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境界と異人の組織論-香川大学学術情報リポジトリ

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香 川 大 学 経 済 論 叢 第73巻 第3号2000年 12月 235-306

境界と異人の組織論

原 因

1

.境界と異人からの組織論への接近

我々は,普通には従来からいわゆる会社勤めというものが,まさに1日の内 一定時聞を例えば午前9時から午後5時までを,特定の自分の住宅以外の場所 において,すなわち会社の事務所や工場で働くことであると理解してきた。こ のことは,実は場と時間によって,それぞれの労働に費やされる時間的,空間 的な資源が特定されていたことを意味している。そして今までは,この切り分 け発想に立脚した時空間の捉え方が,企業側にとってもまた生活者側にとって も十分な意味が見出されていた。 しかし,これが,昨今のインターネット革命が現出した多様な境界融合によっ て,すなわち時間,空間,主体,原理などの融合によって効果を発揮しないば かりか,競争戦略面の制約条件にもなってきた。また,生活者サイドにおいて も,インターネットをトリガーとした生活の多重化や複合化が実現でき,従来 の切り分け発想による単サイクル方式のライフスタイルでは満足ができない段 階に突入し認。 このことは,インターネット時代の知識をプラットフォームとしたビジネス スタイルやライフスタイルが従来のアナログ時代の主に工場をプラットフォー ムとしたビジネススタイルやライフスタイルとは異なっていることを意味して いる。したがって,このような時代には,企業が従業員や顧客を支配したり従 属させたりすることを狙った経営戦略がまったく通用しなくな

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。 すなわち,今後のインターネット時代には,それに相応しい企業経営のスタ イルの獲得が要請され,併せて企業の舵取りする経営者の役割やカウンターパ

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236ー 香川大学経済論議‘ 686 ワーとしての労働組合の役割なども根本的に転換することが要請されている。 このような状況下では,企業の社会における存在意義を聞い直し,その社会的 貢献を確認し,

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世紀に相応しい企業経営のノウハウを確立すべくビジネスモ デルやコーポレートガパ、ナンスに対するイノベーションが不可欠になる。 このような問題意識から,ここにおいてはまず

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世紀の企業経営に期待され るマネジメントの枠組みを従来議論されていたコーポレートガパナンスの概念 の枠を越えたものとして捉えることとした。そして,次世代経営に相応しい企 業経営に関わるコンテキストを確立するために時間と空間を捉えた経営を追求 し,併せてこれによって次世代ビジネスモデルやコーポレートガパナンスにつ いての方向性を探ることとした。 なお,そのため本稿においてはまず企業における時空間の位置関係の転換を 理解すべく時空間における中心と辺境・境界についての基本的な考え方を述べ, 続いてこれらの時空間の繋ぎ手が登場することで構築できる時空間の境界融合 原理について多面的な言及を試みている。そして,これによって新世紀に相応 図-1 級織デザインの基本構造 現代思想としての 日常空間の 中心と 辺境"境界 組織デザイン

×

組織デザインの 未来展望 時空間の 共創原理と 共時性

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687 境界と異人の組織論 -237 しい企業経営を可能とする新たな組織論理について,すなわちある種の自己組 織的なコーポレートガパナンスを可能とする有機的共同体としての企業組織に ついて未来展望を行っている(図-1)。

2.時空間の中心と辺境・境界

2..1 異能人材が活躍できる時空間 さて,時代が変わり社会を規定するパラダイムが転換すると,そこで期待さ れる人材像や組織概念が転換してしまう。そこで,企業や人材のパワー関係の 革新が行われ,その摩擦によって新たな時代を乗り切るためのビジネスモデル やマネジメントモデルが現出してくる。これは,また既存の価値観とは異なる 行動規範を持った異能人材が活躍できる組織フィーノレドが登場したことを意味 している。 このことは,従来のいわゆる良い企業や強い会社の概念を根本から破壊し, エスタブリッシュメント企業がもたらす共同幻想を徹底的に払拭すべきことを 要請している。これは,すなわちいわゆるニコーカマーの登場やベンチャーの 台頭を意味しており,結果的には今後の企業経営においては,必ずしも資産や 人材を自ら保持しなくても事業創造が可能な時代が到来することを意味してい る。言い換えれば,このことは規模の大小や産業の水準などとは全く縁のない 企業や事業のマネジメントが行われる時代が到来したことを表している。 このような時代の組織においては,実は中心よりも辺境に,そしてさらに外 部との接点を多様に保持している境界に対してこそ,価値創造を担う場として の期待が寄せられる。こうなると,企業においては求心力よりもむしろ遠心力 の方が尊ばれるようになり,また企業に対するロイヤルティも内なる企業に向 けたものから,逆に外部との共生による価値の内部化という外部志向の強いも のへと転換してしまう。 したがって企業経営においては,これらの変化に対して十分に適合できるよ うな組織概念や人材像を明確に予見しておくことが重要な課題となる。そこで, このような問題意識に立脚し,ここでは時空間の辺境と境界について多面的に

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238 香川大学経済論叢 688 考察を加え,

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世紀の企業がどのような組織や人材によって担われていくのか についての提言を試みていく。これは取りも直さず,

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世紀において企業や個 人が厳しい競争を勝ち抜くための

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つの方法論の提示である(図

-2)

。 図-2 辺境の異人からプロデューサーへの進化 〆〆' / .マjージナルマン l または ¥ 異人 、 、 、

知の編集者 としての プロデ、2ーサー

時 吋

ビジネス プロデューサー そこで,ここでは第

1

に辺境や境界において異能を発揮する存在,すなわち マージナルマンとか異人とは一体どのような存在であるのかについてデビッ ト・リースマンや赤坂憲雄に依拠しながら考察を試みる。そして,この辺境概 念に基づいた代表的なマージナルな産業である流通業の持つ本質とその限界に ついても言及してみる。そして最後に,この限界を乗り越えることを可能とす ると思われる考え方であるレギュラシオンアプローチについて若干の紹介を 行っておく。 続いて,第 2に境界や辺境に作むマージナノレマンや異人の基本的特性をプロ デユース能力であることを主張し,したがって境界の異人とはプロデューサー であるとの仮説の提示を行っている。具体的には,この境界の異人たるプロ デ、ユーサーはいわば知の編集のエキスパートであり,知がある特定の場におい て創造されていることについて言及している。そして,このプロデューサーが パワーを獲得するための内部化による方法と外部化による方法という

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つの方 法論について提示を試みている。 そして,第3に豊富な成功事例を取り上げることによって新世紀におけるプ

