奈良教育大学学術リポジトリNEAR
大学法と大学自治 ― 大学法の制定過程と法的問題 点 ―
著者 松元 忠士
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 6
ページ 15‑27
発行年 1970‑02‑27
URL http://hdl.handle.net/10105/6200
大学法と大学自治
一一
c一 蜉w法の制定過程と法的問題点一
松 元 忠 土
はじめに
一、大学法の制定過程
二、立法趣旨と立法政策の問題点 三、大学法の憲法的論点
はじめに
第61回国会に提出されていた「大学の;運営に関する臨時措置法案」(以下法律として成立したの で大学法ないし大学立法と略す)は参議院に於て全く審議をつくすことなく,国会法,議院規則,
議院先例等の諸法規を逸脱した異例の強行採決で可決され,成立するに至った。本法の議事手続に ついては,既に致命的な蝦疵の故に違法ないし無効であることが指摘されており(1),本法はその規 範的内容に対する問題点と共に法としての権威と実効性は疑わしいといわねばならない。にもか㌧
わらず,実際問題としては法律が合法的に成立したものとして,公布,施行され,行政庁が現に有 効なものとして執行する限り国民を拘束するのである。現行法制度の下では,本法の議事手続上の 違法性,従って無効の問題点は法律の審査権を有する司法機関の最終的判断に委ねる外はない。
本稿は大学法が議事手続上,有効,無効のいづれに拘らず一この問題は他に譲って一一ナ学法 の制定過程,立法政策,規範的内容に亘って法的問題を検討するものであるが,特に大学法の制定 過程,立法政策に於ける立法者の主観的目的とその妥当性,立法事実の認識に対する批判を試みた。
いずれも立法の客観的内容に連るものとして,最後に憲法上の問題点を論じた。
一 大学法の制定過程
大学法制定への動向は,戦後3回にわたる大学管理法制定への志向と挫折の経過の中に見ること ができる(2)。第1回は昭和23年,文部省の発表した「大学法試案要綱」であり,第2回は昭和26年 の国立大学管理法案,公立大学管理法案(第10回国会で審議未了)であり,第3回は昭和38年の国 立大学運営法案で,いずれもその実現をみていない。これらの大学立法の歩みを端的に表現するな
ら,大学自治の憲法的保障の下での大学管理に対する民意の反映という立法課題から,憲法の実質 的空洞化の下での官僚統制の強化という方向であったと要約できる。従ってそうした立法内容に対 する憲法的疑義も常に強調され,それに対する大学人の抵抗により今日なお大学法制は,戦後の暫 定的法制の状態に置かれている。
ところで今回の大学法は,従来の大学管理法とは基本的に性格を異にしている。その法的性格は,
紛争収拾のための臨時措置法であり,現行法制に対し臨時特別法の地位を占めている。又法律の規
範内容の面からいって治安立法である。大学法の立法動機は,そもそも大学問題の基本的課題の解
決を廻避し,紛争の現象面の処理を意図して登場して来たものであった。か㌧る立法政策の発端と
して文部省が昨年7月に公表した「大学の教育機能停止措置法」をはじめとする幾つかの構想が,
今回の大学法の方向と性格を裏づけるのであろう。政府の大学紛争に対する基本的態度を示すこの 特別立法案の骨子は以下の通りである(3)。←学生ストなどによって,大学の混乱が一定期間以上続 いたときは,教育機関としての機能が自動的に「停止」することとし,研究機関としての機能だけ が存続することを法律で定める。oこの停止期間中は,学生は「休学」扱いを受け,所定の一単位数 が不足すれば,進級できないこととする.、白「停止期間」を終了させる決定は全学の意思でおこな
うこととし,その場合は学生の多数意思を決定の必要条件とする。㈱これらの手続きを公正に運ぶ ための第三者機関を設ける,というものである。この立法構想でとりわけ注目されるのは,第一に 大学紛争をこれまで初めて法的規制の対象としてとらえようとしていることであり,次にその規範 的方法として,紛争期間中の教育機能の自動的停止という考え方である。第三に大学紛争を法認す ることにより,その収拾の最終的判断を大挙の全構成員の意思に委ねるということであろう。なお 以上の立法構想の核心が,紛争の当事者たる学生か,紛争を継続する意思を止めない限り,それに
一種の法的制裁として休学措置をとり,紛争収拾の心理的圧力を加えようとするところにあること は忘れてはならない。
このような立法構想が、例え文部省内の幹部の中で考えられたものであったとしても,既に行政 庁内部で,大学紛争に対ずる大学の教育白勺,自主的解決という大学自治の建前を放棄し,法律によ
る紛争収拾,従一って法衛二よる大学管理権への介入という方向が明確になったことを知るのである。
9月に入って東大紛争が一層激化するに至ると,文部省は更に紛争収拾のための強硬措置の構想を 公表している。即ち「紛争がドロ沼におちいり,大学の手で解決できない場合」の法的措置として 以下の三つの構想を明かにし㌣4、。H占拠派学生の排除を盛込んだ立法措置。学生が大学本部,学 部本鎗など大学の中枢機関を占拠した場合は,実力で排除することを規定した法律をつくる。o大 学の閉鎖命令。学校教育法13条には「6ヵ月以上,授業を行わなかったとき」文相は学校の閉鎖を 命ずることができる,とあるので,これを適用する。8大学の廃校処分。国立学校設置法を改めて,
収拾のつかぬ紛争大学を廃校とする。というもので,いずれも未だ構想の段階とはいえ,驚ぐべき 過激な措置であろ。これらの法的携置の根底にあるものは,大学自治に対する不信と,性急な治安 的観点からの紗子処j=ミ11であポこ㌧には大学紛争の内容や性格,状況を一切問わないで,唯紛争の
