爲 畢、 (11) 将 レ 奉 ﹃ 送 其 本 一、 惟 莫 二 叱 噴 一、 不 二 敢 損 失 一、 謹 空 ﹂ と し、 さ ら に 同 年 二 月 十 七 日 付 の 消 息 二 伸 で も、 ﹁ 華 厳 経 爲 (12) 首 未 レ 了、 計 以 二 来 月 下 旬 一可 レ 絶 レ 筆 ﹂ と し て い る が、 こ れ ら の 消 息 か ら は、 こ れ が 請 来 の 策 子 本 で あ っ た か 否 か は 判 然 と し な い。 次 に、 ﹃ 華 厳 経 疏 ﹄ は 遅 く と も 弘 仁 二 年 ( 八一一) 四 月 以 前 に、 最 澄 に よ っ て 借 用 せ ら れ て い る こ と が 知 ら れ る。 す な わ (13) ち、 弘 仁 二 年 四 月 十 三 日 付 の 消 息 の 追 伸 に お い て、 ﹁ ( 前 略) 但 華 厳 疏 暗 草、 経 生 爲 不 レ 得、 最 澄 自 爲 早 了 不 レ 得、 不 二 空 経 見 一、 今 窩 了 送 上、 莫 レ 致 二 憂 慮 一、 弟 子 幸 甚、 (14) 謹 空 ﹂ と し た た め ら れ て い る。 こ の 華 厳 の 疏 は、 そ の 後、 大 師 か ら の 催 促 に よ っ て、 漸 く 弘 仁 七 年 ( 八 一 六) の 二 月 十 日 に 返 還 さ れ た。 実 に 五 年 間 も 最 澄 の 手 許 に 置 か れ た の で あ る。 こ の と (15) き の 返 納 状 に は、 ﹁ 澄 観 新 華 厳 疏 上 秩 十 巻 唐 本 ﹂ と あ る か ら、 こ れ が ま さ し く 大 師 請 来 の 策 子 本 で あ っ た こ と は 明 白 で あ る。 こ の 返 還 の 消 息 か ら、 澄 観 の ﹃ 華 厳 疏 ﹄ 三 十 巻 は 策 子 三 帖 で 将 来 せ ら れ た こ と が わ か る け れ ど も、 現 存 策 子 は も と よ り の こ と、 ﹁ 延 喜 勘 合 目 録 ﹂ に も 見 ら れ な い も の で あ る。 お そ ら く 延 喜 十 八 年 以 前 に す で に 散 秩 し て し ま っ た も の と 思 え る。 さ き の 最 澄 の 消 息 か ら、 こ の 将 来 唐 本 は き わ め て 読 み 難 い 草 書 体 で 書 写 さ れ て い て、 叡 山 の 写 経 生 に よ っ て は 容 易 に 転 写 し が た い 態 の も の で あ っ た こ と が わ か る。 大 師 が 東 大 寺 の 某 闊 梨 に 贈 っ た も の が、 こ の 唐 本 で あ っ た か 否 か は、 も と よ り 知 り 得 べ く も な い。 も し も、 そ の と き の 贈 呈 本 が こ の 唐 本 で あ っ た と す れ ば、 そ の 時 期 は 当 然、 弘 仁 七 年 二 月 以 降 と 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論
密 教 文 化 な ら ざ る を 得 な い が、 し か し こ の 場 合 も 新 し く 転 写 し た も の を 奉 呈 し た と 考 え ら れ な い こ と も な い。 さ ら に ま た、 ﹃ 華 厳 儀 軌 ﹄ は 最 澄 か ら 弘 仁 四 年 ( 八 一 三) 正 月 十 入 日 に、 ﹃ 金 剛 頂 字 母 品 ﹄ お よ び ﹃ 文 殊 問 字 母 品 ﹄ と と も に 返 還 さ れ て い る。 こ の と き の 返 還 状 で は、 ﹁ 華 厳 儀 軌 一 (16) 帖 ﹂ と な っ て い る か ら、 最 澄 が 借 覧 し た も の は 策 子 本 で あ っ た こ と は 明 白 で あ る。 し か も、 こ の ﹃ 華 厳 儀 軌 ﹄ も ﹁ 紛 失 目 記 ﹂ に よ れ ば、 延 喜 十 入 年 ( 九 一 八) か ら 治 安 二 年 ( 一 〇 二 二) に 至 る 間 に 紛 失 し た こ と が わ か る。 し た が っ て、 大 師 が 東 大 寺 某 闊 梨 に 進 呈 し た ﹁ 儀 軌 ﹂ は 将 来 策 子 本 で は な か っ た こ と に な る。 大 師 が 新 請 来 の 密 教 経 軌 の 三 十 五 な い し 六 巻 を 有 縁 の 人 び と の 助 力 を 得 て 書 写 流 通 せ し め ら れ た こ と は、 所 謂 ﹁ 勧 縁 疏 ﹂ (﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 九) を は じ め、 ﹃ 高 野 雑 筆 集 ﹄ 所 収 の 徳 一 な ど に 宛 て ら れ た 大 師 自 身 の 書 翰 か ら 知 ら れ る と こ ろ で あ る。 あ る い は、 東 大 寺 の 某 阿 閣 梨 に 対 し て も、 こ う し た 新 写 書 の 経 軌 を 贈 っ た の で は な か ろ う か と も 思 わ れ る が、 も と よ り 推 測 の 域 を 出 る も の で は な い。 こ こ で、 さ き に も 触 れ た 東 大 寺 所 蔵 の ﹃ 四 十 華 厳 ﹄ が 問 題 と な ろ う。 現 在、 巻 第 一、 四、 五、 六、 九、 十 一 の 六 巻 の み が 残 っ て い る に す ぎ な い が、 楮 遂 良 風 の 書 体 で 写 さ れ た 巻 子 (17) 本 で、 唐 本 と 目 さ れ て い る。 こ の ﹃ 四 十 華 厳 ﹄ を わ が 国 へ 最 初 に 将 来 さ れ た の は 弘 法 大 師 で あ り、 し か も 他 の 入 唐 家 の 請 来 録 の な か に は、 こ の 四 十 華 厳 は 見 当 ら な い。 し か し、 だ か ら と 言 っ て、 こ の 巻 子 本 を 直 ち に 大 師 請 来 の も の と 断 定 す る に は、 な お 根 拠 が 薄 弱 で あ る。 従 来 知 ら れ る 阪 り に お い て、 確 実 に 大 師 の 将 来 と 目 懲 れ る 巻 子 本 は 全 く 現 存 し な い。 た だ 勧 修 寺 に 所 蔵 さ れ る 良 責 の ﹃ 仁 王 経 疏 ﹄ 三 巻 が、 現 在 は 折 本 仕 立 の 三 帖 の 体 裁 を と っ て い る が、 も と は 巻 子 本 で あ っ た と (18) す る 見 解 が 行 わ れ て い る。 も し も、 こ れ が、 事 実、 大 師 の 将 来 に か か わ る も の で、 し か も 本 来 は 巻 子 本 で あ っ た と す る 説 が 正 し い と す れ ば、 こ れ が 唯一 の 遺 存 本 と い う こ と に な ろ う。 大 師 の ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ は ﹃ 貞 元 録 ﹄ の 記 載 に 準 じ て 書 か れ た た め に、 円 仁、 恵 連、 円 珍、 宗 叡 な ど の 将 来 録 の よ う に、 峡 数、 策 子 の 帖 数、 用 紙 の 張 数 の 記 入 は な く、 し た が っ て い ず れ が 策 子 本 で い ず れ が 巻 子 本 で あ っ た か は、 目 録 か ら は 知 る 由 も な い。 尊 賢 の ﹃ 三 十 帖 策 子 由 来 ﹄ に は、 大 師 請 来 の 経 軌 は ﹁ 有 二 巻 軸 之 本 一、 有 二 帖 策 之 本 こ と し、 ﹁ 被 レ 書 二 写 (19) 小 冊 一都 有 二 三 十 帖 一 ﹂ と す る も、 信 頼 に た え な い。
さ て、 大 師 請 来 の 策 子 が 本 来 幾 帖 存 在 し た か に つ い て も、 も と よ り 詳 か に な し 得 な い。 周 知 の ご と く、 現 存 策 子 第 十 四 帖 の 末 尾 に は、 四 紙 ( 片 面 は 白 紙) に わ た っ て、 策 子 総 目 録 と 見 ら れ る 大 師 自 筆 の メ モ が 記 載 さ れ て い る。 そ れ に よ れ ば、 ﹁ 華 厳 策 子 四 帖 ﹂ か ら ﹁ 尊 勝 釈 等 策 子 一 ﹂ に 至 る 合 計 三 十 九 帖 が 認 め ら れ る。 こ の 記 載 は 大 師 請 来 の 策 子 の 原 型 を 考 察 す る た め の 貴 重 な 資 料 と な る べ き も の で あ る。 ま た、 こ の 大 師 自 筆 の 目 録 に は、 校 合 の 際 に 付 さ れ た と 思 わ れ る 白 字 の ﹁ 合 ﹂ ﹁ 元 ﹂ ﹁ 破 ﹂ ﹁ へ ﹂ ﹁ 〇 ﹂ な ど の 文 字 や 記 号 が 記 入 さ れ て い る。 墨 書 に よ る ﹁ 元 ﹂ ﹁ へ ﹂ ﹁ 巳 上 有 標 ﹂ ﹁ 有 標 ﹂ ﹁ 賜 我 師 ﹂ な ど の 書 き 込 み も、 こ れ ら の 策 子 の 経 緯 を 知 る 鍵 と な ろ う。 朱 と 白 線 と で 見 せ 消 ち さ れ て い る 第 十 二 番 目 の ﹁ 仁 王 経 等 策 子 一 帖 ﹂ が、 単 な る 重 複 誤 写 を 訂 正 し た も の と す れ ば、 策 子 の 数 は 三 十 八 帖 と 癒 る。 し か し、 こ の 第 十 四 帖 の 策 子 の 帖 末 に お け る 目 録 記 載 の 紙 数 が、 散 逸 す る こ と な く 当 初 の 形 態 を そ の ま ま 保 持 し て い る も の か ど う か は 定 か で な い。 い ま な お、 こ の 第 十 四 帖 を 直 接 に 披 見 す る 機 縁 に 恵 ま れ な い た め に、 断 言 す る こ と は さ し 控 え な け れ ば な ら な (20) い が、 法 蔵 館 編 集 部 編 ﹁三 十 帖 原 本 調 査 表 ﹂ に よ れ ば、 白 紙 の 部 分 六 十 四 頁 は 胡 蝶 装 の 紙 端 を 糊 で と め た 含 袋 と じ に な っ (21) て い る と い う。 