• 検索結果がありません。

国立大学法人と「大学の自治」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "国立大学法人と「大学の自治」"

Copied!
22
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)国立大学法人と「大学の自治」. 君塚正臣. はじめに  横浜国立大学も含め,国立大学は2004年4月から各々国立大学法人1)となり, 横浜国立大学はr国立大学」そのものではなくなった。「教官」は「教貝」となり,. 極めて卑近なところでは,本号も「退官記念号」ではなく「退職記念号」であ る。国立大学は多くの対応をしてきたのである。.  ところで,この変化は制度,法令の変更であり,何よりも憲法23条の「大 学の自治」に影響を及ぼす変化であった筈であるeしかし,これについて,憲 法学など法学界の応答は必ずしも十分ではなかったように思われる%かつて, 東大ポポロ事件lnや九大井上事件・’}で,国立大学の自治を強烈に主張したのと. 比べ,それはあまりにも物解りのよい対応に見えた。同時…に法科大学院が発足. したこともあって,多くの法学者がこれを論じる余裕がなかったということも あろう。私立大学にとっては無縁のことであり,主要国立大学にはその法人化 によるメリットも感じられたため,「共闘」が困難だったこともあろう。また 確かに,国立大学法人化の全てを否定することは,国民の日からは特権官僚の 既得権益擁護と大差なく映ることもあろう5)し,そもそもそれがそれほど問題 193.

(2)  横浜匡1際経済法学第17巻第3号(2009年3月). なのであれば,学生数で4分の3を占める私立大学の存在G)を当然としてきた. こととの矛盾は指摘されねばならなかった71。今回の改革について,憲法23 条の「大学の自治」を切り札に,その全てを違憲と叫ぶことは,非現実的であ り,疑問であった。.  だが,果たして,今回の改革は,政策選択の良し悪しを超えて,憲法上蝦疵 のないものなのであろうか。全く改善の余地のないものなのであろうか。議論 の希薄さは合憲の烙印と見倣せるか。これらの点を検討し,国立大学法人化に ついて憲法学からの回答を示すのが,本稿の目的である。. 1 国立大学法人化とは何か  明治政府の政策的な「国家の意思に基づいて」設立された帥国立大学を法人. 化するという議論は,帝国大学が東京に発足した1880年代当初から,帝国大 学自身の財政的自立や特権確保の意欲を背景として存在しており,また世論の 支持もあったと言われている9)eその後,この種の議論は下火となりi・),戦後. 1962年の永井道雄の「大学公社論」が出されるなどのことがあったが,その 主張でも,財政的には国が責任を負うべしという点は動かなかった11)。戦後,. 国立大学はT「大学の自治」という憲法上の保障があると言ってもTそれが国 の行政機関である以上,予算制度や国家公務員法,国家行政組織法の制約を逃 れることはできず,文部省の広汎な指揮監督権の下で自主性や自律性を十分に .は発揮できないでいた1㌔そこで,これに抗するように,国立大学側から,財 政的自主権を有する法人化を求める主張が出され,度を越せぱ政府の干渉を浴 びるということが繰り返されたのであるi3)。ここまでの国立大学法人化論は, 公共性の強い職業人の養成を期待された1・:)国立大学が,国に対する自主性・ 自律を確保するため.寧ろ自ら、展開した議論であり,そのための財政的な権限 を国立大学自身が手にすることに主眼があったと言ってよかったのである15)。.  これに対して,それとは異なる視座から,現在に続く国立大学法人化の議  194.

(3)                        国立大学法人と「大学の自治」. 論が本格的に始まったのは,高度経済成長が終わり,福祉国家・行政国家の行 き過ぎが批判されるようになった,ほぼ1990年代のことであるlfi)。1996年11. 月には行革会議で,国立大学民営化を検討すべきとの議論がまずあり,1997年 10月には東京大学と京都大学の独立行政法人化の話が出るに至った1㌔そして,. この方向に多大な影響を及ぼしたのが,1999年4月,中央省庁等改革推進本部 が決定した「中央省庁等改革の推進に閲する方針」であった。それは,イギリ スのサッチャー政権により始められた行政のスリム化のために採用されたエー ジェンシーを日本でも導入すべきだ,というものであったIS}。だが.日本のそ. れは,寧ろ「組織上の独立性」が重視されるものとなり,本来民営の形では行 い得ないものを行う「改良型の特殊法人」とでも言うべきもの’帥となっていっ. た。これにより,国家行政組織法8条の2に定められていた施設等機関2°}の多. くが2001年から独立行政法人通則法の下,独立行政法人21)化されていったの であるz2}。.  文部省は当初,国立大学の独立行政法人化に反対であった。独立行政法人制 度では,企画立案機能を担う主務雀が,実施機能を担う独立行政法人の事務事 業をいわゆる「Plan−Do−Check−Action」の仕組みを用いて定期的に見直すこと. が求められていたが,この仕組みは従来の国立大学の主体性を損なうもので あったから,だと思われる13}。1998年の大学審議会の「21世紀の大学像」答 申も,国立大学の民営化の動きに異議を唱え,その役割を言明し,特に大学院 の規模拡大に重点を置くことを強調したものとなっていた:’‘)。しかし,1998年. 12月に中央省庁等改革推進本部で国立大学独立法人化b)要求が出され,他の 国家機関同様のスリム化やエージェンシー化の圧力が強まった。国家公務員数 を見れば,郵政省と文部省が突出しており,この時点で郵政事業の公社化が決 定していたため,国立大学が標的になることが避けられなかったのであるzs)。.  このタイミングで,1999年6月に,中央雀庁等改革推進本部顧問でもあっ た行政法学者の藤田宙靖の論文が発表された。1997年の行政改革会議最終答 申を受ければ,2001年からの10年聞で国家公務員のうち独立行政法人に移行                                  195.

(4) 横浜国際経済法学第17巻第3号(2009年3月}. する者を除きle%削減することは避けられないのであり,このことは国立大 学についても,2001年までに,職員のどの部分を独立行政法人へ移行するこ とに闘する「少なくとも本質的な部分についての結論が出ていなければならな い」ことを指すのだということが,そこで提示されたのである2%その中で, 「国立大学を独立行政法人化する以上,むしろ,従来認められていた独立性が 更に拡がる,というものでなければならない」Z7)こと,「教員人事(学長を含めて). については,少なくとも現在のあり方が,本質的に維持されるのでなければな らない」2S}ことなどが主張された。これは,他の独立行政法人とは別の制度が,. 国立大学については妥当だという主張であった。藤田論文は,これは「あくま でも,専ら行政法学を専攻する一大学人としての立場からの見解」「v)であると. 記してはいたが,それ以上の政府の方針であるかのように受け止められていっ た。.  そして,1999年9月に,有馬朗人文部大臣が特例法を設けるとする「国 立大学の独立行政法人化の検討の方向」を示した3°)ことで,文部省も方針を 変更した:’1)。2000年3月の自由民主党文教部会文教制度調査会教育改革実施. 本部高等教育研究グループの提言「これからの国立大学の在り方について」な. どを踏まえた同年5月の自民党提言の直後,文部省は,国立大学の独立行政法 人化の方向を明らかにしたのである:L}。同年7月に,文部省は,「国立大学等 の独立行政法人化に溺する調査霞討会議」を発足させる。2002年に「新しい『国. 立大学法人像』について」という綾詩会議の最終報告鋤が出され,国立大学 は,独立行政法人通翔法には組み入れられなかったものの3:),2004年4月から,. 国立大学法人通則法の下で,個別の撰立大学法人となったのである。.  以上のように,近年急達に行われた国立大学改革謝は,多くの国に共通す るものと言われるように,「小さな政府」細を目指す国政改革の中で生じた, 政治主導のものであった:1η。法人化は民営化,即ち事務事業主体が民間に移る. ことではなかった3u}が,国民に自助・自立を捉してオープンな競争社会を実. 現しようとした新自由主義が国立大学教員に刺激を与えるという狙いが.垣 196.

