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小学校英語活動 ―現場からの報告―

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Academic year: 2021

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 早期英語教育を求める声の高まりを受け,2011年度から小学校において英語活動が導入 される事になった。それに先駆け,既に多くの学校で自主的に英語活動が始められている。

 筆者は子供が小学校に在籍している事が縁で,昨年度(2008年度)英語活動のボランティ アをする機会に恵まれた。小学校の英語活動については英語教育に携わる専門家から様々な 意見が出されているが,現場では専門家によって議論されている問題以外にも色々な事態が 起きている。本稿では小学校英語の現状把握の一助になる事を目指し,筆者が遭遇した,い くつかの問題点について述べたい。

1.教員に関する問題

 文科省は小学校に英語活動を導入する事を決めたが,その導入の仕方が性急であったため に,非常に大きな問題が起きている。

 英語という一般の教員が話せない言語活動の導入であるのに,英語が話せる教員を配置す ることは現段階では行われていない。地域で英語ができる人がいれば,ボランティアで入っ てもらうという方針である。

 ボランティアに頼ると言う事は,指導する側の英語の能力もまちまちで,どの生徒にも同 じ条件で教育を受けさせる事は難しいと思われる。また,地域によっては全くボランティア がいない場合も数多くあることは容易に推測できる。ここで問題となってくるのは,国の政 策であるのに,正規の教員ではなく,ボランティアをあてにするような状態だという事であ る。公教育という性質を考えれば,最初から子供たちが同じ条件で受けられない,という今 回の導入は時期尚早と言うべきであろう。

 小学校の教員は様々な業務に時間を取られ忙しいというのはよく聞く話であるが,小学校

小学校英語活動

―現場からの報告―

大 門 樹久世

(2)

での英語活動は,そのような小学校の教員にさらに自分の専門でもない,英語活動の授業に ついて考えたり,教材を作ったりする事を余儀なくさせている。筆者の知る限り,若い先生 方は意欲的に英語活動に臨んでくださっており,今までの仕事に加え英語活動の準備も楽し んで工夫されている。一緒に活動していて本当に頼もしい感じがする。しかし,言い換えれ ば,文科省は小学校の教員に今まで以上の,さらによくわからない内容に関する仕事を課す のを当然の事としているのである。勤務時間内にできなければ,時間を延長してでも準備を する事になる。このような自分の時間を削って英語活動に充てる,ボランティア的な貢献を 前提とした導入は問題であろう。

 また,性急な英語活動の導入は,教員と生徒の関係にも悪い影響を与える可能性がある。

子供たちの前で英語ができないのにできる振りをするのは,子供たちをだます事になるの で,多くの教員は正直に「先生はあまり英語が得意ではありません」と言わざるを得ない。

小学校に配布される文書や,小学校の英語担当の教員が参加する英語活動の研修会などで,

「小学校の先生たちは英語を学習している人のモデルを示せばよい,英語が話せる人のモデ ルとなる事はない」,と指導されているので,「先生も皆さんと同じように英語を学んでいま す。」という言い方になる。しかし,実際教員がそのように話すと,「えー先生英語できない

んだ

?」とか英語を言った時に「先生発音違う!」と生徒が言う場面もよくある。子供たち

は他の教科では,先生は何でもよく知っている存在として認識していたのに,英語に関して は先生がよく知らない,さらに英語を習っているような子にとっては,先生の方が自分より できないという事になる。常日頃から子供たちとの良好な関係を築いていれば,このような 事態も問題にならないかもしれないが,子供たちとの信頼関係がうまく築けていない場合は,

それがきっかけで先生を馬鹿にするような雰囲気がうまれる危険性がある。子供たちを指導 する立場にある先生は,教える内容については生徒に先んじているべきである。先生は何で も知っているという安心感があるからこそ,子供たちも意欲的に学ぶ事ができる。その安心 感を壊すような場を作る事は,他の教科の学びに対しても害を及ぼす可能性がある。

 生徒に与える影響でもう一つ心配なのは,教員が英語に劣等感を感じている場合である。

外国人の

ALT

の前で,何を言っているのかわからず不安げな顔をしたり,卑屈な態度をとっ たりする。小学校の教員は英語を教えるための教育は受けていないので,本来英語が話せな い事に後ろめたい気持ちを持つ必要はないはずである。しかし,先生という立場上どうして も「できないのは恥ずかしい」という気持ちが生じてしまう。教員のこのような態度に接す ると,子供たちも英語を話せない事は恥ずかしい事なのだ,というメッセージを受取り,自 分も英語がわからない事を恥ずかしい事だと思い始める。その結果,小学校のうちから英語 に対して劣等感を持ち始める可能性が高くなる。

(3)

2.発音に関する問題

 英語が全く話せない教員が担当する事を想定して,文科省は音声教材(CDなど)を用意 している。しかし,実際にはそのような機材だけでは授業は行えない。次のような場面が出 てきている。教員が

CD

を流して生徒にリピートさせる。しかし,子供たちにとって全く知 らない言語なので,口の動きも見ずに

1

回目でリピートするのはかなり高度な作業である。

小さい声でリピートしたり,全く声に出せない生徒もいる。先生が大きな声で発音するよう に促しても,CDの音声のみではなかなか生徒はついてこない。また,CDをいちいち戻して リピートさせるのは,なかなか面倒な作業である。やむなく教員は,自分で声を出し「見本」

を見せて発音させる事になる。

 この場合の問題は,学習の最初期という重要な時点で,英語を知らない教員の日本人的英 語を学ぶ事になってしまう点である。つまり子供たちは本来の英語とはかけはなれた音を,