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689 境界と異人の組織論 -239ー ロデューサー像の明確化が行われている。ここでは,ビジネスプロデ、ューサー の可能性をポジティブに評価しながら,このビジネスプロデューサーとして, 具体的には,第lにはスーパーエージェント,そして第2にはコーディネート ベンチャーを取り上げ,それらの特徴と優位性についても言及している。なお, 前者においては,ダイコク電気と MBK流通パートナーズ,後者においては, ザ・スーパ}モデルプロジェクトと都市デザインシステムを,それぞれ事例とし て取り上げている。 2ド2 マージナルマンにみる戦略性 一般的には,マージナノレであることがポジティブに捉えられる場合は少ない が,それはマージナルという言葉に感じられる弱者とか差別された者というイ メージに起因している。そもそも,このマージナルという概念については中心 という概念があることで初めて意味を持つものであり,したがって元来従属的 な意味合いを持った概念であるといえる。しかし,この境界とか辺境という場 は異能を保持したマージナルマンがすなわち異人が存在する時空間であること を認識することが大切である。 また,異人が備えている異能が今やパラダイム転換へ向けたブレークスルー を可能とするトリガーとなっているし,これによって新たなパラダイムも形成 されている。そこで,ここにおいては辺境や境界そして異人をポジティブに捉 えながら,それらの持つ戦略性について多面的な言及を行うこととした。その 理由は,このようなことを行うことでマージナルマンすなわち異人という概念 を経営戦略に適用させるためである。 具体的には,まず第

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にリースマンのいう過渡的トルコ人からマージナルマ ンについて理解を深め,続いて第2に境界性と周縁性という場に作む異人につ いて,その上で第3にマージナルな産業としての流通産業についてそれぞ、れ言 及し,最後に流通産業にも見出される課題克服のためのアプローチとしても期 待できるレギュラシオン理論についての紹介を行ってみる。

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240- 香川大学経済論議 690 (1 ) リースマンのいう過渡的トルコ人 昨今,デジタルデ、パイドの問題が大きな課題になっているが,このようなこ とは大きなメディア革新が行われた際には実はいつの時代においても生じてい た。それは,メディアを握っている者がいつでも権力を保持でき支配権の行使 が可能だったからである。このように,メデ、ィアとはいわば場と場を繋ぐ窓の ようなものであり,また知識の場における移転を伴うものであり,そのためメ ディアを保持する者は自らの都合で自在に知識の編集を行うことが可能なので ある。 このことは,まさにグーテンベルグによって印刷メディアが開発された時に も当てはまることであったし,今回のインターネットの登場においても全く同 様と考えることができる。そして,メディアの主役の交代時にはいつでも権力 闘争が蛾烈に展開され,時代の支配者がメディアの変遷とともに交替していっ たことは周知のとおりである。このように,メディアを制した者はすべて時代 のいかんを問わず必ずや権力の獲得に成功している。 さて,メディアの支配者の獲得する権力については,リースマンが述べてい たマージナルマンにきわめて典型的に表されている。このリースマンの論述と は,実は近代化の波が押し寄せた時代におけるトルコの首都アンカラ近郊の小 村パルガードで行われた著名な調査結果の報告であった。これは,具体的には 近代化における権力闘争の担い手として2人の対立しあう人物,すなわち村長 と雑貨屋を設定することで分析を試みたものであっ足。 そこで,以下において赤坂憲男の解釈に依拠しながら,このリースマンのい わゆる過渡的トルコ人が意味するメディアの掌握と権力の獲得についての考察 を試みる。さて,ここにおける村長とは小さな村の絶対的な独裁者であり,古 いトルコ社会の倫理やイデオロギーの体現者として村の外部からの情報や知の 唯一の,かつ巧みな管理者としてすべての村人の上に君臨していた。この村長 は,村にたった1台あるラジオから流れるメッセージを排他的に管理すること で外部からの情報を彼の価値観で編集し,それを村の伝統的価値体系の中に持 ち込んでいた。

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691 境界と異人の組織論 -241-しかし,次第に村長はマージナJレマンたる商人である雑貨屋によって権力を 侵食されていった。さて,この雑貨屋は実は村で最も都会的な服装をしており, また村でただ一人だけ農業に携わらない人物であり,そのため彼は村人からは 一段と低い位置にあると考えられていた。しかし,このような商人たる雑貨屋 が,実際には村の伝統的な価値体系に立脚した排他的な独裁者である村長一派 達を脅かす異質な価値規範に根差した知の担い手として登場したのであさ)。 この雑貨屋はある種のトリックスターであるが,彼においては閉ざされた共 同体の中に外部の空気を導入していることに,その存在意義が見出される。か のリースマンは,この過渡的トルコ人である雑貨屋についてある種のオピニオ ンリーダー的なパーソナリティを備えたマージナノレマンであったと述べてい る。すなわち,この雑貨屋は,首都アンカラと小村ノてルガードという異質な文 化秩序の境界に位置するとともに,同時に近代化という歴史的時間の境界にも 位置するという,いわばこ重の意味においてマージナルマンなのであった。 しかし,近代化が進展しすなわち時代が変わり,その結果として小村パノレガー ドが首都アンカラの郊外としてそこに完全に組み込まれると,たった

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つのラ ジオを持つことで権力を持った村長は権力を喪失したのだが,同時にマージナ ノレマンとしての雑貨屋の役割も終荒してしまった。このことは,すなわち外部 との関係において権力を持っていた存在者が,まさに外部が喪失したことでそ の機能をまったく果たせなくなったことを表す好事例であ

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。 このように,メディアの権力的な価値は時代とともに変化していき,この結 果権力の保持者もまた時代とともに転換することとなる。これはすなわち,メ ディアの転換が権力構造を根本的に転換してしまうため,例えばある時代の強 者はその時代においてのみ強者として存在できることを示している。その意味 においては,どんな時代においてもきたるべき次世代の支配的なメディアが一 体何なのかについてきめ細かく誼視することが大切である。

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境界性と周縁性に停む異人 このように,マージナルマンとは2つ以上の異質な社会文化の境界に作む人

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242 香川大学経済論叢 692 聞を意味しているが,この空間的に辺境にいるマージナルマンには辺境ゆえの 特異なパワーが付与されている。なお,このマージナルマンの類似概念である 周縁人については,集団の成員としての資格や機能を十分に果たさない人聞を 指し示している。その意味においては,境界性と周縁性とは若干意味が異なっ ており,前者については空間概念のみならず時間概念をも含んだものとして捉 えることが一般的である(図

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。 図-3 周縁性と境界性との比較 [周縁性]

忍!-[境界性]

忍弘

T 中 中心 赤坂憲雄『異人論』ちくま学芸文庫より さて,赤坂によればこの周縁性とはある価値体系の内部における構造の揺ら ぎであり,中心からの距離の遠さが重要な指標のlつである。また,外部から 孤立した内環の内側においては,周縁は中心に奉仕する補完項としてのみ存在 が許容されている。したがって,例えば悪場所とか祝祭という周縁的な時空に 放出されるカオスは,まさに一定水準を超えることなく中心の秩序を裏側から 補完するように方向づけられる。 また,これに対して境界性とはある価値体系の内部と外部の間にある空虚で あり,したがってそこから湧き出すカオスの強さが重要な指標の

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つとなる。 そして,この境界とは内部の補完項ではなく内部と外部の分割という普段の運 動そのものとなる。したがって,境界については秩序の創造と崩壊が繰り返さ れる不安定な場ということになる。したがって,例えば洞を置き杷り注連縄を はる境界儀礼などは外部性に向けた対抗措置であると考えられる。

