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第 1 学年社会科 ( 歴史的分野 ) 学習指導案 唐津地区人権 同和教育研究会 単元名 江戸時代の身分制度と鎖国 2. 教材について本単元では 江戸幕府の成立と その幕藩体制の仕組みや幕府の外交政策の変化などを扱う 幕藩体制のしくみについては 政権を盤石なものにするために

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第 1 学年社会科(歴史的分野)学習指導案

唐津地区人権・同和教育研究会 2010.1.5 1.単元名「江戸時代の身分制度と鎖国」 2.教材について 本単元では、江戸幕府の成立と、その幕藩体制の仕組みや幕府の外交政策の変化などを扱う。幕藩体制のし くみについては、政権を盤石なものにするために、大名の配置換えや様々な法令の制定の他に、経済的・軍事 的基盤を整えるなど、政策的な意図が理解しやすいので、論理的な理解を構築する場として捉えている。江戸 幕府の外交政策の変化についても、朱印船貿易から鎖国に至るまでの経緯を宗教・経済政策との関わりから理 解できるようにしたい。 江戸時代の身分制度について、特に差別の歴史については、264年の間に起こった変化を的確に伝えない まま指導している事例が多く見られる。そこで本単元では江戸時代初期の差別政策を扱い、封建社会の崩壊と 共に変化していることを理解させたい。指導に当たっては、客観的な事実を伝えながら、差別に負けずにたく ましく生きてきた姿を伝え、差別を許さない心情を育てたい。 3.単元目標 (1)幕府の全国支配のしくみや政策について、その経済的・軍事的基盤と関連づけて理解させる。 (2)江戸幕府の外交政策の変化について、宗教・経済政策との関わりから考え、鎖国に至る経緯を理解させる。 (3)江戸時代の身分制度について理解すると共に、差別に負けずにたくましく生きてきた人々の姿を学ばせ、 差別を許さない心情を培う。 (4)琉球や蝦夷地が幕藩体制に組み込まれていく過程について理解させる。 4.単元の指導計画 (1)江戸幕府の成立と支配のしくみ・・・・・1時間 (2)さまざまな身分とくらし・・・・・・・・1時間 (3)身分制度(きびしい身分による差別)・・ 1時間(本時) (4)貿易の振興から鎖国へ・・・・・・・・・1時間 (5)鎖国下の対外関係・・・・・・・・・・・1時間 5.本時の目標 (1)現在も残る部落差別について考えさせ、差別を許さない態度を育てる。(関心・意欲・態度) (2)民衆の差別意識の不合理性と差別の理不尽さを資料をもとに考えさせる。(思考・判断) (3)差別された人々が社会的に貢献していたことや武士による支配体制を理解させる。(知識・理解) 6.本時の指導のポイント (1)身分制度と部落差別のつながり これまでの実態として、生徒は賤称語を自分たちの生活とは関わりのない過去の言葉と捉えがちである。 したがって、後半部分で現代に残る部落差別の問題とのつながりを理解させ、現在のわたしたちに大きく関 わっていることを認識させたい。また、偏見や思い込みにとらわれず、事実に基づいて判断し、行動しよう とする科学的態度を育てたい。 (2)「差別と貧困」の歴史観から「生産と労働」の歴史観へ 過酷な一面のみを強調すれば、生徒はマイナスイメージを持ちやすいので、社会に大きく貢献したことや 差別に負けずにたくましく生きたことなどプラスイメージとなるような説明を先に行い、歴史を多面的・多 角的に捉え、生徒が感じる印象について配慮した流れにしていく必要がある。 (3)「言葉の重み」を伝えること 禁句指導は、生徒たちの意識のあり方と関係なく、発言しないよう強制することである。それは、「差別を 許さない」生徒を育てるという本来のねらいから外れてしまう。賤称語は生命を奪うことにもつながる重い 言葉であり、その言葉の意味や現在もその言葉に苦しんでいる人がいることを伝え、「使いたくない」「使え ない」という思いを教師と生徒が共有できるような指導が大切である。社会科だけでなく、全職員で生徒た ちの反差別の思いを育てていきたい。

