ライエルマッハーからC・G・ユングまで
著者
?木 政臣
雑誌名
神学研究
号
67
ページ
49-66
発行年
2020-03-06
URL
http://hdl.handle.net/10236/00028585
回心研究と神学の関係性に関する一考察
――
F・シュライエルマッハーから C・G・ユングまで――
髙 木 政 臣
【はじめに】 宗教学者である山口によれば、宗教心理学とは宗教体験を心の側面、つまり、心理 状態や心理作用から捉えて研究していく学問領域である。山口曰く宗教とは何らかの 意味での超越的存在との関係を深く体験することであって、仏教においては解脱、無 我の境地といって、古くから心理学的な内省や分析が行われてきた。さらにキリスト 教においても啓示、祈祷、回心等の内的体験は宗教の基本的体験であって、それは心 理現象として理解され研究対象として捉えられてきた経緯がある。そして宗教を「絶 対依存の感情」と定義したドイツの F・シュライエルマッハーは宗教感情の重要性を 強調した点において宗教心理学の先駆的役割を担ったと山口は説明する1。 そして杉山2もまた同様に、宗教心理学の先駆者をF・シュライエルマッハーと理解 し、彼の『宗教論』にその根拠を見出している。杉山曰く、F・シュライエルマッハー は宗教の本質は「絶対依存の感情」であり、この宗教理解がキリスト教に限らず、様々 な諸宗教における共通の議論の土台を与えた。そしてこれをもって、「宗教心理学の 本格的な幕開けへの序曲」3と考えられると杉山は説明する。 その上で杉山は『新宗教とアイデンティティ―回心と癒しの宗教社会心理学』にお いて、F・シュライエルマッハーに端を発する宗教心理学4の歴史を大きく3 つの期間 に分けて整理している。第1 期は 19 世紀の終わりから 1930 年代にかけての期間であ る。この期間は「初期宗教心理学」の時代とも呼ばれ、回心が主要な研究テーマであ ったのはこの初期宗教心理学の時代であった。代表的な先行研究としてはW・ジェイ ムズの『宗教的経験の諸相』5やE・スターバックの『宗教心理学』6が挙げられる。 1 山口栄二『内外宗教の研究―その理論と歴史』東通社出版社、1968 年、18-20 頁参照 2 杉山幸子『新宗教とアイデンティティ―回心と癒しの宗教社会心理学』新曜社、2004 年、14-15 頁参照 3 杉山、同書、14-15 頁より引用 4 杉山によれば、宗教心理学発祥の地であるアメリカのキリスト教社会においては、心理学は当初から「ライバル」と見なされて きたという。そしてキリスト教会は心理学に対して「乗っ取り」という手段を行使してきた。そしてそれがキリスト者(神学) の立場から行う心理学の研究、すなわち、牧会心理学であると杉山は説明している(杉山、同書、7頁参照)。5 William James, The varieties of religious experience : a study in human nature : being the Gifford lectures on
natural religion delivered at Edinburgh in 1901-1902.
第2 期は 1930 年代から 1950 年代にかけての期間である。神学との関係性を完全に 払拭しきれなかったという宗教心理学の限界が指摘され、徐々に宗教心理学が衰えを 見せる一方で、深層心理学者 C・G・ユングによって人間の無意識の働きとの関わり において、宗教体験が研究の焦点として注目されるようになった。例えば『自我と無 意識の関係』7などがあげられる。 そして50 年代に入ると新しい研究の動向として「宗教とパーソナリティ」という問 題が議論されるようになった。そしてG・W・オルポートによって書かれた『個人と 宗教』8は初期宗教心理学が衰退した後の、宗教心理学における研究の状況を考える上 で注目すべき研究である9。すなわちそれは W・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』 において展開された回心に関する研究を、パーソナリティという視点において再解釈 した研究であると評価できる。この意味でG・W・オルポートは初期宗教心理学的研 究の継承者であると捉えることができる。 またエリク・H・エリクソンによる『アイデンティティーとライフサイクル』10がこ の時期に生まれた。本書においてエリク・H・エリクソンは、人間が歩むところの生 涯における人格発達過程を八段階に区分し明らかにすることで、独自の「アイデン ティティー理論」を築いた。 そして第3 期が 1960 年代から現在に至る期間である。60 年代以降宗教心理学の流 れとしてはエリク・H・エリクソンの人格発達理論に大きな影響を受ける形で「宗教 性の発達」が問題の焦点となってきた。そしてこのような宗教心理学における研究史 の流れを見ることで指摘できることは特定の宗教における信仰内容への関心というよ りも人間の宗教性そのものに対する信仰心の段階的発達へと研究の焦点は移行してい くということだ。このような研究史における代表的な研究としてJames・Fowler の The Stages of Faith11やルイス・R・ランボーの『宗教的回心の研究』12を挙げることが出来 る。さらに2000 年代以降においては霊性と回心の関係性が注目されている。その代表 6 Edwin Diller Starbuck, The psychology of religion : an empirical study of the growth of religious consciousness,
London : W. Scott, 1901.
7 C.G.Jung, Die Beziehungen zwischen dem Ich und dem Unbewußten, Deutscher Taschenbuch Verlag, München, 2001. C・G・ユング『自我と無意識の関係』野田倬訳、新装版、人文書院、2017 年 8 G・W・オルポート『個人と宗教』原谷達夫訳、岩波書店、1953 年 9 杉山、前掲書、41 頁参照 10 エリク・H・エリクソン『アイデンティティーとライフサイクル』西平直、中島由恵訳、誠信書房、2011 年
11 James W・Fowler, Stages of Faith: the psychology of human development and the quest for meaning, 1sted, 1981.
12 ルイス・R・ランボー『宗教的回心の研究』渡辺学・高橋原・堀雅彦共訳、ビイング・ネット・プレス、 2014 年
第2 期は 1930 年代から 1950 年代にかけての期間である。神学との関係性を完全に 払拭しきれなかったという宗教心理学の限界が指摘され、徐々に宗教心理学が衰えを 見せる一方で、深層心理学者 C・G・ユングによって人間の無意識の働きとの関わり において、宗教体験が研究の焦点として注目されるようになった。例えば『自我と無 意識の関係』7などがあげられる。 そして50 年代に入ると新しい研究の動向として「宗教とパーソナリティ」という問 題が議論されるようになった。そしてG・W・オルポートによって書かれた『個人と 宗教』8は初期宗教心理学が衰退した後の、宗教心理学における研究の状況を考える上 で注目すべき研究である9。すなわちそれは W・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』 において展開された回心に関する研究を、パーソナリティという視点において再解釈 した研究であると評価できる。この意味でG・W・オルポートは初期宗教心理学的研 究の継承者であると捉えることができる。 またエリク・H・エリクソンによる『アイデンティティーとライフサイクル』10がこ の時期に生まれた。本書においてエリク・H・エリクソンは、人間が歩むところの生 涯における人格発達過程を八段階に区分し明らかにすることで、独自の「アイデン ティティー理論」を築いた。 そして第3 期が 1960 年代から現在に至る期間である。60 年代以降宗教心理学の流 れとしてはエリク・H・エリクソンの人格発達理論に大きな影響を受ける形で「宗教 性の発達」が問題の焦点となってきた。そしてこのような宗教心理学における研究史 の流れを見ることで指摘できることは特定の宗教における信仰内容への関心というよ りも人間の宗教性そのものに対する信仰心の段階的発達へと研究の焦点は移行してい くということだ。このような研究史における代表的な研究としてJames・Fowler の The Stages of Faith11やルイス・R・ランボーの『宗教的回心の研究』12を挙げることが出来 る。さらに2000 年代以降においては霊性と回心の関係性が注目されている。その代表 6 Edwin Diller Starbuck, The psychology of religion : an empirical study of the growth of religious consciousness,
London : W. Scott, 1901.
