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2016年度 国際文化情報学会審査結果

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2016年度 国際文化情報学会審査結果

著者 法政大学 国際文化学部

出版者 法政大学国際文化学部

雑誌名 異文化

巻 18

ページ 1‑166

発行年 2017‑04‑01

URL http://hdl.handle.net/10114/13160

(2)

論文部門(学部生)

第 1 章 初等教育における中退問題とは

1. 問題意識と問い

筆者が初等教育の中退問題に関心を抱いたのは、大学 2 年の時に NPO 法人の活動に参加し フィリピンのマニラにある貧困地域を訪れたことがきっかけである。その際筆者は、ゴミ山で 働き生計を立てている子どもたちに出会ったが、彼らは小学校に入学はしたものの数年で中退 したと話していた。フィリピンでは初等教育は義務教育であり、教育費は無償となっている。

それにもかかわらずなぜ子どもたちは学校を中退してしまったのか、疑問に感じた。ゴミ山で 出会った子どもたちは「将来は看護師になりたい」、「学校の先生になりたい」と夢を語ってい るのに、彼らが小学校を卒業することすらできない現実に衝撃を受けた。

開発途上国での初等教育における中退問題は、国際的な社会問題として捉えられている。国 際連合広報センター(2014)は、2014 年時点では開発途上地域の 90%以上の子どもたちが すでに初等教育を受けている一方で、「高い中退率」が普遍的な初等教教育達成の障害となり 続けていると指摘している1。UNICEF(2014)によると、「小学校に入学した児童が最終学年 まで残る割合」は日本では 100%であるが、フィリピンでは 76%、カンボジアでは 66%、ま た東部・南部アフリカでは 49%であり2、一度入学しても最終学年までたどり着けずに中退し てしまう子どもたちが多い。

今でこそ「小学校に入学した児童が最終学年まで残る割合」が統計上は 100%の日本だが、

明治から昭和初期にかけて小学校を卒業できずに中退していく児童が多く存在し、徐々に中退 児童数を減らすことに成功した国であるということがわかった(阿部・天野 1967)。そこで 筆者は日本における初等教育の中退問題がどのように改善されたか、そのプロセスを研究する ことで、途上国が現在抱えている中退問題改善に向けて有用な学びや教訓を導けるのではない かと考えた。詳しくは後述するが、全国レベルでの日本の中退問題への対策は先行研究で論じ られているため、本論文では藤沢という一つの地域に焦点を当て、「明治から昭和初期にかけて、

初等教育の中退問題はどのように改善されたのか」をミクロな視点で明らかにする。

1 国際連合広報センター「国連ミレニアム開発目標報告 2014」(http://www.unic.or.jp/files/MDGreport2014-_Japanese.pdf  2016 年 9 月 1 日閲覧)

2 UNICEF「教育指標」(http://www.unicef.or.jp/library/sowc/2014/pdf/m_dat05.pdf  2016 年 9 月 1 日閲覧)

初等教育の中退をなくすために

-戦前藤沢からの学び-

松本悟ゼミ

村 山 晴 香

最優秀賞

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2 2. 調査対象の選定理由と研究方法 

藤沢を調査対象とした理由は、筆者が住んでいて丁寧な調査が可能であるということ以外 に、以下の二つの理由がある。第一に藤沢市には明治から昭和初期にかけて、小学校を中途 退学した子どもたちが多く存在し、そうした問題を徐々に解消してきた歴史があるためであ る。第二に、藤沢市には郷土の史料を保管する文書館があり、当時の教育に関する様々な一 次史料が入手できると考えたためである。

本論文の研究方法は主に明治以降の近代史料研究である。一次史料をもとに、以下の二つ の方法で研究を進めた。第一に、藤沢の中途退学者数のデータ化である。小学校の『沿革史』

を用い、藤沢に明治時代から設立されている 3 校の中途退学率を導いた。『沿革史』には毎 年の入学者数と各学年の在籍者数、卒業者数が記されており、各年の卒業者数と入学時の人 数を比較することで中途退学の割合3を調べられると考えた (阿部・天野 1967)。この割合に は途中入学者や留年した児童も含まれるが、卒業者数と入学時の人数を比較することにより、

ほぼ正確な中途退学の割合を把握することができる(ibid.)。

第二に、当時の一次史料を収めた 7 点の史料集と 2 点の文献をもとに分析した。7 点の一 次史料とは、小学校の歴史を収録した『沿革史』や明治 41 年から大正 9 年にかけて藤沢の 小学校で教員や校長を務めた広田清治の『明治後期教育日誌』などである。二次史料として は藤沢の教育史を編集した『藤沢教育史通史編近代』などを対象とし、その中から中途退学 の要因と問題改善に寄与したと考えられる記述や情報を抽出して分析した。

第 2 章 日本における初等教育中途退学問題

1. 初等教育中途退学問題の概要

日本の近代的な学校制度は明治 5 年に発布された学制をもって始まったとされる。それ以 降義務教育期間の延長、教育内容の改定をはじめ学校教育に関する様々な制度の変更を繰り 返しながら、政府は義務教育完全普及に向け取り組んできた。明治 5 年、学制によりそれま であった寺子屋や郷学が廃止され、8 年間の基礎的な学校教育をすべての人が受けられるこ とを目指した。

しかし、学力試験に基づく進級試験制度や、授業料の負担、また寺子屋ならば 1 年から 2 年であった就学期間を 8 年とした学制は定着せず、就学率は明治 8 年 35.4%、明治 10 年 39.9%、と就学していない児童の方が多かった(阿部・天野 1967)。

就学率が大きく改善したのは明治 32 年から 35 年にかけてである(図 1)。明治 33 年に 授業料徴収が廃止となったこと、また進級や卒業の際の試験制度が廃止されたことをきっか けに明治 32 年に 72.8%だった就学率は明治 35 年には 91.5%にまで上昇した(阿部・天

3 ( 1 -卒業者数/入学者数)× 100(%)として算出。阿部、天野(1967)はこの方法で中途退学の割合を算出している。

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野 1967;古川 2002;JICA 2003)。明治の終わりには、就学率が 100%近くに達し、明治 の初めに政府が目指した国民皆学がほぼ達成され、義務教育は完成期を迎えた(阿部・天野 1967;古川 2002)。

しかし、就学率が上昇し国民皆学が達成された一方で、義務教育を終えられなかった中途 退学者数は同じ割合では改善しなかった。図 1 は明治 28 年から昭和 2 年にかけて、初等教 育における就学率と中途退学率を阿部・天野(1967)をもとにグラフ化したものである。就 学率が大幅に上昇した期間、中途退学者の割合は明治 34 年の 22.9%から明治 38 年 31.4%

と上昇し、徐々にその割合は減少してはいるものの大正 9 年までは入学した児童の 10 分の 1 が卒業に至らず、小学校を中途退学していたのである。

2.………中途退学の要因

児童はどのような理由で初等教育を中途退学していったのか、その要因は大きく二つある。

第一に、公教育制度にかかわる要因である。具体的には、カリキュラムの非現実性、教材や 教科書の不足、教師の質の低さ、進級試験制度、施設設備の悪さ、教育費の負担の大きさな どである(ibid.)。特に、厳しい進級制度に関して斉藤(2003)は継続的な就学を阻んだ要 因だと指摘している。なぜならば、試験での落第は児童の学習意欲をそぐとともに、就学年 数の延長は親の経済負担の増加を強いるためである。

