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I 平城宮の調査

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(1)

平城宮の調査

1 1993年

 

平城宮跡発掘調査一覧 (*は巻末表11に概要掲載)

1 1993年度平城宮内発掘調査位置図 1:10000

調査次数 調 査 地 区 地区名 面積

m

調 査 期 間 調査担当者   239

241 243 244 245‑1 245‑2

*242‑2 242‑4

*242‑10 242‑13

馬寮東方地区 造酒司 東院 馬寮東方地区 東院

東院庭園・ 東面大垣 平城宮内

内膳司

平城宮東辺(東二坊々間路)

平城宮東辺(東二坊々間路)

6ACP

6AAD,6ALP 6ALF16ALS

6ACP

6ALF 16ALS

6ALF 6ABN 6AAB 6ALD

6ALB・6AFC

560 2,200 3,500 110 1,000 620 21 82 20 75

4. 1‑ 4.28 4. 1‑ 6.30 6.14‑12.15 12. 1‑12.21 10, 1〜  3. 3

1.10‑ 3.17 4.12‑ 4.15

5。10‑ 5.20 10.19‑10.20 12. 9‑12.10

中村

 

慎一 浅川

 

滋男 玉田

 

芳英 舘野

 

和己 山岸

 

常人 日杵

  

勲 寺崎

 

保広 寺崎

 

保広 毛利光俊彦 渡辺

 

晃宏

橋本

 

和信宅

川崎兼市郎宅 河川改修

3 11 24 9 24 51 102 58 102 59

(2)

馬 寮 東 方 地 区 の調 査

(1)

第 239次

は じめ に

この調 査 区 は馬 寮 地 区 と第 一 次 大 極 殿 地 区 との間 に あ り、 佐 紀 池 の西 南 方 に位 置 す る。 周 囲 の既 発 掘 区 と して は、 南 隣 に接 して 第 37次 調 査 区 、 東 側 に

7mほ

ど 離 れ て 第 194次 調 査 区 、 西 側 に

40mほ

ど離 れ て 第52・ 63次 両 調 査 区 、 そ の 東 に 小 規 模 な第 191‑13次 調 査 区 が あ る。 これ ら先 行 調 査 の結 果 、 この 地 区 に 築 地 塀 と掘 立 柱 塀 で 囲 ま れ た一 郭 が存 在 す る こ とが 判 明 して い る。 馬 寮 の東 方 に位 置 す る と

こ ろ か ら、 か りに馬 寮 東 方 地 区 と呼 ん で い る。

  

SB14750 

発 掘 区 北 端 で検 出 した東 西 棟 礎 石 建 物 で あ る。 礎 石 は も と よ り、 基 壇 土 も ほ とん ど残 らず 、 地 山面 で 側 柱 筋・ 入 側 柱 筋・ 東 妻 柱 筋 に相 当 す る位 置 に掘 られ た布 掘 り状 の地 業 の み を検 出 した。 各 地 業 の 幅 は約1.8m、 深 さ約 0.2m。 側 柱 筋 と入 側 柱 筋 の地 業 間 隔 は、 南 縁 間 で 約3.Om。 入 側 柱 筋 の地 業 は 、 妻 柱 筋 の 地 業 と連 結 す る こ とか ら東 に は廂 が 付 か な い こ とが分 か る。 地 業 掘 形 埋 土 に は、

版 築 痕 跡 は認 め られ ず 、 掘 りあ げ た土 を そ の ま ま埋 戻 した如 く締 りの な い 土 質 で あ るが 、 こぶ し大 の河 原 石 を多 量 に含 む。 特 に側 柱 筋 で は、 径

lm程

の範 囲 に根 石 風 に河 原 石 の集 中 す る部 分 が 、

5箇

所 確 認 さ れ 、 そ れ ら は ほ ぼ

4.2m(14尺

)

間 隔 で 東 西 に並 ぶ 。 この川 原 石 集 中 部 は、 薄 い基 壇 上 で覆 わ れ 、 ま た掘 形 を 伴 わ な い。 したが って、 第 194次 調 査 で 検 出 したSB5300の基 礎 工 法 と 同 様 に 、 掘 形 に 上 を入 れ な が ら柱 予 定 位 置 付 近 に川 原 石 を集 め、 そ の上 に基 壇 を築 き、 礎 石 据 付 穴 を 掘 り、 根 石 を入 れ礎 石 を据 え 付 け た̲と み るべ きで あ ろ う。 そ うす る とSB14750 の規 模 は、 桁 行 柱 間14尺

5間

以 上 、廂 の間10尺に復元 可能 で あ り、前 述 のSB5300 の柱 間寸 法 と一 致 す る。 馬 寮 東 方 地 区 に お いて は、 第191‑13次調 査 や 後 述 の第244 次 調 査 に お い て も、SB14750、 8B5300と 同 じ工 法 の礎 石 建 物 が 検 出 さ れ て お り、

そ の 中 で もSB14750は、 中心 的 な位 置 を 占 め、 正 殿 と考 え られ る建 物 で あ り、 恐 ら く北 に も廂 が付 く と推 定 され る。

(3)

915

Y‑18910

1

45

│         │         │         │         │

第239次 調 査遺構 図 1:200

SA15769 

発 掘 区 の東 端 近 くを南 北 に伸 び る塀 。 径30cm、 深 さ40cmほ ど の 柱 穴 3 個 を検 出 した。 発 掘 区 中央 の東 西 畔 下 に さ らに も う一 つ が 想 定 され る。 柱 間 寸 法 は12尺 等 間。

SD 15768 旧流 路SX15769上の溝 。 埋 土 中 に土 器 片・ 瓦 片 な ど を含 む 。SX15769が 埋 没 す る過 程 で 、 そ の窪 み を利 用 した もの か、 新 た に掘 削 した もの か は不 明 。

他 の遺 構 と して は、 多 数 の南 北 溝 (そ の多 くは中・ 近 世 の耕 作 に関 わ る もの と 思 わ れ る)、 土 坑 、 穴 な どが あ るが 、 建 物 と して ま と ま る もの はな い。

‑4‑

(4)

遺 物

注 目す べ き遺 物 と して、 黄 釉小 塔 部 品 (後

)が

あ る。他 に若干 の瓦片・ 土器 片 な どが 出土 した。

瓦 と して特 筆 す べ き は平 城宮 鬼 瓦 Ⅵ式

B(後

)の

出土 で あ る。 これ まで に第 22次調 査 で

1点

の出土 を見 るのみで あ る。 またそれ と同時 に、新型式 か と思 わ れ る軒丸瓦 が

1点

出土 して い る。他 の軒 瓦 は出土 点 数 が僅 少 で、 時期決 定 の材 料 と して は貧 弱 で あ るが、軒丸 瓦・ 軒平 瓦 の組 み合 わ せ は第194次調 査 出土 品 と基 本 的 に同 じで あ る と言 え る。

(1)小

塔 部 品 (図

3)

(中村 慎 ―)

小 塔 部 品 で あ る黄 釉六 角屋蓋 片 は、 東 西 棟 礎 石建 物 8B14750の 東 妻 近 辺 の瓦 堆 積 層 か ら 出土 した。 隅部 は

1箇

所 しか残 存 しな いが、

六 角形 の基部 とその各 角 か ら延 び る下 り棟 や 垂木 の表現 か ら、 一 辺2.9〜 3.Oom、 高 さ1.5cm

の正六角形屋 蓋 に復元 で きる。屋根 の各 辺 は や や内湾 し、 隅 に向か って反 り上 が る。 突 線 で表現 す る下 り棟 も、軒先 に向か って反 りを 持 つ。 屋 根 部 の釉下 に は瓦列 を表 した と思 わ れ る軒先 に直交 す る針書 き線 が部分 的 に観 察 され る。上部六 角基部 の中央 に は心柱 を通 す 径0.4cmの孔 を穿 ち、 そ の脇 に は素 地 焼 成 前 に針 で「五」 と刻 む。五層 目を表すのだろ う。

下面 に もや は り六 角形 基 部 (塔

)と

そ れ

と相似形 を なす三 段 の造 り出 しを創 出 し垂 木 を表現 す る。各造 り出 しの角 は隅 に向か って 反 りを持 つ。

釉 は全面 に施 され、 上 面 は黄 褐 〜 暗黄 褐 色 図

黄釉六角屋蓋復元図 1:1

(5)

に、 下 面 は明 黄 褐 色 に発 色 し、 下 面 の基 部 と第 一 段 目の境 に は三 叉 トチ ンの 目跡 を と ど め る。

類 例 は、 従 前 知 られ て い た伝 岡 山市 神 力 寺 跡 出土 資 料 が 新 しい時 代 の作 と見 ら れ る こ とか ら、 今 の と ころ、 正 倉 院 蔵 の奈 良 三 彩 七 重 小 塔 が 唯 ― の例 で あ り、 資 料 価 値 は言 うま で もな く、 この地 区 の性 格 を考 え る上 で も重 要 な 資 料 と な ろ う。

(巽 淳 一 郎)

(2)平

城 宮 Ⅵ 式 の鬼 瓦 (図

4)