し か し、 大 村 西 崖 氏 に よ る 影 印 本 を み る に、 目 録 記 載 の 部 分 の 四 紙 ( 八 頁) は 片 面 が 白 紙 で あ り、 左 側 の 頁 に の み 記 載 さ れ て い る。 こ の 自 筆 目 録 に つ い て は 後 述 の よ う に 問 題 が あ る。 い ず れ に し て も、 こ こ に 記 載 さ れ て い る も の の み が 大 師 請 来 の 策 子 の 全 て で は な い。 そ の こ と は、 前 述 の ﹁ 新 華 厳 経 疏 三 帖 ﹂ ( 澄 観 の 疏 三 十 巻) の 存 在 に よ っ て も 傍 証 せ ら れ る で あ ろ う。 こ の 他 に も な お 幾 つ か の 策 子 が 将 来 せ ら れ た。 た と え ば、 最 澄 は 弘 仁 五 年 ( 八 一 四) 二 月 八 日 に、 大 師 か ら 催 促 を 受 け て ﹃ 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 ﹄ な ど と 共 に、 ﹃ 貞 元 目 録 ﹄ を 返 還 し て い る。 そ の 折 の 返 納 の 消 息 に は、 ﹁ 守 護 国 界 主 経 一 部 短 帖 虚 空 蔵 経 ︼ 部 四 巻 貞 元 目 録 初 秩 十 巻 右 経 疏 等、 随 二 書 旨 一奉 上 如 レ 件 弘 仁 五 年 二 月 入 日 少 弟 子 最 澄 状 上 (22) 高 雄 大 阿 闇 梨 法 右 ﹂ と あ る。 こ れ は 前 掲 の 弘 仁 二 年 四 月 十 三 日 付 の 消 息 の 裏 書 に 見 ら れ る 送 本 の 憶 え 書 き と 思 わ れ る ﹁ 四 月 十 四 日 附 二 経 珍 師 一、 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論
密 教 文 化 (23) 借 二 送 文 句 二 部 十 七 巻、 湛 然 記 十 巻、 貞 元 目 録 上 秩 十 巻 こ と も 相 応 す る。 最 澄 は ﹃ 貞 元 目 録 ﹄ の 上 鉄 十 巻 の み を 借 覧 し た も の の ご と く で あ る が、 そ れ は 兎 も 角 と し て、 右 の 消 息 お よ び 裏 書 か ら み て、 こ の 大 師 請 来 の ﹃ 貞 元 目 録 ﹄ 三 十 巻 (﹃ 御 請 来 目 録 ﹄) は 各 帖 十 巻 の 三 秩 か ら な る 策 子 本 で あ っ た こ と が わ か る。 さ ら に わ れ わ れ は、 高 雄 山 に お け る 潅 頂 の 直 後 の 弘 仁 三 年 ( 八 一 二) 十 二 月 十 八 目 付 の 最 澄 か ら の 借 請 消 息 に 留 意 す べ き で あ る。 す な わ ち、 ﹁ 借 請 虚 空 蔵 経 疏 四 巻 還 了 華 厳 入 法 界 品 字 門 一 帖 加 文 殊 字 母 金 剛 字 母 還 了 十 地 経 二 帖 加 廻 向 経 十 力 経 菩 提 場 所 説一 字 転 輪 王 経 一 帖 守 護 国 界 主 経 一 帖 還 了 烏 枢 悪 摩 経 一 巻 複 上 下 金 剛 薩 垣 五 秘 密 念 諦 儀 軌 右 法 門 限 二 来 年 二 月 下 旬 一、 将 二二奉 上 一、 伏 乞、 大 徳 慈 悲、 哀 慾 聴 許、 稽 首 和 南 弘 仁 三 年 十 二 月 十 八 日 受 法 弟 子 最 澄 (24) 集 十 二 帖 僧 智 泉 ﹂ こ の 消 息 に お い て、 ﹁ 集 十 二 帖 僧 智 泉 ﹂ と あ る の は ﹁ 還 了 ﹂ な ど の 記 入 と と も に、 後 に こ れ ら の 経 軌 が 返 還 収 納 さ れ た と き に、 智 泉 に よ っ て 書 き 込 ま れ た 憶 え 書 き で あ る。 ﹃ 虚 空 蔵 経 疏 ﹄ や ﹃ 守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 ﹄ は 弘 仁 五 年 二 月 八 日 に 返 還 せ ら れ、 ﹃ 金 剛 薩 垣 五 秘 密 念 諦 儀 軌 ﹄ ﹃ 金 剛 頂 字 母 品 ﹄ ﹃ 文 殊 問 字 母 品 ﹄ お よ び ﹃ 華 厳 入 法 界 品 字 輪 玲 伽 儀 軌 ﹄ の 四 本 は 弘 (25) 仁 四 年 正 月 十 八 目 に 泰 範 に 附 し て 返 上 し て い る。 し た が っ て、 こ の 書 き 込 み は こ れ ら 返 還 の 折 々 に な さ れ た も の で あ ろ う。 さ ら に 注 目 す べ き は、 弘 仁 五 年 二 月 入 日 付 の 返 還 状 の な か で ﹁ 守 護 国 界 主 経 一 部 短 帖 ﹂ と 記 載 さ れ て い る こ と で あ る。 こ こ で ﹁ 短 帖 ﹂ と あ る の は、 ま さ し く 現 存 策 子 第 八 帖 (﹁ 守 護 経 策 子 ﹂) の 形 態 と 法 量 と に 符 合 す る か ら し て、 こ れ が 大 師 請 来 の 策 子 本 で あ っ た こ と を 如 実 に 示 し て い る。 ま た、 ﹁ 集 十 二 帖 僧 智 泉 ﹂ の 書 き 込 み は、 高 雄 山 に お け る 経 蔵 の 管 理 を 維 那 の 智 泉 が 担 当 し て い た こ と を 示 す と と も に、 さ き の 弘 仁 三 年 十 二 月 十 八 目 付 の 消 息 に 記 載 さ れ て い る 貸 出 経 軌 が 全 て 返 還 収 納 さ れ た こ と、 し か も こ れ ら の 経 軌 類 は 総 計 ﹁ 十 二 帖 ﹂ で
あ っ た か も し れ な い こ と を 示 唆 し て い る。 と す れ ば、 こ こ に 記 載 さ れ て い る 経 軌 類 は 全 て 策 子 本 で あ っ た こ と に な る。 こ の 中 で、 ﹁ 華 厳 入 法 界 品 字 門 一 帖 ﹂ は ﹁ 加 二 文 殊 字 母、 金 剛 字 母 一還 了 ﹂ と あ り、 し か も、 正 月 十 入 目 付 ( 弘 仁 四 年) の 最 澄 の 返 還 状、 ﹁ 奉 上 金 剛 薩 垣 五 秘 密 儀 軌 一 巻 金 剛 頂 字 母 品 井 文 殊 問 字 母 品 華 厳 儀 軌 一 帖 件 書 且 附 二 泰 範 仏 子 一、 奉 二 返 上 一、 惟 垂 二 検 納 一、 幸 甚 幸 甚、 所 残 諸 本 書、 随 二 校 了 一、 尋 奉 二 返 上 一、 不 二敢 致 二 損 失 噌 (26) 正 月 十 入 日 弟 子 最 澄 状 上 ﹂ か ら し て も、 ﹃ 文 殊 問 経 字 母 品 ﹄ ﹃ 諭 伽 金 剛 頂 経 釈 字 母 品 ﹄ お よ び ﹃ 華 厳 経 入 法 界 品 四 十 二 字 観 門 ﹄ は 一 帖 に 合 帖 さ れ た 策 子 本 で あ っ た こ と が わ か る と と も に、 ﹃ 延 喜 勘 合 目 録 ﹄ の (27) 第 二 十 入 秩 に 相 応 し て い る。 ﹁ 十 地 経 二 帖 加 廻 向 経 十 力 経﹂ は 大 師 の 自 筆 目 録 に お け る ﹁ 十 地 経 策 子 二 帖 ﹂ そ の も の を 指 し て い る。 こ の 策 子 は ﹃ 延 喜 勘 合 目 録 ﹄ に は 掲 載 さ れ て お ら ず、 す で に 延 喜 十 入 年 に は 行 方 不 明 で あ っ た が、 昭 和 七 年 に 長 谷 宝 秀 師 に よ っ て 仁 和 寺 に お い て 発 見 せ ら れ た。 こ の 十 地 経 策 子 二 帖 は 上 帖 に ﹃ 十 地 経 ﹄ 巻 一-八 が 収 録 さ れ、 下 帖 に は ﹃ 十 地 経 ﹄ 巻 九、 ﹃ 十 力 経 ﹄ 一 (28) 巻 お よ び ﹃ 廻 向 輪 経 ﹄ 一 巻 が 書 写 さ れ て い る か ら、 最 澄 の 借 請 し た の は、 大 師 請 来 の こ の ﹁ 十 地 経 策 子 二 帖 ﹂ と み て 間 違 い な い で あ ろ う。 ﹁ 菩 提 場 所 説 一 字 転 輪 王 経 一 帖 ﹂ と あ る の は 自 筆 目 録 の ﹁ 菩 提 揚 一 字 経 策 子 一 帖 ﹂ に 相 当 し、 ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ 第 九 鉄 で は ﹃ 大 聖 歓 喜 天 経 ﹄ 一 巻 と 合 帖 さ れ て い る が、 現 存 策 子 第 九 帖 に は ﹃ 菩 提 場 所 説 一 字 転 輪 王 経 ﹄ は 欠 け て お り、 治 安 二 年 以 前 に 散 失 し た こ と が、 ﹁ 紛 失 日 記 ﹂ か ら 知 ら れ る。 ﹃ 守 護 経 ﹄ に つ い て は す で に 述 べ た。 ﹃ 金 剛 薩 垣 五 秘 密 念 諦 儀 軌 ﹄ は 特 に 帖 数 を 記 し て い な い が、 前 掲 の 智 泉 の 書 き 込 み か ら す れ ば 策 子 本 で あ る こ と に 間 違 い は な い。 大 師 自 筆 の 策 子 目 録 に み ら れ る ﹁ 五 秘 密 経 策 子 一 ﹂ に 相 当 す る で あ ろ う。 な ぜ な ら、 ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ の な か に は、 ﹃ 金 剛 頂 玲 伽 金 剛 薩 垣 五 秘 密 修 行 念 諦 儀 軌 ﹄ 以 外 に、 五 秘 密 経 に 相 応 す る 経 軌 は 見 当 ら な い か ら で あ る。 し か も 最 澄 は、 自 ら 写 し 取 っ て 手 許 に そ な え て い た ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ に よ っ て、 大 師 に 借 請 を 申 し 込 ん だ の で あ る。 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論