第二に、所得水準の低さや児童労働など児童を取り巻く環境からくる要因である。明治 33 年まで、日本の義務教育は有償であり、学校に通うためには授業料を支払う必要があった。

図 1 就学率と中途退学率

出所)阿部・天野(1967)より筆者作成

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4

授業料徴収による住民の経済的負担が、長期的な就学を阻害していた要因の一つだと考えら れる。 

しかし、明治 33 年に授業料が無償となった後も多くの児童が「貧困」や「児童労働」を 理由として中途退学していた(阿部・天野 1967)。大正 6 年から大正 14 年の間に学齢に達 した者の中途退学の要因を壮丁教育課程調査の結果から読み取ることができる(表 2)。

表 2 中途退学・不就学事由

(%) 大正

6 年 大正

7 年 大正

8 年 大正

9 年 大正

10 年 大正

11 年 大正

12 年 大正

13 年 大正 14 年

疾病 6.4 7.1 7.6 9.8 10.2 11.4 12.7 14 15.9

病弱・発育不全 5.2 5.2 5.2 5.3 5.3 5.7 6.0 6.7 7.0

学業不振・学校倦怠 4.2 4.0 3.8 4.0 3.6 3.4 4.5 4.8 4.9 労働従事 78.6 77.8 77.8 75.6 75.8 74.8 72.6 70.2 67.9

その他 5.6 5.6 5.5 5.3 5.1 4.7 5.2 5.3 5.3

出所)阿部、天野(1967:76)より筆者作成

これによれば、大正 6 年から 14 年にかけて全体の約 70%から 80%の割合で労働従事が 中途退学及び不就学の要因を占めていたということである。労働力の担い手として期待され る貧困家庭の子どもたちは不規則な出席を続けやがては脱落していったと考えられる。

3. 中途退学問題改善に向けた日本政府の取り組み

中途退学問題の改善に貢献した政策は主に二つある。第一に、進級試験制度の撤廃である。

斉藤(2003)は、初等教育における留年・中途退学は「直接的には厳格な試験制度の実施か ら生み出されたものであった」と指摘している。明治 33 年の第三次小学校令における進級 試験制度の撤廃は、留年による中途退学者の出現と、長期就学からくる親の財政負担増とい う構造を解消させたことから中途退学問題の改善に寄与したと言える(ibid.)。

第二に政府による児童就学奨励制度が挙げられる。大正 13 年に発足した児童就学奨励制度 は貧困児童に対し学用品や教科書、食料、医療費の支給、さらには生活費支給を行うことを 目的とした政策である。発足当初は義務教育就学人口の 2.0%を対象とするにすぎなかったが、

年を追って拡充され、昭和 8 年には就学人口の 10.0%、95.3 万人が財政的支援を受けてい た(ibid.)。阿部、天野(1967)は児童が労働に従事しないことから生じる放棄所得の一部や、

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実際の就学に要する私的な教育費の一部を社会・国家が補償することによって初めて可能と なると述べ、政府による財政的支援が貧困による中途退学の改善に寄与したとしている。

4. 先行研究への批判的考察

国民皆学を達成したあとも深刻だった中途退学問題は、進級試験制度の撤廃や政府による 財政支援によって徐々に解決に向かった。先行研究が示すように制度を変える、または制度 を作ることが問題の改善に貢献したことは確かである。

しかし、制度を整えることだけが中途退学問題の解決に貢献したとは言い切れない。なぜ ならば、先行研究では進級試験制度の撤廃や政府による財政支援など国家規模の取り組みが、

実際の教育現場にどのような効果をもたらし、どのように中途退学の状況を変えたのか、ま たは中途退学問題改善に向け教育現場で行われていた取り組みはなかったのか、あるとすれ ばそうした取り組みは政府の政策と直結していたのかなど、現場レベルでのミクロな視点で は明らかにされていないからである。そこで、本研究では藤沢という一つの地域に着目し、

先行研究では捉えられていないミクロな視点で中途退学問題がどのように改善されたかを明 らかにする

第 3 章 藤沢における初等教育中途退学問題

1. 中途退学状況

明治から昭和初期にかけて、藤沢ではどのくらいの中途退学者がいたのか、本節ではその 変遷を明らかにする。当時の藤沢の中途退学率について、統計調査はない。そこで本論文で は 1 章 2 節で示した中途退学率を導く方法に倣い、各学年の児童数に関する史料が残ってい た藤沢小、六会小、明治小の中途退学率を独自に計算した。ただし、得られた史料の中でも 年によっては児童数が記されていないなど断片的なものもあった。

図 3 は 3 校の中途退学率と神奈川県の就学率4を示した。それによると六会小学校では、明 治 37 年から 45 年では中途退学者の比率は約 30 ~ 50%で変動し、大正に入るとやや減少す るものの、その割合が 5%を切るのは昭和 2 年になってからである。

明治 32 年、当時の藤沢の町村を統括していた高座郡の郡長が記した史料 5 では、学校にお いて中途退学者が多数にのぼることは教育上とても残念なことであり、中途退学は児童にとっ て不幸であるだけでなく普通教育の発達を阻害するため、なるべく児童が修了できるように 努めるべきだと指摘されている。

4 藤沢市としての就学率の記録はないため神奈川県の就学率を示した。

5 『郡役所令達書』高座郡相原村役場より。

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6 2. 中途退学の要因

児童はなぜ中途退学していったのか、その要因として貧困や児童労働、また教育の重要性 に対する認識の低さが挙げられる。明治小の前身である日進小学校の学齢児童等調査票によ ると明治 25 年から明治 30 年にかけて中途退学した 65 人の児童全員が貧困を理由にあげて いる6。児童労働については当時藤沢にある小学校で教員や校長を務めた広田(1980:70)の 日誌7には「退学者の多く奉公定めたる者多し」と記されている。明治の藤沢における義務教 育の意義を分析した朝倉(2000)も貧困児童は男子は農作業や薪割り、水汲み、蚕や家畜の 世話を、女子は子守や家事を手伝う等して働かなければならなかったと述べていることから 児童労働が中途退学の一要因であったことが推察できる。

また広田(1980:67)は日誌において中途退学の要因として家庭の貧困や身体的理由の他 に「父兄の教育に対する無理解」を指摘し、父兄会等において保護者に教育が大切であるこ とや義務教育の趣旨を十分に伝えることが大事であると記している。このことから教育の重 要性に対する認識の低さも中途退学の一要因として挙げられる。

3. 中途退学問題改善に向けた地域の取り組み

藤沢では初等教育の中途退学問題をどのように改善していったのか。藤沢の一次史料から は地域独自の努力があったことが読み取れる。第一に「貧困児童のための、地元住民や教師 による寄付」である。神奈川県の就学率は明治 40 年時点で全国平均の 97.38%を下回ってい た。そのため、県知事は低所得層の子どもを就学させることに重点を置き、各市町村に「学

6 『明治小学校所蔵文書』より

7 筆者は広田清治という教師で日誌は彼が 27 歳~ 36 歳の時に書かれたものである。

図 2 藤沢小、六会小、明治小の中途退学率と神奈川県の就学率

出所)『藤沢小学校沿革誌』、『明治小学校沿革誌』、『六会小学校沿革誌』、

『神奈川県統計書』1867 ~ 1927 年より筆者作成

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齢児童保護義会」を設けさせ、貧困児童に学用品を与えることとした(神奈川県県民部県史 編集室 1980)。

