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『告白録』における ad te の存在形成運動の構造 : 神探究と人間存在の可変的構造

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Academic year: 2021

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(1)2012年 3月 2日. 学位請求論 題名. :「『告 白録 』 にお け る. ad teの 存在形成運動 の構造. :神 探究 と人 間存在 の可変 的構造」. ム ン ジ ョンホ. 関西学院大 学神学研 究科大学院研究員. 文 禎頴.

(2) 目次 頁 … …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… 1. 序論. … …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …01. 第 1節. 問題設定 と研 究方法. 第 2節. 各章 にお ける問題設定 と研究方法. 第 1章. … …… …… …… …… …… …… …… …… …. 15. 第 1巻 1章 1節 にお ける laudare ― laudareを 課題 とす る ad te―. は じめに. ・… …… …… ……. … …… …… …… …… …… …… …… …… ‥… …… …… …… …… …… …… ……・ 25. 第 1節 laudareに 至 る全 過程 と laudareの 位置 づ け 第 2節 laudareの 二つ の前提. (a)創 造論的前提. :「. … …… …… …… …… …… …… 27. … ‥… …… …… ‥… …… …… …… …… …… …… …… 030. あなた に向けてわれわれ を造 られた」と神 の似像. (b)キ リス ト論的前提 第 3節. ・… … … … 25. :「. あなたの御子 の人性 を通 して」と信仰. 神探求 の構造 と人 間存在 の可変的構造. … …… … 30. … …… …… …… 33. … …… …… …… …… …… …… …… … 36. (a)神 探究 の構造 :laudareに 至 る全 過程 と laudareの 二つ の前提か ら … …… 36 (b)人 間存在 の可変的構造 :laudareの 二つ の前提か ら … ‥… …… …… …… …038 おわ りに. 第 2章. … …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… … …040. abs te(a te)と. ad te. ―不安 な心 によって 引き起 こされ る ad te― は じめに. ・… … …… …… …… …… …… …… … 41. … …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… ……. 第 1節. 『告 白録 』にお ける abs te(a te)の 用例分析. 第 2節. 『告 白録 』にお ける ad teの 用例分析. 第 3節. 神探究 と人 間存在 の可変的構造. 41. … …… …… …… …… …… … 41. … …… …… …… …… …… …… …… … 48. … …… …… …… …… …… …… …… …… …… 54 (a)神 探究 の構造 :心 の不安 との 関連 にお いて … …… …… ‥… …… …… …… …054. (b)人 間存在 の可変的構造 :abs teと ad teの 用例分析か ら … …… …… …… … 56 おわ りに 第 3章. … …… … …… …… …… …… …… … …… …… … …… …… …… …… …… …… 057. 第 10巻 にお ける記憶探 究 と欲 の探究. ―内なる自己への還帰と神への上昇としてのad は じめ に. te① ―. … … … … 59. … …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… ……. 59. 第 1節. 神認識 と 自己浄化 へ の願望. 第 2節. 記憶探究. … …… … … …… …… …… … …… … … …… …… …… …… …… … …061. 第 3節. 欲 の探究. … …… … …… …… …… …… …… … … … …… … …… …… …… … …・ 67. … …… …… …… … …… …… …… …… …… …… … 59.

(3) 第 4節. 神探究 の構造 と人 間存在 の可変的構造. 70. (a)二 つ な る一 つ の探求 :記 憶探 究 と内面探究 のつ なが り … …… …… ‥… …… (b)人 間存在 の 可変 的構 造 … …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… ……・ お わ りに. 第. 4章. 72. … …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… ……・ 73. H巻. 第. 70. 29章 39節 にお ける distentio、 intentio、 extentus. 一内なる 自己へ の還帰と神へ の上昇 としての ad te② 一 ・… …… …… …… … …・ 75 はじめに … …… …… …… …… ‥… …… …… …… …… …… …… …… ……・P… …… …… 75 第 1節 distentio:第 33節 の distentioと 第 39節 の distentio ・…… …… …… ……・ 76. (a)distentioの 二つ の意味① :魂 の広が りと存在の分裂 … …… …… …… … … 76 (b)distentioの 二つ の意味② :不 変 につながる領域 と可変 に支配 される領域. 77. 第 2節 intentio:adcor e… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …・ 79 … …… …… …… …… …… …… …… …‥. 第 3節 extentus:オ ステ ィアでの神秘体験 第 4節. 神探究の構造 :distentio、. 第 5節. 人間存在 の可変的構造. 第. extentusの 関係を通 して. … ……・ 83 85. … ……. おわ りに. 第 5章. intentio、. 12、. 81. 86. 13巻 にお け る 「天 の 天」、「無形相 的質料」、「霊 的被造物」 の 始 原. ― 始原 にお け る ad te一. 。 … …… …… …… … …… …… …… … …… …… …… …… … 88. は じめに. 88. 第 1節. 第 12巻 にお ける「天 の天」 … …… …… …… …… …… …… …… …… …… …… 89. 第 2節. 第 12巻 にお ける 「無形相 的質料」. 第 3節. 第 13巻 にお ける「霊的被造 物」の始原. … …… …… …… …… … …… …… ……・ 94. 第 4節. 始原 にお ける ad teの 存在形成運動. … …… …… …… …… …… …… …… …… 98. 第 5節. 人間存在 の可変的構造 と ad teの 存在形成運動 との 関係. おわ りに. 結論. 文献表. … …… …… …… …… …… …… …… … …・ 92. … …… …… ……・ 99 101. … …… …… …… … … …… …… …… …… …… … …… …… …… …… … … …… … …… 0103.