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693 境界と臭人の組織論 243-しかし,この周縁性と境界性はともに社会のマージンに位置づけられる人々 の2つの貌であることでは同類なのである。例えば,よそものとは共同体への 帰属の暖昧さという点では周縁人であるが,異質な外なる世界の価値規範を引 きずりそして新しい共同体の価値規範との狭間に位置を占めるという点、からは 典型的な境界人である。また,いず、れにしても境界性を帯びた存在は,一方で は空間的には多かれ少なかれ周縁的な場所におかれているが,他方では時間の 経過とともにその周縁性は希薄になっていれ さて,赤坂によればこの類似する周縁性と境界性はともに異人のカテゴリー として位置づけられるが,図式的にみると周縁人に境界人が含まれるという考 え方が妥当であると思われる。そして,この境界性については実は2種類に区 別することができる。すなわち,その1つは空間構造上から抽出された悪質な 社会や文化の境界に倖む人々の帯びる境界性であり,その

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つは時間構造上か ら抽出された通過儀礼も過渡期にある人々の帯び、る境界性であ

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。 さて,周縁や境界という異界において誕生した代表的なものとして市場があ げられる。これは,言い換えればどんな場合においても異人は商人として姿を 表していることを意味する。かのジンメルによれば,ものを媒介とした交通の 担い手である商人は,共同体にとっては常にすでに異人であることが宿命づけ られている。なお,赤坂によれば商業と異人はすでにギリシアの時代からポリ スにおいては境界と周辺に位置づけられていた。 実は,この商人とは境を横切る存在,すなわち共同体の内部と外部を限る境 界を越えて往復することのできる存在なのである。商人は,交通の志向性ゆえ に,あるいはむしろ交通それ自体であるがゆえに孤立したミクロコスモスを形 成し,自足する共同体に対して否応のない異和を苧んだ存在となっている。そ して,このような商人は財貨を蓄積することになるが,しかしこれによって共 同体の規範から逸脱するような価値規範を生じさせていど。 さて,商業が営まれる場としての市とは一体どんな特徴を持っているのだろ うか。なお,ここにおいても引き続き赤坂に依拠しながら歴史的な観点から考 察を加えてみる。実は,折口信夫以来ず、っと山人と里人との交通の場が市の起源

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-244- 香川大学経済論叢 694 をなしたと考えられている。これは,あきらかに異質な共同体が接触する場所 に古代の市が立てられたことを意味する。すなわち,市は里からみれば共同体 と外部を分かつ境界に立てられていた。 なお,この市は聖性を持っていたが,その理由は市がそれぞれの共同体に対 して中立的な無縁的な存在であったからである。我が国の中世では,市は辻, 川原,無主荒野,寺社の門前という無主や無撮の領域に設けられていた。この ように,商交易は本質的には外部性とか無縁性を刻印されたものであった。そ して,ここで述べた市とは,実は物の循環する結節点であり,多様な知がネッ トワークを巡って循環する外部に向け聞かれた窓のような両義的な空間であっ た。 さて,あらゆる交通は概ね共同体のつきはてるところ,すなわちそれぞれの 共同体が他の共同体またはその成員達と接触する地点において芽生えている。 また,この市について大切な観点は,市において外部や他者を発見できること であり,したがってこのことにより内部及び自己が誕生することである。すな わち,このような市とは結論的には異人との交換すなわち交換の時空であると 考えられ

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。 (3) マージナルな産業としての流通業 以上のことから,商業がマージナルマンによる境界の市に誕生したビジネス であると推定できる。このような観点に立脚すると,かつて堤清ごが流通産業 とはマージナlレ産業であると喝破したことがよく理解できる。そこで,以下に おいては,堤が述べた流通産業論にみるマージナ1レについて若干の考察を加え てみる。なお,この理論については,今においても個別企業や個別産業におけ る内部のアクティビティを超えた画期的な産業論として高く評価することがで きる。 さて,古くは市から発生した商業は次第に産業化を押し進め,現在では流通 産業という一大産業にまで発展を遂げることとなった。しかし,流通産業は製 造業に代表される伝統的産業とは異なり,本来的にきわめて多大な矛盾を抱え

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695 境界と異人の組織論 -245-た産業である。すなわち,流通産業を担う企業は,一方では企業主体としては 半独占的な性格を持ちながら,他方では競争していく上ではビッグビジネスを 目指さなければならない産業なのであ

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。 堤においては,これを資本制生産様式の中における自己矛盾であるとみてい た。このような自己矛盾を抱えているため,流通産業は産業をなすにあたって きわめてマージナルな存在として立ち現れることとなった。このような生い立 ちの中から,流通産業はマーケットオリエンティッドな産業として発展して いった。それは,すなわち流通産業とは市場志向の人間の論理と資本の論理と によるマージナノレな産業であることを運命付けられていたことを意味してい る。 堤によれば,このように資本の論理と人間の論理の境界に立つマージナルな 存在である流通産業は常に内部に緊張関係を苧んでいる産業である。それは, 資本の論理と人間の論理は,現実社会の問題としては調和できても原理的には 調和できないし,また安易に調和させるものではないからである。そこで,流 通産業を検討する際には,社会,政治,文化など経済のシステムを含むシステ ム全体の中で検討されることが不可避となど。 このようなマージナノレな産業としての流通産業は,我が国経済の成熟期を迎 えるにあたり,今やますますその資本の論理と人間の論理との境界性にマージ ナlレ性を強調したデザイン構築が期待されている。そこで,堤はこのような観 点から,消費社会の聞い直しを行うべきことを強調したのであった。そして, このような問題意識から言及された概念が流通産業におけるかのネットワーク 論の導入なのであっ

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。 今井賢一と金子郁容がいうように,ネットワーク関係が機能するとマーケ ティングは作ったものをどう売るかではなく情報の相互解釈のプロセスとな る。それは,消費者とのコミュニケーション,環境とのコミュニケーションを ベースにした企業相互間の情報交換をも可能にし,結果として情報の選択肢を 多様化する。また,ネットワーク関係はシャドウワークや従来の自由市場経済 では捨象されていたサービス労働などを実は誰にでも見えるようにすることも

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-香川大学経済論叢 696 246ー できる。 このようなネットワーク論に依拠して,堤は市場や企業組織のあり方につい ても言及を行っている。もしもマージナノレな認識に基づけば,市場における商 人はいわばミクロ情報とマクロ情報を持ち経済的交換と社会的交換が行われる 場に立っていたといえる。したがっ、て,市場とはその意味では動的不確実性に 対応するシステムなのであった。なお,動的に情報を蓄積することとはそれを 組織の内部に溜め込むことではなく,市場における運動法則と市場法則を現実 に近づけることであ

Z

。 そして,これこそがマーケティングの本来的な役割なのであった。なお堤に よれば,このような本来的な役割に則ってマクロレベルでのマーケティングコ ンテクストを確立することが,ネットワーク論を流通に持ち込む戦略的な意義 になる。また,堤はこうしたわが閣においてはネットワークが新たな産業構造 を現出するのではなく,むしろ今日の支配体制と公認の秩序を追認するネット

