若手教師の成長の核となる「動的な居方感覚」の
実践的研究
― 自らの実践でレパートリー化していく経験を中心に ―
金 田 泰 秀
*・堀 江 伸
**Action Research on the Sense of Dynamic Being Way for
Young Teachers
― Focusing on Experience of Repertory Acquirement in Their Own
Practice ―
Yasuhide KANEDA・Shin HORIE
キーワード:教師の成長、居方、レパートリー、実践研究、省察的実践 No.69, pp. 93−107, 2019 1.実践研究の背景と目的 若手の世代がイキイキと活躍している文化 は、将来も見え、活性化していることを感じ取 らせてくれ、面白みが増すものである。若い世 代が次を担っていくのは、いつの時代もどの分 野も、教師の世界も、大事な意味を持っている。 世阿弥の『風姿花伝』には、「内にては声の届か ん調子にて、宵・暁の声を使ひ、心中には、願 力を起して、一期の堺ここなりと、生涯にかけ て能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。こ こにて捨つれば、そのまま能は止まるべし」と あるように、若手の成長の分岐点というものが ある。教師の成長においては、技の芸能として の能とは違って、「稽古」や「願力」だけではな い、何かが専門職としての若手の教師の成長を 支えるのであろう。 中教審答申(2015.12 184 号)では、「近年の教 員の大量退職、大量採用の影響等により、教員 の経験年数の均衡が顕著に崩れ始め、かつての ように先輩教員から若手教員への知識・技能の 伝承をうまく図ることのできない状況があり、 * 守山市教育委員会 ** 滋賀大学大学院 継続的な研修を充実させていくための環境整備 を図るなど、早急な対策が必要である。」とし ている。授業研究を中心とした「校内研究」が 「世代継承」をすすめているとして、海外から注 目されて久しいのだが、その効力はあるのだろ うか、それとも「崩れている」のだろうか。 確かに、初任期の教師の多くは同世代か、少 し上の世代の教師たちと同じ学年を受け持ち、 学年によっては学年主任以外全員が 20 歳代の 若手教師という現状も存在する。大学を卒業し て間もない経験の少ない若手教師が自分たちで 授業の腕を磨いていくということは大変なこと である。そして、ここに校務分掌が与えられ四 苦八苦するのである。さら若手「講師」の存在 も忘れてはならない。若手講師は、新規採用者 のように初任者研修を経験することなく担任を 務めており、置かれる環境はさらに厳しい。こ のように学校現場は新規採用者と若手の講師に よって大きく若返っており、目の前の課題に追 われているのが現実である。 一方、校内のリーダーとしては 30 歳代の数少 ない中堅教師たちに任されることが増えてきて いる。多くの若手教師を抱え、学年主任や教務・ 研究主任の仕事を処理しながら彼らを指導する
には物理的な余裕がない。実際に私自身も学年 主任として若手教師に授業のノウハウを伝えよ うと時間を割いてきた。しかし、授業の進め方 がわかっても実際に授業の中でどのように実践 するのかという力につなげることは難しく、若 手の授業実践の改善につながらず課題を残して きていた。 では、若手教師は教室でどのような問題に直 面しており、その解決のために技術的なノウハ ウだけではなく何が必要なのだろうか。どのよ うに何を伝えるのか、どのようにすれば実際に 教室で起こる事象に対応する力に結び付けられ るのか。 そこで本研究は、谷川(1992)佐藤(2009) の「居方」や、D . ショーン(1987)の「レパー トリーの幅を広げる」という概念を捉え直すこ とによって、教室で立ち惑う若手教師の姿が何 を学び取ることで変容していくのか、実践研究 を通して探り、これからの若手育成のための手 がかりとしていきたいと考える。
TS.1 若手教師Bの授業の様子(2017.5)
から
教師B:(やさしくあまり抑揚のない声で) いいですかあ? Y君、N君・・・ (教室はやや騒然としており立ち歩く子 が一人か二人、Y、Nには言葉が届いて いない) 教師B:Y君 ・・・ Yくーん ・・・ Y 児:ちょっと待って 教師B:もう十分待ちました。 (Y児はようやく座るが教室はまだ騒然 としたまま。) 教 師 B: い い で す か? 今 ね ・・・ 今、 卵 と 幼 虫 の ・・・。いいですか。ちょっとえんぴつ置き ましょう。3 班の人いいですか? 3 班の人 いいですか? ・・・略 私 :(B教師に一声かけ、私と交代) はい、ちょっとこっち向こうかあ。 K 児:はい! 私 :はい、ほな前向いて。はい、そこ、ほら、 前向いて。 (教室のざわつきが収まり、静かになった) 2.若手教師の姿と課題 2.1 若手教師が教室で見せる困難さ 2 年間にわたる本研究の 1 年目となった 2017 年度では、若手教師の授業を参与観察する中で ベテラン教師と若手教師の大きな違いが浮かび 上がってきた。フィールドノーツで教室での教 師の行動や発言、子どもとのやり取りを描写し ながら、ビデオカメラでも適宜撮影記録し、イ ンタビューをしてその行為の分析を試みた。箕 浦(1999)・柴山(2006)が提起するマイクロ・ エスノグラフィーを活用し、16 日間 42 時間の 授業参観と 19 回(計 321 分)のインタビューを し、分析を行った。対象とした教師は、子ども との関わりに困難さを感じ、教室での子どもへ の働きかけや授業実践に困難さを抱える講師 1 年目の教師Aと、企業勤めから転職し、講師 1 年目で、教室での子どもとの関わり方に悩んで いた教師Bの 2 人である。 これは 2017 年 5 月に参与観察した授業の 1 コマである。若手教師Bはやさしそうな声で何 度も子どもに話しかけるのであるが、子どもた ちは一向に話を聞こうとせず教室は騒然とした ままであった。そこで、私はB教師に声をかけ て交代し、教壇に立って子どもたちに声をかけ た。子どもたちは私の声にすぐ反応し、教室は 静かな状態になったのでB教師と交代をした。 その後しばらく、子どもたちはB教師の話を聞 いている様子であった。 この授業のシーンについてのインタビュー で教師Bと私の子どもたちへの話しかけ方に違 いがあることがわかった。教師Bは、教室全体に 均等に声が届くよう、教室空間の中央に向かっ て声を発していた。私は 32 人の子どもたち一 人ひとりに声や意図が伝わるように子ども一人 ひとりの子どもの存在を意識して声をかけてい た。B教師は子どもの実態を捉えて話しかけて いるのではなく、空間に声が届くことだけを意 識していたのである。 さらに、学級経営に苦労をしていた 2 年生担 任の教師Aへのインタビューを試みた。その中 で、授業を行っているときに認識できている子どもの範囲が目の前の 2、3 名だけであること もわかった。この点、ベテランの教師にインタ ビューをしたところ、やはりどのベテラン教師 も教室全体の子どもの様子や一人ひとりの実態 を捉えている、または捉えようとしていること がわかった。若手教師でも子どもと意思の疎通 が図られていると感じられ、授業が成り立って いると思われる学級の教師についても、全体と はいかなくても教室の 3 分の 2 ほどの子どもの 様子を認識しているという事例も見られた。