昭和国民文学全集
19
火野葦平集
火野葦平
花
集次
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火野葦平集
花
と
序
章
女
の
出
発
龍 ﹁たいそう暗いが、キヌさん、もう何時ごろかのう?﹂ ﹁まあだ、三時にはなりゃあすまいね﹂ い 金 り ん ち ﹁やれやれ、この谷ば一日がよその半分しかないよ。仕事 も半分しか、でけやせん﹂ ﹁その代り、夜がよその侍あるわ﹂ ﹁倍あったって、電燈はっきやせんし、油は高いし、寝る しか川がない。この村の者がどんどん都に山て行くわけが わかるよ。遠いところに行く者は、ハワイやブラジルまで も行っとる。成功しとる者もたくさんある。その成功した 者は、もう二度とこんな草深い田舎には、かえって来やせ ん。かえらんのがほんとよな﹂ で ゴ と る ﹁マンさん、あんたもどうやら、出心がついたようにある あ に り ん す け ねえ。兄さんの林助さんは、関門の方に行つてなさるとい お うことだが、元気にして居りんさるかね﹂ a b v u ﹁はい、門司で、沖の仕事をして、儲けだしとるとかで、 わたしに、出て来んか、って、なんべんも手紙をくれなさ e 花 3 る ﹂ ﹁だけど、たいがいなら、港なんどというところには出ん WL ん き がええよ。人気が荒うて、若い娘ほモミクチャにされると た ぼ と ぼ いうけえ。:::マンさん、もう、煙草葉のばすこと、やめ んさい。帰ろうや﹂ ﹁お父つあんが、楽しみに待つてなさるけえ﹂ ﹁親孝行もんよ。おふくろも安心でがんひょう。でも、そ の煙草葉、大丈夫なのけえ?﹂ ﹁ 大 丈 夫 と も ﹂ 深い谷の底である。四方の山がきりたっているので、こ の部落には、朝の光線がさすのはおそく、日の暮れるのは 早い。まして、日の短い秋であるから、まだ三時というの た そ が れ ひ ろ し ま け ん ひ ま ぐ ん み ね た む ら に、もう黄昏のようだ。部落の名は、広島県比婆郡峯田村 あざみね 字 峯 。 はげしいせせらぎの音をたてる谷川の岸で、二人の若い 村の娘、が話をしている。健康そうなのは共通しているが、 マンの方は丸顔の小柄、キヌの方は長顔で、おそろしく背 が -品 い 。 粗末な木綿着のマンは、川岸にある二段歩ほどの煙草畠 にしゃがみ、しきりに落ちた古葉をさがして重ねる。てい し わ ねいに、織をのばす。なれた手つきである。 の ら ぎ 野良着で、手に鎌を持っているキヌの方はススキの林の なかに、あおむけにひつくりかえって、 ﹁ゃあれ、もう、狐さんたちが鳴き騒いどらあ﹂4 と、のんきたらしく独りごとをいいながら、無意味に、 パサッ、パサッと、ススキをたたき切っている。 深い山には、狐、狸、兎、猿、などがたくさん腐り、と い の し し きどき、猪があらわれることがあった。普から現世よかけ て、狐に化かされた話は数えきれない。谷川には河童がい す も , るという。河童と角カをとったという老人が、自分の実見 ゐ ぽ た 談を、炉辺で、まじめな顔して話す。 マンは、煙草好きの父のために、一枚でも余計に業をひ ざ る ろうつもりである。においの強い、黄色い枯葉が、燃のな か に た ま る 。 すると、寝ころがっていたキヌが、突然、くるりと起き あがった。なにかを見つけたらしい 0 . お お ど k ﹁マンさん、大事、鬼が来たよ。早よ、隠れんさい﹂ 切 迫 し た 語 調 で 、 叫 ん だ 。 ろ う ば い おどろいたマンも、狼狽したが、おそかった。 ﹁ こ ら ア 、 逃 げ る こ と な ら ん ぞ う ﹂ と、太い芦が、山の道からひびいて来た。 駅前魁のある山道の曲り角にあらわれた一人の大男が、 大肢でパネ仕掛のように之びながら、かげ降って来た。黒 めえりふ︿ い中折帽をかぶり、黒い詩襟服で、これも黒の皮カパンを 右手にぶらさげている。顔いろも、日やけと酒やけで赤黒 く、ちょぴ齢が木炭をくっつけたようだ。 ﹁とうとう、見つけられたなあ。ええかげんで、早ょ、や め ん も ん じ ゃ け え ﹂ キヌは、もう、青くなっている。 ﹁ か ま う も ん か ﹂ 観念したとみえて、マンは、煙車畠のなかに立ちあがっ て、男の近づいて来るのを待った。煙車の葉を入れた俄だ け は 、 畠 の く ぼ み に 隠 し た 。 ﹁ 避 け る ん で な い ぞ う 。 逃 げ た っ て わ か る ぞ う ﹂ 男は、まだ、そんなことを叫びながら、谷川の俸に来る と、朽ちかけた丸木橋を、あぶなつかしい足どりで渡ったれ 二 人 の と こ ろ に や っ て 来 た 。 ﹁ こ ん な こ と だ ろ う と 思 う た 。 お 前 、 谷 口 の 娘 ッ 子 だ な ? ﹂ ﹁ は い ﹂ ﹁ 盗 ん だ 葉 を 出 し な さ い ﹂ ﹁ 盗 み は し ま せ ん ﹂ ﹁ちゃんと見とったんだ。そこの震を出しなさい﹂ マンはあきらめて、黙って、くぼみから燃をとりだし た 。 ﹁ ほ う ら 、 こ ん な に 盗 ん ど る ﹂ ﹁盗んだんじゃありません。落ちていたのを拾うたとで す ﹂ ﹁こんなに葉が落ちるわけがあるか。どうもこの辺の奴は たちが悪い。政府を馬鹿にしとる。今度は許さん。処罰し てやる@:::おい、そっちの娘ッ子、お前もいっしょにや っ た の と ち が う か ﹂ ﹁とんでもない。わたしは草刈りに行った帰りに、通りか
龍 か っ た だ け で す ﹂ ﹁怪しいな。ま、ええわ。共謀としてひっくくるところだ が、特別にこらえてやる。帰れ﹂ キヌは、健を背に負うと、一散に走り去った。 ﹁谷口の、わしについて来なさい。お前のお父うに逢うて、 ょ う と 調 べ た う え で 、 罰 金 ・ 申 し つ け て や る ﹂ ﹁ お 役 人 さ ん 、 そ れ ば っ か り は 堪 忍 し て : : : ﹂ ﹁ な ら ん ﹂ ﹁ ほ ん と に 、 盗 ん だ と じ ゃ な い け え ﹂ ﹁ や か ま し 、 行 け ﹂ 男にはげしく肩をつかれて、マンはしかたなく先に立っ た 。 黒服の男は専売局の役人である。煙草が専売制になると、 厳重な規則ができた。この部落でも作っている家が多いが、 た ん 段に何本と定められ、それは専売局の原簿に記帳される。 種は専売局からもらい、葉の数は精密に調査されて、一枚 ・ お お h J 、 , i v も私することはできない。ただ、葉の上、中、下とそれぞ れ味がちがい、役にたたぬ部分もあり、その落ちた何枚か を自家用に吸うことだけが、大目に見られていた。 山峡の底は日没が早く、一一人が歩いてゆくうちに暗くな る。点々とある家に、ランプがともる。ツクック法師と狐 と が 鳴 い て い る 。 ふ も 淵になった谷川の横に、水車小屋があった。水車がゆる く廻っている。そこまで来ると、役人は立ちどまった。あ k 花 5 た り を 見 ま わ し な が ら 、 ﹁ ち ょ っ と お 待 ち ﹂ ﹁ な ん ぞ ・ ・ ・ ・ : ? ﹂ ﹁話したいことがある。そこの水車小屋に入んなさい﹂ マンは、ちらと水車小屋に視線を投げたが、その切れの ながい、大きな眼に、不安のいろが浮かんだ。 ﹁ 話 な ら 、 こ こ で 開 き ま す ﹂ ﹁ちょっと、お前の持っとる煙草葉の数を読みたいんだが、 外では風で飛ぶ。たいそう風が出て来た。小屋の中なら飛 ぶ心配はない。さあ、入んなさい﹂ そういうと、役人はがたぴしと水車小屋の一枚戸をひき あけて、さっさと、先に入った。中から、マンをうながし た 。 マンも、しかたなく、おずおずと、小屋に入った。 よるいま E 暗い。鎧窓からさすかすかな光線で、三坪ほどの小屋の き ' す 一隅に、土聞に半分埋められた木臼が、三つならんでいる も み のがわかる。その中に、籾が入れられ、水車の廻転によっ 舎 ね て動く三つの杵が、それをおそい速度で、ドッス、ドッス と野いている。たえ問なく、水の音がしている。小屋の中 は 、 へ ん に か ぴ く さ い 。 ﹁ 煙 車 の 業 を 見 せ て ご ら ん ﹂ 役人は、やさしい声でいった。態度がまるで変っている。 帽子から、服、カバン、靴、顔にいたるまで黒い大男が、 急に、猫なで声を出すので、マンは一層気味がわるくなっ
