新制大学における一般教育成立過程の研究−九州大学教養部を事例として− [ PDF
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(2) ない事例研究の一つとして新制大学における一般教育の成. 関係条項は、その理念は文面化という形で反映されず、学. 立過程を解明する一助になると思われる。. 科課程に関することなどの形式的な枠組みを提示しただけ. 研究方法は旧帝国大学の新制大学化に伴う「教養部」の. であった。そして、この基準をもとに新制大学発足にむけ. 成立過程の解明を通して戦後提唱された一般教育の性格を. 設置認可申請書が作成されたのである。しかしながらその. 明らかにすることである。. 一般教育に関する研究や啓蒙活動は新制大学発足後になさ. 研究対象は九州大学教養部とする。九州大学を研究対象 とする理由は以下の二点である。第一に九州大学は旧帝国. れたのであり、一般教育の移入に際しては制度が先行した のである。. 大学の一つであり、他の大学あるいはその地域の大学に一. つまり一般教育は形式的な枠組みを制定した一般教育関. 般教育の在り方について最も影響を及ぼしうると考える。. 係条項にのみ則るかたちで、一般教育に対する理念は欠い. 第ニに、旧帝国大学における七大学のうち六大学が高等学. たまま新制大学の成立過程の中で形成されていったのであ. 校と専門学校を含んで新制大学を編成しており、九州大学. る。. も高等学校と専門学校を編成して新制大学を発足している. 第二章:九州大学における教養部の組織化. からである。. −設置審議にみる専門教育中心主義−. 又、戦後の新制大学に導入された一般教育の理念や導入. 本章では教養部を組織化していく上での審議決定方法と. 過程を明らかにするための政策史料を渉猟し、事例として. その審議の結果から教養部が専門教育の視点から構築され. 採り上げた九州大学に関してはつとめて学内の一次史料に. たことを明らかにすることを目的とする。. あたった。 第一章:大学基準の制定. 新制大学の発足にむけ九州大学も新大学制度準備委員会 (以下、準備委員会)を設け一般教育の設置に関する審議. 本章では、理念にたいする議論を欠いたまま新制大学成. や決定を行った。九州大学は教養部の母体として福岡高等. 立に向けて一般教育が形成されていく過程を明らかにする. 学校と久留米工業専門学校を吸収したが、一般教育に関す. ことを目的とする。. る審議については三校協議会という形で参加はできるもの. 米国教育使節団の勧告により、はじめて大学教育におけ る一般教育の重要性が強調され、大学基準協会において大. の、決定権は九州大学教官で構成される準備委員会にあっ たのである。. 学基準は制定された。この基準は大学の設置認可の基準と. すなわち、 「九州大学教授会通則」 、 「教養部教授会運営内. され、この基準をもとに新制大学は設置認可申請書を作成. 規」 、 「教養部審議会規則」などの諸内規において、福岡高. したのである。. 等学校と久留米工業専門学校は教養部の自立を尊重するた. 大学基準の中の一般教育関係条項では大学で教授する一. めに教養部教授会、教養部審議会の構成員に学部教官を含. 般教育として人文科学、社会科学、自然科学の三系列から. まないことを主張していた。しかしながら福岡高等学校、. それぞれ三科目以上を用意しなくてはならないことを制定. 久留米工業専門学校のこのような主張は受け入れられず. している。この一般教育関係条項にはその作成にあたり CI. 「九州大学教授会通則」、 「教養部審議会規則」において九. E の一般教育論が大いに影響していたのである。つまり CIE. 州大学が主張する教養部教授会に学部教官を構成員とする. がいうところの一般教育とは観察や理性でもって現在に対. 案が採用されたのであり、審議決定権は準備委員会にあっ. し正確な判断をする眼識を養うための自然科学、先入観や. たといえる。その結果、教養部の学科課程、教育方針に関. 感情に囚われずに現問題を研究する識見を養う社会科学、. する審議について学部の意見が反映しうる機構となり、し. そしてものごとを考える上での基礎となる人文科学という. かも準備委員会による「教養部の人事に関する内規」によ. 三系列から構成される。そしてそれらの三系列は体系的な. って教養部の人事に関しても学部の影響下におかれること. カリキュラムによって教授されなくてはならないというの. になったのである。. である。しかしながらその理念が一般教育条項に目にみえ. 更に予算と人事面において強い自立性を認めるという特. る形では反映されず、関係条項では三系列における履修を. 徴をもつ旧学制以来の講座制を採用するのではなく、予算. 規定しているだけであった。. 面では講座制の概念を適用するが人事面では上記の内規か. こうした設置認可基準をもとに新制大学は発足した後、 一般教育とは一体何であるのかといような研究活動や大学 の一般教育関係者に対する講習などの啓蒙活動が、大学基 準協会を中心になされたのである。 すなわち CIE の一般教育論を背景に作成された一般教育. らも明らかなように自立性を欠くという新しい講座概念を 教養部のために創り出し適用したのである。 こうして、教養部は準備委員会の審議決定のもと、一般 教育学科課程、教育方針、人事の面において常に学部の意 思が反映しうる組織として構成されたのである。.
