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日本近代体育の思想と実践 (9)

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全文

(1)

保健体育科教育教室 入 己 `ま じ心ウに 明治後期の師範付属および私立の新学校 における全般的な自由教育 の展開 を経 て

,さ

まざまな自 由体育論 とその実践が開花す る大正期 を迎 えることになる。その前期 は

,小

原国芳が書 き綴 ってい るように

,確

かに「面 白さと明 るさ」 に満 ちた時代 であった。 本稿で取 り上 げる成瞑小学校や成城小学校 の自由教育実践

,及

川平治の分団式動的教育論 とその 実践 については

,豊

富な教育史研究の成果 によってその全体像が明 らかにされて きた。 しか し

,

こ れ らの大正期の体育思想や体育科教育実践 に関わ る研究 は

,そ

こに今 日の体育科教育 の理論 な らび に実践の原点 を発見するにもかかわ らず

,な

お不十分 と言 うより

,全

く未開拓 である と言 うのが現 状である。以下

,上

述の新学校

,な

らびに師範附小 における体育論 とその実践 を分析す ることにす る。

4.大

正 前 期 の 新 学 校 と自 由体 育 実 践

1.成

瞑小学校 における鍛練的体育の実践

(1)成

渓小学校の設立理念 明治45年4月 に成瞑実務学校 を創設 した中村春二 は

,同

校 をさらに発展 させ

,大

4年

4月 に成 瞑小学校 を設立 した。中村 は

, 4月

5日 の入学式 に同校 を設立するに至 った経緯のなかで従来の教 育 をいわゆる日前主義 として批判 し

,自

,自

立のための鍛練的教育 を唱導 してい る。 「教育 に関す る理論や技術の研究 は

,今

日の ところ可な り進歩 しているように思 い ます。 しか し, 実際の方面 を見 ると

,遺

憾 に思 うことがはなはだ多いのは心細 い次第です。依 ってわれわれは

,で

きるだけ真剣 になって

,本

当に子供の世話 をしてみたい と思っています。私 は元来

,教

育事業 に興 味 をもっていたため

,物

好 きにも早 くか ら少年子弟 をわが家に引 き受 けて世話 を してみ ました。 そ うして

,常

に教育の不徹底 を嘆いてい ました。 その うちに

,ど

うか自分で思 う存分 にで きる学校 を 経営 して見たい と思 って

,数

年前

,岩

,今

村両氏の賛助 を受 けて実務学校 を設立 す ることにな り ました。いよいよ自分の もの としてや ってみ ると

,や

は り思 うように行かぬ ことが非常 に多かった のです。 それ は

,生

徒が本当にこちらの気持 ちになって くれぬことで した。われわれの考 えている ことと

,生

徒 の考 えていることが一致 しないのです。黙 って無駄な骨折 りをす ることが少 な くあ り 克 江

(2)

入江克己:日本近代体育 の思想 と実践 (9) ませんで した。実務学校の ような特殊 な教育 です ら

,五

年間の卒業間際になって

,は

じめて こち ら の気持ちが分 かるとい う くらいの有様 なのです。 そ こで

,私

はじっ くり考 えました。 これは

,六

ケ年間教育 されて小学校の教育 の根底が悪 いか ら であると考 えたのです。実際

,今

の教育が不徹底 な有様 にあるのは

,小

学校の罪であると思 います。 六 ケ年の教育 さへ うん とやれば

,中

学校 に行 って も大丈夫な筈です。 こういう訳で

,わ

た くしは 小学校の教育 をしっか りや って見たい と思 ったのです。 これが成瞬小学校 を設立 した第一 の原因で す。 これ までの教育 は

,あ

まりに子供 を可愛が り過 ぎた と思います。世話 をや き過 ぎたのです。そ うして

,大

切 なる子供 を意気地な しにして しまったのです。子供 は

,

もちろん可愛 にちがいあ りま せん。可愛 いか らこそ

,

しっか り鍛練 して

,物

の役 に立 つ ように仕立て上 げねばな らないのです。 可愛 いか らこそ,う ん とい じめ抜 いて,真剣 になるような気分 をつ くってや らねばな らないのです。 しかるに

,世

間では

,わ

れわれの鍛練的な教育 を

,誤

解 して種々 な非難 をしてい るもの と思 い ます。 それはもとよ り覚悟の上の ことです。子供 を可愛が るには二つあると思います。一つ は近 い所 を見 て可愛が るもので

,他

の一つは遠 い将来 を見て可愛が ることです。近い所 を見て可愛がれば

,い

き おい子供の言いな りに して

,わ

が ままをさせ るで しょうが

,遠

い将来 に幸福 になれ と祈 る上か らは 幼少の時か ら

,少

しずつで も苦労 をさせ るのが薬 とい うものです。 『可愛い子 には旅 をさせ よ』 と言います。成瞑小学校 では

,入

学の第一 日日か ら

,毎

日毎 日

,遠

足 をさせ るつ もりです。自主 自立の精神 を確立 させ るには

,遠

足が もっともよい と信 ず るか らです。 つ ぎに

,何

事 にも自奮 自励の精神 をもって当た らしめ

,自

分のための教育だ とい うことを

,小

さい 時か らしっか り会得 させたい と思 います。教育 は

,自

分 自身の発達進歩のために

,自

分 か ら進 んで 受 くべ きものだ とい うことが

,本

当に分か りさえすれば

,基

礎の教育 は成功 した と思 って よい と思 い ます。ですか ら

,自

学 自習の習慣 を確立 させ るとい うことが

,小

学校教育 の根底 です。 この根底 をつ くるのが

,わ

が小学校教育の使命であると考 えます。 これが出来ぬほどな ら

,

こうい う特別な 学校 を設立す る必要 はないのです。 いま

,新

入生 をお引受す るに際 して

,こ

れだけは父兄保証人の 方々 に是非 申 し上 げてお きたい と思います。甲 そ して具体的には

,― .家

庭では体育 と躾 を第一 とする

,二

.児

童の訓練 に特 に注意す る

,三

. 各学科 を確実 に児童の頭脳 に入れ込 む

,四

.指

導方法 を改める事

,五

.児

童の個性 に応 じて適 当の 教育 を施す

,六 .鍛

練主義 にて教育す

,七.児

童の心 を尊重す

,八

.田

園生活 を味 はす

,九 .全

責 任 を学校 にて負 う

,十 .児

童の父 を標準 とすべ し

,上 .学

校 にて教 えし事 を活用す

,三.一

級 の定 員二十名

,全

校百八十名以内 とすることを掲 げたが

,同

校では

,小

学校の体育施設 としては

,全

国 で初の20メ ー トルのコンク リー ト・ プールを施設 している。

(2)注

入主義教授批判 中村 は

,成

瞑実務学校 な らびに同小学校の設立の過程 で

,旧

来の教育 に対 しさまざまに批判 を加 え

,鍛

練的な教育 を唱導 しているが

,彼

の言 う鍛練的教育 は

,決

して注入主義教育 と同義語で はな い。む しろ彼 は

,注

入主義教育 を論難 し

,個

性 の尊重 を次のように力説 している。 「可愛い もので

,又

恐 ろしいものは子供である。子供 の可愛 いい といぶ ことは一般 に知 れわた って いる。 ことに女親 な どはあんまり知 りすぎて

,愛

の程度 を越 して却 つて子供 を害 している。 そ して 恐 ろしい とい うことは一般 に知れわたっていない。家庭 において両親 は

,ま

だ子供だか らと一向頓 着な しで愚痴 をこぼ した り

,我

儘 をした り

,不

謹慎 な行為 をす るが

,無

心 と思ぶ子供 は案外 に有心 で

,種

々悪い暗示 を両親か ら受 け

,遂

に心の底 に不良な種子 をまきつけられ る。 これが成人 の後 に

(3)

