日本語のECM構文とAGRの存在意義
著者 田口 茂樹
雑誌名 Core
号 28
ページ 89‑111
発行年 1999‑03‑10
権利 同志社大学英文学会Core編集部
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015037
日本語の
ECM
構文とAGR
の存在意義日本語の ECM 構文と AGR の存在意義
1田 口 茂 樹
1 はじめに
8 9
日本語の
E x c e p t i o n a lCase
圃marking (ECM i
例外的格表示J )
構文は,大きく二つに分けることができる。一つは補文が定時制を持ったもので,
K
田10(19 7 6 )
,Takezawa
(19 8 7 )
, Kaneko
(19 8 8 )
,Ueda
(19 8 8 )
,三原(19 9 4 )
, 竹沢(19 9 8 )
等で論じられている。もう一つは補文が定時制をもたず,s m a l l c l a u s e ‑ t y p e ECM
と呼ばれるもので,Takezawa
(19 8 7 )
,Kikuchi and Takahashi
(19 9 1 )
等が詳しlハ。以下に前者の例を(1)として,後者の例を(2)として示す。
(1) 太郎は花子の横顔を美しいと思った (2) 太郎は花子の横顔を美しく思った
本稿では,上に挙げた先行研究を批判すると同時に長所を取り入れ,独 自の分析を提案する。理論的枠組みとしては,
Chomsky
が9 0
年代に提唱し ているM i n i m a l i s tProgram
(以下MP)
を採用し,格照合のメカニズムを 考察する。Chomsky
(19 9 5 a
,1 9 9 8 b )
では,機能範障であるAGR
の存在 が否定されているが,Boskovie
(19 9 7 )
の英語の分析に倣い,a c c u s a t i v e
Case
を持ったNP
は顕在的統語部門でSpe
cAG Ro P
に移動し,動調との聞 のS p e c ‑ h e a dagreement
によって照合されるという立場をとる。日本語に 関しては,Koizumi ( 1 9 9 5
,1 9 9 8 )
に倣い,i
を」格がAGRo
によって照合 されるものと考える。90 日本語の
ECM
構文とAGR
の存在意義2 先行研究
MP
の枠組みを用いて日本語のECM
構文を取り扱った研究は,筆者の知 るところでは,みられない。従って本節では,Standard Theory
(以下ST)
とP r i n c i p l e sand Parameters Theory
(以下P&p)
の範囲内での先行研究 を考察し,統率という概念に基づくCaseassignment
には限界があること を示す。2 . 1 Kuno
(19 7 6 )
まず最初に取り上げたいのが
ST
に基づいたKuno
の分析である。Kuno
の提案は,補文の主語が主文の目的語の位置に繰り上げられるとするもので あった20しかし,この考えは
8 0
年代の理論であるP&P
におけるθ ‑ c r i t e r i o n
3違反 として排除されることになる。この結果,日本語のECM
は,移動よりも統 率の概念を用いて分析されるのが主流となった。2 . 2 Takezawa
(19 8 7 )
次に考察するのが
Takezawa
(19 8 7 )
である。Takezawa
は時制の存在がnominative Case
付与と密接な関係があると主張し,上の(2)の例文の補文 主語がa c c u s a t i v eCase
で現れる三つの理由を説明している。一つは, (2)の 補文は 1(NFL)に時制がなく,主格付与能力がないことである。もう一つ は,この補文がC (omplementizer)
を持たないことである。この結果,b a r r i e r
4となる最大投射が存在せず,主文の動詞による統率が可能になるわ けである。しかし,三原 (1994)は
Takezawa
の分析が(2)に対してのみ有効で、あり,(1)における裕文主語の
a c c u s a t i v eCase
付与を説明する積極的な根拠にはな らない,と批判しているO つまり, (1)のように補文が「と」で表されるC
日本語のECM構文と AGRの存在意義 91 を含んでいる場合,その最大投射である
CP
がb a r r i e r
となって補丈主語を 統率することができないのである。(1),(2)の構造を図解するとそれぞれ図1, 図2のようになる。図1
IP
‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 一 一 一 一一 一 ‑ ‑ ‑ ‑
NP l '
太郎は
ザ / ー
¥ ¥ IV '
た♂‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑、‑ー‑‑‑‑、、、‑‑
CP V
C' 思っ
‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑ーーー‑‑、‑
IP C
パヰよト¥ L
花子の横顔を美しい
図2
IP
----♂-♂ー----♂~ーーーーーー~、ーーー--ーーーー~ー-
NP
I'太
i R は ザ
‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑¥¥IV '
た‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ¥ ‑ ‑ ¥
IP V
~\\|
//"'[ー柏田e l ¥ ¥、 患っ 花子の横顔を美しく
