第4章 所得税率の内生化と世代重複モデル
-局所的な非決定性と複数定常均衡-
本章では2つ目の経済的な歪みとして内生化された所得税率(Endogenous income taxes)を 2期間の世代重複(Overlapping generations model)モデルの中で取り上げる.政府の予算制 約政策として内生的な所得税率(Endogenous income taxes)と外生的な所得税率(Fixed income tax rates)の2つを考え,異なった予算制約政策(Budgetary policies)が経済的な不安定性の 発生頻度(The likelihood of economic instability)に及ぼす影響の違いを考察する.
4-1
. モデルの基本構造
ライヒリン(Reichlin)により考案された2期間の世代重複モデル(JET, 1986)を考える. そのモデルとは,各世代の経済主体について,彼らは2期間生存し,人口規模は1に正規 化され,以下で示されるように消費者,企業家および政府が存在する.消費者(
Consumers)
消費者は2期間(若年期と老年期)生存するが,彼らは老年期(Old period)のみの消費 に関心があり,それゆえ若年期(Young period)において得た労働所得(Wage income)を全 て貯蓄する.老年期(Old period)において彼らは引退し,労働は行わない.よって若年期 に行った貯蓄を切り崩すことにより老年期の消費を行うのである. 以上の消費者の行動を定式化すると以下のようになる. Max 1 1 11
1
t tc
φl
ζφ
ζ
− + +−
−
+
, (1) s.t., t t ts
=
w l
, (2)(
)
11
1
1 1 t rt t tc
+= − + −
δ
τ
+⋅
r
+
s
, (3) ただし tl
=若年期の労働供給量,c
t+1=老年期の消費量,w
t=賃金率,s
t=貯蓄量,r
t+1=資本の レンタル料(貯蓄からの純収益率),τ
rt+1=資本所得税率,δ
=資産の減耗率 である.上記の最適化問題を解くと以下の式が得られる. 1
(
)
t tl
= Ψ
c
+ 1 tc
Ψ +≡
, ただし1
1
φ
ξ
−
Ψ ≡
+
である. (4)(2), (3) と (4)式から賃金に対する労働供給の弾力性(Labor supply elasticity)は
Ψ
/(1
− Ψ
)
となる. よってその値が正となるように以下のことを仮定する. 仮定1:
0
< Ψ <
1
(i.e.,0
< <
φ
1
andζ
>
0
).企業(
Firms)
企業の行動について考える.代表的な企業は資本(k
t)と労働(l
t)を組み合わせて生 産物(y
t)を生み出す.生産はコブ・ダグラスの技術(Cobb-Douglaus technology)に従っ て行われるものとする. 1 a a t t ty
=
Ak l
− (5) 企業の利潤最大化条件より,以下の式を導出できる. 1 1( , )
a a t t t t tr aAk
=
−l
−≡
r k l
とw
t=
(
1
−
a Ak l
)
ta t−a≡
w k l
( , )
t t (6)政府(
Government)
政府行動について考える.本章では内生的な資本所得税率(Endogenous capital income taxes)と外生的な資本所得税率(Fixed tax rates on capital income)についての政策的なイン プリケーションを引き出すことが目的である.よってそれ以外の税を無視して分析を行い, 政府支出は資本所得税によってのみまかなわれるものとする.そのとき政府の予算制約式 (Budget constraint)は以下のようになる. t rt t t
g
=
τ
⋅
r k
. (7) もし政府が支出を一定(g
t=
g
)に保ったなら(7)式,すなわち政府の予算を満たす ように資本所得税率が内生的に決定する.それに対して,政府が税率を一定(τ
rt=
τ
r)に 保ったなら,(7)式は政府予算を満たすために支出がどのような値をとらなければならな いかを表している.すなわち支出が内生変数となる.市場均衡(
Market equilibrium)
政府の予算制約政策の違いに注意して市場の均衡条件を導出する.消費者が若年期(t
期)に行った貯蓄
s
tが資産投資に等しくなるとき財市場は均衡している.注意すべきはt
期 における資産投資は新規投資,k
t+1− −
(1
δ
)
k
t とt
期の老人(t
−
1
世代)から購入する中 古の資本,(1
−
δ
)
k
t の和となることである.ゆえにs
t=
k
t+1.