今 回 の第 239次 調 査 で 出土 した鬼 瓦 は平 城 宮 Ⅵ 式

Bで

あ る (1)。 平 城 宮 所 用 の 鬼 瓦 に はI〜Ⅵ 式 が あ り、 そ れ ぞ れ大 型

(A)と

小 型 の もの

(B)が

作 られ た こ とが わ か って い る (毛利 光 俊 彦 「 日本 古 代 の鬼 面 文 鬼 瓦 」『 研 究 論 集 』 Ⅵ 、1980)。 こ の う ち Ⅵ 式 に つ い て は、 この段 階 で は第 22次 南 調 査 区 で Ⅵ 式

Bが 3点 (2個

体 以 上)、 東 院 第 99次 調 査 で Ⅵ 式

Aが 2点

(お そ ら く同一 個 体

)が

出土 して

い る に過 ぎず 、 いず れ も部 分 的 な破 片 で あ って鬼 面 全 体 が わ か るよ うな資 料 はえ られ て い な か った。 今 回 の Ⅵ 式

Bの

破 片 も、 既 に 出上 して い た 部 分 (2)イこ該 当 す る もの で 、 ま だ鬼 面 の部 分 は不 明 で あ る。 しか し、 第 二 次 朝 堂 院 東 第 下 堂 の調 査 (第161次

)で

、 朝 堂 院 東 面 築 地 ふ きん か ら鬼 面 が ほ ぼ 残 るⅥ 式

Aの

破 片 が 出 上 した (3)。 この資 料 は これ まで公 表 して い な か った の で、 この機 会 に紹 介 し、

そ の他 の破 片 を合 わ せ て全 体 を復 元 して お きた い (4)。

平城宮Ⅵ式 の鬼瓦

 1:8

o      20Cm

‑6‑

(6)

大 き く開 い た 日 の両 脇 に は、 上 向 きの巻 毛 を現 わ す が 、 顔 の上 部 で は放 射 状 の 突 線 に な って い る。 日唇 は単 純 な突 線 で 、 そ の外 に飯 を よせ る こ とな く、 ま た眉 は斜 め上 方 に直 線 的 に伸 び、 額 や類 の部 分 は独 立 した 肉 とな る。 上 顎 に は

4本

の 歯 と外 側 に反 る牙 を表 わ す が、 下 顎 下 端 とそ の歯 牙 は表 わ さな い。鬼 面 の表 現 は、

I〜

V式

に比 べ て か な り稚 拙 で退 化 した もの とい え よ う。 な お、 平 城 宮 式 鬼 瓦 に 一般 的 な釘 穴 は な く、 裏 面 に把 手 を作 り出 す もの で もな い。 (岸本 直文)

遺 構 の性 格

第 52次 調 査 お よ び第 63次 調 査 で検 出 され た、 釣 の手 に折 れ る築 地 塀SA6150が こ の一 郭 の西 面 お よ び北 面 を画 す る もので あ る こ と は ほぼ間違 い な い。 問題 とな る の は東 面 お よ び南 面 の 区画 施 設 で あ る。 まず 東 面 につ いて で あ るが、 先 行 諸 調 査 区 内 に お いて 南 北 方 向 の 区 画 施 設 が検 出 され て い な い以 上 、 そ れ は これ まで に未 調 査 の第 194次 調 査 区 以 東 に想 定 す べ きで あ ろ う。 一 方 の南 面 につ いて は、SB5300 を 囲 い込 む もの で あ ろ う こ と、 西 面 築 地 塀 が少 な くと も第 52次 調 査 区 南 端 に ま で は達 して い る こ とか ら考 え て 、 そ の位 置 は第 37次 調 査 区 南 端 近 く、 な い しは そ れ 以 南 に求 め られ よ う。 そ の場 合 、 第 37次 調 査 区 南 端 で検 出 され た

2条

の東 西 掘 立 柱 塀SA5260、 SA5270が注 目 され る。 特 にSA5260は各 柱 穴 の 掘 形 が1.5m×

2mほ

ど あ り、 か つ北 面 築 地 塀 心 との距 離 が約

118m(400尺 )と

完 数 とな る こ と か ら、

この一 郭 の南 面 区画 施 設 で あ った可 能 性 は高 い。 仮 に この一 郭 が正 方 形 の 区画 を もつ もの と して 作 成 した の が 図

5で

あ る。 一 案 と して示 す。

と ころ で、 築 地 塀 と掘 立 柱 塀 とで 囲 ま れ た この一 郭 は、 か つ て 「 西 方 官 衛 」 地 区 と して漠 然 と イ メ ー ジ され て きた。 と こ ろが 、SB5300の 発 見 に よ つて、 こ こが 一 般 的 な官 行 で は な く、 天 皇 が御 して 儀 式 や祝 宴 を催 す 施 設 で あ った可 能 性 が 高 い こ とが 考 え られ るよ うに な った。 そ の具 体 的 な名 称 と して は「 西 池 宮 」 を一 つ の候 補 に挙 げ る こ とが で き よ う。『 続 日本 紀 』 天 平

10(738)年

7月 7日 の 条 に

「 天 皇 、 大 蔵 省 に御 して相 撲 を覧 る。 晩 頭 に転 じて西 池 宮 に御 す 」 と あ り、 西 池 宮 が大 蔵 省 の近 くに あ った可 能 性 が高 く、 か つ 苑 池 を伴 った宮 殿 で あ った こ とが わ か る。 大 蔵 省 の位 置 を宮 北 方 に想 定 し、 現 佐 紀 池 を西 池 とす れ ば、 この一 郭 を

(7)

第 194次 調 査 区 SB 15750

第191‑13次 調 査 区

調

37次調査区

馬寮東方地区区画復元図 1:1000

西 池 宮 と考 え る こと も不 当で はなか ろ う。 ただ し、第63次調 査 で は この一 郭 の北 面築 地 塀 SA6150の 西 端部 分 が検 出 され て お り、 これ が そ の ま ま東 へ 延 び る とす れ ば、西池 と この一郭 はそれ によ って遮 断 され る こととな る。 そ の場合、西池 と 直面 しな い一 郭 を「西池宮」 と称 して いたか ど うかが疑 わ しくな る。 む しろ、 こ の一 郭 の北側、西池 の周辺 に こそそ の所在地 を想定 すべ きか と も思 われ る。 した が って、今後 の佐紀池周辺 の調査 を待 って、 この問題 は解決 され るべ きであろ う。

‑8‑

(中村 慎 ―)

(8)

馬寮東方地区の調査 (2)  

244次

本 調 査 は瓦 収 納 用 の プ レハ ブ建 設 の事 前 調 査 と して行 った もの で 、 宮 西 北 部 の整 備 棟 北 側 に 並 ぶ 遺 物 整 理 プ レハ ブ棟 のす ぐ西側 に位 置 す る。

37・ 52・ 63・ 198‑13・ 194・ 239次 調 査 に よ って 確 認 され て い る、 馬 寮 東 方 に位 置 す る官 衛 域 の 北 端 近 く、 第 239次 調 査 区 の北 約

50mに

あ た る。

調 査 面 積 は東 西5.5m、 南 北

22mの

110∬で あ る。

確 認 さ れ た主 な遺 構 と して は、 礎 石 建 物

1棟

と池 状 落 込 み が あ る。 礎 石 建 物SB01は削 平 に よ り基 壇 の高 ま りは ほ とん ど な く、 一 部 に根 石 と み られ る人 頭 大 の石 と東 西 に続 く基 壇 土 な い し 掘 込 地 業 の跡 を残 す の み で あ る。 建 物 は桁 行 1 間 分 を検 出 した だ けで 、 発 掘 区 外 に伸 び る た め 全 容 は不 明 で あ るが 、 梁 行

2間

の身 舎 に南 北 両 廂 を もつ 東 西 棟 建 物 で あ る。 そ の柱 間寸 法 は根 石 の位 置 な どか ら判 断 して 、 身 舎 の桁 行 14尺 、 梁 行10尺、 北 の廂 の 出 は10尺 とな る。 南 は発 掘 区南 端 の西 壁 面 で掘 込 地 業 の北 端 を確 認 した だ けで 、 廂 の 出 は不 明 。 こ の 柱 間 は第 239次 調 査 で検 出 した東 西 棟 建 物SB14750や 、 第37・ 194次 調 査 で検 出 した南 北 棟 建 物SD5300と 共 通 す る。

掘 込 地 業 は柱 筋 に 布 掘 り状 で 幅 約1.8〜2.4m、

深 さ約0.4mの規 模 で さ れ て お り、 そ の 埋 土 中 に は人 頭 大 よ りや や小 振 りの河 原 石 が 混 じる。

柱 位 置 の周 辺 を掘 り下 げ て据 え た とみ られ る。

18915

│         │

9       写m 図

244次調査遺構図 1:150

根 石 は そ の 上 に 基 壇 土 を 敷 い た 後 、 建 て 替 え の 痕 跡 は な く、 ま た 建 物

(9)

