合 憲 性 判 定 基 準 を め ぐ る 今 日 的 問 題 点
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(2) 会権に関するものも︑もちろん重要な問題であります︒ただそ. 留保のもとに職業選択の自由を認めたのも︑特にこの点を強調. よく︑憲法二二条一項が﹃公共の福祉に反しない限り﹄という. 一五二. れらを全部含めた検討を行うことはできませんので︑最も分か. ます︒. する主旨に出たものと考えられる﹂︑という判示がそれであり. 早法五八巻二号︵一九八三︶. ただくことにしたわけです︒私の話は︑第一に判例の問題点︑. その限りでアメリカ法のいわゆるダブル・スタンダード︑すな. 的自由﹂よりも強い制限を受けることを認めたわけですから︑. 自由が﹁それ以外の憲法の保障をする自由︑殊にいわゆる精神. この判示の意味は︑それほど明確とは言えませんが︑職業の. りにくい自由権の領域の問題にほぽ限定して︑お話をさせてい. 第二に合憲性判定基準の基本的な枠組み︑第三に表現の自由と 合憲性判定基準という三つのパートに分かれております︒. 判例の問題点. る理論を採用したと見ることができます︒ただ︑アメリカ法に. わちわが国で﹁二重の基準﹂あるいは﹁二種の基準﹂と言われ. 一. 第一のパートでは︑日本の判例の動向を素描しながら︑表現. いう二重の基準の理論は︑精神的自由︑特に表現の自由の規制. 1 薬事法違憲判決とコ一重の基準﹂の理論 の自由の規制立法の合憲性判定基準をめぐる問題状況の要点を. 立法の合憲性が争われた事件において︑表現の自由が人権宣言. 地位を有するという形で主張され︑しかもその優越性が︑合憲. のヵタ・グで職業の自由・財産権等の経済的自由よりも優越的. 概説しておぎたいと思います︒. 昭和五〇年四月三〇日最高裁は薬事法の定める薬局等の適正配. 性推定の原則の排除とか︑後で説明しますが︑﹁明白かつ現在. 憲法の講義を受けられた方はどなたも御存知と思いますが︑. 置規制︵いわゆる距離制限︶の条項は職業選択の自由を侵し違. て説かれたものなんですね︒ところが五〇年の薬事法違憲訴訟. の危険﹂の基準等の厳格かつ具体的な違憲審査基準と結びつい. は︑精神的自由ではなく経済的自由に関する事件ですし︑そこ. 憲である︑という画期的な判決を下しました︒この判決はいろ 職業の自由が性質上社会的相互関連性の大きい活動であるとい. では職業の自由一般について﹁殊に精神的自由﹂よりも制約を. いろ重要な意見を述べているのですが︑まず注目されるのは︑. うことを強調して︑次のような立場を明らかにしたことであり. 確かに︑この事件で最高裁は︑職業の自由を規制する立法の. 受ける度合が強いという原則が示されたにとどまります︒. いわゆる精神的自由に比較して︑公権力による規制の要講がつ. ます︒﹁職業の自由は︑それ以外の憲法の保障する自由︑殊に.
(3) うち︑いわゆる警察許可のような︑社会公共の安全と秩序の維. のは︑立法事実を調べて立法目的とそれを達成する手段との間. かなり多く現われ︑その審査基準が一般に﹁厳格な合理性﹂の. ですが︑そういう判例がアメリカで特に平等原則の領域に最近. 基準と言われていることに着目しまして︑それとねらいを同じ. の関連性が事実上合理的であるかどうかを判断するということ. ち出しました︒すなわち立法府の裁量を広汎に認める﹁明白の. 持及びこれに対する障害の除去という見地から消極的に加えら. 原則﹂を用いないで︑第一に﹁重要な公共の利益のために必要. する意味で﹁厳格な合理性﹂基準と呼びましたが︑この称呼は目. くする五〇年判決の基準を︑四七年判決の﹁明白の原則﹂と区別. れる制約は︑かなり厳しい合理的根拠が必要だという立場を打. かつ合理的な措置﹂かどうかという点︑第二に﹁よりゆるやか. 五〇年判決は︑こういう﹁厳格な合理性﹂基準よりも︑精神的自. 本の学説でも最近かなり一般化してぎているようであります︒. な規制によって︹立法︶目的を十分達成﹂できるかどうかとい 社会的・経済的事実︑これを検証して審査すべきである︑とい. う点︑この二つを裁判所が︑いわゆる立法事実︑立法を支える. とを︑一般的表現ですが明らかにしたわけですから︑私はやは. 由規制立法の場合は︑さらに厳格な基準を用いる必要があるこ. りアメリカ法にいう﹁二重の基準﹂の理論とほぼ同じ考え方を. う考え方を明らかにしたわけです︒職業の自由に関するリーデ. 合憲とした昭和四七年二月の大法廷判決がありますが︑その. 大きな意味を持つと評価してきました︒. 打ち出した判決だと考えまして︑今後の判例の展開にきわめて. ィング・ケースとしては︑もう一つ小売市場の適正配置規制を. られる制限については︑﹁著しく不合理で立法府が裁量権を逸. 判決は︑福祉国家理念から政策的考慮に基づいて積極的に加え. 表現の自由規制の合憲性判定基準の未確立. 問題はしかし︑表現の自由の規制立法について︑薬事法違憲. 2. 脱したことが明白﹂でない限り違憲とならない︑という﹁明白 の原則﹂を合憲性判定基準として打ち出したものでした︒しか. していないことなんです︒私は昭和五二年に発行された田中二. 判決の主旨に沿う合憲性判定基準がルfルとしてほとんど確立. し薬事法違憲判決はその原則によらず︑よりゆるやかな規制手 段の有無の審査を立法事実との関連で行うことを要求しており. 準の理論﹂という論文を寄せましたが︑そこで次のように述べ. 郎先生古稀記念論集の﹃公法の理論﹄に﹁憲法訴訟と二重の基. ますから︑従来︑経済的自由の規制立法の違憲審査の基準と言 われてきた﹁合理性﹂の基準にかなり厳格度が付加されたこと. 一五三. になるわけです︒そこで私は︑それとほぼ同じ主旨の︑と言う 合憲性判定基準をめぐる今日的間題点.
