• 検索結果がありません。

A 世論−政治連鎖モデルの論理と問題点

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "A 世論−政治連鎖モデルの論理と問題点"

Copied!
26
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

世論−政治連鎖モデルの論理と問題点

A

寸 ホ

 目 次はじめに

一 世論−政治連鎖モデルの諸類型

二 世論1政治連鎖モデルの問題点

一二@争占⁝投酉不の再拾仏討

おわりに

はじめに

早稲田社会科学研究 第37号(S63.10)

 現代政治の過程は︑それが民主政治の過程であるならば︑政治システムの構成員である公衆の意向と︑アウトプッ      慨トとしての政策との連鎖が確保される過程でなければならない︒それは︑言い換えれば︑広く世論と政治との連鎖が

(2)

確保される過程である︒ここで念頭に置かれている世論は︑政策争点についての選挙民の選好の分布であると言って

もよい︒そうした選好は︑どのようにすれば︑歪みなく政治に反映されるのであろうか︒あるいは︑民主政治の過程

においては世論と政治との間に一定の連関があるとするならぽ︑現実に世論と政治とが架橋されるメカニズムは︑い

ったいどのようなものなのであろうか︒こうした問題は︑政治過程における世論の役割を考える際には︑避けて通る

ことができない重要性をもつ︒仮に世論と政治を架橋する装置が存在しないならば︑政治過程において世論は存在し

ないも同然であろうからである︒

 また︑現代社会においては︑直接に政治運営を担任する者へαqoく㊦讐︒同︶と︑日常的かつ職業的には政治運営に当る

ことのない残余の人々︵夢①σqo<Φ旨①像︶との一定の分化は避け難い︒そうであるとするならば︑世論と政治の架橋と

は︑また一面では︑治者ないし政治エリートと被治者の意向の架橋でもあろう︒かつてV・0・キイ︵<●O国①団︶

は︑世論研究が︑社会学者や社会心理学者によって方法論的に洗練されていく一方で︑政治の舞台から切り離されて      ︵−︶いく傾向に飽き足らず︑﹃世論とアメリカ民主政﹄︵︑§ミeミ§§駄﹄ミミ§b§ミミ§巳①H︶を著した︒そ

こでキイは︑治者と被治者の意向の架橋という過程のもつ重要性を認識していたのである︒すなわち彼は︑民主的体      ︵2︶制は︑政治活動家と大衆とから成るとした上で︑ ﹁世論の民主的体制への組み入れが明らかになるのは︑システムの      ︵3︶力学︑これらの階層間の相互作用の中においてである﹂と指摘した︒これはつまり︑世論は︑大衆の問に存在するぽ

かりでなく︑政治運営者に伝達されなければ︑政治的意味をもち得ないということなのである︒

 かつて大衆民主政治が出現した当初においては︑世論を反映した政治を実現する困難性は︑まず世論それ自体が捉

︑丸難いという点に求められたかもしれない︒しかし︑世論調査の質的︑量的な発展は︑この問題を︑完全にとは言わ

126

(3)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

ぬまでもかなりの程度解決したと言えよう︒それでもなお︑世論調査がかなり正確に明らかにするようになった選挙

民の間の政策選好分布を︑どう政策につなげていくかという問題は残されている︒それがいかに発展しようとも︑世

論調査自体は︑政治的意思決定の手段たり得ない︒世論調査によって政策を決めるわけにはいかないのである︒

 本稿においては︑こうした世論と政治との連鎖を確保するための手段︑あるいはどのようにして連鎖が確保されて

いるのかに関して︑従来提出されてきた理論を︑類型化した上で再検討してみたい︒その際には︑主としてアメリカ

政治の研究を参照することにする︒引用した研究のすべてが︑必ずしも世論と政治の連鎖を主題としているわけでは

ないが︑本来の論旨から逸脱するような引用はなされていない︒ここで抽出したモデルは︑それぞれが完全に自己完

結的で︑相互に排斥的であるというわけではなく︑むしろ着目点の相違から︑それぞれのモデルが生じているという

面もあるのである︒従って︑これらの諸モデルの検討は︑世論と政治の連鎖の多面的な特徴を理解するのに役立つで

あろう︒ 具体的な研究手順として︑まず四つのモデルを抽出し︑その内容を提示する︒次に︑それらのモデルの構成上の難

点︑説明能力などの問題点を検討したい︒そして最後に︑選挙民の投票行動や政治意識についての最近の研究を参照

しながら︑ ﹁責任ある選挙民﹂モデルを再検討することにする︒

一 世論一政治連鎖モデルの諸類型

       塒世論−政治連鎖モデルとして︑本稿で検討しようとするのは︑自動的連鎖モデル︑合理的個人モデル︑責任ある選

(4)

挙民モデル︑政党・圧力団体モデルの四つである︒自動的連鎖モデルに対して︑

でも言うべき特微をもっている︒この点については︑後に述べたい︒ 他の三つのモデルは︑選挙モデルと       28       1

 自動的連鎖モデル

 そもそも︑世論と政治との連鎖は︑ある一定の条件の下では︑言わば自動的に達成されるというモデルも︑まった

く成立しないわけではない︒このモデルにおいて︑世論と政治の連鎖を保障するメカニズムは︑二つあると考えられ

よう︒ その第一に挙げられるのは︑黒馬と被治者の同質性である︒すなわち︑政治運営に当たる公職者が︑まったく被治

者からは隔絶した社会階級であるとか︑文化的背景の異なる社会集団からのみ補充されているのではなく︑基本的な

文化や価値観を共有する一つの社会の構成員の中から補充されるのであるならば︑公職者の行なう政治もまた︑そう

した文化や価値観の基本的な枠組を逸脱することはないというのである︒

 第二には︑公職老がもつ役割意識とでも言うべきものの存在が挙げられよう︒つまり︑公職者には︑自分が被治者

の忠実な代弁者という役割を果たさなければならないという義務感覚が存在し︑それが結果として世論を反映した政

治を行なわせることになるというのである︒一般的には︑公選職であれ任命職であれ︑公職者の抱く役割意識は︑およ

そ二大別できよう︒すなわち︑ひとつは被治者の意向の忠実な代弁老という代理人︵α9①αq98︶的役割意識であり︑い

まひとつは︑何が被治者の利益に沿う政策であるかを判定する白紙委任的な裁量権を得た受託者︵窪信ω8①︶としての    ︵4︶それである︒前者の役割意識の下では︑極言すれぽ︑公職者は単なるメッセンジャーに過ぎず︑自らの判断が世論と

(5)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

異なる場合には︑世論に従う︒重要なのは︑この場合︑公職者は義務感覚からそうするのであって︑被治者の意向に

背くことによって生じるかもしれない︑たとえぽ選挙での落選といった何らかの不利益を恐れるためではないという

ことである︒

 こうした役割意識に注目して︑とりわけ代理人的役割意識をもつ公職者を︑世論と政治の連鎖の媒介として規範的

に擁護しようとする議論は︑古くから存在してきたとも言えようが︑最近のアメリカ政治における世論と政治の連鎖

を公職者の役割意識で説明しようとしたのは︑ジェームズ・H・ククリンスキー︵冒旨①ω=.洞癌匹ぎω恩︶である︒      ︵5︶次章で述べるように︑彼の一連覇論文における主張は︑民主政治における世論と政治の連鎖を一般的に説明するよう

