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浄土真宗の掟岡西法英はじめにこの近年 靖国問題や新たな国立追悼施設建設問題を通して 問題になってきた 日本国憲法 の信教自由 政教分離の原則は あくまで歴史的経緯から生まれた国家の自己規制的世俗法規であって 真宗の教法にはこれとつながる あるいはこれを基礎付ける原理は示されていないのであろうか また

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Academic year: 2021

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浄土真宗の掟 岡西法英 はじめに この近年、靖国問題や新たな国立追悼施設建設問題を通して、問題になってきた「日本 国憲法」の信教自由・政教分離の原則は、あくまで歴史的経緯から生まれた国家の自己規 制的世俗法規であって、真宗の教法にはこれとつながる、あるいはこれを基礎付ける原理 は示されていないのであろうか。 またこれも近年のことであるが差別法名問題にからん で、信心に関する従来の理解が個人的・内面的・閉鎖的であることが指摘され、真俗二諦 の教学的枠組みが問われてきた。他宗教が混在し、或いは異教が国家権力を伴って支配す る現実の社会、いわば 異学・異見・外道・悪見人みちみちた社会をどう生きるかは、信 心とは別の世俗問題なのであろうか。 真宗を凌駕して僧侶門徒を支配し、戦争への全面協力を強いた国家神道は、現在も日本 的「無信仰」として脈々と生きている。創価学会と不可分の公明党は日本政治の一翼を担 って、その支配力をのばそうとしている。中東紛争・テロなど宗教を背景にした国際問題 はあとを絶たない。これらの問題に、近代真宗の教学的枠組みをなしてきた真俗二諦の思 想はどんな指針を与えるというのか。思考の停止と態勢追随より他に何があるのであろう か。 多くの宗教は自らを絶対視して、他を非とし、全人類を己が信者とすることを理想とし、 その教団はしばしば宗教エゴ・集団エゴを免れていない。そのため、国家のエゴと利害を 共有する時、戦争を抑止するどころか、これを助長する役割をはたすことになるのである。 真宗もまた同様なのであろうか。歴史的事実からいえば、全くその通りであったわけであ るが。 これらの問題についての視点を指し示すものがすでに真宗の中にあるとすれば、真宗の 「掟」と呼ばれていたものが最大のてがかりになるのではないかという視点から真宗の掟 とは何であったかを問いなおしてみたい。 ここでいう真宗の掟とは、蓮如の『御文』に示されたものである。後に『参考』の項に 挙げるが、掟として示されている内容は、条数・内容さまざまではあるが、根幹をなして いるのは、「されば聖人のいはく、『たとひ牛盗人とはいはるとも、もしは後世者、もし は善人、もしは仏法者とみゆるやうにふるまふべからず』(改邪鈔)とこそ仰せられた り」(『御文章二帖目第二通)という伝承である。「諸神・諸仏をおろそかにすべからず。 諸法・諸宗を誹謗すべからず。守護地頭を疎略にすべからず。王法をもっておもてとし、 世間の仁義をもって本とすべし。内心に信心をたくわえよ」等の戒めは、すべてこれの展 開としてあると見ることができる。 一、掟としての意義 掟とよばれるからには、浄土真宗のというよりは宗門という集団の規則であって、単な る信者心得とは異なる。真宗門徒の一員たるための必須要件をなすものでなければならな い。信心を得ていようと、また未だ得ていまいとにかかわらず規制するものであることを 示すのは次の文である。 「夫当流門徒中にをひて、すでに安心決定せしめたらん人の身のうへにも、また、未決 定の人の、安心をとらんとおもはん人も、こころうべき次第は、ほかには王法を本とし、 諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また、諸宗・諸法を謗ぜず。国ところにあらば、守護・ 地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢・所當をつぶさにいたし、そのほか仁義をもて 本とし、(略)」(御文章三の十三) また、掟には当然罰則が伴う。罰則の最たるものは集団からの追放である。これを示す のが次の一文である。 抑当流門徒中にをひて、この六ケ條の篇目のむねをよく存知して、仏法を内心にふかく 信じて、外相にそのいろをみせぬやうにふるまふべし。しかれば、このごろ、当流念仏者 にをひて、わざと一流のすがたを、他宗に対して、これをあらはすこと、もてのほかのあ