こ のことから 2 人の若手教師には、教壇に立った ときの子どもの様子や実態の捉え方に課題があ ると考えられた。 このようにマイクロ・エスノグラフィー的研 究を通して学級経営や授業に困難さを抱える若 手教師の姿からいくつかの課題が見えてきた。 第一は、教室で子どもをどのように捉え働き かけを行っているかという点である。子どもか ら得ている情報が極端に少なく、その範囲が狭 いのである。 第二に、授業づくりをする際のアプローチ の仕方の課題である。若手教師は子どもの実態 をつかめていないだけでなく、授業をコーディ ネートすることの経験や見識が十分に備わって いない。 第三に、憧れる教師や実践例が少なく、どの ような教師になりたいのか、どのような実践が したいのか、イメージの持ち合わせが極端に少 ないということである。 2.2 教師として必要となる 3 側面 これまでの参与観察から見えてきた若手教 師の教室での実態や課題から、若手教師が成熟 していくために必要となる 3 つの要素があると 考えた。1 つ目は「子どもを捉え・生かす」こ と、2 つ目は「授業を創る 3 つの価値を意識す る」こと、3 つ目は「教師としてのモデル・イ メージを持つ」ことの 3 要素である。 1)「子どもを捉え・生かす」 教室で教師がどのような情報をどれだけ掴 み取り、どのように働きかけようとしているか ということである。インタビューから、授業が 成立しにくい若手教師は、子どもの様子から得 る情報が少なく、授業での行為にもあまり意図 がないことがわかってきた。そのため、教室で の行動範囲が広がらず、子どもへの働きかけも 弱いのではないかと考えた。 2)「授業を創る 3 つの価値を意識する」 教室での教師の意図的な行為を生み出すも ととなる、授業づくりへの理解が不十分である こともわかってきた。授業でどのような力を子 どもたちに身に着けさせたいのかが明確になっ ていないと同時に、その力をつけさせるために どのような方法で活動をさせれば子どもたちが 主体的に学ぼうとするのかについての理解も 伴っておらず、その教室で子どもを前にして戸 惑うのである。 そこで若手教師が教室での授業を作り出す ときに考えのもととなる要素を 3 つに整理して みた。 1 つ目は、 用意されている学習が子どもに とって 学びたい という a.「子どもの願い」を 実現する内容になっているかを考えて構成され ているかである。 2 つ目は、この学習で子どもにつけさせたい 力は何で、また何を子どもに学ばせたいのかと いう b.「教師のねらい」が意識されているかと いうことである。 そのうえで 3 つ目として、a、b の結果が子 どものあらゆる学びの結果に結びつくかという c .「学びの成果」が意識されているかというこ とである。 3)「教師としてのモデル・イメージを持つ」 「教師としてのモデル・イメージを持つこと」 とは、メンターや身近な教師を手本に、自分が 目指したい教師の姿や授業の在り方をイメージ として自分の中に持って、それを自身の授業実 践につなげて生かそうとすることである。 若手教師のインタビューからわかってきた ことがもう 1 つある。それは、授業実践に積極 的に取り組もうとする若手教師には共通して、 あのような教師になりたいというモデルが存在 したり、このような実践をしたいという目指す 授業実践の形がイメージとしてはっきりしてい たりするということである。また逆に、そうで ない教師は、そうしたモデルやイメージをはっ きりとしたものとして自身の中に持ち合わせて いないということもわかってきた。自分がどの
ような実践を目指しているのかイメージのない 教師が授業をしたときにどのような結果になる のかは想像に難くない。 私は、こうした若手教師の教室での実態か ら、佐藤学の「居方」という考え方に注目した。 学級で目の前の課題に苦労をしている若手教師 にはこの「居方」という考え方を通して課題解 決の糸口を見出せないかと考えたのである。 3.「居方」と「レパートリー」 そこでまず「居方」概念を捉え直すことにす る。この「居方」という言葉は、谷川(1992) が最初に使用し、その後、佐藤学(1997)が教 室での教師の身体技法として、さらに佐藤雅彰 (2003)が子どもへの関わりを含めた教師の在 り方( way of being )として表現している。そ れ以後、佐藤学(2009)は、子どもと教師、子 どもと教材をつなぐために教師が確立するポジ ショニングという意味合いで用いてきた。しか し、「居方」がどのような要素からなるものか、 なぜそのような「居方」が発生するのかが詳し く論じ切られておらず、つまり「優れた教師が そうである」という見方に留まり、教師の実践 が成長していくことに生かされる概念として表 現されていない。ここで改めて著書『教師花伝 書』(2009)から、その考えを整理し、再概念化 を図りたい。 3.1 佐藤学「身体技法としての居方」 佐藤(2009)は、教師としての力量を職人と しての技や気質と、専門家としての知識や見 識との 2 つの側面で表し、それらは研究と修養 によって身につけられるものとしている。しか し、教師がこうした力量を身につけることと専 門家として創造的な授業を遂行することとは別 のことであるとしている。佐藤はその理由を、 教師の仕事が不確実性に支配されているからだ という。この点については深く論じきられては いない。捉え直していこう。 1)教師の力量についての捉え方 佐藤は、教師の力量を単なる技術という捉え 方からさらに理解を進め、学びの構え、思想、 身体技法として表現している。そして、それら をさらに大きく分類して職人としての気質と専 門家としての世界として表現をしている。以下 著書より、数多くの事例についての論評を分析 検討し、カテゴライズすることで捉え直すこと にした。 職人としての振る舞いは、無意識に遂行され 目に見やすく、模倣と修練によって身につけら れるものであるとしている。 また、職人としての気質というのは、教室で の教師の振る舞いの中に表れるものであり、言 葉で説明することが難しい、そのため教室で子 どもたちと学びを生みだす教師の様相として表 現している。(表 1) 専門家としての世界は意識的に遂行される がその思考は見えにくく、省察と研究によって 学ばれるものであるとしている。しかし、これ らは研究と修養によって身につけられるもので それは教師自身の知見や見識となって積み上げ られていくものである。 このように佐藤は、教師の教室での技や振る 舞いと、省察と研究によって積み重ねられる教 養や見識という 2 つの側面によって教師の力量 を表現しているのである。 佐藤は、こうした力量を身につけることと、 創造的な授業を展開していくことは別のことで あると捉えており、「学習科学や関連諸科学に精 通したとしても必ずしも授業実践を創造的に展 開できない」(同著 p.79)としている。その大き な理由として「教師の実践が不確実性によって 支配されている」ことを理由に挙げている。更 に「専門家としての教師らしい『実践的思考』 や『実践的見識』はどのようなものなのかにつ いては十分に解明されていない。それぞれの教 師の経験の省察によって形成され、その多くが 暗黙知として機能しているからである。それを 実証的な科学によって解明したり、初心者に伝 えるのは至難の業である。」(同著 p.80)として おり、専門家としての授業を遂行する能力を表 現し若手教師に伝えていくことの難しさを指摘 している。そして、それらの説明しがたい教師 の力量をより分かりやすく表現するために事例 を紹介している。 これらの事例とその論評からエッセンスを 読み取り、大きく 2 つに分類した。その 1 つは
