東南 ア ジア研究 28巻 1号 1990年6月
バ ンコクの経済成長 とバ ンコク近郊 における資本家形成
- ナ コー ンパ トム県 及 び ラー チ ャ ブ リ一県 の事 例-上
田 曜
子*
The EconomicGrowth ofBangkok and the FormatiorLOECapitalistsin Bangkok's Suburban Areas
一
℃aseStudiesofN
&khon Fathom and Ratchaburi-YokoUEDA*
InThailand,capitalists-hereconsideredas the driving force of capitalism< onsist mainly of Chinese immigrants and their descendants.Sincetheirnetworkiscentered in Bangkok, the domination of Bangkok marks Thailand's economic growth. Even before the introduction of industrialization policy in the1960S,Chinesehadestablished industriesbothinBangkokandinthepr ov-1nCeS.
Thispaperexaminestheformationofc ap-italists in Nakhon Pathom and Ratchaburi,
based on asurvey Icarried outforseveral monthsin 1988 and 1989. First,ianalyze certain characteristics ofChinese capitalists and industriesin theseareas. Ithendefine twotypesofcapitalists:Bangkok-basedand reglOnally-basedones. Bangkok-basedcapl
-Ⅰ バ ンコクの経済成長 と バ ンコク経済圏の重要性 単一 の首位都市 (primate city) に経済 活動が集 中 し,国民経済 の成長 とともにその * 京 都 大 学 東 南 ア ジ ア研 究 セ ン タ ー ;The Center for Southeast Asian Studies, KyotoUniversity
talistsareofthegreaterimportancebecause oftheirrichentrepreneurshipandtheirc on-tribution to economic growth. They are concentrated in the Saamphraan districtof Nakhon Fathom,a neighboring district of Bangkok. Some of them have acquired enough strength to compete with foreign companies both in the domestic Thai market and in the international market. Thisisthecaseinthetextileindustry.
A crucialquestion fortheThaieconomy is whether `native'Thai一℃hinese capitalists can continue to compete successfully with foreign capital. Ibelievethatthisispossト ble atpresentonly forthe Bangkok-based capitalists,who will thereby continue to play a leading role in Thailand'seconomic development. 都市 への経済的集 中度 が ます ます上昇す ると い うよ うな経済成長 の類型 を 「首位都市主導 型経済成長 (発展)」 と名づ けるな らば, タ イ国 はその典型であ る。 バ ンコクは同時 に首 都 で もあ るので, タイ国 の場合 は 「首都圏主 導型経済成長 (発展)」とも呼 び得 る。 タイ国で本格的 に工業化政策が導入 された 1960年 代 以 降 の GDP年 平 均 増 加 率 を み る と, そ の増 加 率 は減 少 の傾 向 にあ る。 しか し,他 の発展途上国や先進国 と比較す ると, 55
表1 バンコクの人口増加とタイ国の経済指標 (%) バンコク首都圏への人口集中率● GDPに占める製造業部門の構成比 GDPに占める農業部門日の構成比 輸出に占める製造業部門の構成比 輸出に占める農業部門日の構成比 1961 1966 6.8 7.6 ll.1 13.7 33.6 32.1 2.4 3.8 82.7 76.9 1971 1976 9.5 10.3 17.6 18.7 22.8 26.6 10.0 26.0 62.6 51.8 1981 1986 ll.0 10.4 20.1 23.3 20.8 14.3 36.4 55.8 48.6 34.3 1960
I6
4
1965I69 1970-74 1975I79 1980-84 1985-87 輸出の年平均成長率 10.8 3.7 29.1 17.9 10.7 19.8 1960-70 1970-r80 1980-86 GDPの年平均成長率 (タ イ 国)=● (低 所 得 国) (中 所 得 国) (市場圏工業国) 8.4 4.4 5.9 5.2 7.2 4.6 5.6 3.2 4.8 7.5 2.3 2.5 注) ●バンコク首都圏の人口/総人口×100。各年の値は,それぞれ1960,1965,1970,1975,1980, 1985年の値である。 =林業及び水産業は含まない。 =●タイ国は中所得国に含まれる。出所)人口集中率 :Thailan d,StatisticalReportsDivision,SlatislicalSuTnTnaryOfThailand 1982,1986より算出.
GDP構成比(1961,1966,1971,1976):BankofThailand,BarzhofTJzai'ldndMonthlyReport
December1966,MonthlyBulletinDeceTnbeT・1971,December1975,December1980より算出。 GDP構成比(1981,1986),輸出構成比(1981,1986):ThanaakhaanHeangPratheetThai, RaaihaanSeetthahitRaaiDuanThanwaahhom 2529,ThanwaakhoTn2531より算出. GDPの年平均成長率 :世界銀行 「世界開発報告」1982年版,1988年版。
上記以外の統計 :FacultyofEconomics,ThammasatUniversity[1989:(2ト 28,(2ト 83]
。
その水準 は高 く (表 1), 国民所得 でみ る限 り, タイ国 の経済成長 は順調であ ると総括 し てよい。 また ここで経済成長 の過程 を農業部 門か ら工業部門 (とりわ け製造業) -経済構 造 の重心 が移行す ること,換言すれば工業部 門 (製造業) の伸張が経済成長 の原動力であ ると考 え るな らば,表 1でみ るよ うに タイ国 の経済成長 は進んで いるといえ る。 従 って, タイ国 においては,経済成長 の進展 とともに バ ンコク首都圏へ の人 口集 中度 が ます ます強 まるとい う傾 向がみ られ るのであ る。 人 口統計 の他 に もタイ国 の生産活動 におい てバ ンコク首都圏 (あ るいはバ ンコク大都市 圏- バ ンコク首都圏 の他 にその周辺五県 を 含 む- ) の重 要 性 を示 す統 計 が あ る (義 2)。 工業部門 についてみ ると, バ ンコク大 都市圏 は,人 口構成比 わずか15.1%に もかか わ らず工業部門全体 の61.2%を生産 している (1985年)0 ところで,経済発展 (成長) において,都 市が果 たす役割 の重要性 は, ジェー ン ・ジェ イ コプズ [ジェイ コブズ 1986]によ って強 調 されて きた。彼女 は,国家 を経済分析 の単 位 と して とるのは間違 いであ る, と して,都上田:バンコクの経済成長とバンコク近郊における資本家形成 表2 GDPの地域別構成比 (1985年) (%) 全 国 東北タイ 北 タ イ 南 タ イ 中部タイ● バンコク 大都市圏‥ 農林水産業 100.0 工業=● 100.0 サービス業=` 100.0 GDP 100.0 人口構成比 100.0 l 1 9 3 9 4 7 4 4 4 2 1 1 3 3 0 2 8 1 2 8 2 2 0 2 1 1 2 2 7 7 7 4 1 4 8 9 2 2 1 26.6 5.8 19.0 61.2 15.8 48.5 18.5 44.8 17.5 15.1 荏) ●′ヾンコク大都市圏を除 く。 =バンコク,パ トゥムタ一二一県,ノンタブリー県,サムットプラーカーン県,サムットサーコー ン県,ナコーンパ トム県を指す。 日暮工業部門とサービス業部門の内訳は次の通 りである。工業部門 :鉱業,製造業,建設業。 サー ビス業部門 :電気 ・水道業,運鴇 ・通信業,商業,金融業,不動産業,公務,サービス業。 出所)GDP構成比 :Samnakgaan KhanaKam makaan Phatthanaakaan SeetthakitlaeSangkhom
HeangCha且t,PhalittaphanPhaakleaCangwatChabap Pit2529より算出。
人口構成比 :Thailand,NationalStatisticalOffice,StatisticalSzLTnTnar)′Of Thailand 1986より算出。 市 こそが経済変化 を引 き起 こす地域であ り, 都市以外 の地域 は都市 で生 じた経済的変化 に 受身的 に対応す るのみであ る, と指摘す る。 彼女 の意見 によれば,都市 が創造す る経済的 変化 の中で, イノベー シ ョンと輸入代替 が重 要 である [同上書 :第2章]。 そ して, 発展 を 「日常 の経 済活 動 の中 に イ ンプ ロ ビゼ ー シ ョンを取 り入 れ ることがで きるよ うな状況 の もとで絶 えず創意 を加 えて改良す る過程で あ る」 と定義 している [同上書 :186]。 イノ ベーシ ョンと輸入代替 を通 じて 「発展」 を生 み出せ るのは,多様性 に富 み,変化 に機敏 に 対応す る市場 を持つ都市 だけであ る。 ジェイコブズの 「発展」 の概念 は, シュム ベ ー ター の定 義 と一 脈 通 ず る もの が あ る。 シュムベー ターによると
