[資料] ヴァッハ『ドイツ民事訴訟法綱要・序説・
第一章』邦訳(一)
その他のタイトル [Material] Adolf Wach, Handbuch des Deutschen Civilprozessrechts, Erster Band, Einleitung, Erstes Kapitel: Ubersetzung (1)
著者 岡 徹
雑誌名 關西大學法學論集
巻 49
号 5
ページ 806‑824
発行年 1999‑12‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/00024464
11回<(<OK)
〔駕葉〕
谷~0く『~~0咀憾苗溢悉睫取・性器・踪l憐』報~(1)
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ti }L‑社'AdolfWach, Handbuch des Deutschen Civilprozessrechts, Erster Band, Leipzig, 1885 (怜螂迂SystematischesHandbuch der
Deutschen Rechtswissenschaft縦枷QI車A.1...l¥J字にゃぶ‑i‑!)Q峯思Q話~Q[]J怜晦峯や母心゜
怜枷廷'Einleitung,Erstes Buch, Zweites Buch Qlll垢中全ふ~s:-'1-\-'QEinleitung廷~Qlll煽全ふ姪巾゜
Erstes Kapitel. Der Begriff des Civilprozesses.
§1. Die Prozessordnung und der Prozesszweck [S. 3‑S. 12]
§2. Gegenstand des Civilprozesses [S. 12‑S. 24]
§3. Der Prozess als Rechtsgang [S. 24‑S. 34]
§4. Der Civilprozess als Rechtsverhiiltniss. Rechtsverhiiitnisse im Civilprozess [S. 34‑S. 39]
§5. Die Prozessarten [S. 40‑S. 46]
Zweites Kapitel. Die Abgrenzung des Civilprozesses gegeniiber verwandten Rechtsbildungen und seine Stellung im Rechtssystem.
§6. Die Handlungen der sogen. freiwilligen Gerichtsbarkeit. [S. 47‑S. 64]
§7. Das Schiedsverfahren. [S. 64‑S. 77]
§8. Zivilprozesssachhe und Administrativsache. [S. 77‑S. 113]
§9. Die Stellung des Prozessrechts im Rechtssystem. —Privatrcht und Prozess. [S. 114‑129]
Drittes Kapitel
ヴァッハ﹃ドイツ民事訴訟法綱要・序説・第一章﹄邦訳 抽象的な・仮説的に規律する意思としての法律︑規律された生活事象としての事実︑法律と事実から生じる法律関係としての
法律効果は、民事訴訟に適用される•最初の準備的考察の対象となるぺき三つの概念である。それは、訴訟法律(訴訟規定)とし
ての︑訴訟事実としての︑訴訟関係としての︑民事訴訟を題目とする︒
(1 )
民事訴訟︑民事の手続は︑国家の民事司法の・法律により規律された形式である︒職務を行う国家機関は民事の裁判所である︒
民事司法は、それによる私権の保護の付与である。民事訴訟は、それゆえ、客観的私権の•そのもとにある生活関係との関わりで
の私法的利益保護の目的のための裁判上の実現の形式である︒
訴訟規定は権利保護規定であり︑またそれ自体二次的形成物で︑私権確証という目的のための手段である︒法が存在するのみな
§ 1
第一章
§10•
Qu el le n [ S.
129 ,
S.
1
68 ] I . Re ic hs r
g h
t [ S.
129 ,
15 9]
a . Vo rg es ch ic ht e [ S.
129
, 1
50 ]
§11.
b•
Di e Civilprozessordnung
[ S.
151
, S .
1
55 ]
§12.
c . Re ic hs g
g
e tz e u a ss er ha lb de r Civilprozessordnung
[ S.
155 ,
s .
15 9]
§13.
I I. La nd es re ch t [ S.
159
, s .
16 8]
§14.
Wi ss
g
s ch a f t u nd Pr ax is de s Civilprozesses
[ S.
169
, s .