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7.指導過程 学習内容・学習活動 主な発問 指導上の留意点 導 入 1.本時の学習課題を確認する ○江戸時代の身分は、大きく四つ に分けることができるが、どん な身分があったか。 →武士身分、町人身分、百姓身 分、その他の身分 ※それぞれの身分の人口の割合を押さえ る。 展 開 2.身分の違いを知る 3.差別された人々の仕事を知る 4.当時の人々が差別した理由と そのおかしさについて考える ○次の人々はどの身分に属する か? →グループで発表しよう! →ワークシート1へ ○「江戸時代の社会のしくみ」を 確認しよう!→ワークシート 2へ ○弾左衛門の写真を見せる。 →この人はどんな身分だろう か? ○差別された人々はどんな仕事 をしていたのか? ・死牛馬の処理、皮革製造業(雪 駄や太鼓作りなど)、芸能、医 薬関連業、犯罪者の捕縛、牢番、 役人の下働きなど ○資料「雪駄の値段」について考 えよう!→ワークシート3へ ○「江戸時代の人々は、被差別身 分の人々に対し、なぜ差別をし たのか」 ex 結婚や村の年中行事に参加 させない等 ○現代にも、このような非科学的 な例はないですか? (人はそういったものを信じて しまう心がある・・・) ※身分は職業ではなく、原則的に住む場 所で決まること、世襲制であったこと を理解させる。 ※「その他の身分」の中には当時、差別 された人々がいることを告げる。 ※弾左衛門は「差別された身分」である ことを告げる。 ※これらの仕事には高い技術力が求めら れ、需要も多く、現代に受け継がれて いることを押さえる。 ※教師主導で提示していく。 ※豊かな人もいれば、貧しい暮らしをし ていた人もいたことを伝え、被差別身 分の人々が貧しい生活をしていたと短 絡的に捉えないようにする。また、社 会に貢献しながら、たくましく生きて いたことを伝える。 ※経済的、文化的な交流は当然あったこ とを押さえる。 ※当時の人々が「ケガレ意識」等によっ て被差別身分の人々に対し、自分たち と交わるべきではないと排除(差別) していたことを説明し、当時の人々が 差別した理由の理不尽さや矛盾点につ いて理解させる。 →雨乞いによって雨が降ると信じてい た江戸時代の人々の非科学的な考え を理解させる。 →現代にも、この様な非科学的な例と して、「六曜」「丙午」等がある。 →我々は肉を食べるのに、死牛馬を解 体することに対して差別することの 矛盾点を述べ、情意面でも反差別の 意識を育てたい。 江戸時代の身分について考えよう

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5.現代に残る部落差別の問題と のつながりを知る ※こうした身分は明治時代のいわゆる「解 放令」で廃止されているが、「部落差別」 という形で現代に残っている。(地図資 料を使って説明) ※賤称語は心を深く傷つけ、現在でも場合 によっては命までも奪うような言葉で あることを押さえるとともに、部落差別 を許さない気持ちを持たせたい。 ま と め 6.本時の授業の感想を書く ○今日の授業の感想を書こう。 ※感想を書く前に、教師(大人)の差別性 や自分の過去の経験を踏まえ、生徒の心 情に訴えかける。 ※生徒の日常生活を振り返り、差別的な言 葉を安易に使っていないか、問いかけ る。 ※生徒に分かりやすいように、実生活に照 らし「これは本当のことなのか・・・?」 噂、偏見にとらわれず、自分で常に確か める事の大切さを理解させる。 (※参考資料 「部落史に学ぶ」 外川正明「私たちが創る 部落史学習」 香川県部落史をどう教える会 編 「部落史学習」「部落史発見」 福岡市同和教育研究会 北波多中学校指導案 唐津地区人権・同和教育研究会 ホームページhttp://www.saga-ed.jp/workshop/karatuji/) 8.評価 (1)差別を許さない態度や差別をなくしていこうとする意識を培うことができたか。 (2)差別の不合理性や理不尽さを理解することができたか。 (3)差別された人々が、社会的に貢献したことや、武士による支配体制を理解できたか。 ☆参考資料 ☆13代目の弾。弾家は幕府に仕え、関東から東海・東北の一部 にかけての部落を支配した。 平安時代における「ケガレ」の規定 『延喜式』 ・人の死、埋葬 ・家畜(馬、牛、羊、豚、鶏、犬の六種)の死、家畜の出産 ・肉食 ・女性の生理、懐妊、出産、流産 ・失火 など ・・・醍醐天皇の命により、編集されて967年に施行