「
『発展』 とは, 経 済 が 自分 自身 のなかか ら生 み出す経済生活 の 循環 の変化 の ことであ り,外部か らの衝撃 に よ って動 か された経済 の変化 で はな く, 『自 分 自身 に委 ね られた』経済 に起 こる変化 との み理 解 す べ きで あ る」 とい う [シ ュムベ ー ター 1977(刀:174]。 また 「経済 における革 新 は……新 しい欲望 が生産 の側か ら消費者 に 教 え込 まれ, したが って イニ シアテ ィヴは生 産 の側 にあ るとい うふ うにお こなわれ るのが つねである」 [同上書 :181] と し,生産 にお ける 「新結合 (innovation)」
とい う概念 を 提 出す る。 そ して 「新結合が非連続的 にのみ 現 われ ることがで き, また事実 そのよ うに現 われ る限 り,発展 に特有 な現象 が成立す るの で あ る」 と して, 発 展 を 「新 結 合 の遂 行」 [同上書 :182] と定義 してい る。 と ころで ジェイ コ プズの い う 「イ ノベ ー シ ョン」 や 「輸入代替」 に しろ, あるいは シュムベー ターが主張す る 「新結合 の遂行」 にせ よ, その担 い手 とな るのは,他 な らぬ資 本家1)である。 資本家が 「発明家」 で はない 場合で も,発明家 の活動や発明品 ・輸入代替 I) シュムベーター [1977(月:198-199]は,節 結合の遂行者を企業者 (entrepreneur) と呼 んでいる。 本稿においては, 新結合の遂行者 であると同時にそれに必要な資本蓄積に励む 経済主体を資本家 と定義する。資本主義に基 づ く経済発展は,資本家の自由な投資活動に よってはじめて可能 となり,そのためには資 本の集中を必然的に伴うからである。品の市場へ の提供 を可能 にす るのは、資本家 の投資であろ う。 もっとも,一般 的 な歴史解 釈 と して, 資本主義 は労働者階級 を搾取す る ことによ って, つ ま り他者 を犠牲 に して, は じめて成長 を遂 げて きた とされてい る。 これ に異 議 を 唱 え た ハ イ エ ク
[
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9
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4
]
は, そのよ うな歴史解釈 は何 ら根拠 のない神 話 であ ると主張す る。 - イエクによると, 自 由市場 の発達 によ って労働者階級 は, それ ま での歴史過程 において想像 もで きなか った程 の報酬 を受 け取 るよ うにな ったのであ る。本 稿 において も, 資本家 こそが市場機構 を通 じ て経済発展 を可能 にす る主体 であ ると考 えて いる。 経済発展 の主役 を演 じるのが資本家で あ り, またその起爆地 が都市 であ るな らば, 都市 の資本家層 に こそ, 目を向けなければな らない。 本論文 は, タイ国経済発展 におけるバ ンコ ク首都圏 の資本家層 の重要性 を検証す る一 つ の試 みで あ る。 バ ンコ ク西南 に位 置 す るナ コー ンパ トム県 とラーチ ャプ リ一県 を調査地 に選定 し,両県 の資本家形成 につ いて調査 を 行 な った。 バ ンコクの近郊 を調査地 と したの は, まず第- にバ ンコクか ら流 出 した資本家 の経済活動 を把握 す ることがで きるか らで あ る。 彼 らの経 営 行動 を分 析 す る こ とに よ っ て,都市 の資本家 が果 たす役割 を考察す る。 第二 に, バ ンコクの成長が生 みだ した都市地 域2)とその後背地 における資本家像 の比較 を 2)「都市地域 (cityr
e
gi
ons
)
」
の概念は,ジ ェ イコブス [1986]に負っている。 彼女のいう 都市地域とは, 都市の 「郊外を超えてす ぐに 始まる後背地で, 農業的, 工業的, 商業的な 仕事場が揮然一体 となっているところ」であ り,
「このような都市地域は,都市それ自体を 別とすれば,あらゆるタイプの経済の中で最 も豊かで, 最 も人口密度が高 く, 最 も陰影に 富んだユニークな地域である。都市地域 は, もっぱら,その核となる都市の産物であるた めに...…その境界線は,都市のエネルギーが 命ずるままに外に延びたり止 まったりす る」 [同上書 :53]
。
行 う。 この比較 を通 じて, バ ンコクの資本家 層 の経済的特徴 を明確 に し,彼 らが工業化推 進 の一翼 を担 っていることを再確認す る。 バ ンコク西南 の この二県 にお いて は, ナ コー ン パ トム県 の一部 がバ ンコクの都市地域 に相 当 す る。 それ以外 の地域 は,都市一都市地域 の 後背地 と して定義 され る。都市地域 は,バ ン コクの影響 を直接 に受 けてい る地域 であ るの に対 し,都市地域 の後方 に広 が る後背地 は, その影響 は少 ない といえ る。都市地域 とその 後背地 との比較考察 は, いか に して, バ ンコ クが資本主義 の メカニズムを地方 の伝統社会 に持 ち込 み地方経済 を牽 引す る機関車 とな り 得 るのか, を判断す る一つの材料 となろ う。 Ⅱ ナ コー ンパ トム県 ・ラーチ ャプ リ一県 に お ける資本家膚の形成 Ⅱ-1 調査方法 両県 における資本家層形成 に関す るデー タ を収集 す るために両県 に立地す る工場 の所有 者 ・経営者 に対 して面接調査 を行 な った。 こ の調査 はタイ人 の助手 とともに タイ語で行 わ れ た。 工 場 の選 択 は, 両 県 の工 業 省 県 支 局(
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Nakhon Pa
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hom,Samnakgaan Ut
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aaha-kam CangwatRat
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i) に登録 されている事業所3)の中か ら, 規模 (従業員数 と登
3)登録が義務づけ られている事業所 (roon g-gaan)とは,2馬力以上の機械を使用 し, あ
るいは従業員7人以上を使用 して生産活動を 行 うところを指す(Ph17allaaChabanyatRoon g-gaanPho.So.2512)。
r
l
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m Bgaanは通常 「工 場」 と訳されるが, 本稿では 「事業所」 と 「工場」の二語を訳語 としてあてた。また,ナ コーンパ トム県 とラーチャプリ一県の工業省 県支局に登録 している事業所の総数は次の通 りである。 ただし, 精米所 ・製材所 ・製氷所 を除いた数である。 ナコーンパ トム県 (1987年現在) 502 ラーチャプリ一県 (1986年現在) 681 尚,各県の登録事業所の部門別分類について は表 3の注を参照されたい。上 田 :バ ンコクの経 済 成 長 とバ ンコク近 郊 にお け る資本家 形成 録資本金) の大 きい順 に,選んで行 な った。 ナコー ンパ トム県の方が, ラーチ ャプ リ一県 よりも規模の大 きい事業所が多いため, それ ぞれ異 なる尺度で事業所を選定 した。 ナコー ンパ トム県で は,従業員数100人以上 または 登録資本金10万バーツ (約50万円)以上 を一 応 の目安 と し,少 な くともどち らか一方 の基 準 を満 たす事業所を選んだ。 ただ し, この方 法で選抜 された事業所 は, サームプ ラ- ン郡 に偏在 していたため, ナコー ンパ トム県の商 業 ・流通 の中心地であるムア ン郡 については 上記 の規模 に達 していない事業所 も,若干含 めた。他方 ラーチ ャブ リ一県 については,50 人以上 または10万バーツ以上 を基準 と し, ナ コー ンパ トム県 と同様, どち らか一方 の基準 を満 たす事業所 とした。精米所 ・精材所 ・精 氷所 については, タイ全国でみ られ る生産活 動であ り,両県の経済的特徴 を描 くには,育 効 な調査対象 とな り得 ないと判断 し,調査対 象か ら除外 した。 以上 の条件 を満 たす工場 は,各県それぞれ 約
8
0
カ所 あ った。 しか しなが ら,最終的に得 られたデータは,以下 に示す通 りである。 こ こで い う資本家 とはその工場 の創設者 を指 し, また事業所数が資本家数 より多 いのは, 一人の資本家が複数 の工場 を所有 ・経営 して いる例が若干み られたためである。 ナコーンパトム県 資本家数 47名 事業所数 55カ所 調査期間 1988年 6月
30日-10月 26日 ラーチャ プリ一県 資本家数 35名 事業所数 41カ所 調査期間 1989年1月 20日-2月24日 II-2 調査地 についての概観4) 4)この節をまとめるにあたり,Krom Song-suum KaanKaseet,SathitiKaanPhoDluuk PhuutSeetthakit伽 cam Pii2527/28及び, シラバゴーン大学研究センターが,
1
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8
8
年10月
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2
-
1
4
日に開催 したセ ミナー, Satha a-naphaap lea Luuthaang Kaanwichai phua Kaanphatthanaa Phuumiphaak Tawantok:SangkhommasaatManutsaya -saat lea Witthayaasaatで配布 された資料を参 照 した。 参 考 の た め, 両 県 の GPP (Gross ProvincialProduct
,1
9
8
5
)
を掲げるn 詳細 な分析 に入 る前 に,調査地 とな ったナ コー ンパ トム県 とラーチ ャプ リ一県 について 本論 の内容 に関係す ると思われ る特徴 を簡単 にまとめてお きたい。 ナコー ンパ トム県 は,バ ンコク首都圏の西 側 に隣接す る県である。人 口およそ
6
3.
