• 検索結果がありません。

ChristaWolf の『原発事故』

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ChristaWolf の『原発事故』"

Copied!
26
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

169

Chr i s t aWo l f の 『 原発事故』

中 川 勇 治

1 9 8 6 年 6 月 か ら 9 月 にか けて約 3 カ月,東 ドイ ツ ( 当時)の女 流 作 家

Chr i s t aWo l f( 1 9 2 9 年生 まれ)は, その年の 4 2 6 日に起 きたチェル ノブイ リ原子力発電所 の事故 ( 以下,原発事故 と省略す る) を題材 として一 つの作 品 を生み出すべ く努力 した。その結果 は翌年 Au f ba u 社 か ら出版 され,さらに その年 の うち に西 ドイ ツ ( 当時)の 出版 社 Lu c h t e r ha nd か ら叢 書 の一 つ ( SL7 7 7) として翻刻 された。題名が 『 原発事故』とされた この作 品 は, ジャ ンル をきめかね るような言語構成物 で,文学 テクス トとで も呼ぶ以外 に名付 けようが ない。

まず,原発事故が起 こって 1 カ月ほ どで執筆 に取 り掛 り, 3 カ月で仕上 げ た とい う Wol f の付記が事実な ら,彼女が本来 どれ ほ ど速筆 の作家で あろう と,この作品 は異常 に速 く完成 させ られた ものである。従 って この事実か ら, まず彼女が素材 となるチ ェル ノブイ リ原発事故 に,おそ ら く,実 に強烈 な衝 撃 を受 け, それ を遮二無二文学的表現 に したい と願 った こと,次 いで, その 表現 を小説 とか,戯 曲 とか, あるいは映画 シナ リオ とかの形式 に封 じ込 める ための心の余裕が なか った ことな どが推測 され る

それで も形式の ことを問 題 にす るな らば,結局, この作 品 は事故の起 こった 「あの 日」 を,主人公 と

して設定 された初老の女流作家 の一 日の暮 しの記録 ( 主人公 の感情 の動 き, 想念 の飛躍,思考 の うね りな どがル ティー ンの時間軸 に沿 って展開 され る) として反映 してい るのであるか ら, それ も読者 を意識す る とい うよ り,主人 公の心理 の忠実 な再現 をめざ しているようであるか ら, 日記の一種 と見倣せ

るであろ う

チェル ノブイ リ原発事故が素材 として ( 素材 とい うには圧倒的 な重 み をも

つ現実で はあるが) Wo l fの強 い関心 を惹 いた事情 は,彼女が 1 9 8 3 年 に発表

(2)

した " Ka s s a n d r a "のテーマ を想 い出すだ けで容易 に理解 で きる。一族 の滅 亡 を悟 って, それ を予言 した霊媒 カサ ン ドラは, その予言が聞 き入れ られな い定 めにある。 これ は文学 による現実の洞察 あるいは透視が,今やあ まりに も巨大 な現実 に よって圧 し潰 され かね ない窮地 に陥 った ことと同断 であろ う。 巨大 な現実 の圧迫,威嚇 とは, この前作 の場合,核戦争 による地球 の荒 磨, そ して人類 の滅亡 を意味 していた。従 って,Wol f が 「 原子力平和利用」

の歴史 における最悪 の大災害 に直面 して, その体験 を自分 の言葉で語 ろうと す る強い欲求 に馬 区られた ことは当然 であろう

チェル ノブイ リ原発事故 は,私的 な生活圏の内部 で処理 し,過去 の歴史的 事象 として まつ りあげることの出来 ない公的 な事件 で,現在 も未 だその影響 が見 られ, いわ ば,汎地球的規模 で,人類全体 に関係す る現実 の問題 を形成 してい る。 いったい, この ように巨大 な現実 を,ついには自我 とい う砦 を離 れ ることので きぬ文学者 が どの ようにして ( そのジャンルが何 であれ)一つ の作 品の中 に封 じ込 めることがで きるのか。 そ もそ もその方法 は存在す るの か。W ol fはいかなる道 を辿 って,自分 を聾動 させた現実 の文学作 品化 を試 み たのであろうか。 テクス トを足掛 りにその努力 の跡 を追 ってみたい。 その追 跡 に入 る前 に,チ ェル ノブイ リ原発事故 の概要 を想 い出 してお こう。つ ま り, 現実 の大 きさを確認 してお く必要がある。

参考文献 によれ ば① ,1 9 86 年 4 月 26日午前 1 時 23 分, 当時 の ソヴ イエ ト 連邦 ウクライナ共和国の首都 キエ フか ら北方へ約 1 30 キロメー トルの地点 に

あるチェル ノブイ リ原子力発電所 で,第 4 号炉が二度 にわたって爆発 した。

このため原子炉 を格納 している建築物 の屋根が吹 き飛 び, 中空 となった個所 か ら大 きな火 の塊 が出現 した。続 いて猛烈 な火災が発生,炉心の中の放射性 物質が 3‑ 4パーセ ン ト大気 中に放 出 され,やがて気流 にのって拡散 した。

当該原子炉 は, RBMK‑ Re a kt o r ( 黒鉛減速軽水冷却炉沸騰水型)と呼 ばれ る

( 彰 参考文献 A , B,C , D,E , F

(3)

Chr i s t aWo

lfの 『原発事故』

17 1

ソ連独 自の設計,建設 によるもので,電気 出力 は 1 00 万 キロワ ッ ト。核分裂 反応 の減速剤が,西欧諸国の原子炉 と違 い,水 ではな く黒鉛 を用 いるタイプ であったが, この時, その黒鉛が炉心内の異常高温のた めに燃焼 したのであ る

元来,黒鉛 はきわめて燃焼 しに くい物質だが, 一 旦燃 え始 める と,今度 はまことに消 えに くい。 このため炉心内の消火活動が困難 をきわめ,砂,鉛 その他 の消火材料 を‑ リコブタ‑で投入 す る作業 もなか なか進 捗 しなかっ た。完全 に消火す るまでに 1 2 日間かか り,多 くの消防隊員が生命 を失 なった。

さて事 故 の原 因 は, この年 の 8 月 1 4 日 に ソ連 政 府 が 国 際 原 子 力 機 関

( I n t e r na t i o na lAt o mi cEne r gyAge nc y. 略称 : I AEA) へ提 出 した第 1 回 目 の事故報告書 によると,蒸気 ター ビンの慣性運転 の実験 中に各種 の安全装置 が残 らず切 られた ことであった。 この安全装置の一つが もともと原子炉 を自 動停止 させ るシステムであったため,炉が停止せず炉心 内の熱が異常 に蓄積

され,結果 として手の施 しようのない連鎖反応が起 こり,出力が急上昇 し, やがて爆発 し,火災が発生 した。つ ま りは,一連 の不幸 な人為 的 ミスに帰着 す る事故 であった。

人命 の犠牲 は,発表時期 によって数値 に変化が あるが, まず爆発時 に原子 力発電所 の職員 2 名が即死,その後,消火活動 中の放射線被曝 によ り 1987 年

5 月末 までに 31 名が死亡 してい る

また炉 の爆発後 に放 出 された放射能 は,最高時 に 20 0 万 キュ リー, また炉 の火災が続 いた全期間中のそれ は,計 5, 000 万 キュ リーであった。後者 は, 1 945 年広 島 に投下 された原子爆 弾 のそれの 30 倍 か ら 4 0 倍 に達 した こ とに

なる。

放射線被曝 による人命 の危険が迫 り,事故現場周辺の住民が強制的 に疎 開 させ られた。4 月 27 日にまず 45, 000 人,さらに一週間以 内 に現場 よ り 3 0 キ ロメー トル圏内 に住 む人々 90, 000 人が緊急避難 を余儀 な くされた。結局, チ ェルノブイ リ周辺 の 1 79 町村 ( 開拓地 も含 む)が疎開 によって無人 となっ た。

さらに,原子炉爆発 の際,強 い放射線 を浴 びて放射線 障害 にかか り,入院

(4)

治療が必要 となった周辺住民 は 50 0名以上 にのぼってい る

被曝 によ り今後 癌で死亡す る と推定 され る人々の数 は, 学者間で も一致 した見積 りはないが, 支配 的な見解では,世界全体 で数千人 と予想 されている

ただ し,直接 チ ェ ル ノブイ リ放射線被曝者 の治療 に従事 したアメ リカ医者 R. P. ゲイル は, こ の癌死亡者 の数 を,今後 5 0年間 に 50, 0 00人 と見ている②。 それ に,被曝者の 次の世代 に出生欠損,遺伝的異常が発生す る危供が ある。