7 C.G.Jung, Die Beziehungen zwischen dem Ich und dem Unbewußten, Deutscher Taschenbuch Verlag, München, 2001. C・G・ユング『自我と無意識の関係』野田倬訳、新装版、人文書院、2017 年 8 G・W・オルポート『個人と宗教』原谷達夫訳、岩波書店、1953 年 9 杉山、前掲書、41 頁参照 10 エリク・H・エリクソン『アイデンティティーとライフサイクル』西平直、中島由恵訳、誠信書房、2011 年
11 James W・Fowler, Stages of Faith: the psychology of human development and the quest for meaning, 1sted, 1981.
12 ルイス・R・ランボー『宗教的回心の研究』渡辺学・高橋原・堀雅彦共訳、ビイング・ネット・プレス、 2014 年
的な先行研究としてはR・F・パルーツィアンによる“Religious Conversion and Spiritual Transformation”13が挙げられる。したがって、19 世紀の終わりに近代科学の隆盛とそ の流れの中で生じた宗教心理学的回心研究は、その後、無意識の作用、アイデンテ ィティーの確立、信仰発達理論、そして霊性と形と表現方法を変えながらも、その研 究は継承されてきた。 そこで筆者はこのような宗教体験に関する心理学的研究の歴史と問題意識を踏まえ、 F・シュライエルマッハー、W・ジェイムズ並びに E・スターバック、C・G・ユング の転換としての宗教体験の理解を明らかにする。言い換えると、宗教心理学の先駆者 F・シュライエルマッハーにおいて感情の高まりと理解できる宗教体験をそれ以後 3 人の研究者たちは如何に理解し言葉化していったのかを明らかにする。これが本稿に おける目的である。 1 節:宗教心理学誕生における F・シュライエルマッハーの貢献14 そもそもなぜ宗教心理学領域において、回心が研究対象として注目されるようにな ったのか。言い換えると、なぜこれまで回心は研究対象として取り上げられることが なかったのか。宗教心理学と対話するにあたっては、まずこの問いを明らかにする必 要性があると考えられる。そしてこの問いは当時の宗教と科学の関係性の問題として 捉えることができる。 イギリスの哲学者・数学者バートランド・ラッセルによれば、中世における思想と 近代科学の考え方との重要な相違点は権威に対する考え方にある。つまり、中世のス コラ学者たちにとって聖書やカトリックの信仰は疑う余地のない絶対的な位置づけに あった。 このような考えが宗教至上主義と呼ばれる考えであるが、宗教的権威が絶対的であ った時代というのは中世までのことである。そしてさらに時代が進み近代において啓 蒙主義が浸透する中で、宗教的権威の地位は絶対的なものではなくなっていった。そ してこの宗教的権威の失墜の余波は当然のこととしてキリスト教神学にも及ぶことと なった。 当時の科学者たちは、ある主張が信じられるその根拠は、ある重要な権威がそれを 真理と認めたからであるというような無条件の姿勢、非合理的な姿勢を示さないよう
13 Raymond F・Paloutzian, “Religious Conversion and Spiritual Transformation: A Meaning-System Analysis”,
HANDBOOK OF THE PSYCHOLOGY OF RELIGION AND SPIRITUALITY, edited by Raymond F・Paloutzian,
Crystal L. Park, The Guilford Press, 2005.
14 F・シュライエルマッハーの『宗教論』(佐野勝也・石井次郎訳、岩波書店、1949 年)をもとに本稿で は考察を進めていく。
になった。つまり、聖書にこのように書いてあるから、あるいは、牧師が聖書にこの ように書いてあるからと言うだけでは、無条件にある事柄を信じるという姿勢を示さ ないようになった。 それとは逆に科学者たちは感覚の明確さに訴え、必要な観察を行うにあたって全て の人々にとって明らかな客観的事実に基づいた考えだけを主張するようになった。誰 もが見て簡単に理解できるものだけが受け入れられるようになっていった。その必然 的な結果として観察も証明もできない神学は徐々に社会において居場所を失っていく。 このように近代科学の方法論は視点の転換という意味で大きな成果を収めた。そし てその反動として神学は近代科学に従う必要性に迫られていくことになった。そして キリスト教はこれまで社会全般において無条件に所有していた権威の座を縮小してい く。それは社会全体から最終的には個人の魂に縮小していくこととなった15。 ここに宗教と科学、神学と宗教心理学の関係性を見出すことができる。そしてこの ような神学と近代科学の攻防戦を背景にして、神学は自らの居場所を守るために、つ まり、F・シュライエルマッハー16は神学の立場を守るために『宗教論』を書き上げた と考えられる17。 一方でそのことが宗教心理学を生み出す要因となったと考えられる。それでは科学 と対峙する中で見出した神学者 F・シュライエルマッハーの宗教理解とは一体どのよ うなものであったか。そして本稿の考察対象である転換としての宗教体験をいかに定 15 バートランド・ラッセル『宗教から科学へ』津田元一郎訳、荒地出版社、1965 年、12-13 頁参照 16 W・ジェイムズに対して F・シュライエルマッハーが与えた影響を考えるときにはフンボルト理念の存 在を指摘できる。フンボルト理念とはフンボルトによって構想された研究中心主義の理念である。つま り、大学は教育の場である以上に研究の場であるとの考え方であり、このフンボルト理念が掲げられた のが1810 年に創設された当時のベルリン大学であった。さらにこの理念は 19 世紀末から 20 世紀初頭に かけて世界各地の大学に影響を与えたと考えられている。つまりフンボルト・モデルが世界各地の大学 において移植・伝播された。W・ジェイムズもまたこの理念伝播の流れの中にいたのではないかと筆者 は推測する。それではフンボルト理念が目指したこととは何であったのか。それはこれまでの既成の大 学観の転換である。それまでは大学とは学生が教師から知識を学び取るための場所であった。そこで伝 えられる知識は不動のものであった。しかし、フンボルトは知識をまだ明らかにされていないものとし て扱うことを求めた。この背後にあるのは新たな大学観並びに知識観である。知識は変化するものとい うのがフンボルトの主張である。さらにこうした知識観の変化の背後には、コペルニクスの地動説・ガ リレオの地動説・ニュートンの力学などが存在する。そして人間の自然理解にとどまらずその範囲は知 識にまで達した。それは教会の説くことは絶対であると考えていた人々が自らの理解において物事を判 断する姿勢へと変化していったこととも関係しているといえる。このように知識はすでに定まり不動で あると捉える伝統的な知識観が根底から覆されることを背景として、新たな大学観・学問観・知識観が 求められるようになった。そしてこの要請に応えたのがフンボルト理念であったといえる。したがって、 F・シュライエルマッハーが与えた影響を W・ジェイムズの回心理解に直接的な形で見ることはできな いが、フンボルト理念の伝播という形で、両者の研究姿勢には因果関係が存在するといえる(潮木守一 『フンボルト理念の終焉?:現代大学の新次元』東信堂、2008 年、参照)。 17 フロマートカは信仰や神学といった目に見えないもの・理性を超えたものに対する批判が高まる状況下 で、換言すると、全ての人間にとって理性を超えたものは存在しないとの考えが浸透していく時代が18 -19 世紀において到来する中で、F・シュライエルマッハーが、この神学にとっては非常に厳しいこの 状況に、真剣に適応しようとしたことを指摘している(フロマートカ『神学入門:プロテスタント神学 の転換点』平野清美訳、新教出版社、2012 年、37-38 頁参照)。