の時期 を特定 で きる資料 はな い。

次 に発 掘 区北 端 で は池 状 の落 込 み を検 出 したが、 それ は

2時

期 に分 かれ る。 当 初 の池

SG02Aは

発 掘 区 の東端 で検 出 した もので、汀線 は屈 曲 し東外側 へ とさ らに 広 が る。 深 さ約20〜30cm。 後 にそ れ を埋 め新 たに 西側 に掘 る。 後 期 の池SG02Bの 汀線 は発 掘 区 内 で ほぼ直角 に曲が り、検 出 した の はそ の東 南 隅 、 東 西2.6m、 南 北 3.2mの 部 分 に あた る。発掘 区内で の深 さ は約20cm。 建 物 北 側 か ら池 に 向 か っ て緩 く傾斜 して い るが、 そ こに幅0.3〜0.4m、 深 さ0,lmほ ど の南 北 溝 が

3条

掘 ら れ て い る。発掘 区内 は常 に湧水 し、 ぬか るむ状態 にあ る。 これ らの溝 も排水 を図

るた め の もので あ ろ う。

建 物 SB01北 廂 以 北 の発 掘 区北半部 全 体 か ら瓦 が多 く出土 した。 これ は建 物 と 池 が廃 絶 した平安 時代以降 、低 湿 な部分 に瓦 を敷 いた もので あ ろ う。

遺 物 は瓦・ 土 器・ 銭貨 (和同開弥

)等

が 出土 したが、 その多 くは発掘 区北半部 か らの もので あ る。瓦 は先 に述 べ たよ うに池埋土上 か ら多 く出土 し、平城宮瓦編 年 の第 Ⅱ・ Ⅲ期 に属 す る もので あ った。土器 に は、須恵 器 の杯・ 杯蓋・ 壷、土 師 器 の杯・ 皿・ 寵・ 高杯 の破片等 が あ り、 その多 くはや は り池埋土上 か らの出上 で あ るが、奈良 時代 の もの は平 城宮土器 Ⅲ〜

Vと

、後 半 の時期 の もので あ る。 他 に 埴 輪 が 出土 して い る。

今 回検 出 した東 西 棟 建 物SB01の 北廂 の柱筋 は、第194次調 査 で検 出 した長 大 な 南 北 棟 建 物 SD5300の 北妻 柱筋 に ほぼそ ろ う。 また南北 の柱 筋 は、 第239次調 査 で その一 部 を検 出 した東西棟建物SB14750の 柱筋 と もそ ろ う可 能 性 が大 きい。 この ことはSB01が SB14750の 後殿 的性格 を持 つ ことを窺 わせ る と と もに、 SB5300を も 含 めて、 この一 郭 の建 物群 が計 画 的 に配 置 されて いた ことを物 語 る もので あ る。

今 回 は発 掘 区 の面 積 が狭 い ことな どか ら、その性格 を決定づ けることはで きなか っ たが、今後 の調査 にあた って は、 こう した建物配 置 の規格性 も考慮 に入 れて、性 格 を探 って い く必 要 が あ る。

       (舘

野和 己)

‑10‑

(10)

造 酒 司 地 区 の調 査

  

241次

は じめ に

本 調 査 区 は、 平 城 宮 東 院 の北 半 西 よ りに位 置 す る。 調 査 区 の北 側 に隣接 す る、

駐 車 場 を拡 張 す るた め の事 前 調 査 で あ るが、 この駐 車 場 につ いて は、 すで に第22(昭和39・ 40年

)お

よび第182次 (昭和 62年

)の 2度

、 発 掘 調 査 を行 な って い る。 それ らの調 査 の結 果 、「造 酒」「酒」 な ど と記 され た木 簡 や墨書土 器、 さ らに は酒甕据付 け穴 を伴 う多 くの建物跡 な どが出土 し、「造 酒 司」 跡 で あ る可 能 性 が 大 きい とされ て きた。

本 年度 調 査 した第241次発 掘 区 は、駐 車 場 に南 接 す る東 西

63m×

南 北

35m(約

2,200だ

)の

範 囲 で、 や は り酒 甕 据 付 け穴 を伴 う建 物 群 や井 戸 跡 、 造 酒 司 関係 の 木簡 。土 器・ 銅 印 な どが 出土 した。 なお、調 査期 間 は1993年 4月 1日 か ら6月 30

日まで で あ る。

み 中 喝 ﹈ 甥 双

lo

ヽo

第241次 調査遺構 図 1:500

8お60 卜18!020

(11)

SB3004 ::: :

: : : : : sB2997

SD15820 SD15818

SD15819

Al       A2

遺構変遷図(1)網目は酒甕を伴う建物

遺 構 と そ の 変 遷

本 調 査 区 で は、 掘立 柱 建物11棟、 掘立 柱 塀

4条

、 溝

9条

、 井 戸

2基

な どの遺 構 が みつ か った。 これ らの遺構 は次 の よ うな変遷 を とげて い る (図 8・

9に

第22・

182次調 査 とあわ せ た遺 構 変 遷 図 を表示 す る)。

(1)奈

良 時代 前 半

Al期

奈 良 時代 当初 は北 と西 を築地塀 が区画 し、北側 に一 間門SB13260を 開 いて いた。

敷地 内で は第22次調 査 で みつ か った浅 い湧 き井 戸SE3046を 中心 に施設 が配 され る が、本 調査 区で は以下 の遺 構 が

Al期

にふ くまれ る。

SB13151 

182次調 査 にお いて北 側 のみ検 出 して いた遺構 で、

3間

×

2間

の東 西 棟 で あ る こ とが判 明 した。発掘 区北東 隅 に位 置 す る。 柱 間寸 法 は、桁行 方 向が9 尺 等 間、梁行方 向 が

8尺

等 間 で あ る。 内部 に酒甕 の据付 け穴 はな い。

SB15801 SB13151の 西 側 にたつ

6間

×

2間

の南北棟。 柱 間寸 法 は、桁行・ 梁 行 方 向 と もに

8尺

等 間 で あ る。 や は り酒甕 の据付 け穴 を伴 わ な い。 この時期 の遺構 と して は、SE3046に ちか い

3棟

の建物 (第22・ 182次調 査 で 検 出

)が

いず れ も酒 甕

削 割岡 国 S82980  sA13170

SB協

SB15801

SD15816

‑12‑

(12)

据 付 け穴 を伴 うの で、 敷 地 の北 側 に醸 造 場 が あ り、 南 東 方 面 に管 理 棟 が 集 中 して い た もの と推 定 で き よ う。

SD15816 

調 査 区 西 壁 ち か くを な が れ る幅 2

mあ

ま りの素 掘 りの南 北 溝 。 発 掘 区北 壁 か ら

10m南

の と こ ろで途 切 れ る。 今 回 の調 査 で は、

築 地 塀SA15814そ の もの の 痕 跡 は検 出 で き な か った が、 この溝 は築 地 塀 に伴 う もの と み な され、 西 面 築 地 塀 は第 22次 調 査 区 か ら第241 次 調 査 区 に まで の び て いた もの と推 定 され る。

発 掘 区北 西 端 近 くに は根 石 状 の遺 構 も残 る の で 、 この あ た りに門 を 開 い て い た可 能 性 も あ る。 この溝 か らは和 同 開 弥 が

3枚

出土 した。

な お、 発 掘 区 西 壁 側 を わ ず か だ が 拡 張 調 査

(3× 2m)し

た と ころ、 築 地 塀 の西 雨 落 溝SD3030の続 き とそ の西 側 の道 路SF15815の一 部 も確 認 で きた。

SD15817 SD15816の 東 側 を な が れ る素 掘 りの 南 北 溝 で 、 溝 幅 は 凹 凸 が あ り、 細 い所 で は幅70〜80cmであ る。 発 掘 区 の南 北 壁 と接 す る と ころで は、 水 溜 りの よ う な おゝく らみ が み られ る。 と くに北 側 の 水 溜 り

(SD3035)か

ら、 木 簡 を は じめ と す る多 くの木 製 品 が 出土 した。 この溝 か ら出土 した木 簡 は、 和 銅

4年 (711)と

霊 亀

2年

(716)の もの、 郷 里 制 (715〜

740)お

よ び郷 制 (740〜

)の

もの な ど、

年 代 が ひ ろ い範 囲 に及 ん で お り、 次 の

A2期

まで 存 続 して い た可 能 性 もあ る。 第 22次 調 査 区 で み つ か った井 戸 の うち、 平 城 宮 造 営 当 初 か らつ く られ て い た東 側 の SE3046の水 は、 この溝 に な が れ こん で い た。

(2)奈

良 時 代 前 半

A2期

奈 良 時 代 前 半 の後 期 に施 設 が 充 実 す る段 階 で あ る。 や は り北 と西 を 築 地 塀

SA

3000 0 SA15814で 区 画 す るが、 北 側 の一 間 門 を わ ず か に西 よ りのSB13261に 付 け替 え る。 敷 地 内部 で は、SE3046の 西 隣 に も う一 つ 浅 い湧 き井 戸SE3049を掘 り、 そ の

B

遺構変遷図 (2)

(13)

周辺 に

5棟

の醸造施設 を配 す る。 また、南側 に も井 戸 SE15800を 新 設 し、 周 囲 に は管理 棟風 の建 物 を置 く。

SE15800 

発 掘 区 中央北 よ りに位 置 す る。 この時期 は井 戸 館 を伴 わ な い。 周 囲 に 石組 の方 形 溝 SD15821を 配 す る。 井 筒 は直径約140cm、 深 さ約145 cm。 杉 の一 木 を くり抜 き と した うえで縦 に