が均衡式となり,(2), (4), (6) と (7)を用いてそれを表現すると( )
(
t,
t 1)
( )
t 1 t 1w k
Ψ
c
+⋅ Ψ
c
+=
k
+ . (8) となる.なお,(8)式は2 つの予算制約政策において共通して成立する式である. (3), (4), (6), (7) とs
t=
k
t+1 を用いて( )
(
t,
t 1)
1
t tr k
c
+δ
k
c
g
Ψ
+ −
⋅ = +
, (9-1) を得る.(9-1) 式は与えられた政府支出にたいして資本所得税が毎年の政府の予算が満たさ れるよう内生的に決定するケースに対応している. (3), (4), (6) とs
t=
k
t+1 から(
1
τ
r)
r k
(
t,
( )
c
t+1)
1
δ
k
tc
t
−
Ψ
+ −
⋅ =
. (9-2) を得る.(9-2) 式は資本所得の税率が一定値τ
rt=
τ
rに保たれており, 毎年の政府の予算を 満たすように支出が内生的に決定するケースに相当する. ゆえに内生的[外生的]な資本所得税率のケースにおいて,(8)と(9-1)[(9-2)]式か ら消費と資本ストック( , )
c k
t t の時間的経路が決定する.4-2.定常状態(
Steady states)
それぞれの政府予算制約政策のもと定常解が存在するかどうかを考える.全ての経済変 数が時間を通じて一定値をとるとき,経済は定常状態にあると考えられる.そのとき 1*
t tc
=
c
+=
c
とk
t=
k
t+1=
k
*
が成り立つ.(ただし,x
*
は変数x
の定常値を示す.) 最初に資本所得税率が内生化されたケースを考える.(8)と(9-1)式より定常値( *, *)
k c
は以下の式を解くことにより得られる.(
) ( ) ( )
-1 (1 )1
−
a A k
∗
ac
∗
−aΨ=
1
, (10-1)( )
1-1
a
k
g c
a
+
∗ −
∗
−
δ
=
. (10-2) 上2式より定常解の存在に関して以下のように要約できる.命題
1 (内生的な資本所得税率): 政府支出の大きさが極端に大きくなければ,2
証明
: 図1を参照のこと.
図1は政府支出が0
< <
g g
Sの範囲にあるとき2つの定常解が存在し,g
>
g
Sの範囲にあ るときは定常解が存在しないことを示している.(政府支出がg
Sに等しいとき2つの定常解 が1つに合体する.) 次に資本所得税率が時間を通じて一定に保たれているケース(τ
rt=
τ
r)を考える.この とき政府支出が毎年の政府予算を満たすように内生的に決定している.そのとき定常解は 以下の2つの式を解くことにより得られる.( ) ( )
-1 (1 )(1
−
a A k
)
∗
ac
∗
−aΨ=
1
, (10-1)(
1
)
( )
1-1
ra
k
c
a
τ
−
⋅
+
∗
∗
−
δ
=
. (11)命題2 (固定された資本所得税率):0と1の間をとる税率に対して定常解は一
意に存在する.
証明:図2を参照のこと.
命題1と2から資本所得税を一定に保つ政策により,貧困の罠(Poverty traps)に相当す る低位の定常均衡(Low steady state)が取り除かれていることに注意する必要がある.4-3.内生的な所得税率とサンスポット均衡(Sunspots)
内生的な資本所特税率のケースにおいて定常解が 2 つ存在しうることが判明した.本節 ではそれぞれの定常解の安定性(Local stability)について考える.そのためには(8)と(9 -1)式を定常状態( *, *)
k c
で線形近似(Linearization)を行うと以下の式が得られる.(
)
(
)
(
)
(
)
1 11
1
1
1
*
*
* / *
* / *
*
*
1
1
1
t t t ta
a
a
k
k
k
k
a
k
c
k
c
c
c
c
c
a
a
a
a
δ
δ
+ +
+
−
−
−
−
−
Ψ ⋅
Ψ ⋅
=
−
−
−
−
−
−
. (12)1 (12)式の行列式のトレース(T
)とディターミナント(D
)を計算すると以下のよう になる.1 ただし(9-1)式を線形近似する際,陰関数定理(Implicit function theorem)の理解が必要 である.詳しくはAppendix 2 を参照のこと.
1
*
0,
*
c
D
k
=
⋅
>
Ψ
(13-1)(
)
1
1
*
1
1
.
