• 検索結果がありません。

機会費用概念の受容と定着に関する一考察

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "機会費用概念の受容と定着に関する一考察"

Copied!
15
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

機会費用概念の受容 と定着に関する一考察

―アメリカにおける広がりと 日本への波及―

新 井   明

A Study on Acceptance and Establishment of

Opportunity Cost Concept in America and Japan

Akira Arai

This paper refers to how Austrian-born concept of opportunity cost was accepted and established as a basic economic concept in current economics and economic education. The concept of opportunity cost was created by von Wieser and transferred to the United States via London. The key person who transmitted the concept to America was Robbins at LSE. There was another route of transmission of the concept; some Austrian economists like von Haberler brought it directly to the United States in the 1930ʼs. In the United States, this concept was accepted mainly by Chicago school economists like Knight and spread wide in the country by their hands. But the process was not straightforward, and I will trace it back to Samuelsonʼs Economics. The term of opportunity cost was first introduced in the 5th edition

(1961) of the book. At the same time, JCEE introduced opportunity cost as a fundamental economic concept in the standard economic teaching (Task Force Report), and the concept was beginning to pre- vail nationwide in K-12 school education in the United States. It has become a fundamental economic concept ever since at the university level and even in the preschool education. In Japan, the concept was introduced in economics instruction at university in the 1980ʼs, but it was hardly taught at junior or se- nior high school at that time. Opportunity cost has an important role in making economic decisions. As it is an invisible cost, there is much difficulty in understanding it. Besides, opportunity cost is a subjective expense and its definition is difficult. It is necessary to teach it with firm definition and prepare many ex- amples to make students understand the concept. A lot of effort is required to develop an economic way of thinking through opportunity cost among students.

はじめに

筆者が機会費用に関心をもったのは,岩田・山根(1988)の刊行が契機である。また,その原典で あるJCEEの著作を,山岡道男先生も参加されていた,今はなき経済教育研究協会の勉強会で知った ことからである。山岡先生たちとの出会いはマルクス経済学で教育を受けてきた人間にとって「目か らうろこ」であった。そこから希少性と選択の経済教育への関心とそれに基づく筆者の実践がはじ まった。

その成果をまとめたのが新井(1991)である。これに対しては,効率性を強調する経済教育は社会 認識を深めるものにはならないという批判が寄せられた。それに対抗する形でさらなる理論の探求と 実践を継続してきた成果が新井(2004,2006)である。その過程でオーストリア生まれの機会費用

上智大学非常勤講師

(2)

という概念が海を渡り,なぜアメリカの経済教育で基本概念として認知されてきたのかという疑問が 生まれてきた。その疑問を解くための調査をまとめたものが新井(2014)である。本論考では,これ までの筆者の論考や実践を踏まえ以下の内容を考察する。

(1機会費用概念の出発点を確認し,LSEのロビンズと機会費用の関連,オーストリア学派関係者の 動きとそのアメリカへの影響の確認を行う。

(2)アメリカでの機会費用の受容に関するキーパーソンであろうと推定したサムエルソンに焦点をあ わせ,その著『経済学』の精査による機会費用概念の普及を跡付ける。

(3) JCEEの機会費用採用のプロセスを検討する。併せて,現在のアメリカの大学レベルのテキスト

での普及状況を確認する。

(4日本におけるその導入を大学向け教科書における変化をたどることで跡付ける。

(5まとめとして,機会費用概念の有効性を経済学の観点および経済教育から見直す。

1. 機会費用概念がアメリカに到達するまで 1.1 古典派経済学における機会費用の考え方

機会費用という概念は19世紀の産物であるが,考え方そのものは労働価値説をとる古典派経済学 からすでに存在している。

例えば,アダム=スミス(Adam Smith: 172390)(1776)では,ビーバーと鹿の交換の例がある。

また,デイヴィッド・リカード(David Ricardo: 17721823)(1817)の有名な比較優位の個所の事 例の背景には特化による生産費の比較,つまり機会費用の安い製品に特化することの有利さが数値例 で説明されている。

このような機会費用の考え方は,経済理論だけでなく政治理論や日常生活でも活用されていた。政 治理論では,スミスと同時代人のデイヴィッド・ヒューム(David Hume: 171176)(1752)が,「国 家の強大と被治者の幸福との間には一種の対立関係が存在しているかに見受けられます。…他方,私 人の生活における安楽と便利とはそれらの人手が彼らの用に振り向けられることを求めます。一方の 要求は他方の犠牲においてでしか満たしえません。」と書いている1

1.2 機会費用論の登場

機会費用概念を自覚的に最初に経済学体系のなかで取り入れたのはオーストリアのフリードリヒ・

フォン・ヴィーザー(Friedrich von Wieser: 18511926)であり,その説はオーストリア学派の生産 費用論の中核を占めるものになった。

ヴィーザーは,限界革命の一人カール・メンガー(Carl Menger: 18401921)の後継の位置を占め る人物である。

ヴィーザー(1889は,師であるメンガーの主観主義的効用価値説を生産費用の説明まで拡大して,

機会費用の概念を創出したとされている2。また,はじめて限界効用という用語を使った経済学者で もある3。ヴィーザーの機会費用の考え方を簡単に紹介しておきたい。

メンガーが定義した財は,直接の消費に役立つ財である第一次財(低次財)と,第一次財を生産す るのに直接役立つ第二次財などの高次財により構成されている。これらすべての財の価値を規定して いるのは低次財である第一次財の限界効用である。高次財は自分が生み出す低次財から逆に価値を受

(3)

け取るとした。この財の考え方に基づき,メンガーもヴィーザーも,費用は犠牲であり,より厳密に は費用とは犠牲にされた効用であるとした。

ヴィーザーはさらに,財の生産において,高次財がどれだけの価格を持つかは,それを作るのに必 要な原材料や生産要素のコストに一致するとして,生産要素間にどれだけ価値やコストが帰属するか という帰属理論を展開する。また,費用に関しては「費用とは,生産財がある一つの用途にささげら れるとき,他の用途にも用いられうるという能力のための経費の形をとる生産財である。費用評価の 尺度は常に,すべての可能な用途を考慮して見出されるような生産的限界効用である」として,機会 費用論を展開した4

1.3 機会費用を巡るロビンズとLSE

このようなオーストリア生まれの機会費用概念がアメリカに伝わるルートは大きく二つあった。一 つは,ライオネル・ロビンズ(Lionel C. Robbins: 18981984)が所属したLondon School of Eco-

nomics(LSE)を経由してシカゴ学派に至る流れである。もう一つは,直接アメリカに流れ込むルー

トである。

まず,LSE経由のルートから紹介する。

ここでのルートのキーパーソンはロビンズである。ロビンズ(1932)は,小冊子であるが,経済学 は希少性に基づく選択の学問であるという定義を高らかに掲げ,その後の経済学の発展に大きな影響 を与えた書物である。ロビンズは,機会費用に関して,明示的な形で機会費用という用語は使ってい ないが,以下のような記述から選択の科学としての経済学に必須な概念と位置づけていることが理解 できる。曰く,