6 た。無言で、飛をさしだした。 役人は、葉を一枚々々とりだして、手でもんだり、にお いをかいでみたりしながら、 ﹁ずいぶん念入りに取ったものだなあ。お前は、わるい女 のようではないが、どうして、政府の物を盗むようなこと を す る か ね ? ﹂ ﹁お父つあんが、煙車がしんから好きなもんですけえ:・ . ・ ・ ﹂﹁なんぼ親孝行でも、法は法、可哀そうでも、罰金をかけ にゃあなるまいなあ﹂ ﹁お役人さん、もうしませんけ、どうぞ、堪忍して:::﹂ ﹁ さ あ ね え ﹂ 思わせぶりに、役人は、じろりと、マンを見た。この、 ホ w H t 内 科 仙 ﹁鬼﹂という伯仲名をつけられている専売局の駐在員は、さ っきから、マンの後から歩いてゆくうちに、下等な慾情を そそられた模様である。こりこりとひきしまった若い女の わらぞうり 身体つき、腰や尻の弾力に寓んだ動き、薬草履をはいた白 い素足、ほつれ毛のたれかかっている小麦色の首すじ f││ この、眼前にある新鮮な熟れた果実を、とって食べたくな っ た も の に ち が い な い 。 ﹁谷口の、罰金はいやかね?﹂ と、結なめずりする口調で、マンの方に寄って来た。三 角限が淫らに光っている c ﹁ は い 、 い や で す ﹂ ﹁とりやめにしてあげようかね?﹂ ﹁ お 願 い し ま す ﹂ ﹁じゃが、タダというわけにはいかんなあ。あんたもこれ だけのことをしといて、タダですむとは、まさか思うて居 ら ん だ ろ う ? ﹂ ﹁どうしたら、よろしゅう、がんひょうか?﹂ ﹁そうじゃなあ、一番簡単なことですますとするかね
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-な 、 そ れ で 、 よ か ろ ? ﹂ マンも、男の考えていることが、やっとわかった。飛び す ざ っ た 。 ﹁ そ れ は 、 い や で す ﹂ ﹁いや?へえそええことしたうえに、罪を帳消しにし きむすめ てもらうのがいや?もう、処女でもあるまいに。みんな、 そうするんじゃがなあ。それが、利口だよ﹂ そういううちにも、黒い大男の身体が、小柄なマンを、 風呂敷につつむように、からんで来た。マンははげしく抵 抗したが、強い男の腕力に抱きすくめられた。まったく身 うごきができなくなった。 ドプロクくさい男の息が、顔に近づいて来た。マンは土 間にあおむけに転がされ、恐しい力でおさえつけられた。 前に、一度、マンはこれと同じ目にあったことがある。 この夏の盆師りの晩であった。草深い山峡の部落では、 う ら ま ん え 孟蘭金会は、若い男女が思いきり羽をのばす唯一の祭であ る。盆踊りは、柿ノ坂という、養蚕のさかんなことで有名自B %ゅうぞうじ な部落の仲蔵寺で行われる。谷口家先祖代々の基も、この 寺 に あ っ た 。 父善助は、子供たちをこの寺につれて来て、先祖の墓の 前に立たせ、普ぱなしをするのが好きだった。もう時代の ほどもわからぬ古びた墓石は、原形をとどめぬほど、方々 がかけている u 文字もよく読めない。しかし、善助は、 ﹁ ほ う れ 、 こ の 紋 を 見 れ ﹂ といって、来一ゐの上部を、節くれだった指で示してみせ る 。 ﹁ な ん に も 、 あ り や せ ん ﹂ 子供たちがそういうと、義口助は得意になって、諮りだす。 ﹁お前たちにはわからんでも、お父つあんには、ありあり へ い け や ぶ とみえる。これはな、平家さんの御紋じゃ。源平合戦で敗 げんじ れた平家さんの落武者は、源氏の追討が、えッときびしい もんじゃけえ、日本凶中の山奥に逃げこんだんじゃが、こ のあたりにも来なさったんじゃ。今はこれだけでも開けた 4 4 酬 が、わしの小さいころは、この谷は昼間でもお化けの出る ようなところでな、平家さんの残党が永いこと隠れて住ん どった。国勢調査のとき、はじめてそれがわかつてな、な まげゅ んでも、まだ、チョン腎結うた、奇妙なサムライが山奥に 目的るちゅうんで、宮員さんが調ぺに行ったらな、万さした のが出て来て││もう、源氏は亡びたか、と、きいたとい うわい。谷川家も、平家さんの一門じゃ。根ッからの土ン 百姓とはちがうぞう﹂ と 柁 7 マンは、先祖が平家であろうがなかろうが、格別、なん とも思わなかった。父の自慢するのがおかしかった。どう かすると、そのことに父の衰えを感じて悲しかった。 ゆ い し ょ ところが、このことは村では由緒めかして取り沙汰され、 村長の家から、二男というのに、ぜひマンをくれと縁談の 申しこみがあった。二男坊は大学を出たということだった が、マンは、高慢ちきで、鼻眼鏡をかけたこの男を好かな かった。いく度、強硬に督促されても、拒絶した。すると、 盆踊りの夜、この男から、寺の裏の杉林にひきこまれ、お さえつけられたのである-青白い顔なのに、恐しい力だっ ちょうちん た。すんでのところに、提灯をつけて、誰かが通りかかり、 あやうく難をのがれることができた。 家にかえって、このことを父に報告すると、善助は、 ﹁馬鹿たれが。そんなことはこれからもある。ょう覚えと け﹂と、女の護身法を教えてくれた。 専売局の﹁鬼﹂に組みしかれたマンの頭に、ぱっと、そ のときの父の一言葉が浮かんだ。マンは、もう夢中だった。 しかし、声は立てなかった。歯を食いしばり、限だけを怒 と カ ん りに燃やした。男の股間にさしこまれたマンの右手に、あ るかぎりの力がこめられた。異様な叫び戸を発した男の顔 け L れん 色が、スウッと大根葉色に変った。はげしい痘畿をおこす と、﹁鬼﹂はぐったりとなって、そこへ倒れた。 ほ て マンは、はね起きた。飛びすざった。顔が熱く火照り、 U F ﹄ A J 詩 C 動俸がはげしく打つ。一周で大きく息をしながら、見ると、
8 暗い土間に、松の大木をころがしたように、男は償たわっ て い る 。 動 か な い 。 ち ん ぐ い ぽ そっと、近ょった。限がひきつり、乱杭歯をむきだしに して、唇の部厚な口が、ポカッと開いている。狸のようで ある。マンは、耳を男の胸にくっつけてみた。それから、 そこらに散乱している煙車の葉をかきあつめ、砂川に入れた。 それを持って、水車小屋を出た。 井戸の底から見あげるような空に、うす赤い夕焼雲がた ゅ う ゅ う だよい、一羽のトピが悠々と舞っている。あたりには、家 もなく、人影もない。キョ l ン、と一戸、遠くに、狐の戸 が 聞 え た 。 マンは、水車のところに来た。神川を置き、水車をまわし ている瀬の岸にしゃがんだ。落ちて来る谷川の流れで、手 を洗った。それから、水を両手ですくい、どくどくと飲ん η ど だ。附喉がひどくかわいていた。澄んだ冷たい水が、食道 から胃袋へ通ってゆくのがわか
