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ISSN 0285-9823

第百六十四号

京 都 女 子 大 学 国 ǚ 学 会

平成三十一年一月発行

二 ࠐ 一八年度公開講座 軍記史 ࡢ 終章 ࡲ࡛ ͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐ 笹   川   祥   生 䥹 一 䥺 董   黯   覚   書   (上) ͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐ 黒   田     彰 䥹 三 二 䥺    ̿ 董黯画巻 ࡢ 復元 ̿ 心   ࡟   吹   ࡃ   風 ͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐ 峯   村   至津子 䥹 六 五 䥺    ̿ 樋口一葉 䣓 闇桜 䣔 論 䥹ࡑࡢ 一 䥺 ̿ 太宰治 䣓 碧眼托鉢 䣔࡟࠾ࡅࡿ࢔ࣥࢻ࣭ࣞࢪ䣹ࢻࡢ     講演 䣕ࢩ䣺࣭ࣝࣝࣝ࢖࣭ࣇ䣵ࣜ䣹ࣉ䣖ࡢ 受容 䥹 二 䥺 ͐ 宮     三   世 䥹 九 四 䥺    ̿ 䣓 歓喜 䣔࡜ 䣓 生 ࡢ 躍動 䣔࡟ 満 ࡕࡓ 䣓 市井 ࡢ 正義派 䣔 ࡜ ࡋ ࡚ ࡢࣇ䣵 ࣜ 䣹ࣉ 京都女子大学図書館所蔵 䣕 方丈記 䣖 慶安五年写本 ͐ 中   前   正   志 䥹 一一四 䥺    ̿ ࡶ࠺ 一 ࡘࡢ 名古屋本 ̿ 両足院蔵 䣕 月令抄 䣖 翻刻 ࣭ 解説 䥹 上 䥺 ͐͐͐͐͐͐ 田   上     稔 䥹 一三七 䥺 彙     報 ͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐͐ 䥹 二二 ࠐ 䥺

Ǚ

第百六十四号 平成三十一年一月十五日    印刷 平成三十一年一月三十一日   発行 編 輯 兼 発 行 者 電   話   ࠐ 七五 ̿ 五三一 ̿ 九 ࠐ 七六 㹄㸿㹖   ࠐ 七五 ̿ 五三一 ̿ 九一二 ࠐ 振   替   ࠐ 一 ࠐ 八 ࠐ ̿ 五 ̿ 三 一 四 電   話   ࠐ 七五 ̿ 四四一 ̿ 四一 ࠐ 八㈹ 㹄㸿㹖   ࠐ 七五 ̿ 四三二 ̿ 六二八二 印 刷 所

西

京都女子大学国文学会

ࠛ 六 ࠐ 五 ̿ 八五 ࠐ 一 京都市東山区今熊野北日吉町 三五 番地 ࠛ 六 ࠐ 二 ̿ 八二四六 京都市上京区上長者町通黒門東入

㻌 Ǚ

第 百 六 十 四 号 平成三十一年一月発行 京 都 女 子 大 学 国 ǚ 学 会

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彙   

○ 女子大國文第一六四号 をお 届 けしま す 。 ○ 加納重文先生 のご 逝去 を 悼 む 追悼文 を 掲載 いたしました。 ○ 公開講座 、 学会旅行 の 感想文 を 掲載 しました。    研究室 だより ○ 本学科教授 をお 務 めになりました 加納重文先生 が 逝去 され ま し た。 謹 んで ご 冥福 をお 祈 り 申 し 上 げま す。    二 〇 一八年度国文学会行事 ( 後期 ) ○ 学会旅行 十一月十一日 ( 日 )に 、 学科主任 ・ 運営委員 の 先生方 と 十三 名 の 学生 が 参加 し、 彦根 の 散策 を 行 いました。 加納先生追悼文     加納重文先生 の 訃報   坂  本  信  道   その 人 はゆっくり と 階段 を 降 りて き た 。 一九九一年初夏 、 福岡 のホテル で の ことで ある。 一面識 もなかったが、 どことなく 浮 き 世離 れし た 雰囲気 を 醸 し 出 す 風体 に、あの 人 が 加納先生 に 違 いな い、 と 直感 できた。 京都女子大学 に 赴任 の 決 まった わ た し と 担当 教官今西祐一郎先生 のとこ ろ に 、 専門分野 が 同 じ 平安文学 だと い うこ とで 挨拶 のため 来福 さ れ たの で あった。 こ の 時 から 加納 さん

本名 カノ ウ シゲフミ、 学界 での 通称 ジュ ウ ブ ンさん、 時 に 学 生 は 親炙 からシゲブン 先生 と 呼 ん で いた。 本人 は、 僕 は 国宝 の 次 やねん、 と 言 って い た

と の つ き あいが 始 まった。   初対面 で は あったが、そ れ に 先立 ち 加納 さん とは ち ょ っ と 縁 が あった 。その 少 し 前 、 九州大学 の 国文学研究室 では 、 『 源氏物語 の 研究 』と いう 加納 さんの 著書 が 話題 になっ て いた。 歴史物語 の 専門家 の 本 であ り な が ら 、 源氏 の 研究書 とし て 非常 に 秀 でて いる から ぜひ 買 って 一読 すべし と 、 今西先生 の 評 。とこ ろ がこ の 本 、 「 望 ぼう 稜 りょう 舎 しゃ 」と いう よ く 素性 のわ から な い と こ ろ が 出版元 にな っ て いる 。 調 べて み る と 著者加納 さんみずからが 立 ち 上 げた 出版社 、

