チベット・ノート(一)
著者名(日) 渡部 壮一
雑誌名 山梨学院大学法学論集
巻 50
ページ 155‑168
発行年 2003‑09‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000899/
研究ノート
チベット・ノートO
渡 部壮 一
155 チベット・ノート(一)
目 次
経緯 序
チベットヘの視線
問題
対立
境界の問題
知的営為・権力・暴力
一155一
研究ノ i ト
チベット・ノ 1 ト付
目
次 チベット・ノート(ー)
序 経緯
チベットへの視線
問 題
対 立
境界の問題
知的営為・権力・暴力
155
渡 部 壮
‑155‑
法学論集 50〔山梨学院大学〕 156
序
研究の初めの目的は︑チベットにおける近代化とそれによる自治や文化の変容を調査することであった︒その調
査のための概念装置は︑政治学・国際政治・歴史学・文化人類学・考古学等の広範な領域に求めた︒従って︑初め
の研究方法は︑チベットの総合研究を目指すものであった︒しかも︑この総合研究は︑思想において総括されるは
ずであった︒第一に︑政治学においては︑中国の民族政策や宗教政策が西部開発によって︑如何にその文化と社会
構造が変化するのかを詳細に調査することであった︒第二に︑国際政治においては︑対立する二つのイデオロギー
に注目することであった︒チベットにおいて対立するイデオロギーの問題とは︑チベットを中国固有の領土とする
中国の見解と︑独立性を強調するチベットの見解との間での齪齪がそれである︒第三に歴史学では︑チベットとい
う領域の記憶を可能な限り明確にすることであった︒第四に文化人類学では︑西部開発により︑家族の構成がどの
ように変化するのかを多様な具体的資料の収集により検証することであった︒第五に考古学では︑チベットの人々
が︑どこから来たのかを具体的な文物から検証することであった︒最終的な目的は︑唯一の思想的な見解を示すこ
とではなく︑チベットを在りのままに表現することであった︒その表現は︑チベットの外からの見解である政治
的・文化的対立と神秘の国といった誇大妄想的イメージとに含まれる先入見や誤謬を明確にし︑それを取り除くこ
とであった︒
しかし︑最初の研究計画に付きまとった思想上の困難は︑対象としてのチベットを見るのではなく︑見ている
一156一
序
研究の初めの目的は︑チベットにおける近代化とそれによる自治や文化の変容を調査することであった︒その調
査のための概念装置は︑政治学・国際政治・歴史学・文化人類学・考古学等の広範な領域に求めた︒従って︑初め
の研究方法は︑チベットの総合研究を目指すものであった︒しかも︑この総合研究は︑思想において総括されるは
ずであった︒第一に︑政治学においては︑中国の民族政策や宗教政策が西部開発によって︑如何にその文化と社会
構造が変化するのかを詳細に調査することであった︒第二に︑国際政治においては︑対立するこつのイデオロギー
に注目することであった︒チベットにおいて対立するイデオロギーの問題とは︑チベットを中国固有の領土とする
中国の見解と︑独立性を強調するチベットの見解との間での組館がそれである︒第三に歴史学では︑チベットとい
う領域の記憶を可能な限り明確にすることであった︒第四に文化人類学では︑西部開発により︑家族の構成がどの
ように変化するのかを多様な具体的資料の収集により検証することであった︒第五に考古学では︑チベットの人々
が︑どこから来たのかを具体的な文物から検証することであった︒最終的な目的は︑唯一の思想的な見解を示すこ
とではなく︑チベットを在りのままに表現することであった︒その表現は︑チベットの外からの見解である政治
的・文化的対立と神秘の国といった誇大妄想的イメージとに含まれる先入見や誤謬を明確にし︑ それを取り除くこ
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あ っ
た ︒
しかし︑最初の研究計画に付きまとった思想上の困難は︑対象としてのチベットを見るのではなく︑見ている
157チベット・ノート(一)
我々に視線を転換すると︑在りのままのチベットというイメージに誤謬は無いのかということである︒既存の学的
概念を用いてチベットを見ることは︑我々を研究の主体とし︑ヂベットをその対象とすることである︒他者として
のチベットを想定せねば︑その研究は成立しない︒問題は︑在りのままのチベットというイメージに誤謬があるの
か否かということではなく︑我々があたかも医学的対象であるかのように他者としてチベットを見るその視線に暴
力性が含まれるということなのである︒何よりも︑在りのままなどということは︑到底ありえない︒それは︑イメ
ージとしては認識されても︑具体的・現実的に認識されないからである︒他者を認識する際に︑特定のイメージを
想定することは︑W・ベンヤミンやレヴィ・ストロースを引き合いに出さずとも暴力であるに違いない︒ならば︑
必要なことは︑既存の学的概念を常に批判的に捉え直し続けることである︒では︑学的概念への批判的捉え直し
は︑どのようになされるのか︒
我々は︑その捉え直しにおける研究の道程を指し示す賢明な言葉を︑二ーチェの作品に見ることが出来る︒それ
は︑ツァラトゥストラ第一部での精神の三つの変身物語である︒その物語は︑﹁精神は︑どのようにして酪駝とな ハ レ り︑そして賂駝はライオンとなり︑そして最後にライオンは子供となるのか﹂である︒賂駝は︑重い荷を背負う動
物である︒賂駝は︑苦難を求める︒彼は︑既存の価値に対する敬意を持っていて︑それを学び荷い︑より苦難を求