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、 ﹁ あ あ 、 お い し い ﹂ と、思わず、声が出た。 かすかな黄昏の光のなかで、マンは、すぐ限のまえの流 は え れに一匹の鰍のいるのを認めた。水はかなりはげしく流れ ひ れ ているのに、小さな魚は流れにさからって、間断なく鰭を うごかしながら、ほとんど停止している。すこしずつ、進 む。それを見ると、マンはしいんとした気持になり、すこ し 滋 ち つ い た 。 マンは、もう一度、両手で水をすくい、それを口一杯に ふくんで、立ちあがった。小走りに、また、小屋の中に入 っ た 。 倒れている役人のところに行き、顔を目がけて、プウッ、 プウッと、二度に、水をふきかけた。すると、男の顔がび くついて、開いていた口がふさがり、ウウン:::と、くぐ う め もった附き声が、咽喉の奥底から起った。役人が動きだす 気配を知って、マンは表に飛びだした。水車のところに置 いた然をとると、一散に、走った。 恐しいのか、悲しいのか、腹だたしいのか、それとも、 うれしいのか、わからず、彼女は、ただ、早く家に帰りた と み も み の かった。谷山に沿った小径を、わき目もふらず念いだ。稔 った稲穂のうえを、しだいに強くなった風がわたって行く と、湖のようである。また、キョ l ンと、するどい狐の一 声が、今度はすぐ耳の間近でひびいた。 いくつも坂を越えた。やっと、前方にわが家が見えて来 金 の た。ランプの下で、ワラジを編んでいる母の静かな姿が眼 に入って、マンは、突然、ぐっと胸がこみあげてきた。大 声をあげて泣きだしたい衝動を、やっと、唇をかんでこら えた。涙があふれ出て来て、前方のランプの光がゆらゆら と 流 れ た 。 ひづめ こ の と き 、 背 後 で 、 馬 の 時 間 の 音 が し た 。 ﹁ マ ン 坊 ﹂ と、芦をかけられた。? 抱 つ っ そ で ふりかえると、馬に乗った一人の筒袖姿の青年が、スス キの深い曲り道から、姿をあらわした。 ﹁時ゃんけえ、びっくりしたあ﹂ ﹁びっくりするこた 7 、なあじゃろ。狐じゃあるまあし 0 ・ : ・ ほ れ 、 郵 便 じ ゃ よ ﹂ ﹁ ど こ か ら な ? ﹂ も じ り ん す け あ に ﹁門司の林助兄さんからと、:::こっちの方は、専売局じ ゃ ﹂ ﹁ 専 売 局 ? ﹂ マ ン は 、 ど き っ と し た 。 大川時次郎は郵便配述夫である。柿ノ坂の郵便局まで来 る郵便物を、彼は馬に乗って、部落部落に配達して廻る。 ときには、害情や小包などの大切な物も扱うので、信用の 置ける者にしか委せられない。時次郎は、その点では村中 での模範青年といってよかった。さらに、雨、風、雪、嵐 のときにも、配達を休むわけにはいかないので、身体の頑 健な者でないと勤まらない。その点でも、政角力の横綱で ある時次郎は、最適任者であった。 ﹁おやア﹂と、馬上から、時次郎は、マンの顔をのぞきこ むようにして、﹁マン坊、泣いたのとちがうか﹂ ﹁ う ん に ゃ 、 泣 き は せ ん ﹂ ﹁それでも、一杯、涙がたまっとる。マン坊の泣き虫は珍 しゅうはなあが、また、村長の二男坊から、いじめられた と み え る な あ ﹂ 2と 柁 9 ﹁ 誰 が 、 あ ん な 、 鼻 眼 鏡 : : : ﹂ け え ﹁マン坊の方はそんな気でも、まあだ、敬ゃんはあんたの ずる こと、あきらめんというぞ。根が絞ン坊のうえに、大学出 の智恵者じゃけえ、惚れたがメッチャラで、なにを企らむ か知れん。気をつけんさいや﹂ ﹁なんでやって来ても、負けやせんよ﹂ ﹁ そ ん な ら 、 え え が : : ・ ﹂ お も な が ひろい縁の麦藁仰の下から、きりッとしまった面長の顔 が、なにかの思いをこめて、マンを見る。すこし鈍くはあ ま ゆ るが、限には意志的な光があり、黒く太い眉がたくましい。 マンは、時次郎の陸にただよっている、その思いという のが、なにか、よく知っている。そして、マンの方も、持 次郎にたいして、或る気持を抱いていた。 ひ ま ﹁ マ ン 坊 、 今 夜 、 閑 け え ? ﹂ ﹁うウン、今夜は、ちょっとばかし、用がある﹂ 用はなかったけれども、水車小屋での事件が、どんな結 果を生むか、閑であるとはとてもいえなかった。それどこ ろか、マンは、今にも息をふきかえした﹁鬼﹂が、跡を追 って来るにちがいないと、びくびくしているのである。 ﹁そうか、閑なら、今夜遊びに行って、ゆるゆる話したい あ し た ことがあったんじゃがなあ。・::明日の晩は?﹂ ﹁ そ れ も 、 わ か ら ん わ ﹂ ﹁ た い そ う 忙 し い ん じ ゃ な あ 。 をつくってくれんさいや﹂ いつか、おれのために、閑
﹁ そ の う ち に ね ﹂ 時次郎は、つれないマンの態度に、あきらかに、失望の いろをあらわしたが、それでも、にこにこ顔をつくって、 ﹁ そ ん な ら 、 ま た ﹂ と , ペ う わ ぜ い と、愛馬の頭をめぐらした。上背のある、たくましい栗 毛 の 四 歳 馬 で あ る 。 ﹁ 時 ゃ ん ﹂ と、マンは、急に、すこし狼狽した顔で、呼ぴとめた。 ﹁ あ ン ? ﹂ ﹁ あ ん た 、
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の水車のところを通って、帰りんさるか ね ? ﹂ ﹁そうよ。あの道しかないけえ。それが、どうかした な ? ﹂ ﹁y ﹄ う も 、 し や せ ん ﹂ マンは、くるりと廻ると、飛びあがるようにして、家の 方 に 走 っ た 。 家の下の齢まで来て、足音を殺した。斜になった石段を、 そっと登った。母にさとられぬよう、裏手の牛小屋の方に 廻 っ た 。 すると、どこにいたのか、愛犬のシュンが、暗閣のなか から飛びだして来た。はげしく尾をふり、クウン、クウン と鼻を鳴らして、まつわりつく。 ﹁ シ イ ッ 、 シ ツ ﹂ びっくりして、追ったけれども、 10 シュンは避けない。昼 あ る じ 聞からずっと、一番可愛がってくれる主を見なかったので、 よっぽどうれしかったらしい。煙草葉を入れた無を落しそ うになるほど、騒々しく飛びかかって、じゃれる。 そ の 気 配 に 、 ﹁ お マ ン け え ? ﹂ ランプの下から、母イワが、ワラジ編む手を休めて、表 の 暗 が り を す か し て 見 た 。 ﹁ は い ﹂ と 、 し か た な く 、 答 え た 。 ﹁ お 父 つ あ ん に は 、 逢 わ な ん だ け え ? ﹂ ﹁ い ん ね ﹂ ﹁ 山 に 居 っ た ん じ ゃ あ 、 な あ の け え ? ﹂ ﹁ 煙 草 畠 に 行 っ と り ま し た ﹂ ﹁やンれ、やンれ、お父つあんは、炭焼小屋じやろうとい うて、山の方に、お前を迎えに行きんさったんじゃが。今 日は、朝っぱらから、たいそう、狐どんが鳴きよるけえ、 お マ ン が 化 か さ れ た ら い け ん 、 と い う て : : : ﹂ ﹁ す み ま せ ん ﹂ マンは、牛小屋に行った。犬も、ついて来た。牛は、も う、マンの足音を知って、小屋の板壁を角でつき、足踏み をはじめた。去年生まれた小牛と二匹、親子ともよく彼女 な になついている。プルルルと鼻を鳴らす。歓迎の時き声を 出 す 。 牛 小 屋 に 入 る と 、 ヒ 注 マンは、棚のうえのランプに、火を点飽 かいぽおけ じた。飼料桶に、藁を入れてやった。牛は親子で、早速、 そ れ を 食 べ は じ め る 。 マンは、牛小屋の戸をしめ、ふところから、二通の封書 をとりだした。耳をすまし、誰も来る気配のないのをたし かめてから、兄林助の手紙から先に、封を切った。 小学生三年を中途でやめた兄の手紙は、片仮名で、とこ う 砂 市 し ろどころに入っている漢字は、全部、嘘字である。しかし、 意 味 は わ か る 。 ﹁││関門海峡ニペタクサンノ外国船ガ入ツテクルコト トナッテ、沖ノ仕事モ摺スパカリトナッテ、組デペ若ク テヨイ働キ手ヲサガシテオル。オ前ガ出テクルノヲ待ツ。 ソンナ山オクデ、一生ヲ終ルナンテ、馬鹿クサイト思ワン ヵ。思イキッテ、出テ来ンサイ﹂ お や か た へ ゃ な か し それから、いつでも、自分の親方の浜尾組で、部屋仲仕 に ぎ として引きとること、住居、賃銀、門司の港と町の賑わい、 都会の面白さ、などが、たどたどしい、しかし、心をとき めかさずには居られないような書きかたで、こまごまと、 記 さ れ て あ っ た 。 マンは、二通目の封書を聞いた。専売局のも片仮名文で あったが、嘘字はなく、これはいかめしく印刷してあった。 せ ん ・ ﹄ , ﹁冠省、先般ヨリ申請中ノ願書、詮衡ノ結果、今回、谷口 マン儀、煙草女工資格者ト決定セルニ付、採用ノ旨、通告 ス ﹂ マンは、二つの手紙を、何度も読みくらべながら、 主 花 11 U
、