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つまり 私家版 で あ るらしく、 書店経由 の 通常 のルート で は 手 に 入 らない。 中古文学会会員 には 案内 が 来 て いたの で 、 修士課程 に 在 学中 の わ たしが 研究室 の 購入者分 を 取 りま と め 、 加納 さんあ て に 直接申 し 込 んだ 。 今思 えば、 高名 な 加納重文先生 に 一介 の 院生 が 手紙 を 書 くと いうこ と で 、 畏 れと 緊張 を 感 じ て いた。しばらくし て、 九州 の 若 い 人 たち か ら 評価 さ れ て う れ しい、 と いった 内容 の 文 が 添 えられ た 大 きな 小包 が 研究室 に 届 いた。 加納 さんに 論文 の 抜 き 刷 りを 送 るようになった き っかけは 、そんなところだった 。 着任 して か ら 、 京女 に わ たし を 呼 ん で く れ たのは 院生時代 に 本 を 大量購入 したから で す よ ね、などと 言 って 笑 った ことも、なつか しく 思 い 出 され る 。   望稜舎 とい えば、 加納 さんらしい 逸話 がある。 本人 の 弁 によ れ ば、 『 日本古代文学地名索引 』 ( 一九八五年   ビク ト リ ー 社 )を 出 した ところ 存外 な 売 れ 行 き、 こ れ な ら 自分 で 出版 すれば 相当 に 儲 かるの で は と の 目論見 から 望稜舎 を 立 ち 上 げたらしい。 会社設立 にあたっ て の 煩雑 な 事務的手続 きなどは、まったく 苦 にしない 性 格 が 学者離 れ し て いる。はたし て 、 二匹目 のドジョ ウとなるはず の『 日本古代文学人名索引 』は 、 こ れ ま た 存外 に 売 れず 不良在庫 となった 。 望稜舎 はその 後数冊 を 出版 し て あっさり と 閉 めて し まった 。 加納 さん 曰 く、 駄目 や、 あ れ は 儲 から ん 。 本人 は 大変 だったのかもし れないが 、 無謀 とし か 思 えないよ こ し まな 企 み と、 竹取物語 の 求婚譚 のごと く あえな い 顚末 は、 加納 さんの 限 り なく 愛 すべ き 人柄 と し て 、いつも 我々 を 魅了 した。も て あまさ れ た 不良在庫 は、その ころ 安 あ 曇 ど 川 がわ 河畔 にあった 加納邸 の、 庭 から 河 原 に 降 りる 道 の 自力開削 の 際 、 階段作 りの 材 とし て 埋設 され た 。 自分 の 著書 とはい え 本 を 埋 めて 道 にす ると は 、 と 思 ったが、 当 の 本人 はまったく 意 に 介 せずだった。 わ た しも 坑書 を 手伝 った。そ うい えば、 当時冷 や 汗 、 今 こん 時 じ 笑 い 咄 の 焚書 の 件 もある が 、 加納 さ んの 名誉 のため、そ れは ここ には 書 くまい。 思 い 当 たる 卒業生 も いるだろう。ただその 時 も、 加納 さんがゼミの 学生 たち か ら 心底 慕 われ、 と い う より 稀有 の 信頼 を 得 て いるのだと 強 く 感 じた こと は、 特記 して お く べ き こ と だ と 思 う。   そ れ にし て も 、 苦学 の 人 だった。 普通 ならば 隠 し て お き たくな るような、 広島県福山 での 自分 の 生 い 立 ちや 、そ こ か ら 必然 と 陥 るにいたった 貧苦 の 中 での 大学生活 を、 初対面 の 日 の 宴席 で 何 の 躊躇 もなく 赤裸々 に 語 り、 呑気 な 大学生活 を 送 って き た わ た しを 驚 かせた。 すで に 歴史物語研究 に 加納重文 あり と 学界 に 名 を 轟 か せて い た 膨大 な 業績 は、 生活 の 資 を 得 るため 思 うよ うに 勉学 の 時 間 が 取 れなかった 鬱屈 の 時代 の 爆発 だったのだろう 。そのせい か、 学問 に 臨 む 姿勢 は、 貪欲 を 超 え、 妄執 と い っ て もよいほ ど