この原発事故 はその影響が事故 を起 こした当事国 に とどまらず,国境 を越 えて主 として ヨー ロッパ諸国で あるが,他 の国々 に も及 んだ最初 の ( 願 わ く は最後 の)例 である。爆発が起 こった ときの気象状況 によって ( 風 は北東の スカ ンジナ ビア方向に吹 いていた) 放射性物質 を含 む雲 は, まずポー ラン ド, スカ ンジナ ビア諸 国へ拡散 し,次いで程 な く中部 ヨー ロッパ の広範 な地域 に 達 した。 なおチェルノブイ リの大惨事 が世界 中に報道 された きっか けは, ソ 連 当局 の発表ではな く,事故 の二 日後 にスウェーデ ンで異常 に高い数値 の放 射能 が検 出 された ことで あった。放射性物質 の分析結果,原子炉 にしかない 核分裂 の生成物 セ シウム 1 34 が認 め られたのである、 。世界 は事故発生の三 日 後 になって ようや くこの凶報 に接 した。東欧諸国, スカ ンジナ ビア諸国そ し て中部 ヨー ロッパ の諸国では農産物 の放射能汚染, 自然環境 の破壊が起 こり 社会的不安が醸成 された。原発事故 は もはや一国の問題 で はな く,汎地球的

な, 人類 の生存 にかかわ る深刻 な脅威 的事件 となったのである。 米 国カ リフォ ルニア州 ロー レンス リバ ーモア国立研究所 の観測す るところで は,チ ェル ノ ブイ リの惨事が大気 中に放 出 した放射能 は, これ まで世界 中で爆発 したすべ ての核兵器 ( 実験 も含 めて)か ら生 じた放射能総量 の三分 の一 に当た り,今 後長期的 に大気圏 を汚染 しっづ ける とい う。

なお,チ ェル ノブイ リの放射 能汚染 について,19 94 年現在 の状 況 を見 る

② A. 下巻 1 4 4 ページ

(5)

Chr i s t aWo

lfの 『原発事故』

1/ ' T 3

と③,事故後 ,1 3 6, 0 0 0 人が強制疎開 させ られたが,大気中 に放 出 された放射 性物質の四分 の三 が降下 した 白ロシャでは,今 日もなお 2 0 0 万人以上 の住民 が汚染地域 に残 ってい る。自ロシャの町 Go me l で は 1 9 8 6 年か ら 1 9 9 4 年 まで に甲状腺癌 ( Sc hi l d d r t i s e nkr e b s ) の擢病例が 1 0 0 倍 に達 した. ロシ亘の原子 物理学者 たちは 1 9 9 4 年現在 の見積 りとして, 旧 ソ連邦 の領域 に住 む人々 は チ ェルノブイ リ惨事 による放射能汚染 のた め ,2 0 0 3 年 まで に 1, 5 0 0 万人 が死 ぬだ ろうと発表 している

しか もソ連邦解体後 のウクライナ共和国で は,エネルギー不足 のた め国内 需要電力 の 7 パーセ ン ト余 を事故 をまぬがれたチ ェル ノブイ リ原発 の他 の原 子炉 によって まかなっている。それ も第 4 号炉 と同 じ RBMK‑ Re a kt o r で, I AEA が今 日世界 中で もっ とも危険度が高い と見ている ものであ る

本来 は

1 9 9 3 年 までに運転停止 の予定であった。 また I AEA の検査で は 2 0 万 トンの コンク リー ト,鋼鉄か らなる被覆部分が現在脆弱化 し,第二 の コンク リー ト 被覆工事が計画中である

で は以 上 の叙述 に よって概 略が明 らか になったチ ェル ノブイ リ原発 事故 は ,Wol fの作品の中で どの ように描 き出 され,どの ような意味 を与 え られた であろうか。

まず作者 自身の現実体験 は,テクス ト自体が反映す るように,東 ドイツ ( 当 時)で得 られた もので, チェル ノブイ リの事故現場 にあって消火作業 に献身 した り,放射線障害 の人々の治療 に当たった り, あるいは強制疎 開の指揮 を す るとい う直接的,第一次的な活動か ら得 られた体験で はなか った。だか ら この作品 は,い うなれ ば,隣家 の火災の とばっち りを食 い,類焼 のおそれが あったた め防火の準備 に忙 しか った人が後 になって火災の恐怖 を語 っている 趣 きが ある 。Wol fに とってチェル ノブイ リ事故 は,人類 の自己破壊への衝動 が具体化 した ものであった ろうが,現実生活 の上で は放射能汚染 による生鮮

③ F.3 7 3 ページ ,3 7 9 ページ

(6)

食料 品の不足や欠乏が問題 になった程度で あ り,す ぐさま生命 の危険 に曝 さ れ るとい うイ ンパ ク トを感 じたわ けで はない。従 って彼女がメクレンブル ク の‑寒村 に独居す る初老 の女流作家 を主人公 に仕立 てて, その一 日を措 いた 作品 は,た とえば,シェフチェンコとい う監督 が 自分 の生命 と引 き替 えに撮 っ た チ ェル ノブイ リ原発事故 の記録 映画④の ご とき圧倒 的 な迫力 を持 ち えな い。 いや,少 な くとも表面的 には人々 の興味 を強 く惹 くところがない。

しか し,おそ ら く Wol fの眼 目は,事実 あるいは題材 の特異 さによって読者 の関心 を得 ようとす る ことで はな く,刺戟的 な事実 の世界 を根底 で動か して い る人間の妄執 もし くは 「 盲点

をえ ぐり出す ことにあった と思われ る。 い ずれ にせ よ, Wol fは自分 のチェル ノブイ リ体験 が第一次的 な直接性 を欠 い てい ることを充分知 りなが ら, なおかつ, 自らの体験 の意味 を問 う形 で真撃 に努力 した ようで ある。

で は, Wol fの作品 に入 ってい こう

副題 ( Nac hr i c ht e ne i ne sTa ge s ) が示す ように, この作 品 はあの 日,つ ま り,事故 の当 日に伝 え られた, あるいは耳 に入 って きた様 々な次元 の報道, 噂話,電話 での会話 な どに,主人公 とおぼ しき初老 の女流作家が反応 し, そ の都度経験 す る感情 の起伏,心理的動揺, そ して折々の断片的思索の跡 を, いわ ば, その一 日の拡大 された詳細 な 日記 として ‑ 少 な くとも日記 の記述 な ら,起 きてか ら寝 るまでの時間 によって一 つの まとま りを得 る‑ 記録 し た もの と言 えるであろう

つ ま り,彼女が 自らのチ ェル ノブイ リ体験 を言語 化す るために選 んだ道 は,告 白 とはいわない まで も, 自分 の経験 にい くらか のフィクシ ョンの覆 いをか けただ けで, .その まま率直 に語 ることであった。

「 私」とい う一人称 で登場 す る主人公, あるいは日記 の記録者 は,繰 りか えL にな るが, 当時の東 ドイツはメクレンブル ク州の田舎 に独居す る初老の女流 作家 で,原子力発電 とは関係が な く, またその知識 も皆無 に近 い普通 の市民

④ B.1 6 6 ペ ージ ,1 9 3 ペー ジ

(7)

Chr i s t aWol

fの 『原発事故』

17 5

とい う設定である。 この女性 は作 品執筆 のかたわ ら庭 に花や野菜 を植 えて田 園生活 を楽 しんでいたが, その快適 な 日常生活が,「あの 日」突如 として根底 か ら揺 るぎ出 し,彼女 の心 の中に存在 の危機感 が芽 ばえる。彼女 は狼狽 し, 驚博 し, ヒステ リックに反応 し, そして次第 に核 エネルギー利 用 を推進す る 人間たちの背後 に潜 む人間性 の欠陥,人 間精神 の盲点へ と思索の触手 を伸 ば してい く

作 中の他 の登場人物 はた しか に作者 の断 り書 き通 り,作者が頭 の 中 で考 え出 した架 空 の人 物 で あ る と受 け取 って もよいが,主人 公 自身 は Wol fその人が フィクシ ョンの衣 をま とった姿であろう

彼女 は作中で,「ロ ン ドンにいる年老 いた友で,私 と同姓 の婦人」 の ことに触れているが, この 婦人 とは,かつて ドイツか らイギ リス‑亡命 した Char l o t t eWo l j fの ことで, 作者 Chr i s t aWo l f は図 らず も作 中の 「 私」と自分が同一 の存在 であることを 洩 らしたか に見 える。勿論 これ は Wol f の技巧であ り,意 図 した漏洩 ともい う べ きもので, 自分であ りなが ら同時 に自分 で はない, とい うフィクシ ョン独 特 の 自由を獲得す る手段であろう。

さて, この作者で もあ り作者で もない 「 私」には,作 中で 5 3 歳 とされた技 術者の弟がお り,偶々 「あの 日」朝 7 時か ら遠 く離れた都市 の病野で,脳腰 癌 の外科手術 を受 ける ことになっていた。「 私」には, この ように私的な範囲 で も 「あの 日」 は心配 の種が あ り,決 して他 の 日と代替 可能 な任意 の一 日で はなかった。 この肉親への心配 とサ ンヨーの小型 ラジオか ら刻々 と報ぜ られ るチ ェル ノブイ リ原発事故のニ ュース とが交互 にか らみ合 って,時間 を進行 させ,緊迫感 を深 めてい く。しか し Wol f は,この二 つの心配事 を頭 の中で何 度 も蒸 し返 し,反易す る とい う心理描写 を作品の柱 としなが らも, 日常の習 慣化 した行為 の叙述 を省 いた りは しない。 む しろ, 「 朝起 きて,顔 を洗 って