「一つの目的を達成するために時間と希少な手段を必要とする行為はすべて,もう一つの目的を達 成するためにそれらの使用を放棄することを求められる。これが経済的側面である。」5

「我々は楽園から追放された。永遠の命も,欲求充足を可能にする無限の手段もない。どこを向い ても,ある事物を選択すれば,他の物事――別の状況では,断念したくないと思う物――を断念しな ければならない。」6

ここで特に注意したいのは,機会費用概念に関して,ロビンズは,ヴィーザーが交換論で展開した ような価値論,価格論で説明するのではなく,より一般的な形でその考え方を説明していることであ る。この説明方法は,のちにアメリカに渡り,機会費用が基本的経済概念に昇格することを予想させ るものと言えるだろう7。ただし,この昇格はオーストリア学派が本来持っている特徴が,ワルラス らの一般均衡論による新古典派経済学のなかに合流してゆくという意味で,オーストリア学派が解体 してゆく契機になったというマイナス評価も同学派の後継者からは下されている8

いずれにしても,ロビンズ(1932)の所説とLSEは,海を越えてアメリカにオーストリア学派の 概念であった機会費用が渡ってゆく経由地になったことは間違いない。

このようなLSEでの機会費用の考え方は,アメリカのシカゴ大学のフランク・ナイト(Frank H.

Knight: 18851972)の手により引き継がれてゆく。ナイトは,LSEとの交流のなかで,自分の利子 論がオーストリア学派とほぼ同じものであることから,オーストリア学派への親近感を持っていたと されている。費用論に関しても独自の研究をしていて,それがLSEでの講演やロビンズとの交流な どから,ほぼ現在の機会費用論に近いものとして受容されていたとブキャナン(1969)は指摘して

(4)

いる9

1.4 ウイーンからアメリカへ

もう一つの,オーストリア学派のアメリカへの直接ルートは二つの道が存在した。

一つは,直接アメリカ人経済学者がウイーンで学んで本国に持って帰ったルートである。その一人 が,ヴィーザーやベームと同時代人で最初のアメリカにおけるオーストリア学派とよばれたフラン ク・フェター(Frank A. Fetter: 18631949)である。またハーバート・ダベンポート(Herbert J.

Davenport: 18611931)がいて,彼らは機会費用の考え方をいち早く受容し,アメリカに持ち込んだ とされている10。ただし,それが大きな影響をもったとは言えないだろう。

もう一つは,亡命者もしくは亡命に近い形でアメリカに渡って,オーストリア学派の経済学をアメ リカに持ち込んだ一群の経済学者がいる11。その一人が,オーストリア学派の正統派としてアメリカ に渡ったゴットフリート・フォン・ハーバラー(Gottfried von Haberler: 19001995)である。

1936年にスイスからアメリカに渡り,ハーバードの教授となったハーバラーは,貿易理論を巡る 費用に関する1930年代の論争の中で,論争相手のアメリカのジェイコブ・ヴァイナー(Jacob Viner:

18921970)によって描かれた生産可能性曲線を機会費用によって説明し,現在の主流派経済学の標 準テキストには必ず掲載されている解釈の基本を提供している。ハーバラー自身は,この時の生産可 能性曲線の機会費用解釈は正しかったと1980年代にも述べている12。やや長くなるが引用しておこ う。

「私は今日でも依然として,リカード理論ができるだけ多くのことを得る最も有益な方法は比較優 位の理論を機会費用のタームで再解釈することである,と信じている。」

「オーリンが,このアプローチ(機会費用アプローチ)は労働価値説をうまく断念させるが,もし それが価格体系の相互依存論と関連付けられない限りは少しも役にはたたないと主張するとき彼は確 かに正しい。いうまでもなく,この関連性を明確にすることが,まさに機会費用説の当初からの意図 であった。」

「機会費用という言葉は次第に消えていったけれども,変形曲線,ないし生産可能性曲線の形式で 機会費用アプローチは近代理論の基本的なトゥールの一つとなった。」13

この時の論争は,学生だったサムエルソンにも影響を与えたとサムエルソン自身が以下のように振 り返っている14

「ハーバラーは生産可能性辺境線を見事に導入することによって,リカード流の一要素説から脱却 する途を切り開いた。私自身の仕事や私の同時代人の仕事はみなこの実り豊かな噴出に由来するもの である。」

2. 機会費用概念とサムエルソン

2.1 サムエルソンがとらえた機会費用概念

以上のような考察から,アメリカにおける機会費用概念の定着に決定的な影響を与えたのはポー ル・サムエルソン(Paul A. Samuelson: 19152009)であろうと新井(2014)では推定した。たしか にそう言いうる状況証拠はある。しかし,実はそう簡単にこれは論証されるものではなかった。その 経過をサムエルソンの経歴とその著『経済学』における機会費用の記述をたどりながら確認したい。

(5)

まず経歴から見てみよう。サムエルソンは,学部をシカゴ大学で過ごし,大学院はハーバードであ る。シカゴ大学時代をサムエルソン自身は次のように書いている。「あのフランク・ナイトとジェイ コブ・ヴァイナー,…がいたシカゴ大学の偉大な日々に,私は学部の学生としての時を過ごした。」15

ハーバードでの大学院時代を次のように書く。「活動がハーバードの黄金時代に移ったとき,

…ヨーゼフ・シュンペータ,…が私の先生だった。」16

そして次のように言っている。「ヴァイナーとハーバラーはともに私の恩師で…,私はシュンペー タの息子であるがゆえに,ベーム・バベルクとメンガーの孫である。」17

機会費用に関してここから読み取れるのは,サムエルソンが学部段階から,ナイトなどアメリカの 経済学者からと,アメリカに渡ってきたオーストリアンから,機会費用の考え方をある種自然に受け 入れていたであろうという推定である。さらに,1930年代の,国際貿易に関する実質費用説にたつ ヴァイナーと機会費用説に立つハーバラーとの論争をめぐっては,次のように述べていることに注目 したい。

「機会費用の原理は,適切に展開されれば,いわゆる苦痛・費用価値説とけっして矛盾しないこと がわかるであろう。実際,機会費用原理は,十分に注釈をつけて述べられれば,必然的に一般均衡の 諸条件に戻らざるを得ないのである。」18