になった。つまり、聖書にこのように書いてあるから、あるいは、牧師が聖書にこの ように書いてあるからと言うだけでは、無条件にある事柄を信じるという姿勢を示さ ないようになった。 それとは逆に科学者たちは感覚の明確さに訴え、必要な観察を行うにあたって全て の人々にとって明らかな客観的事実に基づいた考えだけを主張するようになった。誰 もが見て簡単に理解できるものだけが受け入れられるようになっていった。その必然 的な結果として観察も証明もできない神学は徐々に社会において居場所を失っていく。 このように近代科学の方法論は視点の転換という意味で大きな成果を収めた。そし てその反動として神学は近代科学に従う必要性に迫られていくことになった。そして キリスト教はこれまで社会全般において無条件に所有していた権威の座を縮小してい く。それは社会全体から最終的には個人の魂に縮小していくこととなった15。 ここに宗教と科学、神学と宗教心理学の関係性を見出すことができる。そしてこの ような神学と近代科学の攻防戦を背景にして、神学は自らの居場所を守るために、つ まり、F・シュライエルマッハー16は神学の立場を守るために『宗教論』を書き上げた と考えられる17。 一方でそのことが宗教心理学を生み出す要因となったと考えられる。それでは科学 と対峙する中で見出した神学者 F・シュライエルマッハーの宗教理解とは一体どのよ うなものであったか。そして本稿の考察対象である転換としての宗教体験をいかに定 15 バートランド・ラッセル『宗教から科学へ』津田元一郎訳、荒地出版社、1965 年、12-13 頁参照 16 W・ジェイムズに対して F・シュライエルマッハーが与えた影響を考えるときにはフンボルト理念の存 在を指摘できる。フンボルト理念とはフンボルトによって構想された研究中心主義の理念である。つま り、大学は教育の場である以上に研究の場であるとの考え方であり、このフンボルト理念が掲げられた のが1810 年に創設された当時のベルリン大学であった。さらにこの理念は 19 世紀末から 20 世紀初頭に かけて世界各地の大学に影響を与えたと考えられている。つまりフンボルト・モデルが世界各地の大学 において移植・伝播された。W・ジェイムズもまたこの理念伝播の流れの中にいたのではないかと筆者 は推測する。それではフンボルト理念が目指したこととは何であったのか。それはこれまでの既成の大 学観の転換である。それまでは大学とは学生が教師から知識を学び取るための場所であった。そこで伝 えられる知識は不動のものであった。しかし、フンボルトは知識をまだ明らかにされていないものとし て扱うことを求めた。この背後にあるのは新たな大学観並びに知識観である。知識は変化するものとい うのがフンボルトの主張である。さらにこうした知識観の変化の背後には、コペルニクスの地動説・ガ リレオの地動説・ニュートンの力学などが存在する。そして人間の自然理解にとどまらずその範囲は知 識にまで達した。それは教会の説くことは絶対であると考えていた人々が自らの理解において物事を判 断する姿勢へと変化していったこととも関係しているといえる。このように知識はすでに定まり不動で あると捉える伝統的な知識観が根底から覆されることを背景として、新たな大学観・学問観・知識観が 求められるようになった。そしてこの要請に応えたのがフンボルト理念であったといえる。したがって、 F・シュライエルマッハーが与えた影響を W・ジェイムズの回心理解に直接的な形で見ることはできな いが、フンボルト理念の伝播という形で、両者の研究姿勢には因果関係が存在するといえる(潮木守一 『フンボルト理念の終焉?:現代大学の新次元』東信堂、2008 年、参照)。 17 フロマートカは信仰や神学といった目に見えないもの・理性を超えたものに対する批判が高まる状況下 で、換言すると、全ての人間にとって理性を超えたものは存在しないとの考えが浸透していく時代が18 -19 世紀において到来する中で、F・シュライエルマッハーが、この神学にとっては非常に厳しいこの 状況に、真剣に適応しようとしたことを指摘している(フロマートカ『神学入門:プロテスタント神学 の転換点』平野清美訳、新教出版社、2012 年、37-38 頁参照)。 義することができるのか。 F・シュライエルマッハーによれば宗教18とは宇宙の直観と感情において成立する。 宗教とは宇宙の存在と行為とに関する直接経験及び個々人の直観と感情において成立 する。またあらゆる直観は感情と結びついている。人間は宇宙の直観を通じて多くの 感情を捉えるからである。 その宇宙が直観の内において現れる特定の方法が個人の宗教の特性を構成している ように、感情の強さが宗教心19の強さを決定するのである。したがって、F・シュライ エルマッハーにおいて宗教心とは個々人の感情の強さによって変化するものであると 言える。 続けてF・シュライエルマッハーにおいて宗教的感情20とは人間内部に存在する神と 宥和しようとする謙遜な希望であり人間が回心して死と破滅から自らを救おうとする 欲求である。さらに神でさえも「一個の宗教的直観の方法」21にすぎないとF・シュラ イエルマッハーは言う。そして人間がその直観において神概念を受け入れるか否かは 対象者の想像力の方向によって決定されるのである22。そして信仰とは「他人が信じ たことを採用し、他人が考へ感じたことを模倣的に考え感じようとすること」23であ る。F・シュライエルマッハーは神を無条件に受け入れるような姿勢の伴うものが宗 教であるとは『宗教論』において言及していない。 したがって、人間が宗教をもつということは宇宙を直観することである24。そして 人間が宇宙の直観する対象のどれを選択するのかは、人間の宇宙に対する感能、人間 の宗教性の問題によるとF・シュライエルマッハーは説明している。 以上から言えることは F・シュライエルマッハーは宗教を絶対的な神的存在に端を 発することではなく、客観的に誰もが観察可能な感情や経験に置き換えることを通し て宗教の定義を行っているということだ。 それではこの一連の F・シュライエルマッハーによる宗教、宗教心、宗教的感情の 理解を踏まえて転換としての宗教体験を定義する。 この3 要素を再び整理すると「宗教」とは宇宙の存在と行為とに関する直接経験及 び体験者の直観と感情である。次に「宗教心」とは体験者の感情の強さによって変化 するものである。最後に宗教的感情とは人間内部に存在する神と宥和したいとの希望 18 F・シュライエルマッハー『宗教論』49 頁参照 19 同書、63 頁参照 20 同書、96 頁参照 21 同書、107 頁より引用 22 同書、110 頁参照 23 同書、104 頁より引用 24 同書、108 頁参照