「事実から省察する教師」である。授業の事実か ら学ぶ教師はいつも、授業をあるがままの事実 として省察している教師であるとしている。も う 1 つは「教養・理論・実践をつなぐ」という ことである。ベテラン教師の授業実践は教職の 専門性を構成する基礎が、幅広い教養と教科の 学問教養と教育学の理論と実践にあるとし、2 つの側面からベテラン教師の専門家として授業 を遂行する姿を表現している。 佐藤は、教師が専門家としての教養を身に つけつつも、専門家として授業を遂行する能力 を身につけることが必要であるとしている。ま た、その能力とは、子どもの学びの姿から省察 をし、身につけた理論を実践に結び付けること ができる力であるとしている。それを実現した 教師が教室で獲得するものが教室における教師 の 居方 であると整理することができると考 える。 2)佐藤が捉える子どもの学び 更に、理解を深めるために、同著を通じて子 どもの本来あるべき学びの姿を佐藤がどのよう に考えているのか、いくつかの事例の中から整 理し、捉えておきたい。 佐藤は、ある事例では「弾むように学ぶ」と いう表現で子どもの姿を紹介している。更に、 学びをつなぎ合う子どもの姿を「学びが(他者 の)『問い』を引き受けることから出発し、自分 と仲間の経験と知識を総動員して『問い』の解 決へと至る協働的探求の過程であることをメタ レベルで(つまり哲学的に)理解している。さ らに学びの深まりが『つながりを広げる』こと によって促進されることも理解している」(同 著 p.21)としており、本来学び続ける子どもの あるべき姿として紹介している。 以上、『教師花伝書』から佐藤の「居方」の 基盤となっている考えの整理を試みた。佐藤自 身も、授業を実践する中でしか教室での教師の 「居方」を生み出す本質は表現しにくいと考え ているようで、様々な事例を紹介しながらその 姿を浮き彫りにし、本質に迫ろうとしている。 3.2 谷川俊太郎が提起した「居方」 佐藤の言う「居方」とは谷川(1992)が国語 科の研究会の中で使用したのが始まりである。 そこで、研究会の様子が描かれている 2 冊『シ リ ー ズ 授 業 国 語 Ⅰ 漢 字 の 字 源 を さ ぐ る 』 (1991)『シリーズ授業 国語Ⅱ 詩と物語をあ じわう』(1992)での谷川の発言からその考え方 を整理し、改めてその源流に迫る。 谷川は、授業そのものが「子どもの学びに寄 表 1 佐藤学の教師の力量の捉え方(金田・堀江による) ⾲㸯 బ⸨Ꮫࡢᩍᖌࡢຊ㔞ࡢᤊ࠼᪉㸦㔠⏣࣭ᇼỤࡼࡿ㸧 ⫋ ே ࡋ ࡚ ࡢ ᢏ Ẽ ㉁ ᩍᖌࡢᜥ࡙࠸ ᤵᴗࡀጞࡲࡿⅬࡢᩍᐊࡢࠕᜥ࡙࠸ࠖࡀࠊᤵᴗࡁࡃᙳ㡪ࢆࡋ࡚࠾ࡾࠊࡑࡢ ᚋࡢᏊࡶࡢࠕᙎࡴࡼ࠺࡞Ꮫࡧࠖࢆ⏕ࡳࡔࡋ࡚࠸ࡿࡋ࡚࠸ࡿࠋ ᏊࡶࡢᏑᅾࢆ ࡈཷࡅṆࡵࡿ ᚰᆠᏊࡶࡢゝⴥ⪥ࢆഴࡅࡿࠊࡢᏊࡢⓎゝࡶ⣲ᬕࡽࡋ࠸࠸࠺ጼໃ ࡛ᤵᴗ⮫ࡴ࠸࠺ࡇࠋ ⪺ࡃ࣭ࡘ࡞ࡄ࣭ࡶ ࡍ ࠕ⪺ࡃࠖࠕࡘ࡞ࡄࠖࠕࡶࡍࠖ࠸࠺ࡘ㞟୰ࡍࡿࡇ࡛⤯ጁ࡞ࠕᜥ࡙࠸ࠖ ࠕᙎࡴࡼ࠺࡞Ꮫࡧࠖࢆ⏕ࡳฟࡍࠋ ᑓ 㛛 ᐙ ࡋ ࡚ ࡢ ୡ ⏺ Ꮫၥ࣭ᩥࢆᩍ ࠼ࡿᩍ㣴ࡢ㔜せ ᛶ Ꮫࡧࢆ┬ᐹࡋࠊࢹࢨࣥࡋࠊ⤌⧊ࡍࡿୖ࡛ᚲせ࡞Ꮫ⩦⛉Ꮫࡘ࠸࡚ࡢ⌮ㄽࡸ▱㆑ ࢆᣢࡕྜࢃࡏࡿࡇࠋ ᩍᮦࡘ࠸࡚ࡢ ぢ㆑࣭⌮ゎ ⮬ᕫ◊㛑ࡢࡶᩍᮦᑐࡍࡿ῝࠸⌮ゎࢆᣢࡘࡇࠋ ᑓ 㛛 ᐙ ࡋ ࡚ ᤵ ᴗ ࢆ 㐙 ⾜ ࡍ ࡿ ຊ ᐇࡽ┬ᐹࡍ ࡿᩍᖌ ⏣୰ࡉࢇࡀᤵᴗࡢ୰࡛୰ᚰⓗ⾜ࡗ࡚࠸ࡿ⾜Ⅽࡣࠕ┬ᐹUHIOHFWLRQ࡛ࠖ࠶ࡾࠊ ࠕ⇍⪃GHOLEHUDWLRQ࡛ࠖ࠶ࡾࠊࠕุ᩿MXGJPHQW࡛ࠖ࠶ࡗ࡚ࠊࠕぢ࠼࡞࠸ᐇ㊶ࠖ ࡛࠶ࡿࠋ ᩍ㣴࣭⌮ㄽ࣭ᐇ㊶ ࢆࡘ࡞ࡄ ࣋ࢸࣛࣥᩍᖌࡢᤵᴗᐇ㊶ࡣࠊᩍ⫋ࡢᑓ㛛ᛶࢆᵓᡂࡍࡿᇶ┙ࡀᖜᗈ࠸ᩍ㣴ᩍ⛉ ࡢᏛၥᩍ㣴ᩍ⫱Ꮫࡢ⌮ㄽᐇ㊶࠶ࡿ
り添う」ことを始まりとして作り出されるもの という考えを持っている。そして子どもと学び を深め合うためには子どもがどのような学びの 主体者なのかという「子どもを理解すること」、 そしてこれから扱う教材が(研究会が国語を学 ぶ会だったためだが)言語文化のどの領域にあ るもので、どのような性質を持っているのかと いう「教材文化を理解すること」が大切である としている。その上で「学びに立ち会う教師の 役割」として子どもが安心して教室で学びを生 みだすことができるような教師の関わりや在り 方を「居方」という言葉で表したのである 以下、『シリーズ授業国語Ⅰ 漢字の字源を さぐる』と『シリーズ授業国語Ⅱ 詩と物語を 味わう』の事例検討会での谷川の発言から読み 取り、谷川の考えを分析していく。 1)子どもの学びに寄り添う ・子どもの学びの差異を大事にする 教師自身が、学ぼうとする、また既に学んで いる子どもとどのように向き合おうとしている のかを一つの大きな問題として取り上げられて いる。ある意味、谷川の教師の在り方について の考えの中心的な部分である。 『シリーズ授業国語Ⅱ 詩と物語を味わう』 で対象としている授業の事例では、教師の子ど もたちへの「はーい」という呼びかけ方に注目 し、教師自身が子どもとどのように授業で向き 合おうとしているのかを浮き彫りにしている。 この「はーい」という声かけの言葉は、一人の 教師が多数の子どもたちを前にして、それらを ひとくくりとしてテレビの司会者のように扱う 言葉であり、子ども一人一人の個性や学びに寄 り添った言葉ではないと指摘している。まず、 授業をする教師が、子どもの学びに寄り添って 授業をしようとしているのか、授業そのものを うまくこなそうとしているのかの違いが見えて くるという。 また谷川は「子どもは既に言語を習得してい る」ものと捉え、子どもの学びと向き合い、寄り 添い、そこから子どもが発見した学びをともに 体験していくことで、個性を大事にされた子ど も自身も自分の考えをめぐらすことや自分の考 えを話すことへの主体性が芽生えてくるとして いる。授業は、教師自身のねらいだけが先行す ると、子どもの学ぼうとする事実は置き去りに されてしまうことになる。授業を創るのにも、 また実践するのにも、子どもという主体を無視 して進めることはできないとの谷川の考えが見 えてくる。 このように、教師の一方的な価値観の押し付 けではなく、子どもの学んでいる姿そのものに 向き合い、受け止めようとするところから教師 の営みが始まるということを示唆している。 次に、「子どもの学びに寄り添う」教師である ために必要な要素として以下の「子どもを理解 する」「教材と文化を理解する」の 2 点がその言 葉の中から浮かび上がってくる。 2)子どもを理解する 子どもというものが一体どのような学びを 生みだす存在なのかについての谷川の理解が伺 える。谷川は、教師自身が以下のような理解を 身につけていることの大切さを指摘している。 ・子どもの学び(味わい、表現し、聞きあう) 谷川は、研究会で「ことばは、もっと、体の 中から自然に出てくる段階に行かないと意味が ない」(谷川 1992 年 p16)と指摘しており、子ど もは本来、耳で聞き、十分に味わって、表現す るもので、体の中から自然に出てくるほど子ど もがよく聞くことが大事であるとしている。