な包括的なものではない︒しかし︑ククリンスキーらの議論を念頭に置きながら︑先に述べたような二つのメカニズ

ムによって世論と政治との連鎖を確保するモデルを定式化することができよう︒こうした自動的連鎖モデルは︑厳密

には︑自由かつ公開の選挙をその制度的基調とはしない非民主的な政治システムにおいても︑設定することができな

いわけではない︒しかし︑本稿で議論しようとしているのは︑民主政治における世論と政治の連鎖である︒従って︑

主として公選公職者のもつ代理人的役割意識︑そして公選公職者と選挙民との間の同質性によって︑世論と政治の連

鎖を説明しようとするものとして自動的連鎖モデルを設定することにする︒

 合理的個人モデル

 同じく半ば自動的な世論と政治の連鎖モデルではあっても︑役割意識とはまったく異なるメカニズムを想定するモ      並狙デルもあり得る︒それは︑純粋に経済合理的個人を主体として設定されるモデルであって︑たとえばアンソニー.

(6)

       ︵6︶ダウソズ ︵︾φけげO昌矯 UOミロω︶ の分析にその典型を見出すことができよう︒彼の主著﹃民主政治の経済理論﹄ ︵﹄蕊      30肉8§ミら↓ミ︒遷旦b馬ミ8ミ亀H㊤qS︶に沿ってこれをみていぎだい︒      1

 まず彼のモデルにおける主たる行為者となるのは︑経済合理性によって動く︑合理的で利己的な個人である︒それ       ︵7︶は﹁伝統的経済理論から合理的消費者という概念を借用する﹂ことによって想定される﹁合理的市民﹂なのである︒      ︵8︶そうした人間は︑自らの利益を隠すことなく直線的に追求する︒ダウンズの目的は︑そうした人間から成る社会にお

いて︑民主的政府の行動原則を定式化することにある︒民主的政府とは︑以下の八条件を満足する社会に存在する政

府である︒すなわち︑e単一政党︵または政党の連合︶が︑政府機構を運営するために普通選挙で選ばれ︑口そうし

た選挙は一定間隔内に行なわれ︑その間隔は︑政権党単独では変更し得ず︑日社会の永続的住民であり︑健全で︑そ

の土地の法令を遵守する成人はすべて︑そうした選挙の投票権をもち︑四一人一票であり︑固そうした投票の過半数

の支持を得た政党︵または連合︶が︑次の選挙まで政府権力を掌握する権利を与えられ︑因選挙で敗れた政党は︑勝

利した政党︵または連合︶の政権掌握を︑武力︑またはいかなる非合法手段によっても妨害せず︑固政権党は︑いか

なる市民や他の政党に対しても︑政府を実力で転覆しようと試みない限り︑その政治活動を制限せず︑囚毎回の選挙       ︵9︶で︑常に複数の政党が競合する︑という社会の政府は︑記述的に民主的と定義される︒さらに政党は︑ ﹁正式に定め      ︵10︶られた選挙で公職を得ることにより︑政府機構を支配しようとする人々のチーム﹂であると定義される︒この場合の       ︵11︶チームとは︑目標の一部についてだけではなく︑すべてに完全に合意している人々の連合であるとされているので︑

政党は︑事実上一個の人格であることになろう︒合理的個人の集合体であって︑なおかつ目標について完全に合意が

成立しているとするならば︑当然そうなる︒ダウンズのモデルにおいて重要な行為者である政党は︑このようにして

(7)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

事実上は︑合理的個人と同じようにその行動を分析できるのである︒そこでは︑政党の構成員と政党とは︑実際には

同義となる︒選挙民と政党とを︑主要な行為者としているにもかかわらず︑このモデルを︑合理的個人モデルと呼ぶ

理由はここにある︒

 そこで︑政党の行動の動機は︑政府の運営権を得たり︑公職を占有することによって︑所得︑名声︑権力を得るこ

とである︒決して特定の政策を実現することではない︒政策は︑政治家の私的目的達成の手段なのである︒端的に言       ︵12︶えば︑ ﹁政党は選挙に勝つために政策を立案するのであって︑政策を立案するために選挙に勝つのではない﹂のであ

る︒そこで政党は︑選挙での得票を極大化するために︑政党の政策を選挙民の政策選好に合わせようとする︒そのよ

うな得票極大化競争に勝利した政党が︑政権を獲得し︑公約した政策を実施することになるのであるから︑結果とし

て世論に沿った政治が行なわれることになるのである︒その場合︑選挙に勝った政党が公約を果たそうとするのは︑

次回の選挙でも政権を維持したいからであって︑公約した政策の正しさへの信念とか︑公約は遂行しなけれぽならな

いという義務感覚からではない︒

 それでは︑合理的で利己的な個人の投票行動のメカニズムは︑どのようなものとされているのであろうか︒利己的

個人である選挙民は︑競合する政党の中で︑自らに最大の利益をもたらしてくれる政党を選んで投票する︒これが投

票の基本的論理である︒ところが現実の世界は不確実性︵巷8二巴三団︶の存在する世界であるとされる︒すなわち︑      ︵13︶個々の選挙民は︑政府活動の内容︑政府活動と自らの所得との関係について︑不確実な知識しかもっていない︒従っ

て︑政府すなわち政権党の業績を正確に評価することはできない︒さらに︑将来にわたって政府がどんな問題に直面

するかも予想し難い︒これでは︑選挙民はどの政党に投票したらよいのかわからないであろう︒こうした状況におい

131

(8)

ては︑政党のイデオロギーが有用となる︒イデオロギーは︑ ﹁よい社会︑およびそうした社会を建設する主要な手段       ︵14︶についての︑ことぽによるイメージ﹂であると定義される︒こうしたイデナロギーを︑投票者は︑相異なるすべての      ︵16︶立場の標本として用い︑そうすることによって︑広範な争点のすべてに精通するという費用を節約するのである︒ぞ