‑‑」式 のルテ ィー ンを克明 に記録 しなが ら, その 日常性 の さ中に頭 をもた

げる不安 や恐怖 の感情 を連想 の形で点描 してい くのであ る。 それ は作者が 日

常性 とい う堅 固 な習慣 が人 間 を護 る砦 で あ る と観 じてい るか の よ うで もあ

り, また, その堅固な砦 さえ徐々 に土台か ら削 り取 ってい くほ ど原発事故 の

脅威 が大 きい と語 っているようで もある。 ともあれ, 日常性 の描写,記述 は

(8)

主人公が朝起 きて夜寝 るまでの時間 をうま く埋 めてい く

ただ し, この作品 は「あの 日」 ( 先 に も述べたが, チェル ノブイ リ原発事故 は事故 当 日に発表 さ れたのではな く,三 日後 に世界 中に知 れ渡 った)の体験 を,素朴 に, いわば 生地 の まま振 り返 って再現 しているので はない。「 私」は,事故が発生 してか ら, それが人 間生活 に及 ぼす重大 な作用,影響 についてマスメデ ィアに教 え られ, 自らもその情報 を もとに考 え始 め, いろいろ と憂慮 した挙句, もう一 度 「あの 日」を振 り返 るのである

い まや事態の意味 を悟 った 目で 「あの 日」

一 日の習慣的行動 を改 めて検討 し直す。従 って,作 品の中で 「 私」が何 も知 らない白紙 の状態 にあって事故 のニ ュースに驚博す る とい う素朴 な反応 が措 かれ るので はない。実例 を見 よう

冒頭 で 「 私」 は, これか らいつの 日か, 桜 の花がパ ッと満開す るような ことが あって も,桜 の花が爆発 した ように咲 き誇 った . ( di eKi r s c hb包umes i nde xpl odi e r t ) とは考 えないつ もりだ と言 う

.

「 爆発す る ( e xpl odi e r e n) 」とい う言葉が,チ ェル ノブイ リの爆発事故 とわか ちがた く結 びついて しまったのだ。 しか も永 い厳 しい冬が終 った この年 の春 は, まさに 「 緑が爆発 している 」 ( de sGr i i ne xpl odi e r t ) とい う表現が もっ とも適切であると思われ るのに。続 いて 「 私」 は, はるか未来の彼 方 にあっ て, 自分 の創作活動 の ご く初期か ら, 自分 の行動, 自分 のあ り方 を注意深 く 観察 しはじめた審判部局 ( I ns t a nz) がある と言い出 し, その裁 きの場 に向 っ

て,「 私」は今 か ら先 は もう何 ものに も束縛 を感 じない ようにす る とほのめか す。つ ま り,今後 は何 で も自分 の好 きな ようにや る,就 中,や りた くない こ とには, もう‑切手 をつ けない とい うのである。 さ らに 「 私」は語 を継 いで, このやや不明確 な表現 を敷術す る

すなわち, はるか に遠 い未来 にあって, これ まで 自分 のすべての行動 の措 く線が 目指 していた到達 目標が こなごなに 爆破 されて しまった,原子炉 内部 の核分裂物質 と共 に溶融 しなが ら消滅す る ところであった云々。 これ はまことに唆味 な,持 って回った表現で あるが, おそ ら くは神 とか絶対者 とかいった存在 を示唆 してい るのであろう。「 私」は,

この ことを注釈 して,未来 か ら自分 を見守 る 「あの 目差 し」であ り, それ以

上 の もので はない と言 う

結局, ここで取 りあげ られた 「 審判部局」にせ よ,

(9)

Chr i s t aWo

lfの 『原発事故』

177

「 到達 目標」 にせ よ,いずれ も, 「 私」が若 い時期 に自 らの行 く手 を導 くもの として心 に決 めた人生 の命題,人生 を意義 あ らしむる虎姫 を意味 している も の と解釈 で きよう

してみ る と,「 私」に とって はチェルノブイ リの原発事故

と共 に,人生 の意義,人生 の 目的が消滅 した ことになる。勿論 I ,, , I ns t anz "な る表現 は,「 私」が信頼 して きた にせ よ,外的な制約 を含 み, あるいは 「 私」

が 「 労働者 と農民 の国

で感 じ取 り,心 の奥深 くしまい込 んでおいた怨恨 が 言わせた言葉か もしれぬ。 しか し, いずれ にせ よ,「 私」なる初老 の女流作家 に とってチ ェル ノブイ リは従来 の生活信条 の終 りを意味 したわ けで,「あの 日」全体 の結論 となってい る

この 日記 めいた作 品の展開 は,先取 りして提 示 された結論 を裏付 ける形 となる

そ こで 日常生活 のルテ ィー ンが綴 られて い くが, その個々の描写が絶 えず原発事故 と結 びつ き,連想 が作品進行 の重 要 な技巧 となってい る。

「 私」の 日常茶飯事 を簡単 に追 いなが ら,連想が どの ように働 いているか を 見 てみ よう。

「 私」は 「あの 日」の朝, ほ とん ど毎 日の ように繰 り返 す ことなが ら, 自分 の家の青 い ものが芽生 えたばか りの庭 に侵入 して きた隣家の 白色 レグホンを 追 い払 うのに懸命 だった。庭 の菜園 に播 いた種子 をほ じ くり出 して食 べて し まう鶏 には,「 私」は毎度 なが ら腹 を立ててい るのである

この鶏 どもの唯一 ましな点 は,「 私」が シ ツ, シツと声 を挙 げて追 うと, ち ょっ と戸惑 った様子 を見せ るが, ともか くも 「 私」が追 い込 もうとした隣家 の庭へ戻 ってい くこ

とである

「お前たちの産 む卵 はお前たちの ところに置 いておけばいいの よ」

と 「 私」 は意地 わ るい喜 び を感 じなが ら心 の中で咳 く。 おそ らく 「 私」の菜 園 を荒 しにきた鶏たちが,いつかその場 に卵 を産 んだ ことが あった らしい。

主人公 の 日常生活 は, この ようにご く平凡 なシー ンで始 まるように見 える。

しか し,すで に述べた通 り, 日常 のルテ ィー ンの描写 は素朴 な,表面通 りの 意味 を伝 えるだ けで はない。原発事故 を経験 した者 の批判的な眼で,「あの 日」

の ことをあ らためて顧 みてい るのだ。 白色 レグホ ンの侵入 は, チ ェル ノブイ

リか ら流れ込 んだ放射能 を示唆す るし,鶏が主人公の庭 に産卵す る ことは放

(10)

射能汚染 をほのめか してい る。とすれ ば,「お前たちの卵 はお前たちの ところ へ置 いてお け」 とい う考 えには,チ ェル ノブイ リ原発事故 を惹 き起 こした ソ 連 に対 す る非難が含 まれてい ることになる。 「 私」の 1 日の始 ま りは,早 くも 原発事故へのルサ ンチマ ンと絡 みあった巧 みな導入 とい えよう。

次 の一節 は, 「7 時。弟 よ,貴方の現在 い る病院では時間厳守 で仕事が始 ま ります よ。貴方 はもう 3 0 分前 に鎮静剤 の注射 をうたれ ましたね‑‑」とはじ まって, この 日,脳腫癌 の外科手術 を受 ける弟 の様子が 「 私」 の脳裡 に次々 と措 かれてい く

弟 の安全 を祈 る願 いが, あたか も 「 エネルギー放射」 の よ うに弟 の もとに届 くことを願 ってい るうちに,「 私」の思念 はまた もや放射能 汚染へ戻 る。「 貴 方が眠 ってい るうちに,私 の方 は次々 と新 しい言葉 を覚 えて い るの」 と 「 私」 は心の中で麻酔 に眠 る弟 を思 い浮かべ. " ko nt a mi ni e r e n "

( 汚染す る) を咳 く

これ以降, この 日の時間の推移 は 「 私

の 日常生活 と弟 の手術進行段 階が 交互 に描 き出され る形で示 され る

そ して この 日の午後 1 時 に 「 私」 の もと に電話連絡が入 り,弟 の脳手術 が無事 に終わ り, その後順調 な経過 をた どっ てい ることが知 らされ る と, この 日の緊迫感 を高 めていた部分が消滅 し,後 は もっぱ ら 「 原子力発電」 をめ ぐる主人公の断片的な想念 の展開 とな り,や がて次第 に,人間の心の中に潜 む野獣性, あるいは知性 の中の盲点 に焦点が 絞 られてい く。 こうした 日記記述 の構成か らみて,「 私」の弟 の手術終了 まで が,原発事故 と弟 の病気 とい う二極 の間 に揺れ動 く 「 私」 の内面 を, 日常性 の時間軸 にそって,効果的 に描 き出 しているかに思われ る

今,簡単 にそ こまでの段階 を順序 に従 って並べてみる と, まず,放射能汚 染が いつか はヨー ロッパ にも起 こるので はないか と 「 私」が これ まで内心で

ひそかに恐れていた ことが語 られ る。

J a,ha bei c he i nePe r s oni nmi rde nke nh6r e n, war um i mme rnur di ej apani s c he nFi s c he r . War um ni c htauc he i nmalwi r .