(4) 一五四. ょく用いられた8目冨臣鑛蓉&のテストのような︑報道機. 早法五八巻二号︵一九八三︶. 関の報道の自由に制約を加える側にある情報がどうしても必要. ら指摘していることですけれども︑アメリカでこの種の事件に. 主張された﹃明白かつ現在の危険﹄のテストは︑若干の下級. ﹁優越的自由の思想を具体化した基準として学説上も有力に. ません︒また︑この比較衡量を行う際に考慮されるべき諸々の. だという理由の挙証責任を負わせる主旨の原則は示されており. ました︒. には取り入れられていないし︑﹃公共の福祉﹄論に代わって最. その場限りの個別的比較衡量︵&げ8げ巴弩9話︶にならないよ. 要件をある程度類型化し準則化することによって︑比較衡量が. 審判決を除けば︑依然としてきわめて不十分な形でしか判例 近登場した﹃比較衡量﹄論にしても︑広くアメリカ憲法判例. 昭和四九年の猿払事件の大法廷判決ですが︑この判決は︑私が. 次に公務員の政治活動を禁止する国家公務員法を合憲とした. うにするという配慮も必ずしも十分ではありません︒. において用いられる﹃より制限的でない他の選び得る手段﹄ ないし﹃より徹底的でない手段﹄と呼ばれるテストにしても︑. 性ないし過度の広汎性のゆえに無効の理論1にしても︑テ. 用された﹁より制限的でない他の選び得る手段﹂の基準︵LR. 第一審に提出した鑑定意見書で主張し︑一審と二審の判決で採. あるいは﹃明確性の原則﹄ーアメリカ憲法判例にいう漠然. など︑二︑三の著名な判決からもうかがうことができるよう に︑優越的自由の思想に裏付けられたアメリカ法的な厳格な. の三点︑つまり︑第一に禁止の目的︑第二にこの目的と禁止さ. Aの基準︶︑これを排斥しまして︑合憲性を判断する場合︑次. レビフィルム提出命令事件︑猿払事件︑徳島市公安条例事件. 審査基準としては︑わが国ではまだ確立していないのが現状. る利益と失われる利益との均衡ですが︑この三点を検討するこ. れる政治的行為との合理的関連性︑第三に禁止によって得られ. る﹁合理的関連性﹂︵β鼠8巴器巨一8路一℃︶のテストは︑私に言. とが必要であるという基準を示しました︒しかし︑このいわゆ. 題点の一っはここにある︒﹂. 今読んだ点に若干コメントいたしますと︑昭和四四年のテレ. だといえよう︒日本の憲法判例の二重基準論の最も重要な問. ビフィルム提出命令事件の大法廷決定︑これは確かに公共の福. る﹁合理性﹂の基準と実質的には異ならないものであります︒. わせますと︑経済的自由の規制立法について典型的に用いられ. というのは︑第一の禁止目的︑これは﹁行政の中立的運営とこ. 祉という呪文を持ち出さず︑刑事裁判の公正維持と取材ないし 用いたことは高く評価されますが︑この判決には︑私は当時か. 報道の自由とを調節する際に︑比較衡量︵訂一§9畠︶の基準を.
(5) のです︒この点は後で︑もう少し敷術して説明することにいた. しますので︑ここでは︑ただ判例が表現の自由に関する事件で. 結論については︑それとほとんど変わりないと私には思われる. の利益の均衡を︑論証らしい論証もないままに導き出すような. も︑といっても公務員という特別の法律関係にあるものの政治. れに対する国民の信頼を確保する﹂ということですが︑この立. 論旨になっているからであります︒かつて最高裁は︑昭和四〇年. おαぼ8号ヨ︶にふさわしい合憲性判定基準を確立するに至っ. 的行為に関する事件ですが︑先ほど申した優越的自由︵鷺9♀. 法目的の正当性から︑第二の目的と手段の合理的関連性と第三. な判例ですから皆さん御存知と思いますが︑この判決で同じよ. 七月の和歌山県教職員組合事件の大法廷判決︑これも大変有名. もう一つ︑先ほど昭和五〇年の徳島市公安条例事件を挙げま. ていない︑という一つの例として触れるにとどめておぎます︒. したが︑この大法廷判決は︑﹁交通秩序を維持すること﹂という. うな論法を用いました︒すなわち︑労働基本権の規制立法はそ. 許可条件が構成要件の明確性を要求する憲法三一条に違反する. の目的が正当であれぽ︑﹁具体的に制限の程度を決定することは. ちじるしく右の適正な均衡を破り︑明らかに不合理であって︑. 立法府の裁量権に属するものというべく︑その制限の程度がい. とが可能﹂だと判示したものです︒どちらの解釈が妥当か︑若. か否かという論点について︑第一審・第二審判決では合憲限定. 干問題はありますが︑アメリカの憲法判例でよく使われてきた. 立法府が裁量権の範囲を逸脱したと認められるものでないかぎ. けです︒しかも︑この和教組判決の示した合憲性判定基準は︑翌. 漠然性ないし過度の広汎性のゆえに無効︵︿O置︷9奉αq器蓉霧. を施しまして︑﹁交通の秩序遵守についての基準を読みとるこ. 年の昭和四一年一〇月のいわゆる全逓東京中郵判決によって実. 黛o<Rぼo&跨︶の基準の主旨から言えば︑私には最高裁判決は. 解釈の余地のない不明確な条件だとされたのですが︑限定解釈. 質的に覆されたと解すべきであったにもかかわらず︑猿払事件. 優越的自由の精神に必ずしも沿わない立場をとったものと思わ. り︑その判断は︑合憲︑適法なものと解する﹂という︑きわめ. では︑上告審の段階まで検察側は︑和教組判決が示した立法府. て広汎な立法裁量を認める﹁明白の原則﹂を真正面から採ったわ. 裁量論︑それと組びついて説かれた﹁合理性﹂の基準が︑表現の. れます︒. 一五五. 的自由の思想に裏付けられた﹁厳格な審査﹂基準がまだ確立し. 少しコメントが長くなりましたが︑数年前の論文で私が優越. 自由の制約立法にも圃般的に妥当することを終始一貫主張して いたのであります︒猿払最高裁判決は︑この和教組判決とは確. かに違いますが︑最小限度の合理性があれば合憲となるという 合憲性判定基準をめぐる今日的問題点.