現象面のみを外的な力で,しかも一挙に解決しようとする意図が露骨に出ているといわなければな らない。大学紛争は,一般の公安同題や民事上の紛争問題とは性格を異にし,あくまで大学問題で あることが無視されているのである。その外法律による占拠学生の排除は,大学の管理権を侵害す る危険をもち,文部大臣による大学の閉鎖や廃校措置 例え法の改正によるも一一は,大学の教 職員の権利を侵害し,又学生の教育を受ける権利を奪う恐れが強いのである。
文部省は,このような大学紛争収拾の立法案,ないし法的措置案を公表して世論を短いつつ,11 月には具体的な立法手続へ第一歩を踏み出したのである。即ち灘尾文相は,中央教育審議会の第一
112回総会に「当面する大学教育の課題に対応するための方策について」と題し,H教育課程の充実
をその効果的な実施,o大学における意思決定とその執行,白学園における学生の地位,㈲収拾困
難な学園紛争の終結に関する措置,等の4点にわたって諮問をした。この諮問が,その表題と諮問
事項からして,大学紛争に対する基本的な方策を求めたことは明かである。文相は諮問に当って
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「問題の解決は,あくまで大学当局の工夫と努力にまつぺきだが,事態の推移をみるとき,その解 決を援助する何らかの措置を講ずることが,国民一般の期待するところだと思う。従って当面の改 善方策を検討し,大学当局の努力を助けるとともに障害となるものがあるとすれば,それを取除く ために必要な措置をすみやかに講ずる必要がある・・…」と述べて,答申を要請している(5)。事態の 推移によっては,ωの項目について緊急立法の国会提出の含みをもっていたのであり,こ㌧に中教 審の役割も自と明かであろう。
大学法制定の動きを左右するものとして,問題の焦点は,東大紛争の帰趨へ向けられた。東大は 11月初めに新執行部へ代ってからのちも何ら紛争解決の糸口も見出すことが出来ず,1月9日,遂 に機動隊を導入し,最悪の事態を招いた。とりわけ大学に於ける最も重要な行事たる入学試験と,
紛争解決の基本文書たる確認書に対する国家権力の干渉は,大学自治への重大な侵害であった(6)の みならず,大学法制定へのほゾ確実なルートを開いたものといえる。2月3日に開かれた政府与党 の総務会は,当面の大学紛争について「大学の現状は放置できない段階にきている。大学内の秩序 回復と学園正常化のために早急に措置すべきである」という点で意見が一致した(7〕。更に田中幹事 長は,「臨時措置法は成案をえれば,今国会に提出の運びになるかもしれない」と語っている(8)。
こうした与党内の東大の事態に対する見解は,文教制度調査会と文教部会の合同による「東大紛争
。大学問題中間報告書」に総括されており,その大学自治への配慮をわずかも認めない高圧的姿勢 が注目される.要点はH東大の入試中止は当然である,o東大確言鴻は容認できぬ,白学園紛争 の当面の解決策は暴力,政治活動の徹底的排除である,ω大学改革のビジョンは大学院大学中心の 大学創設にある(gj。というもので,一政党の見解とはいえ,現に政府を担当している責任政党とし ては,余りに権力政治の観が深い。一方,入試中止のやむなきに至った東大は,評議会で確認書の
15細目を承認し,大学改革の準備作業にとりか㌧った。これに対しても文部省は,確認書の内容が 全国大学に及ぼす影響を恐れ,中教審の答申を根拠にして,東大確認書の不当性を訴え,骨抜きに する方針を明かにしている こうした政府,与党の政治的圧力の前で,各大学の大学改革への歯 Gぴ
止めをめざす→中教審答申が急がれたことはゆうまでもない。3月7日には,「学園における学生 の地位について」の中間報告(草案)が発表され,政府,与党の要望に積極的に応える中教審の姿 勢が示されている。ただ,大学の正常化に何らかの立法措置が必要か否かについては,政府は臨時 措置法の制定が,大学の基本的あり方にふれざるをえず,従って中教審の答申を待ち,時間をかけ て検討する必要があること,さらに沖縄返還交渉の準備や国会審議の時間的都合から極めて消極的 である。しかしながら,立法化に消極的な政府も,決して立法趣旨にそのものに反対なのではなく,
4月下句に至るや,そのままで中教審の「学生の地位」に関する中間報告草案を取上げて,臨時措 置法の立法化に積極的な動きを示して来た与党内の文教グループ(文教制度調査会,文教部会,大 学間題懇談会)の強い圧力の前に後退し,「必要最小限度の大学紛争処理立法」に同意するに至っ た(。)のである・この背後に中教審の「当面する大学教育の課題に対応するための方策について」の 答申案が,ほゴ公表間近にまで進捗していた事実を見逃すことが出来ない。つまり中教審は、与党 内の大学紛争の現状は放置できないとする文教・治安グループの意向を積極的に受けとめ,大学紛 争処理の立法化へ,終始政府をリート していたといえる。既に文部省は,中教審の答申が公表され
る3日前(4月27日)には,答申の内容に即して,「大学の管理運営の正常化に関する法案」「学
