• 検索結果がありません。

73 ハイエク 自由の条件 にみる累進課税批判 福田あつ美 4 年 flat rate progressive rate

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "73 ハイエク 自由の条件 にみる累進課税批判 福田あつ美 4 年 flat rate progressive rate"

Copied!
22
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ハイエク『自由の条件』にみる累進課税批判

福田あつ美

(吉村研究会 4 年) はじめに Ⅰ 『自由の条件』における「課税と再分配」 Ⅱ 「課税と再分配」にみる累進課税批判 1  再分配の中心問題 2  累進課税の発展 3  累進課税を正当化する理由の変化 4  財政上における必要性の要求がない場合 5  累進と民主主義   6  比例税対累進税 7  唯一の許容し得る報酬としての適切な所得 8  道徳的論点と政治的行動の原理 Ⅲ 所得再分配を批判するハイエクの論理展開   1  自由の構造   2  進歩の常識   3  ハイエクへの批判 4  平等と分配 おわりに

はじめに

所得税法89条は、所得税の税率について超過累進税率を定めている。課税標準 が金額ないし価額を基準とする場合の税率には、比例税率(flat rate)と累進税率 (progressive rate)とがある。比例税率は、固定資産税や消費税など課税標準の大 きさに関係なく金額ないし価額の一定割合である税率であり、累進税率は、所得

(2)

税や相続税など金額ないし価額の増加に応じて累進して定められる税率である。 納税義務者の担税力(ability to pay)を直接の基準としない租税は、通常比例税率 が用いられ、納税義務者の担税力を直接の基準として課される租税は、通常累進 税率が用いられる。累進税率はさらに、課税標準が大きくなるにしたがって、そ の全体に対して単純に高率を適用する単純累進税率と、課税標準を多数の段階に 区分し、上の段階に進むに従って、逓次に高率を適用する超過累進税率とがある。 超過累進税率は、担税力に応じた税負担の配分の要請に最もよく適合するため、 多くの国において、所得税や相続税などに用いられている1) 租税による所得再分配である累進課税は、民主主義と平等に根拠をおいたもの である。しかし民主主義のもとでは、課税賦課に対しても歳出削減に対しても国 民の強い反対がある結果、財政赤字が避けられない。このような状況のなかで、 公平性と効率性はトレード・オフの関係にあるとして民主主義と平等とを批判し たハイエクの思想は、1980年代以降、巨額の財政赤字に直面したサッチャー政権 やレーガン政権の政治運営における理論的な根拠となった。さらに経済のグロー バル化が進展しつつある今日、これまで能力に応じた平等な課税であるとされて きた累進課税は、国際的租税回避の問題に直面している。 資本主義体制は今日まで、社会主義体制との福祉拡充の競争を経るなかで、高 福祉高負担の体制へと転換した結果、先進国には巨額の財政赤字が残された。さ らに現在では、先進国は低福祉低負担の地域へと富裕者層が移転し、財政赤字が 一層深刻化するという問題を抱えている。これを解決する手がかりとするため本 稿では、ハイエク『自由の条件』をひもとき、その累進課税批判の理論展開をた どりつつ、紹介をしようとするものである。

Ⅰ 『自由の条件』における「課税と再分配」

ハイエクの『自由の条件』は、第一部「自由の価値」、第二部「自由と法」そ して第三部「福祉国家における自由」から構成される。第一部は、なぜわれわれ は自由を欲するか、そして、自由とはどういうことかを説明しようとする。第二 部では、西欧の人間が個人的自由を保障するために発展させた制度について検討 している。そして第三部では、これらの原則を今日の危急の経済的ならびに社会 的問題の一部のものに応用して吟味している2)。この第三部における具体的な問 題の一つとしてハイエクは、「課税と再分配」3)をとりあげている。

(3)

『自由の条件』第20章「課税と再分配」の冒頭は、グチャールディーニが1538 年頃、貴族階級と富裕階級が課税によって虐待されたと書いた論文から引用され ている4)。出典は、F. Guicciardini,“La decima scalata”(『10の階段』)Opere inedited.

(未発表論文)ed P. and L. Guicciargini(Florence, 1867)と脚注にあって5)、10段階

の累進課税があったことをうかがわせる。その脚注では、メディチ家が大衆に訴 えることによってますます専制的権力を獲得しようとしてとった手段の一つが、 累進課税であったとしている。このことは、政治を行う者がその権力を維持する には、大衆の支持を得る必要があることを示すものである。 ハイエクは、『自由の条件』において民主主義を非難しているが、実はどのよ うな政治体制であっても、大衆の支持を離れては維持できないのではないか。そ して、欧州の市民革命が主としてブルジョアジーによる革命であり、我が国の明 治維新が、民衆ではなく下級士族によって遂行されたことを顧みると、ハイエク が少数者としている富裕者は、どの世界もいつの時代も不満を抱えていて、政権 交代において主役となってきたことを物語る。この点を心に留めながら、『自由 の条件』を第三部「課税と再分配」の章から読み進むことにする。

Ⅱ 「課税と再分配」にみる累進課税批判

1 再分配の中心問題 ハイエクは、累進課税の核心に触れることに躊躇しつつ、この章の記述を始め ている。今日では累進課税による再分配は、公平なものと受け入れられている。 そのなかで、ハイエクはあえてこの章を設けて、「多くの点で、わたくしはこの 章を省略することができたらよいと考えている。その論議は広く支持されている 信念に反対するものであるため、多くの人の感情を害さざるを得ないであろう。 これまで支持し、たぶんわたくしの立場を全体として妥当なものと認めてきた人 たちでさえ、課税に関するわたくしの見解を空論、極論、そして非現実的なもの とみなしそうである。」6)と断った上で、累進課税を批判している。 累進課税の原則については、1960年の『自由の条件』執筆時点では、かなり批 判的な研究があらわれていた。この点、脚注に研究者として L. フォン・ミーゼス、 H. L. ルッツ、D. M. ライト、W. J ブルーム、ハリー・カルヴァン・Jr、F. シェハ ブの名があげられている7)。そして今日、間接税は低所得者に対して比較的に重 い負担をかける傾向があるので、所得税には累進をしてもよいとされる理由があ

(4)