(5)                        国立大学法人と「大学の自治」 間見られた:9)。そして,独立行政法人通則法の「呪縛」のためか,教員や職員,. 学生などを大学組織の構成員とする社団の考え方や,学部や研究科などを組織 上重要な単位とする考え方は欠けていた一t°}e立法者の関心は,独立行政法人通. 則法のテクニックを国立大学法人にも及ぼそうとすることにあった41〕。このた. め,受け身となった国立大学は,その法人化は避けられない中,自らを特殊だ として独立行政法人通則法からいかに逃れるかに.エネルギーを使ったのであ る一1:)o. 2 国立大学法人化と国立大学の変容  さて,国立大学法人化によって,国立大学はどのように変わったのであろうか。. 以前の国立大学は,教育基本法6条などによれば国が設置し,管理し、その 経費を国が負担するものであった。これが,国立大学法人法により.設置者は 「国立大学法人」となったが設置する大学は同法別表が定めるものとされてお. り,設置,管理,経費負担の何れも国という状況は引き継がれていった4㌔実 質的には,この点はおよそ変わらず,既に存在する国立大学に法人格を付与し た一1・},という表現が適切であった。その意味では,「法人格が付与されたから. といって,それによって独立性が確保されるものではな」かった45)のである。                     あなが 法人化は自己目的化してしまったとの批判も,強ち的外れではなかったのであ る一IG)。.  そして,国立大学の法人化には様々な批判があった。最も批判が集中したの は大学間格差の増大についてであった。運営を個々の大学が行うことを求めら れたため,そもそも戦前には帝国大学,専門学校,師範学校などの多様な存在. であった国立大学をt基本的にはそのまま一つの制度に統合したことによって. 残った国立大学の間の格差mが,その法人化によって寧ろ拡大し,特に,地 方国立大学が存在困難になるのではないか,というものである4s)。三大都市圏. 以外の学生数が60%を超え,そこには私立大学よりも圧倒的に授業料の安い医                                  197.

(6)  描浜国際経済法学第17巻舅83号(2009年3月). 学部が多く設立されていることなどを考える4D)と,それは「国立大学」全体 にとっては深刻な問題であった。しかしこれは、国立大学法人化と無関係に進 むことも考えられ,寧ろ国の文教政策,地域問格差是正策の問題と捉え直すべ きであり,国立大学法人化それ自身から生じる問題ではないように思われた。.  国立大学法人化から生じた,制度的な最大の変化は,国と大学との関係であ り,また,学部等の大学内部局と学長との関係と言うべきであろう。国立大学. 法人法1G条11条によりt学長が国立大学法人の長にもなると定められ,学 校教育法58条3項の職務である学務事項を行うと共に,法入を代表して経営 事項を総理するものと定められた。そして,新しい管理運営機閲として,学長 とこれを補佐する理事からなる役員会が設けられ,国立大学法人法が列挙する 教学及び経営の広汎な重要事項を審議・議決することになったのである5°) 。.  これにより,強いり一ダーシップが求められる学長を中心に,トップダウン による政策決定が強まり51),相対的に部局教授会の権限は縮小される傾向が. はっきりしたのである5㌔教学・経営共に、意思決定を学長に一元化したのが 国立大学法人法の特徴であり,重要事項については役員会の議を経るだけと なったのである剖。ここに,学長職は「『同輩者中の首席(primus inter pares)』. たることを脱した」「wのであった。f同僚制・官僚制から官僚制・法人制への 移行を進めながら,徐々に企業制の色彩を帯びる方向に進んでいく」ffi)であろ うという予測も生まれたのである。.  確かに,法人化前から,概算要求案の審議・決定の権限が制度上は評議会に あることはあったが,中心となっていたのは学部長などの大学執行部であり, 決定プロセスの集中化は既に始まっていたとの指摘もある5G)。しかし,法的に. 権隈があるのとないのでは,特に利害対立が生じたときなどに,全く異なるも のと言わざるを得ない。教育研究評議会にも,学長の指名する者も加えられる ようになっており,その割合によっては,大学構成員全体から正統化された機 閲とは言えなくなる危険性もないではない5T}。確かに,「大学の自治」を口実に,. 適切でない管理運営が行われることがこれまでもなかったわけでもない「・9)。そ ig8.

(7)                        国立大学法人と「大学の自治」. こで,これをチェックする機関が設置されることや,自治の過程を外部に明ら かにすることは,民間団体ではない国立大学では避けられないであろう「s)eし. かし,教学事項について,研究者集団が広く自主的な決定ができなくなったこ とは,決定的であった。.  そういった制度上の明確な変化が学長選任過程に表れた。国立大学法人法 により,学長は,国立大学法人の申出に基づいて文部科学大臣が任命するG°}. ものとなったのであるがtその申出の前には学長選考会議の選考を要するとさ れた。学長選考会議には,「経営に関する学外の有識者」も参加する経営協議 会も,評議会などの学内の教学の代表と同様,代表者を送り込む例が多いfi1)。. そして,学長候補を絞り込んだ後,実際には,全ての大学で,それ以前に教職. 員による意向投票を実施しているeこのように,その長の任免が当該法人の発 意に係っているのは,独立行政法人にはない,国立大学法人に特異なものと考 えられる62)。’.  だが,国立大学法人法は,その過程への教員の参加が必須であることを明記 しておらず,「国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議」が2002年 に作成した最終報告「新しい『国立大学法人』像について」も,「学内者の意 向聴取手続(投票など)を行うことも考えられる」とするに留まっていた。実際,. 教員の意向投票の結果に反する学長選考の例も生じた6)。特に富山大学では,. 意向投票では最下位の現職候補者が学長選考会議で選任され,多くの学部が反 発する事態が生じているan)。.  国立大学の法人化は,国立大学自身が能動的に動いた頃に夢見たものとは異 なり,組織の自律性を蝕んだと言わざるを得まい。制度的には,当該大学と無. 縁の学長が学外者主導の学長選考会議で選ばれ,教育研究評議会をも支配す る強い指導力め下、学部の意思決定を否定し,学問内容にすら触れる「指導」 がなされる危険すら含むようになったと言っても過言ではないだろうか。「大 学の自治」侵害の印象は,確かに拭えなかった。. 199.