である。 以上より『宗教論』における転換としての宗教体験は「人間内部におけるある特定 の対象への感情の高まり」と定義できると考えられる。 そして F・シュライエルマッハーの宗教理解と上記において導き出した転換として の宗教体験の理解に冒頭で立てた問いに答える手がかりがある。つまり、これまで科 学を基礎とする心理学25であろうと、個人の神との出会いや信仰に関する神聖な事柄 を研究者の観察を通じて客観的に把握しようする態度は禁忌であるとされてきた。し かし、F・シュライエルマッハーが『宗教論』において宗教は感情と直観であると定 義したことで、これまでならば客観的な研究対象として取り上げられることはなかっ た宗教体験が研究対象として認識されはじめた26。換言すると本稿で考察対象と定め た回心を中心とした宗教体験の科学的視点に基づく観察・研究への研究者の心理的ハ ードルが下がった。そしてこの点に宗教心理学において回心研究が盛んになった一つ のきっかけを見ることができる。 それではこのように F・シュライエルマッハーが宗教を人間の感情と直観であると 理解したことを先駆けとして誕生したのが宗教心理学であるが、この学問領域は具体 的にはいったい何を研究対象と定めているのか。 宗教心理学者である今田によれば、1870 年代において当時の心理学が始まったとき、 この学問領域は最初「先験的神学的な存在としての霊魂の否定」をもってはじまった。 そしてそれは当時の科学的概念の基礎となる実証主義の結果であったと今田は説明す る。したがって、科学における研究対象は直接観察することのできる事柄に限られ、 その背後には神のような超越的な存在は想定されない。それはいってみれば「現象本 位の心理学」であるという。ここに意識現象本位の心理学が誕生した。そして人間の 感情とは異なり、観察不可能な霊魂は否定されなければならなかったと今田は言うの である27。 したがって、目には見えない霊魂を否定し、人間の観察可能な体験を研究対象と定 めることで成立したのが宗教心理学であると考えられる。そしてこの流れの中で、回 25 1879年に世界で最初の実験心理学の研究室をドイツのライプツィヒ大学に開設したのは生理学出身の W・ヴント(1832-1920 年)であり「実験心理学の父」と呼ばれている(『心理学のあゆみ』有斐学新 書、1977 年、15-16 頁参照)。 26 杉山によれば、心理学の歴史は 1879 年にヴント(W.Wundt)が世界で初めて心理学実験室をライプツィ ヒ大学に開設したことをもって始まった。したがって、宗教心理学の始まりもそれ以降であり19 世紀末 以降である。宗教心理学誕生の意義は「宗教」に対する客観的な態度を生んだということである。そし て宗教に対する客観的態度を生んだ契機としては F・シュライエルマッハーの『宗教論』にあると杉山 は述べている。この中で宗教の本質を感情と規定したことが諸宗教に共通の基盤を与えることになった。 それ故に、このことが宗教心理学の本格的な始まりであると杉山は述べている(杉山、前掲書、13-15 頁参照)。 27 今田恵「宗教と心理学」『神学研究』(9)1959 年参照
である。 以上より『宗教論』における転換としての宗教体験は「人間内部におけるある特定 の対象への感情の高まり」と定義できると考えられる。 そして F・シュライエルマッハーの宗教理解と上記において導き出した転換として の宗教体験の理解に冒頭で立てた問いに答える手がかりがある。つまり、これまで科 学を基礎とする心理学25であろうと、個人の神との出会いや信仰に関する神聖な事柄 を研究者の観察を通じて客観的に把握しようする態度は禁忌であるとされてきた。し かし、F・シュライエルマッハーが『宗教論』において宗教は感情と直観であると定 義したことで、これまでならば客観的な研究対象として取り上げられることはなかっ た宗教体験が研究対象として認識されはじめた26。換言すると本稿で考察対象と定め た回心を中心とした宗教体験の科学的視点に基づく観察・研究への研究者の心理的ハ ードルが下がった。そしてこの点に宗教心理学において回心研究が盛んになった一つ のきっかけを見ることができる。 それではこのように F・シュライエルマッハーが宗教を人間の感情と直観であると 理解したことを先駆けとして誕生したのが宗教心理学であるが、この学問領域は具体 的にはいったい何を研究対象と定めているのか。 宗教心理学者である今田によれば、1870 年代において当時の心理学が始まったとき、 この学問領域は最初「先験的神学的な存在としての霊魂の否定」をもってはじまった。 そしてそれは当時の科学的概念の基礎となる実証主義の結果であったと今田は説明す る。したがって、科学における研究対象は直接観察することのできる事柄に限られ、 その背後には神のような超越的な存在は想定されない。それはいってみれば「現象本 位の心理学」であるという。ここに意識現象本位の心理学が誕生した。そして人間の 感情とは異なり、観察不可能な霊魂は否定されなければならなかったと今田は言うの である27。 したがって、目には見えない霊魂を否定し、人間の観察可能な体験を研究対象と定 めることで成立したのが宗教心理学であると考えられる。そしてこの流れの中で、回 25 1879年に世界で最初の実験心理学の研究室をドイツのライプツィヒ大学に開設したのは生理学出身の W・ヴント(1832-1920 年)であり「実験心理学の父」と呼ばれている(『心理学のあゆみ』有斐学新 書、1977 年、15-16 頁参照)。 26 杉山によれば、心理学の歴史は 1879 年にヴント(W.Wundt)が世界で初めて心理学実験室をライプツィ ヒ大学に開設したことをもって始まった。したがって、宗教心理学の始まりもそれ以降であり19 世紀末 以降である。宗教心理学誕生の意義は「宗教」に対する客観的な態度を生んだということである。そし て宗教に対する客観的態度を生んだ契機としては F・シュライエルマッハーの『宗教論』にあると杉山 は述べている。この中で宗教の本質を感情と規定したことが諸宗教に共通の基盤を与えることになった。 それ故に、このことが宗教心理学の本格的な始まりであると杉山は述べている(杉山、前掲書、13-15 頁参照)。 27 今田恵「宗教と心理学」『神学研究』(9)1959 年参照 心もまた人間の観察可能な研究対象として認識されるようになった。このような一連 の背景がE・スターバックや W・ジェイムズを回心研究へと導く大きな契機となった といえるだろう。 2 節:宗教体験に関する心理学的研究の歴史 それでは筆者の理解では宗教心理学を生むきっかけを作った F・シュライエルマッ ハーにおいて感情の高まりであると解釈可能な宗教体験を、その後の3 人の研究者た ちはどのように理解し言葉化していったのだろうか。第一期において初期宗教心理学 者E・スターバックと W・ジェイムズは回心として、そして第二期の C・G・ユング は個性化として理解している。そこで本節では彼らの宗教体験における理解を順に明 らかにしていく。 第1 期:19 世紀の終わりから 1930 年代:神学からの独立期
(A)E・スターバック Edwin Diller Starbuck
宗教心理学領域において回心研究に最初に着手したのは個人心理学の立場にあった E・スターバックである。彼の回心研究は W・ジェイムズと並び宗教心理学的回心研 究の基点となった。また両者はそれぞれ、前者が質問紙法による手法、後者が手記資 料法による手法としての古典と捉えることができる。そしてE・スターバックの展開 した質問紙法とは質問紙を作成して一連の質問に対する被験者の回答を考察する手法 である。
この方法論を用いて書かれたThe psychology of religion28によれば、回心とは人間の
生涯において全ての時期に同じ頻度で起こることではなく、大半のケースが10 歳から 25 歳の間に起こる現象である。この年齢の範囲を外れたところの事例は殆ど存在しな い。つまり、彼の言う所によれば、回心conversion とは青年期の現象 adolescent phenomenon なのである。 そしてE・スターバックの理解によれば「回心とは、義を求めて努力する過程であ るというよりもむしろ、罪から逃れようと試みる過程Conversion is a process of struggling away from sin, rather than of striving toward righteousness」29である。彼の理解
では回心を人間の意志によるものというよりも受動的なニュアンスで捉えることがで きる。そして回心とは人間の存在全体the whole nature に働きかける過程であり人間の
28 Edwin Diller Starbuck, The psychology of religion : an empirical study of the growth of religious consciousness, London : W. Scott, 1901.