うすれば︑投票者は︑政党の提示するイデオロギーの差にのみ注目し︑それを基準に投票する政党を決めればよい︒

一方で︑政党の側では︑イデオロギーによって投票する投票者がいることを理解しており︑そうした投票者の選択基

準となるように︑自党を代表するイデオロギーを提示する︒この場合︑投票者の側では︑自分の信ずるイデオロギー

︵の政党︶を選ぶのに対して︑政党は︑それを信じている投票者の数が最も多いと思われるイデオロギーを選ぶ︒政

党は︑イデオロギーのために選挙を戦うのではなく︑選挙に勝てるようなイデオロギーを選ぶのである︒

 以上に述べてきたように︑個人が合理的︑利己的に行動するならぽ︑個人の投票行動は︑彼の政治上の選好を完全

に表現し︑全体としての投票結果は︑投票老全体の選好分布を反映する︒すなわち︑たとえぽ保守ーリベラル軸とい

った単一尺度上に表現されるイデオロギーの支持者分布が一様でなく︑有峰性があるとするならぽ︑峰の部分のイデ

オロギーを提示した政党が勝利を収めるであろうからである︒

132

 責任ある選挙民モデル

 このモデルにおける主要な行為老は︑先の合理的個人モデルと同じく︑独立した決定能力をもつ個人である︒この

個人は︑政治に関する情報を得ており︑その情報と自らの価値観とから︑合理的に投票行動を行なう︒すなわち︑民

主政治が健全に機能するために要請される︑言わば︑望ましい市民としての個人であるとすることができる︒こうし

(9)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

た個人が︑自由かつ公開の選挙において︑公職者を選出する︒選出された公職者は︑選挙民の政策選好に沿った政治

行動をとるので︑結果として世論に沿った政治が実現されるのである︒

 このモデルにおける公職候補老は︑自らの政治的理念を実現するために︑政治の世界に入る︒もちろん︑理念が至

上で選挙結果は度外視するというわけではなく︑当選のためには︑自らの立場を微調整する程度の妥協はするであろ

う︒それでもなお︑このモデルにおける公職候補老は︑合理的個人モデルにおけるのとは︑基本的に異なる誘因をも

つのである︒ところで︑合理的個人モデルにおける公職者は︑自己利益を追求するだけで︑役割意識など本来もたな

いとされていた︒これに対して︑責任ある選挙民モデルにおける公職者が何らかの役割意識をもつという可能性は︑

モデルの構成上とりわけて排除されるものではない︒しかし︑ここではそれを問う必要はないのである︒なぜなら︑

選挙民の多数派の政策選好と公職者のそれとは︑選挙を経て一致しているはずなのであるからである︒この両者に不

一致がある場合にのみ︑公職者がもつ役割意識によって︑政治行動が異なってくるであろう︒

 このモデルが前提にしている選挙民像は︑やや理想化されており︑現実的であるとは言えないと思われるかもしれ

ない︒事実︑研究者の多くは︑選挙民が完全に合理的に投票行動を行なっているとは考えてこなかった︒そうした中

で︑選挙民が争点を判断して投票する能力に一定の評価を下したという点では︑V・0・キイは︑やや例外的な存在

であろう︒彼が︑責任ある選挙民モデルを提唱しているというわけではないが︑ここでキイの議論に触れておきた

い︒       ︵16︶ キイは︑その未完の遺作において︑投票者が争点投票を行なう一定の能力があり︑ ﹁投票者は愚者ではない﹂こと      塒を示そうとした︒彼がそのために用いたデータは︑一九三六年から六〇年に至る大統領選挙の投票行動についての選

(10)

挙民の面接調査である︒そこで選挙民は︑三種類に分類される︒連続する二回の選挙において前回の選挙と同一政党

に投票した同一政党投票者︵ωけ9︒巳当惑︒同ω︶︑投票政党を変えた投票政党変更者︵ω乱8げΦ諺︶︑前回選挙時には選挙       ︵17︶権がなかったか棄権したかして︑とにかく投票しなかった新投票者︵口①♂< <OけΦ村ω︶の三種である︒そして︑どの大

統領選挙においても︑投票者の一泊パーセントから二〇パーセントが︑投票政党変更子である︒キイによれば︑こう       ︵18︶した投票政党変更者は︑学歴・争点認知・政治的関心などについて︑同一政党投票者とさして違わない︒投票政党変

更者も同一政党投票者もともに︑基本的には︑重要な争点についての選好と投票行動とを関連させており︑争点投票      ︵19︶老であると言えるのである︒

134

 政党・圧力団体モデル

 このモデルは︑選挙民と政府とを媒介にする組織に注目して構成したものである︒政党や圧力団体のような媒介組

織が果たすべき大きな役割は︑自動的連鎖モデルにおいては存在しないと言ってもよい︒世論と政治の連鎖を保障す

る代理人的役割意識は︑公職者が個人としてもつものであるからである︒一方で︑合理的個人モデルにおいては︑政      ︵20︶党は︑半自動的に世論に反応し︑圧力団体は︑全体としての世論からは離れた政策をとるように政府に働きかける︒

あるいは︑むしろ個人が合理的かつ利己的に行動するならぽ︑必ずそうなるように構成されているのが合理的個人モ    ︵21︶デルなのである︒また︑選挙民と個々の公職者の選挙を通じた関係に焦点を当てて構成したのが︑責任ある選挙民モ

デルであった︒

 そこで︑責任ある選挙民モデルと同様の合理的な選挙民を前提としながら︑公職者集団としての政党とそして圧力

(11)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

団体といった媒介組織を組み込んだ︑一種の責任ある選挙民モデルの修正モデルとして︑政党・圧力団体モデルを構

成することができよう︒すなわち︑政党や圧力団体は︑責任ある選挙民モデルにおいて個々の公職者が個別的に世論

を表出していたのに対して︑集合的に世論を表出する︒媒介組織としての政党や圧力団体は︑個々の選挙民の政治参

加の費用負担を軽減させるであろう︒まず︑政党には︑その存在自体が一定の方向性をもった政策選好の象徴的集約

であるという性格があるので︑選挙民は︑個々の公職候補者の政見に精通しなくとも︑その所属政党を知れば足り

る︒また︑圧力団体の構成員であることによって︑個々の選挙民は自分で政府に働きかける費用を節約することがで

きる︒圧力団体が︑たとえぽ専門のロビイストを雇って︑言わば代行してくれるからである︒

 このモデルにおける政党と圧力団体とは︑世論と政治の連鎖の達成という点については︑補完的な関係にある︒圧

力団体が︑それが実際に組織している人々よりも︑はるかに広範な人々の利益を代表しているというのは︑ときとし

ては︑単なるレトリック以上の意味のある主張であり得るかもしれない︒また単一争点組織や公共利益団体などは︑

既存の大政党や大規模圧力団体が目を向けようとしない争点を提起するという機能を果たし得るのである︒

 こうしてみてきた四つのモデルのうちで︑後半の三つのモデルは︑選挙モデルとして一括できる面がある︒ つま

り︑これらのモデルにおいては︑選挙を通じて︑公職老と選挙民の政策選好の連鎖が確保されるのである︒もしも選

挙が存在しなけれぽ︑公職者は︑合理的個人モデルにおいては︑専ら私利私欲を追求することになるし︑責任ある選

挙民モデルと政党・圧力団体モデルにおいては︑世論を顧みることなく︑自らの政治的信条に沿った政策だけを実施

していくことになる︒放任しておけぽこのようにして失われてしまう危険のある︑世論と政治の連鎖を確保する手段       燭が選挙なのであると言えよう︒

(12)