めて砂漢へと向かう︒そこで︑賂駝はライオンヘと変身する︒あらゆる既存の価値への批判を断行する︒かれは︑
あらゆるシンボルを破壊し︑重荷を踏みにじる︒しかし︑彼の破壊的な批判は︑悲劇的な結末を迎えざるを得な
い︒なぜなら︑ライオンは既存の価値を批判し︑戦うことは出来ても︑新たな価値を創造することはできないから
である︒この悲劇の結末から︑ライオンは︑無垢な子供へと変身する︒子供は︑新たなる価値創造への原理の創造
一157一
我々に視線を転換すると︑在りのままのチベットというイメージに誤謬は無いのかということである︒既存の学的
概念を用いてチベットを見ることは︑我々を研究の主体とし︑チベットをその対象とすることである︒他者として
のチベットを想定せねば︑ その研究は成立しない︒問題は︑在りのままのチベットというイメージに誤謬があるの
か否かということではなく︑我々があたかも医学的対象であるかのように他者としてチベットを見るその視線に暴
力性が含まれるということなのである︒何よりも︑在りのままなどということは︑到底ありえない︒それは︑イメ
ージとしては認識されても︑具体的・現実的に認識されないからである︒他者を認識する際に︑特定のイメージを
想定することは︑ W ・ベンヤミンやレヴィ・ストロースを引き合いに出さずとも暴力であるに違いない︒ならば︑
必要なことは︑既存の学的概念を常に批判的に捉え直し続けることである︒ では︑学的概念への批判的捉え直し
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は︑どのようになされるのか︒
我 々
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その捉え直しにおける研究の道程を指し示す賢明な言葉を︑ ニ
lチェの作品に見ることが出来る︒それ
チベット・ノート(→
は︑ツァラトゥストラ第一部での精神の三つの変身物語である︒その物語は︑﹁精神は︑どのようにして賂舵とな
そして最後にライオンは子供となるのか﹂である︒賂蛇は︑重い荷を背負う動 り︑そして賂舵はライオンとなり︑
物である︒賂舵は︑苦難を求める︒彼は︑既存の価値に対する敬意を持っていて︑ それを学び荷い︑ より苦難を求
めて砂漠へと向かう︒そこで︑賂蛇はライオンへと変身する︒あらゆる既存の価値への批判を断行する︒
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あらゆるシンボルを破壊し︑重荷を踏みにじる︒しかし︑彼の破壊的な批判は︑悲劇的な結末を迎えざるを得な
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い︒なぜなら︑ライオンは既存の価値を批判し︑戦うことは出来ても︑新たな価値を創造することはできないから
である︒この悲劇の結末から︑ライオンは︑無垢な子供へと変身する︒子供は︑新たなる価値創造への原理の創造
者となる︒彼は︑戯れと然りと言う新たな出発である︒
丁注
甲一&ユ92一ΦけNω9P﹄︾も憩ミき§ミき§殊ミDΦぎ巳一の8営ω8げ︸一SgP困S
経緯
過去二年に渉って︑四川大学の温かく辛抱強い協力によって︑四川省甘孜蔵族自治州へ出かけた︒以下︑本論
は︑その報告とその時の経験から得た思想史の方法論への一提言である︒
当初における調査の目的は︑西部開発という近代化の圧倒的な潮流の中で︑民族文化が新たな自治制度において
どのように維持され︑新たに生み出されてゆくのか︑さらに甘孜蔵族自治州が外国に門戸を開いたことにより︑人
的交流から文化的交流に至る中で︑自治制度の果たす役割と新たな可能性とを探ることにあった︒最終的には︑文
化的価値の多様性を維持し再生産することの可能な自治制度の構造を検証することを目指した︒調査の際の最も重 ︵1︶ 要な点は︑我々の研究がいかなるイデオロギ!の立場をも代弁しないということであった︒しかし︑この計画は︑
われわれの研究がいかなるイデオロギーからも自由であろうとすればするほど大きく変更せざるを得なくなる︒
第一回の調査旅行は︑本格的な聞き取り調査の予備調査として二〇〇〇年九月三日から九月一六日までに行っ
た︒行程は︑成都市から西へ甘孜州の州都である康定をへて道孚︑炉窪を通過して甘孜までの川蔵高原の往復であ
一158一
者となる︒彼は︑戯れと然りと言う新たな出発である︒
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過去二年に渉って︑ 四川大学の温かく辛抱強い協力によって︑四川省甘孜蔵族自治州へ出かげた︒以下︑本論
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は︑その報告とその時の経験から得た思想史の方法論への一提言である︒
当初における調査の目的は︑西部開発という近代化の圧倒的な潮流の中で︑民族文化が新たな自治制度において
どのように維持され︑新たに生み出されてゆくのか︑ さらに甘孜蔵族自治州が外国に門戸を開いたことにより︑人
的交流から文化的交流に至る中で︑自治制度の果たす役割と新たな可能性とを探ることにあった︒最終的には︑文
化的価値の多様性を維持し再生産することの可能な自治制度の構造を検証することを目指した︒調査の際の最も重
要な点は︑我々の研究がいかなるイデオロギーの立場をも代弁しないということであった︒しかし︑この計画は︑
われわれの研究がいかなるイデオロギーからも自由であろうとすればするほど大きく変更せざるを得なくなる︒