バランスequilibrium of the physical organism を搔き乱す体験でもある。
回心はより深い本能的な生the deeper instinctive life が最も強く働くプロセスでもあ る。つまり、罪の意識と憂鬱The sense of sin and depression of feeding が人間の実存に
働き掛ける。その意味で罪の意識と憂鬱とは回心における根本的な要素fundamental
factors in conversion である。
以上からE・スターバックは以下3地点を辿る過程として回心を整理している。そ
れは憂鬱と悲しみdejection and sadness、転換点 point of transition、喜びと平和 joy and peace である。続けて E・スターバックは「何が回心を構成しているのか」と一つの問 いを立てる。ここで明らかなことは変化の大部分the greater part of the change は人間の 意識下においてin the region of the sub-consciousness 起こる。そしてこの回心を構成し ている何らかの事柄が、人間の意識consciousness に働きかけてくる。
そして転換点の構成内容を詳細に辿ってみると次の7 つに分類できる。即ち(1)服従
yielding・自己放棄 self-surrender 、(2)決断 determination・意志の行使 exercise of will、 (3)赦し Forgiveness、(4)神の救済乃至何らかの外部の力の存在 God’s help or presence of some outside power、(5)キリストの信仰告白 profession of faith in Christ、(6)無意識的覚 醒spontaneous awaking、(7)神との一致の感覚 Feeling of oneness with God である。
彼はこの考察を前提として回心には2 つの本質的側面が存在するという。その本質
とは第一に、神との調和の感覚sense of harmony with God に伴う自己放棄と赦し self-surrender and Forgiveness である。そして第二に、それは罪の意識から自然に後退 するthe natural recoil from the sense of sin ように、或は、義 righteousness を求めるなか
で意志を伴った行いの結果として、突然にも新たな生が無意識に発生することthe new
life bursts forth spontaneously である。以上が E・スターバックによる回心理解である。 (B)W・ジェイムズ William James E・スターバックに遅れること数年後、W・ジェイムズは『宗教的経験の諸相』30に おいて自らの回心についての考えを展開する。はじめにW・ジェイムズ曰く、自分は 神学者でも宗教史を専攻した学者でも人類学者でもない。自分の専門は心理学のみで ある。そして人間に持ち合わせた様々な宗教的志向性を人間の心の構造との関係にお いて説明することが心理学者の研究であると説明する31。そして彼はこの前提に立つ ことで、研究対象については「制度的宗教の分派をまったく無視し、教会組織のこと
30 William James, The varieties of religious experience : a study in human nature : being the Gifford lectures on
natural religion delivered at Edinburgh in 1901-1902.
W・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』桝田啓三郎訳、岩波書店、1969 年 31 同書、15 頁参照
バランスequilibrium of the physical organism を搔き乱す体験でもある。
回心はより深い本能的な生the deeper instinctive life が最も強く働くプロセスでもあ る。つまり、罪の意識と憂鬱The sense of sin and depression of feeding が人間の実存に
働き掛ける。その意味で罪の意識と憂鬱とは回心における根本的な要素fundamental
factors in conversion である。
以上からE・スターバックは以下3地点を辿る過程として回心を整理している。そ
れは憂鬱と悲しみdejection and sadness、転換点 point of transition、喜びと平和 joy and peace である。続けて E・スターバックは「何が回心を構成しているのか」と一つの問 いを立てる。ここで明らかなことは変化の大部分the greater part of the change は人間の 意識下においてin the region of the sub-consciousness 起こる。そしてこの回心を構成し ている何らかの事柄が、人間の意識consciousness に働きかけてくる。
そして転換点の構成内容を詳細に辿ってみると次の7 つに分類できる。即ち(1)服従
yielding・自己放棄 self-surrender 、(2)決断 determination・意志の行使 exercise of will、 (3)赦し Forgiveness、(4)神の救済乃至何らかの外部の力の存在 God’s help or presence of some outside power、(5)キリストの信仰告白 profession of faith in Christ、(6)無意識的覚 醒spontaneous awaking、(7)神との一致の感覚 Feeling of oneness with God である。
彼はこの考察を前提として回心には2 つの本質的側面が存在するという。その本質
とは第一に、神との調和の感覚sense of harmony with God に伴う自己放棄と赦し self-surrender and Forgiveness である。そして第二に、それは罪の意識から自然に後退 するthe natural recoil from the sense of sin ように、或は、義 righteousness を求めるなか
で意志を伴った行いの結果として、突然にも新たな生が無意識に発生することthe new
life bursts forth spontaneously である。以上が E・スターバックによる回心理解である。 (B)W・ジェイムズ William James E・スターバックに遅れること数年後、W・ジェイムズは『宗教的経験の諸相』30に おいて自らの回心についての考えを展開する。はじめにW・ジェイムズ曰く、自分は 神学者でも宗教史を専攻した学者でも人類学者でもない。自分の専門は心理学のみで ある。そして人間に持ち合わせた様々な宗教的志向性を人間の心の構造との関係にお いて説明することが心理学者の研究であると説明する31。そして彼はこの前提に立つ ことで、研究対象については「制度的宗教の分派をまったく無視し、教会組織のこと
30 William James, The varieties of religious experience : a study in human nature : being the Gifford lectures on
natural religion delivered at Edinburgh in 1901-1902.
W・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』桝田啓三郎訳、岩波書店、1969 年 31 同書、15 頁参照 には少しもふれず、組織神学や神々の観念そのものについてもできるだけ考察しない で、問題をできるだけ純然たる個人的宗教のみに」32限定している。すなわち、彼は 自らの研究を神学の研究ではなく心理学の研究と定めた。そしてW・ジェイムズは宗 教を「個々の人間が孤独の状態にあって、いかなるものであれ神的な存在と考えられ るものと自分が関係していることを悟る場合だけに生ずる感情、行為、経験」33と定 義している。
つまり、宗教とは神的存在との関係性における感情feeling、行為 act、経験 experience であり超越的存在である神と一定の距離を取ろうと試みた宗教心理学的回心研究の焦 点は回心者の心理状態にある。
このように個人的宗教personal religion に焦点を当てる W・ジェイムズは人間を2つ のタイプに分類している。それは「一度生まれの人who need to be born only once」と 「二度生まれの人who must be twice-born in order to be happy」である。一度生まれの人 the once-born とは「健全な心 the healthy-minded の人生観をもつ人間」のことで、この タイプの人は世界を基本的に善いものと捉える。そして世界を「一階建ての建物 rectilinear or one-storied affair」として見ている。その一方で、二度生まれの人 the twice-born は「病める魂 the sick souls の人生観を持つ人間」である。彼らにとっての世 界とは「二階建ての神秘double-storied mystery」である。彼らは一度生まれの人のよう に世界をただ単に善きものと無条件に受け入れるのではない。彼らは世界が救いを必 要とする場所と捉えている。W・ジェイムズはこのように人間を分類している。そし て回心体験を経験するのは二度生まれの人と考える。つまり、W・ジェイムズによれ ば、人間には楽観的なタイプの人と悲観的なタイプの人がいる。そして回心を体験す るのは悲観的な人間であると理解できる。 以上の前提となる考察を踏まえて、W・ジェイムズは回心を2つの側面から定義付 けている。W・ジェイムズは第一に回心を「それまで分裂していて、自分は間違って いて下等であり不幸であると意識していた自己が、宗教的な存在者をしっかりとつか まえた結果、統一されて、自分は正しくて優れており幸福であると意識するようにな る、緩急さまざまな過程」34と定義する。 つまり、回心とはこれまで下等で不幸であった自分自身を統一する過程process であ る。言い換えれば、回心とは二度生まれの人が二度目の誕生を果たす過程であり、回 心者が理想と現実の統一を果たして救いの状態へと導かれる過程である。 32 同書、50 頁より引用 33 同書、52 頁より引用 34 同書、287 頁より引用