2 . 3 Kaneko
(19 8 8 )
三番目に考えたいのは
Kaneko
の主張である。Kaneko
は, (1)の補文主語 が主文の動詞によって統率されるためにSpecCP
へ移動する,と仮定して いる。この位置はCP
によって支配されてはいるが,IP
の支配下からは抜 け出しているため,b a r r i e r
によって主文の動調からの統率を妨げられるこ とはない(図3参照)。92 日本語の
ECM
構文とAGR
の存在意義しかし三原によると,
Kan eko
の分析はCaseTheory
の観点から好まし くない。つまり,D
構造ではCasep o s i t i o n
にありながら格を付与されず,S
構造で格を付与されるという仮定をしなければならないのである。これは 従来のP&P
の想定に反するもので,Kan eko
の分析のネックとなる点であ る。図3
IP
‑ 一 一 一 一 一 一 一 一 一
NP
l'太 郎 1 5 f f ¥ ¥ I
V '
た----戸--戸-戸、ー-一、~、、~
CP V
‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑¥¥1J
花子の横顔を~一一也 1
IP C
パヰよト¥ L
匂美しい
2
.4Ueda
(19 8 8 )
四番目に
Ueda
の主張を検討する。Ueda
は,Chomsky ( 1 9 8 6 a )
で仮定 されたb a r ‑ r e d u c t i o n
という操作を日本語のECM
に適用することによっ て,主文動詞による補文主語の統率が可能になる,と説明する。つまり,図1
の補文( I P )
を支配しているCP
から最大投射だけを刈り取るものであ る。さらにChomsky ( 1 9 8 6 b )
のMinimalityC o n d i t i o n
に修正を加え,f e a t u r e
を持たない範轄の投射はb a r r i e r
にはならないことを規定する。ところが,この分析には二つの問題点がある。一つは,主要部として「と」
が顕在的に現れるにも関わらず,その最大投射を刈り取ることは
P r o j e c t i o n P r i n c i p l e
に抵触するという問題である。もう一つは,三原が指摘しているように,
R i z z i ( 1 9 9 1 )
のRel a t i v i z e dMinimalitl
を採用すると主文の動調日本語の ECM構文と AGRの存在意義
9 3
はb a r r i e r
に阻まれて補文の主語を統率できないことになるという問題であ る。2 . 5
Kik u c h i and Takahashi
(19 9 1 )
五番目の先行研究として
Kikuchiand Takahashi
を挙げる。彼らはs m a l l c l a u s e ‑ t y p e ECM
の日英対照研究を行い,二言語聞の次のような相違 点を提案する。まず,日本語におけるs m a l lc l a u s e ‑ t y p e ECM
は,その中 の述語が持つカテゴリーレーベルの最大投射によって支配されるのに対し,英語ではその上に AGRが投射され,その最大投射によって支配される,と いう点である。つまり,日本語の場合(1), (2)の補文述語である形容調 A6が APまで投射して
s m a l lc l a u s e
を形成するため,補文主語が元の位置で主文 動調に支配されうるのに対し,英語では SpecAGRPに移動して初めて主文 の動詞に支配される,という違いが生じる(図4
,5
参照)。ここで問題となるのは,日本語における
s m a l lc l a u s e
圃t y p eECM
の主文 の述語が状態述語となった場合であるO このような場合,Takezawa
は補文 の主語が義務的にnominativeCase
で現れることを証明している(例文(3) 参照)0 Kik u c h i and Takahashi
の主張はこの点を説明できないという弱点 があるO図 4 (日本語) V'
‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ¥ ¥
AP
V
花子の横顔を美しく 思っ 図
5
(英語f) V'‑‑‑‑ー‑‑‑‑
V AGRP
‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ー ¥ ¥ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ー
主語 AGR'
‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ¥ ¥ ¥ ¥
AGR AP
9 4
日本語のECM構文と AGRの存在意義 (3) 太郎は花子の横顔が美しく思えた2 . 6
三原( 1 9 9 4 )
最後に取り上げたいのが三原の
iVP
主題」分析である。三原は, (1)の「を
J
で標示された主語がiVP
主題」として主文のVP
に付加された位置 に基底生成されると主張する。一方補文の主語は proの形で現れ,i
を」で 標示されたNP
によってコントロ}ルされる。この結果主文の動調が補文 標識匂を越えて補文の主語を統率するという無理な分析が必要なくなるので ある(図6参照)0しかし,この主張の致命的な問題は,
VP
付加位置にある主語NP
をどの ようにして「を」格標示するか,という点である。NP
が「を」格標示され るためには,これを統率する動詞的主要部が不可欠である。しかし,唯一の 候補である動調「思うJ
は「をJ
格主語の下位にあり,姉妹関係にはない。従って,この位置のままでは