(6) 早法五八巻二号︵一九八三︶. 一五六. きましても︑合憲性判定基準という観点から考えた場合︑判例. 的な制限だと判断してきたのですが︑その結論の当否はさてお. 二〇年代からほぼ一貫して︑公共の福祉のために必要かつ合理. の立場は︑選挙の公正確保という側面に重点が置かれすぎたの. ができます︒こういう選挙運動の自由の規制を最高裁は︑昭和. わりません︒確かに表現の自由の領域で︑いくつかの注目すべ. 合憲性判定基準に関する限り︑状況は原則的には前と少しも変. か︑規制を緩めた場合の弊害のみが強調され︑選挙運動の自由. ていないと述べたのは︑以上のような主旨であります︒しかし. き最高裁判決が下されました︒昭和五三年五月の沖縄返還協定. を表現の自由のシステムの中でどう位置づけ︑それにいかなる. それならば︑この数年間に新しい進展が見られたかというと︑. の下張事件︑五六年四月の月刊ペン事件︑五六年一〇月の北方. に関する外務省秘密文書漏えい事件︑五五年二月の四畳半襖. わいせつ性判断の方法と基準︑表現の自由と名誉殿損との関. を法令違憲の審査基準とする考え方であるとか︑また最近では. か否かを判断する際に導入する考え方であるとか︑さらにそれ. から︑﹁明白かつ現在の危険﹂のテストを構成要件に該当する. ジャーナル事件等に関する判決はその著名なものであります︒. 係︑名誉権保護と差止命令との関係などの重要な問題について. 昭和五四年の松江地裁判決のように︑言論の自由の優越的地位. はっきりしなかったように思います︒そこで特に昭和四〇年代. 一応最高裁の判断が示されたわけです︒しかし︑はじめに指摘. 合憲性判定基準を適用するか︑というフィ・ソフィーがあまり. した薬事法違憲判決が打ち出した二重の基準の思想を︑合憲性. ︵それで判断すると戸別訪問禁止は違憲である︶というような. を強調して︑﹁必要かつ最小限度﹂の基準で判定すべぎである. そしてこれらの事件を通じて︑取材の自由と国家秘密の関係︑. らないのです︒. 考え方などをとる下級審判決が生まれ︑それをめぐって︑学説. 判断基準としてはっきり具体化したと考えられるものは見当た. もっとも︑下級審判決の中にはそう解されるものも若干は見. た︒しかし最高裁は︑選挙運動の自由の規制問題については下. 級審判決の動向とは逆に︑最近ではむしろ立法府の裁量を強調. 上も従来の判例に批判的な立場をとる見解が強くなってきまし. し︑先ほど触れた猿払判決の﹁合理的関連性﹂の基準をこの領. 出されるのですが︑それも合憲性判定基準が事件の性質上︑妥 れたりで︑判例として確立したものはほとんどありません︒た. 域にも用いるようになってぎました︒戸別訪問の禁止は︑一つ. 当性を欠くのではないかという疑問があったり︑上告審で覆さ. 制など選挙運動の自由に関する事件が一つの典型だと言うこと. とえば最近の例としては︑選挙の際の戸別訪問の禁止や文書規.
(7) れる利益に比してはるかに大きい﹂とか︑コ斥別訪問を一律に. な制約にすぎない反面︑禁止により得られる利益は︑⁝⁝失わ. の意見表明の﹁手段方法の禁止に伴う限度での間接的︑付随的. のテスト︑というように︑ランクを異にする自由権の二つの領. 白かつ現在の危険﹂のテスト︑経済的自由権の場合は﹁合理性﹂. す︒しかし︑二重の基準といっても︑精神的自由の場合は﹁明. らそういう立場をとり︑それを基本的な枠組みとしておりま. の福祉との関係を説明する学説が多くなりました︒私は従来か. 域にそれぞれ厳しさの違う二つの基準が対応する形で適用され. 禁止するかどうかは︑専ら選挙の自由と公正を確保する見地か. ます︒これは後でまた説明いたしますが︑ぎわめて注目すべぎ. らする立法政策の問題である﹂というような意見がそれであり. はもともとアメリカの憲法判例で形成されたものですが︑それ. るというような単純なものではありません︒二重の基準の理論. このように︑選挙運動の自由の限界を判定する違憲審査基準. たぐれ最初の研究は︑伊藤正己現最高裁裁判官が昭和三四年に. を詳細に分析して日本国憲法の解釈論に巧みに導入した最もす. 判例の動向です︒. は︑最高裁と下級審の間で︑また下級審判決相互の間でも︑さ. 刊行された﹃言論・出版の自由﹄という著書であります︒そこ. らに学説上も多様な見解があり︑いわば混沌としているのが現 状のように思われます︒これは︑言論・表現の自由全体につい. よる規制をうける︒その自由の範囲はどれだけか︑逆にいえ. 憲法の保障する言論の自由も絶対的でなく︑公権力に. に次のような結論が示されております︒. ばどこまで制約が可能であるかは︑具体的には裁判所の判例. e. て︑さらにもっと広く言えば自由権だけでなく平等権・社会権. いというところに根本的な理由があると言えます︒そこで次に. か︑その基本的な原則がまだ判例・学説上十分に確立していな. 追究することは望ましいことでもあるし︑必要なことでもあ. によって決定される︒しかし学問的には︑その判例の基準を. を含めた人権全体について︑合憲性判定基準をいかに考える. 自由権に関する合憲性判定基準の基本的な枠組みについて私の. る︒. 考えをお話して参考に供したいと思います︒. O 単純に﹁公共の福祉﹂という漠然たる概念を制約の根. 拠として認めることは︑憲法上の保障︑とくに法律の留保を. 合憲性判定基準の枠組み. 認めない保障の実質を失わしめるおそれがある︒. 二. ー コ一重の基準﹂の意味. 一五七. 最近︑二重の基準論を使って人権の限界︑ つまり人権と公共 合憲性判定基 準 を め ぐ る 今 日 的 問 題 点.