⑤ 用書

1 1ページ

(11)

Chr i s t aWo

lfの 『原発事故』

17 9

つ ま り, 内心で はまるっき り危険 を予想 しなか ったわ けで はないが, その危 険が どんな性質 の ものか,事故 のニ ュース を聞 くまで, まった く見 当 もつか なか った。 これが主人公 の率直 な告 白で,原発事故 の報道が彼女 に大 へ んな シ ョック を与 えた ことが裏書 きされ てい る

朝 の シャワー を浴 びなが らサ ン ヨーのラジオ に耳 を傾 けていた 「 私」 は,俄 か に雨後 の苛 の ご と く輩 出 した

「 核 問題 専門家」が次々 と相矛盾 す る見解 を発表す るの に呆 れか える。地下水 の汚染 について も,炉心 のメル トダ ウンの可能性 について も専 門家た ちの意 見 は二派 に分 かれ,一致点が ない。炉心溶融 の話 か ら 「 私」 は,かつて子供 の頃,弟 と一緒 に ビール瓶 に塩酸 を詰 め,密封 し砂 山 に穴 を深 く堀 って埋 め た ことな ど思い出す。子供 な りの , , Chi naSyndr o me " の想 い出であ る。その うちにラジオのイ ンタ ビュー に出た若 い核 問題専 門家が,自分 の子供 たち に, その 日は生乳 を飲 ませず,葉 っぱの ままの ほ うれ ん草や緑色サ ラダ菜 な どを 食べ させ ない, また,公 園や砂場 で遊 ぶの をや めさせ るよう妻 に指示 した と 語 るのが耳 に入 る。「とう とう事態 はそ こまで来 たのか」と誰 かが 「 私」の耳 のそばで言 うのが聞 える

話 してい るの は誰 か と考 えてみれ ば, それ は「 私」

自身 の独 り言で あった。主人公 の注意力 もどこか散漫 になってお り,感情 も 幾分不安定 になってい る らしい。

「 私」は次 に朝食 の準備 をす る。コー ヒー をいれ,卵 を茄 で る。その コー ヒー

の香 か らふ と脳 手術 で患者 が臭 覚 を失 う こ ともあ る と聞 いた こ とを想 い出

し,弟 の身 を案ず る。 さ らにライ麦 の粒 まじ りのパ ンを手 に取 る と, いった

い Nukl i de ( 核種 ) は どんな具合 に穀物 の中に蓄積 されてい くのだ ろ うか と

思 ってみ る。 この ように, ご く平凡 な朝食 時 に も 「 私」 の想念 は,弟 の脳手

術 についての危倶 と原子炉 の故 障か ら生 まれた恐怖 との間 を駆 けめ ぐるので

あ る。「 私」は自分 に言 い聞かせ る

今,冷蔵庫 か ら取 り出 した卵 は, あの事

故 の前 に鶏 の体 内でつ くられた ものだ し, その鶏 も放射能 に汚染 していない

草や穀物 で養われたのだ。だか ら食べて も安全 で あ る云々。なにか不安定 で,

やや もす る とヒステ リー に堕 しそ うな精神状態 の ようで あ る

その時,台所

の窓 よ り空 を見上 げる と,空 はまあ, なん と輝 くばか りの紺碧 だ。 あの青 い

(12)

空 を放射能 は どんな法則 に従 って拡散 す るのだ ろう

この よ うな具合 に, 日 記 の主人公 は 日常 のル テ ィー ンを こな しなが らも二 つの心配事 か ら抜 け出せ ない。彼女 は郵便局へ 出掛 ける途 中で We i B 老人 と出会 う。彼 が戦後 ようや く復員 して くる と,妻 は死 んでお り, 自分 の小屋 の中 にいた のは兄 も知 らぬ 戦 災孤児 の少女一人 だ った。後 にその少女 と結婚 した We i B 氏 は, その後今 日まで 4 0 年間家畜 の世話 をして暮 して きた。彼 はいわ ば時の流れ には無関係 な,従 って原発事故 な ど一切意 に介 さぬ頑健 で固晒 な人物 として, 「 私」の住 む寒村 の点景 となってい る

郵便局長 の Gut j ahr 氏 は老齢で身体障害者。原 発事故 なぞ一切 問題 にせず, いわ ば 「な るようになれ」 の心境 にあ り, ラジ オか ら間断 な く流れて くる原発事故 のニ ュース に も,ほ とん ど耳 を傾 けない。

今挙 げた二人 の老人 は, いずれ も 「 私」 とはまった く異 なるタイプの人 間 ら し く描 かれ, 「 私」の心理 的動揺がか な り偏頗 な もので あ ることを示唆 してい る

家 に戻 った 「 私」 は, な にか落 ち着 かれぬ気持 ちか ら,親 しい人 の声 を 聞 きた くな り,ベル リンに住 む娘 に電話 して, い ろい ろ話 し合 う。 この時 の

「 私」は娘 の二人 の子供 の祖母 とい うことになる。娘 は都会 に住 んでい るだ け に,原発事故 について は母 よ りも多 くの情報 を得 てお り,放射能汚染 が子供 た ちに及 ぼす悪影響 を憂慮 して夜 もろ くに眠れ ない。不 眠のた め彼女 の声が 荒 れてザ ラザ ラ した感 じであ る。 もう万事手遅 れ になった, とい う情報 を得 た娘 は,ベ ッ ドに入 って横 になってい る二人 の子供 の様 子 を とて も見 てお ら れ ないのである

それが不眠 の原因 なのだ。 ここで親子 のや り取 りが入 る。

娘‑ それ以上 に まともな不眠 の原因が あ る と言 うな ら,お母 さん,教 えて よ

母 ‑ いや, そんな もの なんか あ りませ ん よ

で もね,別 の側 か ら見れ ば‑‑・

娘‑ お母 さん, もういいか ら何 も言わないでち ょうだい。お母 さんだ って, こんなひ どい事が起 きた本 当の理 由をちゃん と知 ってい るはずだわ。 そ れ とも違 うの。 あいつ ら,何一 つ きちん と学 ばなか ったのだか ら, あい つ ら皆,病気 なの よ

このや り取 りの後 「 私」は改 めて反省 す る

「 本 当は私 たち全員が この恐 る

べ き事故 の こ とを, もっ と徹底 的 に考 えてみ るべ きで はなか ったのか。私た

(13)

Chr i s t aW ol

fの 『原発事故』

181

ちは,大抵 な るべ く手間のかか らぬ,面倒 のない生活 を望 んでい る。だか ら, もっ ともらし く壇上 にあが って, 自分 の語 る言葉 が真実 その ものな りといっ た調子で滑々 と論 ず る人 々や, 白衣 をま とっていか に も専 門家 めいた挙動 を す る人 々 の言 を無条件 に信 じたが る傾 向が あ る。万人 が皆一致 した考 え方 を し,他人 の言 には反対 したが らない。 それ を恐 ろしい と思 うことが肝要 なの に,そ うは しない。だか ら私達 は結局 の ところ,少数 の者 の権力渇仰 ,倣慢 , 仮借 のない好奇心, そ して独善性 を盛 り立 ててい るので はないか」 。

娘 との電話 の後, 「 私」は庭 に出て, これ まで

3

日間 も降雨が な く,す っか り固 くなった土壌 を鋤や鍬 でなん とか耕 して,サ ラダ菜 な どの種子 を播 く。

その間中, 「 私」はいつの間か小声 で 「 奴 らが悪 い」 と罵 ってい る

その奴 ら とは誰 か, どうしてそんなに立腹 す るのか と彼女 は自問す る

そ して「 奴 ら」

は, あの恐 ろしい技術 ,危険 の多 い技術 の発展 を推 し進 めてい る連 中, つ ま り,原子力利 用 の専 門家,研究者 たちの こ とだ と気付 く。 どうや ら 「 私」 の 心 の中 に批判 され るべ き相手が少 しず つ姿 を現 わ して きた ようで\ ある。

次 いで, 「 私」の ところへベル リンの友人 で,作家 で もあ る女性 か ら電話 が 掛 か って くる。 そ してその女性 は思 いが けず 「 私

への好意 を打 ち明 けるの で あ る。 な にか唐突 の感 をまぬがれぬが,事故 によって喚起 された特殊 な心 理状態 が通常 の抑制 を緩 めたのであろ う。 その後, 「 私」は書 きか けの原稿 を 続 けよう と机 に向か うが, その原稿 はす っか り蒼 ざめ,色 を失 い,全 く空 し く思 われ るのであった。 自分 の仕事 の意義 も価値 も事実 の重 さに押 しつぶ さ れて ‑ 勿論, この打撃 も動揺 す る 「 私」 の心理状 態か ら生 まれた一時的 な もの に過 ぎない ‑ 「 私」は 「 消費協 同組合 」 ( Ko ns um) の販売所 へ買物 に出 掛 ける。売 り子 の話 で は,村 の人 々 はその 日注文 した通 りに牛乳 を引 き取 り