(8) 横浜国際経済法学第17巻第3号(2009年3月). 3 現行国立大学法人法の憲法上の課題  以上のような,国立大学法人法を憲法上,どのように評価すればよいであろ. うか。日本国憲法23条は「学問の自由」を保障するが,これと同時に文言 上は何も書かれていないにも拘わらず,歴史的経緯や学問・科学における大学 の存在意義などから,制度的保障として「大学の自治」を保障しているという のが通説であるffi}。と言うよりも,以上のことを全く認めない学説など皆無と 言ってよい。そして,「大学の自治」はT大学の管理・運営に国の介入を受けず, 自主的に行われることを中心とすると解されている6G)。両者を区別すれば「学      あまね. 問の自由」は普く国民の有する人権であるべきところ,個人としての教員と国 の関係が「学問の自由」の問題であり゜r),組織としての大学と国の関係こそが 「大学の自治」の問題であると考えられてきたように思われるのであった冊㌔.  しかし,「大学の自治」保障の外延は,確かにはっきりとしてこなかったop)。. そもそもt憲法は,あるぺき「大学」が国公立か私立かなど,何も語っていな い。国立大学の全廃董ま違憲であるという主張はあまり見たことがない。逆に,. 私立大学の設立はf学闇の自由」の結社の自由的側面である7°〕ため全面禁止 はできないにせよ.設立要件を比較的厳しくすることは許されないとする議論 も聞いたことがな¥}fiただ,設立される大学が「大学」である以上,それが「大. 学の自治」を踏まえたものにすることは,憲法の求めるものであるということ は確かではなかろうdi} 71}。しかし,では,「大学の自治」を踏まえるとは何か,. どのような制度的枠組みと内実を備えたものを「大学」と評価するのか、「自治」. という名の無法地帯と化したような大学を是正することができるのか,などの 議論は詰められては来ず,対処療法的議論があっただけのように思われた。.  現行法の下,国立大学法人が,政府による監督の仕組みを徹底させているの は「大学の自治」に反するという主張了2}は強いeだが,「国立大学」が憲法上も「公. の支配に属」する「教育」の「事業」であることは確実であり,国の監督が皆. 無となることは寧ろ許されないと考えられる。しかし,それならばその監督 200.

(9)                         国立大学法人と「大学の自治」. はあくまでも経営の側面にと留まるべきであり,教学,特に研究内容に立ち入 るとすれば,「大学の自治1を侵害するものと言わざるを得ない。国立大学が「国. 民のため」にあり,徹底した民主的統制が必要との議論もあり得ないではない XS)が,これは日本国憲法をあまりにも国民主権原理に純化した理解であって,. 自由主義や基本的人権尊重原理を忘れたもの,憲法23条の存在を無視したも のであろう。「自治」が認められない他の国家機閤と同じようには,国立大学 の統制は考えられまい71}。国立大学は,官僚組織の上意下達構造とは異なるの. であるから,学問・研究組織として,任命監督者からの職務命令に服するもの ではないと考えられる7S}。そうでない法制度は,少なくとも国公立の機関なら. ば,憲法23条違反の疑いが生じるように思われるのである。  そして,現行法が「大学の自治」侵害だと疑われている最右翼には,教員や 学長の人事が、最終的には大学設置者・管理者の意向で行われる点がある。こ れが,ときとして,大学外部からの直接的干渉となり,制度の中核部分である 学問の自由が否定される結果になるからであるifi)e.  「大学の自治」の中身としては、「人事の自治が最も重要で基本的なものなの. である」m。そして,「学長・教授その他の研究者の人事は,大学の自主的な 判断に基づいて行われなければならない」7S}筈である。また,「同僚制の文化. を維持すべき」「主たる内実は,教授会の研究教育及び教員人事に関する自律. 的決定権を確保することであるべき」であるN)。これらの言質は,憲法23条 が精神的自由に属し,その制度的保障として「大学の自治」があるとする一般 的な解釈に合致しようS°)。また,明治竃法下において,特定の学説を主張した. が故に,国が当該研究者を大学及び学問的世界から放逐した,数々の事件に対 する反省に本条が立っているs・)ことから考えても,これが保障の核心である ことは揺るがないものと思われる。.  言うまでもなく,内部自治を強調し過ぎて,いかなる形式であっても排外的 なシステムが形成されればよいのだというわけではないse)。また、大学が様々. な外部の評価を受け,制約を受けざるを得ないことは,いくら「大学の自治」                                   201.

(10)  横浜国際経済法学第17巻第3号(2009年3月). を錦の御旗に掲げても,避け難いであろう。しかし,少なくとも,研究者集団. 内部の人事が自律的にできないということは「大学の自治」に反し,憲法23 条違反であるという疑いが濃い。現在のような学長選出システムは,違憲の疑 いがある。明治憲法下の大正時代に,京都帝国大学を初めとする帝国大学での 総長公選が慣行化していたSC’)ことと比べても,後退であるeまた,学長選考. 会議が単独で学長を選任できる,教育研究評議会の共同決定権限も認められな いという制度は,ドイツでは「比較的鷹揚な立場の学説も違憲と評する」とい. う指摘SDもある。だとすれば歴史的にも,比較法的にも説明がつかず,「大 学の自治」を保障している一般釣な憲法理論とも整合性がなく,結局,現行制 度の合憲挫はやはり濃いのではなかろうかS5]。現在の学長選出過程についての 規定は「確立した憲法原則を流動化させるもの」S6}であり,最低限,教学にお ける「大学の自治」を翼徹すべく合憲限定解釈されねばならないと思われる。.  他方T日本におけるr大学の自治」の議論が,しばしば勇み足が多かったこ とも反省すべき点のよるに感じられる。例えば自治の主体が研究者集団を超 えて,学部等の教授会であるとしてきたのは,日本特有の主張聞であると言 われる。中には.「大きな単位の機関の決定手続に小さな機関が関与する権限 を認めるべきである」its)との圭張もある。確かに,人事や教育研究の内容の決. 定にs最も身近で專轡的な決定が下せる組織が学部等の教授会であるS9)こと も実感である.ヒエラルキー状の組織構成ではなくネットワーク状のものとさ れることが望まし苧という主張゜°)は,教学面に関する限りは妥当なものであ ろう。大学の研究者経識が「同僚であること{cogleagueship)」が互いに選び選. ばれた者の擁係性を示すとすればt以上の点は当然にも思える90。しかし,自. 治の主体が学部教授会でなければならないことが,日本国憲法23条の保障内 容であることは,自明ではなかろうY2)。憲法の要請は,研究教育に関する事項 は,全学組織か研究室単位かなど大小を問わずPR),基本的には研究者集団全員 による排他的で民主的な自治に支えられる点にあろう“・t)。その意味で,全学教. 授会しかない状況より学部・学科の教授会が存在することが「望ましい」とは 202.

(11)                        国立大学法人と「大学の自治J. 言えようがこれが「憲法違反」とまで言えるかは慎重であるべきである。そ の何れもが教学に関する決定ができないことこそが,憲法違反なのである。.  また,教授会自治の擁誰に走るばかりの「大学の自治」の主張が,教学も経 営・運営も丸ごとの自治を死守しようとしてきたことも,反省すべき点であろ う9S)。以前は,「大学の自治」は素朴に,「その運営が,原則として,そこでの 研究者または教授者,すなわち大学教授の自主的判断に任されること」fF{1)だと. いうような記述が一般的であった。そして,次第に,研究教育費の傾斜的配分 が大学の自主性を奪うなどとして,財政自治権を「大学の自治」の構成要素と することが一般的になった鮪)。確かに財政的自立は研究活動のために必要であ りys),より具体的な財源の配分は,研究教育集団が組織内で自主的に決定すべ きものであろう’;’9)。.  だが,憲法上の「大学の自治」が精神活動としての「学問の自由」の保障の. ためにあるのであるから,予算管理の自治が研究者集団の自治の中身として 憲法上も保障されている,と言い切れるかは微妙である。それは,基本的には 経営・運営に属する事項である。予算管理の自治は,精神活動に踏み込まない ことを限界として,基本的には大学組織全体の自治に属するというのが妥当な ところではあるまいか。経営と教学の分離,即ち,私立大学においてより明快 に判別されるように,組織全体・法人であるが故の自治と,研究者集団である が故に保障された教学面での「大学の自治」とは,混同されてはなるまい。中 期計画や中期目標に国が関与するという点は.大学に相応しいものかどうか, 疑問視する声もある’°°}が,国立大学は,財政面限定での国の関与は逃れられ ないようにも感じられる。.  確かに,私立大学においても「大学の自治」が,詰社としての学校法人の内. 部自治t換言すれば、事実上の理事会の決定をもって自律の達成とすることが 実際上も理論上も問題がある1°:}ように,国立大学法人でも,経営評議会の対. 外的自律があることをもって「大学の自治」が貫徹されているとは言えない。 これらの決定が,所属する教員の学問の中身にまで及ぶことは許されまい。だ.                                 2e3.