る。しかし比例課税のもとでもかなりの再分配が可能であるとして、ハイエクは 重要な問題を提起している8) 低所得者層の人たちが無料のサービスを享受する代わりに、……所得を課税で 削減されてもよいと、どの程度まで考えるかである。 もっぱら給付を受ける貧困者には、租税を負担する者の痛みは理解できない。 このことは、俳優時代に高額の税負担を苦々しく思ったレーガン大統領が、ハイ エクの理論をもとに政治改革を進める原動力となったことにあらわれている。ハ イエクは言う。累進課税は、富裕者から貧困者への相当な所得移転をもたらすが、 累進課税の主要な効果である所得ピラミッドの頂上部分の平坦化を生むことには ならない。そして、比較的富裕な人々にとって累進課税による相対所得の変化は 最も深刻である。しかし、とにかく当面は累進課税が所得再分配の主たる手段に なっている。 2 累進課税の発展 歴史をひもとくと、累進課税は今日では重要性をもっているが、フランス革命 時には、そして1848年の革命に先立つ社会主義の煽動期には、所得再分配の一手 段として唱導されたものの拒絶されていた。当時の累進課税批判のなかからハイ エクが『自由の条件』に列挙したものを拾っていく9)。まず自由主義者チュルゴー は累進課税に対して憤って、この発案者を死刑(execute)にすべきであって、計 画を実施(excute)してはならないと反応した。J. R. マカロックは、比例課税と いう基本的原則を放棄するその瞬間に、舵も羅針盤もなしに海に出ることになる と反論を唱えた。共産党宣言においてカール・マルクスとフリードリッヒ・エン ゲルスは、厳しい累進的で斬新的な所得税を一つの手段として、プロレタリアー トは政治的支配力を利用して、革命の第一手段の後にブルジョアから全資本を奪 取し、国家の手に集中するであろうといった。A. ティエールは、比例が原則で あって、累進は恣意的な醜悪に過ぎないとし、J. S. ミルは、累進は穏やかな盗み と表現した。 この歴史的経緯としては、18世紀には利益説も能力説も、ともに当時の絶対主 義国家における恣意的課税や身分による課税上の差別的取り扱いを批判するもの であった。やがてフランス革命を経て封建的な租税制度が崩壊した後、両者は対

(5)

立するようになる。19世紀になって産業革命を経て富の格差が拡大し、階級闘争 が激化したことによって、能力説は間接税を廃止し、累進所得税を導入しようと する根拠としてより積極的に主張されるようになった。この能力説を説明づける ものとして、租税負担によって効用は喪失するという犠牲は、高額所得者では逓 減するとした犠牲説が J. S. ミルによって主張され、その当時における累進課税 の理論的根拠となったものである10) しかしその後、社会改革家たちは、租税負担は「支払能力」にしたがって分担 されるべく、それによって「犠牲の平等」を確保するようにするべきであり、そ れには所得の累進課税が最適であろうと主張するようになった。その根拠は、連 続的な消費行動において、消費が増えるほど追加的な効用が減ずるという限界効 用逓減の概念である。また、T. バーナは総国民所得が一定であれば、所得が平等 に分配されるとき満足度が極大化するとした。この議論は、一方では所得の限界 効用逓減の法則に基づいており、他方では、所得の同じ人は同じ享受能力を持っ ているという仮定に基づいているとしている11) しかしながら、経済学における効用分析の発展によって、犠牲説の根拠は妥当 性を失っている。その理由は、異なる個人間の効用を比較する可能性に関する信 念が放棄されてしまったことがあり、また、ある人がその資源の利用から引き出 す利益の全部を所得とみなす場合に、それが意味を持つかは疑わしいということ である。それは、所得が増加するに連れて、同量の限界労苦を誘い出すのに必要 な追加所得をあらわした向上意欲は増大することを意味し、逆累進課税を擁護す る議論を導くことになる。このため、課税理論に効用分析を利用するのは過ちで あったとハイエクは結論づけている。 3 累進課税を正当化する理由の変化 19世紀後半における累進課税の擁護は、犠牲の平等を達成することにその目的 があって、所得の再分配ではないとされた。そして、是認される累進の程度は穏 やかなものであった。しかし、その率は無視し得る限度にはとどまらないという 注意は、民主的政府の英知への信頼を欠く不当な考えをもたらしているとされ た12) 1891年にプロシアが累進所得税を導入した際、R. フォン・グナイストは、こ れは最も神聖な平等の原則たる「法の前の平等」の基本的原則の放棄を意味する、 つまり「平等という神聖な政治原理も累進課税の問題に取り組むことになるとき

(6)

は、自らを背くことになる。その領域をより厳密に定めることが問題となったと き、その絶対的な民主主義は、自らその原理を放棄することになる」13)と抵抗し た。しかし以降、より公平な所得分配を実現するという理由によって累進課税は 推進された。そして30年以内には累進税率は、90パーセント台にまで引き上げら れた。一世紀の間に、支払能力を基礎としてその税率を是認しようという試みは すべて、結果としてやがて放棄され、累進を是認するためにより公正な所得分配 を実現するという、久しく避けてきた理由に立ち返った14)。というのは、「累進 課税のような政策を自由主義の立場から支持するのは……余分の 1 ポンドは金持 ちより貧しい人に……『より大きな効用を与える』であろうという信条に基づい ていない。そうではなく、大きな不平等を積極的に好まないからである。」15) された。 4 財政における必要性の要求がない場合 ハイエクが1960年に『自由の条件』を執筆するまでの50年間においては、公共 支出の激増に対応するには累進課税によるほかないとされてきた。しかし高額所 得者、とりわけ最高額所得者に課される高税率から得られる国庫収入は、きわめ て少額であるとハイエクは言う16)。しかし、平成27(2015)年 9 月 3 日の日本経 済新聞 2 面は、2013年の国税庁の申告所得税標本調査によると、所得 1 億円超の 申告納税者は約 1 万 6 千人で、約623万人の納税者全体のわずか0.3%に過ぎない。 しかし、納めた所得税額は全体の18.3%にあたる9,820億円に上ったとし、国税当 局が富裕層の課税強化に乗り出していると報じている。この点についてはハイエ クもまた、1956年のアメリカでは、全累進的上部構造は、個人所得課税から得ら れる総収入の約17パーセントをもたらすにすぎないとしており、数値的には大差 はない。これらは2013年の日本と1956年のアメリカの比較である。単純には比較 できないが、租税収入の17から18パーセントを多いと考えるか、少ないと考える か議論の余地があるところであろう。 さらにハイエクは言う。累進税の導入後、それによって利益を得たのは最も貧 しい階層ではなく、最大の投票者を占めてきた中産階級下層であって、彼らが最 大の投票者を占めていた17)。これは、経済学において中位投票者理論といわれる ものである18)。中位投票者理論とは、政治プロセスに委ねられた公共財の供給に おいて市場の取引における最も効果的な状態であるパレート最適と同様に、個人 的選択と集合的選択が競合するのは全員一致ルールのもとで決定され、メンバー

(7)