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だった。 研究者 になるべくし て 生 まれて き た 人 に 思 えた。 膨大 な データも 独力 で 採取 し て いた。 普通 ならば 大学院生 など に 任 せる 基礎 データ の 収集 もす べて 独力 だったようだ 。 研究 におい て は 、 甘 く 怠惰 な 研究時間 を 過 ごし て い る 者 など は 信用 し て いなかった のだろう 。だ から 研究 には 金 と 時間 を 惜 しまなかった。パーソナ ル・コンピュータが 出回 り 始 めた ころ、 百万円近 くす る 器具 を 研 究室 と 自宅 に 一台 ずつ 備 え て いた。 地名 と 人名 に 関 する 索引 を 作 るために 買 った と 言 っ て いた。が、 大好 きな 囲碁 のインターネッ ト 対局 のため と い う 疑惑 も 晴 れた わけ では ない 。 囲碁 の 腕前 は 相 当 のものだったようだ。 囲碁 に 時間 を 取 られて い なけれ ば 、 僕 は もう ち ょ っ と ましな 研究者 になれて いたろうに、 と 時折 こぼし て いた。 研究 でも 趣味 でも、 思 い 立 ったらためらいなど 微塵 もない よう に 見 えた。   履歴 につい て は 他人 があ れこれ 書 くべき も の で はな いだろう か ら、 「 履歴 にな い 話 」 ( 「 芬陀利華 」 第二一六号   一九九七年五月 二十六日   京都女子大学宗教部 )に 加納 さん 自身 が 書 い て いるの で、 そ ち ら に 譲 る こ ととす る。そ こ に も 書 かれて い るが 、 東京教 育大学 での 学生時代 、 担当教授 では なく 、 天才肌 の 小西甚一教授 のほうに 心酔 して い た と 、 加納 さんがよく 話 し て いた ことを 覚 え て いる。あんな 天才見 た こ とがない、のだそう で ある。 京女大 の 研究室 の 机 には 、 小 さな 写真立 てが ずっ と 置 い て あった。 これ 誰 か 知 って る か ? 山岸徳平先生 やで 。そう 言 った 時 の 加納 さんは 、 なぜか と て も うれ しそうだった。 学問 する に 与 えられ た 人生 の 短 さは 最近 でこ そ 身 にしみるけれど 、 まだ 三十 になったばかりだっ た わ たしには、 加納 さんの 過 ごし てきた 学問 の 時間 への、 懐旧 と 後悔 などわ か るはずはなかった 。うれ し そうな 加納 さんの 心 に は、 学問 に 取 り 組 み 始 めた 若 き 日 の 自分 へのなつかしさ と 、 そ れ を 振 り 返 った 時 の 苦 い 諦念 が 去来 し て いたの で は ないか と 、 今 で は 少 しだけ 思 いあたる 気 がす る。 加納 さんはよく 言 っ て いた。 今 の 学生 はあん な に 自由 に 使 える 贅沢 な 時間 があるのに、なぜ 勉強 しないのか、 僕 は 頭 に 来 るね ん、と 。 同僚教員 となっ て いた わ た しは 耳 が 痛 かった。   同僚 とい えば、 加納 さん とはふ た ま わ りほ ど 年 が 離 れて いるの で、 企業 であ れ ば 上司 と 部下 とい う 関係 なの だろうが、 大学 では そう いうこ と はな く、 同僚 だった。 少 なく とも、 は るか 下臈 のわ たし を 同僚 とし て 加納 さんは 遇 して くれ た 。 学問 の 上 では 仰 ぎ 見 る 存在 だった け れど。 同 じ 職場 で 同 じ 平安文学 を 専攻 する 身 とし ては、 最高 の 環境 を 作 って くれ た 。 加納 さんの 傘 の 下 での う の う とし てい た わ た し は 、 加納 さんが 定年 で 京女大 を 去 り 動揺 した 。 加納 さんの 代 わり な ど と て も 務 まら な い と 思 った。 十二年経 った

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今 もそ れは 変 わっ てい な い 。   退職後 の 二 ○ 一 ○ 年秋 、 中古文学会 が 京都 で 開催 さ れ るの を 機 に、 加納 さん 恒例 の 、いささか 無謀 とも 言 える 企画 が 遂行 され た。 学会員 の 有志 を 募 り、 琵琶湖北岸 の 塩津 から 、 紫式部 が 越前 往還 に 通 った で あ ろう 古道 を 峠越 えし て た どろう と い う もの だ 。 健脚 の 加納 さんは 平気 だが、 参加者 の 大半 は そ こそ この ご 年齢 の 大学教員 、しかもほ と ん どが 女性 とい う 足弱 な 団体 での 峠越 え、 かな りの 不安 を 抱 えて の 開催 だった。 懸念 が 案 の 定 とい う 当日 の 状況 だった が 、そ こは 加納 さん、いつものなん と か なるさ、 と い うより も 何 ら 危惧 を 感 じ て いないらしく、 行事 を 完遂 させ た。 周 囲 が 冷 や 汗 を かくのも 如 つねのごとし 常 だった。 こ の 時 のこ と は 、 『 源氏物語 の 平安京 』 ( 二 〇 一一年   青 䡭 舎 )に 詳 しいの で ぜ ひ に そ ち らを 乞 う 御覧 。こ の 本 、 何 しろ 平安時代 の 歴史資料 と 文学 に 精通 した 加納 さんによる 平安時代地理 ガイドだから、 学問的質 の 高 さ・ 正 確 さは 言 うま でもない が、 道 のある ところもない と ころも 自分 の 足 と 目 で 確 かめ て いるの で 、 机上 で 組 み 立 て たガイド 本 とは 桁違 いの すごさ と 説得力 がある。 加納 さんの 本領 があま す ところなく 出 てい る 本 だと 思 う。その 後 、 呑 み 屋 での 話 のつい で に 、 加納 さ ん 版 の 京都 のガイド 本 を、 一般向 けに 書 い て ほしい と 頼 んだこと がある。 原典 の 読 みの 正確 さと 足 で 確 かめた 精度 の 高 さ、 これ ま で のガイド 本 を 凌駕 する か ら 、 間違 いな く 売 れ る!、 と 持 ちか け てみ た 。 も ち ろ ん 、 そ の 本 をい ちばん 熱望 し て いるのは 、 わ た しだ った 。 売 れる 、 の ひと ことが 功 を 奏 したのか 、 加納 さんも ちょ っ と 心 が 動 いたようだった。だが、その 本 が 世 に 出 るこ と は なく、 加納 さんは 死 ん で しまった。   京女大 を 退任 する 折 、 坂本 さんにはずっ と 怒 られ っぱな し だっ たなあ、 と 加納 さんが 言 った。 即座 に、 怒 られ るような ことす る から です よ、 と ま た 叱 られ る。たしかに、 学務 のこ と で は 加納 さ んを よ く 叱 ったなあ と 思 う。 学生 には まだ 公開 しな い で ね 、 と い うこ と を 、 正直 な 加納 さんはす ぐに 漏 らし て し ま う 。 学生 への 説 明会 の 直前 に 注意 したのに、 九十分経 って 戻 って 来 た 時 にはもう 話 し て いた 、 と いう こともあった 。だから 、 加納 さんは 叱 られ る。しかし、 心底怒 らなければならないような ことは、 一度 たり ともなかった。 社会 の 建前 を 嫌 い、つい 裏 の 本音 を 学生 に 伝 えて しまう 、 加納 さんの 実直 さ と や さしさ を 強 く 感 じて い た 。で も 、 今回 はほん と うに 加納 さん を 叱 らなければならない。 どうし て こ んな に 早 く 死 んだ。あなたにしか できない 仕事 は 、 まだ まだ たく さんあったのに。 約束 した 京都 ガイド 本 も 受 け 取 っ て ない。ほん とうにほん とうに、なん て 多 くの 仕事 を 残 して 死 んだ のだ 。 頭 に 来 て 頭 に 来 て、 涙 が 出 る。