*
c
a
T
a
k
a
δ
−
=
−
⋅ −
Ψ
(13-2) (13)式より政府支出g
を増大させると定常状態における消費‐資本比率( * / *)
c
k
を通 じて( , )
T D
に影響を与える.いうまでもなくトレースは行列式の二つの固有値(characteristic roots)の和を表し,ディターミナントはそれらの積を表す.ゆえに定常解の近傍における 経済変数の動学経路(dynamical path)を知るためには(13)式の大きさを調べなければ ならない.その前に以下のことを定義しておく. 定義1:図1において小さいほうの定常解を( *, *)
k
1c
1 とし,大きいほうの定常解を 2 2( *, *)
k
c
とする. また,(13)式より以下二つのレンマが得られる. レンマ1:政府支出g
の大きさにかかわらず( ,
T D
i i)
は直線∆
上に位置する.∆
:D
ia T
i1
a
(
1
)
a
δ
−
=
+
−
(i
=
1, 2
) レンマ 2: 政府支出を限りなくゼロに近づけると(g
→
0
), 小さいほうの定常状態 1 1( *, *)
k
c
における資本‐消費比率はゼロに近づく.すなわち,( * / *)
k
1c
1→
0
であり,ゆ えにD
1→
0
である. また,0
< <
g
g
S の範囲においてD
1> −
T
11
かつD
2<
T
2−
1
が成立する.さらにg
=
g
Sに対してD
i= −
T
i1
が成立する. 証明:前者に対しては図1を後者に対してはappendix 1を参照のこと. ここで以下のことを仮定する. 仮定1:0
1
a
(
1
)
1
a
δ
−
<
−
<
. ここで考えているモデルは世代重複モデルなので1 期間のタイムスパンは30~40年ぐ らいの期間と考えるのが妥当であろう.よって資本の減耗率δ
は十分1 に近いと考えられ る.よって仮定1は現実的な整合性をもつ.さらに定義2を述べる. 定義2:ラインΔが点C と交わるときの値は以下のように定義できる. 11
ˆ
2
a
(1
)
a a
a
δ
−
−
= ≡
+
−
また,次のようなことを仮定する.仮定2:
0
1
2
a
ε
< < −
,ただしε
は十分小さな正の値とする.a
は生産における資本のシェアを表しているので,実証研究より現実的には1/3前後の値 をとることが知られている.よって仮定2は現実的な妥当性を持つと考えられる.また, 資本の減耗率δ
が十分に1に近かければ,ˆa
の値は1/2に十分近くなり,仮定2よりa a
<
ˆ
となり, ラインΔの位置は図 3 のように示せる. 図1より政府支出g
が上昇すれば( * / *)
k
1c
1 [( * / *)
k
2c
2 ]が増大[減少]し,よって低位[高 位]の定常均衡におけるディターミナントの値であるD
1 [D
2]を引き上げる[引き下げる]. レンマ2より政府支出が0から上昇すると,( ,
T D
1 1)
は水平線から上へ向かって上昇し, 2 2( ,
T D
)
はラインAC 線の上側より下降する.政府支出がg
Sを通り過ぎた瞬間に2つの定 常解は1つになり消失するのである.よって0
< <
g g
Sである限り,図3より以下の命題 が示せる.命題3:高位の定常均衡
( *, *)
k
2c
2は常に鞍点(
Saddle point)であるが,低位の
定常均衡
( *, *)
k
1c
1は常に完全安定(
Sink)であり定常解へ収束する経路は無数
に存在し(
Indeterminacy),よってその近傍において内生的な経済変動が生じる.
複数の定常均衡解(Multiple steady states)の存在は初期の所得水準がほとんど同じである 2国について,ある国が高位の定常均衡へ通ずる経路を選択し,別の国は低位の定常均衡 (Poverty traps)へ達する経路を選択した場合,長期的に決して消滅し得ない所得格差が生 じることを示唆している.
4-4.外生的な所得税率と安定的な成長経路(
Steady growth path)
本節では資本所得税率が時間を通じて一定値
τ
rt=
τ
rに固定され,政府支出が毎年の政府 の予算を満たすように内生的に決定するケースを考える.4-2 節より0
≤
τ
r<
1
の範囲にお いて定常解は一意的に存在する.その定常解( *, *)
k c
の局所的な安定性を考える. そのための手段として,定常状態で(8)と(9‐2)式を線形近似すると,その近傍 において経済変数( , )
k c
t t は時間を通じて以下の式を満たすよう変化する. 1 1*
*
*
*
t t t tk
k
k
k
A
c
c
c
c
+ +−
−
=
−
−
, ただし(
)
(
)
(
)
(
)
(
)
(
)
(
)
(
)(
)
1
1
1
1
1
* / *
1
* / *
1
/
1
1
/
1
1
r r r r ra
a
a
a
k
c
a
k
c
A
a a
a a
τ
δ
τ
τ
δ
τ
τ
−
+ −
−
−
−
Ψ ⋅
−
Ψ ⋅
=
−
−
−
−
−
−
. (14) である.(14)から行列式A
のディターミナント(D
)とトレース(T
)は(
)(
)
1
1
0,
1
r* / *
D
k
c
τ
=
>
Ψ
−
(15-1)(
)(
)
(
(
)(
)
)
1
1
1
1
,
1
r* / *
1
ra
T
a
k
c
a
δ
τ
τ
−
−
=
−
Ψ
−
−
(15-2) となる. (15)式より以下の命題が得られる.命題4:局所的な安定性は鞍点(Saddle point)であり,定常解へ収束する経路
は一意的(Determinacy)である.よって定常状態近傍において内生的な経済変
動は生じない.