ワークとなることを予見していた。 (4) レギュラシオンアプローチのマージナル性 以上のように,流通産業はマージナルなアプローチによって,最後発の産業 ながら現在では一定程度の影響力を持った産業として多大な発展をみるにい たった。なお,このようなマージナノレな観点、を重視した経済理論としては,今 や世界的にレギュラシオンアプローチがおおいに期待されている。これは,元 来は一種のマルクス主義の流れであったといえるが,近年の共産主義の終駕を 迎えた現在でばこれが次世代型のポスト工業社会のニューパラダイムとして登 場している。 さて,このレギュラシオンアプローチは,ロベール・ボアイエなどによって 提唱されたオイルショック以後の世界経済と経済学の危機を救うために提唱さ れた考え方である。したがって,これはマルクス主義の混迷のみならず,同時 に資本主義の課題をも問題視し,資本主義の調整(レギュラシオン)を行うこ とで転換期の世界を乗り切るべく提唱された広汎な概念といえる。なお,これ

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697 境界と異人の組織論 247-における最大の特徴は世界を経済,社会,歴史の総体として捉えることである。 さて,山田鋭夫によれば,レギュラシオニストの課題は経済的社会的動態の 時間的空間的可変性を解明することであるとするボアイエの解釈が最も的を射 ている。すなわち,これによればレギラシオンアプローチとは,眼下の資本主 義をその動態性や多様性において把握することであり,また経済主義と手を切 り制度的機構などの社会的動態を有機的に包摂した理論構築を目指すことで あった。 このレギュラシオンアプローチはアノレチェセールを越えて,すなわち構造化 された構造や調整された調整ではなしむしろ構造化する構造や調整化する調 整として社会や歴史の解明を試みる考え方として登場している。なお山田によ れば,このようなレギュラシオニストが踏まえているのが,かの

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.

.

ブりレデュー のハビュトス論なのである。このブルデューのハビュトス論とはまさに主観主 義に陥ることなく構図主義から脱却するための概念であり,これによれば人間 の行為は以下のように定義できる。 さて,プノレデューにおいては,人間の行為とは主体的合理的計算の産物とし てでもなく(新古典派批判),構造にすべて規定されたたんなる付帯的現象とし てでもなく(構造主義批判),むしろ身体化された社会的なもの,すなわち社会 的に獲得された性向として,かつゲームのゼンスのような実践的な感覚そして 状況への即興的対処の中に,はっきりみられる生成的な自発性であると定義さ ω) れる。 そして,ハビュトス的な実践に媒介されて構造が再生産されていくと捉える のが,フやルデューの捉え方であると考えてさしっかえない。すなわち,彼によ れば,ハピュトスとは構造化する構造として機能する素性を持った構造化され た構造ということとなる。そして,構造を所与の既成体としてではなしむし ろ諸個人の戦略的実践によるその闘争的発生の相から捉えようとするのが,ブ ルデユ}の構築主義的な構造主義の特徴なのであ

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。 そして,ここでいうレギュラシオニストの調整概念は,このハビュトスと相 即する思想地平に立iっている。この調整概念はリビエッツによれば,社会的な

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-248ー 香川大学経済論叢 698 ものを個人の行動において体現する内面化された規範や社会的手続きの総体, すなわちハビュトスが調整様式といわれるものである。この理論においては, 歴史と切れたいわゆる純粋理論ないしは大理論を拒否する姿勢が濃厚に感じと a~ れる。 さて,このレギュラシオンが主張している代表的な概念にポストフォーデイ ズムがある。それは

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年以降の持続的成長を支えたフォーデイズムに取って 代わって,

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年以降における成熟期の経済社会のニューパラダイムとして提 示された概念である。これらの考え方にそって,わが国においても多様な理論 的研究と運動の展開が行われている。その中で,特に注目すべきものとして, 中村陽ーのいうポストフォーデイズムの社会運動論がある。 この運動は,フォーデイズムに代わる羅針盤としてユートピアを持ちながら, いかなる社会的な妥協を実現していくのかという間への解答を提供するもの だった。なお,ここにおいて大切な観点、は,生活や労働の質を問い,そして自 律と共生を求める意識が広がる事実を見据えた自由時間の増大,また協同組合, 共済組合,自主組織,多様なオルタナティブ運動,労働組合などを主体とする 自発的多様なネットワークや第3セクターによる地域の自律的な発展に依拠し ながら社会の組替えを志向することで、あっ症。 しかし,ここで大切な留意点は,身近な自分がその中で生きていると実感で きる場でのやりとりに発する社会的な行動に対する準備状態としての構え,言 い換えれば行動の起動力になる精神のパネを自己の内面に作り上げ,そして漠 然とした考えを生きられる思想として具体化していく主体としての人間である という観点の保持である。このような人間観は,人間とは生活者でもなく市民 でもない主体であるというものであれそしてこの主体としての人聞が立ち現 れるところに実は場も立ち上がることができ

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。 2引3 境界の異人としてのプロデ、ユーサー 今後の企業経営の方向を考えるにあたり,従来型のアプローチとは全く異な る戦略的発想が不可欠との認識から,前節においては特に場の概念としての辺

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699 境界と異人の組織論 249ー 境や人間の組織に対する位置概念である異人やマージナルマンについて論述し てきた。その理由は,このような観点を持った戦略的な対応こそが今後の企業 社会においては企業にとってもまた個人にとっても有効であると考えたからで ある。 そこで,ここにおいては境界という場概念や異人という人間概念を企業経営 の枠組みに持ち込むことで,次世代型のビジネスモデノレやマネジメントモデル を構築すべく考察を試みてみる。そのため,本稿では特に現代の境界に生きる

1

つの異人像としてビジネスプロデューサーを位置づけ,これを踏まえながら 企業と個人との関係についての未来象を探ってみる。 それらは具体的には,まず第1はビジネスプロデ、ユ」サーが知の編集のエキ スパートであること,そして第

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は場があってこそ知が創造されるということ, 続いて第3はビジネスプロデューサーの内部化によるパワー形成,第 4はビジ ネスプロデューサーの内部化によるパワー形成についてという 4点の論述であ る。 (1)知の編集のエキスパート それでは,まず前述したような時空間の境界やそこに作む異人にみられる特 異なパワーをいかに今後の企業経営を考える基本的枠組みに組み込むべきかを 考察する。さて,異人とか辺境という概念は元来対抗的な概念で,当然ながら 権力者や普通の人にとっては中心が望ましい場であり,したがって異人や辺境 はそれらよりも一段と低いものと考えられている。しかしこれについては,例 えば以下のように若干視点を変えてみるならば幾分様子が異なってくることが 理解できる。 さて,既存の権力と程遠い位置にいる存在である異人が,すなわち現在にお いては時代のニューカマーが既存のパワーにより支配される社会で多大なパ ワーを発揮するには,一体どのような対応が必要なのかについて考えてみる。 そのためにはまさに逆転の発想が不可欠となってくるし,例えば異人にとって は類稀なる編集能力を発揮して価値創造の実現を志向することも lつの方法で