に来 てい る らしい。「ひ どい,ひ どい。なに もか も全 くひ どい状態 です。で も

私 たちなんか, どの道 どうしようもないんです よ

まさか,飲 んだ り,食 べ

た りを止 め るわ けに もいかない し」 と売 り子 は庶民 の諦 め をつぶや く

そ う

か と思 うと,や は り販売所 に姿 を現 わ した男 が, SF めいた妙 な迷信 を語 り,

人類 を地球外部 か ら護 って くれ る生物 ,精霊 の ような存在 ( Ge i s t ‑ We s e n) が

(14)

い よい よ地球滅亡 の時が迫 った ら必 ず干渉 して くる,つ ま り,救助 にや って くる と自分 の確信 を伝 える。人 間が 自 らを危急存亡 の域 にまで追 い込 む はず が ない とい う根拠 のない願望 が ,SF フ ァンの若者 の 口を通 して語 られ,「 私

を取 りま く人々 のチ ェル ノブイ リ反応が客観化 されて描 き出 され る。

買物 か らの帰 り道 で,「 私」は隣人 の Pl aac k に出会 う。彼 は天気が よいの で,じゃがい もの種 芋 を貯 蔵所 か ら取 り出 して植 え付 けたい と願 ってい るが,

もし放射能 を含 んだ降雨が あった らどうしよう と迷 ってい る ところだ った。

「 私」は, それ はや らない方がいい と忠告す る。 ここか ら 「 私」の関心 は俄 か に雨 に惹 きつ け られ,子供 た ちの登校時 に降雨が あった ら,学校 も休 ませ な けれ ばな らぬ, とか, これか らは 「 雨降 り」 の歌 も唄 えな くなるので はない か と妙 に情 ない気持 ちに駆 られ る。放射能 を もた らす降雨で は,

Esr e gne t ,Go t tr e gne t , Di eEr dewi r dnal S .

Daf r e uns i ° hdi eKi nde r , Daf r e uts i ° hdasGr as .

な どと唄 えるわ けが ない。 こんな不条理 な ことが どうして起 こるのか と思 い 悩 んでい る 「 私」 の脳裡 に,突然,奇妙 な想念が浮ぶ。 この世界 を創造 し, 支配 して い る神 のか たわ らに, その全 く反対 の神,神 に逆 らう神 ( Ge ge n‑

got t ) が い るので はないか。見知 らぬ,未知 の神 だ。さ もなけれ ば, こんな理 不尽 な世界 が出現す るはずが ない。 しか し 「 私

は直 ちに, その よ うな奇怪 な幻想 めいた思 いつ きが 自分 の心 の奥底 よ り登 って きた ことに博然 とす る。

一瞬で はあるが, 自分 の頭蓋骨 で覆 われた ものの中か ら, こんな怪物 が出現 したのだ, いや 自分 の魂 の内部 に この ような深淵 が あるのだ と考 えた 「 私」

は, そろそろ日常ル テ ィー ンの領域 か ら離れ て,原子力発電所 をつ くり出す 人 間た ちについての考察, あ るい は見 る人 の立場 によっては,感情 的 な思弁 へ移 って ゆ く。

やがて手術 が成功 して健康体 に戻 った時 の弟 に原発事故 の説 明 を しよう と

「 私」 はメモの ような文章 を書 き始 める。 「 先週土曜 日,現地時間 1 時 2 5 分,

(15)

Chr i s t aWo

lfの 『原発事故 』

183

第 4号炉 の構 内の機械室 に火災発生。原因 はいつ くかの不運 な予測 しえぬ事 情 が重 な り合 った こと

物理学者たちの証言で は,せいぜい 1 万年 に 1 回起 こり得 る とされた事態が今,現実 に出来 した 。1 万年が この 日 1 日に融 けあっ て しまった。確率の法則 は改 めて,私たちに法則 を真剣 に受 け とめるよう教 えたのである

物理学者たちは依然 として,私たちには理解で きない言葉で 喋べ り続 けてい る。 1 時間あた り 1 5 ミリレムのフォールアウ ト ( Fal lo ut ) とは一体何 の ことだ‑‑・ 」。主人公 はこの ような調子で,自分たち一般市民が まった く聾桟敷 におかれてい ることに, はかない抗議 の声 をあげ,次第 に核 エネルギー利用 に携 る専門家,科学者,技術者 に不信 の念 を抱 きはじめる

殊 に核 エネルギー管理 に従事 す る者 たちが, 今 回の ような大惨事が生 じて も, なかなか その危険性 を明示す る言葉 , , Kat as t r o phe " を使 用せず,逆 に事態 の重大 さを専 門用語 のバ リアーに よって糊塗 すべ く , , GA Ù ̀な る表 現 を頻 発す る

これ は , , gr 68t e ranz une hme nde rUnf a l l "の略語で,原子炉建設時 に, その施設,機構 の程度 を基準 として,想定 しうる限 りで は最大規模 の事 故 とい う意味で,原子炉 の安全性 を事前評価す る場合 の一段階 を示す。 日本 語 で は重大事故 ( ma j orac c i de nt ) と称 している段階で ある

午後 1 時,弟 の脳手術 が終 了 し,経過 はまった く正常 との連絡が弟 の妻 よ りある。 この時か ら,焦慮 のあま り硬 く手 を握 りしめて手が こわ ばった り, あ るいは, 自ら もはっき り意 識せ ぬ間 に食器 を叩 きつ け よう とした りす る

「 私」の神経過敏,不安定が消 えて,次第 に理性 的な考 え方 をす るようにな る

今や 「 私」 は じっ くりと落着 いて, チェル ノブイ リ原発事故 の根本的な原因

となる科学技術 の進歩 のス ピー ド, それ を担 っている人々の精神 のあ り方 に

注意 を向 け, 、 一歩一歩思索 を深 めてい く。しか LChr i s t aWol f は経験 を積 ん

だ作家 らし く,徒 らに抽象的,概念的 な文章 を書 き綴 らず,常 に今度 は病床

にあって手術後の回復 を待 つ弟 と心 の中で対話す る とい う形で具象的 な段階

か ら大 き く逸脱 しない。だか ら,「 昼食後,食器 を洗 い,布 巾を手 に しなが ら,

気付 いてみ る と 「 私

は声 を張 りあげて 『 歓喜の歌』 を歌 っていた」 とい う

描写が出て くるのである

(16)

疲 れた 「 私」 はベ ッ ドに横 になるが,弟 の手術成功 で興奮 してい るのか, 眠れ ない。想 いはいつか病床 の弟 の許 へ はし り, 自 らもベ ッ ドに入 ってい る

ことを思 う と,かつて子供 の頃, メク レンブル クの田舎 町で弟 と共 にチ フス にかか り,二人並 んで避病院 のベ ッ ドに横 たわ っていた ことを想 い出す。 あ の時, チ フスの熱 で二人 とも髪 の毛が抜 けた のだった。 この子供 の時 のチ フ スの想 い出が,実 は伏線 になっている。 この 日の夕方 「 私」 の庭 に現われた ある家族 が,普,戦争 の終 わ った後, 自分 の妹がチ フスで死 に, この庭 に埋 葬 された云々 と語 るの を聞 いた 「 私」 はひ ど く不機嫌 に, また, つ っけん ど

んに応対 す る ことにな るが, それ は過去 の不愉快 な想 い出か ら反射 的 に出て きた態度で あったのだ ろ う

本人 に も理解 で きぬ反応 であ るが, どこか しら 心 の奥底 に子供 の時期 を嫌悪 す る ものが潜 んでい るようで ある。 そ うか と思

うと,今度 は放射能汚染圏 の こ とが 「 私」 の念頭 に浮 かぶ。 いったい何故危 険境界線 が事故現場 よ り30キロメー トル の ところに引かれ てい るのだ ろう か。何故 29キロメー トル, あるい は 33キロメー トルで はい けないんだ ろう か。 この ように 「 私」 の想念 は次々 と変転 し, 自分 の考 えや感覚が いつか し

ら 「 散文 の範 囲」 を越 えて しまった ように感 ず る。

と, この時, 「 私」は自分 の想像力 のスイ ッチが切 れた ら, くよ くよ思 い悩 まな くて もよいのだが と願 うが, とた んに,私達 の上 に も, 自分 たちの上 に もこんな危険 を招 きよせた連 中 は, きっ と想像力遮 断 スイ ッチ を所有 してい るに違 いない と想念 が飛躍 す る。「それ とも連 中 はスイ ッチ を切 る必 要が ない のだ。私た ちの ような ( 彼 らと)違 う人 間 はいつ もこの先 どうな るかの想 い に苦 しめ られ るが,連 中 はそんな先 の心配 なんか ない代 わ りに,脳 の中 に盲 点が あ るのか しら 」 ⑥ 。

「 私」はそんな連 中の ことを想像 してみ る。彼 らは 2 0歳 か ら 25歳位 までの 間 に,徹底 的 に人生 の愉 しみ,快楽 の想 い,充実感 な どの記憶 を脳 に詰 め込