子 どもはそうして言葉や表現を自分のものにし、 表現者として変わっていくものであるともして おり、そのように子どもの存在がどのようなも のであるかを知り理解することで、教師自身の 授業の進め方、子どもへの関わり方にも違いが 出てくるとしている。 ・教材(テキスト)と向き合う 「物語も現実を根っこにして出てきているも のである以上、やはり、子どもたちのふだんの暮 らしとの接点を見つけてやらないといけない」 (谷川 1992 年 p80)としており、自分の目線で物 語を読み込むことができるよう、身の回りの現 実に目を向けさせリアリティを持たせることが 大切であるといわれている。詩の授業において も自分たちの身の回りの音を振り返らせ、テキ ストに入っていくべきと同様に語られている。 これらのことから、子どもがどのような世界 に生きているのかを理解し、その世界と物語や 詩の世界とをつなぎ合わせていくことで、読み
そのものを子どもたちが深めていくことができ るのだと捉えていることがわかる。 ・子ども同士の向き合い 読 み に は 正 し く 背 景 を 理 解 し た 読 み や 間 違った読みなど複数ある。しかし、自分に切実 感のある読みができていれば、互いの見解を聞 いた時に、そんな読み方もあったのかと相手の 読みに納得したり、説得されたりすることが出 てくる。そのようにして学びは深まっていくも のであるとしている。深い読みに触れあうこと によって互いの学びを深めていくのが子どもの 学びの世界であると捉えている。 3)教材と文化を理解する 次に「教材と文化を理解する」という観点か ら整理をしてみた。 教材を読み深めるだけでなく文化領域の中 に教材そのものがどのように存在しているのか 等、教師自身が広く、深く理解しておくことに よって教材そのものの扱い方が変わることにつ いて述べられており、その重要性が指摘されて いる。 ・教材の本質を理解する 谷川は、詩教材についてではあるが、「音を 題材にした詩」であれば、テキストには表れな い、日本語のリズム感や音の感じを、音声化する ことが大事であるとしている。それによって、 子どもは学びが面白いものになってくる。本質 が、わらべうたのように口伝えされたもののよ うに、文字面だけでは読み取れないものが音声 言語にこそあることを知っておくこと、そうし た見識をもつべきであるとし、教師が教材の本 質を理解することを指摘している。 ・文化領域の中の位置 これから扱う言葉の学習が言葉の教材の中 のどの位置にあるのか、子どもの学びにとって どのような意味を持っているのかを十分に教師 自身が知っておく必要があるとしている。子ど もたちにとって、この教材がどのような意味を 持ちどのような学びを作り出す可能性があるの かを教師自身が理解することの重要性の指摘で ある。それを理解したとき、教師の教材に対す る見方や考え方が広く、深くなると考えられて いる。 ・教師が教材を味わい理解する 「教師自身が、『ことば遊びはこの程度のもの である、もっと広大な世界が他にある、そっちは そっちで別の重要さがある』とわかり、つなが りを理解することができていれば、学びをもっ と発展させられたものにできる。」(谷川 1992 年 p35)とし、教師自身が扱う教材に対する理 解を十分に深めておくことの重要性が指摘され ている。 ・現代社会の子どもの生活について さらに研究会の中では、昔から伝承されて きたわらべうたのようなリズムが子どもたちの 中から消えつつあることが指摘されている。子 どもたちがテレビをずっと見ていることによっ て、新しい現代的で作られたものが発信され、 本来の日本語のリズム感が子どもの中から消え ているとしており、子どもたちがどのような世 界に生き、教材とどのような距離があるのかを 理解しておくことの重要性を指摘しているので はないかと考える。 4)学びに向かう教師の役割 最後に、以上のことを踏まえ、どのような役 割としての関わりが教師にできるかについての 谷川の考えを整理してみた。 ・道化と安心 教師のまじめすぎる姿が、ときには子どもを 息苦しくしてしまうことを指摘している。ユー モアを生かして道化的にこどもたちに振ること によって、子どもたちに自然な表現や反応が出 て、子どもたちの「よし、やってみよう」とい う気持ちを出させることにもなるとしている。 道化的に振舞うことについては「ああいうと ころで道化的に反応してやると、子どもは喜ぶ しくつろぐだろうな」と発言しており、そうし た教師の振る舞いが教室での子どもの安心感を 生み、子ども自身に道化的な雰囲気が生まれ、 自然な読みが子どもの内から表われてくるのだ としている。 ・教師の教室での積み上げ 「何学期も続くのであれば、一貫して生徒に 対するどういう居方をしているのかにかかって いる」(谷川 1992 年 p85)とあり、教師が 4 月 から子どもや子どもの学びに対する理解や教材 に対する理解を深め、安心をもたらすような振 る舞いも含め、子どもたちへの関わりを続けて
きた中で、子どもの学びそのものが変わってく ると考えられている。 居方 についてはここで 初めて発言されている。 以上、谷川の考えについての整理を試みた。 教師がどのような知見や見識を身につければよ いのか、具体的に詳しく論じているところが興 味深い。また、それらを身につけた教師が教室で 子どもたちとどのように向き合い学びを創り出 していくのかを「教師の居方にかかっている」 と表現しており、ここが 居方 という考え方 の出発点になっていることを確認することがで きる。 3.3 D . ショーンの「省察的実践」と「レパート リーの幅を広げる」 ここで更に、佐藤の理論のベースとなってい る D. ショーンの著書 2 冊から「居方」の根底 となっている考え方について整理し、柱立てを しておきたい。ショーン(1987)は、どのよう にすれば熟練した専門職たちが自己革新してい くことを助けられるのか、また専門職としての 継続性のある基盤の上にさらに自身の「スキル と理解のレパートリー」を作り上げていくこと をどう支援すればよいのかと問題提起したうえ で、大きく 3 つの理論に分けてそれを解決しよ うと試みている。その 3 つとは「行為の中の知 の働き」「行為の中の省察」「レパートリーの幅 を広げる」である。 1)行為の中の知の働き まず〈行為の中の知の働き〉について、「私 たちの賢明な行為の中に働いているようなノウ ハウ」であるとし、「私たちの知の形成は、行 為のパターンや取り扱う素材に対する感触の中 に、暗黙のうちにそれとなく存在している。私 たちの知の形成はまさに、行為の〈中〉にある といってよい。」(D・ショーン 2007 p.57)と 述べている。また「・・・知は言葉ではなく行 為の中にある。それは自然で巧みな行為の遂行 によっておのずから明らかにされる。そして特 徴的なことであるが、それを言葉で明晰に表現 することはできないのである。」(D・ショーン 2017 p.38)とも述べており、私たちの行為を言 葉に表して説明することの難しさも指摘してい る。〈行為の中の知の働き〉は行為の前提となっ ているもので、これまで学んできたことが通用 する通常の行為の状況の中で働くものであると 考えられている。 