全員にとって現状よりも望ましい状況をもたらすときである。多数決ルールでは、 少数派の選択は集合的選択に反映されず、多数派の選考を必然的に強制される。 選択肢が 3 つ以上の場合、選択肢を 2 つに絞り、 2 つの選択肢をペアにして単純 多数決による勝ち抜き戦を行い、どの選択肢と対戦しても必ず勝利する選択肢を コンドルセ勝者とし、これが決まれば、集合的選択の結果は確定する。選択肢の 数が多数であっても単峰型になるように選択肢を並べることができるならば、選 択肢が自身の効用から離れるにしたがって投票者の効用は低下するため、最適点 に近い方の選択肢に投票する。そしてどの選択肢に対しても投票者全体の中位値 において過半数の賛成を得ることができるというものである。過半数つまり中位 投票者の意向によって決定された政策は最適なものであるとは限らないという問 題が指摘されている19) いま仮に、給与収入100万円の A、300万円の B、500万円の C、700万円の D、 1,000万円の E がいるとする。今、この 4 人に現行の所得税法のもとで課税する。 まず、給与所得控除を行う。 Aは 4 割40万円で65万円未満のため65万円、 Bは収入180万円を超える部分につき 3 割の72+36=108万円、 Cは360万円を超える部分につき 2 割の72+54+28=154万円、 Dと E は660万円を超える部分につき 1 割となって Eは、72+54+60+ 4 =190万円、E は、72+54+60+34=220万円 が 控 除 さ れ る。 よ っ て、A は35万 円、B は192万 円、C は346万 円、D は、 510万円、E は、780万円となる(所得税法28条)。 つぎに、所得金額から基礎控除として、38万円を控除する。その他の控除 はないものとする。A はマイナス、B は154万円、C は308万円、D は、472 万円、E は、742万円となる(所得税法86条)。 これを課税所得として税率をかける(所得税法89条)。 Aは課税なし、 Bは税率 5 %で課税額は1,540,000×0.05=77,000円となる。 Cは195万円まで税率 5 %で1,950,000×0.05=97,500円。195万円を超える 部分は10%で、(3,080,000−1,950,000)×0.1=113,000円。併せて210,500円の 税額となる。 Dは195万円まで税率 5 %で1,950,000×0.5=97,500円。195万円を超え330

(8)

万円までは税率10%で、(3,300,000−1,950,000)×0.1=135,000円。330万円を 超 え る 部 分 は20 % で(4,720,000−3,300,000)×0.2=284,000円。 併 せ て 516,500円の税額となる。 Eは195万円まで税率 5 %で1,950,000×0.5=97,500円。195万円を超え330 万円までは税率10%で、(3,300,000−1,950,000)×0.1=135,000円。330万円を 超え695万円までは税率20%で(6,950,000−3,300,000)×0.2=720,000円、695 万円を超える部分は23%で(7,420,000−6,950,000)×0.23=108,100円。併せ て1,072,060円の税額となる。 実務上は端数を処理して、それぞれ、Aが課税なし、B は770,000円、C は 210,000円、D は517,000円、E は1,070,000円になる。実際には、これに地方税と 社会保険料が加わるため、高額所得者の負担感は大きい。 さらに、一律 5 %の比例税率所得税として所得税額を算定し、現行の超過累進 課税と比較する。控除は一律103万円とする。       (累進課税) (比例課税) A 100万円  課税なし←課税なし (変更なし) B 300万円 77,000円← 98,500円 (21,500円負担減) C 500万円 210,500円←198,500円 (12,000円負担増) D 700万円 516,500円←298,500円 (218,000円負担増) E 1,000万円 1,072,060円←448,500円 (622,100円負担増) 比例税を累進税に変更した場合、中位所得に近い給与収入300万円の収入層の 負担が軽減されるが、非課税層には影響はなく高額所得者ほどその負担は激増す ることになる。まさに中位投票者理論、つまり中間の投票者の意向で多数決が決 まることを意味する。 ハイエクは重ねて言う。「累進がもっとも貧困な階層の救済に主として役立つ という主張は……裏切られている。……もっとも多数の投票者を占める中程度の 所得の人たち……がもっとも軽い負担ですまされており、他方、より高額な所得 者ばかりでなく、より低額な所得者が課税全体のうちでより過重な比例的負担を したのである。」イギリスでは、一度比例課税の原則が放棄されると、恩恵を受 けるものが必ずしも最も必要度の高い人たちでなく最大の投票力のある階級であ

(9)

るとした上でハイエクは、「最近の発展は現在の高い累進率にはほとんど依存し ておらず、主として中所得階級の中・上層の寄与分によってまかなわれている」 としている20) 今日の我が国においても、累進課税によって負担感を募らせているのは、収入 1億円超の高額所得者ではなく、給与収入1,000万円程度の中間管理職層である とされている。先述の日本経済新聞でも、所得 1 億円超の「富裕層は国内外に資 産をもち、高度な節税対策を講じているケースが多い」と報じている。 5 累進と民主主義 累進課税の発展について、ハイエクは脚注で「高い累進税率は現実に民主主義 を危険におとしいれる。そして一階級が分担しきれないような負担を他の階級に 課すような状態をつくり、全費用は他のものにおしつけられるという信念の下に、 国家を莫大な浪費的計画に駆り立てる」21)とした Lecky の反論を引用し、その悲 観的な予測を超えて、累進課税は進んでしまったとしている。累進の擁護者たち はある点を超えると経済制度の効率に対する逆影響が深刻になり、累進を進める ことが得策ではないことに気づくかもしれないとしてハイエクは、累進課税を 「富者にたいする差別」22)と表現した。理想的な累進税率というものはないので あるから、「前よりも少し多く」は必ずしも公正かつ妥当であるとはいわれない とする理由は存在しない。民主主義は、このような政策に乗り出すと、当初の意 図よりもはるかに進んでいかざるを得なくなる。民主主義が公平であるためには、 その一般的原則である多数決原則にしたがわなければならない。それには、少数 者を助けるために多数者が自らに税を課す可能性を残したままにしておきながら、 多数者が正当とみなす負担を少数者に課すことを承認しないという規則が必要で あるとした。 さらにハイエクは、比例税のもつ大きな長所は、絶対的に納税額の多い人にも 絶対的に少ない人にも同意されやすい規則を提供し、ひとたび受け入れられると、 少数者だけ別個の規則を採用する問題が生じないことであるとしている。一方、 累進税は差別をする。ある人の所得にかかる20パーセントの税と、別の人のより 大きな所得にかかる75パーセントの税とが等しいとは言えない。累進は公平に関 する基準を提供しない。このとき頼らざるを得ないのは人びとの「良識的判 断」23)であるとしている。 ここで「累進は公平に関する基準を提供しないと」する場合の「公平」とは、

(10)

