今昔物語の受身表現に関する一考察
山口
康
子
O はじめに
先に︑今昔物語集の待遇表現の︑目録における実態について考察を行なった際︑尊敬の﹁被﹂字は例外的に一例をみるだけで︑それ ︵a3参昭︑︶も存疑例であった︒ ﹁目録﹂においては︑ ﹁被﹂字は主として受身
表現に用いられて居り︑その形式も一様ではなく︑又︑巻によって
偏在しているかにみうけられた︒ここに待遇表現にひきつづき︑受
身表現をとりあげて︑本文の相とともに考察するゆえんである︒
又︑今昔物語集は︑説話というその性格上主体的な行為の記録に
筆が傾きがちであると思われるから︑その中における受身表現は︑
ある特殊性をもつことも考えられる︒今昔物語語集において︑受身
表現はどの程度︑どのような場面に用いられているのであろうか︒
今昔物語集の本質を探る一助として︑以下︑その受身表現について
︐明らかにしてゆきたい︒
日本語における受身表現は︑早く上代には﹁ユ・ラユ﹂が用いら
れ︑L﹁ル﹂はわずかに見られる程度であるが︑次の中古・中世を通
じて﹁ル・ラル﹂の時代であり︑近世期になって完全に下一段化し ︵注1︶て﹁レル・ラレル﹂にかわった︒今昔物語集が成立したと考えられ
る時代は︑受身表現としては﹁ル・プル﹂期であり︑ ﹁ユ・ラユ﹂
の残存は特殊な語彙に限定され︑ ﹁レル・ラレル﹂への動きはいま
だ見られないという︑受身表現の変遷史上︑まず安定した時代とみ
ることができる︒ 本稿においては︑今昔物語集の受身表現を解明するための第一の
今昔物語集の受身表現に関する一考察︵山口︶ 段階として︑まず次の二点を明らかにしてみたい︒ω︑目録︵説話表題︶における受身表現と︑説話本文における受身 表現とのかかわり︒ω︑説話本文における受身表現の様相︒ ︵用字B表記法・活用形・ 文型・位相など︒︶ 従来︑今昔物語集の受身表現について触れられた論は︑大坪併治氏の﹁受身表現を巡って訓点語から今昔物語の用語へ﹂ ︵﹁国語と国文学﹂昭和三十九年+月特牛号︶が管見に入ったのみである︒大坪氏のこの論考はきわめて示唆的なものであるが︑今昔物語集の受身表現のみを直接対象としたものではなく︑漢文の構造の中でとらえた受身表現が訓点語を出て一般化してゆく過程を明らかにしょうと試みられたものである︒従って︑漢文訓読文との対比の必要上︑対象を︵a︶〜二〜ル︵ラル︶︑︵b︶〜ノタメニ〜ル︵プル︶︑の二種に限定しておられ︑しかもその細部にわたっては触れられるところがない︒ そこで︑本稿では︑今昔物語集において︑受身表現がどのように用いられているかを全般的に考察してみようと試みるものである︒ 口 今昔物語集の助動詞﹁ル・ラル﹂ ︵注2︶ 今昔物語集において︑助動詞﹁ル・プル﹂の表記法をみると︑次の四種類がみえる︒ω﹁被﹂字一字であらわすもの︒@﹁被﹂字に︑全開もしくは︑訓の一部の捨て仮名︵カタカナ書き︶
三三
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二二号
を付したもの︒
の カタカナ書きのもの︒
ω 文意によって補読されるべきもの︒
次にそれぞれの例文を示す︒ ︵用例の表示は︑日本古典文学大系本に
よる︒漢数字が巻数︑算用数字が説話番号︑口を付した漢数字が︑大系本
﹁今昔物語集﹂の冊数を示す︒すなわち︑ ﹁一一6e69ぺ/1﹂は︑ ﹁巻一︑
第六語︑大系本一冊めの69ページー1行め﹂を示す︒以下︑これに従う︒例文
中の傍線は筆者︒以下も同じ︒︶
ω 公︑徳至リ給ナ人天昌被敬給フ事先限シ︒ ︵一16︑e69ぺ個︶
同 一ノ羊︑牧人・為二二心レテ ︵九125︑望粥ぺ6︶
﹁然一フパ︑我︒︑老ナム時必ズ被奔鼻トム思テ⁝⁝﹂
︵九145︑口62ぺ15︶ 2の 此ノ国ノ軍︑数モ劣一武キ事二︑劣テ七二罰チ取究ヌ ︵三115︑e25ぺ6︶ 2 刻u ﹁⁝⁝然レベ︑高祖署ム事︑疑ヒ先シ︒⁝⁝﹂ ら ︵十15︑口7ぺ7︶ 2 今︑この四種の表記法で記された﹁ル・プル﹂をすべて抽出し︑
受身︑自発︑可能︑尊敬という四用法に従って分類してみる︒分類にあたって︑各用法判然としている事例も勿論多いが︑各用法の境
界がお互いに陵味で載然区別し難い事例もまた多い︒この点が﹁ル
・ラル﹂の持つ特性の一つでもあろう︒これらのどちらとも判断し
難い事例を分類していずれかの範疇に属せしめるのは難かしい問題
であるが︑本稿では︑受身表現に関する考察であるから︑これら判