第一回の調査旅行は︑本格的な聞き取り調査の予備調査としてこ
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年九月三日から九月一六日までに行っ
た︒行程は︑成都市から西へ甘孜州の州都である康定をへて道字︑炉一震を通過して甘孜までの川蔵高原の往復であ
159チベット・ノート(→
った︒近代化の進行の程度は︑トラックや路線バス以外の自動車の普及や中国風の商店の増加︑農業機械の普及︑
民居へのCS放送の導入などを見るのみでも明らかであった︒
具体的な調査に関しては︑二〇〇一年調査許可を申請した上で行うことを四川大学と協議の上決定した︒
第二回の調査旅行は︑調査許可が受理された上で本格的な調査を行う予定でいたが︑方法論的確認が十分になさ
れぬまま実行せざるを得なかった︒日程は︑九月一〇日から九月二五日までであった︒行程は︑前回の甘孜からさ
らに西蔵自治区の境界にある仏典の印刷で名を知られている徳格まで延ばすこととした︒今回の目的は︑西部開発
の急速な進展の現実を記録することにあった︒チベットは︑長い問通説として﹁雪峰に囲まれた閉ざされた国﹂と
して知られていた︒しかし︑チベットは実際には﹁閉ざされた国﹂ではない︒確かに︑甘孜蔵族自治州の州都であ
る康定の手前には︑海抜四〇〇〇メートルを越す難所である二郎山峠があり大渡河の濁流が行く手を阻んでいる︒
康定から先は︑さらに標高を増して行き︑三〇〇〇メートルを越す川蔵高原が広がっている︒こうした地勢が︑永
くチベット固有の文化を育んできたといってよい︒しかし︑今回の旅程で︑康定までは︑雅安まで伸びた高速道路
と次郎山のトンネル開通のおかげで前年度には二日の行程であったのが一日の行程に短縮された︒甘孜までは︑前
年度では︑四日かかったものが︑ドライバーの熟練された運転技術のおかげもあったのではあるが︑二日に短縮さ
れた︒到る所で﹁退耕返林﹂の垂れ幕をかざしたトラックとすれ違った︒アメリカやカナダで見られる近代主義に
おけるエコロジーの風景がそこにはあった︒時間を経て重層的に堆積したチベット固有の農業の生活から一元的な
近代化への途を歩み始めた風景があった︒炉雷は︑近代化に成功した例と考えられる︒町並みは清潔に整備され︑
漢族の居住区は高級住宅街であった︒甘孜に入ると︑去年まで並んでいた小さな商店街は︑ほとんど壊されその瓦
一159一
った︒近代化の進行の程度は︑ トラックや路線パス以外の自動車の普及や中国風の商底の増加︑農業機械の普及︑
民居への
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S 放送の導入などを見るのみでも明らかであった︒
具体的な調査に関しては︑二 OO 一年調査許可を申請した上で行うことを四川大学と協議の上決定した︒
第二回の調査旅行は︑調査許可が受理された上で本格的な調査を行う予定でいたが︑方法論的確認が十分になさ
れぬまま実行せざるを得なかった︒日程は︑九月一 O 日から九月二五日までであった︒行程は︑前回の甘孜からさ
らに西蔵自治区の境界にある仏典の印刷で名を知られている徳格まで延ばすこととした︒今回の目的は︑西部開発
の急速な進展の現実を記録することにあった︒チベットは︑長い間通説として﹁雪峰に固まれた閉ざされた国﹂と
して知られていた︒しかし︑チベットは実際には﹁閉ざされた国﹂ではない︒確かに︑甘孜蔵族自治州の州都であ
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る康定の手前には︑海抜四
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先 は
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さらに標高を増して行き︑三
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くチベット固有の文化を育んできたといってよい︒しかし︑今回の旅程で︑康定までは︑雅安まで伸びた高速道路
チベット・ノート(→
と次郎山のトンネル開通のおかげで前年度には二日の行程であったのが一日の行程に短縮された︒甘孜までは︑前
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四日かかったものが︑ドライバーの熟練された運転技術のおかげもあったのではあるが︑二日に短縮さ
れた︒到る所で﹁退耕返林﹂の垂れ幕をかざしたトラックとすれ違った︒アメリカやカナダで見られる近代主義に
おけるエコロジーの風景がそこにはあった︒時間を経て重層的に堆積したチベット固有の農業の生活から一元的な
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近代化への途を歩み始めた風景があった︒炉一塞は︑近代化に成功した例と考えられる︒町並みは清潔に整備され︑
漢族の居住区は高級住宅街であった︒甘孜に入ると︑去年まで並んでいた小さな商庖街は︑ ほとんど壊されその瓦
礫から新たな町並みが誕生するのであろうことを髪髭とさせられた︒二〇〇二年には︑近代的なホテルが建設され
るという話であった︒
二回の旅程において︑我々が得たものは何か︒いやむしろ︑欠けていたものの方を検討することが先であろう︒
決定的に欠けていたものは︑民族という観念に対する批判的方法である︒チベットを見るには︑いかなる先入観か