く らか狂気じみた、夢みる瞳になって、牛小屋の中に立ちつ く し た 。 ( y τ ヲしたら、よかろうか?﹀ マ ン は 、 迷 う 。 村でも、専売局の煙車女工になりたい希望者は多い。ひ ょっとしたら、村娘にとっての、唯一最大のあこがれかも 知れない。しかし、資格に面倒な条件がたくさんあって、 きんてき なかなか採用にならない。その金的を、マンは射とめたわ けである。普通なら、飛びあがってよろこぶところだ。 ところが、マンの顔は当惑したように、后がょせられて い る 。 ││都会 o l--港 。 1 1 自 由 の 世 界 。 I l l . フ -フ J γ ル 。 せせこましい谷底の故郷から、ひろぴろとした天地へ出 たい。青春の血を騒がせる漂泊と放浪の思いは、すでに、 早くから、絶ちがたい情熱となって、マンの胸に燃えてい る。どこに行っても、鼻先のつかえる狭い山奥、田や畠を た ん ぷ つくっても、五段歩とつづけられる土地がない。母の兄、 h m " v しW マンには伯父に当る人が、ブラジル移民で成功し、大農闘 を経営している。そこには、限のとどかぬところまで続い た農場があり、四季を通じて、自由な耕作ができるという。 マンの空想は、はるかに海を越えて、ブラジルの天地にま12 で 飛 ぷ 。 ーーまず、門司港にいる兄林助を頼って行き、そこで足 場をこしらえて、ブラジルヘ。 これが、マンの憧恨の構図であった。 大川時次郎の顔が浮かぶ。郵便局に勤めているこの青年 を、マンも好きだ。村一番の男と思う。時ゃんも、マンを 嫁にしたがっている。しかし、時ゃんは一人息子であり、 大川家を継いで、生涯をこの部落で終らねばならぬ。時ゃ ん自身も、引っこみ思案のところがあって、村を出る積極 的な気持はない。彼の最後の理想は、柿ノ坂の郵便局長に な る こ と に あ る ら し い 。 ( そ ん な の は 、 い や だ ) と 、 マ ン は 、 思 う 。 表で、足音がした。牛小屋の前に来てとまった。 ﹁ マ ン 坊 け え ? ﹂ 父 善 助 の 声 だ っ た 。 ﹁ は い ﹂ と答えて、あわてて、兄林助の手紙の方を、ふところに 隠 し た 。 小屋の戸を開けた。マンより先に、犬が飛びだした。背 た き e に薪を負い、手に鎌を持った長身の父が立っている。 ﹁ な ん じ ゃ い 、 戸 を し め こ ん で し も う て : : ・ ﹂ ﹁ お 父 つ あ ん 、 と れ ﹂ マンは、専売局からの封筒をわたした。ランプの明かり でそれを読む、善助の日やけした顔に、みるみる、狂喜に ちかい表情が浮かびあがって来た。 ﹁ ヤ ン れ 、 よ か っ た の う 。 万 歳 、 万 歳 ﹂ そういって、両手で、万歳の恰好をし、どんと、娘の肩 を た た い た 。 ﹁おマン、お前も、うれしいじやろうのう?﹂ ﹁ は い ﹂ そう答えなければ、しかたがなかった。 ろ り ぽ た 囲炉裏端で、一家、にぎやかな夕食がはじまった。普助、 イヮ、長兄倉助、その嫁ミキ、その子の三歳になる松男、 , 主 眼 う ぞ う 弟牛三、それに)マンの七人。マンの採用のお祝いといっ い も し ょ , も ゆ , て、善助比苧焼酎の畑をつけたが、ふと、思いだしたよう ﹁専売局といやあ、あの駐在所の鬼が、七瀬の水車小屋で な あ : : : ﹂ と 、 話 し だ し た 。 マ ン は 、 胸 の な か で 、 心 臓 が 一 廻 転 し た よ う な 気 一 か し た . かあッと、顔が燃えた。限を皿にして、父の顔を見た。 善助は、上きげんで、焼酎の徳利から、独酌をしながら. ﹁ : : : な ん で も 、 と う と う 、 狐 に 化 か さ れ た ら し い ぞ 。 あ の鬼奴、いつも、威張りくさっとった
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-﹂ の 谷 の 者 は みんな間抜けの附貯たれじゃ。この文明の世の中に、狐が 人聞を化かすなんて、そんな馬鹿げたことがあるか。おれ の方が狐を化かしてみせる。:::なんて、いうてな。それ が、今度は、狐どんからやられたんじゃ。罰よ﹂龍 ﹁そりゃあ、ええ気味じゃが、どがあな風に、化かされん さ っ た と な ? ﹂ これも、茶碗で焼酎をかたむけ、もう赤くなっている倉 助 が 、 き く 。 た か か ど ぷ じ ゅ う ﹁わしも附いたことで、ょうは知らんけどな、高門の武十 日一那の話によると、こうじゃ。││日一那が七瀬の水車の横 の道を通りかかりんさった。そしたら、小屋の中から、ウ ン ウ ン 岬 る 士 一 戸 が し て 、 な ん か 、 入 口 か ら 這 い だ し て 来 た 。 き も 日一那はびっくりしたらしいけんど、胆の太い人じゃけ、提 灯をさしだして、照らして見んさった﹂ ﹁それが、専売局じゃったとけえ?﹂ と、母イワが、身体を乗りだす。 ふ ﹁そうよ。どがあしたわけか知らんが、腕抜けのようにな ってな、旦那が声をかけても、返事もせんし、フラフラツ と立ちあがって、なんべんか倒けながら、川の岸を、ユウ ラユラ、酔いどれみたいに、歩いて行ったというわい﹂ ﹁ ど っ ち の 方 に ? ﹂ マンは、切迫した戸できいた。 ﹁柿ノ坂の方じゃ。狐に化かされとっても、駐在所に帰る 方角だけは、知っとったとみえるのう。服は泥だらけにな っとったというが、そんなことも気づかん風じやったらし い ﹂ ﹁カパンは持って居らんじゃったけえ?﹂ ﹁カバン?それまでは聞かんじゃった﹂といったが、ふ と 柁 13 っと、不審そうに、﹁マン坊は、どうして、鬼がカバンを 持っとったこと、知っとる?﹂ ﹁ い ん ね 、 : : ・ 役 人 さ ん 、 い つ も 黒 い カ バ ン 持 っ と る け え 、 どうしたか、と、ちょっと思うたもんじゃけえ:::﹂ マンは、どぎまぎと、答えた。 水車小屋の事件を、マンは父に話さなかった。誰にも話 さなかった。盆踊りの晩、村長の二男坊から手ごめにされ かけたことは、すぐに、父に打ちあけたのに、今日、ふた たび、同じ目に逢いながら、これは隠した。 盆のとき、父から、﹁これからも、そんなことはある。 ょう党えとけ﹂といって、教えられた女の護身法を、習っ たとおりに実行したのであるから、手柄顔で報告してもよ いのに、マンは沈黙を守った。はからずも、危険から身を 守ることができはしたけれども、その方法は、純真で一本 し ゅ う ち 気な若い娘を、はげしい差恥におとしいれたのである。得 得と報告するどころか、真実を知られることを恐れた。マ ンに、新しい一つの秘密ができた。 けれども、また、別にマンの心の奥底に、奇体な力が生 ま れ て い た 。 vhuh リ 包 さ ││女でも、必死になれば、自力で、男に負けぬ仕事を することができる。 その、胸のふくらむような、自覚と、自信とであった。 一 週 間 ほ ど が 、 過 ぎ た 。