然しない事例は︑できるだけ受身表現にひきつけて判断し︑他の三
用法については確実な例に限った︒すなわち︑明白な自発・可能・尊敬の用法の﹁ル・ラル﹂を排除して︑受身︵もしくは受身と判断 三四することが可能な︶事例に限り︑本稿の対象として扱うという立場をとった︒その分類の結果は︑次頁の表のである︒
︵備考︶
1 底太は︑岩波書店刊﹁日本古典文学大系太﹂による︒以下の表も同じ︒
2 受身例において︑一二︑ーノダメニ︑をうける動詞が二つ以上ある場
合︑各一例と数えた︒ひ ﹁欠字による意味不明﹂の欄には︑ ﹁被﹂字に下野する文字が欠字のた
−め︑用法を判断し難いすべての事例を納めた︒ ﹁被□﹂という事例のす
べてである︒
4 ﹁目﹂は目録表題︑﹁表﹂は本文表題を示す︒
表のにより︑今昔物語集における﹁ル・ラル﹂は︑受身表現︵もしくは受身とも考えられる用法︶に用いられている事例が他に比し
て非常に多いことが分る︒以下︑表eにおける﹁受身﹂の事例のみ
を対象に検討をすすめる︒目録と説話本文とは︑性質もちがい︑表
記法もちがうので︑まずそれぞれを眺める︒
国 ﹁目録﹂における受身表現
今昔物語集の各説話には︑各巻頭の目録に列記された表題︵目録 − ︵注3︶表題︶と︑各説話本文の前にそれぞれ付されている表題︵本文表題
︶と二箇所に説話表題が記されているが︑受身表現に関しては︑こ
の二種の表題の聞にずれがないので︑以下﹁目録﹂を対象にして考
察をすすめる︒
今昔物語集の目録においては︑七五例の受身表現がみられる︒ ︵
表O︑参照︶七五例のうち七四例までは﹁被﹂字をもって表記され
ており︑残り一例は︑﹁被﹂字こそないが説話の内容と照らし合わせ
て受身の助動詞﹁ル﹂を補読することが適当と考えられる例である︒
この補血の一例は︑巻十七第四語であるが目録表題︑本文表題と ︵注4︶もに﹁志念地蔵菩薩遁主殺難語第四﹂とある︒これを山田氏は﹁地
﹂
紛 防 け
集 の
語
物
昔
e 今
表
−計に三明字る不欠よ味
尊 敬
可 能
発
自身
受
目 表 文 表 本
目
文
本
表 目文
本表
目
本 文
法 \用\︑\巻
27911680棚8789@40 21 49 68 40 19 55 85 47 57 25 52 22 60 63 96
a月
I搦紐η
1
1
1 1 り乙 − り乙
1
1 1
8 2佑 29紹5 20 22 伯 5 184 6 ︹﹂
22
^4
X佑5214朽924124 55
1
1
2
2
2
5 10乙 り乙
2
1 2 り乙 2
1
1
2
﹇﹂ −
2 賞﹂ 1 1 2 7Q
2
∩乙 5 2 !05 4 2 15 7 111 70
り乙 5 4i 1 2 7Q
2
∩∠ 7﹂ り乙 ∠∪5 4 2 15 7 11
27@52 18 27 28 26 17 46 54 25 35 19 51 18 44 51 59 62
6
61 馴 62 65 40 66
秘
1 7Q
17 55
1
∩乙 70 4 5 /0 7 0ノ10 11 /2 15 14 15 16 17 19 20 22 25 24 25 26 27 28 29 50 51
1燭
112
﹄P 65 25
75 57
二
二
68 25 5
72 57
計 12
蔵菩薩を念ずるによりて主に殺さるる難を負れたること第四﹂ ︵傍 ︵注5︶線筆者︒大系本日鵬ぺ8︶と訓んでおられる︒ ﹁難﹂にかかる連体
修飾句の部分﹁主殺﹂ は︑ この顧みのように︑ ﹁被﹂字こそない
が︑ ﹁あるじに殺さるる﹂と受身の﹁ル﹂を耳擦しなければ︑本文
今背物語集の受身表現に関する嚇考察︵山口︶ 内容と表題が合致しない︒ ﹁遁○○難﹂という語句は︑巻十六の観音利益讃︑巻十七の地蔵利益諏などに多く見られる今昔物語集の表題の類型の一つである︒今﹁遁○○難﹂の形式をもつ表題を目録から抽出してみると次のと
三五
長崎大三教育学部人文科学研究報告 第二二号
おりである︒
遁難︵一137︑六i30︑十七!41︶遁賊難︵十六120︑2/︶
遁虎難︵九i5︶ 遁主殺難︵十七一4︶
遁鬼難︵十四一42︶ 聞誤.属難︵十七i10︶
遁蛇難︵十四一昭︑十六⁝16︶ 遁羅刹鬼難︵十七i昭︶ しゅごろし これらの例から考えても﹁主殺﹂は︑﹁主殺﹂という名詞︑もし あるじくは︑ ﹁主の殺す﹂という平叙文の形で﹁難﹂を修飾していると見