らも自由となる批判的方法を求める必要があった︒従って︑今回の旅程は︑その方法を求める道程そのものとなっ
たと言える︒
︵1︶ この立場は︑ドイツの労働運動を支えたイデオロギーである歴史の必然としての労働者階級の勝利という観念への批判をくり 注
返したフランクフルト学派に顕著である︒この事情については︑以下の作品に詳説されている︒竃巽けぎ冒ざ Sミ箋ミ象誉ミ
﹄§据き鼠帆§v﹄歳餌Gりむ蓮皇導鳴肉ミ§書試ω魯8N黛§職き魅﹄誤職蛛ミ鳴魚の8箇ミ肉8ミ魯国矯吋鵯ー国も軌Pω○ω8P一〇お戸9
一160一
チベットヘの視線
近代化は︑その地域の伝統的ストーリーを崩壊させる︒なぜなら︑圧倒的な物質の侵入の前にそれまで存在した
物質と意味の統一したストーリーとしての世界が瓦解するからである︒物質と意味とは遊離し︑物質的な世界は意
味を喪失する︒意味を喪失した圧倒的な物質の世界は︑それ自体では意味のない数学的秩序の可能性のみを残し 臨時から新たな町並みが誕生するのであろうことを努覧とさせられた︒二 OO 二年には︑近代的なホテルが建設され
るという話であった︒
二回の旅程において︑我々が得たものは何か︒ いやむしろ︑欠けていたものの方を検討することが先であろう︒
決定的に欠けていたものは︑民族という観念に対する批判的方法である︒チベットを見るには︑ いかなる先入観か
らも自由となる批判的方法を求める必要があった︒従って︑今回の旅程は︑ その方法を求める道程そのものとなっ
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注 (
1 )
この立場は︑ドイツの労働運動を支えたイデオロギーである歴史の必然としての労働者階級の勝利という観念への批判をくり
返したフランクフルト学派に顕著である︒この事情については︑以下の作品に詳説されている︒宮内
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‑160‑
チベットへの視線
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その地域の伝統的ストーリーを崩壊させる︒なぜなら︑圧倒的な物質の侵入の前にそれまで存在した
物質と意味の統一したストーリーとしての世界が瓦解するからである︒物質と意味とは遊離し︑物質的な世界は意
味を喪失する︒意味を喪失した圧倒的な物質の世界は︑
それ自体では意味のない数学的秩序の可能性のみを残し
161チベット・ノート(一)
て︑物質外での目的のための手段と化し︑終わることのない生成と破壊の運動に巻き込まれて︑常に瓦礫の世界を
現出することとなる︒それでは︑新たなストーリーの再生産は無いのであろうか︒
認識対象としてのチベットは︑一体性を持たない︒なぜなら︑認識は個々の対象に対応するのであり︑そこに一
体性を見出そうとすれば︑何か他の媒介物︵例えば︑政治的な関心であるチベット問題や構造主義的な文化人類学
的観点︑すなわち民族の固有性への関心や考古学的な時系列的に並ぶ物質への偏重というあらかじめ前提とされる
学問的視線等一切の概念枠組みに閉じ込めようとする試みのことである︶が必要となるからである︒チベットは︑
それを虚心坦懐に見つめるだけならば︑単なる概念なのではなく存在なのである︒存在としてのチベットとは︑自
らを見たり聞いたり出来るものとして表現することから排除されているという意味の限りにおいてである︒まし
て︑我々がそれを認識の対象へと強制する目的で︑個々の断片的な知識を様々な概念的媒介物を持ち込むことによ
り︑見えないもの・聞こえないもの等の負の認識対象を清算し︑問いただすことの出来る概念へと変形させること
は︑存在への単純な暴力以外の何ものでもない︒チベットに纏わる暴力は︑その意味で存在の事由に係わる根源性
を持つと言わねばならない︒
存在としてのチベットは︑それ自体では真理ではない︒常に生成し運動する存在として︑それは我々に映るので
ある︒何よりも︑チベットは︑それを愛するものにのみ真理であり続ける︒その真理は︑愛するものにとって理念
の仮象なのである︒我々が︑強引にチベットを対象化させ︑自ら作り上げたストーリーを理解しようとすること
は︑真理から遠ざかることを意昧する︒その視点は愛のうちには無く︑真理のアレゴリーとしての理念の仮象であ
るチベットに対する無視でしか成立しない暴力的な認識であると言える︒しかも︒このような認識は︑チベットを
一161一
て︑物質外での目的のための手段と化し︑終わることのない生成と破壊の運動に巻き込まれて︑常に瓦擦の世界を
現出することとなる︒それでは︑新たなストーリーの再生産は無いのであろうか︒
認識対象としてのチベットは︑ 一体性を持たない︒なぜなら︑認識は個々の対象に対応するのであり︑
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体性を見出そうとすれば︑何か他の媒介物(例えば︑政治的な関心であるチベット問題や構造主義的な文化人類学
的観点︑すなわち民族の固有性への関心や考古学的な時系列的に並ぶ物質への偏重というあらかじめ前提とされる
学問的視線等一切の概念枠組みに閉じ込めようとする試みのことである)が必要となるからである︒チベットは︑
それを虚心坦懐に見つめるだけならば︑単なる概念なのではなく存在なのである︒存在としてのチベットとは︑自
らを見たり聞いたり出来るものとして表現することから排除されているという意味の限りにおいてである︒まし