3分

割 し、 据付 けの段 階 で木 目を あわせ て元 に もど し て い る。井 戸 の底 に はバ ラスを敷 き詰 め る。井筒 の周 囲 に は、一 辺154〜160cmの 方 形 板 枠 (檜

)を

伴 う。 手摺 と して機能 した ものだ ろ う。

SB13155 SE15800の 東 側 に位 置 す る。 第182次調 査 で は北 妻 の み を検 出 して い た が、

5間

×

2間

の南北棟 で あ る ことが判 明 した。 SB15801の 建 て替 え とみ な され る。柱 間寸 法 は、桁行方 向が

9尺

等 間、 梁行 方 向が

8尺

等 間 で あ る。 酒 甕 の据 付 け穴 は伴 わ ないので、管理棟 の可能性 が あ る。柱穴 の一 つか ら

6721C型

式 の軒 丸 瓦 (平城 宮 第 ■期 後 半

)が

出土 した。

SB15802 SB13155の 東 隣 にたつ

5間

×

2間

の南 北 棟 。 柱 間寸 法 はSB13155と お な じ く、桁 行方 向が

9尺

等 間、 梁行 方 向 が

8尺

等 間 だ が 、 柱 穴 の規 模 はSB13155よ りも一 まわ り大 きい。 わず かだが、酒甕 の据付 け穴 を伴 う。

SB15803 SE15800の 西 側 にたつ

5間

×

3間

の南北棟。西側 に廂 がつ く。建物 の範 囲 は第22次調 査 区 にお よぶ が、第22次調 査 の段 階 で は建 物 と して遺 構 を把 握 で き て い な い。柱 間寸 法 は、身合 が桁行・ 梁行方 向 と もに10尺等 間、廂 の出 を

8尺

と す る。 内部 に酒甕 の据付 け穴 が あ る。

SD15818 SD15817の 東 側 を なが れ る幅50〜80omの素 掘 りの南北溝。既述 のよ うに、

この時期 に は第22次調 査 区 内 で新 しい湧 き井 戸 SE3049が つ く られ て 、 SE3046と SE3049が 並存 し、両 者 の排水溝 は合流 して

SD15818(SD3050)に

そ そ ぎ こん で い

た。天平12年 (740)以降 の木 簡 が 出上 して い る。 ま た 出土 土 器 か らみ て、 奈 良 時代 末 期 まで存 続 した もの と推 定 で きる。

SD15819 

発 掘 区 の南端 で、SD158181こそそ ぎ こむ東西溝。 幅約40cm。

SD15820 

井 戸 周辺 の方形 石組 溝 SD15821か ら流 れ こみ、

L字

形 に曲 ってSD15818 にそ そ ぎ こむ。SD15820に は上下

2層

が あ り、奈良時代 前半 に比定 され る下層 は、

‑14‑

(14)

基 本 的 に素掘 りの溝 と考 え られ る。天平初年 の土器 が 出土 した。

SD15821 SE15800の 周 囲 を め ぐる方形 の石 組 溝。 石 は人 頭 よ りも小 さめで、東 西 両 面 と北 面 で は残 りが よいが、南 面 で は ほ とん ど痕 跡 を と どめ な い。 溝 の幅 は約 50cm、 内側 の石 組 で囲 まれ る方形 の範 囲 は、東 西約

7m×

南 北 約 6.5mで ぁ る。

SA15810 SB13155の 南 側 に位 置 す る掘立 柱 の東 西塀 。

4間

のみで、柱 間寸 法 は10

尺 等 間 で あ る。 管 理 棟 の南 側 を画す る機能 を もつ塀 か。

‑145

‑2750

‑‑2800‑145

‑180350

井戸SE15800 平面 図 (11100)と断面図 (1:50)

10 彰 聾 群 ¨

(15)

(3)奈

良 時 代 後 半

B期

遷 都 に よ リー 度 は廃 絶 した造 酒 司 の施 設 群 が 、 還 都 後 、 再 整 備 され る段 階 で あ る。 この 時 期 、 二 つ の湧 き井 戸 SE3046・ 3049は 存 続 して い るが、 む しろ南 の井 戸 SE15800が施 設 の 中心 的 位 置 を 占 め る よ うに な る。

SB15807 SE15800の 覆 屋 と して つ く られ た六 角 形 平 面 の井 戸 館 で あ る。 柱 間 寸 法 は南 北 方 向 の東 西

2辺

10尺、 他 の 四 つ の斜 辺 が

8尺

で あ る。 南 中 央 の住 根 が 残 る。 この建 物 の下 に は石 敷 きが施 され るが 、 そ の ペ イ ブ メ ン トに も

2段

階 の時 期

差 が認 め らる。 まず 、 下 層 の段 階 で は外 径 約 41n・ 内 径 約3.2mの ドー ナ ツ状 の 範 囲 に人 頭 大 の石 を敷 き詰 め、 そ の 内側 に幅 約 15cmの 石 組 溝

SD15823(底

も石 敷)

を め ぐ らす が、 上 層 の段 階 に な る と、 内 側 の溝 を埋 め て そ こか ら丼 戸 まで の範 囲 を バ ラ ス敷 き と し、 全 体 を

2重

同心 円状 の石 敷 とす る。 内 側 の バ ラ ス敷 き に は、

暗 渠 と して の機 能 が期 待 され て い た の か も しれ な い。 な お、 この石 敷 き は井 戸 館 の柱 穴 を覆 うよ うに敷 か れ て お り、 そ の敷 設 時期 は井 戸 館 と ほぼ同 時 期 か や や遅 れ る こ とが判 明 して い る。 いず れ にせ よ、 この六 角 形 井 戸 館 と円形 ペ イ ブ メ ン ト

とい う異 様 な装 備 か ら も、 奈 良 時代 後 半 にお け るSE15800の 特 殊 か つ 重 要 な 性 格 が推 定 で き よ う。

SD 15822 井 戸 館SB15807に伴 う楕 円状 の雨 落 溝 で 、 幅 約 20cmの 素 掘 りの溝 で あ る。

SD158201こ そ そ ぎ こむ。

SD 15820 奈 良 時 代 前 半 か ら存 続 す る この

L字

状 の溝 は、 井 戸 館 下 の 内 側 の 円 形 溝SD15823に接 続 す る よ うに な り、SE15800の近 くで は、 人 頭 大 の石 を縦 に な らべ た立 派 な石 組 溝 とな る。 た だ し、 井 戸 か ら離 れSD15818に近 づ く に つ れ 、 石 組 は 用 い られ ず 、 素 掘 りの溝 にか わ る。 溝 底 も、SD15823と の 接 続 部 分 か ら折 れ 曲 り 部 分 まで の み を石 敷 き とす る。

SB15808 SB15820の 折 れ 曲 り部 分 に建 て られ た

2間

×

2間

(1.9×

1,7m)の

東 西 棟 。 井 戸 館 と機 能 的 に連 続 性 を もつ 一 連 の建 物 とみ な され る。

SB301l SE15800の 西 側 に位 置 す る。 第 22次 調 査 に お い て 北 側 の

3間

分 の み 検 出 した が 、 東 西 両 面 に廂 の つ く

7間

×

4間

の南 北 棟 で あ る こ とが判 明 した。 柱 間寸

‑16‑

(16)

法 は、 身 舎 が桁 行

8尺

等 間、 梁行10尺等 間、 廂 の 出 は西 側 を11尺、 東 側 を10尺 と す る。

A2期

にお け るSB15803の 建 て替 え とみ な され、 や は り酒 甕 の据 付 け穴 を 伴 う。

SB15804 SB3011の 南 側 にたつ

7間

×

2間

の南北棟。柱 間寸 法 は、 桁 行 方 向7.5尺 等 間、 梁 行 方 向が

8尺

等 間 で あ る。 酒 甕 の据 付 け穴 は南北 方 向

3列

に整然 とな ら

び、30個以上 みつ か った。 据 付 け穴相 互 の切 合 い関係 も認 め られ、 甕 の付 け替 え が お こなわ れ た こと も判 明 して い る。 また、据 付 け穴 の一 つ か らは、 丸 底 の甕 の 破 片 が据 付 け状 態 の ま ま出土 した。 酒甕 の破 片 が据 付 け穴 か ら発 見 され た の は初 めて の こ とで あ る。

SB15805 

調 査 区 中央 東 よ りの南 壁 ちか くに位 置 す る

7間

×

2間

以 上 の東 西 棟 。 柱 間寸 法 は、桁 行 方 向 が10尺等 間、梁 行 方 向 も10尺で あ る。酒甕 の据付 け穴 は東 西 方 向

4列

に整 然 とな らび、40個以上 確認 で きた。

SB13150 SE15800の 東 隣 に位 置 す る。 第182次調 査 で 北 妻 の み確 認 して い た が 、

7間

×

3間

の南北棟 で あ る ことが判 明 した。 柱 間寸 法 は、桁行・ 梁行 と もに10尺 等 間 で あ る。 廂 をつ けず に身舎 の梁 間 を

3間

に とって内部空 間 を大 き くす る特殊 な建物 で あ り、柱穴 も大 きい。 また、酒甕据付 け穴 の痕跡 はま った くな く、 か な り格式 の高 い管 理 棟 的機 能 を もつ建 物 と思 わ れ る。