たいところであるが︑そのいずれも説話本文の内容に一致しない︒ フデゐ この説話は︑藤原文時の従者の中の﹁不調の男﹂ ︵大系日50ぺ14︶
が︑文時の命で殺されようとした時︑祈念した地蔵尊が現身をあら
わして助けたという内容で︑本文には︑不調の男の言葉として﹁我︒今日被害こ︐︵大系日羽ぺ17︶という表現もあり︑受身の助動詞を ︵注6︶補読するのが正しいと思われる︒
この補訂例一例を加えて︑計七五例の受身表現が目録の中にみら
れるわけであるが︑これは︑今昔物語集の全一〇五九話の中ではきわめて家々たるもので︑試みに百分比を求めれば︑わずかに七パー
セントにすぎない︒
今昔物語集の説話表題は︑ ﹁誰が︵いつどこで何を︶どうした語 ︵汁7︶﹂という形で示されるのが︑最も普通の表題形式である︒とすれば
﹁誰が︵いつどこで誰に何を︶どうされた語﹂という受身の形で表
題が示されている説話は︑今昔物語集全体の中で︑むしろ特殊な存
在であるが︑これらの説話の本文の表現においても︑他に比して︑
受身表現に差があるのであろうか︒端的にいって︑これら表題に受
身表現をもつ説話の本文には︑受身表現がより多く用いられている
のであろうか︒この点をまず考察してみよう︒
計七五例の受身表現を︑その文型からみると︑次のA︑B︑C三
型に分類できる︒ 三六
A型一﹁〜ノタメニ〜ル・ラル﹂型
﹁為○○﹂という句を含み︑動作の実際上の主語が明示されてい
る型︒ ︵例︶ ﹁仏為盗人但被取眉間玉語﹂ ︵四一17︶
﹁染殿堂為天狗被聡智語﹂ ︵二十一7︶
B型!﹁〜二〜ル・プル﹂型
動作の実際上の主語は明示されているが﹁為﹂字はない型︒
︵例︶ ﹁慈岳川人被湿地神語﹂ ︵二四!13︶
﹁在原業平女被轍鬼語﹂ ︵二七一7︶G型1﹁〜ル・プル﹂型
動作の実際上の主語が明示されていない型︒
︵例︶ ﹁李大安依仏助被害得活語﹂ ︵六i13︶
﹁莫耶造劔献王被敦子眉間過冷﹁︵九i44︶
今︑目録における七五例の受身表現を︑この三型に分類し︑巻斗
の分布状態を表⇔に示す︒
︵備考︶1 表中の算用数字は︑説話番号を示す︒
2 一中の数字︵説話番号︶に下線のあるものは︑表題の中の修飾句︵従
属句︶の中に受身表現をもつもの︑下線のないものは︑表題の主文が受
身表現であることを示す︒
5 下線の一本線は連用修飾句︑二本線は連体修飾句であることを示す︒
4 口に括ったものは︑ ﹁ル﹂補平均である︒
表口をみると︑目録における七五例の受身表現は︑巻二十以下に
かなり集中的に偏在していることが分る︒更にいえば︑説話表題の
主文が受身表現をもつ例は︑巻二十四以下の本朝世俗部に集中して
いることが分る︒これは目録における受身表現の特色の一つである︒
又︑受身表現の文型の面かち考察してみると︑A型は︑割合と
態 状 布 分
現の
表 身
偽受
掴
録に 目表
長
内 し な へ型語 主Cの 上 際 実 加型 ラB二颪
〜〜
〜〜に表も数題身を話表受現つ
寸話数
巻
21一 澄仙15一 447η=25.一48=
4
メ ロ 54一 4 ろ 払 2 ︐ 7Q β○ と 杁 47照 糧贈 ア謁2 傷謁一45=1 22島551/
溺
照溺
仙 15
σ訊
18=
純
2
35一
㈲=
40一
織
仙 15
29一 肱
25@7 35 乱=8
20=25払覇循 2115 趣 38
13
T5一鋤7
24@11︸
兜 26
16
2 5 1 / 2 5
2
2 70 りム ∠Q5 4 2 15 7 /1− り乙
58@41 55 41 52 48 40 46 40 58 40 44 45 54 40 50 44 46
8
14@57 /4 24 45 44 40 14 57
1
2 7Q 4 に﹂ ∠り 7 Q110 11 12じ15 14 15 16 17 19 20 22 25 24 25 26 27 28 29 50 51
42 14
19
75
囎 75 1
しては︑天竺・震旦・本朝仏法部など︑漢籍の出典をもつ説話が多
い巻に偏り︑B型︑C型については︑本朝世俗部により集中してい
ることが指摘できる︒ ︵受身表現自体が本朝世俗部に偏しているの
で実数値で比較することはできない︒︶前記大坪論文において︑A
型︵大坪氏の︵b︶︶とB型︵大坪氏の︵a︶︶の分布状態の対比は︑
表とグラフ︵62ぺ︶で示されている︒大坪氏は︑今昔物語集の前半
と後半では︑︵a︶︑︵わ︶の使用量の差に違いがあることを指摘さ
れ︑それは漢文脈と和文脈との対立に並行していると論じられてい