て︑我々がそれを認識の対象へと強制する目的で︑個々の断片的な知識を様々な概念的媒介物を持ち込むことによ
り︑見えないもの・聞こえないもの等の負の認識対象を清算し︑問いただすことの出来る概念へと変形させること
は︑存在への単純な暴力以外の何ものでもない︒チベットに纏わる暴力は︑その意味で存在の事由に係わる根源性
チベット・ノート付
を持つと言わねばならない︒
存在としてのチベットは︑ それ自体では真理ではない︒常に生成し運動する存在として︑ それは我々に映るので
ある︒何よりも︑チベットは︑ それを愛するものにのみ真理であり続ける︒その真理は︑愛するものにとって理念
の仮象なのである︒我々が︑強引にチベットを対象化させ︑自ら作り上げたストーリーを理解しようとすること
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は︑真理から遠ざかることを意味する︒その視点は愛のうちには無く︑真理のアレゴリーとしての理念の仮象であ
るチベットに対する無視でしか成立しない暴力的な認識であると言える︒しかも︒このような認識は︑チベットを
第一に理解するために認識し整理し分析して︑最終的には分類棚へ整理しようとする︒しかし︑このように理解し
ようとすればするほど︑直接的仮象としてのチベットは︑我々の眼差しを避けて秘儀の祭壇へと逃げ込んでしま
う︒そこには︑我々の側の一方的な認識の方法論への愚かな過信か失意しか残らない︒
それでは︑常に生成する仮象としてのチベットを認識する方法は︑いかなる場合にも断念せざるを得ないのであ
ろうか︒見えないもの・聞こえないものを見・聞くことを意図するのなら︑いかなる方法が可能であろうか︒見え
ないもの・聞こえないものを見・聞くことを意図するなら︑真理に対する不断の指向性が必要となる︒その指向性
は︑見えないもの・聞こえないものの真理へと向かうが由に︑不断に挫折せざるを得ない︒認識への不連続︑すな
わちあきらめと不断の指向性とは︑真理へ向かうという指向性において両立する︒あきらめては再開することを続
けること︑すなわち不連続の連続性こそベンヤミンの言う﹁トラクタート﹂︑すなわち﹁思考断片︵O窪爵ぼ8▽
ωさ鼻と︶の寄せ集めなのである︒彼によれば︑この断辺を新たに配置し配列することにより︑コンステラチオー
ンが完成され︑意味が生まれるのである︒
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問題
研究を始めるにあたって︑政治思想の観点からチベット問題を︑中国とチベット間におけるそれぞれの国民国家
概念の衝突として捉えた︒チベットを問題として採り上げるのは︑誰なのか︒それは︑国民国家を形成しようとす
る両国家の対立というストーリーを作り上げる者である︒ストーリーは︑共同の記憶の具体的な国民的シンボルと 第一に理解するために認識し整理し分析して︑最終的には分類棚へ整理しようとする︒しかし︑このように理解し ょうとすればするほど︑直接的仮象としてのチベットは︑我々の眼差しを避けて秘儀の祭壇へと逃げ込んでしま う︒そこには︑我々の側の一方的な認識の方法論への愚かな過信か失意しか残らない︒
それでは︑常に生成する仮象としてのチベットを認識する方法は︑ いかなる場合にも断念せざるを得ないのであ
ろうか︒見えないもの・聞こえないものを見・聞くことを意図するのなら︑ いかなる方法が可能であろうか︒見え
ないもの・聞こえないものを見・聞くことを意図するなら︑真理に対する不断の指向性が必要となる︒その指向性
は︑見えないもの・聞こえないものの真理へと向かうが由に︑不断に挫折せざるを得ない︒認識への不連続︑すな
わちあきらめと不断の指向性とは︑真理へ向かうという指向性において両立する︒あきらめては再開することを続
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けること︑すなわち不連続の連続性こそべンヤミンの言う﹁トラクタート﹂︑すなわち﹁思考断片(ロ g
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問 題
研究を始めるにあたって︑政治思想の観点からチベット問題を︑中国とチベット聞におけるそれぞれの国民国家
概念の衝突として捉えた︒チベットを問題として採り上げるのは︑誰なのか︒それは︑国民国家を形成しようとす
る両国家の対立というストーリーを作り上げる者である︒ ストーリーは︑共同の記憶の具体的な国民的シンボルと
163チベット・ノート(一)
して表現される︒そのシンボルは︑例えば中国にある多くの博物館や記念碑によって国民的一体感を形成させ︑チ
ベットにある多くの破壊された寺院や長大な叙事詩によって民族としての共感を保とうとする︒この対立の基本的 ︵1︶ な構造は︑Kシュミットの言う甲窪民§α閏α巳の論理を弁証するものといえよう︒なぜなら︑シンボルによる
国民的一体感を形成するストーリーは︑具体的なシンボルを介して権力構造を作り上げるからである︒さらに︑こ
の国民的一体性の形成は︑ポレミオス︑︵公敵︶を設定することを意味するからである︒もちろん︑権力構造の詳細
な分析も必要となるが︑さらに重要なことは︑この権力構造の下で表現する手段を持たない︑あるいは喪失した
人々への視線である︒西部開発という経済的なグローバリゼーションは︑政治的・文化的グローバリゼーションに
比較して対立をそれ程生じさせていない︒開発は︑その地域の伝統的ストーリーを崩壊させることは確かである︒