この経歴と記述から,オーストリア生まれの機会費用は,ロンドン経由もしくは直接にアメリカに 導入され,その用語こそ用いていないが,同種の考え方を持って準備をしていたアメリカの経済学者 のなかに取り入れられてきたと見ることができる。そうして,その受け入れたエコノミストの有力者 にサムエルソンもいたはずだと推定できるのである。

2.2 サムエルソン『経済学』の変遷から見る機会費用概念の扱い方

第二次世界大戦後の1948年に初版が刊行された,サムエルソン(1948)はたちまち世界的なベス トセラーとなり,その後の標準経済学のテキストはほぼこの本に依拠して書かれるようになった。経 済学の制度化という点での重要著作であり,この種の論考では必ずとりあげられる内容である。とこ ろが,機会費用という用語をサムエルソンはその著作のなかにすぐには取り入れてはいない。その経 過をすこし詳細に見てゆこう。

サムエルソン(1948)初版には,1930年代の論争で使われた生産可能性曲線が紹介され,大砲と バターの代替生産が説明されている。そこには「完全雇用経済の下では,一つの財を生産する時には そのほかの多くの財の生産をあきらめる(give up)ことは根本的な経済的事実である」(原本p20) という表現はされているが,機会費用という用語を用いて説明しているわけではない。これは先に指 摘したロビンズ(1932)が機会費用という概念を単独では抽出していないことと同様である。また,

索引に機会費用は登場しない。同じ扱いは第4版(1958)まで続く。

現在,経済の基本概念として通常この種のテキストの冒頭に記述される機会費用であるが,サムエ ルソン第5版(1961)で,やっと生産可能性曲線の説明の個所で費用逓増の説明の脚注として登場 するのである。そして,同じ第5版では,第22章「費用と供給」という箇所ではじめて本文中にも 登場し,索引にもはじめて登場するのである。

第5版の冒頭部分の註の個所(原本p15)を訳出しておこう。

「何人かの著者(some writersは,生産可能性曲線を『機会費用曲線』と呼び,『限界機会費用逓増』

(6)

と呼んでいる。この詳細は後に22章で議論されるであろう。」

ここで注目したいのは,「何人かの著者」としていて,「私が」とは書かないことである。この段階 で,サムエルソンは機会費用という言葉を使うのを躊躇しているように見える。

それを反映したのか,第6版(1964)では,冒頭の生産可能性曲線の個所から機会費用の言葉が 消えるのである。ただし,「費用と供給」の個所での扱いと機会費用という概念の使用は変化してい ない。これは日本での初めて翻訳である都留訳(1966)でも確認できる。

それ以降第7版(1967)〜第11版(1980)のサムエルソンが単独で書いていた時代は,第6版と 同じ扱いがされて,生産可能性曲線の個所での記述はなく,ミクロ経済のコストと供給の個所で機会 費用が解説される構造をとっていて,機会費用は供給におけるコスト問題との関連で説かれているだ けである。それはウィリアム・ノードハウス(William D. Nordhaus: 1941‒)が共著者となった第12 版(1985)でも同じである。

冒頭部分で,機会費用が再登場するのはやっと13版(1989)からなのである。

第13版では,第5版の脚注で登場した機会費用が今度は希少性の原則のあとに単独で取り上げら れる。そして,経済の基本概念に昇格している。これ以降の版では,同様な形での扱いがされてゆく。

この間に,費用論の個所では機会費用は概念として本文でしっかり説明されているし,索引にも 入っていのであるが,教科書の冒頭の「経済組織の基礎的な諸問題」の個所の扱いがこのように違っ ているのがなぜなのかは,残念ながら今回調査をしきれていない19。サムエルソン自身,機会費用概 念を受容し,その重要性は理解しつつも基本的概念とすることに躊躇する何かがあったとしか考えら れない。それは何か,課題としておきたい。

3. 機会費用概念の経済教育への波及 3.1JCEEの発足

サムエルソンの『経済学』に機会費用概念が登場した1961年には,経済教育でも大きな動きがあっ た。それは,当時のJoint Council on Economic Education(JCEE)によるNational Task Force Re- portが刊行されたことである。そこにサムエルソンは経済学者として参加しており,『経済学』第5 版での扱いと並行するような形で,機会費用は,主要概念として抽出こそされてはいないが,重要な 学習項目の一つとして登場しているのである。

サムエルソンの『経済学』での機会費用の概念の扱いがジグザグの経路をたどったのに対して,

JCEEでの機会費用の扱いは一貫している。JCEEは,その後,1964年に発展的経済教育プログラム Developmental Economic Education Program(DEEP)を発表,さらに1970年のその改訂のなかで,

機会費用を経済教育において重要な概念の一つとして位置づける。このように機会費用は,基本的経 済概念として市民権を獲得してゆくのである。

この過程を追跡するために,まず,JCEEに関して簡単に紹介しておく。

JCEEは,1949年1月に発足している20。その前提となったのは,1947年にビジネス関係者を中 心にして組織されたthe Committee for Economic Development(CED)である。CEDの中に組織さ れたBusiness-Education Committeeは,ニューヨーク大学とコンタクトを持ち,1948年の夏に三週 間の経済教育のワークショップを開き成功させる。これが機になり,19491月にダーウッド・

(7)

ベーカー(G. Derwood Baker: 190089)を議長としてJCEEが組織されてゆくのである21

非営利団体として組織されたJCEEは,アメリカ経済学会の協力を得て活動の輪をひろげてゆく。

当初その活動は教員向けのワークショップが中心であった。その活動の中から全国規模でのナショナ ルカリキュラム作りや教材の蓄積が始まってゆくのである。それがはじめて形になるのが,前述の 1961 A Report of the National Task Force on Economic Education である。

3.2 タスクフォースレポートと機会費用

Task Forceは8名のメンバーで構成されている。内訳は,JCEE議長のモウ・フランケル(Moe L.

Frankel)と教育学者2名,経済学者5名である。5名の経済学者とは,カーネギーメロン大学の

ジョージ・バッハ(George L. Bach: 19159422を筆頭として,プリンストン大学のレスター・チャ ンドラー(Lester V. Chandler: 19068823UCバークリーのロバート・ゴードン(Robert Aaron Gordon: 19087824,ミシガン大学ビジネススクールのフロイド・ボンド(Floyd A. Bond: 1913 2004)25が名を連ね,そしてMITのサムエルソンがいる。そしてこのなかで,最も経済学者として の影響力があったのはサムエルソンであろうことは疑いない。ただし,サムエルソン自身は,議長の バッハに引っ張り出された(dragged me)と証言して,それほど積極的にK-12 の経済教育に関心と 責任を持っているようには思えない発言をしている26。たしかに,サムエルソン自身は,『経済学』

という教科書を執筆してはいるが,教育面で丁寧に何かを教えるよりは,オリジナルな論文を書いて いる方が自分にとってはふさわしいという傾向を若いころから持っていたようだ27