(4) 序論 第 1節. 問題設定 と研 究方法. アウグス ティヌスは 354年 アフ リカのヌ ミデ ィ ア地 方 の タガステに生 まれ る。 371年 彼 はカルタゴで 修辞学 を学び、373年 カ リキ ュラム に したが ってキケ ロ. (Cicero、. 紀元前 106∼ 43年 )の 失われた著書、. 『ホルテ ンシウス 』 (Hortensius)を 読み、知恵 へ の愛 に 日覚 めるよ うにな る。そ の経験 を通 して聖 書 を手 にす るが、当時彼 には聖 書がキケ ロの理念 にまった く一致 しな い もの として理 解 されたため、破局 に終わ る。そ の後 アウグス テ ィヌスが 9年 間 にわた って 善 と悪 (光 の王 国 と闇 の王 国)が 対決す るとい う二 元論や光 としての神は物体 的 であるとい う唯物論 を教 えるマニ教 の一員 とな るが、結 局 マニ教 に幻 滅 を抱 くよ うにな る。384年 修辞学教師 としての成功 の野心 に満 ちた アウグステ ィ ヌスは ミラノにいく。 ミラノで人 間 の精神 は真理 に到達 できな い とい うキ ケ ロの 「新 アカデ ミア派」の懐疑論 に接す る。一方 そ こでア ウグステ ィヌスはア ンブ ロシウス と出会 い、彼 の説教 を通 してア レキサ ン ドリア派 の比喩的聖 書解釈 を学ぶ。そ して プラ トン哲 学 とキ リス ト教 を結 び付 けよ うとした シンプ リキ アヌスのよ うなキ リ ス ト教 プラ トン主義者たちの影響 によって 、彼は当時 の流行 に したが って哲 学者 の共 同生活 に関心 を持 つた仲間たち と共 に、プロテ ィノスや 『エ ンネアデス 』を書 いたポル フュ リオスな どの思想 に触れ、大 き く影響 され る。 この新 プ ラ トン主義 の影響 によって、マニ教であった彼は劇 的 に変わ り、修辞 学教師 の キ ャ リアか ら哲 学 へ と回心 し、新 アカデ ミアの懐疑主義 的立 場 を捨 て るよ うにな るのである。そのよ うな過程 を経て 386年 8月 32歳 の時、 い よいよアウグス テ ィヌスは 回心 1を 果たす。 同年 9月 か らはカ ッ シキア クムでの小 グル ー プ隠棲 生活 を通 して 新 プ ラ トン主義 の影 響が至 る所 に存在 す る一 連 の対話 編 を執 筆す る。 387年 3月 ミラノに戻 り、同年 4月 復活祭 の夜、ア ンブ ロシ ウスか ら洗礼 を受 ける。そ の後 カ ッシキアクムのそ の 小 グル ー プで修 道 院 の生 活 を築 くため、彼 は自分 の故郷 の町 に帰 る ことにす る。 故郷 に戻 る途 中 387年 秋 オステ ィアで母 を失 い、 388年 暮れ アウグステ ィ ヌス ー行 はカル タ ゴに着 き、そ の後 タガステ に帰 り約. 3年 間過 ごす。 391年 ヒ ッポ の 司祭職 の義務 を引き受 け、 395年 ヒッポ の. 補佐 司教 とな り、396年 ヒ ッポ の 司教 ヴ ァレリウスの死後 、そ の後継者 とな る。そ して 397年 42歳 の時 アウグス ティヌスは約. 3年 にわた って『告 白録 』 を執筆す るのである。 この『告 白録 』は 13巻 か らな. る散 文詩 と して人 間が 自己存在 の根源 で ある神 に語 りか ける形式 を とって い る。 このよ うな形式は魂. (anima)と 理性 (ratio)2の 対話 の形式で展 開され る『ソ リロクィア』を修正 して 深み を持たせた もの であるといわれ る. 3。. しか し精神 の神 へ の上 昇が 自力 によって完成 され るとい う思想が表れ るカ ッシキア. l Michel Pellegrino, Zθ. ∫θ. "力. 95ン ノ 〃′/■gus′ ノ ″. ssノ. iル ′ u」 しノ θθ′ J/ra Paris :Alsatia, 1960.(M.Pellegrino, 己. .・. "∫ ′ 〃″θ力 ′ rθ 力 ′ 4孵 s′ ルθ∫ ノ′ ルα Rome:Editrice StudiuⅢ , 1956.)I PeHegrinoは この 回 J心 心が 理学的観点、合理主義的・ 主知主義的観点、道徳的観点、宗教的観点か ら解釈されるという。① 心理学的観点は、 揺れ動き矛盾する魂 の状態な ど人 間の経験を説明する見方。このような解釈は正 しいが、しか しもしそれが方法論的計画 の上で、『告 白録』を支配する宗教的意味を不十分に評価 した り、排除するな ら『告白録』の根本的な一つの側面に対す る理解 を妨げる (44-45)。 ②合理主義的・ 主知主義的観点。 この観点は、386-87年 において新プラ トン主義への回心に 対する解釈の重要性を強調 し、そのためカ ッシキアムで書 いた一連の対 話編 をよ り所にする。しか しこのよ うな合理主義 的態度は、宗教的 。キ リス ト教的要素の影響力 (範 囲)を 否定 した り、過小評価 した りすることに執着する問題がある (45 -46)。 ③道徳的観点。 『告 白録』は罪か ら徳 への通過、情念の奴隷か ら感覚に対する制御へ の通過 の物語 として理解 され る。 このよ うな倫理的要素は本質的であるにもかかわ らず、『告白録』にお いてその要素は唯一ではない。真理 と真実な 生に対する渇望 とい う知的要素 と結び付 けられて いるのである (46)。 ④ 宗教的観点。宗教的側面の下で回心を解釈する 観点である。つまり回心を、不信仰か ら信仰へ、特別にマニ教 の教理的間違 いか らカ トリックキ リス ト教 とその実践への 物語 として理解するため、宗教的意味の回心はキ リス トとその教会 を通 して神 に向かう歩みを意味するのである。これ も 本質的であって、唯一の側面ではない (47-48) 2山 田 晶 「「ソリロクィア」にお ける〈ラチオ〉の意味について一 SoH loQ.1,c.1,n.1」 『中世思想研究』 (2η ,1985, 123頁 .山 田晶によると、 『ソリロクィア』にお ける魂は感覚や想像や記憶を包含する魂 の全体 を意味する名である。それ に対 して理性はその中で も特に思惟する部分であ り (3頁 )、 神 の霊の うちによみがえ り、新たにされた、新 しきアウグ ステ ィヌスの理性であるという (20頁 )。 3H.チ ャ ドウィック著・ 金子晴勇訳『アウ グスティヌス 』,教 文館, 1993, H3頁. J"ノ. Zθ ttη 力∫. JJi San′. `愛. .. L.

(5) クム の対話編 とは違 って、『告 白録 』 の 中 には 不完全な存在 として 神 に頼 り続 けるアウグステ ィヌ スの 姿が描写 され る. 本研 究は この よ うに中年 にな るまでのアウ グステ ィヌスの思 想遍歴 の軌跡 を辿 り、彼. 4。. の初期 の思索 を集 成 している重 要な作 品 として 評価 され る5『 告 白録 』 に関す る研究である。 R.J。. 0′. Connellは 、アウグテ ィヌスの『告 白録 』研 究 にお いて三つの主 要な議論 の領域が あるとい. う。それ は資料 の 問題 、回心 の歴史性 の 問題、『告 白録 』の意味 と統 一 性 の 問題 である. 6。. 第 一 、資 料 の 問題 というのは、 アウグス テ ィ ヌスが 自身 の著作活動 の転機 にお いて プ ロティノス と彼 の弟子ポル フュ リオスの著作 に頼 る必 要性 と可 能性が あるか どうか とい う ことである。 第 二 、回心の歴 史性 の 問題 というのは、A.D.386年 にアウ グステ ィ ヌスが実際キ リス ト教 に回心 した のか、 もしくは約 10年 後 『告 白録 』を執筆す る際、そ の 回心 の事実 を調整 したのかにつ いての議論で ある。 この歴史性 の 問題 に関す る研究 にお いて も、最 も評価 され るのは、Po CourceHeで ある. 7。. 0′. J.J.. Donnellに よると、 アウグス テ ィヌスの全作 品 を通 して伝記的事実 に関 して研究 してきた従来 の水平. 的研究 に対 して、そ の 向きを変えた. P.CourceHeは. 『告 白録 』テキス トの根底 を見 る ことによって、. 若 い アウグス テ ィヌス に対す るプラ トンの影響 の メカ ニ ズム につ いてよ り綿密 に調査 した という。とこ ろが Po CourceHeに よって刺激 された、歴史性 の 問題 に関す る議論や調査 の 問題 は、『告 白録 』自体 の 修辞学的、注釈 的戦略 に対す る詳細な研究 を犠牲 に した とい う ことである. 8。. 引 いてはそ の よ うな研究 の. 問題 は、研究 の対象であるアウグス テ ィヌス という著者そ の ものを変形す る危 険性 をもつ ことを も含 む 9。. 第 二、 この作品 の意 味 と統一 性 の 問題 とい うのは、アウグステ ィ ヌスが意 図 した通 りに『告 白録 』の 意味す るところは何な のか 、そ して提案 された 意味が 『告 白録 』の統 一性 の 問題 を解決す るのか とい う ことで ある。 本研究 は、『告 白録 』の意味 と統 一性 の 問題 につ いてである。 まず 『告 白録 』 の構成 につ いて簡単 に 紹介 しよ う。第 1∼ 9巻 は、 回心 に至 るまで 354∼ 387年 間 の ことを回想す る 自伝 的物語である。第. 10. 巻 はアウ グステ ィヌス 自身 の現在 の状態 を表す試み と して 記憶 に対す る哲学 的探究 と欲 (三 つの罪 )に 対す る内的省察で ある。tt H∼ 13巻 は創世記第 1章 の解釈 に基づ いて展 開され るが、そ の 中で第 H巻 は特別 に時間 の本性 に関す る長 い議論 を含 み、第. 12,13巻 にお いては創造 にお ける根本 的な事柄であ. る質料 の 問題が扱われ る。『告 白録 』とい う題 目の下 で この よ うに構成 されて い るが、 この構成 を見た 限 りでは どのよ うな統一性が保たれて い るのか 理解 しがた い。題 目で表れ る 「告 白」 とい う言葉 の意味 を通 して統 一性が提 案 され うる。 しか しそ の意 味 の 中 に様 々な事柄が収 まるほ ど『告 白録 』はそ う簡単 に構成 されていな いよ うに見 える。Po CourceHeは 次 の よ うに述 べ る。「もし『告 白録 』の統 一性が題 目の言葉 のみ に基づ くな らば、そ の よ うな統一 性 は若 千 の作 り物である。なぜな らそ の言葉 は結論 に素 材 を提供 せ ず、常 に同 じ意味で捉 え られな いか らで ある. 10。. 」もしかす ると E.Feldmannが 語 ったよ うに、. 『告 白録 』のす べ てのテーマ を運ぶそ の よ うな一 つ の統 一 性は現存 しな いよ うに見 え、それ を見つ ける 4P.ブ ラウ ン著・出村和彦訳『 アウグス. テ ィヌス 伝 (上 )』 ,教 文社 ,2004,152-163頁 。(Peter Brown,/ュgus′ ルθθノ置 ppa ヽ (A New Edition with an Epilogue: first published in 1967 by Faber and Faber LiⅢ ited), 2000. 5宮 谷宣史 「アウグステ ィヌス『告 白録 』の解釈 (三 ):メ モ リアの意 味 につ いて」 『神学研 究 』(関 西学院大学神学研究 科 ) 第 30号 ,1990,39頁 ′ 6 R. J。 0' Connell, ∫ム /崚 究んィノ ″θ ∫3on力 ∫∫ノ θ ″s .・ ′ 力θ θ リンssθ /θ ノ∫θ〃ム 2nd ed., New York : Fordhatt University .. Press, 1989, pp.3-7. 7 P. cOurcelle, Pθ. θ 力θrchθ s sJ/r ノ θs 3on■ 兜sノ θ ″s グし5ン ノ ″′/■8us′ ノ ニ Paris : ЁditiOns Eo de Boccard, 1950。. 8J.J.0'Donne H, /ュ gus力 りθ ハη力ssttη s(volo I), Oxford:Clarendon Press, 2000(1992), pp.xx― .・. xxi.こ の. Pe Courcelleの 論文 は、 アウグステ ィヌス研究 にお いて画期 的な改革 とされ、 アウグステ ィヌスの生涯 の研 究 に対 して 持続的影響 をもった とい う。特 にミラノで AⅢ broseの 周辺 の キ リス ト教 の知的討論 に対す るプ ラ トン主義の影響 を証明 し. た ことは、P.COurceHeの 最 も偉 大な業績 としてみな され る。 9 Cf. R. J. 0' Connell (1989) , ope cit。 , p.5. 10 Cf. Po Courcelle (1950), opo cit., p.20. 0. ∠.