ミクロ経済学において厚生経済学の第二基本定理とされている24)。すなわち、「す べての財について市場が普遍的に存在し、すべての市場が完全競争的であり、経 済が凸環境を満たすならば、政府は一括型の税・補助金政策による所得再分配政 策を使うことによって、任意のパレート効率的な資源配分を所得再分配後の市場 均衡として実現できる。」というものである。今日のミクロ経済学の主流をなす 厚生経済学においては、「すべての財について市場が普遍的に存在し、それらす べての市場が完全競争的ならば、ワルラス均衡が実現する資源配分は、パレート 効率的である」という第一基本定理がある25)。しかし、パレート効率性を満たす 凸環境は、外部性や公共財の影響によって覆されており、これを補完する制度設 計は、今日、厚生経済学の主要課題となっている26)。そして、厚生経済学の第二 定理においては、経済が凸環境を満たすことが前提となっており、任意のパレー ト効率的な資源配分を実現する「所得の再分配」については、一部で検討されて いるに過ぎないのが実情である。累進課税が平等な課税であるとは、いまだ証明 されていないのである。 なお、累進がこのように顕著になった原因にはインフレーションがある。ハイ エクは、「総貨幣所得の増加は、あらゆる人をより高い階層へ引き上げる傾向が ある。……その結果、多数者に属する人たちは、自分は影響が及ばないとして思 いこんで賛成投票をした差別的税率の犠牲者に予想に反してなってしまうことに 気がつくのである。」27)としている。インフレーションは、しばしば一つの長所 であるとされる。もし、財政赤字がインフレーションの原因であれば、国庫収入 は所得以上の比率で増加する。そして、「インフレーションが、比例以上の国庫 収入増加を生む租税制度のもとでは、しかもそれが立法上の投票を要しないごま かしの増加によるときは、この方策はまったく抵抗しがたい誘惑となる」28)とし ている。 6 比例税対累進税 租税負担は国民の間に公平に配分されなければならない。しかし、何が公平な 税負担の配分であるかは争いがある。この点については、利益説と能力説の対立 がある。利益説では租税は国民が国家から受けるサービスの対価であるから、受 けるサービスに対応して賦課されるべきだとする。これに対し、能力説では租税 負担は各人の持つ経済的負担能力つまり担税力に応じて配分されるべきだとする。 しかし実際には、国家から受けるサービスを測定することはほとんど不可能であ

(11)

る。この点、利益説は自由放任の経済理論を基礎とし、比例税率を根拠づけるた めの理論として理解されている。自由主義的経済理論のもとにおいては、国家は 国民の経済活動に対して中立的であって、課税の前後で富の相対的分配状況に変 動が生じるべきではなく、課税は平均税率によってなされるべきだという考えで ある。しかし、資本主義の発達とともに自由放任の理論が徐々に克服され、富の 再分配が国家の正当な機能の一部であるとされるとともに、担税力の概念が税負 担の配分において中心的な位置を占めるようになった。租税は各人のもつ経済的 負担能力に応じて課されるべきだとの思想が定着し、制度の基礎として採用され るようになったのが能力説である29)。利益説は、国家契約説の視点から、J. ロッ ク、J. J. ルソー、A. スミスが唱えたものであり、能力説は、J. S. ミル、A. ワー グナーが唱えたものである。 ハイエクによると、比例税は「人びとが相異なる額を支払いながら、そのこと に同意しやすい均一の原則を提供する……ほとんどすべての経済活動は政府の基 本的なサービスから便益を受けている……社会の資源のより多くを支配する者が、 政府が寄与してきた者のなかから比例的により多くを得るであろう」とされる。 さらに、比例税は、各種の労働の純報酬間の関係をそのままにとどめておく性格 を持つとしている。二つの所得の関係がその両方を同額だけあるいは同率で減ら した場合に、同じままであるかどうかには意見の相違があるかもしれない。しか しながら、課税前には等しかった二つのサービスにたいする純報酬が、税引き後 においてなお同じ関係にあるかどうかには問題はない。この点こそ、累進税の効 果が比例税の効果といちじるしく異なるところである。等しい労働には等しい報 酬という経済公正の原則に累進課税は背く。累進課税が課されない場合より、人 びとがその結果として熱心に働かなくなるという点が非難されるよりも、むしろ いろいろな活動にたいする純報酬の変化がかれらの精力の向け方をそらし、累進 税のなかった場合よりも有用性の少ない方向にしばしばかれらの活動を振りむけ ることに非難が大きい。このような課税は明らかに危険の多い冒険的事業に不利 な差別をする。さらに分業の頻繁な制限あるいは削減がある。なんでも自分でや りなさいという傾向は、ときにもっとも愚かな結果を招くことになる。それから また貯蓄の供給にたいする累進税のきわめて深刻な影響についても手短に述べら れており、社会によってすなわち課税から得た基金によって供給すべきであると された30)

(12)

7 唯一の許容し得る報酬としての適切な所得 今日、累進税から比例税あるいは所得税から支出税への転換、すなわち、所得 税や法人税の税率を引き下げ、課税ベースを拡大して平準化すること、さらには 付加価値税へ税源の比重を移行することが国際的な趨勢となっている。この点に ついて、所得(Y)と支出(C)とを比較すると、所得は支出と投資の総和(Y=C +S)となることから、投資(S)への課税を回避することとなって、経済成長に とって好ましいと考えられる31)。会計処理の面で考えると、付加価値税は売上高 から売上原価を引いた売上総利益に課税するが、事業所得における課税ベースの 拡大は、営業外取引と資本取引についても、収入から必要経費を差し引いた額が 課税対象となることが相違点となる。 ハイエクの言葉を借りると累進課税が普及した背景は、ある適当な所得が唯一 の妥当で社会的な報酬形態であると大多数の人々が考えるようになったからであ る。多くの利得を不必要で望ましくないとみなす姿勢は、固定給あるいは固定賃 金で自分の時間を売ることをつねとする者、そして、その結果単位時間当たりの ある報酬額を正常とみなす者の心情から湧いてくる。「自営業」の個人で主とし て構成される社会が、所得の概念をわれわれと同じように受けいれるだろうか、 あるいは一定のサービスから生じる収入にたいしてある期間内に生じた収入の割 合に応じて課税するようなことを果たして考えつくであろうか。社会の多数者に とって適当な所得と映らないもの以外いかなる報酬をも認めようとせず、比較的 短期間に財産を築くことをある種の活動に対する正当な報酬形態とは認めない社 会が長期的に企業制度を保持できるかどうかは疑わしい。競争制度の利益の一つ は、成功する新事業が短期間に非常に大きな利潤を手に入れる傾向があり、こう いう利潤に多少とも没収的な率で課税することは、進歩する社会の推進力の一部 をなす資本の回転に対する重税に等しいのである。累進課税の影響として、不平 等の削減を意図しながら、実際には現存の不平等の存続を助けることがある。世 界の資本のますます大きな部分の管理が、自分自身の計算にもとづき個人的に危 険を負いながら実質的に財産管理をしたことのない人たちの支配下におかれてき ていることである。人が新たな財産を築くことができにくくなればなるほど、現 存の財産は是認する理由のない特権であるかに見えてくることもまたたしかであ る32)からである。