しかし,このレポートはアメリカの経済教育の世界では画期的な意味を持った。それは,はじめて,

体系的にK-12での学習内容が提示されたからである。

同レポートでは,良き市民となるための経済学習において身に付けるべき主要概念が列挙されてい る。現在との比較のために,それを上げておこう。(なお,便宜上番号を振ってあるが,本文にはそ れはない。)

1 希少性,2 コスト概念(ここで機会費用が登場する),3 生産的資源‒生産要素,4 分業・特化・

交換,5 経済的生産‒資源の望まれる産出への転換,6 労働生産性,7 収穫逓減の法則,8 需要・

供給・価格,9 市場,10 競争,11 利潤,12 インセンティブ,13 相互依存‒価格と市場システム,

14 経済的効率性,15 独占・反トラスト法,16 公共事業,17 企業・バランスシート・利潤と損失,

18 政府支出,19 税金‒法人税・所得税・固定資産税・売上税・給与税,20 国際的な特化,21 国 際収支・貿易収支,22 関税

この段階では現在のようなミクロ,マクロ,国際経済というような分野別の内容の整理がされてい ない。機会費用に関して言えば,2番目のコストの個所で挙がっているが,まだ概念として独立して はいない。ただし,コストに関しては機会費用という用語を使っての説明が詳細にされている。この 段階で,機会費用が教育面での市民権を獲得したと言ってもよい扱いである。

3.3 その後の展開と機会費用

先にも触れたがJCEEは1964年にDevelopmental Economic Education Program(DEEP)のサブ タイトルがついたEconomics in the Curriculumを発表している。この中で,すべての社会における 中心的経済問題という項目で,希少性と意思決定のコストが扱われ,機会費用が詳細に解説されるが,

ここでもまだ,基本概念という形での抽出はされていない。

(8)

それが大きく展開するのは,1977年にMaster Curriculum Guideとして,DEEPの改訂が発表さ れたことによる。マスター・カリキュラム・ガイドでは,経済を学ぶにあたっての基本概念を階層別 に整理して22の基本概念に整理している。ここでは,そのうちの基礎的な経済概念部分のみを紹介 しておく。

〈基礎的な経済概念〉

1 希少性,2 機会費用とトレード・オフ,3 生産性,4 経済システム 5 経済制度とインセンティブ,6 交換,貨幣,相互依存

これを先のDEEPと比べると,経済学習の内容を大きく四つ(基本概念,マクロ経済,ミクロ経済,

国際経済)にわけて,それぞれのなかの概念を整理していることが目につく。本稿のテーマとの関係 でいえば,基本概念に機会費用がここではじめて位置付けられていることである。資源が希少だから 選択が必要であり,選択に際してはコストとベネフィットを比較する必要があり,コストに関しては 機会費用の考え方をしなければならないという論理の流れである。また,基本的な経済概念というこ とで,これがミクロ,マクロ,国際経済すべての学習に関係するという位置づけとなっている。

3.4 現在のアメリカのテキストに見る機会費用の扱い方

このマスター・カリキュラム・ガイドでの概念学習は,経済学の体系に基づき,それをK-12の教 育に導入するという意味で画期的であり,これに基づく多くの授業書が作られ実践されていった。し かし,その後,サムエルソン流の新古典派総合に基づく経済学に対する批判派の声の高まりのなかで,

経済学の体系の薄められたものを概念学習として教えることへの批判への対応や,より市民生活に役 立つ経済学習の在り方をもとめて,1997年にNCEEはVoluntary National Content Standards in

Economicsを発表,概念学習から経済リテラシー学習へと舵を切り,ベンチマーク(到達目標)方

式の20のスタンダードを発表した。その〈スタンダード1〉には「選択するとき,得るものとあき らめるものとをはっきりとみきわめられる」という目標が書かれている28

スタンダード20は,これまでのサムエルソン流の新古典派ケインジアン的な体系から,マネタリ ズム的な要素も含めた折衷的な体系となっている。機会費用に関しては,その主観性が学習項目のな かに登場しているのが注目されるが,これは1980年代からのケインズ経済学の後退と保守的なマネ タリズムやオーストリアンの発言力の拡大が影響していることは疑いないであろう。

いずれにしても,1960年代から経済教育の中に組み込まれた機会費用概念は,段階をおって基本 概念として位置づけられ,半世紀たった今日ではアメリカの経済教育の導入部分の柱の一つとして しっかりと根付いているということができよう。そしてその出発点が1961年のタスクフォースレ ポートなのである。

関連して,現在のアメリカの大学レベルの経済学の初年級のテキストに関しても概観しておきたい。

サムエルソン後,最もポピュラーなのはグレゴリー・マンキュー(N. Gregory Mankiw: 1958‒)

(1998)であろう。マンキューの特色は,本論に入る前に「経済学の10大原理」を提示していると ころである。そこでは10の原理の第2項に機会費用があがっている。

〈人々はどんな意思決定をするか〉

「2 あるものの費用はそれを得るために放棄したものの価値である。」

マンキューの10大原理のほとんどは,現CEE(旧NCEEJCEE)のスタンダード20と共通して

(9)

いる。その意味では,アメリカの経済教育は,幼稚園から大学まで一貫しているということがわかる。

次に,ジョセフ・スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz: 1943‒)のテキストをとりあげる。スティグ リッツ(1993)では,マンキューのような扱いはしていないが,第一章の需要と供給の個所で「経 済学的な思考」という節をもうけ,そこで生産可能性曲線を導入している。それも大砲とバターの事 例がとりあげられ,費用として機会費用が説明されている。サムエルソンと同じ書きぶりである。

ポール・クルーグマン(Paul R. Krugman: 1953‒)ではどうか。クルーグマン(2006)では,マン キューと同様に,第1章「最初の原理」で,個人の選択,経済学の核という節をもうけ,「資源は希少 だ」,「機会費用」,「どれだけかは限界で意思決定」,「人々は自分の暮らしをよくする機会を見逃さな い」という見出しで説明が書かれてゆく。第2章「経済モデル:トレード・オフと取引」では,モデ ルの例として生産可能性フロンティアが説明され,そこから比較優位に進み,機会費用が再登場する。

以上,三つの代表的なテキストを見ただけでも,JCEEのタスクフォースレポート以来,K-12だけ でなく大学のテキストまで機会費用の概念が登場していて,主流派経済学のなかにオーストリア生ま れの機会費用概念が定着していることが確認できる。