園の秩序維持に関する法案」の二法案を発表してい㍉才こ㌧には中教審の審議会として独立性は なく,自ら政府・与党と一体化し,むしろ政府・一与党の「かくれみの」の役割を果している。一般 に,審議会の目的は,国民が行政に直接参加することにより,広く行政の民主化をはかることにあ り,その理念の下に,専門知識の導入・公正の確保・利害の調整・各種行政の総合調整等にあると されている。そうだとすれば,中教審はその委員の人選や審議過程に民主的運営の要件を欠き,審 議会の存在理由を逸脱しているといわねばならないげ従って中教審は・大学紛争の解決策に当っ ても,「公正の確保・利害の調整」という本来の目的をはたしうる保障を欠いているのである。中 教審の委員は,文部大臣が内閣の承認を経て任命するのであり,文部省から自立した独自の事務局 をもたずに,その審議は非公開である。4月30日,文部大臣に提出された中教審答申(「当面する 大学教育の課題に対応するための方策について」)は,か㌧る審議会の民主的保障を欠いた構成と 運営から,必然的に全国の大学関係老の世論を反映することなく,一党派の政治的利害から作成さ れたものであったといっても言い過ぎではあるまい。この答申により,大学紛争処理のための臨時 立法を国会へ上程することが確定的となり,残るは立法に如何なる内容を最終的に盛るかであった。
この点については,「こんどの立法は大学正常化のため,当面の紛争処理に最小限必要なものに限 りたい」とする政府と,管理体制の強化と学生処分の規定挿入を主張する与党との対立が,5月23 日の国会上程に至るまで続けられるのであるが,その対立の要点は,政府が管理運営全般について はいずれ抜本的改革のための中教審答申が出されること,今国会の会期までの時間的制約があるこ との2点から強硬策に反対したことにある。唯,管理運営機構の設置と学生処分を強く主張する与 党に対し,政府は管理運営面を必要最小限度織込むのはよいとし,又学生処分などは当面行政措置 でやればよいと妥協している(14)のであるから根本的な基本方針の相異とはいいがたいのである。
なお以上の大学臨時法の立案過程の問に,大学に対する官僚統制の行政措置が,次々と実施され ていることを看過すべきではない。政府が与党の強い要請を受けて,現行法の枠内でできる行政措 置として,学校の秩序維持のために出した25年の文部次官通達の改正(4月21日)の文部省所管国 有財産取扱規定の改円15)(4月25日)・紛争大学への予算の執行留保・会計検査胞こよる大学検査 院による大学管理の国有財産に対する会計検査の実施等相ついで打ち出している。これらの行政措 置の中で,特に問題なのは,大学構内に警察の判断だけで警察が出動できるようにした25年の文部 次官通達の改正である。即ち政府は,従来学内秩序,特に「学校構内における集会,集団示威運動 讐の取り締まりについては,当該学校長が措置することを建て前とし,要請があった場合,警察が これに協力することとすること」とした次官通達の建前をくつがえし,大学に於て「正規の手続き を経ない集会等についてはもちろん,正規の手続きを経たものであっても,学生等の暴力行為によ り,人の生命,身体に対する危害または財産に重大た損害が及ぶおそれがあり,その他警察当局が ム兵あ妄全二森岸ゐ纏痔土桑急二誌ふえに至った場合」は,警察が独自に警察権を行使できるとし たのである。このような行政措置が,次官通達の改一正という形式で実施できるか極めて疑問であ 〕
㈹・又警察がこのような広範な裁量権をもって警察権を発動できるとすれば・大学の自治が侵害さ れ,自らの大学問題を自ら解決できなくする恐れが強いのである。次に紛争大学に対する予算の執 行留保は,文部省の行政官庁として権限乱用の疑いがあり問題である。
以上,「大学の運営に関する臨時措置法」の立案過程,立法政策,それと附随して補完的に出さ
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れた行政措置について概観して来たが,そこで出された問題点は,大学法の性格を明かにする上で 不可欠であり,又大学法の法としての妥当性,実効性を立法過程の実体的側面から示唆するものと 考える。大学法について論ずることは,今日すでに立法論となってしまったが,立法過程からみる 限り,その立法政策の妥当性は極めて疑わしい。第1に,大学の管理運営にか㌧わる立法措置は,
例えそれが臨時的なものであっても,教育制度の重要な部分にか㌧わるのであり,教育のあり方に 大きな影響を与えるものである。従ってか㌧る立法措置は,全国民的な合意の上で,しかも大学関 係者の見解を尊重しつ㌧なさるぺきに拘らず,大学問題に対する余りに政治的判断から出発し,大 学に不信を抱き,大学問題を党派的,治安的立場から処理しようとして来たことである。次に,以 上の結果として大学紛争を大学問題の原因や,大学制度のあり方から切り離し,紛争の現象面のみ を法的規制の対象とし,しかも政党内閣の1機関たる文部大臣の指導,勧告の下に上から強権的に 解決しようとしてきたことであり,第3に,大学法は,単に大学紛争の処理法であるのみならず,
大学の管理運営に関する自主的改革を規制し,中教審答申の枠の中におしとどめようとするもので あり(岬その意味で,効率的な中央集権的管理体制をめざす抜本的な大学管理制度の改革のための 、
臨時措置法であるといえる。苧㌧る大学ψ自主的改革の画一的な規制は,それぞれの大学に於ける 研究,教育の独自の発展を抑圧する恐れなしとしたいのである。
(1)渡辺洋三,奥平康弘「大学運営臨時措置法」批判法学セミナー163号 影山日出弥「大学運営臨時措置法の成立を見て」法律のひろば1969,IO月号
(2)戦後の大学管理法制定の動きとその内容については,海後宗臣,寺崎昌男「大学教育」
東大出版会,有倉遼吉「「大学法」成立の背景とその問題点」世界1969,11月号 シュリ スト・大学管理問題特集N0255
(3〕野村平爾,五十嵐顕,深山正光編「大学政策・大学問題」125頁 (4〕朝日新聞昭和43年9月1日朝刊
(5)朝日新聞昭和43年11月18日夕刊