18 2]
この
日本
語訳
は︑
§
1か
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§
5を
対象
とす
る︒
アー
ドル
フ・
ヴァ
ッハ
の生
涯に
つい
ては
︑法
学論
叢第
一
0三
巻五
号八
三頁
以下
を参
照せ
よ︒
民事訴訟の概念
訴訟規定と訴訟目的
ニ四
九
︵ 八 0
七 ︶
当さ
せる
︒
第 四 九 巻 第 五 号
︵ 八 0
八 ︶
らず妥当するために︑訴訟は存在しなければならない︒そこにおいて︑国家は法に矛盾する挙動に対して︑権利追行に服させると
いう強制を通じて︑判決における権威ある・裁判官による確定︵権利の肯定︑非権利の否定︶を通じて︑執行を通じて︑権利を妥
(2 )
すなわち︑訴訟は強制規定である︒そこにおいては︑意識的なあるいは無意識な︑有責にあるいは責任なしに反対する意思を主
張し確証する権利の潜在力が活動する︒私法の領域における自助の原則的排除は︑国家助力の︑危機に立った私権の利益のための
私法規定は個人の利益の規定となるだろう︒それは個々人の支配領域をその相互関係において規律する︒したがって私権の保
護は︑たとえ国家を通じてであるにせよ︑権限があり利害関係がある主体としてのそれのためではない︒訴訟目的の・よくある主
( 3)
観的な規定はこれに基づいており︑またそこからそこから導かれた・訴訟の定義がそうである︒ひとびとはそれを︑私権・侵害さ
れた私権·私権の請求権の、主張の•あるいは確定の・実現の手続と呼ぶが、これは―つの概念規定であって、それのローマの根
(4 )
源は容易に認識できない︒それはいろいろな点でわれわれの今日の法には不適当である︒
︑︑
︑︑
訴訟目的を主観的に把握することは不適切である︒それは個々の訴訟主体によって︑とくに原告によって追求された目的ではな
い︒訴えの目的は訴訟目的ではない︒前者は対象を規定するのであって︑訴訟の目的を規定するのではない︒訴訟においては︑た
がいにぶつかりあう利益が対立する︒すなわち原告の・主張された権利保護の利益と被告のそれである︒訴訟は攻撃と防御に︑権
利の措定と否定に奉仕する︒このことは︑訴訟の・訴えの申し立てと排斥の申し立てという対立に基づく相容れない性質のなかに︑
(5 )
また︑訴えの申し立てについての判決だけでなく︑排斥の申し立てについてのそれでもある既判力ある判断のなかに︑示される︒
また︑主観的訴訟目的のこの相反性は︑それに内在する相対性によって侵害されもしない︒たしかに防御の目的は︑攻撃の目的を
顧慮してのみ存在し︑そしてそれと一致する︒しかし防御の目的は攻撃の目的に矛盾する目的である︒当事者目的の葛藤は︑訴訟 訴訟上の権利保護の付与と連携している︒ 関法
二五
0
ヴァッハ﹃ドイツ民事訴訟法綱要・序説・第一章﹄邦訳(‑)
二五
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑1訴訟は権利保護規定である︒訴訟は客観的法を創造するのではなく︑権利を確証する︒判決は法律ではなく︑法律の適用で い︒この命題の証明は以下の章に保留しておく︒
︑︑
︑︑
︑
を基礎づける当事者行為としての権利の主張の許容の必要性に根ざす︒いずれの主張が基礎づけられているかが訴訟の問題である︒
両者の一っが存在しうる︒ここから次のことが導かれる︒すなわち︑ーつの当事者目的のみが権利に実際に対応し︑また権利保護
について資格があるということ︑つまり︱つの当事者利益のみが真の権利保護利益であるということである︒また︑訴訟目的は常
に同一であり︑裁判権の行使による正当性の確保である︒それは︑訴えの却下によっても棄却によっても等しく満足させられる︒
すなわち︑当事者目的がこの客観的訴訟目的と一致する限りでのみ︑それは当事者目的である︒
この一致は次のことによっても回復されえない︒すなわち︑人々が訴え︑ないしは防御の申し立てに利己的で主観的な性格を認
めず、その中に客観的な裁判上の判断ー_—それが肯定的であれ否定的であれーを招来しようとする意思の表示を見いだすことに
よってである︒そのようなとらわれのなさが訴訟の現実の動機でありうるということは争われないだろうが︑それが意思の重要な
表示の内容であるということは決してない︒当事者は︑決して判断だけを要求するのではなく︑自分に有利な判断を要求する︒す