⑥ 用書

6 7

ペ ー ジ

(17)

Chr i s t aWol

fの 『原発事故』

185

み,後 になる と追憶 中枢 を電流で刺戟す るだ けで,再 び人間的な欲求が充足 された と思 う人々であ り,お まけに工業技術 の先端 をい く技師たちである

つ ま り,脳 の内部 に実際 に体験 したかの ような満足感 をか きたてる追憶電流 さえあれ ば ‑ すなわ ち,人生 の代替物 があれ ば ‑ 「 現実」 生活 の死 ぬほ ど の退屈 さにも対抗で きる と信ず る人々

次 に どうして こんな世 の中になったのか と「 私」は自問 し, 自分たちの「 罪

を考 える

「 私」たちは発言が多す ぎたのではな く少 なす ぎた。 これ っぽっち の僅 かな発言, それ もオズオズ と, しか も時宜 を失 した発言。 どうしてか。

それ は, 自分たちに確信がな く,不安 だ らけで,希望が欠 けていたか らだ。

香,希望が あったた めで もある

とす る と,偽 りの希望 は人 の心 をあざむ く か ら,勇気 をな くさせ る絶望 と同 じ結果 を もた らす。 この ように 「 私」 はあ

まり稔 りのない 自己批判 に耽 る

「 私」の考 えは一見 はっき りした方向性が な く, トピックか ら トピックへ蝶 の ように飛 び移 ってい るようだが,「 人 間の脳 の中の盲点」とい う着想が生 ま れて, ようや く人間内部 の非人間性 の追求が 「 私」の思索の 目的 に据 えられ た らしい。

彼女 は人間の発展の歴史 を振 りか えって,すで に農耕文化 の時代 か ら殺す ことと発明す ることがわかち難 く結合 していた と見 る

す る と 『 創生紀』で 語 られ る Kai n の弟殺 しは,同時 に農業従事者 としてなん らか の発明 と結 び ついていたのだ ろうか。 それ とも彼 は文明 をつ くり出 した人 なのか。彼女 の 関心 は,人 間が どうして同類 を殺すのか とい う点 に向け られ,「 人間が下位 に あ る集団 を根絶 し, 自 らを選択 (もし くは淘汰)の道具 に仕立 てあげた こと, そ してその選択 は人間の頭脳 の急速 な発達 を促 した」 とい う想定 を否定 しえ ないのである。

彼女の疑問 はつ きない。 自分 の同類 を攻撃す る ミュータン トが人間の進化

を推進す るのか。 それ は,人 口過剰 を回避 す るためには,同種属間の殺 し合

いが認 め られ る とい うことなのか。 はた また,数量 に制 限のある殺害 は,坐

物学的 に支持 しうる ことか。 あるい は, その ような過程 を経て,人 間 は自分

(18)

自身 の敵対者 になって しまったのか。

ここで 「 私」 はあ ま り理屈 っぽ くなった と感 じた らし く,一転 して 自分 の 男友達 らしい人物 が, この危機 に自分 の傍 にいて くれない と愚痴 めいた感想 を書 き留 める

そ して その慰 めて くれ る男友達が いないか ら, つい妙 な雑誌 に手 を出 して しまうと断 りなが ら, 『 ス ター ・ウォーズの科学者 た ち 』( " Di e Wi s s e ns c ha f t l e rYon≫ St arWar s ≪") とい う雑誌記事 を紹介す る。 この科学 者 たちの異名 は " St arwar r i o r s " ( 星 間戦士)で,まず その生活 ぶ りが報告 さ れ る。す る と

「 私」 は とたんに心 の中 にシグナルが点 じた」 と言 う

0

その記事 によれ ば,桁 はずれ に優秀 で, まだ まった く若 い男 たちの一 団が

‑ 自分 た ちの脳 の中の ある種 の中枢 に生 じた超大活動意欲 につ きあげ られ て ‑ 悪魔 と盟約 を結 んだので はな く,工学技術 問題 の魅惑 に魂 を委 ねた と い うので ある

読 んでい る 「 私」 は,思わず 「 今 で もまだ, あのお人好 しの 悪魔 が いた ら,世 の中 はず っ とまLだったのに」 といか に も ドイツ文学 の作 家 らし く溜息 をつ く。 「 私」は記事 を読 み進 む うち に, 自分が さきほ ど追憶電 流 に頼 る若者 な どと空想 した ことが, もはや空想 どころで はな く,現実 は と

うにそれ を追 い越 している と知 った。

「 星間戦 士」の異名 を もつ一群 の超優秀頭脳集 団 は都会 を遠 く離 れ,隔離 さ れた居留地 で暮 し,女性 も子供 も友人 もいない孤独 な生活 を送 り, 自分 の仕 事 の他 はな に一 つの楽 しみが な く,厳格 きわ まる保安規則 や防諜規則 に も従 順 に従 ってい る。彼 らは 「 私」が先 ほ ど空想 した ような追憶電流 による擬似 的生活 な ど必要 としない。 「 私」は自分 の世間知 らず, ナイーブ さを笑 いた く な るほ どで ある

ここで はっ き り看 て取 れ る事実 は,彼 ら若者 たちが必要 とす る もの は,彼 らの感情生活 を完全 に吸 い尽 す偽 の きず な ( Ps e udo‑ Bi ndung) だ けだ とい う ことである。「で も,どうした ってい うんですか。何一 つ問題 なんか あ りませ ん よ。 コンピュー ター つて代物, いったい何 のた めにあ るってお っ しゃるの ですか

」。

こうした一風変 わ った青年た ちが, この地 へ到着 して リバーモア星間戦争

(19)

Chr i s t aWol f

の 『原発事故』

187

研究所 に ( 「 入獄 した」とは言 いた くない)入所 した とき, もう彼 らの人生 は 終 わ っていたのであろ う

ここで 「 私」 は,心 の中で病床 の弟 に向か い, こ の青年た ちが この世 で理解 で きるの は, コンピュー ターだ けで, その他 の も のや人 は まるっ き り理解 で きない と説明す る。 自分 の両親 も,兄弟姉妹 も全 然理解で きない。仮 に妻 や子供 が いて も理解 で きない ことは同 じ。「ね え,あ そ こには女性 が一人 もいないの よ。 こんな胸 苦 し くな るような事実が, あの 若者たちが コンピュー ター を熱愛す る理 由なのか しら。 それ とも ( 女性 がい

ないた めの)結果 か しら。」

彼 ら高度 に訓練 された優秀 な頭脳 の持 ち主 は, 日夜 をわかたず左脳 を駆使 し,懸命 に研究所 の 目標 であ るレン トゲ ン ・レーザー光線 の開発 に励 んでい るが,人 間 として は未発達 な,半 ば子供 じみた人 々であ る。昔 日,戦 に敗 れ て奴隷 となった者 たちが, ガ リー船 に鉄鎖 でつながれ, ひたす ら樺 を こいだ ように, この若者 たち は愛すべ きコンビュ→タ一 に結 びつ け られ縛 られてい る

食事 時 にな って もま ともな もの を食 わず, ピーナ ッツバ ター を塗 りつ け たパ ン, トマ トケチ ャップをか けたハ ンバ ーガー, それ に冷蔵庫か ら取 り出

した コカ コー ラ といった あ りあわせ で空腹 を満たすだ け。

彼 らの生活 は,将来起 こ り得 る宇宙空間の核戦争 に備 え, アメ リカの安全 を護 るた め,原子力利用 の レーザー光線 を実用化 す る ことに捧 げ られてい る のだ。彼 らは一体何者 なのだ。あの真理探究 に懸かれたかつての科学者 た ち, 私 たちの心 にな じんで い る伝説 的 な科学者 たちを 「 正 当 に,合法的 に」受 け 継 ぐ者 なので あ ろうか。 それ とも私生児か。不 当 に もかの偉大 なる真理探究 の徒 を自分 の親 だ と主張す る奴等 なのか。 この時, 「 私」の心 の中の シグナル が一段 と明 る く点滅 し,なにか しら de j えー vu の感 じに とらわれ る。それ は,正 確 に 3 年 前, ア メ リカ西海 岸 カ リフォル ニ ア州バ ー ク レーの映 画館 で見 た

" St arWa r s ̀ ̀第 2 部 の " St arwar r i or s "たちで あった。 そ う, あの研 究所 の コンピューター に潰かれた若者 た ち とこの映画 はつなが っている と 「 私」

は確信す る

あの時 「 私」 のち ょうど後 に座 っていた若 い黒人女性 が映画 の

クライマ ックス にな る と,急 に立 ちあが り ," Ki l lhi m!Ki l lhi m! " と絶叫 し

(20)