(13)

8 道徳的論点と政治的行動の原理 この章の最後、ハイエクは問題を国際社会に広げ、高額所得者への累進課税が 国庫収入に与える貢献はわずかであることを前提として、高率課税は是認し得る。 しかし、高所得とはなにかということは特定社会の考え方に依存し、結局はその 社会の平均的富に依存する。国が貧しければ貧しいほどその国の許容し得る極大 所得は低額になり、より豊かな国において中位に過ぎないとみなされる程度の所 得水準に到達することは、その国の住民にとっては困難であろう。その結果、イ ンドのように(税率は100%に近く)なるとした。つまり、「貧しい国が個人を富 裕にすることを妨げることにより、国の全般的な成長をも遅らせる」のである33) 結局、累進課税の問題は一つの倫理問題である。民主主義において多数者は、 少数者に対して差別的税負担を課す自由を持つべきであることなど原則がある。 もし、合理的な税制が確立されうるとすれば、税負担の規模を決定する多数者が 同じように最高税率でそれを負担しなければならない点を一つの原則として認め る必要がある34)。このことは、代表なければ課税なしという憲法の基本原則に通 じるものである。租税の賦課徴収は、国民の財産権を制約するものであるから、 民主主義の手続きを経ること、つまり、法律の根拠に基づかなければならない35) しかし現実には、参政権を持つ者への課税は困難であって、参政権を持たない 者への課税は容易に行われている。例えば今日、我が国の地方団体は、地方税法 の範囲において課税自主権が認められている。超過不均一課税(地方税法 7 条)、 法人事業税の課税標準の特例(同法72条の24の 4 )、法定外普通税(同法259条(道 府県)、669条(市町村))、法定外目的税(同法731条)である。そのなかで例えば東 京都の採用した自主課税は、法人事業税の超過課税(同法 7 条)、法人事業税の外 形標準課税としてのいわゆる銀行税(同法72条の24の 4 (現行))そして法定外目 的税としてのいわゆるホテル税(同法731条)と、選挙権を持つ都民を課税の対象 としてないのである。

Ⅲ 所得再分配を批判するハイエクの論理展開

1 自由の構造 ハイエクは、『自由の条件』第三部で「課税と再分配」その他の社会的問題に ついて論じているが、その基礎として第一部「自由の価値」において自由と平等

(14)

を対比している。その最初に、自由の基本的枠組について 5 つの章を設けて論じ ている。 第 1 章「自由と個別的自由」36)の冒頭ハイエクは、自由の状態を「社会におい て、一部の人が他の一部の人によって強制されることができる限り少ない人間の 状態のことである。」37)と定義する。自由とは、仲間に囲まれて生活している人 間ができるだけ接近しようと望みながら、完全に実現することがほとんど期待で きない状態である。ヨーロッパでは、人は自由人と非自由人とに分かれて歴史に 登場している。自由とは、つねに人が自分自身の決定と計画に従って行動する可 能性を意味し、他人の意思に服従せざるを得ない人の立場と対照をなすもので あった。この他人は恣意的な決定によって人を強制することができたのである38) それゆえハイエクは、自由を「他人の恣意的意思からの独立」39)であると表現し ている。そして強制とは、「ある人の環境または事情が他人によって支配されて いて、より大きな害悪を避けるためにその人が自分自身の首尾一貫した計画に従 うのでなくて、他人の目的に奉仕するように行動を強いられることをいう。」40) この強制は、全面的に避けることができない。この問題に対処するため自由社会 は、国家に強制の独占権を与えた。そして国家の強制力は、私人による強制を防 ぐことが必要な場合だけに限定しようとしたとしている41) 続いて第 2 章「自由文明の想像力」42)においてハイエクは、「おのれの無知を 認めることが叡智の始まりである」43)というソクラテスの格言を引用し、文明と は自分が知っているよりも多くの知識から個人が利益を得ている事実に依拠する としている44)。そして、文明社会の一員としての人間は、単独でなし得る以上の 成功をおさめることができる。「百万人のうちのただひとりだけが利用する自由 は、われわれすべてが行使しているどんな自由よりも社会にとって重要であり、 大多数の人々にとってより有益であるかもしれない。」45)「わたくし(ハイエク) が自由から受ける利益はしたがって、大部分が他人による自由の利用の結果であ り、たいていは自分自身では利用できない自由の利用の結果である。それゆえに、 わたくし自身にとってもっとも重要なものは、自ら利用することのできる自由と はかぎらないのである。すべての人びとが同じことをなしうるということよりも、 誰かがなんでも試みうることのほうがたしかに重要である……重要なことは、わ たくしが個人的にどんな自由を行使したいかではなくて、社会にとって有用なこ とをおこなうためにある個人がどのような自由を必要とするのであろうかである。 ……自由の利益は自由人にかぎられるものではない。あるいは、少なくとも人は

(15)

自ら利用する自由の側面から主に利益を得るのではない。歴史において、不自由 な多数者が自由な少数者の存在により利益を受けてきたことは疑いのないことで あるし、現在においても不自由な社会は自由な社会から得たり学んだりしたこと によって利益を受けていることは疑いない。もちろん、自由を利用する人びとの 数が増えればそれにつれて、われわれが他人の自由から受ける利益も増大する。 それゆえに、一部の者の自由のための議論は、すべての者の自由にあてはまる。 しかしながら、一部の者が自由を持つほうが誰も持たないことより優れているし、 また多くの者が完全な自由を持つほうがすべての者が制限された自由をもつより 優れている。」46)しかし、「もし、多数者の行使する自由だけが重要であるという ならば、停滞社会をつくりだすことは確実である」47) ハイエクは、「自由社会の特徴の一つは、人間の目標が開かれていること」48) すなわち初めはほんの少数の人々から起こってきた意識的な努力の新しい目的で あったものが、やがて多くの人々の目的となることとしている。 2 進歩の常識 さらに第 3 章「進歩の常識」49)においてハイエクは、進歩はある既知の目標へ の前進を意味し50)、進歩は未知のものの発見にある。「重要なことはその時々に できると思われることに向かって努力して成功することである。……多数の人が 個人的な成功を楽しめるのは、全体的にかなり急速に進歩する社会においてのみ である。」51)としたうえで、アダム・スミスの言葉を引用し、働く貧民つまり人 民の大多数の状態が最も幸福でもっとも快適であるように思われるのは社会が富 の全量を獲得してしまったときよりも、社会がその獲得に向かって前進している 進歩的な状態にあるときである。社会が停滞的な状態にあるときには、働く貧民 の状態は耐え難く、またそれが衰退的な状態にあるときは惨めである。進歩的な 状態は社会のさまざまな階級の全員にとって心から楽しい状態である。停滞的な 状態は活気に乏しく衰退的な状態は憂鬱であるとした52)。さらに、「多数の人の 願望はまず初めに少数派だけが手に入れることのできるものによっていつも決定 される」53)とした。 そしてハイエクは、進歩的過程においては、新しい成果から利益を得ている人 と未だそれを得ていない人がいる。急速な経済の前進は、主としてこの不平等の 結果であり、不平等なしには不可能であると思われる。急速な進歩はすべてに分 け隔てのない状態では進行することはありえず、一部が他の部分よりはるかに先