(12)  横浜国据経済法学第17巻第3号(2009年3月). が逆は真ならずである。経営・運営を担当する機関がこれについての決定を 下すことが「大学の自治jの侵害とは決めつけ難い。確かに線引きは微妙であ るとは言え,経営と教学は別なのであり,その自治・自律の内容も主体も相互 に一致しない筈なのである。.  読み返せぱ「国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議」の最終 報讃「新しい『国立大学法人像』について」も,「大学本来の自主性・自律性」. という文言と,国立大学法人化で強化される「大学運営の自主性・自律性」と. 文言を使い分けているが言わぱ「大学の自治」の本丸である教学と,運営・ 経営とは区別されていたのであoた1ce)。潜在的にその主体は異なっていた筈 なのであるi・G)。国立大学法人法の運用を巡っても,この点は意識されるべき. である。憲法論と政策論などは区別して論じられるべきではなかったか。憲法 上摺題が残るのは教学癒の自隷蛭1こついてであ1?,違憲論の展開はこういった 点に集嘩す♂ミきよつに思われる。. お:b ;」に.  本稿は.「太拳の自漬」について㊧餐璽議論をまとぬながら,撰立大学法人 を巡rゴζ,憲法上の問題姦を藁摘してきたものである。憲法23条の要請は. 国立大掌に塾いても,数学薗.藁彊三曇藁ii畢〉誓藁の確醗こあり,この煮で,そ. の内鎭入事が自葎D蟄こ行えないことは憲法違蓑の疑いが濃¥㌔ぞ母奨璽劔とし て璽蕎濠聾拳曇選墨璽嚢{ま違憲O疑いがあることを$してきた豊聾立大学棲素 書長薬糞援露,蟹墾書藁籔の裟嚢でもある嚢蓑で韓,それ{ま竃蓬上.毅援懸母 曇選で直誓選ぽれ豪…ナ謹ま」豪姦まい・畦璽蕎灘ま,鐙毒違藁欝緩}塵薬慧墨を. 尊璽し莚拳曇選墨を註春するもe)で毒書,聾ずLも蓬金違竃とまで言いきるべ. きで建ない泰もし塾童恒戴辛うで妻い慧墨を蓬踵るべく.壼憲蕪窒鍵毅寮違 誓で璽き.i轟董璽書麺璽璽{霊i麺嚢票慧裏轟聾重≧違璽霊登もe)で毒ること1ま委 星hな恒であ墓う奇ま塁.嚢藁1{こ璽童墓籍嚢書嚢擾轟鍵圭轟簗窒透聾轟嚢議謹まi憲 塾董.

(13)                        国立大学法人と「大学の自治」. 法上の要請であることも,確認されるべきである。.  ところで,以上の議論は,教学のトップとしての学長についての限定的議論 だという点を見過ごしているのではないかとの指摘もあるかもしれない。経営・. 運営を司る責任者の選任は、憲法上,必ずしも研究者集団の自治に委ねる必要 はなく,当該国立大学法人に関係する者の自治に委ねればよいであろう。実際. には,後者の観点からt「経営に閏する学外の有識者」の参加がなされつつt 前者の観点から,意向投票の結果を「尊重」することが念押しされてきたもの であろう。問題が複雑化している原因は,国立大学法人法の「学長」が,この 両面を兼務していることにあるのである。.  私立大学について考察できるように,経営と教学との関係は、主にその規模 によって多種多様である。大規模であればあるほど,教学と経営は分離され, 小規模であれば学長が理事長を兼務する型が考えられる1°5)。国立大学法人法. は,小規模大学の型を選択してしまったのである。ここで,経営のわからぬ大 学教授には国立大学法人の運営は任せられない1°C,),となるのであれば、なさ. れるべきは経営と教学の分離である1°7)。教学を司り,研究者集団によって公 選された「学長」と,経営を担当し,当該大学に関与する者によって選ばれる「理. 事長」は別にすればよいのである。少なくとも,中規模以上の国立大学につい てはそうであろう。実際に,国立大学法人化の端緒の一つとなった藤田宙靖論 文は,「私立大学のような理事会システムを採用するか,或いは,経営担当の 副学長を置き,その下に,専ら経営にあたる部局を組織するか」1us)という提言. をしていたのである。経営と教学の暖昧な分化は,国公立・私立を問わず,日本 の大学の特徴のようである1・n)。私立大学における理事長と学長を兼任する11°).  国立大学の学長職の改革により,この問題は解決できよう。実際に,地方独. 立行政法人法71条1項により,公立大学法人では,例外的に学長と理事長の 分離が認められており11!},このようなことの原則化は国立大学においても可 能である。これによって,「大学の自治」の侵害という問題も回避できよう。  国立大学の法人化により,私立大学との相対化が一層促進されてきた]];nと.                                  205.