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[ 授業の中で話したいこと ] ※生徒には配布しない

えたという言葉は、漢字をあてれば「穢多」と書きます。ひにんという言葉は、「非人」と書きます。これは「穢 れ多い」という意味であり、こちらは「人間ではない」という意味があります。人間なのに人間ではない、と言 うのだから、差別的な意味で使っていた事が分かります。 次に「穢れ」というのは何かというと、主なものとしては、血や死に関わることです。昔の人は今のわれわれ と比べると、今ほどの知識がなかったので、生き物の血や死に関わると、身のまわりに何かよくないこと(例え ば、天変地異による被害や病気、怪我など)が起きると信じていました。今はそんなことを考える人はいないと 思います。でなかったら、手術を行う医者などは社会的な評価が低い職業になってしまいます。 では、どうしてそのような意味で呼ばれたかというと、「えた身分」とされた人々の中には、死んだ牛馬を解体 し、そこから取れる内臓や皮を加工したものを売っていました。生き物を解体すれば、当然「血」を扱うことに なります。生き物の血や死に多く関わっているから、その人達に関わると何かよくないことが起こるというので、 (周りの人々は)「穢多」と呼んで差別していました。その関係で、例えば死牛馬の解体だけでなく、血を扱う人 たちのほとんどが差別されたし、生理のある女性も差別されました。 あなたたちは、牛や馬を解体することで差別することをどう思いますか?そんなことで私たちは絶対に差別す ることはできないはずです。何故なら、私たちは動物の肉をおいしそうに食べていますよね?動物の肉をおいし そうに食べるのに、牛や馬を解体するのは残酷だ、酷いことをしていると思うことは明らかにおかしいことだと 思います。 女性が出産で血を流すから穢れている。生理があるので穢れている。だから神社の神域や土俵の上に入っては いけないとされました。(今でも日本相撲協会は、これを伝統?と言っていますが・・・)「女性は穢れている!」 と言われたら、女性は当然、納得できるはずがありません。そしてこれは女性だけの問題ではありません。自分 の母親や姉、妹たちが穢れていると言われたら、はらわたが煮えくりかえる怒りを覚えます。何より、人間は全 て女性から生まれるからです。 「えた」とか「ひにん」という言葉は、江戸時代にそう呼ばれた人々も嫌っていたし、認めていませんでした。 そしてその言葉で、今でも苦しむ(苦しめる)人々がいます。今日は学習の場なので、敢えて口に出しましたが、 私たちはその言葉が人を差別し、心をズタズタにし、場合によってはその人の命まで奪うような言葉であること を、深く心に刻む必要があります。だから私は、学習の場以外でそういう言葉を言いたくもないし、聞きたくも ありません。 これまで差別された人々のことを学習して、結局差別されるような理由は何もないことが分かりました。では、 何故、差別する理由が無いのに、今でも差別する人がいるかというと、昔の間違った考えを自分で確かめないで、 信じてしまう人もいるからです。人から伝え聞いたことを鵜呑みにしたり、自分勝手に思い込んだりして(=偏 見)自分で事実を確かめない、という過ちは、誰でもしてしまう可能性があります。(教師であり、大人でもある 自分にもあります)そのことについて、君たちもこれまで経験してきたはずです。(例えば、人の噂話を確かめも せず信じて、人間関係がギクシャクしたことがあるとか・・・) 今日、学習した江戸時代の身分制度は、なくなったけれども、当時の差別意識を受け継ぎ、今でも形を変え、 理由がないのに差別し、苦しめている人がいます。(=部落差別)だから、今日の学習を通して、本当はどうなの か、自分で事実を確かめる大切さを学び、先入観や思い込みをしないようにしてもらいたいと思います。自分が 愚かな差別をしないことはもちろんですが、

