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マボロシとなったバクエビ

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Academic year: 2021

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マボロシとなったバクエビ

A tale of abyssal shrimp ‘Galatheacaris abyssalis’ formerly described as a new species

張 成年

Seinen Chow

はじめに 近年の分子遺伝学的分析技術の進歩と普及によっ て,形態的に同種と思われていた中に実は異なる種 がいたとか,違う種だと思っていたのに実は同種 だったとかいった報告例が多くみられるようになっ た.本稿は,筆者としては残念な結果に終わってし まったその一つの例を紹介するものである. バクエビ発見のいきさつ もう20年近く前のことであるが,1999年の1月 にミナミマグロの産卵場と想定されている豪州北西 部公海域で水産庁調査船による延縄操業を行ってい た.詳細は引用文献をご覧いただきたいが(張, 1999; Chow et al., 2000),簡略にその内容を紹介す る.本命のマグロ類よりもミズウオという何でもか んでも口に入るものなら飲み込む魚のほうがよく釣 れた.解剖して胃内容物を見ると,筆者が見たこと の無い5 cmくらいのエビを見つけた(図1).明ら かにコエビ類(Caridea)であるが,明瞭なハサミ 脚が見られず,胸脚の全ての外肢は胸脚そのものよ り長いことが印象的であった.船上では,その形状 から冗談半分でバクエビと呼んでいた.ウシ,サ ル,クマといった動物名を冠するエビ類がいるのだ からバクもあっていいんじゃないの,というノリで ある.最終的に15個体(14個体はミズウオから, 1個体はプランクトンネットから)の標本を得るこ とができた.もしかして新種かも,と少し興奮した が,筆者には詳細な分析は無理なので凍結して持ち 帰り,専門家の意見を仰ぐことにした. 種査定,報告 帰港後すぐに,国立科学博物館の武田正倫博士に 電話し,形態を簡単に説明したところ,ただちに該 当する論文が送られてきた.その論文に描かれてい たエビ(Galatheacaris abyssalis Vereshchaka, 1997)は まさにバクエビそのものであり,新種,新属,新科 で あ る だ け で な く 新 上 科 を も 提 唱 さ れ て い た (Vereshchaka, 1997).この標本は1951年にセレベス 海(ミンダナオ島の南方)で行われた深海ドレッジ で採取されたものである.すでに記載されていたわ けで,かなり落胆したのだが,たった1個体の標本 しかないこと,トロール調査で採取されたせいで状 態が良くないことから,我々の標本は貴重なものと なることが期待された.また,新上科といった新た な分類群を裏付けるための新鮮な標本を15個体も 保有しているという興奮もあって,このエビの新鮮 な状態の色彩や採取情報について短い論文を書くと ともに(Chow et al., 1999),DNA分析を始めた.当 時,頼まれ仕事でイセエビ類の種判別もしていたの で,その系で分析を進めミトコンドリアDNAのシ トクロームオキシダーセI遺伝子(COI)部分領域 の1,028塩基対を決定した.2000年前後だったと思 うが,データベースと照合したところ種々の十脚目 甲殻類が上位にランクされるものの,いずれも相同 水産研究・教育機構中央水産研究所 〒236–8648 神奈川県横浜市金沢区福浦2–12–4 National Research Institute of Fisheries Science, 2–12–4

Fukuura, Yokohama, Kanagawa 236–8648, Japan E-mail: chow@affrc.go.jp

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性が70–80%程度であり同種どころか,同属あるい は同科といえるものも特定できなかった.新上科さ え提唱されていたわけであるから,それは当然だろ うと納得したし,こんなマニアックな分野で,かつ 標本は自分しか持ってないという驕りもあったせい か,そのまま放置モードとなったわけである.この 時に,「他に類縁性のない珍しいエビのDNA情報」 とか銘打った論文でも書いてデータベースに登録し ておけばよかったのだが,後悔先に立たず,であ る. そしてマボロシとなる