14 村の煙草工場の開所式が、盛大におこなわれた。貧乏部 茅 ょ う じ 落のくせに、なにかの行事は派手にしたがる癖があって、 この工場開きの日は、まるで、お祭騒 e き で あ っ た 。 ﹁こんな名誉なことは、なあよ。これで、わしも、もう、 いつ死んでもええ﹂ ま 村長は、禿げあがった頭をたたいて、本心から、そうい った。まだ電燈もつかない、こんな山奥の村に、政府の指 定機関が出来たことは、村長にとっては、一世一代の晴れ であったかも知れない。 ﹁村長さん、わたしも、あんたに負けんほど、うれしゅう が ん す ﹂ た か か ど ぷ じ ゅ う そういうのは、高門の武十旦那である。 煙草工場といっても、単に、大地主である武十の家の倉 庫を、改造したものにすぎない。煙草葉をきざむ初期の工 程だけをやるのだし、女工も十六人しかいないのだから、 結構、それで間にあうのである。 ﹁村長さん、武十日一那さん、わしも、今度のことで、命が 三年ほど延びやした。おおきに、ありがとうございやし た ﹂ 谷口養助のその一言葉も、お世辞ではなかった。娘のマン が L ら が採用されたばかりか、女工頭に任命されたのである。 開所式の当日、広島からやって来た専売局の若い出張員 も、にこにこと、挨拶した。 ﹁ここまで漕ぎつけることのできましたことは、村長さん た ま も の はじめ、近郊各部落の方々の熱意の賜でありまして、本 官は、今回、選抜された優秀なる女工さんがたによって、 かならずや、期待される以上の成果が、生みだされるにち がいないことを確信いたします o -特に、女工頭の責任ある しよ︿ぼう 地位に就かれた、谷口マンさんの活眼に嘱望するところ、 はなはだ大であります。:::本日は、当地方の駐在員であ る松宮五八郎君が、列席できないことは、まことに残念の わ た せ いたりでありますが、同君は、一週間ほど前、七瀬の水車 い ん と く 小屋に隠匿されてあった不法煙車葉を調査、摘発中、ふい に持病の胃ケイレンをおこして以来、病臥中でありまして . ・ ・ ﹂どっと、会場内に、爆発するような笑い声がおこった。 得意で挨拶していた若い役人はなんで笑われたのかわか らず、すこし、むっとした顔つきになって、 ﹁同君は、技能抜群、誠実無類の人物でありまして、日ご ろ、諸君を指導しながら、仕事熱心のあまり、今日、殉職 に 近 い 難 に あ わ れ ま し た こ と は ・ ・ ・ ・ ・ ・ ﹂ また、ひとしきり、会場内は、奇妙な笑いでどよめいた。 役人に遠慮はしていたが、誰もおかしさがおさえきれなか っ た の で あ る 。 笑うことのできなかったのは、マンだけである。中央に しつらわれた、十六人の女工席の先頭に腰かけていたが、 顔がまっ赤に燃えてきて、頭があげられなかった。 ﹁ マ ン さ ん 、 ウ フ フ : : : ﹂
結 すぐ後にいたキヌが、マンの腰のあたりを指でつついて、 意味ありげなふくみ笑いをした。キヌも、女工に採用され て い た 。 マンは、氷の鎌で腰を切られたような寒気がした。くら くらと、限まいをおぼえた。 ﹁誰もほんとのことを知らんらしいが、あたしだけば、な にもかも知っとるよ﹂ キヌの陰にこもった笑いは、明瞭に、そういっていた。 それから、毎日、マンは、高門の煙草工場に出勤した。 心内ははげしく動揺していたけれども、表面は、この新し い仕事に喜々として、没頭しているように見えた。 ﹁やっぱり、マン坊はちがうのう﹂ 武十旦那も、彼女の働きぶりに、大満悦である。毎日、 面とむかつて、ほめる。 ﹁いんね、旦那さん、つまりません﹂ ﹁一等葉を、日に三杯もつくるなんて、機械よりも、ょう、 やりんさる。五等棄でも、一ニ杯、なんぼうにも出来ん者も あ る と に : : ﹂ 煙草葉は、よい部分、わるい部分と、一等から五等まで に分けられる。それをきざむのだが、一日に、一等葉を一 杯(一貫六百目)つくるのも、なかなか骨だった ο そ れ を 、 マンは、正確に、三杯つくった。ぞんざいにきざむ五等葉 なら、六杯くらい作る者もあった。一杯の賃銀、三銭から 四 銭 。 E二 花 15 ﹁マン坊、村長さんとこの敬ゃんの嫁女になるげなのう﹂ 或る目、工場で、武十旦那からそういわれて、びっくり した。きいてみると、マンが、煙車工場に採用されたこと も、女工頭になったことも、すべて、二男坊の瀬弘口きさ とによるものだということであった。マンは、唖然とし、 おうと 一 噛 吐 を も よ お し た 。 敬迭は、谷口家を、毎夜のよう川、訪れて来るように冗 った。にやけた声で、しかし、威嚇するように、善助を口 r 説 く 。 ﹁僕が、一口きいたら、今日にでも、マン坊は、工場をク ピになるんだよ。まったく、僕のおかげですよ﹂ 善助は、苦虫をかみつぶした顔で、答えない。やけに、 なたまめ L さ せ る 詑豆煙管で、煙草をふかす。イワも、無言で、ワラジを編 む 。 或る雨のそぼ降る日、工場の入口から入って来た男を見 ほ う ち ょ ゥ て、マンは、思わず、手元が狂った。庖丁で、指を切った。 ﹁ ゃ あ 、 精 が 出 よ る な あ ﹂ ﹁鬼﹂であった。相かわらず、黒の詰襟服、黒カバン、黒 帽子の大男は、にこにこしながら、まっすぐに、マンの方 に歩いて来た。女工たちの問に、くすくす笑いがおこった。 マンが、血のふきでた左の親指を口にくわえて、無言で つつ立っていると、役人は、 ﹁ 怪 我 し た の か ね 、 ど れ ﹂ と、親切そうに、赤ら顔をつきだした。ドプロクくさか
っ た 。 ﹁ な ん で も 、 な あ で す ﹂ ﹁そうかい﹂と、憎々しげにうなずいたが、仕事をしてい る女工たちを凡まわして、﹁ゃあ、模範的娘ばっかりの展 覧 会 だ な あ ﹂ そういって、身体中をゆすりながら、意味ありげに、供 ' ν 争 a e つ 笑した 0 7 ンは、衡を食いしばった。﹁鬼﹂が、水車小屋の中で、 か ら 氾 罪を帳消しにしてやるからといって、身体を求めてきたと き、﹁みんな、そうするんじゃがなあ﹂といった言葉を思 いだした。この女工たちの中にも、﹁鬼﹂の毒牙にかかっ た者があるのだろうか?役人は、百姓が泣き寝入りする ものと定めていたのだ。マンの例外におどろいたかも知れ ない。しかし、﹁鬼﹂は、かえって非を悔いるどころか、 ね ら 意地になって、新しく、マンを狙いはじめたようであった。 それから、数日後、時次郎が、また、専売局からの書留 郵便を、マンのところに、届けて来た。 ﹁専売法違一以ノ科料、金二円五十銭ヲ収メヨ﹂という命令 書 で あ っ た 。 駐在員の松寓五八郎が、谷口家を訪れて来た。 を、じろじろ横目で見ながら、 ﹁善助さん、罰金が来たそうだねえ?﹂ ﹁ 来 ま し た ﹂ むすめど ﹁ 娘 御 の 親 孝 行 が 、 16 マンの方 あ M かえって、仇になったというところで すかな O i -だが、なあ、善助さん、この罰金、収めずに すます方法が、なくもないんだがねえ] ﹁いんね、ええです。収めます﹂ か ら い ぱ ﹁そんな空威張りしたって、損だよ。政府だって、血も涙 もあるんだから、恩恵に浴してはどうかね?便法がある が。:::科料は大したことはないけど、前科がつくし、第 一、罰金を収めに、岡山裁判所まで行かねばならんよ﹂ ﹁ 行 き ま す ﹂ か み た て ﹁お上に楯ついて、得はないのになあ﹂ ﹁鬼﹂は、せせら笑って立ちあがった。大股で、悠々と帰 っ て 行 っ た 。 ﹁ お 父 つ あ ん 、 す み ま せ ん ﹂ ﹁マン坊、なあに、心配はいらん。お父つあんが、ょう知 っ と る ﹂ マ ン は 、 わ っ と 泣 き 伏 し た 。 善助は、罰金を収めるために、岡山に向かって、出発し た。二円五十銭といえば、科料としては最低であったが、 収めに行くのが大変である。大旅行といってよい。広島の 山奥から、谷をわたり、山を越え、幾日も泊りを重ね、や っと、鉄道のあるところまで出て、汽車に乗る。岡山市に たどりつき、裁判所に、科料金を納入すると、また、同じ コ l スを引きかえす。罰金の数倍の費用を使い、善助が、 村に帰りついたのは、家を出てから十三日目であった。 善助は、疲れた顔も見せなかったが、日ごろ愛用してい
龍 た鉛豆煙管、タパコ盆、タパコ入れ、等を、くるくると、 油紙につつんで、仏壇の下の物入れにつっこんでしまった。 イ ワ が 、 妙 な 顔 し て 、 ﹁あンれ、お父つあん、どがあに、しんさったな?好き な 煤 草 を 、 押 し こ ん で し も う て : : : ﹂ ﹁おれが煙車を吸うもんじゃけえ、マン坊が心配して、罪 をおかすようなことをする。今日かぎり、ふっつりとやめ た ﹂ マンは、また、演が出た。 こういうことがあっても、なお、苦しい気持をいだいて、 煩草工場に通っていたが、或る風のはげしい日の夕暮どき、 マンは、七瀬の水車小屋の横で、大川時次郎とキヌとが、 むつまじげに語らっている姿を見た。観音堂のかげから、 限 を す え た 。 遠くからで、言葉をききとることはできなかったけれど も、肩を接するようにして、なにか、大声で、楽しげに笑 い怠んざめいている。これまで感じたこともない、不可解 し っ と あ ふ な嫉妬の感情が、マンの胸いっぱいに溢れた。 ( な あ ん じ ゃ ) お え っ くてくッ、と、笑いのような、鳴咽のようなものが、 胸の奥底からつきあげて来た。二人の次官が、狐と狸のよう に 見 え た 。 清例な流れを、黄昏のうすい光に散らしながら、水車が ゆるい速度で廻っている。 と 花 17 それから、数日後、彼女の姿は、 消 え て い た 。 明治三十五年、晩秋。 谷口マン。十九歳。 こ の 谷 底 の 部 落 か ら 、