(6)有倉遼吉「大学の自治と国家権力」(憲法秩序の保障)所収147頁 (7)朝日新聞昭和44年2月4日朝夕刊
(8)朝日新聞昭和44年2月4日朝夕刊
(9)内容については野村平爾,五十嵐顕,深山正光編(前掲書)I47頁 ω朝日新聞昭和44年2月10日朝刊
(li)毎日新聞昭和仏年4月27日朝刊
(12〕野村平爾,五十嵐顕,深山正光編(前掲書)80〜83頁
(崎 中教審一その虚像と実像,朝日新聞昭和例年3月18日朝子1」行田良雄,中教審に見る 「政治」朝日ジャーナル1969,Vol・11No20なお審議会の性格や地位については佐藤 功「審議会」行政法講座第4巻97〜109頁
(1刈毎日新聞昭和44年5月21日朝刊
(15)内容については清水成之「現行大学法制の仕組」ジュリスN0426
㈹ 通達の法的性格については,法的拘束力をもたない通知行為であるという説とこれをも
つ命令行為であるとする説にわかれているが通説は後者である 山内一夫「訓令・通達」
ジュリスト59号しかし文部大臣の権限と大学自治との関係からゆけぱ,当然前者でなけ ればならない。昭和25年の通達は大学自治の範囲であるが故に法認されうるものと考え る。
同大学臨時措置法第5条は大学の運営の改善のため講ずべき措置について,文部大臣が学 長に勧告できるように規定しており,中教審答申の内容からの逸脱は厳しい是正勧告を 受けることは目に見えている。
二 立法趣旨と立法政策の問題点
大学法の動機がどこにあるかは,立案経過のところで或る程度理解できるが,その後立法案の内 容が変っており,改めて政府の法案の提案趣旨と,それをめぐる論議を検討し,立法案の妥当性を 批判することとする。法案は,6月24日に衆議院本会議で審議に入り,その趣旨説明と,それに対 する質疑,応答があり,更に7月15日には,衆議院文教委員会の公聴会で公述人が,法案に対する 基本的な見解を述べており,いずれも重要なのでこれらに限定しつつ論ずることとする。
まず,坂田文部大臣は,法案の提案趣旨を次のように述べている。
「最近,大学を中心として学生運動が激化し,単なる大学改革運動の域を越えて,いっさいの体 制を否定しようとする暴力的な活動にまで広がっている。そのため,大学の教育,研究機能がマヒ し,大学の自治が脅かされ,さらには大学の存立そのものまでが危ぶまれるに至っていることは,
わが国の将来にとって,憂慮にたえない。・・・…………・・・… このような観点(「開かれた大学」
ともいうべきもの,筆者記す)に立って政府は今後,大学制度の抜本的な改革と取組む考えだが,
そのためにもまず,暴力と破壊が横行する紛争状態を収拾し,大学の使命である教育と研究の正常 化を図ることが何よりも先決だ。そこで政府は,現行制度による行政措置だけでは不十分と思われ る事項について,必要最小限の立法措置を講ずることにしたもので,立案の主眼は,当面の紛争を 収拾するための大学の自主的な努力を助けることである。・・……・」と
(1ゾ
こ㌧にほゴ政府の立法の動機が例える。問題点を整理するなら,第1に立法の動機とたる事実の 認識についてであり,果して学生の体制否定の暴力的活動により,大学の教育,研究機能がマヒし,
大学の自治,大学の存立が脅かされているか,否か。又そのように認識することが正しいのか,ど うか。第2に,大学紛争が学生の体制否定の暴力的な活動こよろうと否と,大学は紛争解決の白治 能力を喪失しているか,否か。つまりこのような立法を不可欠とするほど自治能力がないのか,ど
うか。第3に,大学制度の抜本的な改革には異論がないとしても,そのためにも大学紛争の収拾と,
大学の教育と研究の正常化が先決であるか,否か。つまり,果して紛争の状況や原因を究明し,そ れによって大学の改革を行わずして,紛争の立法による収拾が可能なのか,どうか。可能だとして も,その収拾は,結局政府の意図する大学制度の改革,大学管理法を国民や大学の世論を無視して,
一方的に押しっけるためのものではないのか,どうか。第4に,政府は紛争収拾のため「現行制度 による行政措置だけでは不十分と思われる事項について,必要最小限の立法措置を講ずることにし たもので,立案の主眼は,当面の紛争を収拾するための大学の自主的な努力を助けることである」
としているが,立法案の内容が実際にそうなっているか,どうか。である。
以上4つの問題点のうちで比較的に客観的に認定し易い第4を除げば,いずれも人の立場や,物
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の見方によってその認定の仕方は著しく異るであろう。とくに事実の存否についてさえそれぞれ人 の価値判断が加わる時には,事実認識の主観性は避けられないのである。そのため客観的な事実の 認識ですら,立場によってそれぞれ評価を異にし,その因果関係の理解に至っては,全く正反対の 結論すらひき出されうるのである。しかしながら,入の立場や考えがどうであろうと,客観的事実 は一つであり,事実に即した客観的認識を得るように努め,その客観的認識に基いて事実の因果関 係の究明がなされ,立法の精神と妥当性が検討されねばならないのである。
そこで,政府の立法趣旨の説明について提起した問題点のうち第1点についてどのような論議が なされたのであろうか。野党の見解は,政府の考えとまるっきり異っているということである。ま ず,政府の趣旨説明に対し質問に立った社会党の長谷川正三氏は,政府の立法意図が,政府が根本 的解決策を全く国民に示さずに,「大学問題を治安対策としてとらえ,学生の暴力のみを一面的に とらえて,このさい一挙に学生だけでなく,大学当局も含めて,その掌握下におこうとしている意 図が歴然としている 」とし,「学生が大学紛争の中で告発しているのは,このような(一社会 (2〕。