なぜなら︑圧倒的な均質化された物質の侵入の前に︑それまで存在した人々による物質と意味の一致したストーリ
ーとしての重層的世界が瓦解するからである︒本研究では︑瓦解の後に散乱したアレゴリーの断片を拾い集めて︑ パ レ コンステラチオンとして描くことが課題である︒
⑤丁注
O霞一ω9巨拝bミ山凝母魯動︑ミき吻罫§U琶簿段卸国仁ヨ望oけ冒冒o誇p一︒︒
︒Nを参照︒アレゴリーとコンステラチオンに関しては︑ミ巴けRω①三9 ︒ヨ旦q誘特ミ鑓駄8駄ミ欝鳶§釜§鳴誌驚鳴ぴωR一嘗一旨o ︒を参照︒
一163一
して表現される︒そのシンボルは︑例えば中国にある多くの博物館や記念碑によって国民的一体感を形成させ︑チ
ベットにある多くの破壊された寺院や長大な叙事詩によって民族としての共感を保とうとする︒この対立の基本的
K シュミットの言う司吋 2
ロ 仏
ロ ロ
弘 司
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山口弘の論理を弁証するものといえよう︒なぜなら︑シンボルによる
な 構
造 は
︑
国民的一体感を形成するストーリーは︑具体的なシンボルを介して権力構造を作り上げるからである︒さらに︑こ
の国民的一体性の形成は︑ポレミオス(公敵)を設定することを意味するからである︒もちろん︑権力構造の詳細
な分析も必要となるが︑ さらに重要なことは︑この権力構造の下で表現する手段を持たない︑あるいは喪失した
人々への視線である︒西部開発という経済的なグロ l パ リ ゼ 1 ションは︑政治的・文化的グロ l パ リ ゼ l ションに
比較して対立をそれ程生じさせていない︒開発は︑ その地域の伝統的ストーリーを崩壊させることは確かである︒
‑163‑
なぜなら︑圧倒的な均質化された物質の侵入の前に︑ それまで存在した人々による物質と意味の一致したストーリ
ーとしての重層的世界が瓦解するからである︒本研究では︑瓦解の後に散乱したアレゴリーの断片を拾い集めて︑
コンステラチオンとして措くことが課題である︒
チベット・ノート(→
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163対立
四川省甘孜蔵族自治州は︑行政上チベット自治区と区別された中国四川省内におけるチベット族の自治州であ
る︒一般に︑チベットは︑一九五一年中国によって軍事的にその政治システムに組み込まれたと言われている︒チ
ベットの中国による政治システムヘの編成という事態は︑中国とチベットとでは解釈が異なる︒この歴史的事件
は︑中国の立場では︑政治と宗教の一致するチベットにおける宗教的旧体制からの開放であるし︑チベットの立場
では︑中国の侵略と考えられてきた︒チベットという一定の地域を巡って︑中国は固有の領土であると言い︑チベ
ットは領土への中国の侵攻を訴えている︒
一般に︑こうした見解の相違は︑民族問題として捉えられ︑対立の構図で説明されてきた︒特定の事実を問題と
して捉えるということは︑起こった事柄を内なる記憶として刻印することである︒起こった事柄それ自体は︑自覚
されずに問題の外に放置されるのである︒なぜ︑このような事態が生じるのであろうか︒それは︑単に国家や共同
体が︑政治的なイデオロギーによる一体性を保とうとする傾向を持つということに由来するのみではない︒それ
は︑対立の構図と境界の場との問題とに由来すると言わざるをえない︒
対立の構図は︑相互の立場の相違から対立の関係を描いて見せるものである︒しかし︑その対立は︑必ずしも単
純ではない︒なぜなら︑対立は︑両者の対立関係によって表現されるのではなく︑それぞれの内部に存在するから
である︒例えば︑中国の内部に中国とチベットとの対立があり︑チベットの内部にチベットと中国との対立がある
一164一
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四川省甘孜蔵族自治州は︑行政上チベット自治区と区別された中国四川省内におけるチベット族の自治州であ
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一九五一年中国によって軍事的にその政治システムに組み込まれたと言われている︒チ
ベットの中国による政治システムへの編成という事態は︑中国とチベットとでは解釈が異なる︒この歴史的事件
は︑中国の立場では︑政治と宗教の一致するチベットにおける宗教的旧体制からの開放であるし︑チベットの立場
では︑中国の侵略と考えられてきた︒チベットという一定の地域を巡って︑中国は固有の領土であると言い︑チベ
‑164‑
ットは領土への中国の侵攻を訴えている︒
一般に︑こうした見解の相違は︑民族問題として捉えられ︑対立の構図で説明されてきた︒特定の事実を問題と
して捉えるということは︑起こった事柄を内なる記憶として刻印することである︒起こった事柄それ自体は︑自覚
されずに問題の外に放置されるのである︒なぜ︑このような事態が生じるのであろうか︒それは︑単に国家や共同
体が︑政治的なイデオロギーによる一体性を保とうとする傾向を持つということに由来するのみではない︒それ
は︑対立の構図と境界の場との問題とに由来すると言わざるをえない︒
対立の構図は︑相互の立場の相違から対立の関係を描いて見せるものである︒しかし︑ その対立は︑必ずしも単
純ではない︒なぜなら︑対立は︑両者の対立関係によって表現されるのではなく︑ それぞれの内部に存在するから
である︒例えば︑中国の内部に中国とチベットとの対立があり︑チベットの内部にチベットと中国との対立がある