i V P
主題」は「を」格標示されることができ ないのである。図6
IP
‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 一 一 一
NP r
太郎は
ザ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ¥ ¥ I
‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ¥ ¥ ̲ ̲ ̲ ̲ ̲ ̲ ̲ L
VP V '
/C,花 子 の 闘 をl
c f ( ¥ V
b '
思つ
‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 一 一 一 ¥ ¥ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑
IP C
/ / へ
¥ ¥ L
proiとても美しい
日本語の
ECM
構文とAGR
の存在意義9 5
3 提案
前節では,統率という概念に基づく格の「付与
J
という手段が日本語のECM
構文を説明するには不十分であることを明らかにした。そこで,本節 では,従来の考え方を破棄し,格は機能範轄によって「照合」されるとするMP
の考えに移行する。ここでは機能範障としてのAGR
の存在意義と,従 来補文標識勾とされてきた「とJ
の範曙的地位の問題が議論の焦点、となるO3 . 1 AGR 3 .
1.1 概略機能範曙
AGR
に関しては,大きく分けて以下の三通りの立場が挙げられ る。A.存在しない
(Chomsky1 9 9 5 a
,1 9 9 8 b
等)B .
パ ラ メ タ ー 化 さ れ て い る(Bobaljik 1995
,Alexiadou and
Ana g n o s t o p o u l o u 1 9 9 8
等)C .
普遍的に存在する(Koizumi1 9 9 5
,1 9 9 8
等)まずは
A
について検討してみようoChomsky
はf e a t u r e
を解釈可能なも の (+ i n t e r p r e t a b l e )
と不可能なもの(ーi n t e r p r e t a b l e )
に分け,前者のみ がS p e l l ‑ O u t
まで生き残ることができる,と仮定する。即ち,解釈可能なc a t e g o r i c a l f e a t u r e
7や名詞のの明f e a t u r e
8だけがLF
に存在できるというこ とである。その結果,解釈不可能な動詞や名詞のCasef e a t u r e
しか持たな いAGR
という要素はその存在を否定されるに至った。次に考えたいのが
B
の立場である。Bobal
討k
等はゲ、ルマン系言語を類型 論的に考察した結果,格照合の途中でNP
がSpecTp
9を経由する言語では96 日本語のECM構文と AGRの存在意義
目的語上昇がみられる,という一般化を提案している。つまりこれらの言語 では,上昇した目的語の格照合を担う
AGRo
が不可欠だ,とするものであ る。さらにAle x i a d o uand
Ana g n o s t o p o u l o u
は,agreement f e a t u r e
を強 いものと弱いものに二分し,VSO
の語順を持つ主語省略言語ではそれが強 い,としている。agreementf e a t u r e
は強い場合に限り解釈可能であると考 え,AGR
の存在を正当化するのが、Ale x i a d o uand
Ana g n o s t o p o u l o u
の立 場である。最後に考察するのが
C
である。Koizumi
は,Watanabe
(19 9 3 )
のT h r e e ‑ l a y e r e d Case Theory
に一部修正を加え,AG
Roが不可欠であることを論じている。
Watanabe
の分析によると,格照合にはChomsky ( 1 9 9 5 a )
の提案に加えてもう一つのプロセスが関与する。つまり,単にNP
がSpe
cAGRoP
に上昇し,V
がAG
Roに上昇した結果a c c u s a t i v eCase
が照合 されるだけでなく,この結果AGRo
の中に新しく[ F ]
というf e a t u r e
が作ら れると仮定するのであるO そしてこの[F]がTによって照合されるという想 定の下に,a c c u s a t i v e Case
の認可にはT
が重要な役割を担っていると結論 づけているoKoizumi
はWatanabe
の分析を援用し,a c c u s a t i v e Case
の 照合は以下の三つのプロセスを介して完了すると考えている。i) 目的語
DP
のCasef e a t u r e
をAGRo
にコピーするi
i)V
のCasef e a t u r e
をAG
Roにコピーするi i i ) AGRo
にコピーされたDP
,V
のCasef e a t u r e
をT
にコピーするKoizumi
の分析は次のように解釈することができる。即ち,意味的にa c t i v e
でないAGR
にCasef e a t u r e
の形式的な側面を,意味的にa c t i v e
な 側面をT
に請け負わせるわけである。AGR
はLF
で不可視的なため,これ によって照合されたCasef e a t u r e
をさらにT
にコピーすることで,格照合 の完了を可視的に確認しなければならない。AGR
は,いわば形式と意味と日本語のECM構文とAGRの存在意義 97 のインターフェースとしてなくてはならない存在なのである。
3 .