た。 その追憶 とともに 「 私」 は直観 的 に理解 したので ある。 あの リバーモア 研究所 にアメ リカで も最優秀 の頭脳 を持 つ若者 たちを惹 き寄せた魅力 は,「ア メ リカの安全」 な どとい う幻想 で はな く, まさに 「 死 の吸引力 」 ( Sog de s Tode s ) とも称 すべ き 「 虚無 」 ( Ni c ht s ) であることを。脳 の中の盲点が,若 者 たちの ヒューマニテ ィが全面的 に開花 す るの を妨 げ,人生 に向か って 自分 の心 を解放す るよ りは, コンピューターによって計算可能 な原子力 の研究 に 没頭す ることをよしとさせているのだ。 いったい, これ は人 間の心 の中に巣 くう破壊 の欲望, あるいは, そのヴァリエーシ ョンなのか。虚無 の中に吸 い 込 まれて まで,徹底的 に物理世界 の根源 に至 ろうとす る欲望 は,文化の どの ような発展段階で人間精神 に侵入 したのか。 それ とも太古か ら連綿 として生 き続 ける本能 の働 きなのであろうか。

ところで作品の構成 か らみて,「 私」の思索の貯余 曲折 は彼女の 1 日が終 わ るまで続 くはずだ し, それ も直線的 な理論 の構築 ではない。 いわば折 りに触 れての着想 を積 み重ね る とい う方法で,思想 を展開 してい るので,ここで「 私」

の 「この 日」の思索 を要約す る必要があろう。ただ し, この作 品 はあ くまで 日記 の形式 に従 って時間の流れ を記録 してお り,思索 の展開 に終始す るわ け で はない。「 私」が雑誌記事 に触発 され,悲観的な思いに とらわれた後 の時 の 経過 は,簡単 に示す とほぼ以下の ような ことになる。主人公 は 「日本 の平和 の花」 と呼 ばれ る植物 の植 えか えをす る。 その後,急 に運動 した くな り,古 い 自転車 に乗 って村 はずれの変電所 まで行 き, さらに隣村へ向かい, その帰 え りに,村人 に親 しまれてい る森 に入 って しば ら く過去 の追想 に耽 る。 自宅 へ戻 ってみる と,すで に触れた ように,見知 らぬ人々が彼女 の庭 に昔埋葬 し た子供 の ことを想 い出 して, その跡 を見 に来てい る。「 私」はその人々の妙 に 押 しつ けが ましい態度 ‑ つ まり,戦後 の苦労 は自分 もさんざん経験 した。

それなの に 「 私」がその見知 らぬ人々 に好意 のあ る応対 をす るのが当然だ と 前提 してかか る態度 ‑ に腹 を立 てて彼 らを追 い返す。 しか し苦 い味 の残 るL 振舞 として 「 私」 はいつ まで も忘れ られない。 なお,読者 の立場か らも彼女

の応対 は不可解 で, この作品の中で唯一 の不透明 な記述 であ り,原発事故 と

(21)

Chr i s t aWo

lfの 『原発事故』

189

どう結 びつ くのか, あ るいは 「 私」 の心 の盲点 による ものなのか一 向 に要領 を得 ない。家 の中 に入 ってか ら, その 日の便 りに目を通 す。 その中にロン ド ン在住 の老婦人 か らの ものが あ り, 「 私」は刺戟 を受 け,彼女 の著書 を読 んで 自分 の疑 問 ( 人 間の破壊欲 求の根源) を解 く鍵 を得 ようとす る。次 いで窓辺 に立 って落 日の光景 を眺 め感銘 を覚 える。( ただ し,読者 には彼女 が何故沈 ん でい く太陽 にそれ ほ ど感傷 的 になるのか不明である )。 「 私」 は人 間の 目の盲 点 について考 え込 み,さ らに飛躍 して暗闇 の心 の ことを脳裡 に思 い浮 かべ る

(どうや ら,最後 に取 りあげる Jos e phConr ad の " He ar tofDar kne s s " を 先取 りした らしい)。彼女 の思索 の矛先 は,自 らの職業 に もっ とも大 きな意味 を もつ言語 に向 け られ, いろい ろ と思弁が続 く。夜 になって漁師 の妻 で あ る Umbr e i t 夫人が現 われ,鰻 を くれ,その料理法 も教 えて くれ る。酢 で煮 つめ て保存 す るので あ るが,「 私」は教 わ った通 りに実行 す る。頭 をチ ョン切 られ, 皮 の剥がれた鰻 が,床 のタイルへ落 ちて体 を くね らせ, はね るの を見 てぞっ

とす るが, 「 私」は歯 を食 い しばって最後 まで調理 を続 ける

これ は弟 の手術 終了後 で は もっ ともリアル な描写で あ ろう

上 の娘 か ら電話が あ り 「 盲 点」

について会話 す る。 夕食後 , のんび りとワイ ンを飲 みなが らテ レビを見 る

今 回の原発事故 をめ ぐるパ ネル デ ィスカ ッシ ョンで,立派 な服装 の紳士 たち が専門家 の権威 を身辺 にただ よわせ つつ, 自分 たちの ( お そ ら くドイ ツの こ とで あろう)原子炉 がいか に安全 か を委 し く説 明す る。聴 いてい る 「 私」 も 司会者 も, 自国の原発 は まった く安全 なのだ と思 い込 むほ ど説得力が あ る

しか し,司会者 が最後 に駄 目押 しす るように,原子炉 の安全性 を確認 しよう とす る と,その専 門家 の答 は絶対 的 な安全 の保証 はない とい うもので あった。

そ して原子力技術 開発 の現段 階で は一定 の危 険 も覚悟 せね ばな らぬ と教 え ら れ る。 いわ ばペ テ ンにかか った 「 私」 はカ ンカ ンになって怒 る。

さて,寝 る前 に台所 で蟻 の通 る路 を発見 した主人公 は酢酸 をつか って蟻退

治 をす る。入浴後,ベ ッ ドの中で コンラ ッ ドの 『 闇 の奥』 を読 み はじめ,作

者 の体験 か らに じみ出 した表現 の真実性 に強 く打 たれ る

夜 中,大 きな声 と

晦噂で 目を覚 ます。彼女 の耳 に遠 くの方か ら " Af a ul t l e s smo ns t e r ! " とい う

(22)

叫び声が聞 こえた。ずいぶん長 い時がたって 「 私」 は,晦噂が 自分 の口か ら 出た と気付 く。窓か ら見上 げる真暗 な深夜 の空 に,彼女 の亡 くなった母 の大 きな写真が貼 られていた。彼女 は悲鳴 をあげる。「この地上 を去 ってい くこと になった ら, どれほ ど辛 い ことで しょうね」 と彼女 は心 の中で弟 に語 りか け る。ややセ ンチメンタルな締 め くくりである

さて最後 に 「 私」 な る人物 の 「あの 日」 の思索 の内容 を簡単 にま とめてみ よう

人間が種 として他 の動物 の間で発展 して くる過程 で,脳 の急速 な発達 成長があ り, それが人 間 をして地上 の征服者た らしめたが,同時 に選択,淘 汰 とい う生存競争 の中で同種 の もの を殺 す とい う性質が生 じた。 これが文明 開化 した現代で も人間の脳 の中に 「 盲点」 として残 ってお り,危急存亡 の と

きにその牙 をむ き出す。危険が完全 に排除で きない ことが明 白であ るに もか かわ らず,敢 えて原子力エネルギーの利用 を推進す る人々, またその動 きを 黙認 し,かつ実際 に起 こった災害 を甘受す る一般大衆 の中に この盲点が存在 す る

従 って 「 私」の人間観 は,作者 Wol fが作品のモ ッ トーの一つ として掲 げた Konr adLor e nz の次 の言葉 に要約 されてい る。すなわち,

Dasl angge s uc ht eZwi s c he ngl i e dz wi s c he nde n Ti e rundde m wa hr ha f thuma ne nMe ns c he ns i n°wi r .

私 たち現代 の人 間 は 2 0 世紀が幕 を閉 じようとしている現在 も, 依然 として

「 真 に ヒューマニテ ィのある人間」の域 に達せず,獣性 を完全 に克服 していな い。今 日,世界 のあち こちで起 こっている紛争, 内戦 の類 は,民族 の独立 と か,信教 の 自由を大義名分 に掲 げているが,「 私」のい う 「 盲点」によってつ き動か されてい ることは疑 問の余地がない。人間 は未完成 の知的動物 で しか な く,真 の道徳 的規短 によって制御 されない知的探究 に没頭 し, 自 らの住 む 地球 をやがて無人 の荒参たる惑星 に変 えようとしているかに見 える

人間の言語が この ことと関連 しているの は明 らかである

そ もそ も人間 と

(∋ 用書

7

ペー ジ

(23)

Chr i s t aWo

lfの 『原発事故』

191

い う種 の特権 ともいえる言語 は,他 の動物 に対抗 して,人間の独立性 を確保 す る手段 であったが,同時 に同種 の中にあって も別 な言語 を話 す人々 に対 し て は,「 汝,殺 すべか らず」の禁忌 を消す力が ある

人間 の ような生物 の中の ある種 ( Ar t ) が一旦 ( 言葉 を)話 しはじめた ら, もうそれ は止 め られぬ。言 語 とは,試 しに使 うとか,実験 す るために使 うな どと用途 を限定 して受取 る