顕 はれて実 を結ぶか ら争 えない もの/これ と反対 に赤 ん坊の時か ら両親が身 を慎 めば

,そ

の結果 は 成人の後 に両親 に喜悦 をもた らすのである。 白紙 のや うな ものは子供の心である。 といぶ ことを知 っていて も実際の場合 になると

,両

親がその子供 の白紙 であることを認 めないで

,赤

や青や黄や黒 の種々の色素 を平然 として振 り蒔 いて

,顧

みないのは驚 くべ きことである。桝て又学校 にお いては どうかといぶ に

,教

師 は可愛いい とも恐 ろしい とも思 って

,い

ずれ も恰度商品を取扱 うや うに十肥 一か らげ規則 で取締 ま り

,面

倒 ゆえ成 るべ く教へ子 と親 しくない方法 を採 っている。 これで教育 の 効果があった ら

,そ

れ こそ不思議である。教師 は

,子

供が可愛 くないか ら

,不

親切 な取扱 ひをして も児童は何 とも思 はず。恐 ろしくないか ら

,自

己の修養 に就 て も深 く考へないのである。子供が可 愛 いいと思 った ら

,個

性的取扱ひをしなければな らない故

,今

日のや うな一人で多様 の教育 を引 き 受 けるや うな事 は どうあって も出来ない。子供が恐 ろ しかった ら

,今

日のや うに安閑 と世間話や御 役 目的な講習会への出席

,教

案の研究

,頭

脳 のみの修養で満足がで きるわけはない。(中略)顧みれ ば

,私

が二年間小学校 を設立するとき

,友

達 は余計 な事 のや うに思 って

,年

をのば し過 ぎるな と親 切 に忠告せ られた。然 し

,私

はこの忠告 を容れ る ゝには

,あ

まり自信が強過 ぎた ことを今では悦 ん でいる。永 らく解決出来なかった教育上の根本問題が

,小

学校 を設立 して自ら小学校教師 となって 解決 し得たか らである。そ して教育者 といふ ものはあ らゆる職業の内

,最

も神聖な もの最 も愉快 な もの といぶ事がわかって

,今

迄 とは別の天国に逍 遥す るかの心地が したのである。

?

また同校 の主事小瀬松次郎 も

,そ

れ までの教育 を注入主義

,形

成主義であるとして厳 しく批判 し ている。 「現代の教育 で最 も甚だ しい欠陥はなんであ らうか と言 ったら

,そ

れは設備で もなければ

,教

科書 で も無い。教育学の不備で も無 ければ

,教

授法研究 の不足 で も無い。実 に教育 の不徹底 といぶ こと である。如何 に贔負 目に見 て も

,今

日の教育 は徹底 していない。若 し教育が真 によ く徹底す るな ら ば

,教

育の力 は必ず人の信 じてをるよ りも大 なるもの に相違ない。近来教育 の力を疑ふ人の出来て 来たの も

,不

徹底 の事実が原因 した ものである。如何 にせば教育 を徹底せ しむることが出来 るか。 これがわれわれの唯―の研究問題である。否全力 を基 して徹底 せ しむる事が

,唯

―の実行問題 であ る。今の教育者 は教室のみで教育 じやうと思 っている。教壇上が教育作業の唯―の場所 と信ぜ られ ている。言葉 を換へて言ぶ と

,今

の教育 は教室万能の教育 である。 こ ゝが不徹底の最一原因ではあ るまいか。総 て教室内の仕事のみで

,何

うして徹底 す ることが出来 ようか。われわれは寧 ろ唯―の 教育場 と思 はれている教室 を呪ふ ものである。今の教育では薄っぺ らな智識の注人 は出来て も

,人

間 を造 ることは出来ぬ。人間を造 るのは教壇上の講議ではない。実地の鍛練である

Pと

。 さらに小瀬は,「すべての教材は児童の実生活に触れて居 らねばならぬ。児童 と没交渉は材料上の 価値がない。 さういふのに限って理解 もしなければ

,興

味 も起 こらない。今 日の教科書には此の方 面の欠陥がすこぶる多いのは遺憾の至である。殊に算術科において甚だしいやうに思ふ。百迄の数 を自由に取扱ひ得る児童にして,八 銭の買い物に二十銭銀貨を出さば

,釣

銭何程か ゞ合っていない。 これは要するに,実生活に遠い虚数のみを取扱はせている弊害であらうと思うΥと非実際的な教育を 指摘するとともに

,従

来の教育を抑圧的であると断 じている。

「覚よ

,鋭

tと

し宅能力あ俵れ乞党豊患常た進歩を弟かられ

,浩

勤惑加えら

,)ら

れららあ乞お

`ま

いか。斯くして進取の気象も

,向

上の志も

,努

力奮闘の精神も次第に磨滅され行くのである。それ

,卦

う必

tま

集∴。とあ尚

tと

あ宅

,室

落とき狼産ホ注意とあ恙善償も荷蒔じお

善炭きれを各蕉あ心あ

る。見 よ晩慧 に して

,進

歩の遅 き児童は常に重荷 を強い られ

,無

理や りに引 きづ られつつあるで は

蕪∴か。薪蕉じ老彗∫

自宿も

,夫

功基自豊′

きも

,夫

墓読浅あ夫掌惑芽とも自共善未↓

潰きれ宅各蕉

(4)

入江克己:日本近代体育 の思想 と実践 (9)

あ必あ乞

c砦

しホ幸と

としセ庶寂たとあら之れ

,I,進

歩あ如荷た角はらチ

,善

二様

,と

上ヶ卑惑尚生学

年心暮き丞

t登

惑ら丞。とれ必

`港

適央≧あ渫掬た洗んと

,逮

tと

蒸生をえチ惑きあ入物と惑ら宅峯乞

あも

,違

あ当赤と書

,ま

tと

みら丞。之をし宅教昔なりと言ふ事が出来ようか。

?

教育の現実 をこの ように批判する中村

,小

瀬等 は

,特

に教授・学習の問題 を取 り上 げ

,そ

の現実 はいわゆる技術主義

p方

法主義 に短絡 し

,気

分が欠如 していると批判 している。 「如何 に教材 を按排 して も

,教

授法 を巧妙 に して も

,児

童の之 を受 け入れ るべ き門が

,開

かれて居 なかったな らば

,十

分 に入 り込 まう道理がない。吾々 は動 もすると

,閉

じたる門か ら入れ ようと焦 ることが多い。不徹底 に終 はるの も

,実

に無理か らぬ次第である。徒労 といはうか

,無

駄骨 と言は うか

,一

考せねばならぬ ことである。故 に教授せん とす る前 に

,先

づ門戸 を検せ よ。若 し閉 じてあ らば

,先

づ之 を開か しめて後 に教授せねばな らぬ。然 るに今の教育者 は教授方法のみ多大の注意 を 払ひ

,工

夫 を凝 らして

,善

も党豊あ気各 げゝとと魯意 し惑∴。各稜あ商趨 とよ方法あ尚道 と,ま基 蕉

,気

巷 いの問題 であ らうと思ぶ。 これを適 当に解決 して

,後

に教授の方法 を研究 して も遅 くはない。若 し 引 き締 まった気分 と

,緊

張 された注意 とが保 たれるな らば

,教

授 は今 日よ り数倍の効力 を呈するこ と ゝ思 う。書 き方の教授 な どにおて殊 に其の甚だ しい点 を見 る。今 の二年生の如 きは手本 を正確 に 見ない悪習慣が既 についてをるか ら

,殆

ど意味のない習字 をしている。習わせ る前 に手本 をよ く見 るといふ意気込 みを作 ることが差 し当っての急務である。モンテ ッソリーの教授 には

,一

種の魔力 で もあるや うに世の人々 は思 っているが

,決

して然 うではない。唯児童の自ら学 ばん として門戸 を 開いてる気合 いの所 に

,巧

みに投 じて入れ込 むか ら徹底す るまでの ことである。幼少 な児童の修身 教授の如 きはむづか しい理屈 を言 って も分か らぬか ら

,唯

門戸の開いている刹那 に斯 くせ よ

,斯

く す るなと

,簡

単明瞭にその結論のみを打 ち込 むのか

,最

も有効 な訳である。

?