なわち︑訴訟目的と当事者目的は注意深く区別されるぺきである︒前者はたんに判決ないし執行につきるものであるが︑当事者目
的は当事者に有利な判決および場合によってはその執行にのみつきるのである︒訴訟学の構成は主観的な目的決定の上にではなく︑
客観的なそれの上になされるぺきである︒
︑︑
︑︑
︑︑
特別な関係においてなお不当であるのは︑私権の請求権の実現の形式としての訴訟の定義である︒それによると︑実現に向けら
れた民事の請求権が︑訴えおよび訴訟の対象であるとされる︒しかし︑原告のそのような請求権は︑必然的に︑そのいずれでもな
訴訟目的は︑その解決の手段と形式を判決および執行の中に見いだす︒したがって︑その異なった把握は︑概念規定の中へと
持ち込まれる︒
0︵ 八
九 ︶
2
第 四 九 巻 第 五 号
二五二
︵ 八 一
0)
ある︒具体的な権利の状態は客観的な法の基準により認識され︑効力を持つに至ることが重要であって︑新しい客観的な法をそれ
(6 )
に与えることが重要なのではない︒これに対立するのが︑判決は法律であり︑特別な法律
le x s p e ci a l is
であるという見解である︒
さらに人々は誤って︑法律に似た効果から法律の原因を推論する︒同一の効果は同一の原因への逆推論を正当化しない︒拘束力は
法律にと同じく判決にも備わっているが︑しかし︑そのような拘束力のあるところどこにでも法律があるのではない︒そうでなけ
れば︑法律行為︑仲裁裁定もまた法律になるであろうし︑また︑先に定められたものの拘束力あるあらゆる命令が法律である︒さ
らに︑効果は法律に類似しているにすぎず︑法律と同じではない︒もし法律と同じであるとするならば︑判決は︑その特別な規範
化において全面的に承認されねばならないことになるであろう︒しかし実際には︑その承認は︑判決が下されたところの人にのみ
制限される
( re s iu di ca ta iu s fa c i t i n te r part es
[既判物は当事者の間に法を作るる訳者])︒さらに人々は︑国家の宣言としての判
決の性質から法律の特質を引き出すことにより誤る︒われわれの国家の法は︑国家の法律適用と立法を鋭く区別し︑そしてこの区
別に基づいて裁判所構成全体を︑司法の独立の原則を基礎づける︒人々は︑最後に︑個別的に適用されるべきで結合によって獲得
されるぺき規範の新しさから裁判官の法創造活動を推論することによって誤る︒裁判官はここでもまた︑事実への適用のなかで客
観的法から具体的な規範を創造する︒なぜなら︑事実は個々的な関連のないもろもろのなかにあるのではなく︑それらの結合と一
体性のなかにあるからである︒したがって︑裁判官の活動は︑しばしば非常に複雑な︑具体的な包摂・推論および仲裁的確定と結
(7 )
びついた解釈者のそれであって︑決して立法者のそれではない︒︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
︑︑︑︑︑︑︑︑︑
訴訟は︑権利︵主観的法︶を創造するという目的ではなくて︑権利を保護するという目的を持つ︒客観的法の確証は常に具
体的な生活関係への適用においてのみ考えうる︒それのすでにある形態は侵害に対して保持されるべきであり︑法的に新たに形成
されるべきではない︒訴訟の目的は︑人々がそれの概念をどのように把握するにせよ︑法創造的なものではない︒なぜなら︑民事
(8 )
の法律行為にとっては︑︵客観的法から導かれた︶法創造的な力は︑個々の意思に属するからである︒そのような法律行為の意思
は︑上の議論からして︑訴訟においては実現されえない︒なぜなら︑意図されていることは法生産の反対物だからである︒たしか 関法
ら ︑ い︒訴訟における判決は︑その真実のゆえに︑専門知識の流出物としてではなく︑その権威的特質の結果︑職権の流出物として︑
( 11 )
国家権力を拘束する︒
︑︑
︑︑
︑︑
︑
︑︑
︑︑
︑︑
︑
さらに︑訴訟の目的および本質は︑誤って︑判決にかなった︑4
ヴァッハ『ドイツ民事訴訟法綱要・序説•第一章』邦訳(一) 一方では︑これが行為の目的と内容を形成するところではどこでも訴訟が存在するとはかぎらず︑他方では︑それが目的を形 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ヽ