の要請に名をかりた一筆者記す)資本のしもぺとなりさがっている大学,単に資本の要請に労働力 再生産の場となっている大学のあり方に対しでた(3γ」と述ぺ・更に・「大学の自主的判断を無視
した文部次官通達,北大,九大などに対する人事権への介入,国立の紛争大学への予算などの留保 等」が,「大学紛争激化の要因を生み出している」(4一と指摘している。次に公明党の石田幸四郎氏 が,「政府提案の法案の本質は,権力による大学自治への介入であることが明らかであり,断じて 認めがたい。」し,「政府が終始一貫,民主主義社会においては暴力は許されないといって,問題 点をすりかえ」,「講座制にまつわる徒弟的封建性,警察導入,大学移転,学長選挙を含む人事,
カリキュラム,学生生活,不正入試,授業料等々」 の大学問題の本質解明に全く手を触れてこな (5)
かったことを指摘している。次に,民社党の鈴木一氏は,「われわれは,紛争処理という観点から 大学正常化をはカ}ろうという企てには,反対である。また大学自治の美名にかくれ,大学を事実上,
治外法権の場にしようとする思想,その思想を前提とする対策にも反対である。」とし,更に「大 学紛争解決の近道は大学を改造することである。」(6,という観点から・独自の「大学基本法案」を 提案するのである。以上の各野党の議員の質疑に対し,佐藤首相が工E面から答えようとせず,自己 の立場のみを主張しているのは残念である。例えば,社会党の長谷川氏に対して怯「・・青年はいつ の時代にも自我の確立を欲し,周囲の社会体制に反発して一きた。それにもかかわらず,国際的視野 が開け,人生を見る目が開けてくるにつれて,常に新しい時代のにない手として成長してきた。そ れが歴史である・」(7)と答えている。これでは長谷川氏の質疑にまるきり答えていないのみならず1 学生運動が政治に走り,社会体制に反発するのは,学生の国際視野や人生を見る目が開けていない せいであり,そうした視野が開けてくるにつれて,常に新しい時代のにない手として成長してくる のであるから,学生の運動は虚実であるというのであろうか,甚だ釈然としないのである。次に,
公明党の石田氏に対して,佐藤首相は,「今日の大学紛争の原因をひとことでいえば,大学が進歩
する社会に対応できなくなったためだ。また学生の一部が暴力に訴えて,自分の主張を貫こうとし
ているにもか㌧わらず,大学当局者が観念論に終始して,時宜を得た処置をとらなかった点があげ
られ糺」(8)と述べてい糺この答弁も石田氏の質疑に答えていないばかりか・大学紛争に対する
政府の政治責任を全く反省することなく,紛争の責任を大学当局の「時宜を得た処置をとらなかっ
た点」に帰している感があるのである。そもそも,政府の立法の動機となっている事実の認識には 飛躍があり,極めて一面的であ ),政治的であるといわねばならない。先に坂田文相の説明にあっ たように,政府の大学紛争の把え方は,学生の体制を否定しようとする暴力的な活動に原因があり,
大学がそれを解決する自治能力を失っている点に問題があるとするものである。こうした考えは,
大学立法支持者に多く見られるところである。例えば,7月14日の衆議院文教委員会の公聴会に於 ける鈴木弥七氏(全国高校P T A協議会副会長)や赤木五郎氏(前岡山大学学長)の見解(9)がぼゴ そうであろう。確かに学生運動が反体制の立場に立っているとしても,そのこと自体に紛争の原因 があるとは考えられない。やはりそれは一般に指摘されているように,広く社会構造に原因があり,
政治のあり方,文教政策,大学の制度や運営の仕方,教師や学生のあり方に原因があると考えなけ ればならない。今,こ㌧で大学紛争とこれらの諸要因との関連にたち入って検討する余裕はないが,
前記長谷川氏が,「学生が大学紛争の中で告発しているのは,このような資本のしもぺとなりさが っている大学,単に資本の要請に労働力再生産の場となっている大学のあり方に対しでた」と大学 紛争の原因を指摘しているが,少くとも原因の一端を巨視的観点から指摘したものとして検討に価 するであろうし,又,石田氏が「講座制にまつわる徒弟的封建制…」以下,具体的な問題を上げて いるのは,紛争の直接的なきっかけとなる要因として,それらに手をつくさなかったことに対し,
政府や大学の責任をついたものであった。もしこのような事実を故意に無視するなら,自己の責任 を廻避し,紛争の現象面のみを法の強制力で強引に処理するに至ることは当然の事理である。
このことは第2の問題点,つまり大学は大学立法を不可欠としているほど自治能力を欠いている か,という事実認識と関連している。大学の自治能力の問題は,大学が置かれている様々な社会的,
財政的,法的諸条件の下でどこに基準をおいて自治能力の喪失を測るかということに帰する。紛争 に対する対応の仕方もそれぞれの大学で,それぞれの対処の方法があり,一面的に判断できないの である。大学が紛争において経験や認識不足のため,或は対応の仕方にいくつかの失敗があったか らといって,直ちに自治能力を測るのは誤りである。このことは前記公聴会で加藤一郎(東大総長
