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神田孝平翁について(神田コレクションと考古学に ついて)

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神田孝平翁について(神田コレクションと考古学に ついて)

著者 角田 芳昭

雑誌名 阡陵 : 関西大学考古学等資料室彙報

巻 1

ページ 4‑4

発行年 1980‑05‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/00024436

(2)

か ん だ た か ひ ら

神田孝平翁について(神田コレクションと考古学について)

角 田 芳 昭

本 学 に 所 蔵 す る 考 古 資 料 の 一 部 に 数 千 点 の 石 器 が あ る 。 こ の 石 器 は 幕 末 の 闇 学 者 , 経 済 学 者 で あ り , 明 治 の 官 僚 政 治 家 と も な っ た 『 神 田 孝 平 』 翁 の 蒐 集 に な る も の で , そ れ が 一 括 し て 故 本 山 彦 一 翁 ( 元 毎 日 新 聞 社 長 ) に 移 り , 本 山 コ レ ク シ ョ ン

として本学が購入したものである。

神 田 孝 乎 翁(1830̲;.Iふ ) に つ い て は 多 く 知 ら れていないが,美濃に生れ,経済学方面の著書が多く,

幕 末 よ り 明 治 初 期 に か け て , 福 沢 諭 吉 と 並 ぴ 称 さ れ る人物であるが,彼には福沢と並ぶだけの啓蒙書が な か っ た 為 , そ の 人 と 業 績 に つ い て の 研 究 が 極 め て 少 な い 。 経 済 学 関 係 著 書 数 冊 , 官 僚 と な っ て は 兵 庫 県 令 と し て , 多 大 の 治 績 を 残 し , 明 六 社 創 立 にも参加,また,元老院議官,文部少輔,貴族院議員 に 勅 選 功 に よ り 明 治31年 7月 華 族 に 列 し 男 爵 を 授 け ら れ て い る 。 晩 年 に は , 考 古 趣 味 も 加 わ り , 巾 広 い 文 化 人 , 教 養 人 と し て 後 進 の 指 達 , 助 言 を 行 な っ て い る 。 明 治17年, 日 本 で 最 初 の 英 文 に よ る 『 日 本 大 古 石 器 考 』 を 著 わ し , 外 人 を 驚 歎 さ せ て い る 。 ま た , 同 年10月 坪 井 正 五 郎 等10人によっ て 人 類 学 会 が 設 け ら れ た が , こ れ に つ い て も 諸 々 と 助 力 し た も の と 思 わ れ 背 後 に 翁 の 力 が 大 き く 働 いていたものと推察される。 20年 要 請 さ れ , 初 代 人 類 学 会 会 長 に 就 任 し た 。 そ し て 明 治31年 歿 す る ま で 考 古 学 会 等 の ス ポ ン サ ー と し て 活 躍 し た 。 こ こ で 神 田 孝 平 の 考 古 趣 味 に つ い て 記 し て み た い 。

翁 が 考 古 学 及 ぴ 古 代 遺 物 に い つ 頃 か ら 興 味 を 持 つ に 至 っ た か は 定 か で は な い が , 明 治4年 横 山 由 清 増 補 の 『尚 古 図 録 』 に 先 史 及 原 史 時 代 遺 物 と し て彼の所蔵品が見える。 (写真 5ページ参照)。陸 奥 国 亀 ケ 岡 土 中 所 獲 土 偶 人 頭 , 神 田 孟 格 蔵 と し て r土 偶 人 頭 」 の 表 面 と 側 面 の ス ケ ッ チ が 描 か れ て お り , 考 古 学 史 上 に お け る 土 偶 側 面 を か い た 最 初 の も の と い わ れ て い る 。 孟 格 と は 翁 の 幼 名 で あ る 明 治4年 と い え ば 翁42オ の 時 で あ り , こ の 年11月 兵 庫 県 令 に 任 命 さ れ て い る の で , こ の 頃 に は 相 当 の 石 器 , 土 器 な ど に 蒐 集 し て い た も の と 思 わ れ る 。

また,この他に同書に長井 明治十九年

邦文発行のもの

日 l ﹇ 

十 足 蔵 の 石 刀 が 描 か れ て いるが,後に翁の所蔵とな っ て い る 。 幕 末 に 多 く の 石 器 図 譜 類 が 刊 行 さ れ た

が , 翁 は こ れ ら の 書 を 参 考 に 所 在 を 確 認 し ゅ づ り 受 け た も の も 多数ある と 思 わ れ る。

明 治10 神 田 孝 平 翁

年 エ ド ワ ー ド ・ S・ モ ー ス に よ り 大 森 貝 塚 が 発 掘 さ れ , こ こ に 学 問 と し , 科 学 と し て の 考 古 学 が 生 ま れ た , 学 史 上 忘 れ て は な ら な い 年 で あ る が , こ の 遺 物 を 教 育 博 物 館 で 天 覧 に 供 す る こ と に な り , 時 の 文 部 少 輔 神 田 孝 平 が 文 部 大 輔 田 中 不 二 麿 に 代 わ

り上奏文と起草している。

明 治12年 モ ー ス に 指 導 を 受 け た 佐 々 木 , 飯 島 に よ っ て 常 陸 安 中 の 貝 塚 を 発 掘 し て 報 告 し た r陸 平 貝 墟 編』は 日 本 人 に よ る 最 初 の 学 術 報 告 害 と し て 意 義 が あ り , ヘ ン リ ー ・ シーポルトの『考古説略』

『日本考古学』,黒)II真 頼 『 上 代 石 器 考 』 な ど 次 々 と 発 行 さ れ た 。 翁 も こ の 次 々 と 発 行 さ れ る 新 知 識 の 報 告 書 や 書 物 に 多 い に 啓 発 さ れ た に 違 い な い 。

明 治17年 神 田 孝 平 に よ る わ が 国 初 の 英 文 に よ る 考 古 学 図 譜 が 刊 行 さ れ た 。 『日本大古石器考』で

あ る 。 英 文 は rNotesOn Ancient Stone Imp— lements  of  Japan』 で あ り , 翌 々 年 『 日 本 大 古 石 器 考』と し て 邦 文 の も の が 発 行 さ れ た 。 こ の 著 に は 石 鰈 , 石 斧 , 石 棒 , 育 龍 刀 石 器 , 独 鈷 石 , 御 物 石 器 な ど 織 文 遺 物 の 他 鍬 形 石 , 車 輪 石 , 石 製 模 造 品 な ど 古 墳 時 代 遺 物 も 収 め ら れ て お り 合 計 271 点の図版がある。

そ の 緒 言 に 「 我 ノ 此 書 ヲ 撰 述 ス ル ノ 主 意 ハ 我 邦 ノ 古 事 ヲ 講 究 セ ン ト ス ル 外 邦 の 諸 学 士 二 講 究 ノ 材 料 ヲ 供 シ 而 シ テ 其 講 究 ノ 結 果 ヲ 聞 カ ン ト 欲 ス ル ニ 在 リ 」 と し て い る 。 こ の 貴 重 な る 考 古 資 料 が そ っ く り 本 学 考 古 資 料 と し て 所 蔵 さ れ て お り , 学 史 的 にも著名である。

こ れ ら 石 器 資 料 が 生 き た 指 導 教 材 と な っ て い る と 同 時 に 神 田 孝 平 翁 の 偉 大 さ を 改 め て 認 識 し た 次 第である。

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