学・会・近・況
共通論題
選挙を通じてみる南アジア
の政治社会変動
―インドを中心にして ― 代表者・近藤則夫
報告者・三輪博樹、佐藤隆広、井上あえか、
近藤則夫、深尾淳㆒
コメンテーター・佐藤 宏
社会の大きな変動が顕在化するのはしばしば政治変動としてである。 そして南アジアではそのような政治変動が可視化される場として重要 なのが選挙である。また、選挙では人々の「文化」現象が発現し、その 有様はメディアを通して、人々の注目を集め、認識を新たにする役割を 果たす。すなわち、選挙は単に公式な政治参加や政党選択ということだ けでなく、社会に底流する様々な文化や社会現象を巻き上げ、顕在化・ 可視化するプロセスでもある。社会、政治、文化はそれが顕在化・可視 化されることでこそクリヤーな分析の対象となりうる。2014年にインド で行われた第16次下院選挙は、強いインドを標榜するインド人民党 (BJP)
のナレンドラ・モディのウェーヴ選挙となり北部、西部を席巻した。 また、2013年に行われたパキスタンの連邦下院選挙ではパキスタン史上 はじめて民政下で選挙が行われた。選挙に関係するプロセスを通じて可 視化されるものを多角的に分析することは、変動してやまない政治社会 の底流を理解する大きな手がかりとなるであろう。以上のような視点か ら、インドを中心として南アジアの中・長期的な変動を、選挙というレ ンズを通して学際的なアプローチによって検討することがこのセッショ ンの目的であった。報告は、三輪博樹氏(中央大学)、佐藤隆広氏(神 戸大学)、井上あえか氏(就実大学)、近藤則夫(アジア経済研究所)、深 尾淳一氏(東京大学)の5名によって行われ、佐藤宏氏(南アジア研究れた。 以下では各報告の要約と当該報告に対する佐藤氏のコメントを対峙 させる。しかる後にまとめとして若干の感想を付け加えたい。
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報告と佐藤氏によるコメント
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政党システムと市民運動 ―インドの第 16 次総選挙の事例から― 三輪博樹 2014年に行われたインドの第16次総選挙では、与党インド国民会議 派が大敗を喫し、BJP
が単独で連邦下院の過半数を制する圧勝を収め た。中央においてBJP
による一党優位の状況が出現したことで、インド の政党システムに何らかの変化が生じる可能性も指摘されている。しか し、今回の総選挙の結果だけでは、インドの政党システムに変化がもた らされたのかどうかを判断することは難しい。 他方、この第16次総選挙に関しては、「ガバナンス」をめぐる州や地 域レベルの政治の動きも注目された。本報告ではその事例として、デ リーを中心とする北インドにおける庶民党と、南部テランガーナ州の地 域政党であるテランガーナ民族会議という二つの地域政党を取り上げ、 政党システムと市民運動の関係について検討を行った。 庶民党とテランガーナ民族会議は、その設立の経緯や主張内容、政治 目標などに大きな違いが見られる一方で、いくつかの共通点も有してい る。第1に、どちらの政党も市民運動との密接な関係を有し、そしてこ れらの市民運動はどちらも、政府に対して良好なガバナンスの提供を求 めるものであった。第2に、これらの市民運動においては大学教員など の知識人がまず重要な役割を果たし、その後、政党との繋がりを深めて いった。第3に、政党としての支持基盤の拡大においては、下層階級の 支持取り込みが重要であった。 これら二つの政党の事例は、カーストや宗教などの社会的なアイデン ティティーにもとづいて政党が有権者を政治的に動員していく、という 形以外の選挙政治があり得ることを示している。すなわち、より良い統 治に対する人々の要求をもとにした市民運動が先にあり、そうした市民 運動の側がその目標を達成するために政党との関係を強化していく、と いう形での選挙政治である。●佐藤宏氏によるコメント 「連合政治」へのアプローチという視点から見ると、二つの「市 民運動」は共通性より差異の方が浮かび上がる。テランガーナ運動 は、「連合政治」と政党細分化を背景に、二つの連合(統一進歩連 合〈
UPA
〉と国民民主連合〈NDA
〉)の間に立ちまわって譲歩(州 の分離)を勝ち取るという戦略である。しかし、庶民党は連合政治 を批判し、その枠外から情報公開、レファレンダム、オムブズマン など、民主主義のあらたな道を探ろうとしている。また庶民党は「知 識人と学生」というより、「活動家」の党であり、インドの「新社会 運動(New Social Movement
)」を背景にうまれたことが大きな特 徴である。1
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第16
次連邦下院選挙とインド経済 佐藤隆広 本報告ではインド経済の現状をスタグフレーションとして理解したう えで新政権発足後の100日間の経済政策を検討し、またBJP