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  病気 だとわ か っ て 数年 、 手紙 の や り と りしか できなかった。 意 気地 のな い わ たしは 、 死 と 向 き 合 って い る 加納 さん を 直接訪 ねる 勇気 がなかった 。 蔵書 はす べて 処分 した と い う 手紙 が 来 た 時 は、 その 絶望 を 思 うと いたたま れなかった。 最後 の 著書 となった『 九 条兼実

社稷 の 志 、 天意神慮 に 答 える 者 か

』 ( 二 〇 一六年   ミネルヴァ 書房 )を まと めて い る 時 の 加納 さんは、 残 され た 時 間 のな さを 覚悟 し て いた 、そ れで も 諦 めき れ な い 様子 であ ら れ た、 と 仄聞 した。   筑紫 の 国 にく すぶっ て いた わ た し を 拾 って 都 へ 連 れて 来 てく れ た 加納 さんへの 恩返 しは 、 論文 でし か 出来 ない。 だ が 同 じ 平安文 学 でも 研究対象 を 異 にし て いるの で 、 これ ま で 加納 さんの 論文 を 引 いた ことはなかった。 王命婦 のこ と を 書 くにあたり、 加納 さん の 女官 や 女房 につい て の 論考 を 引用 する 機会 を 初 めて 得 た。 刷 り 上 がった ら 送 り、 わ ず か で も 学恩 を 返 したい と 思 って い た が 、 九 月 に 刷 り 上 がった 女子大國文 は、 間 に 合 わ な かった。   名誉教授加納重文先生死去 の 報 がご 遺族 から 届 いた。 二 〇 一八 年八月十一日逝去 、 七十七歳 。 思 えば、 本学国文学科 を 去 られて 十二年 。 わ たしが 加納 さん と 福岡 で 会 って か ら 二十七年 が 過 ぎて いた。 退職後 もずっ と 京女 の 国文学科 のありようを 、 国文学 を 正 しく 学 ぶこ と の で き る 大学 であ り 続 けられ る ことを 願 い 心配 して くれて い た 加納 さん。 松本清張 が 大好 きで 、 一時 は 本気 で 清張研 究 に 取 り 組 み、 二冊 も 著書 を 上梓 し て しまったなん とも 愛 すべ き ロマンチスト 加納 さん。さようなら。 すべ て におい て 、ありがと う。 【 公開講座聴講記 】 ( 六月七日 )     「 軍記史 の 終章 」を 聴講 して 二回生   樫  原  ま   い   今回春 の 公開講座 におい て 、かつ て 本学 で 教鞭 をとられて い た とい う 軍記史 がご 専門 の 笹川祥生先生 から 貴重 なお 話 を 伺 う 機会 を 得 た。   講義内容 は、 最初 にそもそも 軍記物語 の 定義 とは 何 かと いう 提 起 と、 軍記物語 が 成立 す るための 条件 が 挙 げられ た。まず 作品 の 主題 となる 戦 があり、そ れを 目 の 当 たりに す るか、 伝 え 聞 くかの 違 いはあるが、その 戦 の 情報 を 得 た 人物 がいる こ と 、そし て 人物 が 戦 につい て 書 くために 必要 な 文字 とい う 手段 を 持 って い る こ と など が 最低限 の 成立要素 となる。ただしそ れ だけ で 作品 が 生 まれ るわ けで は も ち ろ ん な く 、 作者 となる 人物 がその 戦 から 何 かを 読

