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棲神 第参拾五号 (第34号)

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第 参 拾 五 号

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~.肉H‘’v・同.,、,-- でー

棲神第三十五号

体 的 文す

系 日蓮聖人の政治批判について::::::::−

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・ − 上 天親・龍樹の内鑑冷然に就て:

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− − ・ : : 塩 原始分法華経における般若波羅蜜

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・キユアピイ 中国史学の基礎

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邦訳と研究入門 町 アメリカ文学に於けるピュ

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リ タ ニ ズ ム 小 論 ・ : : ・ : : : : : : 大 棲 神 会 員 名 簿 誌、 f「 0 0

J 7': 京、 換 受 F首 住 田

森 ︵九六﹀ 妙 ・ : ︵ 一 ︶ 本 回 目 : ・ ︵ 一 七 ﹀ 義 遜 : ・ ︵ = 一 口 ︶ 海 淑 : ・ ハ 四 九 ﹀ 是 正 : ・ ︵ 六 九 ﹀ 孝 ・ : ︿ 入 七 ︶ 、 ‘

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き 之 は 、 本 誌 第 叶 二 号 ・ ﹁ 体 系 と い う こ と ﹂ 、 第 計 三 号 ・ ﹁ 体 系 の 展 開 ﹂ に 続 く 思 索 論 考 で あ る Q で き た ら 、 あ ら た め て 併 読 し て 考 え て い た

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き た い Q 近 刊 の 大 崎 学 報 、 第 一 一 一 号 の 第 十 二 回 目 蓮 教 学 大 会 発 表 の 紀 要 ﹁ 自 己 批 判 の 問 題 点 ﹂ と い う の も 、 内 容 的 に 関 連 す る か ら 御 参 照 を 願 い た い Q 1 ⑦ 体系は現笑の個体的生から、社会文化を通して全宇宙につながる。全宇宙が一々の個体を形成せしめながら、全 一宇宙の内包を開顕し実現しようとして、偶然か必然か、ともかく、対決状況をもたらすかともみられる。我々が生 きているかぎり、意志をもち理想をめざして、社会文化のうちに、斯うして形成されて、ある程度の自覚にまで到つ たとき、こんな凪に考えざるを得ない。 全宇宙と我々のこの佃体とは、自覚的に永遠に接し、実存的には利那に生滅している。そういう全一的生は、それ /\にまた普通にして特殊の相を呈し、 みんな同様に全一者である。生ならぬようにみえる客体も︵自然・空間︶全 一生者以外の何ものでもない。実は、何ものでも、分げて別ちがたいもので、生と非生と同兵彼此等と、仮にそう区

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到しているに過ぎない。それが、それ/\異った様な体系を形成し展開していき、その展開の当分の極には必ず他と dの対決を招く。なぜ招くのか、招かなければならねのか、なお一一層究明せねばなるまいが、その対決という、このご \ } / ろよく流行る言葉には、相当切実な内容をもち、実情に布ることも縫かな現実である。 ②労組のストより、政党問の選挙や議会等における対決には、わざと極端な戦意昂揚の意図を擦って斗争という。 戦いという。之は表裏公然、国際間の二大陣営の冷戦熱戦につながっているものがあるからだ。だが考えると、どち らにも独立問民らしからぬ無自覚さも否定できまい。独・鮮・彼等の緯度的地割線を、国民の意識内に劃定している おそれ のだから、早晩、国内分裂より戦火を外から招き寄せる慣があるのである。これが、凡そ現代の今日を色づけている 一 色 で あ ろ う 。 もっと細分してみれば、各国とも、それ/\自然と人文︵開発﹀、社会制度の新と旧︵保守・革新︶、経済観点か 2 らの貧富階級対立、政治観点からの貴践、これらにつきまとう文化的ニュアンスはあるにしても、之を総括して、社

J 会的対決としよう。若し文化面からは、機械と人問、自由と平等、世代・健病等の問題は深刻

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、あらゆるものと鋭 敏に混雑し扮糾している。これらと直接間接に一脈をひくものに宗教の対決がある。内外新旧などとはいっても、人目 に立たぬからとて、人心の危微につけ入るものだけに、その影響は無担できまい。 以上のいわゆる上部下部構造以外かも知れぬが、科学技術の先鋭闘では宇宙開拓か又は軍事征覇のキーとして否そ れを紬として今や世界はまわり初めたようだ。ともかく、対決は、古今内外大小をとわず、生あるものには、すでに 永遠に本来の宿命なのかもしれない。唯物史観弁証法もたしかに、そうしたあとづけの一理説であろう。

仏教はこうした世間的問題についてはよまで多く誤解されていたように思う。それは世間生活を否定し去り、逃

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避して山林に入り、樹下石上、空観の月を澄まし、自己独善、解脱に到る宗教とのみ規定されてきた。是は仏陀釈尊 の滅後、ようやく亜流的になり、インド夜来のそれと混合して馴馳されたことにも閃るので、本来釈尊正統の教旨で はない。例の﹁世間皆苦﹂の一標印は、まさに俗悦間飛躍の跳躍板として認めたに違いない。設にも納得できる生一 照の実存的本質をとらえているからには、永一速に人類生類の課題的関円である。というのは、事実、 ﹁ 苦 ﹂ の 語 義 、 意味として、苦とは通俗に解されゐ肉体的痛苦や精神的苦悩だけではなく、 れ易いが、︶実は﹁ま﹄ならぬ﹂問題性を意味している。凡そ生きとし生けるもの、情あり心あるものにとって、剃 ︵凡夫にはその方が刺戟的に感じ受け容 那々々の純粋巾性、自由ならぬ無我性が、そこにすでに、そういう立味の苦が、根ふかく大きく横たわっているのであ る。いわゆる四苦八苦の四苦とは、個体的・生一般に通ずる免れることのできない運命的の四である。勿論、現代の 我々も、今日性に肱惑されつ﹄も、この点に目をそむけて過し切ることはできない。まして、日夜に紛起し迫ってく

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-るものは、自己の色心の五陰盛のもたらす諸問題や対他的愛憎矛盾の問題、社会的に求不得の貧困問題等々、純問題 学的にこ L を調べ、究明し、処理していくことは、今日将来における仏教学的課題である。ともかくすでにそれ/\ の個体にとって、この問題解決がいわゆる解脱である。実のところ、個人が解脱しなくては、解脱の理論がどうする ものでもない。解脱した個人によって他人を、社会を指導してゆける。すでに釈尊によって解脱知見も陪史に社会に もたらされ、時代社会にも解脱者の知見が実際の教益を与え得る。こ L で云う教益とは気安めの安心立命ではなく生 きた現実社会の処理である。この雑乱苦悩の忍土を浄め、全一体系の世界を実現するものである。しかし凡夫の常と して個人解脱に局路する者あるに対して、小一来的と町する所以で、 f z 口薩は広大な心情から、仏陀の本旨に直参し、三 学を修して解脱し、解脱知見をかざして施・忍・進の三度を柏棺的に展開し、之を生々世々の永遠の願業として、

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いに仏国土の建設を期するのである。仏教として、至極当然の体系展開なのである。 ④ 但し、この展開の中間に、弥陀浄土往生の思想信仰が、強く介入し来ったのは、何らかの動機あって外から侵入 したものか、或は内から傍流的に派生したものかについては、今のところ私には未解決である。それにしても、すで に出来上った他方の浄土へ往生しようというのは、此の︵裟婆︶稀土を浄化する前提にそういう方便説があらわれた とも見られる。しかしながら﹁此七に於いて此土を浄める﹂という此土入聖が聖道門だとするならば、同じく浄土と いえるでしょう。その真意は、浄き土︵己浄の土︶でなく、土を浄める浄土主義が正統仏教的であることは否まれま ぃ。聖道門に対称した浄土門は、 ︵ことに聖道正統を否定しようとするかぎり、﹀全く非仏教的である。即ち、他方 浄土に往生しようとすることは、此土を浄める念願を放棄せしめるものだから。か﹄るものが、大乗仏教勃興の初期 に正統般若と前後したその事実的縁起は何であろうか。ともあれ、か h る幾多の傍流・否逆的教説をも是正し、正統

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性を遺憾なく開顕したのが、法花一乗の経王である。 ⑤仏教体系のインドにおける展開は、少くも、付世俗生活、

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それと宗教︵出世間︶、国外道諸教派と仏教、帥仏 教における小乗と大乗、 ∞大乗における栴と山犬、の対決と展開であった事実も否まれない。この内、付