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やまりなり。所詮、向後、この題目の次第をまもりて、仏法をば修行すべし。もし、この むねをそむかんともがらは、ながく門徒中の一列たるべからざるものなり。 一、神社をかろしむことあるべからず。 一、諸仏・菩薩ならびに諸宗をかろしむべからず。 一、諸宗・諸法を誹謗すべからず。 一、守護・地頭を疎略にすべからず。 一、国の仏法の次第、非義たるあひだ、正義におもむくべき事。 一、当流にたつるところの他力信心をば内心にふかく決定すべし。 以下、各条の解説あり (御文章三の十) 仏教伝統の在家の戒でもなく、出家の律でもない、宗門の掟ということが示されたので ある。このような、個々の在家信者までをも拘束するような掟が、これ以前に存在したか、 またそのような掟を持つ宗教集団が存在したか。筆者の少ない知識にはないところである。 法然聖人の七箇条制誡などは、主に出家の僧を対象としたものであったことは誰もが認 めるところであろう。 二、掟の背後にある問題意識 在家の戒でもなく、出家の律でもなく、坊主門徒を一律に規制する掟が何故登場したの か。それは、従来にない新しい在家仏教教団として真宗教団が登場したからに他ならない。 現在の浄土宗各派が、全て出家僧侶と在家檀徒という仏教伝統の形態を保持しているこの に対し、真宗各派は、肉食妻帯の坊主を中心とする在家の門徒集団によって構成されると いう独自の形態を持っている。この点が、法然門下の七箇条制誡と本願寺教団の掟との違 いを生み出したと思われる。 では何故、法然門流において、七箇条制誡や真宗の掟が生まれねばならなかったのか。 興福寺奏上・山門奏上によって承元の法難が引き起こされて以来の南都諸宗と延暦寺によ る専修念仏の排斥、朝廷・幕府による弾圧、神社勢力との確執などがあったからである。 焦点ともいうべきは、南都北嶺の「仏法者」「後世者」が専修念仏を流罪にしたのだと いうことである。その理由は仏教の伝統を守り、民心の健全を保ち、神国を鎮護するため ということであった。 『興福寺奏上』『山門奏上』の背後にあるものは、「我に仏法あり」「我、仏法を伝持 す」という傲慢であり、仏法の護持者をもって自ら任ずる思想、すなわち宗教集団エゴこ そが専修念仏を断罪したのである。宗祖『ご消息』に見える、獅子身中の虫が獅子を食ら うが如く仏法者が仏法を破るという指摘や、「南都北嶺の仏法者」という言葉に込められ た批判的語感が意味するものは何であろうか。 一つには、「我に仏法あり」の僧侶エゴ、宗門エゴこそが仏法を破り、専修念仏を攻撃 するということである。 もう一つは、真宗門流の中に、宗祖を断罪した仏法者たちと同じスタンスで立つという 過ち、すなわち仏法の護持者をもって自ら任ずるという護教精神の陥穽に落ちて、自信教 人信の道を見失ってはならないということである。 本願をしぼめる花に譬えて、流行の時期は過ぎたとし、聖道諸宗と朝廷・幕府から覚え のよい道を歩もうとし、宗祖の高弟達を鎌倉幕府に訴えて出たというのが実態であったら しい善鸞事件に対する宗祖の断固たる対応や、一向一揆に対する蓮如上人の一貫した制止 叱責の態度は、真宗の掟の持つ歴史的意味を語るものであろう。 三、従来の真宗の掟理解の問題点 すでに述べたように、神国鎮護の聖道門仏教及びその宗門エゴ・僧侶エゴとの対立葛藤 という視点なくしては真宗の掟の意味は正しく理解できない。 ところが、長い幕藩体制下の宗門、国家神道下の教団という歴史の中で、宗門の教学的 営為はこの点を何時しか見失ってきたようである。 従来、真宗の掟は、『大経』「抑止文」「五悪段」に源があるとされ、あるいは真俗二