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250-ー 香川大学経済論叢 700 ある。このようなアプローチを採用することで,確かにいわゆる持たざる者が 持つ者に対して完全な支配権を確立することも可能となってくる。 このことは,企業においても必ずや知の編集に秀でたエキスパートの存在が 不可欠であることを意味している。そして,この役割を担うべく期待されるの が実は企業における知の編集者なのである。しかし,この優れた知の編集者を 企業の内部,特に権力の中心に見出すことが困難なことが企業の支配者にとっ ては深刻なガパナンス面の課題となっている。だからこそ,企業においては外 部から知の編集者を積極的に導入することが不可欠となる。 それでは,以下において知の編集者に期待される編集行為とは一体何なのか について松岡正剛に依拠して考えてみる。さて,特に異人たるマージナノレマン やニューカマーにとっては,もしも優れた編集能力を保持していないならば, 既存のパワー関係を崩すことで自らが権力を奪取することがきわめて困難であ る。したがって編集能力については,彼らが既存のパワー保持者に対してパワー 関係の逆転を可能とするものとしておおいに期待が寄せられる。 松岡によれば,この編集行為については誰にでもできるし,また遊びから生 まれるものである。しかし,この編集能力を一度体得するならば,それはきわ めて多大なパワーの獲得を確実なものとする。すなわち,編集とは自らが資源 をほとんど保持することなしに自らの付加価値を高めるパワーなのである。そ のため,もしもこの編集技法を体得するならば必ずや他者に対する競争優位が 容易に実現でき

Z

。 もちろん,松岡のいう編集とは知を対象としたものだが,これは必ずしも知 に限定する必要もないようである。特に企業社会においては,どのように外的 には他社との競争そして内的には他者との競争に勝ち抜いていくかが,実は個 別企業の生き残るための原則となっている。そうなると,知も含めたすべての パワー要素を編集行為の対象として,これらのパワー要素を自分や自社にとっ ての最大のパワーへと変換することが大切となる。そして,この際にはマージ ナノレマンの存在が意味を持つこととなる。それは,辺境に位置するマージナノレ な存在としての異人であるマージナルマンにはこのような能力が元来装備され

(17)

701 ω ているからである。 境界と異人の組織論 251-そこで,以下において,この異人が保持する編集能力について松岡に依拠し ながら概括的な要約を試みてみる。松岡によれば,この編集術とは我々自身気 がつかなかった方法に気づくための方法なのである。すなわち,松岡にいわせ れば編集術とは,世界をすべからく情報世界であるとみなし,その上でその情 報を既に編集されている部分と編集されなかった部分に分け,それらを串刺し にして通観する方法なのであ

Z

。 さて,知をベースとした経営すなわち知識経営を展開するには,この知に対 する編集能力すなわち知識編集能力の獲得が重要な鍵となる。また企業経営に おいては,この知の創造を行うための特別な場の設定が不可欠な条件になると 考えられる。その意味において,知識編集を行う際にはたんに人聞にだけでは なし同時に人聞が集う場においても知の編集を担う機能が期待されてい

Z

。 また,この場には野中郁次郎と紺野登によれば,共有化された文脈,あるい は知識創造や活用,さらには知識資産の記憶についての基盤となる物理的,仮 想的,心的な場所を母体とする関係性が現れている。すなわち,彼らの理論は, 組織的な編集が組織的な知を生むわけだから,その母体こそが不可欠なもので あるとの認識に立脚している。もちろん,この場を実際に活用するのは人間で あるため,例えば野中のいうナレッジプロデューサーのような人間の存在が不 可欠にな

2

(

2

)

場における知の創造 さて,場はある種の柑塙になるため,そこにおいて知は櫨過されるように現 出するが,この場についての関わり方あるいは場についての認識の方法には

2

とおりが考えられる。前者の1つ目が限りなく場に求心力を持たせる考え方に 立脚した行動であり,後者の

2

つ目が可能な限り遠心力を持たせる考え方に立 脚した行動である。これは言い換えれば,前者が農耕型行動であり農耕型の知 の創造方法であり,後者が狩猟型行動であり狩猟型の知の創造方法であるとい える。

(18)

~252ー 香川大学経済論叢 702 かのテニンエスによれば,前者の場に求心力を働かせる農耕型にはゲ、マイン シャフト型社会が形成されている。すなわち,このゲマインシャフトとは内及 び外に対して統一的に働く存在であり,まさに物である結合体が実在的,かっ 有機的な生命体なのである。また,後者の場に遠心力を働かせる狩猟型行動に おいてはゲゼルシャフト型社会が形成されている。すなわち,ゲゼノレシャフト とは観念的,かつ機械的な形成物なのであ

Z

。 これを具体的にいえば,すべてが信頼に満ちた親密な水いらずである共同生 活はゲマインシャフトの生活であり,他方のゲゼノレシャフトは公共生活であり 世間であることとなる。すなわち,人は皆家族と共にゲマインシャフト的生活 を送りあらゆる幸不幸をともにして暮らし,また人は見知らぬ国へ行くように ゲゼ、ノレシャフトの中に入っていく。そこでは,例えば言語ゲマインシャフトや 慣習ゲマインシャフト,そして営利ゲゼルシャフトや旅行ゲゼルシャフトとい うような使い分けが行われている3)。 このように,人間には場の持つ性格により異なる行動が期待されるし,本来

λ

聞はこれらの双方の特徴を併せ持つ存在として生きてきた。それほど,実は 人間の生活にとって場という概念が人間の行動を規定する重要な条件になって いる。そこで以下において,この場あるいは場の理論が持つ特徴について概括 的な理解を試みてみる。 この場という概念は,今では諸科学に広く用いられているが,元来は物理学 において言及されたものである。さて,伊丹敬之によればこの場とは人々が参 加し,意識,無意識のうちに相互に観察しコミュニケーションを行い,相互に 理化,相互に働きかけ合い,共通の体験をする,まさにそのような状況の枠組 みを意味している。そして,その枠組みとは実は人々の聞における情報的相互 (3~ 作用の容器なのである。 さて,伊丹によれば,この情報処理相互作用を通じて,組織の中や組織の聞 に協働を可能にする基盤が確立する。そして,このような共通理解があると, 個々の意思、決定がバラバラにならず整合性のあるものになるため調整作業もス ムーズとなる。その上さらに,これが深まってくると心理的エネルギーの高ま

(19)

703 境界と異人の組織論 253 りによる共振化が実現してくる。こうして,従来では考えられないようなパワー

ω

の現出が可能となってくる。 さて,清水博によれば,生き物がどのように生きていくかにはシナリオがあ るわけではなく,そこにはリアノレタイムの創出知が働いているだけである。そ れは複雑な環境の中で即興的に決まるもので,したがって生き物の生き方の本 質は自己表現の創出であるという。これは,言い換えれば創出知が生命知であ ることを物語っており,このような観点から場の論理を追求することが大切で あるという主張なので、ぁ

2

。 こう考えると,伊丹のいう場の設定による創発すなわち生成のマネジメント はきわめて理解しやすい考え方となる。これについては,要約すれば場が組織 の中に生まれるかどうかが組織の経営プロセスを左右することが多いことを捉 えた場の生成が大切な経営現象であるという理論なのである。したがって,た とえ組織構造を全く変えなくとも,その構造の中に新たに場をつくる努力を行 えば,あるいは既に生まれている場を少し変えるならば,組織現象において多 ω 大な変化を現出させることができる。

(

3

)