(16)

んじるような等差がある形態で生じるに違いない。……しかし生活水準の向上は、 少なくとも同じく知識の増大によって、同じものをより多く消費することができ るだけでなく、異なったものまた時にはこれまで知らなかったものを使用できる ようにすることに依存している。社会の一部の構成員の実験によって獲得された 知識は、すべての人の利益のために無償で利用できる。社会の一部の構成員の実 験によって獲得された知識のこの無償の贈与によって全般的な進歩が可能になり、 先に進んだ者の成果が後に続く者の前進を容易にすることになる54)としている。 この過程のどんな段階においても、すでに生産方法はわかっていながらあまりに も高価なため少数の人々にしか供給できないものが常にたくさんある。初期の段 階ではほぼ均等な分配のもとにおいてもそれらから利益を受けることができるの は少数派である55) 新しい財は、最初のうちは少数の人々の贅沢品であるかもしれないが、その後、 大衆にとって必要なものとなり、生活必需品の一部を構成する56)。少数者によっ て享受され、大衆が夢にもみなかった贅沢や浪費とさえ今日では思われるかもし れないものは、最終的には多数の人びとが利用できる生活様式の実験のための出 費である。比較的豊かな人々は他人の人々よりほんのわずか先んじて物質的利益 を享受しているに過ぎない。いかなる進歩の局面においても富める者は貧しい者 にとって未だ手の届かない新しい生活様式を実験することによって貧しい者の前 進に必要なサービスをおこなうのである57) 温水洗浄便座の普及を例にして考える。1982年、TOTO から「おしりだって洗っ て欲しい」をキャッチコピーとして注目を浴びたウォシュレットは、当時は20数 万円の価格帯と給水、配電設備を要することから、高級新築マンションなどに設 置されたに過ぎなかった。しかし、次第にホテルや一戸建住宅に、さらには既存 の施設に普及した。そして今日では、販売台数が累計3,000万台を突破し、価格 帯は数万円になっている。しかしまだ、すべての学校施設や公営住宅に設置され るまでに至っていない。順調に普及した事例といえるが、この間、30余年を要し ている。 ハイエクの論述を続ける。意図的な再分配によって不平等を減らし、貧困をな くす可能性を考える。ある一定の時点においては、豊かな者から取り上げたもの を極貧者に与えることによって、その地位を改善することができる。しかし、進 歩の隊列のなかの地位をそのように平等化することは、上下の間の接近を一時的 に進めるであろうが、それはまもなく全体の運動を遅らせ、そして長期的には遅

(17)

れているものをそのままの状態にとどめることになる。ある社会を停滞的にする には同一の平均所得水準のようなものを全部に課すことほど有効な道はない58) 「先頭に立つものの進歩を妨げることがやがて後続の全部にわたって進歩を妨げ ることになる」59)。「われわれの文明の成果が他のすべての諸国の願望や羨望の対 象となっている」60)。今日世界の人々の大部分が不満をもつようになり、自らの 権利として獲得しようと決意する。彼らが間違って信じているのは、その目標が 富の再分配によって達成できると思っていることである。再分配は先に立つもの の前進の速度を弛める。そして分配することで経済成長によって与えられるもの がますます減少するのである61) 3 ハイエクへの批判 ハイエクのこの主張は、経済政策におけるトリクルダウン(みずしも効果)な どの用語で示すことができる。さまざまな諸概念があるが、以下において、トリ クルダウンと称することにする。今日、トリクルダウンは一般に批判されてい る62)。2013年11月26日、フランシスコ・ローマ法王は、ミッションマニフェスト (使途的勧告)『喜びの福音』54章において、トリクルダウンは、事実により証明 されたものではないと批評している63)。租税を財源とする再分配は、受給者の権 利意識が高まっている現在、財源を負担することになる者との関係がぎくしゃく している。Trattner は、その著書において「貧者は良く働くとともに富者を尊敬 し、恵まれた者は謙虚になって施しを行う。」64)と述べている。そして、富裕者 から貧困者への富の移転は、宗教の役割に期待するほうが、円滑にことが運ぶこ とを示唆している。2014年12月 9 日、経済開発協力機構もまた、「不平等は経済 成長を阻害する(Inequality hurts economic growth, funds OECD research)」という報 告書を発表し、過去30年における実証分析から格差が拡大しているとした65)。こ の報告をもって、OECD はトリクルダウンを批判したとされている66)。我が国で も、例えば国際協力においては、国王を支援すればいずれ国民全体が豊かになる とされてきた。しかし実際には国民はなかなか豊かにならないことが問題となっ ている。一般に30年程度の期間では、トリクルダウンの効果を示すことは難しい といってよい67) 閉鎖経済であれば、いま再分配をするか将来に向けて投資をするかは世代間の 問題である。しかし現在のような開放経済において、ある地域が再分配を進める ことは、他の地域へ富裕者の移住を促進することになる。そして、財政赤字を加

(18)