1.2
日本語のAGR
この時点で問題になってくるのは,果たして日本語に
AGR
が必要か否か ということである。上にみたとおり.Chomsky
はAGR
が解釈可能なfeature
を持たないということでその存在を否定している。しかし,Al
e x i a d o u and
Ana g n o s t o p o u l o u
の分析ではagreement
が強い場合にはAGR
の存在が許されているO この問題をふまえて,以下では日本語にAGR
が存在することを証明していく。では,強い
agreement
とはどのように定義されるものなのだろうか。ま ずAle x i a d o uand
Ana g n o s t o p o u l o u
が指摘しているのは,強いagreement
を持つ言語が主語省略を許すという事実である10。もう一つは.agreement
の強弱によって,それを動詞に与えるレベルが異なるという事実である。つ まり.agreement
が強い場合は派生の段階で統語的に与えられるのではな く,むしろ語義挿入の段階で内在的に与えられると考えるのである。この二 つの条件を認定基準に用いて日本語におけるAGR
の存在を検討していくO第一に,主語省略に関していえば,日本語が強い
agreement
を持った言 語の中に数えられることは議論の余地がない。次の例文のように,日本語で は主語省略が許されることは一般的な見解である。(4) (わたしが)学校に行く途中,雨が降ってきた
一方.
agreement
が与えられるレベルに関しては立証が困難といわざる を得ない。なぜなら,一般的な日本語の文は形態的変化がきわめて乏しく,agreement
がどのレベルで与えられているかが可視的に具現されないから である。そこで,日本語においては唯一形態変化が具現される「敬語化J
と いう統語現象を下に考察していくことにする。次の例文を考えてみよう。9 8
日本語のECM
構文とAGR
の存在意義(5) 山田先生が花子の料理を食べる (6) 花子が山田先生の料理を食べる
(5), (6)の下線部「食べる
J
に敬語化を適用するとそれぞれ(7),(8)のようにな るO(7) 山田先生が花子の料理をお食べになる/召し上がる (8) 花子が山田先生の料理をいただく
上の(7),(8)は,日本語において主語,目的語の
agreement
が存在すること を示す好例である。即ち,敬語化の対象となる「山田先生」が主語内にある (7)の場合と,目的語内にある(8)の場合とで「食べるJ
という動詞の形態、が異 なるのが分かる。ここで注意すべきは, (7)では統語的に派生された「お食べ になる」と語義的に派生された「召し上がる」が併存するのに対し, (8)では 語蒙的にに派生された「いただく」の形しか存在しない点である。このこと から,日本語は少なくとも目的語に関するagreement
は語業挿入の段階で 動詞に与えられている,という結論が得られる。換言すれば,日本語は目的 語に対するagreement
が強い言語なのであるO以上,二つの条件を満たしたことから,日本語は
AGR
を持つ言語として の資質があるとみなして以下の議論を進めていくことにする。3 . 2 r
と」の範時的地位日本語の
ECM
を論ずるに当たって最も厄介な存在が「とJ
である。従来 これはIP
を支配するC
と考えられてきた110 しかし,既に述べたように,もし「と」がCならばこれは
b a r r i e r
となり,主文動調からの統率は不可 能になってしまう。だからといって,Ueda (
19 8 8 )
のように最大投射だけ日本語のECM構文とAGRの存在意義
9 9
を刈り取る操作も理論的に好ましいとは言えない。本節ではFukui ( 1 9 8 6 )
の相対化X二理論を参考に,r
と」の範時的地位と格照合の問題について言 及する。3 . 2 . 1 Fukui
(19 8 6 ) 1 2
一般的に想定されている
X
二理論とは異なり,Fukui
は機能範障のみがXP
レベル(最大投射)を持つと仮定する。つまりD( e t e r m i n e r )
,1
,C
だ けがXP
レベルまで投射し,その結果投射をc l o s eo f f "
する,と考えるので ある13。一方語柔範蒔は,X
〆レベル(一般にいう中間投射)までしか持たな いため投射をc l o s eo f f
することはない。従って,V
,A
,N
,P
といった範 噂はそれぞれ V',A', N', P'を最大とする範時ということになる140従来考えられてきた立場と
Fukui
の考えを折衷すれば,日本語のECM
補丈はb a r r i e r
を形成しないことになる。なぜなら,Fukui
は「と」が最大 投射を持たない語葉範蒔だと考えているからであるOつまりFukui
は,r
と」 という要素は C ではなく, X'レ ベ ル ま で し か 投 射 し な い 後 置 調 P( o s t p o s i t i o n )
であると主張しているのである1 5
0Ueda
(19 8 8 )
の分析でみた ように,欠陥範障であるIP
を支配しながらb a r r i e r