4. 日本の経済学界および経済教育における機会費用の波及 4.1 経済学のテキストからみる波及の様子

日本での機会費用の導入はどうであろうか。実は機会費用の考え方そのものは,日本にはすでに 1930年代に紹介されていた。

例えば,中山(1933)では,生産費の個所で帰属理論を解説する中で,次のような指摘がされて いる29

「生産費とは一般に生産物の獲得に於いて費やされたる犠牲であるが,この場合犠牲にせられたる ものは何であるか。吾々が若し生産財に直接の価値を認めないとすれば,その場合犠牲にせられたる ものは生産財それ自らではなく,生産財が他の用途に於て生産すべかりし生産物の価値でなければな らぬ。」

そして,その註に,「生産財の価値に関するかくの如き考へ方を一般に価値の帰属学説と云ふ。そ れは価値についての主観説をとる必然的な結果である。けれども,通常メンガー,べーム・バべルク,

ヴィーザー等の所謂墺太利学派と結びつけて考へられる帰属学説は以上の広義の帰属学説の一つをな すにすぎぬ。」と書き込み,ヴィーザーの『自然価値論』を参考文献に取り上げるのである。

先に触れたロビンズ(1932)の直後もしくは同時並行でこれだけの記述が日本でされているのは 驚きであるが,この指摘により機会費用が概念として戦前日本で受け入れられていたとは到底思えな い。ちなみに,中山のこの本ではすでにロビンズ(1932)が註の参考文献として登場している。

残念ながら,機会費用を最初に登場させた,大学向けのテキストが何かは発見できていないが,近 代経済学と名称をつけた本や入門レベルの経済学のテキストを見ても,1960年代から70年代までの ものには登場していないと言ってよいだろう30

例えば,1960年代に多くの学生が手に取った千種(1957)には機会費用の言葉は登場しない31。 いわゆる近代経済学のなかで,この概念の導入と普及は,1970年年代から1980年代になってからと 言えるだろう。

(10)

ちなみに,1970年代はまだマルクス経済学が元気であり,近代経済学かマルクス経済かという選 択が,経済学部の学生の大きな問題だった時代である。例えば,その問題に一つの回答を与えたと自 称する正村(1976)では,希少性と選択が冒頭にでてくるが,機会費用の言葉はなく,その内容の 指摘もない32

機会費用概念が,大学テキストに本格的に登場するのは1980年代からである。

例えば,宮沢(1985)では第一講の「経済原則と経済体制」の個所で,経済原則としての希少性 が述べられ,次いで機会費用が述べられてゆく33。これは市民講座の講義をまとめたもので,一般向 けの講座でも機会費用概念が語られ始めたことがわかる。

この講座のもとになった,同じく宮沢(1981)では,冒頭の希少性に続いて登場し,「機会費用の 大きさによってA財の価値や価格は決まる」として,機会費用は価値論,価格論の出発点に置かれ ている。

ほぼ同時期に刊行されている,熊谷(1983)では,第一章の「経済社会の基本問題」で生産可能 性曲線は紹介されているが,そこで機会費用は扱われていない。機会費用が登場するのは,一つは

「所得の分配」部分で,労働と賃金を扱う項目において人的投資に関連して大学進学のコストを説明 するときに,機会費用を使ってコストを説明している。ほかには,「貨幣と国民所得」で,「利子率は 貨幣保有にともなう機会費用の大きさを表す」という形で機会費用を登場させる。

宮沢も熊谷も,説明の仕方はちがっていても,主流派経済学の立場からテキストを書くときには,

機会費用概念を登場させていて,サムエルソンの『経済学』の記述の変化に影響されるような形で大 学レベルの経済学教育では,機会費用が日本でも波及,定着が始まりつつあることがわかる。

また,大矢野(1986),では「安売り卵」というタイトルそのものが機会費用を示唆するものとなっ ている。しかし,同じ近代経済学系でも,通説に批判的な森嶋(1984)では,1980年代の刊行であ りながら,機会費用のキの字も出てこないという事例もある。

一方,このような変化に合わせるような形で,市民向けの啓蒙書でも機会費用が登場し始める。井 原(1983)では,冒頭に「なぜコストなのか」の章があり,そこでは勝海舟を現代に登場させコン ビニと外食のそば屋を比較したり,アメリカに行く場合,飛行機と船のどちらでゆくかなどの議論を させたりして機会費用を説明している。

4.2 高校までの経済教育と機会費用

教育界では大学レベルでの変化とは様相が違う。

教科書でいえば,1960年代には近代経済学の立場にたった高校の「政治・経済」の教科書がかな り多く発行されたのだが,それが現場の支持を得ずにほとんど全滅に近い状態になった34。そこでは 機会費用のキの字もでてこない。1960年代後半から1970年代は政治の季節で,経済は公害問題を きっかけとして高度成長批判のトーンの教育が多くなされていた。そういった雰囲気のなかで,矢島 監修でNational Task Force Reportが翻訳されたのは1969年であるが,当時JCEEの活動や矢島の翻 訳に注目したのは少数であった。

その流れが変わり始めたのが,JCEE(1977)が岩田・山根訳(1988)として刊行されたことから である。1980年代に大学テキストで機会費用が市民権を獲得してきたように,この頃になり高校レ ベルでもやっと機会費用が経済の基本概念として認知されはじめた。しかし,その後も,大学での普

(11)

及ぶりとは異なり,その普及は遅々たる歩みであった。

それでも,機会費用の前提となる希少性概念は,筆者が編集者の一人として名を連ねた,経済教育 研究会(2007)の刊行がきっかけとなって,希少性と選択こそが経済教育の出発点であるという認 識や機会費用概念が,教育界での市民権を獲得しつつあるのが現況である。

5. 機会費用概念の教育性に関する考察 5.1 機会費用の普及がなぜ遅れたのか

日本において機会費用概念の普及がなぜこのように遅れたのかに関しては理由がある。その根本 は,この概念が選択と結びついているからである。つまり,経済は希少性の下での選択という定義が 日本ではなじめなかったということである。

第一の理由は,日本におけるマルクス経済学の影響の大きさからであろう。

唯物史観から社会全体の構造をとらえて,経済現象を分析するマルクス経済学は,個人が発達せず,

絶対的な窮乏が社会問題となっている当時の日本社会をシャープに分析することができた。それに対 して,希少性から出発する経済学は観念の遊戯としか受け止められなかったと言えよう。先に紹介し た,中山(1933)と同時代に書かれたマルクス経済学の本を比べれば,どちらが影響力をもつかは 明らかである。その余波が戦後長く,すくなくとも日本が高度成長に成功し,現存社会主義の破綻が 明らかになった1970年代まで続いたと言えよう。

第二には,この概念が主観主義の経済学に立脚したものであるからということもその理解を妨げた 要因になった。

機会費用は主観的費用であり,かつその中核にある放棄費用は見えない費用である。したがって,

何をセカンドベストで放棄したかは各人,各ケースで異なっている。それに対して,会計費用は見え る費用で,生活レベルの認知でも経済学の世界の費用論でも取り扱いやすいものである。その意味 で,主観的費用を費用論の中核に据えることは,実感的な経済理解にはつながらないのである。その 認識上のギャップを超えることは難しい。