(6) のは依然 として難 しい課 題であるか もしれな い。かつて Wagnereck(1631年. )は 『告 白録 』を最初 の 10. 巻 に制限 して 出版 した こと もあるが、それ はアウグス テ ィ ヌスが教会 の知的な人 々の ため に第 11∼ 巻 を後 で 追加 した と信 じたか らである た研 究者 は E.Wi H igerで ある E.Wi H iger13(1929年. 13. この『告 白録 』の統 一性 の 問題 に対 して最 も厳 しい批判 を し. H。. 12。. )は 、『告 白録 』を第. 1∼ 9巻 、第. 10巻 、第 H∼ 13巻 に分 けて、第 1∼ 9巻 と第. H∼ 13巻 は統 一 性 の ある一つの意 図を通 して、固 く明確な つ なが りの 中で重な り合 って位置づ け られて いる とい う。 この よ うなつ なが りは、第 10巻 によって 遮断 され る とい う。なぜな らアウグステ ィヌス の現在 の生の状態 を描写す る この第 10巻 は、アウ グステ ィヌス によって 不 自然 に追加的 に挿入 された ためである。 したが って第. 9巻 の次 に第 11巻 が直接 に続 くそ の場合 のみ、物語 は真 実な意味 を持 つで. あろ うと い う。 この よ うに第 10巻 の 問題 を取 り上 げる ことによって 、『告 白録 』全体 の統 一性 の 問題 を 指摘 した。. Wo Theileri4(1933年. )は 、confessioに つ いて述 べ られ る第 10巻 1章 1節 か ら第 10巻 5章 7節 ま. での箇所が、特 に confessioの 意味を詳 しく確立す る後書き の特徴 を持 つ と言及 しなが ら、第 10巻 が 追加 的 に挿入 された と い う Eo Wi H igerの 論証が、少な くとも我 々の印象 を支持 し、多 くの可能 性 を持 って い る とい う。. P.Henry15(1938年 )は 、アウグステ ィヌ スの 回心 の遍歴 は、第 9巻 のモニ カの死 と共 にはっき り終わ る こと、そ して 第 9巻 のオステ ィ アのヴ ィジ ョンが アウグステ ィヌ スの (思 想 的 0信 仰的)成 長 の最 も 重要な段 階 の最後 として区切 られ る経 験で あ り、『告 白録 』の頂点で ある ことを強調 した上で、第 10巻 が追加 的 に挿入 された とい う見 解 にある程度正 当性が あると指 摘す る。それ に加 えて彼は第 11∼ 13巻 が理 解 で きる能 力 の ある人たちには面 白く、確 か に余計ではな い と して も、厳格 に言え ば必 要 ではな い とい う。. Po Courcelle16(1950年 )も 、E.Wi H igerに 同意 しなが ら、彼 の論証 を立 証す るため、次 の よ うに 付 け加 える。つ ま り当時第 10巻 がな い『告 白録 』を読んだある読者たちが 『告 白録 』の 中 に司祭職 の 年 に関す る内容がな い ことを指 摘 し、 自身 の現在 の状態 と現在 の誘惑 につ いて説明 して くれ る ことをア ウグステ ィ ヌス に無遠慮 に要求 した ことが きっか けで、アウグステ ィ ヌスはそ の要求 に応 じて後 にな っ て第 10巻 を追加 的 に書 くよ うにな った とい うことである。そ して アウグステ ィヌスの思想よ り自伝 を よ り好 んだ 彼 らの 要求 に対す るアウ グステ ィヌス の不満が第 10巻 の 冒頭で表れ るとい う (X,3,3.)。 こ のよ うに Po CourceHeは 『告 白録 』が状況 か ら生 まれた書 物 (une oeuvre de circonstance)で あ り、 総合 的観 点か ら生 まれ た ことを強調す る こ とによ って最 初 か ら統 一 性 を持 って い る書物 である ことを 否定す る。 J.J.0′ Meara17(1954年. )は 、基 本的 に Eo. Wi H igerと. P.CourceHeの 主張 に従 う。『告 白録 』は様 々. H N. Fischer und C. Mayer(h3),. ′ノ θ3on力 ∫∫ノ ″θ∫ ″∫/■gus′ ノ ″〃∫ 倒 置 ヽ DDθ .・ Eint滋 =mt“ ′グル ′θrpre′ ′′ノ″θ″ ″″ ″θルθ 力″力 ″θtt Herder,2004,s19。 注 41を 参考。 12E.FeldⅢ ann, “Confessiones", /ι g″ ダ カ〃sイ αrikon、 Basel:Schwabe, 1986, ppo H43-H44。 13 E. Williger, jし r/〃 肋 〃″r′♭″/bssノ ″ /■gus′ ノ 〃二 ZNW 28, 1929, ss.81-106。 14 w. Theiler, Porphyrios und Augustin, Fθ"θ rsθ 力■ ngen zα ″St″ρノ ′′ θ ″ノ s〃ど s, Berlin:Walter de Gruyter, 1966 (repr。 ), p.243. (Schriften der Kё nigsberger Gelehrten Gesellschaft, geisteswisso Kl. 10, 1933) z〃. Halle,. 1933 (repr.. in his [Berlin 19661, pp.. 160-248.. 15 P. Henry,. ・/ra″ βカノノ ph/′ θttys′ ノ ルθβ′′ 力′ θ′ ransθ θ ″denθ θ。 θ∫Э θノ s〃 ノ ″ル ノ ″′/ュgus′ ノ ″a Pittsburgh, Pa.:Pickwick ′ ′ Press, 1981, pp。 10-11. (P. Henry, Z′ /ノ sノ θ ″グ θ しノ ノ θ s′ βノ ′θθdansノ ′/ノ θθノノ″〃/ra`髪 ,s′ ノ′/■tts′ ノ ム Paris:J. .。. Vrin, 1938.) 16 cfo Po CourceHe, ope cit, 1950, pp.20-26.. ′ Meara, ルθノθns/■騨 ∫′ ノ ″θ.・ ′ 力θgrθ ″励 θノ∫ム /■騨 ∫′ //7θ S〃 カグ ″ ′ θカノ s θθ″歿νTノ rθ κθ ″ " iTグ //g7乃 ″∵ Alba House,2001(1954),ppo xv― xxXiV。 彼 によ る と、『告 白録 』は伝記 ではな い とい うが、そ の理 由 と し て二 つの 問題 を挙 げて い る。一つの理 由は『告 白録 』にお いて彼 の 記憶 によ って語 られ る正確な 事実 は少な く、アウグス 17 J. J。. 0′. 3.