となれるのは最大投射 だけであり,r
と」はその資格を持っていないことになる160この結果, (1) の補文主語が主文の Vによって統率されることを難なく説明できるのであ る。ところが,この分析には致命的な欠点がある。以下の(9)のような文が説明 できなくなってしまうことである。
(9) 太郎は花子の横顔が美しいと思った
つまり,
r
とJ
に支配された節が全てb a r r i e r
を形成しないと考えると, (9) の補文主語「花子の横顔がj は補文のI
と主文のV
との両方から統率され100 日本語の
ECM
構文とAGR
の存在意義うる,というまことに好ましくない状況が生み出されるのであるO
3 . 2 . 2
円i
用標識」としての「と」では,
r
とJ
の範時的地位はいったい何であろうか。ここで提案したいの が,Ueda
(1988)を大幅に取り入れた分析である。先に見たとおりUeda
は「とJ
が おa t u r e l e s s "
であることを論じ,b a r ‑ r e d u c t i o n
を適用すること で「と」の投射をb a r r i e r
から除外している。そこで,f e a t u r e
を持たない 新たな語義範轄として「と」に「引用標識J Q ( u o t a t i o n marker)
というカ テゴリーレーベルを与えることにする。「とJ
が事実上全ての範障を支配で きることからも,この提案は十分に正当化されると思われるO 以下の例文を 参照されたい。。
0) [N春]といえば桜仰) [v教える]ということの難しさ
同 [Adj 早い]としても,うまいとは限らない 岡 目標を立てて[Adv しっかり]と勉強する
上の例から,
Q
という範障は選択制限に関して中立であることがわかる。言い換えれば,
r
と」が範障を選択しているのではなく,各範轄の側が「とJ
を許容するスペースを持っていることになる。この結果,
r
と」は各範轄の 付加位置に基底生成される,という主張が成り立つのである。3 . 3 MP
以上の考察から,統率に基づく分析には不備があることを再度確認した。
そこで,
MP
の観点から日本語のECM
を洗い直していきたい。日本語の
ECM
構文とAGR
の存在意義 1013 . 3 . 1 Non‑Small C l a u s e ‑
Type ECM
ECM
について議論する前に,まずは(9)の文がどのように派生されるかを みてみよう。 VP内主語仮説(Kitagawa
1986,Kuroda
1988,Fukui
1986 等を参照)を採用した場合,この主語は何らかの理由でSpe
cIP
の位置に移 動せねばならない。これを正当化するのがS a i t o
(1985),Takezawa
(1987)をはじめとする考え方で,日本語では
n o m I n a t i v eCase
がI
によって付与 される,とするものである。これをMP
流に解釈すれば,主語NP
はI
と の間のSpec‑headagreement
でnominativeCase
を照合するためにSpe
cIP
へ移動する,ということになる170図説すると以下の通りになる180図7
IP
‑ 一 一 一
J一 一 一 一 一
Spec
J[花子の横顔がi
f
I 耕輔十A
どこごと与 i
弘美し い
c h e c k and d e l e t e
騨 鍋
4
A
では, (1)のような
ECM
補文の主語はどのようにしてSpe
cIP
へ移動する のだろうか。 (9)とは異なり,ECM
補文の主語はn o m I n a t i v eCase
を持って いない。にもかかわらず主語をSpecIP
へ移動することはp r i n c i p l eo f Greed
に違反する。つまり,r
移動は自身のf e a t u r e
を照合する場合のみ許 される」という一般化に反するのである19。しかし,この問題はEPP‑
f e a t u r e
(節には主語がなければならないことを規定するf e a t u r e )
を導入す ることで解決する。EPP‑feature
を満たすためには主語となりうる名調がSpe
cIP
になければならない。このE P P ‑ f e a t u r e
に対応するN ‑ f e a t u r e
を主 語が持っており,両者を照合するためにNP
がSpe
cIP
に移動する,と考え ればよいのである。この過程を以下のように図説する。102
図8
日本語の
ECM
構文とAGR
の存在意義‑ 一 一 / 一 IP 一 一 一 一 ¥
Spec 工
花 子 の 横 断i
f
I争キ ~、
ti美し い
苦手時
図
7
,図8
の構造はさらにQ
,V
にMerge
されて補文の全体像を形成し ていくわけだが,図8に関してはもう一つの手続きが必要となる。即ち,既 に補文主語のCasef e a t u r e
が照合されている図7
と違って,函8
の補文主 語はa c c u s a t i v eCase
を照合できる機能範障とMerge
され,その指定部へ 移動しなければならないのである200いうまでもなく,この機能範轄の正体 はAGRo
である。V
はAGRo
とMerge