第三には,この概念の正確な定義と経済学上の定義が十分に理解されないままで常識的な理解が独 り歩きをしてしまっていたこともあるだろう。

この点に関しては,新井(2014)が指摘したように,機会費用=会計費用+放棄費用と,機会費 用=放棄費用という定義が混在している。特に,初学者向けの記述や一般向けの本では後者のものが 圧倒的になる。そうすると,当たり前ではないかという反応になる。ところが,厳密に機会費用を定 義することや,経済現象に対して機会費用を使う分析になるととたんに理解度が下がってしまうので ある35

これらの問題点に関して経済学者の側からも批判的検討が加えられており,例えば,市野(2017 のように「機会費用は重要な概念か?」という疑問と,機会費用という概念を使わなくても選択問題 は解けるという問題提起がされている36

5.2 機会費用の教育面での有効性

これだけの問題や困難性があったとしても,機会費用を理解することで分かること,その教育性は 以下の三点に要約されるだろう。

(12)

一つは,日常生活で,選択に伴う責任を自覚させることができることである。

これは,機会費用を生活レベルまで拡大することに対する批判にもかかわらず,教育的な意味があ ると言える部分である。例えば,「君の行いの機会費用は何?」と生徒に問うことで,無自覚な行為 でもコストがかかっていること,もしそれをやらなければ得られた利益を放棄していることを自覚さ せることができる。特に,目先の利益で損か得かを判断することに対する警告となる。また,比較優 位で特化する場合,比較優位のなかに機会費用の概念がはいっている。すべての人間には比較優位が あるから,分業がなりたつという原理を知ることで自分の比較優位を探すことの重要性を自覚するこ とができる。これらの点からいえば,機会費用は人間行動のすべてにわたる人生の原理になりう る37

二つ目には,経済政策に関して費用と負担の吟味がこの概念でより精緻に考察できるからである。

この点に関しては,ブキャナン(1969)が重要な指摘をしている。ブキャナンでは,公共財の費用 負担問題からはじまり,財政問題を機会費用で分析する。また,外部性,非市場における費用(軍事 費,徴兵制,犯罪,社会主義を含む官僚的選択の費用など)まで機会費用を使った分析を行う。機会 費用概念が政策レベルの判断で有効であるのは,市場で取引されていない放棄部分の財やサービスの 市場価値を推定することで政策評価を考える手がかりとする場合である。その意味では,公共選択論 の基礎にオーストリアン的機会費用の概念があることはこれまであまり注目されてこなかったが,あ らためて政策選択のコストを機会費用論から見直すことが必要になっているといえよう。

三つ目は,世界観の問題と関連する。これは機会費用を生み出したオーストリア学派がもつ自由 観,世界観をいかに評価するかの問題である。

ハイエク,ミーゼスなどオーストリアンは,戦後,反共主義,反社会主義の重要な論客としてアメ リカでは遇されていた。しかし,オーストリアンが希求したのは,選択できる自由の確保である。こ れは,選択の自由がないところでは真の選択ができないこと,選択肢が複数ないところでは選択は自 由ではなく強制となることを意味している。その意味で,機会費用は自由主義のイデオロギーと結び つく。自由主義をどのレベルで考えるか,それは世界観の問題でもある。機会費用概念を純粋に拡張 するとリバタリアンになる。ゆるやかに拡張するとコミュニタリアンになる。

高等学校の「政治・経済」の学習指導要領の解説に機会費用という用語が入ってきた現在,機会費 用をどの段階で,どこまで正確に教えるか,機会費用が一見常識的でありながら価値概念の側面を 持っているがゆえに,慎重に考えなければいけない問題である。

おわりに

機会費用にこだわって実践と研究を継続してきた結果を5項目に分けてまとめてみた。山岡道男先 生とはじめて出会ったのが19871月。それ以来,30余年にわたって学恩を受けてきた。その学恩 にくらべて,成果の乏しいこと,お恥ずかしい限りである。

それでも,一つの概念がどのように生まれ,転移,受容されてきたかを探究する中で,まだ調査,

解明仕切れない部分や課題が見えてきた。特に,サムエルソンの『経済学』のトレースから,新たな 疑問や仮説が生まれている。ご批判と叱正をうけながら,これからも研究を続けたいと思っている。

なお,本稿は,201710月の経済教育学会全国大会(富山大学)での自由研究発表用の原稿をも

(13)

とに改稿,整理したものである。また,一部『経済教育』(経済教育学会)第37号に掲載予定の論考 と重複した部分があることをお断りしておきたい。

1 ヒューム(1752)小松茂夫訳,上巻p. 12.

2 メンガー(1923)八木紀一郎訳Ip. 220には,「ある具体的財ないし具体的数量の価値は,…我慢しなければならない欲 望満足の意義に等しい」という記述がある。

3 ヴィーザーの遺産は,第一次世界大戦後のインフレのなかで日本に購入されて,現在富山大学に「ヴィーザー文庫」として 保存されている。また,桂木(20122013)による同文庫の整理作業からのオーストリア学派の研究がある。

4 ヴィーザー(1889)大山千代雄訳p. 168.ただし,この引用は馬渡(1997)による。

5 ロビンズ(1932)小峰・大槻訳p. 15.なお,ロビンズの自伝はロビンズ(1971)がある。また,LSEとロビンズの関係は木 村(2009)が詳しい。

6 ロビンズ(1932)同p. 16.

7 ここでいう昇格に関して,ブキャナン(1969)山田太門訳p. 27では,機会費用に関するロビンズの功績を,ウィックス ティードやナイトらが機会費用を排除されるのを実物生産物であると考えたのに対して,排除されえるのは価値観であると 定義したところにあるとしている。

8 尾近・橋本(2003p. 19では,ミーゼスのアメリカでのゼミナールに出席していたマハループが,第一次世界大戦前のオー ストリア学派の特徴として,①方法論的個人主義,②方法論的主観主義,③限界分析,④効用の重視,⑤機会費用,⑥消費 と生産の時間的構造の6つをあげて,このうちのいくつかが恣意的に主流派経済学に取り入れられることで,本来のオース トリア学派がもっていた特徴が薄められていることに批判的であったとの指摘が紹介されている。

9 ブキャナン(1969)山田太門訳p. 20.なお,ブキャナンのこの本は,小冊子ながら機会費用の経済学的な意味を本格的に取 り扱った数少ない文献である。

10 ブキャナン(1969)山田太門訳p. 25.