2)行為の中の省察 次に〈行為の中の知の働き〉では解決できな い予期せぬことが起こった場合について述べて いる。そうした予期せぬことが起こった場合、 それを無視し、払いのけるか、または省察する ことによって応えようとするのかどちらかの選 択を迫られることになる。後者の場合、事後に 考えるか、立ち止まって考えるか、行為の中で 考えるか、いずれかになるが、その中でも 3 つ 目の行為の中で考えることについてショーンは 「〈行為の現在〉、私たちが何かを行っている間 に、私たちの思考は、その行っていることにつ いて、それを別な形に作り替えるという働きを している。このような、行為のただ中で進めら れる、状況を変化させる思考を、私は〈行為の 中の省察〉と呼ぶこととしたい。」(D・ショー ン 2017 p.40)とし、予期せぬことに対応する行 為者の内的状態を〈行為の中の省察〉としてい る。 3)レパートリーの幅を広げる さらに〈行為の中の知の働き〉が〈行為の中 の省察〉によってさらに再考され、以後の行為 に新たな影響を与えていくことについて述べら れている。新しい問題を古い問題の解決を変化 させたものであると見なして同じように解決し ていくことにより、レパートリーの幅を広げ豊 かにしていっているのである。そして、その幅 の広さと多様さが、今後の新たな問題解決に影 響を与えていくと考えられている。 「行為の中の省察」によって新たに「レパー トリーの幅を広げ」新たな「行為の中の知の働 き」へと作り替えられていくというこの一連の 様子に、佐藤の言う「居方」の捉え方の基盤が あるといえる。 3.4「居方感覚」として捉え直す 佐藤の「居方」はショーンの理論をもとにし て考えると理解がしやすい。ベテラン教師は、子 どもに寄り添い学びを創出するために、いつど
の場所にいても目の前で起こっていることを省 察しながら、または省察をするために体の向き や視線を定め、立ち位置をとって子どもの学び を受け取り働きかけている。佐藤はそれを「居 方」とよんでいるのである。 「居方」とはそれ自体が行為である。行為に 至るためには、それまでに積み上げてきた知見 や見識、教師としての在り方についてのはっき りとしたイメージをもとに、目の前の事象を捉 え直しつつ同時に子どもとどのような学びを作 り上げていくのかという次の展開に発展させて いくための事象の意味づけと方策の選択を行わ なければならない。このような意味づけと方策 の選択のもと、子どもと学びを作り出していこ うと主体的に働きかけることが「居方」を自分 のものにしていくことにつながる。つまり自分 で納得している知見や見識、イメージを生か し、目の前の事象を受け止め、子どもとの新た な学びを作り出そうと働きかける際の相互に関 連し合う内的様態を「居方感覚」と概念化する こととした。そして若手教師の参与観察をもと に「居方感覚」を捉える側面として「子どもを 捉え生かす」「授業を創る 3 つの価値(教師のね らい・子どもの願い・学びの成果)を意識する」 「教師としてのモデル・イメージを持つ」の 3 つ の側面が重要であると考えた。そうした教室で の「居方」を作り出すためのもととなる「居方 感覚」に焦点をあて、若手教師との協働実践を 行っていき、より実践に即した「居方感覚」の 概念化を図っていく。 4.若手教師の「居方感覚」の萌芽 ここでは本校 4 年目の C 教師と 3 年目の D 教師の 2 名の実践から「居方感覚」に迫ること とする。マイクロ・エスノグラフィーの手法を 用い、教師が子どもを前にして省察する場面が 生まれているか、居方感覚の 3 つの側面をどの ように意識して取り組もうとしているかを観察 し、授業後のインタビューと照らし合わせて教 師の変容を捉える。 4.1 g児の関わりから見るC教師の変容 C 教師は本校 4 年目で 3 年生を担任している。 C 教師の学級には課題のあるg児がおり、授業 での C 教師の本児の対応や関わりに課題が見ら れた。その課題とは、g児への関わりが極端に 少なくて、距離を置いた位置に絶えず居ること であった。これについてはインタビューする中 でg児への関わり方がわからず苦慮していると のことであった。そこでC教師と協働実践を試 みることとした。 C 教師の場合「居方感覚」の①「子どもを捉 え、生かす」側面に課題があり、この側面に働 きかけをすれば、②「授業を創る 3 つの価値の 意識」に変化がみられるのではないかと考え た。また③「教師としてのモデル・イメージを 持つ」側面についても働きかけをすれば①や② にも影響を与えるのではないかと考えた。(図 1 参照。2017.11 考案。) 取り組みを続ける中で C 教師のg児に対する 理解の深まりが見られると同時に授業方法の変 化が見られた。まず、関わりの中からg児独特 の物事の見方・感じ方があることを C 教師自身 が気付き始める。そしてそれは学習の見通しの 持てる環境設定によってg児が安心して取り組 める状況を作り出すことができるということも 見えてきた。 次の授業のトランスクリプト(TS.2)からは、 C 教師がg児の様子から独自の見方や考え方が TS.2 C 教師の授業の一場面(2018.11.13 ) 教師 C:(机間指導に回りだすが、一番にg児のと ころへ行き、ノートを除き込む) (g児のノートに書かれたリットルますの 図を指して)これは前回書いたやつだから …(頭を撫でながら) g 児:えー、でもあれかきたいし 教師C:あー、(T 納得した表情で)あれ書きたい ねんな。はい。 ※ その後、教室内の子どもたちの様子を確 認したり、アドバイスをしたりして一周 しg児の所に戻ってくる。 教師C:(もう一度g児の所に来て) g 児:黒板に書いたことしか写さへんし(ここ でg児の感じ方に合わせて、無理強いをさ せず、g児に寄り添った問いかけをしなが ら教科書の課題をg児と問答形式で解く。 この課題について、直後の全体交流でg児 は挙手をして発表をした。)
102 金 田 泰 秀・堀 江 伸 あることを理解し、受け入れて関わろうとする 様子が見られる。 これは、算数科単元「小数」のある授業の導 入場面である。この「リットルます」は、これ までのC教師のg児への関わりの中で、大きな 図を黒板に描くとg児がそれをもとに課題に取 り組みやすくなった様子から、毎回の授業の冒 頭に必ず提示するようにしたものである。毎日 のg児への関わりと振り返りの中から C 教師は g児が目の前にわかりやすい例示があれば学習 活動に取り組もうとすることに気づき、それを もとに授業の中でのg児の行動反応について省 察し、理解を進め関わろうとしていることが伺 える。 TS.3 取り組みを行って 3 週間ほどたっ ての放課後のインタビュー(2018.11.13) 教師C:授業のほうはねえ・・・なんかこう、今ま ではなんか私(教室に)いるけ・・・ gは別の枠で動いているっていうところ が結構あったけど、今は一緒のところにい るのかな 私 :ああ、同じ空間を共有しているみたいなあ 教師C:そうそうそう!最近はちょっとちがうかな あと・・・大豆の話は(国語科「すがたを かえる大豆」のこと)前日にこれやるから なあって(言ったら)「分かったわあ。カー ドもっと増やすっていって」全部で 20 枚 くらい(カードを)書かはったんですよ。 それで次の日「これやるのかて言われて 「やるよ。」って答えて、それでスタートし たんですよ。