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み 取 り、 感 じ、 世 の 人 に 伝 えたい と 考 えたために 執筆 がなさ れ た。そのため、 同 じ 戦 を 主題 にと って も 、 作者 によっ て そ れをど う 感 じ 表現 する か は 全 く 異 なっ て く る と いう。ほかにも、 作者 の 身分 や 立場 、 生 きた 年代 によっ て も 、 事件 の 受 け 止 め 方 は 変 わっ て く るはず で ある。   執筆時期 の 差 を 示 す 例 とし て、 一 、 戦 を 体験 した 世代 、 二 、 戦 争体験 はないが 同時代 を 生 きた 世代 、 三 、 親 やそ れよ り 上 の 世代 が 語 る 戦争体験 を 聞 いた 世代 または 書籍 によっ て 学 んだ 知識 がす べて の 世代 、などを 挙 げて 、 戦争体験 の 有無 や 関与 する 程度 の 差 によっ て 当事者意識 や 理解 の 程度 に 差 が 生 じる ことがある と 説 か れた 。 こ の 説明 は 私 にと って は 非常 に 理解 がし やす かった。 と い うの も、 私 の 亡 き 祖父 が 戦争 を 体験 し て 、その 際 の 話 を 私 がま だ 幼 いこ ろ か ら 語 っ て く れ たため で ある。つまり、 ここで い う 三 に あたる 。 戦争中 は 死 に 物狂 いで 戦 い、 感覚 が 麻痺 し て いたため 、 看護婦 に 驚 か れ るま で 脚 に 弾 を 受 けた こと にさえ 気 づかなかった こと 、その 弾 が 脚 の 中 に 残 ったまま で 今 でも 痛 みが 残 っ て いる こ と、 友人 の 兵士 と 夜歓談 し、 次 の 朝 には 友人 が 冷 たくなっ て い た こと 、シベ リ ア に 抑留 されて 鉄道工事 を 強制 され 、 厳 しい 労働 や 貧 しい 食事 に 終戦後 にも 関 わらず 幾人 もの 仲間 が 倒 れた ことな ど たくさんの 話 をし てく れた 。 加 えて 私自身 その 話 に 興味 をもっ て シベ リ ア 抑留者 の 書 いた 書籍 などを 読 んで い た せ い で 、 ど こ まで が 祖父 の 体験 でど こ か らが 書籍 から 得 た 情報 だったか、おぼろげ になっ て しまった 部分 もある。よっ て 、 こ の ように 私 と 祖父 のよ うな 世代 の 違 う 執筆者 が 書 いた 作品 ををひと くくりに 語 るのは 危 険 であ る と 私自身 も 感 じる。 祖父 の 話 を 聞 いて いて ひ ど いと 思 う 話 もたくさんあったが、 ここで 私 が 思 う ひ どさ と、 祖父 が 体験 し たひ ど さ と は 想像 もで き な い く ら い かけ 離 れて いると 思 われる 。 もち ろ ん 必 ずし も 経験者 の 理解 がす べて 正確 で、 後 の 世代 の 執筆 者 が 間違 って い る と は 言 わない が 、 両者 の 間 にある 差異 は 読者 の 側 も 意識 する 必要 があるの で は ないか と 思 う。   ここ ま で は 執筆 の 当事者 の 問題 であ る が 、 次 に 時代 の 変化 に 伴 う 軍記物語自体 の 質 の 変化 の 問題 もある。 江戸時代以降 、 戦 とい えるほ ど 大 きな 戦乱 は、 国内 で は ほと んど 起 こらない。 第二次大 戦 など は 大規模 ではあ る が、 江戸時代以前 の 戦 とは 明 らかに 異質 で ある。 戦時中 、 言論統制 や 検閲 など が 横行 し、 政治権力 の 側 に 立 った 作品 ばかり が 広 まった。よっ て 、 そうした 戦争 を 取 り 巻 く 状況 の 違 いに 合 わせ て 戦 の 呼称 も「 軍記 」と 「 戦記 」に 呼 び 分 け られ るようになった。 以上 のように、 軍記物語 は 戦 が 起 こっ た 時 代 や 状況 、 執筆者 の 出自 や 信条 、 年代 など によっ て 全 く 性格 の 異 なる、 戦 の 享受 のありかたが 窺 える もの で あ る と 知 った。