(7) な要素が一つ ず つ連続 的に置かれ、不器用 に結びつ け られて い るため、構成 の悪 い作品 として捉 え、特 に最初第 10巻 のな い『告 白録 』が 出版 された後、第 9巻 と第 11巻 の 間 に第 10巻 が差 し込 まれた と強 調す る。そ して もし統一性が あるな らば、それ は第 10巻 を除 いて、第 1∼ 9巻 にお ける神 の摂理 の導 き の下で行 う真理探 究 と、第 11∼ 13巻 にお ける聖書 を通 した真理 の享受 との 間 の対比 の 中 に存在 し、 こ の対比 (対 照 )が 、『告 白録 』の主題で ある とい う。. M PeHegrino18(1956年 )は 、Po Henryの よ うに第 10巻 のみな らず第 H∼ 13巻 も後か ら追加 された 可能性 を示す。Mo PeHegrinoは 、『告 白録 』における物語 の最 も大 きな部分 を形成す る 回心 の直後 、オ ステ イアで ドラマの助演で あった彼の母 の死 と共 に、進行 中の魂 の真実な遍歴が結論づ け られ、 この人 間 と神 の遍歴 にお いて『告 白録 』の様 々な出来事 と問題な どがそ の意味 をもつ とい う ことに よって、第 1∼ 9巻 を第 10∼. H巻 か ら区分 し、第. 10巻 の 内観 的分析 と第 H∼ 第 13巻 の聖書注 解 は第. 1∼ 9巻 が書. かれた後 、構 成 された とい う見 解 を もつ。 これ らの研 究者たちが指摘す るよ うに、確 か に 『告 白録 』 には第 10巻 をめ ぐって構成 の不 自然 さの 問題 は存在す るといえる。そ の よ うな意味で第 10巻 のな い形で 『告 白録 』が出回 り、読 まれて いた と 推測す るのは説得 力が ある。そ して この よ うな議論 によって、元来 アウグステ ィ ヌスが 意 図 した 『告 白 録 』全体 の統 一 性 に対す る期待 は崩れ る可 能性があるであろ う。 しか しそのよ うな推測 は如何な る重 要 な理 由によって も正 当化 されな い19と 主張す る Ae Solignac、 そ のよ うな推測 に関す る証拠 は全 く存在 し な い20と 断定す る J.J。 0'Donne H、 第 1∼ 9巻 (罪 の告 自)と 第 10∼ 13巻 (信 仰 の告 白)が 互 いに影 響 を及 ぼ し、従 う21と ぃ ぅ Mo Wundt、 三 位 一体 的概念 によって 第 2∼ 4巻 と第 10∼ 13巻 が徹底的 に検 討 された 関係 の 中 にある22と ぃ ぅ H.Kusch、 『告 白録 』 にお ける詩篇 引用 を通 して 第 10巻 の継続性 を強 調 す る N.G.Knauer23、 第 9巻 の最後 と第 10巻 の始め の 間 にそ して第 10巻 の最後 と第 割れ 日 (cleft)が 表れな. い24と. H巻 の始 めの間 に. 主張す る A.Pincherle、 『再考録 』第 2巻 6章 1節 を通 して『告 白録 』. の統 一 性が証明され る25と ぃ ぅ Ko Bo Steinhauserな どの研究者たち の観点 を考慮す るな らば、た とえ不 テ ィ ヌス も自身の生の部分 に関 して 完全な事実 を語 る意 図 を もって いな いか らで ある (xx)。 事実そ の ものではな い場合 、 それ は事 実 に対す る彼 の道徳的解釈 である (xxiii)。 『告 白録 』が 自伝 ではな い二 つ 目の理 由は、 『告 白録 』を通 してす べ ての人が 摂理 の下 で真理 探究 にお いて 同 じ経 験 を持つ ことを信 じた アウグステ ィ ヌスは、自身 の人 間論 の例証 として、自 身 の生 と信仰 の告 白とを使 用す るか らで ある (xxxi H)。 18 cfo Michel Pellegrino, op. cit, pp。 19 A. Solignac, Zθ. 50-51, 205。. ∫30n」 θ ssノ θ ″s (Bibliothoque Augustinienne13), Paris: DescICe de Bouwer, 1962, p.23. 20 cfo J. J. 0' Donnell, ope cit., p.xxxii. 21 Mo wundt, Augustins Konfessionen,. ノυノ′ ∫θ 力rノ ノ′ノ″ rグノ θ〃θ θ∫′ 〃 ノノ ′ 力θ msθ ヵ′ノ′″ググノ θ θ′υ″″ ″ r″ ノ′ θren 麟効θ (22),Giessen:Alfred Tё pelmann,1923,p.182。 M.Wundtは"′ 第 1∼ 9巻 と第 10∼ 13巻 が互 いに影 響 を及 ぼ し、 両者 は教 会 の儀 式 の 時 のよ うに互 いに従 うとい う。前者 (qualis fueri皿 )は 、外 的侮辱 の あ らゆる形で行われ る懺悔 で あ り、後者 (qualis siⅢ )は 彼 の信仰 の 説明で ある。 アウグステ ィヌスは前者 を過去 の 罪 の告 白 (confessiones praeteritoruⅢ malorumtteoruⅢ )と して 呼 び、 後者 にお いては 自己 の知 って い る ことと知 らな い ことを告 白す る (confiteri scientiamと inperitiaⅢ 皿ea■ )。 前者 は confessio peccatiで あ り、後者 は confessio fideiで ある。 22 H. Kusch, Studien uber Augustinus, Fes′ g Leipzig:VEB sθ 力 rノ ノ ′Franz,θ ″ sθ ノ ノ五 z〃 ″ ′J "ι J/r′ ∫′ ′ Bibliographisches lnstitut Leipzig, 1953,ppe 128-130。 H.Kuschは 、『告 白録 』が 400年 に、『三 位 一体 』がそれ よ り 2年 先だ って 書かれた といい、そ のため 救済 的意 味 を もつ三位 一体 の思想が『告 白録 』の 形成 にお いて影 響 を及 ぼ し た のではな いか と い う。 23 G. N.Knauer, Ps′ 加 zノ ′ ′′ θJir/■gus′ ノ 〃∫′♭″力 ssノ θ ren、 Gё ttingen : Vandenhoeck&Ruprecht, 1955, SS。 149-150, 160.G.N.Knauerは 詩篇 引用が 『告 白録 』の構成 のテ クニ ック にお いて非 常 に重 要な役割 を して いる ことを指摘 し、第 10巻 が 詩篇 21:27を 通 して第 1巻 1章 1節 と、詩 篇 118:18を 通 して 第 H巻 2章 3節 とつなが り、詩篇 103:3-5を 通 して第 H巻 と結び 付 け られて いる と主張す る。この よ うに して アウグステ ィヌ スが 元 々第 10巻 を後 で執筆 し第 9巻 と 第 11巻 の 間 に挿入 した とい う見 解 をもつ Wi H igerと 彼 に従 う CourceHeの 見解 に反対 す るのである。 24 A. Pincherle ″The Confessions of St. Augustine″ /■tts′ ノ ″ノ ″s′ 〃グノ ′ θs(Vol.7), Villanova, Pa. :Villanova University, 1976,pp.128-131。 A.Pincherleは 、第 9巻 と第 10巻 、 また は第 10巻 と第 H巻 との間のつなが りにつ いて は疑 いが な い とい う。他方 、第 10巻 の第 29章 42節 か ら第 39章 61節 にお いて、思想の主な 流れ (da quod iubes の 反復句 を除 いて、第 31章 43節 と第 37章 60節 )が 妨 げ られ 、 これ らの 章 は挿入 され 、 追加 された もので ある とい う。 このよ うに A.Pincherleは 第 10巻 の部分 的挿入説 を主張す るので ある。 25 K. B. Steinhauser, The LiteraryUnityof the Confessions, in/■ ・/ra″ r力 θ′ gI′ ″ (J. McWilliaⅢ ″θ。 θr′ θ′ 力θθノ θ sus′ ノ JJ7′. /」. 4.