差別

を直接見たり、聞いたりしたら、「本当にそうなのか」という ことを、差別している人に問いかけ、差別をなくす勇気を持って欲しいと思います。

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〈 カード 〉※貼らない

●「六曜」

・・・

(ろくよう)は歴注の一つで、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種をいう。

六曜は中国で生まれたとされるが、いつの時代から暦として確立されたかについて

は全く不詳。六曜が中国から日本に伝来したのは、14世紀の鎌倉時代末期から室

町時代にかけて、とされる。その名称や解釈・順序も少しずつ変えられ、現在では

赤口以外は全て名称が変わっている。19世紀初頭の文化年間に現在の形になった。

幕末頃から、民間の暦にひっそりと記載され始めた。明治時代に入って、吉凶付き

の暦注は迷信であるとして、政府に禁止された時、六曜だけは迷信の類ではないと

引き続き記載された。このことから、かえって人気に拍車をかけることとなり、第

二次世界大戦後の爆発的流行に至った。多種多様な暦注の中では新顔ながら、現代

の日本に広まった。

●「丙 午

ひのえうま

・・・干支の一つ。60年に一度まわってくる。この年には火災が多いとか、この年に

生まれた女性は気が強くて夫を殺す、という迷信。一説では、江戸時代の八百屋、

お七の刑死を演劇化したことによって広まったと言われるが、事実は定かでない。

一般庶民の間では、この年生まれの女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を

縮める(男を食い殺す)とされ、死後「飛縁魔」という妖怪になるとも言われてい

た。特に江戸時代中期に盛んに信じられており、1906(明治39)年の丙午で

は、この年生まれの女性の多くが、丙午生まれという理由で、結婚できなかったと

言われている。

この迷信は第二次世界大戦後まで尾を引き、1966(昭和41)年の丙午では子

供をもうけるのを避けたり、妊娠中絶を行った夫婦が多く、出世数は136万97

4人と、他の年に比べて極端に少なくなった。この前年及び、翌年の出生数が増え

たのは丙午の余波と言われる。

当時の日本でも丙午に対して疑問がなかったわけではない。1965(昭和40)

年11月に山形市で、法務省山形地方法務局が主催となった「ひのえうま追放運動」

が展開され、同月21日には市内パレードで啓発を呼びかけている。同法務局によ

ると、子どもを産む、産まないで離婚調停に至ったとか、近所から嫌がらせを受け

たなどの相談が多発したためである。

(1965年11月河北新報)

丙午(1966年)生まれの川嶋紀子が秋篠宮妃に内定されると、その後マスコミ

上において「丙午生まれの女性は~」と言われることは一切なくなった。

広く日本社会に存在する非科学的、不合理な迷信や因習、社会のしきたりは、日本

社会と人々を有形無形に拘束し、偏見や差別観念を植え付けます。その代表的なも

のが丙午で、それは単なる迷信にすぎない。

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●風俗統制の動きは幕府にとどまらず、各藩でもかわた身分や非人身分に対して、衣服など統制を

する場合があった。土佐藩では安永九(1780)年、かわた身分に対し、夕方以降は町へ出る

ことや、百姓の家に「踏込」ことなどを禁じ・・・

『ビジュアル部落史 第1巻』

●差別的な制度が次々と成立したわけですが、それはなおいっそう、一般民衆との接触の可能性を

拡大する効果を、逆説的ですが、もたらしたのです。例えば、確かに、部落は堀割で隔離された

わけですが、それはただちに民衆の目の前で、部落の人々の生活がなされることを意味しました。

差別的な村落行政の機構が成立したとはいえ、そのもとで村役人層と部落の人々との交渉は日常

的なものになりました。宗門人別帳の作成さえ、そうした交流のきっかけとなりました。

あるいは、部落の人々は、その「キヨメ」としての性格上、町や村の中を歩いて皮革の運送をし、

刑吏や警察の仕事で、村や町を頻繁に走り回ることもしなければなりませんでした。秋ともなれ

ば、村人と共に年貢米を納め、村の運営について交渉することなどが増えるにしたがって、それ

までの差別的な制度を基礎にした生活規制を改めて作り上げなければ、差別は維持できないこと

に気付き始めます。

『これでわかった部落の歴史 上杉聡 著』

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「舳松村と塩穴村」 ―絵図にみる被差別民 その 3― 11 月 1 日から舳松人権歴史館において、企画展「舳松村と塩穴村」を開催します。今回の企画展は、昨年から開催し ているシリーズ「絵図にみる被差別民」の最終回であり、村絵図を中心に舳松村と塩穴村の関係などを読み解きます。 塩穴村は本村である舳松村の枝村であったため、独自の庄屋を持たず、村の政治に参加することができませんでした。 また、さまざまな差別政策があったことが絵図からうかがい知ることができます。しかし、その一方で塩穴村は周辺の地 域と交流し、活発な経済活動を営むことで人口を増やし屋敷地を拡大していきました。展示する絵図から、そのような塩 穴村の生活の様子やその底辺にある部落への忌避・排除といった差別意識を紹介し、現代にも通じる差別問題を考え る機会とします。 なお、展示資料・解説にある「穢多」「非人」などの身分呼称は、差別的な意味で使用されてきましたが、その時代の差 別状況を理解するための歴史的用語として、そのまま展示しています。 1728(享保 13)年「舳松領絵図」の一部 堺市立中央図書館蔵 (享保 20)年「和泉国絵図」の一部 堺市立中央図書館蔵