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伺は世間周 知のところ、伺については、すぐれた大論師たちの重要な関心となったことは、たしかに事実であった。 ︵ 詳 細 は 山 川氏の﹁法花思想史上の日蓮聖人﹂・慌田氏の﹁法花教学史の研究﹂にある。︶付における個人・社会の切実な問題 的対決あればこそ伺となり、∞となる。帥はこ、で一寸一一般挫停迷したことも大きな事実、やむなき現実であったよ う だ 。

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は小・大、権・実の重層高次多元の問題だけに、よほどの大人、正統的な智者でなくては、とりあげられぬ −般的に学界の主題とはならなかったのだろうとも考える。しかし、対決はたしかに以上の如く、仏教 も の だ か ら 、

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展開の必然であった。いわゆる﹁浅キヲ去 v テ深キニ就クハ釈迦ノ所判ナリ。易キヲ捨テ、難キニ就クハ丈夫ノ心ナ リ﹂という所以か。 ⑥ 中国に仏教の伝来も亦筆舌の及ぱぬ想像も超えた大事業だった。幾百千里の険絶の旅、異質文化の消化、訳業の 努力等も、幸い文化的素地の準備も熟し、諸王朝の物質的庇護援助によって、いく百年、 いく百人の精進の結晶が漠 籍大蔵を大成せしめ、西蔵にもそれを成さしめた。この間、中国社会の土俗宗教との対決、 いく度かの為政者による 療仏事件も、中国仏教史を彩った一の特色でもあろう。教学思想方面にも内外・大小・権実・聖浄・教禅等の教判や 信仰対決も、個々の人々において、それこそ真剣な信と行とにつながっている。しかしこの点、日本と比較してみる と、その対決が絶対的隔執にならずして、融合的になって往ったようだ。中国社会の変遷とともに、道教とも儒教と ⑦ 之に比して、日本に於いては、伝来当初から皇室仏教で、百年後は国家仏教となり、さらに百年しては貴族仏教

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も下層民俗宗教とも融合し去って現在に及んでいるようだし、従て今や仏教としての純粋性も活力も失われている。 化し、漸く上下朝野遠近同帰一乗的にまで浸透した。仏教初伝、 一千年、戦国後期の信長の療仏により、外には中国 に見るような事件はなく、概して王臣万民の帰依渇仰をうけて生熟して来た。しかし内面は却て教学信仰ともに分裂 対立のま h 推移して来たのも、そこに両者何らかの関連はあるらしい。わが国の初伝が、中国の本格的訳業の第一期 を終り、それに基く教学研績の風潮の起った時である。当時としては剣山血河にも劣らぬ波濡を凌いで留学し来朝し た人々であり、経論釈である。之をやはり借りものの文字表現を通じて、日本独自に消化し教学することはなか/\ の困難なこと。幸い中国の既成教学を承伝し、その上に、むしろ学的ならぬ生活的信仰的にこなして往ったところが 日本仏教の特色なのであろうか。そういう意味でたしかに対決といえば、最澄の南都の小乗戒壇より独立した大乗戒

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壇創建の問題は、重大な意味をもつものといわねばならぬ。教学的には最澄及び空海の将来した真言密教にしても、 それ/\の特色をもち、法花中心・三部立ての台密に対し両部立ての純密教の東密あり、その問顕密の教判・釈迦と 大日の仏身論の対決、複雑微妙の問題を蔵し乍ら、祖承を重んじてそのま﹄各宗団に伝持’し来って、教学的にはげし い対決とはならなかった。平安中・末期にかけて漸次、中央文化も地方に浸透し、王朝の宿弊の積み重りが爆発して 一種の社会革命がかの寿永源平の争覇である。仏教界にとっても貴族仏教化に対する不満、民衆個人信何の要望が漸 く強くなり、教界の腐敗堕落の極に達するや俄然、鎌倉新仏教の運動が、内外の激動に催されて起ったのである。こ の禅・浄・日の三宗は教学的にも信仰的にも二位、範を中国にとり、権威を彼に主づけていた。しかし中国風に諸宗 の融合どころが、むしろ二者択一的厳しさを標梼したことは信行の純粋性から当然なことで、従て簡明直哉、生活に - ~ー 喰い入ったものとなった。こ h に単純強烈なものほどとかく偏狭になり易い。狭はやむないとしても偏であっては、 仏教正統の中道に反する。迷信邪教的となる。こ h に日蓮の教学的再吟味の苦斗が起る。即ち中国伝承した従来の教 判の再批判である。彼の青春の全部がこ h に注がれた。遡って遠く根本仏教の釈尊の本心に直参し、印度から中国、 中国から日本、二千有余年の経歴を点検した。こ﹄に釈尊金口の経説に基く全一仏教・体系仏教の立場から、徹底し た清算的対決を迫られた。個人の信仰から社会へ国家へと、初伝以来七百年の経路を全く逆の方向へと出発したのだ。 当時留学来朝した外来の禅、新興するとともに全国に風廃するに至った浄、さらにまた新たに頭をもたげた南都旧宗 の小律、最澄以来内蔵した腹毒の密教との対決である。彼のいわゆる﹁法王の宣旨もだしがたければ権実二教のいく さを起し﹂て四格言を唱導した。彼々の偏執を撃ち、深い我慢を衝いた。教学的にも実践的にも社会的にも国家的に も。これまで世俗の目には、彼こそ我慢偏執の権化とみているが、彼こそ釈尊の真実心に対して、先づ自らの我慢偏

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執を凝彼克服した。そうした公正な教学性の基慌の上に、本仏釈尊の大慈悲を題目一返に詮めた。時は今、仏法法滅 の末法である。無智無徳の俗衆に、訪法堕獄必定の社会、滅亡に瀕している、国家そこへ成仏の本種を下すとする。新 旧諸宗無得道・我惜偏執の僧俗を徹底的に打破しようとする折伏の宣戦であり戦斗であり、その連続であった一生。 標題はごく搭当至極の立正安国、その論の一節に、 汝早改信仰之寸心 述版一実之一善 然 則 ゴ 一 凶 作 皆 仏 凶 仏 凶 夫 一 技 乎 十 方 悉 宝 土 宝土何壊哉 国 無 一 茨 微 土無破壊 身 日 疋 安 全 心是禅定 という、文々句々、そこに無尽の諸対決を苧んでいたのである。

爾来その教団の七百年、国家社会の治乱の消長に善く応じ得ずして、幾多の摩擦迫申告を徒らに招いたこと、のみ ならず、その日主一的本質にも変調を来して、病体の気息奄々をかこつ A 7 の 我 々 で あ る 。 7 三百年、徳川の高等政策に弾圧された不受事件は果して宗教対政治・信仰対経済の問題のみだろうか。それに懐柔 された結果の摂受主義には何が問われてる題なのだろう。長い間の本誼論の教学は何を目ざしていたのだろう。像、法 化︵寺院仏教化︶は本来この宗の在り方なのだろうか。四海阪妙とい L 、 一仏乗という標示は誇大妄想的ではないと い h きれるか。具体同心の小さな宗団が、 四分五裂して互に堕獄よばわりしているのは、どんな病菌が、どこにひそ ーんでいるのか。かような幾多の尊い試練を我々はどう受け容れ、活かしたのか。 市もムソ臼、我々は何を為そうとするのか。これまでの宿弊も改めず、失敗も活かさず、何を問題として、どうとり くむのか。今日只今の対決は、体系的対決は何かと再び問おう。

すでに、はじめ①@に述べたものについて、あらためて分析する。

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体系はもと/\形成的に微生の動組物から人間へ、そして人類文化の高民へと、全く形成につれて発展しその展開 が必ず何ものかと対決するに至る。その対決を通じてさらに新たな形成が創まり、さらに大きな展開を経て漸次、本 来の理念・究寛の理想へと向う。その間の理論や理説はすでに社会科学・歴史科学の中にようやく注目されてきたよ うだ 0