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    公開講座 に 参加 して 三回生   小  山    咲   今回 の 公開講座 は、 『 軍記史 の 終章 』と いう 題 で 軍記史 の 大 ま かな 流 れ、 歴史 、そ れぞれ の 作品 がど のようなもの で あったのか とい う こ とに つ い て 笹川祥生先生 にご 講演 し て いただき ました 。 軍記 の 歴史 はとて も 長 く、 前史 とし て 『 古事記 』や 『 日本書紀 』 の 時代 から 、 近世 ま で いたる と い う 事 を 学 びました。 敗者 の 嘆 き など 、 戦争自体 より、その 周 りの 環境 につい て 記 したもの や 、 戦 争 を 用 いて 政治 などを 批判 する もの な ど 、 軍記 を 名 のっ て い るが 軍記 で は ないものなどがあり、 軍記 とい う 定義 がそ もそ も 難 しい のだなと 感 じました。   軍記 の 研究 は『 平家物語 』 『 太平記 』への 集中 が 強 く、 加 えて それ ぞれ の 時代 、 作品 に 精通 して い る 必要 がある と い う 言葉 を 聞 き、 通史研究 を 行 うこ と は とて も 難 しいものだと 改 めて 感 じまし た。また、 軍記 は 古 くから 始 まり、 長 い 歴史 の 中 で 様々 な 内容 の もの が 作 られてき たもの で あり、 一言 で 軍記 とい っ て もそ の 容態 は 様々 で、 作品 ごと に 細 かく 違 うもの で ある と 今回 の 講義 を 受講 して 、 深 く 考 えさせられ ました。   中 でも、 特 に 印象 に 残 った『 平家物語 』と 『 太平記 』を 比較 し てい た 部分 につい て 記 そうと 思 いま す 。 学会 などで は 室町軍記 と いうと 『 明徳記 』 以降 の 作品 を 指 すの だそ う で すが 、 笹川先生 は『 太平記 』も 室町時代 のもの で あるの で 「 室町初期軍記 」と い う 枠 を つ けられて いました 。 『 太平記 』は 人 の 限界 と 可能性 につ いて 描 かれて お り 、 『 平家物語 』と は 違 う 一面 を 持 つと いうこ と が 実際 に 用例 を 見 るこ と で 分 かるのだそう で す 。 『 平家物語 』で は、 「 ⓐ一門運尽 きて 、けふ 既 に 帝都 を 罷 り 出 て 候 。 ⓑ ちか ご ろ は 源氏 の 運 かたぶき 、 ⓒ入道 の 悪行超過 せるによッ て 、 一門 の 運 命 すで につ き ん ずるに こ そ。 ⓓ今年又入道相国 うせ 給 ひぬ 。 運命 の 末 にな る 事 あらはなりしかば、 ⓔ若不思議 に 運命 ひら け て 、 又 都 へた ち か へらせ 給 はん 時 は 、ありがた き 御情 でこ そ 候 はん ず れ。 」 と い う ふ う に 、 平家 が 都 を 離 れる の も 運 が 尽 きた か ら だ と 記 され るなど 、 根本 には 「 人 は 運 を 変 えられない」 と い う 考 え 方 がある こ とが 分 かりました。 対 して 『 太平記 』で は 「 ⓐ サシモノ 名将勇士 ナリシカ 共 、 運尽 キテ 討 タルヽ ヲ 知 ル 人更 ニ 無 カリ シ カ バ、 続 イテ 助 クル 人 モナ シ 。 ⓑ伊豆駿河辺 ニ 相支 ヘ、 合戦仕 リテ 運 ノ 程 ヲ 見候 ハン 。 ( 略 ) ⓕ勝 ツニ 乗 リテ 追懸 ケ、 敵 ヲ 千里 ノ 外 ニ 追散 シ、 御運 ヲ 一時 ニ 可開 。 ⓖ運命天 ニア リ 。 名 ヲ 惜 マント ハ 思 ハザ ランヤ 。 ⓗ我縦 ヒ 運命尽 キテ 戦場 ニ 命 ヲ 失 フ 共 、 君何 クニ モ 御座有 リト 承 ラバ ( 略 ) 」 と い う ふ う に 、 「 運 は 開 くこ と が 出来

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るもの」 と い う 考 え 方 があるのだと いう ことを 知 るこ と が 出来 ま した。 軍記 とい う 枠組 みの 中 でも、 考 え 方 は 様々 あるのだと いう 事 がとて も 詳 しく 述 べられて おり、 分 かり やす く、あらため て 大 変勉強 になりました。 【 国文学会旅行印象記 】 ( 十一月十一日 )     秋 の 彦根   歴史 と 文化 にふれる 旅 三回生   久  保  千  宙   今回 の 国文学会旅行 では、 大河 ドラ マ『おんな 城主   直虎 』で 話題 となった 彦根 に 行 き ました。 私 は 滋賀県 に 行 くのは 今回 が 初 め て だったため、 ど の ような 旅 になるのか と 、 わ く わ くした 気持 ちで 集合場所 の 京都駅 に 向 かいました。   学会旅行 の 担当 の 方 のお 手製 の「 旅 のしおり」 を い ただき 、 ま ずは 彦根城 に 向 かう こと になりました 。 「 旅 のしおり」は 学会旅 行委員 の 方 が、 見学場所 の 紹介 、グルメスポット 、 お す す め ス ポットなど 、 見学先 の 歴史的 な 情報 や、 楽 しい 注目 ポイントをと ても 分 かり やす くま と め て く ださっ て いました。 こ の 「 旅 のしお り」のおかげ で 、より 楽 しく、 様々 なこ と を 学 ぶこ と が で き ま し た。   最初 に 見学 したのは 彦根城博物館 です。 彦根 の 歴史 や 文化 を 学 ぶこ と が で き る 美術工芸品 や 古文書 を たくさん 見 るこ と が で き ま し た 。 ま た、 「 長曾祢虎徹 ― 新刀随一 の 匠 ―」 と い う 特別展 をみ る こ とが でき ました。 こ の 特別展 では、 彦根 の 長曽根村 に 起源 を 持 つと され る 長曾祢鍛冶 に 連 なる 刀工 で、 江戸時代前期 に 活躍 し た 長曾祢虎徹 を 取 り 上 げ、その 作品 を 多 く 展示 し て おり、 実際 に 見 るこ と は 珍 しい 日本刀 を 間近 で 見 る こ とが でき ました。 私自身 あんなにたくさんの 日本刀 を 見 たのは 初 めて で し た が 、 一 つ 一 つ 大 きさ や 刻 まれて い る 文字 など が 異 なり 、 ほ とん どの 刀 が 傷 ひと つなく、 とて も 美 しいもの で した。   博物館 はとて も 広 く、たくさんの 展示 がありましたが、その 中 でも 印象 に 残 ったのが 能 に 関 する 展示 です。 面 や 衣装 がい ろい ろ あり 、 と て も 興味深 かった です 。また 、 彦根城博物館 の 中央 に は、 表御殿 の 中 で 唯一現存 する 江戸時代 の 建物 であ る 能舞台 があ りました。かなり 近 いとこ ろ から 見 るこ と が で き 、 毎年 「 彦根城 能 」や 「 狂言 の 集 い」 を 開催 して お り 、 見 るこ と が で き ると 知 り、ぜ ひ 見 て みたい と 思 いました。   彦根城博物館 を 出 たお 堀 では、 鉄砲隊 の 方々 の 実演 を 見 るこ と が で き ました。 五人 ほど の 鉄砲隊 の 方々 が 戦国時代 のような 赤 い