)氏の指摘する通りであるαぴ更に重要なことは,紛争解決に当っての基本的前提となる大学の本 質についての理解の仕方であろう。大学の自治能力の問題についても,社会に直結した可測的な学 問研究の成果を期待し,それに対応する管理運営の能率化,効率化をはからんとする政府と,確実 な基礎研究の上で,長期に亘る研究成果の蓄積を期し,必ずしも実用的な成果にとらわれずに,研 究,教育主体の自立的な人格関係の維持を基本として,管理運営をはからんとする大学との問に大 きな態度の相異がみられるのである。効率的な大学の管理運営という観点から見るなら,確かに従 来のあり方は,紛争に直面して有効でなく,非能率的な点が多く指摘されうるが,しかし,もはや 大学は,それぞれの経験を経て,自ら改革を進めながら十分対応しうる柔軟な態勢も築かれつっあ るのである。しかも大学での研究,教育は,企業での財産管理とか,行政機関に於ける公務の執行 とは,どんな開かれた大学になろうとも本質的に異ることを忘れてはならないのである。これらの 点の認識で一致するなら,大学法が,文部大臣の勧告,大学の開校,学生の休学,教職員の休職,
廃校措置等の威嚇でしか大学紛争の収拾はっかないと考えるのは速断すぎるのではないか。
このように,大学の自治能力の喪失という問題が,決して一義的に論断しうるものでないとすれ
ぱ,この問題は,他面に於て,「大学の教育と研究の正常化」を「大学の抜本的な改革」に先決さ
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せる問題と違っているのである。即ち,「紛争大学」が.一義的に自治能力を喪失していると断定 することによって,文部大臣一学長の集権的管理体制の下で紛争を収拾し,正常化をはからなけれ
ばならない意図が間われなければならない。それぞれの大学で,評議会ないし教授会の支持の下で,
学長を中心とした臨機応変の体制が可能なのであり,それを排斥しなければならない理由が未だ明 かになっていないのである。確かに,学部自治の弊害が指摘され,全学的な意志の統一が困難な事 例が見られるのであるが,すべての「紛争大学」がそうであるわけではたいし,連絡や運営の仕方 に欠陥がある場合もあり,学内で解決できないほど絶望的な問題とは考えられないのである。この 点についても各大学の経験に基いた自主的な改革と,新しい自治体制の確立は可能であるというこ とである。だとすれば,大学立法の基本的前提である大学の自治能力の喪失という一方的な認定は,
むしろ客観的な事実の問題というよりも,それ以上に,文部大臣一学長の集権的管理体制を導入し,
その下で「大学の抜本的な改革」よりも,「大学の教育と研究の正常化」を先行させ,各大学の自 主的な改革を阻止し,政府の志向する大学管理法(現在のところ4月30日の中教審答申を基準とし て)の枠の中に押し止める意図をもつものであったといわなけれぱならない。こ㌧で注目されるの は,法案の提案趣旨説明に於て坂田文部大臣が,学生が大学に投げかけた課題や諸要求について一 切触れずに,rいっさいの体制を否定しようとする暴力的な活動」,「暴力と破壊が横行する紛争 状態」のみを問題にしていることである。これに対応して大学立法は,学長その他の機関は,「当 該大学紛争に系る問題に関し,三まら亡レ、壷娃丙三基∴そ痘痕さえ乏当該大学の学生の希望,意見 等を適切な方法によってきくように努め,これらの希望・意見等で当該大学紛争の妥当な収拾及び 当該大学の運営の改善に資すると認められるものについては,その構ずべき措置に反映させるよう 配慮しなければならない。」(法第3条第3項)と規定しているのである。(傍点筆者記す)誠に 丁重かつ慎重な表現であるが,筆者が傍点を記した個所に見られるように,極めて抽象的で裁量の 余地の多い規定となっており,一見して当然すぎる表現をとりたがら,こ㌧に二つの意味をくみる ことができるのである。一つはこの規定が,のちの学長に対する文部大臣の勧告権,その遵守義務 の規定を背景にむしろ学生の希望と意見の採用を抑制したものであり,次に,一般的な学生参加の 歯止めをしたものといえる。中教審答中の中の「いわゆる「学生参加」の意義と限界」の項をかえ りみるなら,十分このことを裏づけるのであろう。そこで,逆に論理をおし進めるなら,こ㌧に初 めて政府の紛争についての事実認識と立法の意図とが一致しているのを理解できるのである。即ち・
もし政府が各大学の学生参加を含めた多様な自主的改革を阻止しようとするなら,現行の大学自治 の主体たる合議制機関にとって代る強力な集権的管理体制を必要とし,又その為にはそれ相当の立 法化の根拠を必要とするということである。こ㌧に大学紛争が,極めて政治的に処理される理由の 一端幸見出す。何故なら,大学が大学の本質を考えることなく,紛争を単純な不正常行為で大学の 運営が阻害されている状態と解するなら,そのような紛争を解決することは,それほど困難だとは 考えられないからである。大学紛争は文部大臣の勧告や,大学の研究,教育機能の停止を待つまで もなく解決されるのである。以上のことから第3の問題点は解けたと思う。なお第4の問題点も,
以上のところで主観的立法目的を明らかにする中に示唆されるであろう。
(1)朝日新聞昭和仏年6月25日朝子.」
(2工3×4工5×6工7工8)朝日(前掲号)
(9廟日新聞昭和44年7月15日朝刊
鈴木氏は「暴力学生は大学の設備を破壊し,さらに政治的主張をふくんで民家の破壊にま で達し,こんごますます拍車をかける傾向にある」と発言しているし,赤木氏は「それは 私どもが交渉するところの窓口である全共斗,これを支配しているところの学生が目ざし ているものは,その究極の目的は,大学の改善ではなくて,大学の解体にあるからだ」と 述べている。
αo朝日(前掲号)
加藤氏は,「たしかに大学紛争に対する対処の仕方には適切でない点があったことは否定 できない。われわれも,それを反省しているわけであるが,東京大学の例を申すと,全学 をあげて紛争解決のための努力を続けてきていて上からの圧力やおどかしが解決に役立つ とは考えられないパー一私は大学は自治能力を決して失っているわけではたく,この ような法案がなくても紛争を解決してゆくことはできると,またそうしてゆかねぱならな いというように信じている」と述べている。