(3)自

学主義教育 の唱導 と実践 以上の ような明治教育 の画―主義

,形

式主義教育 に対 する批判 を通 して

,成

瞑小学校 では自学主 義教育 を唱導 し

,か

つ実践 していった。例 えば小瀬 は

,自

学主義教育 について こう書 いている。 「茎 美惑意栄 ととあ 勝乞自発占象昔 巌未 族あ杢 歯チ 乞薪奉 あg。 従 って一年生か ら自学 自習の習慣 を作 ることに色々工夫 を凝 らしている。殊 に学年の進 むに したが って

,真

に自己の発達進歩 を目的 とする自己蓋力 を自覚 させたい と思 っている。何の為の学習か

,学

習その もの ゝ目的は自己 と何等 の関係あ るかを自覚 させ ることは

,彼

の徒 らの興味 によって学習 させや うとす るや うな浅薄 な もの ではない。(中略

)智

識習得の方法 を知 らしむること ゝ

,自

己修養の工夫 を自得せ しむること ゝは智

識そのものの伝達よりも進に達に大切である。あれられ教肯著あ未芥虐象請み蕉とも自ら告象を歳

得し,自 ら自己を修養し得る手段を悟らしむるにあるのである。

?

また「教寝患象場た焦ある。赤んとも象音患生為と共

tと

蒸ち象昔と

,ま

夫とを調発し

,賞

Jャ

募方

チ之あ気込を砦養し

,自

誉自崩あ藉れを典入

,二

柏あ入尚必造乞語心あ之。決して智識を伝達し

,

技芸を伝授するのみの仕事ではない。然るに父母も教師も教授

,即

ち教育なりとして敢へて怪しま

ぬのは不思議ではあるまいか。人

,と ,ま

主描あ教昔かあお。第二

│ま

花火よう章蕉あもあ必

,第

二あ食

に大切なるものは自ら教育 することである。而 して自ら教育することの第一歩 は自学 自習である。 ゆえに真実の意味 にお ける自学 自習の習慣 は小学時代か ら之 を造 っておかねばな らぬ。 自学 自習の 習慣は唯放任 して置いて出来 るものではない

9と

も記 している。 これ らの理念 は

,実

際には次のようなかたちとなって実現 されている。 「私の学校では入学式の当 日か ら夕方の五時頃迄学校 にお く。一 日殆 ど九時間である。誤解 しては

(5)

な らぬ。毎 日九時間づ ゝ教室 に押 し込んで注入教授などをしているのでは無い。教授 は矢張二時間 乃至三時間が関の山だ。斯 ういへば教授 をしないで

,何

の為 に学校 に置 くか と咎めるであろう。問 題 は此処 だ。私 は斯 くいふ人 に対 して反問 したい。教昔 あ応宅か教農おゝと豊急宅費商 したげす。総て 教育 は教室内に船 いてのみ行 はれ得 るか と。教育

,即

ち教授 な りといふ根本 の誤謬が教室万能の教 授法 を生み

,そ

の教授法が一 日平均二三時間の教授 を是認 し

,そ

れがノー トメーカー と口先 ばか り の人間 とを造 って行 くのである。言を好 むものは言 うであらう。学校の主 とする所 は教授である。 その他の教養訓育 はこれ家庭 の仕事ではないか と。問 うに落ちず して

,語

るに落 ちる。 この思想 こそ即 ち今 日の教育 を堕落せ しめたのである。

P

(4)凝

念法 と裸体教育 自学主義

,活

動主義教育 を唱導す る同校 では

,そ

の方法 として成瞑実務学校創設以来の伝統 とな った凝念法のほか

,裸

体教育

,夏

の学校

,遠

足等の教科外領域 を積極的に教育計画 に組 み込み

,生

活学校への改造 に取 り組 んだが

,小

瀬 は,ま ず鍛練的教育 の意義 について以下の ように記 してい る。 「物事 に十分注意す る時 は

,我

が,いは全身 を指揮 して

,各

方面の動作 を一点 に集注せ しめ

,不

必要 な身体運動 は自ら之 を禁上 し

,専

ら刺激 を受容す るに必要なる活動のみを続 けるものである。即 ち 完全な注意 には動作の完全な物理的統一がある。若 しこの統一がなければ

,視

,而

して見 えず, 聴いて

,而

して聞 こえず。食ふて

,而

して其味 を知 らず といぶ状態にある。故 に吾々は肉体 をよ く 鍛練 して

,心

の忠僕た らしめねばな らぬ。心力 によって以下なる微細 なる刺激にも感応 し得

,又

一 面 にお いては如何 に烈 しい刺激 に も抵抗 し得 る様 にせねばならぬ。(中略)唯今 日の学校 では

,興

味 によって喚起せ らる ゝ衝動的の注意のみを過重 して

,意

力的の注意 を練習せぬか ら

,然

ういぶ事が 出来ぬのである。 この方面の練習 さへ積 めば

,自

己の目を開いて

,も

っ と的確 に観察す ることも出 来や う。 自己の耳 を澄 まして

,

もっと微細 に傾聴す ることも出来や う。 自己の気持 ちを緊張 して も っ と真剣 に収得す ることも出来や う。然 るに今の学校教育 は教授する方法にのみ心 を砕いて

,児

童 の精神 を如何 に統一 してお くべ きかを考へない。」ω こうした発想か ら凝念法 と裸体教育が実施 されているが,凝念法 について小瀬 は,「凝念法 は日一 日と上達 して来た。上 ッ調子のそ ゝッか しい子 も

,幾

分か沈着になって来た。薄弱浮動性 のそわ そ わ した子 ども ゝ多少確 りした態度 を見せて来た。真面 目といぶ ことも

,幾

分 かでて来た。一生懸命 といぶ気分 も多少現れて来た。将来は之 を日常の教授に応用 して

,其

の効果 を収 め ようと思ふ。一 体すべての教授の徹底せぬ原因 は

,児

童が之 を受 け入れる様 な気分 になってを らぬ点 にある。決 し て教授方法の罪 ばか りではない。方法の研究が如何 に進んで も

,教

材が如何 に精選 されて も

,児

童 の気分の此処 に向はぬ以上

,徹

底 した教授 を見 ることは出来 まい」ゆと言 い,また裸体教育 について はこう書 いている。 「遠圭昔 ちあ章未 は皮 も某 え

,花

も寺由 とと由 蕉か

,こ

れを赤入出

)と

,葱

乞完負か象 蕉惑ら老

,萎

れて了ふ。中流以上の家庭 に育つ子弟 はや ゝもすると

,こ

の温室育 ちにな り勝 である。吾人 は裸 で 生 まれて来たのだか ら

,裸

体 で暮 らしさへすれば

,必

ず健康で過 ごす ことが出来 る。吾人 の身体 は 天然に適合すれば至 って丈夫で

,無

病息災だ とさへ言っているもの もある。言 っているばか りでは ない。裸体生活 を実行 しているものす らある。今俄 に斯 る極端なことも出来 まいが

,歩

一歩温室か ら取 り出 して

,外

気 にさらすや うにしたい と思ぶ。」り 具体的には裸体 による駆け足

,気

合いの練習

,寒

風浴

,雨

水浴等を実施 したが

,例

えば雨水浴に ついて

,次

のように報告 している。

(6)

入江克己:日本近代体育の思想 と実践 (9)