男
の
出
発
﹁ええ天気じやのう。お城があんなに、きれいに見えるぞ な ﹂ ﹁天気ばかりようても、こっちの方は、大雨、大風、大嵐 じ ゃ ﹂ ﹁そがいに、悪いのかい?金坊﹂ か じ ゃ せ が れ ﹁悪いというても、清ちゃんのような鍛冶度の停には、わ かるまいけんどな。この車に積んどる蜜柑を、今日、問屋 おやじ で、言い値で引きとらなんだら、破産じゃと、親父がいう と っ た ﹂ ﹁ ふ 弓 ノ ン ﹂ じようず ﹁それで、おれに、談判して来いというんじゃ。兄は上手 ・ も ん 者じやけど、問屋からいいくるめられてばっかり居るけに、 兄はやらん。いつも、むつかしい談判には、末ッ子のおれ を使いさすんじゃ﹂ ﹁そら、そうじゃろ。お父さんの考えが、おれにもわかる ぞ な 、 も し ﹂ ﹃ H どうなるか、当って砕けるつもりじゃが、もし、都合よ18 E う ご う行ったら、道後の風呂に入って、遊んで来てええ、 親父がいうた﹂ ﹁その時は、おれもつれて行ってくれや﹂ ﹁ う ん 、 : : : だ が 、 ど が い な こ と に な る か : ・ ・ ? ﹂ 眼に痛いほど、濃く深く澄みわたった青空に、くっきり と、松山城の天主閣が浮き出ている。街の中央に、百三十 そ ぴ し ろ ぞ ま メトルほどの高さで笠えている城山は、全山、豊富な樹 お お こ ぶ 木に掩われていて、総の熔のようだ。頃上の白い城は、し ゃれた山高帽に似ている。 はるかに、この城を望みながら、察相山の間を縫ってい る街道を、一台の馬車が行く。その馬車には、蜜柑箱が数 段に積みかさねられて、前部の箱のうえに、二人の青年が ならんで、腰かけている。 ひろい縁の麦藁帽をかぶっている方の男が、両手に持っ た J つ な む ち ている手綱と鞭とで、上手に、馬をあやつりながら、馬車 を進める。金坊と呼ばれた方で、身体つきががっしりとし、 一府幅がひろい。丸味のある顔は浅黒いが、まくりあげたシ ャツの先から出ているたくましい腕は、光るほど白い。 片方の青年は、ちんちくりんで、色が黒く、貧相たらし あ カ ぃ。かぶっている鳥打帽も、煮しめたように垢じみ、{八が いくつもあいている。 お お 二人とも、蜜柑山で掩われたこの村の青年だ。馬車の出 えひめけんおんせんぐんしおみむらあざよしふじ 発した、この部落の名は、愛媛県温泉郡潮見村字古藤。 くねくねと、やたらに曲りくねった道を、馬車は、松山 っ て 、 市の方へ進む。この﹁域断り﹂といわれている街道は、昔、 敵兵が攻めて来るとき、城の天主閣から、どの道に来ても ︽ J , a わかるように、わざと好余曲折させたものだという。 あ に よ め ﹁金坊、お前んとこの奴さん、やっぱり、いけんかい?﹂ ﹁どうもこうも、いけんなあ。だんだん、いけずになるば っかりじゃ。おれをこきっかう分はかまわんが、兄に、ひ どい陰口をいうには、へこたれる。││金五郎に気をつけ にゃいけん、あれは、末ッ子の癖に、この玉川家を乗っと る腹じゃ。:::なんて、いう。小遣を五銭くれりや、兄に は、十銭ゃった、というし、髪つみに十銭貰ゃ、人には、 十五銭ゃったという﹂ ﹁そんなかな?もし﹂ ﹁ 清 ち ゃ ん ﹂ 金五郎は、なにか思いついて、限をかがやかせた。 ﹁ う ん ﹂ ﹁一生の頼みがあるんじゃがな﹂ 鍛冶屋の清七は、お人よしで、かんの鈍いことで有名で ある。金五郎から、いつも、﹁お前は、朝、頭をたたかれ て、夕方ごろになって、アイ夕、というような男じゃ﹂と いって、からかわれる。それで、今、親友が、切迫した顔 つきと諸問調とで、一生の頼みがある、といっても、のびや かな顔で、表情も変えず、 ﹁なんぞな?もし﹂ と、問のびした声で、ききかえしただけであった。しき
育E は な ︿ そ りに、鼻糞をほじくる。 ﹁鍵を、一筒、作ってもらいたいんじゃがなあ﹂ ﹁ ど が い な 鍵 ぞ な ? ﹂ ﹁ そ れ が 、 : : : ち ょ っ と 、 わ か ら ん の じ ゃ が : : : ? ﹂ ﹁ わ か ら ん 鍵 は 、 で け ん な あ ﹂ ﹁清ちゃん、お前じやけに、打ちあげる。実は、兄夫婦が、 たんす いつも、銭を入れとお嘩笥がある。その箪笥の鍵は、授が 持っとる。その鍵と同じ鍵が欲しいとじゃ﹂ ﹁箪笥の銭を泥坊するんかな、もし?﹂ ﹁いや、盗むんじゃない。借るんじゃ﹂ ﹁箪笥をあけて、黙って借るんかな?﹂ ﹁ そ う じ ゃ ﹂ ﹁借るんなら、鍵を作ってあげてもええぞな﹂ ﹁どがいにしたら、同じ鍵ができる?﹂ ﹁鍵穴に、嬰を塗りつけてな、半紙で押して、型を取って 来 な さ い ﹂ ﹁ そ う か 、 お お き に ﹂ かんは鈍いけれども、清七の腕の方は、金五郎は信用し て い て つ か ん き っ せ ん し ゅ ていた。馬の蹄鉄でも、馬車の軸でも、柑橘類の努取に使 て い ね い うハサミでも、清七は、馬鹿町略に念を入れるので、よそ けんろう の鍛冶屋のよりは、数等堅牢で永持ちがした。きっと、ち ゃんと、箪笥に合う合鍵ができるにちがいない。 ごやがて、馬車は、松山市内に入って行った。城下町の品 む し ゃ 残りをとどめている古い家が、いたるところにあり、武者 と 11': 19 ょがす切 窓のついた部屋の内側から、パタン、パタン、と、伊予訴 を 織 っ て い る 機 の 土 日 が 聞 え て 来 た 。 が ね じ ん 萱町にある果物問屋の前まで来て、馬車をとめた。司と い っ て いう、伊予蜜柑を一手にあつかっている庖である。 のれんをくぐって、金五郎は入った。暗い中に香ばしい 果物のにおいが立ちこめている。 ひっそりとした肢の帳場で、内儀が一人、老眼鏡をかけ て、雑誌を読んでいたが、表の方をすかすようにして、 ﹁ ど な た か な 、 も し ? ﹂ と ) 顔 を あ げ た 。 よしふじ ﹁ 古 藤 の 玉 井 で す ﹂ ﹁ああ、金さんじゃなあ。ちょいと、お待ちいな。うちの も、あんたの来るのを、さきにから、待っとった。じき呼 んで来るけに・・﹂ 内儀と入れちがいに、主人があらわれた。色の青い、小 ら つ わ ん 柄な中老人だが、練腕な商人として鳴りひびいた男である。 金壷眼の奥に、殺そうな淀んだ光が沈んでいる。 か ま わ すぐに、商談がはじまった。応先の挺に、腰を下したこ そろぽん 人の聞に、算盤が置かれた。 この取引が、うまく行くか、行かぬかで、玉井家の運命 がきまる││父が、自分を使いに出した責任の重大さを考-えると、金五郎は緊張せずには居られなかった。 算盤の玉を、四つ、下からはねあげておいてから、じっ と 、 一 割 の 顔 色 を う か が っ た 。