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今や宇宙時代だというものの、これ一種のジャーナリズムのキャッチフレーズにすぎない。というのは未だに世界同 家の構想も確めず、その運動も真剣になっていないのだから。現に未開発地域をどう包含し処理しようとするのか。 人類大同大和の絡をつかまなくては、旧い帝国主義の筋金だけを通していては、たとえ人間衛星を飛ばしたところで 足元地元が灰燐となっては元も子もなくなる。宇宙時代の対決とは、まづ前提に人間個々の誠実さに発する。信じ合 うことだ。そして社会、国家、世界を一丸としたもの、それは人間の公正な深さに徹した理想・理念に点火し、全人 8 -類の文化的精神的エネルギーを注ぐことだ。そういう意味での体系形成時代を呼ぼう。現代の今日性のもてあつかっ ているあらゆる問題乃至対立も対決もすべて、この基本線に準ずべきである。そこから考えれば、背の果し合い決斗 と同様に、戦争というものは全く愚かな昔語り、悪夢と想わざるを得ない。だが、現実が悪夢なのか、理想が夢なの か。どちらにしても現実の悪夢を醒まし善い夢を実現していくより外はない。そうするには、 前向きの歴史の方向 ︿前の基準︶を見失ってはならないのではないか。 身近な政党、議会、選挙は法治国的の形はあっても、果して当事者自身、主権者が法治国的責任を感じている同民 なのか。人形やロボすトが又は組織ぞ団結というえたいのしれない仮恕体が、厳しい六法全書で装うても、小の生身 はせいル\戦国時代の一騎打ちゃ、功名手柄を狙っているとせば、国家的独玄も中立一も、勿論立国すらむづかしいこ

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とはいうまでもない。すでに平行線的党是や政策が対決しても相議する理由も効果もない筈だ。 公私職組のストが、もっともらしく争議権として認められているのも、民主的自由国家の特色だろうが、最近の例 の暴力にまで発展しては、対決は中絶し、中介の線で泣き寝入りするのは、せめて法治国内のギリ/\の現象であ る。それも外からの糸が、もう少しどちらか強く引かれると、戦争ともなりかねない、危い国家体制なのである。も し、中介線で不服あらば訴訟せよという、その裁判はどうか。 凡そ法治国下の対決の重要な典型は、裁判であろうが、それが法とその解釈とで、事件を裁くとはいえ、事件その ものの認定や起因、に至つては奇々怪々のそれらに対して、国民自身の社会的良識そのものが、実はもっと/\真剣 な世論を起すべきであろう。裁判批判の問題ももっと慎重に恒久的に熱を入れるべきだ。なぜなら、世に、悪法なる がゆえに従わなくともよいという者がある。またわざと遵奉斗争というて争議に利用できることもあるらしい。また - 9 法の当事者は、ともかく法なるが故にという盾を執ってかくれる。これらはそれ/\にリクツはあろうが、全く法治 悶下の主権者はどこにいるのかと疑わしいではないか。法治の精神をぬきにして、三百代言にも足らぬリクツや暴力 や批判は、出れば出るほど世の中は疑雲も魔風も起らざるを得まい。こうみてくるとき、法と主体性に問題はしぼら れ て く る 。 も多少は気づき乍らやむなきものとあきらめているのだろう。 主体性の個体形成を社会的制度上教育とするならば、現在の学校制度乃至運営に重大な問題があると思う。誰し 一日にいえば至極合理的生産的特長はあるが、それだ

けに機械的画一的安易な流れ作業である。お互の生命をもっ微妙な機みが、どう抱かれどう生長していくか。人間と 人問、人格と人格の接触感化ということは殆んど疎外されて、朝夕何々プ l ムの風や匂に転々漂々とた Y ょうものを

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J とうとらえたらい L のか。まして赤旗文部省や同類の参謀本部の指令下に鉢巻軍体が、どういう教育方針を打ち出す ‘のか。理忽人間像として、掛かれているのはマルクス・レlニンの二重写しの聖像であって、日本国家の歴史や文化 の伝統にもまた生活にも根ざしたものではない。まさに教育界は現実と将来とをはらむ領域だけに、位界的宇宙的に 大きく深くも対決すべき複雑な問題の肘界ではあるまいか。

それらは現に青・壮年層・老年同聞のそれ/\に陥みつかれるほどの問題をかかえている。対決は日々夜々、筆舌 にのらぬ心情の冥界にうづまいているのだ。もっとも古往今来、また東西、問題のない人生はないとはいうが、勝義 の意味で問題をもたない人生は空虚なのだ。生き叩斐のない穀つぶしか。人生皆苦なればこそ尊いのだ。人生をどう 見るか。解釈するか。意味があるかないか。ともかく、人生をそう在らしめているかにみ与える品川界や宇宙は何である か。とそう問うとき、はぞくもすでにある人生観・価値観から逆規定を受けているようである。 ﹁そう認めるからそ - 10ー 、う在る、そう在るからそう認める、﹂という一連の句には存在と認識との相関問題ながら、その存在にも認識にも測 りがたい体験と、自覚の明度にかかわっているので、それをた Y 一概に断ち切って定言命題するから、お互に水かけ 議山になったり分ったようで解らなくなったり、平行線になったり、独詩的になったり疑雲にとざされて、はては臼暴 自棄にもおちいる。何事にも謙一応な寛容と忍耐とを要する。もちろんそのシンには誠実な努力の続まないものが要る べ の で あ る 。

生きている人間であるかぎり、世界、世界も宇宙も動いて生きて息まないものらしい。動くとき全体がみんな勤 くほど微妙な存主らしい。そうであればこそ、どこかで今も大きな事件が起り、またこ L にこんなことを問題にして いるのもそのためなのだろう。我々が、何かにつけて問問にするのは、問題にせざるを得ぬからこそ問題にするのだ

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し、解決できぬからこそいよ/\問題らしくもなる。どうでもい h ことは問題にもならぬし、すぐと解決つくことは 問題になっても永くはない。とせば真に問題になること、しなくてはならぬことは、万人の切実な要請︵理念︶と永 還の理想のつながる一線より外にはないではないか。⑨にかえる。だが之も及びもつかない、当分敬遠する。という て徒らに、あくせくして、深刻面に対決することは愚かな話だが、石につまづいて傷した者が、その石ととり組んで ケンカしたとする。お互我々には問題々々とはい L 乍ら、之に類したことを大さわぎしていることはないだろうか。 学業、就職、結婚、恋愛等もかなり、之に近似することも多いようである。だが交通事故のある場合のように道路に 原凶があるとき、社会の責任、政治力、工事技術や誠実にもかかわる。概して客体的に属する。 主体、客体にまたがるものは、政治産業、社会、教育、文化等広くあろうが、その分野の特質限度を弁えてとりく 純研究に近い自然科学的問題や対決は個人及び集団的、伝統的諸因子で、主体的に属する。

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1

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ー む べ き だ 。 宇宙旅行計画の問題は在大級密な客体との対決である。表面は好奇的話題だが、副次的効果は世界の平和か戦争か 世界覇権の左右にも及ぶようだ。むしろその点、いわゆる宗教は無言であり無力である。全世界の和戦を決し、又リ ードするものとして、現に力強く働いている宗教らしいものは自然科学であるといえそうだ。しかしそれでもやはり 人間は苦しんでいる。より根深い問題は残っている。いやはっきり露呈されて来た。よって信仰問題は今までにない 光をあびて見直されねばなるまい。即ち科学と宗教との対決は、どちらが.とう支配するかではなく、これから将来の ⑬ 人間にとっての真剣な課題であろう。果して将来の人間性を導けるかどうか。 宗教に於ける対決は、今日以後の真剣な課題である。それに大きく三つあろうか。

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一は宗教対俗世間、之は古来当然のことだがた Y 今日以後は、その在り方機能が、宇宙科学的に高度に機械的な社 全国家世界における例体の心情にどう対決するのか。現在の新旧宗教自体に深刻な革命を要求されることは必然であ ろ う 。 次に宗教対宗教、ともかく万事世界的になっていく。刻々に速度を増して濃密になっていく。そうした将来には古 いものは日然に淘汰されていく。新しいものも縦横に批判を受け、選択され、対決を促されよう。而もその問、その 時代に応じ、変革変態はもとより、新たなものが自然発生し、策生紛起することも予想される。力あるものは当然こ れらを批判し選択し指導していかねばならぬのである。徒らにドグマのせりあいや戦いでの対決でなく、謙虚に宗教 一般の認識、宗教性の自党体験はいうまでもない。特殊なそれ/\の正当な理解に於いて、公正な理想、最勝の必要 諸宗教が各々かの平和文化の世界的基準にそうて競うことは、まづ宇宙体系への形成に参与しつ L である。それも