Al期

SB15801、

A2期

SB13155、 そ して この

B期

のSB13150は 、 いず れ も同 じよ うな位 置 にあ り、酒 甕 の 据付 け穴 を伴 わ な い。 管 理 棟 の建 て替 え を示 す もの だ ろ う。

SB15806 

調 査 区東壁 にな らぶ

4間

の柱列 で、

8尺

等 間 。 南 北 廂 付 東 西 棟 の西 妻 で あ る可 能性 が大 きい。

SA15813 SB13155の 東 側 柱筋 にそ ろえ た掘 立 柱 の南 北塀 。 全 長

4間

で、柱 間寸 法 は

6尺

前 後 とす る。

この ほか、井戸SE15809お よび掘立 柱 の南 北 塀 SA15811・ 15812に つ い て は、 年 代 が明確 で な い。

      (浅

川 滋男)

(17)

  

(1)瓦

埓 類

瓦 が大 量 に出土 した。 と くに注 目 した いの は、発掘 区西壁 の拡張 区で検 出 され た築地塀 の西雨落溝 に堆積 して いた大量 の落下瓦 で、築地 の屋根瓦全体 が その ま ま落下 した可能性 が大 きい。 その復 元 は これか らの課題 だが、注 目 したいの は軒 瓦 を用 いて いな い ことと、「修理 司」 の瓦 が多 く発 見 され た ことで あ る。

(浅川滋 男)

(2)土

(図11)

整理 箱 に して112箱出上 して い る。須恵器 の貯蔵 器 が圧 倒 的 に多 く、 食 器 類 や 煮 沸具 は極 めて少 ない。須恵器 の貯蔵 器 の中で も口径40cm以 上 の大甕 (正

)が

多 く、 それ らは、本来SB15803・ 15804・ 15805な どの屋 内 に裾 え置 かれて いた ものだ ろ う。10は、 大 甕 の破 片 で頚部 外面 に「 口野伎五十戸正」 と刻 字 す る。「 野 伎 」 を地名 と見 て『和名抄』 で「 ノギ」・ 「 ヤギ」・ 「 ヤケ」 の郷 を さがす と10例

︲ ヽ

工 私

241次調査出土土器

Cln

(1〜9 i SE15800、 10:遺物包含層

)114

11

‑18‑

(18)

どあ るが、 そ の うち『 延喜式 』 で工 を貢進 す る国 と一致 す るの は和泉 国和 泉 郡 八 木郷 、播 磨 国 印南郡 益 気郷 の

2箇

所 に しば られ る。 胎 土 か ら判 断 す る と後 者 の可 能 性 が高 い。 この他 、 陶 邑産 や尾 張 産 (高蔵 寺

2号

)の

甕 類 も出土 して い る。

また、他 の地 域 に較 べ盤類 (た らい

)の

量 も際 だつ。

墨 書土器 に は、SD3035出 上 の土 師器 杯 あ るい は皿 の底 部 外 面 に「 酢 」 と記 す 例 、 SE15800出 上 の土 師器皿

AI底

部 外 面 に「 政所」と記 す例 が あ る。後 者 は、平 城 宮 土 器

Vに

属 し、「政所」 とは、 井 戸 そ ば にあ り、

B期

の管理 棟 と目され る

SD

13150を さす のか も しれない。この他 、井 戸15800か らは、土 師器 の杯A・ 杯B・ 杯

C・ 椀A・A・ 甕・寵 、須 恵 器 の杯A・B・皿E、 壺 蓋 、 壷M、 盤 、 盟 等 が 出土 して い るが、量 は少 な く多 くは細 片 で あ る。 時期 的 に は平城宮土器Ⅳ・

Vに

属 す。

井 戸 の排 水 溝SD15820・ 15822の下 層 か ら平 城宮 土 器 Ⅱに属 す土器 類 が 出 土 して お り、SE15800が 奈良 時代前半 期 か ら存 在 して いた傍証 とな ろ う。

 (巽  

淳 一 郎)

(3)木

製 品 と金 属 製 品

井 戸15800の埋 土 か ら、斎 串10点、 釣 瓶

1点

、 横 櫛

1点

、 箸

2点

、 折 敷 底 板 1

点 、 曲物 底 板

2点

な どの木器 が 出土 した。 この ほか整地層 お よび溝 か ら、 和 同開 弥

3点

、 神 功 開宝

3点

く帯 金 具

1点

、 銅 印

1点

な どの金属器 も出土 した。

銅 印 (図

12)は

、平 城 宮 内 で は初 め て の 出土 例 で あ る。 調査 区北西部 にお いて、

0      5 Cm

12 241次調査出土銅印

 1:1

ば  

.

(19)

包 含層 (暗灰 色 礫 混 じり上

)中

よ り出土 してお り、造 酒 司 の遺構 との直接 的 なつ なが りを知 る ことはで きないが、造 酒 司 となん らか の関 りを もつ もの で あ ろ う。

平 面 形 はわず か に縦長 の方形 で、 縦4.3cm、 横3,9cmあ り、 全 高 が2.9cm、 鉦 の 高 さ は1.8cmで あ る。重量 は119g。 保 存 状 態 は良好 で、緑 青 な どの発生 は見 られず、

表 面 は黒 み を帯 びた赤褐色 を呈 す る。 印面 は、大 き さが縦4.2cm、 横3.8cmで 、 文 字 あ るい は記 号 風 の図柄 が鋳込 まれ、鋳 造 後 に藝 状 の工 具 によ る調 整 を加 え た痕 跡 が認 め られ る。 印文 の彫 りは比較 的浅 い。 錘 に は装飾 はな く、 一 孔 を うが つ 。 鋳 上 が りはあ ま りよ くな く、細 か な慈 が全面 に見 られ る。蛍光

X線

分析 によれ ば、

この銅 印 は錫 、鉛 、砒素 な どを ほ とん ど含 まない純銅 に近 い成分組成 を示 す。

今 の と ころ、 この銅 印 の用途・ 性 格 を知 る確証 は得 られて いな い。 印文 につ い て は釈読 で きず、 また記号 と して も意 味不 明で あ る。「養老 公 式令 」 に規 定 さ れ る諸 司印 は、 方二寸三分 で あ り、 この銅 印 はその規定 に は合 わない。 ただ、 造 酒 司 に関連 が あ る とす れ ば、酒甕 にか けた ひ もを封絨 す る際 につ け る粘土塊 、 い わ ゆ る「封 泥」 に押捺 す るための印 で あ る可能 性 が考 え られ る。 (小池 伸 彦)

(3)木

今 次 調 査 で は木 簡 が合計45点出土 した。 遺 構別 内訳 は、溝SD3035か ら30点 (う

ち削屑

6点

)、 溝 SD3050か ら12点 (削屑

2点

)、 溝 SD15820・ 井 戸 SE15800・ 建 物 SB3011か ら各

1点

で あ る。木 簡 か ら遺 構 の年 代 を推 定 しうるの はSD3035で、 和 銅

4年

(711)・ 霊 亀

2年

(716)と い う奈 良 時代初 期 か ら、 郷 里 制 (717〜740)、

郷 制 (740〜

)の

もの を含 み、比較 的長 期 間存続 して いた溝 で あ る。

1は造 酒 司 の令史 を喚 び出 した召 文 で あ り、造 酒 司 に戻 って廃棄 され た もの で あ ろ う。 また5の酒米 、

8の

赤 米 、12の赤 春 米 な どは いず れ も酒 の材料 と して の 米 の荷 札 で あ る。

調 査 区北 に接 す る第22次北調 査 にお いて も、 SD3035か ら562点、SD3050か ら16 点 と、 ま とま って木簡 が出土 して い る (『平 城宮 木 簡二 』)。 これ らの木 簡 に は造 酒 司符・ 造酒 司解 な どの文書木 簡、酒 米・ 赤 香米 な どの荷札木簡、清酒・ 酢 な ど の付札 木簡 な どが含 まれ、 これ らが発掘地 を宮内省造酒司跡 と推定す る根拠 とな っ

―‑ 20 ‑―

(20)

て い た。 今次調査 も検 出遺構 が一連 の もので あ り、 また出土木簡 の内容 も第 22次 北調 査 と同様 の傾 向 を示 す か ら、 さ きの推 定 を一 層 裏付 ける結果 とな った。 以 下

に木簡 釈文 を掲 げてお く。

S D3035出土 木簡

造 酒 司召

   

令 史 正 召

 

使 三 宅 公 子

2・ □ 々謹 申大椋

・ 八 月十 日□ 日□□□

3・ 伊 勢 国飯 野郡 黒 田郷

・ 加知

EIコ

神人黒万 呂三斗 4・ 丹波国氷上郡忍伎郷朝鹿里

□部小虫三EI

。 「七四東□□」

 (針

)

丹後国丹波郡大野郷酒米石部足五斗 6・ 紀伊国安諦郡縣里辛金打赤兄戸 同

 

霊亀二年十月

元漏郡進上三□□三百□

コ 大壁里赤米五斗

穴 臣小□調鮒三□□

10 

コ 篭十五斤

和銅四年□□

[四月 力]