三、大学法の憲法的論点
大学法の法的内容については,今日多くの論議がつくされ,詳繊解釈学的分析を通して批判がな されている.しかも一単なる条文注釈ではなく,大学管理法制定史の中でその主観的立法目的を鋭く 究明し,優れて憲法論的観点からの批判である。それらの代表的なものとして,有倉遼吉編,「大 学法案総批判」法律時報48巻9号,渡辺洋三,奥平康弘「「大学運営法」逐条総批判」法学セミナ
ーN0163,伊藤正己外「大学運営臨時措置法の立法過程と内容の総合的検討」ほか諸論文ジュリス トN0436,未川博編「大学立法批判」法律文化社等があげられる。以上の諸論文から,既に大学 法が学問的批判に耐えられるものでないことが明らかにされている。
大学法の内容は,その殆んどの部分が大学の自治に関連しており,従ってその法的分析は常に憲 法論的視角からのものでなけれぱならないが,勿論,行政法からの解釈技術が不可欠なことはいう までもない。こ㌧では,若干の憲法上の問題に限定して検討してみることとする。
まず,法律の条項全体を一読して感ずることは,いたるところで憲法に抵触しながら,ぎりぎり のところで違憲性の認定を逃れようとする多義的な規定の仕方をしているということである。つま
り,多義的で,不確定的な概念の使用,又は複数の解釈可能な抽象的,包括的な規定の仕方をする ことにより,一義的には違憲性の認定を断定できないような仕組みとなっているのである。従って,
解釈の仕方,運用の如何によっては違憲の半1断から逃れられない。
問題の第1点は,第6条の2項の規定である。この規定は,学長が評議会にはかり,「学校教育 法及び教育公務員特例法に規定する機関で当該大学に置かれるものの職務及ぴ権限の一部を,学長 がみずからもしくはこれらの機関のうち審議する機関の議を経ることなく行うこととし,またはこ れらの法律に規定する機関のうち他の機関もしくは前号の機関に行わせるものとすること」という ものである。即ち,大学紛争収拾及ぴ大学運営改善のため諸機関の職務権限を学長へ委譲する規定 である。こ㌧で問題とたるのは,評議会や教授会のような大学自治の中枢機関の権限を,学長が単
に評議会に はかる ことにより学長一身に集中しえることである。 はかる の意味は,相手方
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に単に意見を求めることに過ぎない(1ヅつまり意見を求められた機関は・諮問機関にすぎないので あって,従って学長は評議会の意見に政治的,道徳的にはともかくとして,法律的には何ら拘束さ れないのである。評議会を学長の諮問機関とする考え方は,国立大学の評議会に関する暫定措置を 定める規則を踏襲したものといえるが,それはこれまで評議会を最高の意思決定機関としてきた大 学慣習法を全く無視したものである。例え,大学が紛争の非常時態にあったとしても,大学の全権 を最終的には学長の独断で掌握できるとするのは,余り大学自治の原則に反し,紛争収拾のための 必要最小隈の措置の範囲を越えているといわなければならない。なるほど,この規定には「大学紛 争の収拾及ぴ大学運営の改善に関する措置を迅速かつ適切に決定し及び執行する必要があると認め られるときは」という制約要件があるから,そうした措置も肯定されるという論理も成立つかもし れないが,その判断権をも学長がもっているとしか解釈されえないのである。しかも「大学紛争の 収拾及ぴ大学運営の改善に関する措置」とは,殆んど客観的規準で判断しうる内容を示していない。
次に,学長への権限移譲の範囲が極めて広範に亘っていることに注意しなければならない。学校 教育法及び教育公務員特例法に規定する機関とは,学長,教授会,学部長,教養部長,附置研究所,
附属病院長,附属図書館長,評議会,協議会等の機関(2戸,その職務権限の一部を学長がみずから 行ない,或は評議会等の議を経るぺきものとされている事項についてその機関の議を経ないで行な
うのである。更に,学長が,評議会にはかれぱ,例えば教授会の職務権限の一部を評議会へ一方的 に移譲できるのも問題であろう。これらの職務権限の移譲(諸機関から学長へと学部長,教授会か ら評議会へ)の中で特に大学自治の憲法規範に抵触するのは教職員の身分保障の事項である。同条 1,2項の一般的な解釈からすれば,教職員の人事権を学長に移譲することは出来ないと解するの が妥当である(3γ何故なら・本条があくまで紛争の収拾・運営の改善に限定された規定であり・又 人事権移譲の特別に明記した規定がないからである。しかしながら,法律の諸条項全体を子細に検 討する時,なお一抹の危惧を感じないではおられたいのである。それは第3条1項の教職員の協力 義務を前提とした,第4条の文部大臣に対する学長の報告義務,又学長に対する文部大臣の報告要 求権,第5条の文部大臣の学長に対する勧告権の文脈である。第3条1項については,この規定が,
法的拘束力のない単なる,精神的訓示規定と解されているが,全く法的効果がないとはい㌧えない
(4γ例えば,非協力教官に対する政府与党からの風当りが強くなった時,文部大臣が勧告を通して,
学長より,警告を発し,なお聞き入れない時に懲戒処分に附する可能性は十分あるのである。その 際,本条1項の2が紛争収拾のためと拡大解釈され十分威力を発揮するのである。勿論,この時文 部大臣の勧告は法的拘東力はないので,処分の法的主体は学長ということになる。4月30日の中教 審答中が,非協力教職員の職場からの排除措置をうたっていることを考えれば,少くともこの程度 の処分が出されることは十分予想されるのである。たとすれば,本条1項の2が,教職員の思想良 心の自由を犯す危険性はないとはいえないのである。