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l~ ー 道を開拓していくべきである。 手段を選ばぬ、謀略暴力ではなく、公正快適なオリンピりク的なルlルに於いてなされる。全くこれまでの特殊宗教 に附随し、習性となった我惜偏執の離脱を競うべしといってもい L 。現実主体が公正最勝の法を求める態度の健全さ 浄らかさを誇るべきであろう。 いかなる宗教が故防か決勝するかは、個々に対するそれでなく、場に於いて毅然と昭 然と顕示すべきである。 第三は、特殊宗教個々に於いても、対︵外︶宗教や対附俗のそれよりも、もっと重要なのは︵この古川要さの自党も それだが︶、その宗教人主体における信条教義の法と主体との結合の在り方︵対決︶こそ、当然至極の第一義でなく てはならぬ。即ち先づ教団と教義信条の相関関係を正しい自覚で把探すると同時に、教団人が奉ずる教義信条をいか

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に如実に実践し、生育し験証しているかを公明にすることである。主体と法とは回則たる万人の耳目に対して、十字 架上にか﹄げられねばならぬ。ーーー教団がいかなる在り方をしているか、その内部に人々がいかに在るか、その人々 の心に、信条教義が果していかに活きているかの、その対決の問題である。之はさきの第二・第一の外へ直接につな が っ て い る 。 かくれたるより、あらわれたるはなきが如く、臼行即化他であるから。すペての問題体系的展開の諸対 決をすべてこ L に負うている場である。換言すれば全人類の祈願を総持している道場に外ならぬ。

もちろん教団と教団人とは離されない実体概念であるが、 又区別してその関連を精確に扱い、また処すべきであ る。現に基教の新旧分裂も無教会主義も、今日の在家仏教、新興宗教群に至るまで、古来脱出に脱出を重ねてもやは り何らかの殻を造らずにはいられないのも、社会的本能か便宜か。体系の形成、発展、対決をくり返した事実を省み の必然性が或はむしろ、宗教の活きている証拠なのかもしれない。 いづれにしても、こ h ではこういうことは云われ

-13

ー ょ。外への対決や刺戟からもあろうが、内部の発展的解消にもよろう。脱皮をくり返すこと、分裂を重ねること、そ ねばならぬ。第一義的には、教団のための布教弘通ぞ対決であってはならぬこと、教団のための教義や教学であって もならねこと、まして折角の改革や内省が、教義の批判までもが教団のためであってはならぬことであろう。これは 或は極言に聞えるかもしれぬが、その宗教の生命が何ものよりも尊いからである。まさか、誰が衣服や靴のために身 体を変改するであろうか。教団はたしかに社会的安全と大きな機能的便利がある。その安易さに頼りかかり、便利さ お と お も に倣ることから、いかに我々が無意識のうちに非宗教的な殻に包まれ、くみこまれて働いているかを念わざるを得ま ぃ。荷も改革革命の内部的爆発は復古的復元的エネルギーに因る。宗教革命にはいつも外的内的に、 ﹁ 教 担 に 還 れ ﹂ という旗が憾として立てられる所以。泡沫の時代社会に在って、諸行無常、諸法無我の諦認を地で行ってこそ、混繋

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寂静︵永遠の解脱︶、宗教的理想に近づける所以。こ L にも教団と教団人の信何とは、 ﹁同して和せず﹂ではなくし て 、 ﹁同ぜずして和す﹂とレう第一義からこそ、六和敬も大和も生れてくると信ずる。宗教対決の泊は実は生易しい ものではないと、 つくル\忠わされるのである。 ⑮ もっと逼って現実のわれ/\には厳しい臼己批判が要る o 木仏釈尊にどう仕えているか。その教法をどう受けと っ て い る か 。 いかに学百したか。 果 し て 正 当 か 。 充全なのか。宗祖日蓮をいかに見ているか。 その御一代の行蹟と教 訓と精神とを体系的に把摂しているのか。断片や片鱗も事実には相違なくとも、宵人撫象視でよいワケはない。 凡そ体系とは、個体に即いていえば、人格主体が、生命的に健全精鋭し、精神的に一心鋭敏に、全宇宙的全一にな ったものである。そうとせば、宗教的客体︵狸想的主体︶と、我々現実主体との問、いわゆる感応道交の道は広大に とはいえ、果してどうであろうか。我々がこの個体として、社会同山本世界のあらゆる問題にしばられ、対決にせま

-14-拓かれるであろう。 ちれて、どう生きているのか。いかに生くべきかともがいている、我々は、しばら︿、往時の宗初日蓮・教主大覚世 尊の大心情を恕望しつ﹄それと、どう直結できるのか。 一般的にいわれる信ということを、何を信ずるかではなく、信という主体的態度の本質をごく通俗的に一一品うことが す な お ま じ め し ん け ん 許されるならば、素直さ、瓦面目さ、真剣さの一信三態とする。 すなおとは客体的で、外からの刺戟や現象や運常生守のすべてに対し、また自己の本能性・動向・要求・生活等のす ぺてに対し、ともかくありのま L 、成るがま h に容認し柔順する在り方である。 まじめとは専ら、自身の主体性を凝視し、その本真の声、本心の音を聴こうとするもの、勿論、さきのすなおさの

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すでに受容し確認したすべてに対する卒直な現実の自己の反響もである。 しんけんとは、そのまじめ、根本深源の点心至誠から発動した容体全般への態度である。生命をかけるのも、身命 財すべてを献げるのも尊敬の版物致を尽すのも当然。仏教でいう南艇というは、正にこの一信三態の言語表現であろう と 肯 き 得 る 。 では、この南無に応え合一具請の法、誠耐の教とは何ものなのか。日疋も亦、全宇宙体系の発展の極致のものでなくて はならぬことも当然、だが果して何ものであろうか。

果して何ものであるかを、自覚的に把持せんとならば、その限り、自覚の確度に応ずることはいうまでもなかろ う 但し、自党的にというからには現実の自己を没却し去って阪入することも許されまいし、さりとて白個を主張し固

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-執 し つ L 、彼の客体をとり入れ﹄ばい h というのでもなさそうだし、まさか適当に妥協荷合ということは、全く論外 だといえる。しかし、実際にはこの論外の半自覚、偽似性が大部分なのではなかろうか。稀れにどちらかに踏み出し て、絶対他力的盲信に、自己流の千ケ寺法門を以て立派を誇り分裂分派するものがある。之を別として、今

E

く、自 らすなおにまじめにしんけんに省察するとき、今日までの我々の信が、 よ る か。信心々々と自称他称されている内笑は、全く我品川偏執の堅殻に鎧ほわれたものであると忠わぎるを得ない。私に いかに腰昧であり、 低俗卑劣であったこと は自覚的に把持するなどとは及、ひもつかねとして、できるかぎりの一信三態に生きたい、信じ皮い。それには自己内 お の づ 心の堅城我慢偏執を徹底的に強折しなければならぬ。自と素直に真面目に、全 J子市体系展開における諸問題の対決を 己心法界の波澗と観じ、それらの街撃によって目ざめた祈り求道の動きを感ずる。本門三宝への真剣な自己対決が起

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⑪ 何はともあれ、自己の本質が彼の本兵に当ること、たとい暗中に射ても的の中心に正中する底の感応、妥当はあ り得べきであると信ずる。何となれば、法が普遍の法、理が正の極理、道が第一義の中道たる限りは、的中すること が至極の当然必然であろうから。﹁大地を的とする﹂が如し。 そこからこそ、絶対平和の寂と円融文化の光とを如実に具現する世界も、天晴地明的であろうと信ずる。 そう信じてよいかどうか、宗祖の妙判にまたう。ごくの初心のわれらに対してのもの。 ﹁されば三世の諸仏も妙法法華経の五字を以て仏に成給し也。三股諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と フ 去は是也。是等の越を能々心得て仏に成る道には、我慢偏執の心なく、南無妙法蓮華経と唱え奉るべき者也。﹂ ︵法華初心成仏紗・定一四三三。︶ ︵ 昭 和 品 川 五 ・ 十 ・ 三 ︶ 16