次章では︑自動的連鎖モデルと選挙モデルの問題点を検討したい︒

136

二 世論一政治連鎖モデルの問題点

 自動的連鎖モデル

 このモデルにおいて︑世論と政治の連鎖を保障するのは︑文化的同一性と役割意識である︒このうち前者について

は︑確かに政治がその社会の文化的規範から大幅に逸脱することはないという最低限の保障にはなり得るであろう︒

しかし︑具体的︑個別的な政策についての公衆の選好を政治に反映させるメカニズムには︑なり難いように思われ

る︒むしろ文化的規範の共有は︑特定のモデルではなく︑世論と政治の連鎖の一般的な前提のひとつであると考︑兄た

方がよいのかもしれない︒

 次に公職者の役割意識についてみると︑二つの問題点を見出せる︒すなわちまず第一に︑公職者の多数が代理人的

役割意識をもっているものなのかどうかであり︑第二には︑公職者が仮に代理人的役割意識をもつとして︑彼が代理

人として従うべき世論を︑本当に知ることができるのかということである︒そもそも︑代理人としての役割意識をも

つ公職者が少数派に過ぎないのであるならば︑全体として世論と政治の連鎖が確保される可能性は︑低くなるであろ

う︒また︑公職者が世論を正確に判断できないのであるならぽ︑いくら彼が代理人として行動したつもりでも︑結果

としては︑世論は政治に反映されないことになろう︒

 結論を先に述べるならば︑第一の問いに対しては︑否定的な回答が︑第二の問いに対しては︑否定的な回答と肯定

(13)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

的な回答の両方が出されている︒参照し得る研究は︑その対象となる公職者のレヴェル︑研究の時点︑方法などにつ

いてやや断片的であるけれども︑おおむねこのように言ってよいと思われるのである︒

 すなわち第一の点についてみれば︑代理人的役割を自任する公職者は︑少なくとも少数派であると考えられる︒ジ

ョン・C・ウォーキー︵匂Oゲ昌 O● ぞく9げ一吋①︶らが行なった︑ カリフォルニア︑ ニュー・ジャージー︑オハイオ︑テネ

      ︵22︶シi各州の州議会議員の研究や︑ドナルド・J・マクローン︵∪8巴島一.竃090ロ①︶とジェームズ・H・ククリン       ︵器︶スキー︵冨日Φω=・国二匹ぎω臨︶とによるカリフォルニア州議会の議員行動の研究によるならぽ︑そう言わざるを得

ない︒ウォーキーらの調査によれば︑調査対象となった四つの州議会のすべてにおいて︑受託者的役割意識をもつ議       ︵%︶員が︑過半数を占めているのである︒実は︑これらの調査においては︑受託者か代理人かという単純な二分法は︑採

用されていない︒場合により︑また争点によっては︑受託者でも代理人でもあり得るという﹁政治家﹂eo一三8︶的

役割意識が︑第三のカテゴリーとして設定されている︒これは︑あるいは受託者と代理人という両極の中間的な役割

意識であるとも言えよう︒このように場合によっては代理人として行動する可能性を残している﹁政治家﹂的役割を

もつ議員と︑純粋に代理人的役割意識をもつ議員を合わせても︑なお少数派にとどまっているということを︑ウォー

キーらの調査は示しているのである︒これに対して︑ジョン・W・ソウルQoぎ芝●ωo巳︒︶によって行なおれた︑       ︵お︶︑︑︑シガン州議会の調査結果は︑やや異なっている︒すなわち︑三つのタイプの役割意識をもつ議員が︑それぞれ三分      ︵26︶の一ずつを占めて拮抗しているのである︒しかし︑この場合でも常に代理人的役割意識をもつ議員が多数派であるわ

けではない︒      37

、一福ナ第二の点についてみれば︑比較的初期の研究には︑否定的な見解をとるものが多いようである︒たとえぽ︑  1

(14)

ウォーレン・E・︑・・ラー︵ぐ﹃髄﹃同Φ昌 ﹈円︒ ζ一一一①﹃︶とドナルド・E・ストークス︵∪8巴α国●ω8評①ω︶とによる連邦下     ︵飾︶       38院議員の研究によれば︑下院議員は︑自らの選挙区の世論を正確には把握していなかった︒これに対して︑たとえば 一       ︵82︶ロバート・S・エリクソン︵幻OびΦ同け ω・ 堅目一難ωO昌︶らによるフロリダ州議会議員の研究や︑ジョージ・C・エドワー       ︵92︶ズ三世︵OΦ含σqoρ国匹≦⇔aω旨︶による連邦下院議員の研究などは︑公職者に世論を判断する能力があるという文

脈で理解し得る︒

 そこで︑もし仮に代理人的役割意識をもつ公職者が︑例外的存在であるとまでは言わぬにせよ︑少なくとも多数派

ではないのならぽ︑公職者の世論認知能力がどうであれ︑自動的連鎖モデルは︑それ単独では世論と政治の連鎖を説      ︵30︶明できないであろう︒実際︑自動的連鎖モデルに肯定的であると評価し得る研究の中で主張されていることは︑世論

と政治の連鎖の説明としては︑きわめて限定的である︒すなわち︑ある一定の条件の下で︑とりわけ際立った争点に

ついては︑代理人的役割意識をもつ議員の方が︑そうでない議員よりも︑自らの選挙区民の政策選好をよりょく代表

しているというのである︒

 そうであるとするならば︑世論と政治の連鎖は︑事実上ほとんど偶然の所産であるということになるのではないで

あろうか︒というのは︑公職者が常にすべての争点について︑代理人的役割意識をもつようなメカニズムが想定され

ていないからである︒たとえぽ︑議会について考えてみよう︒当選した議員の多数派が︑たまたま代理人的役割意識

をもっていたとする︒そうすれば︑それだけで世論と政治の連鎖は成立するであろう︒一方で︑仮に代理人的役割意

識をもつ議員が少数派にとどまったとする︒その場合には︑世論と政治の連鎖が成るかどうかは︑争点によるであろ

う︒ ﹁政治家﹂的役割意識というのは︑争点によって受託者でも代理人でもあり得るというものであるから︑一つの

(15)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

争点についてみれば︑代理人的役割意識か受託者的役割意識のいずれかしかあり得ない︒そこで︑それについては受

託者的役割意識をもつ議員が多数を占めるかどうかは︑受託者的議員の行動に左右されるであろう︒受託者的役割意

識をもつ議員の選好が︑選挙民の選好に︑そして代理人的議員の選好に一致することはあり得ることである︒したが

って︑代理人的議員と合わせて多数派を形成し得る程度の数の受託者的議員の選好が︑たまたま選挙民の選好に一致      ︵31︶する場合には︑世論と政治の連鎖が成立するであろう︒