11・ 左大舎人他 田人万 呂

・ 刑部子君万 呂一貫 SD3050出 土木簡

12・ 讃岐国奈賀匠

・EIコ七年十月

(寺崎保 広)

250。 24。3  011

(133).22.1  019

156.24.3  033

(275).30.5  039 343.(20)。7  031

(170).16.6  039 146.20.4  031 (170).17.6  039 149.21.5  032

(120).22.6  039

128.25.2  032

(94).14.4  039

(21)

13・ 海 部 郷 京 上 赤 香米 五斗

 

矢 田部 首 万 呂

 

稲 香 (188).29.5  039 井 戸 SE15800出 土 木 簡

14・ 美 作 国英 多 郡

・ 白米五斗

      (112).17.3 039 4 

ま と め

以 上 の うち、特筆 すべ き問題 を要約 して お きたい。

(1)建

物 配 置 の特 徴

1)第

22・ 188次調 査 で確 認 され た造 酒 司 跡 は、 本 調 査 区 全 域 に ひ ろ が る こ とが あ き らか にな った。 現在判 明 して い る造 酒 司 の規模 は、東 西

60m以

上 ×南 北

90m

以 上 で、 い まだ南 限 と東 限が確認 され て いな い。兵部省・ 式部省 の規模 が約

75m

四方 で あ る ことをみて も、宮 内官衡 と して は、破格 の規模 を もつ もの と して注 目 され る。

2)造

酒 司 は、 平 城 宮 造 営 当初 か ら廃 絶 期 まで存 続 したが、 前半 と後 半 で お お き く建 物配 置 を変 えて い る。前半 で は浅 い湧 き井 戸SE3046・ SE3049を 中心 とす る施 設 配 置 を み せ るが、 後 半 で は井 戸 館 を伴 うSE15800を 核 とす る施 設 配 置 に変 化 を

とげて い るので あ る。

3)造

酒 司 の建 物 配 置 に は、 いず れ の時 期 も、 上 級 官 衡 にみ られ るよ うな整 然 と した規則 性 が ほ とん どみ とめ られ ない。 一 見 ラ ンダムな配 置 に もみえ るが、 酒造 工 程 を重視 した実用 的 な空 間構成 とと らえ るべ きだ ろ う。

4)建

物 に は どの時期 に も酒 甕 を伴 う もの と、 伴 わ な い もの とが あ る。 前 者 は酒 の醸 造・ 貯 蔵 な どの ための施設、後者 は精米 な どの工場 も しくは管理施 設 とみ な され る。 管理 的機 能 を もつ施設 と して最 も可 能 性 が大 きいの は、

B期

のSB13150 で あ り、 そ の前身 建物 で あ る

Al期

SB15801、

A2期

のSB13155も 同 じ種類 の建 物 と推 定 され る。 これ らの建 物 はいず れ もSE15800の 東 隣 に位 置 して お り、 この 井 戸 か ら「政 所」 と記 され た墨書 土 器 が 出土 して い る こと も、 この推 定 を裏 付 け

る もので あ る。

―‑ 22 ‑―

(22)

(2)井

戸SE15800の 性 格

SE15800は きわ め て 特 殊 な丼 戸 で あ る。 同 じ敷 地 内 の他 の 井 戸 と比 較 す る と、

北 側 のSE3046・ SE3049は規 模 の大 き な浅 い湧 き井 戸 で 、 酒 の生 産 に直 結 した もの とみ な さ れ るが 、SE15800は水 の供 給 量 が 少 な く、 生 産 に 大 き く寄 与 した も の と は考 え に くい。 そ の反 面 で 、SE15800は 、 奈 良 時 代 後 半 に 同 心 円 状 の 石 敷 や 六 角 形 井 戸 館 な どの特 殊 な空 間 装 置 を そ な え 、 建 物 群 の 中心 的 位 置 を 占め る よ うに な る。 要 す る に、 水 の供 給 量 は少 な い の に、 装 備 は異 常 に立 派 な 丼 戸 な の で あ る。

これ につ い て は、 さ ま ざ ま な解 釈 が可 能 で あ ろ う。 た とえ ば、 酒 造生 産 用 と い う よ り も、 楔 ぎや祭 祀 の舞 台 とな る井 戸 とみ る こ と もで き る。 しか し、 こ こで は と くに『 延 喜 式 』 巻 四十・ 造 酒 司 にみ え る「 御 井 酒 」 とい う用 語 に注 目 して お きた い。「 御 井 」 とは、 天 皇 も し くは内裏 の井 戸 とい う意 味 で あ り、 お そ ら く一 般 の 井 戸 に く らべ る と、 は るか に豪 華 な もの で あ った に ち が い な い。 そ して 、「 御 井 酒 」 と は、 こ うい う特 殊 な丼 戸 で つ く られ た 酒 の こ とで あ っ た ろ う。 と こ ろ で 、

『 延 喜 式 』 造 酒 司 に は11種類 の酒・ 酢 類 が 記 さ れ て い る が 、 こ の うち 最 も生 産 量 の 多 い の が 、 供 御・ 神 事 用 と思 わ れ る「 御 酒 」 で そ の御 酒 料 は212石 以 上 で あ る の対 し、 他 の酒 の料 米 は いず れ も少 な く、「 御 井 酒 」 の料 米 もわ ず か 19石

5斗

に す ぎ な い。 つ ま り「 御 井 酒 」 の生 産 量 は、「 御 酒 」 の10分 の

1以

下 な の で あ る。

以 上 か らみ て、「 御 井 酒 」 と は、 天 皇 。内 裏 専 用 の井 戸 の 水 を 使 って 少 量 だ け つ く られ た特 殊 な酒 で あ った の で は な い か 。 そ して 、「 御 井 酒 」 を 醸 造 す る た め の

「 御 井 」 の 性 格 は、 はか らず も、 今 回 発 見 さ れ たSE15800と よ く合 致 して い る の で あ る。

(3)銅

印 の意 味

出土 遺 物 の な か で と くに注 目 され るの は銅 印 で あ る。 この用 途 につ いて は な お 断 定 で きな い が、 唐 の長 安 城 大 明宮 出土 の類 例 な どを参 考 にす る と、 天 皇 に献 上 す る酒 甕 を 封 印 す る た め に用 い られ た可 能 性 が 大 き い と思 わ れ る。 い わ ゆ る「 封 泥 」 の た め の 印 と推 定 され るが、 当 時 の酒 造 りの風 習 を伝 え る貴 重 な新 資 料 の発

見 と い え る だ ろ う。 (浅川 滋 男)

(23)

東院地 区 の調査

243・

245‑1次

1  

は しめ に

1993年度 か ら、 東 院 の池 を中心 と した庭 園 と周 辺 の建 物、 築 地 大 垣 を復 元 整 備 す る こと とな り、 今 回 はその事 前調 査 と して、 宇 奈 多理 神社 周辺 の未調査地 の様 相 の解 明 を 目的 と して発 掘調 査 を行 な った。 面 積 は約4500だ、 調 査 は1993年 6月

14日 か ら開始 し、1994年 3月 3日 に終了 した。

平 城宮 東 院 で は、 これ まで の発 掘調 査 に よ って、 東 南 の隅 に池 を 中心 と した庭 園 が見 つ か って お り、 宴 遊施 設 が あ った こ と と、 周 辺 に官衛 ブ ロ ックが存 在 して い た ことが明 らか とな って い る。 また、『 続 日本 紀』 によ る と、 東 院 は天 平 勝 宝 年 間 (749〜757)と 神 護 景 雲 年 間 (767〜770)1こ み え、 主 に宴 会 の場 と して用 い られ て い る。 中で も、

767(神

護景 雲

1)年

に は、 屋根 に緑釉 や三彩 を施 した瑠 璃 瓦 を葺 い た「 東 院玉殿」 が完成 した とい う記 録 が あ り、 この地域 か ら緑 釉瓦 の出 土 が多 い ことが注 目されて きた。 なお、 宝亀 年 間 (770〜

780)に

記 録 が あ る楊 梅 宮 も東 院 の地 を継 承 した もの と考 え られ て い る。

発 掘 調 査 の概 要

今 回 の調 査 地 は、 宇 奈 多理 神社 の丘 陵 の南 方 、 お よび西方 に あ た る。 平 城 宮 造 営 以 前 の地 形 は、丘 陵 が東北 か ら西 南方 向 に張 り出 して高 台 とな り、 東 南 方 向 に 向 けて急 激 に下 が って い くもので、調 査 区 の東 と南 は、 厚 さ50cmに も及 ぶ整 地 上 を積 んで造成 して い る。一方、西 と北 の丘陵部分 は後世 の水 田耕作や土取 りによ っ て大 き く削 られてお り、遺構 が失 われて しま った場 所 もあ る。 調 査 は、 第120次 調 査 区 に西接 す る地 区 を本調 査 区 と し、 丘 陵西 側 の削平 され た部 分 の遺 構 の残 存 状 況 の確 認 と、 西方 の第43次調 査 で検 出 した遺 構 との関連 を調 べ るた め に、 北 と 西 に調 査 区 を延 長 した。