されて,その指定部へ主語が移動 するわけだが,これを可能にするためには 1 (現在主語が占めている位置) からみて主文のV ( a c c u s a t i v e f e a t u r e
を持つ)とAGRo
(次に主語が移動 する位置)がe q u i d i s t a n c e
でなければならない210 この手続きは以下のよ うに進む。まずは主文動詞「思っ」がa c c u s a t i v ef e a t u r e
を照合するためにAGRo
へ主要部移動するO この結果,V
の補部であるIP
のdomain
がAGRo
にまで拡大し,1
とAGR
がe q u i d i s t a n c e
になる。そして,IP
の指 定部からAGRo
の指定部へと主語が移動し,ここで動詞との聞のSpec
嗣head agreement
でa c c u s a t i v ef e a t u r e
が照合されるわけである。この過程を表したのが図9である。
日本語の
ECM
構文とAGR
の存在意義1 0 3
図9‑ J 処 L ¥
S~ec 明 0'
花子の横顔をl
f AGRo
昔叶~\\、 国Soec
V〆,、 ~J~\\\ 執 叶
IP V
~\\\!
//JL¥T
吋Spec l ' ヤ
/ ¥ ¥ K
ti V' 1 美し い
図
9
に示した派生のプロセスは.P&P
の立場からみても望ましい結果を もたらす。即ち,祷文主語が主文目的語の位置に上昇しているにも関わらず,b a r r i e r
の候補となるような最大投射は一つも超えていないのであるO3 . 3 . 2 Small C l a u s e ‑ Type ECM
最後に
s m a l lc l a u s e ‑ t y p e ECM
について検討する。 (2)が(1)と異なる点を おさらいしておくと,補文が時制を持たないことと,補文主語が必ずa c c u s a t i v e Case
で具現されることが挙げられる。では,この違いは一体ど こからくるのだろうか。本節では.s m a l l c l a u s e ‑ t y p e ECM
の派生をMP
の立場から考察するO(1)の場合と同様,主語がVの投射内に基底生成されると考えるならば,
ほとんどのプロセスは
n o n ‑ s m a l lc a u s e ‑ t y p e ECM
と全く変わらない。即ち,述語動調「美しく」を「花子の横顔を」という名詞句と
Merge
し,その結 果V'
を投射する。さらにこのV'
をI
とMerge
し,最終的にIP
を投射する わけである。この手続きを図解すると以下のようになる。104 図
1 0
日本語のECM構文と AGRの存在意義
IP
J
一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー
S
伽p伊附e舵c 一‑‑‑一‑‑‑一
V' 1
~\\\
Spec V' [ ‑ t e n c e ]
花子の横顔を 美しく[+N]
(1)の場合と同じように,補文主語「花子の横顔を」は
Spe
cIP
へ移動するが,これは
Casef e a t u r e
ではなくI
のE P P ‑ f e a t u r e
と名詞句のN
イe a t u r e
を照 合するためである。なぜなら,1
にはa c c u s a t i v ef e a t u r e
を照合する能力が ないからである。ところが,この仮説だけでは説明のつかない問題が,以下 の文の非文法性である。(
14) *太郎は花子の横顔が美しく思った
もし
I
にn o m i n a t i v eCase
を照合する能力があるならば,同は適格文とし て派生されるはずで、ある。この非文法性を説明するためには名詞勾のCase
f e a t u r e
よりも,むしろI
の方に原因を求めざるを得ない。そこで導入した いのがTakezawa( 1 9 8 7 )
,竹沢(19 9 8 )
の仮説であるoTakezawa
は,S a i t o
(19 8 5 )
等の考えをさらに一歩押し進めてn o m i n a t i v eCase
付与で重要な 役割を果たしているのは, 1の中に含まれた時制要素であると考える。つま り,[ + t e n s e ]
の指定を受けたI
のみがn o m i n a t i v eCase
を認可する資格を 持つ,と仮定するのである。従って,n o n ‑ s m a l l c l a u s e ‑ t y p e ECM
の場合 は,Merge
された名調匂のCasef e a t u r e
に応じてI
で照合するか否かが決 定される。それに対し,s m a l l c l a u s e ‑ t y p e ECM
の場合は,1
の時制要素欠 落によって一義的にAGRo
が照合の任務を負うという違いを除いて,両者 は全く同じ手続きで派生されることが証明されたのである。日本語の
ECM
構文とAGR
の存在意義 1054 結 ぴ
本稿では,日本語における
ECM
構文を二つのタイプに分けて考察した。一つが
n o n ‑ s m a l lc l a u s e ‑ t y p e ECM