「■稜庭党ぁ主疎

tま

詩夫休藻蕩

tと

出た。条語安党墓諜蕉あ赤患悪蕉族休とあ之。瀧あ串ら

,と

落菜乞

詩楠あ永か技等あ定諄入どじとし薙寺を乞。之を莉角し宅ナ

ilを

蓬ら

,亀

を茄毒必寿ら宅遊ふ。

ヽ夕

シЁ寂か舟乞羨》乞慕ら惑蓑詩か経

Jチ

乞と

,歩

芽ルを叢

,と

ききら↓

)先

まま

,ウ

う産蘭基峯からま

雨串に央貴チ乞。共貴し宅

,ま

族合蕉詩あ串た幕圭乞と惑ら宅

,論

永恣。序げ

気毒乞た

,お

ら港か寺

tと

基乞と書ん心げ

之。とれを庶お茜生浩と告

,ま

らお

,女

共ル歩蒟訂

1族

とご

患らお

。蕪狭抱と鴬ら

んもあ

│ま

鴬れ。苔曳と輸らんもあ

1ま

輸れ。費美甫

J庭

あ意気と塾荘議庭あ体力と

t津

1と

み勝之叢義

のみでは鍛え得ない。」°

一方同校における活動主義教育の実践的意義について

,小

瀬は

,修

養という観点から「裸体にな

をあも

,菌

芸必チ之あも

,作

巣惑チをあも

,

自完

tと

曲き九乞あも

,空

気港も永港も

,遊

歳もとれ恙

蕉修豊に基ら丞患基∫

。各議注入あ泳か象肯あチペ老たとま浩し宅∴る坑

Aあ

象昔象

tと

,虎

あ芥

うきち先造違ム践

,&義

あ息ぢ

も知んム。見よ現代人の悲劇は殆ど知っていても

,行

ぶことの出来

ぬ所か ら起 っているではあるまいか。人 には智愚賢鈍の差別 はある。併 し実行上 の こととなると, 智者 も愚者 も往々大差のないことがある。人生 に関す る様 々な智識 を最 も豊富に

,最

も秩序正 しく 貯へている筈の智識階級 に存外不徳漢の多いのは否定すべか らざる事実である。 これ は回 よ り複雑

な原因があらうが

,各

昔あみ備豊し宅

,意

志あ教昔を議泳基お

ら先ホ真基学秩教昔も

,権

tと

其あ

二因であらうと思ふJり と述べているが,これは明治後期の修養論的な教育論の文脈の うえにあると 言えよう。

(5)活

動主義体育の実践 活動主義

,鍛

練的教育を重視する同校では

,裸

体教育 とともに教育の中心に体育 を位置づけ

,自

動主義的な体育が唱導され

,実

践 されている。同校では

,意

志的体操のほか戸外遊戯

,遠

,ス

ポ ーツを人物の修養 という観点から内容化されていった。小瀬は

,こ

う書いている。

「然らば其根本問題とは何か。曰く他なし。象音著あ杭生よう浩表と

とし宅

,命

も粂角みち掌法と歳

芸らしあ

,歳

訣毒肖も象農蒔肖庄尚穣た

,夫

功みる象昔あ蒔歯春るととを覧違とし心乏董心ある。

教室内の教授のみが

,決

して教育 の全部では無い。子供 に とって遊戯 も亦尊 い教育 の仕事 である。 遊戯が既に教育であるといふ事 をしらば

,放

課時間だ とて

,決

して棄てお く事 はな らぬ訳である。 否只 に棄ておかぬ許 りでは無い。適当に指導誘放 して遊 ばさねばならぬ。若 し教育者が少 し く此処 に注意す るな らば

,彼

の百鬼夜行の如 き有様 な運動場 も

,漸

次に活 きた修身教室 と化す ことであら ぅ。」6) さらに運動場 の教育的意義 を

,こ

う指摘 している。

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,ま

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歯霊あ休藻

教農と尚二税与乞ととか出来丞。砦し教請あ黙宅かキ芥串三年芥の休恙蒔歯たも

,教

入字と共た遊

,教

入字と共た藷ら∫

,燃

宅あ美各占芳歯を訪入導蕉惑ら

tと

,教

音あ崩菓は各倍

tと

チ之あ心あ

らう。然 るに方今 の中小学校が殆 どこの方面 を顧 みて居 ないのは遺憾である。偶々運動場 に注意す る者があって も

,夫

れは唯看護 とかいぶ消極 的の意味 に限 られて居 る。われわれは繰返 していふ。 各議あ教農 患教豊内たみ ずゝ宅各 患れ

,入

物 あ象肯

,推

勤蕩tとみ ∴宅各 患れるこ。J0 こうした運動場 に関す る認識 は

,姫

路師範学校のそれ と一脈相通ず るものであるが

,小

瀬 は

,人

物教育 とい う立場 か ら従来の体育 について,「現今小学校の遊戯 といふ と

,表

情遊戯 だの

,動

作遊戯

(7)

だの と言 うて

,塵

埃の濠々起 つ薄暗い雨天体操場 の中で

,ダ

ンスの出来損ねのや うな真似ばか りし ている。吾々 は之 を称 して亡国的の遊戯 といふ。 こんな事で どうして筋骨の退 しい国民 を造 ること が出来 ようぞ。多額の費用 をかけなが ら,軟弱 な国民 を養成 する位い不経済な事 はあるまい と思ふ」つ と批半」し

,ま

た これ までの教授法 は

,活

力の欠如 した教育であると指弾 している。 「活力 を込 め

,新

生命 をぶち込んで

,目

的 とする筋肉 を猛烈 に緊張 させて行へは

,回

数 を多 くす る の必要は断 じて無 い。 これに反 し無気力

,無

元気の遺 り方 にては

,日

々二時間若 し くは三時間の永 きに亘 りて運動す るの も

,其

の効果 は徒 らに疲労 を招 くに過 ぎぬであろうと。 これは気合い強壮法 の秘訣 を明 らかに した言葉であるが

,精

神の練磨 を目的 とする教授 も亦 この通 りではあ るまいか。

教務あ急読瘍差と

,キ

,と

繕海を蒙装きと

,杢

藩方を集注しセ共歳チあ意負込みを痔先じ心之と産

か出来え基ら麟

,必

今串能孝を増進じ葎乞ととをあらら。各あ学秩休藻た気各術を央∫

宅げ

之串ら

,教

授法にも気込みの研究が少しも願みられていないのは遺憾の至りである。

0 この気込みによる体操教授 とは

,ど

のようなものであったのか。ある子どもは

,学

習の感想 を次 の よ うに綴 ってい る。 「 涙が 出 るほ ど 横 山 体操の時少 しなまけていたので

,後

藤先生 におなか をおされ ました。後藤先生 はお力があ ります か ら

,土

手の所 までお して来 られ ました。 そ こで僕 も一 しょうけんめいになって

,ウ

ン′ヽ おなか に力 を入れ ました。 それで もお しますか ら

,あ

るだけの力 を出 してふせいでいた ら

,今

度 はお され な くな りました。後藤先生 は涙が出るほど― しょうけんめいになった らよいとおっしゃって許 して ください ました。 さうして『あの気込で何で もおや りなさい

,あ

の気込 はエライものだ』」9 この感想文 について小瀬 は,「これが後藤先生の体操教授の一端である。汗の出るほど一生懸命 な らしむる体操教授 は見 た こともあるが

,涙

の出 るほ ど真剣 ならしむる体操教授 は未だ曾て聞いた事 も無い学0と 評 している。

(6)夏

の学校 こうした体育 の実践 のほか

,同

校で も

,実

務学校以来の伝統である夏季休暇 を全廃 し

,夏

の学校 を実施 している。小瀬 は「何故に夏の学校 を開 くか

Jに

ついて

,そ

の根拠 をこう語 っている。 「夏季休業 を全廃 して

,何

うする積 りか とは

,

よ く質問に遇ふ ことであるが

,そ

は別 に珍 しい こと を企てようと言ふのではない。 と言 って平常の通 り

,学

科 を詰め込 んで行かなければ

,成

績 があげ られぬ と言ふや うなケチな考へでは勿論ない。唯 この極暑の候 を利用 して

,児

童の精神 を修養せ し め

,肉

体 を鍛練せ しめようといふのみである。一体 中流以上の家庭 に育つ子弟 は

,生

活難 か ら来 る 人生の圧迫 を表 ることが全 くないために

,真

剣 にな り

,本

気 になって奮聞前の態度 に出づ ることが 殆 どない。平常生温かい雰囲気に国 まれている為 に

,

ともすると

,ふ

やけたや うな気分 にな り勝 ち である。故 に自然の圧迫 を利用 して抵抗力 も培 ひ

,奮

聞力 も養ふ と言ふ ことが甚だ必要 になって来 る。肉体の方面 も兎角 に保護が過 ぎて

,虚

弱 になる傾向があるか ら

,

もっ と外気 に触れ させ

,日

光 にさらして

,皮

膚 を剛健 に鍛 えてい くことは一 日 も忽 にすべか らざる問題である。 されば『夏の学 校』の課業 は普通 の教科 を課する精神である。 書ζ

ttF尋

ζミとき彗

1争

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ξとξ

;:

中には毎 日日課 として課す ことゝ

,時

々 日割 りをもって課すること ゝあるが

,兎

に角一 日数時間 を

(8)

入江克己:日本近代体育 の思想 と実践 (9) 楽 しく

,面

白 く送 らしめ

,其

の間キビキビした鍛練 をして行か うと言ふのが唯―の希望である。子り 同校では

,夏

の学校 を統合主義教授の格好の場 として構想 していたのである。

(7)遊

戯教材論 また同校では,「鬼豊あ走歳 墓墓農チるもあ患美 たま逸 を酵恙息 もあ ξ注舟洛ある。若 し快活 に遊 ぶ ことをせず

,人

を避 け

,唯

一室 にのみ閉 じ籠 もるや うな児童があった ら

,そ

は恰 も植木鉢 に栽 ら れた果樹のや うな ものではないか。子供が遊戯か ら得 る利益 と幸福 とは

,決

して書籍の上か ら得 ら れるべ きものではない。彼等 は遊戯 によって勇敢 と幸抱 との気力 を養ひ得 るのである。忍耐 と克己 も

,守

正 も

,同

情 も

,自

尊 も

,悉

く遊戯 によって養 ひ得 る ものである。英国のウェル ドンといふ校 長が曾て公衆 に向って遊戯の大切 なることを説 き,『夫糞自 ↓&掌肖 ようも,豊ち遊歳 庭負虫かか多∴』 といったさうだが

,卓

見 といはねばな らぬYう と述べ

,こ

の観点 に立 って戸外遊戯

,競

争遊戯等 を積 極的に内容化 し

,実

践 していった。 「言の休みにボール送 りの競争 をさせた。紅 白の二組 に分 かれて

,各

全力 を蓋 くして戦ふ有様 は子 供なが ら

,実

に雄 々 しい ものであった。愈々勝敗の定 まる刹那 に白軍の一人が

,敵

のボールを蹴飛 ばした。紅軍怒 るまい ことか

,矢

庭 に四五人飛び出 して

,そ

の者 に組 ついた。すると白軍 も亦之 に 応戦 して忽 ち十人 ばか りの組打 ちが出来て了った。怪我で もしてはな らぬ と

,早

速 ピリピリ。 生 きた教育 には臨機の処置が大事である。一同 を静粛 に集合 して,『紳士 らしい立派な遊び方 をせ ねばならぬ。勝負が遊戯の目的ではない。男 らしい立派な態度で競争することを修養す るのだ。 ボ ール送 りも大事 なお稽古の一つである。之 を忘れて

,わ

いわい遊 んだ とて

,何

にもな らぬ』 と懇々 教訓 しておいた。『遊戯 と品性の洵冶』

,こ

れはゆるがせ には出来ぬ問題 である。雪° このほか同校 で は

,校

外マラソンも実施 されている。 「十一時か ら一同 を引率 して畷路伝 ひに駈足 をした。踏みにじって行 く草叢 は地縛蛇苺の花 ざか り だ。一面 に伸 びた真青 な麦 はもうち らち ら穂 を見せていた。 白い蝶 と異な蝶 とが もつれて舞 つてい た。吾等の一向は田圃か ら

,麦

畑か ら

,雑

木林 をぬけて

,広

い広い野原 に出た。其処 に二十分 ほど 自由遊戯 をさせて引 き上 げたが

,手

に手に一束づ ゝの音が香 っていた。Y° こうしたさまざまな実践 を小瀬 は,「′心力の修養」 として まとめている。 「その外遊戯 も

,体

操 も

,速

足 も

,水

浴 も

,労

働 も

,作

業 も

,駈

足 も

,掃

除 も

,水

汲 も,『,いの力』 を練 る為でない ものは無い ものはない。否算術 も

,読

方 も

,書

き方 も

,綴

り方 も亦実 に之が為 めで ある。勿論斯 ういふ ことは何処の学校で もす るが

,為

る気持が違 う。唯無意味 にす るのではない。 『′bの力 を練 るために』 といぶ精神です るのである。故 に一挙一動 にも深い意義があるのだ。一進 一退にも尊 い生命が こもっているのだ。心凝 りて動ぜ ざれば

,体

畔 にして気飢 えず

,千

里 に行 くも 足軽 く万釣 を荷ふ も見 は安 し。悠々 として立 ち恰 として座 す。貴 きかな我が,とのカー これが吾々の 教へ子 と共 に進 むべ き道であるのである。Y° ところで

,そ

の他の新学校 に比べ

,凝

念法

,裸

体教育

,試

胆会等特異 とも言 える実践 を試みた成 瞬小学校の教育 は

,究

極的には何 をめざす ものであったのか。それは

,新

たに登場 しつつある新中 間層の子弟 を

,国

家富強のための課題 を担 う中堅 に養成 することであつた。小瀬 は

,言

つている。 「近時欧米の貴族社会で も裸体主義が日増 しに多 くなって来て

,一

家残 らず半裸体

,又

は裸体で を るのが至 る処 に見受 けられ ると云ふ

,肌

を出す ことを此の上 ない野蛮 と心得 ている風習に対照 して 面 白い現象ではないか。国民の元気 を維持 し

,国

家の富強 を講ずるには

,是

非 とも日光浴 と空気浴 と水浴 とを奨励 して

,国

民の皮膚 と内臓器官 とを強健 にしな くてはな らぬ。 さうして数 日間風雨の

(9)

中にさらされて居 ろうが

,二

食や三食 ぐらい絶食 しようが

,二

晩三晩徹夜 しようが

,平

気で通れ る や うな頑強な肉体 を造 って行かねばな らぬ。 この点に就いて吾々は今 日行はれている所の

,所

謂学 校体操なるものに

,十

分信頼す ることの出来 ぬを甚だ遺憾 とするのである。学° 「国家の富強」 あるいは「二食や三食絶食 しやうが

,二

晩三晩徹夜 しや うが

,平

気で通れ るや う な頑強な肉体 を造 っていかねば………」 とぃう語間に小瀬 は

,何

を仮想 していたのであろうか。

2.及

川平治の分団式動的教育論 と自由体育への影響

(1)明

石女子師範学校附小 における分団式教育 の実践 成渓実務学校

,同

小学校や帝国小学校

,そ

して日本済美学校 などの新学校 で児童 中心主義的な自 由体育が実践 されてい る頃

,兵

庫県立明石女子師範学校附小で主事及川平治 によって今 までにない 自由な教育が実践 されていた。当時

,同

附小 は学級数

8,訓

導9名 とい う小規模の学校 であったが, 明治42年4月 か ら及川 によって「為 さしむる主義の教育・ 実験室制度・ 分団式教育

Jの

理論 を背景 に実践が行われていた。及川 による分団式教育の実践が全国的に注 目を集めるようになったのは, 明治43年5月 に出版 された 『全国付属小学校 の研究』 に

,及

川が「為 さしむる主義 による分団式教 授法Jと題す る報告 をして以後である。同附小では

,明

治45年にその教育方針 を「分団式動的教育」 と改めている。 同附小での実践 は

,乃

川の 『分団式動的教育論』(大正元年),『分団式各科動的教育法』(大正4 年

)と

なって結実 し,「為 さしむる主義の教育 。実験室制度・分団式教育」の三原則 に基づ く自学主 義的な教育論 を主唱 していった子分 (2)「善 き日本人」 の養成 動的教育論