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-日蓮聖人の政治批判について

日 fヨ 宗祖の御遺文中には、諸処に当時の為政者に対する、政治の批判が試みられている。先、つ立正安国論から始って、 鎌倉・佐渡の両時代を経て晩年身延時代に至るまで、少しもその批判の筆は劣えていない。むしろ益々力の入った積 極的表現がなされている程であり、 ﹁宗教と政治﹂の問題は、宗祖にとって大きな意義を持ったものとして考えられ て米たことが知れる。事実、宗祖は為政者に対して諌脱を行う度ごとに、直接或は間接に弾圧を受け、迫害の場にし ば/\立たれたのであり、他にその類例を見ることが出来ない程である。 また、宗祖が政治批判をされている場合は、ほとんど例外なく法華の信仰に依る正法の流布が、問題とされている のである。即ち﹁正法による政治﹂が、宗祖にとっての最大関心事であり、亦理想でもあった。当時の宗教状勢は、云 うまでもなく浄土教による念仏一辺倒の頃であり、亦一方社会状勢は、鎌倉幕府の権力政治下に於て二般庶民は乱政 による不安と苦役の貧しい生活を営なんでいたのである。従って日然と厭世的な思惟方向に傾き、現実に望みをみた すことが不可能であるとし理想境を到来の世に求めると云う行さ方になっていった。こうした庶民は救いの子を往生 17

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-信仰に頼り、その願望を満して行こうと専念したのであって、これはむしろ当時の状勢から考えてみるとき、当然の なりゆきであったろうと思えるのである。 宗祖はこうした為政者の政策に対し、又宗教政策に対しても、常に公正な批判が下されている。即ち、法華杭の行 者として、国家に対する実践がなされたのであり、然もそれは正法忠怨からの体系的な行為であったのである。先づ ﹁立正安国論﹂では正嘉元年より文応元年に至るまで、続出した天変地夫について、幕府の対策には根本的に訳りが あるとしてこれを批判し、第一諌暁が行われている。即ち﹁信仰の寸心を改めよ﹂と為政者の正法帰依をうながし、 4 それに依って﹁ゴ一界は皆仏国﹂の理想実現を目されたのである。宗祖にとって正法とは法華経以外になく、法華経の 弘通する処に、初めて立正安国の理想国家が実現する、と主張するのが法華の信仰に立った宗祖の国家観であって、 一 時 一 換言すれば、裟婆即寂光の理を実現する為には、政治も宗教も大きな改革を行わなければならないことを自覚してお られたように思えるのである。 ︵ 尚 、 安 国 論 に つ い て は ﹁ 大 崎 学 報 ﹂ ︵ 第 一 一 二 号 ﹀ の 拙 稿 を 参 照 せ ら れ た い 。 ﹀ 次に、文永八年九月十二日付をもって、平左術門尉に宛て記された﹁一昨日御書﹂に依って見ると、先きの安同論 に於て予言した他凶侵逼の前兆を憂い、再び幕府に対して諌脱がなされているのである。即ち、 七 ン ア グ ュ 7 b f ヲ ク グ ヲ シ ア ス か ヲ ア シ ト ス ト 同貴辺者当時天下之棟梁也。何損二国中之良材一哉。早田コ賢慮−須 v 退 コ 巽 敵 目 。 安 レ 叫 山 安 レ 国 為 レ 忠 為 レ 孝 失 。 三 ノ ム 戸 セ ① 為 レ 身 不 レ 述 レ 之 。 為 ν 君為 ν 仏 為 レ 神 為 二 切 衆 生 一 所 レ 令 二 三 一 一 口 上 − 也 。 是 偏へ

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とあり、此の第二諌暁は安国論の提出後も一向に幕府の政策に変りが見られず、依然として旧態の政策をたもち、特 に当時の政治に於ける根本をなす宗教政策について、 いさ﹄かの改善もなされていないのに対し、その善処を強く要 望するためのものに外ならなかったと見ることが出来る。 これに対する幕府の反響は直に現れ、竜口に於て秘かに宗祖を亡き者にしようと、不当に過重な弾圧を加えて来た のであり、これからしてみても、より宗祖の政治批判が痛烈なものであったかが窺えるのである。此の点を更に﹁種 々御振舞御書﹂に依って見るとと、自界叛逆・他国侵逼の二難に就いて述べ、その下に、 太政の入道のくるひ︵狂︶しように、すこしもはばかる事なく物にくるう。去文永八年太歳辛未九月十二日御勘 気をかおる。其時の御勘気のようも常ならず、法にすぎてみゆ。了行が謀反をおこし、 大夫,律師が世をみださん

-1a-とせしを、めしとられしにもこえたり。乃至、大体事の心を案ずるに、太政入道の世をとりながら国をやぶらん ② とせしに似たり。た Y 事 と も み え ず 。 と記されてあり、第二諌暁もきき入れようとする事なく、 ﹁直諌者日蓮﹂に対して極刑をもってのぞもうとした幕府 要人に対し、宗祖はかく政治責任者が、自ら法を破り国を亡ぼそうとしている狂人的な行動を難じ、特に迫害に就い て﹁法に過ぎた﹂取扱いをしたことを指摘し、異常な法を無視した扱いを重視している。 尚、此の過重な弾圧については後に述べるが、了行の起した謀反や太夫の律師による騒乱罪以上に重い扱いを受け たことが知れるのである。これは当時としては破格の処践で、最も軍一いとされていた謀反などと同罪に扱われた点か ら見ても判る如く、為政者は宗祖の諌暁に対し経度にこれを恐れていたのではなかろうかと思える。比処に於て考え ちれる事は、当時の仏教は国家に隷属し、律令に依って取締られるものとなったのであり、宗祖の理想とは全く異っ

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た方向にむかつたことになる。又かかる、当時の仏教は、共の大半が国家権力に統制されており、謂わば御用仏教と して終始していたのであって、宗祖はそうした為政者の権力に追随する他宗の在り方に、厳しい批判を加えているの である。それが又、身にふりか h る迫害の火の手をより大きなものとする原動力ともなっているのである。 カ フ ヘ 大事の難四度なり::・今度はすでに我身命に及。其上弟子とい h 、間那とい h 、わずかの聴問の俗人なんど来て ③ 竜一科に行る。謀反なんどの者のごとし。 此の文に依り更に一一層明らかな如く、弟子・檀那等に至るまで、章一科の加えられたことは当時に於て、他に此のよう な迫害を受けた例を見出すことが困難であろう。また、御振舞御者には文永五年十月に公場対決を要求して、北条時 白川・平左街門尉頼制・北条弥源太入道等の何れも政治に直接たずさわっている者、及び極楽寺良観・大仏殿別当・建 かったことに就いて、

r レ ﹂ 日 ソ U J 設日蓮が身のことなりとも、同主一となり、まつり︵政︶事をなさん人々は取つぎ申たらんには政道の法ぞかし。 - 2Q-長寺道隆等の鎌倉に於ける仏教界を代表する僧侶に宛て主円かれた﹁十一通書状﹂に対し、各々満足の回答が得られな いわうぞこの事は上の御大事いできたらむのみならず、各々の身にあたりて、をほいなるなげき出来すべき事ぞ ④ か し 。 一国の政治を司る者として、定められた﹁政道の法﹂にそむき、何らの詮議・評定もなく、公場 対決の要求をも全く無視した態度に、国内の万民すべてが法辛経の強敵となり、狂人となってしまったのではないか と述べている如く、 と、幕府の要人ばかりではなく一般に対しても、此の語法の事実に対する批判の目が向けられているのである。 此処で注目すべき点は、たとえ日蓮個人の私事であったとしても、同主としていやしくも政治を担当する身である

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ならば、是れを取り上げて検討するのが正しい政道の在り方であると述べている所である。思うに幕府は一般からの 陳請・要求に対しては一応詑議の上で、其の可否を決定していたようで必るが、宗祖の諌暁に限って此の方式に従わ ず、他宗の僧俗に依る議言をそのま h 入れて、処分しようとしたものの如くに思えるのである。たとえば 国すでにやぶれなんとす;::仏の諌暁を重ずる上、一分の慈悲にもよをされて、同に代て身命を捨て申せども、 z

国主等彼にたぼらかされて、用る人一人もなし。 とあり、国主等︵幕府の政治責任者等︶は、彼︵即ち語法者︶にあざむかれて、宗祖の不惜身命の諌脱も取り挙げら れないま L に弾圧のみが下される結果となったのである。また h q チ 其時悪王・悪比丘等、大地微塵より多して、・::国主はどし打をはじめ、餓鬼の如く身をくらい、後には他国よ メ フ ⑥ り 責 さ せ 給 な る べ し 云 一 式 。 とも述べて、此処では邪法を信じ弘める悪玉・悪比丘について論じ、更に国主の内乱と及び外冠に就いて言及してい