密 教 文 化 次 に、 ﹁ 虚 空 蔵 経 疏 四 巻 ﹂ と ﹁ 烏 枢 蘇 摩 経 一 巻 複 上 下 ﹂ に つ い て は、 大 師 自 筆 の 策 子 目 録 に も、 ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ に も 記 載 せ ら れ て い な い も の で あ る。 ﹃ 虚 空 蔵 経 疏 ﹄ 四 巻 は ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ の ﹁ 虚 空 蔵 経 疏 一 部 四 巻 潜 真 法 師 撰 ﹂ と あ る の に 相 応 す る。 他 方、 ﹃ 烏 枢 琶 摩 経 ﹄ 一 巻 に つ い て は、 ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ は 不 空 三 蔵 の 新 訳 と し て ﹁ 大 威 怒 烏 魏 澁 摩 儀 軌 一 巻 ﹂ を 出 し、 ま た 無 能 勝 訳 の ﹁ 大 威 力 烏 枢 悪 摩 明 王 経 二 巻 ﹂ を も 記 載 し て い る。 と こ ろ で、 弘 仁 七 年 二 月 十 日 付 の 返 還 状 で は ﹁ 烏 麸 澁 摩 法 一 巻 複 余 法 ﹂ と あ っ て、 さ き に 述 べ た 澄 観 の 華 厳 疏 上 秩 十 巻 と と も に、 円 満 に 附 し て 返 却 し て い る。 し か も、 こ の 返 還 は 大 師 か ら の 催 促 に よ る も の で あ る が、 ﹁ 未 二 爲 得一﹂ と あ る と こ ろ か ら、 完 全 に 写 し 取 ら な い ま ま に 還 し た の で あ る。 こ の ﹃ 烏 蘇 澁 摩 法 ﹄ 一 巻 が、 い ま の 弘 仁 三 年 十 二 月 十 入 日 付 の 借 請 状 に み ら れ る ﹁ 烏 枢 麸 摩 経 一 巻 複 上 下 ﹂ と 同 一 の も の か ど う か に つ い て は 多 少 の 問 題 が あ る。 な ぜ な ら、 こ の ﹁ 烏 枢 蘇 摩 経 ﹂ は 無 能 勝 訳 の ﹃ 大 威 力 烏 枢 蘇 摩 明 王 経 ﹄ 二 巻 を 指 し、 ﹁ 烏 麸 澁 摩 法 ﹂ は 不 空 訳 の ﹃ 大 威 怒 烏 劉 澁 摩 儀 軌 ﹄ 一 巻 を 指 し て い る よ う に 思 え る か ら で あ る。 も し そ う だ と す れ ば、 最 澄 の 借 請 状 に み ら れ る ﹁ 烏 枢 蘇 摩 経 一 巻 複 上 下 ﹂ の 二 巻 ﹂ は 二 巻 の 誤 り と な ろ う。 安 然 の 所 謂 ﹃ 入 家 秘 録 ﹄ 巻 下 に お い て も、 大 師 請 来 の 烏 枢 麸 摩 経 を 二 巻 と し、 ﹁ 上 下 両 巻 ﹂ と 明 (29) 記 し て い て、 ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ の 記 載 と 軌 を 一 に し て い る。 あ る い は ま た、 こ の ﹁ 一 巻 ﹂ が 誤 り な き も の と す れ ば、 ﹁ 烏 枢 麸 摩 経 一 巻 ﹂ と ﹁ 烏 悪 澁 摩 法 一 巻 ﹂ は 同 一 の も の を 指 す と 見 倣 さ ざ る を 得 な く な る。 ﹃ 貞 元 録 ﹄ 巻 第 二 十 九 に よ れ ば、 無 能 勝 訳 の 二 巻 本 は ﹁ 三 十 五 紙 ﹂ と あ り、 不 空 訳 の 一 巻 本 は (30) ﹁ 一 十 五 紙 ﹂ と あ る。 大 師 の 請 来 策 子 は 細 字 に よ る 縮 写 が 多 い か ら、 こ れ ら の 紙 数 は さ ら に 少 な か っ た こ と が 予 想 さ れ る。 弘 仁 七 年 の 返 還 状 に お い て ﹁ 複 余 法 ﹂ と 付 記 さ れ て い る の は、 こ の 儀 軌 が 比 較 的 短 い も の で あ っ た が た め に、 他 の 経 軌 と 合 帖 し て 製 本 さ れ て い た こ と を 示 し て い る。 極 め て 大 胆 な 仮 説 と し て、 不 空 訳 の ﹁ 烏 慈 澁 摩 法 一 巻 ﹂ ど 余 他 の 儀 軌 類、 お よ び 無 能 勝 訳 の ﹁ 烏 枢 琶 摩 経 ﹂ 二 巻 が ﹁ 複 上 下 ﹂ の 二 帖 を 形 成 し て い た と も 考 え ら れ よ う。 ﹃ 虚 空 蔵 経 疏 ﹄ 四 巻 に つ い て は ﹃ 貞 元 録 ﹄ も 紙 数 を 記 載 し て い な い が、 お そ ら く 四 帖 か ら な っ て い た で あ ろ う。 も し も、 こ の 推 測 に 誤 り が な け れ ば、 弘 仁 三 年 十 二 月 十 入 日 付 の 借 請 状 に み ら れ る 経 軌 は 合 計 十 二 帖
と な り、 こ の 消 息 に 後 で 記 入 さ れ た ﹁ 集 十 二 帖 僧 智 泉 ﹂ の 帖 数 と 完 全 に 合 致 す る こ と に な る。 こ こ で、 ﹁ 巻 ﹂ と ﹁ 帖 ﹂ の 語 が 使 い わ け ら れ て い る こ と か ら、 ﹁ 巻 ﹂ と 記 載 さ れ て い る 経 疏 が 巻 子 本 を 指 し て い る と 考 え る 必 要 は な い。 な ぜ な ら、 弘 仁 五 年 二 月 入 日 付 の 返 還 状 に は ﹁ 貞 元 目 録 初 秩 十 巻 ﹂ と あ り、 弘 仁 七 年 二 月 十 日 の 返 還 状 に も ﹁ 澄 観 新 華 厳 疏 上 鉄 十 巻 唐 本 ﹂ な ど の 記 載 が 見 ら れ る か ら で あ る。 い ず れ に し て も、 如 上 の 所 論 か ら、 わ れ わ れ は 大 師 の 自 筆 目 録、 延 喜 勘 合 目 録、 お よ び 現 存 策 子 な ど に 見 ら れ な い も の (31) と し て、 な お ﹁ 虚 空 蔵 経 疏 策 子 四 帖 ﹂、 ﹁ 烏 枢 輩 必 摩 経 等 策 子 二 帖 ﹂ の 存 在 を 確 か め る こ と が で き た。 前 述 の ﹁ 華 厳 経 疏 策 子 三 帖 ﹂、 ﹁ 貞 元 目 録 策 子 三 帖 ﹂ と 合 わ せ て 十 二 帖 の 策 子 が、 大 師 自 筆 の 策 子 目 録 に 記 載 さ れ て い る も の の ほ か に、 な お も 存 在 し た の で あ る。 し た が っ て、 大 師 請 来 の 策 子 は、 当 初 少 な く と も 五 十 帖 以 上 で あ っ た こ と に な る。 註 (1) 大 沢 忍 ﹁ 三 十 帖 策 子 の 用 紙 ﹂ ( ﹃ 弘 法 大 師 真 蹟 集 成 ・ 解 説 篇 ﹄ 法 蔵 館)。 (2) 円 仁 の ﹃ 日 本 国 承 和 五 年 入 唐 求 法 目 録 ﹄ お よ び ﹃ 慈 覚 大 師 在 唐 送 進 録 ﹄ に 記 載 さ れ て い る 経 論 儀 軌 類 は、 す べ て 冊 子 本 で あ っ た と 思 わ れ る。 こ れ ら 両 目 録 と も、 ﹁ 已 上 - 部-巻 同 秩 ﹂ と し て、 こ れ が 秩 に よ る 分 類 目 録 で あ っ た こ と を 示 し て い る か ら で あ る ( 大 正 五 五、 一 〇 七 四 上-一 〇 八 七 中 参 照)。 さ ら に、 恵 運 の ﹃ 恵 運 律 師 書 目 録 ﹄ に お い て も、 ﹁ 已 上-巻 為 一 策 子 ﹂ と 記 入 さ れ て い る。 そ こ で は、 少 な く と も 十 三 帖 以 上 の 策 子 が 認 め ら れ る。 ま た、 円 珍 の 場 合 も、 経 軌 名 の 下 に ﹁ 一 帖 ﹂ と か ﹁ 冊 子 ﹂ と 記 載 し て、 将 来 本 の 体 裁 を 明 示 し て お り、 宗 叡 は 策 子 の 帖 数 と 用 紙 の 張 数 を も 一 々 記 入 し て い る ( 大 正 五 五、 一 〇 九 〇 中 参 照)。 (3) 辻 善 之 助 ﹃ 日 本 仏 教 史 ﹄ 第 一、 四 〇 九 頁、 禿 氏 祐 祥 ﹃ 三 十 帖 策 子 に つ い て ﹄ ( 六 大 新 報 社)、 真 保 竜 倣 ﹁ 三 十 帖 策 子 原 型 の 輪 郭 に つ い て ﹂ ( 印 仏 研 一 五-一、 二 六 八 頁)。 (4) 拙 稿 ﹁ 伝 教 大 師 消 息 ﹂ ( ﹃ 日 本 の 思 想 ﹄I、 八 二 頁) 参 照。 (5) 伝 教 大 師 全 集、 巻 五、 四 五 七 頁。 (6) 右 同、 四 五 五 頁。 (7) 拙 稿 ﹁ 高 野 雑 筆 集 ﹂ ( ﹃ 日 本 の 思 想 ﹄I、 三 五 八 頁)。 な お、 堀 池 春 峰 氏 は こ の 東 大 寺 の 阿 闇 梨 を、 東 大 寺 別 当 で 僧 綱 の 一 人 で あ っ た 修 哲 と 見 倣 し て い る ( ﹁ 仏 教 芸 術 ﹂ 九 二 号 四 八 頁)。 (8) 弘 法 大 師 全 集、 三 輯 五 八 九 頁。 (9) 東 宝 記 六 ( ﹃ 続 々 群 書 類 従 ﹄ 十 二、 一 二 七 頁)。 但 し、 東 宝 記 の 記 載 内 容 は 正 確 で な い。 治 承 五 年 ( 一 一 八 一) 二 月 二 十 二 日 の 静 幸 写 本 ( 高 野 山 西 南 院 蔵) の 記 載 が 正 し い も の で あ る。 (10) 伝 教 大 師 全 集、 五、 四 五 三 頁 参 照。 (11) 右 同、 四 五 二 頁。 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論