(8) 早法五八巻二号︵一九八三︶. σ9. 一五八. 言論の実質を考慮し︑対立する社会的価値を較量し. て︑その制約の有効性を判断するには︑﹁明白にして現在の. 日 憲法の措定する価値体系において︑言論の自由などの. 精神的自由権はいわゆる経済的自由権に比して優越的地位を. ない領域もあることに注意すべきである︒さらに︑それもま. 危険﹂が最もすぐれた基準である︒もちろんそれの適用され. た主観的基準であるところからくる不確定さを免れないか. 占め︑従って後者の制約の基準としての﹁合理性﹂の観念 自然法による制約を認め︑あるいは自由の濫用を禁止. は︑前者の制約を判断するものとしては不適当である︒. ㊨. 必要はない︒しかしこれらの客観的基準は比較的に適用領域. によって︑立法を違憲としうるならばあえてこれをもち出す. が限られており︑一般的には﹁明白にして現在の危険﹂の基. ら︑もし前記の事前の抑制の理論や不明確による無効の理論. ㈲ 表現の自由に対する事前の抑制は︑原則として許され. 準の有用性を疑うことはできないであろう︒. しうるという基準は︑思想としてはとにかく︑司法過程に働. ない︒それが許されるのは︑きわめて限局された例外の場合. 以上のような考え方によりますと︑事前抑制の理論や不明確. くものとしては適切ではない︒. のみである︒従って︑言論の規制は主として事後の抑制の方. による無効の理論が使える事件は︑それによるが︑そういうい. 法をとるべきである︒. わば形式的な基準が妥当しない事件は︑原則として﹁明白かつ. 規制のための立法は︑その規制をうける対象を明確に. 現在の危険﹂の基準を用いるべきである︑ということになりま. ㈲. 定めていなくてはならない︒限度をこえた不明確性を含む立. れを具体化する合憲性判定基準をどのように構成するか︑とい. す︒しかし私は︑二重の基準の理論には賛成ですけれども︑そ. 法が言論を制約するときは無効である︒. る場合には有効なこともあるが︑一般的には︑その区別は不. う点については︑少し違う考え方をとっております︒というの. 言論の性質によって判断の基準を異にする立場は︑あ. 安定に過ぎるものであって︑適当なものではない︒︵これは︑. には︑大別して消極的規制と積極的規制の二つのタイプがあ. ㈹. 後でもちょっと触れますが︑政治的言論とそれ以外の言論と か︑営利的言論と非営利的言論とか︑純粋言論と行動を伴う. の原則﹂というように︑従来経済的自由規制立法の合憲性判定. り︑前者は私の言う﹁厳格な合理性﹂の基準︑後老は﹁明白性. は︑第一に︑初めにお話したとおり︑経済的自由に対する規制. えるという考え方です︒︶. 言論というように︑言論を類型に区別して︑判断の基準を違.
(9) 基準として説かれてきた﹁合理性﹂ ︵声ぎ昌巴一昌9お錺o壼マ. で︑私は︑﹁ウォレン・コート期の判例に特に顕著にみられる. 引用した﹁憲法訴訟と二重の基準の理論﹂という数年前の論文. 準とは重なり合う部分もある︑ということになります︒先ほど. カテゴリカルな思想はこれを排し︑経済的自由規制立法のうち. 一窪窃ω︶の基準もまた︑規制態様の違いに応じて︑二つの類型. でももう一度詳しく説明しますが︑結論だけとりあえず申しま. に︑精神的自由の規制立法に対して一律に同じ厳格な基準が妥. ある種の類型のものはかなり厳格な司法審査に服せしめ︑反対. に分けて考えるのが妥当であるからです︒それから第二は︑後. すと︑精神的自由の規制立法の合憲性を判定する場合には︑事. もあることを認める︑というのが私の立場だといってもよい﹂. 当するというのではなく︑経済的自由の規制立法に準ずる領域. 前抑制の理論や漢然性ないし過度の広汎性のゆえに無効の理論 のような︑形式的基準で解決できる事件かどうかをまず考える. と述べましたが︑それはそういう主旨であります︒この主旨. べきである︑という点は︑先ほど紹介した伊藤正己先生のおっ. しゃるとおりですが︑伊藤説の結論要旨の第㈹︑つまり言論の. 的にお話することにいたしますが︑その前に一つ︑以上のよう. な伊藤先生や私などが主張する二重の基準と性質の違う二重の. を︑精神的自由の規制立法の判定基準にっいて︑もう少し具体. また最後のσ9で言われた﹁明白かつ現在の危険﹂のテストは︑. 基準︑あるいは二種の基準を提唱する考え方があり︑それは目. 性質によって判断の基準を違えるという立場は︑私はもう少し. 確かに有用ですけれども︑これは伊藤説に言われているほど万. しまして︑問題点を説明しておきたいと思います︒. 本の判例を理解する上で大変重要ですから︑それを簡単に紹介. 積極的に評価してもよい面があるのではないかと考えますし︑. し限定し︑言論・表現の自由をめぐる複雑多岐な利益状況の相. 能な基準ではありませんので︑それが適用される領域をもう少 違に応じた複数の合憲性判定基準を用いていくことが必要だと. 直接的規制と付随的規制. 私は昭和五二年五月にジュリスト臨時増刊として刊行された. 2. ﹃目本国憲法−三〇年の軌跡と展望﹄の編集をいたしました. 考えるからです︒ですから︑私の考え方によりますと︑経済的 由の領域でも﹁より制限的でない他の選び得る手段﹂︵LRA︶. ﹁憲法判例の三〇年−学説と実務の関連において﹂と題する. が︑その中の一つの企画として︑学者︑裁判官︑弁護士による. 自由の領域で用いられる﹁厳格な合理性﹂の基準が︑精神的自 の基準という形で適用されることになり︑二重の基準といって. 一五九. も︑経済的自由の合憲性判定基準と精神的自由の合憲性判定基 合憲性判定基準をめぐる今日的問題点.