(14) 枇浜国際経済法学第17巻第3’号 (2009年3月). 言われる。そうであれぱ国公立か私立かを通じた,憲法上の「大学の自治」 の保障とは何かが問われるべきである。混沌とした議論を整理して,その憲法 的核心は確実に擁護する立論が求められているのではなかろうか。本稿がその 一助となれば,f大学の自治」の発展のためにも幸である。. 1)以下に取り上げたもののほか,早稲田嘉夫「国立大学の独立行政法人化と研究教育組織の役.   捌」金属69巻4号75頁(19S9),人見剛「公立大学と独立行政法人」自治総研26巻12号   1頁{2000),市橋克哉「独立行政法人,その何が問題か一国立大学の法人化問題を中心に」.   固公労調査ll寺報445号4頁(2000)t「特集・どこへ行く?大学一国立大学の『独立行政法   人化」これまでの経緯」化学55巻2号14頁(20GO)t「特集・科学技術政策の新』イ本制と独立.   行政法人化」研究技術計画15巻1号4頁(2000),「国立大学の行政法人化がもたらすもの」   数学セミナー一 466号30頁(2000),榊達雄「国立大学独立行政法人化と大学の自治」目本教.   育法学会年報30号166頁(2001},森田竜義「独立行政法人化と教育系大学・学部」日本の.   科学者36巻3号5頁(2001),三輪定宣「固立大学の独立行政法人化と『国立大学法人』問   題」同37頁,盛誠吾「国立大学法入化と教職員の地位(上・下)」一橋法学1巻2号43頁.   同3号1頁(2002),江森民夫「『首都大学東京』設立と地方独立行政法人化の問題点」労働.   法律旬報1581号30頁(2004),永卑三千輝「横浜市立大学の独立行政法人化の問題点」同   1588号22頁{2004).「今日の焦点・大学法人化問題」季刊教育法140号46頁(2004),志   田昇「国立大学法五化と非常勤譜師1}」j題」日本の科学者40巻5号18頁(2005),水野稔「今.   大学で一国公立大学の場合」空気調和・衛生工学79巻11号3頁(2005),f特集・国立大   学法人化1年と公立大学の現状J同6号3頁(2005),「特集・今日の独立行政法人と国立大   学法人」国公労講査跨錐526号4頁(2006),「特集・{競争}にさらされる大学」科学77巻   5号451頁{2eb7).「今月のテーマ・国立大学法人の評価」IDE490号4頁(2007),「特集・.   崖っぷち.日本の大学」中央公論123巻2号{2008)など参照。ドイツについて.’岡田正則   「大学の自治と法人推一一}ごイツの大学制度を参考に」口本の科学者36巻4号32頁(2eOD,   韓国について.黄辿仁挿倒到の国立大学法人化」目本学士院紀要63巻3号69貰(2007)参熈。. 2)鈴木眞澄「国立大学と独立行政法人化問題」法学セミナー546号67頁(2000)も,F世論の   反応は今一つ盛り一」二がりに究け,学界の反応も岡様のように見受けられる」と述べる。 3) 最大判昭和38年5月22自刑架ユ7巻4号370頁。なお,君塚正臣ほか『VII{間凡憲法」60頁(2005).   [藤井樹也ユは,本判決が「大学の自治が憲法の要請であるかどうかを明確にしておらず,   政教分離原則のように『制度的保障」に治当するという説明もない」と指摘しているe 4) 東京地∼『馴昭和48 iff 5月1日訟月19巻8号32頁。. 5) 実際,ドイツでは教授団の世俗権力に対する特権酌自由であったことは否めない。高柳信一   『学問の自由』26頁臼983)。. 206.

(15) 国立大学法人と「大学の自治」. 6) 藤田宙靖「国立大学と独立行政法人制度」ジュリスト1156号109頁,115i17頁(1999)も.   この存在のため,大学が国立でなければならないという主張はt政治的に説得力を持たない   と述べる。. 7) この点,「学問の自由」が自由描であり,私立大学の設立が「学問の自由」の一側面として   認められる以上.研究費の最低保障が,それが充実していることが政策的な是非はさておきt.   これを論じる者の多くがそう望むであろうことは兎も角,近藤真「大学と学問の自由」日本.   の利・学者42巻10号10頁(2007)が主張するように、研究者教員の窟法上の権利とまで言   えるかは微妙である。同論文14頁の主張するように,「基礎研究」「の価他を理解し研究?i   金を継続的に提供できるのは,国家以外ない」としても。. 8)天野郁夫「国立大学・法人化の行方』207頁(2008)はそのように記述する。 9) 同上24頁。. 10)1907年には帝国大学特別会計法,学校及図書館特別会計法が公布され.大学毎の特別会計   という在り方が改められた。これにより,帝国大学は予算執行面で一定の自律性を独得し   た。帝国大学特別会計法は,それ以外の官立大学設置が認められたため,大学特別会計法に.   名称変更され,1925年改正で全ての大学が一つの特別会計に包括されることとなった。同   上5058頁参照。このことにより,財政的自立のための法人化論を主張するメリヅトはなく   なったようである。. 11}同上25頁参照。1970年3月,東京大学の大学改革準備調査会管理組織専門委貝会報告;11:が,.   大学を特殊法人とする旨の提言をしたことがある。塩野宏「国立大学法人について」[1本学.   士院紀要61巻3号62頁(2007}参照。なお,塩野には全く同名の論文が,同60巻2号67   頁{2006)にある。. 12)市橋克哉「国立大学の法人化」公法研究68号160頁,162−163頁(20G6)。. 13)喜多村和之「国立大学の独立行政法人化問題」学士会会報826号27号41頁,44頁(2000)。 14)天野前掲註8)書311頁。. 15)しかし,この間,1948年の大学法試案以来,政府は大学管理システムの立法化を試みてい   た。特に1962年には池田勇人首相の参院選演説などでこれは鮮明となった。大学紛争を経て,.   1969年には「大学の運営に関する臨時措置法」が強行採決される。山崎政人『自民党と教   育政策』72−90頁(1986)など参照。自民党文教族の意図は実を結びつつあった。 16〕なお,1971年には中央教育審議会の「四六答申」は,大学を「総合領域型」「専門体系型」「目.   的専修型」の3種に分けつつ,国立大学は「一定額の公費の援助を受けて自主的に迎営」す   るものに移行するという構想を打ち上げたが,大学閏係者に不評だったため,蘂現されなか.   った。1987年の臨時教育審議会答申は「国立大学に公的な法人格を与え,特殊法人として   位置づける」必要を訴えたが具体的提言には至らなかった。天野前掲註8)書25.29頁な   ど参照。. 17)同上2929頁など参照。 1S)立山紘毅「国立大学の独立行政法人化」法学セミナー540号69頁{1999)。この点は.藤田   前掲註6)論文11肘11頁も認める点である。 19)藤田同」;113頁。. 207.

(16) 枇浜国際経済法学第17巻第3号(2009年3月) 20)この中には多くの研究教育機関が含まれていた。省益優先のためか.水産大学校のように   別途,独立行政法人となったり,防衛大学校のように旧来のままであったりした組織的不   統一が見られた。君塚正臣「独立行政法人の憲法学」横浜国際牡会科学研究12巻4=5号1   頁,3頁(2008)。そして,これらf大学校」以外にも存在する,独立行政法人等の研究所   や教育機掲について.高度研究機関の自治という観点から,憲法の「大学の自治」の保障が   及ぱないのかという問題は見過ごされてしまった。同論文9頁。この点.「特集・国立大学・.   研究所の独立行致法人化」科学69巻11号869頁〔1999)の885頁以下の国立研究所,国立   天文台に渕するコメントや,「公的研究機凹の巽務を維持し,継続をめざす」国公労調査月.   報523号28頁{2006)の宇宙3機閲,土木研究所などにIPJするコメント、独立行政法人国   立美描館「独立行政法人国立美術館の五年間と今後の課題」文化庁月報452号10頁(2006).   などは見逃せない内容も多い。また,石井紫郎「「学術公法人』私案」ジュリスト1178号   51−52頁{2000)が国立の14の学術研究機関についても,国立大学と同様の「公法人」制   度を適用すべきだと主張Lていることは興味深い。一般の識温が,狭義の「大学」という文   言に束縛されてしまっている感は強い。   ’. 21)この問題については,君塚同上など参照。これについて,立山前掲註18)論文71頁は,政   府の監督が強力なのに函会の閲与が小さく,天下り・民間との癒着などの是正が不十分であ.   るなどの間題点を詣描Lていたc 22)稲継裕昭「独立行致法人の創設とその琉果」年報行政研究41号42頁(200G)の述べるよう   に,設立当初は1.8万人の自立たない組織形態であったが,国立病院,造幣局,印刷局など   が加わると.逗寛なものに膨れ上がったのである。’. 23)市橋前掲註12}蹴穎5頁。 24)天野前掲註爵書塾21頁など参照。 25)藤田前掲i注6>蓑文1担頁及びユ16頁別表。 26}同上109−1斑頁。. 27}同上118頁。 28)同上同頁。. 29)同上110頁。. 30}これには反対意見も多く出されたe「国立大の独法化は大学の企業化」内外教育5048号17   頁(1999}.山口富男「国立大学の「独立行政法人」化]h’1題を考える」前衛719号129頁(1999}..   岩崎稔「国立大学の「独立行政法人化jは自殺行為だ」世界666号118頁(1999),鈴木眞澄「独.   立行政法人と国立大孕」山口経済学雑誌47巻6号161頁(1999〕,同「独立行政法人化現象   と国立大学」同52巻3号91頁(2004),市橋克哉ほか「座談会・国立大学の独立行政法人化」   日本の科学者35巻2号4頁(2000),]IITi山一恕ほか「座談会・独立行政法人化と大学改革の.   課題」経済58号106頁(2000)など。これに対して,森信茂樹「大学教授物語」ファイナ   ンス35巻7号88頁(1999),旭岡勝義「国立大学の独立行政法人化を真の改革に繋げるた   めに」科学69巻12号961頁{1999)は,国際競争力と経4営能力を付与するなどのため、賛   成の傾向にある。. 31〕和田推「国立大学と独立行政法人」労働法律旬報1482号12頁(2000)など参照。 208.