8
万人(
1
9
8
8
)
を有す る。同県 は六っの郡か ら成 る。 特 にバ ンコクと接す るサームプラー ン郡 は, 工場 の建設が進み,工業地区を形成 しつつあ る。第六次経済社会発展計画(
1
9
8
7-9
1)で は, こ の 郡 は, Bangkok Metropolitan Region (バ ン コ ク首 都 圏 の他 にパ トゥム タ-ニー県, ノ ンタブ リー県, サ ム ッ トプ ラ-カー ン県, サ ム ッ トサ ー コー ン県, ナ コー ンパ トム県の五県 を含 む) 内の工業地帯 の一部 に指定 された。 ナコー ンパ トム県の商 業 ・流通 の中心地であるムア ン郡 までは,バ ンコクか ら5
8
血である。バ ンコクに通 じる幹 線道路 には新線が開通 し,バ ンコクまでの距 離 と時間が短縮 された こともあ り, サームプ ラ- ン郡 は もちろんの こと, ナコー ンチ ャイ シー郡 ・ムア ン郡 もバ ンコク首都圏の通勤圏 とな っている。 サームプラー ン郡 の工業地区 とムア ン郡 の商業地区を除 けば, あとは,農 業地区である。主要農作物 は,栄,砂糖 きび全
国
ナコーンパトム県 ラーチャプリ一県 (G
D
P
)
(GPP) (GPP) GDP
,
G
P
P
1,041
,
3
54.9 12,630.5 14,409.5 (百万バーツ
) (100
.
0%) (100.0%) (100.0%) 産業別構成
比 (%) 農 林水
産 業 17.1 鉱 業 2.8 製造
業 20.1 建設
業 5.2 電気・
水
道業 2.3 運輪・
通
信業 9.1 商 業 18.2 金融
業 8.2 不動
産 業 1.3 ,(iloWE.
r
S
AipEEofdw聖 g) サ ービ
ス 業 11.1 7 1 7 3 4 0 2 7 2 3 5 4 0 9 4 3 8 8 6 1 4 9 2 1 1 7 9 8 8 4 3 00 0 3 3 8 0 8 1 2 2 7 7 6 1 4 6 2 2 1 -人当たり
GDP
,
G
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20,148 21,227 21,410 (′ヾ-ツ
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gionalProdzLCt1980
1
1986よ り作成0 59_ : T T _I-∼1-: -;i tt _ 三 ナ コー ン/<トム県 1 サ ー ムプ ラー ン郡 2 ナ コー ンチ ャイ シー郡 3 ムア ン郡 (ナ コー ンバ トム県) 4 ドー ン トゥーム郡 5 バ ー ン レー ン郡 6 ガムベ ー ンセ ー ン郡 ラーチ ャプ リ一県 7 ダム ヌー ンサ ドゥワ ック郡 8 ワ ッ トブ レー ン郡 9 バ ー ク トー郡 10 ス ワ ンナ ン郡 11 バ ー ンベ 一都 12 ポー ター ラーム郡 13 ムア ン郁 (ラーチ ャプ I)一県) 14 ジ ョーム プ ン郡 15 バ ー ンポー ン郡 図1 ナコーンパ トム県 ・ラーチャプリ一県 等であ り,養豚業 は,国内で最 も盛んな県で ある。総 じて,バ ンコクと接 しているためバ ンコク首都圏の成長 によって変化 しつつある 地域 といえよう。 一方, ラーチ ャブ リ一県 は,バ ンコクか ら ナコー ンパ トムを経由 して,南 タイへ続 く幹 線道路 によって,バ ンコク ・ナコー ンパ トム とつなが る県である。同県 ムア ン郡 まで,バ ンコクか らおよそ1001皿であ る。全県の人 口 は約
7
0
万人 で, 九 っ の郡 か ら構成 されて い る。 同県 の主要農作物 は, 米 の他, 砂糖 き び, タピオカ等である。 また全国の中で も, 畜産業 (養鶏 ・あひる ・養豚 など)が盛んな 県の一つである。バー ンポー ン郡か らカー ン チ ャナブ リー県 にいたる道路 には,多 くの砂 糖工場が立地 している。全体 としてバ ンコク 郊外の外側 に位置す る農村地区 として把握 さ れ るo ナコー ンパ トム県 までをバ ンコク経済 圏 (あるいはバ ンコク大都市圏) に含めるな らば, ラーチ ャブ リ一県 は, その外縁を越え た地域 となる。 Ⅱ-3 調査結果 正一3-1 産業分類 両県で調査す ることがで きた事業所を産業 別 に分類す ると(
表
3
), 繊維 と食品部門が 最 も多 く, それぞれ全体の約3分 の 1を占め る。次 いで多いのは,窯業 ・土石製品である が, これは, ラーチ ャプ リ一県 ムア ン郡が全 国で も屈指の水瓶生産地であることを反映 し ている。同部門16カ所中10カ所が ラーチ ャブ リ一県 ムア ン郡 に立地 す る水瓶 の窯場 であ る。 また, ラーチ ャブ リ一県 における輸送用 機械 とは,主 にバスや トラックの車体 を顧客 の注文 に応 じて製作す る工場をさす。 ナコー ンパ トム県 とラーチ ャプ リ一県の県境地区が この類の工場が集中 している地域であ り,今 回の調査で は, ラーチ ャプ リ一県バー ンポー ン郡 の工場5カ所が含 まれている。 この産業分額か ら,指摘で きる点 は,以下 の通 りである。 まず第- にタイ国内で産出さ れる農産物や資源の加工業が多 いとい うこと である。野菜 ・果物の缶詰 ・加工,米 や豆 を上田:バンコクの経済成長とバンコク近郊における資本家形成 表3 事業所 の産業分類 ナ コー ンパ トム県 ラーチ ャプ リ一県 計 食料品 (飲料 ・飼料 を含 む) 繊維 (衣服 ・その他 の繊維製品を含 む) パル プ ・紙 ・紙加工品 化学 (プラスチ ック ・ゴム製品 を除 く) プラスチ ック製品 ゴム製品 窯業 ・土石製品 金属製品 一般機械 輸送用機械
2
3
22 1 2 2 1 41
2
1 2 5 33 32 1 2 3 1 16 1 2 5 計 55 41 96 注) ナ コー ンパ トム県, ラーチ ャプ リ一県 における登録事業所全体 の部門別分類 を参 考 まで に掲 げ るo 但 し,精米所,製材所,製氷所 を除 く。 この分頬 は,工業省 ナ コー ンパ トム県支局 (Samnakgaan Utsaahakam CangwatNakhonPathom)及 び工業省 ラーチ ャプ リー県 支 局 (Samnakgaan Utsaahakam CangwatRatchaburi)に登録 して いる事業所 の分類 に基づ く。ナ コー ンパ トム県 ラーチ ャプ リ一県 (1987年現在) (1986年現在) 登録事業所総数 502(100.0%) 681(100,0%) 食料品 繊維 パルプ ・紙 ・木製品 化学 窯業 ・土石製品 金属製品 一般機械 電気機械 輸送 用機械 その他の製造業 (出版 ・印刷等) 119 (23.7%) 81(16.1%) 33( 6.6%) 72(14.3%) 59 (ll.8%) 27( 5.4%) 6 ( 1.2%) 3 ( 0.6%) 99 (19.7%) 3( 0.6%) 132(19.4%) 35( 5.1%) 42( 6.2%) 14 ( 2.1%) 158 (23.2%) 30 ( 4.4%) 2( 0.3%) 1( 0,1%) 249 (36.6%) 18 ( 2.6%) 原料 とす る麺類,砂糖 きびを原料 とす る砂 の加工業 もみ られた。砂糖 と水瓶製造 は,原 糖 ・ラム酒の他 に,水瓶 の製造 に適 した陶土 料 (砂糖 きび と陶土) の賦存が両産業 の発生 を産出す るラーチ ャブ リ一県で は,窯業が盛 と立地 を決定 したといえ る。 んである。同県では石灰を産出す るので, そ 第二 に,1960年代 の工業化政策導入以降,
輸入代替政策 によ り保護 されて きた繊維産業 の伸張が うかがえるとい うことである。 ただ しこれに相当す るのはナ コー ンパ トム県 につ いてだけであ り, ラーチ ャブ リー県の繊維産 業 はその性格 を異 に している。 ナコー ンパ ト ム 県 で 調 査 した 繊 維 工 場 の65% が BOI
(
Boa
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か ら免減税等の投 資奨励を受 けていた。 また輸出志 向が強 く, そ の製 品 を100%輸 出 して い るのが全体 の 30%強,他 に輸出を行な っている工場を加え ると全体 の84.2%の工場が製品を輸出 してい る。5)一方, ラーチ ャブ リ一県で は,BOIか ら投資奨励を受 けた工場 はむ しろ例外で,国 内市場向けの生産を行 な っている所が多 く, 国内市場100%の工場が全体 の60%に ものぼ る。同県の繊維工場 の多 くは, タイ人が 日常 生活で使用す る浴布 bhaakh
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・巻 きスカー ト bhaa s