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ձᏊࡶࢆ ᤊ࠼࣭⏕ ࡍ އ૾ᴾ 図1.「居方感覚」の概念(2017.11)C 教師 この後の授業づくりにおいては、g児が見通 しをもって活動に取り組むことができるよう示 す資料を大きくしている。例えば模造紙を使っ て完成予想図を提示するというように作品例を 提示して見通しのある学習活動になるよう工夫 するなど教材の作り方、工夫の仕方などにレ パートリーの幅を広げる様子が見られ、新たな レパートリー化をしている。また、g児への理解 の深まりから生まれたこうした手立てによって 他の児童の学習活動の活発化も見られた。g児 に対する工夫は、他の児童たちにとっても有効 な手立てであることの気づきにつながり、例え ば、算数科と同じような資料提示の方法が国語 科でもできないかと、長い読み物教材でも一目 でどのような学習活動をしているのかわかるよ うに教材提示するなどの取り組みに広がり、読 み物教材や言語活動に必要となる資料の選択、 提示方法や活用の仕方という子どもに寄り添っ た学習方法の工夫という点でそのレパートリー の幅が広がっていくことをインタビューからも 確認できた。(TS.3 下線部参照) 4.2. 子どもたちと物語を読むD教師 D教師は本校 3 年目の 5 年生担任である。国 語科の長い物語教材(1 年目に取り組んだ『ご んぎつね』)に苦手意識が見られ課題に感じて いた。D教師とは教材の世界観を読み深めるこ とが子どもとの関わりにどのような変容となっ て現れるかを中心に実践を進め、子どもとどの ように主体的な学びをしていけるかということ を目指して教材に対する理解を深めてきた。以 下、国語科「大造じいさんとがん」の授業記録 や実践後のインタビューなどからもその過程が 伺える。 1)国語科「大造じいさんとがん」の実践 まずD教師は、初発の感想から子どもがど のようにこの教材を捉えているのかを掴み取ろ うとしている。その中でi児の「秋の日が美し く輝いていました」という記述への疑問に出会 い、これを取り上げて皆で共有することで子ど もたちの主体的な学びにつなげられないかと考 えたのである。D教師はこれまでの研修から子 どもの考えをもとにした学習を作り上げたいと 考えており、初発の感想を書かせる際にもどのように書けばよいか子どもたちにアドバイスを し、学習に繋がる意見が出て来るようアドバイ スもしていた。i児の疑問は偶然に見つけて出 会えたのではなく、D教師のそうしたねらいか ら生まれ拾い上げられたものなのである。 D教師とは事前に 4 学年の中堅教師が実践し ている国語科の実践事例をもとに授業の進め方 作り方についてカンファレンスを行い、教材の 時代背景や物語の世界について資料を収集して 教材研究を行っていたのであるが、更に他の指 導案にも目を通し、物語の世界を読み深めるこ とについての実践イメージを作り上げていって
TS.4 「大造じいさんとがん」第 2 時の
トランスクリプトより(2018.11.01)
教師D:じゃあちょっともう 1 個な、i君が不思 議やなあって思ってはったところ、ここ や「秋の日が美しく輝いていました」こ れちょっとイメージできる?どんな感じ か? m 児:そのまま(つぶやくように) 教師D:そのまま?秋の日がこう、(手をゆっく りと左右に大きくふってかざしながら) 輝いているのがこう…輝いているのがこ う…何色かなぁ…オレンジとかかなあ、 オレンジとか黄色で輝いていたんやけど (みんなに語りかけるようにそして、全文 掲示の個所に指をさしながら)なんでこ こでこんなん入ってるんやと思う?(全 体に呼びかける) m 児:・・・んん、かざり(つぶやくように) 教師D:ここでこんな風に入っているのって絶対 理由がある。この前のところで、どんな 理由で秋の夕日が美しく輝いているって 思わはったんやろ。ちょっと自分で読ん でここちゃうかなあと思うところ線引い ていって。 nちゃんはどう思った?例えば n 児:えっと、また…忘れて寄ってくるに違いない …って書いてあったからそのときに…その わくわする気持ちがあったっていうか… 教師D:ああなるほどな、わくわくしててから秋の 日が美しく輝いていた今、nちゃんが言 うてくれはったけど何で秋の日の夕日が 美しく輝いていたのか一回読み込んでく れる?ここのこのことばがあったから秋 の日が美しく輝いていたんちがうかとか、 ちょっと線を引っ張っていってみて… いた。 教材研究によってD教師自身の物語の世界 についての理解を深め、どのように子どもとの 学びを作り上げていくかというねらいがはっき りしていた。そのため、上手くいかなかった点 についても手立てが不十分であったことを的確 に振り返っていた。(2018.11.23 のインタビュー より)また実践の中で子どもたちがねらい通り に登場人物の心情の変化について捉えられるよ うになってきたことの実感を語れるようになっ ていた。 実際の授業(TS.4)の中では、初発の感想か ら本単元の主題に迫る感想を取り上げ、学級全 体でその課題を共有している。一人ひとりの学 びに結び付けるという展開で、n児の言葉をヒ ントにするようにして、テキストに戻って線を 引かせるなどして物語の読みを深める学習スタ イルを作り上げている。また、子どもの指名 は、事前の児童とのやり取りで掴んだ情報をも とにしているもので、子どもの実態を捉えなが ら授業を進めていることがわかる。選び取った 情報も授業の実践のイメージに沿ったものを選 び取っている。この後のインタビューで、この 授業の始まり(下線部)をつくったi児が、そ の後の毎回の国語科の授業で「ホクホクした顔 して」生き生きと学習に参加するようになった とD教師は述べている。76 ࠕ㐀ࡌ࠸ࡉࢇࡀࢇࠖ➨ࡢࢺࣛࣥ
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図 2.「居方感覚」の概念(2017.11)D 教師1 年前の「ごんぎつね」の実践では、長文の物 語の流れを追うことに精いっぱいであったが、 今回は、登場人物の心情を掘り下げて考えると ころが見られ、その一つ一つをつなぎ合わせる ことで心情の変化とともに情景描写も味わえる ように構成されていた。これは、D教師自身が 人物の心情と場面ごとの情景の変化に気づき、 子どもたちと学びとして共有したいというねら いのもとに、授業が創られ、進められていたか らである。子どもの学びを基軸にし、掘り下げ た心情をつなぎ合わせて主題に迫る実践に近づ けた。 子どもたちと物語教材の学びを深め合えた ことを通して、始まりを子どもがつくり、心情と 情景という二つの要素を織り込んで子どもとと もに読み深め学んでいこうとする「居方感覚」 を自分のものにできたといえる。(図 2) 詩の教材を扱った授業では、子どもたちが言 葉に注目し、情景についての自分の理解を作り 上げ、学びを深めていく姿から、これまでの実 践を経て子どもたち自身が身につけてきた学び の構えを、他の場面にも生かそうとしているこ とがわかり、教師自身の変化に伴った子どもた ちの変化も見て取れた。 