今昔物語集の受身表現に関する一考察︵山口︶ る︒C型については大坪氏は全く対象としておられないが︑表⇔でみるとおり︑今昔物語集の受身表現という観点からみる時︑C型は大切な位置を占める︒太平では用法の判定が困難な︑いわばゆれている事例を受身に算入しているとはいえ︑結局C型が多く︑少なくとも目録においては︑最も一般的な受身表現の型といえるようである︒このような受身表現の文型による偏在は︑呼集各部の言語の特性とかかわりのある事実であると思われる︒本集の前半と後半にみえる言語事象の違いから︑巻二十以前を漢文訓読的文脈︑巻二十以
三七
長崎大三教育学部人文科学研究報告 第二二号
降を和文脈とみるのが︑従来今昔物語集の文体を考えるのにとられ
てきた見方であり︑それを名種の対立類義語の調査によって明らか ︵注8︶にするというのが従来の方法論であった︒このことは︑単に受身表
現の目録における実態をみただけでも︑はっきりした一つの方向性
を示しているといえる︒
ところで︑これら受身表現の表題をもつ説話には︑内容的にある
一定の型があるのではないだろうか︒今︑それを︑﹁被﹂字の下接
文字︵受身の助動詞ル・プルが承けている動詞︶から考察してみる
ことができよう︒次の表⇔はそれを示す︒
︵備考︶
1 ﹁下接文字﹂の欄は︑﹁被﹂字に直接︑下接している漢字を示す︒ 2 回数の欄は︑その下接文字が七五例のうち︑何回用いられているかの
回数を示す︒
文字
下意
M の
ーワ ル
職ω 工 掴
録に
目
三⇔
下
接
文
字
一回数
等︵但し打殺1︑突殺1︑︑射殺1︑補違例1を含む︶
14
脚 取
半
9 4 5
鳳︵クラフ︶︑咲︵ワラフ︶
5
打・壊・諌・謀・返・追・一当・見顕
2
整・責︒害・放・流︒射・借・咋︵クラフ︶
召・仕・免︵ユルス︶・呼・行・知
吹上・掘出・打成・吹寄・打寄・盗食 ・縛
1
計 55 文 字
75
これによると︑最も多いのは﹁打﹂ ﹁突﹂などの接頭語をもつ複 三八
合動詞も含めて十四例をもつ﹁殺﹂であり︑その他﹁取﹂﹁盗﹂﹁
捕﹂など悪い意味をもった動詞が多いことが分る︒このように﹁害
を受ける﹂ ﹁迷惑を蒙る﹂という困惑の意識で捕えられる場合は︑
おおむね﹁被︵ル・ラル︶﹂といケ受身形が用いられるのに対し︑
﹁利益を受ける﹂ ﹁おかげを蒙る﹂という意識の表現は︑少なくと
も目録においては﹁蒙﹂字を用い︑﹁蒙利益﹂︵+六一7︑9︑+七
12︑10︶︑ ﹁蒙地蔵助﹂ ︵十七一52︶などと表現されている︒ ︵勿 ︵80u︶論﹁蒙﹂字による悪い意味の例もあり︑目録の﹁蒙﹂字に関して
は︑善悪︑損得いずれの場合にも用いられている︒︶いずれにせ
よ︑今昔物語集の目録においては︑受身表現をもつ事例は何らかの
被害感を伴なうものであるといえる︒
次に︑これら目録における受身表現は︑その説話本文の文章表現
とどのような関係があるのであろうか︒その点について考えてみよ
.つ︒ 本文とのかかわりにおいて︑目録に受身表現をもっている説話を
検討してみると︑次の三種類に分類することができる︒
O 表題には受身表現をもつが︑本文には全く受身表現がない説話︒⇔ 表題・本文ともに受身表現をもつが︑その両者は内容的に全く
関係がない説話︒ ︵表題・本文の受身表現は︑それぞれ主語・述
語が違うもの︒︶
日 表題・本文ともに受身表現をもち︑それが内容的にも一致して
いる説話︒ ︵表題・本文の受身表現の主語・述語が一致している
もの︒︶
今この三種類を表四にまとめる︒
︵備考︶ 1 巻数を漢数字︑説話番号を算用数字で示す︒ ︵﹁五fZ﹂は︑巻五︑
第二十一語のこと︶
2︑用例数のうち0でくくったものは︑
地の文の用例である︒ 会話文中の用例︑0のないものは たはか こと猿の為に謀られる語︶であって︑説話の内容もそのとおりである
が︑説話本文においては︑ ﹁亀﹁⁝⁝⁝⁝﹂ト云テ﹂ ︵大系092ぺ 5
り
勧痢
載抑
躾堀
歯 垢
表
の
もフQ
あ
現が
身 表 受
も
に
文
本
の
もじ
同⇔も
容
内
の
も
鳶口 巧
が
容内
彫診
巻鞘
勝緻
「語
町 巻
彫
一語 巻
くの全現の 語に表もe﹁︻測距巻 ⑥① ω ①ωりム 一 7Q O! 2 1 ⑦ω
4 ∩∠ Q! 1 7Q 1 4
4 11 22
一 一 ︻五 五 六二 二 二
二 二 二 二 二 二 六 七 七 七 七 七 一 一 ﹇ 一 一 一 25@5 12 25 27 57
