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遺    構

ドキュメント内 I 平城宮の調査 (ページ 39-43)

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色土 灰褐

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図示 ド帥澱洲菫図 P一8 4黄

色砂 灰褐

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て、灰黄色 粘質 土 は床 面 下部 の置土 で あ り、本来 この上 に床 面 が あ った もの が、

最 終 操 業 後 の灰 層 の掻 き出 しな ど に際 して剥落 した もの と思 われ る。

東 側 の張 り出 しは、 幅 1.5mで 長 さ

3m弱

を測 り、 や は り周 囲 を溝 が巡 って い る。西側 の張 り出 し部 は、 幅 1.4mほ どで長 さ2.4mで あ る。 溝 は南辺 沿 い に西 ヘ 伸 び る もの と、 焼成 部 北 か ら斜 め に横切 る ものが合流 して西 端 へ と続 く。 さ らに 貼 り出 し部 の隅部 か らい くぶ ん西南方 に伸 びたあ と、屈 曲 して東南方 へ と続 いて い る。溝底 の標 高 は、 東 側貼 り出 し部 で62.05m前後 、 西 側 で は62.00mと わ ず か なが ら高低 差 が あ り、 西 側 か ら伸 び る溝 の南端 で は61.80mと さ らに下 って い る。

張 り出 し部 を含 め た全長 は東 西9.4mであ る。

断面 観 察 に よ る と、 最 終 操 業後 に壁面 の崩落 によ って周 囲 か ら次第 に埋 って い き、中央部 が凹部 と して残 って いた ところに、最 終 的 に多 量 の埴輪 が投 棄 されて い る。この埴 輪 を含 む暗茶 褐色土 お よび灰褐色粘質土 は、焼 成 部 か ら東 の張 り出 し部 にか けて堆 積 して お り、 西側 の張 り出 し部 はそれ以前 に埋没 していたよ うである。

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張 り出 し部 を含 めて床 面 や溝 中 に小穴 が あ るが、 い ィ

 

くつ か は最 終操業後 に掘 られ た もので、 それ以外 の も の も規則 的 な配列 を示 す訳 で はな い。 今 の と ころ、 天

が あ った とみ るの は難 しい と思 われ る。 張 り出 し部

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機 能 は明 らかで な いが、 片 側 あ るい は両 側 を焚 き 口 と考 え るには、貼 りだ し部分 に焼 け面 は認 め られず、

\別 の見 方 をす べ きで あ ろ う。 現 在 の段 階で は、掘 り込 み部 を覆 う天丼施設 はな く開放 の もので、焼 成部 と呼 ん だ 中央 の方形部分 に、乾 燥 した埴 輪 とと もに燃 料 を て お いて焼 き上 げた もの と考 えて お きたい。両側 の張 り 出 しは、 あ るい は燃 焼 の た め の通 気 的 な役 割 が あ った のか も しれ ない。

2号

(SX16283)焚

き 口ふ きん の燃 焼 部 床 面 が長 さ1.5mで 幅1.2mほ ど残 存 し、 周 囲 に焼土 層 が広 が っ

図17 2号窯実測図 1150

一‑ 44 ‑―

て い る。床面 は黄色粘土 の地 山 を掘 り込 んで設 けて い るが、地下式 か半地下式 か は明 らかで な い。 厚 さ2 cmほ どの粘土 を貼 って床面 と して お り、堅 く焼 き締 り還 元 され灰 白色 を呈 す る。 床面 は

1枚

で作 り直 した痕跡 はな い。西側 で は側壁 へ と 立 ち上 が って い く部分 が わず か に残 り、東 側 も焼 土 層 か ら考 え る と側壁 部 分 に近 く、 本来 の床 面 幅 は現 状 を大 き く越 え る もので はなか ろ う。 北 に向 か って緩 や か な上 り勾配 を もち、 ここか ら焼成部 へ向 けて徐 々 に傾斜 を増 していたのであろ う。