 こうしてみれば︑仮に代理人的役割意識を︑世論と政治の連鎖のメカニズムとして認めるとしても︑公職者に世論

を認知する能力があるとした上で︑代理人的役割意識をもつ人間が︑公職老集団中の多数を占めるような制度なりメ

カニズムなりを想定しない限り︑自動的連鎖モデルは︑単独では成立しないと言えよう︒一方で︑公職者の世論認知

能力を否定するならぽ︑それだけで自動的連鎖モデルは成立しなくなってしまう︒その場合には︑選挙モデルのいず

れかに依拠するしかないであろう︒

選峯モデル

 先に選挙モデルとして一括した三つのモデルの中で︑合理的個人モデルと他の二つのモデル︵責任ある選挙民モデ

ルと政党・圧力団体モデル︶とを分かつのは︑その前提とする人間像である︒とりわけ︑公職志向者または職業政治

家像の違いが目につく︒合理的個人モデルにおいて想定されている職業政治家像は︑仮にモデルの現実性が問題とさ

れる場合には︑モデルの弱点のひとつと言えよう︒自動的連鎖モデルを検討した際みたように︑合理的個人モデルの

想定ではもつはずがない役割意識を︑現に政治家はもっている︒また一方で︑職業政治家は︑それが選挙民に受け入

139

(16)

れられるかどうかは一応別の問題として︑自身の政治的信条をもってもいる︒自らの政治的信条の保持と選挙での当       蜘選とが︑絶対に両立しないという場合は︑現実にはかなりまれなのであり︑現実の政治家は︑政治的信条と当選の両

方を追求していくのであろう︒

 一方で選挙民の人間像については︑どうであろうか︒基本的には︑政治家像と同じく︑合理的個人モデルと他の二

つのモデルの間の相違が大きい︒しかし︑実際の投票行動については︑合理的個人モデルにおけるイデオFギー投票

は︑政党・圧力団体モデルにおける投票行動に通じる点がある︒これに対して︑責任ある選挙民モデルでは︑争点投

票が想定されているのである︒

 このように整理してみると︑合理的個人モデルでは︑構成上巧みに排除されている二つの問題点があることがわか

るであろう︒まず選挙民の選択肢となる政党の提示する政策選好が︑選挙民全体の選好分布に照らして︑著しく片寄

っている場合には︑政党を選択して投票する意味が︑選挙民の大部分にとってなくなってしまう︒そこで︑責任ある

選挙民モデルと政党・圧力団体モデルにおいては︑こうした事態を防ぐために︑新政党形成の可能性を確保するか︑       ︵32︶ある程度の政党内デモクラシーを実現するかしなければならない︒純論理的には︑いずれか一方が完全に実現されて

いれぽ︑他方の必要はないが︑現実的には︑両方ともにある程度まで必要であろう︒とりわけアメリカにおいては︑

民主・共和の既存二大政党が︑制度的に支えられている面があるので︑一般的な意味で政党内デモクラシーの必要性

が認められる︒

 二番目に問題となるのは︑争点投票をする能力が︑選挙民にあるのかどうかである︒この点については︑次章でも

触れるので︑ここでは︑第一章で紹介したキイの議論についての批判をみておきたい︒まず︑キイの研究対象ほ︑大

(17)

統領選挙に限られており︑それだけから直ちに︑選挙民に争点投票を行なう能力があると一般的に言うことには︑や

はり飛躍があるであろ魍次に問題なのは・キイの用いたでタは︑大統領肇の投票行動ξいての事後調査から

引き出されているという点である︒一般的に言って︑事後調査においては︑被調査者は︑過去の自らの行動を︑現在

の時点から合理化して回答する傾向がある︒また︑合理化できないような行動は︑ほんの三︑四年以前のことであっ

ても︑都合よく忘れてしまったりもするのである︒キイの基本的前提は︑投票者が︑まず争点を認知し︑それについ

ての自らの選好を形成してから︑投票したはずであるということであった︒しかし︑投票者がまず先に何らかの理由

で投票し︑その後から︑投票した候補老や政党の政策に対する支持態度を形成したのかもしれない︒あるいは︑キイ

自身がその可能隻認めているよう晦政策争点以外の何か他の理由から投票する予定の候補者叢党の無爵一致

するように︑自らの政見を構成しただけなのかもしれないのである︒

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

三 争点投票の再検討

 アメリカ合衆国において一九四〇年代から現代まで続けられてきた一連の投票行動研究の中でも︑比較的初期の研      ︵お︶究は︑現実の投票行動が︑争点投票のような合理的行動とは程遠いものであったことを示している︒たとえぽ︑大半      ︵%︶の投票者は︑選挙戦が始まる前に︑誰に投票するか決めてしまっていた︒つまり︑具体的な争点が提示されないうち

に投票行動が決定されていたのである︒そして投票行動を説明する単一の指標として最も有力なものは︑政党支持で

あるとされた︒この政党支持は︑きわめて安定的態度であり︑一度確定してからは︑争点などにはほぼ無関係に︑投

141

(18)

      ︵37︶      ︵38︶票行動を規定するものと考えられたのである︒すなわち﹁要するに︑投票者は愚者である﹂とされていたのであっ

た︒ ﹁投票者は愚老ではない﹂と考えたキイは︑こうした潮流の中では孤立していたと言えよう︒       ︵39︶ しかし一九七〇年代以降︑少なくともやや従来と異なる投票者像を示唆する研究が現われてくる︒たと︑兄ばデイヴ      ︵40︶イッド・E・リーパス︵一︶煙く帥匹 団U. 図Φ℃曽ωω︶の研究が挙げられよう︒以前の研究においては︑被調査老に対して︑そ

の態度や認知を質問する争点は︑調査者の側で重要と判定したものに限られていた︒しかし︑被調査者自身が重視す

る争点を挙げ︑それについて質問するという調査法を用いた結果は︑ある意味で当然とも言えようが︑被調査者自身

の重視する争点については︑被調査老は強い関心をもち︑知識もあり︑候補者間の相違も認識しているというもので

あったのである︒この調査法の修正は︑投票者自身が関心をもっている争点に注意を向けなければならないというキ

イの主張に沿うものであった︒

 このような争点投票の可能性の限定的な承認という傾向と並んで注目されるのは︑政党支持という概念の再評価の

試みであろう︒たとえばモリス・P・フィオリナ︵7自O﹃門一ω ﹈℃9 蜀一〇門一P僧︶によれぽ︑政党支持は︑従来考えられてき       ︵41︶たような固定的意識状態︑支持政党とその候補者への盲目的な一体化ではない︒それは︑投票者が広範な政治情報を