(10) る︑ですから具体的な弊害がないのに規制を加えているとすれ. 一六〇. 研究会を座談会形式で行いました︒この研究会の記録は︑手前. り違憲になる︑と言われます︒これに対して付随的規制のケー. ば違憲になるし︑また他のより緩やかな規制方法があればやは. 早法五八巻二号︵一九八三︶. だいたもので︑確かに今読んでもなかなか白熱した議論もあっ. スでは明白に違憲な規制と言えない限りは合憲としてもよいの. 味噌になりますけれども︑当時読まれた方からは御好評をいた ておもしろいのですが︑この研究会でダブル・スタンダードの. である︑と主張されております︒. ついて詳細な水準の高い解説を書いておられますが︑この解説. 香城調査官は猿払事件を担当された方で︑その大法廷判決に. 問題を議論した際に︑当時最高裁調査官の香城敏磨さんが︑次 える場合には︑直接的規制か付随的規制かという二つの区別が. でも︑表現の自由を制約する法令を直接的規制と付随的規制に. のような主旨の意見を述べられました︒﹁人権の規制立法を考 重要である︒直接的規制とは︑憲法上の権利・自由がもたらす. たらす弊害を防止するために︑その意見の表明そのものを制限. 大別されています︒第一の直接的規制は︑表明される意見がも. する場合で︑例としては内乱の扇動を処罰する法令が挙げられ. 弊害を排除するために︑権利性なり自由性なりを否定する場合 るために︑その結果としていわば付随的に権利・自由に制約が. ます︒これに対して第二の付随的規制は︑表明される意見の内. のことを言い︑間接的規制とは︑他の正当な立法目的を達成す 及ぶ場合のことを言う︒﹂香城さんはこのように規制のタイプ. とを目的とする規制です︒従って︑それによって表現の自由が. 容とは無関係に︑これに伴う行動がもたらす弊害を防止するこ. 害を排除するために職業の自由を否定した直接的規制のケース. いうわけです︒例としては︑都市の美観や安全を確保するため. 制約されることがあっても︑それは付随的な結果にとどまると. にとって説明され︑薬事法違憲判決の場合は︑公衆衛生上の弊. を直接的と付随的の二つに分けまして︑それを経済的規制を例. であり︑小売市場合憲判決の場合は︑立法府が小売業者を保護. モの規制したりする法令が挙げられます︒そして︑香城解説に. よりますと︑前者の直接的規制の場合は︑立法目的と立法目的. に屋外広告物を規制したり︑交通や公衆の安全を守るためのデ. る︑と解されるわけです︒そして直接的規制のケースでは︑立. 的︑具体的関連性がなければならない︑だから合憲性判定基準. 達成手段との間に合理的関連性があるだけでは足りない︑直接. するという積極的なポリシー︵これは合憲である︶を実行するこ. 法府は︑たとえば薬局の距離制限による公衆衛生上の弊害とい. とに伴う付随的な職業の自由の規制が問題になったケースであ. うような具体的な弊害が存在する場合に限って規制が認められ.
(11) ︵LRA︶の基準が適用されることになるけれども︑後者の付随. 言論﹂の規制は﹁厳格な司法審査﹂に付されますから︑まずど. 行動を伴う言論とを分けていることです︒第二は︑この﹁純粋. この判決で注意すべき点が二つあります︒第一は純粋言論と. て付随的な制限が及んでも合憲である︑と判示したのです︒. 的規制の場合は︑立法目的とそれを達成する立法府が選択した. うしても規制が必要だというコンペリングな公益︵8唐儲臣漏. も﹁明白かつ現在の危険﹂のテストや︑より制限的でない手段. の統制が行われるにとどまる︑とされているのです︒. 手段との間に合理的関連性があるかどうかという限度で裁判所. o<①還目o算巴葺角08の挙証が要求されます︑次いで︑目的. と手段との間に具体的関連性がなけれぽならないとされるので. こういう直接的規制と付随的規制を分けて合憲性判断基準を それに対応させる考え方は︑一九六八年の有名なオブライエン. る規制は︑コンペリングとまでいかなくてもサブスタンシャル. す︒それに対して﹁行動を伴う言論﹂の﹁行動﹂の部分に対す. なインタレストがあれば立法目的は是認されますし︑規制手段. カ合衆国の判例の立場と大変似ております︒その点は香城さん. 自身書かれておりますし︑私も﹃憲法訴訟の現代的展開﹄とい. が目本の判例状況を初めにお話した際に︑猿払事件最高裁判決. 否かは抽象的に判定することが許される︑ということです︒私. エン事件は︑ベトナム戦争反対の意志を明らかにするため自己. の﹁合理的関連性﹂のテストは︑立法目的の正当性が是認され. もその立法目的と合理的関連性があれぱよく︑合理的であるか. の徴兵力ードを焼却した行為を違法とする法律の合憲性が争わ. ると規制手段はその目的との合理的関連性があることをもって. う昨年刊行した論文集で指摘し︑その主旨と問題点を若干詳し. れたケースですが︑最高裁は︑焼却行為は象徴的言論︵超筥び良︒. とするいわゆる﹁合理性﹂の基準ないし小売市場合憲判決でと. り︑従って合理的関連性のテストは立法府の広汎な裁量を前提. られた﹁明白の原則﹂と実質的には同じことになるのではない. 足りるので︑論証らしい論証もなく合憲とされる可能性があ. ら︑そのスピーチ㌔フラスの中の行動︵8昌身9︶の部分︑つま. 呂8魯︶で表現の自由の保障に含まれるけれども︑純粋言論. り徴兵力ードの焼却行為ですね︑これに対する規制は︑もしそ. 一六一. 猿払判決の多数意見は︑行政の中立的運営の確保というサブ. か︑と申したのは︑以上説明したような主旨であります︒. 合憲性判定基準をめぐる今日的問題点. 進するのに不可欠な範囲内のものであれば︑言論の自由に対し. れが重要または実質的な︵巴αQ巳ゆ8算8誰誇鼠暮一&公益を促. ︵をお巷8号︶ではなく行動を伴う言論︵の℃①o魯覧拐︶であるか. く説明いたしました︒それを簡単に申しますと︑このオブライ. 判決︵q鉱8血留暮3︿●Q卑富PGoO一9ψω雪︶というアメリ. αQ.