第二に、回心とは「それまでその人間の意識の周辺にあった宗教的観念がいまや中 心的な場所を占めるにいたるということ、宗教的な目的がその人間のエネルギーの習 慣的な中心をなすにいたる」35体験である。つまり、回心とは「人間の意識 human consciousness」の「周辺」に存在した宗教的観念が回心者の内面の何らかのエネルギ ー移動により意識の「中心」を占めるプロセスである。 上記2つの異なる回心の定義を踏まえて、さらにW・ジェイムズは瞬間的に生じる 回心 instantaneous conversion とはどのような体験なのかの考察を展開している。W・ ジェイムズによれば、瞬間的回心instantaneous conversion とは何の前触れもなく突如 として回心に見舞われる体験である。最も代表的なものとしては使徒言行録 9 章36の パウロの回心がこれに当たるといえるだろう。しかしながら、W・ジェイムズは瞬間 的回心さえもまた、実のところを言えば、過程process としての回心と捉えている。つ まり、W・ジェイムズの考えるところによれば、瞬間的回心とは回心という体験が急 激な形で進んでいくのか、緩やかな形で進んでいくのかという程度の問題に過ぎない のであって瞬間的に回心を体験したと考える人は意識の中心にむかって宗教的な感情 の流れ込む速度が比較的はやい人なのである。 すなわち、瞬間的回心を経験したと告白する回心者は回心を体験するその瞬間にし か注目していないということになる。これまでに何らかの前兆となる出来事があった にもかかわらず、そういった事柄に気が付かないでいるに過ぎない。そして回心体験 のその瞬間にしか回心はないと考える人達のことをW・ジェイムズは瞬間的回心を経 験した人と説明する。そしてその代表例が新約聖書におけるパウロであるという。 以上がW・ジェイムズと E・スターバックに代表される初期宗教心理学の時代にお ける回心の理解である。それではここで彼ら宗教心理学者の展開した回心研究の意義 とその限界について指摘しておく。 神との調和を主張するE・スターバックや W・ジェイムズの回心理解は超越者の存 在を排除仕切ることが完全にはできなかったという観点において神学との間に一線を 引いた研究とは言い難く、ここに両者の研究の限界がある。 しかしながら、当時の時代的状況において心理学的立場から敢えて回心体験という ものを考察しようとした研究に対する姿勢を十分に評価しないわけにはいかない。彼 らの研究はこの意味で非常に画期的な研究であったのではないかと考えられる。 他方で神学からの独立という観点とは異なる批判があることも事実である。例えば 杉山はW・ジェイムズと E・スターバックの研究の特徴は「両者とも個人心理学の立 35 同書、297 頁より引用 36 『新共同訳聖書』使徒言行録 9 章参照
第二に、回心とは「それまでその人間の意識の周辺にあった宗教的観念がいまや中 心的な場所を占めるにいたるということ、宗教的な目的がその人間のエネルギーの習 慣的な中心をなすにいたる」35体験である。つまり、回心とは「人間の意識 human consciousness」の「周辺」に存在した宗教的観念が回心者の内面の何らかのエネルギ ー移動により意識の「中心」を占めるプロセスである。 上記2つの異なる回心の定義を踏まえて、さらにW・ジェイムズは瞬間的に生じる 回心 instantaneous conversion とはどのような体験なのかの考察を展開している。W・ ジェイムズによれば、瞬間的回心 instantaneous conversion とは何の前触れもなく突如 として回心に見舞われる体験である。最も代表的なものとしては使徒言行録 9 章36の パウロの回心がこれに当たるといえるだろう。しかしながら、W・ジェイムズは瞬間 的回心さえもまた、実のところを言えば、過程process としての回心と捉えている。つ まり、W・ジェイムズの考えるところによれば、瞬間的回心とは回心という体験が急 激な形で進んでいくのか、緩やかな形で進んでいくのかという程度の問題に過ぎない のであって瞬間的に回心を体験したと考える人は意識の中心にむかって宗教的な感情 の流れ込む速度が比較的はやい人なのである。 すなわち、瞬間的回心を経験したと告白する回心者は回心を体験するその瞬間にし か注目していないということになる。これまでに何らかの前兆となる出来事があった にもかかわらず、そういった事柄に気が付かないでいるに過ぎない。そして回心体験 のその瞬間にしか回心はないと考える人達のことをW・ジェイムズは瞬間的回心を経 験した人と説明する。そしてその代表例が新約聖書におけるパウロであるという。 以上がW・ジェイムズと E・スターバックに代表される初期宗教心理学の時代にお ける回心の理解である。それではここで彼ら宗教心理学者の展開した回心研究の意義 とその限界について指摘しておく。 神との調和を主張するE・スターバックや W・ジェイムズの回心理解は超越者の存 在を排除仕切ることが完全にはできなかったという観点において神学との間に一線を 引いた研究とは言い難く、ここに両者の研究の限界がある。 しかしながら、当時の時代的状況において心理学的立場から敢えて回心体験という ものを考察しようとした研究に対する姿勢を十分に評価しないわけにはいかない。彼 らの研究はこの意味で非常に画期的な研究であったのではないかと考えられる。 他方で神学からの独立という観点とは異なる批判があることも事実である。例えば 杉山はW・ジェイムズと E・スターバックの研究の特徴は「両者とも個人心理学の立 35 同書、297 頁より引用 36 『新共同訳聖書』使徒言行録 9 章参照 場に立ち、『社会』への言及をあまり行っていないことと、いわゆる『受動型』の回 心を重視したことである。彼ら以降の研究は、その2 点への批判としてとらえること ができる」37と述べている。したがって、これ以降生じる宗教心理学的回心研究(例 えばエームズ38、コー39、プラット40)はW・ジェイムズと E・スターバックへの批判 と応答と見ることができるだろう。 上記においても言及したように、彼らは神学から完全に独立した、神学とは一線を 引いた回心の心理学的研究を展開したかのように考えていたのかもしれない。しかし、 その後の研究者たちからすると両者は神学との関係性を完全に否定することはできな かったと評価せざるを得ない。 そしてW・ジェイムズと E・スターバックをはじめとして神学に基礎を持つ初期宗 教心理学の流れは徐々に衰退していくこととなる。そして宗教体験の心理学的研究の 主流はC・G・ユングに代表される深層心理学へと移行していくこととなった。 しかし、科学的に不完全な宗教心理学的な回心理解といえどW・ジェイムズと E・ スターバックに代表される回心研究の担った意義は無視できないだろう。 この節の最後に、彼らの研究が果たした意義3 点を、再び確認することで本節を終 えることとする。それは第一に1900 年代初頭に回心という非常に排他的宗教的であっ た体験を科学のフィールドに棚卸しすることで考察を試みたことである。それは第二 に彼らの回心研究は 1930 年代までの宗教心理学的回心研究の拠り所となったという ことである。それは第三に彼らの回心研究はその後の宗教体験に関する心理学的研究 の出発点となったということである。 第2 期:1930 年代から 1950 年代:確立期 W・ジェイムズや E・スターバックを中心とした初期宗教心理学は、超越的存在へ の理解という観点において一線を引くことは叶わなかった。神学の関与を否定するこ とはできなかった。そして1930 年代をピークにして初期宗教心理学は徐々にその勢い を失っていくこととなった。 そしてこの課題を克服する形で生じた研究、つまり、人間の心理とりわけ無意識の 作用に着目することで超越的存在である神でさえも人間の無意識の作用に留め、宗教 体験に関する考察を展開した研究が深層心理学という領域であったと考えられる。 また回心と関連した主要な概念として C・G・ユングの個性化という概念を挙げる 37 杉山、前掲書、61 頁より引用
38 Edward Scribner Ames, The psychology of religious experience, Houghton Mifflin, Boston, 1910. 39 George Albert Coe, The psychology of religion, University of Chicago Press, Chicago, 1916. 40 James Bissett Pratt, The religious consciousness, Macmillan, New York, 1920.