二 二 二 二 二 九 九 九 九 九北‡ ︻ 一 一 一 ︸ 40@/4 55 67 9 15 25 50
②
5一
一 五 ω①ω ①1 2 1 1 り乙 2∩∠ ∩∠ 70
ω
2
⑤①ω
/ 8 41 7Q 1 7 り乙
15@循
一 一六 七 7 /8 創 /5
一 一 ㎝ 一十 十 十 二 十 /7 15 25 4 48 26一 一 一 ﹇ ﹇ 一二六六七七九十 十 十 十 十 十
①②
1 2 4 11 15 10 45 1一 一 一 一 ︻ ﹇十 十 十 四 四 五二 二 二 二 二 二
【 2 二五
ω
7Q 7Q
− り乙 / 1 1 1 ω
一17
四
一20 四
2 10 55 7 /5 9一 一 一 一 一 一五 五 九 十 四 七 二 二 二
一26 七 二
54
妺a絢一 一 一 ﹇七 七 八 八二 二 二 二
21
五「
十 五 九 七 一 一 一 25@44 55 ‡北﹁ 5 20 8 14
22151
②①十 三 四 四 一 ﹂ ﹇ 一 一 57@40 58 24 57
二 二 二 二 二 十 ∠り 7
一 一七 七二 二
この書斎をみると︑目録に受身表現をもつ計七五語のうち︑
本文に受身表現のないものが計二十語もある︒表題は受身表現で記
しながら︑本文においてはその受身の主語ではなく︑行為の実際上
の主体者を主語として能動態で表現されている説話が︑七五語のう
ち二十語もあるわけである︒
例えば︑巻五第一=語において︑表題は﹁亀田猿無謀語﹂ ︵亀︑ /7 //﹇ 一七 八二 二eの
「25 二八
二 二 二 二 三 三 八 九 九 九 一 一 一 一 一 一 一 一 40@10 /6 29 16 侶
以肋
語 9 58
●
24 ⑧
語 語 /7
20
励6
14 語 1 75
今昔物語集の受身表現に関する︼考察︵山口︶ 日一
でも︑表題と同じ︑主語・述語の受身表現
を本文にもたない語が計十七語ある︒
例えば︑巻五寸二語﹁国王狩鹿入山娘被取師子語﹂ ︵国王鹿を狩 ことりに山に入りて娘師子に取られたる語︶において︑この表題は﹁娘
﹂が﹁被取﹂の主語であるのか目的語であるのか判然とはしない
が︑ ︵﹁娘﹂を目的語とみれば︑﹁被取﹂の主語は﹁国王﹂にな 佃︶︑﹁猿ノ云ク﹁⁝⁝⁝⁝﹂﹂ ︵大系e92ぺ15︶という形 5の表現のくりかえしで︑亀と猿を交互に主語とした平叙文を並列して説話を展開しており︑受身表現は全く見られない︒ 又︑巻二七第七語の表題は︑ ﹁在原業平中将女帯撤凶悪﹂ ︵在原業平中将の女︑鬼 く ことに敏はれたる語︶であるが︑本文においては︑﹁倉︒住ヶル鬼嵩.ル有ヶム︒﹂ ︵大系㈱86ぺ 48︶であってやはり﹁女﹂を主語にした﹁敵はれる﹂という受身表現は全くみられない︒ 次に︑表題︑本文ともに受身表現をもつ計五五語のうち ︵同じ内容の受身表現︶
三九
長崎大回教育学部人文科学研究報告 第二二号
る︒︶どちらであったとしても︑ ﹁国王﹂又は﹁娘﹂を主語とした
﹁書取﹂もしくは類似の内容をもつ受身表現は本文中に見えない︒
﹁師子此︵玉光ル女11娘のこと︶ヲ見テ喜プ掻キ負プ本ノ栖ノ洞二
将行ヌ︒﹂︵大系e45ぺ一︶と︑師子の行動として記されている︒ 5
この巻五第二語の説話太文中に受身表現がないわけではなく︑ ﹁師
子﹂ ﹁母﹂ ﹁子﹂を主語とした受身表現が計四例みられるのである
が︑表題と同じ内容の受身表現はみえないのである︒この種のもの
が︑計十七語みられる︒
すなわち︑説話表題の受身表現と同じ受身表現を本文に持つ説話
は︑計七五語のうち︑ほぼ半数の計三八語しかみられないことが分
る︒まず︑この意味で︑説話表題の受身表現が本文の表現に大きく
響くものではないことが判明する︒ 次に︑表題・本文ともに受身表現をもっている説話において︑その本文における受身表現の使用頻度は︑他に比してより高いといえ
るであろうか︒
受身表現の使用頻度を計算するのは︑実はそれほど単純にはゆか
ない︒各巻︑各回︑それぞれ長短や完結度の相違などがあり︑一概
に実数値と比較できないのは勿論︑平均値といえども︑算出の仕方
次第では︑比較の意味を失なう場合もでてくる︒前記大坪論文では
巻毎の一ページ当りの平均値を比較しておられる︒それも一方法で
はあるが︑筆者のみるところ︑本集の受身表現は︑各説話の未尾の
部分にあらわれる事例が多く︑説話の語り口の一つの型として把握