(12) 早法五八巻二号︵一九八三︶. 一六二. 更されておりません︒間題は︑その区別が認められるとしても︑. 表現の自由の規制を直接的と付随的とに大別し︑行動を伴う言. 疑問とする学説も少なくないのですが︑オブライエン判決は変. 論のうちの行動の要素の規制を付随的制限だという理由で緩や. スタンシャル・インタレストを達成するための規制手段とし アプ・ーチをとらないで︑一般的に︑公務員の政治的行為を禁. て︑直接的具体的に弊害をもたらす行為のみを禁止するという. 止する予防的な規制がむしろ必要だと考え︑そしてそれが立法. これは日本国憲法の解釈論としては妥当でないと私は考え︑そ. かな合憲性判定基準で足りる︑としていることだと思います︒. の主旨を先ほどあげた論文集で少し書いておきましたので︑興. 目的との関係では合理的なんだというアプローチをとったので. 味のある方は読んでいただければ幸いであります︒それでは次. すが︑このような憲法判断の方法︑合憲性判定基準は︑まさに. でぎます︒. 三. 表現の自由と合憲性判定基準. たらよいか︑という今日の講演の第三の柱に移ります︒. に︑表現の自由の規制立法の合憲性判定基準をどのように考え. オブライエン判決の示したテストに酷似しているということが. 以上少し分かりにくかったかもしれませんが︑私がこういう 問題に触れたのは︑日本の憲法の学説ではほとんど論じられて おりませんが︑この点こそ猿払判決だけでなく︑先ほど触れた. 私は﹃現代人権論﹄という論文集に収録した﹁表現の自由﹂. 最近の選挙運動の自由に関する判例で︑行動を伴う言論・表現 活動だとして用いられている﹁合理的関連性﹂の基準の意味を. 二巻に寄せたものですが︑そこで表現の自由の合憲性判定基準. と題する論文︑これは昭和三八年に刊行された﹃憲法講座﹄第. として︑事前抑制の理論︑漠然性のゆえに無効の理論という形. 理解するのに最も重要な論点ですし︑また︑この基準は今後い. 準をめぐる今日的問題点のうちでは最も間題になるものではな. 式的な基準のほか︑それによって判断できないケースに適用さ. ろいろな形で判例で用いられる可能性が大きく︑合憲性判定基 かろうかと考えているからであります︒オブライエンニアスト. 手段︑明白かつ理在の危険の基準︑及びイェール大学のトーマ. れる実質的基準を︑比較衡量︑より制限的でない他の選びうる. ス・エマスソ教授の表現・行動︵粟讐oω巴8・8鑑8︶二分法の. は︑アメリカではいくつかの有力な学説によって厳しく批判さ た行動を伴う言論には︑言論的要素と非言論的︵つまり行動的︶. 基準に分け︑それらを表現の自由の調節が間題となる利益状況. れております︒純粋言論と行動を伴う言論を区別すること︑ま. 要素とが含まれているという区別をすること︑そのこと自体を.
(13) は基本的には︑﹃憲法講座﹄の論文の考え方を継承し︑それと. それではそれに代わる合憲性判定基準を構想するとした場. 実質的には異ならないと思っておりますが︑現在は︑表現の内. の違いに応じて用いていくという考え方をとりましたが︑この. ょっと付言しておきますが︑この表現行動二分法テストに言う. 容の規制の場合と︑表現の時・所・方法の規制の場合とに大別. れは大変難しく︑いろいろ違った考え方が可能であります︒私. ﹁表現﹂と﹁行動﹂の区別は︑先に説明した純粋言論と行動を. 合︑どのように考えるのが妥当かということになりますが︑こ. 伴う言論の区別とは似ているけれども違うということに注意し. の基準︑時・所・方法の規制については原則としてLRAの基. し︑内容の規制については原則として﹁明白かつ現在の危険﹂. 表現行動二分法を持ち込んだために︑読まれた方には若干理解. てほしいと思います︒二分法は︑表現の自由の目的を考慮し︑. しにくいところもあったのではないかと思います︒ちなみにち. さらに種々の要件を総合判断して﹁表現﹂と﹁行動﹂という二. が妥当ではないかと考えております︒この表現の内容の規制と. 時・所・方法の規制は︑先に触れた直接的規制と付随的規制に. 準ないし場合によっては比較衡量の基準を用いるという考え方. 若干対応するところもありますが︑スピーチとコンダクトの区. つの類型に分類します︒そして﹁表現﹂だとされた行為は制約. 言う﹁行動﹂は﹁表現﹂と峻別されます︒スピーチ・プラスの. 別や︑付随的規制というような分かりにくく立法や解釈の仕方. を許さない完全な保護を受けるとする理論です︒従ってそこで. ではないわけです︒ただ︑どちらの基準も︑要するに表現の自. ようにスピーチの要素とコンダクトの要素とを合わせ含む行為. いかんによって変わる可能性のある概念が決め手になっていな. 所・方法の規制であるのか︑これは規制の合憲性を考える場合. 由に言う表現には広くスピーチと解される部分と︑どちらかと. に決定的に重要なポイントであるように思われます︒従って︑. のか︑それとも内容についてはニュートラルで︑表現する時・. す︒問題は︑スピーチとコンダクトの区別が容易ではありませ. この二つの規制の類型を大別して︑合憲性判断基準を考える見. い点で違います︒また表現の自由にとって︑内容の規制である. んから︑その二つを分けてそれに対応する形で合憲性判定基準. 言えばコンダクトと解される部分があり︑この二つは保障の程. を構成することが妥当か否かにありますが︑それは先ほど触れ. 判定基準の中身です︒それについて以下重要と考えられる二︑. 解は古くからあります︒問題は︑そこで考えられている合憲性. 度を異にするという考え方をとる点では共通性があると言えま. たとおり︑アメリカでもわが国でも種々批判のある考えだと言. 一六三. わざるを得ません︒ 合憲性判定基準をめぐる今日的問題点.