(17) 国立大学法人と「大学の自治」. 32)同上12−13頁,常本照樹「大学の自治と学問の直由の現代的課題」公法研究68号1頁,2   頁  (2006)。. 33)これについて,蟻川恒正「国立大学法人論」ジュリスト1222号60頁(2002)は,「『大学の   自治』という言葉」を「全行論を通じて,周到にその使用を避けつづけた」と指摘する。. 34)常本前掲註32}論文9頁は,「国立大学法人法が独立政法人通則法という大学とは無縁のル   ールに大学の自律性を保障するためのルールを接ぎ木したものである」とする。. 35)天野前掲註8}書316頁は,「書類作成のための1時問や事務量が膨大なものになり,そのし   わ寄せが職貝だけでなく教員にも及び,悲鴫に近い声が聞かれる」が,「やがてはルーティ   ン化して負担の軽減」になると述べるが,文部科学省の与党対策のため,書類の増大は.自   民党文教族が健在な阻りは,今後も続くのではないかとの予感もある。. 36)この背景には,リバタリアニズムの思想があることは言うまでもない。他方,批判も多い。.   村上勝三「持続可能性と哲学の課題」京洋大学「エコ・フィロソフィ」研究2号143頁,   148頁以下(2008)は,このような思想を利己主義そのものであるなどと痛烈に批判する。. 37)常本前掲註32)論文2頁など。 38)山本隆司「民営化または法人化の功罪(上)」ジュリスト1356号27頁(2008)。同稔文32頁は,.   「特殊会社と国立大学」は「極に位置する公的組織」だとしている。. 39)横山北斗「国立大学の独立行政法人化問題」法律のひろば52巻12号51頁,52頁(1999)。. 40)山本隆司「民営化または法人化の功罪{下)」ジュリスト1358号42頁.56頁(2008)。塩   野前掲註11)論文63−64頁も,ドイツ大学基準法と同様にする議温は日本ではなかったと指   摘する。. 41〕塩野同上63頁。. 42)天野前掲註8)書30頁。 43}市橋前掲註12)論文167・168頁参照。 44)同上169頁。. 45)和田前掲註31)論文19頁。. 46)藤田前掲註6)諭文112頁も,「独立行政法人」化について,その理由は「省庁再編作業と   の閲係で,『独立の法人格を与えること』自体が重要な目的であるから,と答える以外には.   ない」と述べている。喜多村前掲註13)論文47頁は,欧米で権威ある大学が法人格を持っ   ていない例はなく,独立行政法人化はその一点に限oて長所であると主張する。なお.松井   茂記『日本国竃法』〔第3版〕498・499頁{2007)は.大学は「大学の自治」侵害に対して救.   済を求める原告適格を有すると主張するので,これによれば法人化は,実定法上の椛利主   体性の根拠としては有意だとも言える。. 47)天野前掲註8)書4頁などが指摘する。戦後は,旧帝国大学を「国立総合大学」と,各県エ   つの「国立複合大学」という構成が原則となった。しかし早くも1949年には,実施はされ   なかったものの,内闇直属の政令改正諮問委員会という審議会から,大学を「普通大学」と   「専修大学」に分化する答lilが出されたほか,講座制・大学院重視の大学とそうでないもの..   一期校と二期校などの分類がなされていったのである。同書9頁以下eそしてtllt政的な格   差は,研究機能の大小により特定運営費交付金の額が異なる,外部資金予算額が異なるとい 209.

(18) 横浜国際経済法学第17巻第3号 (2009年3月)     う形でかなり顕在化しているという。同書31頁以下。なお,同書300頁が指摘するように,     日本の国立大学は費用のかかる理工系と医学部を主流にしており.帝国大学でも文学部は東     京と京都にしかなかったことなどは再確認しておいてもよいであろう。.   48)「国立大学『法人化』の内幕」選択34巷10号114頁(2008)は,東京大学の「独1,勝ち」     を強訓する。また,同文献117頁は,この状況が「財務省を中心とする『大学市場主義派』     の勝利」であるとも記述する。それ以前に,ユ979年の共通一次試験の導入と一期校・二期.    校の区分けの廃止.それに国立大学の授業料等の相次ぐ値上げが私立大学の難関校の人気上    昇をもたらし.逆に多くの国立大学がその地位を相対的に下げたとも言われている。橘木俊    詔『早稲田と慶応」27−33頁(2008)。既にイギリスでtエージェンシー化によって,大学問.    の貧富の差の拡大,大きい・提期的な研究がしづらくなるとの問題点が指摘されていたe横    山前掲註39)論文53頁。ここに示される,日本で生じた問題は予測可能であった。  49)市橋前掲註12)論文161頂i。.  50)同上170頁など参照。  51)同上171頁の指摘によれば,法人化以前には見られなかった,秘書室の強化,学長補佐の任    命.それに各部局とは無閏係に設けられた担当理事や教貝によって構成される「室」の登場    などが目立つという。何れも,トップダウンの運営をサポートするものであると考えられる。.    また,同論文172頁は.既存の学部長会,学部長懇談会を通じて.全体の管理運営における    学部長の役割の一庖の強化を強める傾向もあるという。このほか.法人化後に定荘したもの    として「副学長」があり,横浜国立大学でも学長の選任の下,政策立案を行っている。例え    ば.來生新「捌学長インタビュー一一一若手研究者の独立性を高めグローバル化に対応する競.    争的体質をつくる」文部科学教育通信168号10頁(2007}t同「横浜国立大学の新教員組織」.    IDE494号67頁(20e7)など参照。  52)常本前掲註32〕敵8頁・「大学糎機肥には,「問題の性質に応じ」,噺授会」や「学長」    が該当するという。同論文同頁。「トップダウン]型の意思決定を想定した組織構造に変化    したのである。天野前掲’註8)書U8頁。  53)  塩野1“Yf…F↓署話]三11)  言fi文65 頁g.  54)蛙川前掲註33)論文62頁。  55)常本」梅掲註32)論文5頁。  5伍) 天野i)|王1呂言主8) ]自;92−93頁。.  57)山本前掲註40)論文5657頁。  58)藤田前掲註6)論文119頁eこのほか,橋本公亘『公法の解釈1147頁(19S7)は.私立大学で「理.    事と一部の野心家教授が結託して大学の自治を有名無実としている例はざらにある」と述べ    ている。描造上,国立大学でも起こり得たことである。.  59)国立大学法人法に激しく反対した石井前掲註20}論文49頁も,「国民の税金」で運営され    る国立大学には「透明性・アカンタビリティーが確保されなければならない」と述べていた。  60)塩野前掲‖]111)論文64頁は.これは「全く形式的なものと理解されている」とする。.  61)2006年時点で,学生数8000人以上の国立大学のうち,学長選考会謙のメンバーについては,.    経営協競会の学長.理1無職貝以外の委員と,教育研究評識会の学長又は理事以外の評議貝 210.