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甲冑 を 身 につけ て 一列 に 並 び、 一斉 に 撃 ったり、 一人 ずつ 順番 に 撃 ったり と い う 実演 で した。 想像 し て いたよりもかなり 音 が 大 き く、 驚 き ましたが、 実際 に 火縄銃 の 実演 を 見 たり 聞 いたり す る 体 験 はなかなか で きない と 思 いま す 。   そし て いよいよ 国宝 ・ 彦根城天守閣 に 向 かっ て 長 い 石段 を 頑 張 って 上 りました。 天守閣 の 中 では、 階段 とい うよ り 梯子 とい っ たほうが 良 いような 角度 の 階段 を 上 り、 大変 な 思 い を しました が、 天守閣 から は 登 って き た 景色 を 一望 でき、 遠 くに 琵琶湖 まで 見 る こ とが でき ました。   次 に 向 かった 名勝 ・ 玄宮楽々園 は、 彦根城 の 北東 にある 大名庭 園 で、 琵琶湖 や 中国 の 瀟湘八景 にち な ん で 選 ばれ た 近江八景 を 模 して 四代藩主直興 が 造営 したもの、 と いう ことで した。 台風 の 被 害 が 少 し 見 られ ましたが、 大 きな 池泉 や 紅葉 がとて も 美 しい 庭園 で した。   その 後 は 自由行動 とい う こ と で 、 「 旅 のしおり」のグルメス ポットを 頼 りに 昼食 を 食 べました。たくさん 歩 いて 疲 れた あ と に 食 べた 近江牛 の 焼肉丼 は、 本当 においしかった です 。また、 日本 茶専門店 の 限定抹茶 ソフ ト ク リーム は 抹茶 の 香 や 味 がしっかりし てい て、 近江牛 でお 腹 いっぱい、 と 言 いながらも あ っと いう 間 に 食 べ て しまいました。   朝 は 少 し 曇 っ て いましたが、よい 天気 に 恵 まれ 、 道中 、 電車 か ら 見 えた 景色 や、 彦根城 、 玄宮楽々園 では 美 しい 紅葉 を 見 るこ と がで き 、 彦根 の 秋 を 満喫 できた 一日 となりました。   京都 に 帰 り 着 くと 、 お 忙 しい 中 、 中前先生 にも お 越 しいただ き、 食事会 が 開 か れ ました。 普段 は 授業以外 でお 話 する ことは 少 ない 先生方 や、 学年 の 違 う 参加者 の 皆 さん とも、 食事 をし な が ら 彦根 で 見 た こ とをはじめ 、たくさんお 話 がで き 、 とて も 楽 しく 、 有意義 な 時間 を 過 ごすことが で き ました。   最後 になりましたが 、 お 忙 しい 中引率 し て くださった 池原先 生 、 山中先生 、 川島先生 、お 仕事 の あ とに わざ わざ 来 てく だ さ っ た 中前先生 、 こ のような 楽 しい 旅 を 計画 し て くださった 学会旅行 委員 のお 二方 、 本当 にありがとうございました。 とて も 有意義 で 楽 しい 時間 を 過 ごすことが で き ました 。 国文学会旅行 に 参加 し て、 本当 に 良 かった です 。