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諦につなげて理解され、『十七条憲法』第二条と結び付けられたり、『破邪顕正鈔』の王 法仏法輪翼論と結び付けられてきた。処世倫理や国家追随の論理として肯定的にとらえよ うとするものである。背後の歴史的社会的要因に対する視点が定まっていなかった結果で あろう。 近年は逆に、蓮如上人による宗門経営上の便宜的処置と見て、今日的価値はないとする 見方が多いように思われる。掟の根底に流れる真宗信心の独自性という点に注意を払わな かったためであろう。 四、掟の基本的性格 真宗の掟は、歴史的経緯を機縁として生まれた一面と同時に、信心の内奥から展開され た原理を含むものである。 宗祖のつねの仰せとして引用される「たとい牛盗人とは呼ばるとも仏法者・後世者と見 ゆるやうにふるまふべからず」という言葉は、明らかに、宗祖独自の訓読による善導『観 経疏』至誠心釈の「外に賢善精進の相を現することを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり」を 承けている。 これがまた、次の深心釈の「一つには、決定して深く、自身はこれ現に罪悪生死の凡夫 曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して出離の縁あることなしと信す。二つには、か の阿弥陀如来の四十八願は衆生を摂受して、疑なく、慮りなくかの願力に乗じて、さだめ て往生を得と信ず」」という二種深信を根拠として展開されていることは論をまたないで あろう。 真宗の掟は、信心の内容そのものからその基本が展開されているのである。このことは 法然聖人の『一枚起請文』に「念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、 一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひ をせずして、ただ一向に念仏すべし」にも同じ趣旨が見えることや、掟を箇条書きに示し た『御文章』において、最後の一条で信心決定を勧めて結んであることからも、首肯しう るであろう。この掟を他律的なものとするにとどまらず、自らその意を見いだすのは、信 心獲得においてであるということを示唆するものではないであろうか。 信心そのものから展開された掟であるということは、それが、与えられた掟であるにと どまらず、念仏者の基本姿勢として生活規範をなすということでもある。「たとい牛盗人 とは呼ばるとも仏法者・後世者と見ゆるやうにふるまふべからず」という言葉が宗祖のつ ねの仰せであるとされていることは、このことを示すものである。また同時に、少なくと もこの一文に示された掟については、善導-法然 親鸞-覚如-蓮如という相承の伝統 があるということでもあろう。 五、掟の教学的背景 時機相応の論理と宿善他力論は浄土教の特徴である。それは、次の三つの意味を含むも のであるといえよう。 ①歴史的社会的現実存在としての個人を見る。 ②所与としての教法とならんで内発的要因としての個人の意思を尊重する。 ③宿業存在としての人間観に立つ。 ここに、時代社会の現実をどう受けとめるか、異教徒・他流念仏者などの人々とどう共 存しつつ、自信教人信の営みを展開するのかということが、不可避の課題ととらえられて くる素地、掟が生み出される基盤があると考えられる。 六、王法仁義を先とすることの意味 「王法仁義」と呼ばれているものは、当時の社会的常識の限界を考慮した上で考えれば 今日の人権観念の萌芽とすべきものではないかと考える。だとすれば、王法を以て本とし 仁義を先とするということは、人間尊厳(人権)の核心としての信教自由を「法」として 認知することを意味するものであるといえる。