整理・要約して把握するフィルターのようなものであり︑短期間に変わり得る︒そこで︑仮に政党支持が︑依然とし

て個人の投票行動を説明する単独の指標としては最有力であるとしても︑少なくとも︑そのことは投票行動が︑合理

的な争点投票の対極にある非合理的な要因によって規定されているということは言い難くなるであろう︒むしろ政党

支持は︑合理的計算の結果であり得る︒

 またジャヅク・デニス︵︸毬〆dop巳ω︶は︑支持政党の有無やその強弱の程度とは別の次元に存在する︑政治的独

142

(19)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

      ︵42︶立性について論じている︒そして︑政治的に独立した︑合理的政治行動をとる投票老の興隆を示唆するのである︒

 このようにして︑投票行動のイメージは徐々に変わってきた︒少なくとも︑初期の投票行動研究にみられたよう

な︑非合理的行動というイメージは︑修正されていると言えよう︒そこで︑争点投票の可能性について︑仮に肯定的

な見解がとられ得るとするならば︑世論と政治の連鎖モデルにどのようなインパクトを与えるであろうか︒

 まず何よりも︑責任ある選挙民モデルと政党・圧力団体モデルが成立する可能性が高くなるであろう︒これらのモ

デルは︑連鎖の中心的メカニズムとして︑争点投票を想定しているからである︒しかし実はそれぽかりでなく︑自動

的連鎖モデルも︑争点投票に関連する面があるのである︒先に述べたように︑このモデルが成立するためには︑代理

人的役割意識をもった人間が公職に就くようなメカニズムが必要とされる︒しかし代理人的役割意識をもっていると

いうこと自体は︑選挙においては有利にも不利にも作用しないであろう︒一般的に︑公職候補者のもつ役割意識は︑

投票の基準にはなりにくいと思われる︒そこで︑代理人的公職者を選任するメカニズムとして考えられるのは︑一種

の回顧的争点投票とでも言うべきものである︒すなわち︑投票者は現在や将来の争点ではなく︑過去の争点について

のみ︑公職者の示してきた対応を評価して投票するのである︒もちろんこのメカニズムには︑難点もある︒まず基本

的には︑現職者の実績の評価によるのであるから︑現職者が出馬しない場合には︑どうしょうもない︒もっとも新人

候補者の経歴を知ることができるならば︑それを評価することで︑ある程度は役割意識を推測できよう︒次の難点

は︑仮に過去の現職者の争点に対してとった行動が︑選挙民の選好に一致していたとしても︑それが現職者が代理人

的役割意識をもっていたからなのか︑それとも受託者的役割意識からとった行動が︑偶然に選挙民の選好に一致した      43だけなのか識別できないということである︒最後に︑現職者を排除した場合でも︑確実に代理人的公職者が補充され ー

(20)

るという保障はない︒最初の場合と同じく過去の実績で判断できないから︑現職候補以外の誰を選ぶべきか基準がな       44いのである︒対立候補が一人だけなら自動的に決まるが︑彼が代理人的役割意識をもっているとは限らないであろ 一

う︒こうした不確実性はあるけれども︑一定の期間を経れば︑回顧的争点投票によって︑公職者の相当部分を︑代理

人的役割意識をもつ者で占めるようになることを期待できる︒したがって︑投票老に争点投票の能力があるならば︑

自動的連鎖モデルも可能となるのである︒

おわりに

 世論と政治の連鎖が望ましいものであるとして︑それはどのようなメカニズムによって達成され得るのであろう

か︒ここで提示した四つのモデルの中で︑合理的個人モデル以外は︑すべてある程度の争点投票が行なわれることを

必要としている︒最近の研究動向に照らして︑一定の条件の下では︑投票者は争点投票を行なう能力があるとするな

らぽ︑これら三つのモデルは︑それぞれ成立するであろう︒そしてその中でも︑責任ある選挙民モデルの修正モデル

としての政党・圧力団体モデルが︑最も現実的であろう︒争点投票は︑どんな選挙においても可能であるとは限らな

い︒際立った争点がないことはあり得るし︑争点が明確であっても︑投票者の側が態度を決めかねるという場合もあ

ろう︒そうしたときには︑支持政党が投票基準になる︒こうしてともかくも︑選出直後の公職者の政策選好と選挙民

のそれとは一致するのである︒しかし︑次の選挙までの間に生じるかもしれない新しい争点については︑一致する保

障はない︒その場合には︑公職者の代理人的役割意識が︑連鎖のメカニズムとして働く︒政党・圧力団体モデルは︑

(21)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

自動的連鎖モデルによって補完されるのである︒キイが︑公職者の規範は︑ ﹁基本的には︑世論の尊重︑世論がどう       ︵43︶にかしていずれは勝つのだという信念﹂であると観察しているのは︑こうした意味で興味深い︒﹁

 自動的連鎖モデルの鍵となる役割意識については︑しかし︑まだ解明されていない点がある︒公職者は︑いつ頃︑

どのようにして役割意識を取得するのであろうか︒公職老としての在任期間中に︑徐々に確定していくものなのか︑

それとも明確に役割意識を確定した者が︑その後に公職を志すのであろうか︒また︑いったん取得された役割意識

は︑変わり難いものなのであろうか︒また同様に︑公職者が︑世論を認知するメカニズムも未解明なのである︒議員

が︑自ら世論調査をすることもな文たとえば大統領予備選挙の結果を子守予測で艶のは・どのようにしてであ

ろうか︒これらは︑すべて将来の課題として残されているのである︒

 これまでみてきたように︑一定の条件の下では︑選挙民が争点投票を行ない得るし︑また現に行なっているのであ

るとするならば︑世論は︑政策形成過程における有効で合理的な入力であると︼応はすることができるであろう︒し

かし︑これまでの議論は︑実はそれが何であれ︑とにかくある種の政策争点の存在を前提としていた︒世論を︑政策

争点についての選挙民の間の選好分布であると考えるならぽ︑世論は争点が形成された後に生じることになる︒とす

るならぽ︑真に重要な問題であっても︑それが政策争点として設定されない限り︑世論は有効に機能しない︒あるい

は︑むしろ世論自体が形成されない︒すなわち︑ひとたび設定された争点に関しては︑世論と政治の連鎖を確保する

有効なメカニズムを考えることができるけれども︑本稿で考察したような連鎖モデル自体は︑争点設定を保障するも

のではないのである︒世論一政治連鎖モデルが︑民主的な政治過程のモデルとして成立するためには︑重要な問題は       45すべて争点化されていなけれぽならない︒こうした争点設定機能は︑様々な行為者によって担われ得るが︑最近にお ー

(22)

いて︑また将来に向けて特に注目されるのは︑ マス・メディアと単一争点組織︵ωぎσqδ蕾器︒お9巳N豊︒づ︶であ

ろう︒マス・メディアは︑そもそも表出すべき世論がまだ形成されていないような争点を提示することがある︒さら

に︑基本的には一方向的なメディアである従来のマス・メディアに対して︑双方向的メディアであるパソコン通信の

普及が注目される︒これは︑従来ならぽ小規模で局地的で︑また一時的なままに終わってしまったような運動を組織

化する決定的な要因となる可能性を秘めているからである︒

 最後に付言しなけれぽならないのは︑本稿では︑ほぼ一貫して︑選挙民中の多数派の政策選好が実現されることを

もって︑世論と政治の連鎖とみなしてきたということである︒これはすなわち︑多数支配の原則を承認しているとい

うことでもある︒しかしながら︑この原則が︑ ﹁ゲームのルール﹂として常に妥当かどうかは︑たとえば少数民族集

団の問題などと関連して︑改めて問わなければならないであろう︒

146

 注︵1︶ <.ρ国①ざ冒ニミミ苛eミ軌ミ§職トミミ笥§b恥ミ︒ミ自6黛︵Zo毛磯︒葵讐H㊤O一︶.