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町人身分

の人々

武士身分

の人々

被差別身分

の人々

被差別身分

の人々

百姓身分

の人々

百姓身分

の人々

町人身分

の人々

武家屋敷

城下町

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武家屋敷

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さまざまな身分と暮らし

1年 組 号

名前

1.次の人たちは何身分に属すだろうか?

〈武士身分〉

(武士)

〈町人身分〉

(町に住む大工)

(呉服屋)

〈百姓身分〉

(漁師)

(村に住む大工)

(農民)

(庄屋)

〈その他の身分〉

(公家)

町に住む大工 漁師 武士 公家 村に住む大工 呉服屋 庄屋 農民

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2.江戸時代の社会のしくみ

3.雪駄

せ っ た

(雪踏

せ っ た

=竹の皮の草履の裏に革をはったもの)の値段を考えよう!

●今日の授業を受けて感じたことや、日頃の生活を振り返って、考えたことを書きなさい。

「わらじ1足」が16文、「そば1杯」が16文 の頃、「雪駄1足」が500文した。「皮の羽織(革 製の服)が3両しました。 ※当時、銭1000文=金1両であり、大人一人が 1年間生活するために必要な金額でした。

【問題】そば1杯の値段を400円とすると、

雪駄1足の値段はいくらになるか?1文は2

5円で計算しよう

答え (12、500) 円

生活を 支 配

支える

〈支配する身分〉 (武士)身分7% 統治、行政、軍役 村に住む 85% =(百姓)身分 優れた技術や能力が 必要とされたため、 生活が な人々もいた! (豊か) 社会・共同体 町に住む 5% =(町人)身分 〈 そ の 他 の 身 分 〉 3 % 公家 神官 僧侶 など 差別された 身分 支 配 (排除)

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〈 カード 〉※貼らない

丙午(ひのえうま)

十干と十二支に五行を配当することによって生じる組合せのうちで、丙と午はいずれも<火>に属すること から、火災が多く起こると信じられた俗信。中国から伝わった知識で、江戸時代に都市住民の意識の中に定着 した。『燕石雑誌』には、「丙午の女は必ず男を食へると世に伝へし」と記されており、丙午の年に生まれた女 は亭主を殺すといって忌避されるという迷信に変化している。丙午を迷信として排除する常識も一方には存在 するが、なお丙午の年には婚姻を避けたり、丙午の年の生まれの女性の縁談を気にする風潮が現代社会にも伝 承されている。 日の吉凶を含め、暦中の中でとくに凶にかかわる俗信が民族知識として発達したが、いずれも都市を中心と している。都市生活の中に生じている災害の原因や、日常生活の不安に対する理由づけを、暦の知識に求めよ うとする思考によっており、合理的に説明できる根拠はまったくない。

六曜(ろくよう)

暦注の一種で、日の吉凶をみるのに使われる。六曜星の略で、六輝ともいい、先勝・友引・先負・仏滅・大 安・赤口の6星を、順番通り旧暦各月の朔日に配当し、正月・7月は先勝、2月・8月は友引、3月・9月は 先負、4月・10月は仏滅、5月・11月は大安、6月・12月は赤口として、2日以下は六庸の順序に従っ て機械的に充当する。 起源は中国唐代の暦算学者、李淳風の『六壬時課』(ろくじんじか)とされ、日本には室町時代初期ごろに 伝わり、小六壬(しょうろくじん)といわれ、大安・留連・速喜・赤口・将吉・空亡の六つで時刻の占いであ った。江戸時代の寛政年間(1789~1801)には、泰安・流連・則吉・赤口・周吉・虚亡に変わり、天保年間 (1830~44)には名称と順序が入れかわって、現在のように固定した。 六曜は、江戸末期以降に流布し始めた新しい暦注の考え方で、一般民衆の間にごく手軽な吉凶見として定着し、 現代でも根強い力を持っている。 平凡社『世界大百科事典』より

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参照

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