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    『 女子大國文 』 投稿規定 一 、 ( 投稿資格 )   ①  京都女子大学国文学会 の 会員 は 投稿 する ことが で きる 。   ②  京都女子大学国文学会 の 会員以外 の 者 も、 編集事務局 の 判 断 で 寄稿 を 認 める。 二 、 ( 刊行回数 ・ 時期 ・ 投稿 の 締 め 切 り)   ①  毎年二回 、 九月 と 一月 に 刊行 する 。   ②  毎年 、 五月十日 と 九月三十日 を 投稿 の 締 め 切 りと す る ( 厳 守 ) 。 三 、 ( 投稿 の 枚数 )   枚数 は 原則 とし て 自由 であ る が 、 四百字詰原稿用紙 、 四十 枚 ( 注 ・ 表 ・ 図版 などを 含 む) を 目安 とす る 。また 、 完全原 稿 であ る こ と を 原則 とす る ( 多少 の 加筆訂正 はやむ を 得 ない が、 段落 や 章 の 差 し 替 えなど 大幅 な 修正 を 加 えた もの は 、 査 読 を 行 う 関係上不可 ) 。 四 、 ( 投稿 に 際 して 提出 すべ きもの)   ①  手書 き 原稿 の 場合 、 投稿原稿二部 ( 審査用 。 二部 ともコピ ー したもの で も 可 ) 。   ②  ワー プロ 原稿 の 場合 、プ リントア ウトしたもの 二部 ( 審査 用 )と 、 投稿原稿 が 収 められて いる 電子 データ ( ワー プロ 専用機 の 場合 は 機種 、パソコンを 使用 の 場合 はワ ープロ ソ フト 名 を 通知 する こと) 。 五 、 ( 投稿 に 際 して の 注意事項 )   ①  論文末尾 に 所属 、 回生 、 卒業年度 などを 丸 ガッコに 括 って 記 すこと 。 本学 の 教員 ・ 院生 ・ 学生 の 場合 は、 ( 本学教授 ) ( 本 学大学院博士後期課程 ) ( 本学文学部国文学科四回生 )など と 記 す。   ②  連絡先 の 住所 を 記 した 別紙 を 添 える こと ( 採否 の 知 らせ や 校正送付等 のため) 。その 際 、 投稿原稿 につい て の 連絡事 項 をす み や かに 行 うために 、 差 し 支 えなければ、 電話番号 ・ ファッ ク ス 番号 ・メー ル アドレ ス など も 添 える こと 。 内部 の 教員 ・ 院生 ・ 学生 は 直接原稿 のや りと りを す る ので 、 住 所 は 不要 だが 、 必要 に 応 じて 電話番号 やメールア ド レス を 『 女子大國文 』 編集事務局 から 聞 くこ と が あ る 。こ れ ら の 個 人情報 につい て は 、 投稿原稿 につい て の 連絡以外 に 使用 す

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るこ と は し な い 。 六 、 ( 投稿先 )    投稿先 は 以下 の 通 り。    〒 六 〇 五 ― 八五 〇 一  京都市東山区今熊野北日吉町三五番地        京都女子大学国文学会 『 女子大國文 』 編集事務局 七 、 ( 投稿論文 の 採否 )   投稿論文 の 採否 は、 編集委員 の 査読 、または 関連分野 の 外 部研究者査読 の 結果 を 経 て、 編集委員会 にて 決定 し、 結果 を 投稿者 に 通知 する 。 八 、 ( 校正 )   校正 は 原則 とし て 、 再校 まで と す る 。 校正段階 での 大幅 な 修正 は、 査読 を 経 た 関係上認 められ な い。 九 、 ( 本誌 ・ 抜 き 刷 りの 贈呈 )   投稿論文 が 掲載 され た 場合 、 本誌二部 、 抜 き 刷 り 三十部 を 贈 呈 する 。 増刷希望 の 場合 は、 実費執筆者負担 で 受 け 付 けるの で 、 採用 の 通知 を 受 けて からす み や か に 『 女子大國文 』 編集事務 局 まで 連絡 する こと。 十 、 ( 掲載論文 の 著作権及 び 電子媒体 による 公開 )   本誌 に 掲載 され た 論文等 につい て は 著作権 の 複製権 ・ 公衆送信 権 を 京都女子大学国文学会及 び 京都女子大学 に 許諾 する もの と す る。 但 し、 著作権 の 移動 はなく、 著作者 は 両者 、 或 いは いずれ か 一方 への 許諾 をい つ で も 取 り 消 すこと が でき る。   本誌 に 掲載 され た 論文等 の 全文又 は 一部 を 電子化 し、 京都女子 大学学術情報 リポ ジ ト リサ ーバ 或 いは その 他 のコン ピ ューター ネットワーク 上 で 公開 す る ことがある。 十一 、 ( 規定 の 改正 )   ①  本規定 の 改正 は、 会員 の 議決 を 経 なけれ ば ならない。   ②  規定 の 改正 の 結果 は、 すみ やかに 本誌 に 掲載 する 。         附則   本投稿規定 は 平成十八年三月二十日 より 施行 する 。   本投稿規定 は 平成二十三年十月五日 より 一部改正施行 する 。   本投稿規定 は 平成二十四年十月二十四日 より 一部改正施行 する 。

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     編  集  後  記   今号 の 査読委員 は 次 の 方々 です。    川島朋子 ・ 小山順子 ・ 滝川幸司 ・ 山 ゆみ・ 山中延之   以上 の 各氏 に 査読 を 依頼 し、 編集委員会 におい て 査読 の 結果 を 報告 、 審議 の 結果 、 五点 が 掲載 となりました。   なお 本号 は 頁数 が 大幅 に 増加 したため 、 田上氏 の 翻刻 を( 上 ) ( 下 )に 分割 し、 ( 下 )は 次号 に 掲載 す る こと になりました。   また、 笹川祥生先生 に 公開講座 での 御講演内容 を 御寄稿賜 りま した。 厚 く 御礼申 し 上 げま す。   今後 とも、 会員 の 皆様 の 投稿 をお 待 ち し て おりま す 。 ( 小山 ・ 山 )

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