すべきの如くに思われる︒これについては︑詳述は避けるが︑この
見地から︑一ページ当りではなく︑ここでは一語︵一説話︶あたり
の平均使用回数を比較してみたいと思う︒又︑同じ見地から︑説話
本文の中で受身表現を全く持たない説話は︑算出の対象から除外す
る︒ある一定言語量の中での受身表現の使用頻度を知り︑そこから 四〇
文体測定を試みるという場合などと違い︑本稿のこの項では︑表題
と本文の表現とのかかわりをみようとするものであるから︑受身表
現をもつ説話のみを対象として︑一語︵一説話︶あたりの平均使用
回数を出すことが比較に便利かと思われる︒
そこで︑この平均値を算出すると︑巻により多少の出入りはある
が︑およそ一語あたり一・五回から二・五回の間に︑大半の巻が入
り︑本集の受身表現は︑各巻︑ほぼその使用頻度が安定しているこ
︵沖10︶ ︵注︶とが分る︒全三一巻の平均値は︑一語あたり二・四五回である︒目
録・本文ともに受身表現をもつ計五五語についてみれば︑その平均 ︵沖12︶値は二・七〇で︑一般の場合と大差はない︒
すなわち︑一語あたりの平均使用回数からいっても︑表題におけ
る受身表現は︑本文の記述とはほとんどかかわりを持たないことが
分る︒説話表題が受身表現で記されていても︑その説話の本文にお
いて必らずしも受身表現を頻用したり︑受身表現を強く指向したり
するものではなく︑今昔物語集一般の受身表現以上に出るものでは
ないことが分った︒
以上のことによって︑説話表題の受身表現は︑一応説話本文とは
切りはなして考えてよく︑この点も︑今昔物語集の目録および本文
の成立事情を示唆するものといえよう︒
四 説話本文における受身表現
今昔物語集の各説話において︑表題の表現形式のいかんにかかわ
らず︑今昔物語集一般として受身表現をとらえ︑考察を加えてよい
ことが口までにおいて判明した︒次に本文における受身表現計二
二二例︵表㈲参照︶を①用字11表記法︑②活用形︑③文型︑④位相
の四点から分類してみよう︒
①用字11表記法については︑先に口において︑助動詞﹁ル・ラル﹂
全般についてみたとおり︵表の参照︶本文の受身表現においても同じく四種類がいずれも用いられている︒ω﹁被﹂字︒㈲﹁被﹂字と
全訓もしくは訓の一部の捨てがな︒のカタカナ書き︒ω文意による
補読︒の四種である︒
②活用形については︑命令形を除くすべての活用形がみられた︒
③文型については︑⇔において目録の場合にみたとおり︑A型︵〜
用 形 活
字 コ
用
現の
表
身
受 の
集
語
物
昔
今
表㈲
訳
手
形
ノタメニ〜ル・ラル︶︑B型︵〜二〜ル・ラル︶︑C型︵〜ル・ラ
ル︶の三つの文型が︑本文においても同じく見出される︒ ︵表口参
照︶ ︸
④位相は︑ここでは︑その用例が会話文中のものか︑地の文の用例
かによって分類した︒
次に表㈲に︑①用字︑②活用形を︑表面に︑③文型︑④位相を︑
用活 字
用
命
体 己
終
用
轡 未
陣 ↓㈲ 隅
被㈲
表 一身 総受 現身現 \\受表\\巻\
1
2
ZQ 5 70 7Q
4
2 り乙 1 5 4
1 2 4 11 2 1∠Q 4 7Q 1 1 1/ 70 2 470 1 ∠O5 /0 − QQ1 1 77
一72
25@2/ 11 /0 26 16 16 56 50 17 24 15 25 16 55 45 44 41
5
44@46 51 56 57 45 81 14 26
4
2
5 / 2 12 2 5
2 1
2
1 5 2 9 10
10455291125
2 25
P79772/212121
2
2
5
7 り乙 7Q −り乙 −661/11673751271/伺5116得141﹁0 0乙 7 1
495η徊89792124 15@9 1 1
7
18@15 29 45 46 45
5
49@47 52 61 40 51 96 16 52
27@52 18 27 28 26 17 46 54 25 55 19 51 18 44 51 59 62
6
61 51 62 65 40 66秘1755
1
2 7Q 4 5 !0 7 Q!10 11 12 15 14 15 16 17 19 20 22 25 24 25 26 27 28 29 30 51
52
山斗
柳 5
鰯 π
/慨
1倣
1槻
計
今昔物語集の受身表現に関する一考察︵山口︶四一