のである︒対立は︑いかなる言い訳があろうともそれぞれの内部から常に再生産されるものといえる︒外部として
自覚されるのは︑他として認識された内なる外である︒内なる外は︑それぞれ他への推論可能性の領域として認識 ︵1︶ される︒推論可能性の領域としての内なる外とは︑内なる内を絶え間なく裏切り続ける差異化運動の力である︒そ
の運動は︑固定された境界を作らない︒
165 チベット・ノート(一)
〇三8U2窪Nρb懸Σ§ら鳴織肉愚蕊職§ワq男︒﹂3︒ ︒を参照︒
︵1︶注
境界の問題
国家の境界は︑国家の自己同一性の象徴として具体的につくられる︒確かに︑国境は︑象徴としては国旗や記念
碑あるいは慰霊碑などと同じ働きをするが︑それらと異なるのは︑現在における政治権力の直接発現の場なのであ
る︒そこでは︑公的な境界は︑政治的な対抗関係を作り出すことによって成立する︒国内におこる︑又は越境して
おこる絶え間の無い差異化・多数化は︑国家の自己同一化の運動を脅かす︒国境は︑ますます国家主体の定位の場
と化すのである︒
しかし︑具体的な国家の境界は︑常に生成し多様化し続ける差異化の現実とは異なる︒差異化の現実は︑内なる
差異化による他者の予測可能性を含む︒しかし︑その予測可能性は︑常に裏切られ続けざるをえない︒なぜなら︑
一165一
のである︒対立は︑ いかなる言い訳があろうともそれぞれの内部から常に再生産されるものといえる︒外部として
自覚されるのは︑他として認識された内なる外である︒内なる外は︑それぞれ他への推論可能性の領域として認識
される︒推論可能性の領域としての内なる外とは︑内なる内を絶え間なく裏切り続ける差異化運動の力である︒そ
の運動は︑固定された境界を作らない︒
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‑165‑
国家の境界は︑国家の自己同一性の象徴として具体的につくられる︒確かに︑国境は︑象徴としては国旗や記念
チベット・ノート(ー)
碑あるいは慰霊碑などと同じ働きをするが︑それらと異なるのは︑現在における政治権力の直接発現の場なのであ
る︒そこでは︑公的な境界は︑政治的な対抗関係を作り出すことによって成立する︒国内におこる︑又は越境して
おこる絶え間の無い差異化・多数化は︑国家の自己同一化の運動を脅かす︒国境は︑ますます国家主体の定位の場
と化すのである︒
しかし︑具体的な国家の境界は︑常に生成し多様化し続ける差異化の現実とは異なる︒差異化の現実は︑内なる
165
差異化による他者の予測可能性を含む︒しかし︑その予測可能性は︑常に裏切られ続けざるをえない︒なぜなら︑
我々が予想する定立された他者観念に対して差異化の現実は︑常に動いているからである︒従って︑差異化の現実
が境界を定立することが出来なければ出来ない程︑国境は︑国家の自己同一性の象徴として断固として定立し続け
る︒このように︑国境は︑不断につくり続けられるのである︒
自己同一性を求める象徴としての国境と︑どこまでも運動し多数化し続け︑自己同一性を裏切り続ける差異化の
現実とは︑相容れないものである︒ただ︑政治権力は︑あたかも自己が想定した他者を現実の友・敵であるかのよ
うに摩り替えるという場合がある︒かつて個の自律と共同体とが区別され︑その上で政治社会が考察された時代で
は︑﹁公敵﹂は﹁私敵﹂とは明確に区別された︒しかし︑個と共同体との境界とが流動的となった現在︑﹁公﹂を代
表して国家が︑﹁他民族﹂への文化政策やあるいは戦争を実行する際︑国家は政治的対立と文化的対立とをあえて
区別することなく︑あたかも対立が無いかのように︑あるいはその対立が決定的であるかのように見せかけること
がしばしばある︒そればかりか︑﹁私﹂も﹁公﹂を思考する際︑政治的対立と文化的対立とを同一のものと考える
ことは少なくない︒特に敵対する場面を想定すると︑公的な敵は︑ただちに私的な敵へと転換するのである︒
一166一
知的営為・権力・暴力
知的な営為とは︑構築するのみではなく解体することもその計算の中に入る︒いや︑もしかしたら︑知的な営為
とは︑すでに構築されたものをあたかも新たに構築するかのように︑あるいはすでに解体してしまっているものを
解体するかのように見せかける方法のことかもしれない︒政治的な知的営為は︑ミネルバの臭を待たずとも︑何の 我々が予想する定立された他者観念に対して差異化の現実は︑常に動いているからである︒従って︑差異化の現実 が境界を定立することが出来なければ出来ない程︑国境は︑国家の自己同一性の象徴として断固として定立し続け る︒このように︑国境は︑不断につくり続けられるのである︒
自己同一性を求める象徴としての国境と︑どこまでも運動し多数化し続け︑自己同一性を裏切り続ける差異化の
現実とは︑相容れないものである︒ただ︑政治権力は︑あたかも自己が想定した他者を現実の友・敵であるかのよ
うに摩り替えるという場合がある︒かつて個の自律と共同体とが区別され︑その上で政治社会が考察された時代で
は︑﹁公敵﹂は﹁私敵﹂とは明確に区別された︒しかし︑個と共同体との境界とが流動的となった現在︑﹁公﹂を代
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への文化政策ゃあるいは戦争を実行する際︑国家は政治的対立と文化的対立とをあえて
‑166‑
区別することなく︑あたかも対立が無いかのように︑あるいはその対立が決定的であるかのように見せかけること
がしばしばある︒そればかりか︑﹁私﹂も﹁公﹂を思考する際︑政治的対立と文化的対立とを同一のものと考える