ことができる。そしてこれが宗教体験についての心理学的研究の確立という視点にお いて、一つの大きな転換点となったのではないかと筆者は考える。 C・G・ユングは人間の内面的変化即ち人格的変化という観点において、自らの個性 化Individuation という概念と W・ジェイムズの宗教的回心との間に何らかの共通点を 見出したのではないかと考えられる。 (C)C・G・ユングの無意識の構造と個性化 それでは C・G・ユングにとって個性化 Individuation とはいったいどのような概念 なのか。個性化という概念を明らかにするにあたっては、その前提として、C・G・ユ ングの理解するところの無意識Das Unbewusste の構造を明らかにする必要がある。と いうのも個性化とは C・G・ユングにとって人間の無意識の作用の一つであると考え られているからである。つまり筆者はここで無意識の構造における個性化の理解を明 らかにする。 それでは最初にC・G・ユングにとって無意識とはどのような構造をもつものか。C・ G・ユングが『無意識の心理』41の中で自らの考えを展開しているところによれば、そ もそも人間の意識構造とは意識と無意識において成り立つ。さらに無意識には2つの タイプが存在する。 まず人間の心の中には「個人の記憶」のほかに巨大な「原像」が存在している。こ の原像とは古代から連綿と続く人間の表象作用の遺伝的可能性であり、生まれた時代 と場所に関係なく無意識のレベルで全人類が共有し続けている普遍的なイメージのこ とを指している。 例えば宗教現象とは時代と場所は異なれども、ある一定の共通の枠組みの中で展開 される現象であることを原像という普遍的イメージは説明してくれる。この思考の枠 組みとなる前提から、無意識Das Unbewusste における2つの層を C・G・ユングは導 き出す。 つまりそれが「個人的無意識」と「集合的無意識」である。個人的無意識とは失わ れた記憶や抑圧された不快な現象や意識下の知覚、意識上にでてくるほどの力を持た ない感覚知覚や人間が睡眠中に見る夢のことである。意識と無意識という段階的構造 で人間を捉えると意識のすぐ下に存在するものである。 一方で集合的無意識とは個人的なものとは無縁で普遍的な無意識のことを意味して おり普遍的無意識とも呼ばれている。つまり、この集合的無意識は個人的無意識を支 える形で、人間のさらに奥に存在する無意識のことであると C・G・ユングは説明す 41 C・G・ユング『無意識の心理』高橋義孝訳、人文書院、1977 年、104-131 頁参照
ことができる。そしてこれが宗教体験についての心理学的研究の確立という視点にお いて、一つの大きな転換点となったのではないかと筆者は考える。 C・G・ユングは人間の内面的変化即ち人格的変化という観点において、自らの個性 化Individuation という概念と W・ジェイムズの宗教的回心との間に何らかの共通点を 見出したのではないかと考えられる。 (C)C・G・ユングの無意識の構造と個性化 それでは C・G・ユングにとって個性化 Individuation とはいったいどのような概念 なのか。個性化という概念を明らかにするにあたっては、その前提として、C・G・ユ ングの理解するところの無意識Das Unbewusste の構造を明らかにする必要がある。と いうのも個性化とは C・G・ユングにとって人間の無意識の作用の一つであると考え られているからである。つまり筆者はここで無意識の構造における個性化の理解を明 らかにする。 それでは最初にC・G・ユングにとって無意識とはどのような構造をもつものか。C・ G・ユングが『無意識の心理』41の中で自らの考えを展開しているところによれば、そ もそも人間の意識構造とは意識と無意識において成り立つ。さらに無意識には2つの タイプが存在する。 まず人間の心の中には「個人の記憶」のほかに巨大な「原像」が存在している。こ の原像とは古代から連綿と続く人間の表象作用の遺伝的可能性であり、生まれた時代 と場所に関係なく無意識のレベルで全人類が共有し続けている普遍的なイメージのこ とを指している。 例えば宗教現象とは時代と場所は異なれども、ある一定の共通の枠組みの中で展開 される現象であることを原像という普遍的イメージは説明してくれる。この思考の枠 組みとなる前提から、無意識Das Unbewusste における2つの層を C・G・ユングは導 き出す。 つまりそれが「個人的無意識」と「集合的無意識」である。個人的無意識とは失わ れた記憶や抑圧された不快な現象や意識下の知覚、意識上にでてくるほどの力を持た ない感覚知覚や人間が睡眠中に見る夢のことである。意識と無意識という段階的構造 で人間を捉えると意識のすぐ下に存在するものである。 一方で集合的無意識とは個人的なものとは無縁で普遍的な無意識のことを意味して おり普遍的無意識とも呼ばれている。つまり、この集合的無意識は個人的無意識を支 える形で、人間のさらに奥に存在する無意識のことであると C・G・ユングは説明す 41 C・G・ユング『無意識の心理』高橋義孝訳、人文書院、1977 年、104-131 頁参照 る。 そして上述した原像とは集合的無意識の中に含まれる普遍的イメージのことである。 つまり、集合的無意識に存在するこの原像とは人類最古の最も普遍的な宗教的イメー ジの形式といえるだろう。さらに原像は感情であり観念でもある。しかしそれにとど まらず、原像は自ら独立した生命をもつがゆえに人間の意識上にあらわれてくること もある。 そのうえ地上に存在する最も原始的な諸宗教は原像の上に築き上げられている。原 像は何万年も前から人間の頭脳に深く刻み込まれてきたものであり、人間ひとりひと りの無意識のうちに用意されている。そして原像は意識に対して圧倒的な作用を及ぼ すことで人間を著しく変化させるとC・G・ユングは言う。 C・G・ユングは無意識の作用が意識に対して影響を及ぼすことで人格の変化がもた らされるところに宗教的回心religiöse Bekehrung との共通点を見出す。 続けて以上の考察を前提にして、C・G・ユングは神の概念 Gottesbegriff とは非合理 的な性質ではあるものの、人間にとって必要不可欠な心理学的な一機能psychologische Funktion であると定義する。以上が C・G・ユングにおける無意識の構造である。 C・G・ユングによればこの無意識の構造の中で生じるのが個性化 Individuation であ る。C・G・ユング曰く、個性化 Individuation とは無意識の作用に着目した人格的な変 化であり人間内部で完結する体験である。つまり、人間の外側にいる超越者の存在は 個性化が生じる中ではまったく考慮されない。 したがって、個性化Individuationとは意識・個人的無意識・普遍的無意識によって 構成されるところの人間において普遍的無意識の中に存在する原像としての宗教的作 用が何らかの出来事を契機として意識の内に立ち現れてくる過程であると理解できる。 この前提を踏まえることによって C・G・ユングが定義するところの個性化の理解が 円滑にすすむ。 それでは C・G・ユングは個性化 Individuation を具体的には一体どのように理解し ているのだろうか。C・G・ユングが個性化の考察を詳細に展開している『自我と無意 識の関係』42によれば、個性化 Individuation とは「所与の個性的な諸規定を実現する 発展過程」43である。個性化とは「人間を彼がいつかそうである一定の個的存在たら しめるところの心理的発達過程」44であり、「自己実現化」と呼ばれることもある概 念である。つまり、C・G・ユングにおける個性化の概念とは一言でいえば「自分は本 42 C・G・ユング『自我と無意識の関係』野田倬訳、新装版、人文書院、2017 年 43 同書、86 頁より引用 44 同書、86 頁より引用