次に問題となる点は第7条である。第7条の1項は,紛争大学の学長による教育及び研究に関す る機能休止に関する規定であり,学長は紛争を収拾するため必要があると認めるときは,6月以内 の期間休止することができる。こ㌧で目的は,紛争の冷却,凍結ではなく,「大学の施設を保全し ながら,妨害を排除して教育,研究の再開の準備に専念」すること(6月あるから,校門や施設のロ
ックアウトが問題となる。「妨害を排除して」であるから,恐らくは警察官の導入がなければこの
ような措置は,実際上不可能であろう。
だとすれば学長の教育,研究機能の休止措置は,紛争の当事者たる学生との話し合いを放棄し,結 局紛争を永ぴかせるものといえる。何故なら,紛争の原因や学生の諸要求に応えずして,教育・研 究機能を休止し,実力で一方的にロックアウトしたら,学生側との対話の余地は殆んどなくなり,
学生側は学長の措置に強く抵抗することが予想されるからである。その結果は,学生側の完全な屈 服が,紛争のエスカ1ノートであり,後者の場合は紛争収拾の権限が文都大臣の手に渡されることに なろう。一体,このような教育・研究機能の休止権が学長の独断に委ねられているのであろうか。
第7条1項の規定の表現をみる限りそうであり・文部省筋もこれを肯定(7)し・評議会又は教授会に かけることをむしろ例外とみているようである。同条1項に休止の決定手続がないのは,「学長に おいて判断されるぺきことがら」だからとされている。そうだとすれば,学長の紛争処蓮如何によ
って,全教職員の意思とはか㌧わりなく,紛争結果の責任を負わされ極めて不合理といわねばなら ない。学長の教育・研究機能の休止決定に参加することなく,その責任だけは等しく受けるのは全 く自治の原則に反するのである。
同条2項の規定はもっと深刻な問題を提起する。大学紛争が生じた後9月以上経過した場合また は紛争が収拾された後1年以内に同一の学部等において再び大学紛争が生じた後6月以上を経過し た場合には,もはや紛争収拾の権限は学長等大学機関の手を離れて,もう文部大臣の権限に帰して しまうのである。即ち,文部大臣は,「当該大学の学長の意見を聞いたうえ,臨時大学問題審議会 の議に基づき,当該学部等における教育及ぴ研究に関する機能を停止することができる。この場合 においては,当該大学の学長に対し所要の措置をとるよう指示するものとする。」のである。この 文部大臣の停止権の発動の要件は,「大学紛争の収拾が困難であると認められるとき」であり,そ の事前手続は,「学長の意見を聞く」こと,「臨時大学間題審議会の議に基づき」である、つまり 文部大臣の停止権の発動は,紛争が前述の時間に達しても決して自動的になされるものではなく,
あくまでも文部大臣の認定権の下にあるということである。とすれば,この行政処分の恣意的発動 の抑制ということは極めて重要であるにも拘らず,規定は単に当該大学の学長の意見を聞くに止ま り,上述審議会の議を経るとしても,その委員は文都大臣の任命であり,その事前抑制は極めて不 十分といわねばならない。文部大臣たるも政党内閣の一員にすぎないとすれば,この停止処分の政 治的発動の可能性は決して軽視されてはならないのである。この停止処分が当該大学の学生の休学,
教職員の休職の法的効果を伴うとすればなおさらのことである。更に問題になるのは,教職員の休 職処分の根拠である。それは文部省当局によると,大学の管理運営上の責任をただす意味ではなく,
「教育研究機能の停止の結果,特定の者を除いては従事すべき業務がなくたるので,これらの著を
休職にすることとされた」のである(8ア又・文部事務次官通達に依ると・本項は「大学がこれらに
規定する措置等によって紛争の収拾に努めてもなお教育研究機能を回復することができず,すでに
収拾のための手段がほとんどつきてしまったような段階に至った場合に大学の最終的な努力を促す
ことを目的としたもの」(g)とされている。前者の説明では,極めて事務的に従事すべき業務がない
から休職にしたとい㌧,後者の説明では最終的な努力を促す威嚇的措置だとしているのである。し
かしながらいずれの説明も矛盾していることは明かである。なぜなら,前者に於ては, 「停」」二」と
は廃止と同じでないから業務がなくなるとはいえないのでたいか。更に教育・研究機能の停止は従
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事すべき業務を廃止する為のものでないはずである。とすれば後者の威嚇説の方が真意であろうαぴ 後者の説明では,学生を休学にし,教職員を休職にしておきながら,大学の最終的な努力を促すと は論理的矛盾である。ところで学生に対しては規定は実質的に休学扱いをしておりながら注意深く 休学の用語を避けていくのである。
いずれにしろ,教戦員に紛争収拾の義務を負わせながら,学長,文部大臣に権限集中を行い,彼ら の紛争の収拾結果をすべて一般の敏職員に帰せしめることは,決して合理的な根拠をもつものでは なく,必要最小限の措置とも思われないのである。従って違憲の疑いは逃れない。
なお,入学者の選抜の実施の可否を決定する最終的な権限について,文部大臣にありとする次官 通達が出されたが,それは大学自治を侵害するものであることについては既に紙面の余裕はないの で,有倉遼吉「大学の自治と国家権力」(憲法秩序の保障)所収を参照していただけれぱ幸いであ
る。