密 教 文 化 (12) 右 同、 四 五 七 頁。 (13) 拙 稿 ﹁ 伝 教 大 師 消 息 ﹂ ( ﹃ 日 本 の 思 想 ﹄I、 八 四 頁) 参 照。 (14) 伝 教 大 師 全 集, 五、 四 五 八 頁。 (15) 右 同、 四 五 〇 頁。 (16) 右 同、 四 五 六 頁。 (17) 東 大 寺 蔵 国 宝 ・ 重 文 ﹃ 善 本 聚 英 ﹄ お よ び ﹃ 東 大 寺 大 観 ﹄ ( 東 大 寺 三、 書 跡 篇 解 説) 参 照。 (18) 近 藤 瓶 城 ﹃ 史 籍 集 覧 ﹄ ( 第 十 七 巻 雑 第 三 一 五 ・ 京 都 の 故 寺)、 真 保 竜 傲﹁ 弘 法 大 師 御 請 来 の 勧 修 寺 所 蔵 仁 王 経 良 責 疏 に つ い て﹂ ( 密 教 学 研 究 一、 一 七 〇 頁) 参 照。 (19) 国 会 図 書 館 蔵 ( 文 政 二 年、 尊 賢)。 (20) ﹃ 弘 法 大 師 真 蹟 集 成 ・ 解 説 篇 ﹄ 九 六 頁。 (21) 大 沢 忍、 前 掲 論 文、一一 一 頁。 (22) 伝 教 大 師 全 集、 五、 四 五 四 頁。 (23) 右 同、 四 五 九 頁。 (24) 右 同、 四 五 〇-一 頁。 平 安 遺 文 八、 三 二 七 二 頁。 仁 和 寺 記 録 ( ﹁ 伝 教 大 師 求 法 書 ﹂) に よ る 校 訂 に つ い て は、 真 保 竜 倣 ﹁ 三 十 帖 策 子 の 原 初 形 態 と 伝 教 大 師 ﹂ ( 智 山 学 報 一 八 輯 五 八 頁) 参 照。 (25) 伝 教 大 師 全 集、 五、 四 五 四、 四 五 六 頁。 な お、 弘 仁 五 年 二 月 八 日 付 消 息 で ﹁ 虚 空 蔵 経 一 部 四 巻 ﹂ と あ る の は、 続 く ﹁ 右 経 疏 等 ﹂ と い う 文 お よ び 弘 仁 三 年 十 二 月 十 八 日 付 の 借 請 状 か ら み て、 明 ら か に ﹁ 虚 空 蔵 経 疏 一 部 四 巻 ﹂ の 誤 写 で あ る。 (26) 右 同、 四 五 六 頁。 (27) 最 澄 の 消 息 は、 ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ 第 二 十 八 帖 が 大 師 請 来 当 時 の 原 型 を た も っ て い な い こ と の 一 証 左 と な る。 (28) 長 谷 宝 秀 ﹁ 御 室 仁 和 寺 所 属 古 写 本 十 地 経 等 校 勘 記 ﹂、 真 保 竜 敬、 前 掲 論 文 ( 智 山 学 報 一 八 輯) 五 〇 頁 以 下 参 照。 (29) 大 正 五 五、一一 二 七 上。 (30) 大 正 五 五、 一 〇 三 四 上。 (31) 現 存 策 子 第 十 四 帖 末 の 大 師 自 筆 目 録 に ﹁ 虚 空 蔵 経 策 子 一 ﹂ が 見 ら れ る が、 ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ に は 記 載 が な い と こ ろ か ら、 す で に 延 喜 十 八 年 以 前 に 散 逸 し て し ま っ た こ と が わ か る。 こ の ﹁ 虚 空 蔵 経 策 子 一 ﹂ は 澄 観 の 疏 で は な く、 ま た ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ に み え る ﹁ 大 虚 空 蔵 菩 薩 所 問 経 八 巻 ﹂ を 指 し て い る か ど う か も 定 か で な い。 二、 東 寺 作 子 新 写 目 録 大 師 請 来 の 策 子 は 最 澄、 備 講 師 な ど 多 く の 人 び と に よ っ て 借 覧 書 写 せ ら れ た が、 時 代 の 経 過 と と も に、 徐 々 に 散 逸 し て い っ た と 思 わ れ る。 こ の 策 子 が ﹁ 三 十 帖 ﹂ と さ れ る の は、 現 存 資 料 に よ る 限 り、 貞 観 十 八 年 ( 八 七 六) 六 月 六 目 の 真 然 に よ る ﹁ 策 子 請 収 状 ﹂ を 以 て 嗜 矢 と す る。 す な わ ち、 ﹁ 請 収 大 和 尚 御 策 子 事 合 参 拾 帖 之 中 廿 九 帖 有 黒 紫 表 需 一 帖 元 表 需 (1) 貞 観 十 入 年 六 月 六 日 権 律 師 真 然 ﹂ こ こ で、 ﹁ 合 参 拾 帖 ﹂ が 大 師 請 来 に か か る 策 子 の 遺 本 全 て
を 意 味 し て い る の か、 あ る い は こ の と き 真 然 が ﹁ 請 収 ﹂ し た 策 子 の 帖 数 の み を 指 し て い る の か 判 然 と し な い。 東 寺 文 書 の 太 政 官 牒 に よ れ ば、 真 然 は 貞 観 十 七 年 三 月 十 六 日 に 山 城 弘 福 (2) 寺 の 検 校 と な り、 ま た 寛 信 の ﹁ 東 寺 長 者 次 第 ﹂ を 見 る に、 貞 (3) 観 十 入 年 に は 宗 叡 が 東 寺 の 二 長 者 に 補 任 さ れ て い る。 真 然 が 策 子 三 十 帖 を 請 収 し た の が、 こ う し た 一 連 の 動 き と 関 連 を も つ も の か ど う か 定 か で な い。 さ ら に ﹃ 又 続 宝 簡 集 ﹄ な ど で は、 さ き の 請 収 状 に 続 け て、 ﹁ 請 借 策 子 孔 雀 経 等 合 八 種 儀 軌 作 昏 恵 宿 返 上 已 了 収 真 然 ﹂ の 請 借 状 も 見 え て い る。 こ こ で ﹁ 返 上 巳 了 収 ﹂ の 五 字 は 後 の 書 き 込 み で あ ろ う が、 残 念 な が ら、 年 時 目 付 を 欠 い て い る。 し か し、 真 雅 は 東 寺 一 長 者 に 在 任 の と き、 恵 宿 を 東 寺 の (4) 経 蔵 預 に 任 じ て い る こ と が 知 ら れ る か ら、 こ の 請 借 状 も な お 真 雅 ( 元 慶 三 年 正 月 三 日 遷 化) の 存 命 中 の も の と 見 て よ い で あ ろ 弥。 こ の 孔 雀 経 等 の 策 子 は 現 存 策 子 の 第 十 五 帖 に 相 応 す る が、 こ れ が さ き の ﹁ 合 参 拾 帖 ﹂ の 中 に 含 ま れ て い た か ど う か も、 徴 す べ き 資 料 が な い。 い ず れ に し て も、 大 師 請 来 の 法 文 策 子 は そ の 後、 真 然 に よ っ て 高 野 山 に も た ら さ れ た。 ﹃ 快 遍 問 答 抄 ﹄ 巻 中 で は、 真 然 は こ の 策 子 を 実 恵 か ら 借 り 受 け、 そ の 後、 実 恵 の 入 滅 に よ り、 返 す に よ し な く 高 野 に 安 置 し た と (5) 記 し て い る け れ ど も、 そ の 根 拠 を 詳 か に し な い。 他 方、 ﹃ 高 野 春 秋 ﹄ 巻 二 で は、 貞 観 十 八 年 六 月 六 日 に 請 収 し た 三 十 帖 を、 真 然 は 同 月 十 六 日 に 影 堂 経 蔵 に 納 め た と し、 元 慶 三 年 ( 八 七 九) 十 月 十 日 の 条 で は、 宗 叡 と の 不 和 か ら 三 十 帖 策 子 の (6) 返 納 が 促 が さ れ、 こ れ を 東 寺 へ 返 し た と し て い る。 そ し て、 二 年 後 の 元 慶 五 年 に 再 び 真 然 は 三 十 帖 策 子 函 を 高 野 に 齎 持 し た と す る も、 こ う し た 後 世 の 資 料 に ど れ 程 の 信 慧 性 を 置 け る か は 問 題 で あ る。 兎 も 角、 三 十 帖 策 子 は そ の 後、 続 い て 高 野 の 座 主 職 を つ と め た 寿 長、 無 空 へ と 継 承 さ れ た。 こ の 間 の 事 情 は 東 寺 側 の 記 録 と 高 野 側 の 資 料 と で は、 そ の 伝 え る 内 容 に (7) 微 妙 な ニ ュ ア ン ス の 相 違 が 見 ら れ る が、 観 賢 が 東 寺 一 長 者 と な る に 及 ん で、 こ の 策 子 の 帰 着 を め ぐ る 抗 争 が 俄 か に 表 面 化 し て く る。 観 賢 が 執 拗 な ま で に 無 空 お よ び そ の 弟 子 ら に 対 し て 策 子 の 返 還 を 迫 っ た 背 景 に は、 真 言 宗 の 年 分 度 者 を め ぐ る (8) 東 寺 と 高 野 山 と の 拮 抗 が 絡 ら ん で い た と 思 わ れ る。 観 賢 は 右 大 臣 藤 原 忠 平 を 動 か し、 遂 に は 寛 平 法 皇 の 宣 旨 を 以 て 無 空 に 返 納 を 強 要 す る が、 無 空 は 容 易 に 肯 ん じ な か っ た ご と く で あ 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論
密 教 文 化 る。 ﹃ 今 昔 物 語 集 ﹄ 巻 三、 ﹃ 大 目 本 国 法 華 経 験 記 ﹄ 巻 上、 ﹃ 扶 桑 略 記 ﹄ 巻 二 十 五、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ 巻 十 九 な ど、 い ず れ も 忠 平 の 弟、 藤 原 仲 平 と 無 空 律 師 と の 親 密 な 関 係 を 伝 え て い る。 も し も、 こ の 無 空 律 師 が 高 野 山 の 無 空 と 同 一 人 物 で あ る と す れ ば、 三 十 帖 策 子 を め ぐ る 抗 争 の 裏 面 に は 藤 原 一 族 の 拮 (9) 抗 も 絡 ら ん で い た か も し れ な い。 そ れ に し て も、 観 賢 の 意 図 が ど こ に あ っ た か は、 延 喜 十 九 年 十 一 月 九 日 に 観 賢 自 身 が 書 い た 所 謂 ﹁ 三 十 帖 策 子 勘 文 ﹂ に よ っ て 明 ら か で あ る。 す な わ ち、 も し も 寛 平 法 皇 の 御 徳 に よ っ て 三 十 帖 策 子 を 返 納 せ し め な け れ ば、 そ の 策 子 は 凡 僧 ら の 手 中 に あ っ て 遂 に は 殆 ど が 紛 失 し て し ま う で あ ろ う と し て、 ﹁ 此 即 以 二 根 本 重 物 一、 置 二 枝 葉 軽 庭 一之 所 レ 致 也 ﹂ と 述 べ て い る。 ま さ し く 観 賢 に と っ て、 高 野 山 は あ く ま で も ﹁ 枝 葉 の 軽 処 ﹂ に す ぎ な か っ た し、 そ こ に 止 住 す る も の 達 は す べ て 凡 僧 に ほ か な ら な か っ た の で あ る。 そ の こ と を さ ら に 続 け て、 次 の ご と く 言 う。 ﹁ 建 以 根 本 一 師 之 後、 枝 葉 繁 茂、 別 居 之 寺 錐 レ 有 二 其 員 一、 東 寺 是 根 本、 自 飴 皆 枝 葉、 今 以 二 件 法 文 一、 置 二 根 本 一 所 一、 (10) 枝 葉 諸 寺 自 然 帰 仰 ﹂ こ れ に よ っ て も 分 明 な る ご と く、 観 賢 の 意 図 は あ く ま で も (11) 東 寺 為 本 の 実 現 に あ っ た の で あ り、 そ の た め に は、 ﹁ 為 本 ﹂ の 象 徴 と も い う べ き 大 師 請 来 の 法 文 策 子 が ど う し て も 東 寺 の 経 (12) 蔵 に 安 置 さ れ な け れ ば な ら な か っ た の で あ る。 そ し て、 こ の 策 子 は 観 賢 の 異 常 な 熱 意 に よ っ て、 延 喜 十 九 年 ( 九 一 九) 十 一 (13) 月 二 日 に 東 寺 の 経 蔵 に 収 納 せ ら れ、 自 ら は 醍 醐 の 座 主 や 金 剛 (14) 峰 寺 の 座 主 を も 兼 ね る に い た る の で あ る。 そ の 前 年、 三 十 帖 策 子 の 内 容 を 勘 合 し た ﹃ 根 本 大 和 尚 真 跡 策 子 等 目 録 ﹄ が 作 成 せ ら れ、 観 賢 の 蒐 集 し 得 た 策 子 の 内 容 を 知 る こ と が で き る。 こ の 所 謂 ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ に は ﹁ 延 喜 十 入 年 二 月 二 十 七 日 ﹂ の 日 付 け が あ る。 こ れ は 無 空 の 入 寂 ( 延 喜 十 八 年 六 月 二 十 六 日) に 先 (15) 行 し て い る と こ ろ か ら、 こ の 目 録 の 作 者、 あ る い は 無 空 の 入 (16) 寂 年 代 に 関 し て 異 論 が 生 じ て く る。 所 謂 ﹃ 延 喜 御 記 ﹄ に は、 (17) ﹁ 無 空 没 後、 其 弟 子 等 不 二 返 納 一、 所 々 分 散 ﹂ と あ り、 観 賢 の ﹃ 三 十 帖 策 子 勘 文 ﹄ に お い て も、 ﹁ 無 空 去 延 喜 十 入 年 於 二 円 提 寺 一卒 去 之 後、 観 賢 件 冊 子 早 可 レ 返 一マ 納 東 寺 一之 由、 告 二 彼 弟 子 (18) 僧 等 一、 而 左 右 遁 申、 都 不 二 進 納 一﹂ と し て、 策 子 返 還 を 無 空 の 滅 後 の こ と と し て い る。 さ ら に ﹃ 快 遍 問 答 抄 ﹄ 中 巻 で も ヲ シ テ フ ト ヘ テ ス ﹁ 無 空 取 二-納 此 計 帖 一随 身 大 和 国 布 留 云 所 下 陰 居、 無 空 門 ヲ シ テ ル ヲ ハ ノ ニ ノ ニ 人 率 下、 其 後 此 三 十 帖 無 空 入 滅 剋 布 留 社 奉 納、 其 後
テ ハ ニ ト ケ リ (19) 御 室 間 召 当 時 御 室 有 書 ﹂ と し て、 や は り 無 空 没 後 の こ と と し て い る。 と こ ろ で、 証 道 上 人 実 融 の ﹃ 証 談 抄 ﹄ に よ れ ば、 策 子 を 三 十 帖 に 調 巻 し た の は 観 賢 が 散 秩 を 恐 れ て の こ と で、 こ の 三 十 帖 は 純 粋 に 大 師 請 来 の 法 文 の み で は な い と 書 き 残 し て い る。 す な わ ち、 ノ ニ ﹁ 般 若 寺 請 取、 若 散 失 事 モ ヤ 有 ン ト テ 一二 十 帖 調 巻 セ ラ ル、 ハ ニ ニ テ ハ ニ テ ノ ヲ モ 但 此 三 十 帖 純 大 師 御 請 来 許 無 之、 高 野 他 門 請 来 借 具 シ テ ハ ニ ノ ミ ト ヘ リ セ ラ レ タ リ シ ヲ 皆 取 具 被 返 也、 此 由 不 知 人 純 御 請 来 思、 ニ ハト ニ テ ニ キ 遂 無 空 大 和 国 丈 六 堂 云 処 死 去 了、 此 時 高 野 法 流 失、 無 (20) 念 事 也 ﹂ こ れ に よ れ ば、 大 師 以 外 の 人 に よ る 請 来 法 文 を 高 野 に 借 用 し て い た も の ま で も、 す べ て 一 緒 に 取 り あ げ ら れ、 そ う し た 法 文 も、 三 十 帖 策 子 の 中 に 調 巻 さ れ て い る と い う の で あ る。 こ の 記 述 に ど こ ま で 信 頼 が お け る か は 甚 だ 疑 問 で あ る が、 あ る い は 現 存 策 子 第 二 十 八 帖 な ど を 念 頭 に お い た も の か も し れ な い。 い ず れ に し て も、 ﹃ 延 喜 勘 合 目 録 ﹄ が 三 十 帖 策 子 の 経 緯 を 知 る 重 要 な 資 料 の 一 つ で あ る こ と に 異 論 は な い。 こ の 目 録 に は 多 く の 転 写 本 が 伝 わ っ て い る が、 現 在 の と こ ろ 最 も 古 い も の は、 治 承 五 年 (一一 八 一) 二 月 二 十 二 目 に 嵯 峨 水 本 僧 房 に お い て 静 幸 が 書 写 し た も の で、 高 野 山 西 南 院 に 蔵 せ ら れ て い る。 延 喜 十 入 年 以 降 に お け る 策 子 の 経 緯 に 関 す る 資 料 と 七 て は、 大 学 頭 長 算 の 在 判 あ る 治 安 二 年 ( 一 〇 二 二) 十 一 月 十 六 日 付 の ﹁ 策 子 返 納 日 記 請 文 ﹂、 同 じ 長 算 在 判 の ﹁ 去 延 喜 十 入 年 勘 定 目 録 以 後 紛 失 目 記 ﹂、 さ ら に 文 治 二 年 (一一 八 六) 十 月 五 日 付 の 実 任 の ﹁ 御 室 御 調 諦 文 案 ﹂、 呆 宝 の ﹁ 高 祖 大 師 御 請 来 経 論 等 書 写 安 置 事 ﹂ の 案 文、 ま た 延 宝 七 年 ( 一 六 七 九) 夏、 高 野 山 の 経 生 に よ る 三 十 帖 策 子 の 書 写 を 伝 え る ﹃ 高 野 春 秋 ﹄ 巻 第 十 五 な ど が あ る。 こ れ ら の 諸 資 料 と と も に、 こ こ に 紹 介 す る ﹃ 東 寺 作 子 新 爲 目 録 ﹄ も 策 子 の 経 緯 を 知 る 上 で 貴 重 な 資 料 と い う べ き で あ ろ う。 こ の 新 爲 目 録 は 巻 子 本 の 体 裁 を と り、 端 裏 書 に ﹁ 東 寺 作 子 新 寓 目 録 禅 林 寺 本 ﹂ と 墨 書 さ れ て い る。 内 題 は ﹁ 新 爲 作 紙 ( マ ヽ) 目 録 弘 法 大 師 将 来 作 子 等 ﹂ と さ れ、 奥 書 に は た だ ﹁ 久 安 元-( マ ヽ) 十 月 以 禅 林 寺 爲 之 寛 信 記 ﹂ と 記 載 さ れ て い る の み で あ る。 與 書 の ﹁ 以 禅 林 寺 写 之 ﹂ は 端 裏 書 の 外 題 か ら す れ ば、 ﹁ 以 禅 林 寺 本 写 之 ﹂ の 誤 り で あ ろ う。 つ ま り、 こ の 目 録 は 寛 信 が 禅 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論
密 教 文 化 林 寺 本 に よ っ て、 久 安 元 年 (一一 四 五) 十 月 に 書 写 し た も の で あ る こ と が わ か る。 こ の 目 録 が 寛 信 の 自 筆 で あ る か 否 か は 定 か で な い が、 現 在 の と こ ろ 光 明 院 旧 蔵 の 一 本 の み を 存 す る に す ぎ な い。 そ こ で、 ま ず そ の 内 容 を 紹 介 し て、 一、 二 の 点 に つ い て 触 れ る こ と に し よ う。 ﹃ 新 写 作 紙 目 録 弘 法 大 師 将 来 作 子 等 大 方 広 仏 花 厳 経 一 帖 複 五 巻 一 字 奇 特 仏 頂 経 一 部 根 本 之 本 大 乗 縁 生 論 根 本 之 本 葉 衣 観 自 在 菩 薩 経 根 本 之 本 一 字 頂 輪 王 玲 伽 経 根 本 之 本 十 一 面 観 自 在 菩 薩 心 蜜 語 儀 軌 経 巻 上 根 本 之 本 ( マ ヽ) 大 唐 新 翻 蜜 厳 経 一 部 上 下 根 本 之 本 菩 提 場 所 説 一 宇 頂 輪 王 経 一 部 複 五 巻 根 本 之 本 詞 利 帝 母 真 言 法 根 本 之 本 不 空 絹 索 神 変 真 言 経 巻 第 六 複 巻 第 廿 根 本 之 本 ( マ ヽ) 仏 為 優 填 王 説 法 政 論 経 根 本 之 本 普 賢 金 剛 薩 垣 愉 伽 念 調 儀 軌 根 本 之 本 木 穂 経 複 金 剛 頂 楡 伽 念 珠 経 三 十 五 仏 名 礼 俄 文 根 本 之 本 金 剛 頂 経 諭 伽 文 殊 師 利 菩 薩 法 根 本 之 本 造 塔 延 命 功 徳 経 根 本 之 本 末 利 支 提 婆 華 鷺 経 根 本 之 本 速 疾 立 験 摩 醗 首 羅 天 説 迦 婁 羅 阿 尾 奢 法 根 本 之 本 観 自 在 菩 薩 説 普 賢 陥 羅 尼 経 根 本 之 本 金 剛 頂 経 観 自 在 王 如 来 修 法 根 本 之 本 金 輪 王 仏 頂 要 略 念 諦 法 根 本 之 本 大 砒 盧 遮 那 仏 神 変 加 持 経 略 示 七 支 念 諦 随 行 経 根 本 之 本 砒 沙 門 天 経 根 本 之 本 大 楽 金 剛 薩 垣 修 行 成 就 儀 軌 一 巻 根 本 之 本 大 薬 叉 女 歓 喜 母 井 愛 子 成 就 法 根 本 之 本 仁 王 経 念 諦 法 根 本 之 本 仁 王 般 若 陥 羅 尼 釈 根 本 之 本 観 自 在 菩 薩 三 世 最 勝 心 明 王 経 根 本 之 本 大 方 広 仏 花 厳 経 二 帖 複 五 巻 仏 頂 尊 勝 陥 羅 尼 念 諦 義 軌 一 巻 阿 閤 如 来 念 諦 供 養 法 仏 説 一 髪 尊 陥 羅 尼 経 一 巻 大 聖 文 殊 師 利 菩 薩 讃 仏 法 身 礼