(3) すなわち教養部に関するとりきめについては三校協議会. 教育に直結したものであり、又、文系学部は専門教育とは. という形で審議決定してゆくことにしながらも実質的な決. 直接的には関係していない、広い視野を養うものとして位. 定権は九州大学にあったのである。そしてその結果一般教. 置づけられていたのである。. 育学科課程や教育方針、そして人事面に関する取り決めに. つまり、一般教育学科目において九州大学では高等学校規. おいて常に学部教官がその審議決定に参加することになっ. 程を参考にしていたのである。そしてそれは広い視野を養. たのである。. うことを指す文系学部の大学予備教育観と、専門の基礎教. 以上見たように九州大学において教養部は学部教育の視. 育科目を指す理系学部の大学予備教育観というそれぞれ異. 点から審議され、そして自立を欠いた組織として構築され. なった概念に基づいたものであったのである。. ていったのである。. 第四章:九州大学における一般教育の実施とその整備. 第三章:九州大学における一般教育学科課程の決定 −その大学予備教育的性格− 本章では新大学制度準備委員会が設置認可申請にむけて. 本章では設置認可申請にむけ足早に形成された一般教育 像が新制大学に浸透していく経緯を一般教育学科課程の編 成経過から明らかにすることを目的とする。. 形成していった一般教育像を明らかにすることを目的とす. 整備会議では主に一般教育から専門教育に移行する際の専. る。. 攻学部決定の時期と一般教育学科課程について審議が為さ. 一般教育学科課程については準備委員会で審議決定がな. れている。その審議決定から以上考察してきたような、一. されたのであり、福岡高等学校や久留米工業専門学校との. 般教育観が新制大学に浸透していく過程が見受けられる。. 三校協議会によって審議がなされたわけではない。従って. すなわち専攻決定の審議において、理系学部は現行の二年. 一般教育学科課程における取り決めについては教養部以上. 制を変更し入学時に専攻を決定したいと希望したのに対し. に学部教育の視点から審議がすすめられていったといえる。. 文系学部は現行に問題はないとしていたのであった。この. こうして、一般教育の学問的性質等には全く触れずにそれ. 意見の背景には最初から学部を選ぶことで学生が勉強しや. は専門教育にとっての大学予備教育であるという共通認識. すくなるというような理系学部と、視野を広くするために. のもとに審議がなされていったのである。. 遅く専攻を決定した方がよいとする文系学部の考えがあっ. すなわち、一般教育学科課程の修業年限の決定に際して. たのである。つまり、ここでも理系学部は一般教育を専門. 文系学部は一般教育学科課程の二年制は予科的気分を残す. 教育に直結した基礎教育科目として捉え、文系学部は広い. おそれがあるとして一年半制を支持していた。それに対し. 視野を養うための普通教育として捉えていたのである。. 理系学部は専門教育の基礎として一般教育学科課程を位置 づけて二年制を支持していたのである。 つまり、文系学部は一般教育を予科として位置づけ、そし て理系学部は専門教育に直結した基礎教育科目として位置 づけているのである。従って、文系学部、理系学部ともに. この専攻決定の時期については、学生を従来通り教養部文 科系、理科系として入学させ学部別に学生を分属しないが 入学時に志望学士号を記載せしめこれを参考に合格者を決 定することになったのである。 この取り決めがなされた結果、理系学部は学部或いは学科. 一般教育を大学予備教育として位置づけているといえるが、. 毎に一貫した大学教育を体系化したのである。すなわち昭. その大学予備教育観は文系学部と理系学部とではそれぞれ. 和二十七年度の一般教育学科課程は、昭和二十六年度に比. 異なっていたといえる。. べ理系学部が学科毎に必須履修の一般教育学科目を指定す. この一般教育の大学予備教育としての位置づけは九州大. るなど、一般教育課程履修方法がさらに綿密になっている。. 学設置認可申請書の一般教育学科目が大学令以降に制定さ. 更に昭和二十八年度では昭和二十七年度までの一般教育学. れた高等学校規程に類似している点からも確認し得る。又、. 科課程の特徴が引き継がれたまま、理系学部と文系学部で. 文系学部と理系学部の異なった一般教育観は九州大学が文. はそれぞれ異なった一般教育観を組み込んだカリキュラム. 部省に提出した設置認可申請書の一般教育学科課程からも. を構成していったのである。. 明らかである。. すなわち、理系学部は殆ど学科毎に必須履修の一般教育. すなわち理系学部は一般教育学科目の三系列のうち自然. 学科目を指定し、その他に専門科目を一般教育の自然科学. 科学において、各学部に応じた必須履修科目を指定してい. の中に設けたのである。しかもその専門科目は必須履修で. る。それに対し文系学部は、三系列から人文科学十八単位、. ありそれを履修するには指定された一般教育学科目を履修. 社会科学八単位、自然科学八単位を履修することにしてい. しておかなくてはならないのである。加えて、その昭和二. るのみで一般教育学科目の中に必須履修科目を設けていな. 十七年度まで第二学年の後期も自然科学関係の学科目はい. い。従って理系学部が有する大学予備教育の概念とは専門. くつか開講されていたが、昭和二十八年度では全く開講さ.