(19) 国立大学法人と「大学の自治」.   の中から選ぷところが10,学長や理事を委貝とすることができるとして学外者にメンバー   となる途を開いているところが5,学長又は一定数の理事とするところが9である。木内徳   治「国立大学法人制度の特徴」季刊行政管理研究121号59頁.61頁(2008)参照。. 62)但し,審講会の同意や当骸法人への意見聴取を必要とする例はある。同上60頁。なお.理   事は学長に任命されるのは.株式会社で取締役会が代表取締役の任免をできるのと逆の構造   である。同論文63頁。その他.経営協議会や評議会の権限についても注自されるべき指摘を,   同治文63頁以下は行っている。. 63)常本前掲註32)論文14頁など参照。2004年の滋賀医科大学(現職再選).2005年の岡山大   学(副学長当選),新潟大学(現職再選),2007年の大阪教育大学{闇学長当選), 111形大学(文.   部科学省前事務次官の初当選).2008年の九州大学(副学長当選)では意向投票の結果とは.   異なる結果を選考会議が選択した。このほか、2007年には,意向投禦の集計に不正があっ   たとして刑事告訴がなされるという彗r件が,高知大学で発生している。中井浩一「大学「法.   人化」以後』350357頁(2008),朝日新聞2009年3月2日朝刊など参照。なお,横浜国立   大学ではこれまで.意向投票の決選投票1位となった候摘者が学長に決まっている。. 64)朝日新聞2009年1月15日朝刊。文部科学省などによると.国立大学法人法の制定以降,国   立大学法人の学長選考に関する意向投票で,3位以下だった人物が学長候補に選ばれた例は   これまでないという。. 65)芦部信喜『憲法学皿』〔増補版〕220224頁(2000)、高橋和之『立憲主義と日本国憲法』   164・165頁(2005}など参照。これに対し,松井前掲註46)書498頁は、「大学の自治」は   主に国立大学にっいて意味を持つとする。. 66)内野正幸r憲法解釈の論点」〔第4版〕70頁(2005)など参照。 67)一般に,学問の自由は固民一般の人権であると解する。憲法第3章上の人柾は「国民の権利」.   であって,特定の人の特権であるということは考えにくい。しかし.戸波江二「学問の自由   と大学の自治」大石眞二石川健治紐『憲法の争点』142頁(2008)は,「とくに大学および   その研究者に対する特別の保障である」と述べる。その根拠として,「科学研究費の申甜視   格が大学の研究者に限定されているように.特別の保障を一般市民にまで認めることは困難   だ」ということを挙げている。確かに「大学の自治」は大学のみに保障されているが,学閻   の「自由」が大学人の特権であるとは考え難く,必ずしも憲法上の権利ではない科学研究費   「受給」椛をそうであるかのように考えたことが誤りなのではないかと思われる。 68)常本前掲註32)諭文8頁eこの点,中村陸男=永井憲一『生存揺・教育権」239−240頁(1989).   [永井]のように,「大学の自治」を,憲法26条が保障する「学校の自治」の一場而とする.   見解もある。藤井俊去『憲法と人権H』169頁(2008)もこれに準ずる。しかし,社会権の   一部である26条から「自治」の制度的保障が発生するというのは果たして本当であろうか。   また,学問の専門家集団であるが故に,他の結社や機閥とは異なる高度な自治が大学には許   容されているのではあるまいか。樋口陽二ほか『注解法律学全集2一憲法il』125127頁(1997).   [中村陸男]同旨。阪本昌成『湿法理論皿]199頁(1995)も参照。但し,同{11 206・20s頁.   は,高校以下の教師団にも,「大学の自治」よりは駅定された自治が憲法上保障されるとす   る。また,憲法改正草案で固まった「学問の自由jの元となった語はacade:nic ffeedornで 211.

(20) 横浜国際経済法学第17巻第3号(2009年3月)   あi,,これは大学における教授の自由を指していた。芦部前掲継65)書203−204頁参照。こ.   の点も,通説的見解を妥当と考えたい理曲である。なお,内野正幸汀教育の自由」法理の   再点検」ジュリスト884号237頁(1987}は,「国民の教育権」説と「国家の教育権」説の   対立は,教育内容への国家の介入に関する「程度」問題になる面を有していることを指摘する。   学校教育における思想強制等の問題は思想・良’[・の自由に還元しようとする,同「学校教育.   問題への癌法的接近」同1334号174頁(2007)の主張に基本的には同意したいe君塚正臣『高   校から大学への憲法」166頁(20eg}摺塚]参11F.。. 69)橋本公亘舶本国憲法」248頁{ユ980)は,「大学の自治の内容は,]II柄の性質上,明確で   ない点が多い」ので,「憲法解釈論と立法政黄論とをしばしば不用意に混同している例が見   られる」と指摘する。佐藤幸治r憲法1〔第3版〕51ユ頁(1995)も,「具体的内容は憲法上   一義的に確定しているわけではない」とする。対して,奥平康弘ぎ憲法学鵬205頁(1993)は,「も.   っとも.あらゆる憲法規定は.かならず厳密な意味での法規範としてはたらくとはかぎらな   い。憲法は,単にゆるやかな社会行動準則としてもはたらくし.ひょっとすると.その意義   のほうが大きいと言える場合があるかもしれない。そして,『大学の自治』観念が,この場   合に当てはまる」と述べている。 70)榎原猛ほか編ぎ新版基礎憲法1108頁(1999)[君塚正臣]。. 71)君塚前掲駐20)澁文9頁。ところで,「市民的自由論」を展開して,私学教貝が私立大学に   対して意法23条の権利を直接援用できるという見解もある。山内敏弘編『新現代憲法入門』   174頁(2髄4)[松田浩]など。だが,i苫法上の椛利は国を名宛人にしたものでt私人間に   直接劫力を宥す毒ことはない。国は,私立大学法制についても,憲法上の制度的保障や権利,   この場合{ま特に「大学の自治」を侵害しないようにする憲法上の要請を受けており,これに.   反する法命や遜の行為が憲法違反となり,結果として私学教員や学生を救済することがなる   と説明されな昔卓ぱなるまい。君塚正臣『憲法の私人間効力論』510頁以下(2008)など参照。 72)立山前掲註1声蓮文71・72頁など。. 73)鈴木前掲謎2}蓋文67頁参照。 74)この点,同上鑓葺は.「大蔵省の自治とか郵政省の自治というものは,憲法上認められてい   ない」と記述している。 75) 疲本1旙∫書禺註68) 書189頁e. 76)Ijl元一「大学の自治」小山副=駒村圭吾謡「講点探究憲法』181頁,185頁(2005)。. 77)樋口ほか前掲註68)書128頁[中村]。伊藤公一『憲法概要1〔改訂版〕79頁(1983),渋谷   秀樹『憲法」391頁及び3蛆箕{2007),阪本前掲‖]三68)書202頁など同旨。. 78)芦部iiti掲註65)書226頁。宮澤俊義『憲法H』〔新版〕397頁(1971)にもほぽ同様の文言   があるほか,初宿正典「識法2』〔第2版〕君32頁(2001)など同旨多数。. 79)常本前掲註32)論文12瓦白 80)この点,同上13頁が,「今日の研究者が他者が提供する財政的裏付けがなければ研究を遂行   することができない状況に置かれており,」「同時に,学問研究を可能にするための財政的保.   障を請求することも認められるぺき」とするような主張も多い。しかし,惣法23条が精神   的自由の一翼であることを考えるとtこれが望ましい文教政策であることは確かだが,憲法 212.