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杏 生産す る工場である。 これ らの浴布 ・巻 きス カー トは,材質や模様等か らして,輸入品 と 競合す る商品ではない。 また再加工 して輸出 され る ことのな い最終 消費財 で あ る。 ラー チ ャプ リ一県 の繊維工場 は,政府の保護政策 か ら直接恩恵 を受 けているところは非常 に少 な く,伝統産業の延長線上 にあると考える方 が適当である。 第三 に派 生 産 業 の形 成 が若 干 み られ た。 - ー シュマ ン [- - シュマ ン 1961:第 6 章] によると,製造業 は,他の産業 に比べて 派生産業を誘発す る力が強 く,従 って製造業 は,経済発展 において主導的役割を果 たす と 考え られる。調査対象の中では,繊維産業 に 派生産業が発達 しているようであったが,防 績 を日系企業 や輸 入 に負 って い る工場 も多 5) 衣服以外の繊維製品については, 国内で さら に加工 されてか ら輸出され る場合があるので, 最終的 に,繊維製品の どれ くらいの割合 が輸 出にまわ っているのかを限定す ることは困難 である。 く,現地資本が参入す る余地 は残 されている といえ よ う。 これ以外 に派生産業 は, ラー チ ャプ リ一県バー ンポー ン郡 に立地す る砂糖 製造業 に集中 してみ られた。後方連関産業 と しては, (砂糖を詰めるための) プラスチ ッ ク ・バ ッグ製造 と砂糖生産用一般機械 の製作 があ り,前方連関産業 には砂糖工場の副産物 であ る砂糖 きびの絞 りかす と糖密(
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)
をそれぞれ原料 と して使用す る製紙工 場 と化学調味料製造工場があ った。6) 他 に一 次産業である養豚業の後方連関産業 として飼 料工場の派生がみ られた。 ナコー ンパ トム県 は,養育頭数で全国一位を誇 る養豚業県であ る。 同県では,3カ所の飼料工場を調査でき たが,その うちの1カ所 は,明 らかに,同県 の養豚業が誘発 した飼料工場であった。 ラー チ ャプ リ一県で も,同様 な例が1カ所み られ た。 それは,養豚業の経営者が事業拡大の過 程でその後方連関産業である飼料生産 にも参 入 した例である。 Ⅱ-3-2 設立年 ここで工場 の設立年 とは,調査 した工場が ナコー ンパ トム県 ・ラーチ ャプ リ一県 に設立 された年をさす。他県か ら移転 してきた工場 については,移転の年を, また, ナコー ンパ トム県あるいはラーチ ャブ リ一県内で工場を 移転 している場合には,最初の工場 を設立 し た年を, それぞれ工場の設立年 とした。他県 か ら移転 し, その後 ナコー ンパ トム県内ある いは ラーチ ャブ リ一県 内で さ らに移転 を行 な っている工場 については,他県か ら両県の いずれかに工場 を移転 した年を とった。工場 を買収 して,事業 に参入 したケースについて は,工場 を買収 した年 と した。 また,一人 の 資本家が複数 の工場 を経営 している場合 は, 6)製紙工場 と化学調味料製造工場 は調査す るこ とがで きなか ったので,調査対象 には含 まれ ていない。上田 :バ ンコクの経済成長 とバ ンコク近郊における資本家形成 それぞれを独立 した事業所 とみな し,別個 に 統計 に含 めた。 タイの工業化 は,輸入代替政策が導入 され た1960年代初頭 に始 ま った とされ る。表4か らも,1960年以降,両県 に立地 す る事業所数 が増 大 して ゆ く傾 向 を読 み とる こ とがで き る。 特 にナ コー ンパ トム県 で は, この動 きが 強 い。 今回の調査 で は,1959年以前 に開設 された 事業所 は, ナ コー ンパ トム県 よ りもラーチ ャ プ リ一県 に多 くみ られた。 これ は, ラーチ ャ プ リ一県 の工業化が ナ コー ンパ トム県 よ りも はや く始 ま った ことを, 必 ず しも意 味 しな い。 とい うのは,調査対象 を事業所 の規模 が 大 きい順 に,両県 それぞれ選定 した結果,大 規模工場が集 中 してい るナ コー ンパ トム県で 小規模 な伝統産業 が調査対象 か ら漏れた と考 え られ るか らであ る。 後述 す るよ うにナ コー ンパ トムの大規模工場 は, バ ンコクか ら流 出 して きた工場 であ り,表4のナ コー ンパ トム 県 の数字 は, バ ンコクの経済的拡大 を反映 し てい ると考 え るべ きで あ る。 表5が示 す よ うに ラーチ ャブ リ一県 の繊維 と水瓶製造部門 に,1959年以前 に設立 された 事業所 が集 中 してい る。 これ らの事業所 は, すべて ラーチ ャプ リ一県 のムア ン郡 に位置す 表4 事業所 の設立年 ナ コー ンパ トム県 ラーチ ャプ リ一県 計 1935-39 1940-44 1945-49 1950-54 1955-59 1960-64 1965-69 1970-74 1975-79 1980-84 19 85-1988・89 一 一 一 ー 一 2 4 1l l3 18 6 2 1 2 1 5 2 7 7 4 7 3 2 1 2 2 5 4 1 8 7 5 9 1 1 1 2 計 41 96 る。 ラーチ ャプ リ一県 ムア ン郡 の繊 維部 門 は,前述 の通 り, 国内市場向 けの, タイの伝 統的布 を生産 (染色 ・織布)す る事業所で あ る。水瓶 も,雨水 を飲 み水 とす るためにため てお くための商品であ り, や は り, タイ人が 古来, 日常生活 で使用 して きた商品であ る。 浴布 ・巻 きスカー トと水瓶 は, タイ人の伝統 が育 んで きた商品であ り, かつて は,各家庭 でつ くり, 自家消費 して きた と考え られ る。 そ こで ここで は, これ らの商品を市場化 し, 販売 を 目的 として生産 を始 めたのは, タイに 移転 して きた中国人であ った とい う仮説 を立 表 5 事業所 の産業分類 (設立年別) ナ コー ンパ トム県 ラーチ ャブ リ一県 1959年以前設立 1960年以降設立 1959年以前設立 1960年以 降設立 食 料 品 繊 維 パ ル プ ・紙 ・紙加 工 品 ス ム ・ 属 般 送 ラ 業 化 プ ゴ 窯 金 一 輸 チ ッ 土 用 学 品 品 品 品 械 械 製 製 ク 製 石 製 機 機 一 一 一 ー 一 一 一 一 一 一 23 22 1 1 2 1 4 一 一 5 一 1 1 一 I L 7 1 1 4 計 63
ててみたい。 今回の調査 の結果 によると,
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年以前 に 繊維工場 を ラーチ ャプ リ一県 ムア ン郡 に開設 した4名の資本家 は,客家系中国人 1世 3名 と潮州系2世 1名であ った。彼 らの うちで, 最 も早 く操業 を開始 したのは,1
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年代後半 に工場 を開設 した客家系1世で,残 りの 3名 も1
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年代後半 に設立 している。 後述す るよ うにラーチ ャブ リ一県 は, タイ 国全体 の傾 向 と比べ ると,客家系の移民 が多 く,筆者 の調査では, ラーチ ャプ リ一県 のム ア ン郡 に移住 した客家系 1世 は全員,繊維産 業 に参入 している。従 って, ラーチ ャプ リ一 県 ムア ン郡 の繊維産業 は,客家系移民 が中心 とな って,始 め られた とい う可能性が考 え ら れ る。7)1
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年以前 に, ムア ン郡で繊維部門 の事業所を開設 した4名 の職歴をみ ると,中 国で織布工 (手織 り) と して働 いた経験 があ り, タイへ移民後 も織布工場 の従業員 とな っ た者 1, タイに移民後,バ ンコクの織布工場 で働 いた経験 がある者2,中国系住民が着用 す る黒色の ズボ ンを仕立 て る布 の染色 にムア ン郡で携わ っていた者 1, とな っている。 こ こで,彼 らが勤務 していた織布工場 は, おそ らく中国人が経営 していたのであろ うか ら, 彼 らは全員中国人社会の中で,織布 ・染色の 技術 を習得 している。 これ は,工業化政策が 導入 され る以前 に,中国か ら移民 して きた者 の技術 によ って,バ ンコクの中国系住民 の中 で小規模 な工業が営 まれていた ことを示唆 し ている。同時 に, 当時の地方 の工業化が, 中 国か らの移民 と,バ ンコクを中心 とす る中国 人社会で技術 を習得 した者 によってすで に始 7)客家系がバンコクではなく, ラーチャブリ一 県ムアン郡に出て織布工場を開設するに到っ た理由として考えられるのは,客家系が少数 派の語派であったということである。バ ンコ クでは,多数派の潮州系が繊維業界を牛耳 っ ていて,客家系の参入が困難であったのでは ないだろうか。 め られて いた ことを も教示 して い るので あ る。繊維部門の技術 について は,上述 の4名 の うち2名が工場 を開設 した当時 は手織 り織 機 を使用 していたと答えてお り, 当初,手織 りによって, タイ人が需要す る浴布 ・巻 きス カー トなどを生産 し,徐 々に機械化 してい っ た と思 われ る。 一方,水瓶 の製造 について も,中国人移民 が重要 な役割 を果 た した ことを示す証言が得 られた。 それ は,1