学齢児童保護義会の活動内容は以下の通りである。大正 6 年、御所見小学校校長が御所見 村長あてに書いた手紙によると、大正元年、御所見村学童保護義会は貧困児童を保護し、就 学奨励することを目的として村の有志や教職員によって組織された。大正 4 年以降、会員が 資金を出し合い、児童に安価な学用品を提供し、その売上金をもとに貧困児童に寄付したと いう。表 4 をもとに大正 5 年、12 年、13 年のそれぞれの保護児童数を当時の御所見小学校 の全児童数と比較してみると、全体の 40%近い生徒が学童保護義会の保護を受けていたこと がわかる。大正 2 年から 12 年にかけて「保護ニヨリ義務教育修了セルモノ」が合計で 40 人 いた、ということからも地元有志者や教員による寄付が児童の中途退学の未然防止に貢献し たものと考えられる8

こうした活動は御所見小学校だけでなく、六会小学校や渋谷小学校でも見られる。現在の 神奈川新聞の前身である横浜貿易新報の明治 44 年 4 月 12 日の紙面には、以下のような報告 がある。

「高座郡六会村にては学齢児保護の為め、奨学義会なるものを設立し村長九右衛門氏を 会長に推薦し会員を募りし処忽ち(たちまち)一百名の会員を得て成立しが毎月五銭 を宛を醵出(きょしゅつ)し、是れ ( これ ) を積立て基本金として追ては硯 ( すずり )、

石盤 ( せきばん )、算盤 ( そろばん )、書籍、傘、筆墨紙の料となし是れを会の目的に 使用する」

要するに 100 名程の会員が寄付金を出し合い、学用品を児童に与えていたのである。渋谷 小学校も明治 38 年、貧困児童に学用品及び教科書給与のため父兄会を開き保護者から寄付 金を集めている。

表 4 保護児童数と保護内訳

大正 5 年 11 月

~大正 5 年度末 大正 12 年中 大正 13 年 12 月末

保護児童数 249 人

(総児童数 :641 人) 311 人

(総児童数 :745 人) 288 人

(総児童数 :778 人)

保護内訳 前期分教科書代、後期分

教科書代、文房具代 学用品、定期旅行費 学用品、定期旅行費

出所)『尋常高等御所見小学校往復文書綴』藤沢市教育文化センター(2004)より筆者作成

8 筆者は広田清治という教師で日誌は彼が 27 歳~ 36 歳の時に書かれたものである。

(9)

8

本章 2 節でも述べたように、貧困や児童労働を要因とした中途退学者が多かったことから、

地元住民や教師による金銭補助や学用品の寄付などを通した経済的支援が、生徒の継続的な 就学を支えたと考えられる。

さらに、藤沢の中途退学の一因であった「父兄の無理解」を克服するために経済的な援助 だけではなく、教員の地道な努力も児童の継続的な就学に寄与したと考えられる。広田(1980)

は日誌の中で教育事業啓蒙のために必要なことに家庭訪問を挙げている。その対象は「不就 学者」、「半途退学者」、「年長就学者中の長欠者」で、子どもを教育することは保護者の責任 であると指摘し、家庭訪問を通して「教師父兄の意思疎通」をすること、保護者に対し「教 育は教師と父兄の共同事業たるを自覚せしむ」ことを目的として示している(広田 1980:

68)。さらに、日誌の中で「訪問の労と時間を惜しむべからず、書簡を送る暇があれば訪問せよ」

と記し、家庭訪問の必要性を強調している(ibid.:69)。

こうした教師による家庭訪問の回数を横浜貿易新報は明治 41 年 11 月 11 日と明治 43 年 5 月 19 日に報告している(表 5)。

表 5 家庭訪問数

藤沢小 明治小 御所見小 六会小 鵠沼小

明治 41 年度 197 580 99 162 不詳

明治 43 年度 865 750 110 71 21

出所)横浜貿易新報明治 42 年 11 月 11 日、44 年 5 月 19 日より筆者作成

 

一番多い明治 43 年度の藤沢小の家庭訪問数を当時の授業日数 245 日と比べると、比較的 高い頻度で家庭訪問が行われていたと考えられる。

学齢児童不就学の保護者に対して、役場からも就学を促すべく督促が行われていた。『藤沢 市事務報告書』の明治編と大正編によると、明治 43 年、大正元年から大正 3 年の藤沢町事 務報告において以下のような記述がある。

「学齢児童不就学の保護者に対してはまず書面にて第一回の督責を試み、尚就学せし父兄は 役場に召喚し、一応事由を聞き、厳密に督励を加える。数回召喚しても応せさる者に対して は校長と協力し当該吏員各戸につき詳細にその状況を視察し、やむを得ないと認めた場合に 限り願書をもって猶予免除とする」

当時、市町村の公立小学校には学務委員という学事や教育事務を司る委員が置かれていた。

そうした委員が、就学しない児童の保護者を役場に呼ぶ又は児童の家庭に赴くなどして厳密

出所)横浜貿易新報明治 42 年 11 月 11 日、44 年 5 月 19 日より筆者作成

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に就学督促を行っていたということが上記の史料から伺える。なお、こうした報告は昭和初 期の事務報告には見られないことから、就学の重要性の認識不足からくる中途退学は大正か ら昭和初期にかけて徐々に減少していったと考えられる。また明治 44 年 4 月 13 日の横浜貿 易新報の記事では、教育普及や学校と家庭との連携をはかるための通俗講話会が開かれたと 報告している。

「高座郡六会村小学校にでは鈴木校長始め各訓導の人々と申し合わせて教育普及及び 学校と家庭との連絡を計るを目的として巡回通俗講話会を企て…(省略)…本月六日 より毎夜七時より実行中なるが其成績非常によろしきを以て尚十三日より十五日まで 亀井野西俣野両大字に於いて実行する…(省略)…講話の種類は就学の普及と義務教 育の貫徹、学校施設事項の紹介、訓練場に関する打ち合わせ教授法上に関する諸種の 事項、職員と父兄との意思疎通なりといふ」

以上のように校長や教職員、役場の職員が一体となって学校に通えなかったり通わなかっ たりする児童やその保護者に義務教育の重要性を伝えていたことがわかる。

さらに、教師たちは保護者や児童に教育の重要性を伝えるだけでなく、中途退学した児童 が学校に戻りやすい環境づくりに尽力していた。例え保護者や児童が義務教育の重要性を理 解したとしても、同級生との関係が薄く、教師との信頼関係が無ければ一度中途退学した児 童は学校に戻ることが難しい。広田(1980:71)は日誌の中で、「退学者の指導の方法」と「退 学者として常に信仰せしむる方法」として以下の 7 点を挙げている。