政権の経済 政策の特色と実績を考えるために、中央での過去のBJP
連合政権、およ び、グジャラート州におけるモディ・BJP
政権の経済実績の評価を試み た。 今回の選挙ではインフレの高止まりなど経済状況の悪化が会議派連 合が人々に見放された基本的原因である。モディ政権発足後100日間の 経済政策に関しては金融政策面ではインド準備銀行の政策を支持しイ ンフレ抑制に努めている。また首相府への政策決定の迅速化と集中、不 必要な大臣会議の廃止や計画委員会の改組など行政改革も行っている。 しかし、財政政策では財政責任予算管理法によって財政赤字削減が義 務となっていることから弾力的な政策運営が困難であり、そのため税収 増、補助金削減とも難しい現状の中、社会インフラ整備の予算を犠牲に することにより、財政赤字に歯止めをかけようとしているように見える。 スタグフレーション解消のためには供給能力の増強が不可欠であって、 そのためモディ政権は外国直接投資(FDI
)を呼び込むことによって国 内の投資も活性化させることを目指しているように見える。以上モディ 政権の100日を評価すれば金融政策と経済改革については一定の評価 をすることができるが、財政政策は懸念されるところである。BJP
中央における
BJP
連合政権では確かに経済自由化は会議派政権と比べ ると進んだといえる。しかし1997年のアジア通貨危機および2001年の アメリカのIT
バブルの崩壊、および、1998年のインドの核実験による国 際的制裁などからBJP
連合政権の経済実績はつぎの会議派政権に比べ ると振るわなかった。もっとも、モディが州首相にあった2001年から 2014年のグジャラート州のビジネス・フレンドリーな自由化政策を中心 とする経済政策によって同州の成長速度は非常に高くなり、また成長の 波は安定的であったと言える。 グジャラート州での経験を踏まえてモディ新政権がどのような経済 運営を行うのか、注目される。 ●佐藤宏氏によるコメント モディ政権の製造業重視政策が予想されるなかで、「雇用」とい う側面から、いくつかの問題に注意を向けたい。労働法改革はどの ようにすすめられ、その効果を従来の研究と照らしてどう見るか、農 村雇用創出事業の軽視がみられないか、雇用の社会的側面として、 マイノリティ(とくにムスリム)の雇用に対する関心が低下するの ではないか、などの論点について補足願いたい。1
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葛藤するムスリム国民 ―パキスタンにおける有権者の選択― 井上あえか インド・ムスリムの安寧のために建国されたパキスタンで、今国民は イスラーム、政治、軍等のあり方をめぐって葛藤している。ヒンドゥー 至上主義が高まる今日のインドにおけるムスリムの立場を見れば、ジン ナーが説いたパキスタン建国の意義を肯んじうる一方、1970年代以降パ キスタン国内において不寛容なイスラーム主義が政策的に強められた 結果、アフガニスタンやカシュミールへの干渉の手段であった宗派主義 や武装勢力は、むしろパキスタン社会自身に跳ね返り、脅威となってい る。さらに、軍政に陥りがちだった政治史を見ても、国民は議会制民主 主義を肯定し望みながらも、現実に政治家の腐敗を前に、むしろ軍によ る政府に肯定的にならざるをえない状況が続いてきた。 こうした苦悩と葛藤のなかで、2008年選挙の前年から始まった最高 裁判所長官と軍事政権との対立とその後の一連の事態は、パキスタン軍政の歴史上初めて、議会を中心とした政治運動によって軍事政権を終わ らせることに発展し、今後パキスタン政治を変える可能性をもつ状況と して注視されよう。 人権と民主主義を盾に敵か味方か白黒つけようとするアメリカの圧 力も、パキスタン社会へ大きな外圧としてのしかかる。それをはねのけ、 30年余にわたる偏狭なイスラーム化政策の影響から脱して新たな方向 を選択しうるのか、パキスタンのムスリム民衆の苦悩と葛藤は深いとい わざるをえない。 ●佐藤宏氏によるコメント 報告が土台とする「イスラーム国家」対「セキュラー国家」とい う二分法には疑問がある。報告者もパキスタンを「イスラーム国家」 としてではなく「ムスリム国家」つまり硬性の「(社会的)多数派国 家」と規定する議論があることは十分に承知のはずである。また報 告で言う「過激な」勢力とは何か? ターリバーン運動(
TTP
)、LeT/
JuD
、LeJ/Sipahi-e-Sahaba
などの間にある理念・思想の差異と活動 形態[暴力行使]とは概念的には分けて考察されるべきではないか。 その際パキスタン国家との立ち位置の違い(TTP
とLeT
の違いが典 型)が重要ではないか。1
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第16
次連邦下院選挙における「モディ現象」 近藤則夫 第16次連邦下院選挙はBJP