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年代 に潮州か ら移民 し て きた潮州人 の例 で,彼 は,潮州で は陶磁器 の絵付 け師であ った。彼 は, マ レーシアに行 き, イギ リス人 の もとで陶工 として働 くが, その後, 中国 に帰 り, 再 び出国 して, 今度 は, バ ンコクにはいる。 しば らくして, ラー チ ャブ リ一県 ムア ン郡 に焼物 に適 した陶土 が あ るとい うので, そ こ-移 り,1
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年,窯場 を開 くにいたる。 彼 は, 中国で は, 茶碗 ・ 皿 ・花 ぴん等の小物 の絵付 けに従事 していた ので, 当初, ラーチ ャブ リ一県 の窯場で も小 物 を製作 していたが, 当地 の陶土 はその製作 に適 していなか ったため,水瓶 の生産 に切 り 変 え る。 そ の窯場 は, ラーチ ャプ リ一県 で は,市場で売 ることを目的 と して陶器類を生 産 した最初 の窯場 であ り, そ こで陶工 の技術 を習得 した技術者 が,次 々 と独立 して, ムア ン郡 は現在み られ るように,全国で も有数 の 水瓶生産地 とな っていった とい う。従 って, 水瓶 とい うタイ人 の伝統産品を市場 メカニズ ムにのせたのは, 中国人であ り,彼 らの技術 であ った, とい うことになる。 この水瓶製造 部門 には,客家系 の参入 はみ られず,筆者 の 調査で は,全員,潮州系であ った。 よって, 中国系住民 の各語派 (speech group) の間 で,職業的住みわ けがなされていた ことを も 示 している。 以上 の結果 は,工業化が始 まったとされ る1
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年代以前 に地方 において も中国か らの移 民 ・中国系住民が小規模 なが らも諸工業 をて上田:バンコクの経済成長とバンコク近郊における資本家形成 が けていた ことを示唆 している。 タイ国 の初 期工業化 の担 い手 と しての中国系住民 の重要 性 の他 に,彼 らの拠点であ ったバ ンコクが地 方 の経済発展 あ るいは工業化 を促進 す る上で 果 た した役割 もつ け加 えなければな らない。 バ ンコクは, 中国か らの移民 が最初 に入 る地 区 で あ る。 中国人 が集 住 す るバ ンコク8)で, 彼 らは, 情 報 を入手 し, また技 術 を身 につ け, さ らな る可能性 を求 めて,地方へ下 って い った とい うことを看過 して はな らない。バ ンコクは, それ 自体 が中国系住民 の集中す る 都市 であ ると同時 に, 中国か らの移民 を タイ の地方 へ送 り込 む中継 点 で もあ ったので あ る。 またバ ンコクの中国人社会で は, 中国人 を顧客 とす る産業が生 まれ, また彼 らの技術 を タイ国 の要素斌存や タイ人 の噂好 に適合 し た形 に変 えて ゆ く努 力 もな され たので あ ろ う。従 って, バ ンコクは, 中国人 の持つ技術 を地方 へ伝播す る基点 で もあ った と考 え られ るのであ る。 ただ し,注意すべ き点 は, ラーチ ャブ リ一 県 ムア ン郡 の織布業 と水瓶製造 は, タイの経 済発展 を主導す る部門 にはな り得 なか った と い うことであ る。 ラーチ ャブ リ一県 ムア ン郡 の繊維工場 は,現在 も国内市場 向 けの浴布 ・ 巻 きスカー トを生産 してい る所が多 く,化学 繊維 や洋服生地へ と生産 を多様化 した所 は, 7カ所 中 1カ所 に過 ぎなか った。 既 述 の通 り,浴布 ・巻 きスカー トは タイ人の生活 に密 着 した商 品 で あ り, 近 隣 の熱帯 諸 国 を除 け ば,海外市場 の急速 な伸 びは期待で きない。 そ して, 水 瓶製 造 部 門 も, 花 ぴん等 の装 飾 品,換言すれば高付加価値生産物 の生産へ参 入 した所 は,10カ所中わずか 1カ所であ った。 8) Skinner [1958:17]によると, タイ国内に 居住する中国人はバ ンコクを中心 とする地域 に集任 しており,バ ンコクがタイ国の中国人 社会の中核である,とされている。 水瓶 は輸 出 されているが, か さば り重量 があ るので輸送費がか さみ,今後,海外で急速 に 需要 が増 え る可能性 も少 な く,依然 と して国 内市場 に大半が出荷 されている。 よ って, ム ア ン郡 の繊維 と水瓶製造 は,地方 の伝統産業 と しての限界 をいまだ超 え られないでいるの であ る。換言 すれば, 1960年代初頭 に政府 の 挺子入れで始 まった工業化政策 は, これ らの 地方 の伝統産業 と殆 ど接点 を持 っ ことな しに 展開 されて きたのであ る。 Ⅱ-3-3 資本家 の出身階層 エスニ シテ ィ ・語派
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資本家 の エスニ シテ ィは,表 6が示す よ う に, 中国系 の圧倒的多数 であ る (92.2%)。9) 特 に, タイ国で優位 を 占め る潮州系10)が全体 の68.8%に ものぼ り,国全体 の傾向を表 して い る。 ただ し, ラーチ ャプ リ一県で は, タイ 全国の水準 と比 べ ると客家系が多 く28.6%に 達 した。 ナ コー ンパ トム県 において は,潮州 系 中国人 が多数 を 占め るた め, 潮 州系 が食 品 ・繊維 を始 め とす る各部 門 に参 入 して お り,特定 の語派が特定 の部門 に集 中す るとい う偏向 はみ られなか った。 一方, ラーチ ャブ リ一県 において は,彼 らが属す る語派が,参 入す る事業 の選択 に影響 を及 ぼ した と考 え ら れ る例 がみ られた。11)典型的 なのは, ムア ン 9)「タイ人」と回答 した3名は,直接,所有者あ るいは所有者の近縁者にインタビューするこ とができなかった例である。 この3名が中国 系である可能性は否定できない。 10)Skinner [1957:212]の推定 (1955年) によ ると, タイ国に住む中国人の語派別構成比率 は以下の通 りである。 潮 州 56% 客 家 1年% 海 南 12% 広 東 7% 福 建 7% その他 2% 100% ll) Skinner [1958:20]も,職業によって,特 定の語派が偏在 していることを指摘 している。 65表6 資本家 のエスニシテ ィ ・世代 ナ コー ンパ トム県 ラー チ ャ プ リ一県 計 潮 州 系 1 世 中 国 生 ま れ の 潮 州 系 2世 タ イ 生 ま れ の 潮 州 系 2世 潮 州 系 3 世 潮州系だが何世 にあたるのか不明 7 3 6 2 3 日 リ 6 2 0 3 1 日 H
3
5 6 5 41
2 潮 州 系 (小計) 58
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客 家 系 1 世 タ イ 生 ま れ の 客 家 系 2世 客 家 系 3 世 6 5 2 客 家 系 (小計)EiiZl%
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注) エスニ シテ ィ不明の者を除 く。 郡 における水瓶の製造で, そこは潮州系が独 占 し,他のエスニ ック ・グループ及 び語派の 資本家の参入 はみ られなか った。同県同郡 に おける水瓶製造 は,前述 のように,潮州系の 移民 によって創始 され,彼 らが他の潮州系中 国人の職人を育成 していったと考え られる。 それが さらに多 くの潮州系中国人を水瓶製造 へ誘引す る契機 となったのであろう。 今回の 調査 によると, ラーチ ャプ リ一県 は,全国の 水準 と比べて,客家系住民が多い地域である と推定可能である。それにもかかわ らず,客 家系中国人の水瓶製造への参入がみ られない というのは,各語派の中で職業選択上の選好 があるという可能性を示唆す る。 この仮説を 支持す る結果が ラーチ ャプ リ一県 ムア ン郡 に 入 った客家系 にもみ られた。 そ こでは,4名 の客家系資本家 についてのデータが得 られた が,かれ らは全員 1世であ り,かつ繊維 (浴 布 ・巻 きスカー トの織布 ・染色) に参入 して いる。同県同郡の繊維部門-の参入者 は,客 家系4名の他,潮州系2名がみ られたが,客 家系が優勢な部門 といえる。堂
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ここで 「1世」 とは,中国で出生 し, タイ -移民 して きた者をいう。 ただ し, タイ-移 民す る際に,親 と共 に入国 した者, あるいは 親がすでにタイ-移民 していた者,親が タイ 国内ですでに何 らかの経済活動を営み,経済 的基盤を もっていた者 は,「1世」 に含めず, 2世 とみな し,「中国生 まれの 2世」 とした。 「タイ生 まれ の2世」 とは, 上 で定義 した 「1世」 の子供である。 彼 らは全員 タイ生 ま れである。「
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世」 は中国生 まれ及 びタイ生 まれの「
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世」 の子供である。 世代別 にみると, 1世をおさえて2世が最 も多 く, 全体の5
6.