外部化志向のパワー進化 そこで,このような知の編集や場の持つ戦略特性を踏まえ,昨今の新たなワー クスタイノレやワークプレイスの潮流である SOHOやテレワークと,新たなビ ジネスモデルやガパナンスモデノレであるアウトソーサーやエージェントについ て,以下において若干の考察を加えてみる。この2つの潮流は,いわばもう 1 つの流れ,すなわちアナザーストリームという傍流的な現象ではなしまさに 人間の未来におけるライフスタイノレを規定する多大な影響力を持った現象とし て捉えられる。 さて,昨今におけるインターネットの登場は新たな時代の到来を確実に予見 している。それは,これにより仕事や生活を規定していた従来型の規範は根本 的に崩れ去り,そのため新たにデジタルスタイルというライフスタイルが定着 されるからであ

g

。しかし,このような状況下で,現在,国家をあげて鋭意推

(20)

254ー 香川大学経済論議 704 進中の

SOHO

やテレワークについては,今までの延長線上のコンテキストで 対応を行うことはきわめて困難であると思われる。それは,これらの現象がま さに

2

1

世紀に相応しいニューパラダイムの登場を要請していると考えられる からである。 現在では,企業という絶対的なパワーを持った閉鎖空間とそこで働く支配さ れた個人の関係は大きく 3段階の段階を踏んで進化することが予見できる。こ れらの3つの関係形態は元来それぞれ別個の存在であり平行して存在しうる が,それでも第

1

の段階から第

2

の段階へそして第

3

の段階へというように次 第に進化をみせる発展段階として捉えるべきである(図

-4)

。 図-4 外部化パワーの進化 [パワー関係] Eコ この個人と企業との関係は,第

1

に主体としての個人,第

2

に客体としての 企業,第3に境界という場の存在,第4に境界に発揮されるパワー関係という 四つの要素から説明できる概念である。まず,第1段階の関係は現在の延長線 上の位置関係を踏襲したものである。これには一般的には外部志向性を持った

(21)

705 境界と異人の組織論 255-テレワーカーが位置づけられる。このテレワーカーとは,テレワークオフィス やサテライトオフィスにおいて限定されたレスポンシビリティに基づいた業務 執行を行う存在なのである。 これらは,未だ企業という閉鎖空間の輪の中である辺境に存在しているが, 同時に異人化へ向けた第一歩を踏み出した初期の段階であるといえる。しかし, 彼らは辺境に居ることで次第に外部とのネットワーク力を強め,そしてこれら を活用した内部業務の遂行を通じて次第に外部企業のエージェント的な役割を 担うこととなる。こうして,求心力を強めようとする企業においてテレワーカー は次第に外部に聞いた窓としての役割を担うこととなり,結果として彼らは企 業の辺境において独自のパワーを獲得していく。 そして第2段階に進化すると個人は終に社員としての身分を喪失し,まさに 契約ベースで業務遂行を行うこととなる。これは,すなわち今まで個人が所属 していた企業の出資を仰ぎながら会社を設立したり,または会社と全く関係な く自ら会社を設立したりする,すなわち個人がスピンナウトすることでアウト ソーサーとしての位置を確立していく段階である。この段階になると,ようや く個人はいわば押しも押されもせぬ一人の経営者ということになるが,多くの 場合に以前に勤めていた会社から仕事を回して貰うため,未だ紐つきの状態で はあ

g

には違いない。 もちろん,実際には紐のつき方はきわめて多彩であるが,これについては, 第1には業務を委託する企業側の事情,そして第2には委託されるアウトソー サー側の事情の双方のそれに依拠している。しかし,このことは実際にはきわ めて重要な意味を持っている。それはすなわち,企業のビジネスモデルが自社 のみならず外部の会社まで包摂した形態で編み上げられていくことを示してい る。このことは,すなわち企業経営における基本スタンスが,次第に内部資源 の効率化追求から自社の枠を越えたビジネス総体を対象とした価値創造を追求 したものへと転換することを意味している。 また,個人のサイドに立ってみると,このことは個人が個人のエクスパティー ズに依拠して企業からは独立して存在する可能性を示しており,このことは個

(22)

-256 香川大学経済論議. 706 人が企業に雇われている身であってもそれなりに企業の頚木を離れて自律的な 活動が行える可能性があることを示している。こうなると,個人と企業という 組織との関係形態がまさに大が小を包摂するとか,組織が個人を支配するとか という,いわば一方的なパワー関係からの転換が行われていく。しかも,アウ トソーサーとして自立するにあたっては,多くの場合にはスタート時に一定程 度は元の企業から仕事量が保障されているため,個人にとっても境界を越えて 外に踏み出すことは,おおいに歓迎されるべきことである。 さて,その後に個人が独立後アウトソーサーとして実力をつけていけば,自 ず、と業務の拡大と質の向上が可能となる。すなわち,それなりに新たな顧客の 獲得と新たな業務の開発による業容の拡大が図れ,そのため特定の専門領域に おいて他社と比較して圧倒的に優位な位置を獲得することも可能となる。こう なると,次第に個人あるいは個人がイニシアチフ、を持った小規模企業が規模の 大小に関わることなく強力な交渉力を保持することが可能となり,結果として 専門力を保持したアウトソーサーとして付加価値の高いビジネスを展開してい くことができる。 そして,いよいよ第3段階にまで進化してくると,企業から外部化されるこ とからスタートしたアウトソーサーはたんなる業務の受託者からピジネスモデ ルの中核的な役割を担うまでにそのパワーを増大させてくる。こうなると,も はやアウトソーサーは請負型のビシネス主体から大企業とも対等に渡り合える 付加価値創造型のビジネスプロデューサーへと進化している。そして,このビ ジネスプロデューサーが多重的なアライアンスの中核的な位置を獲得し,ネッ トワークそのものを支配しえるほどの多大なパワーの行使が可能となる。こう して,たとえ個人であっても小規模企業であっても,彼らはハリウッドのいわ ゆるメジャーを平伏させるほどの敏腕プロデ、ユーサーのような存在へと進化し てい!。

(

4

)

内部化志向のパワー進化 それでは,続いて前項とは逆に企業の外部から企業に接近し,そこで実質的

(23)

707 境界と異人の組織論 257 -な権力を獲得できるような関係を構築できる可能性について追求する。これは 言い換えれば,企業の外部からの内部化によるパワー奪取の方法論ともいえる。 これについては,前項とは逆にきわめて特異なエクスパティーズを保持したビ ジネスプロデューサーが自らの専門能力を背景にして企業の内部に入り込み, そして実質的にオーナー経営者のようなパワーを発揮するような地位を獲得す る方法なのである。 前項の外部化志向のパワー進化が,企業に働く従業員のプロデューサーへの 進化過程であったのに対し,ここで述べる内部化志向のパワー進化は外部のビ ジネスプロデューサーの企業オーナーへの変身過程である。しかしどちらにし ても,ともに当事者に比類なきほど卓越した能力があれば,外部からでも元い た企業を自在に操れるし,また外部から企業の内部に入り込んで実権を獲得す ることもできる。その意味で,ある種経営においてもいよいよ実力だけがもの をいうような時代が本格的に到来したと考えることができる(図

-5)

。 図-5 内部化パワーの進化

ι

i

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i

[ ノfワ一関係] 亡ごコ

(24)

258- 香川大学経済論叢 708 さて,最初の第I段階については,企業と企業の外部にいるビジネスプロ デューサーである個人との関係はたんなるコンサルタントや業務委託によるア ウトソーサー的な関係である。これは,当然ながら企業の外部の人間として当 該企業との聞の契約ベースでの仕事となるが,この段階においてはビジネスプ ロデューサーは当該企業のトップから信頼を獲得するか,または自身の高度な エクパティーズで高度な!成果を現出することが大切である。例えば,前者は従 来型の著名なコンサルタントに多く見受けられるような幾分政治的な匂いが強 い人であり,後者は