(8) 自然な形で構成 されて い る作 品で あって も、アウグステ ィヌスが何 らかの形で全体 的統 一 性 を意 図 しな が ら『告 白録 』を執筆 したか もしれな い とい う期待 は依然 として残 る。む しろ ars(術 )を 隠 し、建築 家 の見積書のよ うな 一つの 計画 に厳格 に従わな い古代 の修辞学 の特徴 を考 える26と 、構成 の悪 く見 える そ の作品 の 中 に隠 された 内的統 一 性 に対す る期待がよ り高 まる。次 は『告 白録 』全体 の統 一性、特 に内 的統 一性 を強 調す る研 究 につ いて考 察す る。. R.Guardini(1935年 )は 、『告 白録 』の 中 に描写 され る内的プ ロセス に対す る解釈 には、次 の三つの 解釈がある ことを指摘す る。つ ま り倫理 的 0宗 教 的回心 を強調す る解釈 、心理学 の立 場か らす べ てを説 明す る解釈、新 プラ トン主義や ホルテ ンシウス にお ける精神 と思想な ど人間の精 神 (spirit)の 遍歴 を 取 り扱 う解釈 である27。. R.Guardiniは これ らの解釈 を批判的 に捉 えなが ら、 アウグステ ィヌスの生が. 思想 の形で 自己存在 を再構 築す る創造 的作業 の 中で送 られて いた ことに注 目し、アウグステ ィ ヌスの告 自の歴史が彼の思想 的歴史 としてだ けではな く、存在 を再構築す る創造 的歴史 として理 解 されな けれ ば な らな い という (w)。 そ して この よ うなキ リス ト教 的存在 の 形成 とい う内的 プ ロセス に対す るアウグ ステ イヌスの思 想が 『告 白録 』 の 中に示 され る と主張す る. (xl)。. Ro Guardiniは 、『告 白録 』とそ の 中. に表れ る様 々な要素 をキ リス ト教 的存在 の 形成 とい う内的プ ロセスの下で理 解 しよ うとす る ことに よ つて、『告 白録 』が 一 定 の統 一 性 を もった 作 品である ことを示唆す る。 しか しキ リス ト教 的存在 の形成 とい う内的プ ロセス を通 して、『告 白録 』 の統 一 性 の 問題 に関 しては十 分 に論 じて いる とはいえな い。. Fo Cayro28(1953年. )は 、『告 白録 』が歴史 に基づ いた第. 1∼ 9巻. (134章 )と 、よ り教理 的な第 10∼. 13巻 (144章 )と い う二 つ の部分 で構成 されて い る といい、 この二つの部分 を結びつ けるつ なが りにつ いて 明 らか にす る。そ のつ なが りとは この作 品 の 中 に潜 んでいる神秘主義 の根幹 として、人 間 の 中の神 の 臨在 に対す る深 い意識 (sentiment)で ある。 この神 の 臨在 は最初 の部分 にお いて 道徳 的探究 を励ま し、罪人が悪徳 の 中で安 らか に住み つ くことを妨 げ、二番 目の部分 にお いては魂 の豊か さへ の探究 に向 ed.),Waterloo:Wilfrid Laurier University Press,1992,p.19,24.『. 再考録 』第 2巻 6章 1節 で アウグステ ィヌ スは 13巻 の『告 白録 』が 自己 の悪 と善 につ いて神 を賛美 し、神 へ の人 間 の理 解 と愛 を引き上 げる といい、 『告 白録 』の第 1∼ 9巻 と第 10巻 が 自己 について、第 H∼ 13巻 が聖書 につ いて である とい う。Ko Bo Steinhauserは 『告 白録 』に関 して簡 単 に紹介す る『再考録 』の この箇所 を象徴す べ きだ といいなが ら、この箇所 を通 して アウグステ ィヌスが『告 白録 』の構 成 の不完全性 につ いて 言及せず 、明 らか に『告 白録 』の統 一 性 を考慮 して いた ことを強調す る。ル ′ 〃θル′ ノ ″θ∫H,6,1。 ConfessionuⅢ Ⅲearum libri tredeciⅢ , et de Ⅲalis et de bonis tteis deum laudant iustum et bonuⅢ , atque in euⅢ excitant huⅢ anutt intellectutt et affectu皿 . Interim quod ad tte attinet, hoc in Ⅲ e egerunt cutt scriberentur et agunt cu皿 leguntur. Quid de illis alii sentiant, ipsi uiderint; multis taⅢ en fratribus eos Ⅲultutt placuisse et placere scio. A pritto usque ad decittuⅢ de me scripti sunt, in tribus ceteris de Scripturis sanctis, ab eo quod scriptum est: In principio fecit Deus caelum et terram, usque ad sabbati requie皿 260'cOnnellは 、古代 の修辞学教師のモデルが ars(術 )は ars(術 )を 隠す ことである ことに注 目し、 アウグステ ィ ヌスは 我 々が彼の構成 の跡 を見 抜 くよ うに、実際 自分 の作 品 を非 常 によ く構成 したか もしれな い、そ して も し我 々の側か ら失敗す るな らば、彼 の側 の少 し皮 肉な勝利 を意 味す るか もしれな い とい う (pp.10)。 A.SoHgnacは 、今 日の作家 は建 築家 の見積書 のよ うな 一つの 計画が必要だ とい う考 え方 をもって いるが 、古代人 の修辞学 はそ うではなか った ことを指摘 す る。 彼 らの修辞 学 は、厳 格な プ ロセス に従 って思 想た ち 個es idees)を 整理す る コツ (art)よ り、古典 的著者たち の. や り方の真似を教えて いた。彼 らは内的に考え られ、練 り上げられ、 しか しまだ書かれて いな い一つの 「主導的な思想 (ldee)」 をよ り喜んで語 っていた。 したがってそ の作品の内的統 一性 を認めることは十分 であると主張する (p.25) 27 R. Guardini, ノ ンθθθ ″ rSノ θ ″θノ/■騨 s′ ノ ra Chicago : Henry Regnery, 1960(translated froⅢ the Gerttan by Elinor “ Die Bekehrung des helligen Aurelius Augustinus : der innere Vorgang in seinen Briefs).(RoⅢ ano Guardini, Bekenntnissen,1935)① 倫理的宗教的解釈は、『告 白録』が単純に、悪か ら善へ、非信仰か ら信仰への倫理的宗教的回心 の記録であるという観点を出発点 とみなす。 この解釈はとて も単純で、歴史的事実を無視する傾向がある (xi)② 心理学 的解釈は、他の極端に進み、心理学の立 場か らすべてを説明する。これはアウグスティヌスの生を、力強 く少 し混沌 した エゴ (ego)の 個別事例史 (the case history)と してみる (xii)。 しか し心理学的解釈は、真 の宗教は何な のかに対す るとて もおぼろな観念 (理 解)と 、キ リス ト教的存在 (実 存 existence)の よ りおぼろな観念をもつ 収Hi)。 ③思想史的 解釈解釈は、アウグスティヌスの『告 白録』の物語が、倫理的心理的 レベルにおいてのみな らず、新プラ トン主義やホル テ ンシウスにお ける精神 と思想 (idea)の レベルにおいても示 されるため、人間の精神 (spirit)の 歴史 を取 り扱わなけ ればな らないという解釈である。このよ うな解釈は、知的理解 とキ リス ト教的数多 くの重要な観察に達するものの、その 観察 を敬虔な修辞学 としてでな ければ、ただ回想の一瞥の幻想 として退けて しまう。その結果 として、全体の心理学は偽 りに変わることになるのである 伝Hi― xiJ。 28 Fe Cayro, ″Le sens et l′ gノ σ unite des COnfessions″ , Annθ θ ∴ ″θθノθ 〃θ ′■ 〃ノennθ (13), ttS′ ノ. 5. 1953, pp.29-30..

(9) か って方向付 ける。 このよ うに Fo Cayroは 人間 の 中 の神 の臨在 に対す る意識 を通 して、『告 白録 』の統 一性 を説明 しよ うとす る。 ところが『告 白録 』には神 の 臨在 よ り神か ら離れて いる人間が神 に向かって い く力動 的な動 きがよ り主な 流れ の よ うに見 えるため、『告 白録 』の統 一 性 は 神 に向か って い く人 間 の 行為 を通 して表れ ると考 えるのが 説得 力が あるであろ う。. G.N.Knauer29(1957年 )は 、第 H∼ 13巻 によって告 白録 の全体 の構成が完全 にな り、第. 1∼. 10巻 が. その意 義 とよ り所 をもつよ うにな り、 次 のよ うに魂 の遍歴 (peregrinatio animae)が 第 1∼ 13巻 の統 一 性 を表 して い る とい う。 アウグス テ ィヌス の この 世 の 人生行路 は、 過去 にお いて 神 か ら遠 く離れて、 貧困 と死 の領域 (regioegestatisodermortis)へ 向 いたが、平和 の 国へ 向 きを変 え、豊かな領域 (regio. ubertatis)で ある天のエルサ レム を直観す る. (第 1∼ 9巻 )。. しか しこの世 に生きて い る間、聖 書 とい. う天空 の権威 の下で、記憶 (memoria)の 中で神が存在す るところを明確 に定 めよ うとす るいかな る試 み も成 功 しな い 。 そ の よ うな 現 在 の 苦 労. (Muhe)は (praesens attention, H,28,38)は 、 節 制 (continentia)へ 向かなけれ ばな らな い (第 10巻 )。 そ の後倉1世 記解釈 によって 神 の 国は正 しく評価. され、神 の 国にお ける永遠 な安息 へ期待 (expectatio)は 向け られ、最終 的 に神 自身 の 中で魂 の遍歴 は そ の 目的 と道 の りを終 えるのである (第 11∼ 13巻 )。 このよ うに Go N.Knauerは 、魂 の遍歴 を通 して 『告 白録 』の統 一 性 を論 証 して い るが、知 的探究 の特徴が強 い第 10∼ 13巻 を正 当に評価す るにお いて そ の論証 は少 し弱 い と考 え られ る。. Ae Solignac30(1962年 )は 、『告 白録 』を二つの部分 に分 け、第 1∼ 8巻 を罪 と告 白と、第 9∼ 13巻 を 改宗者 と名 づ ける。そ して 第 1∼ 13巻 が 結 び付 け られ 、統 一性 を保 って いる ことを指摘す る31。 この統 一性 は、論理的統 一 性 とい うよ り内的統 一 性で あ り、一貫 的で進歩的展 開の連続 の統 一 性 というよ り精 神 と意図の統 一 性である。 この よ うな内 的統 一 性 とい うのは、祈 り、恩恵 へ の従順、聖書黙想、使徒的 意 図、自分 の個人的生 にお ける神 の行為 に対す る 自覚な どの内的要因であ り、 これ らの決定 的な ものに よつて『告 白録 』が完成 され るよ うにな った とい う。 この よ うに彼は内的統 一 性 を認めるものの、多様 な内的要 因を内的統 一 性 と して 捉 えるため、 さ らに統 一 性 に対す る疑 間が生 じる。 R.J。. 0′. Conne H32(1969年. )は 、第. に見 えると指摘 しなが ら、第. 1∼ 9巻 と第 10∼. 13巻 との間に統一性が明 白に欠乏 しているよ う. H∼ 13巻 の意味が明 らか になれ ば、第. 1∼ 9巻 との 関係が明確 にな り、そ. れ によって 『告 白録 』の統 一 性 は保証 され るとい う。それで彼は、特 に創世記 冒頭 の注解 で ある最後 の. 3巻 が どのよ うな意味 を持 つ か を説 明 しよ うと試み る。Ro J。. 0′. Connellに よると、堕落 した魂 に関す. る人 間論が霊的注 解 33に よって 創世記 の 冒頭 か ら引き 出 され うる ことを証明す る試み を もって、 アウグ ステ ィヌスは 『告 白録 』を最高潮 に達せ らせ る とい う。そ して古代天地創造 の物語 (Hexaemeron)の 解 釈者た ちに とって 創造物語 は この 世 とい う砂漠で 神 に背 いて街往 う人間 の遍歴 を示す キ リス ト教 的人 間論 を説 明す る 中心的資料であ り、アウグス テ ィヌ スは、プロテ ィノスの堕落 した魂 の理論 と共 に、 こ の伝統的観点 に従 って、創 世記 冒頭 を解釈す るとい う34。 この よ うな アウグステ ィヌス の人間論は、 『告 29 G. N. Knauer, Peregrinatio Ania■ Phノ ノ θノ)sヽθ(85),. Berlin : Weidemann,. e:zur Frage der Einheit der Konfesslonmen, 1957, p。 248.. 力むrmes.・. r″ ′ssノ sθ 力θ. Zθ ノ ′ ∫θ 力rノ ノ′ノン. 30 cfo Ao Solignac, op.cit., pp.19-36。. 31前 半部 の第 1-4巻 は道徳 的で知的な悪習 を扱 う。第 5巻 はマ ニ 教 へ の興味 の喪失 の転換期 を示 し、還 帰 の過程 を開始. す る。 第 6-8巻 は知 的、道徳 的回心 を語 る。そ して 後半部 の 第 9巻 はアウグステ ィヌス の洗礼 とモ ニ カ の死 を、第 巻 はアウグス テ ィ ヌスの 内的状態 を、第 H-13巻 は聖 書 に対す るアウグステ ィヌ スの黙想 を含 む。. 32 cf.Re J.0′. Conne H(1989),op.cit。 ,pp.1-22.(Robert J。. 10. 0′ Conne H,St.Augustine′ s Confessions:the Odyssey : Belknap Press of Harvard University Press , 1969。 ) 33こ のよ うな聖 書解釈 の方法 は、 ミラノの AⅢboroseに よ って 開発 された と見 られ る。 34 cf.R.J.0′ Connell(1989),op.cit.,p。 13.0′ Connellは 旧約聖書 とその神 を否定す るマ ニ 教の二 元論的観 点 の ため、アウグス テ ィ ヌスが 最初 の注解 である De Genesi contra Manichaeosを 著作 し、創造 に 関す る創世記 の記事 の注解 で『告 白録 』を終わ らせな けれ ばな らなか った とい う。この二 つの著作 の創世記注解 を通 して、人 間 の 生 に対す る彼の全. of soul, CaⅢ bridge, Mass.. 6.