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となる (表7)
。 これ上田 :バ ンコクの経済成長 とバ ンコク近郊 における資本家形成 表7 中国系資本家の世代 ナ コ ー ンパ トム県 ラ ー チ ャ プ リ一県 計 構成比率 1世 2世 中国生まれの2世 タイ生まれの2世 3世 8(70.5歳) F ‖IEiid pJ l 歳 読 歳 4 8 7 4 1 2 5 6 5 iZq 同 相U Jq 3 4 9 2 1 3(38.0歳) 中国系だが世代不明 3(39.5歳) ll(69.2歳) 19(69.8歳) 26.8% EiiiZ Eid Eii Zl 歳 栽 歳 3 0 9 7 0 6 5 6 5 iⅦMH︼ iZq dZq 7 2 5 1 1 \ ノ ー ) 歳 読 歳 6 2 6 5 1 4 5 6 5 qLp lq■ UJq O 6 4 4 3 5(37.4歳) 8(37.6歳) 11.3% 1(-) 4(39.5歳) 5.6% 計 37(55.8歳) 34(57.5歳) 71(56.6歳) 100.0% 注)ェスニシティ不明の者 ・タイ人 ・外国人を除 く。 ( )内の値は,調査時点での平均年齢を示す。 ただ し,すでに死亡 した者については,死亡時の 年齢で算出した。また年齢不明の者を除いて算出した。 表8 中国系資本家の最終学歴 (世代別) 1世 中国生まれの2世 タイ生まれの2世 3世 学歴なし・初等教育のみ 76.9% 80.0% 61.8% 12.5% 高 等 教 育 以 上 0% 0% 23.5% 62.5% 中 国 を 除 く 外 国 で 最終学歴 を修了 した者 0% 0% 8.8% 37.5% 注)表の数値は,各世代に属する資本家全体 (ただし, タイ人,外国人,中国系のうち世代が不明の者, 学歴不明の者を除 く)に対する割合である。 教育機関の区分は,原則として,現在のタイの教育制度に従 って分壊 した. ただ し初等教育 には, p0.7を卒業 した者を含む。また高等教育機関には,大学 (学部,修士)の他,college,institute を含む。 は,1950年 代 以 降 の 移 民 の激 減 [Skinner 1957:175,177L178]かつ 1世 の高齢化 に と もな って, 1世 が中国系住民 の中で 占め る構 成比率 が低下 してい る ことと密接 に関係 して いよ うが,次 の よ うな理 由 も考 え られ る。 つ ま り, 1世 と比 べ ると, 2世 の方 が タイ社会 によ り広範 な社会経済 的基盤 を持 って い るた め, タイ国内で製造業 を始 め るに当た っての リスクが小さ くな った とい うことで あ る。 タ イ国 内で製造業 に参入すれば, タイ人 の消費 選 好 を鋭 く見 極 め る才覚 が求 め られ るの で あ って, それ は資本家 が タイ経済社会 に強力 に接近 していなければ難 しい ことで あ る。 望_壁 今 回 の調査 の中で, 1世 と 2世, 3世間 の 経済力 の差 を間接 的 に示 して くれ るの は,資 本家 自身 と彼 らの子供 の学歴 につ いてのデー タで あ る。 資本家 自身 の学歴 につ いて まず み てみ ると (表8), 初等教育以下 (学歴 が な い者 も含 む) の者 が1世 で は76.9%を 占め る のに対 し, タイ生 まれの2世 は61.8%, 3世 で は12.5% と低 下 す る。 一 方 高 等 教 育 以 上 (college・institute・大 学 の学 部 ・修 士 課 程) の学歴 を有 す る者 の割合 は, 1世, 中国 生 まれの2世 で は皆無 で あ るが, タイ生 まれ の2世 で23.5%, 3世 にな ると62.5%を 占め るにいた る。 3世 で は,最終学歴 を外国 (ア メ リカ, 台湾,香港, 日本) で卒業 した者 が 全体 の37.5% にのぼ る。続 いて彼 らの子供 の 学歴 に着 目 したい。 も し親 が子供 によ り高 い
表9 中国系資本家 の子供 の最終学歴 (世代別) 1世 中国生 まれの2世 タイ生 まれの2世 3世 子供 の学歴 初 等 教 育 の み◆ 16.7% 高 等 教 育 以 上 66.7% 0% 3.8% 0% 83.3% 96.2% 100% 中 国 を 除 く 外 国 で 最終学 歴 を修 了 した者 38.9% 66.7% 46.2% 0% 注)表 の数値 は,各世代 に属す る資本家全体 (ただ しタイ人,外国人,中国系の うち世代 が不 明 の者, 子供 の学歴が不 明の者,子供が就学中の者,子供が いない者を除 く) に対す る割合であ る。 また複 数の子供 の学歴 がわか っている場合 は,最 も高学歴 の子供の学歴 をとった。 ●学歴 のない者 はいない。 表10 資本家 の出身地 ナ コー ンパ トム県 ラー チ ャプ リ一県 コ 一 出 中 バ ナ ラ 中 そ 地 コ ト リ タ パ ブ ン ヤ 生 ン 一 チ 部 国 ク 県 県 イ 他 ム 一 EiiZ lid lid % % % 7 3 0 1 9 2 3 2 2 nl UnⅦ 川へlr LU 3 2 9 1 1 3( 7.3%) 4( 9.8%) 13(38.2%) 1■nu EiLiZ Cid % % % 9 9 9 5 2 2 5 ︻Ⅶ一日-hL udZg 9 1 1 1 ) ) ) ) ) ) % % % % % % 7 0 0 3 3 7 4 6 2 5 5 6 3 1 1 2 ( ( ( ( ( ( 6 2 9 9 4 5 2 1 1 計 41(100.0%) 34(100.0%) 75(100.0%) 注)出身地 が不明の者 を除 く。 ●北 タイ,香港 そ して タイ国内で出生 したが詳細地不明の者 を含む。 教育 を受 けさせ ることに価値 を認 め るな ら ば,所得水準が上昇す るにつれて子供 は高学 歴化 し海外留学 も増えてゆ くだろ う。表 9に み られ るよ うに, 1世 の子供 よりも2世の子 供の方が高い教育水準 に達 している。修士課 程 ・博士課程 を子供が修了 した例 は,全部で 8名み られたが, 7名が2世 (中国生 まれ も 含む) と3世 の子供であ り, その子供のほと ん どは, アメ リカの大学院でその課程を修了 している。 また,すべての世代 にわた って子 供を海外へ留学 させ ることを好む傾向がみ ら れ,資本家 自身の教育水準 と比べ ると格段 に 上昇 している。中国系資本家の間 には,子供 の教育を重視す る価値観があ り,所得水準の 上昇 に従 って,子供達 によ り高い教育 または 海外留学 の機会 を与え る者が多 くなるとい う 傾向が確認で きよう。 出 身 地 両県 ともに中国で出生 した者 が全体 の
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0 -40%を占める (表 10)。 なかんず く広東省潮 州の出身者が多 くみ られた。 これは,潮州系 1世あるいは2世 (中国生 まれ)の出身地で ある. ナコー ンパ トム県 とラーチ ャブ リー県 における大 きな違 いは, ナ コー ンパ トム県 に おいては,バ ンコク生 まれの資本家が地元 の ナコー ンパ トム県出身者を上回 っているのに 対 し, ラーチ ャブ リ一県で は逆 に,バ ンコク 出身者 は全 くみ られず,地元 ラーチ ャプ リ一 県の出身者が半数を超えるという点である。 ナコー ンパ トム県の資本家を郡別 に分類 して上田:バンコクの経済成長とバンコク近郊における資本家形成 出身地 をみ る と, サ ー ムプ ラー ン郡 にお い て,バ ンコク出身者が地元 ナコー ンパ トム県 出身者を大幅 に上回 っている。同県 の他 の郡 において は,バ ンコク出身者 よ りも同県 出身 者 あ るい は同郡 出身 者 が多 い。従 って, ナ コー ンパ トム県内でバ ンコクと接 したサーム プラー ン郡 において, バ ンコク出身 の資本家 の進 出が著 しいのである。一方, ラーチ ャプ リ一県で は,全体の半数以上が同県 出身者で あ り, なおかつ彼 らは全員, 出生 した郡 と同 じ郡内 に工場を立地 している。彼 らの中で当 初,バ ンコクに工場 を開設 し, その後, 出身 地 の郡 に工場を移転 した例 はわずか 1例だけ で, それ以外 の18名 は全員出生 した郡内に工 場を開設 している。 ラーチ ャプ リ一県の資本 家 は, 出身地 と密接 な関係 を持 った者が多 い といえ る。 出身校 の所在地 以上 の点 は資本家が教育を受 けた場所 を調 べてみて も明 らかである。表11は,彼 らが最 終学歴 を修了 した場所を示す。 ただ し, 中国 で最終学歴 を終 えた者 ・学歴 のない者 は除 い た。彼 らはほとん どが中国で出生 した者であ る。 表11によると,両県 の違 いは明白であ る。 つ まり, ナコー ンパ トム県で最 も多いのが, バ ンコクで最終学歴を修了 した者であるのに 対 し, ラーチ ャプ リ一県で は,地元 の学校で 学歴 を終えた者 が
6
0%
を超 えている。 また海 外 の学校を卒業 した者 の割合 は, ナ コー ンパ トム県の方が高 い。 ラーチ ャプ リ一県の学校 を終 えた者 のほとん どは, 出身地であ り, か つ工場 を開設 した郡で最終学歴 を修了 してい る。 よって, ラーチ ャプ リ一県の資本家 は, 就学や就業で地域的移動 を経験 した者が少 な く,彼 らの出身地 との地域 的なっなが りは, 非常 に大 きいといえよ う。 それに反 して, ナ コー ンパ トム県 の資本家 は,地元 よ りもバ ン コクと密接 な関係 を保 っているのである。 表11 資本家が最終学歴を受けた場所 ナコーンパトム県 ラーチャプリ一県 バ ン コ ク ナコーンパトム県 ラーチャプリ一県 タ イ 国 内 ● アメリカ合衆国 台 湾 香港
日本
ifl il (45.8%) (4.8%) 4 (16.7%) 14 (66.7%) 1 3 (4.2%)(
1
4.