11 代表的なオーストリアンにシュンペータ,ミーゼスがいるが,両者とも機会費用に関しては痕跡をあまり残していない。

12 ハーバラー(1980)岡田睦美訳p. 4.なお,この論文が1980年に出されたことは明らかだが,どこで発表されたのか,その 出典がこの訳書では明記されていない。

13 上記同書。このハーバラーの認識は間違っている。後述するが,1980年代にはアメリカの経済学のテキストでは機会費用は 一般化していて,教育界ではK-12の段階で導入されている。

14 サムエルソン(1972p. 83.なお,サムエルソンは,同書で,1945年ごろの出来事として,フォン・ノイマンが一般均衡モ デルを講演したときに,それは経済学で機会費用の辺境線と呼んでいる概念とちっとも変わらないと指摘して,ノイマンか ら逆にそれが本当に正しいのかと逆襲されたことをエピソードとして紹介している。

15 サムエルソン(1972)福岡正夫訳p. 88.

16 同上p. 89.

17 同上p. 89.

18 サムエルソン(1948)同p. 6.なお,ヴァイナーとハーバラーの論争,およびサムエルソンの見解に関しては,田淵(2006 に詳細な紹介と彼らの貿易理論の理解に対する批判が展開されている。

19 新井(2014)では,サムエルソンがアメリカにおける機会費用概念導入のキーパーソンであるとして論をすすめてきたが,

調査をしてゆくなかで意外な事実が判明してきたというのが実際のところである。この点は,経済学内部の理論問題である と同時に,アメリカの政治的な状況のなかで,シカゴ学派的右派およびオーストリア学派的な保守派とサムエルソン的,民 主党的リベラル派の経済学のせめぎあいがあったのではないかという推定まで行く問題である。例えば,サムエルソンが マッカーシズムのなかでどのような攻撃を受けたのか,またそれに対してどのような対処をしたのかなど,経済思想とその 周辺問題への視野を広げないと解けない問題であろう。

20 初期JCEEに関しては,栗原(1986pp. 113.またJCEE1951),Saunders2011)参照。

21 ニューヨーク大学は,のちにミーゼスが職を得て,ミーゼスのゼミナールからアメリカにおけるオーストリアンが育成され た唯一の大学である。この大学と発足時のJCEEが関係をもっていたことは,初期のJCEEはかなりの保守性を持っていた ことも推定される。

22 Bachは経済学者であり著名な経済教育の実践家。1940年にシカゴ大学で学位をとっている。生まれは1915年でサムエル

ソンと同い年であるが,シカゴでは入れ違いで後輩になる。戦後はカーネギーメロン大学のビジネススクールを立ち上げ,

サイモンなどを同大学に招聘している。1962年にスタンフォード大学の教授となりビジネススクールを担当。JCEEのボウ ワー・メダルの初受賞者である。

23 Chandlerはプリンストン大学の金融論が専門の経済学者。第二次大戦中は政府の経済顧問をつとめ,戦後はフィラデルフィ

アの連邦準備銀行の議長などを歴任した。

(14)

24 GordonUCバークリーの労働経済学者。アイゼンハウワー,ケネディ,ジョンソン政権の経済顧問を務め,1975年には アメリカ経済学会会長となっている。1934年のハーバード大学でPh.Dで,サムエルソン(1936年に修士修了)の先輩に あたる。

25 Bondはミシガン大学のビジネススクールの学長をつとめた経済学者。ミシガン大学卒業,博士号もミシガンでとり,45

間教授をつとめた教育者でもある。

26 Samuelson1987p. 107.サムエルソンはこの時期1960年にはケネディ大統領候補の経済顧問となり,政権成立後も経済 政策に大きな影響を与えている。また,1961年にはアメリカ経済学会会長に就任していて,経済学会での地位,影響力は抜 きんでたものであったと言える。とはいえ,日本の学習指導要領の作成がそうであるように,経済学者の意見なり考えがど の程度内容に反映されているのか,教育関係者とのすり合せや意見調整などがどうであったのかは資料的にも分析は困難で ある。

27 根井(2012pp. 4748では,そのあたりの傾向を都留重人の証言を踏まえて指摘している。

28 山岡他(2000)より。ここでは1のみを紹介してあるが,スタンダード6の貿易の個所では,比較優位を機会費用で説明す ることができるようにするという学習内容が提示されている。ただし,サムエルソンの『経済学』で生産費用の個所で機会 費用を扱っているような形の機会費用の学習はなされているわけではない。また,公共事業などでの政府の役割の個所で費 用という言葉がでてくるが,この費用に関して機会費用であるという指示が出されているわけではない。

29 中山(1933)。引用部分は2008年の岩波全書セレクション版p. 87, p. 91.

30 専門論文に関しては,国立情報学研究所のCiNiiによる検索では,1957年が初登場で,その後69年に2本,701本,72 1本,732本,762本,そして811本という程度で,機会費用概念を使った論考そのものは70年代にはごく少 数であったことが伺える。同様に,国立国会図書館の所蔵本の機会費用に関する検索では,最も古い著作としては1949 の『国際貿易理論の基本問題』(喜多村浩著, 小島清訳. 青也書店)という著作があがっている。これは1930年代のハーバ ラーらの論考を踏まえた内容と推定され,これが日本で機会費用という概念が登場する最初の文献と言えるかもしれないが,

筆者は未見である。以降,50年代2冊,60年代に入り19冊と増えるが,内容は雑誌論文での交通論や公共投資問題が中心 で,一般的な形での教科書や啓蒙書は登場していない。

31 ただし,千種のテキスト(例えば同文館)も改訂を繰り返していて,現在の版ではサムエルソンと同様に供給の個所で機会 費用が登場している。しかし,同じ千種のテキストでも機会費用が全く登場しないものもある。

32 正村は,正統派マルクス経済学者として出発し,その後構造改革派となり,この本が出版された1976年の時点では,「現代 経済学の学問的方法としての一貫性と有効性を認め」としているように所謂主流派の経済学にシフトしている。

33 宮沢(1985p. 25.ここで宮沢は「どの教科書でもでてくる伝統的な考え方」という表現で,希少性と機会費用を扱っている。

34 新井(2013)では1960年代の「政治・経済」教科書の記述分析をおこなっている。

35 山岡他(2001),山岡・淺野・阿部(2012などの生活経済テストの結果を見ても,機会費用の理解が低い状態が続いている。

これは学校で教えられていないということだけでなく,機会費用そのものの理解が難しい面も表していると言えよう。

36 市野(2017)では,入門レベルの大学のテキストで機会費用が登場するが,冒頭,生産可能性曲線の箇所,費用論の箇所の 三カ所いずれも機会費用という概念を使わなくとも解けるとしている。なお,西村(1989)のように効用最大化を前提に考 える場合にはきわめて主観主義的,心理的なものであり,経済メカニズムのダイナミズムを分析する視点が弱い点を指摘す る論者もいることを考える時,常識的な理解だけで教育することはさらに検討を要することは心しておいた方が良いだろう。