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それは、法に背き真実から逃げるもの、本願に背くものとして人間を捉える人間観と、 異教の存在を前提として立つ宗教としての浄土真宗を宣言するものであるともいえる。 また、異教徒との葛藤を回避しつつ、同じ人間としてまた、同時代人としての課題を、 一人の世俗人として共有・連帯することを通路として自信教人信の実現をめざすことを意 味するものでもあるといえよう。 ※ 以上を通観してみるとき、浮かび上がってくる観点がある。誰も、仏の側 に立って人に対することは許されない。誰も宗教をもって自らを正当化する ことは許されない。誰も、この宗教を守るためにと言うことは許されない。 迷い深く過ち多い人間のために宗教はあるのであって、宗教のために人間が いるのではないからである。人間を人間らしく生きるように護るために宗教 があるのであって、罪深い人間が宗教を護る、護持するということはあり得 ないからである。 それゆえ、「この宗教を護持する」というとき、それはエゴによる宗教利 用でしかありえない。この宗教を媒介とした集団エゴが、悪しき宿業観・真 俗二諦の論理を生み、時には差別温存の温床となり、あるいは戦争協力の基 盤ともなりえてきたのではないか。 そういう観点に立って、加えていえば、「愛山護法」という発想は真宗の 掟の精神に背くものである。 むすび 宿業を生きる存在、法に乖き真実に背を向ける存在として人間をとらえる真宗は、同時 にそれを摂取不捨する本願を説き、信心の救い開示する宗教である。それは、とりもなお さず、歴史的社会的現実存在としての個人を注視し、所与としての教法とならんで内発的 要因としての個人の意思を尊重するという特徴を持った宗教であることを意味する。 歴史的社会的存在、背法の存在であるということの中には、異教の存在は既に包摂され ているといわねばならない。それは排すべきものとしてあるのではなく、受容し救済され ねばならないものとして視野の中にある。 本願摂取の中に自己を見い出した時、教人信による報恩の使命と同時に、仏法者・後世 者と見ゆるようにふるまうべからずという戒めが生まれる。そこから、消極的表現ながら 人間尊厳(人権)の核心としての信教自由を「法」として認知するという他に類例のない 真宗の掟が出現したのである。 真宗の掟は世界の諸宗教に類例のないものである。しかし、真宗の掟のもつ歴史的意義 の大きさは真宗門流内でも見過ごされ、見失われてきたといえるかも知れない。この掟が 加賀一向一揆に対する制戒として出されているという歴史的背景は周知のことであるが、 その一向一揆に対する評価が、未だに宗門内で定まっていない状況である。一向一揆を批 判することは宗門エゴを問うことに直結するからであろうか。今日の宗門の組織基盤とな っている寺檀制度はキリスタン弾圧制度を背景にしたものであり、幕末から明治にかけて の「真宗護国論」はキリスト教排撃を使命と自認してのものが多かった。 今日の世界は他の宗教の存在を容認した上でなければ、自らの宗教がその使命を果たす ことが困難な時代である。その意味で、真宗の掟は、真宗者のみならず世界のあらゆる宗 教者が学びとるべき戒めであろうと思われる。これなくして、宗教による異教徒差別と戦 争助長は避けがたいと思われるからである。 〔注記〕 ※牛盗人 無口でのろまなことを表す比喩表現。一説に比叡山で、外道を意味す る揶揄の隠語。 『改邪鈔』には、『末法燈明記』を引き、さらに「われはこれ賀古の教信

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沙弥の定なり」という宗祖の持言を挙げ、さらに流罪赦免の際の「愚禿」と いう署名のことを述べた上で、前掲の「たとひ牛盗人とはいはるとも、もし は善人、もしは後世者、もしは仏法者とみゆるやうにふるまふべからず」が 宗祖の仰せとして引かれている。 賀古の教信の行状(『改邪鈔』には、「永観の往生十因にみえたり」 との注記がある)に沿って理解すれば、無口で愚鈍な庶民のイメージが浮か ぶ。法然の『一枚起請文』や『八万法蔵章』にみえる「一文不通の尼・入道 」と重なる人間像である。 ※仏法者・後世者 「不得外現賢善之相」といふは、(略)心口各異言念無実なりと教へ たまへり。(略)この世の人は無實のこころのみにして、浄土をねがふ 人はいつはりへつらひの心のみなりと聞こえたり。世をすつるも名のこ ころ・利のこころをさきとする故なり。しかれば善人にもあらず賢人に もあらず精進のこころもなし。懈怠のこころのみにして、内はむなしく いつはりかざりへつらふ心のみつねにして、まことなる心なき身と知る べし。 大谷大学図書館蔵浅野氏旧蔵本(流布本) 明治書店版『聖典』所載 ※王法・仁義 日本における最初の成文化された王法は『十七条憲法』である。『十七条 憲法』は仏法の精神を基盤とした世俗の法をめざしているという点で、仏法 に対する王法と呼ぶにふさわしいものである。日本仏教の歴史における聖徳 太子の存在の大きさは決定的なものであったが故に、この時期の国家と仏教 の関係は日本の仏教徒にとって永く理想と考えられてきた。それが、王法仏 法相資相依論、王法仏法輪翼論の出発点となったものと思われる。中国にお けるような度重なる廃仏王朝の出現の例はなく、実質はともかくとして、一 貫して、崇仏王朝たる朝廷の支配のもとにあったこの国の歴史事情が、それ を増幅してきたものであろう。 一方、不文法として国民の通念と考えられてきた倫理を、『御文章』では 仁義という言葉で押さえてある。 インド・中国に比する時、日本には仏教に対抗しうる程の異教は存在しな かったといえる。神道は早期のうちに仏教の下請け的地位に組み込まれた。 そのため、南都六宗と天台・真言などの旧仏教と、念仏・禅・法華などの新 仏教の確執、各宗間の対立などの方が意識されることとなり、いわゆる宗旨 は各別であるが世俗的倫理的通念は一つという常識を生み出した。 信ずる仏法は共有しないが、従う王法・仁義の道は共通であるというある 意味で逆転的な通念が形成されたところに、日本人の宗教観の特徴がある。 これが、明治期に至っての国家神道の登場を可能にし、真宗の真俗二諦を胚 胎したのである。 今、『御文章』でいう「王法をおもてとし、仁義を本とせよ」とは、世俗 倫理を優先せよということではないし、国家に追随せよということでもない 。奉ずる宗旨の違う人に対しては、その人と共有する倫理の中で接しなさい ということであり、我に仏法ありという思い上がりや宗派エゴを出すなとい うこと、宗教的信条の押しつけは慎めということであったと見ねばならない であろう。 文明六~九年に特に集中して著された掟に関する『御文』は加賀の一向一 揆に対する訓戒抑止の意味を持つことは明らかである。 〔参考〕