- 2

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ー る。此の文の下に続けて、日蓮門下は一人たりとも臆してはならないとし、親・妻子・所領等をかえりみることなく 悪玉・悪比丘らの攻勢に退転してはならないと督励している。 また宗祖は為政者をしば/\﹁国主﹂なる語を用いて批判している。即ち﹁国は現在には守認の善神にすてられ、 ⑦ 国は他の有となり﹂とか或いは﹁彼等が大悪法を尊まるる故に、斑不尽の政道できず。彼の国王の僻見の心を推する ︷ O o

に云云﹂ーとあるのがそれであって、何れも国主の政治的欠陥・無能を指摘している。端に幕府の政策そのものを批判 するばかりではなく、政治担当者自身についてもその非を鋭く説き示されており、然もその根本的観念的な誤謬を、 国主の宗教観の上に見出し、宗教政策の改革を主眼として、諜脱が展開されていったのである。

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か L る宗祖の政治批判は、次の﹁下山御消息﹂の一文によ可て明らかな如く、 ﹁ただ事ならざる﹂迫害の結果を生 じたのであり、其の弾圧は既に述べた如く他に例を見ることの出来ない程に、政道を不当に無視した行動をもって現 れ、所期の目標であった諸宗との公場問答対決は、全く実現されぬま﹂に終ったのである。 抑日本国の主となりて、万事を心に任給えり。何事も両方乞召合てこそ勝負を決し御成散をなす人の、いかなれ ば日蓮一人に限て諸問等に召合せずして大科に行るるらん。是偏にただ事にあらず。たとひ日蓮は大科の者なり ⑨ とも国は安穏なるべからず。 とあって、この下に﹁貞永式目﹂の条項についてふれている。 リ キ セ 御式目を見に、五十一箇条を立てて、終に起請文を書載たり。第一第二は神事仏事乃至五十一等云云。神事仏事 シ セ レ の肝要たる法華経を手ににぎれる者を、議人等に召合られずして、彼等が申すままに及ぶ。然ば他事の小にも此 ﹁ 同 印 J バ 川 u y 起請文に相違する政道は有らめども此は第一大事也。日蓮がにくさに同をかえ、身を失わんとせらる﹂敗。 - ~2 ー 此の貞永式目とは北条幕府に依って貞永元年に制定された法律であり、全文五十二個条で最後に起訴文を付し、その 条項にもとずいて親疎なく成敗する事を神仏に誓っている。即ち第一は神社を修理し、祭妃を専らにすることを定め 第二は寺塔を修造し仏事等を勧行すべき事を決めている。この第一第二の各条項に於て、それん\神仏尊崇の旨を明 白にし、然も第四十五条では如何なることも、その事の審議可否を決せずして成敗せざることを記し、更に第四十九 条に於ては、訴状・陳情等に対しては、その理非の明白ならざるもの以外は対決を行わしめる事が明記されているの

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e である。然るにそれにもか﹄わらず、幕府は宗祖に対して、既に上奏した安国論及び与北条時宗主百に於て、 ﹁ 国 家 の 安危は政道の直否にあり、仏法の邪正は経文の明鏡に依る。乃至日蓮が申す事御用いなくんば定めて倣悔これあるべ し、日蓮は法華経の御使也。乃至所詮は万祈を抽って諸宗を御前に召し合せ、仏法の邪正を決し給え﹂と述べている 如く、諸宗との公場対決要求に対し、此の式目の条項に自ら違反して、議言のま h に死罪の大科にしようとした事は 幕府自らが国法を破るものであるとして、強く責めているのである。斯様な片手落ちのあやまてる政治とその責任者 に対し﹁是偏えに只事に非ず﹂と正道を失ったやり方を−愛い、日注をにくむあまり、国を亡ぼし身を失う結果となる のではなかろうか、と深慮をめぐらしているのである。 また貞永式目の違反に対する宗祖の批判の目は更にこれ以前鎌倉松葉谷の法難の際にも向けられている。即ち、 シ セ 念仏者誼に檀那等、又さるべき人々も同意したるとぞ聞えし。夜中に日蓮が小庵に数千人押寄て殺害せんとせし ν セ セ かども、いかんがしたりけん、其の夜の害もまぬかれ向。然ども心を合たる事なれば、寄たる者も科なくて、大 事の政道を破る

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− − − 御 式 目 を も 破 ら る h 歎 ゆ -23-とあるに依っても明らかである。右の文中﹁さるべき人々も同・怠し﹂とあるのは、恐らく幕府の要人あたりの人々を 指しているのではないかと思われる。故に当然、式目の上から罰せられるべきはずの人々が、 ﹁心を合せたる﹂こと なるがために、不聞にふされ、式目をも無視して、政道を破る結果に落ち入ってしまったものであると云うのであ る。故にまた後の﹁佐渡御室百﹂には ⑬ 悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、云云 と述べてあり、妥に於ても判然たる如く為政者が邪法の僧俗によって、益々正法を失い国家を危機に導く結果となる

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回 目 を 明 ら か に し て い る 。 つまり為政者に邪法の僧俗が方人となって、 国を減す凶をなしているとの断言である。此の ﹁人の思は日々に増長し、政道は月々に衰滅するかの 現れとして腐敗した政治が公然と行われ、徒らに法律を犯し、 ⑭ 故に、又三災七難先よりいよ/\増長して、﹂国土万民乱れを生じ、曲れる為政者の行動と政治の貧困横道とにより 遂いに破滅の一途をたどる以外にないことを主張し宗祖の政治批判は常に、万民の安穏と国家の秩序維持とから発し ていたものであることが知れるのである。 然して、国家国民の安泰を願うには如何なる方策を施すべきかについて、先づ第一に政治が正しく如法に行われな ければならないことを挙げ、その政治が如法に行われるようにする為には、政治の根本となるべき宗教が最勝のもの でなくてはならないことを明らかにし、更に辰勝の宗教とは何か、 と云う問題に就いて、これを宗祖は正法・法華経 24 -に求め、その宗教から﹁裟婆即寂光の国土﹂が展開されて行くであろうことを強制し、徹底した法華経の正法思想に 基ずいて、幕府の政治に対し鋭い批判の目が注がれているのである。 四 斯くして宗祖は、政治と宗教との関係に於て、これを切り離して考えることはなされていない。即ち常に密接な関 連性を持ったものとして、正法が弘まっている国土では政治が如法に行われ、邪法の盛んな国土に於ては政治が乱れ 濁った世相を現すものである、との考えによって一貫しているようである。また政治と宗教の両者に於ける比重は、 ﹁神国王御室こに見られる如く、宗教に中心を置いて考えておられる。 国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず。;::仏法に付きて国も盛え人の寿も長く、又仏法に付て閃もは

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カ ろび、人の寿も短かるべしとみへて候。:::王法の曲るは小波小凪のごとし。大凶と大人をば失いがたし。仏法 ⑬ の失あるは大風大波の小舟をやぶるがごとし。国のやぶるる事疑ひなし。 右の文に明らかな如く、対比は仏決を大とし王法を小として、専ら仏法を重要視巴ている。これは暗に幕府の宗教 政策に対する訳ちを指摘したものと併することが出来よう。 ﹁仏法の失あるは﹂と云うのは、当時の現実遠献を建前 としたペシミズムに依る宗教の流布を指したものと考えられる。宗祖は現実の上に浄土を実現しようとする法市信仰 の即身成仏門に従い、否定された現実世界の意義を恢復せんとしたのである。事実に於て、現実述離の宗教からは、 国家の安穏も国民の繁栄も生れてこないであろう。むしろ史迭し﹁悶の依る L こと疑いなし﹂と一五う結果以外にない 換言すれば、幕府のか L る誤った政道は、主因とする処、為政者を始め一般に至るまで、法華経による立正安悶以 -25-こ と に な る 。 外の宗教、特に現実遠離の信仰に依る所から来ているのであることを、安副論及び共の他の諸御書に於て強調してい るのである。即ち欣求浄土の信仰から来る絶対他力本願の思偲は、現実を汚土として否定し只管浄土のみを求めると 一五う在り方で、これは益々現実を窮境と化する結果になり、現実に救いを求める民衆の真の宗教としての意義が失わ れることになるのである。宗祖は﹁仏法乱るれば位向も又溺乱す﹂と云内ノ観点に立って、濁乱した国土及び無軌道な 幕府の政治に対し、これを根本的に改革するためには、先つ仏法の乱れを併決して行くことが先決であるとして、法 華経の正法信仰によりこれを統一しようと願われたのである。それは、現実否定の宗教から離れ、此の国土の中に浄 土を建投しようとする目標をか L げ、現実の中に在って法不信仰による正法忠似をもって、宗教の真の在り方、特に 釈尊・聖徳太子の理恕についてその現実的立義を災践的に示し、専心に浄土砂﹂他地に追求しようとする行き方から一