3
%)
42
(1
6.
7
%)
(
9
.
5
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1
(
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(
4
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2
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1
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2
%)
イ ギ リ ス1
(
4.
2
%)
(
4.
8
%)
計2
4
2
1
(100.0%) (100.0%) 注)中国で学歴 を終えた者,学歴のない者,不明の 者 は除 く。 'バンコク,ナコームパ トム県, ラーチャプリ一 県 を除 く。 バ ンコクか らの工場 の移転 続 いて,資本家が経済的基盤 を置 く地域 を 工場 の移転 ・増設の経緯 を通 じてみてゆ く。 ただ し, これは,資本家が製造業 に参入 した 後 の工場 の移転 ・増設 の動 きであ る。 表1
2
に み られ るように ラーチ ャブ リ一県の資本家 は およそ9
0%
がその事業 に参入 した当初か ら同 県 に事業所を開設 している。 バ ンコクで事業 所を創始 し, その後, ラーチ ャプ リ一県へ移 転 した者 はわずか9.
1
%
にす ぎない。 他方, ナコー ンパ トム県で は, 当初,他地 域 (主 にバ ンコク,他 に海外 など)で事業所 を経営 していた者 が, ナコー ンパ トムに移転 した り事業 所 を増設 した ケー スは, 全体 の 27.7%に ものぼ る。 それだけ, ナ コー ンパ ト 69蓑12 他地域か らの工場の移転 ・増設 ナコーンパ トム県 ラーチャプリ一県 製造業参入当初からナコーンパ トム県 (あるいはラーチャプリ一 県)に工場を開設 バンコクから工場を移転 した/バンコクに工場を開設後,ナコー ンパ トム県 (あるいはラーチャプリ一県)に工場を増設 した タイ国内 (バンコク ・ナコーンパ トム県 ・ラーチャプリ一県を 除 く)に工場を開設後,ナコーンパ トム県に工場を増設 した 海外で工場を経営する外国人資本家がナコーンパ トム県にも工 場を開設 した 34
3
0
(72.3%) (90.9%) 9 3 (19.1%) (9.1%) 1 (2.1%) 3 (6.4%) 計 (100.4
7
0%) (100.330%) 注)資本家数に基づいて分類 した。不明の者を除 く。 ムに, バ ンコクや海外 か ら投資 が な されて い るとい うことであ り, ナ コー ンパ トム県 は, バ ンコクの経済 的拡張 の影響下 にあ るとい う ことにな る。 資本 家 の前就業地 この他 に も, 資本 家 の経済 的基盤地 を表 す デー タが あ る。 それ は,彼 らが, ナ コー ンパ トム県 あ るいは ラーチ ャプ リ一県 で事業所 を 開設 す る以前,就業 して いた場所 で あ る。 こ れ は, 資本家 が事業所 を開設 す るの に必要 な 資本 を蓄積 した場所 とい う意味 で捉 えた。分 類 の結果 (表13), 次 の よ うな両県 の違 いが 認 め られ る。 ナ コー ンパ トム県 の資本家 には バ ンコクを根拠地 にす る者 が多 いの に対 し, ラーチ ャブ リ一県 で は,地元 を経済 的拠 り所 とす る者 がバ ンコクに基盤 を置 く者 を数 の上 で圧倒 して い る。 資本家 の類型 調査地 の中で最 もバ ンコクに近 いナ コー ン パ トム県 サームプ ラー ン郡 にお いて, バ ンコ クで就 業 して い た者 の比 率 が す ぼ ぬ けて高 い。 同 じナ コー ンパ トム県 で も, ナ コー ン チ ャイ シー郡 とムア ン郡 で は,地元 で働 いて きた者 が 多 くな る。 ラ ー チ ャ ブ リー県 は, バ ー ンポー ン郡 の一部 の砂糖工場経営者 を除 義13 ナコーンパトム県 ・ラーチャプリ一県で事業所 を開設する以前に資本家が就業 していた場所 ナコーンパトム県 ラーチャプリ「県 ノヾ ン コ ク ナコーンパトム県 ラーチャプリ一県 上 記 以 外 の タ イ 国 内 海 外 30 (66.7%) 10 (22.2%) 2 (4.4%) 3 (6.7%) 24 (75.0%) 1 (3.1%) 計 (100.450%) (100.320%) 注)中国からの移民者でバ ンコクに滞在 した後,ナ コーンパ トム県あるいはラーチャプリ一県に移っ た者については,バ ンコクと両県における滞在 期間 ・就業部門 ・就業形態を適量考慮 して分類 した。不明の者を除 く。 くと,地元 で経済活動 を営 んで きた者 が大多 数 を 占め る。 従 って, ナ コー ンパ トム県 サ ー ムプ ラ- ン郡 の資本家 は,他 の調査地 の資本 家 とその地域性 を異 に して い るといえそ うで あ る。 サ ームプ ラ- ン郡 は, バ ンコク郊外 の 工業地 区 を形成 しつつ あ るが, そ こに集 中 し上 田 :バ ンコクの経済成長 とバ ンコク近郊 における資本家形成 てみ られ る資本家 の類型 は, バ ンコクを経済 的基盤地 とす る資本家である。本論文 におい て, このよ うな資本家の類型 をバ ンコク型資 本家 (Bangkok-based Capitalist)と呼 ぶ ことにす る。 バ ンコク型資本家 とは,資本家 の地域性 を示す指標 (出身地 ・出身校 の所在 也,工場 の移転,前就業地, 自宅 の場所,妻 の出身地)か ら判別で きるが,重要 なのは, 資本家の経済活動 の本拠地がバ ンコクである とい う点である。 これ と対比 して,地元型資 本家 (Regionally-based Capitalist) とい う概念 を識別 してお きたい。 これ も, バ ンコ ク型資本家 と同様 の指標で定義可能 である。 つ ま り地元を基点 とす る資本家 を指す。 この 概念を用 いて調査地 の資本家の類型化 を試み る と, ナ コー ンパ トム県 サ ー ムプ ラー ン郡 は,バ ンコク型資本家が集中 している地域で あ り, その他 は地元型資本家が優勢 な地域 と なる。 バ ンコクの重要性 ここで付加すべ き点 は,中国か らの移民者 に とってのバ ンコクの重要性である。 ナコー ンパ トム県では,8名の中国系 1世か ら彼 ら の職 歴 に関 す る情報 を入手 す る ことがで き た。 彼 らの中には, タイへ移民後, 地方へ 入 った者 もいるが,最終的には全員がバ ンコ クで就業 してい る。 彼 らはバ ンコクで従事 し た経済活動 を基礎 に して,製造業 に参入 し, ナ コー ンパ トム県 (主 にサームプラー ン郡) に投資 しているのである。 ラーチ ャプ リ一県で は, 12名 の中国か らの 移民 のデー タが得 られたが,移民直後か ら, ラーチ ャプ リ一県 に入 った者 は4名で,残 り の8名 は,バ ンコクに しば らく滞在 した後, ラーチ ャプ リ一県へ移 ったか, あるいは,現 在 にいたるまでバ ンコクに居住 している者で ある。 中国か ら移民 して きた者 は,バ ンコク 以外の地域 にってがある場合 は別 として, バ ンコクの中国人社会 の中にまず職 を求 め,技 術 を身 につ け, あるいは資本を貯 め,投資機 会 に関す る情報 を入手 して,地方 -渡 って い ったのであろう。バ ンコクは,移民 に とっ て 自己の可能性 や潜在能力を試す契機 を与 え て くれ る場所だ ったのであ る。 バ ンコクの重要性 は,資本家 の子供 の学歴 に も表れている。 バ ンコクに拠点を置 く者 が 多 いナコー ンパ トム県の資本家 にとって子供 をバ ンコクの学校 に送 るの は当然 の ことであ るが, ラーチ ャプ リ一県の資本家の半数が子 供 をバ ンコクの教育機関で学 ばせている。 バ ンコクか ら100km離 れた ラーチ ャプ リ一県 ム ア ン郡 において も,中等教育 か ら子供 をバ ン コクへ送 り込 む例があ った。 つま り,大学 な どの高等教育機関 に限 らず,有名校 ・進学校 の集中す るバ ンコクは,子供 の教育 とい う点 で も,重要 な意義 を持 っている。 自宅の場所 ・妻の出身地 最後 に, 資本家 の地域 性 を示 す指標二 つ - 資本家 の自宅の場所 と妻の出身地- に ふれてお きたい。 まず 自宅 の場所 についてで あるが, ナ コー ンパ トムでは,地元 よ りもバ ンコクに自宅を構 える者 の方が多 い (表14)0 バ ンコクか ら通勤す る者 は,バ ンコクに最 も 近 いサームプラ- ン郡 の資本家 に多か った。 一方, ラーチ ャブ リー県では,バ ンコクに自 宅があ る者 は少数派で, ほとん どが同県内に 居住 している。資本家 の妻 の出身地 について は, ナ コー ンパ トム県で は,詳細 なデータは 得 られなか ったため, ここでは, ラーチ ャプ リ一県 についてのみ言及す る。妻 の出身地が 不明の者 と独身者 を除 くと,全体 の
6
4.