退学者指導の方法

一、生徒の学習的嗜好を察し、適切なものを与ふること。

二、生徒を学校または自宅に招きて、偶発的事項につき訓話をなすこと、教師及父母の名 を汚すことなからんことを思わしむ。

三、遠足等につれていくこと。

四、生徒として同窓生と親密にせしむ。

退学者として常に信仰せしむる方法 一、喜憂慶弔を共にすること。

二、祭典の時などに共に快をつくす。

三、生徒を楔(くさび)として家庭に教師を信仰せしむ。

教師たちは「遠足につれていく」ことや「同窓生と親密にせしむ」こと、または「祭典の

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時などに共に快をつくす」ことを通して、中途退学した児童と就学児童との人間関係の維持 に努めたと推察できる。また退学者指導の方法一、二の項目からも、中途退学者の学習の得 意不得意に鑑みながら効果的な教材を与え、時には教師の自宅に招いて何気ない会話をする ことを通し、学習面のサポートだけでなく、児童と教師との信頼関係の維持に努めたと考え られる。

第 4 章 結論と考察

1. 結論

本論文では藤沢を例に、国民皆学後も深刻だった初等教育における中途退学問題がどのよ うに改善されたのかという問いに取り組んできた。多数の一次史料の分析から次の二点が明 らかになった。

第一に、地域住民や教師が結成した学齢児童就学保護義会による寄付活動が貧困児童の中 途退学未然防止に貢献したことである。寄付活動の目的は不就学児童を就学させるところに あったが、第 3 章 2 節で述べたように中途退学の要因の多くは貧困からくるものであったこ と、また御所見小の寄付活動に関する史料が示すように、「保護ニヨリ義務教育修了セルモノ」

がいたことから、中途退学者発生の未然防止に一定の効果をもたらしたと考えられる。

第二に、教師や役場の職員が家庭訪問や講演を行い義務教育の重要性を諭すと同時に、中 途退学児童が学校に戻りやすいような環境づくりに努めたということである。広田(1980)

は日誌の中で、家庭訪問の対象者の一つに「半途退学者」を挙げている。教師や役場の職員 が中途退学児童の家庭に赴き、家庭に義務教育の重要性を諭したということがわかった。さ らに、就学の重要性を説得するだけでなく、教員たちは中途退学児童を遠足や祭典に招き、

親睦を深めることで中途退学児童と就学者、また中途退学児童と教員との信頼関係の維持に も尽力していたことが明らかになった。

初等教育の無償化や進級試験制度の撤廃、国の財政支援が藤沢の中退問題の解決にどの程 度貢献したのかは明らかではないが、一次史料の分析からは地域の関係者による地道な努力 が、就学率の向上だけではない、実質的な国民皆学を実現させたと言える。

本論文では藤沢という特定の地域に着目して研究を行ったため、必ずしもこの結論が全て の市町村に当てはまることを意味しているわけではない。また可能な限りの一次史料や関連 する文献の収集を試みたが、関東大震災の影響で断片的にしか入手できないデータもあった。

そのため、明治から昭和初期にかけての全ての情報を網羅できたわけではない点は記してお く。

2.……考察

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本研究のきっかけは筆者がフィリピンで初等教育を中途退学した子どもたちに出会った ことであった。開発途上地域全体では 2000 年から 2012 年にかけて就学率は 79.8% から 90.5% へと上昇した9。一方で同地域では 25% の児童が学校を中途退学しており、継続的な 就学が課題である。途上国の中途退学については家庭の貧困に加え、栄養状態の悪さ、遅延 入学や進級試験制度が要因であり、児童が適切な年齢で入学し、順調に進級するためには、

教育を取り巻くシステム全体の改革が必要であると指摘されている(JICA 2003;UNESCO 2012)。

しかし教育制度の改革だけが中途退学問題の改善に有効だとは言い切れない。日本でも教 育費の無償化や進級試験制度の廃止、政府による財政支援などの政策が行われた時期、就学 率は上昇し約 100%に到達したが、中途退学者の割合は同じようには改善しなかった。

教育制度を改めることで中途退学問題が改善されることは確かであるが、一方で本研究の 結果からは教育現場に携わる人々の教育への理解や努力が中途退学問題の改善には不可欠で あると考えられる。本研究では藤沢の中途退学問題がどのように改善されたかを研究するこ とを通し、教育に携わる教員や地域の住民が児童の継続的な就学を支えるため、地域独自の 取り組みをしていたことがわかった。地元の有志者が貧困児童に金銭の補助や学用品を与え ること、教師が中途退学した児童の家庭に赴き教育の重要性を諭す、また中途退学児童が復 学しやすい環境づくりに努めるなど、地域での地道な活動が中途退学問題の改善に効果的で あったのではないかと筆者は考える。

藤沢以外の日本の市町村でも明治から戦前のまだ豊かではなかった時代に、どのようにし て中途退学問題が改善したか、その地道な努力と成果に関する研究を蓄積していくことで、

途上国での中途退学児童発生の未然防止や中途退学した児童へのより細かな対応や支援に活 かすことができると考える。一人でも多くの児童が初等教育を修了できるようにするために、

こうした実証研究の積み重ねが重要である。

参 考 文 献

阿部宗光、天野郁夫 「日本の経験-近代日本の初等教育義務教育におけるWASTAGE の研究」『国立教 育研究所紀要』第56 集、国立教育研究所、1967 年、1 -87 頁。

斉藤泰雄 「第9 章 留年・中途退学問題への取り組み」『日本の教育経験-途上国の教育開発を考える』

独立行政法人国際協力(JICA)国際協力総合研修所調査研究第2 課、2003 年、97 -104 頁。

土方苑子「『文部省年報』就学率の再検討-学齢児童はどのくらいいたか-」『教育学研究』第54 号(4)、国 立教育研究所、1987 年、361 -370 頁。

古川和人「明治後期における教育財政政策史の分析試論:サブサハラ・アフリカでの教育財源多様化政 策への日本の経験活用を前提として」『筑波大学教育学系論集』第26 巻、筑波大学、2002 年、31 ‐44 頁。

文部省教育調査部編『壮丁教育調査概況. 昭和6 年度』文部省教育調査部、1932 年。

T.W. シュルツ『教育の経済価値』 清水義弘訳、日本経済新聞社、1964 年。

9 UNDP「 普 遍 的 な 初 等 教 育 の 達 成 MDGs 達 成 に 向 け た 進 捗 」(http://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/sdg/

mdgoverview/mdg_2.html 2016 年 9 月 16 日閲覧)

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12

UNESCO『若者とスキル-教育を仕事につなぐ-』国際連合教育科学文化機関、2012

【藤沢市】

朝倉征夫 「義務教育学校の意義-明治期藤沢の小学校設立と児童労働・識字を中心に-」『藤沢市教育史 研究第九号』藤沢市教育史編集委員会、2000 年、4 -19 頁。