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歩進んだ、調ぱ実人生に即した積極的な行き方を選び、裟婆即寂光の法華信仰を基調とした政治を理想としたものに 、外ならないのである。故に﹁法華初心成仏紗﹂には、 此時︵末法﹀は但法華経のみ利生得益あるべし。:::法華経を以て国土を祈らば、上一人より下万民に至まで悉 ⑮ く悦び栄え給べき鎮護国家の大白法也。 と述べており、此の考えは宗祖の生涯を一貫して流れている宗教思想であり、これが当時の幕府・政界に対しては ﹁諌脱・陳情﹂として現され、鋭い批判と警告が行われたのである。また、同時に宗教界に対しては、信仰の 改 輩よ折伏﹂と云う形で、実際の行動に現れて行ったのであると見ることが出来よう。その結果、幕府の要人及び他宗 の僧俗による迫害の続発を見たのであり、所謂、ゴ一類の強敵と云われる人等に依って、宗祖の政治批判と宗教改革の え ばP 楽L 諸 「 1 宗a 寺 ⑪学’泊 者 御 等 書 執ス」

己モ

郎 主 誤

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故= - 26ー 運動は、相当に強力な︵時として全く法を無視した︶反対運動と、常に接触してゆかねばならなかったのである。例 内 ヲ セ 三 或 事 管 レ 機 或譲ニ前師 内 ヲ ヒ ヲ 或 一 語 二 郎 貝 王 − ユ ハ 一 − シ テ シ ヲ 結 句 最 後 一 恋 心 強 盛 起 − 一 斗 静 一 キ ヲ デ プ ス 無 ν 失 者 損 レ 之 為 レ とあって、此の間の事情を物語っているとみることが出来る。 即ち、此の塩田は竜口の法難から脱れて佐渡へ行く途中に記されたものであるが、忠心強盛なる諸宗の学者等、特に 賞王を語らいて﹁失なき者を損うを以て楽みとなす﹂と云う態度からは、明らかに宗祖の標携する主義に対して﹁反 対の為の反対﹂運動以外には何にもないように思えるのである。そこには政策及び教義上からの正当なる反対異議は 見当らず端に宗祖の主義を無視し弾圧しようとする外に目的はないものと云って、敢て過言ではなかろう。尚、竜口

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に於て宗祖が頼綱ら数百人の兵によって逮捕された時の有様も前述の如く﹁御勘気のようも常ならず法に過ぎて見 ゆ﹂と云える如くであって、当時の為政者が如何に無謀であったかが知れるのである。又つ一一沢抄﹂によると、 法華経の行者をつかわして御いさめあるをあぞめずして、彼の法師等に心をあわせて悦間出世の政道を b ー ぶ り 、 ⑩ 法にすぎて法華経の御かたきにならせ給う。すでに時すぎぬれば、此同やぶれなんとす。 とあって、此処で云う﹁彼の法師等﹂とは、 ﹁悪法の者ども﹂を指しており、為政者がこれと心を合せて政治を破 乱に導いているのであることを指摘している。この行為は直に破国につながるものであって、既にその前兆は疫病等 によって現されていると述べているのである。 五

-

27-然して、宗祖の幕府に対する政治批判は、それのみが単独で行われたものではなく、政治の回収底に流れる宗教の改 革を先づ問題として取り上げ、次に政治の正常化を強く叫ばれたのであった。 宗祖にとって政治と宗教は、影像と実体との如くに芳え、如法の宗教なき処には誠の政道もありえずとして、両者 の完全なる融和によって人類の理想に近づくことを願ったのである。即ち、 ︵ 1 ︶ 総ての民衆が理想とする国家・社会実現の為には、先づ正常な政治が実践されなければならない。と云う定 義 に 基 き 、 ハ 2 ︶ その正常な政治を施す為には、政治思想の根本となる宗教が、最も勝れた︿現実救済の為のもの︶でなくて はならない。と断定し、

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︵ 3 ﹀ 此の芯味での宗教は、現実世界に即して仏国土を笑現しようとする裟婆即寂光の法華経をもって、最も適し 且つ最も勝れたものとなす。 此の三項にもとごついて、宗祖の政治批判は当時その例をよそに見ることが出来ぬ程に、強烈な国家諜暁がなされた のであり、如何なる圧力にも加せず、身ム叩を捨て﹂国十一の安穏と民衆の理想実現の為に、幕府と対決した点に於て、 たしかに宗祖の崇一れな﹃立正安問論の精神﹄ども云うべきものが窺えるのである。法然・親鷺等の諸師も、当時の政 治批判はそれル\行われたであろうが、宗祖の如く徹底的に、また具体的・実践的には行われていないであろう。 要するに、法草信仰の上に立った政治により、仏同士の建設を計ろうとしたのであって、再三の国家諌暁は、宗祖 の か L る法事信仰の社会的実践化であったと一式うことが出来るのである。即ち、国家統治の精神的基盤として法華経 開 山 が信奉されなければならないとするのである。これは我国仏教の祖と云われる聖徳太子の掛かれた﹁一乗仏教﹂によ ⑮ る高山主口同帰の理惣に通ずるものであって、この間恕が宗組によって実践化されて行ったものと見ることが出来ると云 えるのではなかろうか。 、 ノ ︹ 註 ︺ ① 一 昨 日 御 書 ① 積 々 御 振 舞 御 書 ③ 問 目 抄 ④ 種 々 御 振 舞 御 書 @ 下 山 御 消 息 定遺五

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二 頁 同九六三頁 同五五七頁 同 九 五 九 1 九 六

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頁 同 二 一 一 一 二 頁

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@ ⑮ @ ⑮ @ @ @ ⑫ ⑪ ⑩ ① ① ⑦ ① 種 々 御 振 舞 御 書 同 九 六 一 頁 下 山 御 消 息 同 一 三 二 五 頁 同 同 一 三 二 五 頁 向 同 一 三 三 二 頁 同 同 一 三 三 三 頁 与 北 条 時 宗 書 同 四 二 六 頁 下 山 御 消 息 同 一 三 三

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頁 佐 渡 御 書 同 六 一 二 頁 下 山 御 消 息 同 一 三 二 六 頁 神 国 王 御 書 同 八 八 五 頁 法 華 初 心 成 仏 紗 同 一 四 一 二 二 二 頁 寺 泊 御 書 同 五 一 三 頁 三 沢 紗 同 一 四 四 九 頁 聖徳太子﹁法華義疏﹂の総序に、法華経所説の﹁一乗の教法﹂を、 妙 法 と 解 釈 し て い る @ 一 泊 ー ﹁一因一果﹂の大理と述べて、﹁寓善同帰﹂の ー i 三 五 九 三

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天親・龍樹の内鑑冷然に就て

由来天親・龍樹内銑冷然の詰は、摩詞止観五に出づるもので、随って天台の法華義たる一念三千に就ての批判の語で あるが、後宗祖も遺文中に盛んに用いられ、天台の開制に対する批判を超えて、宗祖の本門事観に対する批判として転 用せらる L に至ったのである。故に今は先づ宗祖の事制に対す窓を述べて、後に天台義に触れて見たい。 龍 樹 ︵ 一 七

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︶ ・ 天 親 ︵ 三 二

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︶ は 共 に 印 度 出 生 の 論 師 で 、 他 の 馬 鳴 ・ 提 婆 ・ 堅 慧 ・ 弥 制 ・ 無 若 等 の 諸 論 師 の、粗ぼ前後に出生せる二論師である。是等の諸論中龍樹の大智度論、堅慧の入大乗論、弥勅の宝性論註偶、天親の法華 論は勿論仏性論等にも法草経の名は見えるが、弥勅の荘厳論、無着の摂大乗論等にも﹁究克説一乗﹂として法華を指し ていることは、天親の摂大乗論釈に依て明かである。随って宗祖の遺文中には是等の論師に就て、法華に関連して記述 せられた所も少なくないが、就中龍樹・天親に就ては法華義に対する、内鑑冷然の論師として随処に記述せられている。 かく二論師が特に重視せらる L ことは、龍樹は大論に法華を以て般若経に勝る L 変毒為薬の秘密教と歎じ、天親は印度 に於ける唯一の釈論を残されたるに由来するのであろう。