(21) 国立大学法人と「大学の自治」.   上の権利であることまで読み込めるか,撒妙である。同論文同頁が,これを「抽象的描利に   とどまる」としているのは,これらの点を考慮すれば具体的権利と理解することが困錐であ   ったことを示すものではなかろうか。これは,宗教的結社にも類推可能である。. 81)佐藤前掲註69}書508頁同旨。 82)君塚前掲註71)書513頁。. 83)恒藤恭「大学自治の]llJ題について」思想459頁92頁,93及び96頁(1962)。宮澤前掲註   78)書『憲法n』〔新版〕397頁も.「成文法的にではないが.少なくとも習律的に」と記す。. 84)山本前掲註40)論文57頁。 85)戸波前掲註67)文献143頁も,立場は明快ではないが,「運用によっては大学の自治の阻害   要因ともなりえよう」と述べている。 86〕杉原泰雄編『新版体系憲法事典』547頁(2008)[松田浩]。. 87〕恒藤前掲註83)論文98頁。蟻川前掲註33)論文61頁は.「国立大学等の独立行政法人化に   関する調査検討会議」の最終報告「新しい『国立大学法人像」について」も、「大学の自治」   を「教授会自治」と低く見ていると述べる。. 88)山本隆司「独立行政法人」ジュリスト1161号127頁,132頁(1999)。. 89)鈴木前掲註2)1文68頁。本系においても系委貝会意思は,自治の核である。 90)和田前掲註31}論文15頁。. 91)蟻川前掲註33}識文66頁同旨 92)君塚前掲註71)書512頁。 93)山元前掲註76)論文185頁も,教授会を原則としつつも,「それ以外の会議体等であること   もありうる」と述べている。. 94)「地方自治の本旨」についても,住民自治と団体自治を要素とするというのが圧倒的通説で   ある。芦部信喜〔高橋和之補訂)「窟法』〔第4版ユ350頁(2007)など。「自治」という語は,.   日本国憲法上このような意味で用いられる。 95) 蝶J]li]tj掲註33) 喬畠r文63頁同旨e. 96)久保田きぬ子「思想・良心・学問の自由」清宮四郎=佐藤功緬『癒法誹座2一固民の柾利及   び義務』106頁,121頁(1963)。 97)小林孝輔=芹沢斉編「基本法コンメンタール憲法』〔第5版〕182−183頁(2006)[成嶋樹など。. 98)覚道豊治隠法1〔改訂版〕256頁(197帥は、設備や財政についての「積極的権利jが湿   法23条に含まれることを提唱していた。戸波江二『憲法」〔新版〕276頁{199S)など同旨。   この点,浦部法穂『憲法学教室』〔全訂第2版〕193頁(2006)は,「今の日本の大学には、   財政自治権は.ほとんどない。これでは,いつも文部科学省のご機嫌窺いをしていなければ   大学はなにもできない。肝心のおカネを文部科学省に押さえられているのだから,日本の大   学(とくに国立大学)の『自治」は,なんとも頼りない」と嘆いている。 99)阪本前掲註68)書205頁など。 100)塩野前掲註11)論文66頁。 101)君塚前掲註71)書521頁など参照。 102)蟻川前掲註33)論文61頁。 213.

(22) 枇浜国際経済法学第17巻第3号(2009年3月} 103}同上62買。. 104)補足すれば,その意味での「学長」選挙においては.職員や学生については,仮に意向は聞    くことがあったとしても,法的な意味での選挙権者としてカウントすることはできないであ.   ろう。 105)佐々木秀雄『私立大学の辿営管理と監査』172474頁〔1988)など参照。. 106)天野前掲註8)書135頁の記述は裏返すとそう読める。工学部と医学部を擁する大学では,   両学部は教口数の多いため,「学長は両者の問でたらいまわしにされてきたjとの評価もある。    しかし,法人化後,学長には経営手腕が求められることになる筈が,改革派の学長が再選を.   阻止されたり,大阪大学のように少数派の文科系から学長が初めて選ばれたりするような皐.   例も出ている。中井前掲註6帥書358360頁。 107)同上361頁は.学畏への巨…聞経営者の登用も今後はあり得ると予測するが.そのためには経   営と教学の分離が必須であり,「理事長への登用」と言うべきである。 108) 藤旺1i猪荘]il主6) 論文120頁0. 109)天野前掲註8)書142頁。これについて,「態法23条の適用対象」には.「教貝一大学管理機関」   とf教授会一学長」も加えるべきだとする指摘もある。常本前掲註32)論文8頁。しかしこれは,.   「大学管理機関」や「学長」を「国」の側に見,あるいは経営(法人)と教学の未分化な国   立大学法人法の構造に依存したもののように感じられ,疑問な点もある。 110)天野同上176頁。加えて,学長の選任する理事は「任期終了後には再び出身部局に戻って教   育研究の職に就くものが多数を占めている」ほか,「教頂出身の理事」は「在職中でも,授.   業や大学院生の研究指埠」「を認めている大学が八割を越えている」という。同害177頁。   藤田前掲註6)論文120頁も.従来の大学教官に管理能力を求めるのは「甚だ疑問」だとし.   ているe 111)人見剛「地方独立行政法人法と公立大学法人化」労働法律旬報1582号4in”,6頁(2004)参照。 112) 塩野」]∬丁日註11) 論文67頁o. [付記] 本稿はr平成17年度一2e年度日本学術振興会科学研究挫基盤研究(C)一般による研   究成果の一部である。なお.校正段階で,吉田善明「大学法人{国立大学t私立大学)の展   開と大学の自治」明大法律論叢i81巻2=3号431頁(2009)に触れた⑪. 214.

(23)

参照

関連したドキュメント

第四。政治上の民本主義。自己が自己を統治することは、すべての人の権利である

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

太宰治は誰でも楽しめることを保証すると同時に、自分の文学の追求を放棄していませ

c・昭和37(1962)年5月25曰,東京,曰比谷公会堂で開かれた参院選の

「大学の自治l意義(略)2歴史的発展過程戦前,大学受難

以上の報道等からしても大学を取り巻く状況は相当に厳しく,又不祥事等

   また、不法投棄等の広域化に対応した自治体間の適正処理促進の ための体制を強化していく必要がある。 「産廃スクラム21」 ※

翌月実施).戦後最も早く制定された福祉法制である生活保護法では保護の無差別平等