その後、算数科の文章題では、問題文の意図 を読み取ることが出来ていない子どもたちの存 在に気づき、文章中の言葉の意味を意識ができ る手立てが必要であると考えた。そこで、文にあ るいくつかの数的な意味を捉えさせるために、 言葉をより吟味するよう、文章や言葉が何を示 しているかによって色付けをし、問題の意図を 捉えることがしやすくなるような提示の仕方を するなどの教師自身の変化が生まれている。ま た、そのことによって子どもたちの学習意欲の 変化が生じたこともD教師の実感として語られ ていた。 こうして類似していると理解することでレ パートリーの幅を広げ、実践の意欲と自信を自 分のものにしようとしている。 この事例からは、子どもの学びに寄り添った 教材研究によって、教師が教室での子どもとの 学びをつくり、その意味を省察し実践しようと する姿が、まだ小さいけれども見えてくるので ある。 2)D学級の子どもたちの変容 D 教師の「大造じいさんとがん」の実践の途 中であったが、D教師の学級を借りてベテラン 教師による師範授業を行った。これは校内 OJT の取り組みの一貫で若手教師がベテラン教師の 授業を見て習うというねらいで行ったものであ る。授業を行ったのは教師歴 30 年を越えるベテ ランE教師である。 E教師は教師歴 30 年を越えており、若い頃か ら教師仲間でサークルを組織し、研究、交流を 重ね、授業実践を積んできたベテランである。 今回の教材は「日曜参観」である。登場人物の わたしの心情を捉え、最後の一文の抜けた箇所 には何が入るのかを考えるというシンプルな授 業構成である。 E 教師が行った授業のおおよその展開は次の 通りである。
TS.5 E教師による師範授業より
(2018.11.14)
教師E:③と⑥どちらがどきどきしていると思い ますか。ノートに番号とその理由を書い てください。 ・・・ 略 j 児:すごくどきどきで感情的?だから③の方 が強い。 ※このあと、③に賛成する意見が続く 教師E:では、反対意見はありますか? k 児:⑥の方が強いと思って、③のときは「心臓 がすごくどきどき」っていう言葉が入っ てるけど、順番 ⑥の方が近づいている し、本当に緊張しているときって言葉も 出ないから・・・だから、どきどきさが 説明できないくらいどきどきしているっ ていう・・・ 教師E:ああ、説明できないくらいどきどきして いるっていう・・・ああ、つけたし?ど うぞ ・・・ 略 ℓ 児:僕は⑥で、⑥のどきどきは⑦の「あっ、 私の番だ。」って言うところから、どきど きしていて自分の番だっていうことを忘 れているほどドキドキ しているのかなっ て思ったからです。 教師E:ああ・・・(小さな声で頷きながら感心す る)自分の番忘れている・・・すごいね (本文の)言葉で説明しているね。めあて にあっているよ。導 入:詩の音読 展 開:登場人物のわたしについて掘り下 げる。 ・わたしが失敗したと考える理由を 交流する。 ・わたしのどきどきした気持ちにつ いて考え、交流する。 まとめ:最後の一文の表現について考え る。 E教師の授業のトランスクリプト(TS.5)に は、D教師の学級の子どもたちが、 わたし の 心情を詩の中にある言葉をもとにして考えよう としている姿が現れている。
日曜参観
和田香織 ① 一時間目の授業が始まった 。 ② 詩の発表会 。 ③ 心ぞうが 、 す ごくどきどき鳴っている 。 ④ 二十六番がわたし 。 ⑤ 海老原さんの次 。 ⑥ どきどき 。 ⑦ あっ 、 わたしの番だ 。 ⑧ 前に出て礼をした 。 ⑨ 声が出てこない 。 ⑩ 紙をちらちら見ながら終わった 。 ⑪ 家で 、 あんなに練習してきたのに 。 ⑫ 席について 。 k児をはじめとする約半数の児童は、先に出 てきた③の「どきどき」の方が「心ぞうがすご く」という表現があるため、どきどきする度合 いが強いとしていた。一方、ℓ児をはじめとす る約半数は⑥の方がその度合いが強いとしてい る。その理由は、詩の全体の流れとして後半に なるほどどきどきするはずだということ、そし てℓ児が述べたように、本当にどきどきしてい るときは声も出ないほどであるため「あっ」と いう表現になっているのだと主張している。 意見は 2 つに分かれているが、どちらの立場 の子どもたちも詩の本文に立ち返り、そこにあ る表現をもとに描かれた場面についての理解を 深めようとしていることがわかる。このトラン スクリプトからは、子どもたちが叙述をもとに 人物の心情を考え、交流し会う姿が見えてくる のである。 このような子どもたちの学びに向かう姿は、 D 教師が「大造じいさんとがん」で子どもたち と積み重ねてきた実践にかさなるのである。こ のように他の教師の授業であってもD教師の学 級での実践による子どもたちの変容を確認する ことができるのである。 5.総合考察 5.1 核となる「動的な居方感覚」 これまで D.ショーンの「行為の中の省察」 と「レパートリーの幅を広げる」ということを 授業実践の中に見出し、考察してきた。そして 参与観察から、授業の中で教師が省察を行うと き、子どもとの関わりの中にある、実践を「レ パートリー化している」姿を捉えてきた。その 中にある若手教師の変容を見出してきた。 その上で「居方感覚」の定義を改めて捉え直 したい。当初 居方感覚 の 3 つの側面として 「子どもを捉える・生かす」「授業を創る 3 つの 価値を意識する」「教師としてのモデル・イメー ジを持つ」という教師自身の中にある状態が相 互に関わりあって教室での教師の居方に繋がる としてきた。 しかし、若手教師の実践から、①「子どもに 寄り添い子どもの存在と学びを捉える」側面。 ②「教材価値とつながる学習を創造する」側面。 ③「授業場面のイメージを明確に持つこと」の 側面であると捉え直すとともに、それらが、教 師自身の中にすでに構築された価値観として単 に働きかけられるのではなく、子どもの瞬間瞬 間に変化する姿に寄り添う中で、正につかみ取 ろうと働きかけ、そしてこれからの変化を読み 取ろうと省察し、実践の形として遂行しようす る教師自身の「動的な」状態の中にあるものと 考えた。 子どもの学びの成果とともに「動的な居方感 覚」を掴み取ることが出来たとき、類似した形 や質の他の授業においても授業がどのように作 り上げられるのかが、動的なイメージとして思 い浮かべ、実践した授業から振り返ることによ りまた新たな授業をイメージができるようにな るのである。(図 3) D教師は、次の赴任先の学校(2019 年度)で も 5 年生を担任することになり、さらに国語科の実践を進化させていた。詩の学習では、音の 面白さを体感させるために様々な読ませ方をさ せ、十分に音や言葉に慣れ親しんだところで、 詩の言葉表現の特徴を考えさせている。言葉の 意味から学習に入るのではなく、音に親しみ、 音を十分に感じ取っることによって子どもの学 びが深くなっていることも感じ取っていた。こ れは、D教師自身が、新しく受け持った子ども たちが学習活動の中で、変化や動きのある活動 に敏感に反応していることを掴み取ったことか ら、ペアで音読をしたり、誰かに音読をきかせた りするなど、シチュエーションを変えて音読す ることに効果があるのではないかと気づいたた めである。また、その結果が、前任校でのE教 師の授業の子ども達の積極的に自分の考えを出 し合う姿と重なり、詩の表現を音として十分に 味わうことに意味があることとしてあらたな授 業のイメージを獲得することにも至っている。 