︵2︶ 政治活動家︵℃o一凶二︒巴9︒〇二く馨︶というのは︑キイによれば︑民主政治において何らかの政治活動に従う人々を意味す

  る︑かなり広範な概念である︒すなわち︑高位の公職を占める職業的な政治家から︑自らの支持する候補者に投票するよう

  に︑周囲のほんの少数の人間に働きかける以上のことはしないようなアマチュアの市民に至るまでを含んでいる︒要する

  に︑選挙で投票する以上に何らかの能動的な政治活動を行なう者は︑すべて政治活動家であるとされるのである︒♂ミ讐︐

  ㎝6bQ︒

︵3︶ミ匙.

︵4︶ これら二つの役割意識は︑代表についての伝統的な議論に関連している︒ 出9旨9閏Φ巳︒げ︒一℃勲爵一事↓魯馬O︒§§鮪豊

  沁Qミ§ミ轟睾︵切O円吋〇一〇鴫璽 μO刈0︶二旨.一念〜♂刈.を参照︒本稿で用いる代理人︑受託者というのは︑言い換えれば︑それ

(23)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

  それ命令委任または拘束委託を受けた受託者︑白紙委任を受けた受託者ということになる︒

︵5︶b8巴住い寓︒08ロ︒碧ら冒日︒ω口国艮ぎω臨℃.︑目冨∪︒δ︒q9︒8↓げ8q︒︷男︒戸田︒β§ごp︑︑冨ミミ§旨ミ言︑ミ

  ︑ミミらミ⑦職§8<o憎邸︒︒晒ZgbO︵竃節団ちおyトこ刈G︒〜ωOP三日︒¢瓢●国門院首ω吋一9︒ロ即搾ゲ餌aρ国=貯σq︑︑勇︒鴇︒︒︒o口・

  富江︒二巴図巳POo口ωけ胃ロ①βo嘱O且巳oP9︒ロ住ピΦoqδ冨畠く︒図9〒09二切︒ゴ曽詮05︑.︾ミミ咄ミ嵩智鷲§ミミ︑oミ皆ミ⑦ミ§g噌

  ︿oドb︒H・ZgH︵閃︒ぼ§曼6ミyδ㎝〜辰8当為︒ω躍.国自国口ω匹噛.︑図︒質Φωo三碧ぞ窪︒ω︒︒き儀璽①o江8︒・﹀℃oぎ団

  ︾ロ巴誘凶9︑︑郎ミミ馬ミ嵩℃oミ馬§︑の9§g沁ミ龍§謬︵り画m同Oげ H㊤刈Oo︶一①甲嵩S

︵5︶ ︾昌爵︒口団Uo征け9﹄醤駒8謹ミq↓譜︒送ミb馬ミ︒ミ亀違︵Zo毛団︒募りH㊤零Y古田精司監訳﹃民主主義の経済理論﹄︵成

  文堂︑昭和五五年︶︒

︵7︶きミこO●刈.

︵8︶きミニや心・

︵9︶§職二署﹄も︒幽軋●

︵10︶ きミ.O﹄㎝.

︵11︶ §織・

︵12︶ きミこO●bっ○︒.

︵13︶ きミ冒噂やミーQ︒一・これは︑言い換えれば個人は完全情報をもってはいないということである︒この点では︑たとえばマン

  カー・オルソン︵寓勢目︒鶴同9ωo昌︶のモデルにおける個人とは異なる︒

︵14︶ ♂匙こや㊤①●

︵15︶ きミ嚇O・¢︒︒.もしも︑自らの投ずる一票が︑選挙の結果を左右するほどの重みがあると投票者が考えるならば︑可能かど

  うかはともかく︑すべての争点の内容と各党の立場に精通した上で︑投票する政党を決めようと試みるであろう︒しかし︑

  現代の大規模な選挙においては︑各投票者は︑自らの一票に︑それほど決定的な価値はないということを知っている︒もつ

  とも︑確かにどんなに大規模な選挙においても︑一票差で勝敗が決まる可能性がまったくないわけではない︒しかし︑個々

  の投票者が︑投票する前に︑そうした結果になると知ることはできないのである︒もちろん︑漠然と接戦を予想する情報 47       1  が︑投票前に流れることはあり得る︒しかし︑それがすべての投票者に︑争点の内容と各党の立場に精通した上で投票する

(24)

  という高い費用を負担させる誘因になるとは考えにくいのである︒︵16︶<.9国︒ざ二三9§婁一・霞8︒臨≦ぎ・ρ︒§邑舅乙・二罫穿営嵩ω蓄肉§ミ§h沁ミ帖︒蓉ミヒ§協

  ︑蓋吻ミ§職ミ︽ミミ隣竈ま1送ミ︵09日耳建oqρ一㊤①①︶噛<一P

︵17︶ きミこ﹂①

︵18︶ きミこ︾℃・㊤ω山O①●

︵19︶ きミニOやb⊃りよ口・

︵20︶ Uo≦ロω闇§.9rO98ゐ㎝ψ

︵21︶ 政党は︑選挙民中の多数派のイデオロギーを採用しない限り︑選挙に勝つことはでぎない︒圧力団体は︑政府に自らの利

  益に沿う政策をとるよう働きかける際に︑それが多数派の利益に沿っていると主張する︒圧力団体は︑それがいかに少数者

  の組織であったとしても︑世論を代表していると主張するのである︒不確実性の支配する現実の世界では︑こうした主張

  を︑政府は完全には無視できない︒圧力団体の主張のすべてを︑いちいち選挙に訴えて︑世論に合致しているかどうか検証

  することもでぎない以上︑政府は︑圧力団体の個別的な要求に対しては︑一定の譲歩をしがちなのである︒︵22︶ピ巨O・≦岱毛蚕閏①ぎN響一塁噂≦崔壁ヨ野︒匿轟p薗づα冨δ団ρ頴重信ω︒p↓切望讐§画器の透§︵z霧

  団︒時℃H㊤①bO︶●

︵23︶ 寓090μo餌け自国障巴言吻江噛︒辱・亀︑・

︵24︶ ≦p三評ρ①け.巴二§・9妹曜矯ロ﹄G︒H.