,な

らびに分団式教育論 に裏打 ちされた及川の実践 は

,当

然の ことなが ら

,そ

れ まで のヘルバル ト派教育論 によって もた らされた画一的

,形

式主義的な教育 に対する批判 の うえに展開 された。彼 は

,学

級 を教育の基礎的集団

,か

つ学習活動 にまでの教育論 は

,画

― を統一 と誤認 して きた と批半Jしている。 「現今の教育 の如 く

,児

童の境遇能力 を無視 して

,画

一教育 の制度 を立 て

,貧

富 に拘 らず修業年限 を同一 にし

,心

身の能力 を顧慮せず して年齢別 に学級 を編成 し

,同

一課題の履修 を強要 し

,一

斉教 育 をもって学級教育の本体 と思ふは抑 も大 なる誤見である。速に比の制度 を打破 して正式教育一本 体たる学級教育 を樹立 したい と思ふのである。子働 「現今の学校 は人 の個性 の発展 を抑圧 して悉 く之を平凡化 し

,同

一鋳型 に投 じてダース的人間 をつ くっているや うである。斯 ういふ教育では

,

とて も独創

,発

,原

,自

動 に富 める人間 をつ くる ことは出来 ない。現今の教育 は画一 と統一 とを混同 して居 るのであるまいか

,統

一 は多様変化の中 に一貫 した ところをいふのであって

,画

― は同様無変化 をいぶのである

,統

一 は甚 だ必要であるけ れ ど

,画

― は極 めて有害である。今の教育 は

,学

校教育一画一教育―同時教育 となっている。Y働 これ らの批判か ら及川 は

,動

的教育 を基本理念 に分団式教育 の本質 を明 らかにしてい る。 「動的教育思想 は欧米諸国に涙 っている。 けれ ども彼の国に船 いて も

,未

だ体系的に動的教育学並 各科動的教育法 を組織 した るものあるを聞かない。余の思想 は本邦並欧米諸学者 に負ぶ ところは多 いが

,特

にデューイ博士の恩恵 を受 けて居 る。然 し本書の組織 は全 く余の創意立案である。且つ各 論各科教育の部 は

,著

者が十余年間の実地経験 に基いた ものであるか ら

,何

れの学校 に も実施 し得 べ きを信 ずる。余は将来の教育学

,各

教育法は

,斯

ういぶ組織 に改 めたい と思ふている。(中略)動

(10)

142 入江克己:日本近代体育 の思想 と実践 (9) 的教育 は現行教育 に対す る根本 的革新である。動的教育 を採用すれば

,自

ら分団式教育 は徹底 す る のである。いな分団式教育 は動的教育実施の諸形式中の一 に過 ぎない。然 るに世 には静的教育 の上 に分団式教育 を施す ものがあるか ら

,徒

に学級作業が複雑 となるのである。動的教育 を全 く理解せ ず して分団式教育 を説いた論 もあるが

,そ

れは本末転倒の謬見である。余 は斯 る誤れ る分団式教育 の普及 を悲 しむ ものである。写" ところで及川 は

,分

団式動的教育法 によって どの ような人間を教育 しようとしたのか。彼 の教育 論の根底 には

,世

界 に雄飛する活動的な「善 き日本人」が描かれていた。及川 は,「吾々 は

,質

実剛 健 にして富 を生産す る人 を造 らねばな らぬ。 それには世界至 るところに活動 して国富 を増やすや う な有能者 を養成す ることが肝 腎である。要す るに

,

もっとも健全な国民 をつ くりたい

,

もっ と活動 的の国民 をつ くりたい

,そ

れには現行教育の如 く

,児

童に対 して『我の教へ るだけ記憶せ よ』 と強 要するや うな静的教育ではいけない

,ど

うして も児童 を発動的態度 に出で しむる動的教育 に改めね ばならぬ。」うしたがって「小学校教育 の 目的は

,児

童 をして善 き日本人 に発展する基礎 を得 しむるに あ り。而 して其の基礎 とは

,善

き児童た らしむることな り。当校 は我が国体政体 に基づ き

,且

つ国 勢 と時代の要求 とに鑑み

,善

児童のすべ き五個の条項 を定む雪りと言い

,そ

の条項 を

,以

下の ように 規定 している。 「l―l身体の健全 なること

,身

体の健全 は活動の根元 にして

,百

事成功の基礎 な り,l_l常識 を有す る こと

,常

識 は日常生活の案内者な り

,9仕

事 を愛 し

,仕

事 を為す能力 を有す ること

,仕

事 を愛 し, 之 を為す力 は経済生活の基礎 に して治産富国の根本 な り,小学時代 よ り職業尊重の教育 をなすべ し, lWl家族

,学

,国

家 に対する奉仕の念

,道

徳的国民生活の基礎 な り,lll自己修養の萌芽 を有す るこ と

,向

上発展の基礎 な り写°と。 及川 も

,日

露戦争後 における日本資本主義の要求 に呼応す る実際的人間の養成 に心 を砕 いたので ある。即 ち及川の理想 とす る善 き日本人 とは

,彼

自身が語 っているように

,小

学校令第一条 に規定 されている国家主義的道徳 を身 につけ

,

しか も実用的知識 と技能 をかね備 えた実務 的な人物であつ た。従来の教育 に対す る「『児童 は筋肉にて考ふ―児童 は筋肉にて学ぶ』という原理 を重視 しなかっ た。(中略)余輩 を以て見れば

,日

本全国の小学校 は多 くは

,静

的教育案 によ りて教育 しつ ゝあるも の と信ずる。何 となれば

,現

,教

育諸雑誌上 に掲載せ らる ゝ教授細 目

,教

授案

,其

,何

ゝ研究 といふ ものを見 るに

,動

的教育案 は殆 ど見当た らないか らである」°とす る及川の批判 も

,そ

うした 限界の枠内に置かれているものであることを確認 してお く必要がある。

(3)生

活教育主義 こうして及川 は,「学習者 を所動的

,受

納的

,無

考慮的態度 にお く教育 とは区別 して

,(中

)発

動的

,即

ち動力的家庭 を重視するgoと ぃぅぃゎゅる動的教育 を提起 したが

,彼

,そ

の動教育 の本 質的な契機 を「児童 自体 に存する本能衝動f° に求 め

,そ

の衝動 を価値的に統禦す る契機 として「目 的ある筋肉活動」のにお く一方

,こ

の目的々な筋肉活動 は

,よ

り具体 的には「児童の生活過程」とし て表現 され ると言 い

,動

的教育 は

,つ

まり「生活教育主義」に立つ ことであるとしている。 「教育 の 目的 を生活過程 にお くときは

,児

童 をして目的を以 て学習せ しむることがで きる

,け

れ ど も目的を遠 きに置か しむるときは

,個

々の行動 と目的 との関係 を覚 らせ ることがで きないか ら

,児

童 は学習の動機 を以て学 ばない

,

したがって教育 は教師の詰込み圧迫 となるのである。故 に

,或

る 意味 よ り言へば

,生

活 は即 ち教育 である

,生

活教育主義 は理想 を形成 して実現 し

,再

び形成 しては 実現 し行 くか ら

,真

に人 をして無限に発展せ しむる教育である

,現

行教育 の如 く児童の生 ける生活

(11)

に没交渉な教育 は速 に打破すべ きである

,動

的教育 は

,各

個人 を発展せ しめる教育 である

,各

個人 をして目的的に学習せ しむるのであるか ら

,個

人の発展 を抑圧 す るや うな画一教育 に反対 するもの である。go そ して

,こ

の生活主義教育 を「児童本位の教育」であると規定 し

,具

体的な方針 として「―

.教

育の目的を児童の必要 に応 じて具体化すること。三

.児

童の学習過程 を尊重 し

,之

に従 って教育 の 過程 を定むること。三

.児

童の学習場の流儀 に従 って教科 を分類 し

,各

科の学習法 を定 むること。 四

.教

科課程 に児童 を従属せ しめず して

,児

童の能力 に応 じ課程 を斜酌すること。五

.教

科書 を以 て児童の学習細 目

,研

究資料 となす こと。六

.児

童の学習時間 を作 り

,教

室 を学習室 とな し

,且

つ 児童用学習用具 を設備すること。七

,教

科 目のために教科 目を教育する弊 を破 り

,凡

べての教科 目 を以て

,先

づ郷土生活問題 を解決する道具 となす ことす

9等

を掲 げている。この教育 方針 に対応 して 次のような方法原則 を打 ち出 している。 「●題材 は機能 を先に構造 を後 にす るか

,又

は機能構造 を同時 に提出することを常則 とす ること。

9為

す ことに由て学習せ しむること

,一

為す といぶ学習法 を採用す ること。

m知

ることによ りて

,為

すべ きことを学 ばしむること。 lHl為す ことによ りてぅ為すべ きことを学 ば しむること。 │'為す ことによ りて

,知

るべ きことを学 ば しむること。 l l児童 の独立的活動 を激励す ること

,即

ち 自己の眼 を以て見 しめ 自己の思考 を以て考 え 自己の言葉 にて話 さしめ 自己の手 にて為 さしめ 自己発展 に訴 へ て独立活動 をな さ しむ る こ と l―l凡べての題材 には動的方面あ り