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二二号四二
丁
丁
型 コ
文 現の 身 表
紛受
酵
剖蛎
今 表
訳 M ︒い 型ラ ル
ル型 ラ
Bニル 〜〜
内 ニル 型メラ 天タか 〜〜
轍地絵 \
\︐巻
14 ⑤ バゆ
⑤
5
ゆ②⑰似μ只
⑤
2
愉鋤μ奴 ㈲⑧㈹
15@17 8
鼠粉
⑧④7
20
鮒励⑳以駅以1 1 7Q
ω
1
鋤 叙
3
紛⑳恥紛⑳三三μ以以以鼠
1 6∠ 7Q り∠ 2 只︾ ωの7 14
ω②のωの④GD②⑥②ω⑤ω⑤⑥⑧ωω④⑤㊥⑤⑧
12
Q55155102循
R拗
1
eD
E
5 ∠り
の㈲①
7Q − ω②②の
1
2 2
㈲
②
2 1 / ω⑤⑤①
5
①①5
25 ω
粉紛愉粉愉恥温点双鼠以只収鼠収 1 1 6∠ り乙
20 ⑤
② 収
2
㊥
10
鋤
/収
Q! 白瓜奴 ㊥ゆ心添鋤
70 1 7Q 7Q
4 ②
鋤の⑳⑳愉鋤鼠奴鼠以奴π7Q 70 7Q 4 り乙 7Q
謝
6π
12 ⑤ 門照
2 1
り乙 70 4 rO ∠Q 7 0110 11 12 15 14 15 /6 17 19 20 22 25 24 25 26 27 28 29 50 51
略紛 鋤 45
15鮒 回
2収
㈲
62節
6働
22
耀 6 1
計
まとめて示す︒
この表働︑因から︑今昔物語集の受身表現について︑いくつかの
特徴を抽出し得る︒それを次に列挙してみよう︒
①︑受身表現の用字U表記法としては︑﹁被﹂字を用いる事例が圧
倒的に多い︒ ﹁被﹂字に加えて﹁ル・ラル﹂の全部もしくは訓の一
部を捨てがなにした例を合わせると︑一〇一〇例を数え︑全用例の
九〇パーセントが﹁被﹂字を用いていることが分る︒巻による偏り
をみると︑カナ書きの﹁ル・ラル﹂が︑巻一から巻十までの天竺・
震旦部に多く︑本朝に入るといちぢるしく用例数が減じた︒巻一︑
二において四〇例︵全体の四割程度︶を占め︑巻十までに八○例 ︵全体の七割五分程度︶を占めている︒本朝部においては︑むしろカナ書き例が多くなりそうに思うが︑そうではないのは︑ ﹁被﹂字を︑ ﹁ル・ラル﹂にあてることは︑変体漢文の世界では当然のことであるが︑純漢文の原典を有するものはかえって﹁被﹂字を用いにくいからかも知れない︒又古本系統の底本︵鈴鹿本など︶が後半には存しない巻も多く︑古典大系本においても︑流布本系の本文を底本にしているところがらくるのかもしれない︒後に︑ ﹁被﹂字に関する別稿をまとめたい︒②活用形は︑命令形を除く全部の活用形が全巻にわたってみうけられた︒勿論︑連用形が圧倒的に多いが︑未然︑終止︑連休の各形も
一応︑各巻にわたってみられ︑己然形も八例を数える︒助動詞︵もしくは接尾語︶として十分に機能している様相がうかがえる︒
③文型による分布は︑大まかにいって前半と後半とに分かれる︒A
型︵〜ノタメニ〜ル・ラル︶は︑巻二十以下の後半にはわずかに六
例を数えるにすぎず︑前半に強く集中している︒B型︵〜二〜ル・
ラル︶とC型︵〜ル・ラル︶は︑各巻ほぼ平均してあらわれるが︑
やはりどちらかといえば後半の頻度が高い︒やはり漢文脈と和文脈
の関係と把握するべきであろう︒その点からみるならば︑漢文脈か
和文脈かの目安は︑A型︵〜ノタメニ〜ル・プル︶の分布によるべきで︑B型やG型については︑判定の基準にはならない︒B型・C
型は︑ある一定の言語量があれば︑ある程度一定した比率であらわ
れる基本文型と思われる︒
④位相は︑ここでは地の文中の用例か会話文中の用例かを検討した
が表内︑受身表現総数の欄で分るとおり︑どちらもほぼ同じ程度に
あらわれている︒これは一つには︑今昔物語集の特殊性によるもの
で︑各説話とも︑話者の︑長い﹁語り﹂を記述するという形式を踏
んでいるから︑必然的に普逓よりも会話文中の用例が多くなる︒あ
る事件を記述し︑更にそれを当事者又は第三者が殆んど同じ語彙・
表現で﹁語り伝へ﹂るという形式を採っているので︑二重︑三重の
﹁ ﹂ ﹃ ﹄ ﹃ ﹄にくくられた会話文が随所に存在する︒ここで
は︑いずれも同じく会話文中の用例として扱ったが︑更に細かい検
討が必要な部分である︒
文型との関係でみると︑漢文訓読的な文型と考えられるA型が︑
会話文の方にむしろ多くみられた︒最初︑A型は地の文に︑C型は
会話文に集中するのではないかと予想されたが︑逆に︑A型だけ
が︑会話文の用例数が地の文の用例数を越えている︒表丙には詳記