( 12 )
つまり取り消しできない・法の定式化に求められる︒なぜな 3 に判決には一種の法律行為の効果が付着している︒権利を肯定する既判力ある判決は︑その拘束力のゆえに︑権利を創設し・義務づけを行う事実でさえある︒しかしその効果は︑その拘束力がそれを法律へと高めるようには︑法律行為には決してない︒その理念によれば︑判決は︑すでに存在する権利を承認するがゆえにのみ権利創造の働きをする︒そしてこの思考は︑承認された権利の日付および内容にとって︑限界領域に対する訴訟上の領域の関係にとって︑実務上非常に大きな重要性をもつ︵後出§6を見よ︶︒
︑︑
︑︑
訴訟は︑私法上の意味においても訴訟法上の意味においても︑決して法律行為ではない︒それが訴訟上の法律行為でありえない
のは︑それ自体が目的ではなくて︑私権確証の目的のための手段にすぎないからである︒それは意思活動それをこえて存在す
る訴訟上の法効果を狙うーであると考えられることはできない︒それを基礎づけることが訴訟の課題であろうような・主観的訴
(9 )
訟的権利は決して存在しない︒すなわち︑訴訟上の法律行為としての訴訟の概念は内的矛盾である︒法律行為1私法的であれ訴
( 10 )
訟的であれーは訴訟のなかに存在するということ︑および訴訟的法律行為︑すなわちもっぱら訴訟的法効果を狙った法律行為は
訴訟の外に存在するということ︑この帰結において誤ってはならない︒︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑訴訟の目的は︑理論的なものではなくて︑実際的なものである︒客観的法および主観的権利の﹁認識﹂・﹁確定﹂ではなく︑
権威ある確認ないしは執行を通じての権利の確証が追求される︒裁判所は法律の口であり︑法律の﹁代弁者﹂ではない︒抽象的に
表明された意思は︑判決において具体的に表現される︒したがって︑その内容は意思の表現︑法律の意思の表現でなければならな
成しないところに訴訟が存在するからである︒法律行為的活動は︑そのような取り消されえない定式化を目的とし︑また獲得する
ことができる︒たとえば︑仲裁契約や︑それに基づv
re ce pt um r b a i tr i
[仲裁人の受容る訳者]および合意によって規律された仲
二 五 ︱ ︱
︱
︵八
︱‑
︶
第四九巻第五号
︵八
︱二
︶
裁手続がそうであり︵後出
§
7を見よ︶︑また非訟事件の行為がそうである
(§
6)
︒訴訟は︑取り消されえない法の定式化を目指
すのではまったくない︒それは︑執行的︵いわゆる略式的︶訴訟の種類の形態においてそうせず︑破産手続においてそうせず︑執
( 13 )
︵1 4 )
行の判決を求める訴えの場合に︑あるいは執行文の付与を求める訴えの場合にそうしない︒ここで追求されているのは︑執行で
つにすぎないからである︒それは︑いわゆる﹁確認﹂︵有責判決との対立における︶が訴えの目的である場合︑ありうるかもしれ
ない成果としてさえ脱落する︒それは︑訴えを斥けることが客観的訴訟目的に対応する場合に脱落し︑また有責判決の場合ににお
( 1 5 )
いてもまた︑事情によっては可能な目的にすぎない︒給付の訴えにとっては︑それはそれ自体として内在し︑訴えが裁判官によ
る・望まれた状態を招来する行為に直接的に向けられている場合には第一のものとして内在する︵後出四1
を見
よ︶
︒
訴訟目的︑法の規定にかなった具体的な私権の確証︑が満たされるのは︑
1訴訟対象を形成する法律関係の︑裁判官による・権威ある確認︑判決によってである︒それは︑当事者が判決の保護を求め
る方向によって︑狭義の確認︵確認判決︶にすぎないニすなわち︑将来のもの︑状態の変更およびそのようなものを狙った・判決
︑︑
︑︑
による権利の肯定あるいはその否定ではない︒あるいは︑それは有責判決であり︑ある給付・行為・受忍・不作為の︑債務名義を
付与する命令であり︑権利を状態の直接的で強制的な変更へ基礎づける判決である︒あるいは︑最後に︑請求された結果を執行行
為なしに既判力の発生をもって直ちに確立する言い渡しである︒最後のものは︑事実の変更ではなくもっぱら権利の規範化が問題
である場合であって︑たとえば次のものがそれである︒すなわち︑合意の追補︑権利関係の取り消し︑解放︑仲裁判決の取り消し
(CPO§867.