神奈川県県民部県史編集室編 『神奈川県史通史編』第4 巻近代・現代(1)、神奈川県、1980 年。

神奈川県内務部統計課 『神奈川県統計書』1867 ~1927 年。

広田清一、広田清治 『明治後期教育日誌』広田清一寄贈、1980 年。

藤沢市教育文化センター編 『藤沢市教育史史料編』第一巻、藤沢市教育委員会1998 年。

 収録史料 「高座郡下各小学校の家庭訪問のこと」『横浜貿易新報』1909 年11 月11 日。

「高座郡家庭訪問のこと」『横浜貿易新報』1911 年5 月19 日。

『藤沢小学校建築小史』

「六会村奨学議会設立のこと」『横浜貿易新報』1911 年4 月12 日。

藤沢市教育文化センター編 『藤沢市教育史史料編』第二巻、藤沢市教育委員会、1994 年  収録史料 『郡役所令達書』高座郡相原村役場

『高座郡長訓示事項』高座郡相原村役場

藤沢市教育文化センター編 『藤沢市教育史史料編』第三巻、藤沢市教育委員会、1976 年。

 収録史料 藤沢市教育文化センター所蔵(御所見小学校旧蔵)『尋常高等御所見小学校往復文書綴』

藤沢市教育文化センター編 『藤沢市教育史史料編第六巻』藤沢市教育委員会、2000 年。

 収録文書 『藤沢小学校沿革誌』藤沢市立藤沢小学校 『明治小学校沿革誌』藤沢市立明治小学校 『六会小学校沿革誌』藤沢市立六会小学校

藤沢市教育文化センター編 『藤沢市教育史史料編別巻(教育統計・教育史年表)』藤沢市教育委員会、

2004 年。

藤沢市文書館 『藤沢市史料集(六)藤沢市事務報告書(1)明治編』藤沢市文書館、1981 年。

藤沢市文書館 『藤沢市史料集(七)藤沢市事務報告書(2)大正編』藤沢市文書館、1982 年。

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論文部門(学部生)

1. はじめに

フランスは様々な人種・民族・宗教が存在する国である。そのためフランスにおけるアイ デンティティは主に、政治や移民問題、宗教、言語などといった面で研究されることが多い。

また、清水祐美子がフランス・フランドル地方における民謡収集とアイデンティティの形成 に関する研究の中で指摘しているように、19 世紀より、フランスでは民謡や昔話や諺などの 民衆の口承を保存することを通じて、地域的な文化アイデンティティを形成していたことが 知られている(清水、2013)。一方、食に関してはフランスにおける地域アイデンティティ との関係で論じられることはあまり多くない。

そこで本論文では食がどのように地域アイデンティティに関わるのかを、フランス南東部 に位置するリヨン、そしてブションを中心として論を進め、リヨンの庶民的な飲食店である ブションが、どのように地域住民と関わり、それがリヨン市民の地域アイデンティティの形 成にどのように関係しているのかを明らかにしていく。

本論文において以下の 3 点の仮説を用い、論を進めていく。

①リヨンでは「食」を通じた地域アイデンティティの維持・形成がある。

②観光などの外の目線が入ることで地元の人々のブションに対する再認識が起きた。

③「フランス」料理のグローバル化を受け、ブションも今後「フランス」のローカル文化 としてのグローバル展開をしていく。

2.地域アイデンティティ

本論文では地域アイデンティティをこのように定義する。

同じ土地に暮らす人びとを大切にし、その土地の歴史と文化を尊重し、その土 地の自然環境を守り育てることが郷土愛であるはずだ。郷土愛は身近な具体的 事象 ( 人も含む ) を対象とし、国家愛は抽象的な理念が必ず介在する。だから 郷土愛は、自地域への誇りにかかわる地域アイデンティティ (Local Identity) と いいかえてもよいだろう。(岩崎正弥・高野孝子、2010 年)

ブションから見るリヨンの 地域アイデンティティ

佐々木一惠ゼミ

寺 島 裕 香

奨励賞

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14

つまり、リヨンの人のブションから見るリヨンの地域アイデンティティとは、具体的事例 がブションになり、ブションを対象とした郷土愛が「ブションに対しての地域アイデンティ ティ」と定義できる。

 

3.ブションとは

ブションとはフランス・リヨンの郷土料理を提供する庶民的な飲食店を指す。ブションで はリヨンの母と言われる、主にブルジョワ家庭に仕えていた女性料理人たちによって料理が 振る舞われていた。絹産業の街でもあったリヨンで、彼女たちはブルジョワ料理と家庭料理 を融合させたシンプルかつ質の高い料理を提供した。料理の特徴として、リヨン近郊の食材や、

臓物を使った料理や川魚を使った料理が多いことが挙げられる。また、ブションは手ごろな 価格かつ満足のいくボリュームの料理を提供していたため、職人たちに広く親しまれ、昔か らリヨンの人々に愛され続けてきた。

ブションには現在、「Authentique Bouchon Lyonnais」と「Bouchon Lyonnais」という 2 つの認定ラベルがある。前者は 1997 年に美食ジャーナリストのピエールグリゾン率いるブ ションリヨネ防衛協会 (L'Association de défense des bouchons lyonnais) によってつくられた 伝統的なブションを定めたラベルである。後者は 2012 年にリヨン商工会議所とリヨン観光 局によって作られた料理やサービスの質を保証するラベルである。この 2 つのラベルに登録 されるには料理や内装、調理法など細かい選定基準があり、このラベルによってブションが

「本物」となり得る。また、観光局が動いていることからも街全体でブションを守ろうという 動きがあることがうかがえる。

 

4.アンケートから見るブション

筆者は 2016 年 3 月から 4 月においてリヨン市民のブションへの関心度を知る目的でリヨ ン市民を対象としたアンケートを行った。女性 73 名、男性 64 名の計 137 名の回答が集まり、

年代は 10 代から 80 代までの回答を得た。アンケート結果から、リヨン市民のブションへの 関心を見ていく。

a. ブションを知っていますか、という問いに対しては 98%が知っている、2%が知らない と回答した。

b. ブションを知っているという人に対して、ブションのイメージを記述式で質問したとこ ろ、多い順番に 1.伝統的、2.典型的なリヨン料理を提供する店、3.料理が重い・脂っこい、

4.観光客向けの店・商業的、5.温かい雰囲気・ぬくもりがある、との回答が多かった。また、

その他の意見としては、豚を使う料理が多くイスラム教の人を連れていけない、店が小さい、

料理の量が多い、昔ながら、家庭的、店によって良いところと良くないところがある、との 意見があった。

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c. ブションに行ったことがありますか、という問いに対しては 89%が行ったことがある、

11%が行ったことがないと回答した。行ったことがないと回答したうちには、ベジタリアン だからいけないという回答もあった。

d. ブションへ行ったことのある人への質問として、今まで何度ブションへ行ったことがあ るかという問いに対しては、1 度が 14%、2 度が 12%、3 度が 15%、4 度が 7%、5 度が 2%、

それ以上が 50%という回答であった。行ったことのある人は、5 度以上繰り返し訪れる人が 多いことが分かった。

e. お気に入りのブションはありますか、という問いに対して回答者の中で店名を回答した 人を抜粋すると le café des fédérations、Le pique assiette、Le Musée、L‘Amphitryon、Les Chandelles が 各 2 名、Daniel et Denise、Le bistrot de Lyon、Le Tire Bouchon、Brasserie Georges、Le Garet、Abel、Chez hugon、Chabert et fils 、La Meunière、Notre maison、Aux trois cochons が各 1 名ずつの回答であった。この中で Authentique bouchon lyonnais に登録 されているブションは 6 件、Bouchon Lyonnais に登録されているブションは 4 件であった。(2 件はどちらのラベルも所有している店である。) 名前の挙がったその他の 7 件の店はラベル を持っていない。その他の回答として、毎回店を変えるのが好きという人や、店の名前は分 からないという人も少なからずいた。

f. Bouchon Lyonnais というラベルを知っていますか、という問いに対して 31%が知って いる、69%が知らないと回答した。

g. 知っていると回答した人を主な対象に、このラベルをブションを選ぶ基準として使いま すか、という問いに対して 16%が使う、84%が使わないと回答した。

h. Authentique Bouchon Lyonnais というラベルを知っていますか、という問いに対して 31%が知っている、69%が知らないと回答した。

i. 知っていると回答した人を主な対象に、このラベルをブションを選ぶ基準として使いま すか、という問いに対して 20%が使う、80%が使わないと回答した。

 f~i の回答をまとめると、ラベルの認識率はどちらも 30%程と低く、ブションを選ぶ基 準にもラベルを使う人は 20%以下と少数に留まった。

j. それでは外食時店を選ぶ基準は何なのかを「味、清潔さ、従業員の態度、ネットや人か らの口コミ、その他」の 5 択で質問したところ、1 番多かったのが味で 63%、2 番目がネッ トや人からの口コミで 24%、その後はその他が 11%、従業員の態度が 2%、清潔さが 0% と 続いた。