さて,その10年後のJournal of Crustacean Biology を閲覧していて驚愕した.何と,バクエビはミカワ エビ(Eugonatonotus chacei Chan and Yu, 1991)の幼 体(メガロパ)であるとの論文が掲載されていたの である(De Grave et al., 2010).そこにはバクエビ とミカワエビの写真とともに,両者のDNAが一致 するという証拠が示されていた.また,著者の中に は香港大学のChu博士がおられた.彼とは20数年 殻十脚類の系統類縁関係の研究を分子から精力的に 進めていることは知っていたが,バクエビにも手を だしていたとは.バクエビ改め,彼らが使用したミ カワエビのメガロパ標本の採取情報を見ると,セレ ベス海で採取されたGalatheacaris abyssalisのホロタ イプとともに,ニューカレドニアと沖縄で漁獲され た大型魚類(マグロとミズウオ)の胃内容からの7 個体が使われており,そのうち1個体で塩基配列が 分析されていた.彼らの標本収集海域をみると,豪 州北西海域からセレベス海に限られているとした私 の予想よりもっと分布が広いことが示された.ミカ ワエビ自体がインド–太平洋から知られているので 当然であろう.図2はDe Grave論文の共著者である 国立台湾海洋大学のChan博士から送ってもらった ミカワエビの写真で,Aが成体,Bが稚エビとのこ とである.成体のほうでは額角が顕著に長くかつ上 方に反っていることがわかる. 何が問題だったのか さて,本稿の目的は私の怠慢による顛末を紹介す 図1. バクエビ(Galatheacaris abyssalis Vereshchaka, 1997).バーは1 cm.

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2. ミカワエビ(Eugonatonotus chacei Chan and Yu, 1991).A:成体,B:稚エビ.(国立台湾海洋大学Chan,

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に増え続けるであろうし,我々はさらに慎重に対処 してゆくべきであると言いたかったこともある.後 出しジャンケンと思われるかもしれないが,実は最 初このエビを見た時,幼体ではないかとふと思っ た.外肢が極端に長いこと,明瞭なハサミが無いこ と,そして生殖孔が見つけられなかったことであ る.Vereshchaka (1997)は彼の完模式標本が卵巣を 持つ成熟雌であるとしているが,記載論文に図解さ れている第三胸脚基部には雌が持つべき生殖孔が描 かれていないし,どこにも記述はない.Vereshchaka (1997)自身がそもそも疑問を持たなかったのだろう か.私もこの点で強い疑問を持つべきであったので あるが,よく発達した卵巣があり0.2–0.25 mm径の 卵が見られたので成熟した雌であるという Veresh-chaka (1997)の記述によりその疑問はどこかに吹き 飛んでしまった.私だけでなく,コエビ類の系統に 興味を持つ多くの研究者も同じように疑問を感ずる ことなくこのバクエビが新種でありコエビ類の進化 系統を論ずる上で重要なものであると認識していた ようである.実際,Remarkable Shrimpsという図書 ではプロカリス科(Procarididae)と並んで原始的 な形態を有する種として紹介されている(Bauer, 2004).一方,バクエビがミカワエビのメガロパで あることを明らかにしたDe Grave et al. (2010)がそ のホロタイプを検討したところ,もはや生殖腺と判 断しうる組織が残っていなかったという.私も自分 の標本を2個体ほど解剖してみて生殖腺と考えられ るものは見つけられなかったが,単に成熟していな いのだろうと判断した.Vereshchaka (1997)は一体 何を見て生殖腺と卵であると判断したのだろうか. いずれにせよ,彼による形態記載は詳細であるが, 幼体を成体と信じて疑わなかったことが躓きの元で あった. さて,本エッセーの目的はもう一つある.せっか く解読した塩基配列を無駄にしたくないということ だ.ただデータベースに登録してしまえばそれでい いのであるが,やはり論文(のようなもの)に付随 しているほうが体裁は良い.それに私が読んだ配列 はDe Grave et al. (2010)のものより2倍以上長いので 情報量としても多い.De Grave et al. (2010)はミカワ エビのメガロパ(バクエビ)1個体とミカワエビ成体 塩基対の長さである(GU382669, GU382670).私の 配列(1,028塩基対:accession No. LC186951)をこ れらと比較したところ,ミカワエビとは100%一 致,メガロパとは99%一致という結果となった. すでに確定しているとはいえ,バクエビはミカワエ ビのメガロパであるという結果を別の標本によって 補強するものである.この1,028塩基対情報を用い2017年の現時点でデータベース相同性検索を行 うと,当然ミカワエビとそのメガロパが上位に挙げ られて出てくるが,これら以外になると相同性が 80%程度になり,分類群も何ら関連のないグループ のものばかりとなる.これはミカワエビに近縁な種 類の情報がデータベースに無いことが原因である. 教 訓 以 上,2000年当時に利用できる情報がデータ ベースになかったとはいえ,先鞭をつけたにも関わ らず決着をつけることなく放置した挙句に他に先を 越されてしまった例である.競争相手が標本を持っ ているのを知っているにも関わらず,相手にはわか らないように標本を集め,最終決着をつけるという のは科学の世界ではごく普通のことであり,今回の 件は私の怠慢でもあるので恨むことはないが,旧知 の間柄であり関係も悪くなかったことも考えると 少々寂しい気持ちがする.しかし,真正面から標本 を請求されていたとしたら,当時は一体どう対処し たであろうか.断ったか,あるいは共同研究者にな ることを条件として標本を渡しただろうか.断った 挙句に先を越されるのが一番みっともないように思 う.最近,親が不明なまま記載されていた魚類仔魚 の親種を見つけ,昔の記載を正すといった逆の立場 になったことがある.この場合は競争相手のような ものは存在していなかったので誰に気兼ねをするこ ともないし魚類のことなので,詳細は省くが,これ もDNA分析によって以前の研究結果が覆された例