速させるという問題に直面する。さらに、再分配を促進する高福祉高負担の大き な政府と再分配を抑制する低福祉低負担の小さな政府のいずれが最適な解である ナッシュ均衡となるかという問題は、公共経済学の課題とされている。すなわち、 中位投票者は再分配を指向する。そして多数決によって再分配が進められて大き な政府が実現すると、富裕層が転出する一方でさらなる貧困者が流入し、それま での中位投票者は、富裕層となって小さな政府を指向するというのである。一方、 小さな政府のもとでは富裕層が転入する一方で貧困層が転出し、それまで分配を 回避していた層は相対的に貧困層となって大きな政府を求めるようになるという ものである。 『自由の条件』第一部「自由の価値」はこの後、第 4 章「自由、理性および伝統」 に続き、第 5 章は「責任と自由」である。ここでハイエクは、自由には責任がと もなうとしている。 4 平等と分配 引き続きハイエクは平等について、法の前の平等と法の下の平等について論じ ている。このうち、第 6 章の「平等、価値およびメリット」68)では法の前の平等 について、大きな差違のある人々に等しい地位を保証すべきであるとすれば、国 家は人によって取扱いに差異をつけることが必要になるとしている。法の前にお ける平等に対する要求の本質は、差違のある事実に関わらず、等しく扱われるべ きであることである。個人の能力と潜在能力の広い範囲にわたる差違が人類に関 する最も顕著な事実の一つである。人間の間にある生まれつきの差違の重要性を 極小化し、重要な差違をことごとく環境の影響に帰するのが現代の流行である。 人間は生まれながらにして平等であるというのは、事実の言明としてまったく間 違っている。人々を等しい地位に置く唯一の方法は不平等に扱うということであ る。平等の拡張を望んでいる人々の多くは実際には分配を要求する。しかし、条 件の平等は必ず結果の不平等を招くのである。同じ共同社会により富裕な人々が いるということは、貧しい人達が裕福な人々の富の分け前にあずかる資格をもっ ていることとは結びつかないとしている。 ハイエク『自由の条件』第一部は、第 7 章「多数決の原理」において民主主義 を批判した後、第 8 章「雇用と独立」をもって締めくくられている。

(19)

おわりに

これまでたどってきたハイエクによる再分配批判の論理展開は今日、トリクル ダウンなどの用語で表現されている。そして、トリクルダウンは批判されている。 その一つは、実証されたものはでないという点である。一般に30年程度の期間で は、その効果を示すことは難しい。ハイエクは「二千年以上を通じてゆっくりと 発展してきた人びとの共同生活の哲学をここに再述しようとする」69)としている のである。 今日、累進課税による所得再分配は公平なものとされている。しかし実際には、 富裕者の自由を奪って社会の進歩を遅らせるものにほかならないとしたハイエク の思想は今日では、格差を拡大するものとして批判されている。これが、もう一 つの批判である。進歩の効果が貧困者にまで行き渡るときには、富裕者はさらに 先に進んでいる。その結果、貧困者との差がまた拡大することになる。そして所 得税において累進課税を批判してきたハイエクもまた、『自由の条件』の「課税 と再分配」の章においては、相続税の累進課税に関し、充分な論理を展開してい ない。 ハイエクは、累進課税による再分配が公平なものと受け入れられているなか、 公平性と効率性はトレード・オフの関係にあるとして、あえて累進課税を批判し、 その背景にある民主主義と平等とを批判している。ウイーン大学において法律学 と政治学の学位を持つハイエクは、後にノーベル経済学賞を受賞することになる が、ここで憲法の基本原理にまで踏み込んでいる。このような経済思想について、 金子『租税法』は、「租税制度は、公平や中立性の要請に適合するのみでなく、 同時に効率性(efficiency)および簡素(simplicity)の要請にも適合しなければな らない。公平と効率が両立する場合には問題はないが、しばしばトレード・オフ の関係に立つ。その場合には、効率を優先させなければならないこともあるが、 しかし原則としては、公平を優先させるべきであろう」と論評している70) 所得税の税率について所得税法は89条で、超過累進税率を定めている。しかし、 国際的租税回避が進行するなかで、累進課税の比例課税や所得課税の支出課税へ の移行が進展している。本稿では、その理論的根拠を探るべくハイエク『自由の 条件』にみる累進課税批判をひもといた。ハイエクはここで、累進課税を批判す る道筋として、自由について語り、進歩の状態を評価し、経済の進歩は不平等の

(20)

結果であるとした。しかし、ハイエクのこの思想は今日、批判に立たされている。 公平性と効率性のいずれを優先するべきか、議論は今後も続くであろう。

1) 金子宏『租税法(二十版)』(有斐閣 2015年)176頁。

2) Hayek, Friedlich August The Constitution of Liberty (London: Routledge & Kegan

Paul, 1960), p. 5(邦訳:気賀健三・古賀勝次郎『ハイエク全集第Ⅰ期第 5 - 7 巻: 自由の条件Ⅰ−Ⅲ』(春秋社 2007年)Ⅰ巻13頁)。 3) Hayek(注 2 )pp. 306-323(邦訳 : Ⅲ巻73-96頁)。 4) Hayek(注 2 )p. 306(邦訳 : Ⅲ巻73頁)。 5) Hayek(注 2 )p. 515(邦訳 : Ⅲ巻239頁)。 6) Hayek(注 2 )p. 306(邦訳 : Ⅲ巻73頁)。 7) Hayek(注 2 )p. 516(邦訳 : Ⅲ巻240頁)。 8) Hayek(注 2 )p. 307(邦訳 : Ⅲ巻75頁)。 9) Hayek(注 2 )p. 308, p. 516(邦訳 : Ⅲ巻76頁、240頁)。 10) 吉村典久「応能課税原則の歴史的経緯」法学研究63巻12号353頁(1990年)。 11) Hayek(注 2 )p. 308, p. 517(邦訳 : Ⅲ巻76頁、241頁)。 12) Hayek(注 2 )p. 310(邦訳 : Ⅲ巻78頁)。 13) Hayek(注 2 )p. 517(邦訳 : Ⅲ巻242頁)。 14) Hayek(注 2 )p. 310(邦訳 : Ⅲ巻79頁)。

15) Hayek(注 2 )p. 517(邦訳 : Ⅲ巻242頁)。この部分は、H. C. Simons, Personal

Income Taxation (Chicago: University of Chicago Press, 1933), pp. 17ffを参考にし たと注記にある。 16) Hayek(注 2 )p. 311(邦訳 : Ⅲ巻80頁)。 17) Hayek(注 2 )p. 311(邦訳 : Ⅲ巻80頁)。 18) 川野辺裕幸・中村まづる『テキストブック公共選択』(勁草書房 2013年)283頁。 19) 坂井豊貴『社会的選択理論への招待―投票と多数決の科学』(日本評論社 2013 年) 5 頁、15頁、21頁、28頁、61頁。 20) Hayek(注 2 )p. 312(邦訳 : Ⅲ巻82頁)。 21) Hayek(注 2 )p. 518(邦訳 : Ⅲ巻244頁)。 22) Hayek(注 2 )p. 313(邦訳 : Ⅲ巻83頁)。 23) Hayek(注 2 )p. 315(邦訳 : Ⅲ巻85頁)。 24) 奥野正寛編『ミクロ経済学』(東京大学出版会 2008年)178頁。 25) 奥野(注24)164頁。 26) この点については、都市経済学の授業後に直井道生准教授に質問し、外部効果 が土地価格や所得に反映されるという先行研究があると教示を受けた。つまり、 課税にとって覆された凸性を課税によって補完する可能性があることを示してい る。 27) Hayek(注 2 )p. 315(邦訳:Ⅲ巻85頁)。