できなかったが︑各説話で︑仮りに各一例ずつのA型・G型をもつ
今昔物語集の受身表現に関する一考察︵山口︶ 場合︑A型が会話文中︑C型が地の文中という組み合わせが多くみられた︒これは︑更に︑会話文の話者の問題などと組み合わせて︑別途考察すべきであろうが︑おそらく今昔物語集においては︑地の文の方が︑口承的︑口頭語的︑和文的であり︑登場人物の会話の方に︑ ︵その人物にもよろうが︶むしろ漢文訓読的な面︑出典文献に影響された文章語的な面があらわれているのであろう︒今昔物語集においては︑単純に︑地の文・会話文の問題を処理することはできない︒ 因 おわりに 以上︑今昔物語集における受身表現を︑いろいろな面から考察してみた︒これらの事実がどのような意味をもっているかは︑国語史上における受身表現の変遷過程としてとらえる場合でも︑今昔物語集の文学性の問題としてとらえる場合でも︑いずれも︑他の︑同種又は異種の︑同時代又は他時代の作品の実態研究と比較するという過程を通らなければならない︒ 本稿であきらかになったことを基にして︑今後︑次の二点を解明してゆきたいと考えている︒㈹︑今昔物語集の受身表現の本質を明らかにすること︒今昔物語集においては︑どのような場面において︑どのような内容を︑どのような意識︵どのような被害感︶をもって受身表現であらわしているのか︒圖︑受身︑自発︑可能︑尊敬という︑ ﹁ル・ラル﹂の載然分ち難い用法の︑今昔物語集における判定の手がかりを得ること︒この四用法は︑今昔物語集においては︑互いにどのようにかかわりあっているのか︒ 特に囚の問題は今昔物語集の︿説話の語り口﹀を明らかにするためにもできるでけ早く解明したい︒
四三
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二二号
︵注︶/ 国語史︑文法史関係の諸文献に説かれるところであるが︑例えば﹁助
詞助動詞詳説﹂ ︵松村明︶15ぺ参照︒
2 ﹁ル・プル﹂は︑ ﹁ス・サス・シム﹂とともに︑助動詞と認定するかど
うか︑異論の多いところである︒筆者は︑助動詞というよりも︑むしろ接
尾語と認める方がより穏当と考えるものであるが︑今︑便宜︑通説︵教科
文法︶に従って︑助動詞とよぶ︒
5 命名に関しては︑拙稿﹁今昔物語集﹁目録﹂における待遇表現﹂ ︵長崎
大学教育学部︑人文科学研究報告︑第二十一号︑昭和四十七年︶参照︒
4 ﹁殺﹂は︑本文表題においては︑﹁敏﹂に作る︒
5 ちなみに︑本年九月に出版された小学館﹁日本古典文学全集﹂今昔物語
集◎においては︑﹁ぢざうぼさつをねむずるによりてあるじにころさるるな
んをのがるることだいし﹂ ︵傍線筆者︶と︑馬淵︑国東︑今野三氏が訓ん
でおられる︒受身表現の部分は︑大系本と同じ︒題名の訓みの時制が︑大
系本では︑ ﹁タリ﹂を補読されるに対して︑全集本では︑主張をもって︑ 現在形で訓じておられる点だけの違いである︒
6 勿論︑朝日古典全書﹁今昔物語﹂三の︑長野嘗一氏の訓みのように︑
﹁地蔵菩薩を念ずるによりて︑主の殺難を遁るるものがたり﹂ ︵全書三︑ ア 5ぺ︶と訓むことも考えられるが︑ ﹁主の殺難﹂も熟さない表現である
し︑意味内容が受身であることは︑長野氏も︑頭注eにおいて﹁主の殺難
とは︑主人から殺されようとした難儀の意﹂ ︵傍線筆者︶と注して︑受身 の表現であることを明示しておられる︒7 拙稿﹁今昔物語集﹁目録﹂考1その表題形式について一﹂ ︵﹁語文
研究﹂第三十一︑三十二号︑昭和四十六年十月︶参照︒
8 ﹁今昔物語集の文体の研究﹂ ︵松尾拾・昭和四十二年︶9ぺ〜1ーペにお
いて︑従来の研究にとりあげられた語彙をまとめておられ︑便利である︒
9 ﹁蒔琢替﹂ ︵十一糾︑十山パーη︑ 二一二一得︶ ﹁曲家現血刮﹂ ︵十山パー詔︶ ﹁曲家
父不孝﹂ ︵二九一11︶
10 巻二一二︑巻二五などは︑一語あたり︑平均五回以上の受身表現が用いら れており︑他に倍している︒巻による特質も︑勿論︑ある程度はみうけら れ︑更に問題をふかめることができる︒
11 目録に受身表現をもつ計五五語を除外して計算しても︵比較の対象であ 四四
るから︶︑平均使用回数は二・四一回で︑大差はない︒
12@このようにして算出した○・二五ほどの差を︑大きいとみるか︑小さい
とみるかは問題であるが︑この場合︑平均一回にもみたない差はとりたて て考慮する必要はないと考える︒ t以上一
︵一九七二・十・三十一︶