87 0)
︑離婚︑たとえば
RG
es
v .
4.
J u l
i 1868§35
によ
る組
合の
解散
︑
RB
an
kg
es
.v .
14
M a r z
による権利1875§49. 50
( 1 6 )
の剥奪がそれである︒意思の表示への義務づけを言い渡す判決(CPO§779)には執行の措置は決して必要でない︒明らかに執行
四 最後に︑訴訟の目的を執行の強制に絹入させようとするなら︑それは誤っているであろう︒なぜなら︑これはその目的の5 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ あって終局的判決ではない︒ 関法
二五
四
確認判決である︒
︑︑
︑︑
︑ 執行の措置によってである︒これは判決だけに役立つのみならず︑いわんや既判力ある判決だけに役立つのみならず︑いわ ゆる債務名義のあらゆるものに役立つ︒それは仮の措置として︑保全の措置として︑仮差押えおよび仮処分の形式で役立つ︒
(l
) 用語
1
• a .
ローマ法のそれ二訴訟として︑
iu di ci um
! i s , , i ur gi um , d i sc e p ta t i o, causa
, n eg ot iu m q uo d i u di c i o c o nt r a hi t u r, or do ju di ci or um
: 当事者の行為として︑
co nt en de re , di sc ep ta re , agere
, ap pe ll ar e, po s t ul a r e,
など︒裁判官のそれとして︑
co gn os ce re , a ud ir e, ex am in ar e,
expedire~
ど︒ーー│
b .
カノン辻i
のそれ~ローマ法の用語のほかに闊進行する手続の表示のた
めに
pr oc ed er eおよび
pr oc es su s c .
X
de sc r i pt i I 3 s ;
c . 18
X
de of f . i u d . o rd .
I
31 ; c . 1 9. 20
X
de iu d i c. I I 1 ; c .
1 1
X
de pr ob at . I I 1
9さらにしばしば
5
0r
do iu d i ci a r iu s c.
1 X
ut i t l
e n
on o n c t . I I
6 ;
c .
2
i n C le m. de V 11•生J説は、既に早くか
ら
pr oc es
という表現をs
(p ro ce ss us i ud i c ii と結合してにおいてのみならず︶今日の意味で用いる
(T an cr ed , Or do iu d
i ,
c ia r i us c . a . 12 16 in B er gm an n, Pi l l ii , T an cr ed i e Gt ra ti ae li b r i de iu di ci or um or d i ne . G ot ti ng ae 1 8 4 2. S1 53 ff
. ;
Bo na gu id a, S日nma
su p. f f o . a dv . c . a . 12 47 e r h
. v
on u W nd er li ch , A ne cd ot a S l5 2) :
;:
,︑
絵か
々に
そ
J七
がを
ロー
マの
田宰
語に
偲定
尤さ
せた
︒
(2
)
これについて︑
Gr ti nh ut
VI
53
8における私の論文を参照せよ︒
(3
)
とくに
Ba ye r, Vo rt ra ge
§1
; W et ze ll
, CP
S2
; E nd em an n, Da s d eu ts ch e CPR§1; v .
Ca ns te in , L eh rb . d . o s t er r . C P§ 1.
(4
)
P r. I ns t . d e a c t.