(10) 白録 』の 内的で公式的な構造 として、『告 白録 』 にお いて統一性 を破 る要素 も吸収す る巨大な力を持 つ ので ある。 この よ うに第. H∼ 13巻 の創世記解釈 にお ける人間論 を通 して、『告 白録 』の統 一 性 の問題 を. 解 くとい う R.J.0′ Connellの 試みは評価 す るに値す るであろ う。 しか し『告 白録 』 にお いて広 い範囲 で行われて い る神探求 とい うテーマ は、そ の よ うな人間論 の 中で理 解 され るには、あま りにも大き く見 える。. )は 、アウグス テ ィヌス の生の歴史 を人類 の典 型的歴史 と解す る J.J.0′ Meara. Mo Suchocki35(1982年 と. Re J。. 0′. Connellの 観点 に従 って、『告 白録 』の構造が実 は人類 の普遍 的歴史 として意 図されて い る. とい う観 点 を示す。そ の よ うな観点 を証 明す るため、彼 はユニー クな アイデ ィ アを提案す る。それは『告 白録 』 に表れ る二つ の木 を重 要象徴化 (key symbolism)す る ことによ って 普遍 的歴史 を解 明 しよ うと す る試みである。 つ ま り第 2巻 のな しの木 (第 2巻 6章 12節 )は エ デ ンの 園 の善悪 の知識 の木 (創 世 記 2:17)と して、第 8巻 のイチジクの木 (第 8巻 12章 28節 )は 命 の木 (創 世記 3:22)と して捉 え、 前者 の第. 2巻 に続 く第. 3∼ 7巻 は、 堕落 の結果 (神 に対す る挫折 した 知識 )を 生 々 しく描写 し、後者 の. 第 8巻 に続 く第 9∼ 13巻 は、それ らの悪 に対す る答 え (神 に対す る満足 のい く知識 )を 描写す るという ことで ある。第. H∼ 13巻 は後 に追加 された もの として見 えるが、『告 白録 』の象徴 的構造 の完成 には不. 可欠 (integral)で あるとい う。 この よ うに Me Suchockiは 象徴的構造 を通 して 『告 白録 』の統 一性 を 示すが、そ の統 一 性 はアウグス テ ィヌス の意 図 とい うよ り、研 究者 自身 の意 図 の よ うな印象 を与える。. J.J.0′ Donne H36(1992年. )は 、『告 白録 』が アウグステ ィヌスのよ り若 い時か ら執筆 の時 までの、. 哲学 的・ 宗教 的本性 の 問題 に関す る思想 の動 きを辿 る作 品 であるといいなが ら、第 7巻 のプ ラ トン主義. 9巻 の オステ ィアでの神秘体験 とい う魂 の上 昇 とが、第 10巻 の前半部 の記憶探究 を成 す パ ター ンとな り、そ のパ ター ンは、第 11∼ 13巻 を通 して も現れ るということによって統 一性 の可能 的神秘体験 と第. 性 を紹介す る。無 論、『告 白録 』 の 中 には魂 の上 昇だ けではな く、罪 と欲望 か ら自由にな る倫理的 上 昇. (the moral rise)も あるとい うことによって、魂 の上 昇 による統 一 性 の可能性 の 問題 を指 摘す る。そ して. J.J。. 0′. Donnellは 『告 白録 』にお けるプ ラ トン主義的上 昇 と倫理 的上 昇 の 問題 をプラ トン主義 的. 魂 の上 昇 の変形 を通 して解決 しよ うと次のよ うに試み る。つ ま り受 肉 の キ リス トが彼の生の 中 に入 る第. 8巻 の 回心 の場面が この作品 の 中心であるが、 この御言葉 の受 肉を知 らせ る聖 書 による魂 の上 昇を通 し て、プラ トン主 義 の魂 の上 昇 の 限界 を克服 し、ゴー ル に至 る。そ して この上 昇は洗礼 を通 して (IX,6,14。 第. ). 9巻 にお いて成就 され、救済 と聖餐 の 問題 につ いて触れ る第 10巻 の最後 の ところにお いて頂点 に達. す る。このよ うな観 点は厳格 に節制 を行 って いた哲 学者たち にまさるキ リス ト者 になるというア ウグス テイヌスの道徳 的 自己克己 と節制 の決断 に関わ る。 これが伝統的な プ ラ トン主義 の魂 の上 昇 を変形 した キ リス ト教 的魂 の上 昇 を意味す るので ある。 この キ リス ト教 的魂 の上 昇が 、『告 白録 』の全体 的な明 白 なパ ター ンであ り、アウグス ティヌスの一生の著作活動 の 中心 とな るパ ター ンで もあるとい う。 このよ うにキ リス ト教 的魂 の上 昇 を通 して『告 白録 』の統 一 性 を見て い るが、上記 の研究者たちが主張す る人 間論 の 問題が浮上す る。. K.B.Steinhauser37(1992年 )は 、アウグス ティヌス の美 の思想 を通 して 『告 白録 』の統 一性 の問題 を解 くことを試 み る。 K.B.Steinhauserは H,6,12.Pulchra erant poma i Ha)、. 16歳 の 時盗んだナ シが美 しか った こと (Confesslones. それか ら 10年 後 マニ教的視点か ら美 とは何 か と問った こと (Ibid.. 体 的観 点 が最 も十 分 に、 最 も率 直 に表 れ る とい う。 ′ 35 Mo suChocki, ル θ∫ン″夕θノノ θ∫′ r〃 θ′ r〃 θθ ノ/ュgus′ ノ 〃θ ∫3on力 ssノ L/3, 1982, pp。. 365-378.. 36 cf.J.J.0'Donne H(2000, volo I), p.xx―. "二. The Journal of the Atterican Academy of Religion. xli.. 37 K. Bo Steinhauser, The LiteraryUnityof the Confessions, in/■. ″θ /ra″ sus′ ノ .・. ed.), Waterloo:Wilfrid Laurier University Press, 1992, pp。. 7. 15-26.. θr′ θ′ r力 θ′ 力θθノogI′ ″ (J.. McWilliaⅢ.