の選挙キャンペーンを率いたナレンドラ・ モディ(現連邦首相)が中心になった「モディ・ウェーヴ」(モディ旋 風)とも言える選挙であった。本報告では人々がどのような思いを抱い てそこに参加したのか、探った。 現在連邦首相に就いているモディは二つのイメージを持つ。一つは決 断力あふれ経済開発を大胆に進めうる政治家というイメージで、もう一 つは強硬なヒンドゥー民族主義者としてのイメージである。今回の選挙 ではモディBJP
陣営は強力な指導力で経済開発を大胆に進めうる政治 家というイメージを前面に出すことによって人々の間で急速に人気を集 めることに成功した。BJP
の躍進はヒンディー・ベルト地域の諸州、西 部、アッサム州などで顕著であり、また、他の地域でも得票率は増加しうな「モディ・ウェーヴ」現象を探るために世論調査などを参照しつつ そのダイナミクスを描くと次のようになろう。 会議派が率いた第2期目の
UPA
政権において、インフレなど経済実績 が悪化し、また腐敗スキャンダルの噴出などによって、UPA
政権に対し て人々の間で急速に失望感が広がったことから、強い指導力で経済停 滞、閉塞感から脱する指導者を求める雰囲気が広がっていたことが基本 的要因である。ヒンドゥー民族主義者としてのモディに対してはムスリ ムなど宗教的少数派は支持を与えなかったが、人口の約8割を占めるヒ ンドゥーの間ではこのような雰囲気をモディBJP
は巧みに把握すること によって幅広い支持を得た。もちろんモディ・ウェーヴには地域や階層 によって濃淡があった。地域的には南部や東部では影響力は低かった。 以上のようにモディ・ウェーヴが顕在化した要因は過去の政権の失敗 への反発と新政権に対する期待がモディにおいて重なったという面が 強いが、ウェーヴが広範囲に現れたのは人々の教育レベルの高まりやマ スメディアの発展といった長期的な社会発展があったことも重要であ る。 ●佐藤宏氏によるコメント 「BJP
の勝利」と報告では表現するが、今回の選挙はモディ個人 に注目する意味があると思う。また「モディ現象」を生んだ「社会 状況」を鮮明にすべきでないか。「世論調査」の結果自体が、メディ アその他の情報に影響されるわけで、それを抜きに世論調査の結果 のみを説明の材料とするのでは今回の選挙を分析したことになら ないのではないか。また今回の選挙が「インド民主主義」研究にど のような課題を突き付けたかを述べてほしい。1
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選挙と映画 ―タミル・ナードゥ州の選挙にみる映画と政治のかかわり― 深尾淳一 第16次下院総選挙を控えたタミル・ナードゥ州で1本の映画のリバイ バル上映をめぐって論議が巻き起こった。その映画『Ayirathil Oruvan
』 が、絶大な人気を誇ったかつての州首相M・G・ラーマチャンドラン(略 称MGR
)と、彼の後継者と広く認められている現州首相ジャヤラリター の共演作だったからである。同州で、このように政治と映画が深く結びつくようになったきっかけ は、地域政党ドラヴィダ進歩連盟(
DMK
)の創設に、劇作家のアンナー ドゥライや、映画脚本家のカルナーニディ、人気俳優のK・R・ラーマ サーミ、S・S・ラージェーンドランなど多くの映画関係者が関わって いたことに端を発する。彼らは、DMK
のドラヴィダ主義という政治的理 念をより幅広い層に浸透させるうえで、映画を有効な道具として利用し た。 初期の映画では、バラモンやヒンドゥー教の絶対性を否定するという 非バラモン主義の根幹的理念が劇的なストーリーの中に盛り込まれて いる。例えば、『Velaikari
』(1949年)や『Parasakthi
』(1952年)など がその例である。反ヒンディー語闘争の盛り上がりとともにDMK
は 1967年に初めて州の政権を掌握する。党の支持基盤が拡大すると、イ デオロギーを直接提示するよりは、貧しい民衆の味方としてのイメージ を強調する傾向が強まるようになった。1972年にアンナー=
ドラヴィダ 進歩連盟(ADMK
)を創設した、当時の大人気スターMGR
の『Vivasayee
』 (1967年)、『Adimai Penn
』(1969年)、『Nam Naadu
』(1969年)などがその代表例である。企業化・商業化の進んだ現代の映画界では、政治 的色彩の強い映画を作ることは容易ではない。今回の選挙では、選挙運 動に距離を置く映画スターも少なくなかった。タミル・ナードゥ州でも、 映画と政治とのかかわりは新たな段階を迎えているといえよう。 ●佐藤宏氏によるコメント 報告に言う映画と政治の関係における「新たな段階」とは何か? 従来のタミル・ナードゥ州政治における
DMK
対ADMK
の「二頭政 治」は州のメディアや映画にも強い影響を与えてきたが、「文化にお ける二頭支配」も飽きられてはいないのだろうか。例えば、テレビ ニュース社における新興勢力の登場(プティヤ・タライムライ [2011
])などにも注目できないだろうか。2
まとめ
今回もインドの連邦下院選挙という「劇場」では様々な政治が演じら れた。庶民党やテランガーナ民族会議など市民運動に起点をおく新しい通して大衆的人気を誇るアンナー