,之

を動的仕方 にて授 くること。

(4)及

川の教材系統論 一方及川 は

,生

活教育主義の観点か ら教材の心理学的配列の重要性 を強調 している。及川 は「現 行教育 は

,教

授 にのみ教授段階あるもの と心得

,徳

,体

育等には

,段

階なきもの と誤解 し

,或

は 段階の存在 を認 むるも

,之

を軽視する弊がある。教育 の段階一学習過程 は

,児

童の動 因

,蓋

力 (精 勤

),有

,道

義化である。是れ実 に児童の学習

,修

,鍛

練の過程である

,こ

の過程 を無視 しては な らぬ!1)と

,徳

,体

育 における学習過程 の組織化の重要性 を指摘するとともに

,論

理 系統 と心理 系統 とは

,統

一 され るべ きであるとしている。 「現行教育 は

,教

師の頭で論理的に 'ワ 」したる教材 を児童の心理的過程 に従 って教へや うとして居 る。 それだか ら

,児

童 は興味のない題材 を

,否

自己の心の働 きに合はない題材 を学 ばね ばな らぬ こ と ゝな り

,手

の着 けや うがないか ら動的態度 にな らない

,鶏

を教へるのに形態生態 とを区別 するが 如 きは非心理的である。(中略)今後の教育 は

,心

理的論理的に排列 して

,之

を論理的 に学習 させ る ことが必要である。然 らざれば

,児

童本位の教育 ではない。ζ動 また及川 は

,教

科の構造 を「児童の学習方法上 よ り彙類す る」°必要があるとして

,体

育 を「身体 的実習科」と規定 し,「現行教育学 は教科 目を分類 して形式的教科。実質的教科。知識的教科。技能 教科。基本的教科副次的教科。人文科

,自

然科。日は く何々 と

,或

は教科の性質上 よ り

,或

は比較 的価値上 よ り

,或

は教科の目的上 より区分 している」°が,「しか し吾々実際家 に とって

,更

に大 に必 要なのは

,児

童の学習の方法上 より彙類す ることではあるまいか。例 えば理論的研究科一算術

,文

(12)

入江克己:日本近代体育 の思想 と実践 (9) 法

,理

科。教示的研究科一歴史地理。心理的実習科一綴方

,唱

,図

,手

,家

,裁

,身

体 的実習科

=遊

戯体操等!9に分類すべ きである としている。

(5)分

団式教育法 及川が

,動

的教育 を現実化する方法論 として分団式 を構想 した根拠 は

,次

の点 にあった。即 ち「教 師の仕事 は

,学

級全体 にも

,之

に属する個人 に も有効でなければな らぬ。それには

,一

斉教育で も, 個別教育で も不十分であるYOがためで,全 級一斉教育 や個別教育 の限界 を補い,「全級教育 の利益 を 保存 し

,そ

の弊害 をのぞかんがために個別教育 を力日味 した」の方法であると言 う。 具体的には(1)児童 は

,自

らの能力に応 じて学習 を発展 させ るべ きこと。(動児童の発達 に即 して教 材 は選択 され るべ きこと。0)画一的教授 によっては個々の子 どもの発達 に対応 しきれず

,子

どもの 性別

,能

力 に応 じた教育方法が確立 され るべ きである と言い

,分

団式教育法 は,「一児童 の能力 に応 じて題材 を統制すべ き色々の地位 に捉へ,二児童の能力 に応 じて夫々適切 に輔導す る」動方法である と述べている。 また及川 は

,分

団式教授法 は動的心理学

,動

的論理学

,社

会動学 に もとづ くもので あると述べ るとともに

,そ

の意義 について「分団式教育 を採用 して能力不同の児童 を活動せ しめ, 且 自侍的学習の境域 に到 らしむるには

,是

非 とも

,独

立研究の機会 と方法 とを輿ふべ く

,今

の煩雑 な る間答教授 を少 うして

,配

当研究 (配当研究 とは研究題 目を輿へて論理的に解釈 させ る方法であ る

)を

多 くす るが よい。配 当研究の うち特 に席上課業 を重 じ

,同

課業中に筋肉運動作業 をなさ しむ るのである」9と している。 及川は

,分

団 を固定分団

,可

動分団

,学

年分団の三類型 に区分 し

,な

かで も可動分団 を高 く評価 す る一方

,各

教科

,

また 日によって分団の所属 を急進分団

,普

通分団

,遅

進分団に分類 すべ きであ るとしてい るが

,及

川 は

,同

質の集団を構想 してお り

,こ

こには異質集団の もつ教育力 に対 す る洞 察 は欠落 している。 さらに彼 は

,分

団式動的教育法について

,そ

れ は「第一 自己活動の原理

,第

二具体 的経験の原理, 第二 自然 に随ふべ き原理

,第

四実地生活 に統合すべ き原理

,第

五応用の原理

,第

六形式的洵冶の原 理

,第

八国体政体並 に児童の境遇能力等の事実に適合すべ き事実化の原理

,第

九創始能力啓倍 の原 理 を重視 して教育 を施 し

,以

て国民的

,個

人的有能者 をつ くらん とす るものであるJω と述べ る一方 「若夫れ

,分

団式教育 を採用 して其の方法 を誤 らなか ったならば

,教

育の成績 は従来 に倍力日すべ く 尋常小学校の修業年限 を五 ケ年 とし

,高

等小学校 の修業年限 を―ケ年 とす るも

,な

お実際的 自由の 人一個人的国民的有能一善 き日本人 を養成 し得べ しfう と断 じている。

(6)分

団式動的教育法による遠足の実践 善 き日本人の養成 とい う観点か ら

,筋

肉活動主義 に もとづ く分団式教育法 を主張す る及川 は

,そ

の教育 の基礎 に身体 の健全 を置 き

,体

育の重要性 を十分認識 していた。例 えば彼 は

,分

団式教育 に よる遠足 を実践 しているが

,そ

れは

,樋

口勘次郎 による統合主義的な飛鳥山速足の実践 をさらに発 展 させた ものであった と言 えよう。遠足の実施 に至 る過程 を及川 は

,こ

う報告 している。 「

.学

習動機の意起 遠足 は児童 の最 も好 む ところであるか ら

,目

的 を告 げるだけで動機が起 る。 二

.遠

足 に関す る規約の造方の指導 (1).全級 を分団に分つ こと。 (2】 各団の為すべ きこと ゝ

,個

人の為すべ きこと ゝを区別すること。

(13)