(14) 早法五八巻二号︵一九八三︶. 一六四. ω第一は︑マスメディアが急速に発達し︑きわめて多様な. ら︑政治的か商業的かというメルクマールで合憲性判定基準の. るという点に重点があると解されております︒そういう観点か. 価値を持ちますが︑現代社会では自己統治に不可欠な自由であ. ヨo馨︶と自己実現︵のo一陰仁巨ぎo暮︶という二つの高度の社会的. 情報源から多様な思想・情報が︑さまざまな形で流されるよう. 違いを設ける見解もあります︒私もかつて広告を︑政治的広告. 三の問題点を挙げてお話してみたいと思います︒. になったこと︑そして言論・表現の自由を受け手の知る権利を. あります︒この区別は︑なお利益衡量の際意味があると思いま. と純粋な経済的目的を持つ商業的広告とに分けて考えたことが. すが︑しかし最近のアメリカの憲法判例は︑従来営利的な表現. 伴って表現の内容の規制も︑これはもちろん原則として許され ないのですが︑いろいろの類型の違うものが生じ︑合憲性判定. 行為と考えられてきた広告の自由について︑特定の表現内容そ. 中心に置いてとらえ直さなければならなくなったこと︑それに. です︒たとえばアメリカの憲法判例で例を挙げますと︑最近︑. のものを禁止する規制であるのか︑それとも時・所・方法の規. 基準を個別・具体的に考えていかなければならなくなったこと. になっております︒映画や純粋に商業的な広告は︑言論の自由. 営利的言論︵8目奪03芭碧8魯︶の間題が一つの大きな論争点. 例では︑すべてそれらを表現の自由の範囲内に含めた上で︑そ. あることを要求する厳格な審査基準が必要であるとされ︑後者. 事実上の実質的な合理的関連性があり︑手段は必要最小限度で. 益︵8ヨ窩臣轟巨038があること︑この目的と手段との間に. 制であるのかに分けて︑前者は立法目的にどうしても必要な利. の他の表現と保障の程度に相違を設けるという立場が︑一般に. の範囲外にあるものだとかつては考えられましたが︑最近の判. とられるようになってぎました︒先ほど伊藤正己先生の﹃言論. であり︑他に利用できる表現手段があるか否か︑という基準で. b8三9の昏曾き二巴αQo︿oヨ目oロけ巴一旨R8け︶を促進するもの. すなわち時・所・方法の規制は︑立法目的が重要な公益︵巴αq箏. て判断基準を違えるという立場は︑もう少し積極的に評価して. ・出版の自由﹄の結論の要旨第㈹︑すなわち言論の性質によっ. もよい︑と述べたのもそのためです︒ただその場合に︑何をメ. であっても︑特定の表現内容の禁止というような規制になりま. 判断するという立場をとっております︒ですから営利的な広告. るわけです︒このように表現の内容の規制ならすべて﹁明白か. すと︑きわめて厳格な基準でなけれぽならないと考えられてい. ルクマールにして相違を設けるか︑そしてまたどういう合憲性. 表現の自由は︑よく言われるように︑自己統治︵︒︒o﹃αQoぎ暮・. 判定基準を用いるか︑これが議論されているんですね︒.
(15) します︒この基準は︑先ほども申しましたとおり万能のテスト. つ現在の危険﹂の基準が適用されるわけでないことに注意を要. 基準としても用いられるようになりました︒しかもそれに伴っ. の判例で︑いろいろの領域で活用され︑法令自体の合憲性判定. 準として用いられたものです︒それが一九四〇年代のアメリカ. て︑基準の中身も精密化され︑危険の切迫性︵ぎ目ぎ窪身︶︑重. ではないのです︒. 大性︵αQ琶≦な︶︑手段の絶対必要性︵器8隆昌︶という三つの厳. 以上のように︑詳細はさておきまして︑営利的言論の問題に 例証されるとおり︑表現の内容の規制という観点から︑そのほ. れるようになり︑表現の自由の優越的地位を確立する上で切り. 格な要件が充足されないと言論の制限は正当化されないと説か. で︑基準の内容を構成していた厳格な要件が骨抜きになってか. 札的な役割りを果たしました︒しかL一九五一年のデニス事件. か︑わいせつ表現︑名誉殿損ないしプライバシー侵害表現︑裁. 規制の合憲性判定基準を個別・具体的に検討することが︑今日. 判批判︑扇動的表現などについて︑それを禁止ないし制限する 重要な憲法学の課題になっていること︑これが第一の問題点で. よく理解しておくことが必要であります︒私は一〇年ほど前に. ら︑特に批判論が有力になってきました︒まずそういう沿革を. 書いたある小論で︑この基準の沿革︑長短︑わが国でそれを適. す︒審査基準の中身は︑ここで具体的に説明する余裕はありま. れと表現の自由に関する最高裁判決が︑先に第一のパ!トで若. 用した裁判例に触れながら︑次のように書きました︒﹁この基. せんので︑わいせつ︑名誉殿損︑プライバシー等について︑そ 干例示したように︑いくつか最近下されていることだけを︑こ. ﹁明白かつ現在の危険﹂の基準は︑大体皆さん御存知と思いま. 短︑適用領域を明確にしなければならないということです︒. せるために︑選挙運動の自由の規制の場合のように︑表現の時. て万能ではなく︑表現の自由の全体としてのはたらきを増進さ. しては︑ひろくわが国でも活用が期待されるが︑一方また決し. 法︑たとえば教唆や扇動を処罰する法律の合憲性の審査基準と. 準は自由を擁護する上ですぐれた側面をもち︑特定の言論規制. すが︑アメリカ生まれの基準です︒そして元来は︑刑罰又はそ. ・所・方法に加えられた一定の制約や︑在監者・公務員のよう. 第二の問題は︑﹁明白かつ現在の危険﹂の基準の意味.長. れに準ずる制裁によって一定の表現︵たとえばあおり︑扇動︶. は︑必ずしも適切ではない︒また︑公安条例のように行政権に. な特別の地位にある者の人権制約の適否が問題とされる場合に. ②. こでは指摘するにとどめます︒. を直接に禁止する法令を解釈・適用する場合に︑ある特定の表. 一六五. 現がはたして刑罰法規に触れるかどうかという︑事実断判の基 合憲性判定基 準 を め ぐ る 今 日 的 間 題 点.