ブションのラベルはブションを守りたいという想いの人々が定めたマークであるため、こ の選択肢の中では「ネットや人からの口コミ」に近いと言えるのではないだろうか。

k.「本物」のブションを定義するラベルは便利だと思いますか、というという問いに対して、

64%が便利だと思う、25%が便利だとは思わない、11%が分からないと回答した。また、便

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利だと思うと回答したほとんどが「観光客にとっては便利」という回答であり、リヨンの人 にとっては便利かは分からないが、観光客が店を選ぶうえでは便利だと思うという人が多数 いた。また、ラベルが一つなら便利だが、現在のようにラベルが複数あるとどれが良いのか 分からず便利とは言えない、という意見もあった。

このアンケートから以下の 3 点が見えてきた。

①ラベルの認識の低さとラベルを基準に店を選ぶ人が少ないことである。ここから、「本物」

のブションにこだわり店を選ぶ人は少ないということが分かった。店を選ぶ基準のアンケー トから、「本物」ということよりは自分の味覚に合うかを重視する人が多いことが予想できる。

②ブションを伝統的な、リヨンの象徴的・典型的な店として認識する人が多い反面、ブショ ンに対して観光客のための商業的な店だというイメージを持つ人も多いことが分かった。

③ブションは「職人のための料理」という安くて量の多い料理のスタイルが伝統として続 いているため、現代人には重い、脂っこいという感じ方をする人も多い。

5.ブションの経営者から見るブション

ここまで市民目線でブションを見てきた。それでは、ブションを経営している人たちから ブションはどう見えているのだろうか。ここでは 2 軒のブションを取り上げる。1つはグロー バル化したブションの一例として神楽坂のブションを挙げる。もう1つは先ほど説明した 2 つのラベルをどちらも獲得しているブションを挙げる。

まず、神楽坂のブションを取り上げていく。東京・神楽坂にルグドゥノム・ブション・リ ヨネというレストランがある。ここはブションとして営業しているうち、世界で唯一ミシュ ランを獲得したブションである。筆者はここのシェフにグローバル化しているローカルの一 例から、リヨンのブションの今後を検討する目的でインタビューを行った。聞き取り場所と 時間として、神楽坂の本多横丁にある「ルグドゥノム・ブション・リヨネ」において、2015 年 6 月 12 日金曜日 10 時から 40 分程度の聞き取りインタビューを日本語で行い、以下の質 問を中心として聞き取りを行った。

①独立して店を構えようと思ったとき、「リヨン料理」として店を出そうと考えたのか、「フ ランス料理」として店を出そうと考えたのか

②リヨンのブションと神楽坂ブションの違いについて

③ Authentique Bouchon Lyonnais と Bouchon Lyonnais というマークについて

④ブションは伝統を大切にしているイメージがあるが、現代に合わせてきているのか

⑤シェフにとってのフランス料理、ブションとはなにか

①シェフは、独立を考えたときに自分は何をしたらよいのかを考えたという。今までは、

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ミシュランの星付きのレストランや高級ホテル、プライベートメゾンでの経験があった。し かし、「自分の出身がリヨンであること、自分の国ではないからこそ自分の家、町にいるよう な、自分の空間を作りたい。」と思ったそうだ。そこで、地方にこだわらない「フランス料理」

店を出してもよかったが、それだと他の料理人と同じになってしまう、という思いと、自分 の出身がリヨンであること、この二点を言っていた。シェフのこの 2 つの思いが、「リヨンの ブション」を出すことに繋がった。

ではなぜ神楽坂を選んだのかを聞いてみると、神楽坂には友人の店があり、この場所を薦 められたということも一つあるが、神楽坂は小さい路地や村のようなエッセンスや雰囲気が あるからだという。シェフが探していた場所は、ビルの中ではなく、一階で大通りに面して いる場所よりも少し通りに入ったところだったそうであるが、このお店はまさにそのような 場所に存在している。正直、聞き取りをしていて「なぜ神楽坂なのか」というのは「偶然」と「直 感」であると筆者は感じた。しかし、神楽坂が petit Paris とも近年言われているように、神 楽坂は伝統と現代が交わるフランスのような要素を持っている街であり、フランスとリンク する部分も見られる。

②神楽坂のブションはいわゆる「本場」のブションとは何が違うのかを尋ねてみた。

この質問に対して、シェフからは次のような答えが返ってきた。「サイズ的なもの、雰囲気 は同じ感じだが、神楽坂はもう少しエレガント。ぬくもりとエレガンスを両方持っている。

リヨンのブションはぬくもりは絶対あるが、エレガンスはそんなにない。神楽坂のブション はリヨンよりも少しエレガンス、もう少し高級に感じる。皿の盛り付けも今までの ( シェフの ) 経験から、丁寧さや見た目のきれいさは ( リヨンと ) 違うと思う。」

神楽坂ブションは、リヨンのブションの持つ「ぬくもり」に加えて「エレガンス」を取り 入れている。シェフの高級ホテルやプライベートメゾンでの経験があるゆえに、リヨンのブ ションにはない料理の盛り付けや見た目の綺麗さに繋がっている。つまり、この「エレガン スさ」はブションで料理を作る人全員が出来るものではなく、シェフの経験によってつけら れているものだということが出来る。それゆえ、エレガンスさはシェフによって神楽坂のブ ションに加えられた付加価値なのである。

③ Authentique Bouchon Lyonnais と Bouchon Lyonnais というマークについて

この 2 つのマークについてシェフに尋ねたところ、「bouchon lyonnais( ブションリヨネ。訳:

リヨンのブション ) の名前を使って店をオープンして、bouchon lyonnais の料理出してない、

あまり丁寧に仕事をしないとか、ただその bouchon lyonnais の名前を使って商売をやるとこ ろもある。料理人にとって名前を使って適当なものを出すというのは街のイメージや料理の イメージがよくなくなる。だからすごく大切にした方がいい。」と答えていた。

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④ブションは伝統を大切にしているイメージがあるが、現代に合わせてきているのか この質問に対して、シェフからは次の答えが返ってきた。「昔からのブションと新しいブ ションの何が違うのかというと、レシピは今の時代の味に直しているけど、味は多分昔と同 じ。クオリティやうまみは残すようにしていると思う。伝統をキープさせるのはすごく大切。