である(Chow et al., 2016; Kurogi et al., 2016).

謝 辞

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所の小西光一博士に厚く御礼申し上げます.

文 献

Bauer, R. T., 2004. Remarkable Shrimps: adaptations and natural history of the Carideans. The University of Oklahoma Press, Oklahoma, 282 pp.

Chow, S., Okazaki, M., Takeda, M., & Kubota, T., 2000. A rare abyssal shrimp Galatheocaris abyssalis found in the stomach of lancet fish. Crustaceana, 73: 243–246. Chow, S.,Yanagimoto, T., Kurogi, H., Appleyard, S. A., &

Pogonoski, J. J., 2016. A giant anguilliform leptocepha-lus Thalassenchelys foliaceus Castle & Raju 1975 is a junior synonym of Congriscus maldivensis (Norman, 1939). Journal of Fish Biology, 89: 2203–2211.

張 成年,1999.ミズウオの胃中で発見した珍しいエ

ビ―50年振りの世界2例目再発見―.遠洋,105:

16–18.

De Grave, S., Chu, K. H., & Chan, T.-Y., 2010. On the sys-tematic position of Galatheacaris abyssalis (Decapoda: Galatheacaridoidea). Journal of Crustacean Biology, 30: 521–527.

Kurogi, H., Chow, S., Yanagimoto, T., Konishi, K., Naka-michi, R., Sakai, K., Saruwatari, T., Takahashi, M., Ueno, Y., & Mochioka, N., 2016. Adult form of a giant anguilliform leptocephalus Thalassenchelys coheni Castle and Raju 1975 is Congriscus megastomus (Gün-ther 1877). Ichthyological Research, 63: 239–246. Vereshchaka, A. L., 1997. New family and superfamily for a

deep-sea caridean shrimp from the Galathea collec-tions. Journal of Crustacean Biology, 17: 361–373.

図 2.  ミカワエビ( Eugonatonotus chacei Chan and Yu, 1991 ) . A :成体, B :稚エビ. (国立台湾海洋大学 Chan,  T.-Y

参照

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