IT

に代表されるグローパルに適用する技術をパックグラ ウンドに持った専門家であるといえる。 これが第

2

段階になると,外部のビジネスプロテゃユーサーは企業において幹 部社員や役員というフォーマノレなポジションを獲得することなしまたフルタ イムでコミットすることなししかし固定的な契約関係で当該企業の社内にお いていわゆる先生と呼ばれるようなポジション,すなわちアドパイザ、リース タッフ的な地位を獲得する。従来から,多くの企業において何だかよくわから ないけれども,社内の多くの人聞に先生と呼ばれる人が会社に出入りしている ことはすでに周知のとおりである。しかし,このような先生という人種は,従 来では概ね裏側の仕事の担当が中心であるいわばダーティワークのフィクサー のような存在であっ怠。しかし,今やこのような企業の外部にいる人聞に対す る評価を全く払拭することが必要となっている。 昨今では,いかなる産業の企業においてもきわめて高度な専門能力やこれを ネットワークするパワーが必要とされている。しかし多くの場合には,普通の 企業における時間感覚での対応では,企業が自らの能力で高度な専門能力や ネットワークパワーを獲得することはきわめて困難である。そこで企業として は,何としてでも時代の流れの中についていげる先進的な人聞を,すなわち卓 越したビジネスプロデューサーを自社の外部に求めざるをえないのである。こ のため,元来外部にいたビジネスプロデ、ユーサーへの第3段階への進化,すな わち内部化が期待されることとなる。 現在では,企業に最も必要とされる人材とは,いわばビジネスの急流や荒波

(25)

709 境界と異人の組織論 259 の中に日常的に位置していながらも,必要に応じてクローズなまさに蛸査のよ うな企業や組織に頻繁に訪れるような人材である。これには,前述したような ネットエイジにおけるいわば過渡的トルコ人である雑貨商のような役割が期待 される。彼らの能力は,時代をみる目が優れていることや課題に的確にフィッ トする完壁なソリューションを提供しうるチームを編成する能力である。企業 においては,このようないわゆるネットワーカーでありプロデューサーである 人材が確実に必要とされている: このようなビジネスプロデューサーとは,企業にとってもまた個人にとって も今後においては最も期待できる人材像と考えられる。今後の企業の課題は限 りなく高度になるのだが,現実問題としてこれへの対応能力をトップ自身以外 が社内に獲得してはトップ自身の社内における権力が揺らぐため, トップとし てはたとえいかに高額な経費を払ったとしても外部の人聞を活用する方が望ま しいことと考える。その理由は,たとえどんなトップも企業の発展を願って多 くの高度な課題に果敢に取り組んでいても,同時に彼らは実は企業の内部にお いて自らの権力を守るためにも誰にも増して必死に努力しているからである。 さて,このような段階になって外部のプロデ、ユーサーが企業の内部に食い込 んでくると,これはある意味では外部人材が内部組織に寄生しているとしかい いようのない状況が現出してくる。しかし見方を変えれば,この寄生とはそん なにネガティブな関係ではなく,企業にとっても個人にとっても実に都合よい 関係なのである。この寄生したビジネスプロデューサーは,たとえ企業の内部 に固い込まれながらも別の生態系として存在でき,そしてそれゆえに企業の トップとイコールパートナーとしてコラボレーションを形成することができて いる。これは外見的には寄生に見えるのだが,しかしこの本質は両者の利害が 一致した納得づくの共生関係の確立であると考えることができ

Z

。 このように,企業の外部から企業の内部に積極的にポジションを獲得するこ とを可能にするのが,ここでいう今後において期待ができるビジネスプロ デューサーの内部化戦略である。しかし,このビジネスプロデューサーにとっ て大切なことは,ビジネスの急流や荒波にいる時間が半分を切ってはならない

(26)

260- 香川大学経済論叢 710 ということである。それは,もしもそうでないと,ビジネスプロデューサー自 身がアジルな時代の流れの中で生きていくパワーを喪失してしまう恐れが生じ るからである。なお,このビジネスプロデ、ューサーとは,例えば砂漠の中のオ アシスのような居心地のよい企業には長い間ずっと逗留しでもいけない存在で ある。それは,いつにおいてもビジネスプロデ、ューサーにとっては時代のノマ ドであることが,言い換えれば狩猟民族であり続けることが不可欠な条件だか らである。 ただし,もしもビジネスプロデューサーが自らに完全にフィットした企業が みつかれば

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ノマドをやめ,そこの企業に入り込んで次なるトップマネジメ ントの地位を狙うことは十分可能である。元来,このような事例はアメリカで はよく見受けられることであるし,アメリカの企業で定着したCEO(最高経営 責任者)などは,そのような典型的な事例であると考えるべき存在である。す なわち,このCEOとはまさに経済社会のノマドとして企業の再建や発展に成 果を実現させるプロのビジネスプロデューサーである。なお,我が国において も企業経営においては,このような考え方を正当なものとして評価しかっ認知 する時代がいよいよ到来したものと考えられる。 2,.4 新世紀の主役はビジネスプロデューサー さて,前述したように,境界や辺境において異能を発揮するマージナルマン や異人の現代的表出がプロデューサーであるが,このプロデューサーが活躍で きる領域が拡大し,今ではビジネスの世界においても不可欠な存在となってい る。これこそがまさにここで言及するビジネスプロデ、ユーサーの一般的なイ メージであり,特に組織と組織を繋ぐプラグアビリティやコネクタビリティに おいて特異なエクスパティーズを保持する存在である。 そして,このような特質を持ってアイデンティティを確立したベンチャーや 個人が多様に現出している。このビジネス界における境界の異人たるビジネス プロデ、ューサーはすでに確固たる地位を築くことに成功している。ここにおい ては,ビジネスプロデ、ユーサー的な要素を持って社会的な存在感を強烈に表し

(27)

ー 711 境界と異人の組織論 -261-図- 6 ビジネスプロデューサーの類型

J

;

:

長豆沼 [忍二割 ファ yンヨン プランドビジネス [ ザ ス ー パ ー モデルプロジェクト] ノtーチャル コーポレーンヨン [ダイコク電気] 3 P L企業 [MBK流通 パートナーズ] コーポラスハウス デザイン [都市デザイン研究所]

く訴訟〉

t;ネユム司

-

起業化の

-

-

-

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パーソナリテイ 、、、 一 ピジネスプロデ、ューサー ている

2

つの組織概念についての紹介を行う。これらは,言い換えれば著者が 長い間主張しているビジネスプロデューサーの2つの類型であるといえる(図 -6)

前者についてはスーパーエージェントというビジネスプロデューサーであ る。これはいわばネット時代のエージェントで特に情報通信技術に精通してい ることに特徴があり,これによって企業の壁を越えたビジネスモデルの確立に 貢献できるプロデューサーである。ここでは,このスーパーエージェントとし てはバーチャルコーポレーションを志向するダイコク電気と