(11) Quid est pulchrum?Et Quid est pulchritudo?IV,13,20)、. そ の 問 いに答 え る試み と して 『美 と適 に. つ いて 』 (de pulchro et apto(381/382))と い う最初 の作品 を書 いた こと、そ の後新 プ ラ トン主義 に よって美 を求 めて 内的 に方向 を転換 した こと. (X,8,14。. intus haec ago,inaula ingentimemoriaemeae)、. そ して約 20年 後 、『告 白録 』にお いて 物体 的世界 を見て、神がす べ ての美の根 源であると宣言 した こと. (XI,H,6.Tu,domine,pulcher es。. )な ど、美 に対す るアウグス テ ィヌスの探究 の発展過程 に注 目す. る。 アウグステ ィヌスは この観点か ら自身 の生を熟考 し、告 白 した とい う pulchritudo)。. (X,27,38。. Sero te amaui,. さ らに K.Bo Steinhauserは この美 の思想 を通 して構成 にお ける第 10巻 と第. の重 要性 を強調す る. 38。. H∼ 13巻. このよ うに この美 に対す るアウ グステ ィヌ スの探究が 『告 白録 』全体 を貫 く紐. のよ うな もので あると い うが、『告 白録 』 にお いて美 とい うテ ーマ が 占め る位置 はそんな に大 きいと言 えな い。 山 田晶 (1968年 )39は 、「自分 の善 と悪 につ いて、神 を讃 える」 とい う根本精神が、『告 白録 』全体 に わた つて 貫 かれて い る といい、宮谷宣史 (2007年 )40は 、ァゥグステ ィヌスが 「神 と人 間 の関係、神認 識 と 自己認識」 を関連 させて 探求 しよ うと して いた といい、 これが 統 一 性 を示す主題であるとい う。岡 野 昌雄 (1997)41も 、宮谷 宣史 の見解 と同 じく、受 肉 の御言 による、 自己 と 自己源である神 との人格 的 関係 の 中で、告 白を通 して、 自己 と神 を探求 (認 識 )す る ことが 『告 白録 』を貫 く主題であ り、『告 白 録 』全体 を統一 的 に理 解 しよ うとす る。 要す と♭に、Eo Willigerや P.Henryや I Theiler や P. Courcelleや. J. J。 0′. な どの研 究者 は第 10巻 を後 か ら追加 された もの として理解 し、または第. Mearaや M Pellegrino. H∼ 13巻 もそ の よ うに捉 える. ことによ って、『告 白録 』全体 の統 一性 につ いて 肯定 的 に考察 しな い。それ に対 して R.Guardiniは キ リス ト教 的存在 の形成 とい う内的プロセス を通 して、F.Cayroは 人間 の 中 の神 の臨在 を通 して、G.N.. Knauerは 魂 の遍歴 を通 して、A.SoHgnacは 祈 り、恩恵 へ の従順、聖書黙想、使徒的意図、個人的生 に お ける神 の行為 に対す る 自覚な どの 内的要 因を通 して、0′ Connellは 第 人間論 を通 して、Me Suchockiは 象徴 的構造 を通 して、 J.J。. 0′. H∼ 13巻 の創世記解釈 にお ける. Donnellは キ リス ト教的魂 の上 昇 を通. して、Ko Bo Steinhauserは 美 に対す る探究 の発展過程 を通 して、山田 晶は 「自分 の善 と悪 につ いて 、 神 を讃 え る」 を通 して、宮谷宣史 と岡野 昌雄 は神 と人 間 の 関係 にお ける神認識 と 自己認識 を通 して『告 白録 』全体 の統 一 性 の 問題 を解 くことに取 り込 む。 これ らの研 究か ら次 の六つの点が浮 き彫 りになる。 第 一 、第 10巻 が後 になって 挿入 されたか どうか ということである。 第 二 、従 来 の研究者たちの間では主 に年代順 におかれて い る第 1∼ 9巻 の統 一 性 につ いて は異論がな いが、第 10巻 (記 憶探究 と欲 の探究 )と 第 11巻 (時 間論 )と 第 12∼ 13巻 (創 世記解釈 と質料論 )と を含 む 場合 は、全体 として構成が複雑 に見 える とい う ことで ある。 第 二 、従 来 の研究 は、第 1∼ 9巻 まで をアウ グスティヌスの回心 を 中心 と した 過去 の 出来事 に関す る 物語 として理 解 し、第 10∼ 13巻 を知的探究 と して理解 しよ うとす る傾 向が あるとい うことである。そ のため第 1∼ 9巻 の物語 の流れ と第 10∼ 13巻 までの知的探究 の流れがかみ合わな い結果 になる。 第 四、そ の よ うな構成の 問題 のため、研究者たちはそれぞれ の ある主題 を取 り上げる ことによ ってそ の統 一 性 の 問題 を解決 しよ うとす るとい う こ とである。 第 五 、それ らの主 題 は主 に人 間論、神 へ の上 昇、神 に対す る知識、神認識 と自己認識な どであるが、 38マ ニ 教的物体. 的・ 三 元論的思想 を拒否 し、 神がす べ ての美の根源で ある ことを明 らか にす る第 H∼ 13巻 の創世記注解 と、美 の根源 で あ る神 との コ ミュニ ケー シ ョンを可 能 にす る第 10巻 の記憶 とによ って、第 10∼ 13巻 の重 要性 を強調す る。 39山 田晶 『 アウグステ ヌス :告 白』,中 央公論社 , 1968, 16-18頁 。 ィ 40宮 谷宣史訳 『アウグス テ ィヌス著作集第 5巻 Ⅱ 告 白録 (下 )』 ,教 文館 ,2007、 548-559頁 41岡 野 昌雄 『アウグステ ィヌス『告 白』の哲学 』 、創 文社、 1997,3-36頁 .. .. 8.

(12) 人間 と神、 自己 と 自己 の根源 なる神 とい う二 つの要素が重要なポイ ン トとして浮 き彫 りにな る。 第六、統 一性 を主張 す る従来 の研 究が提示 した主題 は、人 間 と神 という二つ の要素 と関わ っているた め、基本 的 にそ の方 向性 は正 しい といえるであろ う。しか しなが ら Ro Guardiniが 指摘 した よ うに42、 『告 白録 』が思想 の形で 自己存在 を再構 築す るアウグス テ ィ ヌスの創造 的作業 であるという観点か らす ると、 それ らの主題 は 『告 白録 』全体 にお いて現れ る様 々な思想 的事柄 を結びつける一つの精神的流れ として 十分 に示 されな い。 つ ま り『告 白録 』の 中 に表れ る神 の似像、心 の不安 、信仰 と理性、 内な る 自己へ の 還 帰、神 へ の上 昇、記憶論、欲 の探求、時間論、質料論な どの思想 的事柄 が、人 間 と神 と い う二 つの要 素 を含 む主 題 とどのよ うに関わ って いるかが明確 に示 されて いな い ということである。 本研 究 は、従来 の研究か ら明 らか にな った これ らの 問題 を念頭 にお きなが ら以下 のよ うに研究 して い きた いが、 まず従来 の研究 を踏 まえて 本研究 の方向 を簡単 に示す ことにす る。 まず第 10巻 が後 か ら挿入 された とい う観点 に従わず、統 一 性 を主張す る見 解 を受 け入れ る。 そ して ほ とん どの研究者た ちが 共通 に主 張す るよ うに、第 1∼ 9巻 は一定 の統 一性 を保 って い るとい う前提 に基づ く。 また『告 白録 』の構成 の複雑 さを 引き起 こす第 10巻 をは じめ、第. H∼ 13巻 が統 一性 の 問題 を解 くに. お いて重 要な位置 を占めて いる とい う観点 に従 う。 そ の次人間論、回心、神 へ の上 昇、神 に対す る知識、神認識 と自己認識な ど従来 の研究が示 した幾 つ かの主 題 は、人 間 と人 間 の根源な る神 との 関わ りに焦点が合わせ られてお り、実際 『告 白録 』にお いて 人間 と神 とい う二 つの要素が『告 白録 』を支 える二 本 の柱 とな って い るため、本研究が提示す る主題 も、 人間 と神 とい う二 つの要素 と関わ る ことを前提 にす る。 さ らにアウグス テ ィヌスが ars(術 )を 隠 し、建築家 の見積書 のよ うな 一つの 計画 に厳格 に従わな い 古代 の修 辞学43の 教師であった こと を考 慮 して、 内的 に考 え られ 、練 り上 げ られた一つ の 「主導 的な思 想」が 『告 白録 』の 中 に存在 して い る こと44、 そ してそ の思想が人間 と神 とい う二つ の要素 を含み、『告 白録 』の 内的統 一 性 を示 す主題で ある と見な す。 最後 に神 と人 間 と い う二 つ の要素 を含 み、『告 白録 』の 内的統 一 性 を示す この よ うな主題 は、思想 の 形で 自己存在 を再構 築す るアウグス テ ィ ヌスの創造的作業である『告 白録 』の様 々な事柄 、つ ま り神 の 似像、キ リス ト、心 の不安、信仰 と理 性、内な る 自己 へ の還帰、神 へ の上 昇、記憶論、欲 の探求、時間 論、質料論な どとのつなが りにお いて も、 軸 にな るもの として想 定す る。 この よ うな 方 向 に基づ いて、本 研 究 は 内的統 一性 を示す主題 を提示す る ことを試み るが、そ のため に は、幾 つ かの 問題 を考 慮 しな けれ ばな らな い。 まず、『告 白録 』 の 中 にはア ウグステ ィヌスが読者た ちを説得す るた めの様 々 な思想が表れて い る こ とを考 慮す る必 要が ある。 従来 の研 究 は、外 的 には『告 白録 』 の構成 とス トー リのつ なが りを通 して、 内的 にはそ の構成 とス トー リの 中 に潜 んで い る主題や 内的要素 を通 して、統 一 性 の 問題 に答 えよ うとす る。 ところが構成 とス トー リの表 と裏 にお いて全体 の 内的統 一 性 を保つ主題 を求める際、注意 しておか な けれ ばな らない ことがある。それ は告 白や 回心な ど目立つ テ ーマ だ けではな く、神 の似像、意志 の 間 題、信仰 と理 性、記憶 の探究、欲 の探究、 自己へ の還帰 と神 へ の上 昇、記憶論、欲 の探求 、時間論、 質 料論、言語用法な ど様 々な事柄 に対す るアウ グステ ィヌスの思 想が 『告 白録 』の 中で混 じ り合 って力強 42 cf. R. Guardini (1960), op. cit。. 43H.I.マ ルー著・. , pe xv.. 岩村清太訳 『 アウグステ ィヌス と古代教 養 の終焉 』,知 泉書館 ,2008,50頁 (注 9-Hを 参照).H.I。 マルー によ る と、 アウグステ ィヌス の ころ、『発想論 』 (De invention)か ら『弁論家 』 (Orator)に 至 る一連 の著作 を通 して必 要な ラテ ン語 の語彙 を作 り出 し、学習 に不可欠な教科書 を提供 したキ ケ ロが最 高 の教師であったが、アウグステ ィ ヌス 自身が教 えた修 辞学 もキケ ロの修辞学論 に基づ くとい う。 44 cfo Ae Solignac, op. cit。 , p.25. 9.