もともとの味とか雰囲気とか、それは絶対に忘れてはいけないもので、すごく大切だと思う。

それは、街を大切にすることと一緒だと思います。」とのことであった。

実際、フランスのリヨンに旅行に行く前に神楽坂のブションに立ち寄る人や、リヨン旅行 から帰ってきてからリヨンのブションの思い出を求めて神楽坂のブションに来る人もいると いう。シェフにとっての神楽坂のブションは、「リヨンのブション」に「エレガンスさ」を加 えた新たなブションとして「神楽坂のブション」を構築しているが、リヨンのブションを知っ ている人からすると、神楽坂のブションは「リヨンのブション」に「神楽坂のブションのエッ センスを加えたもの」として受け入れられることもあるのである。

⑤シェフにとってのフランス料理、ブションとはなにか

この質問に対して、シェフからは次の質問が返ってきた。「私にとってフランス料理は、伝 統の料理を尊敬することと、今の時代でアレンジさせ現代化させること。つまり現代と伝統 を融合する、いいバランスを取るということ。例えば音楽だったら、昔の曲にどうアレンジ をすればよいのか、でもベースはちゃんと残す。そういうのが今思っているフランス料理で すね。」

④と⑤の質問で共通していることは、時代に合わせた変化はするが、「伝統」というベース の上で変化しているのであって、ただ単に料理を変えているわけではないという点である。

ブションをフランス語一言で表すと「Convivialite」だとシェフはいっていた。シェフの店 では「ぬくもり」としてこの言葉を使っているという。シェフにとって「ブション」は気取 らない空間であるように感じられた。「高級」ということや「ミシュラン」などにこだわりす ぎない、「美味しい料理」や「明るい雰囲気」という言葉が印象的でもあった。話を聞く前ま で「高級」なイメージしか持てなかった神楽坂のブションであったが、シェフのコンセプト としては「ぬくもり」があることに少し驚きはしたが、それほどリヨンのブションに近いも のであるというのは強く感じた。

次にリヨンで「Daniel et Denise」というブションを経営するジョセフ・ヴィオラ氏(Joseph Viola)へのインタビュー記事を見ていく。彼はインタビュー記事において、「食材全て、内 臓に至るまで美味しく調理し提供するという考え方や、リヨンの地に根付いた食材を使うの がブション料理であるという考え方は今も昔も変わらない。ただ、提供する料理に関しては

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人々の嗜好や味覚というものは時代の流れとともに変化していくので、それには対応してい く必要がある。」と述べている。そして、今後ブション・リヨネがめざす方向は「ブション・

リヨネでありながらブション・ガストロノミックである」としている。

このヴィオラ氏の主張からも、やはり伝統を保守していきたいと考えている人がいること が分かる。ヴィオラ氏の使うガストロノミックという言葉は、ブションの料理をフランス料 理の美食術の一部として捉えているのか、はたまた、食べることによって人を健やかに保つ ものとして言っているのかは、表現のため判断するのは難しい。いずれにせよ、ブションは 時代に合わせた変化を必要とされているということはインタビューからわかることである。

神楽坂のブション、そしてリヨンのブションの経営者のインタビューと記事から、2 人の 経営者には「伝統」と「現代」の融合という共通点が見られた。リヨンに昔から根付くブショ ンの伝統を守りつつも、変化し続ける現代に対応していくことの必要性を見いだせた。

6.まとめ

最後に冒頭に述べた仮説を再検討していく。

①リヨンでは「食」を通じた地域アイデンティティの維持・形成がある。

②観光などの外の目線が入ることで地元の人々のブションに対する再認識が起きた。

①②⇒批評家、そして市を挙げた認定システムの誕生からブションを守ろうという動きが 見られ、伝統を守ろうという動きがみられる。しかし以前は職人の食事処であったブション が変化し、近年観光客のための商業的なブションの側面が見えてきた。それにより、「自分た ちのための」ブションというよりは、「観光客のための」ブションとして対外的なものとして 認識されるようになってきた。

③「フランス」料理のグローバル化を受け、ブションも今後「フランス」のローカル文化 としてのグローバル展開をしていく。

⇒神楽坂のブションのように、今後もブションがグローバル展開する可能性はあるが、リ ヨンのブションのような伝統のみではなく、「+エレガンス」など、時代や出店する土地に合 わせた変化をつけることで多くの人に受け入れられるブションが誕生すると考える。

参 考 文 献 、W e b サ イ ト

岩崎正弥・高野孝子『場の教育「土地に根ざす学び」の水脈』社団法人農山漁村文化協会、2010 年

清水祐美子「フランス・フランドル地方における民謡収集とアイデンティティの形成:地域と国家の間で」

『クァドランテ:四分儀』15 巻、2013 年

辻調グループ総合サイト 【とっておきのヨーロッパだより】ブション・リヨネ―伝統とこれから―

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八木尚子『フランス料理と批評の歴史 レストランの誕生から現在まで』、中央公論新社、2010 年

廣田功『19 世紀におけるブルジョワ料理の展開―ブルジョワ料理から国民料理へ―』、Revue japonaise de didavtique du français, vol.1,n.2,études francophones-juillet 2006

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20

北山晴一『フランス』世界の食文化⑯、社団法人農山漁村文化協会、2008 年

マグロンヌ・トゥーサン=サマ 太田佐絵子訳『フランス料理の歴史』、株式会社原書房、2011 年 Patrimoine Lyon.org La Gastronomie Lyonnaise [http://www.patrimoine-lyon.org/index.php?lyon=la-

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les bouchon Lyonnais http://lesbouchonslyonnais.org/ ( 最終検索日:2016 年11 月29 日)

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近年訪日観光客数の増加が著しく、「クールジャパン」という言葉があるように、日本の伝 統文化や建築物以外にもゲームやファッション、漫画、アニメ等も世界各国から人気を集め ている。つい先日には、国土交通省が 2016 年に日本を訪れた外国人旅行者数が、10 月 30 日までで初めて 2000 万人越えを果たしたと発表した。外国人観光客が国内を訪れる「イン バウンド」という言葉はニュース等でたびたび話題になっているが、このインバウンドツー リズムは少子化、高齢化、人口減少という深刻な問題を抱える日本にとって、経済効果や雇 用拡大を見込める期待の産業とされている。特に今回取り上げる ASEAN(東南アジア諸国連 合)は、最近の経済的成長と政治的安定、若年層の多さから更なる成長市場と呼ばれ、日本 としても誘致に力を入れており、最近のビザ緩和や免税対象物品の拡大を受けて、さらに訪 日観光客数が伸びてきている。         

この ASEAN は近年著しい経済成長を遂げており、その中でもとりわけ豊かな国とされる シンガポールの 1 人当たりの GDP は日本を大きく上回り$50,000 を超えている。次に豊 かな国であるマレーシアは$10,000 に迫り、2025 年にはタイが GDP$5,000 ゾーンを抜け

$10,000 の水準に達することが予想される。また、ベトナムやインドネシア、フィリピンといっ た国々も海外旅行ブームが起こる一つの目安と言われる $5,000 のゾーンに迫ると予想され る(みずほ産業調査部「訪日観光需要の極大化に向けたインバウンド戦略」)。

ASEAN からの訪日観光客誘致に 向けた取り組み

曽士才ゼミ

武 藤 千 佳

奨励賞

0 5,000 10,000 15,000 20,000

2010 2015 2020 2025

USD

論文部門(学部生)