と呼ばれるもので,補文が時制を持つ にも関わらず,主語がn o m i n a t i v e
とa c c u s a t i v e
の交番をみせるという特 散がある。もう一つはs m a l lc l a u s e
圃t y p eECM
と呼ばれ,補文が時制を持 たず¥主語が義務的にn o m i n a t i v e
で具現されるというものである。まずは
ST
とP&P
におけるECM
の先行研究を概観し,統率に基づく格 付与という分析には限界があることを指摘した。そこで9 最近Chomsky
に よって提唱されたMP
における分析に移行し,Case
は機能範轄によって照 合されるという立場を採用した。この機能範轄の候補としてAGR
の有無が 検討された結果,少なくとも日本語にはAGRo
が存在するという結論に達した。
次に,
MP
とP&P
のいずれにも対応できる分析を構築する目的で,r
とJ
の範曙的地位を検討した。従来「と」は Cとして分類されてきたが,この ままでは
b a r r i e r
を形成することからECM
の分析には不十分であることを 論じた。そこで,Ueda
(19 8 8 )
のf e a t u r e l e s s
という概念とFukui
の相対化 X'‑理論を修正し,r
と」は各範轄の付加位置に基底生成される引用標識で あることを主張した。最後に日本語の
ECM
が派生されるプロセスを具体的に考察した。「と」を
XP
レベルまで投射しない引用標識とした結果,補文主語がb a r r i e r
を越 えることなく機能範轄の指定部に移動し,AGRo
によってaccusative
feature
を 照 合 さ れ る こ と が 明 ら か と な っ た 。 一 方 , 補 文 主 語 がn o m i n a t i v e Case
で具現されたときには,1
によって照合されるとすること でCase
の交替を説明した。またs m a l lc l a u s e ‑ t y p e ECM
の場合も基本的 には同じ手続きを踏んで派生されるが,補文のIが時制要素を持たないため にnominativef e a t u r e
を照合することができず,a c c u s a t i v e f e a t u r e
を106 日本語のECM構文とAGRの存在意義
AGRoで照合する以外に選択の余地がない,という違いを明らかにした。
i主
1. 本稿は, Taguchi (1999)が日本語のECM構文に対して提案する予定であった 二つの分析法のうち,紙面の関係で採用できなかったAGR分析をまとめたもの である。先行研究の詳細な検討と批判に関しては,上記の論文を参照されたい。
2. 英語の ECM構文において主語繰り上げを提案した文献としては, Postal (1974)を参照。
3. (j ‑criterion:
Each argument bears one and only one (j ‑role
,
and each θ明roleis assigned to one and only one argument (Chomsky 1981: 36)4. barrier:
y is a barrier for s iff (a) or (b):
a. y immediately dominates d, d a BC for s;
b. y is a BC for s, y宇IP(Chomsky 1986b: 14) 5. Relativized Minimality:
X日明governsY only if there is no Z such that (i) Z is a typical potential a‑governor for Y
(ii) Z c‑commands Y and does not c‑command X (Rizzi 1990: 7)
6. (1), (2)では補文述語のカテゴリーレーベルを VとしているO これは,いわゆ る用言を便宜的にまとめたものに過ぎず,より厳密に言えば動詞 V(erb),形容 詞A(djective),形容動詞N(ominal)A(djective)に下位範醇化される。
7. [nomina, l] [verbal]等,その範騰の性質を決定するfeature。
8. 人称(person),数(number),性(gender)等の文法的特徴を決定するfeature。 9. Pollock (1989)以来, IPをT(ense) PとAGRPに分割する分析が主流となっ
た。ここではTPと本文中のIPとは,ほぼ同じものとして扱う。ただし, TP 分析を採用した場合はAGRよりも上位にMergeされることに注意されたい。
10. ここで注意すべきは,主語省略と形態変化の豊富さとの聞には相関性がみら れないということであるoなぜなら,形態変化が豊富で、あるにもかかわらず,主 語省略が許されない言語もあれば,形態変化が貧弱であるにもかかわらず,主語 省略が許される言語もあるからである。Alexiadouand Anagnostopolouは前者 の例としてドイツ語を,後者の例として日本語を挙げている。
11.