菩 提 心 義 授 菩 提 心 戒 文 菩 提 場 荘 厳 陥 羅 尼 経 ( マ ヽ) 一 切 如 来 心 秘 蜜 全 身 舎 利 宝 筐 印 陥 羅 尼 ( マヽ) 五 字 陥 羅 諦 一 巻 仏 説 大 方 広 曼 殊 室 利 経 観 自 在 菩 薩 授 記 品 第 計 一 金 剛 寿 命 経 儀 軌 法 地 蔵 菩 薩 請 問 法 身 讃 一 巻 聖 迦 梶 愈 怒 金 剛 童 子 菩 薩 成 就 儀 軌 経 注 尊 勝 陥 羅 尼 一 巻 金 剛 童 子 念 諦 儀 軌 経 ( マヽ) 文 殊 利 根 本 大 教 王 金 翅 鳥 王 品 一 巻 摩 詞 吠 室 羅 末 那 野 提 婆 喝 羅 閨 随 羅 尼 儀 軌 一 巻 華 厳 経 心 随 羅 尼 一 巻 在 吠 室 羅 末 那 野 経 末 又 別 以 書 取 畢 金 剛 頂 経 金 剛 界 大 道 揚 砒 盧 遮 那 如 来 自 受 用 身 礼 俄 文 伽 駄 金 剛 真 言 一 本 又 別 書 作 紙 施 諸 餓 鬼 飲 食 及 水 法 一 巻 転 法 輪 菩 薩 催 魔 寛 敵 法 一 巻 次 有 菩 薩 結 夏 碩 井 自 恣 頬 別 書 作 需 大 威 徳 念 怒 王 根 本 真 言 同 次 有 記 世 界 有 同 類 異 類 之 由 偶 在 之 同 次 華 厳 和 尚 講 前 廻 向 文 同 ( マ ヽ) 聖 澗 曼 徳 迦 威 怒 王 立 成 大 神 験 念 諦 法 一 巻 如 立思 輪 韮 見 薩 観 門 差 我 注 秘 訣 一 巻 有 梵 字 ( マヽ) 釈 随 羅 文 字 観 行 法 一 巻 後 題 云 仁 王 般 若 波 羅 蜜 釈 真 言 者 ( マヽ) 如 意 輪 菩 薩 観 門 義 注 秘 訣 一 巻 受 潅 頂 詑 讃 歎 伽 他 偶 別 書 作 紙 弛 嶋 等 嚇 真 言 一 通 同 大 方 広 菩 薩 中 文 殊 師 利 根 本 一 字 随 羅 尼 法 一 巻 大 日 経 七 巻 一 部 七 巻(21) 七 部 金 剛 頂 経 一 部 三 巻 四 部 蘇 悉 地 経 一 部 三 巻 三 部 ﹂ 守 護 経 一 部 十 巻 五 部 大 随 求 経 一 部 上 下 略 出 経 一 部 四 巻﹂ ( マヽ) 六 波 羅 贈密 経 一 部 十 巻 ( マヽ) 孔 雀 経 一 部 三 巻 五 部 ( マヽ) 孔 雀 王 呪 一 部 二 巻 ﹂ 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論
密 教 文 化 大 雲 輪 請 雨 経 二 巻 上 下 請 雨 経 一 巻 虚 空 蔵 経 二 巻 ﹂ 十 一 面 観 世 音 神 呪 心 々 一 巻 十 一 面 神 呪 心 経 一 巻 ﹂ 十 一 面 経 一 巻 金 剛 頂 辮 七 尊 礼 俄 経 一 巻﹂ 一 字 頂 輪 王 一 部 五 巻 大 法 炬 随 羅 尼 経 一 部 廿 巻 ﹂ 大 威 徳 随 羅 尼 経 一 部 十 巻 上 映 欠 随 羅 尼 集 経 一 部 十 二 巻 四 五 欠﹂ ( マ ヽ) 金 剛 上 味 味 陥 羅 尼 経 一 巻 使 呪 法 経 一 巻 ﹂ 元 垢 浄 光 大 陶 羅 尼 経 一 巻 金 剛 秘 密 陶 羅 尼 経 一 巻 ﹂ 仏 説 随 求 即 得 大 陥 羅 尼 経 一 巻 六 字 経 一 巻 ﹂ 抜 済 苦 難 陥 羅 尼 経 一 巻 持 世 随 羅 尼 経 一 巻﹂ 諸 仏 集 会 陥 羅 尼 経 一 巻 仏 説 天 地 入 陽 神 呪 経 一 巻 ﹂ 大 陥 羅 尼 末 法 中 一 字 心 呪 経 三 巻﹂ 孔 雀 呪 経 一 巻 理 趣 経 一 巻 ﹂ 尊 勝 菩 薩 所 問 一 切 諸 法 入 元 量 門 陥 羅 尼 経 一 巻 し 六 字 呪 王 怒 仙 一 由巷 金 剛 揚 陥 羅 尼 経 一 巻 ﹂ 施 餓 鬼 経 一 巻 観 世 音 菩 薩 秘 密 蔵 神 呪 経 一 巻 ﹂ ( マ ヽ) ︵ マヽ) 七 仏 所 説 大 神 陥 羅 呪 経 一 巻 ﹂ 無 垢 浄 光 大 陥 羅 尼 経 三 巻 仏 説 荘 厳 王 陀 羅 尼 呪 経 一 巻 ﹂ 曼 殊 室 利 呪 蔵 中 校 量 数 珠 功 徳 経 一 巻 ﹂ 大 仏 頂 如 来 万 行 首 榜 厳 経 一 巻﹂ 金 剛 秘 密 善 門 陥 羅 尼 経 一 巻 抜 済 苦 難 経 一 巻﹂ 仏 説 観 世 音 三 昧 経 一 巻 実 相 般 若 波 羅 密 経 一 巻﹂
( マヽ) 仏 説 観 世 音 三 昧 経 一 巻 玲 伽 法 鏡 経 常 施 菩 薩 所 問 経 二 巻 上 下﹂ 如 来 方 便 善 巧 呪 経 一 巻 ﹂ 注 六 門 陥 羅 尼 経 一 巻 ( マヽ) 尊 勝 菩 薩 所 問 一 巻 ﹂ 大 砒 盧 遮 那 仏 要 略 念 諦 経 一 巻 仏 説 七 倶 砥 仏 母 准 泥 大 明 陥 羅 尼 経 一 巻﹂ 入 名 普 密 経 一 巻 北 辰 経 一 巻﹂ ( マヽ) 大 妙 金 剛 大 甘 露 軍 肇 利 焔 竈 熾 威 仏 頂 経 一 巻﹂ 一 字 呪 王 経 一 巻 仏 説 抜 除 罪 障 呪 王 経 一 巻 ﹂ 嚢 慶 梨 童 女 経 一 巻 一 字 頂 輪 王 経 巻 第 三﹂ 観 世 音 菩 薩 摩 尼 陥 羅 尼 経 一 巻 ﹂ 如 意 摩 尼 陥 羅 尼 経 一 巻 金 剛 寿 命 陥 羅 尼 経 一 巻 ﹂ 仏 頂 尊 勝 陥 羅 尼 経 一 巻 金 剛 上 味﹂ ( 以 下 墨 界 九 行 余 白) 胎 蔵 儀 軌 六 部 三 巻 儀 軌 三 部 二 巻 儀 軌 三 部 金 剛 界 一 巻 儀 軌 二 部 二 巻 儀 軌 二 巻 共 上 巻 共 無 下 巻 蘇 悉 地 儀 軌 五 部 不 動 儀 軌 六 巻 ( マヽ) 諸 尊 儀 軌 廿 三 巻 底 里 三 摩 耶 不 動 法 四 巻 ( マヽ) 広 摂 不 動 三 巻 不 動 使 者 法 三 巻 諸 真 言 法 廿 七 巻 諸 私 記 二 束 潅 頂 儀 軌 三 昧 耶 戒 本 三 昧 耶 形 壇 形 印 相 等 一 束 ( マヽ) 譜 法 伝 三 巻 摩 詞 術 論 入 巻 悉 曇 之 書 廿 一 巻 諸 伝 十 巻 云 口 法 門 六 真 き 目 目 一録 十 七 巻 ( 以 下 墨 界 三 行 余 白) ( マヽ) 久 安 元 -十 月 以 禅 林 寺 写 之 寛 信 記 ﹄ こ の 目 録 は 内 題 か ら み る 限 り、 久 安 元 年 十 月 以 前 の あ る 時 期 に、 大 師 請 来 の 策 子 そ の 他 を 新 し く 書 写 し た 折 の も の で あ る こ と が わ か る。 と こ ろ で、 治 安 二 年 ( 一 〇 二 二) 十 一 月 十 六 (22) 日 の ﹁故 仁 和 寺 僧 正 件 御 策 子 被 返 納 目 記 請 文 ﹂ に は、 次 の よ 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論
密 教 文 化 う に 記 さ れ て い る。 ( 一 本 ハ 廿 二) ﹁ 治 安 二 年 七 月 日、 定 額 僧 様 律 師 延 尋、 為 ヒ 校 二 本 書 一、 請 借 二 件 御 経 蔵 計 帖 御 策 子 一、 則 於 二 仁 和 寺 観 音 院 一開 見 之 処、 本 数 計 帖 錐 レ 有 二 其 員 一、 去 延 喜 十 八 年 般 若 寺 僧 正 被 二 請 納 一 目 録 之 内、 多 以 紛 失、 尋 二 其 由 一之 処、 前 々 被 レ 借 ﹂ 一下 件 御 策 ( 一 本 ハ 子 細) 子 一之 日、 只 計 二 策 子 惣 数 一、 不 レ 記 二 納 目 録 一、 近 則 去 長 和 二 年 十 二 月 十 日、 与 二 禅 林 寺 僧 正、 凡 僧 別 当 覚 空 一 相 共 被 二 開 検 一 之 日、 同 計 二 本 数 一、 不 レ 記 二 子 細 一、 傍 此 度 令 レ 記 二 目 録 一、 以 後 之 紛 失 相 副 以 返 納、 抑 件 策 子 本、 自 レ 是 厳 重 之 上、 自 レ 今 以 後、 従 レ 非 二 宗 長 者 一 之 外、 轍 不 レ 可 二 開 見 一、 非 二 是 狭 心 樫 法 一、 只 厳 二 祖 師 遺 跡 一 之 計 而 巳。 治 安 二 年 十 一 月 十 六 日 大 学 頭 別 当 大 僧 正 ﹂ こ れ に よ れ ば、 延 喜 十 八 年 以 来 な お 多 く の 策 子 が 紛 失 し た こ と が わ か る が、 長 和 二 年 ( 一 〇 一 三) 十 二 月 十 日 に、 禅 林 寺 僧 正 と 凡 僧 別 当 覚 空 と が 三 十 帖 策 子 を 開 検 し て い る。 長 和 元 年 十 月 二 十 五 日 に 第 十 九 代 の 東 寺 一 長 者 雅 慶 が 入 滅 し た 後 に、 東 寺 一 長 者 に 補 任 さ れ た の は 済 信 で あ っ た か、 そ れ と も 深 覚 (24) で あ っ た の か は 定 か で な い。 寛 信 撰 ﹃ 東 寺 長 者 次 第 ﹄ で は 深 (25) 覚 に つ い て ﹁ 号 禅 林 寺 僧 正 ﹂ と し て い る か ら、 さ き の ﹁ 策 子 返 納 目 記 請 文 ﹂ に み ら れ る ﹁ 禅 林 寺 僧 正 ﹂ は 明 ら か に 深 覚 を 指 し て い る。 ま た ﹁ 開 検 ﹂ と は、 東 寺 長 者 に 就 任 し た 折、 東 寺 の 大 経 蔵 に 収 め ら れ て い る 将 来 の 法 文 聖 教、 舎 利、 道 具 等 を 検 閲 す る こ と を 意 味 し て い る と 思 え る か ら、 少 な く と も 長 (26) 和 二 年 の 暮 に は、 深 覚 が 東 寺 一 長 者 で あ っ た と 推 測 さ れ る。 ﹁ 凡 僧 別 当 ﹂ そ の も の に つ い て も、 ま た ﹁ 覚 空 ﹂ に つ い て も、 (27) 他 に 徴 す べ き 記 録 が な い。 い ず れ に せ よ、 こ の 時 の 開 検 は た だ 策 子 の 本 数 を 確 認 し た の み で、 一 々 の 策 子 の 内 容 に わ た っ て 詳 細 な 記 録 は 残 さ れ な か っ た と い う。 さ て、 寛 信 が こ の ﹁ 新 写 作 子 目 録 ﹂ を 書 写 し た 久 安 元 年 十 月 は、 同 じ 寛 信 自 身 の 撰 述 に か か る ﹃ 東 寺 長 者 次 第 ﹄ に よ れ ば、 ま さ し く 寛 信 が 東 寺 一 長 者 (第 三 十 七 代) に 補 任 せ ら れ た 年 月 に 該 当 す る。 お そ ら く こ の ﹁ 新 写 作 紙 目 録 ﹂ は、 か れ が 東 寺 長 者 と な る に 及 ん で 東 寺 宝 蔵 の 開 検 に 資 す る た め の も の で あ っ た と 思 わ れ る。 と こ ろ で、 こ の 目 録 に は 幾 つ か の 重 要 な 問 題 が 内 在 し て い る。 わ け て も、 こ の 目 録 は 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 し て、 二、 三 の 有 力 な 根 拠 を 提 供 す る 点 で、 ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄、 ﹁ 策 子 返 納 日 記 請 文 ﹂、 ﹁ 紛 失 日 記 ﹂、 あ る い は