ことの出来 ない ( 神か らの)贈物で ある。 さて,一度手 に入 った言語 は私た

ちが本来,動物 として持 っている本能 の働 きの多 くを抑圧 して しまう

その

ため現在 の私たちは, 再 び必要が生 じたか らといって,その本能 の働 きが戻 っ

て くる と期待す ることは出来 ない。 つ ま り,私たち人間 は言語 を ( 神 の手か

ら)受 け取 る と同時 に,自分たちを究極 的 に動物 の世界 よ り閉め出 して しまっ

たのだ。 いわば太古の反射器官の働 きを備 えて この地球上 に出現 す る乳香児

は,二 ・三週間以 内にその働 きを脱 ぎ棄てね ばな らない。 それ も正常 となる

ため,つ まり人間 とい う特殊 な地球生物 に発達 してい くた めである。 その太

古の器官 に代わ って,人 間の生存闘争 の陣頭指揮 を とるの は新皮質の前頭葉

である。人 間の文化 は前頭葉 の生産物 で,言語 はその継続手段 にして前提条

件 なのだ。 と説 きつつ も 「 私」 の心 にはしっ くりこない何 かが ある。 それ は

不信 であ る。 自分 自身への疑惑であ る。一般市民 よ りも言語 に対 して敏感 に

反応す る 「 私」の脳 は, まさし くこの言語 とい う仲介手段 によって, この ( 自

分 の生 きている)文化 の価値 を生 み出すべ くプログラム されているに違 いな

上土 。 とすれ ば,「 私」はお そ ら く根本的 な答 を自分で出 した くな るほ ど自分 の

心 を動かす ような質問 は出来 ないはずだ。言語 の光 明 は, 「 私」が言語 を知 る

以前,薄明の中にあったか もしれぬ内面世界 の全領域 を暗闇の中に押 し込 ん

で しまった。ただ 「 私」 にはその記憶 がない。 どこか‑箇所で,香,多 くの

箇所 で我々人間 は,野性 や非理性や動物性 を文化 の中にまで取 り込 まざるを

えなかったのだ (ところが,文化 はそ もそ も抑 え難 きもの を抑 えるた めに創

造 された はずなのだ)。我々の中の断腸が尻尾 を振 りまわ し,我々の内部 の野

獣が晦嘩す る

我々人間 は,醜 く顔 を歪 めて 自分 の兄弟 に掴 みかか り,兄弟

を殺 す。 Abe l を殺 した Kai n の ように。その後 で我々 は頭 の中か ら脳 を引 っ

(24)

張 り出 し, その中の野生 の部分 を探 し出 し焼 いて捨 てた い と願 う。

さて, その ような言語 のあ り方 を考 える と,た とえば作家 として, あ くま で も精密 に, ます ます明確 に読 み取 れ るべ く, どこまで も誤 りな く対 象 を表 現 す るた めに生命 を賭 けるな どとい うことは, そ もそ も努力 に値 す るだ ろう か。 とな る と, それが どれ ほ ど見事 な ものであれ,言語表現へ の堰吐感 が起

こ り, それ はやがて言葉 その ものへ の嫌悪 ・堰吐 とな り,遂 には自分 自身 を 唾棄すべ きもの と感 ず る憎悪 に至 る。

次 に言語使 用 の重要 な一面 である 「 書 く」 とい う行為 の意味 について述ベ てお く。文章 を善 くとい う出来事 は, これ まで肯定的 な意味合 いでい ろい ろ 論 ぜ られ てい るが,実 は, その出来事 ( 書 く人 を主体 とすれ ば, 「 行為」とな ち ) は常 に人 間 を掴 み取 る, その力 の圏内 に引 きず り込 む とい う人 間支配 の 作用が あ る

人 々 は描写 され,記述 され る とその文章 の関係者 とな り, 自分 が観察 され,糾弾 され,類別 され,誤認 され, さ らに事 態が悪化す る と,裏 切 られ, しか もその表現が成功 した場合 には,常 に他 の人 間か ら遠 く隔て ら れてい る と感 じざるをえない。 こうした文章 の暴力 に対抗 す る手段 は沈黙 を 守 ることしか ないが, そ うな る と悪 は外部 か ら内面へ移 し変 え られ る

つ ま り,他 の人 々 に対 す るよ りも自分 に対 す るいたわ りが少 な くな るので, また もや 自己欺 臓 とい うことにな って しまう。

以上 の ような人 間言語不信論 が今 や作家 である 「 私」 を深 く,深 く絶望感 の陥穿へ引 きず り込 んでい く

この初老 の女流作家 は,友人 の 自伝 に触発 さ れ て,作家 の存在 も社会 の中の一つの役害胴こす ぎず,全面的 な 自己表 白は, そ もそ も言語 の機能 か ら見 て ほ とん ど不可能 だ と考 えてい る

彼女 は言 う

「もの を書 きなが ら私 たち は,ます ます もの書 きの役害胴こ徹 しな けれ ばな らな 史 が,同時 に役割 をはずれて,私た ちの仮 面 を取 りはず し,私 たちの まざれ もない本物 の 自分 をかすか に浮かびあが らせね ばな らない。 それ も,私 たち が 自分 で望 む と望 まざる とにかかわ らず,社会 の コー ドに従 った文章 の背後 で, こっそ りと 」。

この作 品の最後 に至 って「 私」は ,1 9 世紀 の帰化英国人作家 J os e phConr ad

(25)

Chr i s t aWo

lfの 『原発事故』

193

の 『 闇の奥 』( " He ar to fDar kne s s ") に感服 している。彼女 は 「 体験 に裏打 ちされた真実の描写力」 に感嘆 し, この作家がいか にして,手段 とか効果 と いった概念 に振 りまわ されず創作で きたか と自問す る。 この 『 闇の奥』の表 面上の主人公,あるいは報告者 は,まさに Conr ad その人 で,人 間の悲哀 とい うものを知 ってお り,ただ頭 の中で考 えただ けでな く,実際 にあの文化 ‑ 彼 自身 もそ こに所属 している文化 ‑ の真直 中にある盲点へ入 り込 んでいった のだ。闇 の奥 に君臨す る狂気 の男 Kur t z は, まさし く 「 私」が人間の脳 の中 に見 出 した盲点 に屈服 した,野獣性 の虜 となった人間であった。「 私」が 「 実 際の体験」を云々す る とき,作者 Wol f はおそ ら く,自分 の作品 ‑ チ ェル ノ ブイ リの原発事故 の衝撃 を精神 的 に克服 しようとした試 みであろうが ‑ に 事実 の重 み,体験 の間接性が あることを自覚 していたに違 いない。彼女 は何 度 も 「 人間の脳 の中に潜 む盲点」 に言及す るが,多 くの読者 はそれ を興味深 いテーマ と見 るだ けで, その真実性 には幾分 な りとも不信 の念 を もって対処 す るであろう

作品前半が平凡 な 日常ルテ ィー ンの記述 であ りなが らも共感 を呼 び起 こすのは,基本 的 に体験 の裏打 ちが あったか らで, その真実性 にお いて後半部分 に勝 っている。

さて結論的 に言 えば ,Chr i s t aWol fがチ ェル ノブイ リの原発事故 を一つの 文学作品の中に取 り込 もうとした努力 は,少 な くとも,作品前半部分 に関 し て成功 している。 彼女が原発事故 の現場 に居合 わせた とい うような直接体験, つ ま り効果的な素材 を持 たず, もっぱ ら放射能 の拡散 によって間接的 に影響 を蒙 った 「 東 ドイツ」の‑寒村 での体験,見聞,観察 にのみ依拠 して原発事 故 の重 い意味 を表現 した ことは流石である。 しか し彼女 は現象 の背後 に潜 む もの を求 めるあ ま り,やや描写や記述 の具象性 を離 れ,思弁 に耽 り,想像 を 先行 させて しまった嫌 いが あ り, この作品 は彼女 自身のための備忘録, 自分 だ けの記録 と思 いた くなる。敢 えていえば, これ は Chr i s t aWol f の 「 私記」

( pr i vat epape r s ) と呼 んで もよいか もしれない。

最後 に筆者が, この作品 を取 りあげた理 由を述べてお くと,かのチ ェル ノ

ブイ リ原発事故が起 きた当時,筆者 は西 ドイツ ( 当時)のザール ブ リュ ッケ

参照

関連したドキュメント

交通事故死者数の推移

2 E-LOCA を仮定した場合でも,ECCS 系による注水流量では足りないほどの原子炉冷却材の流出が考

東北地方太平洋沖地震により被災した福島第一原子力発電所の事故等に関する原子力損害について、当社は事故

そのため、ここに原子力安全改革プランを取りまとめたが、現在、各発電所で実施中

○事業者 今回のアセスの図書の中で、現況並みに風環境を抑えるということを目標に、ま ずは、 この 80 番の青山の、国道 246 号沿いの風環境を

発生という事実を媒介としてはじめて結びつきうるものであ

1ヵ国(A国)で生産・製造が完結している ように見えるが、材料の材料・・・と遡って

当社グループは、平成23年3月に発生した福島第一原子力発電所の事故について、「福島第一原子力発電所・事