証明:(15‐1)と(15‐2)を組み合わせ,(11)式を代入すると仮定1より(
)
(
)
(
)
1
1
1
1
1
1
1
0
1
1
ra
a
a
D T
a
τ
a
δ
+ − Ψ −
−
− + =
+
−
<
− Ψ
−
を得る.よって(15-1)式より定常状態の安定性は鞍点(Saddle point)である. 命題4より安定根は0と1の間の値をとり,ゆえに経済変数は定常値へ単調に(変動す ることなく)収束する.よって税率を一定値に固定し,政府の毎年の予算を満たすよう政 府支出で調整する経済は,内生的な経済変動を引き起こすことなく安定的な成長をもたら すことが証明された.4-5.結論(Concluding remarks)
本稿では政府予算の収支を均衡させるために資本所得税率で調整するケース(Endogenous capital income taxes)と政府支出で調整するケース(Fixed capital income tax rates)の2つを 考察した.前者の予算制約政策においては,局所的な非決定性(Local indeterminacy)や複 数定常均衡(Multiple steady states)による貧困の罠(Poverty traps)などの経済的に不安定 な現象が生じた.それに対して,後者の予算制約政策においては,定常解は常に一意に存て経済的な安定性の観点から目標とする予算を実現するためには,税率(Tax adjustments) ではなく支出(Spending adjustments)をつうじて行うことが強く推奨されるのである.
Appendix 1 (レンマ2の証明)
(10-1)から以下の式を得る. 1*
*
*
*
i i i idc
c
dk
k
−
= Ψ
, (i=1,2) (1-1) また,(10-2)を用いると,(
)
*
1
* 1
i idc
a
dk
=
−
a
+ −
δ
,(i=1,2) (1-2) を得る. 図3より低位(高位)の定常均衡において (1-1) < (>) (1-2). (1-3) が成立する. さらに (13-1) と(13-2) を用いることで1
i iD T
− +
(
)
*
1
1
1
*
1
i ic
a
a
a
k
a
δ
−
=
−
+
+ −
Ψ
−
. (1-4) を得る. (1-3) と (1-4)を考慮すると 1 11
D
< −
T
とD
2>
T
2−
1
. であることが分かる.さらにg
=
g
Sのとき(1-1)=(1-2)よりD
i= −
T
i1
が成立 する.Appendix 2(陰関数定理について)
(9‐1)式をF c
(
t+1, ,
c k
t t)
≡
r k
(
t,
Ψ
( )
c
t+1)
+ −
1
δ
⋅ − − =
k
tc
tg
0
とおき,全微分すると 1 1 t t t t t tF
F
F
dc
dc
dk
c
+ +c
k
∂
∂
∂
= −
−
∂
∂
∂
(2-1) を得る.1
/
t0
F
c
+∂
∂
≠
(2-2) ならば,c
tとk
tの微小の変化に対しc
t+1の変化量は1対1に対応し,ゆえにc
t+1はc
tとk
tの 関数として以下のように表すことが可能となる.(陰関数定理)(
)
1,
t t tc
+=
c c k
(2-3) ゆえに定常状態で(2-2)式が成立していれば,その近傍において(9-1)式は(2 -3)式のような形に書き直すことが可能となり,(2-1)式より以下の関係が成り立つ. 1 1,
t t t tdc
F c
dc
F c
+ +∂ ∂
= −
∂ ∂
1 1.
t t t tdc
F k
dk
F c
+ +∂ ∂
= −
∂ ∂
上2式の公式を用いて(9-1)式を定常状態で線形近似すればよい.図1: 内生的な資本所得税率 図2: 一定値に固定された資本所得税率
*
k
*
c
0
(10 1)
−
(10 3)
−
rτ
↑
*
k
*
c
0
g
↑
1*
k
k
2*
(10 2)
−
(10 1)
−
図3:内生的な資本所得税率と局所的な安定性