(13) く脈 々 と流れて いる という点である。 アウグステ ィヌ スが 『告 白録 』 を執筆 し始めたのは、 395年 補佐 司教 にな った後 (397年 頃)で あるが、彼 は一 般 の信徒たちだ けで はな く、当時キ リス ト者たち の哲学 的集 団45の ため に、そ してマニ 教や 異教 の プラ トン主義者た ちに対 してキ リス ト教 とそ の信仰 をア ピー ルす るため に書 いた といわれ る46。 ァゥグス ティヌスはそれ らの読者た ちを念頭 に置 いて キ リス ト教 と そ の信仰 を弁証す るために、様 々な思想 に触 れ る必要があったであろう。 したが って これ らの様 々な思 想 を貫 くことな く、ただ構成 とス トー リとい う外的要素や、告 白や 回心な どの 目立 つ 内的要素な どを通 して 内的統 一 性 を探す場合、統 一 性 の 問題 は依然 として難 しい課題 として残 るか もしれな い。 次 に考慮 しな けれ ばな らな い ことは、従来の研究 の主 題か ら明 らか にな った人 間 と神 という二つ の要 素 につ いてである。 すで に上 記で述 べ たよ うに、『告 白録 』 には神 と人 間、 つ ま り探究 の対象 である神 と、探究 の主体 である人 間 が 『告 自録 』の二つの柱 とな る。アウグステ ィヌスは 『告 自録 』第 1巻 5章 5節 にお いて次 の よ うに語 る。「あなたは私 にとって如何な る存在 で しょうか … 。 私 はあなた にとって 如 何な る存在 で しょうか47。 」。宮谷宣史 による と、 この二つの 問 い は、 神 と人間の関係 の 中で問題 とされ る一つの探究であ り、アウグステ ィヌスの生 にお ける このよ うな探究 の結果が 『告 白録 』 とい う48。 こ の二つの 問 い は 回心直後 に書かれたカ ッシキア クム の対話編で表れ る探究 へ の欲求 を想起 させ る。 「永遠 に 同一 である神よ、私 は私 を知 り、 あなた を知 りた いです49」. (『. ソ リロキア』 、. 「哲学 には二つの 問題がある。 一つ は魂 につ いて、 もう一つ は神 につ いてで ある。前者 は私たちが私 た ち 自身 を知 るよ うに、後者 は私たちが私 たちの根源 を知 るよ うにさせ る50。 」 (『 秩序 』 ) 『 ソ リロクィア』の神 と魂 に対す るアウ グスティヌスの知 的欲求 の表現 は、 自らを顧み、 自らを通 し て 真理そ の ものを求め る理 性 と しての精神 の 間 う能 力 の表れ と して 51、 ァゥグステ ィヌスの全生涯 にわ た る探 求 の動機 を端 的 に表現す る言 葉 で あろ う52。 っ ま り自己 とは何 か、 神 とは何 か とい う二 つの 問 い を通 して 現れ る知的欲求 は、カ ッシキアクム対話篇以来、『告 白録 』執筆 の約 10年 前か ら、アウグステ イヌスの一 貫 したテ ーマ として見な されて い る とい うことである53。 金子晴 勇 はアウグステ ィヌスが魂 を 自覚す る ことか らそ の魂 を造 った 神 に問 うて いき、そ こに アウグステ ィヌス にお ける哲学的思索 の新 しい出発点が ある とい う54。 ャスパ _ス はアウグス テ ィヌス にとって 自己 の 内面で他者 の声 を聞 くこと が、魂 の最 も内な るところを経て神 へ の道が 開かれ る ことで あ り、魂 の根底 において神 を見、神 との 関 係 にお いて魂 を見 る ことで ある という55。 金子 晴勇 とヤスパースの見 解 はアウグステ ィ ヌス にお ける神 理解 と人 間理解が不可分離であ り、神探 究 と人 間 の 内面探求が必然 的 に深 く関わ っている ことを意味す るであろ う。このよ うな観点か ら、 『告 白録 』にお いて 自己 とは何か、神 とは何か という二つの 問 い は、 不可分離 的関係 にある神探究 と 自己探求で あ り、二つ な る一つ の探求で ある と考 え られ るのである。 自己 とは何 か、 神 とは何か とい う二つ の 問 い として の一つの探究 は、『告 白録 』全巻 にわた って広範 45P.ブ ラウ ン ・ 著 出村和彦訳 『 アウグステ ィ ヌス伝 (上 )』 ,教 文社 ,2004, 121-138頁 386年 9月 か ら始 まったカ シキ アクムで アウグステ ィヌス と共 に共 同体 生活 を して いた知識 人 の平信徒たち の小 さな グ .. ルー プ と して、彼 らはアウグステ ィヌス と共 に隠棲 生活 (キ リス ト教的な生活 と して の 閑暇 )を 営み、洗礼 を受 け、司教や 祭 司や貴族 の後援 者 と交わ りなが ら、キ リス ト教の信 徒 として生活 を全 う神の僕た ち (Servi Del)で あった。 46同 上 , 165-166頁 47 confessiones l。 5 quid ttihi es? 皿iSerere ut loquar. quid tibi suⅢ ipse, 48宮 谷宣史 『 アウグステ ヌス ィ 』,講 談社 , 1986, 160-161頁 49 sθ ノノノ θσ〃ノ ′II, 1, 1. Deus semper ideⅢ , noverim me, ■overim te. ;Soliloquia I,2,7. DeuⅢ et aniⅢ aⅢ scire cupio. (神 と魂 を知 る ことを欲す る。 ) 50 ,θ θrdinθ II, 18,47。 Cuius duplex quaestio est, una de anima, altera de deoo Prima efficit, ut ■osmetipsos noueriⅢ us, altera, ut originett nostra■ 51K.リ ー ゼ ンフーバー ・ 著 村井則夫他訳 『 中世哲学 の源流 』,創 文社 , 1995, 164頁 52山 田 晶 『 アウグステ ィヌス の根本問題 』,創 文社 , 1977,92頁 53岡 野 昌雄 ,前 掲書 , 1997, 19頁 54金 子晴勇編 『アウグス テ ィヌス を学ぶ人のため に』,京 都 :世 界思想社 , 1993,170-171頁 55ヵ _ル ・ ヤス パー ス ・ 著 林 田新 二 訳 『イ エス とアウグスチ ヌス 』,東 京 :理 想社 , 1965,94頁 .. 5。. .. .. .. .. .. .. 10.

参照

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