37 最近のこの種の啓蒙的な書に竹内(2017)がある。恋愛から金利まで幅広く現代生活の様相を機会費用で説明している。た だ,ここまで卑俗になると経済教育の観点からは行き過ぎという印象もあり,市野(2017)が指摘するような問題を抱えて しまうことにもなる。

参考文献

デイヴィッド・ヒューム,小松茂夫訳『市民の国について』(原本1752年)岩波書店,1952 フリードリヒ・フォン・ヴィーザー,大山千代雄訳『自然価値論』(原本1889年)有斐閣,1937 カール・メンガー,八木紀一郎他訳『一般理論経済学1』(原本1923年)みすず書房,1982 ライオネル・ロビンズ,小峰敦他訳『経済学の本質と意義』(原本1932年)京都大学出版会,2016 ポール・サムエルソン,都留重人訳『経済学』原書第61013版,岩波書店,1966年,1989年,1992 ジェームズ・ブキャナン,山田太門訳『選択のコスト』春秋社,1969

ライオネル・ロビンズ,田中秀夫監訳『一経済学者の自伝』(原本1971年)ミネルヴァ書房,2009 ポール・サムエルソン,福岡正夫訳『経済学と現代』日本経済新聞社,1972

ポール・サムエルソン,篠原三代平他訳『経済学体系』5,勁草書房,1984

ゴットフリート・フォン・ハーバラー,岡田睦美監修『1980年代G. ハーバラー重要論考撰集』啓文社,1987 ジョセフ・スティグリッツ,藪下史郎他訳『ミクロ経済学』東洋経済新報社,1993

グレゴリー・マンキュー,足立秀之他訳『マンキュー経済学ミクロ編』東洋経済新報社,1998 ポール・クルーグマン&ロビン・ウェルス,大山道広他訳『ミクロ経済学』東洋経済新報社,2006

(15)

中山伊知郎『増補純粋経済学』(原本1933年)岩波書店,2008 正村公宏『経済学原理』東京大学出版会,1976

井原哲夫『コスト感覚』筑摩書店,1983 熊谷尚夫『経済原論』岩波書店,1983 宮沢健一『通論経済学』岩波書店,1983 森嶋通夫『無資源国の経済学』岩波書店,1984 宮沢健一『現代経済学の考え方』岩波書店,1985 大矢野英次『安売り卵の経済学』同文館,1986

栗原久「JCEEの経済教育研究」『社会科教育研究』Vol. 1986 No. 56,日本社会科教育学会,1986

全米経済教育合同協議会,フィリップ・サンダース他,岩田年浩・山根栄次訳『経済を学ぶ・経済を教える』ミネルヴァ書房,

1988

西村周三『応用ミクロ経済学』有斐閣,1989

新井明「経済概念を基底にすえた経済学習の一例」『経済学教育』第10号,経済学教育学会,1991 馬渡尚憲『経済学史』有斐閣,1997

山岡道男他訳『経済学習のスタンダード20』消費者教育支援センター,2000 山岡道男他『経済リテラシー入門』国際文献印刷社,2001

尾近裕幸・橋本務編著『オーストリア学派の経済学』日本経済評論社,2003

新井明「機会費用概念の教育性に関する覚書」『経済教育』No. 23,経済教育学会,2004 新井明「機会費用の教育性・再考」『経済教育』No. 25,経済教育学会,2006

田淵太一『貿易・貨幣・権力』法政大学出版局,2006

山岡道男・淺野忠克・阿部信太郎編『現代経済リテラシー』早稲田大学アジア太平洋研究センター経済教育研究部会,2006 経済教育研究会編『新しい経済教育のすすめ』清水書院,2007

木村雄一『LSE物語』NTT出版会,2009

根井雅弘『サムエルソン『経済学』の時代』中央公論新社,2012

桂木健次「フリードリヒ・フォン・ヴィーザー文庫の再整理:データベース構築並びに収蔵経緯の究明」『富大経済論集』第58 巻第1号,2012

桂木健次「近現代経済学形成に占めるオーストリア学派の役割と意義:F. v. Wieser Bibliothek再整理作業から」『富大経済論集』

58巻第23号,2013

新井明「教科書と経済教育」『経済教育』No. 32,経済教育学会,2013 新井明「概念学習の可能性」『経済教育』No. 33,経済教育学会,2014

竹内健蔵『あなたの人生は「選ばなかったこと」で決まる』日本経済新聞出版社,2017 市野泰和「機会費用は重要な概念か?」『甲南経済学論集』第5812号,2017

Samuelson, Paul, Economics, McGraw-Hill, Inc, 1948, 1951, 1955, 1958, 1961, 1964, 1967, 1970, 1973, 1976, 1980 JCEE, Summary Report of The Joint Council on Economic Education 19481951, 1951

JCEE, A Report of the National Task Force on Economic Education, 1961 JCEE, Developmental Economic Education Program, 1964

JCEE, Master Curriculum Guide, 1977

Samuelson, Paul A., How Economics Has Changed, The Journal of Economic Education, Vol. 18, No. 2, Spring, 1987 Samuelson, Paul A., and William D. Nordhaus, Economics, McGraw-Hill, Inc, 1985, 1989

NCEE, Voluntary National Content Standards in Economics, 1997

Saunders, Phillip, A History of Economic Education, in Gail M. Hoyt and KimMarie McGoldrick, eds. International Handbook on Teaching and Learning Economics, Edward Elgar Pub, 2011

参照

関連したドキュメント

In particular, we show that the q-heat polynomials and the q-associated functions are closely related to the discrete q-Hermite I polynomials and the discrete q-Hermite II

We have formulated and discussed our main results for scalar equations where the solutions remain of a single sign. This restriction has enabled us to achieve sharp results on

Keywords: continuous time random walk, Brownian motion, collision time, skew Young tableaux, tandem queue.. AMS 2000 Subject Classification: Primary:

The oscillations of the diffusion coefficient along the edges of a metric graph induce internal singularities in the global system which, together with the high complexity of

In this work we give definitions of the notions of superior limit and inferior limit of a real distribution of n variables at a point of its domain and study some properties of

The technique involves es- timating the flow variogram for ‘short’ time intervals and then estimating the flow mean of a particular product characteristic over a given time using

The time-frequency integrals and the two-dimensional stationary phase method are applied to study the electromagnetic waves radiated by moving modulated sources in dispersive media..

In [18] we introduced the concept of hypo-nilpotent ideals of n-Lie algebras, and proved that an m-dimensional simplest filiform 3-Lie algebra N 0 can’t be a nilradical of