(21)

28) Hayek(注 2 )pp. 313-315(邦訳:Ⅲ巻83-85頁)。 29) 金子宏『租税理論の形成と解明(上巻)』(有斐閣 2010年)28頁。 30) Hayek(注 2 )315-318頁(邦訳 : Ⅲ巻86-89頁)。 31) 宮本憲一・鶴田廣巳・諸富徹『現代租税の理論と思想』(有斐閣 2014年)。 32) Hayek(注 2 )pp. 318-321(邦訳 : Ⅲ巻89-93頁)。 33) Hayek(注 2 )p. 322(邦訳 : Ⅲ巻94頁)。 34) Hayek(注 2 )p. 322(邦訳 : Ⅲ巻95頁)。 35) 金子(注 1 )71頁。 36) Hayek(注 2 )pp. 11-21(邦訳 : Ⅰ巻21-36頁)。 37) Hayek(注 2 )p. 11(邦訳 : Ⅰ巻21頁)。 38) Hayek(注 2 )p. 12(邦訳 : Ⅰ巻22頁)。 39) Hayek(注 2 )p. 12(邦訳 : Ⅰ巻23頁)。 40) Hayek(注 2 )p. 20(邦訳 : Ⅰ巻35頁)。

41) Hayek(注 2 )p. 21, p. 425(邦訳 : Ⅰ巻36頁、198頁)。この部分は、R. von Ihering,

Law as a Mean to an End, trans. I. Husik (Boston, 1913), p. 242(邦訳:和田小次郎 訳『「イエリング」法律目的論』(早稲田大学法学会 1935年))及び Max Weber,

Essays in Sociology (New York, 1946), p. 78の引用であると注記にある。 42) Hayek(注 2 )pp. 22-38(邦訳 : Ⅰ巻37-58頁)。

43) Hayek(注 2 )p. 22(邦訳 : Ⅰ巻37頁)。 44) Hayek(注 2 )p. 23(邦訳 : Ⅰ巻38頁)。

45) Hayek(注 2 )p. 31, p. 428(邦訳 : Ⅰ巻49頁、202頁)。この部分は、G. Ryle, “Knowing How and Knowing That,” Proceeding of the Aristotelian Society, 1945/1946の引用であ ると注記にある。

46) Hayek(注 2 )p. 32(邦訳 : Ⅰ巻50-51頁)。 47) Hayek(注 2 )p. 33(邦訳 : Ⅰ巻51頁)。

48) Hayek(注 2 )p. 35, p. 428(邦訳 : Ⅰ巻54頁、203頁)。この部分は、K. R. Popper,

The Open Society and Its Enemies (American ed.; Princeton University Press, 1950), p.

195(邦訳:内田詔夫・小笠原誠訳『開かれた社会とその敵(上)』(未來社 1980年)) の引用であると注記にある。 49) Hayek(注 2 )pp. 39-53(邦訳 : Ⅰ巻59-78頁)。 50) Hayek(注 2 )p. 40, p. 429(邦訳 : Ⅰ巻61頁、204頁)。注釈では、「進歩」を「文 明の進化」と言い換えている。 51) Hayek(注 2 )pp. 41-42(邦訳 : Ⅰ巻62-63頁)。 52) Hayek(注 2 )p. 42(邦訳 : Ⅰ巻63頁、206頁)。 53) Hayek(注 2 )p. 42(邦訳 : Ⅰ巻63頁)。 54) Hayek(注 2 )p. 43(邦訳 : Ⅰ巻64頁)。 55) Hayek(注 2 )p. 43(邦訳 : Ⅰ巻64-65頁)。 56) Hayek(注 2 )p. 43, p. 430(邦訳 : Ⅰ巻65頁、206頁)。この部分は、G. Tarde,

(22)

Social Laws: An Outline of Sociology, trans. H. C. Warren (New York, 1907), p. 194(邦 訳:小林珍雄訳『社会法則』(創元社 1943年)、170頁)の引用であると注記にある。 57) Hayek(注 2 )p. 45(邦訳 : Ⅰ巻67頁)。 58) Hayek(注 2 )p. 49(邦訳 : Ⅰ巻72頁)。 59) Hayek(注 2 )p. 51(邦訳 : Ⅰ巻75頁)。 60) Hayek(注 2 )p. 52, p. 430(邦訳 : Ⅰ巻76頁、206頁)。この部分は、J. Clark,

Hunza: Lost Kingdom of the Himalayas (New York, 1956), p. 266を参考にしたと注記 にある。 61) Hayek(注 2 )p. 52(邦訳 : Ⅰ巻77頁)。 62) ジョン・クイギン(John Quiggin)山形浩生訳『ゾンビ経済学―死に損ないの 5つの経済思想』(筑摩書房 2012年)181頁、服部茂幸『アベノミクスの終焉』(岩 波新書 2014年)139頁、駒村康平『中間層消滅』(角川新書 2015年)78頁。 63) http://w2.vatican.va/content/francesco/en/apost_exhortations/documents/papa-francesco_esortazione-ap_20131124_evangelii-gaudium.html#No_to_an_economy_ of_exclusion(最終閲覧日 平成27年10月 6 日)

64) Trattner, Walter I, From Poor Law to Welfare State: A History of Social Welfare in

America Sixth Edition, The Free Press, 1999, p. 17.

65) http://www.oecd.org/els/soc/Focus-Inequality-and-Growth-JPN-2014.pdf( 最 終 閲 覧日 平成27年11月 6 日) 66) 駒村(注60)81頁。 67) 平成27年11月 1 日、小 商科大学江頭進教授にトリクルダウン批判についての 見解を聞き取り調査した。同意見であった。 68) Hayek(注 2 )pp. 85-102(邦訳 : Ⅰ巻121-144頁)。 69) Hayek(注 2 )p. 7 (邦訳 : Ⅰ巻15頁)。 70) 金子(注 1 )85頁。

参照

関連したドキュメント

藤野/赤沢訳・前掲注(5)93頁。ヘーゲルは、次

市民的その他のあらゆる分野において、他の 者との平等を基礎として全ての人権及び基本

 福永 剛己 累進消費税の導入の是非について  田畑 朋史 累進消費税の導入の是非について  藤岡 祐人

線量は線量限度に対し大きく余裕のある状況である。更に、眼の水晶体の等価線量限度について ICRP の声明 45 を自主的に取り入れ、 2018 年 4 月からの自主管理として

[r]

[r]

[r]

[r]