20 腕組みしたまま、思わせぶりに、習は、にやにや笑って いる。いつもなら、電光石火に、値の交渉が行われて定ま るのだが、どうしたのか、萄は、返事をしない。金五郎が、 算盤の玉で示した値段にも、さほど、関心を持っていない よ う に す ら 見 え る 。 金五郎は、すとし、じれて来て、 ﹁ ど う で す か 、 こ の 値 で は ? ﹂ そ れ で も 、 黙 っ て い る の で 、 ﹁これ以上は、一銭もまからんですよ。早う、手を打って、 金 を 渡 し な さ い ﹂ ら すこし芦を大きくして、詰めよった。祝むようにした。 正直のところ、金五郎は、心内、すこし狼狽していた。 まずいことになった、と思う。こういう談判の仕方になっ ては、負けだ。いつもの司の手をよく知っているので、そ ね の作戦を練って来たのに、まるで、様子がちがう。こちら が 、 4 とはじけば、司は、ーと来る。そこを採みあって、 3 に定まれば、大成功のつもりであった。 ところが、普段は、4と置いた玉を、抜く手も見せぬ勢 は じ で、パチッと、三つ弾きかえす司が、沈黙したまま、全然、 反応を示さない。のみならず、妙に意味ありげな微笑を浮 か べ て い る 。 金五郎は、すこし、気味が悪くなった。そうなると、 層、いらいらして来て、追っかけられるように、 ﹁ 司 さ ん 、 男 ら し く 、 定 め ま し ょ う ﹂ と 、 叫 ぴ 声 に な っ た 。 ﹁ ま あ 、 ま あ ﹂ と 、 や っ と 、 相 手 は 口 を 開 い た 。 ﹁ 金 さ ん 、 あ わ て る こ と は な い ぞ な ﹂ ﹁ あ わ て は せ ん け れ ど 、 愚 図 々 々 ・ す る の も 、 感 心 し ま せ ん で な あ ﹂ ﹁ 金 さ ん ﹂ 萄 は 、 落 ち つ き は ら っ て 、 ﹁ ど が い に し て も 、 それだけの金が、お要りるかな?﹂ ﹁ 要 り ま す ﹂ ﹁ じ ゃ が 、 今 は 、 も う 、 そ ん な 値 段 は 無 茶 ぞ な ﹂ ﹁いつでも無茶なのは、萄さんじゃないですか、あんたに は、山殺しという縛名がついとるのを、御存知ですか﹂ ﹁ そ が い な こ と は 、 ど が い で も え え が 、 : ・ : ・ 金 さ ん 、 ほ ん とに、それだけないと、玉井ではお困りかな?﹂ ﹁ 困 り ま す 。 破 産 し ま す ﹂ ・ ﹁それでは、こがいにしよう。うちも商売じやけに、みす みす、大損はしとうない。あんたの言い値で取ったら、こ っちが破産する。それで、玉井も助かるし、うちも損せん という取引をするが一番、金さん、どうかい?﹂ ﹁ そ ん な 、 う ま い こ と が で き ま す か ﹂ ﹁ で き る か も 知 れ ん 、 : : : あ ん た の 考 え ひ と つ で : : : ﹂ そういうと、萄は、はじめて、いきいきと限を光らせて、 す こ し 膝 を 進 め て 来 た 。 ﹁ わ た し の 考 え ひ と つ ? : : : ﹂ わ か ら な か っ た 。
間 ︿ろいし ﹁なあ、金さん、ざっくばらんで行こう。あんたは、黒石 間部に養子に行くことを、どがいにしても承知せんそうじゃ が、考えを変えて、行きなさい。それが、なにもかも円満 しんせき 解決の上分別。黒石はわしの親戚になるけに、あんたを養 子に世話してくれりや、お礼の金を出す。それを、この腐 れ蜜柑の代金として、あんたに払う。三方めでたくおさま る わ け ぞ な ﹂ ぼうぜん 金五郎は、唖然とした。呆然となった。岡山いも設けぬ伏 兵 で あ る 。 ( 一 杯 、 食 っ た ) 唇を噛んで、息をのんだ。 ﹁こがいなええ話、めったに、あるもんじゃないぞな﹂ かねじん してやったりというように、司は、にたにた笑って、返 事 を う な が す 。 黒石家から、金五郎を養子に欲しいという申し入れは、 とうしゅ もう、長い話である。当主黒石幸作は、潮見村で一一一とい ぶ げ ん し や われる分限者だが、子供が一人しかない。それが、娘で、 角力取りのような大女のうえに、すこぶるっきの腕女と来 む -L ている。どうしても、婿養子をしなくてはならぬけれども、 来手がない。女には限をっぷり、財産自あてで来ようとい う者もないではないが、そういうのは黒石の方で気に入ら ない。身体が頑健で、仕事が出来、男ぶりも十人並、親を し ら は 大事にし、娘を可愛がってくれる男が欲しい。その白羽の 矢が玉川家の三男坊、金五郎に立てられたのである。 主 花 21 ﹁村中見わたしても、金さんをおいては、他に一人も、こ れと思う男は居らんでなあ﹂ ちゅうぶう 黒石幸作は、そういう。中風が出て、すこし不自由な身 体を、自身で、何度も、玉川家に運んで来た。 う た ろ う ぽ ︿ ば い 父卯八や、兄卯太郎は、先方の莫大な財産に、食指がう ごかないでもなかったので、 ﹁どうじゃ、金坊、黒石に行って、ヤス坊を嫁にして、村 一番の物持になるかい?﹂ と、誘いをかけてみたが、 ﹁ 死 ん で も 、 行 か ん ﹂ 金五郎の答は、その一点張りであった。 村長や、有力者、間売筋、役人、響袋、友人││あらゆ しつよう る方面から、執劫に口説いたけれども、金五郎の決心は変 ら な か っ た 。 日ごろ、金五郎を邪魔者あっかいにしている授のスギな ど は 、 ﹁お前は、馬鹿ぞな。こがいな棚ボタぱなしが、世界のど の 1レ こにあるもんか。わたしがお前なら、耐火斗をくわえて、飛 ん で 行 く が ﹂ と、義弟の無慾を罵倒した。 黒石の一人娘ヤスも、﹁金さんでなければ、いや﹂とい っ て 、 駄 々 、 を こ ね て い る と の こ と で あ る 。 金五郎は、窮した。 ﹁なあ、金さん﹂司は、もうひと押しというように、﹁あ
22 んた、さっき、男らしゅう定めよう、と、いうたなあ? それは、ここのことぞな。さあ、思いきって、手を打とう じ ゃ な い け ? ﹂ ﹁わかりました。わたしが、黒石の養子に行けば、蜜柑を 令一部、四で、引きとってくれるというんですね?﹂ ﹁ そ の と お り ﹂ ﹁四で、値引きを一つもせず、即金で払ってくれるという ん で す ね ? ﹂ ﹁ そ の と お り ﹂ ﹁ よ ろ し い 。 手 を 打 ち ま す ﹂ ﹁そうけ﹂と、習は飛びあがって、﹁くどいようじゃが、 黒石の養子のこと、承知じゃな?﹂ 一 承 知 で す ﹂ ﹁おおきに。やっぱり、金さんはものわかりがええ。これ で、三方、丸くおさまるというもんじゃ﹂ それから、金五郎は、﹁相違ナク、黒石家ニ養子ニ参リ マス﹂という証文を書かされた。得再申請面、ほくそ笑んで しょうぜん いる司から、蜜柑の代金をうけとって、情然と、庖を出た。 どうざ 向島になった馬車に乗って、金五郎と清七とは、道後温泉 に行った。湯の町は、松山とはつづいている。 鍛冶屋の滑七は、取引のなりゆきを、心配しながら、見 ていたが、友人が、あんなにもいやがっていた黒石家の養 子を承諾したので、びっくりした。馬車の前部に、肩をな ら べ な が ら 、 ﹁ 金 坊 、 お 前 、 え え の け ? ﹂ と 、 不 審 顔 で 、 き く 。 ア与え、ええ。どういうたって、仕方があるもんか。家の 念場をしのぐにゃあ、もう、この一手じゃ﹂ ﹁そがいにいうても、養子は一生のことぞな、もし﹂ ﹁放っといてくれ。おれに、すとし考えがあるけに﹂ ﹁ そ う け ? ﹂ ﹁それでな、清ちゃん、来るとき頼んだ箪笥の合鍵は、も う作ってもらわんでも、ええ。要らんことになった。今夜 は、湯町で、やりっぱなしに散財しよう。もう、やけ糞じ ゃ 。 お 前 、 つ き あ え よ ﹂ ﹁ そ ら 、 つ き あ い は す る が : ・ : ・ ほ ん と に 、 金 坊 は 、 な に を し で か す か 、 わ か ら ん な あ : ・ : ﹂ ﹁ お 前 に も 、 煙 車 銭 や ろ 。 : : : ほ ら ﹂ ﹁ そ う け ﹂ 萄に、四と吹きかけて、二で治まれば予定どおり、三な も︿さん ら大成功、という目算であったから、金五郎の胴巻は、現 金でふくらんでいる。そのなかから、目の子算で、いくら かをつかみだして、清七の手のひらに握らせた-公 園 に な っ て い る 湯 町 の 入 口 に 、 小 さ い 転 車 問 坦 が あ っ た 。 あまり高級でないガラクタ底である。 馬車を止めると、金五郎は、つかつかと、 た 。 そ の 応 に 入 つ
青 官 ﹁ ゃ あ 、 金 さ ん 、 お い で ﹂ も く ぎ よ 赤鼻で、禿頭の親父が出て来た。木魚のように、口が大 会 、