英語の発音として覚える可能性が出てきているのである。CDを併用しているので問題はな い,という事なのだろうが,子供たちが日本語的に発音された,子供たちに取ってはわかり 易い発音となじみのない英語らしい発音を聞かされた場合,どちらを覚えるかと言えば,子 供たちに取ってわかり易い発音である事は容易に想像できる。

 私がボランティアをしている小学校では教育学を専門にしている大学の教員の指導を仰い でいる。その教員による小学校の先生対象の講演会では,次のような発言があった。「小学 校の先生は日本語的な発音でも構わない,正しい発音は英語の先生である,中学校の先生が 直してくれるので,小学校の先生は堂々と日本語的な英語を使って授業をして下さい。」こ の教員は一度身に付いた発音は容易に修正可能だと考えておられるようである。しかし,一 度身についた間違った発音は簡単には直らない,というのが,私を含め多くの専門家が持つ 意見であろう。自分自身の学習経験からも,数多くの学生を指導してきた経験からも,一度 身についてしまった癖を直すには,最初から正しい発音を覚える場合に費やすであろう時間 よりも,はるかに長い時間が必要になると思われる。さらに,中学校で発音を矯正される機 会に恵まれなかった生徒の場合には,小学校で身に付けた不適切な発音が一生残ってしまう 事になるのである。前述の専門家の発言が文科省の考えを代弁しているとすれば,生徒の将 来を考えれば,教育に携わる専門家としてはあまりに軽はずみな姿勢ではないだろうか。

3.テキストに関する問題

 2008年度の時点では,指定の教科書がないため,市販の教材が使用される事が多かった。

教授経験のない,専門外の内容であるから,当然,教材選定の判断は難しくなる。市販の教

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材には問題のある物も少なくないが,たとえ不適切な教材であったとしても,専門外の先生 にはその判断が困難で,そのまま教えてしまうという危険性が出てくる。

 私がボランティアをしていた小学校では数冊の市販教材を購入し,その中の一冊を中心に 英語活動が行われていた。その教材の中に,動物の名前を覚える課があった。子供たちに覚 え易いように動物の絵のカードが作れるようになっていたり,覚えた動物の名前を使ってで きるゲームが紹介されていた。授業では,まず,子供たちにその絵カードを使って動物の名 前の練習をさせて,次にゲームをさせる。最初は双六のように絵が並んでいるシートを使っ て,さいころを振り,順番に並んでいる動物の名前を言わせ,単語の定着をはかる。単語を 言うのに慣れてきたら,次の段階として,さいころの目の数分進み,止まったところで,

I like Koalas

と言わせる様に指示されている。しかし,教材の指事は「

I like Koalas

と言 わせましょう」と書いてあるだけである。これだけの説明で,

I like

〜 と言う文の時には,

その後の単語は基本的には複数形になるのだったな」,と気づく教員はどれだけいるだろう か。また,子供達の前で見本を見せる時に,きちんと

-s

をつけて提示できる教員はどれくら いいるであろうか。

 さらに,問題となるのは,その絵カードの中には,sheep及びmouseが含まれていたこと である。sheepは単複同形の語,mouse

miceと言う不規則な複数形を持つ語である。英語

を専門にしていない教員の場合これらの語の特異性に気づかずに「I like mouse.」と言って しまう可能性がある。現に私がボランティアをしている小学校の先生も,私が指摘するまで この問題に全く気づいていない状態であった。

 2009年度からは文科省の『英語ノート』が配布されたが,驚いた事に,同様の問題が見られ,

改めて文科省の英語活動に対する姿勢に疑問を持たざるを得なかった。

4.親の期待とのギャップ

 英語活動が導入されるという話を聞いて,多くの親は喜んでいるようである。自分たちは 英語が話せないのでせめて子供には英語が話せるようになってもらいたい,そう多くの親は 考え,早くから英語に触れればうまく話せるようになるだろうと期待しているからである。

この親の期待は,週一回程度の授業では,学習効果をあげる事は困難であろうという専門 家の意見とは大きな隔たりがある。例えば,小学校への英語活動導入に賛成している冨田

(2004:163)でさえ「これまでの研究結果から分かる通り,小が校で英語を「外国語」とし て学習し始めたとしてもそれほど驚くべき学習効果が得られるわけではないからです。」と 述べている。英語活動を始めて,数年経っても子供達に英語の力がついてない事が明らかに なると小学校は親から説明を求められるだろう。その点に現場の教員,特に校長は懸念を示

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している。

 文科省は「小学校外国語サイト」で小学校への英語活動は「音声を中心に外国語に慣れ親 しませる活動を通じて,言語や文化について体験的に理解を深めるとともに,積極的にコミュ ニケーションを図ろうとする態度を育成し,コミュニケーション能力の素地を養うことを目 標とする」と述べている。英語の力を伸ばすのではなく上記の内容を目的とするのであれば,

それを国民に周知させ,国際理解が促進されるような授業のやり方を示し,それを現場の教 師に十分浸透させてから導入すべきであろう。そのような手順を踏んでいない現在の導入で は,いずれ不満が親から出され,それに小学校が対応しなければならない事態になることは 目に見えている。

 以上,筆者の経験を基に,現在の小学校の英語活動の問題について述べた。かつて多くの 反対を押し切って導入された「ゆとり教育」はその弊害が指摘され,文科省は方針を転換せ ざるを得ない事態におちいった。英語活動も現状のままではゆとり教育と同じ轍を踏む事に なりかねない。現場の声を聞き入れ,早急な見直しを行う事が必要であるように思う。

参考文献

冨田祐一(2004)「国際理解教育の一環としての外国語会話肯定論」『小学校での英語教育は必要か』大津 由紀雄編 pp. 149〜186 慶応義塾大学出版会,東京

文科省小学校外国語活動サイト

  http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gaikokugo/index.htm

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