師 緒 の ﹁ 勘 進 記 ﹂ な ど と 共 に、 極 め て 貴 重 な 資 料 と い う べ き で あ る 傷 こ の ﹁ 新 写 作 子 目 録 ﹂ に 掲 載 さ れ る 一 四 入 部 の 経 軌 類 の 中、 ﹃ 大 日 経 ﹄ 以 下 の 延 べ 書 き さ れ て い る も の は、 大 師 請 来 の 策 子 で は な い。 こ れ ら の 経 軌 の 中 に は、 ﹃ 大 妙 金 剛 大 甘 露 軍 肇 利 焔 鷺 熾 盛 仏 頂 経 ﹄ 一 巻 の よ う に、 た だ 恵 運 の み に よ る 将 来 経 典 も 含 ま れ て は い る が、 ﹃ 八 家 秘 録 ﹄ お よ び 他 の 入 唐 家 の 請 来 録 と の 対 比 か ら す る 限 り、 ﹃ 大 目 経 ﹄ 以 下 の 殆 ど の 経 軌 は 宗 叡 に よ る 将 来 本 で あ っ た と 思 わ れ る。 宗 叡 は 元 慶 入 (28) 年 ( 八 八 四) 二 月 二 十 六 日 に 禅 林 寺 に お い て 入 寂 し て い る が、 あ る い は こ の 目 録 は 東 寺 所 蔵 の 大 師 請 来 策 子 と と も に、 禅 林 寺 に 蔵 せ ら れ て い た で あ ろ う 宗 叡 の 請 来 策 子 な ど も 併 わ せ て 書 写 し た と き の も の で あ ろ う。 こ の 目 録 に 見 ら れ る ﹃ 譜 法 伝 ﹄ 三 巻 は、 あ る い は 大 師 撰 述 の 広 略 の ﹃ 付 法 伝 ﹄ を 指 し て い る か も し れ な い。 ま た ﹃ 広 摂 不 動 ﹄ 三 巻 は 明 ら か に 安 然 の 撰 集 し た も の で あ る。 さ ら に、 ﹃ 不 動 儀 軌 ﹄ 六 巻 も 現 在 の と こ ろ 直 接 こ れ に 該 当 す る も の を 見 出 し 得 な い が、 あ る い は、 こ れ も 安 然 の ﹃ 広 摂 不 動 秘 法 要 決 ﹄ 六 巻 を 指 し て い る か も し れ な い。 も し も そ う だ と す れ ば、 こ の ﹁ 新 写 目 録 ﹂ は 大 師 請 来 の 策 子 の み な ら ず、 恵 運、 と り わ け 宗 叡 の 将 来 に か か る 旧 訳 新 訳 の 経 軌 類、 さ ら に は 大 師、 安 然、 そ の 他、 東 密 ・ 台 密 の 人 び と の 撰 述 も 含 ま れ て い る こ と に な る。 し か る に、 こ の 目 録 に よ れ ば、 三 十 帖 策 子 の 経 典 儀 軌 類 の す べ て が 書 写 さ れ て い る わ け で は な い。 こ の 事 実 を ど う 考 え (29) る べ き か、 後 日 の 検 討 に 侯 た ざ る を 得 な い。 た だ、 こ の 目 録 の 最 初 に 記 載 さ れ て い る 六 十 三 部 は 大 師 請 来 の 策 子 を 書 写 し (30) た も の と 思 わ れ る。 そ の 中、 ﹃ 一 字 奇 特 仏 頂 経 ﹄ か ら ﹃ 観 自 在 菩 薩 三 世 最 勝 心 明 王 経 ﹄ に 至 る 二 十 入 部 の 経 軌 に は、 そ れ ぞ れ の 経 軌 名 の 下 に ﹁ 根 本 之 本 ﹂ と 記 入 さ れ て い る。 こ れ が 何 を 意 味 し て い る か は 判 然 と し な い。 あ る い は、 こ れ が 大 師 請 来 策 子 か ら の 直 接 の 書 写 と も 考 え ら れ よ う。 し か し 必 ず し も そ う と は 言 え な い 節 も あ る。 た と え ば、 ﹁ 根 本 之 本 ﹂ の 記 入 の な い 場 合 で も、 ﹁ 華 厳 経 心 陀 羅 尼 一 巻 ﹂ は 経 名 の 下 に、 ﹁ 在 二 吠 室 羅 末 那 野 経 末 一、 又 別 以 書 取 畢 ﹂ と 割 注 し て あ る。 こ れ は ま さ し く ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ お よ び 現 存 策 子 第 二 十 二 帖 の 体 裁 と 合 致 し、 こ れ が 大 師 請 来 の 策 子 か ら の 書 写 で あ る こ と を 示 唆 し て い る。 し か も、 こ の 華 厳 経 心 陀 羅 尼 一 巻 は ﹃ 入 家 秘 録 ﹄ に よ る 限 り、 た だ 大 師 の み の 請 来 で あ る。 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論
密 教 文 化 さ ら に 今 一 つ の 例 証 を あ げ よ う。 こ の 目 録 の 五 十 三 番 目 か ら 五 十 六 番 目 に か け て、 次 の よ う な 記 載 が あ る。 ﹁ 次 有 菩 薩 結 夏 碩 井 自 悠 頭 別 書 作 紙 大 威 徳 念 怒 王 根 本 真 言 同 次 有 記 世 界 有 同 類 異 類 之 由 偶 在 之 同 次 華 厳 和 尚 講 前 廻 向 文 同 ﹂ こ れ ら は 大 師 の ﹃ 御 請 来 目 録 ﹄ に は 見 ら れ な い も の で、 何 ら か の 経 軌 か ら の 抜 書 か と も 思 わ れ る が、 す べ て 大 師 自 筆 の 現 存 策 子 第 二 十 六 帖 に 含 ま れ る も の で あ る。 し か も、 こ の 目 録 に 記 載 さ れ る 標 題 は ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ の 編 者 が 仮 に 名 づ け た も の で あ っ て、 ﹁ 次 有 ﹂ と あ る の は、 大 師 の 請 来 策 子 に お け る 書 写 順 位 を 示 し て い る。 し た が っ て、 こ の ﹁ 新 写 作 紙 目 録 ﹂ の 作 成 に 際 し て、 当 然 ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ が 参 照 せ ら れ て い る こ と が わ か る。 そ れ と と も に、 こ の 書 写 も 大 師 請 来 の 策 子 に よ る も の で あ っ た と 思 え る。 同 じ こ と は ﹁ 受 潅 頂 詑 讃 歎 伽 他 偶 別 書 作 紙 ﹂ 乃 至 ﹁ 大 方 広 菩 薩 中 文 殊 師 利 根 本 一 字 陀 羅 尼 法 一 巻 ﹂ に つ い て も 言 い 得 る。 さ き の ﹁ 又 別 以 書 取 畢 ﹂ と か ﹁ 別 書 作 紙 ﹂ の 注 記 は、 大 師 請 来 の 策 子 で は 合 帖 と な っ て い る の を、 別 々 の 策 子 と し て 写 し 取 っ た こ と を 意 味 し て い る。 こ こ で、 こ れ ら の 経 軌 の 書 写 に 際 し て 依 用 し た 底 本 が、 大 師 請 来 の 策 子 と 完 全 に 体 裁 を 同 じ く す る 臨 模 本 の ご と き も の で あ っ た と 仮 定 で き な い こ と も な い。 も し、 そ う だ と し た ら、 ﹁ 根 本 之 本 ﹂ と 注 記 の あ る 経 軌 は、 直 接 に 大 師 請 来 の 策 子 か ら の 転 写 で あ っ た と 見 な さ れ よ う。 さ て、 治 安 二 年 十 一 月 十 六 目 の ﹃ 去 延 喜 十 入 年 勘 定 目 録 以 後 紛 失 目 記 ﹄ に よ れ ば、 延 喜 十 八 年 (九 一 八) 以 来、 治 安 二 年 ( 一 〇 二 二) 七 月 に 至 る 約 百 年 の 間 に、 さ ら に 十 三 部 十 七 巻 の 経 軌 が 紛 失 し て い る。 次 の ご と き も の が そ れ で あ る。 ( カ ッ コ 内 は ﹃延 喜 勘 合 録﹄記載の帖を示す) 菩 提 揚 一 字 頂 輪 王 経 五 巻 ( 延 ・ 第 九 帖) 大 乗 縁 生 論 一 巻 ( 延 ・ 第 二 五 帖) 玲 伽 金 剛 頂 経 釈 字 母 品 一 巻 ( 延 ・ 第 二 七 帖) 大 方 広 仏 花 厳 経 入 法 界 品 四 十 二 字 観 門 一 巻 ( 延 ・ 第 二 七 帖) 大 方 広 仏 花 厳 経 入 法 界 品 頓 証 毘 盧 舎 那 法 身 字 輪 愉 伽 儀 軌 一 巻 ( 延 ・ 第 二 七 帖) 陀 羅 尼 諸 部 要 目 一 巻 ( 延 ・ 第 二 七 帖) (31) 授 発 菩 提 ( 心) 戒 文 一 巻 己 上 無 秩 名 (延 ・ 第 二 七 帖) 文 殊 問 経 字 母 品 第 十 四 巻 一 巻 ( 延 ・ 第 二 八 帖)