検 出 した遺 構 は、 南 面 大垣 とそ の関連 の雨 落 溝 と暗渠 、南面大垣 に開 く門1棟、 道 路

1条

、 掘 立 柱建 物17棟、 礎 石建 物

8棟

、 掘 立 柱 単廊

2条

、 掘 立 柱塀14条、 井 戸

1基

お よび多数 の溝、土坑 、石敷 と古 墳

1基

、 お よび古墳 時代 の埴 輪 窯

5基

―‑ 24 ‑一

(24)

SA 5710

◎謬

(25)

あ る。以下、最初 に奈 良 時代 の主要 な遺構 を便宜 的 に発掘 区 を北 区 と南 区 に分 け て記述 し、後 に古墳 時代 の遺 構 につ いて説 明 を行 な う。

(1)北

区 の遺 構

北 区 は、 西 端 の

10mほ

どを除 いて後世 の削平 が著 し く、掘立 柱 の柱穴 の底 が か ろ う じて残 る程度 で、 消 え て しま った柱穴 も多 い と思 われ る。

SC16250 

北 区 の南 端 で検 出。

2条

の掘立柱列 の間 を通 路 とす る。 柱 間 は桁 行 が 10尺、 梁 間 が

9尺

。 西 隣 の第43次調 査 区 で検 出 した、小 子 門 の東 の南北 塀SA5025 に と りつ き、調査 区 を横 断 して宇奈 多理神社 の丘 陵 へ続 くと思 わ れ る。 断 ち割 り 調査 の結 果 、 北 側 の柱 穴 が南 の柱 穴 に比 べ て浅 い こ とが判 明 し、 当初 塀 と して建 設 した もの に柱 を足 して単 廊 に変 更 したか、特 殊 な構 造 で あ った 可 能 性 が あ る。

また、柱穴 に は粘板岩 系 の いわ ゆ る鉄平 石 を礎盤 と して用 い て い る もの もあ る。

SA16251 

西 端 にあ る掘 立 柱 南 北 塀 で、

2間

分 を検 出 した。

SA5710 SC16250の す ぐ北 に あ る掘立 柱東西塀。第43次 調 査 で検 出 した もの の続 きで、柱 間 は10尺

SB16255 

東 西棟 掘立 柱 建 物 で、 北 区 の西 北 隅 で南 の側 柱 を検 出 した。 第43次 調 査 区で検 出 した分 も含 めて、桁行12間以 上 、梁 間

2間

とな る。

SB16265 SA5710の 北10尺 にあ る東西棟掘立柱建物。南 の側 柱 だ け を検 出 し、 桁 行 は

6間

以上 。SA5710と 柱筋 を揃 え る。

SK 16275  西 隅 で検 出 した土 坑。SC16250よ り新 しく、多量 の奈 良 時代 末 の土 器 、 瓦 や緑釉 瓦、埴輪 が 出土 した。

SA16260 SA5710に

と りつ き、北 へ のび る掘立柱南北塀。

5間

分 検 出 したが 、 そ れ よ り北 は削平 されて残 って いない。西 に広 が る区画 の東 限 の塀 で、第43次調 査 で検 出 したSA5740と の間 隔 は170尺とな る。

SB16270 

北 区東 半 にあ る東 西 棟 掘立 柱建 物。 東半 部 は削 平 の た め に柱 穴 が 失 わ れて い る部分 が あ るが、桁 行

6間

以 上 、梁 間

5間

とす る ことが で きる。 身舎 の梁 間 は

2間

で南北 に廂 がつ き、 南 に は縁束 が あ る。柱 間 は、桁行 、 梁 間 と もに10尺 で、縁束 の出 は

7尺

―‑ 27 ‑―

(26)

(2)南

区 の遺構

SB16000 

調 査 区南 端東 よ りに あ る門。 当初 は、掘立柱 の門SB16000Aで あ ったが、

後 に

2間

×

1間

の掘立 柱 の 門SB16000B、 次 い で礎 石 建 ち のSB16000Cに建 て替 え る。SB16000Cは 、基壇 と、北側 柱 お よび東 妻柱 の礎 石 据 付 穴 を検 出 した が、南 半 部 は削 平 が著 しく、遺構 は残 って いな い。桁行

5間

、梁 間

2間

で、 柱 間 は桁行 の 中央

3間

13尺、両 端 間 が10尺、 梁 間 が10尺。 礎 石 据 付 穴 は一 辺 が 約

2mと

大 き く、中 に大 量 の平 瓦 を しいた後 、根 石 を置 き、礎石 を据 え る。礎石 は残 っていない。

門 の周 囲 に は凝灰岩 を組 ん だ雨 落 溝 SD16005・ 16010016015が め ぐ り、 基 壇 化 粧 の凝灰岩 も一部で残存 して い る。SB16000Cの 基壇下 には、先行す る石組溝SD16040・

16210や 大 垣 の北 雨 落 溝 SD9272A・ Bが 通 ってお り、 それ らの溝 を埋 め て奈 良 時 代 後 半 に新 た に造 った こ とが わ か る。この門 は、東 院 の東 を限 る東面 大 垣 と、小 子 門 の東端 か ら北 へ の び る東 院 の西 限 の塀 SA5025と の間 を ほぼ三 分 す る位 置 にあ る。

SF16020 F]SB16000か ら北 へ の び る、 南北 方 向 の宮 内道 路。 全面 にバ ラスを敷 い て舗装 とす る。

SA5055 

東 院 の南 限 を画 す る南 面大垣。 調査 区 の西 南 隅 で南 添 柱 列 SS16054を 確 認 したが、積 土 は残 って いな い。調 査 区西南 隅 に は凝 灰 岩 の切 石 を組 ん だ 暗渠

SX

16055があ り、門SB16000Bの 東 西 で は、後述 す るSD16040。 16045が木樋 暗渠 で抜 ける。

SD9272 

南 面大 垣 の北 雨 落 溝 。

A〜 Cの 3時

期 が あ る。SD9272Aは 断 ち割 り調 査 で確認 し、側石 を抜 き取 った痕 跡 が あ るが、底 石 の有無 は不 明。SD9272Bは 全 面 石 組 で、 門SB16000Cの 東 で は基壇 の下 に入 り込 み、SD16040ま で続 く こ とを確 認 した。SD9272Cは全 面石組 で、 調 査 区西端 に石組 がか ろ う じて残 る程 度 で あ る。

SD9375 

南面 大 垣 の南 雨 落溝。 ほ とん ど削 平 され て い るが、 調 査 区 東 端 で石 組 を一 部検 出 した。

SX16055 

調 査 区西 南 隅 で検 出 した凝灰岩 組 暗渠。一 辺 約 50cmの 切 り石 を南北 に 並 べ て底石 と し、両脇 に凝 灰 岩 の切 り石 を立 てて側石 とす る。 蓋石 は失 われて い

る。主 軸 は真北 で はな く、北 で東 にふ れて い る。

SA5010 

南面 大垣 の下 層 にあ る掘立柱東 西塀。 暗渠SX16055を は さん で

2間

分 と

(27)

sB 16050

SF 16020    S?16038

SBlる081 SD 16021

SD 16044 150

SD 16010

SD 16】

珊 脩

SB 16025

     

SB 16170 SB 16060

SD 16016

図14 第243・ 245‑1次調査遺構図 (南区) 1:300

‑145,740

(28)

門基壇 の下 層 で

7間

確認 した。 SX16055の 西 の柱 穴 掘形 は、 一 辺 約

2mで

、 径40 cmの柱 根 が残 る。 これ らの柱穴 の位 置 は南 面 大 垣 の心 に一 致 し、 第39次調 査 で 検 出 した性格 不 明 とされて いた塀 SA5010の 延 長 上 に あ た る た め、 東 院 地 区 の南 面 大 垣 に は先 行 す る掘 立 柱塀 が あ る こ とが 明 らか とな った。 SA5010の 柱 間 は、

SB

16000Aま で は10尺等 間 だが、 それ以 東 は約17尺に広 が る。

SB16025 SB16000の 北 にあ る東 西 棟 掘 立 柱 建 物 。

4間

×

2間

で、柱 間 は桁行 、 梁 間 と もに

8尺

。 南13尺の位 置 に東 西塀 SA16026が あ る。

SB16041 SB16025の 北 にあ る東西 棟 掘 立 柱 建 物 。

5間

×

1間

で、柱 間 は桁行 が9 尺 、梁 間 が10尺。 東 にSA16042が あ る。

SB16050 

南 区 の北 西部 にあ る掘立 柱 南 北 棟 建 物 。 桁行

7間

、 梁 間

4間

の 四面 廂 付 建 物 で柱 間 は桁 行 、 梁 間 と もに10尺。 床 束 が あ る。西 廂 の柱穴 は、 削平 の た め

3個

しか残 って いな い。 柱穴 には、鉄平 石 を礎 盤 や根巻 き石 と して使用 して い る もの もあ る。西 に桁 行

8間

、 梁 間

2間

の掘 立 柱 南 北 棟建 物 SB16060が10尺の 間 隔 で あ り、両 者 は一連 の もので あ った と見 られ る。SB16060の 柱間 は、桁行 が10尺 、 梁 間 が