IV 6
: ac ti o a ut em i h n i l a li ud es t qu
am u s i pe rs eq ue nd i i u di c i o, q uo d s i bi de be tu r.
(5
) たしかに︑訴訟はそれがなくても存在しうる︒たとえば︑被告が訴えの請求を認諾する場合がそうである︒
(6
) もし裁判官が立法者であるとするならば︑その意思表示の﹁真正な﹂解釈を彼に拒むことはできないというのが首尾一
貫しているだろう︒
R G I I CS
vom 4.
J u l i 18 82
(E
I V I 35 3) の判決は︑判決を法律であるとはみなさない︒もっとも︑それ は彼の解釈を︑それが﹁形式的な法﹂を創るものであるという理由で
1法律行為の解釈とは反対にーー'取り消しうるもの 2
ヴァッハ﹃ドイツ民事訴訟法網要・序説・第一章﹄邦訳
二五五
にふみこむのは︑有責であるとする判決それが執行条項を命じ︑あるいは仮の執行可能性を言い渡し︑あるいは
CPO§775
Ab
s 2
による刑罰を付ける限りでである︒有責であるとするあらゆる判決は︑それが既判力を有する限りで︑黙示的に執行の ( 17 ) 命令を含む︒確認判決は確認の訴えの帰結でありうるのみならず︑給付の訴えのそれでもありうる︒これを斥ける本案判決は常に
︵八
一三
︶
関法 第四九巻第五号 であると説明しているのではあるが︒私の考えによれば︑判断理由が見落とされている︒それは︑司法行為としての判決の
性質のなかにある︒
(7
) 法律は彼を支配する意思であって彼により支配される意思ではない︒すなわち︑法の規定を具体化するために共働する意 思は立法者のそれと対立させられており、また彼に付与された処分する力は立法者のものとは質的に異なり•もっぱら敷術
するものとして考えられるぺきである︒1
最近この具体的な法の規範化について詳細に論じたのは
B臣owで
(C
ALX
I I
93 Anm
7 2 ,
LX
IV
l f f .
同Aの
Le
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Pr o
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un
d Prozessvoraussetzungen•
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18 68 . S 3 Anm 3
‑ , . i
ま
た参照せよ︶あり︑しかも私の見るところでは︑上に述べたところと本質的に一致しており︵たとえば
LX
IV
17
Anm 9
を参照せよ︶︑またこれまでの一般的見解と一致する︒この点においておそらくまた誤ってはならないのが︑それと対立関 係に立つように思われ、また、一種の演繹された裁判官の•あるいは個々人の立法者的権力の承認へと導く見解である。た
とえ
ば︑
Bu
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a .
0 . が多くのその他の者と同じく
l ex
s pe c
i al e
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の一っとしての判決について語るとき︑
彼が
CA
LX
I I
93 Anm
7 2
で﹁当局は生き生きと規律する法であり︑法律は沈黙する当局である﹂という格言を裁判官に 関連づけるとき︑具体的な法律関係を生じさせるのを助ける個人あるいは裁判官の個別的な意思を︑客観的法の・権能を与
えられた補助機関であると考える
( I V
CA
LX
88
££ . 9 2.
108
をも参照せよ︶とき︑がそれである︒客観的法は﹁具体的な法 の規範﹂において補充され発展させられず︑裁判官あるいは個人の意志の中で︑彼に内在する・立法者として承認された立
︑︑︑︑︑︑︑︑
法権能が表明されるのではなく、すでに存在する法が、彼によって扱われた事例に対してー~実の回復によるにせよ、彼
︑︑
︑︑
の判断する・法律への包摂を通じてであれーー適用される︒﹁客観的で抽象的な法﹂としての慣習法が︑実務の・﹁具体的な 法の規範化﹂の源へと還元されるとするならば
(B
ul
ow
CA ,
LX
IV
8
4£
£.
)︑そのことにより経験的に客観的法の成り行き
が言い表されているのであって︵後出
§1
を参照せよ︶︑反対に︑狭義の4
l ex
s p e c
i a l i
としての判決の性質については何もs
︑︑
︑︑
語られていない︒われわれはドグマーティクの内部においては︑経験的で・効果から抽象化された概念ではなく︑事物の理
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
念に︑その本質に適合する︑いわゆる形而上的概念︵
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Lt ,
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27 1.