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すけひろ ﹁こないだから、銭がでけたら貰うというとった助広の短 刀な、あれをおくれんかな﹂ ﹁ が い に 、 儲 か っ た の け ? ﹂ ﹁ 雀 の 涙 ば か り ﹂ ﹁蜜柑じゃあ、今年は、みんなが損ばかりしよるとに、や っぱり、金さんじゃなあ﹂ 紫の袋につつんだ一振りの小刀を、奥からとりだして来 さキ た。うけとると、鞘を抜き、よくあらためてから、金を払 っ た 。 骨 藍 屋 を 出 た 。 ﹁あがいに、前から欲しがっとったのを、とうとう、手に 入 れ た な あ ﹂ 清七も、金五郎の刀剣好きを知っていたので、祝福の言 葉 を の べ た 。 馬車を知りあいの果物庇にあずけて、共同湯に、行った。 ゆ ぷ ね 浴室はいくつかあったが、﹁神の湯﹂という、ひろい湯槽 に 入 っ た 。 イ カ 車日く淀んでいる、ぬらりとした湯に、首まで浸ると、金 五郎は、なにか、ぐったりとなって、不思議な疲れをおぼ えた。白い湯気のなかで、限をとじると、夢を見ているよ ととも うな心地になる。あまりよくない夢である。頭が重く、口 中 が ほ ろ 苦 い 。 と 花 23 そ の 耳 に 、 す ぐ 傍 で 、 あ ん ﹁ 兄 ち ゃ ん や ﹂ という、聞きなれぬ声がきこえた。限をあけた。 じ 刷 、 ︿ ち ひ た カ ︿ が 9 さつきから、一人で、蛇口のすぐ下に浸っていた、角刈 い れ ず み 頭で、色の青黒い、全身に彫青をほどこした、眼つきの鋭 い 男 で あ る 。 ﹁ わ た し で す か ﹂ と、金五郎は、問いかえしたが、すぐに、この男を見る のは、はじめてではないことに気づいた。 先刻、湯槽に降りて来る前、二階の大広間の脱衣場で、 たかぽなし 番茶をすすり、附仰せんぺいをかじりながら、出川七と、高話 ゆか をした ο そのとき、二間とははなれていないところに、浴 もろは必 衣の諸肌をぬいで一人の男が寝ころがっていた。その男に ちがいない。むきだしの痩せた身体を、いっぱいに埋めつ ま ι に や お ろ も い れ ず み くしていた、般若と大蛇の彫育に、見おぼえがある。四十 年 配 だ 。 じようるり 二人は、蜜柑のこと、習のこと、万剣のこと、浄瑠璃の こと、黒石のヤスのこと││手あたりしだいに、話題をと ろう らえて、駄弁を弄していた。そのあげくに、 ﹁今夜、散財するのもええが、大事な現金をたくさん持っ とるけに、早目に切りあげて、帰った方がええぞな﹂ 大きな戸で、そういった清七に、金五郎は、いきなり、 膝をつねって、合図した。かたわらの彫育男が、限をぎら つかせて、聞き耳を立てていることに、気づいたからであ24 る 。 しかし、かんのにぶい清七は、さらに、金五郎から、眼 くぱせされても、まだ、わからず、 ﹁なんするのぞな、無茶しよって。痛いじゃないけ。金さ んの力で、ひねられてたまるもんけ﹂ と、恨むまなざしで、友達を見た。 金五郎は、はがゆくてたまらなかったが、 -e ' M h 伊 ワ ﹁清ちゃん、お前、今度の鋲守祭には、﹃三勝半七﹄を語 る の け ? ﹂ と 、 話 題 を 転 じ た 。 ﹁いんや、﹃太閤記十段目﹄にしようと思うとる。:::じ ゃが、痛いなあ。青じみになったわ。どがいなわけで、金 坊 は 、 こ が い な ひ ど い こ と を : : : ﹂ なおも、清七が、ぶつぶつと、そんなことをいいかける と、寝ころんでいた変な男は、くるりと起きあがった。浴 衣をぬぎ、手拭をぶら下げて、急ぎ足で、湯槽への階段を 降 っ て 行 っ た 。 金五郎は、清七に、﹁もう、銭の話は、すな﹂といまし めた。しばらくして、二人とも、裸になって、湯槽に降り た。すると、そこに、先刻の男がいたのである。﹁神の湯﹂ の札を買ったことを知っていて、待ちかまえていたのかも 知 れ な い 。 ひろい石の浴槽に、客は、三人しかいなかった。 ﹁兄ちゃんは、きれいな身体してるなあ﹂ 角刈の男は、折った手拭を頭にのせたまま、 金五郎の方へ、寄って来た。 E ﹁なに、土百姓じゃけ、泥と一つことです﹂ 金五郎は、しかたなしに、苦笑して、答えた。 き め ﹁いいや、そうじゃない。ほんとに、色が白くて、肌目が こまかい。おれの肌とは大ちがいだ。あんたのような身体 に、彫青したら、そりゃあ、みごとなもんだがなあ﹂ ﹁ 滅 相 も な い 。 百 姓 の 子 が 、 彫 青 な ん て : ・ : ・ ﹂ な に ど し ﹁ 兄 ち ゃ ん は 、 何 年 か ね ? ﹂ た つ ﹁ 辰 で す ﹂ え L Z み 包 帯 ﹁辰?ほう、いい干支だ。おれは、巳の年だから、蛇を り ゅ う ほ 入れたが、兄ちゃんなら、ピシャリ、穏だなあ。彫りあが ったら、惚れぼれするぞ。おれのは、こんなに、汚ねえが •• ﹂ 男は、金五郎の腕まつかんだ。 医者が、患者を診察するような手つきで、しきりと、腕 ゃ、肩を、骨ばった指先で、さすったり、もんだりする。 背中の方まで廻って、眺めながら、 ﹁ ふ ウ む ﹂ と、なにやら、うなずく。 金五郎は、男のするがままに、まかせていた。清七は、 気味わるがって、何度も、相手にするな、という風に、限 ︿ぱせしたり、湯の下で、金五郎の尻をつねったりした。 やがて、怪しい男は、診断を終った医者が、判定をくだ つ う っ と 、
龍 すように、妙なことをいいだした。 ﹁立派な体格だ。おれが女なら、首ったけになるよ。百姓 には惜しい。龍の彫主同一でもしたら、大前田英五郎のような 親分になることは、うけあいだ﹂ この男が土地の者でないことは、言葉からでも、態度か らでも、明瞭だった。道後混泉には、旅の者が多く入湯に 来るから、他国者のいることは珍しくない。しかし、こう きっすい いう、生粋の、江戸弁を使う、全身総彫青の男などは、よく 湯町に来る金五郎も、これまで、見かけたことはなかった。 金五郎は、好奇心をおぼえて、からかってみる気持にな っ た 。 ﹁土ン百姓の子でも、親分になれますか﹂ ﹁ そ り ゃ あ 、 な れ る さ ﹂ ﹁実は、わたしも、侠容が好きなんです。講談本を読んで いて││清水の次郎長や、固定忠治のような親分になりた い な あ 。 : : ・ っ て 、 考 え た こ と は あ り ま す ﹂ あ ん ﹁とんでもねえ、兄ちゃん、そりゃあ、考えちがいだ﹂ ﹁ ど う し て で す ? ﹂ ﹁次郎長や、忠治、ってえのは、いけねえや。侠客の隠摘さ。 喧嘩を売り物にする奴は、駄目だ。ほんとうのいい親分は、 喧嘩をしねえな。だから、大前田英五郎ってえのは、えれ え よ ﹂ ﹁大前田英五郎というのは、知りませんね﹂ ﹁そうよ、斬った張ったをやらねえから、講談や浪花節に と 花 25 は な ら ね え ん だ 。 手 な も の さ ﹂ 金五郎は、はじめは気味のわるい印象を持ったこの男に、 すこし、興味と親しみを感じて来た。 ﹁ 親 分 さ ん ﹂ と 呼 ん で み た 。 男は、ヶッ、ケッ、ヶッ、と、鶏のような芦で笑いだし て 、 ﹁ お れ は 、 親 分 じ ゃ ね え や ﹂ ﹁ そ ん な ら : ・ : ? ﹂ し た ﹁ コ 一 ン 下 さ 。 : : : だ が 、 な に か 用 か ね ? ﹂ ﹁親分になるには、どがいにしたら、ええでしょうか﹂ ﹁さあ、なあ、・::?一口では、いえんなあ。:::兄ち ゃんは、すこしは、ゃんなさるか﹂ ﹁ な に を で す ? ﹂ ﹁ こ れ さ ﹂ きいとろ 男は、右手で、鮫子を投げる恰好をした。しかし、金五 郎には、その意味がわからなかった。 ﹁ そ れ 、 な ん の こ と で ? ﹂ し ろ と ち ょ う は ん ﹁ははあ、兄ちゃん、まだ、ズプの素人だな。丁半さ。ば く ち だ よ ﹂ ﹁ ゃ っ た こ と 、 あ り ま せ ん ﹂ ﹁どうだ、兄ちゃん﹂と、男は限を光らせた。﹁今夜、盆 につきあわねえか。仲間が四五人来てるんだ。面白いぜ﹂ つ ま ら ね え 侠 客 と い う の は 、 みんな、派