ことは少なくない︒特に敵対する場面を想定すると︑公的な敵は︑ ただちに私的な敵へと転換するのである︒
知的営為・権力・暴力
知的な営為とは︑構築するのみではなく解体することもその計算の中に入る︒ いや︑もしかしたら︑知的な営為
とは︑すでに構築されたものをあたかも新たに構築するかのように︑あるいはすでに解体してしまっているものを
解体するかのように見せかける方法のことかもしれない︒政治的な知的営為は︑ミネルパの棄を待たずとも︑何の
167 チベット・ノート(一)
ために! 凄惨な諸事実を解決するために︑すでに秩序があるかのように︑もしくは秩序を回復する努力が確実に﹁
なされているかのように︑混乱のさなかに我々自身を引きずり出すためにあるのか︒混乱を収束させる目的で︑政
治的対立へと引きずり出すということは︑我々に必要な権力があることをいやおうなしに容認させる︒このいやお
うなしの力こそジャルゴンすお9としての根源的な権力なのだ︒この根源的な権力は︑さらにそれをいやおうな
しに認めさせる権力へと終わることなく続く︒それを終結させるために︑権力は︑それの成立の後に直ちに管理を
始めなければならない︒権力の絶対性を破壊させるこの危機を管理することが権力の第一の機能となる︒従って︑
権力による危機管理・安全保障とは︑そのための法の整備やそれに基づく制度を作り上げ実行するにしても︑目下
のところすでに起こってしまった危機に対する権力行使ということにならざるを得ない︒確かにそのことは︑権力
に行使のための説得性を与える︒しかし︑我々が無視出来ない点は︑権力行使の結果生ずる一つの表現としての暴 パ レ カの問題である︒アーレントが指摘するように︑権力は︑安定を構築することが出来るが︑暴力は権力を崩壊させ ハ レ ることは出来たとしても︑安定を構築することは決して出来ないからである︒精緻な技術としての政治における権
力の役割を無視して︑根源的権力と暴力とが結びついた時︑我々の生の事実として我々が見据えるのは︑このよう
な秩序の構築と解体の循環への確信なのではなく︑断片的に散乱している暴力により瓦解した諸事実のみなのでは
︵3︶
ないか︒
続く
一167一
た め に
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凄惨な諸事実を解決するために︑すでに秩序があるかのように︑もしくは秩序を回復する努力が確実に
なされているかのように︑混乱のさなかに我々自身を引きずり出すためにあるのか︒混乱を収束させる目的で︑政
治的対立へと引きずり出すということは︑我々に必要な権力があることをいやおうなしに容認させる︒このいやお
うなしの力こそジャルゴン︺包括︒ロとしての根源的な権力なのだ︒この根源的な権力は︑ さらにそれをいやおうな
しに認めさせる権力へと終わることなく続く︒それを終結させるために︑権力は︑ それの成立の後に直ちに管理を
始めなければならない︒権力の絶対性を破壊させるこの危機を管理することが権力の第一の機能となる︒従って︑
権力による危機管理・安全保障とは︑ そのための法の整備やそれに基づく制度を作り上げ実行するにしても︑目下
のところすでに起こってしまった危機に対する権力行使ということにならざるを得ない︒確かにそのことは︑権力
に行使のための説得性を与える︒しかし︑我々が無視出来ない点は︑権力行使の結果生ずる一つの表現としての暴
力の問題である︒ア l レントが指摘するように︑権力は︑安定を構築することが出来るが︑暴力は権力を崩壊させ
ることは出来たとしても︑安定を構築することは決して出来ないからであれ
o精微な技術としての政治における権
チベット・ノート(→
力の役割を無視して︑根源的権力と暴力とが結びついた時︑我々の生の事実として我々が見据えるのは︑このよう
な秩序の構築と解体の循環への確信なのではなく︑断片的に散乱している暴力により瓦解した諸事実のみなのでは
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続く
167
︵3︶ マ刈刈●
とでひとは暴力に慣れ︑暴力を制度化することになるからだ︒﹂匡きユ8霞98仁も8蔓蚕黛ミ貸義G︒ミ職Sミミミ博評冨口Oミ ことも言明することもないということであり︑革命的正義の上に刑法の仮面を被せることである︒なぜなら︑暴力を隠蔽するこ 文明の強威となるもの︑それは︑あるひとが抱いている思想のために彼を殺すことではなく︑彼を殺すに際して︑それを認める ⑤丁注 しかも︑暴力は︑隠蔽され制度化される︒﹁暴力を前にして︑ひとは憤慨し︑野蛮を声高に糾弾する︒しかし実際に︑重大で 頃餌目魯︾お&戸︑.Op≦o一窪8.︑︒ミ睦︒り魚聾ミ肉愚黛ミ貸Z①薯属gぎご$を参照︒
≦巴梓霞ωΦ三四ヨ一P貸錘ミ駄§Od轟忌駄ミ曾鴇ミらミ£霧O︒と﹄晦8§§象ミ§駄ミ一〇〇
︒o︒とを参照︒
※本研究ノートは︑一九九九年短期在外研究による成果の一部である
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文明の強威となるもの︑それは︑あるひとが抱いている思想のために彼を殺すことではなく︑彼を殺すに際して︑それを認める
ことも言明することもないということであり︑革命的正義の上に刑法の仮面を被せることである︒なぜなら︑暴力を隠蔽するこ
とでひとは暴力に慣れ︑暴力を制度化することになるからだ︒﹂富山口ユ
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‑168‑