D教師の作り上げた授業実践のイメージが、 表面的な授業のスキルや方法という形として残 されたのではなく、レパートリー化していく過 程で子どもの変化をどう感じとり、実践につな げるか動的に見出し直されている。このように イメージは場面や対象が変わっても、これまで 経験した類似場面をもとに新たなイメージとし て作り替えられ、別のレパートリー化に繋がっ ていくのである。このように、「動的な居方感 覚」は、子どもとの学びを生み出そうとする教 師自身の動的な変化の様態の中で説明される。 「動的な居方感覚」とは、数値や形で定義して はっきりと表すことは難しい。それは教室での 子どもと学びを作り上げていこうとする教師の 主体的な振る舞いの中にあり、常に子どもたち との新しい価値を見い出そうとする中に存在す るものだからである。教材研究が子どもの姿を 見通して行われ、子どもとどのような学習、実 践を進めるのかを明確に持つ教師が、目の前の その子どもと、特定の教材の理解を深め、教師 と子どもの学びを作り上げ、自身の授業実践の イメージとして掴み取ろうとしていく中で説明 できる感覚ということができるのではないだろ うか。そして、これまでの実践では、若手教師 の主体的な働きかけの過程で「レパートリー化 していく」姿の中に「動的な居方感覚」を自分 のものとしていくのが見ることができた。 5.2 これからの教師育成の在り方を考える では、その上で今後の若手教師の育成はどの ようにあるべきであろうか。「動的な居方感覚」 は授業の中で子どもの姿から省察をし、子ども への関わりについてのレパートリー化をしてい る経験の中に存在する。これこそが実践が抱え ざるを得ない「不確実性」に、非常に小さなひ とつずつではあるが、真伨に向き合い対応して いくことだと考える。 これまで参与観察してきた若手教師たちは、 子どもとの学びをどのようにすれば生み出せる のかという教師としての必然性を持って実践に とりくんできた。その必然性を持つことが、子 どもを省察し、子どもとの学びを生み出す動的 な居方感覚を生み出していたと考える。授業が 上手くなりたいというのではなく、「子どもとの 学びを創造したい」と強く思い描くという教師 自身の必然性のもとに子どもについての省察が なされたとき、レパートリー化していくことが 始まり、さらに、新たに次の子どもとの学びを 生みだしたいという必然性へとつながっていく のである。 今回対象とした二人の若手教師たちとは、子 どもの実態を把握し、子どもとの学びを生みだ すということについて学び直しをすることから 実践を進めてきた。その中で、自分がどのよう な実践をしたいのか、どのような教師でありた 図 3.「動的な居方感覚」の概念(2018.1)
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㸦㸧いのかということの捉え直しが行われていた。 そしてそこでは、はっきりと子どもの学びに寄 り添うという出発点が意識されていることも共 通していた。そのため、実践の都度、子どもに ついての省察が行われ、新たな子どもの実態の 捉え直しがなされるとともに授業実践の新たな イメージが創造されることに繋がっていったの である。そして、子どもとの学びを作り出す中 に見いだされた、教師自身のスタイルも動的に することによって、次の子どもたちとの学びの 中でも実践されていくのである。教師自身の変 容は、教室で子どもとの学びを共有し合おうと する中に見出せるものといえる。 そうであるならば、教師の自己形成や研鑽 は、放課後の教室やどこかの施設という実践か ら離れた場面ではなく、目の前に子どもがいる 授業実践そのものの中で行われる必要がある。
On the Job Training (仕事上での研修:OJ T)ではなく On the Practice Refl ection (実践 しながらの省察 : OPR)が必要となり、自ら の教室における子どもの学びの姿から省察する 機会を多くもつことが重要となる。 さらに、自己のレパートリー化していく経験 だけでなく、先輩の優れた授業を見る中で客観 的に省察する場面に出会い、他者の立場に立っ て事例を省察する場や機会をもつこと、中堅教 師との協働実践によってそうした省察の場面を 目の当たりにすることも有効的である。優れた 事例、あるいは逆に問題を抱えている授業実践 事例の記録映像を使っての研修も考えられる。 何よりも、目の当たりにしたことを鏡として、 自身の実践や子どもの姿を捉え直し、自分なり の授業イメージを獲得したり、新たに作り直し たりすることで若手教師自身は成長していく。 また、教師が教室での現実に立ち向かい、乗 り越えていった経験を記録した教育実践記録に 学ぶことも重要である。滋賀県内の各地の学校 には、それぞれの教育課題が存在し、教師は日々 その課題に立ち向かい、格闘し、乗り越えて教 育的成果を獲得している。そうした貴重な実践 の記録は、若手教師の求めたい解決方法の百科 事典的なレパートリー集といえる存在となり、 課題解決のための大きな足掛かりともなるはず である。また、多くの記録は、そのいくつかを 適切に融合し、つなぎ合わせれば課題解決のた めの大きな真実を掴み取るための重要なエッセ ンスにもなり得る。授業の中で省察する教師が いかに育っていくか、若手教師が成長する重要 な伴を握っていると考える。 文献 秋田喜代美他(2005).『教育研究のメソドロジー』東 京大学出版会. 新井紀子(2017).『AI vs. 教科書が読めない子どもた ち』東洋経済新聞社. 川島裕子他(2017).『〈教師〉になる劇場』シナノ印 刷. 木村 真由美(2016).『対話を通して文学を味わう授 業の実践的追究−子どもが問いを持ち、共に学 び合う授業づくりを目指して−』滋賀大学大学 院修士論文. 佐藤雅彰・佐藤学(2003).『公立中学校の挑戦――授 業を変える学校が変わる』ぎょうせい. 佐藤学(1997).『学びの身体技法』太郎次郎社. 佐藤学(2009).『教師花伝書――専門家として成長す るために』小学館. 佐藤学(2015).『学び合う教室・育ちあう学校――学 びの共同体の改革』小学館 佐々木正人(1994).『アフォーダンス―新しい認知の 理論』岩波科学ライブラリー. 柴山真琴(2006).『子どもエスノグラフィ入門――技 法の基礎から活用まで−』新曜社. 田村学(2015).『授業を磨く』東洋館出版社. 谷川俊太郎・稲垣忠彦他編(1991).『シリーズ授業 国語Ⅰ 漢字の字源をさぐる』岩波書店. 谷川俊太郎・稲垣忠彦他編(1992).『シリーズ授業 国語Ⅱ 詩と物語をあじわう』岩波書店. D・A・ショーン(2017).『省察的実践者の教育 ―― プロフェッショナル・スクールの実践と理論』鳳 書房(原著.1987). D・A・ショーン(2007).『省察的実践とは何か―― プロフェッショナルの行為と思考』鳳書房(原 著.1982). 福永和樹(2015).『協働的な実践におけるメンタリン グの可能性の追究−教師の成長を支える教師集 団の在り方を求めて−』滋賀大学大学院教育学 研究科修士論文. 茂呂雄二(2001).『実践のエスノグラフィ』金子書 房. ロイスホルツマン他(2014).『遊ぶヴィゴツキー : 生 成の心理学へ』新曜社.