︵25︶冒巨≦・ω〇三ρ..害εお勺aユ︒巴﹀ヨぼ酔6房四品葺①切①冨ユ︒﹁o随國昌︒浮嚢げΦ鼻ω鼠8冨oq芭p蝕︒登.︑ミミミ婁

  智ミ蕊ミミ︑oミ苛ミ防職§ら♪一ω︵諺口ゆqロω叶お8︶.おOI島県

︵26︶ き︑昏■齢b︒.ソウルの研究では︑まず調査対象者を︑将来州議会議員よりもさらに重要な公職に就こうという野心のある者

  とそうでない者とに分類した上で︑これら二つの集団の中での役割意識の比率が示されているだけで︑調査対象全体につい

  ての正確な数字は明らかにされていない︒しかし︑個々の数字から逆算すると︑調査対象全体の中で︑受託者的役割意識を

  もつ者が三五パーセント︑ ﹁政治家﹂的役割意識をもつ者が三一パーセント︑代理人的役割意識をもつ者が三四パーセン

  トとなる︒

(25)

世論一政治連鎖モデルの論理と問題点

︵27︶ ミ口凌︒ロ国一≦凶=o﹁山ロ隅Uo口出匹中の8閑①ω冒..Oo昌ω二εoμo網同ロ二二〇口︒①一昌Oo昌伊亀﹁oωωサ..﹄ミミ︑ミ嵩︑ミ隷皆ミ⑦亀馬ミ馬

  勘もミ.馬§<Oド㎝SZgH︵一≦僧﹃oず目㊤①ω︶噂転窃一㎝9

︵28︶ 園︒σo詳gD●国ユ犀︒ワOPZO﹃ヨ9君臨.H二津げ①αq一〇口口≦==鋤B<・出︒=o≦餌ざ.甘口︒≦ぎσqO口︒ゴUδ#ざゴ閏︒≦ピ︒ひqδ冨−

  8﹃ω知8巳9男︒︷o﹁Φpα蔭ヨ<oユ昌ぴq剛..︾ミミ馬ミミ冒ミ︑蕊ミミ︑ミ隷篤らミ⑦鼠馬§魯<oドト○トニ累O.ω︵諺偉αQ二ωけ 一㊤刈co︶㎝=1㎝ω9

︵29︶ ○①自伽qΦρ国α毛9目αω陣−︑︑論ミ§肺暁ミミミ§欝ミG§頓蓋器︵Zo≦磯O﹁ぎ60QO︶・

︵30︶ ﹈≦oO﹁o昌oo口侮囚信犀旨口ω貯一o㌧.亀汁および国ロ治乱ω自門9︒ロα国≡ロoq層︒㌧.飾玉

︵31︶以上は︑もちろん図式的な議論である︒現実にはあり得るであ.ろう︑政党による所属議員の拘束などの要素は考慮されて

  いない︒

︵32︶ 合理的個人モデルは︑政党内デモクラシーの可能性も必要性もないように︑当初から構成されている︒この点に関して

  は︑拙稿﹁アメリカ合衆国における最近の政党改革の論理と批判の論理  政党内デモクラシーをめぐってi﹂ ﹃早稲田

  政治公法研究﹄第十二号︵一九八三年︶︑一頁〜十七頁を参照︒

︵33︶ >9σq①切・O冨ロω①Pじdoo吋園①くδ毛︾↓ぎ智裳§ミ螢︑ミ馬欺oρ<oピ悼㊤・Zo﹂︵閏①げ同門霞︽ら①刈︶り曽①ート⊃H刈.

︵34︶ 国①ざ↓ミ物鳴ζo舘&貯肉︑鴨亀ミミ♪︾●駆9

︵35︶ 切Φ﹁目葭豪勇.ヒd9Φ冨oP℃ゆ巳即発9N碧ω︷2α9ロα≦﹁鵠=僧ヨZ.﹈≦o℃﹃①o ︽ミ§晦︾⑦ミ亀◎\O慧ミ︒同旨ミミミ旨嵩

  旨貸︑蓋吻馬軋恥ミ馬ミO亀ミ辱ミ鴫嵩︵Oゴざゆαqρ一Φ㎝戯︶.

︵36︶ き︑駄二 〇﹂oQ.

︵37︶ ﹀昌㎎ロωO⇔ヨ娼び︒♂℃三=ぎ即Oo口く︒誘①愉≦9︒霞︒ロ国.﹈≦=一〇59昌qU餌く強国●ω8吋①ρ↓ぎ︾ミミ馬ミ蕊園ミミ︵Z①≦

  磯︒機FHO①O︶.および勺⇔EωピρN碧ω︷o匡糟切︒円ロ費ら因.切90δoP櫛づ匹=帥目N20曽ロ侮or↓ぎ︑恥︒黛鳥︑肋6曹驚恥ぎミ

  導鴨﹃aミさぎ的§ミ§概§貸︑蓋恥ミ§牒馬ミO貸ミ旨茜きし︒a・①島6有吉広介監訳﹃ピープルズ・チョイスーアメリ島人

  と大統領選挙一﹄︵芦書房︑昭和六二年︶︒ただし︑こうしたいわゆる﹁ミシガン学派﹂とは別に︑投票行動を規定する要

  因としての社会階級を重視する考え方も存在した︒

︵38︶家︒冨aヨΦヨ一9︒口q=臼げ①円け周・≦o凶ωげ︒︻oq・9ミ︑Sミ恥§ぎ︾ミミ驚§ぎ跳武ヒu偽ミミミ︵ω窪津簿μ9ω︒9ち♂︶・ 49       1  0﹂忠・

(26)

︵39︶ ﹂O馬概二 唱︾■HO①1同刈一・

︵40︶U碧置国の図︒ぽωω︾.雰︒︒話ω隻窪8島民騨同¢9a8鴇..卜§§§︑︒§ミ⑦§§馬尋ミミ鳩ぎ護9Zp卜︒︵匂琶Φ

   ドΦ刈一︶層 OQQQOI軽OO︒

︵41︶竃︒三ωや黒︒ユ冨㌦︑﹀口O巨百︒h9㊤ζ9巴︒h℃9︒円蔓Oげ98り︑.︾§ミ§㍉§ミミミ寄ミ§︑惣§3<oピト︒一

    ︵﹀oq偉ωけ H㊤刈︶旧 ①O目10卜∂㎝・

︵42︶智昆U︒8す..ぎヨ8薗=巳8︒昌9︒①貯﹀ヨΦ見向寄ユご○ロ切Φ一貫窪H巳8︒巳︒暮℃9︒三日目ω后宮﹁冨﹃...

   切︑ミ罫旨ミ言︑ミぎ︑ミ§︑恥亀ミ昏♪く︒ 蜀勺9誹HQ毬§q6c︒︒︒yミ山8・

︵43︶国︒ざ寒ミらeミ§§糺﹄ミミ§寒ミミ§ざづ・0ω︒︒噛

︵44︶ 国叫帥評ωO口嚇ピ信け一げOゆ身拶昌頃O二〇≦四団層O︾・6謙.

150

参照

関連したドキュメント

はさほど気に留めることはない。②は,制度化が低 水準にあることは政治指導者や政策当局者が意識的

Ⅲ期はいずれも従来の政治体制や経済政策を大きく転

他方, SPLM の側もまだ軍事組織から政党へと 脱皮する途上にあって苦闘しており,中央政府に 参画はしたものの, NCP

“Efek Kampanye dan Efek Jokowi: Elektabilitas Partai Jelang Pemilu Legislatif 2014 .” Temuan Dua Survei Nasional, 28 Februari- 10 Maret, 18 -

供することを任務とすべきであろ㌔そして,ウェイトの選択は,例えば政治

政策上の原理を法的世界へ移入することによって新しい現実に対応しようとする︒またプラグマティズム法学の流れ

して活動する権能を受ける能力を与えることはできるが︑それを行使する権利を与えることはできない︒連邦政府の

(以下、地制調という) に対して、住民の意向をより一層自治体運営に反映 させるよう「住民自治のあり方」の調査審議を諮問したのである