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『観経疏』散善義 至誠心釈 「不得外現賢善精進之相内懐虚仮」 外に賢善精進之相を現じて内に虚仮を懐くことを得ざれ 外に賢善精進之相を現することを得ざれ。内に虚仮を懐けばなり 親鸞聖人 『一枚起請文』 源空述 『七箇絛起請文』元久元年(一二〇四)『西方指南抄』 『改邪鈔』(覚如) 一、遁世のかたちをこととし、異形をこのみ、裳無衣を著し黒袈裟をもちゐる、 しかるべからざること。 (略)かのともがらは、むねと後世者気色をさきとし、仏法者とみへて威儀 をひとすがたあらはさんとさだめ振舞歟。わが大師聖人の御意はかれにうしろ あはせなり。 (中略) これによりて、たとひ牛盗人とはいはるとも、 もしは善人、もしは後世者、もしは仏法者とみゆるやうにふるまふべからずと おほせあり。 『浄土和讃』弥陀経讃 「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取して捨てざれば 阿弥陀となづ けたてまつる」 者ノ逃グルヲ追ワエ取ルナリ、一度取リテ永ク捨テヌナリ 左訓 『正像末和讃』悲歎述懐讃 「末法悪世のかなしみは 南都北嶺の仏法者の 輿かく僧達力者法師 高位をもてな す名としたり」 『親鸞聖人御消息』 「諸仏の御をしへをそしることなし、余の善根を行ずる人をそしることなし。この念 仏する人をにくみそしる人をも、にくみそしることあるべからず。あはれみをなし、 かなしむこころをもつべし」とこそ、聖人は仰せごとありしか。あなかしこ、あなか しこ。 第六通 「領家・地頭・名主のひがごとすればとて、百姓をまどはすことは候はぬぞかし。仏 法をばやぶるひとなし。仏法者のやぶるにたとへたるには「獅子の身中の虫の獅子を くらふがごとし」と候へば、念仏者をば仏法者のやぶりさまたげ候ふなり」 第二十八通 『歎異抄』第二条 「もししからば、南都北もゆゆしき学生たちおほく座せられて候ふなれば、かの人々 にもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり」 『御文章』〔二の一〕 〔二の二〕 〔二の三〕 〔二の六〕 〔二の七〕 〔二の十〕 〔三の十〕

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〔三の十一〕 〔三の十二〕 〔三の十三〕 〔四の一〕 〔四の八〕 〔帖外の二十一〕 〔帖外の四十一〕 〔帖外の九十二〕 ※牛盗人(二の二・十三、三の十一) ※内心-一の九、二の六、三の十に二ケ所・十一に二ケ所・十二・十三、四の一・七 ※外相-一の九、二の三、三の十・十一・十二、四の一・六・七

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