3
%
が 同県出身者 と結婚 している。彼 らを各郡 ごと にみ ると,工場 を開設 している郡 と同 じ郡出 身の女性 と結婚 して いる者が大部分 である。 この結果 に も, ラーチ ャプ リー県資本家 の土 着性が現 れている。Ⅱ-3-4
バンコク型資本家と地元型資本家 以上 の調査の結果 を もとに, ここで改めて表14 資本家の自宅の場所 ナコーンパ トム県 ラーチャプリ一県 自宅の場所 ′ヾ ン コ ク ナコーンパ トム県 ● ラーチャプリ一県 ● 外 国 = 22 4 (50.0%) (12.5%) 18 (40.9%) 28 (87.5%) 4 (9.1%) 計 44 32 (100.0%) (100.0%) 注)所有者を特定化できない工場を除 き,資本家数 に基づいて分類 した. ●およそ3分の2の者が工場 と同 じ敷地 内に自 宅を持つ。 またほとんどの者が工場が立地する 郡 と同 じ郡内に自宅を持っ。 =所有者 は全点外国人である。 バ ンコクの成 長 が生 み 出 した都 市 地 域 とその 後 背 地 の違 い に言 及 す る。 調 査 の対 象 とな っ た地 区 の うち, 都 市地 域 とみ な しうるの は, バ ンコクに最 も近 い ナ コー ンパ トム県 サ ー ム プ ラ- ン郡 のみ で あ る。 それ以 外 の地 域 は, 都市 地 域 の後 背 地 で あ る. た だ し, ナ コー ン パ トム県 の ナ コー ンチ ャイ シー郡 ・ム ア ン郡 は, バ ンコクの通 勤 圏 に含 まれ る。 また ラー チ ャプ リー県 バ ー ンポー ン郡 に は, バ ンコ ク 経 済 圏 が そ の後 背地 に形 成 した飛 び地 的性 格 を持 っ砂 糖 工 場 地 帯12)が あ る。 12)Krirkkiat[1982:1301131]が指摘す るよう に, 砂糖製造 は, 少数の ビジネス ・グループ に生産が集 中 して いる部門であ る。筆者 は, その ビジネス ・グループの一つで,現在 ラー チ ャプ リ一県バー ンポー ン郡 に本拠地をお く ビジネス ・グループの創始者の息子 に面接調 査を行なった。 このグループの創始者 は, バ ンコクで砂糖 の販売代理業 を営 んでいたが, その後, 砂糖生産へ と転 C, 最初の工場をバ ンコクに開設 した。 その後, 工場 はラーチ ャ プ リ一県バー ンポー ン郡 に移転 され,現在 そ のグループは,各地で砂糖工場 を経営す るの みな らず, 事業を多角化 して, タイを代表す るビジネ ス ・グル ー プ に成長 した。 このグ 都 市 地域 とそ の後 背 地 の違 い は, 資 本 家 の 類 型 に も明確 に認 め られ る。 まず第 一 に, バ ン コ クか らの 移 植 工 場 の進 出 は, サ ー ム プ ラ- ン郡 のみ に集 中 して い る。 これ は換言 す る と, バ ンコ ク型 資本 家 が, 同郡 に投 資 を増 大 させ つ つ あ る こ とを意 味 す る。 バ ンコ ク型 資本 家 の都 市 地 域 へ の流 入 は, バ ンコク首 都 圏 の生 産 力増 大, そ の帰 結 と して のバ ンコク の過 密 状 態 を示 して い る。 一 方, ナ コー ンパ トム県 サ ー ム プ ラー ン郡 以 外 で は, バ ンコク 型 資 本 家 の 進 出 は, ご くわ ず か で あ り, 代 わ って地 元 型 資本 家 が康勢 で あ る. 事 業 所 の規 模 ・輸 出 ・外 国 人 技 術 者
・BOI
投 資奨励 バ ン コ ク型 資 本 家 と地 元 型 資 本 家 の違 い は, まず事 業 所 の規 模 (従 業 員 数 ) と輸 出 に 現 わ れ て い る。 両 県 の平 均 従 業 員 数 を比 べ る と, ナ コ ー ンパ トム 県 (358.1人 ) が ラ ー チ ャ プ リ一県 (192.9人 ) を 上 回 って い る。 郡 別 にみ て最 も規 模 の大 きい事 業 所 を有 す る のが, ナ コー ンパ トム県 の サ ー ム プ ラー ン郡 (417.3人 ) で あ る。 これ は, バ ンコク型 資本 家 の開設 した事 業 所, つ ま り, バ ンコクか ら の移 植工 場 が, 地 元 型 資本 家 が経 営 す る事 業 所 よ り も規 模 が大 きい こ とを意 味 す る。 第二 に, バ ンコ ク型 資本 家 は, 輸 出志 向が 強 い。 これ は, ナ コー ンパ トム県 の事 業 所 の 88% (サ ー ム プ ラー ン郡 で は89.7%)が輸 出 を行 な って い る一 方, ラー プチ ャプ リー県 で はそ の比 率 が52.8%に低 下 す る ことに現 わ れ て い る。 輸 出 は, 新 しい市 場 の開拓 ・確保 と い う点 か ら重 要 で あ る。 そ して市 場 開拓 の た め に は, 積 極 的 に生 産 の多様 化 ・商 品 の改善 と取 り組 む こ とが必 要 とな って くるので, 輸 ル ー プの事 業 拡 大 の過 程 か ら判 断 す る と, バー ンポー ン郡の砂糖工場地帯 はバ ンコクの 経済的飛 び地 といえよう。 しか し, 同郡の砂 糖業生成 につ いての詳細 な分析 のためには, 同郡 で砂糖工場 を経営 して い る他 の ビジネ ス ・グループを も調査する必要がある。上田:バンコクの経済成長とバ ンコク近郊における資本家形成 出向け生産を行 う資本家 は,輸出を行わない 資本家 と比べ ると,市場 の動向に対す る機敏 な対応 を迫 られ るのであ る。市場開拓努力 と い う点か らす ると,新技術 の開発や導入 に対 す る姿勢 も問題 とな って くる。現在, タイ経 済 は先端技術 を自国内で開発す るには到 って お らず,外国か らの技術移転でまかな ってい るのが現状 である。 そ こで第三 に,外国人技 術者 の雇用 について言及す る。外国人技術者 に対す る依存度が他部門 よ りも強か った繊維 部門を例 にとると, ナ コー ンパ トム県 の繊維 工場 の約70%が外国人技術者 (数が多 い順 に 台湾人 ・日本人 ・香港人等) を雇用 している が, 他方, ラーチ ャブ リ一県 の繊維工 場 で は, その比率 は25%にす ぎない。 これは既述 の通 り,両県の繊維製品の違 いに もよってい るが, 生 産 物 の多様 化 とい う点 か ら して, ラーチ ャプ リ一県の繊維部門の資本家 は,現 状 に甘ん じ伝統産業か らの脱皮を図 ろ うとし ない者が多 いとい うことであろ う。 第 四 に, 政 府 の産 業保護政策 や投 資奨励 策,輸 出振興策を うま く活用 し, 自己の成長 の きっかけと しているのはバ ンコク型資本家 で あ る。 ナ コ ー ンパ トム県 で は, 約 半 数 (サ ー ム プ ラー ン郡 で は58.5%) の工 場 が