3 私の専門は中国古典文学。職業柄、大学入学以来半 世紀近く、書物に囲まれて過ごしてきました。読書家と はとても言えないのですが、読書愛好家と名乗ることは できるように思います。また普通の人からすれば随分た くさんの書物を所有しています。それらの書物とどのよ うに付き合ってきたかというと、一読、再読、三読、四読 …、積ん読です。 一読は、始めから終わりまで、いちおう読み通した本。 もちろん読後感はさまざまです。この本にめぐり会えて よかった、自分にとって大きな収穫だった、と読後の充 実感にひたれる場合もあれば、苦労して読み通したけれ ど、結局は時間の浪費だった、とがっかりすることもあ ります。最近はあきらめがよくなって、この本は自分には 合わない、と早々に見切りをつけて積ん読にまわすもの が多くなりました。老化現象ですね。 それにしても、なんと積ん読が多いことでしょう。い ずれ読みたいと思いつつ積み上げたままの本が増え続 けています。でも、大部分の積ん読書は、中国古典文学 研究に不可欠だと思われた書物群です。それらは概ね 大学の図書館でも見ることができるのですが、やはり手 元に置いておいて必要な時に直ちに繙けないと仕事に ならない、と考えて買い込んだ書物です。無駄になるも のが多いのですが、いつ役に立つかわからない、必要な 無駄と観念して、五十歳頃までは本の購入に相当な資金 を注入していました。しかし、所有する書物が増え出す と、所有すること自体が目的化していったのも事実で す。ほとんど中毒でした。若い頃は、スチール書架の数 が年々増加して下宿の壁を埋め尽くすと、それだけで自 分がすこし偉くなったような錯覚に襲われ、えも言われ ぬ満足感を覚えたものです。その報いとして、あふれか える書物を定年後どう処分するか、いま悩んでいます。 でも私はあまり後悔していません。私の世代は、どれだ け本をもっているかが、一つのステイタスシンボルでし た。今の皆さんの場合はどうなんでしょう。 書物は、それを所有して読むか、図書館から借り出し て読むか。私の学生(院生)時代は、圧倒的に前者が多 かったと思います。それはおそらく図書館の利用のしや すさと関係しています。確かに現在の図書館(もちろん その中に滋賀大学教育学部分館が含まれます)は、私 の学生時代にくらべて格段に利用しやすくなっていて、 もし私がいま学生だったなら、もっと図書館を利用した に違いありません。 新入生の皆さん、これから四年間、おおいに図書館を 利用してください。まずは図書館の、どこに、どんな、興 味を惹かれる本がならんでいるか、自分にとっての積ん 読図書館を、頭の中に作り上げてください。 さて、再読、三読、四読…です。ゴールが見えてきた私 の読書生活において、その重要度が年々高まっていま す。ずっと以前に読んで印象深かった本や、これまでに も何遍か読んだ本を、数年前から、じっくり時間をかけ て読み返しています。何度目であっても新しい発見があ り、回を重ねるたびに読みは深まっていくようです。読 書を中心にしたさまざまな経験の積み重ねのおかげで しょう。自分もいたずらに年を重ねてきたのではないと、 ちょっと安心できます。愛読書があるということは、まこ とに大きな財産で、何よりも自信になります。私の愛読 書コーナーには、まだかなりの余裕がありますから、今 後さらに充実させたいと願っています。
一読、再読、三読、四読・・・、積ん読
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