3P L

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企業を志向する

MBK

流通パートナーズを取り上げながら考 察を行う。 後者についてはコーディネートベンチャーというビジネスプロデューサーで

(28)

262ー 香川大学経済論叢 712 ある。これは,個人が大企業に対する競争戦略において闘えるような異能を保 持したいわばキャラクター勝負のプロデューサーである。このタイプのプロ デューサーは,前述した内部化することで外部から企業を支配するほどのパ ワーを獲得できる存在になる可能性が高いようである。このコーディネートベ ンチャーとしては,ファッションプランドビジネスのザ・スーパーモデルプロ ジェクトとコーポラティブハウスデザインの都市デザインシステムを取り上げ ながら考察を行う。 (1 ) バーチャルコーポレーション H ダイコク電気 さて,インターネット時代のマージナルマンである第

1

のビジネスプロ デ、ューサーとしては,ネットワークを活用して企業聞の壁を取り除くことに成 功したスーパーエージェントとしてのバーチャルコーポレーションをあげられ る。ここでいうバーチャルコーポレーションは,全ての事業活動を自社だけで 賄おうという発想からではなく,最も効果的な成果を追求すべく多くの外部企 業と協働のビジネスモデルを構築しようとする戦略的な組織である。 このバーチャノレコーポレーション型のスーパーエージェントはそのリソース を他者に依存するため,その主体となる企業が自社の情報を積極的に公開して 他者をリードしていくことが必須条件となる。なお,このバーチャルコーポレー ション型ビジネスについては,そのビジネス特性から大きく水平分散ネット ワーク志向と垂直ネツトワーク志向とに分けることができる5)。 前者の水平分散ネットワークは相互に独立した形態でそれぞれのコアコンピ タンスを有効活用し,相互の不足資源を補完し合いながらあたかも lつの組織 であるかのような行動を行う組織である。後者の垂直統合ネットワークは製品 の流れに対応し,相互が密接に

1

つのサプライチェーンを確立している組織で ある。さて,ここで紹介する事例はこれらの双方のバーチャJレコーポレーショ ン,すなわち水平分散ネットワークと垂直統合ネットワークを巧みにビジネス モデル化したダイコク電気という企業であ Z)(図一7)。 さて,このダイコク電気はパチンコ台のコントロール基盤を扱っているメー

(29)

713 境界と異人の組織論 図-7 ダイコク電気のビジネスモデル

6

1

訓 弘 同 竺

協力工場 4 \--一一~. -263ー カーであるが,実際にはその90%以上を外部の協力工場に委託しているファプ レスメーカーといえる。なお,この企業の特徴はたんにその製造を委託してい ることではなくその仕組みの独自性に見いだせる。すなわち,その特徴とは協 力工場をエクストラネットでネットワーク化し,そのネットワーク上で発注を 公募して決定するという方法に見出せ

Z

)

。 その方法とは,まずあらかじめ登録しである協力工場に向けて

Web

上に受 注情報を配信することから始まっている。なお,この受注情報には仕様,価格, 数量などの情報が含まれており,その製造方法をビデオで紹介するなど

Web

上を介して製造に必要な情報が協力工場に伝達できる。そして,続けてこの情 報を受けた協力工場は自工場の稼動状況を考慮した上で受注希望を出してい る。なお,ダイコク電気ではもしも受注希望が重複したような場合には,これ までの実績は負荷状況を考慮した決定が行われ

g

。 夕、イコク電気が,このような仕組みすなわちバーチャルコーポレーションを 採用している理由は,実はパチンコ業界固有の特徴に適合させるためである。 パチンコ業界は

1

年のうちゴールデンウィークとお盆休みそしてお正月休みの 直前に新装開庄が多く,そのためその時期にパチンコ台の製造が一気に急増し

(30)

264 香川大学経済論叢 714 てしまう。しかし,法律面の制約があって部品を事前に製造できないため,受 注してから製造を行わざるをえない状況にある。しかも,納期が極端に短いこ ともあり 1社ですべてを賄うにはそれ相応の設備と人員を抱え込むことが前 ω 提となる。 しかし,それでは繁忙期以外には設備も人員も過剰となるため,経営的には 採算を越えることは困難となる。だからこそ,ダイコク電気ではバーチヤノレコー ポレーションという仕掛けをセットすべく社外の協力工場をネットワークした わけである。現在では,外部の協力工場が約50社あり,これらの協力工場とダ イコク電気との聞にはすでに強い信頼関係が樹立されている。これこそが,ま さにコラボレーシヨン型のスーパーエージエントの典型的な事例なのであど。 さて,ダイコク電気では,登録された限定メンパーに対してエクストラネッ トという

Web

システムを効果的に活用することで,自社の製造を協力工場に バランスよく委託できる体制を確立した事業展開が行れている。同時に,この 夕、イコク電気では協力工場を対等のパートナーとして位置づけ,いわば双方が 最大の満足を獲得できる関係が模索されてい

2

。すなわち,ダイコク電気のバー チャルコーポレーションにおいては,まさに

Win-Win

志向の創発的なコラボ、 レーション関係がほぽ完全な形態で確立している。

(

2

)

サードパーティーロジステイクス企業:

MBK

流通パートナーズ また,自ら設備投資を行ったりオペレーション体制の整備を行うことなく, 自らがデマンドサイドとサプライサイドの聞に立つことで先進的な情報通信を 利用し,結果として両者にとって最も効率的なマッチングサービスに存在意義 を見出す企業がスーパーエージェントなのである。そして,このスーパーエー ジェントが活躍できる代表的な事業としては特に

3PL

という業態があげられ る。 そこで,この昨今注目されている

3PL

業者として,ここでは商社系の物流 企業である MBK流通パートナーズを紹介する。これは,実は元三井物産にい た小田切園博によって設立された企業である。これも,また大企業のマージナ

(31)

715 境界と異人の組織論 265 図- 8 MBK流通パートナーズのビジネスモデル

(

三井物産 75% I 三井物産の ソフトウェア の支援 加藤物産 10% 三井物産と関係 の深い卸業者との コラボレーション 三友食品 8% 商担としての海外 における食品の そのf也7% • I 輸出入経験 ルマンであった小田切が元勤めていた三井物産などの資本参加を受けながら も,食品業界における本格的な

3PL

業態の確立を志向したマルチな商社ネッ トワークノードとしての位置を獲得した企業であ

g(

図-8)。 したがって,この食品の製造,配送,販売のサプライチェーン全体を対象と した物流業者である

MBK

流通パートナーズは,現実には未だアウトソーサー 的なポジションにいるのだが,しかしそれでも次第にプロテ恥ユーサー的な位置 への転換を強力に図っている。その意味においては,この

MBK

流通パート ナーズは物流業界におけるビジネスプロデューサー的企業としておおいに期待 が持てど。 このことは,すなわち現在のようなサプライチェーンが模索される状況下, かつては下請け的な位置づけにあった系列的色彩の強い物流会社がビジネスプ ロデ、ユーサ}へと転換するまで進化したことを表している。このような事例の 代表的な企業としては,このすでに

3PL

業者としての地位を確立した

MBK

流通パートナーズが位置づけられる。 そして,この

3PL

に取り組むことで,

MBK

流通パートナーズは結果として食品業界の製,配,販が抱える課題を一気

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