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22

平均年齢に関しても、日本が 44.7 歳であるのに対し、ASEAN 主要 6 カ国の平均は 1 番高 いシンガポールで 37.6 歳、一番低いフィリピンでは 22.2 歳となっている(横山幸代「ASEAN 訪日インバウンド最新事情」)。現状として、地域別訪日観光客数・消費額における ASEAN の 占める割合はわずか約 10% と、日本に地理的に近い東アジアの 72% と比べるとまだまだ低 いものの、ASEAN6 大市場の訪日観光客数は 2013 年に 100 万人越えを果たして以来、2015 年にはわずか 2 年で 2 倍の 200 万人越えを果たしている。ここ最近の ASEAN の国ごとの訪 日観光客数の伸び率が著しいことからも、今後期待の市場であり、訪日観光客数増加へのキー となる存在であると言うことが出来るだろう ( 観光庁ホームページ )。

東アジア72%

東南アジア (ASEAN)

11%

欧米豪13%

その他4%

東アジア72%

東南アジア (ASEAN)

10%

欧米豪14%

その他4%

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さらに訪日観光の新たな資源として、ASEAN の特に女性を対象に日本の強みである「おも てなし・技術力・清潔感」を生かした美容室やネイルサロン、エステサロン体験を訪日観光 の一つとして取り込む「美ンバウンド(美容+インバウンド)」にも注目が集まっている((株)

リクルートライフスタイル ホットペッパービューティーアカデミー調べ「インバウンド美 容に関する調査」『ホットペッパービューティーアカデミー』2015 年 8 月)。そしてこの美 ンバウンドをさらに促進するための課題として「受け入れ体制、知名度、ニーズに合わせた プラン」という 3 点が挙げられている。この 3 点の課題は美ンバウンドだけでなく、同時に 訪日観光客誘致全体における課題でもあるのではないかと考え、今回これを仮説とした。

そこで ASEAN を対象にした訪日観光促進の取り組みについて、実際に ASEAN にターゲッ トを絞って訪日観光を PR している企業「株式会社 Relation」へのインタビューや「株式会 社 ASIA Click」が企業向けに開催しているセミナー、日本よりも一足先に ASEAN からの観 光客数増加に成功した「韓国」の政策についての文献等をもとに、現在の ASEAN からの訪日 観光客誘致においても果たしてこの 3 点は課題であるのか、課題である場合、その解決策や 将来性について探る。そうすることで、最終的には日本が 2020 年東京オリンピックに向け て、また、フランスのような観光大国となる上で必要な今後の取り組みについて明らかにする。

なお、今回の研究対象国は現在 ASEAN の中でも特に訪日観光客数が多く、観光庁が重点市場 として挙げているシンガポール、タイ、マレーシア、インドネシア、ベトナム、フィリピン の 6 カ国とする。

研究対象とした ASEAN6 カ国の主な特徴を株式会社 ASIA Click 主催のセミナーをもとに まとめると以下の通りになった(ASIA click ホームページ)。ASEAN は当然のことながら互い に地理的にも近く、一括りに「ASEAN 向け」の特別な取り組みをしているものだと思ってい たが、インタビュー調査からそうではなく、一つ一つの国々によってニーズや有効な PR 法、

国民性が異なり、それぞれに対応した取り組みを行っていることが分かった。

25.2 39.2 55.2 48.3

30.4

85.5

10 0 20 30 40 50 60 70 80 90

(2015 2 2016 2

(25)

24 シンガポール

◎経済水準が高く、平均年齢も高い先進国型社会。

日本とほぼ同じで、週末の近場旅行や OL の女子旅が人気。

・PR ポイント:本物、お得、日本しかない 

・触れてはいけない部分:貧富の格差

・SNS ビジネス活用法:参加型、お得感をどう表現するか

・初回訪問率 ( 初めて日本を訪れた人の割合)30% (2015 年)

・個人旅行率(団体ではなく個人で来た人の割合)80% 高い

タイ

◎ 2013 年 7 月からのビザ免除をきっかけに、旅行博への出展や広告展開などの積極的な訪 日プロモーション、2014 年 6 月からの新規 LCC 就航。タイの旧正月であるソンクランの ある 4 月と日本の桜のシーズンの重なりから、ASEAN の中で断トツの訪日旅行者数。白川 郷や黒部アルペンルートが人気。

・PR ポイント:派手な写真、鋭いフレーズ

・触れてはいけない部分:王室、仏教

・SNS のビジネス活用法: 全体的に文字よりも写真を好む。日本は文章が 80%以上占めて いるのに対し、タイでは 3%ほど。画像動画と、鋭く短いキャッチコピー。

・初回訪問率 39%  

・個人旅行率 73% 

マレーシア

◎ 宗教的制限が厳しく、イスラム宗教庁のようなものもある。イスラム教徒が六割を占める ことから、日本の食よりもライフスタイルや自然に興味がある。マレー語表記のガイドブッ クを販売するときなどは厳しい制限が伴う。「豚」という言葉を使ったり紹介したりしては いけない。英語表記なら可能。

・PR ポイント:高品質、自慢 

・触れてはいけない部分:民族優劣、政教分離

・SNS のビジネス活用法:じっくりとブランド認知熟成

・初回訪問率 48% 高い 

・個人旅行率 74% 

インドネシア

◎ 2014 年 3 月に JNTO( 日本政府観光局)のジャカルタ事務所が新しく開設されて以来、訪

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日プロモーションを積極的に強化。全 ASEAN 諸国中最大の人口を擁する一大市場。イス ラム教徒が全体の 9 割近くを占めているため、食習慣への対応が必須。宗教的制限がマレー シアよりは比較的緩い。

・PR ポイント:買い物、おしゃべり 

・触れてはいけない部分:イスラム教徒とキリスト教、民族と金、政治

・SNS のビジネス活用法:Twitter 中心。

・初回訪問率 45%

・個人旅行率 81%

ベトナム

◎価格志向が全体的に強いが 20 代 30 代の消費意欲は強い。お土産は「メイドインジャパン」

へこだわる傾向がある。ゴールデンルート ( 東京~大阪間)が中心。

・PR ポイント:メイドインジャパン 

・触れてはいけない部分:ハノイとサイゴンとの比較

・SNS のビジネス活用法:直接の消費者コミュニケーションツール。動画。キャンペーン を定期的に展開。

・初回訪問率 50% 高い

・個人旅行率 77%

フィリピン

◎ ASEAN 諸国中第 2 の人口。平均年齢は最も若い。東京ディズニーリゾートが人気。家族に 会いに来ることが第 1 の目的で訪日する人も多い。

・PR ポイント:個人、家族 

・触れてはいけない部分:プライドを傷つけること、特に個人と家族のプライド

・SNS のビジネス活用法:オープンなコミュニケーションツール、子供・家族向けキャンペー ンや商品の宣伝。

・初回訪問率 32%       

・個人旅行率 87% 高い           

次に ASEAN からの年間訪問人数が毎年増加していることから、成功国と言われる隣国「韓 国」について、楠智也・三浦祐介・宮嶋貴之(みずほ総合研究所)「ASEAN 観光客誘致政策 の日韓比較」からその原因、日本との差異を見ていく。以下の表を見て分かるように、韓国 は日本と地理的に近く、環境条件がほぼ同じであるにも関わらず、ASEAN からの訪問人数 は 6 カ国全てで日本を上回っている。その理由について楠、三浦、宮嶋氏が挙げているのは、

参照

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