(3).規約 は多数決 によるべ きこと。 “ 光 各団体 に必要 なることは

,漏

れな く規約す ること。 (動

.各

部会の報告 は次回 とす ること。 三

.遠

足案 の提出 (1)各部の報告 交通部の報告………交通用の赤旗 と

,電

話機 とを用意す ること

,遠

足用地図 を印刷 して

,各

個 人 に配付す ること

,歩

測計 をもって常に遠足の路程 を測 ること等。 会計供給部 の報告・…・―・遠足 に必要なる薬品

,地

図用の紙 を購入す ること

,各

部 に毛糸の章 を 渡す こと

,其

他会計 に関すること。 運搬部の報告………学級備の車力 を用ふ ること

,比

の車 に鋸

,綱

,縄,金

,釣

魚道具

,綱

魚, 植物鉱物採集箱 を載せ ること。 衛生部の報告………石炭酸

,包

,小

,綿

,ス

ポイ ト

,マ

ッチ

,飲

料水等 を携帯 すること, 車 を引 くことは各人順番 に行ぶ こと。 (2)各部報告 につ きて協議 大体 におて各部の報告 を是認 した

,中

には米

,鍋 ,缶

詰等 を携帯 して飯 を炊 くが よかろうと云 ふ ものがあったが

,教

師は之 を許可 しなかった。 (3)各個人 は軽装 をなす こと

,豊

食 を携帯 すること

,水

泳道具 を持つ こと

,出

発の時刻 を午前七 時 とす ること。 は)各部責任 を重ん じ

,時

間 を励行 し

,教

師 に従順 に

,仕

事の繁閑は相助 けること

,仕

事 に忠実 なるべ きことを申合わせた。

fD

こうして遠足 は実施 されたが

,そ

の模様 を及川 は

,次

の ように書 き記 している。 「児童 は勇んで大 山寺方向に向かふ

,時

刻に遅れた ものは一人 もいない。交通部 は歩測計 によ り道 程 を地図に記入す る

,暫

く行 くと大 きな池がある

,児

童の数人 は網 を持 って雑魚 を捕へ初める

,他

の児童は順次進 んで小 山に至 り

,帳

物植物の採集 に従事 する

,交

通部 は

,直

ちに小 山 と池 との間 に 電話 を架設す る

,各

部の仕事 を報告するために交通繁 し

,や

がて交通部 は赤旗 を先 きに進行の合 図 をする。午前十一時豊食。会計部 は休憩所 に茶代 を払ふ。猶進んで大山寺 に至 る。東方の小流懸 っ て瀧 をなす

,入

りて水泳 をなす ものが多い

,或

は後方の川 にて

,釣

魚 をなす ものがある。写生 をな す ものがある。衛生部 は『生水 を飲むべか らず』 とぃぶ小旗 を立て ゝ注意す ることが如何 にも滑稽 なれ ども

,彼

等 にあっては真面 目である。年後無事帰校。f° 及川 は

,こ

れ らの分団式動的教育法 を労作教育

,創

造教育

,生

活学校

,筋

肉運動主義教育 の系譜 を引 くものである と位置づ けている。 「現代教育思潮 を見 るに

,日

は く労作主義の学校

,児

童の創作的生産的能力 の発展

,生

活の学校, 曰 く軟教育 の排斥

,具

体的経験の尊重

,筋

肉運動主義 の教育等数へ きれぬほどである。此等の思想 は

,互

いに交錯す るところもあるが

,兎

に角意味 ある主張であって

,現

代教育 に対する革新の声で ある。吾輩 を以て之 を見れば

,こ

の労作主義の学校乃至筋肉運動主義教育 は哲学上の根本思潮の支 分流で

,特

に機能的一動的てふ根本流の分流の如 きに思 はれ る。た とひ

,そ

の分流ではないにして も

,之

を関係づ けずに考ぶ ることは出来ない。写。

(7)分

団式動的教育論の体育への影響 ところで

,及

川 は

,分

団式動的教育論の影響 について「今や世の実際家 は一斉教育の非 を悟 って,

(14)

入江克己:日本近代体育 の思想 と実践 (9) 分団式教育 の研究 日に月に盛 んに

,斯

く式 を実施す る学校 の続出するに至れ るは

,甚

だ喜ぶべ き現 象である

,特

に兵庫県 に船 いては夙 に当局者の指示事項 とな り

,之

が研究最 も古 く

,今

や学級教育 革新の中心県 となっているや うに思われ るj° と述べているが

,た

んに兵庫県のみな らず

,及

川の郷 里 である宮城県のほか

,ほ

ぼ全国に及んでいる。特 に宮城県では

,そ

の実践 に熱心であった。大正

5年

の『宮城教育雑誌』(この年 に『宮城教育』か ら改題

)に

,富

塚雄治が及川の講演 を「動的教 育講義要領」 として寄稿 している。富塚 は

,及

川 と宮城師範学校 の同期生で もあ り

,栗

原郡視学, 同師範付小訓導

,塩

釜小学校長 という立場 を とお して熱心 に動的教育 を県下の教師 に紹介す るとと もに

,彼

も積極的に実践 を推 し進 めていった。富塚 とな らんで分団式動的教育論 の普及 に力 を尽 く した人物 に宮城郡視学官菅原新兵衛がい る。菅原 は

,大

6年

の 『宮城教育雑誌』 に「動的教育法 鼓吹者及川平治氏」 を寄せ

,そ

の末尾 を「青年教育家宜 しく風 を望みて驀進 し

,第

二第二の及川氏 の続出あらん事切望 に堪 えざる所 な り智°と結んでいる。 一方

,筋

肉運動主義 を方法原理 とす る及川の分団式動的教育法 は

,体

育方法の改造 に多大の影響 をもた らし

,戦

後のグループ学習論の先駆的実践 を形成 している。 その例 を挙 げれば

,大

8年

11 月に新潟県東頸安塚小学校訓導の早津芳雄 は,「我が校の分団式取扱 いについて」 を発表 している。 彼 は

,そ

の実践報告のなかで最近体育理論や運動生理学の研究が発達 し

,運

動効果 に関す る研究成 果が得 られ るようになった。例 えば心蔵の弱い子 どもと運動の関係

,徒

歩運動 と脱腸 の関係

,筋

肉 骨格の強い運動 と内臓諸器官の関係 などがそれである。 したがつて

,体

育 において個別指導が必要 であることは明 らかであ り

,ま

た一学級60人ない し70人の多数

,さ

らには体操用具の不足等の条件 の もとでは僻地のみな らず

,体

育全般 において分団式取 り扱 いが必要であるとし

,そ

の事例 として 尋常高等小学校一年の体操教案 を示 している伊うまた大正後期か ら昭和前期にかけての川口英明の実 践

,岩

本岩次郎

,中

,桜

井小学校 (奈良

),浅

草小学校 (東京

),泉

川小学校 (愛媛

)の

実践 は, 木下竹治の独 自学里一相互学習論のみならず

,及

川の学習論 を摂取することな くしては不可能であ ったよ働

3.成

城小学校 の 自由教育理念 と自然主義体育 の実践

(1)成

城小学校 の設立理念 大正

6年

4月14日

,東

京市牛込 区原町

3丁

目に私立成城 中学校 の一遇 をか りて成城小学校が創設 された。校長 には文部次官のほか

,東

北帝大

,京

都帝大の総長 ならびに帝国教育会々長 をつ とめさ らに明治42年に『実際的教育学』 を著 した沢柳政太郎が就任 し

,教

育学者小西重直

,長

田新

,そ

し て学校衛生の近代化 に尽 した二島通良が顧間 となった。主事 には京都帝大で教育学

,教

授法 を修 め た藤木房次郎―創設後間 もな く

,小

原国芳 に代わつた。 その理由は不祥 であるが

,小

西の推薦によ つて就任 した とされている。訓導 には真篠俊雄

,田

中末広

,諸

見里朝賢

,佐

藤武が着任 した。 同校では

,当

1,2年

生 を対象にそれぞれ1学級30名を募集 したが

,最

終的には

1学

年26名(2 学級編成

),2学

年7名の計33名の応募者 しかな く,こ れで発足す ることになった。一方校舎 は

,教

室が普通教室

3,特

別教室 (運動室

,遊

戯室

,自

修室

,音

楽室

,作

業室

)5の

8教

室であった。 この規模 で成城小学校 は出発 したが

,創

立理念 について趣意書 は

,こ

う述べている。 「我が国の小学校 が明治維新以来

,半

世紀 にな した進歩 はじつに嘆賞 にあたい しますが

,同

時 にま た

,こ

の50年の歳月によっていまや因襲固定のカラがで き

,教

育者 は煩瑣な形式 に とらわれかけま した。やや もすれば

,教

育 の根本精神 をわすれて形式化せん とす る弊害 をか もしつつあるや うに思 われ ます。我が国の教育界 には

,い

まやいわゆるもの きわ まって変 じ

,変

じて通ずべ き時節が到来

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