窯体 内 の埋 土 は最 も厚 くて5 cmほ どで、埴輪小片 が数点 出上 した に留 ま る。床面 の下部 は高温 の熱 を受 け、地 山 の黄色粘土 が厚 さ10cm強 にわ た つて赤変 し焼 土 層 が で きて い る。焚 き日か ら下方 へ堆積 して いた灰原 がわずか に残存 す る。焚 き口 付近 で幅80cmで 、 長 さ

2mほ

ど伸 び るが、最 も厚 い ところで も4 cmほ どに過 ぎな い。灰 原 の下 に は、焚 き日か ら始 ま る浅 い凹 みが細 長 く認 め られ た。地 山 の黄色 粘土 に小 さな礫 が入 った土 です ぐに埋 め られてお り、灰 や焼土 は混 じらない。残 っ て いた灰 原 は、 この凹 み に堆積 した部分 だ け削平 か ら免 れ た もので あ る。

3号

窯・

4号

 

奈 良 時代 の造 成 で著 し く損 壊 し、焼 き締 った床面 が わず か に島 状 に残 る。 周 囲 に焼 土 層 が広 が って い るが、主 軸方 向 もわ か らな い状 態 で あ る。

3号

(SX16284)は

堅 く焼 き締 り還元 され た床面 が

3箇

所 あ り、 多 少 の高 低 差 はあ るが本 来 は同一 の床 面 を構成 した もので あ ろ う。 床面 は

1枚

で あ る。最 も 南 にあ る床 面 に は埴 輪小 片 が塗 り込 め られ て いた。 下 部 に は厚 さ5 cm強の焼土層 が広 が る。 窯体 の下層 の整地層 は基本 的 に北 か ら南 へ堆積 してお り、 旧地形 を反 映 して い る と思 わ れ る。 床面 直下 に は黄 色 粘 質 土 を入 れ て い る。 傾斜 に直交 して 南北 方 向 に窯 が築 か れ た とす れ ば、 窯体 の幅 は

2mほ

どにな るが、残存部分 がわ ず か で主 軸 不 明 とせ ざ るをえ な い。下 部 の整地 土 層 中 に は焼 土 や灰 層 が混 じって お り、

3号

窯構 築 以 前 に も埴 輪 の焼成 が行 なわ れて い た ことを示 す。

4号

(SX16286)は 3号

窯 よ り

15mほ

ど西方 に位 置 す る。 床 面 残 存 部 お よ び 焼 土層 が点 在 し、 そ の広 が りは東 西 5.6m× 南北2.2mほ ど あ るが、 これ らが 同一 の窯体 を構成 す るか ど うか も判 断 で きない。南北方 向 の断面 を見 る と、床面 が2 面重 な って い る。 や は り北 か ら南 へ の整地 上 層 の上 に、

3号

窯 と同 じ く窯 体 の基

礎 部 分 とな る黄 褐色粘質土 を入 れ、 その上 に床面 をお く。 この黄褐色粘質土 は非 常 に純 粋 な もので、一 見 す ると地 山 とみ まが うほ どの もので あ る。床面上 に は灰 と焼土 を含 む暗黄褐色土 が あ り、 その上 に再 び黄灰褐色土 をお いて、 その上 に床 面 を設 けて い る。 この

2枚

の床 面 はひ とつ の窯 の操業面 の違 い とい うよ り、下層 の窯 を完全 に削平 したあ と上 に別 の窯 を作 った とい う状況 であ る。

4号

窯 に と も な う遺 物 はない。下層 の床面下 の整地土層 中 に も、灰 や焼土・ 埴輪片 が入 る。

5号

 

灰 原 と思 わ れ る黒灰色 灰 層 の堆 積 が あ る (SX16280)。 そ の周 囲 に は不

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18 3・ 4号窯実測図 1:50

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948

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ドキュメント内 I 平城宮の調査 (ページ 39-43)

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