(4) れていない。つまり第二学年の後期には完全に学部の専門 教育へ進むことになるのである。 一方、文系学部は昭和二十六年度から昭和二十八年度に. ず自立性を欠いた組織として構築されたのであった。 第三に、一般教育は大学予備教育として新制大学の中に 位置づけられたのである。しかしながらその大学予備教育. かけ、一貫して一般教育の人文科学、社会科学、自然科学. 観の概念は理系学部と文系学部とでは異なるものであった。. の三系列に必須履修学科目は設けておらず、自然科学関係. つまり理系学部は専門に直結した基礎教育を大学予備教育. の諸学科目の中に文系向きのものを指定しているだけであ. として捉えていたのである。又、文系学部は広い視野を養. る。この昭和二十八年度一般教育学科課程の決定の後、 「新. うための普通教育を指していたのである。こうした理系学. 制大学への転移は完了」したとして本整備会議は解散して. 部、文系学部の相異なる大学予備教育観はそのまま一般教. いる。. 育観として反映されたのである。. つまり、一般教育を専門に直結した基礎教育科目として. 最後に、上述してきたような理系学部と文系学部の異な. 位置づける理系学部と広い視野を修得するための普通教育. った一般教育観は設置認可申請にむけて足早に審議決定の. として位置づけている文系学部の一般教育観は、昭和二十. すえ形成されたものであった。しかしながらこうした理系. 六年度から二十八年度にかけて浸透をみせ、そして理系学. 学部と文系学部のそれぞれ異なった一般教育観を組み込ん. 部が体系的な一般教育学科課程を形成していくことにより. でカリキュラムは構成され新制大学への浸透をみせたので. その異なる一般教育観は理系と文系においてさらに分化し. ある。. ていったのである。. 〔今後の課題〕. すなわち、入学時において志望専攻を決定するという取. 新制大学の一般教育課程の実質的前身となった「旧制高. り決めにより、一般教育を専門の基礎教育科目とする理系. 等学校及び大学予科」が有していた一般教育としての性格. 学部の姿勢がより表面化されたのである。それに対し文系. の再検討は、移入された一般教育とは何であったのか、そ. 学部は上記のような取り決めがなされた後も一般教育の中. してその大学教育における意義を解明する上でも重要であ. に専門的要素を見出すことはなく普通教育として位置づけ. ると考える。今後の課題としたい。. ている。 こうして一般教育は大学予備教育として位置づけられた. なお、史料収集に際し前田早苗(大学基準協会) 、折田悦. のであるが、文系学部と理系学部ではその意味するところ. 郎(九州大学大学史料室) 、国立国会図書館、国立校文書館. は異なっていたのである。つまり文系学部は広い視野を養. の諸氏諸機関のお世話になった。記して謝意を述べたい。. うためのものとし、そして理系学部は専門に直結した基礎 教育科目として捉えることでそれぞれ異なった一般教育観. 〔参考文献〕. を組み込んだカリキュラムを構成し、こうした一般教育観. 1.海後臣宗・寺崎昌男『大学教育』東京大学出版会、一. は新制大学に浸透していったのである。. 九六九年. 終章. 2.土持・ゲーリー法一「新制大学における『一般教育』の導. 戦後の新制大学設立の過程で成立した一般教育は以下の ような特質をもって発足したといえる。 第一に、一般教育は理念をともなって大学教育の中に位. 入と展開過程」 『日本の教育史』第四〇巻、一九九八年 3安川寿之輔「戦後新制大学論−一般教育の視座より見た −」 『名古屋大学紀要』一九八九年. 置づけられたのではなく新制大学の成立過程の中で形成さ. 4.杉谷祐美子「戦後東京工業大学改革過程における教養. れたのである。つまり一般教育移入後、大学基準の制定、. 教育の成立−その背景と条件」 『大学教育学会誌』第二一巻. 新制大学の発足と制度が先行して後その理念などの研究や. 第一号、一九九五年. 講習会が行われたのである。従って、大学基準における一 般教育関係条項に則って設置認可を作成するという過程の 中で一般教育は大学教育の中に位置づけられていったので ある。 第ニに、一般教育の運営主体である教養部の組織的性格を 規定していったのは九州大学である。つまり学部教官によ る専門教育の視点から教養部は構築されたのであり、その 結果一般教育の学科課程や教育方針、そして教養部の人事 に関しては学部教官を構成員に加えて審議しなくてはなら.
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