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龍樹は又別に龍猛・龍勝とも呼んだが、遺文中には龍勝の名は見えぬが、能猛の名は田和定本遺文正篇二巻中、龍 J 樹の粗ぼ七十佼に対して約一割位で、真言関係の場合に多く用いられている。天親は旧訳で新訳では世親と呼ぶが世 親は透文中天親の粗ぽ四十位の約二割位が、法相宗関係の場合に多く用いられている。随って遺文中には龍樹・龍猛 天親・世親の両名は混同せられて居るが、多くは龍樹・天親が聞いられて居るのである。 次に遺文中両論師の山山悦年代に就ては、多く摩耶経に依られた様であるが、守護同家論には龍樹は仏滅後八百年、 天親は九百年

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報 恩 紗 に は 馬 鳴 は 六 百 年 、 龍 樹 は 七 百 年 ハ 一 一 一 同 5 、 開 目 紗 に は 龍 樹 は 六 百 年 円 五 六 日 ﹀ 、 唱 題 紗 に は 龍 樹 ・ 天親は仏滅五百年乃至九百年の間に出世︵ニ O 七︶すとも述べられている。両論削出世年代は諸経論の説まち

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\ で あ る が、龍樹は粗ほ六百年、天親は粗ぽ八百年頃の出世とする。又一両論附の相承に就ては、撰時紗には付法蔵因縁伝に依 り、釈尊より附子尊者に至る中間第十三組に龍樹を挙げ、︵一 O

3 星名五郎太郎股御返事には天親をも付法蔵の中に加え て、附子尊者に次ぐ最後第廿四祖︵七一 5 に列している。更に法草内証仏法血脈には、止親一の付法磁に依る金口相承 の外に、第十ゴ一組の龍樹を天台の高祖とし、龍樹・慧文・南岳・天ム口のムァ師相承を挙げ、更に右の両相承に順して我が内 外 相 承 が 述 べ ら れ て い る 宍 九 三 ﹀ O 右両論師の中龍樹は古来三論・文言 ばれている。今此に述べんとする天親・龍樹内鉱冷然は、我が内外相承に準ずる広義に於ける法華鏡仰の師と仰ぐも dの で あ る 。 小、﹀る両論師の著述に就ては、大正大政経には共に二十部前後の論が見えるが、遺文中に見る龍樹の著としては大 - 31

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-i 論・中論・十二門論・菩提資量論・十住枇姿沙論・釈隆司川論・菩提心論等で、 天親の著としては倶合論・唯識論・十地 論・摂大乗釈論・仏性論・法華論等であるが、守護国家論には、共に千部の論帥を讃え・龍樹は﹁造ニ十住枇婆沙論−宜ニ翠 厳 ・ 方 等 ・ 般 若 等 意 − 、 最 後 造 − 一 大 論 一 分 − 一 般 若 ・ 法 華 差 別 一 。 ﹂ 天 親 は ﹁ 造 ニ 倶 会 論 − 宣 ニ 小 乗 怠 一 、 造 ニ 唯 識 論 一 宜 ニ 方 等 部 意 − 。 最 後 造 ニ 仏 性 論 一 宣 ニ 法 華 ・ 迫 繋 怠 乙 ︵ 一 O 三﹀とも、唱題紗には、天親先日薩先小乗説一切有部の人、倶合論を造って阿 合十二年の経の意を宣べ、二同に大乗の義理を明さず。次に十地論・摂大乗釈論等を造て、四十余年の権大乗の心を宣 べ、後に仏性論・法革論等を造りて、粗ぼ実大乗の義を宣べたり。龍樹菩峰山亦然也﹂ 2 0 5 等と述べ。更に撰時紗には、 龍樹・天親は﹁華厳・方等・般荒・大日経等の権大乗、顕密の諸経をのべさせ給いて、法華経の法門をば宣べさせ給わず。 漢土にわたれる十住昆婆沙論・中論・大論等をもって、天佐一の論を比知して此れを知るなり。 乃至中論の因縁所 3 2 -生法の四句の侶は、華厳・般若等四教三前の法門なり。いまだ法華開会の三諦をば宣べ給はず﹂円一口ニ乙等と述べられ て い る 。 就中宗祖一代の所破は佐前浄土、佐後真言破を中心とする故に、龍樹の十住蹴婆抄論第五の易行品第九に 仏 法 有 = 無 量 門 戸 、 如 − 一 世 間 道 有 ν 難有レ易、陸道歩行則苦、水道乗船則楽−、菩薩道亦如 v 是 、 ︿ 正 蔵 一 夫 同 一 ︶ ー等と仏法に難易二行あることを説き、又天親に浄土論あるより、浄土門に於ては龍樹・天親を共に相承の師と仰ぐ故 に、当世念仏者無間地獄事には法然選択集の捨間閣抽の四字は、曇驚・道綜・善導の三師の釈より出で、三師の釈は ﹁ 源 自 ニ 浄 土 三 部 経 ・ 龍 樹 菩 薩 十 件 附 姿 抄 論 一 出 ﹂ ︵ 一 一 二 三 U と述べ、守護国家論には﹁十住臨婆沙論於三法華己前一分ニ難易 二 行 一 、 敢 於 ニ 四 十 余 年 以 後 経 − 不 ν 存 三 難 行 之 義 一 。 共 上 岩 以 ν 易 ν 定 二 易 行 一 、 法 事 経 五 十 展 転 之 行 、 白 ニ 称 名 念 仏 − ロ グ 行 百 千 万 億 倍 也 ﹂ 円 一 0 5 等と権教の易行たる念仏より、法草実経の唱題行は一史に易行なりと述べ、妙密上人御消息には

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M i旬、 馬鳴・龍樹・天親の弘通に就て﹁いまだ法華の題目をば弥陀名号の如く勤められず﹂︵二六回﹀等とも述べられて、十住蹴婆 日沙論を以て念仏易行の典拠として折破している。 4

9 J J L , 併し聖慰問答紗等には矢張十住枇婆沙論の第七分別法施品第十三に 不 智 者 若 行 − 一 法 施 − 即 説 二 県 古 川 二 説 二 川 出 向 論 一 故 自 失 レ 利 亦 失 ↓ 一 他 利 − 。 乃 至 従 ﹂ 一 今 日 一 後 依 4一 修 多 経

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依 レ 人 、 是 故 ニ 一 一 日 下 智 者 不 レ 依 − 一 回 一 一 論 − 而 行 中 清 白 法 施 上 ︵ 百 一 服 、 一 一 六 五 二 ︶ 等とあるより、修多羅に白黒の別を分ち、爾前諸経を以て悉く黒論となし、遣す︿中には﹁法華巳前の権教をすて h 此 経 に つ け よ と 也 ﹂ 会 一 六 三 ﹀ 等 と 、 随 処 に 法 事 を 以 て 修 多 羅 白 論 と 述 べ ら れ て い る 。 又 並 口 提 資 屋 古 川 に 就 て は 山 口 田 木 殿 御 返 事 に 、 五 加 同 業 の 山 内 拠 と し て こ れ を 挙 げ ︵ 一 一 コ 乞 乙 o 若し釈開詞一川論に就ては今日は起信論を演訳せる支那撰述の説さえ凡 - 83ー るが、宗祖は龍樹の造論となし、殊に真一一一一口の弘法が秘厳令鎗に本論説に大日経に依て、十住心教判をなし、第八の一 担保為心に法華を配し﹁如 ν 一 心 無 明 辺 域 非 ニ 明 分 位 こ と も 、 亦 最 後 に ﹁ 如 レ 是 乗 々 自 乗 得 ニ 仏 名 高 ﹁ 後 作 一 一 戯 論 − ﹂ ︵ 正 蔵、宅一一一位︶等と、法草を以て無明の辺域、第三戯論と判ずるより、良一一白天台勝劣事には﹁法半を無闘の辺城、 !Ji;~ の 法 と 云 事 是 以 の 外 の 事 也 ﹂ ︿ 同 八 コ 一 ︶ 等 と 破 折 せ ら れ て い る 。 右の詩論の外遺文中最も多く引用せらる L は菩提心論と大論とである υ 就中菩提心論には 唯 真 言 法 中 即 身 成 仏 、 故 是 説 ニ 三 摩 地 法 二 於 ニ 諸 経 中 一 刷 不 レ 告 。 ︵ 正 版 、 一 三 一 弓 ︶ 等とあるに依て、 真言に於て大日経並に本論を以て彼京の即身成仏の典拠となすも、 大論百に

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