(32) 玲 伽 金 剛 頂 経 釈 字 母 品 一 巻 ( 延 ・ 第 二 八 帖) 大 方 広 仏 花 厳 経 入 法 界 品 四 十 二 字 観 門 一 巻 ( 延 ・ 第 二 八 帖) 大 方 広 仏 花 厳 経 入 法 界 品 四 十 二 字 観 門 一 巻 有 梵 字 字 輪 可 為 異 ( 延 ・ 第 二 八 帖) 釈 陀 羅 尼 文 字 観 行 品 一 巻 ( 延・ 第 二 八 帖) 転 法 輪 菩 薩 催 魔 怨 敵 法 一 巻 己 上 無 軟 名 ( 延 ・ 第 二 八 帖) こ の 中、 ﹁ 授 発 菩 提 心 戒 文 一 巻 ﹂ は ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ に お い て も 現 存 策 子 に お い て も、 第 二 十 帖 に 収 め ら れ て い て、 ﹁ 陀 羅 尼 諸 部 要 目 一 巻 ﹂ な ど と 同 秩 で は な い。 し た が っ て、 こ れ は ﹁ 発 菩 提 心 戒 儀 一 巻 ﹂ の 誤 記 か 誤 写 で あ る。 す な わ ち、 治 安 二 年 七 月 に は、 請 来 策 子 の 第 二 十 入 帖 は そ っ く り す べ て が 紛 失 し、 第 二 十 七 帖 は そ の 半 数 以 上 が 散 逸 し て し ま っ て い た (34) の で あ る。 勿 論、 こ れ ら の 経 軌 は 現 存 の 策 子 に お い て も、 す べ て 欠 け て 伝 わ っ て い な い。 し か し な が ら、 こ れ ら の 紛 失 経 軌 の 中 で、 菩 提 場 所 説 一 字 頂 輪 王 経 五 巻 大 乗 縁 生 論 一 巻 釈 陀 羅 尼 文 字 観 行 法 一 巻 転 法 輪 菩 薩 擢 魔 怨 敵 法 一 巻 の 四 部 が、 ﹁ 東 寺 作 子 新 写 目 録 ﹂ の 中 に は 認 め ら れ る。 し か も、 こ の 四 部 の 中、 前 の 二 部 は ﹁ 根 本 之 本 ﹂ と 注 記 さ れ て い る も の で あ る。 し た が っ て、 て の 新 写 作 紙 目 録 の 作 成 当 時 は 少 な く と も 大 師 請 来 の ﹃ 大 乗 縁 生 論 ﹄、 ﹃ 菩 提 場 所 説 一 字 頂 輪 王 経 ﹄ は 存 在 し て い た の で あ り、 当 然、 治 安 二 年 以 前 の こ と で な け れ ば な ら な い。 つ ま り、 こ の 目 録 は 延 士暑 十 八 年 か ら 治 安 二 年 に 至 る 間 の 三 十 帖 策 子 の 経 緯 を 知 る 現 存 唯 一 の 資 料 と い う こ と に な る。 な お、 現 存 策 子 の 原 型 に つ い て は、 稿 を 改 め て 論 考 を 試 み る こ と が あ る で あ ろ う。 註 (1) 又 続 宝 簡 集、 第 四 一 ( ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 家 わ け 一)、 東 寺 要 集 ( ﹃ 続 群 書 類 従 ﹄ 二 六 輯、 四 四 六 頁)、 東 宝 記 六 等。 (2) 弘 法 大 師 伝 記 集 覧、 一 〇 七 〇 頁。 (3) 和 田 昭 夫 ﹁ 寛 信 撰 東 寺 長 者 次 第 ﹂ ( 高 野 山 大 学 論 叢 二、 九 六 頁)。 (4) 東 宝 記 六 ( ﹃ 続 々 群 書 類 従 ﹄ 十 二、 一 二 六 上)。 ﹁ 次 根 本 阿 閣 梨 舎 弟 弟 子、 貞 観 寺 真 雅 僧 正、 以 恵 宿 大 法 師 為 経 蔵 預、 請 度 披 見 ﹂。 (5) ﹃ 快 遍 問 答 抄 ﹄ 中 ( 持 明 院 寄 托 写 本)。 (6) ﹃ 高 野 春 秋 編 年 輯 録 ﹄ 巻 第 二 ( ﹃ 大 日 本 仏 教 全 書 ﹄ 八 七、 一 二 一、 一 二 三 頁)。 (7) ﹃ 東 要 記 ﹄, 下 ( 続 群 書 類 従、 二 六)、 ﹃ 東 寺 要 集 ﹄ 三、 ﹃ 東 宝 記 ﹄ 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論
密 教 文 化 六、 ﹃ 東 寺 計 帖 冊 子 事 ﹄、 尊 賢 ﹃ 計 帖 策 子 由 来 ﹄、 ﹃ 快 遍 問 答 抄 ﹄ 中、 実 融 ﹃ 証 談 抄 ﹄ 末、 ﹃ 書 籍 等 口 決 ﹄、 政 祝 ﹃ 真 言 宗 事 相 目 録 ﹄ 天 部 等 参 照。 (8) ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 二 ( 年 分 度 者 事)、 ﹃東 宝 記 ﹄ 八、 ﹃ 高 野 春 秋 ﹄ 三 参 照。 (9) 和 多 秀 乗 教 授 の 示 唆 に よ る。 (10) ﹃ 東 寺 要 集 ﹄ 三、 湘 東 宝 記 ﹄ 六 等。 (11) 寛 平 九 年 ( 八 九 七) 六 月 二 十 六 日 付 の 度 者 官 符﹁ 於 二東 寺 一課 試 已 経 二 年 代 一、 而 皆 去 二 根 本 之 東 寺 一、 更 移 二枝 葉 之 山 寺 一、 伏 望 殊 沐 二 天 恩 一、 如 レ 旧 復 試 二 東 寺 一云 々﹂ ( ﹁ 東 宝 記 ﹂ 第 一、 続 々 群 書 類 従 十 二、 四 頁) 参 照。 (12) ﹃ 東 宝 記 ﹄ 二 に み ら れ る ﹁ 大 経 蔵 事 ﹂ は、 こ う し た 経 緯 と 関 係 を 有 す る で あ ろ う し、 所 謂 ﹁ 二 十 五 条 御 遺 告 ﹂ の 第 十、 第 十 一、 第 十 六、 第 十 七 条 な ど も、 こ の よ う な 東 寺 為 本 の 動 き と 無 縁 で は な い で あ ろ う。 (13) ﹃ 日 本 紀 略 ﹄ 醍 醐 天 皇 ( ﹃ 新 訂 増 補 国 史 大 系、 十 一 巻 二 三 頁)。 (14) ﹁ 東 寺 長 者 次 第 ﹂、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ 巻 十 参 照。 (15) た と え ば、 林 屋 友 次 郎 氏 は こ の 目 録 の 作 者 を 無 空 と 見 な す (﹃ 仏 書 解 説 大 辞 典 ﹄ 三、 五 四 一 頁)。 (16)﹃ 筒 野 春 秋 ﹄ 三、 ﹃ 続 年 譜 ﹄ 三、 ﹃ 本 朝 高 僧 伝 ﹄ 八 な ど は、 延 喜 十 八 年 ( 九 一 九) 六 月 二 十 六 日 と し、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ 一 九 は 延 喜 二 十 一 年 ( 九 二 一) 六 月、 ﹃ 血 脈 類 聚 記 ﹄ 二 は 八 年 と す る。 (17) 東 宝 記 六 ( ﹃ 続 々 群 書 類 従 ﹄ 一 二 五 頁) (18) 右 同、 一 二 六 頁。 (19) 持 明 院 寄 托 写 本。 ︹ 享 保 九 年 写 ︺ (20) ﹃ 証 談 妙 ﹄ ( 賢 記、 末) ︹ 真 別 処 寄 托、 明 応 三 年 隆 鎮 写 本 ︺ (21) ﹁ 大 日 経 七 巻 ﹂ 以 下 は 延 書 き に す る も、 便 宜 上 改 行 し て 出 し、 ﹂ で 原 本 の 改 行 を 示 す。 (22) 高 野 山 西 南 院 蔵 本 に よ る。 (23) 右 同。 な お、 他 に 仁 和 寺 蔵 の 寛 耀 ﹁ 策 子 子 細 ﹂、 ﹃ 東 宝 記 ﹄ 六 等 参 照。 (24) 和 多 昭 夫 ﹁ 寛 信 撰 東 寺 長 者 次 第 ﹂一一 九 頁 参 照。 (25) 右 同、 一 二 二 頁。 な お、 同 じ く一一 九 頁 を も 参 照 せ よ。 (26) こ の こ と か ら、 ﹁ 策 子 返 納 日 記 請 文 ﹂ の 宛 人 を 一 本 で ﹁ 別 当 大 僧 正 深 覚 ﹂ と す る の は 正 し く な い こ と に な る。 (27) ﹃ 東 宝 記 ﹄ 巻 七 で は、 凡 僧 別 当 初 例 の 項 で ﹁ 少 別 当 凡 僧 別 当 一 職 欺、 可 尋 之 ﹂ ( ﹃ 続 々 群 書 類 従 ﹄ 十 二、 一 三 六 下) と し て い る の み で、 そ の 実 態 を 詳 か に し な い。 ま た、 寛 信 の ﹃ 東 寺 長 者 次 第 ﹄ に よ れ ば、 仁 海 が 長 和 三 年 正 月 十 八 日 に 東 寺 の 凡 僧 別 当 に 任 ぜ ら れ て い る。 し た が っ て、 覚 空 は 仁 海 の 前 任 者 と い う こ と に な る。 (28) 寛 信 撰 ﹃ 東 寺 長 者 次 第 ﹄ 上 ( 前 掲、 和 多 編、 九 七 頁)。 (29) こ の 目 録 に よ れ ば、 大 日 経 七 巻 は 七 部、 金 剛 頂 経 三 巻 は 四 部、 蘇 悉 地 経 三 巻 は 三 部、 守 護 経 十 巻 は 五 部、 孔 雀 経 三 巻 は 五 部、 胎 蔵 儀 軌 は 六 部、 金 剛 界 儀 軌 は 二 部、 蘇 悉 地 儀 軌 は 五 部 が 書 写 さ れ て い る。 こ の よ う に、 多 く の 部 数 が 写 さ れ て い る こ と に は、 何 か 別 の 意 味 が あ る の か も し れ な い。 (30) し か し、 ﹃ 大 方 広 仏 花 厳 経 ﹄ の ﹁ 一 帖 複 五 巻 ﹂、 ﹁ 二 帖 複 五 巻 ﹂ の 別 出 に つ い て は、 な お 検 討 を 要 し よ う。
(31) ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ お よ び 現 存 策 子 第 二 十 二 帖 か ら み て、 こ れ は ﹁ 発 菩 提 心 戒 儀 ﹂ の 誤 り で あ ろ う。 西 南 院 本 で は 授 発 菩 提 心 戒 文 一 巻 と な っ て い る。 (32) 西 南 院 本 お よ び 維 宝 本 に よ る。 他 本 で は、 こ の 経 を 記 載 し な い が、 ﹃ 延 喜 勘 合 録 ﹄ か ら み て、 記 載 の あ る の が 正 し い。 (33) 東 宝 記 六 ( ﹃ 続 々 群 書 類 従 ﹄ 十 二、 一 二 七 頁)。 (34) 現 存 策 子 第 二 十 七 帖 の 最 初 に あ る ﹁ 如 意 輪 菩 薩 観 門 義 注 秘 決 ﹂ も、 後 半 の 約 三 分 の 一 に 当 る 部 分 が 散 侠 し て い る。 (35) こ れ は 後 題 に ﹁ 仁 王 般 若 波 羅 蜜 真 言 ﹂ と 云 わ れ る と こ ろ か ら、 こ れ を ﹃ 仁 王 般 若 陀 羅 尼 釈 ﹄ と 見 倣 す も の も あ る が、 ﹁ 東 寺 新 写 作 子 目 録 ﹂ に お い て は 別 出 さ れ て い る と こ ろ か ら み て、 両 者 は 別 異 の も の で あ る こ と が わ か る。 三 十 帖 策 子 の 経 緯 に 関 す る 一 試 論