r
と」を Cとして分析する研究にはSaito(1985, 1992), Kitagawa (1986), Takezawa (1987), Kaneko (1988), Ueda (1988,1990), Kikuchi and Takahashi日本語のECM構文とAGRの存在意義 (1991), Mihara (1994),竹沢 (1998)などがある。
107
12. ここではFukuiの日本語に対する見解を述べるにとどめておく。彼の想定す る英語のX'モデルに関しては, Fukui (1986, 1988)を参照。
13. close off'とは,簡単にいえば,ある主要部の投射がそこで終わり,それ以上 枝分かれ経路がのびないことを意味する。
14.
r
close offきれない」という言葉の解釈に注意されたい。機能範騰と違い,語集範隠は
X '
レベルの(最大)投射を従来の付加構造のように繰り返すことが できる。この結果,指定部の位置が理論的には無限に生成されることになり,日 本語の多重主語構文や多重限定詞構文を説明できるという利点がある。15. この根拠として Fukuiは「と」がいわゆる疑問の終助詞「か」と共起する事 実を挙げている。 Fukuiによると「か」は文を名詞化する働きを持っており,
これを直接支配している fと」は後置詞に他ならない。この議論の是非について は本稿では深く立ち入らないことにする。
16. Fukuiは日本語には機能範障が全く存在しないと仮定しているが,ここでは 紙面の関係上この議論には立ち入らないことにする。詳細は Ueda(1990)を参 照。
17. Chomskyの分類によると, Case featureは解釈不可能であるためLFでは生 き残ることができない。従って, Case featureを持った要素は顕在的統語部門 で移動してその照合を受けるものと考える。
18. 実際のところ,図7では補文の述語「美しい」が時制要素と結合するためにI に主要部移動する。
19. principle of Greedに関しては盛んに議論がなされている。中でも興味深いの がLasnik(1995)のEnlightenedSelf司Interestという概念である。これは principle of Greedの規制を緩和し,移動のtargetが持つfeatureを照合するた めに移動することを許すものである。ここの議論でいえば,補文の Iが持つ EPP胆featureを照合するために主語 NPが移動するという解釈ができる。また Bo話kovie(1997)は, principle of Greedを採用してはいるが, SpecIPを中継地 点ととらえることで問題の NP移動を説明している。即ち,最終日的が自身の featureを照合することならば,最も近い着地点で、ある SpecIPに立ち寄ること に問題はない,と考えるのであるo さらにCollins(1997)は, principle of Greed は派生の先読みに依存するGlobalEconomy的な考えであり LocalEconomy の観点からは好ましくない,と批判している。
20. Chomsky (1998b)によると,一旦Casefeatureの照合を受けた句はそれ以上 移動することが許されない。
21. equidistanceの定義は以下のとおりである。
108 日本語のECM構文とAGRの存在意義
If a and
p
are in the same minimal domain, they are equidistant from l' CChomsky 1995a: 184)minimal domainとは基本的にはある主要部の指定部と補部を含む領域である。
この領域はfeaturecheckingなどを目的とした主要都移動により拡大されてい く。詳しくはChomsky(l995a)を参照。
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