(16) 早法五八巻二 号 ︵ 一 九 八 三 ︶. よる表現の自由の事前の抑制が争点となる事件に安易に適用す. エハ六. うに考えております︒ただ︑明白かつ現在の危険の基準は﹁明. ースの比較衡量の基準によるのが妥当だと説く有力な学説もあ. 定基準に関するものです︒これについては︑ケース・バイ・ケ. ③第三の問題点は︑表現の時・所・方法の規制の合憲性判. 参考に値し︑活用でぎる基準だと私は考えております︒. 白かつ現在﹂の意味を厳格に解釈︑限定しても︑裁判官にかな. ります︒しかし私は︑広い意味では比較衡量の基準と見ること. るのも︑ぎわめて疑問である︒﹂私は現在もほぼこれと同じよ. りの主観的判断を許し︑従ってまた裁判官に大きな負担をかけ. Aの基準を積極的に用いるべきだと考えています︒この基準を. 今から約一五年前に︑先ほど申した猿払事件第一審の旭川地裁. もできますが︑先ほど指摘したとおり︑この領域ではまずLR. り︑それが実質的害悪を発生させるか否かによることになって. に提出した鑑定意見書で初めて主張した際は︑その後の判例や. るという間題点も含んでいます︒というのは︑この基準によれ. おります︒つまり禁止制限されるのが︑広く思想・表現にかか. でしたが︑この基準は今目学説上もかなり広く支持されるに至. 学説で現在論議されるような形になることを全く予想しません. ぽ︑禁止もしくは制限されるのは思想の唱導︵&ぎ$2︶であ. で︑一九六九年のアメリカの憲法判例ブランデンバーグ判決. わっており︑実質的害悪の意味も明確ではないのです︒この点 ︵ω雷且臼ど茜ダ○岳Po︒3dφ歯宝︶が︑禁止の対象を思想. に言えば︑次の四つの要素を内容とするものです︒第一は︑国. 家権力が自由の内容の規制に直接かかわりのない実質的利益を. りました︒この基準の特徴は︑私は何回か書きましたが︑簡単. つそれが﹁差し迫った非合法な行動を扇動する﹂等一定の場合. 追求する場合に主として用いられるということ︒第二︑規制手. の唱導ではなく︑﹁暴力の使用又は法律の侵犯の唱導﹂で︑か. に限定していない法令は︑文面上無効と判断したことが︑注目. か︑種々の要件を衡量して決定する場合に用いられるというこ. 段が広汎で︑裁判所がそういう手段をとる実質的利益があるの. と︒第三︑国家権力は規制手段の正当性すなわち他の選び得る. されています︒この判決の打ち出した基準は︑わが国にも紹介 テストなどと呼ぽれ︑﹁明白かつ現在の危険﹂の基準と区別さ. こと︒第四︑衡量の結果︑より制限的でない他の選び得る手段. 手段を利用でぎないことを証明する重い挙証責任を負うという. され︑定義づけ衡量︵α臨三9亀富一8ぼαq︶の基準とか範疇化の. れて説かれることもありますが︑むしろ危険の基準を表現の自. で立法目的が達成できると判断される場合ないし当該規制手段. 由の保障により有利に限定し︑修正したところに︑その大きな 現代的意義があります︒そしてこれは日本国憲法の下で十分に.
(17) が目的達成のため最小限度の手段だと言えない場合は︑違憲と のパートで触れたとおり︑厳格な合理性基準として経済的自由. なるということです︒このような内容のLRAの基準は︑第一. の領域でも利用されますが︑その場合は精神的自由の領域で用 いられる場合よりも︑厳格の度合が弱いとされていることに注. めに必要な最小限度の手段か否かが問われると言ってよいわけ. 意を要します︒つまり精神的自由の場合は︑立法目的達成のた. 表現の自由の合憲性判定基準をめぐる今日的問題としては︑. です︒. 事前抑制︵すなわち検閲︶禁止の理論︑明確性︵すなわち漠然 るという問題も重要な論点ですが︑以上お話したとおり︑二重. 性のゆえに無効︶ないし過度の広汎性の理論の意味を明確にす の基準の原則を基本において︑表現内容の規制と表現の時・所・. 況ごとに︑優越的地位にふさわしい判定基準の構成を︑個別.. 方法の規制のそれぞれについて︑多様な言論・表現の態様と状 具体的に検討することが何よりも重要であり必要なことではな いか︑と私は思います︒時間等の関係でいろいろ不十分な点を で︑これで私の講演を終わらせていただぎます︒. 残してしまいましたが︑ちょうど許された時間も尽きましたの. 合憲性判定基準をめぐる今日的問題点. 一六七.
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