41
f f .
を参照せよ︶を追求する︒両者の考察方
法の混乱は︑決してまれではない・論争と誤解を生じさせる誤りである︒さらに︑訴訟の﹁形而上的﹂概念は︑あらゆる判
決にあって法の適用であり︑法の創造︑﹁法の自由な生産﹂
(C
LX A
I I
94 )
ではない︒判決は理念上は後者ではなく前者の
み狙い︑また常に後者ではなく前者のみを狙っていたし︑そして︑常に後者のみのその力と正統性をその目的決定から奪っ
二五六
︵八
一四
︶
ヴァッハ『ドイツ民事訴訟法綱要・序説•第一章』邦訳
二五
九
Ge sc h. d. de ut sc he n Re ch ts qu el le n
I
2 77 f f . 6 29 f f . I I 6 3f f
. ;
S to l z e! , E nt wi ck lu ng e d s ge le hr te n R ic ht er tu ms . S ut tt ga rt 1 8 7 2. Sl 87
, 2
31
; S ee ge r, i D e s tr af re ch tl ic he n c o nc i l ia T ub in ge ns ia . T ub in g. 1 87 7; v . S t i nt z i ng , G es ch . d er de ut sc he n R ec ht sw is
‑ se ns ch af t. Mi in ch en 1880.
I
6 4f .
; S ch ul ze , P r iv a t r.
S
2 8f f . 1 2 7 ff . 193ff·シJ4参昭~壮)ト6)奎百痣病の半qi日の中Fし古iておよ判”決へのU 裁 判 官 の 拘 束 こ れ は 既 に 中 世 イ タ リ ア の 制 度 で あ る が 助 言 人 へ の ma nd at um i ur s d ic t i oi s る訳者][裁判権の委任 ゃ﹁制限された裁判権﹂を創出したことはない︒それは︑裁判官がいかに彼の裁判権を行使すべきかについての︱つの原則
にすぎない︒彼は︑﹁返ってきた・法学者の助言によって﹂︑
pr eh ab it at o c on s
i li o︑判決する︒﹁法をなす﹂のではなく﹁助
言をなす﹂のは︑事物の本質である︒異なるのは︑
Bu lo w,
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LX
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である芦吝
hu lz e a . 0•およびZ
f . CP
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1 72 f f .
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i st e n fa k u lt i i t H al le
を参
照せ
よ︒
( 1 2 )
Sc hu lz e, a D s d eu ts ch e K on ku rs re ch t S l4 7f f. ;
﹁ 臣
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デ苛
町部
叫の
太平
咽界
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ただ
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︑法
律
E関係の︑あるいはー制限
された範囲において~律的に重要な事実さえもの、形式的な・確定力ある確定において、具体的権利の取り消されえな
い定式化において・・・・・・基づく﹂︒訴訟裁判権と非訟裁判権の区別についての容易ならざることは︑とりわけ
ECPO§3.
1 4.
から明らかとなる︒
( 1 3 )
CPO§66 0
6 •
61 . 8 68 .
これらは実質的に確定力ある判断を直ちに目的としない︒請求権は既判力をもって確定する
(e xc ep ti o r e i iu di ca ta e [!lll判F曲初の抗弁~訳者])05国家の執行機関への国家の命令の力をそれに与えることが重要である。
後出
§1 9を
見よ
︒ (14)それは権利の既判力ある定式化のみならず︑執行の命令を目的とする︒
( 1 5 )
La ba nd , S ta at sr ec ht de s D eu ts ch en Re ic sh . Tu bi ng . 1 88 0.
I I I
2 3 f f ・
は︑おそらくこれを十分に評価していない︒﹁執行へ
の見込み﹂と﹁強制﹂の彼の同一視lことに﹁確認判決﹂
(C PO
§2 31 ,a .
0 .
S
25 r A nn 3)
との関係における│ー'は︑私
には明瞭でない︒別の意味で彼に反対するのは︑N
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43
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( 1 6 )
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( 1 7 )
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0 . はである︒不十分
︵八
一七
︶