来こうありたい」という理想の状態に近づくための人間内部の心理的プロセスと理解 できる。 さらにC・G・ユングは個性化の「内面的過程」45の理解を助けるため、換言すると、 人間の内的・心理的過程の理解を助けるためにW・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』 における宗教的回心religiöse Bekehrung の理解を用いている。 C・G・ユングによれば、宗教的回心は「主体的な内面的な理由、意見、確信から人 格変化 Persönlichkeitsveränderung が生じうるものであり、その場合に外面的機縁がな んの役割も果たさないか、果たしたとしてもさして重要でない役割しか果たさないも のである」46。また宗教的回心religiöse Bekehrung は自立的な内面的過程に基づいてい る。そしてこの過程が進行していった頂点が人格変化となってあらわれでる。そして この過程は原則として、最初は識閾下つまり無意識的なことで、ごく少しずつしか意 識Bewusstsein の領域に到達しないという特性を持っている47とC・G・ユングは宗教 的回心を理解している。 たしかに、C・G・ユングは個性化における内的な変化過程の理解を助けるためにW・ ジェイムズの宗教的回心の言及を行った。そして無意識の作用による人格変化という 意味において共通点を見出すことができるが、それはそのまま両者が同一の概念であ るということにはならない。C・G・ユングは『自我と無意識の関係』においてこれ以 上の関係性には言及していない。 以上が C・G・ユングにおける無意識の構造と個性化 Individuation の理解である。 宗教体験の心理学的研究という視点でみたときに、C・G・ユングの展開した研究の意 義を考えると次の事柄を指摘することができるだろう。すなわち、C・G・ユングの展 開した研究の意義は無意識の作用に研究の焦点を限定することを通じて神学との間に 一定の距離感を保つことに成功したことにある。つまり、宗教体験を超越的存在であ るところの神との関係にではなく純粋に人間内部の無意識の作用として理解したこと にある。この点に初期宗教心理学と C・G・ユングによる研究の大きな相違点が存在 すると指摘できる。 【おわりに】 筆者はF・シュライエルマッハーの宗教理解と転換としての宗教体験理解を考察の 出発点として定めた。彼にとっての宗教とは宇宙の直観と感情であり、これを基礎と 45 同書、88 頁より引用 46 同書、88 頁より引用 47 同書、89 頁参照
来こうありたい」という理想の状態に近づくための人間内部の心理的プロセスと理解 できる。 さらにC・G・ユングは個性化の「内面的過程」45の理解を助けるため、換言すると、 人間の内的・心理的過程の理解を助けるためにW・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』 における宗教的回心religiöse Bekehrung の理解を用いている。 C・G・ユングによれば、宗教的回心は「主体的な内面的な理由、意見、確信から人 格変化 Persönlichkeitsveränderung が生じうるものであり、その場合に外面的機縁がな んの役割も果たさないか、果たしたとしてもさして重要でない役割しか果たさないも のである」46。また宗教的回心religiöse Bekehrung は自立的な内面的過程に基づいてい る。そしてこの過程が進行していった頂点が人格変化となってあらわれでる。そして この過程は原則として、最初は識閾下つまり無意識的なことで、ごく少しずつしか意 識Bewusstsein の領域に到達しないという特性を持っている47と C・G・ユングは宗教 的回心を理解している。 たしかに、C・G・ユングは個性化における内的な変化過程の理解を助けるためにW・ ジェイムズの宗教的回心の言及を行った。そして無意識の作用による人格変化という 意味において共通点を見出すことができるが、それはそのまま両者が同一の概念であ るということにはならない。C・G・ユングは『自我と無意識の関係』においてこれ以 上の関係性には言及していない。 以上が C・G・ユングにおける無意識の構造と個性化 Individuation の理解である。 宗教体験の心理学的研究という視点でみたときに、C・G・ユングの展開した研究の意 義を考えると次の事柄を指摘することができるだろう。すなわち、C・G・ユングの展 開した研究の意義は無意識の作用に研究の焦点を限定することを通じて神学との間に 一定の距離感を保つことに成功したことにある。つまり、宗教体験を超越的存在であ るところの神との関係にではなく純粋に人間内部の無意識の作用として理解したこと にある。この点に初期宗教心理学と C・G・ユングによる研究の大きな相違点が存在 すると指摘できる。 【おわりに】 筆者はF・シュライエルマッハーの宗教理解と転換としての宗教体験理解を考察の 出発点として定めた。彼にとっての宗教とは宇宙の直観と感情であり、これを基礎と 45 同書、88 頁より引用 46 同書、88 頁より引用 47 同書、89 頁参照 して転換としての宗教体験を「人間内部におけるある特定の対象への感情の高まり」 と筆者は定義した。次にE・スターバック、W・ジェイムズ、C・G・ユングという3 人の研究者における宗教体験についての理解を明らかにした。それぞれの理解を再び 振り返ってみる。 最初にE・スターバックはこの宗教体験を回心と理解する。そして回心とは人間の 生涯において全ての時期に同じ頻度で起こる体験ではなく、その多くが10 歳から 25 歳の間に起こることが明らかとなった。そして彼の言う所によれば回心conversion と は青年期の現象adolescent phenomenon である。そしてこの理解はこれ以降の回心研究 にひとつの道筋を与えた。さらにE・スターバックによれば「回心とは、義を求めて 努力する過程であるというよりもむしろ、罪から逃れようと試みる過程Conversion is a
process of struggling away from sin, rather than of striving toward righteousness」である。以
上がE・スターバックにおける回心理解である。 次にW・ジェイムズもこの宗教体験を回心と理解している。そして W・ジェイムズ は回心を2 つの視点において定義している。第一に回心を「それまで分裂していて、 自分は間違っていて下等であり不幸であると意識していた自己が、宗教的な存在者を しっかりとつかまえた結果、統一されて、自分は正しくて優れており幸福であると意 識するようになる、緩急さまざまな過程」48と定義する。そして第二に回心とは「そ れまでその人間の意識の周辺にあった宗教的観念がいまや中心的な場所を占めるにい たるということ、宗教的な目的がその人間のエネルギーの習慣的な中心をなすにいた る」49体験であると定義している。これがW・ジェイムズにおける回心理解である。 さらにW・ジェイムズにおける回心理解と C・G・ユングにおける個性化理解の間 には人間の内的変化という点で何らかの共通点が存在するのではないかとの推測の下 にC・G・ユングの個性化に着目しその内容を明らかにした。 C・G・ユングによれば個性化Individuationとは「所与の個性的な諸規定を実現する 発展過程」50であり「人間を彼がいつかそうである一定の個的存在たらしめるところ の心理的発達過程」51である。そして「自己実現化」と呼ばれることもある概念であ ることが明らかになった。つまり、C・G・ユングにおける個性化とは「自分は本来こ うありたい」との理想の状態に近づくための人間内部の心理的プロセスである。 以上から無意識の作用による人格の変化という点で W・ジェイムズの回心理解と C・G・ユングの個性化理解の間には共通点を見出すことはできる。しかし、それはそ 48 W・ジェイムズ、前掲書、287 頁より引用 49 W・ジェイムズ、前掲書、297 頁から引用 50 C・G・ユング、前掲書、86 頁より引用 51 C・G・ユング、前掲書、86 頁より引用