7尺

で あ る。

SB16065 SB16050の 東 にあ る東 西 棟掘 立 柱 建 物 。

4間

×

2間

で、柱 間 は桁 行、 梁 間 と もに10尺

SB16070 SB16050の 東50尺にあ る南北 棟 建 物。柱穴 は非常 に浅 く、根石 などは残 っ て いな いが、礎石建 物 か と思 われ る。北 端部 は調査 区外 にの び、柱穴 が削平 され て い る箇所 もあ るが、

5間

×

3間

と推 定 で き、西 に廂 が付 く。柱 間 は桁行、梁 間 と もに10尺。東17尺に掘立柱塀SA16075が あ り、SB16070の 南 妻 とSA16076で 連結す る。

SB16080 SB16070と 重 な る位 置 にあ る東 西 棟 礎 石 建 物。

5間

×

2間

で、柱 間 は桁 行 が10尺、 梁 間 が

8尺

。床 束 が あ る。

SB16090 SB16080の 南 にあ る南北 棟 礎 石 建 物 。

5間

×

2間

で、柱 間 は桁行 、 梁 間 と もに

8尺

。 中央

1間

に間仕切 が あ る。

SB16100 SB16050を や や東南 にず ら して建 て か えた南北 棟礎 石建物。桁行

7間

、 梁 間

4間

で、東西 に廂 が付 く。柱 間 は、桁 行 、 梁 間 と もに10尺。礎 石 は全 て 失 わ

(29)

れ て い るが、根石 が良 く残 って い る。

SB16110 SB16050の 東 にあ る桁 行

5間

、 梁 間

3間

の南北棟 掘立柱建物。東 に廂 が 付 き、柱 間 は桁行 、梁 間 と もに10尺。 西 南 隅 の柱 穴 に は礎 盤 を敷 いて いた。 北 妻 にSA16115が と りつ き、 西 にのび るが、西 端 は削平 されて い る。

SB16150 SB16050の 南 にあ る桁 行

7間

、 梁 間

4間

の礎石建 物 で、 四面廂 と考 え ら れ、 床束 が あ る。 柱 間 は、桁行、梁 間 と もに10尺。

SB16160 SB16150を 建 て か え た桁行

5間

、 梁 間

4間

の礎石 建物。東 か ら

2間

目 に 間仕 切 りが あ る。 柱 間 は、桁行 が

8尺

、 梁 間 は身 舎 が

8尺

、廂 の出が12尺で あ る。

南 廂 は、 位 置 をや や北 にず ら してつ け替 えが あ る。

SB16170 SB16150の 西半 部 に重 な る

5間

×

4間

の東西棟 四面廂 付礎 石建物。 柱 間 は、桁行 、梁 間 と もに10尺

SB16180 SB16170の 西 にあ る東 西 棟礎 石 建物 。

3間

×

3間

の総 柱 で、柱 間 は不 揃 い。 南 と北 の側柱 は、 それ ぞれSB16170の 南 側 柱 、北入側柱 と筋 を揃 え る。

SB16190 

調 査 区南 端 にあ る東 西棟 掘 立 柱 建 物 。

4間 X3間

で 、 柱 間 は10尺。 西 北 隅 の柱穴 に は径約30cmの柱根 が残 る。

SC16200 

調 査 区南 端 にあ る掘立 柱 単廊。 整地 土 の下 にあ るた め、 柱 穴 は部 分 的 な確認 で あ るが、11間分 検 出 し、東 端 部 か らはSA16225が 北 へ

1間

の び る。 柱 穴 の深 さは検 出面 か ら

lmほ

どあ り、底 に平 石 を礎盤 と して敷 くもの も多 い。 南 面 大 垣 との心 々距離 は約25尺、北 区 の単 廊 SC16250と の心 々距 離 は約140尺で あ る。

SE16030 

調 査 区東 北 隅 にあ る井 戸 。一辺 約

5mの

方形 の掘 形 の 中 に、幅20cm、 厚 さ10cmの ヒノキの板材 を縦 に20枚並 べ て 円形 の井戸枠 をつ くる。井戸枠 は中程 と 下 部 の

2箇

所 を ほぞで連結 し、下 端 を藤 蔓 で巻 いて固定 す る。井 戸 枠 に は、 下 端 を示 す「本」 の墨書 が18枚 にあ り、 うち

3枚

に は「 隠」、「 庭」、「 墨」、「墾」 な ど の落書 もあ る。周 囲 に は石敷SX16036が あ り、さ らにそのまわ りにSD16031・ 16032・

16033・ 16034の溝 を方 形 にめ ぐらせ る。井 戸 はSB16035の 中央 に はな く、東 南 部 に か た よ る。これ らの石敷、石組溝 は後 に整 地 土 で埋 め られ るが、SE16030は 上 部 に 河 原 石 を

2段

に積 んで井 戸枠 と し、さ らに使 用 が継続 す る。 井戸掘 形 か ら軒 平 瓦

―‑ 32 ‑―

(30)

6721、 井 戸 を造 った 際 の整 地 土 か ら軒 平 瓦 6762が 出 上 した。

S D16040 SE16030の 南 排 水 溝SD16031か ら南 流 す る石 組 南 北 溝 。 幅50cmほ ど の 大 き な平 石 を底 石 と し、 両 側 に石 を立 て て 側 石 とす る。 底 石 は良 く残 って い る が 、 側 石 の 多 くは抜 き取 られ て い る。 南 面 大 垣 を越 え て 更 に南 流 す る。 この溝 は周 辺 の水 を処 理 す る主 要 な排 水 路 で あ る と と もに、SF16020の東 側 溝 で あ っ た と考 え られ る。 溝 の周 囲 に は全 面 に河 原 石 を敷 い て い た と見 られ、 奈 良 時 代 の 後 半 に 、 整 地 上 で埋 め られ る。

SB16035 SE16030。 SX16036・ SD16040を覆 う形 で あ る南 北 棟 掘 立 柱 建 物 。 桁 行 6 間 、 梁 間

1間

で 、 柱 間 は桁 行 が10尺、 梁 間 が 14尺 。 柱 穴 は、SE16030の 掘 形 を 切

り、SX16036に覆 わ れ る。

S D 16037〜 16039 SE16030の 西 、 北 、 東 に あ る溝 。SE16030関連 の もの と思 われ る。

S D16045 門SB16000B・ Cの東 西 中軸 線 に対 してSD16040と 対 称 の位 置 に あ る南 北 溝 。SB16000の す ぐ北 で 石 組 東 西 溝SD16044が西 か ら流 れ 込 み 、 そ れ以 南 に は石 組 が 見 られ る。 木 樋 暗 渠SX16046で南 面 大 垣 を抜 け、SF16020の西 側 溝 と考 え られ る。

SD16047 SD16045の

東 に あ る南 北 溝 。 中 央 部 は 整 地 土 の 下 で 未 検 出 だ が 、 調 査 区 を 越 え て 南 流 す る。SA5010の柱 掘 形 よ り古 く、 平 城 宮 造 営 当 初 の もの。

SD16021 

井 戸SE16030の 西 に あ る石 組 南 北 溝 。 バ ラ ス を含 む 整 地 上 で 埋 め られ 、 北 端 の一 部 だ け を検 出 した。

SD16022 SB16000の 基 壇 西 端 の北 延 長 に あ る石 組 南 北 溝 。 底 石 が わ ず か に残 る だ け で あ る。

SD16155 SD16210の

北 に あ り、 長 方 形 の 増 を 縦 に

2列

並 べ て 底 と し、 側 に増 を 立 て る。 一 部 が 残 るだ け だ が 、SB16150か 16160の 雨 落 溝 と思 わ れ る。

SD16210 

調 査 区 南 端 に あ る石 組 東 西 溝 。 整 地 上 で 埋 め られ て い る の で 、 部 分 的 に しか 検 出 して い な い が 、 調 査 区 を横 切 ってSD16045ま で続 く。 位 置 的 に 見 て 、 SC16200の 南 雨 落 溝 を兼 ね る もの か。

SB16081〜 16083 SB16100の 東 方 に あ る小 規 模 な建 物 群 。 いず れ も柱 穴 が 小 さ く、

雑 舎 か 仮 設 的 な建 物 と考 え られ る。

図 15  遺構変遷図
図 21  東院地区埴輪窯と佐紀盾列古墳群 1:40000 同 じ く古 墳 時 代 中 期 前 半 の この窯 跡 と 1号 窯 を比 べ る と、 平 面 形 態 や規 模 の上 で 近 似 し、 溝 を もつ 点 も共 通 して い る。 こ う した形 態 の焼 成 坑 を窯 と呼 ぶ ことに は、 あ る い は反 論 が あ るか も しれ な い。 弥 生 時 代 の土 器 焼 成 坑 は い くつ か の事 例 が 明 らか に な って お り、 そ の 中 に は大 阪 府 富 田林 市
表 3  第 245‑2次 調査出土瓦集計表 5  ま と め 今 回 の調 査 成 果 は以 下 の よ うに ま と め られ る。 1)大 垣 築 造 以 前 に大 垣 位 置 に近 接 して 、 数 状 の 南 北 溝 が 掘 られ て い る こ と が判 明 した。 今 回 の断 ち割 り調 査 の結 果 で は、 南 面 大 垣 と異 な り、 東 面 大 垣 で は 同 位 置 に先 行 す る一 本 柱 塀 が 建 て られ て い な い。 一 部 を検 出 した の み で平 面 上

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